2017 Volume 4 Issue 1 Pages 24-31
2012年,オバマ前大統領が一般教書演説で「3Dプリンタが米国の製造業を救う」と述べたその前年に,一般向け解説書として,元WIRED編集長のクリス・アンダーソンの手による「MAKERS ~21世紀の産業革命が始まる」(Anderson 2012)が出版された.
3Dプリンタによって,従来は金型を使わなければできなかった「もの」が個人でも製作可能となったこと,そしてArduinoなどの手軽なオープンソースハードウェアの登場によって,ネットワーク機能を持ったIoT型の組み込み開発を,専門家でなくても比較的簡単に行えるようになったことが,具体的な事例とともに述べられた.そして「これまで大企業でしかできなかった新製品の企画・設計・開発・製造・販売が,個人や小規模チームでも可能になった」新しい現実が,「発明行為の民主化」というキャッチフレーズとともに具体的に示された.このときアンダーソン自身がドローン開発のDIY Dronesという会社を創業したことも,主張に一定の説得力を与えた.
その後,こうした動向は「メイカームーブメント」とも呼ばれるようになった.新しい製品アイディアを獲得した個人や小規模チームは,クラウド・ファンディングなどの仕組みで資金を集め,必要に応じて小ロット製造にも対応してくれるシンセンなどの工場と臨機応変に連携し,大企業ではできないようなスピード感で,ニッチな少量生産製品を販売することができるようになった.このタイプのベンチャー企業は「ハードウェア・スタートアップ」と呼ばれており,この動向については書籍(高須 2016)に詳しい.著者も経済産業省「フロンティア・メイカーズ育成事業」審査員などの経験を通じてこの現実に肌で触れた(経済産業省 2014).
かつて20世紀末,元東京大学総長で人工物工学研究センターの生みの親である吉川弘之氏は,大量生産に基づく「工業型社会」の限界と問題を指摘しつつも,「個人的な生産だけは残る.個人的な生産とは芸術ですよね」と述べていたが(如月 1988),21世紀も最初の15年を過ぎて,ようやく「個人生産」時代が到来したと言えよう(果たしてそれが「芸術」なのかどうかは後で採りあげる).
さて,現代たしかにモノづくりという「行為」そのものは,より個人的になりつつあるが,世の中・社会(産業)全体の「価値」に関する議論は,モノ(それ自体)からサービス(モノを含む,より大きな概念)へと移行してきている.消費者自身の気持ちへ目を向ければ,「物欲は減退」しており,代わりに,より経験価値へと移行しつつあるといわれる(菅付 2015).地方再生やコミュニティの重要性がうたわれ(永井他 2012),「所有から共有へ」というシェアの流れもそこに符合する.
そうした現在の状況の中で,本稿に与えられた役割は,「モノづくりの個人化」という現象に対して,「サービス」ないし「共創」という視点からの説明を試み,新たな社会的な文脈を付与することである.この問いを考えるための現場として,著者は日本とアジアで「ファブラボ」を展開普及させる試みを,2010年より約7年間に渡って続けてきた.この経験を土台とし,現在筆者らが進めている研究プロジェクトも適宜紹介しながら,これからの行く末について考えてみたい.
「MAKERS」出版の数年前である2010年から,著者らは有志団体を立ち上げ,日本とアジアで「ファブラボ」を普及推進する活動を行ってきた( FabLab Japan 2017).「ファブラボ」とは,3Dプリンタや電子工作などの個人製造に必要な,最低限の機材一式を揃えた,市民向けのコミュニティ施設である.マサチューセッツ工科大学のニール・ガーシェンフェルド教授の提唱で2005年ごろから始まり,現在では世界中に「ファブラボ」の名称を用いて公式登録されているラボが1000か所以上存在している( The Fab Foundation 2017).日本ではファブラボは本稿執筆時点で18か所ある.ただ,「ファブラボ」とは異なる名称(※「ファブラボ」は商標を取得しており,国際的に合意された一定の条件を満たさないと、この名称を使うことができないルールになっている( FabLab Japan 2014)の,しかし類似した機能を持つ多様な施設群は,日本国内において120も存在しており,一般的に「ファブ施設」と呼ばれている(fabcross 2016).これを世界中に換算すれば,おそらく10000以上の「ファブ施設」が存在することになるのではないかと思われる.
