2019 Volume 6 Issue 2 Pages 14-20
昨今のいわゆるフィンテックの興隆と異業種からの参入を受け,金融制度はどうあるべきか,今までの常識にとらわれず,根本的に原理原則から考える必要が出てきた.本項では,経済学の理論と実証研究を踏まえて各種論点を考察する*1.
いわゆるデジタル情報を積極的に利用するフィンテック企業の新規参入による競争の激化は,消費者にとって間違いなく良いことである.一般的に金融サービスのコストが下がれば,より多くの人たちが安価に多彩な金融サービスを使えるようになる.これを経済学では金融深化と(進化ではなく)呼ぶ.例えば中国では,アリペイや関連会社のアントファイナンシャルによって,低コストの決済サービスやローンの提供が,田舎にまで行き渡るようになり,それまで金融サービスを受けられなかった企業や人々が受けられるようになったということが,実証研究で示されている(Hau et al. 2018).なお,一般に,発展途上国における金融深化は,経済発展にとって,また人々の暮しそのものにとって良いものであることが分かっている(Townsend and Ueda 2006など).
また,金融の複雑化と人口の高齢化に伴い,様々な金融サービスがわかりにくいという人も増えているかと思う.これを金融リテラシーの問題という.その一つの答えも,フィンテックである.人々がわかりやすく使えるようなサービスがそれである.例えば,顧客それぞれの人生段階に応じた最適なポートフォリオの組み合わせをAIやロボットによって提案するようなサービスが挙げられる.
フィンテックがもたらすもう一つの側面はグローバル化のさらなる進展である.そのような企業は,起業家活動の活発な国や規制コストの低い国での創業と,急速な国際展開というパターンがしばしば見られることからも明らかである.
こうした中,新たな強い金融業を日本でも育てるには,これまでの経緯を基にした日本独自の規制や慣習などを続けるわけにはいかない.もちろん既にそういう状況には,あらかたないことは周知の通りである.すなわち,すでに日本をはじめ先進国と主要な新興市場国では,基本的にはバーゼル等で国際金融規制の議論をしてから,各国でそれに沿って国内制度を整備するようになってきている.国際的な金融規制を議論する場では,各国の歴史的経緯よりは,経済学的な原理・原則に基づいた議論がなされるべきなのである.
経済学的には,技術革新と金融深化に関して,フィンテックで新しく何かすごいことが起きたとはあまり思えない.ひと言で言えば,以前から追求されてきた情報コストの低減を,最新の技術を用いて行うということである.またそれによって特に金融制度の根幹が変わるべきでもない.自動車で例えれば,今後電気自動車が中心となったとしても,ガソリン車時代の道路交通法体系の根幹をそれほど変える必要はないわけである.
例えば決済の仕組みを考えても,これまでも現金一括決済からどんどん代替されてきている.いわゆるツケ払いは江戸時代やもっと前からあるが,近代的な割賦販売が興隆したのは1920年代のアメリカで,当時の高額商品だったラジオを割賦販売で売るという金融革新がおきた.そして,1920年代,アメリカは大変な消費ブームがあり,その後1929年に株式相場がクラッシュしたわけで,こういうことを繰り返してきた.だからといって割賦販売という仕組みが悪いかというと,そんなことはない.その後進展したクレジットカードが日常化したことは周知の事実である.ここ20年程度で見ても,携帯電話を用いた決済はケニア,フィリピンなどで1990年代の終わりぐらいから出てきて,経済学者や実務家の間で話にのぼり始めたのが2000年ごろであったが,ケニアやフィリピンなどでは銀行口座を持たない人たちが,携帯電話の口座を用いて電子的に決済を始めた.そういう意味で,その頃はフィンテックとは呼ばれていなかったが,ケニアのM-Pesaなどは画期的なものである.またさらに近年では,日本のスイカや,中国のアリペイなどが出てきたが,技術は新しくとも,大きな流れは連続しているわけである.
