2019 Volume 6 Issue 2 Pages 22-30
増田 住友生命様では,保険におけるフィンテックである,インシュアテック/インステックの取り組みとして,ディスカバリー社と提携したVitalityを提供しています.まず,住友生命でVitalityを提供することになった背景について教えてください.
岸 住友生命には,お客さまの未来に寄り添い,生活を豊かにするといった,「あなたの未来を強くする」というコーポレートコンセプトがあります.弊社では,そのようなコンセプトに関連する活動の検討をずっと行っています.
従来の保険サービスは,保険を売って,保険の事故(支払事由)が発生したらお客さまにお金を払い,死亡等であれば,そこで契約が終わります.これは他の保険会社でもやっていることです.保険会社として,保険での差別化が図れていないという課題がありました.また,お客さまに対しては,その支払いが発生するまでは,長い間,満足を提供するようなお客さまとの接点が少ないという課題もありました.このような課題に対して,従来の保険会社では,営業職員がお客さまの元を定期訪問して満足をお届けするとか,保険の保障の見直しを確認して,新しい保障を提案するというようなことをやってきました.それはそれで意味がある大事なことです.ただ,もっと違う形で,付加価値を提供しなければいけない,という考えは,どの保険会社も持っていました.
近年,フィンテックの展開が進む中で,健康増進型保険の取り組みが増えてきました.健康増進型保険は,日々の健康増進に資する活動の積み上げを保険料変動やリワード(特典)という形で評価します.継続的な健康増進活動を促すことで,病気等を患うリスク自体の減少に寄与し,お客さまとともに健康を目指すような保険といえます.このような健康増進型保険を導入することは,弊社のコンセプトに合致すると考え,その調査を行ってきました.
ただ,調査を進める内に,健康増進型保険は,従来型の保険の取り組みと大きく異なり,弊社で一から作るためには,新たに検討しなければいけないことが多くあることがわかりました.仮に内製したとして,試行錯誤しながら5,6年程かかってしまうのでは,今の時代のスピード感を踏まえると,よくないと考えました.そのため,健康増進型保険のシステムが一通りできあがっているものを取り入れて,3年ぐらいでローンチできる方法での検討を行いました.
提携対象の候補として,南アフリカのディスカバリー社がありました.ディスカバリー社は世界各国で現地の保険会社と組みVitalityという健康増進型保険の運用を行っています.その事業も20年間継続しており,長い実績がありました.2019年4月時点で,ディスカバリー社が提供するVitalityは,世界19の国と地域で展開し,1,010万人の加入者に提供されています.
特にVitalityは長期的に提供されていて,安定したシステム構築がなされているという観点から,提携する先としてはディスカバリー社がよいだろうということになりました.健康増進型保険では保険料の割引をするので,そういうところでも既存データが豊富にないと,弊社で取り組むことが難しいということもありました.そういった様々な面を踏まえて,ディスカバリー社と組むという結論を出しました.
Vitalityの良いところは,ゲーミフィケーション的な要素も含め,いろんな要素を取り入れており,一連のシステムがパックになっている点です.ウェアラブルデバイスで歩数をカウントして,ポイントを付けるだけでは,長期的には人の気持ちも飽きてしまいます.Vitalityは,それだけではなく,健康診断書をスキャンして送るとポイントが入るとか,1週間単位で,一定の歩数を達成すると,ルーレットを回せてコーヒーが当たるといった仕組みもあります.そういったことを個別にやるスタートアップは日本や海外にも,たくさんありました.ただ,そういったスタートアップはレベルがまちまちで,また規模も小さいところが多く,弊社の大量の件数で扱うには不安がありました.
増田 Vitalityを日本で展開するに当たり,ディスカバリー社と住友生命様でどのように役割の分担を行ったのでしょうか.
