Tetsu-to-Hagane
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ISSN-L : 0021-1575
Review
Steelmaking Technology for the Last 100 Years: Toward Highly Efficient Mass-Production Systems for High-Quality Steels
Toshihiko Emi
Author information
JOURNAL OPEN ACCESS FULL-TEXT HTML

2014 Volume 100 Issue 1 Pages 31-58

Details
Synopsis:

Progress of steelmaking technology in Japan over the last 100 years is reviewed covering hot metal treatment, primary steelmaking with open hearth furnaces, converters and electric arc furnaces, secondary refining of steel with degassers and ladle furnaces, and ingot-/continuous-casting.

Key issues that contributed considerably to the progress of the unit processes are highlighted with scientific, technological and engineering breakthroughs involved. Systematization of the unit processes, that optimized full cost, productivity and quality of steel products to meet the constraints on the resources and socioeconomic demands of the steel market at times, is depicted as another key issue for the successful systematization.

Possible future development of steel technology is briefly commented on the basis of the above observation.

1. はじめに

我が国の製鋼技術の100年に亘る大業を,実体験は55年に限られた身をも顧みず,二次資料の助けも借り,想い起こす作業に掛かった。鋼の生産性,原価,品質を,溶銑予備処理,一,二次精錬,造塊,連続鋳造の分野で,その時々の資源·市場に応じ最適化してきた,先達の努力が生み出した貴重な技術を辿り,将来への一助としたい。なお,項立ては歴史的発展の順序に従った。

2. 平炉製鋼 1,2,3,4,5,6,7,8,9,12)

2・1 坩堝炉,Bessemer転炉から平炉の全盛期に

工業規模の製鋼炉が提案されたのは1856年のBessemer酸性耐火物内張り空気底吹き転炉,1857年のSiemens平炉,1864年Martinのスクラップ製鋼炉,両者を組み合わせたSiemens Martin平炉に遡る。しかし,転炉,平炉が実際にヨーロッパの高燐(P)銑から良質な鋼材を大規模に量産出来たのは,炉内張り用の塩基性耐火物が開発され,炉内脱Pが工業的に可能となった1880年代である。当時は,英,独,伯,米が鋼の生産を主導していた。日本はこれら諸国から設備,操業,資材,原料を導入し,坩堝炉を1882年,酸性平炉を1890年,Siemens Martin酸性平炉を1896年に海軍,陸軍の工廠に設置し,実用規模の製鋼を成功させた。とはいえ1900年においても,日本の鋼材生産は総計2.4千tで,輸入鋼材計22万tの1%強と微量だった。

我が国の銑鋼一貫製鉄の嚆矢と考えられるのは1901年である1,2,3,4)。官営八幡製鉄所が同年2月に至り160t高炉に火入れし,5月に25t平炉から鋼塊3本計10t,11月に15.6m3 Bessemer転炉から鋼塊5本計8.5tを得た。因みに,平炉,転炉の名称は1901年,八幡製鉄所の今泉嘉一郎氏による5)

日露戦争後第一次世界大戦勃発迄(1905–1914年)は鉄鋼業は不況に直面し,設備,操業の不備,高品位の石炭や鉱石の入手難による生産不調も加わり,工場閉鎖,身売りなどが続いた。

八幡のその間の努力により,100年前の1915年(大正4年)には,鋼塊生産の主力が,旧来のたたら鉄,木炭銑の坩堝法による再溶解鋼塊(1.7万t/年)から,塩基性平炉鋼塊(27.5万t/年)とBessemer酸性転炉鋼(10.6万t/年)に移行した。Bessemer転炉の生産性は平炉(Fig.1)6)より遥かに高かったが,炉口からの溶鋼噴出や炉底の吹錬羽口の損耗により,平炉に比べ鋼塊基準歩留りが8%以上低く,原価も3.4%高かった。また,酸性内張りでは転炉鋼を約0.1%P以下には出来ず,用途が中級軌条,線,棒などに限られた。これは,当時スクラップ,鉱石,石炭の輸入が制限され,高炉に含P鉄鉱石(0.2–0.3%P)を高率配合せざるを得ず,溶銑Pが高くなったためである。脱P改善のため転炉溶鋼を平炉で再精錬する“転炉–平炉合併法(再製鋼製錬)”も行われた。しかし合併法は,歩留まりが転炉法より更に6%以上低く原価も14%高いため,操業改善が進んだ平炉に敵わず,1927年に中止された。

Fig. 1.

 Schema of Basic Open Hearth with Venturi Arrangement.6)

我が国は1914年7月末から1918年11月に至る第一次世界大戦に参戦した。開戦当初は高炉4基,平炉12基が稼動し,以後も1918年までに50t平炉6基が増設された。更に,主原料のスクラップ不足を補う平炉の溶銑鉱石法も取入れられ,鋼塊約44万t/年が生産され,鋼の需要は一応充足された。この間,民営会社も製鋼所を買収又は建設し,住友鋳鋼場(住友金属,現 新日鉄住金)が大阪で1902年,川崎造船製板工場(川崎製鉄,現 JFEスチール)が兵庫で1907年,神戸製鋼所(神鋼)が神戸で1911年,日本鋼管(NKK,現 JFEスチール)が川崎で1914年に,3.5-15t平炉により操業を始めた。

2・2 平炉の興隆と敗戦による衰退

第一次大戦に伴う国内産業の伸びと,1931年に起こった満州事変による鋼材の需要増に対応して,1915年以降も平炉を主体とする製鋼炉の増設,炉容拡大が続いた。平炉は満州,朝鮮を除いた国内のみでも1933年(昭和8年)には113基(25t以上は91基)を数え,同年の平炉鋼生産量は305.6万tに達した。この内,民営製鉄,製鋼所の平炉総数は77基(25t以上は59基)であり,それらは冷銑とスクラップを主原料とした。冷銑は満州から45.5万t,インドから17.2万t,スクラップは主として米国から100万t強を輸入した。1934年に成立した法案により,官営八幡製鉄所を中心に民営輪西,釜石,富士,九州,兼二浦各社が合同し,日本製鉄株式会社(日鉄)が発足した(製鉄合同と呼ぶ)。戦争の拡大と共に予想されるスクラップ,冷銑の輸入不足の対策として,1936年頃から各社の200-1000t高炉の認可,建設,稼動が進んだ。

1937年(昭和12年)–1945年には,満州事変が日中戦争に拡大した。主原料のスクラップは戦争初期の1939年に米国から217万t,インドから11万tが輸入され,同年の全国平炉鋼生産は565万tに達し,この水準は1943年迄維持された。しかし,その後期には太平洋戦争が重なり,スクラップは禁輸され,輸送も困難となり,供給が激減し,平炉は高溶銑配合操業をしいられた。NKKはスクラップ不足対策として,1938年に独から塩基性耐火物内張り空気底吹き20tThomas転炉3基を導入し,高P溶銑操業を始めた。1941年迄に更に2基を増設し,1年後には35万t/年の転炉鋼を生産したが,戦局の悪化により1945年に全てを休止した。

1914年から1945年の敗戦迄の製鋼技術の向上は,たたら法以外は未経験であった我が国の先達が,平炉法,転炉法の設備,操業技術を欧米から導入し,国情に適合させつつ輸入品に対抗出来るように,生産規模と品質の向上を図った苦闘の成果であった。この時期には,社会,経済が混乱し,日本独自の技術は生まれていない。

しかし,(1)平炉燃料の発生炉ガスから重油への転換やCガス+高炉ガス混焼による,溶解精錬時間の短縮と燃料原単位の低減,(2)スクラップ不足に対処した銑鉄鉱石法,溶銑スクラップ法,酸性転炉での脱P不足を解決する転炉平炉合併法,などの工業化,(3)混銑炉の導入と溶銑予備精錬への応用,(4)炉容の拡大,(5)耐火物の国産化,が進展した。その結果,1943年においても平炉鋼全国計563万tが生産され,日鉄(内地分)が60%,338万tを占めた。1945年末の平炉設備は,全国で197基(炉容50–80tが67基,100tが10基,150tが11基)に達した。しかし,戦争の激化と共に良質鉄鉱石,スクラップの入手難と,爆撃による設備損壊,人員払底が著しくなり,1944年から全国平炉鋼生産量は激減し,敗戦の1945年には123万t,戦後混乱期の1947年には稼動平炉が20基,生産も49万tと極端に悪化した。

敗戦後,国連軍GHQによる,主要工場の平炉を除く91基の平炉を賠償用に撤去する指令が出されたが,日本経済自立のためと,1950–1953年に生じた朝鮮戦争特需により,この指令は幸い解除され,平炉製鋼の壊滅が回避され,鋼材の増産が可能となった。鉄鉱石,石炭の輸入も1948年から解禁された。

2・3 敗戦後の平炉の大型化と酸素製鋼の発展 7,8,9,12)

戦時には当時最大の製鉄国だった米国の先進平炉技術を導入することは殆ど不可能だったが,戦後の1948–1949年には,米国専門家により,従来の独式に勝る米国式平炉の設備,操業技術の指導が行われ,日本から米国への平炉調査団も派遣された。設備面では,(1)固定式平炉の大型化と吊天井構造,(2)可動出鋼樋,ジェットタッパー,(3)Venturi燃焼方式(噴出口とガス上昇道の拡大),蓄熱室煉瓦の煙突積構造,(4)Blaw-Knox型ガス流変更弁,の採用,操業面では,(5)原料装入箱の装入迅速化,(6)炉内正圧操業による外気吸入防止,(7)重油輸入再開により発生炉ガス/混合ガス燃焼から重油専焼への転換,(8)圧力,流量,温度計導入による計測制御操業,(9)前/裏壁,天井への塩基性煉瓦の使用,(10)炉床のマグネシアスタンプとドロマイト焼付け,が実施された。

その結果,平均装入量は1949年から1957年にかけて約62tから92t/回に,最大公称能力は150t/回に,重油専焼,混焼炉は1957年には124炉中115炉に達した。1957年からの5年間には大型化が更に進み,八幡製鉄(八幡),富士製鉄(富士鉄),日本鋼管(NKK),川崎製鉄(川鉄)に限っても,Venturi燃焼型のMärtz式あるいはMärtz Böhrens式*の固定/傾注150t平炉4基,200t平炉3基が新設され,炉容拡大改造は150t級9基,200tが11基に及んだ(*全塩基性れんがブロック構造で煙突積格子目第一蓄熱室+通し目積第二蓄熱室を持つ。住友金属(住金)和歌山で1959年初稼働)。更に,リンデフレンケル型を主とする大量酸素発生設備の普及に伴い,既に米国で一般的であった酸素製鋼が,国内8社の共同実験結果に基き導入された。酸素製鋼12)は酸素を(1)燃料バーナーの助燃,(2)冷材溶落ち前の溶解吹精(山崩し),(3)溶落ち後のベッセマライジング,に用いる。

以上の諸施策は生産性向上,燃料原単位低減に著しく貢献した。大型平炉の酸素製鋼による最盛期の全国粗鋼生産量は1961年の1617万tである。富士鉄広畑では150t炉への210t装入,酸素約25m3/tで製鋼時間が12→6hに,製鋼能率が16→33t/hに,燃料原単位が418万→142万kJ/tに大幅に改善された。川鉄千葉では大量酸素使用で150t炉への185t装入で製鋼時間が2h40minに短縮された。この平炉6基と,計13,400m3/hの酸素発生装置を用い,生産能率は平均65t/h,酸素使用最大50m3/tの時100t/hを記録し,1962年に粗鋼月産18万tという単一工場として当時最高の生産性に達した。

ベッセマライジングは原料装入扉の覗き穴からカロライズパイプを挿入し純酸素を溶鋼浴中に吹き込む。溶損してゆくパイプを肩に担ぎ浴中に押し込みつつ浴表面を観察していると,温度の上昇と共に脱炭が加速し,COガスの沸騰により鋼浴が攪拌され,ガス泡に持ち上げられた溶鋼が流動性を増したスラグ層と接触・破泡し,逐次採取する試料の分析から,脱炭とスラグ/メタル反応が進む状況が体感でき,興奮を禁じえなかった記憶がある。装入扉1枚にランス1本で撹拌力は限られるが,浴内撹拌導入の意義は大きかった。

3. 上吹き転炉製鋼 9,10,11,12,13)

3・1 上吹きLD転炉製鋼法の誕生

LD転炉は,1952年にVÖEST Linzの30t炉3基,1953年にÖAMG(Alpine)Donawitzの30t炉2基により,平炉銑を用いて操業を開始した。この開発の誘因は,Thomas転炉法はヨーロッパの含P鉱からの高P銑の吹錬には適して発達したが,オーストリアで得られるのは低P鉱石からの低P銑で熱源が不足したこと,また平炉に頼るにも必要なスクラップが不十分だったこと,さらにThomas転炉鋼の冷間加工性を改善するためにP,Nを一段と低減する要求が強まったこと,による。Thomas転炉鋼の低N化は種々試みられ,特に底吹き空気への酸素富化は効果があったが,羽口の損耗が大きく工業化には限界があった。

これを防ぐためDürrerらは1932年から水冷ランスによる純酸素の上吹きを試み,実験に成功していた。VÖESTとÖAMGはこれを採用して共同開発し,1949年に2t炉に続き12~15t炉で工業化実験に成功し,P,N,Oを平炉鋼以下に出来,上記操業に至った。

3・2 LD転炉法のわが国への導入 10,11,12)

八幡はBessemer転炉の1927年までの長い操業経験と1954年からの5t上吹き転炉の吹錬試験結果を,NKKは1949年に再開したThomas塩基性底吹き転炉の操業経験に加え,酸素富化吹錬技術を持っていた。両者は通産省や商事会社の紹介もあり,工業化初期ではあったがLD転炉の低P 鉱石適性,スクラップ削減,耐火物削減,重油不要という特性に加え,生産性/製鋼能率,設備費/労務費/作業原価,溶鋼品質がThomas転炉や平炉に勝ることを知った。現地を視察し将来の発展性を認め,各自Alpineと接触しLD法の導入を図った。しかし通産省の斡旋協議の結果,国益を重んじ,1956年にNKKが単独で独占実施権技術提携契約を,Alpine社を窓口とし特許管理会社Brassert Oxygen Technik AG(BOT)と締結した。八幡はNKKと特許再実施権契約を結んだ。サブライセンスの再実施権契約は国内他社にも開かれた。八幡は1957年,NKKは1958年に,各々50tと42tのLD転炉の操業を開始した。LD転炉事始めである。

上述の利点と,通産省の第二次鉄鋼合理化計画に基づく金融支援により,各社は急速にLD転炉(Fig.2上左)の導入を進め,我が国のLD鋼生産比率は,1958年の約5%に始まり1965年に平炉鋼を超えて55%,更に1970年には79%,生産量7351万tに達した。それ以後も,比率,生産量共に西独,米,英,ソ連を大きく凌駕して世界一を保った。

Fig. 2.

 LD (BOF), Mixed Blowing BOFs and Bottom Blown BOF (Q-BOP).16)

一方,平炉鋼の生産は1964年以後急減し,1970年には大手各社の平炉は全て休・廃止され,1971年の全国平炉鋼生産量は199万tとなった。1977年には東京製鐵岡山で最後の平炉が休止した。LD転炉は平炉の置換,新規一貫製鉄所での新設,老朽転炉の集約置換により急速に増え,オイルショック直前の1973年には計92基(250t炉11基,300–340t炉6基)が稼働するに至った。

3・3 LD転炉法のわが国における発展 12,13,14)

導入期のLD転炉法の著しい成長は,製鋼原価が酸素吹込み平炉に比べ普通鋼で10%弱,高張力鋼では30%強低く,生産性が数倍高く,スクラップ供給への依存度が小さいためであるが,それを支えたのは導入以後に活発に行われた下記の多岐に亘る改善,開発であった:

装置資材面では(1)炉体と支持方式,傾動装置の大型化(出鋼口装着同心型炉体,300t炉鉄皮内容積553m3,炉高/炉径=1.3,炉底非分離セミチューリップ型,最適トップコーン傾角,トラニオンリング支持,無段変速傾動方式),(2)スピッティングと炉底耐火物溶損防止用の水冷メインランス多孔ノズルチップの開発と実用化(1962–1970年),(3)測温,カーボンメータープローブ自動交換サブランスの実用化(1966年–),(4)COガス回収省エネルギー,および排ガス量と微粒子汚染の低減に大きく貢献した新日鉄による非燃焼型排ガス処理回収設備(OG)の1962–1969年の開発実用化(1962年に実用化されたIRSID-CAFL法を凌駕),(5)タールボンドドロマイト/安定ドロマイトれんが,のちにマグネシアカーボンれんが,の実用化による耐火物原単位低下(–7kg/t),操業面では(6)吹錬終点の溶鋼の温度とC濃度の同時的中率を,静的/統計的制御にサブランス計測値を加え,メインランス高さ,酸素流量を動的/計算機制御することにより向上,(7)平炉スラグの高炉への装入量削減と,オーストラリア,ブラジルの低P鉱石使用によるLD転炉用低P,Si溶銑の生産,(8)溶銑予備処理法と溶鋼二次精錬法の,LD転炉吹錬前後工程への組入れ,(9)中/高炭素鋼,低合金鋼,ステンレス鋼のシングルスラグ−キャッチカーボン吹錬法による溶製と高品質化,JIS規格化,(10)吹錬スラグへのMgO富化,炉体の耐火物のゾーンライニングと熱間補修技術による炉寿命の延長(>5000ヒート)と生産性向上,(11)操業解析に必要な製鋼関連の熱力学諸量・物性の測定,製鋼反応の平衡計算,熱/質量/エネルギーの移動の反応工学的計算,ガス/スラグ/溶鋼の流れの流体力学的計算と実験によるシミュレーション,および制御理論と自動制御法,の進歩と応用。

