2018 Volume 5 Issue 3 Pages 36-44
デンマークやオランダなど欧州北部では,70年代頃から市民などの利害関係者を巻き込みつつコミュニティ全体で実施する「参加型デザイン(Participatory Design)」(Ehn 1990, Greenbaum and Kyng 1991など)と呼ばれるイノベーション手法が独自に提唱されてきた.当初は,弱者である当事者(搾取されている労働者)を巻き込むためという政治的な色彩が強かった参加型デザイン手法であるが,近年,それら北欧で実践されてきた社会的参加型手法は,複雑性・不確実性が高まる現代社会の社会課題の解決に有効な持続性を兼ね備えたイノベーション・アプローチであるとして国内外から注目されるようになっている(安岡 2014).
提唱されてきた多くの手法は,年月を経てコミュニティでの活用における最適化が図られ,知見が蓄積されてきた.数々の参加型デザインの手法の中でも,コミュニティにおけるイノベーションと持続的発展を支える枠組みとして近年注目されているのが「リビングラボ」である.北欧においてリビングラボは,高齢者対策・ヘルスケア分野・まちづくり・地域産業の育成・移民対策など,あらゆる社会課題に対する解決メソッドの一つとして活用されつつある.特徴の一つは,参加型デザインであること,つまり当事者と共に創造していくこと(CoDesign,CoCreation)*1である.当事者を巻き込むことでニーズを拾いあげ,より適切なサービスや製品を「共に」構築していこうとする見方である.しかし,リビングラボの特徴はこれだけではない.この点が本稿で最も伝えたいことである.
本稿では,筆者が関わるREACHプロジェクト(Schäpers et al. 2017など)を事例として社会課題の解決に取り組む仕組み「リビングラボ」について考察する.
本題に入る前に,いくつかお断りしておきたいことがある.一つは,本稿が扱うREACHプロジェクトは現在進行中であり,REACHプロジェクト全体を包括する視点を提供することは困難であるという点だ.さらに重要なことに,本稿ではREACHプロジェクトをリビングラボの事例として挙げるものの,REACHプロジェクトはリビングラボのプロジェクトを標榜しているわけでも共創を主軸に据えているプロジェクトというわけでもない.ただ,大型EUプロジェクトとして実施されている技術開発型プロジェクトにおいてもこのような共創が重視されているという点は,日本への重要なメッセージの一つになると考えている.ちなみに,本プロジェクトにおける筆者の役割はデンマークのフィールドにおけるユーザーを巻き込んだ共創であり,本稿で筆者がREACHを事例とすることは妥当であると考えている.
近年多くのシステム・技術・サービス開発者が「ユーザー理解を通して開発を進める」ことに取り組み始めている.その背景には,旧来から変わらず課題として認識されている「作ったものが市場で受容されない」「ユーザーが何を求めているかわからない」という現実がある.この課題は,ユーザーを巻き込み開発されたと標榜される製品やサービスにおいても依然として指摘されている.
過去10年ほど,デンマークでは日本の技術系企業が共同開発の名目で拠点を構える例がいくつか見られた.デンマークが参加型デザインの先進国であり,デンマークと共創することでより受容されるサービスの構築につながると考えられたためだ.しかしながら,地域住民・自治体などの様々なステークホルダーを巻き込み,課題の明確化からその解決策のデザイン,社会実装までを行うための取り組みとして始まったはずが,社会に出ることなく,またユーザーとの共創が行われることなく,結局お蔵入りしたプロジェクトは挙げ始めればきりがない.例えば,日本のあるヘルスケア家電企業からデンマークに製品案として持ち込まれたのは,ほぼ完成形のベッド型介護支援ソリューションであった.本事例では,そもそも提案されるようなベッドがデンマークのケア環境に不必要であったことから,プロジェクト自体が実務者の支持を得られず頓挫した.また,開発されたサービスの背景や目的がユーザーと共有されていなかったために逆に介護士の仕事を増やすことになってしまった製品例などの事例もある.この例では,アザラシ型のロボットがよく引き合いに出される.当初は高齢者の遊び相手としてデンマーク各地のケア施設に導入され成功事例として認知されるようになったものの,その後認知症者のいる高齢者施設に大量導入された際に,投げられ壊され逆に介護士の仕事を増やしてしまったことが大きくニュースになった.本質的には優れている技術でも環境に合わなかったり,適切に利用されなかったりしたために,失敗事例として挙げられてしまうこともある.