他の金融分野としては,借り手の情報を詳細に捉えて,少額貸付を積極的に行うというビジネスモデルがある.昨今,例えば中国のアントファイナンシャルがすごいことをしているように紹介されることも多いようだ.しかしながら,これも急にあった変革というわけでもない.昔から借り手の情報がよくわからないときは何とかして借り手の情報を取ろうとしてきた.日本の銀行は長期的な取引関係で,長いこと付き合うことによって情報を取ったり,また長いこと付き合うからこそ嘘をつけないという動機付けをしてきたと,経済理論的に解釈されてきた.なお,欧米の銀行は,早くより顧客の信用情報を共有して,共同で情報のコストを下げてきた.また,ノーベル平和賞をとったユヌス教授に創始されたバングラデシュのグラミン銀行は,それまでお金を借りられなかった人たちにグループをつくらせて,そこに連帯保証で貸すことで,低利の小額貸付を可能にしてきた.これは,経済理論的には,グループ全体で借り手責任を負わせることで,借り手の情報を相互に監視させることとなり,情報の問題を解消したものと考えられている(Ghatak and Guinnane1999).アントファインナンシャルなどは,このような借り手情報の取得を,膨大な商取引データに基づいて行っていて,その手法は新しいが,借り手情報をより完全化していこうという方向性は,昔から金融業にあるわけである.その一つの方法が,IT技術の進展によるビッグデータの活用ということで,改めて出てきたということである.
世界金融危機から10年を経て,日本でも世界でも金融業をめぐる規制などの制度改善が,未だ評価が確定しないまでも,ようやく落ち着いたところだ.しかしながら,昨今のいわゆるフィンテックの興隆と異業種からの参入を受け,金融制度はどうあるべきか,今までの常識にとらわれず,根本的に原理原則から考える必要がさらに出てきた.金融審議会の金融制度スタディ・グループでも活発な議論がされているところだ(例えば(金融審議会2018)参照).
金融業,とりわけ伝統的な銀行業に関する資本規制を中心とする間接的な安全対策(プルーデンシャル規制体系)というものは,世界金融危機を受けて強化されている.
しかしながら,その遵守にはコストがかかる.そこで,実は規制外にある新たな金融関連企業(往々にしてフィンテック企業)が勃興する要因ともなり,またそうした企業と伝統的な銀行業のコスト差が広がってしまった側面もある.もちろん,オフバランス(会計書類に記載のない)資産,マネーマーケットファンドなどにも,危機予防を目的として,必要最小限には規制の網を広げているのだが,それでも技術の進展もあり,規制外の新たな金融サービスが次々と出てきている状況である.
もちろん,フィンテック企業の興隆は規制のコストのあだ花だけではないことは明らかである.スマホでの決済専門などニッチなサービスを手がける企業の興隆,AIなど新しい技術に基づいた金融業自体の変革,またインターネット上のシェアの高い小売業など異業種企業の参入など,金融業の勢力地図が大きく変わろうとしている.特に,銀行,証券,保険といった伝統的な業態ごとのカテゴリーでくくれない,例えば決済に特化した小回りのきく企業や,また逆に決済を手がけつつも貸金業も行うというような,金融の細かい機能をいくつか横断的に行う企業がでてきており,今後も現時点では予測がつかないようなサービスが勃興する可能性がある.
このような昨今の金融業の動きに応じて,従来のような,銀行,証券,保険といった業態別に対応してきた金融規制,金融制度もまた変わらなければならない状況である.すなわち,業態別から機能別にならざるを得ない.そして,どの機能にどのような規制が必要かを問い直すことが必要となる.
「厚生経済学の基本定理」は経済学の金字塔のような定理であり,「市場がよく機能していれば,社会的に最適な財配分が達成される」ということを明らかにしている.普通に目にするモノやサービスにおいては市場が機能していると多くの経済学者が考えており,したがって,原則として政府は市場に介入する必要がない,規制も必要ないということとなる.その上で,なぜある業界は特殊で,規制が必要なのかという議論をすることになる.中でも,伝統的銀行業は特殊だということは多くの金融経済学者が信じていると思うが,その理由は,それを説明する理論があり,また実証研究がなされてきているからである.逆に言えば,金融業においては市場がよく機能しない可能性があり,そのために一般的な業種と比べると、資本規制など特殊な規制がかけられている.