上記の多くは欧米での進歩の導入に依存したが,日本独自の開発,工業化の成果は(2)と(4),導入後に著しい改善効果をあげたのは(5),(6),(8),(9),(10),(11)である。それに貢献したのは,提携各社の技術交流を促進したNKKと八幡による日本BOTグループのLD委員会,後に日本LD技術懇談会(1958–1966年),さらにそれを移管公開した日本鉄鋼協会共同研究会製鋼部会における各社の技術情報の交換,共有,相互見学を介した協調活動であり,同会鉄鋼基礎共同研究会,融体精錬部会,講演会,日本学術振興会製鋼第19委員会(1934年–,分析,測温,溶解造塊の3分科会)における産学協同研究活動であり,日本鉄鋼連盟,通産省による支援であった。

3・4 LD転炉の高能率化への成熟 14,15)

この後,LD転炉操業は溶銑比の弾力性を拡げつつ,1967年以降の好景気に支えられ下記(1)–(6)による高能率化を進めた:

(1)溶銑処理を兼ねた大型混銑車/溶銑鍋とスクラップシュート詰め専用棟を利用した原料装入時間短縮,(2)ヒート当たりの溶鋼量を増すための炉体耐火物薄巻きと,そのためのマグネシアカーボン煉瓦の開発,(3)マグネシア/ドロマイトの熱間吹付け計測管理とスラグコーティングによる内張り耐火物補修時間の短縮,炉寿命の一段の延長,(4)高速吹錬の送酸量増大時の課題であったスロッピングの防止と脱Pのためのランスの高さと送酸量の計算機制御,ランスチップの多孔ノズルの最適化設計,(5)炉体3/3基稼働,(6)吹錬の動的制御の極限として,終点計測サブランスの使用を省略し,計測のための倒炉による時間損失を防ぐダイレクトタッピング,などの多様な技術の進歩。

この結果,LD転炉は生産能率が1974年に平均240t/hに達し,設備,操業技術ともに成熟期に入った。1976年には吹止めのC濃度と温度の同時的中率が,低スクラップ比吹錬ではあるが,多くの製鉄所で低C鋼について90%前後に達した。耐火物寿命も格段に長くなり,新日鉄君津では10110ヒート/炉代を記録した。

その後,LD転炉技術で特記すべき進歩が見られたのは,米国におけるスラグスプラッシングによる炉寿命の延長である16)。LD転炉吹止め出鋼後,炉内に残る溶融スラグにドロマイトを添加し成分調整改質後,メインランスを炉底から約70cm上まで降下させ炉底の改質スラグをN2ガスで吹飛ばし,炉壁に溶着,被覆させる。特別な設備も要らず短時間で終了する簡単な操作で次ヒートの装入に臨める。スラグスプラッシングは短期間に米国外にも利用が拡がり,新炉投入から初回リライニング迄の炉寿命が20000ヒート以上にも達している。

後述の複合吹錬転炉では,スプラッシングを繰り返すうちに起こりうる炉底羽口の閉塞が当初懸念されたが,スプラッシング時の底吹きガスの管理で懸念は軽減されている。最近,後述の二重管羽口により適切なプログラムで不活性ガスを吹込むと炉寿命50000ヒートを超えた海外の情報17)もある。スプラッシングにより炉寿命後期の炉内形状,吹錬特性を損なわないようなトレードオフは必要である。

吹錬制御に関しては,炉口からの排ガス成分と量,溶鋼の温度,C濃度,その他の成分濃度,炉体振動,炉内での音波,などのセンサ計測値を総合し,吹錬終点的中精度の向上,スロッピング,スピッティングの防止を図るための吹錬パターン,副原料投入などの自動制御操業が進んだ。

4. 底吹き転炉/複合吹錬転炉製鋼 18,19,20)

4・1 底吹き転炉OBM/Q-BOPの誕生

LD転炉は(1)鋼浴撹拌の不十分さ,(2)溶融スラグ生成の遅さ,(3)酸素ジェットによる火点の鋼浴の過度の高温,過酸化,鉄歩留まりの低下,が欠点だった。また,(4)過酸化と浴組成の不均一さが原因でCOの突沸を惹き起こし,その時の溶融スラグの温度と組成により破泡性が悪いと,多孔ランスでも十分にはスロッピングを防げなかった。底吹きでは上述の欠点は解消できるが,40%以上の濃度の酸素を炉底羽口から吹込むことは,Thomas転炉で経験したように,羽口溶損をひどくするため実用にならなかった。

Canadian Liquid AirのSavard and Lee20)は新規な着想と多大な努力により,二重管羽口を用い,外管と内管の隙間から炭化水素ガス(プロパン,メタン)を流し,ガス分解の吸熱で羽口先端を冷却し溶損を解決し,内管から酸素と石灰粉を吹込むことに成功した。炉内の羽口先端周辺には溶鋼が冷却付着しマッシュルームと呼ばれる茸の傘状の凝固鋼の隆起が出来,羽口先端と溶鋼の直接接触を防止出来る。マッシュルームの傘の部分は内部に多数の細い気道が生じ,ガスの通過分解により冷却される21)

MaxhütteのBrotzmann22)はこの羽口を自社の20t Thomas転炉に取り付け,1967年に実炉試験,1968年に工業化に成功し,Oxygen Bottom Blown Maxhütteを略しOBMと命名した。USスチールはOBMを1973年にGary製鉄所の200t炉,翌年にFairfield製鉄所の160t炉で大規模に工業化し,Q-BOP(Quick refining, Quiet blowing, Quality Basic Oxygen Process)と称した。

操業上の問題は,炉底寿命が短い事だった。長期にわたり全ての羽口のマッシュルームを均等に保つ必要があるが,熱バランスが悪くなりマッシュルームが消失した羽口では,先端が過度に溶損し(バーンバック)炉底寿命が短くなる。極端な場合は短時間に羽口が炉底まで溶け,羽口/酸素配管を焼損し(バックファイヤー),溶鋼が炉外に流出する事故となり,炉底交換が必要になる。

4・2 Q-BOPの吹錬特性 18)

川鉄は1977年にQ-BOPの導入に踏み切り,千葉に230t炉2基を建設した(Fig.2上右)16)。底吹羽口は18,22本の2種類である。併行して水モデルと5tQ-BOPにより溶鋼流動/粉体吹込み/吹錬/反応特性,耐火物挙動を研究し,吹錬制御パラメタ,吹錬法を確立した。

LD法との顕著な違いは,Q-BOP法は酸素全量と石灰粉を炉底から直接鋼浴中に吹込み鋼浴撹拌も強いため,(1)スクラップの溶解が早い,(2)浴内の均一化が早い(均一混合時間が約1/10)(Fig.3)23),(3)C–O反応平衡に近い組成で脱Cが進行し,進行速度も大きい,(4)従って溶融スラグ中への鉄の過酸化損失が少なく,Fe,Mnの歩留まりが高い(1例:C0.04%,1630°Cの時,スラグの酸化鉄(T.Fe)含有量はLDの約23%に対しQ-BOPは約12%),(5)酸素原単位が低い。LDの場合,脱炭酸素効率が0.8%Cで1.0以下に下がり始め,0.2%Cでは0.6となる(但し溶融スラグ量を十分減らしたゼロスラグ吹錬では効率が1.0以下に下がり始める臨界Cは0.3%程度)。一方Q-BOPの脱C酸素効率は0.4%Cまで1.0を保ち,0.2%Cでも0.9である。脱炭下限もQ-BOPはLDより低く,0.02%C以下も可能である,(6)スラグ生成が早く,撹拌が強いため過酸化が少なく,スラグ量も少ないので吹錬が安定し,サブランス測定の代表性と精度が上がり,吹錬終点の的中率が高い。10%スクラップ比操業で,目標終点が0.05%C,1610°Cの場合,±0.015%C,±10°Cの範囲内への同時的中率は99%に近く,再吹錬率は1%以下である,(7)スロッピングが少ないためOGガス回収率が高く,1.4GJ/tに達する,(8)脱S率は高い。脱Pについても,石灰の初期/後期分割吹込みをすれば(FetO)濃度は低いにもかかわらずLDに劣らず,従って石灰原単位が低い。

Fig. 3.

 Mixing Time of Melt in Various BOFs with Bottom Gas Flow Rate.23)

Fig. 4.

 Oxidation of Iron in Slag in Various BOFs with Mixing Time or ISCO.18,23)

一方,欠点は(1)設備費がやや高い,(2)炉底寿命が内張りに比べて短く,1炉代に2-3回の交換が必要である,(3)羽口のガス冷却に相当する分だけスクラップの使用比率がやや下がる,(4)出鋼前には鋼浴のArフラッシングをするがそれでも鋼中水素はLDの2–3ppmに比べ,炭化水素ガスの分解により4–7ppmと高い(取鍋真空精錬を行う場合には問題にならない)。類似のプロセスとして1978年には羽口冷却に灯油を使った240tLWS転炉がSollacで稼働した。

以上の吹錬上の特徴は,ISCO(Index for Selective Carbon Oxidation)値により半定量的に説明できることが,Nakanishiら23)によりモデル,実炉のデータから示された。ISCO値はCとOの反応界面における平衡を支配するCO分圧の項(1)と,反応界面に供給される酸素の物質移動流束と溶鋼流束(大略,溶質Cの平均移動流束ともみなせる)の比の項(2),の積で定義される。(2)項は鉄の酸化と脱炭いずれが優先するかの指数でもあり,ISCO値が小さいほどFeをスラグ中に余分に酸化させずに低C域まで優先脱Cが可能である。各種の一次,二次精錬炉の精錬反応における溶質元素の挙動と溶鋼の撹拌度の関係を,始めて統一的に記述した重要な貢献である(Figs.3,4)18,23)。後に(1)項を除き(2)項の溶鋼流束をC移動流束に置き換えたBOC(Balance of Oxygen and Carbon Feeding Rate)値をKaiら24)が提案し,0.02<C<0.22%の範囲で(T.Fe)に関しISCOよりやや良い相関を報告している。

4・3 上底吹き転炉への展開

上ランスから70%,炉底羽口から30%の酸素を吹込む複合吹錬のK-BOP(Kawatetsu-BOP)25)は,1980–1981年に川鉄水島で250t炉3基,千葉で85t炉2基が稼働した(Fig.2下中央)。K-BOPのISCO値の64は230tQ-BOPの58に近く,160tLDでは約230である。これに対応してK-BOPは底吹き比が30%と少ないにも関わらず,吹錬時の溶鋼,スラグの成分の経時変化がQ-BOPのそれに近い。K-BOPは底吹きにArと酸素の混合ガスを用いるが,上吹きランスの高さをスロッピングを防ぐように調節するのが容易で,スラグ形成と脱P吹錬制御の自由度が大きくなった。

二重管羽口を用いた類似の上底吹き転炉LD-OB(Oxygen Bottom Blowing)も,新日鉄八幡,大分,君津,名古屋で計10基が1984年に稼働した。2000年には底吹き酸素機能を持つ転炉(OBM/Q-BOP/K-BOP/LD-OBなど)の総数が世界で110基に至った。住金では羽口冷却ガスに炭化水素の代わりにCO2を用いたSTB(Sumitomo Top and Bottom)を実用化した。

溶鋼撹拌が底吹きで促進されることはThomas転炉,あるいは二次精錬で経験されてはいたが,上吹きのみのLD転炉の操業特性が上記のように底吹きで著しく改善することは新鮮な驚きであり,これを契機に種々の上底吹き法が実用化された。炉内溶鋼の均一混合時間τは鋼浴に吹込みガスを介して加えられた撹拌動力εの約0.4乗に逆比例し,溶鋼還流量q(t/s)は均一混合時間に逆比例する(q=2W/τ,W:溶鋼質量(t))。水島不活性ガス底吹き撹拌LD(250t LD-KGC)の操業条件について計算された値では,底吹きAr比率が10%と低くても均一混合時間は37sでLDの75sより遥かに短くQ-BOPの14sにむしろ近い。溶鋼還流量を大きくすると,溶鋼のC,Oの濃度積はC+O=CO反応の平衡濃度積より低くなる。以前はこの現象は冷却ガスの分解で生じる水素による炉内CO分圧の低下による,と説明されていた。しかしKishimotoら26)は溶鋼のO濃度は冷却ガス種を変えてCO分圧を変えても,余り変わらないが,溶鋼還流量が大きいと減り,小さいと増えることを実証した。彼らはこの理由を,火点では(FetO)の活量が1に近く,O濃度も火点温度に対応する(FetO)との平衡値に近い高値になる。しかし,火点面積は炉内の溶鋼/スラグ界面積に比べて小さい。溶鋼還流量が十分大きいときにはO濃度は,界面積がより大きいスラグ中に稀釈された(FetO)の活量に対応する低値に近付くため,濃度積が下がる,と考えている。Q-BOP,K-BOP,LD-KGなど複合吹錬転炉スラグの(FetO)濃度はLD転炉スラグに比べかなり低く,活量は1以下である。したがってそれに接触する溶鋼のO濃度と濃度積が共に,C+O=COの反応平衡値より低くなりうることは理解できる。

4・4 不活性ガス底吹き撹拌LD転炉への展開

撹拌強度がLD-KGC程度でも十分精錬効果があれば,Q-BOPの酸素,石灰粉吹込みを,不活性撹拌ガス吹込みで代替すれば,交換炉底と二重管は不要で,設備,操業,保全共に低廉かつ容易になる。

そこで炉底に通気性を持たせた耐火れんがプラグや,金属単管や管束を埋込んだ耐熱れんがのプラグを取付け,Ar/N2を吹込む下記の諸方式が,プラグの溶損防止と通気量拡大の壁を克服し工業化された。通気性(スリットを含む)れんがプラグ型がLBE(IRSID-ARBED),LD-BC(CRM),UBDT(Krupp),金属管プラグ型は単管が主で,LD-AB(新日鉄),LD-KGC(川鉄),LD-OTB(神鋼),LD/NK-CB(NKK)などであり,底吹き不活性ガス流量は0.01–0.50Nm3/min·tの範囲にある(Fig.5)。

Fig. 5.

 Variants of Mixed Blowing BOFs as Developed from LD/BOF and Q-BOP/OBM.16)

これらの不活性ガス底吹き法では,均一混合時間から予測されるように,脱炭速度がC移動律速に変わる臨界C濃度が低くなるため,脱炭酸素効率が向上し,終点スラグの(T.Fe)濃度は20%以下になり,鉄歩留まりも改善する。そのため,LD転炉の不活性ガス底吹き撹拌方式への改造は急速に進んだ。

呼称の混乱を避けるため,不活性ガス底吹き撹拌転炉はInert Gas Stirred Converter,上底酸素吹き転炉はTop and Bottom Blowing Converter,両者を総称してMixed Blowing ConverterあるいはCombination Blowing Converterと呼ぶ事が多い。

2000年代になると,複合吹錬転炉にはさらに高能率操業が求められた。しかし,大流量酸素吹込みにより高効率化すると,後述の溶銑予備処理により溶融スラグ量が大幅に減少した転炉内では,ランスチップ多孔ノズルからの酸素ジェットが衝突する鋼浴面火点間で,ジェットと溶鋼流動が干渉してスピッティングの発生が増えてきた。Fukagawa27)は,スピッティング対策として,ランスチップの6孔ノズルの各孔からの酸素ジェットが,衝突面で互いに干渉しないノズル角度とノズル配列を新しく設計した。住金和歌山はこのノズルを用いスピッティングを防ぎ,250t転炉の吹錬時間を9min,Tap-to-Tap時間を20minに短縮し,転炉1/2基操業で30万t/月を生産した。

4・5 複合吹錬転炉のスクラップ溶解,溶融還元への展開

未燃焼排ガスの回収利用が可能な一貫製鉄所では,上底吹き転炉法は,市場に年々蓄積されるスクラップの溶解炉としても,通常の電弧炉(約4.5GJ/t)より少ない消費エネルギー(排ガスクレジット差引き後約3.9GJ/t)で工業的に成立しうるプロセスでもある。新日鉄広畑28)では,LD転炉一基を上底吹きとし,既存の排ガス回収系を利用し,コークスに拠らない連続残湯方式の,石炭利用冷鉄源溶解炉を1993年に実用化した。LD転炉炉内の排ガス二次燃焼のみでは,燃焼率を最大30%に高めても,0%の場合に比べスクラップ比は10%強しか増えない。また,炉上方から炭材を添加し炉内での燃焼を図ると,炭材が排ガスにより炉外に飛散損失する比率が大きい。

そこで高C溶鉄を炉内に一定比率で残し(残湯,Hot Heel),底吹き羽口から低揮発分微粉炭を,窒素を搬送ガスとして酸素と共に吹込み,冷鉄源を炉上シュートから装入し,ランスから酸素を上吹きして,二次燃焼熱で溶解を早めた。高速かつ安定した低温溶解により,炭材利用効率の向上,耐火物寿命の延長,2次燃焼率の制御による溶解熱源確保と回収ガス熱量確保の両立,を実現した。

バブルバーストによるダスト発生やスロッピングの防止,(T.Fe)の制御による脱P促進,溶銑最適C濃度の維持,安定した熱補償などを,微粉炭のS含量や灰分,ランス上吹き酸素比率,酸化鉄ぺレット添加量の制御により最適化した。溶銑を別の転炉で脱Cして,電弧炉に勝る高級鋼用高品質溶鋼が得られている。