岸 保険会社の役割は,どの国のVitalityの展開でも同様です.保険のところは現地の保険会社が作ります.住友生命では,保険加入手続きに必要なセールスツール(パンフレット,設計書等)の作成,保険の引受けに必要な一連の事務,システム開発や,販売に必要なマーケティング,セールスといったところを担当しています.ただ,Vitalityは保険料が毎年変動する等仕組みが複雑なので,住友生命の通常の新商品の3倍くらいはシステム開発工数がかかっています.
ではディスカバリー社では何を作るのかというと,お客さまが使うアプリといったVitalityサービスです. お客さまが使うスマートフォンやウェブのユーザーインターフェイス,レスポンス時間等を含めた一連のカスタマージャーニーは,ディスカバリー社が世界共通のシステムで提供しています.例えば,ウェアラブルデバイスを付けて歩いたら,それがポイントになって蓄積されるシステムといったものです.
このようなポイントによりVitalityのウェルネスプログラムにおけるステータスが変わります.開始時のステータスは,0ポイントで,ブルーです.ポイントが貯まるにつれ,ブロンズ,シルバー,ゴールドと変わります.開始時に,健康増進型ではない通常の保険料からの15%の割引があります.保険料はブロンズでは最初の15%割引と同額で,シルバー,ゴールドになると安くなり,最大で30%割引までになります.こういったステータスの決定の仕組みはディスカバリー社のシステムで担当するという取り決めがあります.
Vitalityのシステムに関連する住友生命の役割は,Vitalityのポイントの結果を住友生命のシステムでもらい,ステータスに応じて保険料を計算するというところと, Vitalityサービスの日本でのローカライズです.
2.1 Vitalityシステムのローカライズ増田 日本を対象としたVitalityシステムの開発をされる中でどのような点の調整が必要になりましたか.
岸 運動や活動に対するポイント水準は地域性にも関係します.Vitalityでは,どの運動でどれくらいのポイントが貯まるかを国によって変えています.日本でもそこは一からカスタマイズしました.日本でのポイント水準は年齢分布や都市部,地方部等の運動特性の違いも考慮する必要があるため,一律に設定できず,試行錯誤が必要でした.
もう1点あるのが,日本語の難しさです.Vitalityはマルチランゲージ対応のシステムで,標準言語は英語です.基本となる英語での要件定義書(Business Requirements Document: BRD)というものがあります.それをドイツならドイツ語,韓国だったらハングル,中国なら中国語にするというシステムです.それで,日本語の場合も,英語での記述の横に日本語訳を書いていきます.Vitalityのシステムは,南アフリカとフィリピンで作られており,作業をするのは,日本語を母国語にしない人たちです.そのため,日本語のちょっとした文字を間違え,不自然な日本語になってしまう.日本人に提供するVitalityのユーザーエクスペリエンスとしては,日本語はとても重要であり,不自然でない日本語に修正するのに時間がかかりました.
2.2 日本人のユーザー特性に基づく修正要求江川 住友生命様からディスカバリー社に対して,日本の利用者固有の特性を踏まえての提案をされたことはありましたか.
岸 何回もあります.Vitalityでは機能毎に要件提示書の標準化されたひな型が英語で用意されています.それに対して,ここは日本人のカスタマージャーニーに合わないので,こう変えて,とチェンジリクエストを入れる.ディスカバリー社の日本担当の人が確認して,機能検証して,そのテストをします.そして,弊社がその結果を受け取り,更に検証する,といったやり取りを繰り返しました.
江川 標準仕様の修正リクエストをする際に,ディスカバリー社から,なぜこの仕様を変更するのかといったような質問をされることはありましたか.
岸 標準の方がよいのになぜこんなことをするのか,といったことは何回も言われました.その都度,日本のユーザー特性を説明します.日本人は世界一厳しいところがある.アプリのレスポンスが遅いと使わないし,使い勝手が悪いとすぐ離脱するという国柄です.他の国の展開では,合理性に基づいて,一定の不便さをお客さまに強いるところがある.でも日本人は,その辺りを許容しないといった文化ギャップがありました.