上記のような事例で失敗を引き起こした理由は複数あるだろうが,そもそも多くのリソースを投入する前に当事者を巻き込み試してみることが行われなかったり,実施されたとしても共に創造していく視点や改良に取り組む方策など基本的な「共創」の視点が理解されていないのかもしれない.
同時に,参加型デザインは時間がかかるから難しい,また定量的な効果が測りにくいということで,ユーザビリティテストと変わらない開発側の論理に基づいた単発の実験室実験と変わらないが共創と呼んでいるような例も見られる.実際のところどのような共創が有益で,いかに実践されうるか,そもそも巻き込むとはどのようなことなのか再考する必要がある.
社会課題の解決を目的とし,リビングラボを用いた当事者参加型の長期的共創事例の一つとして,本稿で紹介するのは筆者が関わるEUプロジェクトREACHである.REACH (http://www.reach2020.eu/)は,EUのホライズン2020プロジェクトとして採択された5カ年プロジェクトで,Responsive Engagement of the elderly promoting Activity and Customized Health careの頭文字をとってREACHと呼称されている.
2016年から2020年の5ヵ年,デンマーク,スイス,オランダ,ドイツの4カ国の研究機関・医療機関・ヘルスケア団体・ヘルスケアIT機器やサービス開発を行う企業・地方自治体・保険会社などのコンソーシアムによって運営されている.参加する専門家の構成は各国の社会状況によって異なる.例えば,医療や高齢者ケアが社会保障の一環として提供されているデンマークでは,地方自治体(高齢者ケアを担当)や地域の介護機関が重要なアクターである.一方,医療が国によって100%賄われていないスイスやドイツでは,保険会社がステークホルダーとして重要な役割を果たしている.
3.1 REACHの研究課題REACHプロジェクトは,高齢者の生活環境に設置センサー,またはウェアラブルセンサーを導入し,モニタリング・データ分析を通して適切な介入を行う高齢者ケア分野のシステムの構築を目的としている.より健康な生活をより長く送るための予防医療,治療・リハビリ・介護間のスムーズなケアプロセスの移行をITで支援することを目指し,複数領域の専門家が集い開発チームを構成している.利用者のニーズや社会環境に沿ったソリューションの開発が不可欠であることを認識し,当事者である高齢者(65+)や介護施設,病院などの医療従事者と共にシステム開発を進める.REACHシステムが目指すのは,(1) バイタルサイン,行動パターン,ケアパターン,健康状態を検知するセンサー技術の活用,(2) センシングデータを活用した機能低下・体力低下・発作などの健康状態,リスク,事象の早期発見や予知・予測,(3) 健康な身体活動を支援・促進するため,社会活動の提案・運動などの介入・サービスや製品の適切なタイミングでの提供が達成されるヘルスケアのエコシステムである.究極の目的は,高齢者の機能低下を極力抑え遅らせることであり,高齢者が他者に依存しない生活をより長く送れるように身体機能を強化する手助けをすることである.REACHシステムは,高齢者に起こりがちなヘルスケア機関間の移動(病院から近所のリハビリ施設などへのケア施設の移行),自宅での健康管理と健康的な生活を送るためのモチベーションの維持といった複数の状況をサポートし,生活の質を支援するシステムとなることを目指している.