上底吹き転炉は,クロム鉱石の溶融還元によるステンレス鋼の製造にも拡張された。Okuyamaら29)はJFEスチール(JFE)千葉で初段のK-BOPに脱P溶銑(装入比率約50%),ロータリーキルン焼成クロム鉱石ペレット,コークスとステンレス鋼スクラップを装入し,溶融還元を進めて含Cr,Ni溶銑を得,出銑除滓後,次段のK-BOPで必要に応じて合金材あるいはステンレス鋼スクラップを加えた後,脱C,P,Sする方法により,1980年代後半からSUS304,430を工業生産した。これにより,市況に応じたクロム原料選択の自由度を得た。最近ではクロム鉱石粉のバーナ−加熱添加ランスを開発した。水素系ガス燃料を酸素で燃焼させたバーナー火炎中で粉粒状のクロム鉱石を加熱しつつ炉内溶銑中に吹込む溶融還元法を実用化している。水素系ガスを用いるためCO発生量が低下し,環境負荷と耐火物溶損も減少した。加熱された鉱石粒子は銑浴への伝熱媒体となり還元反応の吸熱を補償し,鉱石単位量あたりの供給エネルギの20%を節減出来た。また,2000年代後期より炉内に石炭を添加し別のランスから酸素を上吹きする方法も工程化した。石炭は熱崩壊してスラグ中に微細分散し,前述のバ−ナ−から吹込まれてスラグ中に分散溶解しているクロム鉱石を還元する。酸素ランスの多孔チップは鉱石の還元で生じる炉内のCOを2次燃焼させ銑浴の熱補償が可能な設計である。

溶融還元されたクロム銑は大容量の貯銑炉に移されるが,貯銑炉はチャンネルヒータを備え,必要に応じてステンレス鋼スクラップの溶解混合が可能で,Ni,Cr濃度の調整に対応できる。調整後の溶銑を次段のK-BOPに装入し,前記のとおり脱C,P,S吹錬する。フェライト系高Cr極低C,Nステンレス鋼は2段目K-BOPの溶鋼をVOD(Vacuum Oxygen Decarburization)やSS-VODで真空精錬する。この方法で70万t/年を工業生産している。

ステンレス鋼はAOD(Argon Oxygen Decarburization),CLU(Creusot Loire Uddeholm)などの酸素分圧を広範囲に制御できる転炉または電弧炉で,ステンレス鋼スクラップやフェロクロムを用いて溶製され,用途によっては種々の取鍋精錬炉と組み合わせて仕上げられるのが普通だった。上述の溶融還元法は電弧炉−AOD操業に比べ,消費エネルギーが35%少ないとされている。

ステンレス鋼の溶製法30)は多様で,新日鉄室蘭は1972年にRH-OB,同八幡は1979年に150t LD-VAC(VOD),1980年にソーダ灰溶銑予備処理とLD-OB,住金和歌山は1982年に酸素上吹きAOD,日本金属は同年AOD-VOD,1990年には住金和歌山がAOD-VOD/VOD-PB,NKK福山は上底吹き転炉によるNi鉱とCr鉱の溶融還元(Smelting Reduction Furnace, SRF),1991年には大同特殊鋼が真空AOD(VCR),1995年には八幡でREDA(後出),1996年には新日鉄光で真空AOD,などが実用化された。それぞれの事情に適した選択で,百花繚乱である。

5. 取鍋精錬/二次精錬 31)の多様な発展

5・1 取鍋内溶鋼簡易処理−Ar吹込み撹拌とフラックス吹込み

転炉,平炉,電炉で一次精錬した溶鋼を,取鍋内で脱酸,脱硫し,生成介在物を除去するには,溶鋼表面を非酸化性の塩基性スラグで覆い,取鍋底部からArを吹き込み,生じる溶鋼流と溶鋼表面のスラグを接触反応させるガス撹拌法が早くから行われた。脱硫にはMannesman Index=(%CaO)/〔(%SiO2)×(%Al2O3)〕が0.3–0.4で代表されるスラグが多く用いられ,吹込み気泡による溶鋼流動の適正化にはPlume Eyeの制御が行われていた。

脱硫や介在物形態制御のために,ランスによりCaC2やCaSiを不活性ガスとともに溶鋼中に吹込むThyssen Nieder Rhein(TN)法やScan Lancer法は1970年代中期から,また,脱酸や介在物形態制御用にFeCaやCaSiの芯材をFeで被覆したクラッドワイヤの溶鋼への添加も1980年ごろから工業化されていた。

5・2 取鍋精錬法の多様化 14,15)

取鍋精錬装置は,転炉など一次精錬炉溶鋼中のH,N,O,P,Sや非金属介在物をさらに低減し,Cや合金元素濃度を調整し,温度を鋳造に適した値にするために,1952年以降海外で工業化が進んでいた。我が国は1958年のBochumer Vereinの真空流滴脱ガス鋳造BV法の導入に始まり,Dortmund HörderのDH法,RheinstahlとHerausのRH法を順次採用し,装置の導入基数は1970年以降急速に増えた。同時に上述のTN,WittenのVOD(Vacuum Oxygen Decarbu-rization),FinklのVAD(Vacuum Arc Degassing),ASEAとSKFのLF(Ladle Furnace),AODなども取入れた。これらは機能,設備,目的により分類され,適用が異なる。程度の差はあるが概ね真空,加熱,不純物元素や介在物除去,合金添加,撹拌均一化処理が可能である(Fig.6)32)。TNとASEA-SKFは常圧下でのスラグ撹拌精錬であるが,前者は脱S剤を不活性ガスで搬送してランスから取鍋内溶鋼中へ吹込み,後者は付設した電磁誘導コイルで取鍋内溶鋼を強制的に回転流動し,浴表面の溶融塩基性スラグと接触させ,脱S,O,介在物除去精錬を行う。設備的には両極端の方法である。AODは常圧のArと酸素の比率を変えて吹精,VODは減圧下酸素吹精,VADは減圧下アーク加熱,によりCrの酸化を防いで脱炭が可能な,ステンレス鋼の精錬用である。VAD,ASEA-SKFはアーク加熱を生かしてバッチ生産の合金鋼,極厚鋼板製造などにも用い,ASEA-SKFは後に真空処理も可能となった。我が国では1965–1977年の間に,AOD8基,VOD7基,ASEA-SKF3基,その他5基が新設された。

Fig. 6.

 Variants of Secondary Refining Vessels.32)

5・3 転炉と連続鋳造の掛橋としてのDH,RHの発展 33)

現代の製鉄所では数ヒート以上の多連鋳が普通で,取鍋精錬は(1)転炉と多連鋳を同期させる生産性を保つと同時に,(2)転炉からの溶鋼の温度と成分を下工程の高品質化要求に合致させて連鋳機に供給する役割を担う。導入初期には取鍋精錬はそれ自体の性能向上が図られ,何れも1970年代後半には成熟に近付いた。連鋳法が実用化された1970年以後には転炉との間で(1),(2)の最適化が進められた。このような取鍋精錬で重要な要素は,(1)大容量反応器の排気の高速化,(2)溶鋼と真空,溶鋼とスラグ間の界面積の増大,(3)十分な溶鋼流動による物質輸送の促進,(4)スラグの成分調整や除去,(5)合金元素の添加と均一化,(6)温度補償加熱,(7)溶損,スポーリングに耐え溶鋼汚染を起こさない耐火物,である。これらの多くは転炉吹錬と共通だが,転炉の大型化,吹錬の高速化とともに,取鍋精錬能率も著しく向上し,到達不純物濃度限界も目覚しく低減した。一貫製鉄所における量産法として代表的な二次精錬法のDHとRH(Fig.6下)の進歩は次の通りである14,15,19,31,33)

DHは取鍋内溶鋼を,偏芯吸上管経由上部の真空槽に噴出させ,槽内溶鋼面から脱H,N,Oと介在物凝集除去を行い,処理済溶鋼を吸上管から吐き戻し取鍋溶鋼に混合させる。この操作を,槽を数回/min昇降させることにより繰り返す。八幡は1959年にDHを導入し,真空槽や吸上管の形状拡大,槽内溶鋼電気加熱の付加,1969年に梃子方式の槽昇降の高速化(180t取鍋,15m/min),1974年に槽内溶鋼中Ar吹き込みによる脱C促進(DH-AD法),マグネシアクロマイト煉瓦の採用,の順に逐次改良を実施し,上記(1)–(7)を達成した。新日鉄は,1990年代終わりには吸上管を取り除き,大径の槽円筒部を延長して取鍋溶鋼に直接浸漬し,取鍋底に設置したプラグから槽内にArを吹込むREDA(Revolutionary Degassing Activator)法を開発し,DHから転換した。槽内に減圧で吸上げられた溶鋼は上昇するArのPlumeにより撹拌され取鍋との間を循環する。REDAは下記のRHと同等の高い脱ガス能力があり,低C,N,O鋼やステンレス鋼精錬に実用されている。

RHは1963年に富士鉄広畑に導入され,100t設備として実用化された。真空円筒槽容器底部に取付けた溶鋼上昇管と下降管各1本を取鍋内溶鋼に浸漬し,溶鋼を円筒槽底部に吸上げ,上昇管の下部から溶鋼中にArを吹込む。Arのエアリフトポンプ作用で管内溶鋼は上昇管開口部から円筒槽底部に噴出し溶鋼の浴面を盛り上げる。盛り上がりによる浴面高さと,Arを吹込まない静止時の浴面高さの差が駆動力となり,溶鋼は下降管から吐出され,取鍋内溶鋼と混合する。溶鋼は取鍋→上昇管→真空槽→下降管→取鍋に連続的に還流する(Fig.7参照)。上昇管内と槽内の溶鋼中のAr(+CO)気泡と溶鋼の界面,破泡時に生じる溶滴表面,槽内浴表面,で溶鋼は脱ガスされる,一方,還流時の浴内乱流撹拌により介在物の凝集除去が進行する。基本的な設備,操業は1960年代半ばまでに出来上がり,以後1990年代初頭までには,ライセンシー各社の開発も取入れ,(1)RH処理開始初期に槽内が真空に到達するのを高速化するための排気系の改善,(2)溶鋼還流速度向上のためArのステンレス管経由上昇管内への吹込み流量と,上昇,下降管径および真空槽径の拡大が図られ,(3)耐用性向上のためマグネシアクロマイトダイレクトボンド煉瓦への変更,(4)槽内壁への飛滴の付着堆積や処理中の溶鋼温度低下防止用の,槽内電気抵抗加熱ヒーター設置,が行われた。また1972年から新日鉄室蘭でステンレス鋼脱炭のためAOD型式の同心二重管(内管からO2,外管からAr,N2,CO2)による槽内浴表面への酸素上吹き(RH-OB)が実用化された。1970年代後半に,普通鋼の脱炭,昇熱用に側壁から槽内溶鋼内への二重管による酸素とフラックスの横吹き(RH-OB-FD)も稼働した。RHにおいて,下降管からの吐出流が取鍋内溶鋼と十分撹拌混合するかについては,還流流速を十分大きくすれば問題がないことが,トレーサーを用いた測定やCFD計算で証明された。この間,飛滴の槽壁への付着防止と,還流速度を更に増大するため,真空槽の高さと径,上昇,下降管径とAr吹込み流量をいずれも大きくする改造が進み,RHは量産取鍋精錬法として確立した。現在,取鍋内の250–300t溶鋼の還流速度は約150t/min,還流1回に必要な時間は2min前後である。RH,DHは一時期,部分脱酸した溶鋼を連続鋳造機にリムド鋼代替鋼として鋳造するための,高速軽処理用にもかなり大規模に使われたことがある(後出リバンド鋼参照)。

Fig. 7.

 Advanced RH Refiners with Oxygen and/or Flux Injection into Vessel.

RHは極低炭素鋼の高能率生産に特に有用で,RH-OBの他にも,1980年代後半の川鉄のRH-KTB(Kawasaki Top Blowing)のように,真空槽内に上吹き酸素ランスを設けることにより,(1)RH脱C加速により転炉出鋼Cを余り低くする必要が無くなり,製鋼能率と歩留まりが向上し,(2)発生COを槽内燃焼させ転炉出鋼温度の低下が図れ,内壁への地金付着落下による復Cの防止や,地金取り準備作業の省略,などが実現した。RH-KTBは海外でも広く使われている(Fig.7右)。

NKKではRH上昇管からH2を吹き込み,溶鋼に溶解したHを真空槽内浴面近くで発泡させ,そのH2気泡中へのCO,N2の除去を利用する極低濃度域への脱C,脱N法を開発した。1990年代には,新日鉄が溶鋼非処理時に槽内上吹きランスからLNGなど燃料ガスを吹込み内壁を予熱して,地金の付着防止を行い後続ヒートの汚染を抑制し,また,処理中には酸素ランス吹精による脱Cと加熱が行えるRH-MFB(Multi Function Burner)を実用化し,海外でも使われている。

RHへのスラグ精錬機能付加は1980年代末から1990年代初頭に掛けて下記3種が相次いで実用化された。(1)新日鉄大分による,上昇管下方の取鍋内溶鋼中への上向きのフラックス吹き込み(RH-Injection),(2)新日鉄名古屋の槽下部溶鋼内への浸漬二重管からのフラックス吹込み(RH-PB),(3)住金和歌山の真空槽内鋼浴面への上吹きランスからのフラックス吹込み(RH-PB)である。

特に住金34)の方法(Fig.7左)は,和歌山の160t溶鋼にCaO-CaF2を8kg/t吹込みS≤3ppm,N≤20ppm,鉄鉱石粉10kg/tの吹込みでC≤10ppmを得た。2012年の250t溶鋼の例35)ではLavalノズルの代りにSpikeノズル経由8kg/tのCaOを吹込み27minでSを20–25ppmから10–12ppmに下げた。

DHにおけるREDA法と同様,RH真空槽下部を外し取鍋頂部に真空接続出来るようにし,槽内を真空にして取鍋底部からArを吹込み溶鋼を撹拌するSIVA(Simplified all-round Vacuum Treatment)法も2000年初頭に実用化された。SIVAは上吹きランスを有し,真空下の強撹拌/介在物除去,スラグによる再酸化防止,合金添加,Caワイヤインジェクションも可能である。精錬効果はLFとRHの合併法に等しいとされる。

5・4 LF法の多様な応用

LF法は日本特殊鋼が開発した。Ar底吹き取鍋内の溶鋼を,取鍋蓋から装入した黒鉛電極でアーク加熱し,処理中や合金添加に伴う温度降下を補償し,強還元性スラグによる脱S,Oや介在物除去精錬を行う。耐酸化性マグネシアカーボン煉瓦をスラグラインに使い溶損を防ぎ,1970年初頭に100t規模で実用化した。LF法は十数年後にフラックス吹き込みランスを付け加え,取鍋も真空タンクに収め脱ガスを可能とし,ASEA-SKFのようなLRF(Ladle Refining Furnace)となった。

従来,電弧炉製鋼では,溶解酸化精錬ののちスラグを還元性のものに代え,還元仕上げ精錬をしていた。LRFはこの還元精錬を分担し,電弧炉を溶解酸化精錬に特化させ,EAFの生産性を著しく高め,溶鋼品質も向上させた。

転炉鋼についても,ラインパイプ鋼,大入熱溶接用厚板鋼,低温靭性鋼など,種々の極低不純元素濃度の高級鋼を量産するためにLRFが進化した。1980–1990年代に生まれた,フラックス吹き込みランスを備えた常圧処理のLRF型のものにはNKKのNK-AP(Arc refining Process),新日鉄のKIP(Kimitsu Injection Process)があり,後者は真空処理もできるV-KIPに発展した。いずれも加熱下の還元性スラグによる強撹拌精錬を特徴とし,S<10ppmに到達可能である。

取鍋精錬,脱ガス処理を含む二次精錬は,上述のように(1)一次精錬炉の精錬機能を分担することによる精錬システムの生産性向上,品質向上要求の充足,(2)一次精錬炉と連鋳機との間の生産性不整合の調整,連鋳操業の安定化と品質の高度化,という機能を果たしている。このため,設備投資と利用は年々増加し,近年では転炉粗鋼の75%前後が真空処理,85%強が二次精錬されている。

5・5 簡易取鍋精錬法の多様化 31)

一方,極度の高純化が不要な量産鋼種には,より簡易な方法が実用化された。八幡により1974年に実用化されたCAS(Composition Adjustment by Sealed argon bubbling)法は取鍋底のプラグからArを吹込み,浴面に露出するPlume Eyeの周囲は,Arシールした天井付き耐火物円筒浸漬管によりスラグとの接触を防ぐ。設備操作共に安価簡便に,脱酸剤,合金剤を,空気,スラグによる酸化なく添加できる。CAS-OB法はCASに上部からランスによる浸漬管内の裸湯への酸素吹精機能を付加した。両方とも海外でも広く使われている。

6. 溶銑予備処理法の誕生,成長と成熟 14,15,19,33)

6・1 溶銑予備処理の必要性と新しい脱S法への展開

含P転炉スラグはFe,CaO,MgOなどを含む。これらを回収利用するため焼結原料とし,高炉にリサイクルすると溶銑Pは高くなる。一方,鋼材の高品質化に伴う溶鋼P,Sの安定低減と,環境保全上スラグ発生量の低減が要求される。溶銑の脱Pには低温,高酸素活量,脱Sには高温,低酸素活量,と互いに相反した条件が必要なので,転炉単独のシングルスラグ精錬時には両者を同時に満足できない(例外は炭酸ソーダによる同時脱P,脱Sであるが,単一容器による精錬では復Pを伴う)。長期にわたり高溶銑比転炉操業が続くわが国では,従来の(転炉+取鍋精錬)法は生産プロセスとして最適ではなく,出銑時の高温低酸素活量の溶銑を予備脱Sし,次いで脱S銑(とスクラップ)を酸素吹錬した初期に生じる低温高酸素活量スラグにより脱Pする「溶銑予備処理+転炉+取鍋精錬」法が開発された。