市場がよく機能する条件は何かというと,以前は二つあると考えられていた.一つは市場の完備性である.これはさまざまな状況それぞれに対応した保険やデリバティブが存在し,リスクがヘッジできることである.それからもう一つは,情報の完全性である.
情報が完全でない場合,モラルハザードや逆選択という問題があることが知られている.例えば銀行業では,借り手の企業家が真面目に働いて儲けてお金を返すかは分からない(モラルハザードが起こる可能性がある)中で,単純にはお金を貸せないということになる.また,保険では,例えば必ずしも全員が医療保険を持たない制度の下では,若くて健康な人は医療保険料を払う気がせず,医療保険加入者はある程度歳をとった病気がちな人ばかりになりかねない.そうするとそれを見越して,医療保険料を値上げせざるを得ず,多少の病気持ちくらいではそのような高い保険加入しない選択を取りかねず,そのため重病人だけが加入し(逆選択),保険料が高騰することになりかねない.もちろん,こういう問題は国民皆保険制度を採用することでかなり改善される.
しかしながら,経済理論の進展もあり,最近では,情報の完全性は,市場による最適な配分にとって,それほど必要ではないということが徐々にわかってきた(Prescott and Townsend 1984; Bisin and Gottardi 2006).銀行業の例では,前述の通り,グループに貸すことで,貸し手のモニタリングをする,医療保険の例では,国民皆保険制度をとり(米国のオバマケアや日本の制度),またリスク毎にカテゴリー化して保険料を設定するなど,対応ができる.つまり,情報が不完全でも,色々と知恵を絞ることで,制度設計をすれば,規制なしでほぼ民間企業の努力でことが足りることが分かっている.
さらに昨今のIT技術の進展によるビッグデータの利活用による金融業の進展というものは,金融における情報をより完全にしていく方向に向かわせている.つまり,経済学的に見ると,市場が完全に機能する方向にどんどんと向かっている状況である.したがって,今まで以上に様々な規制の必要性がなくなっていくということになる.
しかしながら,短期の(要求払いの)預金をとり,企業の設備投資や家計の住宅購入など長期の貸出しをするという,つまり短期資金から長期資金への資金期間(マチュリティ)の変換を行うことが,伝統的な銀行業務である.その業務を主要に行なっている限り,経営実態が良くても,他の預金者がどうも危なく思って預金を引き出しているようだという風評だけで,取付け騒ぎが起こる可能性がある.これは,情報の不完全性の問題ではなくて,市場の不完備性というカテゴリーの問題だということがわかっている(Diamond and Dybvig 1983; Kilenthong and Townsend 2017).
すなわち,他の預金者が銀行窓口に殺到しているという状況に対するリスクヘッジを可能にする保険や証券を取引きするのはかなり難しい(市場の不完備)な状況では,銀行取付けの可能性があるわけである.しかしながら,預金保険や中央銀行による貸出制度で,銀行の取付け騒ぎを抑えることができる.
ところが,預金保険を導入すると,銀行は,安全であるから低利となる預金に資金調達を過度に依存し,自己資本を低下させるインセンティブが働く.同時に,貸出しでも大きくリスクを取る可能性があるが,大口出資者である預金者もまたそのような銀行の貸出しリスクを監視するインセンティブを持たない.すなわち,銀行経営に歪みが出るわけである(Kareken and Wallace 1978).この歪みは中央銀行によるいざという場合の銀行への貸出の制度(「最後の貸し手」機能)によっても同様におきる.