社会文化的背景に則り,参加4カ国は個別の重点エリアを持っている.スイスは緊急医療,ドイツはリハビリテーションと再入院防止,デンマークとオランダはホームケア分野である.ちなみにデンマークとオランダは,高齢者が子供と同居することは一般的にあまり見られず,自立して自宅で生活し自宅で最期を迎える高齢者が多いという共通点が見られることから,ホームケアにおける課題が似通っている
社会のインフラに複雑に絡まり合う医療・ヘルスケアの分野で実際に利用に足るシステムを構築するためには,デザイン初期の段階から複雑性を考慮しつつ,システムの要求仕様を模索し分析する必要がある.利用者(高齢者)の生活環境や公的ケアだけでなく,表面に出てこないインフォーマルなケアプロセスを理解し,高齢者および周囲の利害関係者の課題を理解し,課題の解決につながるシステムのデザインを目指す必要がある.このような複雑なケア環境に対応し,複数の公的私的利害関係者をスムーズに連携するREACHシステムの要求仕様を書き,アジャイル開発の鍵として活用されるのが,利用者である65歳以上の高齢者や家族・介護士・看護師・医者などの当事者や利害関係者を巻き込みながら開発を進める参加型手法である.
REACHに参加するデザイン研究者の役割は主に参加型手法の実践とリードである.ユーザー調査,ペルソナの作成,ユーザージャーニーの作成など,特にプロジェクト初期に,ワークショップをデザインし実施することが期待されている.
3.2 デンマークのREACHプロジェクトREACHプロジェクトのデンマーク研究者チームは,デンマーク工科大学(DTU)とコペンハーゲン大学の研究者で構成されている.パートナーとして,コペンハーゲン北部のDTUが位置するリュンビュ市と共創し,リュンビュ市の高齢者ケア施設に入居するシニア50名ほどを巻き込み,プロジェクトを実施している.つまりプロジェクトの参加者は,我々大学研究者,リュンビュ市職員(事務員・介護士・看護師など),そしてリュンビュ市が統括するケア施設のうち選定された数カ所と,そのケア施設に居住するシニア50名ほどである.
REACHプロジェクトでデンマークチームが課題として取り組んでいるのは,主にケアの文脈でありアクティブシニアの支援である.特に身体機能低下のきっかけを検知すること,機能低下を遅らせるための身体バランス維持の訓練,定期的な運動を支援するための働きかけである.この課題解決のためにITができることは何かというところから,(1) 機能低下のきっかけをつかむための長期的な運動データの収集と分析,(2) 適切なバランス維持のためのプレイフルなテクノロジーを利用した運動訓練,(3) 運動のモチベーションを上げるための積極的な介入の3点を定義した.
モチベーションに注目したのは理由がある.初期調査におけるシニアとのインタビューを含めた各種インタラクションから,シニア自身も日々の運動が重要であることをよく理解していることがわかっている.しかしながら,たとえ毎日30分散歩しなさいと介護士から指導されても,興味が持てない運動は億劫になりがちであるし,天気が悪い,なんとなく体調が優れないなどの理由が運動から遠ざける間接的な要因にもなっている.動かなくなり運動量が不足すると,筋肉量の減少や身体機能低下を招きがちになり,悪循環が生まれる.そこで本プロジェクトでは,強制力ではなく,適切なタイミングでより楽しめる仕組み,モチベーションを持たせる仕組みをITで支援することに注目した.
REACHプロジェクト3年目を迎えた現在,デンマークでは,バイタルデータ,行動データの継続的な収集,データの可視化,運動したいというモチベーションを刺激するようなインプットをシニアに提供することのできるモチベーションテクノロジーの研究が進められている.
3.3 参加型デザインの実践REACHプロジェクトでは,長期・短期のエンドユーザーを巻き込んだフィールドでの共創がツールとして活用され,参加型デザインが実践されている.例えばデンマークでは,実践の場となるのはケア施設や個人の自宅などで,参加者は研究者,自治体職員,そして各共創プログラムによって異なる介護士やシニアが加わる.下記,表1に3例ほど挙げるが,参加シニアの参加形態やコミットメントの程度,実施期間などは,各共創プログラムの目的により大きく異なっている.