溶銑の予備処理は,平炉時代の高炉銑の温度/成分変動の混銑炉による平準化に始まった。本格的な溶銑脱S処理は1965–1974年に,高炉への重油,タール吹込みにより0.023–0.030%に増加したSを除き,増産途上にあった造船厚板(S<0.02%)や,高い低温靭性と耐硫化水素割れ基準を要求される,寒冷地用のラインパイプ用厚板(S<0.01%,現在では<10ppm)の需要に対応するため,急速に拡がった。1960年代中期には出銑樋,受銑容器へのソーダ灰添加,次いで石灰系フラックスなどの添加/吹込みが行われた。しかし脱S率は,初期Sが0.05%の時ソーダ灰2kg/tを用いても20±10%と低い上,ばらつきも大きく,作業性も悪かったため,溶銑脱S法が研究された。その結果,脱S率は良いが大型化が難しかったシェーキングレードル法を経て,1965年に富士鉄広畑でKR法(Kanbara Reactor)が開発,実用化された。

KR法は溶銑鍋中でインペラーを回転させ,脱S剤を渦流に巻込ませ溶銑中に分散させ,分散粒と溶銑の界面と,溶銑浴表面と浮上脱S剤界面の両方で脱Sを行わせる。界面積が大きく,脱S剤粒の銑浴中滞留時間も長いため,脱S剤の利用効率が高く,溶銑の脱S率,脱S速度も大きい。KR設備は1967–1976年に広畑,鶴見,釜石,室蘭,名古屋,水島,鹿島,小倉,千葉,福山,扇島の順に設置された。脱S剤には,以前はCaC2が使われたが環境衛生を配慮し,CaO系に切替えられている。最近では操業が最適化され,筆者の経験ではインペラーの回転数と浸漬深さを溶銑量に適合させれば,CaO–CaF2 8kg/tを用いS0.045%,1415°Cの溶銑180tを12minで3ppmに,1240°CでもS0.03%の270t溶銑を10minで10ppmに高速で安定して脱S出来る。

設備費,脱S剤費用が安く,スラグ発生量も比較的少ない,今日でも優れた方法である。2000年代にはKR法の脱S後のスラグの再使用も実用化された。最近Kikuchiら36)は,インペラー周辺のフラックス巻込み部分の酸素分圧を,プロパンの銑浴内/銑浴表面への添加により低下させ,さらに脱S率を向上させている。

極低値まで脱Sする必要は無かった1960年代後期迄は,受銑鍋内の溶銑上にCaC2を上置きし,鍋底から溶銑中に窒素ガスを吹込む種々の脱S法が各所で行われた。八幡(PDS法),和歌山,福山,川崎,鹿島,広畑(CLDS法;Continuous Ladle DeSulfurization法)などである。CLDS法は中間鍋に前置きしたCaC2 5kg/tに高炉から溶銑鍋4本の溶銑を移す時の乱流撹拌と,鍋底プラグ3個からの窒素ガス5minの吹込み撹拌により,S0.02–0.06%をS<50ppmとしていた。1970年代初期からは,窒素を搬送ガスとして,CaC2をより高能率で混銑車内の溶銑中にランス経由で吹込む方法が,名古屋,堺,八幡,鹿島,和歌山,君津,大分,水島,千葉,加古川で稼働した。千葉では環境汚染を避けるため,CaC2粉を,界面活性剤で流動性を高めた石灰粉で置換えた。また加古川では気泡ポンプ脱S装置(GMR),和歌山ではMgを含浸させたコークスを溶銑中に浸漬するMg-Coke法を実用化した。これらの結果として,溶銑脱硫処理比率は1977年にはほぼ100%に達した。近年にはMg20%-CaO複合脱硫剤の溶銑内吹き込みによる脱硫も,簡便で生成スラグ量も少ないため利用されている。MgとSが反応して生成したMgSを,同時に吹込んだCaOにより固定し浮上させるため,復Sを防ぐことが出来,到達Sも低値が得られる。

このように,高温低酸素活量を利用する溶銑脱Sのツ−ルは,転炉で量産される極低S用(<10ppm)と低S用(<50ppm)にそれぞれ概ね完成し,KR法とMg–CaO吹込み法が主流となっている。

転炉では溶銑を脱Sしても配合スクラップ起因のSが溶鋼に加わるので,S<10ppm級の鋼材には溶鋼の仕上げ脱SをRH,DHやLFで行う。また,鋼材の強度と靭性を向上させるために,酸化物系介在物の寸法,含有量をより低減する要求が年々強く,二次精錬は欠くべからざる手段になっている。このため,1987年には二次精錬比率が転炉工場で80%,電炉工場で50%を超えた。

6・2 溶銑の脱P処理の発展 −溶銑搬送容器での脱P−

溶銑の脱Pには,低温で高酸化性スラグを共存させうる転炉吹錬初期が適していることはよく知られていた。吹錬に使える転炉が1基という制約がある場合には,ヨーロッパの高P銑の吹錬に使われたダブルスラグ法やLD-AC(ARBED-CNRM)法のような選択肢もあった(NKKはLD-ACのライセンシーでもあった)10)

ダブルスラグ法は,転炉の吹錬初期低温時に溶融スラグの生成を図り,脱P後のP濃度の高いスラグを,製鋼能率を犠牲にして中間排滓し,脱炭吹錬の後期高温時の溶鋼へのスラグからの復Pを防ぐ方法である。しかし,脱Pのための大量造滓吹錬は,スラグ量低減要求に逆行し,スロッピングの多発,スラグへの熱損増大,鉄歩留まりと生産性の低下が欠点であった。またLD-ACランスは大量の粉体搬送を含め操作性に問題があった。

これを回避するため,1980年頃から各社は高炉鋳床出銑樋などで溶銑脱Si(一部は更に脱S)後,トーピードカーやフリーボードを高くした溶銑輸送鍋内で高塩基度酸化性フラックスによる脱Pを実用化した。酸素をキャリヤガスとして溶銑にフラックスを吹込むか,溶銑をガス撹拌しフラックスを浴面添加し酸素吹きをする方式である。いずれも前提として高炉操業で銑中のSi濃度を制限し,更に出銑後の溶銑を酸素/酸化鉄により事前脱Siし,生成スラグを除去し,脱Pフラックスの低減を図る。

川鉄では,1980年代初期からトーピードカー内の脱Si溶銑浴面にCaO–CaF2を添加し,溶銑浴内にCaO–CaF2–Fe2O3フラックスを酸素とともに吹込んだ。吹込み点では生成したカルシウムフェライトを含む酸化鉄濃度の高い高塩基性スラグ粒による脱Pが起こり,脱P生成物の3CaO・P2O5を含む反応後のスラグ粒は銑浴中を浮上する。スラグ粒は浮上過程で過剰の酸化鉄分を銑浴のCにより還元されて失い,浴表面に至り高塩基スラグ中に溶解,希釈される。溶銑は酸素吹込みで発生したCO泡により撹拌され,浴表面の低酸化鉄濃度の高塩基性スラグと接触混合し脱Sされる。

同一浴内の2つの反応サイトで,高塩基高酸素活量スラグとのトランジトリー反応を脱Pに,高塩基低酸素活量スラグとのパーマネントリアクター反応を脱Sに分担させた同時脱P脱Sプロセスである37)。処理後の溶銑は除滓後に転炉で脱C吹錬され,量産に実用された。

NKKでは脱Siステーションで溶銑輸送鍋内の溶銑に酸素を吹込み脱Siし,除滓後の溶銑をKR法で脱Sし,更に脱Pフラックスをランスを通し酸素により銑中に吹込み脱P,除滓し,転炉で脱炭吹錬するZSP(Zero Slag Process)を1998年に実用化した(Fig.8)。脱C用の転炉スラグは10kg/t迄減り,スラグ発生量は脱Siスラグ,脱Pスラグを合計しても60kg/t,と従来のLD法に比べ半減した。転炉操業では終点制御と鉄歩留まりが改善され,製鋼能率は20%向上した。また転炉内スラグ量が激減したので,Mn鉱石の炉内溶融還元時にスラグ中へのMnの損失が減り,Fe–Mn合金原単位を低下出来た38)。福山の転炉3基による1000万t/年の生産量全量をZSP処理するに至った。これら搬送容器内での脱P方式の設備投資は小さく,単位操作に要する時間は転炉吹錬のボトルネックにならないよう短縮してある。しかし総工程は長く,スラグ/メタル撹拌混合強度,排ガス処理,除滓,熱損失などになお改良余地があった。

Fig. 8.

 Zero Slag Process for Primary Steelmaking at NKK. (Online version in color.)38)

6・3 溶銑の脱P処理の発展 −転炉による脱P−

1983年に,川鉄はQ-BOPの強撹拌能,CaO+酸素の底吹き機能,吹錬初期の急速脱P,高いフリーボード,出鋼時のスラグと溶鋼の分離能を活かし,既存の排ガス処理系を利用した溶銑予備脱P工業化実験を行った(Fig.9)18):C 4.5%,Si 0.2%,Mn 0.40%,P 0.14%,S 0.02%,1370°Cの230t溶銑に,1tあたりCaO 20kg,CaF2 3kg,鉄鉱石 28kg,酸素6Nm3を吹き込み,温度低下なく約3minという短時間吹錬でC 3.7%,Si tr,Mn 0.30%,P,S共に0.010%を得た。しかし溶銑脱P専用の余剰のQ-BOPに恵まれなかった。

Fig. 9.

 Hot Metal Dephosphorization with 230t Q-BOP at Kawasaki Steel.18)

1988年には,新日鉄名古屋が複合転炉による溶銑予備処理方式LD-ORP(Optimizing Refining Process)39)を実用化した(Fig.10上)40)。溶銑を脱S後,予備処理用の複合吹錬転炉で脱Si,P,とスクラップ溶解を行い,出銑時に含Pスラグを分離し,溶銑をLD-OB転炉で脱Cする。LD-OB転炉には含P,Sスラグの流入を極小に出来るので,脱炭時の復Pも防止出来,スラグ量も減り,Mn鉱石の炉内溶融還元が有利に行える。新日鉄は本法により2009年に全溶銑の30%弱を処理した40)

Fig. 10.

 LD-ORP and MURC Process for Primary Steelmaking at Nippon Steel. (Online version in color.)40)

住金は1990年に同様な転炉による方法をSRP(Smart Refining Process)として実用化した41)。事前に脱S,脱SiしたP 0.1%,Si 0.1%,1300°Cの溶銑を初段の複合吹錬転炉で鉄鉱石16kg/t,蛍石4kg/tを添加して酸素吹錬しP0.032%とし,次段の転炉で脱Cする。初段脱PのCaO,FetO源として次段の脱C転炉のP2O52.2%を含むスラグ約20kg/tを初段に戻し,再利用する。脱P転炉からのP2O50.8%含有スラグ排出量は25kg/tと著減した(Fig.11)。

Fig. 11.

 SRP Process for Primary Steelmaking at Sumitomo Metal.41)

2000年に新日鉄は複合転炉にKR脱S,またはMg-CaO吹込み脱S後の溶銑とスクラップを装入し,脱P吹錬後に倒炉除滓し,同一転炉内で引き続き脱C吹錬するMURC(Multi-Refining Converter)法(Fig.10下)を実用化した42)。複合吹錬転炉を用いて脱Pを高効率化し,更に脱C吹錬後の含FetO溶融スラグを炉内に残し,次回の吹錬に用いている。脱P後のスラグ組成を(CaO/SiO2)=1.5-2.0,(T.Fe)=15-20%程度に制御すれば,排滓率60%,脱Pと脱Cを合わせたCaO消費量10kg/tで1170°C,0.15%Pの溶銑を8minで0.02% Pに出来,発生スラグ量と熱損失も減少した。新日鉄の2009年の全溶銑の約55%はMURC法によって処理された40)。中間除滓率が約70%に留まり,C 0.5%級の中炭素鋼ではP≤0.010%には未達だったが,引き続き100%除滓の工業化に成功し,到達Pは低減した。これをF-MURC法と呼んでいる。

2010年からの実用化例としては住金の鹿島,和歌山,小倉における,SRPを発展させたSRP-Z法43)がある。溶銑をKR脱Sし,除滓後,初段複合吹錬転炉に脱S溶銑,スクラップ,塊状石灰,使用済みCaO-Al2O3系LFスラグ,鉄鉱石を装入し,上吹きスパイクランスから粉末石灰と酸素を浴面に噴射する。脱P溶銑は次段の複合吹錬転炉で脱Cする。SPR-Zの特徴としては,次のような利点がある:(1)高温の火点に噴射するCaOの迅速な滓化によりCaOの利用効率が高く,原単位,スラグ量が削減され,脱Pが高速(<6min)で終了する,(2)ダスト発生が少ない,(3)炉内に加えたLFの使用済みCaO–Al2O3系スラグは塊状石灰の滓化を助長し,火点で生じたカルシウムフェライトを溶解し,脱Pを早める,(4)この際,通常起き易いフォーミングは粉末石灰の酸素上吹きで抑止される,(5)脱C転炉で生じたスラグは初段転炉に戻し,脱P吹錬に再利用する,(6)脱P後の排出スラグは未溶解石灰分が低く,路盤材に使用する際の養生期間が短くて済む。

往時のダブルスラグ法,LD-AC法が我が国で多面的に改良合理化され,更にシステム化されて,当時より遥かに低いP濃度を要求される高級鋼の生産を可能にしている。

6・4 溶銑予備処理プロセスの選択

溶銑予備処理は上記の種々の方法が,各製鉄所の固有の設備,環境,製品構成に適合するよう選択されていった。余剰転炉の有無,溶銑予備処理転炉新設の投資効率,それを判断するための,処理の高能率化や,熱損失,歩留まり損失,フラックス原単位とスラグ排出量の最小化,炉壁残留スラグや脱C転炉流入スラグによる復P,復Sの防止,耐火物寿命,前後工程との生産能率の整合,時間損失の短縮がキーワードであった。現在,溶銑予備処理は溶鋼の生産性と品質が向上する利点の故に,溶銑の全量処理に適用されつつある40)

7. 電弧炉製鋼の変遷と大容量,高能率化 12,13,14,19,33)

7・1 Heroult炉からLectromelt 250t炉酸素製鋼まで

我が国の電弧炉(EAF; Electric Arc Furnace)による製鋼の歴史は,1.5t Heroult炉が大同製鋼の前身の電気製鋼所で1916年に国産実用化された時に始まる3,4,7)。1927年にはEAFは,炉容は10t以下だが7基に増えた。この頃から戦局の進展に伴い軍のEAF鋼に対する要求が増え,主にHeroult型EAFの大型化と増設が始まった。1934年には20t以下の106基のEAFで特殊鋼,ステンレス鋼を生産した。1951年には40t以下のEAFが406基,製鋼能力は239万t/年に達した。戦後1952年に大同製鋼は米Lectromelt社と技術提携し,国産部品を用いて炉蓋旋回炉頂装入式高電圧ロングアークEAFを建設し,生産を始めた。1950年代前半には酸化精錬が鉱石法から酸素吹込み法に代わった。1950年代後半は,上記型式に加えAmerican Bridge式,Demag式などのEAFの新設,炉容拡大期だった。1962年には平均炉容26tとなり,50t超の炉は12基に達した。中部鋼鈑は同年我が国最大のLectromelt式250t EAF(40MVA,径7.62m)を稼働し,炭素鋼鋼塊1000t/日の製造能力があった。

7・2 UHP,酸素製鋼からスクラップ予熱操業に

それ以後は,高電圧大容量変圧器により,同一炉容で2–3倍の大電力を投入出来るUHP(Ultra High Power)-EAFの時代となった。UHP-EAFはサイリスタ制御電磁カップリング方式の自動電極調整装置,真空遮断器,水冷給電ケーブル,電極のテーパニップル接続,などによるショートアークの安定性,溶解時間の短縮,製鋼能率の向上による連鋳能力との整合性,高騰する電力費の節減,などが評価され普及期に入った。UHP-EAFは1969年神鋼神戸の42MVA70t炉を初めとし,1970–1973年に45MVA70t炉,56MVA120t炉,60MVA60t炉が次々に稼働した。大電力による炉内耐火物の損傷を防ぎ補修時間を短縮するため,金属製水冷パネルや鋳物,水冷管による炉蓋,炉壁の水冷化も進んだ。また,過剰酸素の投入により炉内で完全燃焼を図る,高フレーム温度のジェットバーナーや,酸素吹込みによる装入スクラップの溶解促進,省電力操業が行われ,このために高温化した排ガス顕熱を利用し,簡単なスクラップ予熱省エネルギー方式が開発,工業化された。1970年代中期にはランスからの酸素の吹込みによる装入材の切崩しと溶解促進,それによりスラグ中に富化したFetOを還元するためのコークブリーズのスラグ/鋼浴界面への吹込みが普及した。FetOとコークスの反応で発生するCOがスラグを泡立てアークを包んでサブマージドアークとし,輻射熱損失,電力損失,耐火物損傷を軽減し,鉄歩留まりも向上した(酸素20m3/t,コークス3kg/t,400kWh/tの時,歩留まり向上1%)。アルミドロスも精錬時に添加され,総計で生産性が12%,電力原単位が7%向上した。

