2016 Volume 3 Issue 1 Pages 4-11
本論文では,日立製作所におけるサービス化の試みを紹介する.ここでの「サービス化」とは,単に従来製品にサービスを付加するというよりも,エンドに価値を提供することを「サービス」と捉え,それを実現するための包括的手段の設計・提供を目指すことを言う(1).
日立では“ITで高度化された,安全・安心な社会インフラをグローバルに提供していくこと”を「社会イノベーション事業」と定め,中核事業として推進している.「サービス化」は,この社会イノベーション実現のための必須要素である.安全・安心な社会インフラは,単にモノを提供するだけではなく,サービスの提供と継続的なその改善で実現される.
社会イノベーション事業は,1社のみでは実現できない.複数のステークホルダーが,将来ビジョンと課題を共有し,解決策を提供しあうことが必要になる.この取り組みを日立では「協創」と呼ぶ.
従って,日立におけるサービス化とは,ステークホルダーとの協創により,社会イノベーション関連ビジネスをトータルに再構築してエンドに価値を提供することである.
本論文では,日立のサービス化の取り組みを実例と共に紹介し,そこにどのような現実的な難しさがあり,それに対していかなる工夫を行ってきたかを述べる.
協創によるサービス価値創生には次の3つの要素が必要と考えている(2).
このアプローチはごく一般的な問題解決手順であるが,実際にこれを適用するには,個別サービス毎の具体的な工夫が必要となる.本稿では,このアプローチを念頭に,以下の3つの事例を通して我々の具体的な取り組みを紹介する.
この事例では,人間系を対象とした場合にどのように本質的問題を特定し,問題解決手段を創出したかを述べる.人間系に対しては,観察と共感に基づくデザイン思考的アプローチ(3)がとられることが多い.日立ではデザイン思考アプローチに取り組む一方(4),計測によるモデル化にも取り組んでいる.計測によって客観的に対象をモデル化し,そのモデルに基づいて組織の生産性向上施策のアイデアを創出している.施策の実施に当たっては,対象が人間系であるが故の難しさがあることについてもふれる.
この事例では,顧客が有する本質的な問題や潜在的ニーズを顕在化するために,事業戦略立案フェーズから顧客と協創することを試みている.モノだけを顧客に納めてきた旧来の製造業のやり方とは異なり,根源的な顧客価値をまず明らかにし,それを実現する手段を構築する試みである.その結果,顧客業務(グローバルサプライチェーン)の設計支援だけではなく,顧客が必要とする物流データも併せて提供するといった包括的サービスを実現している.
事業リスクを低減するため,サービスを実装する前に机上で検証し,ステークホルダー間で方針を合意するための施策を述べる.
利用するのは,エンドの行動モデル,サービスオペレーションのモデル,事業の収益モデルの3つの要素を兼ね備えたシミュレータである.このシミュレータにより,エンドにとっての価値,技術的実現性,事業者にとっての収益性を評価し,事業立ち上げに向けた方針を合意する.
以下の章ではこの3つの事例についてそれぞれ紹介する.
産業分野ではビッグデータや人工知能を活用した最適制御が実現しつつあるが,人が価値創造の中心となるサービス分野では人の振る舞いの定量的な計測や最適化が課題であった.
日立ではウェアラブルセンサを活用した人間行動分析技術をヒューマンビッグデータ®として体系化しており,サービス分野での業務中の人の振る舞いやサービスの生産性定量化を実現している.これにより,組織における最適な働き方をデータに基づいて提案することが可能になってきた(5).
本章では,人間行動の計測により得られた知見から働き方の改善施策を提案した例を述べる.施策を人間系に適用したときに起こる現実的な問題とその解決策も紹介する.
3.2 本質的問題の特定近年,サービス分野に必須な人間行動の計測が可能になってきている.筆者らは,働く人の身体運動の計測値とアンケートとを照合することにより,組織の“元気さ”がメンバーの身体運動の統計的分布に表れることを発見している.具体的には,活発な組織は活動状態の持続時間の分布がべき分布になることを見出し,分布の形状を数値化することで組織活性度を定量化できている(6).
この組織活性度が組織の生産性に寄与することもわかっている.個人のセールススキルが売上を決定づけると考えられがちなコールセンターでさえ,セールススキルよりも組織活性度の方が受注率の日々の変動に強く影響することを明らかにした(図1).