参加者から見てみると1のフィットビット利用シニアと3プロトタイプ構築のためのデザインワークショップの参加シニアは一部重なっている.1の参加者は比較的年齢・身体能力などにおいて多様性が確保されているが,長期に渡って実施されているため,主に健康状態の変動などで入れ替わりが多く見られる.2の参加者は,1,3に比べると比較的年齢が高めで,バランス感覚に不安を感じ身体的能力も低下気味のシニアが中心だ.一方,3の参加者は,年齢を問わず技術に関心が高く体力的にも自信を持っているシニアが多い.期間からみると,1はプロジェクト開始時から継続して行われているが,2は12週間を1タームとして実施し,3は半年間でひとまず終了している.次に,3実験について概略を説明する.
# | 概要 | 期間 | 参加数 |
1 | フィットビット装着によるデータ収集 | 2016.10~ | 常時50名ほどのシニア |
2 | プレイウェアを利用したバランス訓練 | 2018.1~ | 常時30名ほどのシニア |
3 | プロトタイプ構築のためのデザインワークショップ | 2018.1~2018.6 | 10名の固定のシニア |
2016年10月より,地域のシニアハウスに居住する約50名のシニアにアクティビティセンサーを備えるウェアラブルデバイス,フィットビットCharge HRを装着してもらっている.フィットビットの利用は,2016年10月の8週間のセンサー装着実験から始まり,その後も,微調整を重ねながらシニアとの継続的な対話インタラクションと小規模実験を継続している.
参加型の開発を進めるために,研究者が定期的にシニアハウスや個人宅を訪問しフォローアップを進め,インフォーマルな形でフィードバックや意見を得たり,インタビューや質問紙調査などのオフィシャルなフィードバックの機会を定期的に設けるなどの仕組みを取り入れている.また,デザインワークショップ(4.3.3参照)などと掛け合わせ,異なる施設に居住する参加者が顔をあわせる機会などを設け,オフィシャルに当事者のフィードバックを得る機会も設けている.
フィットビットによるデータ収集は,行動データの基礎になる見込みであったが,フィットビットの利用直後,初期の利用データの分析によって,またシニアからの報告によって歩数が適切に測定されないことが指摘された.記録が不確かであるとして,参加シニアの中には,歩数カウントを手動で測定しデータを報告する者もいた.Toogoodら(Toogood et al. 2016)が指摘するように,多くのウェアラブルデバイスは若者を対象にアルゴリズムが調整されており,歩き方がゆっくりすぎたり早すぎたりする場合にはカウントされない.フィットビットは,高齢者向けの機能は開発されておらず,高齢者の利用にどの程度適切に対応されうるかは未知数であることがプロジェクト初期に認知されることになった.
3.3.2 プレイウェアでのバランス訓練REACHプロジェクトでは,様々なツールの可能性を模索するための共創が行われているが,例えばリュンビュ市の4カ所のケア施設では,プレイウェアと呼ばれるバランス向上を促す運動支援パネルを用い,2018年1月より常時トレーニングを提供している.プレイウェア(Lund et al. 2005, Lund and Marti 2009)は,年齢を問わずより楽しい運動を促すシステムとしてDTUの研究者によって構築されたシステムで,近年ではインタラクティブなヘルスケア支援機器として,また高齢者の身体機能減少を遅らせるツールとして利用が模索されている.任天堂Wiiやマイクロソフトキネクトなどの商業システムも運動機能の向上に役立つと考えられているが,例えば任天堂WiiFitの運動能力向上効果に関しては否定的な研究結果も多数発表されており(例 Wollersheim et al. 2010, Franco et al. 2012),いかに機器でバランス能力の向上がもたらされうるか理解することが求められている.
本訓練は,1タームが12週間で実施されており,週に2~3回の頻度で常時30名ほどのシニアがバランス機能の維持を目的としプレイウェアでゲームセッションを実施する.参加者は,4週間フィットビットを装着しデータを蓄積した後,プレイウェアでのゲームセッションを実施し運動前後にバランス機能の測定を行う.ゲームセッションは,同じケア施設に居住する参加者同士や,別の場所に住む家族がパートナーとなり,結果や経過がアプリで確認できるなど,楽しみながら継続させる工夫が埋め込まれている.