したがって,いわゆる伝統的な銀行業だけは,他の業態と異なり,金融規制の中でも特に線引きされてきている.その脆弱性には特に手厚いセーフティネット(預金保険や中央銀行貸付)が公的に提供されている一方で,それに伴う歪みを是正するための措置として,資本規制などがセットで課されているわけである.
ここで,例えばある新しい企業が,「決済」サービスに特化しているといいながら,顧客から預かっている決済資金を,半年以上にわたって口座に滞留させ,それを原資に貸金業を行うことがあれば,明らかにマチュリティ変換をして信用創造を行なっていると言える.その場合,その機能に着目して,その企業は,たとえ名乗りたくなくとも,「銀行」であると定義されるようにし,銀行規制に従ってもらわなければならないだろう.それが,機能に着目した金融制度ということになる.ここで,何が「銀行」かという定義を,実態に即して判断することが重要になる.
2008年の世界金融危機の際に特に問題となったのが,「大きくて潰せない」(too big to fail)とか「重要すぎて潰せない」(too important to fail)金融機関の処置だった.それらの金融機関は,一国の経済規模に比べ,あまりにも大きかったり,または他の金融機関のネットワークの要となっていたりなどして,倒産に伴うコストが大きすぎると言われるような状況だった.したがって,政府が陰に陽に助けてしまわざるを得ない状況になった.これが問題だと考えられた.
例えば,不動産バブルがはじけるなどして,貸し込んでいた銀行が多く潰れる場合に,政治的にはともかく経済理論的には,大銀行の倒産を防ぐ必要はあまりない.それでも政治的に助けてしまうことは,多々あるわけである.ただし,ある金融機関の倒産が,本来あるべき水準以上に他の金融機関や企業などを倒産させたり,経済活動を低下させたりするような場合,負の外部性がある場合と言うが,このような場合には,経済理論的にも,政府はこのような金融機関を助ける必要が出てくる.これは,金融業に特別なことでなく,電力会社など電力供給のネットワークが,倒産によって断たれることが,一般企業や家計に大きな影響を与えると同じような状況である.金融業では,取引・決済システムにおける中枢を担っているような組織(証券取引所など)は明らかな対象となり得る.ここで,特定の銀行や保険会社,また決済専門業者が「重要である」という理由で公的に救済すべき対象かは,その代わりの企業や組織がどの程度早くとって代われるかなどの状況を見つつ,議論の余地がある.
何れにせよ,経済学的には不確定でも,政治的にはそうしてしまうことが大いにあり得る.実際,主要国の多くの大銀行は,明示的にそのような制度がなく,また経済学的に明らかでなくとも,いざという時は政府に助けられるだろうと,2008年以前から市場は予想していたことが分かっている(Ueda and Weder di Mauro 2013; Lambert, et al. 2014).
このように政府が陰に陽に大手の銀行や保険会社などを助けると期待されている場合,預金保険によるセーフティネットと同様,平時から対象となる金融機関の行動に歪みが生ずる可能性がある.したがって,この「大きくて潰せない」金融機関に関しても,プルーデンシャル規制の対象とせざるを得ず,特に強い資本規制などでそのような金融機関の健全性を維持することが重要となる(Chari and Kehoe 2016).
理論上,銀行にとどまらず,広い意味での金融機関のうち,それぞれの市場でマーケットシェアの大きいものが,このような規制の対象となり得る.すなわち,例えば決済サービスに特化したあるフィンテック企業が,日本でのマーケットシェアが例えば3割程度以上あるような場合もまたシステミックな金融機関としてシステミック規制の対象になりうるということになると思われる.
なお,その他,倒産制度の透明性と迅速性を高めることなども,倒産コストを最小化し,「大きくて潰せない」問題を解消することにもつながる(IMF 2014).ただし,倒産制度は金融業にとどまらないより一般的な制度であり,それについての考察は若干異質かもしれないが,多少は本稿の最後で述べたいと思う.