「ファブラボ」の「ファブ」の第1の意味は「デジタル・ファブリケーション(Fabrication)」である.デジタル・ファブリケーションとは,3Dプリンタやレーザーカッターなど,デジタルデータから物質を製造する技術を広く総称する概念である.ちなみに第2の意味は「ファビュラス(Fabulous):愉快な,楽しい」,という意味である(田中 2012).
「ファブラボ」の設立当初に掲げられた目的は,デジタル・ファブリケーション(Fabrication)技術を活用した「個人による発明行為を加速する」ことにあった.個人による発明は,それが製品ビジネスの道へと歩みを進めれば,前章で述べたような「ハードウェア・スタートアップ」の形態となるが,「ファブラボ」の利用は必ずしもその目的に限定されるわけでもない.たとえば,自宅の壊れたものを3Dプリンタで修理したり,自らの作業場を快適にする冶具や棚をつくるというような,いわゆる「デジタル化されたDIY」行為を行う人々.あるいは,もともと手芸やハンド・クラフトなどの活動を行っていたが,その一部にデジタル・ファブリケーションを取り込んでスモール・ビジネス(フリーマーケットでの小さな販売)へと発展させていく人々.また趣味として,もしくは芸術的な「自己表現」として,3Dプリンタを用いた「作品の創造」に取り組む,個人やアーティストの利用などがあげられる.
そうした,デジタル・ファブリケーションから派生する趣味からビジネスまで,研究から作品制作まで,多様な目的をすべて吸収するのが「ファブラボ」である.
このように製品開発も一部に含むが,必ずしもそれに限るわけでもない,個人によるデジタルモノづくり活動のことは広く「パーソナル・ファブリケーション」と呼ばれており,その発表の場としては「メイカー・フェア」が有名である.
なお,ファブラボが誕生した経緯について,本稿ではこれ以上詳説しないが,電子情報通信学会誌(2016-04, 小特集 「文化創造学を目指す工学」)に「新技術と社会を架橋する:ファブラボの文化」(田中 2016)という小論により詳細な歴史を述べてあるので,適宜参照されたい.
2.2 ファブラボの展開―機材提供から出会いの場所へ実際のファブラボの運営形態は多様であり,個人経営のもの(ファブラボ鎌倉,つくば,浜松など),自治体による支援を受けて設立されたもの(仙台,大分,鳥取など),大学内に設置されたもの(平塚,長野βなど),コワーキングスペースに併設しているもの(渋谷,関内など),企業による支援を受けているもの(大宰府など)などがある.また,カフェとドッキングした,よりカジュアルな「ファブカフェ」は国内では渋谷と飛騨にあり,海外への展開も行っている.大企業の中からも,共創の場としてこれに類するスペースを社内外に設けるケースが増えており,その例として,SONYの「クリエイティブラウンジ」,Panasonicの「The Deck」,RICOHの「つくるーむ」などがある.町工場や製造業の現場からも社会との接点をつくる目的で,「おおたファブ」「墨田ファブ」など,ファブ施設が生まれている.
このように,立ち上がりかたは多様で,運営形態もさまざまであるが,共通して言えることは,こうした場の価値が,設立当初から数年が過ぎたいま徐々に変容しつつあることである.
初期は,単に「3Dプリンタや電子工作などの個人製造に必要な機材が使えること」を前面にうたっていたが,現在では,機材を媒介項としながらも,「背景や専門の違う多様な人々と出会え,交流し,チームメンバーを探せること」へとその力点はシフトしつつあるのである.