7・3 溶解脱炭炉への転換,EBT,高度スクラップ予熱設備の導入

この間,二次精錬法の発展に伴い,EAFでの還元精錬機能は既述のように二次精錬炉に移され,EAFは特殊鋼も含め溶解酸化脱炭精錬炉に転換した。そのため労働生産性は1955年9.6h/t,1965年3.4h/t,1975年1.7h/t,1979年0.88h/tと向上し,平均出鋼サイクルと電力原単位は1973年の166min,543kWh/tから1983年の111min,439kWh/tへと大幅に改善した。

一貫製鉄所立地では溶銑装入操業も実用化され,スクラップ,電力費次第では溶銑比50%を超える酸素吹込み操業も行われた(溶銑比80%で計算電力消費は0になる)。

1985年にはトピー工業豊橋がMannesman-DemagとThyssen Edelstahl Werkeが開発したEBT装置(Eccentric Bottom Tapping)を120t EAFに導入し,(1)短時間出鋼,(2)出鋼時のスラグと溶鋼を分離し,脱炭後の含FetOスラグが次工程の二次精錬炉に流入するのを遮断,(3)出鋼時の溶鋼と大気の接触を防ぎ,吸窒と温度降下を低減,(4)炉体傾動角減少による炉壁水冷面積拡大と耐火物原単位の低減,(5)水冷ケーブル短縮による力率改善,が可能となった。1992年には,EBT装備EAFは22基になった。

スクラップ予熱に関しては,種々の開発,実用化が続き,1900年代末から100t級の炉にDemagのContiarc,DanieliのDanarc Plus M3,Mann-DemagのKorfarc,SMS-DemagのConarc,ConcastのARCONなど,予熱に加え酸素吹込みを強化し,転炉との合併法に近いものまで工業化された。我が国で稼働したのは(1)Twin Vessel方式EAFが1985年に新日鉄光に導入された。炉体2基の内,1基をアーク溶解に用い,待機中の1基は排ガスとオイルミストサイドバーナーにより装入主原料を予熱するので,熱効率が良く電力費が下がった。また,(2)Fuchsの2段櫛型ゲート付きスクラップシャフトをEAF上方に設置し,EAFからの高温排ガスを導入して,溶解,吹錬期に予熱を済ませる方式の設備(90kWh/tの節約,後に2シャフト化)が実用化された。(3)Intersteel Techは排気煙道を水平に設け,コンベヤ搬送されるスクラップを,排気熱とバーナーで連続的に予熱し,炉側壁開口部から連続的にEAF内に装入し,フラットバスで溶解するConsteel方式の設備(600°C加熱,300kWh/t)を完成した45)。Consteel法は1992年共英製鋼名古屋に採用された。これらの予熱設備はEAFからの排ガス中のダスト,NOxやダイオキシン除去にも有効なように留意されている。国内製の予熱設備はIHIから東京製鉄,大同から大和工業,NKKから岸和田製鋼にそれぞれ設置された。NKKによる2005年のECOARCは溶解炉と予熱シャフトが常時直結され,炉内に酸素,石炭吹込みを行い溶解を早め,排COガスは導入した空気で燃焼しシャフト内のスクラップを加熱するが,ダストの50%はスクラップに捕捉され,ダイオキシン,白煙,悪臭も排ガス系で処理される。生産性の向上は50%に及んだ。

別途,鋼浴を撹拌し,溶解,温度と組成の均一化,製鋼反応,および除滓,を促進する装置として,炉底にマルチピン型や通気性耐火物型のガス導入羽口を付け,50t炉の場合羽口3本で各100Nl/minのArや窒素を吹込んだり,電磁誘導撹拌コイルを備えたEAFも実用になった。

7・4 DC-EAFと超UHP-EAFの誕生と成熟

UHP-EAFは多くの利点でEAFに革命をもたらしたが,電極と耐火物の原単位が高く,通電時にフリッカ障害を起こす欠点があった。これを軽減するため,鋼浴を陽極,上方電極を陰極とするDC-EAFがヨーロッパで開発され,各社が導入した。陽極は炉底を貫通して設置され,(1)複数のコンタクトピン(鋼棒)を空冷使用するマルチピン方式(Mann-GHH),(2)鋼の250–300mm径丸ビレットを水冷使用する方式(CLESIM-IRSID)と,(3)導電性MgO–C系耐火物/Cu板の炉底を用いる方式(IHI-ABB),の3通りがある。電極はいずれも長寿命である。

DC-EAFは上部電極が1本で済むため,電極原単位を3本の場合に比べ約50%低減出来,耐火物へのホットスポットも軽減され,フリッカも少ない。更に,電流により炉中心へのピンチ力が働くので,100Nl/minのAr吹込みと同程度の溶鋼撹拌が得られる。DC-EAFはトピー工業豊橋が1988年に30t炉を稼働させ,我が国では1990年より採用が急拡大し,大型炉では世界最大級の130t炉が東京製鐵九州,150t炉が同岡山に建設され,大和製鋼水島も100t炉を溶銑併用操業に採用した。2005年にはDC-EAFは合計22基(休止炉を含む)となった。10–20%の残湯操業が前提で,アークが安定し,湯溜り形成が早いため,酸素吹込みを早期に開始できる。最大のDC-EAFは2010年に稼働した東京製鐵田原の2本電極(Twin DC-EAF)420t炉である。炉径9.7m,120t残湯操業で300tを出鋼,Tap-to-Tap 45–50min,製鋼能率約360t/h,300tVD/VD-OBを備え,極低C,低C,中C鋼の年産2.6百万t,炉底水冷陽極70kA 4本で電力投入は600V×280kA約170MVA,電力原単位387kWh/t,溶解速度2.1t/h/MW,電極原単位1.2kg/t,33m3O2/t使用,スクラップ予熱はConsteel方式であり,世界最大級のGHP(Giant High Power)DC-EAFである44)

一方,AC-UHP炉は1990年代後半には高電圧(–1000V)低電流で更に大容量の変圧器を用い,ロングアークで短絡電流比が小さく,リアクタンスを下げ,相間のバランスを改善し,最適電力制御,オペレータガイダンスを導入したGHP操業(–1MVA/t)へと発展した。ホットスポット形成を防ぐためコヒーレントバーナーを用いる高効率スクラップ溶断法も普及した。

我が国の近年のEAFの設備,技術の進歩は導入元のヨーロッパのそれ45,46)と軌を一にしている(Fig.12)。

Fig. 12.

 Development of Electric Arc Furnace Steelmaking. (Online version in color.)46)

EAFの製鋼能率は主原料の選択(溶銑/スクラップ比,DRI,HBI),炉容,予熱,装入,溶解作業効率,次工程との整合性などにより影響される。依然として続く炉の大型化,自動化,ロボット装備を含めシステムとして製鋼能率を最大化し製鋼原価を最小化する努力が続き,現在我が国のEAFの生産性は,炭素鋼における東京製鐵などの転炉生産性に近いような例外を除き,100–180t/h,Tap-to-Tap1h程度である。また,既述のように,EAFは取鍋精錬炉と組み合わせ特殊鋼,ステンレス鋼製造に広く使われている。1991年のEAFの二次精錬比率は85.2%であった。電炉鋼が粗鋼生産の75%を占めるスペイン,66%のイタリーや新興国のトルコ等では,炭素鋼の新鋭GHP-AC-EAFによる生産が増え,最近は250–300t,240–300MVA級の炉が新設されている45,46)

我が国の粗鋼年産は2000年から2012年にかけて凡そ1億数百万tで大きくは変わっていないが,EAF鋼比率は約28%から23%(約2500万t)に下がっている。

一貫製鉄所のスクラップ配合比率がやや増加しているためもあり,10-20年の短期間では,EAF鋼比率がスクラップ価格,電力費,鋼材価格,鋼種構成,輸出入バランス,などの制約を乗り超えて,鉄鋼蓄積量の増加と共に上昇する傾向は未だ認められてはいない。

8. 鋼塊鋳造法の発展と品質の向上 3,13,14)

8・1 鋼塊鋳造と鋳型

我が国の鋼塊鋳造は坩堝製鋼法時代に小規模には行われたが,技術的に詳しい記録は見付からない。工業規模の1t以上の鋼塊は,官営八幡製鉄がBessemer転炉鋼を台車上の1.7t鋼塊鋳型に注入した1901年末に始まったようである。鋳型については1923–1927年に寿命に影響する要因が検討された。造塊,鋼塊,鋳型を総合した技術情報は,1932–33年の日本鉄鋼協会第3,4回製鋼部会で各社の実態を収録,討議し「鉄と鋼」に纏められた。鋼塊は棒,線,型鋼,管,鍛鋼,厚板用に,100–300kgの眼鏡鋳型から10t級の扁平鋳型,100t級の多角形鋳型まで,下注ぎ又は上注ぎされ,マクロ組織やS-プリントが調べられた。当初は鋳型の初期割れ,スポーリング,クレージング,歪が多く,これらを防ぐため,形状設計,鋼塊/鋳型重量比,キュポラ銑,高炉銑の成分,溶銑鋳込法,熱処理法,組織などが検討された。この過程で,ダクタイル鋳鉄鋳型の良さが認識重用されたが,のち安価な製鋼用高炉銑の直鋳による鋳型が,品質が改善され,普通鋼扁平鋼塊用に多用された。

当時から連鋳法導入後間もない1970年代初期までは,溶鋼は造塊,均熱,分塊圧延を経て下工程に鋼片として供給されたが,脱酸度の弱い順に大別して,リムド鋼,セミキルド鋼,リムド鋼の3種があった(Fig.13)47)

Fig. 13.

 Typical Solidification Structure of Rimed, Semi-Killed and Killed Ingot.47)

8・2 リムド鋼,キャップド鋼,コアキルド鋼の造塊

リムド鋼塊はC<0.3%でMnによる弱脱酸溶鋼を,棒,型鋼用には角鋳型,板用には主に大型扁平鋳型に上注ぎで鋳込む。注入時に表層が若干の小径スキンホールを含んで薄く形成され,次いで鋳型壁にほぼ垂直に,四周と底面から柱状樹枝状晶凝固層が成長する。この層の成長前面の,CとOが濃縮する固液界面では,COガスが発生し,ガスの一部は成長する柱状晶に捕捉され,鋼塊下半部内部に概ね水平に伸びる管状気泡群を形成する。管状気泡の生成開始位置は溶鋼組成,冷却速度,注入速度,若干のAl添加で調整するが,鋼塊外壁面から約40–50mmである。残りのガスは上方に離脱,合体しつつ鋼塊凝固前面に沿って溶鋼流を伴って浮上し,鋼塊頭部浴表面で破泡する。鋼塊上半部では溶鋼静圧が小さいため,柱状樹枝状晶前面に生じたCO気泡は成長が早く,管状気泡を形成する以前に固液界面を離れ,上記と同様に凝固前面に沿って溶鋼流と共に上昇し,頭部に至り破泡する。破泡時に飛散した溶鋼粒は,空気酸化を受け盛んに火花を生じる。大型鋼塊鋳型が多数並び頭部から火花を上げるのは壮観であった。上昇した溶鋼は頭部表面で空気酸化を受けつつ鋼塊中心部を下降する強い流れとなる。取鍋からの注入流が巻込む空気や頭部表面の溶鋼が触れる空気による酸化物,溶損耐火物,取鍋スラグが巻き込まれた外来性介在物や,凝固中に生じた二次脱酸生成物は,この循環溶鋼流により頭部にスカムとして浮上する。この沸騰現象をリミングアクションと言う。鋼塊表面から管状気泡終端までは,母溶鋼よりやや負偏析した清浄な健全層でリム(縁)層,鋼塊はリム層に囲まれているため,リムド(縁付き)鋼塊(Fig.13左)と呼ばれる。

表皮気孔は,分塊圧延前の均熱炉での加熱により酸化除去されるので,管状気泡始端までの距離が確保されれば気泡内は酸化されず,圧延後の製品には延性に富んだ清浄で良好な表面が得られる。凝固がさらに進むと,鋼塊底部には残留大型介在物を捕捉した,負偏析を示す沈殿晶と,その上部に加速凝固で固化した,溶質が富化して周辺に不規則なガス泡が分散した内殻ができる。鋼塊頭頂部はリミングの終息と輻射放熱のため,全体が完全凝固する前に凝固する。内殻上方から鋼塊軸心頭部の間には硫化物の析出が多くなる。しかし内殻は加速凝固するため,鋼塊上部にキルド鋼のような大きな収縮孔や濃厚偏析は生じないので圧延歩留まりは高い。鋼塊揺動による内殻の偏析異常を防ぐため,凝固相の体積が約80%に至る迄は鋼塊を静置するよう,トラックタイムを管理する。

リムド鋼塊の製造は英国BISRAによる1926年以来の先駆的で詳細な総合研究48)があり,1939年にはスウェーデンJernkontoretによる優れた報告も出て,我が国の研究に大いに寄与した。我が国でも1934年以来,多くの研究が行われ,表面気泡分布,管状気泡,内殻気泡の位置,寸法,介在物,C,P,S偏析の分布,成因,とこれらを最適化する方法について詳しい報告3,47)がある。

高能率造塊が要求されてからは,リミングを中途で停止させるとともに空気酸化を抑制するため,頭部開表面に鋳鉄製の蓋を置き,頭部の早期凝固を図ったキャップド鋼塊が生産された。

リムド鋼,キャップド鋼は優れた表面と高い圧延歩留まりの故に,各種冷間圧延鋼板,表面処理鋼板用に大量生産された。また,リムド鋼塊注入後のリミングアクションを利用し20mm前後の健全で清浄なリム層を形成させた後に残溶鋼にAlを添加して脱酸し,リミングを鎮静化させたコアキルド鋼は,キャップド鋼同様,Alキルド鋼より安価で,良好な表面特性に加え内質の良さから自動車用プレス成形鋼板として大量に使われた。

8・3 セミキルド鋼の造塊

セミキルド鋼は米国で開発された。リムド鋼よりはS偏析が少なく,キルド鋼よりも頭部収縮孔起因の分塊圧延歩留り低下が少ない厚板用扁平鋼塊として,我が国でも1955年頃から脚光を浴びた。Si弱脱酸鋼であり,鋼塊上部にリムド鋼様の管状気泡が生じるように,鋳込み時にAl粒を微量添加して脱酸調整する。この調整は鋼塊頭部のふくらみで判定する。ふくらみは鋼塊上部の気泡分布,管状気泡の形状寸法を最適にするように決めるが,鋼塊寸法,扁平比,鋳込み温度,時間が影響する。S偏析は鋳込み終了から均熱炉装入までが短時間だと増大するので,リムド鋼塊同様完全凝固時間の80%程度のトラックタイムを確保する。セミキルド鋼塊を用いて,船舶外板の破断の原因であった,厚板溶接時のSの濃厚偏析起因の二枚割れが減少した。

8・4 キルド鋼の造塊 47)

キルド鋼塊は酸性平炉のSi脱酸鋼の時代から既に鋳造されており,特殊鋼電炉でも古くから生産されていた。Si,Si–MnまたはAl強脱酸鋼が主体で,特殊用途には真空C脱酸鋼もある。鋳込みや凝固中にはガス発生は少なく,鎮静鋼とも呼ばれる。凝固収縮を鋼塊頭部からの溶鋼で補填するため,鋳型頭部に耐火物断熱板/発熱ライニング板で内張りした押湯を備える。眼鏡鋳型のような小型の棒,線,型鋼用鋳型については,垂直に立てた鋳鉄製注入管に収めた耐火物管下端に,鋳鉄定盤に嵌込んだ複数の湯道煉瓦を水平に接続し,各湯道煉瓦の他端の上向き開口部の上に鋳型を据え,取鍋溶鋼を注湯管経由下注ぎする。中–大型鋳型は同様の下注ぎか上注ぎ,大型鋳型は上注ぎである。定盤を鋳床または台車上に置く。中–大型鋳型以上は鋳型広口部を上方に据える(Big End Up)。定盤の注入流による溶損を防ぐため黒鉛チル板を湯当たり部に,鋳型内壁への飛沫の付着による鋼塊表面不良を防ぐためには,糖蜜などを内壁に塗布したり薄鋼板円筒を底部に置くことがあった。

鋳塊は外周から軸心に向かって,先ず薄いチル晶,次いで四周と底面から柱状樹枝状晶が成長し,その間,底部には等軸晶が頭部湯面と鋳壁面から生成,沈降,堆積し負偏析域を形成する。この時,浮上中の介在物は沈降する等軸晶に付随して沈降しこの部分に集積する。より上方では,鋳壁から成長する柱状樹枝状晶前面の固相率0.3前後の凝固遷移層の,溶質が濃縮して比重が減少した溶質富化溶鋼が,流動抵抗の低い粗い樹枝状晶間を,樹枝を溶解しつつ周囲の溶質富化溶鋼を伴い上方に浮上してゆく。この軌跡は,浮上中に進行する横凝固との兼ね合いで逆V型(あるいはA型)の正偏析線を形成するため,逆V(A)偏析と呼ばれる。更に軸心寄りの沈殿晶域より上部では,粗大樹枝状晶や粗大樹枝状等軸晶が溶質濃化溶鋼と共存する。これら樹枝状晶の比率は凝固の進行と共に増加し,樹枝状晶間の溶質濃化も進む。溶質濃化溶鋼は若干は浮上するが,この時期には樹枝状晶もネットワークやクラスターを形成しているため,浮上は制限される。樹枝状晶のネットワークは,鋼塊下部からの凝固の進行に伴う体積収縮と,上部の溶鋼の静圧により,不連続な沈下を起こす。沈下で出来た空隙は,上部や周辺から溶質濃化溶鋼が供給され満たされればV字状濃厚偏析(V偏析)となり,ネットワークのブリッジングにより供給が不足すれば空孔,ザク,となる。

