2017 Volume 4 Issue 1 Pages 1
久しぶりに小規模の国際シンポジウムを主催した.会議の内容を充実させることはもちろんであるが,海外の来客から「気持ちの良いシンポジウムだった」と言われるように心がけた.招待客に不便をかけまいとするのが徒となって,過剰なサービスで気詰まりにさせてしまうということがあるからだ.
私自身,そういう接待を受けたことがある.かなり前に中国の地方都市で開催された国際会議でのことである.わざわざ日本から来てくれたと言うことで,主催者が私の面倒を見る専門の大学院生をつけてくれた.その心配りはありがたかったのだが,トイレに行くのにもいつもついてくると言う感じで,こちらも疲れてしまった.
サービスというのはどの程度が適正なのか,これは難しい問題である.テクノロジーが絡むと,問題はいっそう複雑なようだ.できると分かれば,やりたくなるのはエンジニアに限らず人の性である.
これに関係して,このごろ私が困っていることがいくつかある.その1つは,鉄道の複雑な相互乗り入れである.東京都内には,3つ以上の会社の電車が相互乗り入れしていて,しかも始発から終点まで2時間というのは珍しくない.コンピュータシステムの高度化によって可能になったサービスと思われるが,ひとたびどこかでトラブルが起こると影響が大きい.はるか遠方のトラブルが電車の遅れとなって波及してくるし,路線の長さに比例してトラブルの数自体が多い.その結果,筆者が通勤に利用する路線では,時刻表通り走っている方が珍しいのではないかと思えるほどだ.
近年欧州では,責任ある研究とイノベーション(Responsible Research and Innovation: RRI)という考えが出てきている.周知の方も多いかと思うが,EUの第8次研究・技術開発枠組み計画にあたるHorizon 2020でも重視されている.ここで言うResponsibleには,一般からの問いかけがあれば答えるという意味があるそうだ.レスポンスという意味の責任である.だが,先の鉄道事例の場合,いったいどこに問いかければいいのだろうか.相互乗り入れのどの鉄道会社なのか,長大路線を可能にするプログラムを開発提案した会社なのか.案外,イノベーション好きのどこかの中堅幹部に言うべきなのかも知れない.ただこういう場合,責任が分散しているし,善意で始まったサービスと思えるだけに,文句を言いにくい.
ELSI(Ethical, Legal and Social Issues)が係わる問題であれば,解決はどちらかというとたやすそうである.サービスを提供する側も受ける側も,問題にきちんと取り組むことが求められるからだ.本号でも,ELSIは何度も言及されている.しかし,そこまでに至らない「メソレベル」の課題,はたまた小さな責任が多数のアクターに薄く分散している問題はどうすればよいのだろうか.薄く広く広がる責任という点では,ウルリッヒ・ベックの『リスク社会』とも共通する近代社会の側面である.取り組む学問的な意義もあると思われる.サービス学会でもぜひご議論いただきたいものだ.
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院