「MAKERS」では,モノづくりが個人化したという言われ方がなされたが,やはり「絵画」「彫刻」などと根本的に異なり,モノづくりは,1人ではなく少人数のチームで取り組む必要のある,複合的・分野横断的なジャンルである.ネットワーク機能を持った,近年のIoT型の組み込みデバイスであれば,それはさらに顕著である.ソフトウェア開発者,電子回路設計者,外装パッケージを担当するプロダクトデザイナー,広報やプロジェクトマネージャーといった複数のプレイヤーが連携する必要があるうえに,近年では,モノの持つ「機能以上の価値」を伝えるため,制作者のストーリーやプロジェクトの途中の制作過程の様子を,映像やインタビューなどでまとめ,ネット上に配信することも重要視される.そのために,映像編集のスキルをもったメンバーも欠かすことができない.そして最終的には全体を「サービス」としてまとめなければ,その価値がユーザーには届かない.
ファブラボやファブ施設では頻繁に,「ワークショップ」や「セミナー」が開催されているが,それは3Dプリンタや電子工作などの技術を覚えることのみならず,人脈を広げ,チームメンバーを探すという目的があるように思われる.そして,こうした異業種・異分野が出会ってチームをつくり,短期間でプロトタイプを行う行為は「ハッカソン」や「メイカソン」と呼ばれて日本中で行われるようになった.こうした,ワークショップ開催をメインに据えた大型施設「Maker’s Base」「TechShop」は都内でも注目を浴びている.
チームでの活動を,短期のワークショップで終わらせて解散するのではなく,さらにビジネスまでを目指して長期的に活動を続けていく場合,より高性能の製造機器を備え,機密保持が可能な施設(たとえばDMM.Make.Akiba)などに会員として入居するケースが多い.DMM.Make.Akibaは,「ハードウェア・スタートアップに特化したファブ施設」ということもできる.
いずれにせよ,著者は,「モノづくり」である以上は,最終的に「個人」であるよりも「チーム」であることの重要性が残ることを予想し,さらに「モノをつくる」理由もビジネスだけに限定すべきではないと考え,こうした活動の形態に「ソーシャル・ファブリケーション」という呼称を与えて発表し続けてきた(田中 2014).
「ソーシャル・ファブリケーション」において特徴的なことは,そこから生まれるアウトプットが「モノ」だけではなく,「コミュニティ」でもあることである.そして,「モノ」の存在によってコミュニティの結束力は強くなり,コミュニティの存在によって,よりよい「モノづくり」へ向けての知識の交換や共有が進むという好循環が期待される(田中監訳 2013).
こうした状況を踏まえて,モノづくりにおける知識のシェアをより便利に行えるよう筆者らが立ち上げたウェブサービスが「Fabble (fabble.cc)」であり,これはモノづくり版のCookpadであるとも形容される.また,一般的な3Dプリンタ用の部品や標準規格品を検索するための3D検索エンジン(fab3d.cc)も我々のラボで開発し,運用しているものである.
以上のように,実世界の施設に,新しいウェブ上のサービスが連動することで,「ソーシャル・ファブリケーション」のムーブメントは支えられ,現在も進行している.
2.3 ユーザーとの共創の可能性ここまでの議論をいったん整理すると,以下のようになろう.
このように「つくること」の敷居が劇的に下がってきつつある現在,むしろ次に問題となるのは,「では,何をつくればよいか?」である.この問いが特に重要になるのは,「作り手」と「使い手」が異なる場合,端的にはビジネスを目的としたケースである(そのため,以下の3つのケースは以降の議論からひとまず除くこととしたい.1.作り手自身が「使い手」であるDIYの場合,2.手芸やハンド・クラフトの延長のスモールビジネスの場合,3.自己表現として作品を制作するアーティストの場合).
「つくること」の敷居が下がったとしても,すでに大企業によってつくられてしまっているものは,競合になるため,それがビジネスになるのは容易ではない.これまでの「大企業による,大量生産では」つくられてこなかったものを,差別化のためにまずは探し出す必要がある.この問いに対するアプローチが,現在では3つあるように思われる.