人が集まる組織の生産性は,要素の生産性の単純和ではなく,集団現象として捉えるべきであることを,この結果は示している.従ってマネジメントでは個別のスキルアップだけでなく,組織を元気な状態に維持することが生産性向上につながることになる.このようなことは,経験から抽象的には語られていたが,実測に基づいて定量的に示せたことに意義がある.
3.3 問題解決手段の創出計測により,組織活性度と生産性に関するモデルが得られたが,次に考えるべきは,組織を元気な状態にする改善施策である.
一般的な活性化施策として,会議の行い方の工夫,オフィスレイアウトの変更,飲み会の実施などが知られている.しかし,ある組織にとって有効な施策が別の組織でも有効とは限らない.当該組織に有効なマネジメント施策を選択することが必要である.ここでも計測が最初のステップとなる.
日立では,ウェアラブルセンサの1つである名札型センサ(図2)で組織のコミュニケーションやデスクワークに関する行動を計測し,組織活性化に有効な行動パターンの定量的な抽出を実現した.
この分析によって,ある組織では「30代の人が連続5分未満の対面での会話(挨拶や連絡)を12回以上行った日は,そうでない日に比べて,チーム全体の組織活性度が有意に高い」といった結果を得ることができた(図3).この結果から,「現場をよく知る30代が,若手から相談されたり,上司に状況報告したりしやすい環境が効果的である」と仮説を立てた.これを踏まえて30代の人のデスクのパーティションを除去する,部課長は朝礼を通して彼らの進捗確認を定型化する,などのマネジメント手段を提案できた.
このように,誰のどのような行動を増やす(または減らす)べきかという個別具体的な施策を検討できる.「誰の」については,職位,所属,スキル,年代,役割など多様な切り口で網羅的に探索する.実際に試行する際には,初めの1ヶ月間の計測データから有効な行動指標をリストアップ,その行動を増やすための施策を顧客側にて決定,次の1ヶ月間の計測で施策の実行,行動指標と組織活性度の向上の確認,という流れで進める.
施策のパターンとしては,自助努力を促すもの,空間を変えるもの,業務のルールを変えるものの3パターンがある.誰が実行すべき施策かという対象の明示と組み合わせ,特定の対象者へのアドバイスという形で提示する(図4).
施策の実行にあたっては,人間系ならではの問題が発生した.これまでに実際に複数の顧客に施策を実施してきたが,アドバイスが現場で実行されないため行動が変化せず,組織活性度も向上しないケースが発生した.そのため,実行されやすいアドバイスの提示方法が課題となった.
実行されにくいアドバイスの1つ目としては,対象者が多い場合があった.自分が変えなくても他の誰かが行うだろうという意識が働いたと考えられる.一方で,対象者が少なく名指しに近いアドバイスほど確実に実行される傾向があった.ただし対象者が少ないと統計的に有意な知見を得るには長い計測期間が必要というトレードオフが生じる.
2つ目に,自助努力を促すアドバイスも実行されにくい傾向があった.業務量の増減や同僚の反応などの外部要因の方が自助努力より強い影響を持っているからだと考えられる.一方で空間や業務ルールの変更は行動を強制的に変えるため当人にとっての心理的負荷も少なく,実行されやすい傾向にあった.
これらの傾向を踏まえ,実行されやすいアドバイスとしては,
が有効であるとの知見が得られた.
将来はアドバイスを自動的に提示するマネジメント支援システムの実現を目指す.
次の例は,製造業のグローバルサプライチェーンである.製造業を取り巻く事業環境は,めまぐるしく変化し続けている.市場は欧米から中国,インドへと広がり,製造拠点は中国から東南アジア,中南米へと安い人件費を求めて移動してきている.このような事業環境変化に追従するためには,工場レベルの現場改善では不十分であり,部品調達から製品製造,保管,市場への供給までの一連のサプライチェーンの構成を見直す必要がある.
「サプライチェーンの構成を見直したい」という顧客に対し,これまで日立の発想では,例えば生産計画ツール等をアプリケーションとして製品化し,販売する“モノ売り”を行ってきた(7).しかし,このような形態では,アプリケーションが想定した問題しか解決できず,顧客の問題に深く踏み込んだ本質的問題を見出していくことは難しい.結果として,サプライチェーン全体を見通した最適化ができない.