以上の2点の理由(資金期間(マチュリティ)のミスマッチと「大きくて潰せない」問題)によるプルーデンシャル規制以外は,経済学的見地からは,特に金融業に必要な規制として,考えられるものがあまりない.したがって,今後の技術革新と国際的競争を考慮すれば,金融業における様々な規制や保護はできる限り撤廃していくべきである.
もっとも,情報技術の進展とビッグデータの活用により,金融業には新たな展開が出てきており,それへの対応をいくつか新しい金融制度の中に取り入れていく必要性がある.以下4点ほど考察する.
8.1 異業種参入異業種からの金融業とりわけ銀行業への参入は,珍しく主要国の中では日本が先行している.米国などでは,金融業(finance)と 一般事業(commerce)の分離がなされており,日本のようにセブンイレブンやソニーなどが銀行子会社を設立することはできない.しかしながら,日本でも逆は現行制度上は無理であり,例えば大手銀行がコンビニエンスストアを子会社化することはできない.伝統的に世間にお金が行き渡っていなかった時代,銀行が一般事業会社を子会社として持てばそこに優先的に資金を融通して,競争を歪めることなどが考えられ,一般事業会社への大口の出資(5%以上)や偏った融資が禁じられている.これらは公正取引の観点からの規制である.偏った融資に関しては,貸出先の一極集中による銀行経営の不安定化を防ぐため,大口信用規制(一つの貸出先は銀行の自己資本比25%まで)は維持すべきと考えられる.
しかしながら,子会社(出資規制)に関しては,異業種企業の銀行子会社が,顧客の商取引履歴などの情報をもとに信用情報を補完し,既存の銀行よりもより質の高い情報で貸出をすることができうる状況である.こうした中,既存の銀行の手を縛っておけば,とても同じ土俵上での競争環境とは言えない.現在は,銀行は子会社で銀行業務に関連したIT ビジネスには参入できるが,連結で銀行規制の対象なので,本来的には,上に共通の親会社を戴いた兄弟会社方式で,業界をまたいだ情報の補完を可能にしていくべきと思われる.(なお,保険会社についても同様だが,少なくとも子会社によるITビジネスも最低でも既存の銀行並みには認められていくべきだろう.)
8.2 情報とプライバシー経済理論的には,様々な情報が完全に皆に共有されることが望ましいのだが,個人情報が他に知られるのは苦痛と思う人々がいることも事実である.(ここでは通常のモノの保管業務と同様,保管している情報の「盗み」など犯罪はないものと扱い,犯罪対策の政策は論じない.)苦痛であればその対価を払わなければいけないというのが経済学の基本的な考え方だ.すなわち,情報を売買する市場をつくるべきなのだ.IT技術が更に進めば,一人一人が個人情報を売って利用料を徴収できるようなシステムがいつかはできるはずである.例えば,カラオケで一曲歌うごとに著作権者の銀行口座に瞬時に著作権料が入るようなイメージだ.そうなれば,一人一人の個人情報のうち,売ってもよいと思う範囲を個人に選択させた上で,利用されるごとにお金を取るという方向に最終的には行くのではないかと思う.もちろん,高価でも利用を許可したくない人にはそのようなオプションを原則与えるべきである.また,いわゆる投資ファンドのように,個人情報の利用権をプールして,それを他の事業者に利用させ,その利用料を個人情報の保有者である個人に一年に一度配当金のような形で還元するといったビジネスも考えられる.
ただし,まだその段階まで技術は進んでいないかもしれない.この場合,例えば環境問題であれば,排出権取引の市場というのがあるのだが,その売買が家計や企業レベルでうまくいかない場合,炭酸ガスの排出に税金をかけて,その発生をおさえるという考え方がある.これと同じで,もし市場が技術的にうまくいかない状況であれば,データ使用税など税金でコントロールするやり方もありえる.税も取れない場合に,(炭素ガス排出規制のような)規制にするというのが,経済学的にはあるべき順番と思う.
