2020 Volume 6 Issue 4 Pages 1
サービス産業の生産性向上という問題に取り組みはじめてもう10年以上になるが,今ほど生産性についての社会全体の関心が高まっている時はないと思う.政府は生産性革命の旗印をかかげ,メディアも頻繁にこのテーマを取り上げ,経済団体も積極的に取り組む.私自身も,日本生産性本部から『労働力喪失時代の「スマートエコノミー」をめざして』という,生産性向上には,サービソロジーの経営活用によるサービスイノベーションの全面展開が鍵,という提言を行ったばかりである.
このような中で,分母,分子両面から生産性の概念について改めて見直してみるべきではないかという議論が研究者の間で活発になっている.本号はそのような問題意識に正面から応えるものである.
最も活発なのは,生産性の分子のマクロ的表現であるGDPをめぐるものである.以前から指摘されていた家庭内生産活動の算入問題に加えて,デジタル化の進展は,プラットフォームビジネスの生み出す膨大な消費者余剰やシェアリングの価値をGDPがどう扱うべきかという問題を突き付けているし,サービソロジーも,価値共創における投入資源と産出価値のそれぞれについて新しい捉え方を要請することになろう.
また,持続可能性や幸福経済学,SDGs論の立場からは,分子の指標としてのGDPそのものを超える新たな指標体系を構想する活動も活発であり,フローでなく,ストック面の価値を繰り入れるべきという議論すら出てきている.まさに百花繚乱の様相を呈しつつある生産性の議論であるが,これらは基本的には,資本主義の終わりや大分岐が叫ばれる時代の変化にあわせて,生産性概念を「多様化」させていくという方向性をもったものである.
私自身は,このような生産性概念のフロンティアを拓いていく多様化の議論には強い知的興奮を覚えているが,長らく経営と実務の現場で過ごしてきた者として,知的には陳腐でも,生産性概念の「標準化」というもうひとつの方向性を看過することができない.それは,これほど生産性の議論が活発であるにも関わらず,産業界においては,具体的な個別企業の生産性や特定産業の生産性の問題を,比較可能な生産性の数字で議論する営みが,(一部の覚醒した経営者の取り組みを除いて)ほぼ皆無に近い,という問題である.経済団体での議論や業務管理の現場で生産性の向上の重要性について問題提起することはあっても,企業単位で生産性向上を競ったり,売上,利益や配当と同列で生産性を議論することはまず無い.
そこには,きわめて実務的な問題がある.付加価値額の算定方法が標準化されていないのである.現在,日本には,個別企業の付加価値額の算定について,少なくとも8通りの定義がある.ネットかグロスか,分子の算入項目をどうするか,分母についても,従業員数でとるか人時でとるか,単独か連結か,海外や非常用雇用はどう扱うか,労働生産性か全要素生産性か等の問題がある.個別企業の生産性については,相互比較やランキングを経営者が容易にできる環境が無いのである.
生産性概念は学術の世界で扱えるが,生産性向上の当事者は経営者であり,現場の管理者である.手触り感のある生産性指標が標準化されないかぎり,いくら生産性革命を叫んでも現場を動かすことはできない.これが付加価値労働生産性という最も原初的な生産性概念の偽らざる姿である.
GDPはかろうじて世界第3位を保っているが,1人当りGDPが世界26位まで下落してしまっている日本に,あまり時間的な余裕はない.生産性概念については,標準化が喫緊の課題であることは明白である.多様化の議論も,常に手触り感のある指標を提示しながら行うべきであろう.
産業戦略研究所 代表