REACHプロジェクトでは,フィットビット利用がデータ収集のベースとなっているが,フィットビットのデータは歩数観測には向かないことがプロジェクト初期段階で懸念され,本プログラムでは腿に装着するSENS MOTION*2センサーを用いている.
3.3.3 デザインワークショップデザインワークショップは,ウェアラブル機器を用いて収集されるデータを,モチベーション支援に活用する可能性を模索するために実施された2018年1月から6月までの約半年のワークショップ群である.デザインワークショップは,リュンビュ市の高齢者施設でのインタビューと行動観察,および2度のワークショップ,数週間のプロトタイプ利用実験で構成されている.ワークショップの参加者の多くが1のフィットビット実験の参加シニアであり,そこにリュンビュ市の職員が加わる.
インタビューと行動観察は,リュンビュ市内のケア施設で実施され,ワークショップの素材として利用された.
1回目のワークショップは参加シニアの運動のモチベーションはどこにあるかを調査するためのセッションとしてデザイン・ゲームが実施された(Yasuoka et al. 2015).「アクティブでなくなるとどうなると思うか?」「充分にアクティブでいられることを阻害する要因は何だと思うか?」などの複数の質問と写真と文章からなるカードが準備され,参加シニアはファシリテーションに沿って,アイディアを出していく.ワークショップ後半には,それまでに出てきたシナリオからユーザーを定義し,ユーザーのICT利用の未来シナリオを作っていくワークが実施された.
2回目のワークショップでは,インタラクティブ・プロトタイプと,機能型プロトタイプを提示した.インタラクティブ・プロトタイプは,機能制限があり実際の収集データを使うものではないが,実際にクリックすることで遷移が機能するiPad用のプロトタイプアプリとして構築した.UXデザイナ向けのツールMarvel*3を活用した.
機能型プロトタイプは,UXやUIはシンプルだが実際の活動データ(歩数・距離・速度など)を収集し経過を可視化しアドバイスも提示する(消費カロリーの表示や運動提案)ものである.インタラクティブ・プロトタイプは,ワークショップ中に利用テストを実施した.テストでは,現インタフェースの使い勝手を調査し,機能型プロトタイプに反映させることを主な目的とした.その後,機能型プロトタイプを自宅に持ち帰ってもらい数週間利用してもらった.利用期間には,定期的に訪問し,使い勝手についてのコメントや機能の提案などの議論を個別に実施した.
3.4 参加型デザインで早期発見されたこと現在3年目を迎え,REACHプロジェクトは残り2年間となった.当初から当事者であるシニアとの共創を進めることで,いくつかの目立った成果が見られている.最も顕著なのは,参加型デザインの目的として注目される,より適切なアウトプットに到達するための課題の明確化である.REACHでは,シニアとの共創以前には想定していなかったいくつかのデザイン課題が明確になっており,次に2例を示す.
3.4.1 データの取得の意外なまでの困難さREACHでは,シニアの歩数を測定する簡便な方法としてフィットビットを利用した.しかしながら,シニアの歩数を測ることは,比較的困難を伴う課題であることが共創の初期段階で明確化した.後になってフィットビット社も言及していることを確認したが,フィットビットは健康な若者を中心とした利用者を想定しており,足を引きずって歩くことの多い高齢者を対象として作られているわけではない.1で収集されるシニアの歩数は,その後の各種実験の基準となる予定だったが,そもそも適切にカウントされていなかったため再考察が必要となった.2では,実際にシニアと一緒に訓練データを取った際にフィットビットの記録と目視で歩数データをカウントしたところ,それぞれが大幅に異なっていたことがわかっている.