1つ目が,世間の「大衆的平均」価値観を捨て,徹底的に「個人によるこだわり」を深めて突出することで,結果的に大企業と差別化しようとする戦略である.「GoPro」はもともと,サーファーであり水中の映像を撮影したかった人物が,手ごろなカメラがマーケットになかったために自身で発明したもので,「個人のニーズ」に端を発して製品化にまで至ったケースである.これと同様のストーリーを持つ製品は日本でも,エンジニア大塚氏による「IR-Kit」があり,この製品化プロセスの一部にはファブラボ鎌倉もかかわっている.
2つ目は,もともと大量生産品からは疎外されていた,障害(身体・精神)を持つ人々や,途上国などで貧困に悩む人々に寄り添いながら,彼ら彼女らが日常の中で本当に必要とするものを少量生産で実現していこうというアプローチである.
そもそも,3Dプリンタという技術は,金型を使わなければできなかった「もの」が個人でつくれるようになったという特徴もあるが,むしろ「金型では絶対につくることができないような複雑な立体形状がつくれるようになった」ことにも特徴があり,それは義手や義足,自助具,装具など,個々の個別の身体とフィットする必要がある,オーダーメイドのデザイン分野と非常に親和性が高い.著者のラボでも現在,3Dプリント義足の継続的な開発が行われており,ユーザーテスト段階にまで入りつつある.
最後の3つ目は,企画開発の初期の段階からユーザーを巻き込んで「何をつくるか」を一緒に考える「アイディアソン」を開催し,共創プロセスの中で,つくるべきもののイメージを,ともに見出していくというアプローチである.
こうしたアプローチの場合,現在ではワークショップが「企画会議」だけで終わっている場合も多い.しかし本来ならば,見出されたアイディアをもとにモノを実際に設計・制作したあと,「使用」プロセスまで継続的にユーザーの参加を求めて,「どこが使いにくかったか」,「どこか改善ポイントか」などを継続的に意見収集する関係構築が重要と思われる.このようにして,「作り手」と「使い手」が,互いの立場を尊重したままに,長い期間をかけて密に連携ができれば,より価値の高い「エンゲージメント」を創出していくことができよう.
著者らが現在進めている文部科学省COI(Center of Innovation)プロジェクト「感性とデジタル製造を直結し,生活者の創造性を拡大するファブ地球社会」では,こうした「エンゲージメント型デザインプロセス」の具体例として,在宅ケアで必要とされるグッズをとりあげ,患者,患者の家族,看護師,看護を学ぶ学生,医者,リハビリ士ら多様なアクター(ステイクホルダー)と連携しながら,現場の課題を解決するモノのアイディアを出し,3Dプリンタで適量生産し,現場で実際に使用しながらフィードバックを継続的に収集する仕組みを研究している(その実例は http://fabnurse.org/に公開している)(図2).
また,在宅ケアに続く応用分野として,次に都市農業にフォーカスし,同様にさまざまなアクター(ステイクホルダー)との関係構築を進めている(http://fab.sfc.keio.ac.jp/farming)(図3).
なお,ユーザーから得た「製品の評価」や「使用の感想」を,次なる改善や新製品開発に役立てるアプローチは,これまでアンケートやインタビューなど人力による方法が一般的であったが,近年では,モノにセンサをあらかじめ埋め込んでおき,長期に渡ってデータを取りためる方法や,実際の生活空間を模した「リビングラボ」を設置し,他のモノなどとの連関や組み合わせの中で,制作したモノがどう使われるのかをモニタリングするなど,IoTを活用したさらに踏み込んだ方法が生まれている.
さらに,IoTの恩恵によって,1人のユーザーを観察するだけではなく,複数のユーザーを遠隔・非同期で同時に観察できるようになれば,ある程度の量を持ったデータが獲得できる.そこから有意味な知見をあぶりだすのはデータアナリシス技術の役割となるだろう.こうして実際の生活の中から「もの」と「人」とのかかわりがデータとして解析できるようになれば,さらに適切な種類のものを,適切な量,適切なタイミングでつくることにフィードバックできる.
著者らのCOIプロジェクトはこのような仕組みを積極的に推進している.詳しくは項を改めるが,デジタル・ファブリケーション,IoT,データアナリシスという3つの技術が結びつき,「つくる」「つかう」「わかる」の3つの営みに橋が架けられることが我々が現時点で描く,近未来の姿である(図4).