ただ一つ留意しないといけないことは,金融サービスの利用者にとって情報が低コストで金融業者に渡されることが,個人としては嫌でも,全体としては実は利用者の利益になっていることがある.例えば,いわゆる信用情報の共有である.個人や中小企業の貸出に関して,過去の借入とその返却の歴史が業者には低コストで分かるようにしておけば,それぞれの銀行や貸金業者は,それらを求めるためにコストをかけたり,また勤務先や年齢など外形的な情報だけで貸すよりも,しっかりした返済をしてきた人には低利で貸したりするようになる(いわゆる逆選択問題の解消).また,業界全体で貸し過ぎを防ぎ,いわゆる過重債務問題を回避できる.だから,このような公共的で基本的な情報は,幅広く集めた上で利用料をできるだけ低くすべきである.なお,現在,貸金業者と銀行業との間に信用情報のやりとりが完全には確立されていないが,これは早急に改善すべき点だ.
異業種の大手IT企業が銀行業や貸金業に参入した場合,金融業界が蓄積した過去のデータに低コストでアクセスができる一方で,それらの企業の持つ顧客の商取引情報には既存の金融業者がアクセスできず,競争上不利ではないかという考えもある.しかしながら,既存の金融業者も当然それぞれ固有に集めた情報を持っているわけで,全てを共有化したデータベースに入れているわけではない.また,固有のデータによる利得を認めなければ,固有にデータを取ろうとするインセンティブも阻害する.そうは言いながらも,どのデータを共有し低コストなデータベースに入れていくべきかは,金融サービス全体の質の向上になるかを吟味しつつ,例えば商取引における購買傾向なども含めて,将来的には考えていくべき課題である.
したがって,金融に関してどの情報は低コストで多くの業者がアクセスできるいわば公共財的なものにするのか,どの情報は各企業だけが使用する,または対価を取って売却するものかの,線引きをしっかりとすることから始める必要がある.そうした上で,後者については,個人情報や企業情報の利用料を,しっかりと還元する仕組みを作っていくべきである.(なお,外国籍の企業が,日本で蓄積した情報にアクセスしたのちに,外国で売却したり,政府に渡したりといった行為をどのように防ぐかは,金融情報の問題だけではなく,より一般的な情報の取り扱いについて,現在行われている主要国間の折衝を待つ必要がある.)
8.3 情報産業と独占いわゆるITビジネスは,情報産業であり,GAFAなどに代表されるように,(電力会社のような)自然独占的傾向を帯びていると考える向きもあるかもしれない.この場合,同じく情報産業である金融業と結びついて,放っておくとゆくゆくは世界的な寡占状態になるかもしれないと憂慮される方もいるかもしれない.ここでは公正取引法の問題として,特に触れないし,また経済学的知見が確立した訳でもないので,あまり論じないが,私見では,こうした議論は,今のところは杞憂ではないかと思っている.というのも,鉄道や電力会社でさえも,勃興期や1980年代以降は主要国において,民間主導の競争に委ねられている.一概に独占傾向があるからといって市場における競争がうまくいかないことには必ずしもならない(例えばUeda 2013).とりわけ ITビジネスなどは栄枯盛衰が激しく,この20年ほどでも多くの企業が勃興し,潰れているので,少なくとも当面はどこかの企業が例えば20年続くというような意味で独占があり,その弊害があるかと言えば,そのような心配はあまりないのではないかと思う.もちろん,現時点での優越的地位を利用した不公正な取引があるとすれば,それは公正取引法によって罰せられるべきである.
8.4 保護と倒産制度金融業の規制や保護のいくつかは,破産(の社会的コスト)を回避するためという題目でなされていることも多々ある.例えば,諸外国ではあまりみられない資金移動業における最大資金移動額制限(100万円),金利の高い発展途上国や貧困層にネットを介して直接(P2Pで)貸出すような場合などで問題となりそうな銀行業や貸金業の最大利息制限(20パーセント),既存の銀行を有利にするとともにリスクマネージメントを歪みかねない公的な信用保証協会による中小企業向け貸出の手厚い信用保証(80パーセント)など,いくつかある.