3.4.2 「使いやすさ」の違いREACHでは,REACHシステムの操作インタフェースとしてタブレットの利用を考えていたが,3を通して,この前提も再考の必要があることがわかった.一般的に高齢者にとって使いやすいと考えられているタブレットであるが,実際の利用状況を確認してみると,指のタップやスライドがうまく反応しないケースがたびたび確認された.適切なボタンを押しているのに反応せず,他のソリューションを探してしまうなどの行動が見られ,使い勝手を大幅に下げていることがわかった.また,若者は簡単に解いてしまうタスクであっても,シニアにとっては困難なケースが多々あることもわかった.例えば,3で活用したフィットビットがタブレット上で提供する可視化インタフェースはシニアには非常に評判が悪く,我々が作成したシンプルなプロトタイプインタフェースは評価が高かった.さらにホームボタンを探す,メンバーを登録するなど今のアプリで標準的に備わっている機能のアイコンの意味の共有,上部や左隅に隠れている選択肢をスライドさせて表示させるなどのルールは,世代によっては共有されていないことがわかった.
3.4.3 表面化されない現状シニアとの共創を重ねることで,短期の付き合いでは知ることが困難なキーワードが垣間見えてきた.例えば,シニアは孤独の問題を自分自身で強く認識していること,パートナーや犬との散歩を欠かさないなど社会性を意識的に重視していること,社会生活に弊害が出てくるほどの感情の起伏が出てきていることを認知していること,身体機能の低下が家族に認知されることの恐れ,ICTが使えないことへの劣等感など,多岐にわたる.これらの課題は,シニアグループ内部では常識である一方,REACH研究者チームは把握していなかった点である.
現在,大手メディアなどで高齢者のデジタルデバイドが課題として報道され,電子化に後れをとり困難を感じている人たちとしての高齢者がクローズアップされることがある.REACHプロジェクトを通してわかったことは,80代でも,スマホやタブレット,Apple Watchなどを使いこなすシニアはおり,今後はこの数は増加する一方ということだ.同時に,施設や図書館,高齢者団体の支援を得つつ,電子社会に後れを取らないように努力を重ねるデンマークの高齢者も多いというシニアからのコメントもあった.
本稿では,参加型デザインの事例としてREACHプロジェクトを紹介した.ここでは,改めてリビングラボとは何かについて考えてみたい.
リビングラボとは,生活に根づいた場所(リビング)での実証実験の空間(ラボ)であり,北欧では,一般的に参加型デザイン,共創デザイン(CoDesign)のアプローチの一環と捉えられている.短・長期的なサービス・施設・機器のテストベッドとしてITに関わるイノベーションを支援する組織やその施設でのアプローチとして用いられることもあれば(Leminen 2013),地域の社会課題の解決法として地方自治体やNPOによって実施されるケースもある(Bergvall-Kåreborn and Ståhlbrust 2009).バーグヴァル・ケアボーンらは「リビングラボはユーザー中心のイノベーション環境であり,日常生活に組み込まれるものである.当事者をオープンで分散的なイノベーションプロセスに巻き込むことを支援し,持続可能な価値を構築することを目的とする」(Bergvall-Kåreborn and Ståhlbrust 2009)と定義している.筆者は,リビングラボとは,当事者を含めた多様な関係者が集い社会問題の解決に取り組む場で,最先端の知見やノウハウ・技術を参加者から導入するオープンイノベーションが見られ,一過性の解決策ではない長期的視点で地域経済・社会の活性化を推進していくための有機的な仕組み(エコシステム)と捉えている.
従来型の企業視点でニーズが見つかるということがあることを否定するものではないが,主体的に当事者が関わることによって当事者意識(自分ごと化)が発生し,学習し,行動変容が起こり,コミュニティとしての学習効果が起こる.そこで生まれるデザインは,当事者・企業・研究者・公共機関などの参加者それぞれが描いていた未来ではなく,第3の未来のデザインである.リビングラボは,単なる共創ではなく,「仕組み」であると定義し,エコシステムと呼ぶのはこのためである.