ソーシャル・ファブリケーションの進展に伴って新たな法的問題も浮上しつつある.それは大きく「知的財産権の問題」と「製造物責任の問題」に分けられる.まず,3Dプリンタなどのデジタル・ファブリケーション技術によって,「設計データがデジタルデータとして出回る」ようになり,結果として知財の問題が生まれている.しかしこの問題は,これまでにも長く議論され,今でも完全な答えが出ているわけではない,文章・写真・映像・音楽などのデジタルデータ著作物の問題に,新たに3Dデータが加わっただけとも解釈できる.ただし,3Dデータ特有の問題はいくつか存在する.紙面の都合もあり深く議論できないが,文献(渡辺他 2015) に著者らの見解はまとめてあるので,適宜参照されたい.
むしろ,より喫緊の課題だと感じるのは「製造物責任の問題」である.なぜならば,これまで「デジタルデータから生まれる創作物(文章・写真・映像・音楽)」は,あくまで画面上の鑑賞物であり,物理世界の事故・身体の安全・安心の問題とは無縁であったからである.
デジタル・ファブリケーションによって「表現の自由」を基調として展開してきたインターネット(デジタルデータ流通)の空間と,「身体の安全」を基調として制度設計が行われてきた「モノづくり」の世界の境界がつながってしまったことの衝撃は大きい.
日本では,製造物責任法(PL法)が30年以上前に施行され,その内容は「消費者保護」が強く考慮されたものになっている.製品を使用している中で事故が起こった場合,その責任の大半は「製造者」に課せられる.
しかしこの法律が生まれた背景には,その時代はまだ,製品を生産できる生産設備を保有していたのは大企業だけであり,個人や一般市民は「使用者=消費者」としてだけしか存在しえなかったという時代背景を忘れてはならない.
この構図が,デジタル・ファブリケーションが浸透する現代では,当てはまらなくなりつつある.大企業のみならず,個人や一般市民でも「もの」がつくれるようになった現在,では,制作した「もの」が事故を起こした場合に,大企業と全く同等の社会的責任を,個人や一般市民にも課すべきであろうか?(現在の法律では課すことになっている.)あるいは,課されたとして,現実的に,その責任を果たせるだろうか?
さらに複雑な問題は,「設計」と「製造」が分離されるケースの責任の所在である.1つの企業の中で企画・設計・製造が完結していた時代と異なり,現在では,設計した3Dデータだけをネット上に公開しているケースや,売買するケースも生まれつつある.そのような場合,たとえ3Dデータの設計内容を全く知らなかったとしても,データを入手し3Dプリンタで「印刷」ボタンを押し,データを物質化することは「製造」行為に該当する.このような場合,瑕疵がデータ上の設計ミスにあった場合でも,3Dプリンタの「印刷ボタン」を押しただけの人物を,「製造者」と認定できるだろうか?
このように書くと,個人や一般市民の側を免責する意図を持っているように誤解されるかもしれないが,そう簡単に考えているわけでもない.ユーザーの使用中に「もの」が壊れた場合,怪我,事故,最悪の場合には死亡の可能性を伴う.それゆえに,制作したモノを他者に渡したり,販売したりすることには,やはりそれ相応の責任があり,覚悟が必要とされることは,新たにモノづくりを行う人々に広く周知すべきであろう.
著者が座長を務めた総務省「ファブ社会の基板設計に関する検討会(2014)」では,「ファブ社会における法・社会制度のガイドライン」(総務省 2015)を一般向けに発表した.この資料の意図は,新たなモノづくりプレイヤーに,著作権や製造物責任の存在を知ってもらうこと,すなわち倫理教育である.
2016年秋に発生した東京デザインウィークでの死亡事故なども含め,今後さらに,材料の安全性や展示物の安全確認についての教育活動が求められよう.