ディスカバリー社のスタッフは交渉において忖度しません.言わないとわからない.言っても,それに論理性がないと理解しない.日本はこういう国で,こういう苦情を言われることが多く,そのままだと離脱してしまう.また,ネットにすぐそのことが書き込まれてしまうので,これだとダメですと,その理由を説明します.Vitalityは両社でそれぞれの得意なものを持ち寄って,その収益をシェアするシェアドバリューのビジネスです.彼らもモノを売りつけてそれで終わりではありません.最後には理解を示します.その理解するまでのコミュニケーションに時間がかかるという点と,論理性がない説明では,伝わらないという点での苦労がありました.
2.3 Vitalityにおける不正データ入力対策増田 ディスカバリー社のシステムでは,意図していない方法での利用者からのデータのインプットに対して,どのような対策がなされているのでしょうか.
岸 彼らはその20年の取り組みの中で,いろいろなことを経験しており,どういった利用者の動きを不正データとして除外するのかに関するシステムを構築しています.例えば,昨日まで歩かなかった人が急にたくさん歩く場合は,危ないといったことです.歩く人はずっと歩きます.それで,急に歩かなくなって,また歩き出したら,途中,風邪を引いていたのではないかとか,そういったたくさんのケースを想定した統計的手法で,不正データを除外しています.デバイスに関しても,手動でのVitalityへのデータ入力ができますが,手で入力する際は,フラグが立ちます.普通に歩いて機械がカウントした歩数と,手で強制的にデータを修正した結果を区別して把握しています.
2.4 保険会社とテック系企業の提携のポイント岸 こういった不正データ処理も含めて,これからやるスタートアップと,全部一から健康増進型保険の議論をするということは大変なことです.
弊社は,何十年も前からずっと,保険を作って,売り,その管理を行い,支払い,決算をする,という一連のシステムを作ってきました.そして,3万人の営業職員と多くの銀行チャネルがあり,販売するチャネルもたくさんあります.
その一方で,弊社には,スマホアプリを作って,歩数カウントを行い,その歩数に変なデータが入ってきたら除外するというノウハウはありません.そういった点に関しても,人を教育して取り組んでもよいですが,人材の採用から始まって,10~20年かかってしまいます.ですので,そういったところは他所のサービスを使ったらよいという判断です.
また,弊社でこの保険を取り扱うと月毎にエージェント数に応じた契約数が出ます.多数のエージェントがいて,保険の代理店もあり,商品を作ったら,10件とか100件とかしか売れないわけじゃない.そのため,それに耐え得るシステムが作れる業者でないと提携できません.住友生命の主力となる保険サービスをスタートアップに全部任せることは難しかった.技術的にある程度成熟しており,弊社の契約数に耐え得るシステムや経験を持っているところと組む必要がありました.
一方で,スタートアップと組むという部分もあります.Vitalityの中でも,コーヒーに交換できるチケットを出すというところでは日本の企業が入っています.また,Vitalityコインというものも作っています.Vitality会員が, Apple Watchを買った後,Apple Watchを付けて毎日歩くと,一定の金額がキャッシュバックされます.現金で返してもよかったのですが,拡張性を持たせたVitalityコインでお客さまに返しています.Vitalityコインは,Amazonギフト券,EdyギフトID,nanacoギフトに交換して使うことができます.今後はポイントを地域物産に換えられる,地域を応援するようなサービスにもつなげていきたいと考えています.
福田 Vitalityを提供することで,今までリーチができなかった新しいセグメントの顧客が増えたといった感触はありますか.
岸 Vitalityは例えば運動が好きだけど,保険なんて要らないといったお客さまに響きます.保険にはどこかで入らなきゃいけないという思いがあるが,あまり要らないと考えているような人たちが皇居の周りをよく走っています.このような人は健康を気にするし,その意識も高い.食事や体型も気にして,ヨガに行ったりしています.従来の保険のイメージは,家族のためには必要なものだけど,自分ではそんなにわくわくしないものとして捉えられている部分がありました.Vitalityでは,若い人や健康意識が高い人が,面白いといって入っていただけているという側面があります.