REACHのリビングラボは,物理的に固定した場所があるわけではないが,当事者(シニア)の日常的な生活環境の場で,利害関係者が集い,長期的なインタラクションを通して,課題の発見,解決策の模索を進める共創の仕組みとなっている.
4.1 リビングラボのマインドセットリビングラボを共創のための有機的な仕組みと定義すると,エコシステム構築のために重要なマインドセットがあることが見えてくる.次に,当事者参加,変化の受容,未来創りの3点についてリビングラボ実施の際の鍵として考察する.
4.1.1 当事者参加サービスや製品を活用する人が主体的に関わる環境が不可欠である.高齢者(65+)向けのICTシステムを作るのに,対象となる高齢者の生活環境やICT利用実態を知らずに開発はできない.実際に高齢者の生活にどのような課題があるのか,その課題をICTの活用でどのように解決できる可能性があるのか理解するためには,まずは自分の常識を取り払い当事者を巻き込むことが必要だ.その際にシステム開発者やサービス提供者は,実験室実験では現在の複雑に絡み合う状況を理解するのは困難であること,また当事者が認知していない困難な課題があることを理解し,インタビューや質問紙調査のみでは本質の理解はできないことを認識する必要がある.ほぼ完成したシステムを提供し使ってもらい評価改良するだけの当事者参加では,現在の複雑に入り組んだ社会課題は解決できず,参加の価値は半減するだろう.
REACHプロジェクトの成功は,当事者であるシニアの参加が鍵となっている.5カ年プロジェクトにおけるデザイン初期段階からシニアを長期的に巻き込んでいくことで,当初の研究者の想定から大きく外れた課題が見つかり,プロジェクトの軌道修正もすでに見られている.例えば,精神的には若くアクティブではあるけれども身体的には高齢化している高齢者向きのセンサー技術の開発にも注力する必要があることがわかったり,タッチディスプレイ以外の入力操作の可能性を模索する必要があるということ,また,一般に言われる以上にデンマークでは高齢者の技術受容が進んでいることなどである.これらの想定外の状況を基に未来図の引き直しが必要になる.
さらにREACHでは現段階では明示的に発生していないものの,当事者が主体的に動きだし,機能やサービスの提案をするリビングラボケースも見られている.
4.1.2 変化の受容課題を特定し解決に導くためには,単発のワークショップのような一過性のイノベーションの環境ではなく,関連各所のマインドセットの転換が不可欠であり,そのためには持続可能性を確保することが不可欠だ.つまりリビングラボは持続可能性を志向する手法であり,時間の経過に伴い,リビングラボの課題や目的,ひいては参加者の理解も変化する.場の理解によって新しい知見がもたらされ,新たなシステムやサービスコンセプトによって環境や当事者の認識も変化する.
REACHプロジェクトでは,当初想定していなかった高齢者に特化した歩数カウントのアルゴリズムに注目し,タッチセンサー以外の入力手段を試みるようになるなど,研究目的や対象が変化した.地方自治体の役人は当事者の実情をより深く把握できることがわかり積極的にワークショップに参加するようになり,シニアはセンサー利用を学習し,当初は興味を示さなかったシニアが隣人に刺激されバランス訓練に参加し,エリアのシニアコミュニティにはわずかながら変化の兆しが確認されている.
4.1.3 未来創りコミュニティでの議論と産官民のインタラクションは社会の未来を創ることにつながる.当事者は,自分たちの生活と関係の深い課題に対して解決策を模索することで自分たちの未来を創っていく.企業は自分たちの技術やサービスを用いて利用者の未来を創り,公共機関は地域の長期的な未来像を構築する.
REACHプロジェクトでは,公務員がワークショップなどの当事者との直接インタラクションを通して,「自立を支援する」というデンマークの対高齢者の公共政策の方針をより強化している.従来は予算削減の一環としての介護士の労働軽減の意味合いも大きかったが,高齢者自身がなるべく他人に頼らずに人生を送りたいと考えていることが明確になり,方針を強化している.また,長期に渡り実験に積極的に参加するあるシニアは,「惰性で運動をするのではなく,現状を把握した上で運動提案が出されることでより運動の目標が明確になる」ことを体験し,モチベーションを高めるための方策をプロジェクトチームに提案している.