また,こうした現実から考えれば,個人や一般市民でも最低限の「モノづくり」ができるようなファブラボが普及していくと同時に,強度テスト・品質試験・安全確認など最低限の「評価実験」ができる施設もまた,普及が必要とされるであろう.これに対応する研究も,現在の著者らの研究グループで推進している.
ファブラボに通ってくる人々から「買いたいと思うものが,もうあまりなくなった」という声をよく聞く.日本では生活必需品の普及が進み,モノはむしろ余っている.買い替え需要は下がっており,むしろモノの購買ではない方法で,QOLを高め,人生を幸福にする別の方法を探しているように見える.
「これまでモノを買うことしかできなかったけれども,これからはモノを自分でつくってみたい(つくるという経験をしてみたい)」という人々が社会に増え,「ワークショップ」に参加するという選択肢が広がっている.デジタル・ファブリケーションは確実にその一助となっていよう.
そのうえで,個人や市民が自発的に参加するワークショップを,単に「モノづくり体験の提供」と捉えるのではなく,さらに1段上の視点から,モノづくりを含めた,広義の「社会問題の解決」へと導こうとするタイプの活動も生まれている.
ファブラボ鎌倉では2012年から,富士山に出かけて日本の林業の現実を学んだあと,木こりから木の伐採方法を学び,実際に木を切って乾燥させ,デジタル・ファブリケーションを駆使して木工プロダクトを完成させるまでの半年間のプログラム「Fuji Mock Festival」(慶應義塾大学SFC研究所ファブ地球社会コンソーシアム 2015)を開催しており,毎年大人気である.このプログラムで特徴的なことは,ある年に「参加者」としてお金を払って参加した人物が,次の年には「運営者」としてプログラムをコーディネートする側に回るケースが散見されることである.
またファブラボ鎌倉では,週1日の「オープンラボ(無料で機材を使用できる日)」が設けられているが,このオープンラボの参加ルールは,「朝集合してラボの掃除に貢献すること」とされている.そうすると,興味深いことに,実際にはファブラボの機材を使う予定がなくても,「掃除」という行為にだけ参加したいという人々が現れるのである.そうした参加者は,「掃除」という方法でラボの運営に貢献したい,という.
このように,「サービスを提供される側」が次に「サービスを提供する側」に回ったり,サービスの提供側と提供される側が「逆転/反転」したり,そもそも「サービスを提供する側/提供される側」という非対称な関係ではなく,相互にスキルを提供しあう人間関係が構築されたりするなど,ファブラボでは,単純な経済合理性から少し外れた,豊かな社会関係・人間関係の萌芽がいくつも見られる.
著者らはこのような現象を「エンゲージメント」と名付け,今後のサービス学で深めるべき重要なテーマであると認識している.また,ファブラボを持続的に運営するためのビジネスモデルは,いまだに明快な答えが出ておらず,模索が続いている.我々の研究活動や社会実践にご興味を持たれた場合,ぜひコンタクトをいただければと思っている.
本研究の一部は,文部科学省COI 「感性とデジタル製造を直結し,生活者の創造性を拡張するファブ地球社会創造拠点(中核拠点:慶應大学 プロジェクトリーダー:松原健二 研究リーダー:村井純)」からの支援をもとに行われています.研究のメンバーとして,特に,看護応用に関しては宮川祥子氏と吉岡純希氏、都市農業への応用に関しては益山詠夢氏,法的議論に関しては水野祐氏,小林茂氏,渡辺智暁氏,エンゲージメントのサービスモデル化に関しては水野大二郎氏と常盤拓史氏に感謝します.
慶應義塾大学環境情報学部教授.博士(工学).専門は3Dプリンタとデジタル・ファブリケーションおよびその社会的応用.東京大学人工物工学研究センター,空間情報科学研究センターで研究後,画像による広域の3Dスキャニングの研究で,社会基盤工学の分野で博士(工学)を取得.その後,京都大学,東京大学を経て慶應義塾大学環境情報学部講師,准教授,2016年より教授.2010年にマサチューセッツ工科大学に客員研究員として滞在.総務省「ファブ社会の基板設計に関する検討会」座長などを務めている.