北村 実際,営業職員がVitalityという商品を提案する先は広がってきています.従前の保険では,万が一のことを想像して,そこに対して訴求していくことになります.一方で,Vitalityはリスク自体を削減するという役割を果たします.健康増進を切り口とすることで,既に健康増進に取り組んでいる人や,これから始めたいと思っている人にとっては,Vitalityの仕組みは腹落ちしやすいものになっていると思います.
3.2 Vitalityにおけるパーソナライゼーション増田 Vitalityにより,健康増進活動に積極的に取り組んでいる顧客群や,なかなか活性化していない顧客群もデータで見えてくると思います.そこで,顧客に合わせたサービスのパーソナライゼーションという観点ではどのようなことを行われているのでしょうか.
岸 ずっと元気に歩いている人は,意識が十分高くなっているので,第三者が手を差し伸べる必要はあまりありません.しかし,全く歩かない方や,途中で歩くのを止めてしまった方など順調にいっていない方に,「もうちょっと運動しましょう」,と開封状況が分かるメールを出しています.それでも,運動しない場合は,営業職員が声をかけるといった対応を取ります.
Vitalityでは加入時点から保険料を15%割り引くというところにその健康増進を促すポイントがあります.何もしないと保険料が上がっていきます.最初は,保険料が上がるということがお客さまに受け入れられないのではないか,という考えもありましたが,ディスカバリー社によると,メリハリが必要だということで,南アフリカの事例ではそれでうまくいっているということでした.すなわち,Vitalityの他国の事例では,保険料が上がったり下がったりしないと人は健康活動に動機付けされないという考えです.人間の行動には得をするよりも損をしたくない(損失回避性)という心理が強く作用しますので,例えば,保険料が決まる何カ月か前に,健康診断を受けていただいたらポイントが付いて保険料を抑えられますよ,といったような声かけをします.
こういった声かけを行うために,住友生命では,ネットだけではなく自社のエージェントチャネルで,お客さまに細かくマンツーマンで対応しています.時には,それじゃ健康になれませんよ,と強く言う方がよい場合もあるのではないかとも考えています.
北村 日本人の健康増進を促すために,日本人がもう少し頑張れば手の届く水準に,ステータス基準を設定しています.
3.3 Vitalityのエージェント教育江川 エージェントはVitalityの価値を理解してお客さまにその説明をする必要があると思いますが,どのようにエージェント教育を行っているのでしょうか.
岸 お客さまにVitalityを勧めるのがうまいエージェントは,この保険に自分自身で加入して,日々活動をしている人です.ですから,どういう教育が必要ですかと問われれば,この保険に入ってもらう,ということになります.エージェントがVitalityに加入すると,Vitalityプログラムの持つ価値を感じることができます.具体的には,日々運動をして,それに対応したポイントが付く,これを楽しんでいます.自分で楽しさを体験できると,お客さまにお勧めする場合でも,お客さまが加入判断で迷った際に,Vitalityでは運動することで楽しむ体験ができて,日々歩くようになり,結果,体調が良くなったり,体重が変化したりするというような情報提供が,できるようになります.例えば,私も歩くことで悩まされていた腰痛がなくなりましたが,基本的に歩くと筋肉がついて体を支えるので,長時間立っていても疲れなかったり,腰痛がなくなったりしていくことを実感できました.ただし,エージェントがVitalityに加入することは,お金もかかることなので,エージェントの判断に委ねています.また,加入したくても健康的な理由で入れないエージェントもいます.このような人に対してはVitalityの擬似的なアプリを使って,お客さまにVitalityの価値を提供できるよう工夫しています.
江川 従来の保険では,病気や入院した時に価値が体感できるものなので,エージェント自身や他のお客さまが病気になった経験がないと,その説明がしづらいですね.Vitalityの場合は,日々の価値みたいなものがあるので,エージェントもそれを実感しやすいし,説明しやすくなるところがすごくよいです.