扁平鋼塊で横凝固の先端が軸芯に近い時には,樹枝状晶クラスターが絡まりブリッジを形成し,上部からの給湯を妨げ,下部に大きな空孔,ザク,が出来やすい。凝固がさらに軸心上部に進む頃には,押湯表面は凝固しており,溶鋼の押湯から下方への供給は不十分となるので,鋼塊頭部近くには大きな管状ないし漏斗状の空孔を生じる。これらは押湯頭部凝固殻の気孔を介し外気と連絡·酸化していることもあり,圧延時に圧着せず,圧延後に切捨てが必要で,歩留りが低下する。この収縮孔の表面,周辺の溶質のS,P,Cの偏析率は高く,MnS,FeSが晶出することもある。

従って,収縮孔の下端が鋼塊本体に入らないよう押湯の下限に留めるため,鋼塊の扁平比,高さ/厚さ比,テーパ,押湯比,押湯断熱板や押湯表面被覆剤の発熱,断熱特性(着火燃焼時間,発熱速度,発熱量,嵩比重)などを最適化する。発熱用にはCaSi粉末と酸化剤による高発熱かつ持続性のテルミット反応が良く使われた。砂疵や超音波探傷欠陥の原因となる,鋳型内に持ち込まれた大型介在物を低減するには,凝固初期の浮上を促進するために鋼塊上部からの等軸晶の過度の沈降を防ぐ必要があり,そのためには低温注入を避けることと,早期着火高発熱押湯湯面被覆剤と断熱/発熱押湯枠を併用することが効果的である。注入時の溶鋼の空気酸化の防止も重要だが,不活性ガス雰囲気下や真空下での注入は手間が掛かるため,特殊な場合以外余り実用にはならなかった。逆V,V偏析の低減には種々の提案があったが,現実的な対策として,母溶鋼のP,SとSiの濃度を下げること,低温注入を避けること,鋳型厚みを適正にすること,振動による軸心への肥大等軸晶クラスタの異常沈降が起こらぬようトラックタイムを十分長くし,ブリッジ形成を防ぐこと,が実施された。逆V偏析低減にP,Sの低減が有効なのは自明だが,Siを0.1%程度に低める効果も著しい。これは,凝固が進むにつれ溶質濃化溶鋼が比重差により浮上を始める際,Siの偏析は濃化溶鋼の比重を著しく下げるため浮上を促進し偏析線の形成を助長するが,Siの初濃度を低値にしておけば偏析しても比重は余り下がらず,偏析線も出来難い,というYamadaら49)の知見による。

上述のように,リムド,セミキルド,キルド鋼塊については生産性,品質向上のため,理論と実証両面で多数の優れた研究開発が行われた。しかし,1970年以降の連鋳技術の工業化に伴い,造塊生産は限られ,研究開発も概ね終息した。

ただし,特殊造塊と,超大型鍛造用鋼塊については次のような継続的な改善が進んだ。

8・5 超大型鍛造用鋼,極厚板用鋼,ESR鋼の造塊

500t級の鍛造用超大型鋼塊には,日鋼から1989年に報告されたように,水素割れと溶鋼酸化を防ぐために真空下で流滴脱ガス注入を行い,凝固に伴う鋼塊内部への溶質の濃縮を希釈するために溶質,特にCの濃度を順次下げた複数のヒートの溶鋼を注入するEAF溶鋼の合わせ湯方式が実用化された50)

溶質の平衡分配係数,凝固層の成長モデルから,前ヒート注入後の経過時間に伴う残溶鋼の溶質の濃縮度を求め,それを目標濃度に希釈するための次ヒートに必要な温度,成分を算出し出鋼,注入する方法である。溶解炉容量の制約が生んだ,当時の大型鋼塊製造技術の頂点といえよう。

特殊用途には,極厚鋼板用に逆V,V偏析を防ぐため水平に厚鋼片を鋳込み,下面から上面に一方向凝固させ,上面の偏析部を手入れ除去して仕上げ圧延する,住金鹿島の水平鋼塊鋳造法や,NKKの大型中空鍛鋼品用140t級の中空鋼塊の鋳造も実用化された。

2009–2011年には日鋼が650tと670t鋼塊,日本鋳鍛鋼が650t鋼塊の製造技術を確立し,発電向けの超大型低圧タービンローターの試作に成功した51)。日鋼の場合,ローターの最大径は3200mmである。特殊造塊には詳しく触れる紙数が無いが,ESR法も着実に発展した。日鋼は,2011年に100t設備を更新し,2200mm径の固定鋳型単電極の世界最大級150t ESR装置を導入し,溶解,凝固の制御精度を改善し,単電極の複数回交換による鋼塊の大型化を可能とし,また低周波電源を採用して電力原単位を低減した52)

9. 連鋳の高品質,高生産性への発展

9・1 連鋳機導入初期の技術状況 3,13,14,53,54)

鋼の振動鋳型を使用した連鋳(CC)はJunghansの基本特許を基に,独でJunghans,米でRossiが1949年に行った連鋳機(CCM)の開発実用化で始まった。

我が国の本格的なCCの導入は1955年,住金がRCC(Rossi Continuous Casting)法の実施権と代理権契約を得て,ばね材,鉄道車輪の止輪材用に製鋼所で垂直型1ストランドビレットCCMを稼働したのが始まりである。スラブ/ブルームについては,同じくRCC法による垂直型1ストランドCCMが,八幡光で1960年末ステンレス鋼用に稼働した。RCCは鋼については技術的に未成熟だったため,設備,操業上の問題が多発したが,両機とも1964年には実用化に成功し,技術的知見が蓄積され,鋳造歩留まりは造塊法に比べ数%以上高いことが確認された。しかし,生産性が電気炉に劣るため,時間稼働率が10%以下で,注入速度も15t/hと低く,更に設備投資が(造塊+分塊圧延)の1.5倍位では経済的に成り立たなかった。また,事故休止率も不安定で,製品品質確性も不十分であった。従って,1960年代始め迄にはスラブCCMは大型高炉と転炉から成る臨海一貫製鉄所生産ラインには組込まれなかった。

この間,電炉ミニミル各社は固有の環境に対しCCの可能性を評価し,1964年北日本特殊鋼がMannesmann Demagの垂直型ビレット/スラブCCMの我が国1号機,1965年には日本冶金がConcast垂直型スラブCCMと,国光製鋼がConcast円弧型(S型)ビレットCCMの,共にわが国1号機,東北砂跌がOlsson垂直逐次曲げ型ビレットCCMの我が国1号機,次いで1967年大阪製鋼と大和製鋼がConcast円弧型ビレットCCM2号機とスラブCCM3号機,日本金属がOlsson垂直型スラブCCM2号機,を続々と稼働させた。

この時期以降転炉各社でも,神鋼神戸が我が国で始めてのソ連式垂直型多ストランドビレットCCMとブルーム/スラブCCMを1964年に,1967年にはNKK鶴見がDST式円弧型スラブCCM1号機,八幡がOlsson式垂直曲げ型6ストランドビレットCCM,日新呉がソ連式スラブCCM,富士鉄室蘭が日立造船の垂直型ビレット/ブルームCCM,住金小倉がConcast円弧型6ストランドビレットCCM,を稼働させた。

これらの多様なCCMの建設,操業経験と,独,ソを主とする海外での大型CCMの建設,操業情報は,大手一貫製鉄所に転炉と組合わせたCCMの信頼性と経済性を認知させ,普通炭素鋼の大量生産ラインへの採用が進んだ。

しかし,当時の粗鋼年産6000万tに対し,CC鋳造比率はビレット10基,ブルーム2基,スラブ5基の生産を合計しても,僅か5%未満であった。

技術的には(1)鋳型用温間鍛造Cu-Ag合金,(2)タンディッシュ用ジルコンノズル,(3)測温計,スプレーノズル,などの国産化と,(4)輸入モールドパウダーと石英製浸漬ノズル,を用いたCCが行われた。また,多連鋳操業も開発され,当時の多連鋳による〔鋳造時間率(%)/鋳造歩留り(%)〕は単連(50/95.8),3連(76/98.0),5連(83/98.4),10連(92/98.8)と,逐次著しく向上した。

転炉と見合う生産性を持たせ,設備投資を低減するために,熱延板と厚板の幅のスラブが多連鋳可能で,既設建屋に収まる円弧型CCMが,先ず1967年にNKK鶴見の厚板用に稼働した。採用理由は,独Dillingerの大型平炉と連結したConcastの円弧S型厚板用CCMの世界初の成功実績であった。100t LD転炉と厚板用Mannesmann円弧型CCMを組合わせ,(1)取鍋Arバブリング,(2)脱酸用Alワイヤの取鍋添加,(3)溶鋼の空気酸化防止と溶鋼表面浮遊スラグの巻き込み防止のため,取鍋からタンディッシュへのArシールロングノズルによる給湯,(4)同じくタンディッシュから鋳型への浸漬ノズルによる注入,(5)パウダーキャステイング,を行い,2年後に4万t/月の生産性と,6900ヒートをブレークアウト無し,という成績を達成した。(1)–(5)は現在でもCCの基本をなす構成要素である。鋳片品質はリムド,セミキルド鋼を上回るのみならず,品質要求が厳格なラインパイプ用鋼のAPI5LX52–X62をも全鋳造量の30%生産できた。ブルーム用にも180t LD転炉と組み合わせ,Concast円弧型8ストランドCCMが1968年川鉄水島に稼働し,炭素鋼大型量産多連鋳CCMとして43000t/月を生産した。

9・2 一貫製鐵所円弧型スラブCCMの高能率化 13,14,15,54,55)

以上の成果は,円弧型CCMの生産性,品質に対する大型量産設備としての信頼性の確認に寄与し,各社一貫製鉄所は1970年から一斉にLD転炉と円弧型CCMを建設し量産プロセスとして稼働させた。1972年には富士鉄大分が300t LD転炉3基に日立造船-Demagの円弧型CCM3基を組み合わせ,我が国初めての画期的な全連鋳工場を立上げた。稼働率向上のため,(1)大型タンディッシュ,(2)ダミーバーの上方装入,(3)取鍋交換スイングタワー,(4)熱電対による湯面計測,(5)鋳型,鋳型振動機構,鋳片支持ロールを一体化したスタンドの迅速交換方式,(6)2.0m/minの高速鋳込みのための長尺鋳型,(7)タンディッシュスライドノズル,(8)生産性向上のため,鋳型寸法を一定とし熱延ミルの粗圧延機による125mmまでの鋳片幅変更,を取り入れ,(9)自動操業化した。

当時,粗鋼の50%以上は圧延後の表面性状,加工性,歩留まり,の良いリムド鋼塊が占めたため,リムド代替連鋳鋼としてUS Steelが開発したオープンキャストリバンド鋼の技術を導入した。鋳片高速鋳込み時に一点矯正で生じる内部割れを防ぐため,US Steelの開発による矯正点近傍でロールを介した鋳片の圧縮鋳造を採用した。4月に操業を開始し,翌1973年8月に3機のCCM合計で32万t超/月,1号CCMは16.1万t/月という世界記録を樹立した。同年には全国CC鋳片生産量は1667万t,対粗鋼CC生産比率は20%と,いずれも世界一になった。

1970年代前半を通じ各社は計19基の円弧型スラブCCMの生産性を上げ,高速安定鋳造時の鋳片欠陥防止に注力した。そのために開発実用化された技術を列挙すると,(1)前出のダミーバー上方装入,(2)取鍋/タンディッシュ/鋳型間の,ロングノズル/浸漬ノズルの材料開発耐用性向上(非溶融石英系,アルミナグラファイト),(3)タンディッシュスライドゲート導入,タンディッシュ/スライドゲート/浸漬ノズル間のArシール,(4)Arシールボックスまたはロングノズル使用による,取鍋からタンディッシュへの溶鋼注入流の空気酸化の防止,(5)タンディッシュ鋼浴表面のArシールまたはタンディッシュフラックスの使用,(6)タンディッシュの大型化と堰などの設置による溶鋼流動,流線制御,(7)タンディッシュの迅速交換システム,(8)浸漬ノズル+パウダーキャスティングの工程化,(9)浸漬ノズル外面溶損と内面へのアルミナ介在物堆積によるノズル詰まり対策として,1978年住金鹿島による要員1名,所要1minの浸漬ノズル迅速交換技術,(10)パウダー特性改善による鋳片の緩冷却および潤滑機能改善,(11)従来のラジオアイソトープや熱電対センサーを凌駕する,NKKの開発による電磁誘導コイル型鋳型内溶鋼表面位置センサー,(12)鋳型内部の水冷構造の合理化,(13)鋳片と鋳型の焼付きによる凝固殻の割れが鋳型直下まで進展して内部の溶鋼が鋳片の外に漏れ出す焼付き/拘束性(Sticker Type)ブレークアウトの予知防止データ解析システム〔鋳型/鋳片間摩擦力測定(Mold Tektor)と鋳型銅板面熱電対測温情報の異常値を検出し鋳造速度を調節〕,(14)鋳型のハイサイクルショートストロークオシレーションにより,オシレーションマーク深さおよび,マーク溝の伝熱不良と偏析,を低減する事による表面横割れの防止,(15)鋳型下部鋳片の保持,水冷方法(クーリンググリッド/プレートなど)の改良,(16)鋳型の材質,内面めっき,テーパ,長さ(長尺スリット型から最終的に900mm前後の長さに収斂),などの1次冷却適正化と耐耗性確保,(17)前出のカセットスタンドのマニュピュレータによる迅速交換システム,(18)表面欠陥と内部割れ防止のための二次冷却スプレーノズル詰まり防止広角ノズルチップ採用,(19)鋼種,鋳片幅に対応したスプレーパターンの適正化,(20)ロールギャップ,アラインメントの精密管理,(21)鋳片支持ロールの分割小径化によるバルジング防止,更にこれらの要素設備技術と操業技術の成熟とともに,(22)1973年の住金和歌山の例のようなタンディッシュスライドゲート,鋳型内湯面センサー,ピンチロール/ダミーバーを総合的に制御した自動鋳造操業が進んだ。

品質面では,鋳造速度の上昇と介在物浮上促進という要請に対応して,S型CCMで普通採用されている円弧半径(鋳片厚さの30–50倍)を上限に選び,メタラジカルレングス(湯面から完全凝固までの溶鋼長=鋳片凝固時間×鋳造速度)を,1/4円弧終端からの水平部を延長することにより確保し,建屋を低く保つ設計も一般化した。

CCは本来,製品形状に近い半製品を鋳造するニアネットシェイプ化プロセスだが,H型鋼用に1973年川鉄水島でH断面ビームブランクCCM,シームレスパイプ用に1974年NKK京浜で丸断面ブルーム遠心鋳造CCMが稼働した。ブルームとスラブCCMの最大鋳造寸法は1975年迄にそれぞれ300mm厚400mm幅,(250–300)mm厚×(2000–2400)mm幅に達した。

これら多岐に亘る諸対策によりわが国のスラブCC比率は32.8%となった。

1970年代後半にも生産性向上は続き,ダミーバー装入1回あたり鋳造出来た多連鋳のヒート数は,1974年のNKK鶴見の270ヒートに続き,新日鉄八幡や川鉄水島で200ヒートを超えた記録がある。多連鋳を中断なしに継続するには,取鍋とタンディッシュの同時交換技術のみならず,米で開発された,前後ヒートで成分の異なる溶鋼の混合を防ぎ,かつ両ヒートを結合する種々の仕切り金具を使った異鋼種CCや,1975年川鉄水島が開発した,CCを停止せずに行える短辺駆動平行移動鋳型幅変更(縮幅,拡幅)技術が使われた。幅変更の高速化は,1983年新日鉄堺の短辺駆動テーパ可変移動鋳型幅変更技術により,1.8m/minで鋳造時に片側100mm/min迄早められた。

この時期には,リバンド鋼の脱酸調整に端を発し,新日鉄大分の一般Alキルド材溶鋼のRH による軽処理が,能率的,安価,且,安定して品質を向上させることが確認され,粗鋼造塊の過半を占めていたリムド鋼を置換するに至った。1976年には,NKK京浜で中心偏析,ポロシティ軽減のため凝固殻内プール終端のロールによる軽圧下が始めて試みられた。また,折からの省エネルギー要求を背景に,NKK鶴見が鋳片無手入れ温片加熱圧延HCR(Hot Charge Rolling,冷片装入に比し約360MJ/t節約)とDHCR(Direct HCR)に先鞭を付け,次いで1981年には新日鉄堺によりHDR(Hot Direct Rolling)が実用化された。

このように円弧型CCMは優れた特性を有しCCの普及に貢献したが,鋳片円弧上面側1/4厚さ位置に,鋳片クレーター内に持ち込まれ浮上する介在物が捕捉され集積し,品質基準が厳しい鋼種では欠陥となるのを防げなかった。

9・3 垂直未凝固曲げ型スラブCCMの発展 19,54,55)

鋳造速度が増すにつれ介在物の1/4厚集積は強まった。川鉄千葉は1974年,CCMを建屋が高くなる垂直曲げ型VSB(Vertical Solid Core Bending)にしなくても,鋳型を含め2.5m前後の垂直部を設け,未凝固鋳片を多点逐次曲げ,多点矯正する設計にすれば上記集積も減り,鋳造速度も維持できる垂直未凝固曲げ型VLB(Vertical Liquid Core Bending)CCMをVöest-IHIから導入した。ロールセグメントの剛性不足,ベアリングのローラー破損などの初期問題を解決して工業化したところ,介在物集積は顕著に減少し,耐HICラインパイプ用厚板などの生産に貢献した。VLB型CCMは1976年にNKK京浜で住重-Concast製,1980年に新日鉄君津で日立造船-Demag製,同年NKK福山で円弧型からの日立造船-Demagによる改造機が稼働し,のち我が国の多数の新設CCMに採用された(Fig.14)84)。欧米ではDillingerが近年に至り採用したのを始めとし,世界的に採用基数が増えてきた。介在物に一段と厳しい厚板用CCMには,垂直部がより長い,VSB型CCMが,1976年川鉄水島,NKK京浜で稼働した。

Fig. 14.