そこで,このサービス事業では,コンサルタントと協業して顧客の事業戦略立案の段階から顧客の問題に踏み込むことを目指した.その問題を解決する設計ツールを開発し,設計ツールを売るのではなく設計をサービス化している.
4.2 本質的問題の特定サプライチェーン全体を見通した最適化のためには,事業戦略の上流から顧客の課題に踏み込むことが必要になる.
上流における顧客の課題発掘・解決案提示に必要な業務はコンサルティングである.日立社内にもコンサルティングを行っている事業部があり,その事業部にてコンサルティングを担当した.
対象とする顧客は,様々な国に生産拠点を置くグローバルな製造メーカである.グローバルサプライチェーンにおいては,拠点を変更すると生産できる製品の種類や量が変わるだけでなく,発生する人件費や運営費,拠点間の輸送費,関税が変わるなど,広範囲に影響が及ぶ.従来,経営者は人手により2~3のサプライチェーン構成案に限って利益を算出し,比較するような方法を採用していた.しかし,サプライチェーンの構成案は数多く想定されるため,よりよいサプライチェーン構成案を見逃す可能性があった.
コンサルタントは,事業分析結果とこれまでに培ったノウハウからグローバルサプライチェーンを設計するが,問題は,数多くのサプライチェーン構成案の中から,顧客の事業戦略に合わせた最適なグローバルサプライチェーン設計案を選定することである.
4.3 問題解決手段の創出設計案生成の際に客観的な数字により設計案を評価することができれば,顧客に対する説得力が増す.また,設計案の生成期間を短縮できるため,より多くの事業シナリオ(販売計画の伸び率,人件費上昇率などの想定値)に対して設計案の生成が可能となり,多くの判断要素を顧客へ提供することができる.これを実現する手段として,設計ツールと物流データについて述べる.
日立では,これまで培ってきた製造業としての業務知識と効率的な生産計画を作成する数理最適化技術とを融合し,グローバルサプライチェーン設計ツールを開発した(8).
本ツールは,市場の販売計画,拠点候補,工場の生産条件,調達・製造・物流コスト,設備投資を入力とし,利益が最大となるように拠点構成および物流経路を決定する.
生産の条件とは,例えば,工場では1日の稼働時間が決まっており,稼働時間の中で生産できる製品数には限りがあるといった条件である.同様に,部品サプライヤから供給される部品の量にも上限がある.製品によっては製造できる生産ラインが決められており,その生産ラインが設置されている工場でしか製品を製造できない.船舶の輸送においては,1度に輸送できるコンテナ数に上限がある.このような条件は多数存在しているが,その中の1つでも満たされていない場合には,実際に製品を供給することはできない.このため,供給条件を全て満たすサプライチェーン構成案を選択する必要がある.
また,利益を増やすためには,できるだけ安く製品を作り,運ぶことが重要である.人件費の安い国で製品を作れば人件費は安くなるが,一方で,生産国が市場から遠い場合には輸送費が増えてしまう.また,国際的な取引においては,高い関税が課せられることもある.経済連携協定を結んでいる国間では特恵関税率の適用条件を満たすように生産することで,一般の関税率よりも軽減された特恵関税率を適用することができる.このように各国の利点を鑑みた上で,利益を最大にするようなサプライチェーン構成を選択する必要がある.
上述した多くの条件を満たす中から評価項目を最良とする解を効率的に探索するために,工場の生産数や特恵関税率の適用条件といったビジネス上の条件を線形方程式でモデル化しサプライチェーン設計ツールを開発した(図5).
設計に必要なのはツールだけではない.サプライチェーン設計で考慮すべき情報は多岐にわたる(図6).このサービスでは,設計や設計案選択に役立つデータを併せて提供する.将来の拠点候補への輸送費,輸送リードタイム,人件費,拠点間の関税情報等などは,物流会社からロジスティクスに関する情報を提供する場合もある.日立グループ内には物流事業を担っている物流会社があり,この物流会社からロジスティクスに関する情報を提供する.
コンサルティング部門との協業,グローバルサプライチェーン設計ツールの開発,物流会社との協業による物流データの提供といった施策により,これまで1か月以上を要していた設計案の作成を最短で1週間以内に行うことが可能となった.今後は設計だけでなく,日常的に行われる計画業務である需給調整や輸配送計画へと拡張していくことで,戦略と計画をシームレスにつなぎ,高度な意思決定を可能とするサービスへと進化させていく予定である.