北村 そういったノウハウもディスカバリー社から提供されています.弊社としてもどうやって営業職員にVitalityを浸透させていくかというところは頭を悩ませていました.高齢化している営業職員もおり,スマホアプリを使ったり,ウェアラブルデバイスを使ったりということに,なじまないのではないかとも思っていました.ただ,ディスカバリー社から,世界各国のVitalityの先行国では実際にVitalityを体験することが営業職員の一番の教育になっているという情報があり,それに従って取り組んだところがあります.
江川 お客さまの行動変容もそうですが,営業職員といったエージェントの皆さんの行動もVitalityを通して変わっている点もポイントでしょうか.
北村 そうです.社員が変わらないと,お客さまも変わらないということです.
3.4 顧客側からのフィードバック増田 Vitalityにより顧客とのインタラクションが頻繁になると,その分,従来の保険よりも顧客側から得られるフィードバックは多くなっているのでしょうか.
岸 苦情とお褒めの言葉とがありますが,お褒めの言葉は従来と比べてかなり多いですが,当然これまでにはなかったタイプの苦情も発生するようになりました.例えば,1週間の運動目標が達成されるとルーレットが回せて,ドリンクのチケットが当たったりしますが,週間目標の歩数が多すぎて到達できないとかの苦情です.また,Vitalityは毎日使うアプリですが,障害の時に使えないことがあり,どういうことだ,とコールセンターにご連絡いただくこともあります.
従来型の保険会社のシステムでは加入時に使われますが,その後は毎日使われることはなく,支払いや契約の確認,配当金を引き出すとか,お金を借りるといった時にしか使われません.それが,Vitalityでは毎日使うわけです.だから,使いたいときに使えないと苦情になってしまう.
また,従来の保険では,加入いただいてから,その支払いをするまでの間にお客さまが何をしているかがわかりませんでした.でも,Vitalityでは,毎日どれぐらい歩いているのか,リワード商品を何割引で買ったのか,商品はスポーツシューズなのかスポーツウェアなのか,健康食材,ウェアラブルデバイスなのかといったことがわかります.
そのようなライフログ情報や購買情報から,お客さまのことが少しずつ見えてきます.例えば,Vitalityを始める人は,最初,スマホで始めますが,多くの人は歩いているうちに時計型のウェアラブルデバイスが欲しくなるようです.そこでVitalityの割引でウェアラブルデバイスを購入します.すると,買った以上使わないともったいないからさらに歩くので,さらに良いデバイスを持っていても損はしないという考えになります.なお,デバイスは1年間で2社それぞれより2つまで買えます.新しいデザインのものが出るので,お客さまは欲しければ毎年新しいものを買うことができます.ウェアラブルデバイスだけではなく,歩けばスポーツシューズが欲しくなり,スポーツウェアが欲しくなります.これも割引で買えるので,得した気分になり,さらに運動を続けることになるでしょう.ポイントについては,運動だけの利用ではゴールドステータスにならないので,健康診断が用意されています.運動に対して,健康診断は1回の獲得ポイントが高く設定されています.健康診断を受けないと,シルバーやゴールドステータスといった上のステータスに行けないため,健康診断を積極的に受けるといった行動変容が促されます.
増田 Vitalityの特典は,顧客の行動変容の結果,ウェアラブルデバイスやスポーツウェアの購買等,他の企業のサービスにもつながっていく取り組みです.住友生命様としては,Vitalityを起点としたある種のエコシステム形成のような視点をお持ちでしょうか.
岸 はい.Vitalityはエコシステムを狙いとして,パートナー企業に送客を行っていますが, Vitalityはまだ1年程度しか経過しておりませんので,今後どのように成長していくかは,私自身もまだわかりません.しかし,このエコシステムは保険に価値を持たせるために有効だと思っています.そこで,どうしたらもっとお客さまに価値を提供できるかの検討を続けています.例えば,もっと多くの健康増進に関連する商品,サービスを割引で買えるとか,Vitalityでしか買えないオリジナリティの高い商品が手に入る,といったようなことです.このような観点でブラッシュアップしていけば,このエコシステムはもっと大きくなると考えています.