 Advanced Vertical Liquid Core Bending Continuous Caster at NKK.84)

1984年には粗鋼のCC比率は89.1%に達した。操業の習熟に加え,鋳型にマルチテーパー短辺,二次冷却にミストスプレーを採用し,鋳片脆性を回避する二次冷却パターンの理解も深まり,表面欠陥を更に減らし,HCRを実施する製鉄所の数は着実に増えた。一方,HDRやDHCRはロットの纏まりと品質上の問題により,主として熱延薄板用スラブが対象であり,余り一般化してはいない。

CCMの生産性は更に向上し20~25万t/月のものが現れた。鋳片品質を保証するために欠かせないロールギャップ,アラインメント,ロール不転,スプレーノズル詰まりなどを鋳込み前に検出,修正するため,ダミーバーと共にロール間を走らせこれらのデータを無線送信するインラインの複合チェッカーが開発され,表面割れ,バルジングによる内部割れの防止に効果を発揮した。この時期迄のCCMの機構やシステムの設計の著しい進歩については,Harabuchi and Pehlkeの優れた集録がある53)

9・4 高品質鋼の高能率高速スラブCC 33,54,55,56,57)

1980年代後半にかけては,超多連鋳の時間稼働率の高さよりも,超多連鋳に必要な多数回のタンディッシュ交換作業に随伴するCC非定常部(ヒートの始端と終端)における鋳片品質低下の弊害が指摘され,生産性は非定常部鋳片の品質低下により制約される様になった。この時期には製品品質要求も高まり,表皮下や内質介在物,中心偏析やポロシティの許容基準も厳しくなった。これら欠陥を積極的に低減するため,取鍋からタンディッシュとタンディッシュから鋳型への溶鋼の無汚染移送,温度低下防止,タンディッシュ構造,鋳型内溶鋼の流動制御,鋳片の圧下,を適正化した高度な対策が開発,実用化された。

取鍋からタンディッシュへの溶鋼移送については,従来のように,(1)取鍋下とタンディッシュをArシールした円筒で連接し,タンディッシュ内溶鋼表面もタンディッシュ本体とその蓋を気密に保ち,Arを吹込み溶鋼の空気酸化を防ぐArシールボックス方式と,(2)取鍋からArシールした耐火物製ロングノズルを介してタンディッシュに溶鋼を注入し,タンディッシュ内溶鋼表面は非酸化性ライムアルミネートスラグなどで覆い,空気酸化を防ぐ方式が主流である。

これに加え,(3)気密度をより高く,(4)含FetO取鍋スラグの流入を極小とし,(5)湯溜め注入開始を徹底し,(6)より大型のタンディッシュを採用し,(7)タンディッシュ内溶鋼高さを常時約1.2m以上確保してタンディッシュ内溶鋼表面のスラグが渦流により鋳型に吸込まれるのを防ぎ,(8)溶鋼流のタンディッシュノズルへのショートカットとタンディッシュスラグの鋳型への流入を防ぐようになった。神鋼の85tタンディッシュ58)はこの典型例である。(9)特に高清浄度を要求される場合に川鉄千葉が1996年に開発した遠心分離CF(Centrifugal)タンディッシュ(Fig.15)59)は,移動回転磁界コイルを設けた円筒前室に先ず溶鋼を受け,遠心回転を与え介在物を溶鋼回転凹面中心に分離し,清浄化された溶鋼を底部連通口から方形後室に移し,後室他端からタンディッシュノズルを通して鋳型に移すもので,介在物分離率が高く,清浄鋼の連鋳に実用されている。また,(10)2000年初頭新日鉄名古屋で開発された,DCプラズマヒーターを備えたH型タンディッシュ(Fig.16)60)は,2つの方形槽を長辺に沿った耐火物壁で連接し,両槽を耐火物壁中央底部に設けた連通口で繋いである(繋ぎ口がHの横棒に相当)。連通口にAr吹込みプラグを設置し,通過溶鋼中にAr細泡を吹込み介在物の凝集浮上を図っている。前ヒート取鍋,後ヒート取鍋を第一槽の両端に据え同時に注入できるため取鍋交換時にタンディッシュ溶鋼面の低下や温度降下が起こらず,多連鋳時非定常部鋳片のマクロ介在物や表面疵の発生を防ぎ得る。また,取鍋湯落ち部から開口部を経由し第2槽両端の2つのタンディッシュ出湯ノズルまでの距離が長く,介在物浮上が容易となり,清浄鋼CCに実用されている。

Fig. 15.

 Centrifugal Flow (CF)-Tundish for Clean Steel Casting at Kawasaki Steel.59)

Fig. 16.

 H-Shape Tundish for Clean Steel Casting at Nippon Steel.60)

Ar吹込みタンディッシュノズルから浸漬ノズルを通し鋳型に溶鋼を注入するには,(11)浸漬ノズルの鋳型内溶鋼への浸漬深さ,溶鋼吐出孔の数と吐出角度を,溶鋼流の鋳型下方への浸入深さを最小とすると同時に,鋳型上方へのダブルロール反転流による溶鋼表面/モールドスラグ界面の撹乱が起きぬよう,種々工夫され,また,(12)アルミナ介在物による浸漬ノズル詰まりを防ぐため,介在物の低減や融体化,浸漬ノズルの材質,構造について多様な対策が採られた。

さらに,(13)1980年に新日鉄広畑の鋳型内溶鋼電磁撹拌(M-EMS,In-Mold Electro-Magnetic Stirrer),1981年に川鉄水島の鋳型内溶鋼流電磁ブレーキ(EMBR,ABBのElectromagnetic Brake,のちFC-Mold,Flow Control Mold)85),新日鉄のLMFが実用化された(Fig.17)61,62)。M-EMSは鋳型内上部溶鋼をリニアモーター型平行移動磁界で水平方向に加速循環させ,鋼凝固層前面を洗い,介在物,ガス泡の凝固層への捕捉を防ぎ,また,初期凝固殻を均一成長させ鋳片の縦割れ,ブレークアウトを防ぎ,鋳片表層性状と歩留りを改善した。EMBR,FC-Mold,LMFは浸漬ノズルからの吐出流を局所的に減速(EMBR)するか,鋳型上半,下半の2段全幅で減速(FC-Mold)し,鋳片プール内への溶鋼の流入深さを減らし介在物浮上を容易にした。同時に,鋳型内溶鋼表面の搖動とフラックス/溶鋼界面の撹乱を抑えフラックスの巻込みを防ぐとともに溶鋼/鋳型界面を加温し,凝固殻上端のフック生成を制限してフックへの介在物捕捉を防いだ。また,NKK福山のように,同一電磁誘導溶鋼流動制御鋳型の移動磁界を切替え,浸漬ノズル吐出口近傍の溶鋼吐出流の水平方向の流れを加速,あるいは減速できるEMLA(Electromagnetic Level Accerelator)とEMLS(Electromagnetic Level Stabilizer)も実用化された。どの型式も設備,操業を所期の目標に到達させるには長期の努力を要したが,最適条件決定後は鋳片の清浄度と表面品質の向上に必須の装置となった。

Fig. 17.

 Electromagnetic Melt Stirrer and Melt Flow Brake in Continuous casting Mold.

また,(14)鋳型銅板は,高速鋳造と鋳型電磁撹拌による温度上昇に耐える強度を有するCrZr析出硬化型銅合金に,NiCr自溶性合金の溶射被覆やFe-Niを厚めっきした耐熱耐磨耗型複合材料が使われた。これが鋳型長辺の変形を防ぎ,長寿命を保証し,更に,被覆が剥離し銅が露出した時に鋳型から鋳片に銅が侵入して生じるスタークラックを無くした。

CCMに対してはHCR比率を上げ,圧延機と直結するため生産性の一段の向上15,19,33,54,55)が要請された。1980年に新日鉄八幡3製鋼1号CCMは最大2.0m/minで26.8万t/月の鋳造に成功した。1985年NKK福山5号CCMは,(15)高速鋳造用高粘度モールドパウダー,非サイン波形高サイクル鋳型振動,鋳型温度管理,高精度鋳型内溶鋼面制御,ミストスプレー二次冷却制御,により平均2.1m/min,最高2.5m/min,1990年には更に鋳型内溶鋼流動最適制御を加え,最高が2.7m/minという高速で,30.2万t/月の鋳造を達成した。1989年に住金鹿島3号CCMは,(16)鋳込み終了時一定速度鋳造,引抜き中鋳込み開始という効果的な鋳造準備時間短縮技術を開発し,最大2.0m/minで30.9万t/月,1993年に新日鉄名古屋2号CCMも最大2.2m/minで30.1万t/月を生産した。一方,(17)一定大断面鋳造を指向した新日鉄大分4号CCMは1985年に1.48m/minで36.1万t/月を得た。

このように,1980年後半から1990年前半にかけて,CCの設備技術,操業技術は全国的に成熟し,稼働率も概ね80%を超え,生産性は転炉のそれに匹敵し,CC比率は約95%に達した。

以上に併行して,高度化する品質要求に対応し,VLB型CCMの比率が新設と改造を含め逐年増加し,1990年には46%となり,それ以後も増え続けた。また,多連鋳時の非定常部スラブの表面,内質の低下を防ぐため,転炉と生産性が整合するような高速CCMは単ストランド化の傾向にある。設備,操業,保全に要する費用,人員も単ストランドCCMの方が少なく,有利である。1993年のNKK福山6号CCM(3.0m/min,18万t/月)はその例である。このようなCCMに使われるタンディッシュ容量は80t,溶鋼深さは1.2m以上にもなった。大型タンディッシュは既述のように介在物の浮上分離に有力であり,非定常部の定速鋳込みによる品質の安定にも適している。

9・5 CC非定常鋳込み部の溶鋼温度制御 33,54,55,57)

非定常部においては,二次精錬が普及してからでも,溶鋼温度が品質保証適正値より低下する傾向があった。低温に過ぎると介在物浮上に不利であり,凝固殻上端のフックが過大になり表面欠陥を生じ,極端な時には鋳型内湯面のデッケル生成,沈降によりモールドスラグ系のマクロ介在物を生じる。一方,非定常部の溶鋼温度を適正値迄高めると,定常鋳込み部の温度が高くなりすぎ,鋳片内溶鋼プール終端近傍の等軸晶比率が下がり,中心偏析を助長する。非定常部の温度低下を防ぐため,大型タンディッシュについては,新日鉄広畑が1987年に世界で初めてDCプラズマ加熱を,次いで1990年に神鋼がACプラズマ加熱を開発実用化した。小型タンディッシュ用には1986年川鉄千葉,1987年新日鉄室蘭が,溝型誘導加熱を実用化した。タンディッシュ内溶鋼加熱は多くのCCMで採用され,鋳造温度の平準化と鋳片品質向上に寄与した。

一方,多連鋳時にタンディッシュ交換をするよりも,タンディッシュ内の前ヒートの残スラグをオフライン熱間で敏速に排出しタンディッシュノズルや浸漬ノズルを交換し,タンディッシュを高温のまま後続ヒートの鋳込みに繰返し使えば,溶鋼の温度降下が小さく非定常部の品質低下も抑制され,耐火物原単位も著減できる。神鋼加古川では1989年に世界で初めて80tタンディッシュの熱間繰返し使用法を実用化し,改良を加え25分という短時間のサイクルで500ヒートの連続使用を可能とした63)。この方式は1990年代に建設された他社の多くの1~2ストランドCCMタンディッシュに採用された。短時間の予熱や無酸化予熱でタンディッシュ交換後の第一ヒートの湯溜め鋳造開始が可能となり,鋳片の清浄化,歩留り向上,耐火物コスト90%削減,省力,予熱エネルギー省略に貢献した。

CC比率はその後も上昇を続け,1992年に普通鋼スラブは厚板用99.5%,薄板用98%となり,1998年にはスラブ,ブルーム,ビレット全体で普通鋼99.5%,特殊鋼91.2%,さらに2010年には普通鋼99.9%,特殊鋼96.4%,合計99.1%となり,CCが円熟期に達した。

9・6 近年の高品質鋼CCにおける進歩

9・6・1 介在物

この間の20年には,絶えず高まる鋳片への品質要求,特に介在物と中心偏析の低減,と同時に,生産性,歩留り,製造原価を安定的に改善する要求を満たす努力が継続された。介在物については,転炉スラグや取鍋スラグがタンディッシュに流入懸濁したマクロ介在物や,スラグ,空気による溶鋼の再酸化で生じたアルミナや残留脱酸微細アルミナが溶鋼移送中に凝集したアルミナクラスタについては,転炉から鋳片に至る全ての経路で成因と,防止,除去法がほぼ確立し,介在物起因欠陥は当面抑え込まれている。特殊鋼スラブ/ビレットのCC介在物については,軸受鋼のMgO・Al2O3スピネル介在物,タイヤコード鋼のアルミナ−TiN複合介在物など,古典的だが繰り返された問題は,取鍋壁面耐火物の前ヒートスラグによる汚染の取鍋サイクル改善による対策も含め概ね解決した。

しかし,介在物の低減目標は,鋳片を加工して得られる最終製品の品質が高度化するにつれ,益々厳しくなるMoving Targetである。TMCP-AcCなど材料特性制御プロセスや,大入熱溶接高張力鋼厚板の溶接熱影響部に要求される種々の合金元素とS,O,Nとの複合反応や生成物の熱力学データベースは,ThermoCalcやFact*Sageなどによる反応平衡の計算や凝固の進行に伴う晶·析出の計算をするには,特に低濃度域で信頼性が未だ不十分である。大入熱溶接用鋼のHAZ靭性確保のためのベイナイト微細化の核としての微細Ca,Mg(O,S)などの利用時にも計算精度,信頼度が不足している。また,複合介在物の気泡共存時を含めた流れ場での凝集,分散を伴う分離挙動や,温度変化,相変化に伴う挙動を解明するには,一応のCFDツールやモデリングは実用段階に至ったが,実態をより明確にするためなお努力が続けられている(例えばMikiら85)はCC鋳型内初期凝固殻への気泡,介在物の捕捉に及ぼす溶鋼流動と磁場印加の影響をFC-Moldについてシミュレーションし実測と概ね一致,またSteinbachら86)が凝固時の結晶生成の多体問題をマルチフエーズフィールド法で扱ってかなりの成果)。今後の進歩に期待したい。

取鍋の流出スラグは,タンディッシュ,鋳型でのマクロ介在物の主たる起源の1つとして古来問題となっている。流出防止には,転炉出鋼口への種々の投入ストッパから始まり,電磁センサ流出検知+ジェットガス吹き込みバタフライ弁ストッパやインタストップCG120に至る迄,永年努力が払われてきたが未だ十分とは言えない64)

浸漬ノズルのアルミナ詰まりも,(1)ノズル壁からのAr吹込みによる空気吸引起因のアルミナ生成防止とアルミナ粒のノズル内壁付着防止,(2)ノズル外表面材質の緻密化による空気透過防止,(3)ノズル内壁面の滑面処理によるアルミナ粒付着低減,(4)Ca添加によるアルミナの低融点CaO-Al2O3への変換,(5)アルミナとの反応で易溶相を形成する酸化物のノズル内壁面へのライニング,(6)ノズル内溶鋼流れ制御によるアルミナ粒子のノズル内壁面への付着低減構造,など種々提案され,試行の末かなりの改善はあった。しかし依然不完全で,多連鋳の長連時には介在物量の低減と浸漬ノズル交換に頼っている。

9・6・2 中心偏析

過熱度を低く抑え電磁誘導撹拌により等軸晶比率を上げ,同時にプールエンドを軽圧下,強圧下する方法が奏功し,溶質濃化溶鋼を等軸晶間とプールエンド前方の残溶鋼に分散させて取り敢えずは落ち着いている。ただし,プールエンドの幅方向分布が,鋳片の圧下適正固相率において,直交する圧下ロールの圧下線に整合するような,二次冷却による精密な凝固の制御を行う必要がある。適正固相率に対応する圧下位置と所要圧下率は,鋼種,鋳片厚,鋳造温度,鋳造速度と二次冷却,およびCCMのロール,ハウジング剛性の関数であり,圧下にはこれらの変数をダイナミックに計算し圧下ロールを駆動する自動制御システムの精度を向上させる必要がある。各社はそれぞれに,例えばSiemens-VAIのDynacs3D/DynaGaP-Soft Reductionなどに勝るようなシステムを稼働中と思われるが,偏析スポットを更に小径にするように,材料側からの要求は続くであろう。圧下をアンビルなどの面圧下としたCCMでは事情は好転するようである。実際にはC0.06–0.10%,Mn1.0–1.1%,P0.004–0.008%鋼の厚板材の面圧下CCMにおいてはMn>1.5%,P>0.04%の濃厚偏析部の面積率は0.03%と小さくは抑えられている。これもまたMoving Targetで,限界スポット偏析の寸法を更に小さく要求されれば,今以上に鋳型–/ストランド–EMSと圧下の協働を再検討する必要がある。