こうした規制や保護を最小化していくためには,中長期的には,倒産制度の効率性をさらに追求していく必要がある.つまり,債権者や債務者を,事前に規制で保護するというよりも,民事再生法などを柔軟に活用または改善して,事後にできる限り低コストで,新たなスタートができるようにして,債務者と債権者の双方を保護していくすべを考えるべきだろう.倒産制度の効率性が重要なことは,理論的には過重債務の解消による経済効率性の回復というメカニズムがよく知られている.実証研究でも,倒産制度の効率性が経済成長に資することが明らかになっている(Djankov et al. 2008).また,効率的な倒産による早めの債務処理がとりわけ金融危機の後の復調を早めるものとして,国際なベストプラクティスとしても理解がされている(Claessens et al. 2014).
金融業も他の一般的事業者と同じく,できる限り自由な競争のもとで絶え間ない革新がされていく必要がある.情報技術の進展とともに昨今興隆してきている様々な金融サービス業者や異業種からの参入も,利用者利便を考えれば,大いに歓迎すべきものと言える.
新しい金融サービスについては,実務的な経験も経済学の知見の蓄積もまだまだこれからというところで,適切な制度設計も今後変わり得るが,現段階では,やはり革新的な流れを日本に根付かせるために,規制のコストを全体的に下げていく必要があるだろう.すなわち,これまでの銀行,証券,保険といった業態別の規制を,実態に即するように,基本的な金融機能ごとの規制に変えていくとともに,どれが真に必要なものか見極め,全体として様々な規制や保護によるコストを最小化すべきである.
例外的に,明らかに必要な規制が残る業態は,要求払い預金を元に長期貸出を行う伝統的な銀行業である.銀行業には,理論的にも実証的にも明らかにされている銀行取り付けの可能性があり,それを防ぐための公的なセーフティネット(預金保険や中央銀行による貸出)が必要となる.しかし,そのためにリスクマネージメントに歪みが生じ,それを是正するために資本規制などのプルーデンシャル規制が必要とされる.なお,今後,様々な業をもつビジネスグループによる金融業の展開が予想されるが,この場合,いわゆるプルーデンシャル規制は,銀行(及び銀行持株会社)とその子会社を対象とすれば十分だろう.
もう一つの例外として,保険や決済などの銀行以外の機能でありながらも,金融システム上重要と考えられる会社や組織に関しては,大手銀行と似たようなプルーデンシャル規制が必要となる.ただし,できる限り政府の事後的な救済措置を少なくする努力を,倒産制度の効率化なども通じて成し,いわゆる「大きくて潰せない」問題を抑制していくべきである.
情報技術の進展とそれに伴うビッグデータの活用などで,情報コストが大きく低下してきている現在,金融システムがより進化するチャンスである.一部の金融情報は,公共財として,国全体で活用していく必要があるが,その他の多くの金融に関連すると思われる情報は,それを集め解析することで利益を生んでも当然のことと思う.ただし,個人情報は究極的には個人それぞれがコントロールすべきものであり,そうであれば,そうした金融関連情報の権利の明確化とそれを売買する市場の整備が必要だ.その上で,データの元である個人(や法人)に利用料を払いつつ,金融業者も利益を得てより情報を集積していくインセンティブのある仕組みを作るべきである.
東京大学経済学部准教授(大学院経済学研究科兼公共政策大学院),金融教育研究センター副所長.大学外では,関税・外国為替等審議会委員,金融審議会金融制度スタディ・グループメンバー,東京経済研究センター監事などを務める.研究テーマは金融システムとマクロ経済の相互関連.Review of Economic Studies や Journal of Economic Theoryなどの学術雑誌に研究論文が掲載.東京大学経済学部卒(1991),大蔵省(1991-96) シカゴ大学経済学博士(2000),国際通貨基金(2000-14).マサチューセッツ工科大学経済学部客員研究員(2011-12).2014年より現職.