また, Vitalityは,お客さまの利益になるという前提付きで,健康・ライフログデータ(どれくらい歩いた,食事に対する意識,習慣等)を持つ,健康プラットフォームになりえます.蓄積された健康・ライフログデータを使えば,病気の予防に役立ちお客さまの健康状態確認ができるようになります.具体的に言うと,体重,血圧,尿酸値といった数値を確認し,正常範囲内であることをフィードバックできます.また,一定の数値を超え健康状態に不安を持つお客さまに対しては,予防的な商材(健診,数値改善に役立つもの)を割引で提供することができないか等も考えていきたいと思います.
増田 どのようなパートナー企業様と連携されているのでしょうか.
下田 今,パートナー企業は11社あります.アディダス様,アップル様(Apple Watch),ガーミン様,ホテルズドットコム様,コナミスポーツクラブ様,ローソン様,オイシックス様,ポラール様,スポーツクラブルネサンス様,スターバックス様,ソフトバンク様です.Vitality会員に対して,ウェアラブルデバイスや体組成計の割引購入ができ,割引分を後からお返しするポイントバック制度のVitalityコインを定期的に獲得していただける制度もあります.行くだけでポイントがもらえるフィットネスクラブも2社あります.また,アクティブチャレンジと呼んでいる,運動の継続を目的としたショートタームのプログラムもあります.これは,1週間で一定の運動目標を設定し,それを達成すると特典としてコーヒー等の飲み物と交換できるチケットが得られます.今後,更にこういったパートナー企業を広げていきたいと考えています.
増田 Vitalityの課金モデルは保険料とは別に,Vitality利用料として課金するものです.インシュアテックにおける,その課金モデルには,どのような特徴があるのでしょうか.
岸 弊社は相互会社であり,株式会社のような資本という発想を持ちません.株式会社における資本金にあたるものが基金となります.そのため,サービスを提供する場合は必ず,サービスを構成するコストを賄うお金をお客さまに負担してもらうという原則があります.
多くのフィンテックスタートアップでは,資本金を集め,お客さまを集めて無料でアプリを提供し,その後,一部有料課金をして,無料の利用者のサービスを賄うフリーニアムというビジネスモデルをとります.ただ,相互会社では資本がないので無料で開発費を賄い,後の収益で回収するのは保険業法の解釈や監督当局との調整が必要で,簡単には実現できません.
相互会社がVitalityというサービスを提供するには,お客さまからサービスの対価をいただく必要がありますが,保険料とは別にサービス料がかかることについて,お客さまは不満を感じるかもしれません.そこで,追加でお支払いいただくサービス料と保険料の割引分のバランスを考え,お客さまにVitalityサービス料を払ってもお得だと感じてもらえるように工夫しています.保険とVitalityプログラムを同時に販売することにより,お客さまに追加の負担を感じさせない課金モデルにできたと考えています.
一方,フィンテックスタートアップの課金モデルは,その便利で楽しいコンテンツ自体単独で課金モデルを考えなくてはいけません.コンテンツは流行り廃りがあるので,飽きられると収入にも影響を与え,ビジネスが維持できない衰退状態になるのも早いでしょう.現在ある課金型のリアルビジネスにフィンテックを使ったサービスを付けていった方がマネタイズがしやすく,ビジネスとしても安定するので商売しやすいのではないかと思います.
北村 Vitalityの料金体系には,生命保険会社における保険業法規制が関係しています.特に,特別利益の提供という点を考慮する必要があります.今回のVitalityの場合,リワードという形でインセンティブをつけるところに運動継続のエンジンがありますが,そのリワード提供が保険契約を誘引するための特別利益の提供と解釈されてしまう可能性がありました.これは法的に認められないものですので,明確にリワードを提供する対価としてサービス利用料を頂戴することが必要だと判断しています.
江川 製造業といったリアルビジネスに,フィンテックのようなテック系サービスを付けていくうえでのポイントに関して,ご意見をいただけないでしょうか.