コストや時間をかけていきなりサービスを実装せずに,机上あるいは最小限の実証実験によりアイデアを検証することがリスク低減に有効である.
日立が開発している NEXPERIENCE/Cyber-Proof of Concept (Cyber-PoC)(9)(10)では,インタラクティブにパラメータを変更しながら,エンドへの便益,最適解の選択,システムの投資対効果を確認することができる.
サービスは目に見えない「無形性」がその特徴の1つであるとされるが(11),シミュレータにより無形物を可視化する試みを行っている.
5.2 機能的特徴シミュレータは,サービス分野毎に用意しているが,いずれも次の機能的特徴を有している.
この機能を実現するために,サービスシステムのシミュレーション,エンドのシミュレーション,事業のシミュレーションを行い,これらを連成させてサービスシミュレーションを行う(図7).この図に示すように,事業はその投資によりサービスシステムを構築し,エンドに便益を提供する.便益によりサービスの利用が増し,事業は投資を回収する.NEXPERIENCE/Cyber-PoCがシミュレーションするのは,このようなサービスの全体感である.
図8に一例として,鉄道・交通ソリューション向けのシミュレータを示す.画面左は,どこに鉄道路線(サービスシステム)を敷設すると,どの程度渋滞が緩和できるか(エンド利便性)を見える化した結果である.
鉄道路線は,GUIによりインタラクティブに敷設できる.駅,ダイヤはデフォルトのものが自動生成され,これを設定し直すことで現実的な設計ができるようにしている.
モデルには,それまで車を使っていた人がある条件下では鉄道を利用するようになるという意思決定モデルが組み込まれている.鉄道を施設することにより車から鉄道への乗換が起こり,渋滞が緩和する様子がシミュレーションされ,地図上に表現される.
画面右側上段は,画面左の路線に応じた電力供給の計画をシミュレーションした結果である.画面右側下段は,その際の電力消費量や,初期コスト,運用コスト,累積コスト(事業の収益性)をシミュレーションした結果である.
このシミュレータを用い,路線図をインタラクティブに変更することで,様々な条件でのサービスをテストすることができる.
5.4 シミュレータの活用方法実際のところ,このシミュレータはサービスシステムの事前検証だけを目的に作られたものではない.日立と顧客のビジョン共有段階では,シミュレーションを顧客に提示し,日立が考えているビジョンをビジュアルに伝える.本質問題の特定フェーズでは,顧客の実データをシミュレータに入力し,問題を特定し,解決への見通しを立てる.さらに,各部門の課題を総合的にシミュレーションして意思決定を促すことを想定しており,協創アプローチの全フェーズにおいて活用する.
このように,シミュレーションは,「見えない」とされるサービスにおいて,ビジョンの共有,問題の特定,解決策の検討,意思決定における有効なコミュニケーションツールとなる.
本稿では,日立が取り組んでいるサービス事業の一端を紹介した.サービス事業を顧客と共に立ち上げていく上で,
という3つの観点を示し,具体的な取り組みの中でこの観点をどのように実現しているかを述べた.
日立では“サービスの実現”と“サービスデザイン方法論の構築”という2つの取り組みを行っており,実践事例で得られた知見を方法論に取り入れ,サービス化を拡大していく.
日立製作所 研究開発グループ 東京社会イノベーション協創センタ サービスデザイン研究部 所属.主管研究員.現在,サービスデザインの研究に従事 サービス学会,情報処理学会,電気学会,プロジェクトマネジメント学会各会員.
日立製作所 研究開発グループ 東京社会イノベーション協創センタ サービスデザイン研究部 所属 現在,組織マネジメントへのヒューマンビッグデータ活用の研究に従事.プロジェクトマネジメント学会会員.
日立製作所 研究開発グループ 生産イノベーションセンタ 生産システム研究部所属.主任研究員.現在,サプライチェーン,数理最適化の研究開発に従事.日本オペレーションズ・リサーチ学会,日本経営工学会各会員.
日立製作所 研究開発グループ 生産イノベーションセンタ 生産システム研究部所属.リーダ主任研究員.現在,サプライチェーン,生産システムの研究開発に従事.精密工学会会員.