4.2 参加するメリットリビングラボを活用する利点としては,利害関係者である当事者(ユーザー),企業(サービスや技術の提供者・開発者),公共機関のそれぞれにとって利益をもたらす可能性がある点が注目される.つまり,実施主体はいずれでもありうるが,少なくとも3者が参加していることは,持続可能性を高め共創をもたらすためには不可欠である.
4.2.1 当事者(ユーザー)リビングラボで取り扱われる社会課題はその当事者の日常生活に大きく関わるもので,積極的に関わりたいというモチベーションが潜在的に存在する.当事者は,関わることで(1)サービスや製品の開発に影響を与える,(2)より深い知見を得る,(3)未来のサービス・システムに事前に慣れ親しみアンバサダ(サービスや製品の支援者)になる.ひいては当事者自身の生活の質の向上につながる.
4.2.2 企業リビングラボで取り扱われる社会課題に則したサービス・製品開発を当事者と共に進めることができる.企業は,効率的かつ効果的にエンドユーザーと交流することでニーズにアクセスすることができ,初期段階で当事者からのフィードバックを受け製品を改良することができるため経費削減にもつながる.さらに,長期的な活動を視野に入れることで,企業はリビングラボを通して企業活動と顧客の長期的な関係を構築することができる.
4.2.3 公共機関リビングラボで取り扱われる社会課題は,公共機関が直接的間接的に解決しなくてはいけない課題であることが多い.公共機関は関わることで,(1)多くの市民に公共機関の施策の認知を高め,(2)中長期的な地域計画の策定に市民の意見を組み込むことができ,(3)市民の理解を獲得することにより,直近の当事者ニーズのみに左右されない長期的な地域力の向上を図ることができる.
「リビングラボ」や「参加型デザイン」は,欧州ばかりでなく北米でも盛んに利用されるアプローチであるが,その背景や実践は大きく異なる.北米は,マーケット主体,リーダシップ・ディベートに則ったコミュニティ構築アプローチである一方で,北欧の「リビングラボ」や「参加型デザイン」は,より総体的・社会包括的な民主主義的アプローチをとり,中庸を模索するダイアローグ手法をとっている.両者を比較すると,北欧での「リビングラボ」や「参加型デザイン」は,顧客(市民)を主体とする視点や産官学連携などからも,日本との親和性が高い要素を兼ね備えていると考えている.例えば,産官学連携は,「三方よし」といった思想とも通じるものがあるし,じっくりゆっくり対話を通して周囲の理解を固めていく欧州のコラボレーションの手法は,「根回し」に近い.
北欧の実践例は日本のそれと比較にならないほど多く,日本での実践にあたり参考になる点は多い.しかしながら,北欧の全てのリビングラボのプロジェクトが社会実装にまでつながっているわけではなく,研究プロジェクトとして始まったものは研究が終了するとリビングラボも終了する例がほとんどだ.近年の日本におけるリビングラボの広がりを鑑みるに,コミュニティから始まる例や企業が大きな役割を果し社会実装につながる例も散見され,北欧が学べる点も多々あると思われる.
本稿では北欧におけるリビングラボを扱ったことから,本稿で述べられる「リビングラボ」や「参加型デザイン」は,北欧の概念を基盤にしている.それらの概念は,社会文化的背景の異なる日本にも応用可能なのだろうか.前述のように筆者は,欧州と日本の共創には親和性があると考えているが,現段階において,そこに理論的基盤を持っているわけではない.今後,日本での実践も重ね,比較分析や共同研究などを通じて,理論的な発展を進めて行きたい.
デンマーク工科大学管理工学,リサーチアソシエイト.東京大学先端学際工学博士課程後期を経て,2009年にデンマークのコペンハーゲンITで博士取得.デンマークで参加型デザインの研究を行う.