岸 例えば家電メーカーはおもしろいと思います.最近の家電メーカーの戦略は,夫婦共働き子育て世代向けに家事時短家電というものを投入しています.弊社の近くの中央区のタワーマンションにはたくさんの共働き子育て夫婦が住んでいます.これらの世帯はステータスで中央区のタワーマンションに住むというよりも,夫婦が勤める会社に近い場所じゃないと生活ができないから都心のマンションに住んでいると思います.そういう人たちはとにかく家事の時間を短くしたい.掃除の時間を短くしたい,というニーズを持っています.
まず,家電メーカーがそういった人々にもっと寄り添って徹底的に世帯を生活しやすくする家電を作るべきだと思います.更に,ハード面だけでなくソフト面のサービスもニーズがあるでしょう.例えば,共働きの子育てで,幼稚園に通っている子どもが急に病気になってしまった時のために,タクシー代が出る少額短期の保険を作る,幼稚園に迎えに行く信頼できるシェアリングサービスと提携するといったところまで,家電メーカーがやったらいいのではないかと思います.当然,サービス自体は自社で企画したとしても,全てを自社でやる必要はありません.NPO法人を作って,そこに金銭面の支援をして,共働きの子育て世代の生活を守るというのがお客さまに選ばれるサービスとなるのだと思います.
このように,誰のための商品かどの部分の価値に訴求するかという部分を明確にして,それをハードとソフトでどう価値提供していくのかということを考えることは,わくわくすることです.それが,売れる商品,サービスの本質だと思います.
江川 カスタマージャーニーというキーワードがその考えに近い視点でしょうか.
岸 そうです.そして家電や保険のように,お客さまにお金をいただいて商品,サービスを提供しているリアルビジネスを既に提供している会社や人はテック系ビジネスを付加しやすいと思います.
お客さま一人一人の健康状態に基づいて保険料を決め,お支払いをする保険業を行っている弊社は事業の性質上,お客さまの個人情報を持っていますが,既存の多くのメーカーは,個人情報を持てていない場合が多いと思います.最終的にお客さまに販売するのは流通業なので,お客さま(個人情報含む)を流通に取られて,価格決定や,お客さまに価値のある商品機能についてはわからず,お客さま情報を持つ流通の言うことを聞かざるを得ないという,メーカーにとっては不利な関係があると思います.今,メーカーとして物作りに強さを出すためには,お客さまとダイレクトに会話しながら製品を作り,それに加えて, テック技術を使ってお客さまのニーズ,不満の情報の収集することが重要になると思います.外から家のエアコンの電源を入れられるなどはこれからはあまり価値を見出しません.お客さまの困り事を家電のハード面,ソフト面の機能を駆使してどうやって解決していくのかを考えていくべきだと思います.このような機能+体験価値型商品をお客さまに提供していくビジネスをするには,お金を取りやすいリアルビジネスを持っているのがメーカーの強みだと私は思います.現状,お客さまの個人情報が取れていない業界のほうが,お客さまとの日々のやり取りができ,情報を入手できた場合のビジネスの拡張性(レバレッジ)が利くので,とてもやりやすいのです.そして,そのやり方はいくらでもあると思います.
増田 今後の少子高齢化といった日本のマーケットの変化を踏まえ,住友生命様ではどういった方向性で対応していくのか,その方針について教えてください.
岸 Vitalityは一つのきっかけです.Vitalityをベースに様々なサービスを考え,お客さまに価値を提供していくつもりです.従来のようなお客さまに保険金を支払うという価値だけではなく,いろいろなサービスを通して価値を提供できる総合的な生活サポートビジネスというものです.これにより,日々のお客さまとのエンゲージメントを高められるようなものをやっていきたい.例えば,共働きで子育てしているご家族や認知症で悩まれているご家族,今後増えるであろうお一人様で老後を迎えていく方々に対して,保険とともにどういう価値を提供していけるのか,住友生命として,使命感を持ってお客さまに寄り添う保険・サービスを広げるというのがコンセプトになります.
Vitalityは,南アフリカディスカバリー社との共同ビジネスなので,具体的なサービスについては一定の型が決まっており,弊社だけで日本の消費者向けに自由に機能追加することができないため,Vitalityだけで弊社のやりたいことが実現できるかはわかりません.ただ,弊社はVitalityを通じて,インシュアテックの基本や拡張の可能性を会社として吸収してきましたので,新しい生活サポートサービスを発想できる下地はできていると思います.住友生命として,お客さまに保険の価値を提供しながらサービス化していくということに,様々な面から取り組んでいきたいと考えています.少子高齢化等,より日本が暗くなっていく中で,今後の日本を明るく照らすことができるような会社になっていきたいと思います.
北村 Vitalityの一番の目的はお客さまの健康増進を応援するというところです.その点を会社として見失ったら終わりだと思っています.Vitalityには,保険料変動とリワードという仕組みがありますが,これはあくまでも健康増進を応援するための仕組みです.そこの趣旨を忘れてしまえば,Vitalityは単なる安いおまけつきの保険になってしまう.それでは,社会を良い方向に変えることはできませんので,この目的を今後も守っていきたいと思います.
そのために,毎年毎年,マーケットやお客さまの反応等その情勢を踏まえながら,Vitalityを変えていくことができればよいと考えています.その進化も様々な方向性があります.例えば,Vitalityのポイントメニューやリワードに加え,お客さまサポート体制や保険契約手続きの簡略化,よりわかりやすいお客さまへの説明資料といった点での展開です.
下田 保険というのは従来,将来的なリスクに備えてお客さまに安心を与えるようなものです.ただ,どうしても今までの商品は,万が一の話といった,どちらかというと暗い話をしなければ,お客さまにその必要性を感じてもらえず,少しマイナスイメージを持たれるところがありました.Vitalityはその点が大きく変わり,リスクそのものを低減する価値も併せて提供することで,お客さま自らが入りたい,と言っていただけるような商品になっていると感じています.また,弊社ではVitalityをきっかけに,お客さまにアプローチするやり方を大きく変えることができました.保険におけるVitalityのような展開は,まだまだいくらでも新しい可能性があります.こういった取り組みを進化させていくことで,今後の日本における健康増進に寄与し,安心して暮らすことができるより幸せな世界を作ることに貢献できると考えています.
住友生命保険相互会社 情報システム部担当部長 兼 代理店事業部担当部長,1990年入社,個人保険システム,代理店用個人保険システムの新規構築等を経て,2015年からVitalityプロジェクトの立ち上げに参画.ディスカバリー社とのVitalityシステム構築等に携わる.
住友生命保険相互会社 情報システム部上席部長代理,1999年入社,個人保険システムの開発保守等を経て,2018年からVitalityプロジェクトに参画.ディスカバリー社とのVitalityシステム構築等に携わる.
住友生命保険相互会社Vitality推進室 副長,2007年入社,営業支援業務,主計部にて収益管理,決算統計等の業務を経て,2015年からVitalityプロジェクトの立ち上げに参画.ディスカバリー社との提携交渉や健康プログラム設計等に携わる.
京都大学経営管理大学院特定講師.博士(経済学).京都大学大学院修了後,北陸先端科学技術大学院大学を経て,現職.サービスのコミュニケーションにおける文脈を考慮したデータ取得・管理・評価・支援環境構築・理論化に関する研究に従事.
株式会社日立製作所研究開発グループ東京社会イノベーション協創センタ研究員.2013年,東京大学大学院工学系研究科システム創成学専攻博士後期課程修了,博士(工学).同年日立製作所入社.現在はサービスデザイン手法と事業創生手法の研究開発に従事.サービス学会員.
産業技術総合研究所人間拡張研究センター所属.博士(理学).東京大学大学院修了後,2001年より現職.専門はオントロジー.知識表現.サービス・エコシステムの中で活動する人の生活知識のモデル化,データ分析,社会実装の研究に従事.