9・6・3 表面疵

種々の表面疵の大部分については,成因,防止対策が明らかとなった54,55,56,57,65,66)。高速鋳造時においても,比較的高塩基度の,巻込まれ難いモールドスラグ67)と,鋳型鋳片間の摩擦を減じオッシレーションマーク深さを浅くする非サイン波形ショートストロークモールド振動,SENとEMSによる鋳型内溶鋼流動制御,ミストスプレー二次冷却パターン制御により,表面疵発生は激減している。一部の鋼種,たとえば亜包晶鋼,大入熱溶接高張力鋼などは鋳型内伝熱不良,二次冷却帯での析出脆化などにより,高速連鋳が妨げられた。前者は結晶相(カスピダイン,メリライトなど)を鋳型/鋳片間のスラグフィルム内に晶出させる緩冷却型の設計のモールドスラグ68)の使用,後者は住金の二次冷却帯での鋳片の曲げ,曲げ戻し時に対応して,急冷復熱による表面組織のγ→α→γ変態,逆変態による微細粒化を利用した強靭化対策,によりかなり解決された。TRIP鋼,TWIP鋼など,BやTi,Alのような活性元素とMnの含有量が高い鋼種の多連鋳時の表面疵についてはモールドスラグの再設計,あるいは供給方法の改良が行われ,解決が進んでいる69)

これまでのCC可能鋼種の拡大により,現在CC化できない鋼種は小ロットの特殊鋼と極厚鋼板に限られてきた。小ロットの特殊鋼はEAF-CC異鋼種CCで対応できよう。極厚鋼板は1998年川鉄が310mm厚×2240×3000のCCスラブを1250°Cで加熱後,先ず幅方向に鍛造後,厚み方向に鍛造し,ポロシティが完全圧着したUST欠陥のない240mm厚の極厚鋼板を工業生産した。住金ではCCMインラインで鋳片完全凝固直後にロール圧下を行うPCCS法により,200mm厚のスラブを生産した87)

9・6・4 生産性

高級鋼を含むスラブCCの生産性は,単ストランドCCMとしてはJFE福山No.4 CCMが2010年に240万t/年と世界最大級を実現している。わが国の代表的なスラブCCMの高速鋳造は,250mm厚スラブで概して最大3m/minに達し,2ストランドCCMの場合,生産性は40万t/月前後のようである(NKK福山No.5 CCMは2003年に稼働時間率99%,純鋳造時間率92%,鋳造速度2.5m/minで40万t/月を鋳造)。一貫製鉄所において長らく転炉−熱延ミルの中間にあって生産のボトルネックであったCCMが,前後工程の生産性と整合するに至った。

ブルームCC,ビレットCCについては記述の余白が取れないが,表面疵,内部割れ,介在物,中心偏析,ポロシティについては成因,対策はスラブの場合と似ている。ただ,鋳片が小断面となると,隅角部の急冷却による四周からの凝固に伴い,断面中心の樹枝状晶のブリッジングと溶質濃縮により軸心の偏析やザクが顕著になりやすい。また,中C–高C鋼はスーパーヒートがやや高いと等軸晶生成率が急減する。品質要求が厳しい鋼種の鋳造時の対策としては,鋳型とストランドを電磁誘導撹拌し,スーパーヒートを安定に低位に調整し,鋳片隅角部を避けたディスクロールまたはアンビルによるプールエンドの圧下と組み合わせている。介在物についても,浸漬ノズル,モールドフラックス,鋳型EMSの諸元に,別設計が工夫されている。これらは成書に詳しい13,54,70)

10. 製鋼システム

10・1 システム構成

上記各節の単位プロセスの発展から,近い将来までの原料事情を勘案すると,IF鋼,HSLA鋼,ラインパイプ鋼,AHSSなど高級鋼材質上の要求に応え,価格競争力も維持できる高能率量産製鋼システムは現状に近く,次のようであろうか71):

「高炉低Si操業溶銑脱Si→KR脱S→複合吹錬転炉型溶銑予備処理脱P→複合吹錬転炉脱C→取鍋精錬炉LF脱S,O,または/およびRH脱ガス精錬炉(脱H,N,C,S,O)→VLB高速鋳造CCM」。

5000m3級高炉の溶銑をうけて,300t複合吹錬転炉予備処理用1基,脱炭用1/2基操業で2ストランドストリップ用スラブCCM1基の400万t/年ラインが成立つ。これは熱延ストリップミル1基とほぼ対応できる生産システムである。厚板1ストランドCCM1基は既に厚板ミル1基と生産能率は整合している。同上高炉2基なら300t転炉予備処理用2基,脱炭用2/3基操業で2ストランドストリップ用スラブCCM2基+厚板1ストランドCCM1基という800万t/年プラントが,CCMの不測の事故を考えると弾力的対応には安心であろう。厚板1ストランドCCMは品種構成によっては条鋼多ストランドブルームCCMとなる。これで以前よりCCM2基が減り総原価が節減される。

複合吹錬転炉は既に前後工程の溶銑予備処理と二次精錬に同期している。普通鋼には上記LF+RHの代わりに,CASのみ,またはRH軽処理のみ,となる。製鉄所の製品構成によりCCMの生産性に制限されずに複合吹錬転炉とCCMの組み合わせを構成する自由度が獲得できたといえよう。設備,操業の全ての部分とシステム全体で改良と最適化が進み,その集積がこの水準を達成している。

単位プロセス間の物流を最短とし,最小のプロセス装備で上記システムをコンパクトに仕上げ投資を抑え,ロボティクスと自動制御で要員数を減らし,総原価を最小にするのが1つの行き方であろう。この製鋼システムの磨かれた成熟度は,能率,品質共に現状では世界市場で十分な競争力があると考えられる。

10・2 単位プロセス技術の興味ある進歩

ここで全てを網羅はできないが,高品質鋼に関わる興味ある開発工業化例を既述のものも含め幾つか列挙する:

(1) N2撹拌280t転炉型溶銑脱P炉へのCaO粉の,上吹き酸素ランスからの吹込みと,二次精錬炉ライムアルミネート廃スラグの前置きリサイクル利用43);溶銑温度における高CaO-FeO溶融スラグの早期生成迅速脱P,および脱P後のスラグの路盤材使用のための養生時間短縮。

(2) RH真空脱ガス槽内溶鋼へCaO粉,酸化鉄粉を上吹きランスから吹込み極低S,極低C鋼を溶製34):吸Nを抑え,S,Cともに数ppm濃度を160tRHで達成。

(3) 複合吹錬転炉利用クロム鉱石粉加熱上吹き溶融還元によるステンレス鋼の溶製29):炭材添加の合理化と,燃焼気流による加熱鉱石粉の噴射添加によるCr鉱石溶融還元の熱バランス改善。

(4) Ar吹込みH型タンディッシュ60):タンディッシュの受鋼部と出鋼部隔壁底部の連通口に1mm径程度のAr細泡を発生させ介在物の凝集浮上を図る。タンディッシュへの注湯から出湯までの距離が長く,全溶鋼が細泡処理されるため,介在物除去に効果的。

(5) DC電流50~100Aをタンディッシュ内溶鋼(+極)とアルミナグラファイト浸漬ノズル(−極)間に流す浸漬ノズル閉塞軽減法72):住金鹿島,小倉のCCMにおける実操業で効果が実証された。溶鋼によるノズルの濡れと両者の界面におけるCO発生による鋼中Al酸化の低減が理由とされている。積年の難問解決となるか。

(6) 高速CC時に溶鋼に巻込まれ難く鋳型内潤滑と均一抜熱緩冷却に有効な,Fを含まないモールドフラックス73):塩基度1.2程度の比較的高粘度で溶鋼との界面張力が高く巻込まれ難い,主としてメリライト相を晶出する組成範囲のモールドスラグによる,シームレス鋼管用225–360mm径の丸ビレットの0.8–2.2m/minでの鋳造。

(7) 鋳片内溶鋼プール終端以前でのダイナミック面圧下によるポロシティと中心偏析の軽減。

(8) 住金の中厚スラブ連鋳QSPの工業化および新日鉄光における双ロールCCMによるステンレス鋼ストリップ鋳造の1997実用化(2003年休止)74):新技術の工業化で大きな成果だが,高品質鋼の高生産性CCM+圧延ミルに既に投資済みで余力があり,かつそれらの絶えざる改良改修が進んでいる我が国の現状では,品質,コスト競争力が国内での実用化の壁か。あるいは,後述のように革新プロセスとなりうるか。

11. おわりに−技術革新による今後の発展

100年前のわが国の鉄鋼業は,全ての資材,設備,技術,操業を海外から導入して始まった。製鋼分野の基幹技術の出自は殆どが欧米にあった。関連する知識,学問も例外ではなかった。しかし本文中で歴史的な発展を辿ったように,基幹技術を改善発展させ,戦火による壊滅の苦難を超え,約60年の内に世界に冠たる工業システムとし,学術的にも立派な貢献を果した産学官の先輩,現役諸氏の熱意,努力と成果には改めて敬服するのみである。有能な人材が志を抱いて協力し競った道程を見た思いが深い。

鉄鋼業は巨大な装置産業でもあり,建設,立上げ,操業開始後には,革命的な進歩は見えないようでも,内実は日進月歩で,その集積が現在の我が国の鉄鋼業を品質,生産性いずれも往時の10倍に及ぶ水準に押上げたことは誇るべきであろう。別途レビユーされるのでエネルギー,環境については特に項を立て触れはしなかったが,わが国の成果はこれらの分野でも群を抜いている。総合的に見て改善改良の集積は革命的であった,と言えるかもしれない。

現有設備,システムは顕著に改善されつつ成熟してきたが,老朽設備は増え,新鋭設備への更新投資が必要になってゆく。鉄鋼業の興隆期には大きな設備投資があるたびに,関連した種々の開発が起こったことは記憶に新しい。鉄鋼業と設備産業の間で,仕様決定から納入,建設,立上げに至る間の,両業種の担当者間の熱心な議論が開発の種となり実にもなった。そのような機会が限られ,設備産業も年を追う毎にヨーロッパの寡占状態になってきた。成熟期に,現有システムの新開発を牽引したのは,外にあっては市場の材料品質向上要求であり,内にあっては生産性向上と原価低減であった。チームワークでこのような新開発を推進するのは我が国が得意とするところで,今に至るも着実な成果を挙げつつある。

一方,発明から工業化までのリードタイムが長い鉄鋼業では,高級鋼の生産によるのみならず,過半を占める普通鋼において,外国との原料費,労務費,税制の差を乗り越え得る,ROEの高い新しい基幹生産技術を生み出し育てて行く時期にある。製鋼分野で目に付くものを挙げてみる。

たまたま,薄スラブ連鋳機TSC(Thin Slab Caster)のCSP(Compact Strip Production),ISP(Inline Strip Production)と,双ロールストリップ連鋳機TRSC(Twin Roll Strip Caster),Castripの開発のリーダー達と30年近い交流があり,開発,工業化の節目に立会う機会があった。これらの設備は,改良を重ねた現行先進設備に投資済みの我が国においては,未だ現行設備を直ちに更新して利益が出るものではないように思う。しかし,いざ出来上がり改良発展しつつあるのを見ると,広い世界には,投下資本は限られるが,我が国と違いスクラップが豊富で,高度な品質と大量な生産を必ずしも必要としない立地での需要が,かなりあるのも事実である。TSC,TRSCの製品品質についても,最近の改良による向上はめざましい。

TSCは1984年Nucorで実用化された後,設備,操業の改良が続き,現在では世界で80基近くが稼働し,1億t/年程度を生産している。メカトロニクスの進歩と,通常CCMで開発された技術を取込み,競争力を高め,一貫製鉄所の現行設備の生産性と品質に追付きつつある。

CSPやISPは,現在では第四世代に進化し,例えばISPはESP(Endless Strip Production)になり,鋳造と熱延を直接接続して,全連続プロセスに成長した75)。またSMS-SiemagによるCSPはCSP-flexに進化した76)。モジュラーデザインで,VLB/VSBのいずれかが選択出来,1.2mm以下の低C鋼/IF鋼薄板なら粗圧延,トンネル炉と5スタンド熱延ミルに直結し,全連続圧延し,TMCPを必要とするAHSS(API-X70鋼,Dual Phase–/Complex Phase–鋼,TRIP鋼など)は粗圧延,トンネル炉,7スタンドコンパクト熱延ミルで仕上げる。

ESSAR SteelはVLB型3ストランド1基を建設した77)。200t CONARC EAF2基とツインLF2基による年産500万tのうち350万tの溶鋼を55–80mm厚,950–1680mm幅のスラブに鋳造する。ローラーハース炉を経て中央のストランドに接続するインライン7スタンドタンデムミルで,炭素鋼,パイプ用鋼,NGO珪素鋼,DualPhase鋼の熱延ストリップを合計年350万t生産する。自動制御もプラグインのフルターンキーである。

Danieli DavyがPOSCOとの共同開発により,2009年に稼働させたTSCはVLBで80mm厚,最大1300mm幅の鋳片を6–8m/minで鋳造し年産180万t。130t取鍋2本から60tのT型タンディッシュに同時注入可能,ダミーバー上方装入,ロールセグメントはマニュプレータ交換方式,鋳型にDCブレーキ型EMS,鋳型振動は500サイクル/min,Funnel型4孔浸漬ノズルはスループット7t/min,ダイナミックバルジングによる湯面変動はフィードフォワード制御で±2mmに抑え,プールエンドにダイナミック軽圧下,とフル装備である。低C鋼0.02–0.04%C,中C鋼0.17–0.19%C,高C鋼0.23–0.55%CとC–Nb系HSLAを鋳造する。Danieli-Davyは唐山鋼鉄にも65–85mm厚,900–1680mm幅の類似仕様のfTSC(flexible TSC)78)を2012年10月稼働予定で,7m/min,年産300万t,ULC,IF-DDQ,中Cから高C鋼,APIX-70(−60°C),1.6%Mn,DP600,Corten,NGO珪素鋼と広範な鋼種の鋳造を予定している。OMKではfTSCにより既にAPI5LX-X70–80と一部はサワーガス仕様材も生産している。いずれも鋳片性状は通常CCのものと余り変わらないようである。

このようにTSCの設備能力は概ね鋳造速度7m/min,年産300–400万t/2ストランドに達し,熱延ミルと直結してエンドレスストリップ圧延が可能,またTMCPを実施しHSSのHCRも可能,となった。設備投資は通常の(CCM+熱延ミル)よりやや低いようである。

一貫製鉄所の現有老朽化設備は総原価と品質を含めて,TSCにより部分的に置換,または補完される可能性があるのか?あるいは現状が既にそうであるように,EAFと組合わせたミルに限定した場合,スクラップなど鉄源事情に応じて世界の熱延ストリップ市場で一貫製鉄所に対してTSCがどの程度総原価と品質において競争力を増して行くのか?興味深いところである。

一方TRSCはIHIとBluescopeの共同開発により1999年にPort Kemblaで40t EAFの炭素鋼溶鋼の鋳造に成功し,2002年にNucor傘下のCastrip社で工業規模の開発に移行した。CastripのIndiana,Crawfordsvilleでは500mm径の双ロール(Blejdeによると,この径を選択したので成功したとのこと)からカテナリー状に1.5–1.8mm厚のストリップを引出し,インラインの四重圧延機で0.9–1.5mm厚に仕上げる。炭素構造用鋼とその溶融亜鉛めっき鋼板,およびHSLA50–80,440MPa級高張力鋼迄の生産が,50万t/年に達し,Arkansas,Blythevillesに60万t/年の工場を増設し,生産は順調と報告79,80,81)している。Cu起因の赤熱脆性域での加熱圧延が不要なので,スクラップからのCuによるプロセス障害は今は問題になってないこと,Si–Mn脱酸生成物を核とする特有のベイナイト変態による高強度鋼が得られること,も有利と報告している。新日鉄と技術提携したPOSCOのTRSCもステンレス鋼の商業運転を続け,万t/月レベルの生産量かと推定される45)

TRSCが3基で生産する計150万tの普通鋼熱延ストリップを通常CCM1基+熱延ミル1基で製造すると設備投資が約200億円対1000億円,10年定額償却費は約1000円/t対6000円/tと言う試算がある71)。TRSCのツインロール費用を含め両者の変動費の差がどの程度になるかは不明だが,普通鋼生産で5000円/tに及ぶ償却費の差は圧倒的ではある。一方,400万t/年規模のプラントになると,TRSCの生産性が今より20%強上がっても5基が必要,となると,その設備投資は現行設備を新設するのと大差がない,という粗い推定もある82)。どの程度TRSCの生産性が上がり,双ロールの費用を含めて変動費をいかに削減出来,どの程度の品質の鋼種まで生産できるか,解決すべき課題は多々あろうが,革新技術の成長曲線を考えるとそろそろ目が離せない。

通常CCMによる極厚板,パイプ材の鋳造に関しては,前出Dynacs3D,DynaGapパッケージを組込み,モジュール化された極厚スラブCCMが2007年のVöest Alpine(355mm厚鋳型),2010年のDillinger(450mm厚鋳型)に続き,同年中国首鋼(400mm厚鋳型)で稼働した。VLBプールエンド軽圧下方式で,中心偏析度が満足出来る水準の350mm厚1800mm幅のQ345R鋼のスラブを鋳込んだ。1.1m/min,400mm厚,2700mm幅,1.1百万t/年が可能である83)

TSCとTRSCの開発と改良に関しては,まず何よりも,開発推進者が市場ニーズを念頭に,20数年もの職業人生をその一筋に賭けた情熱に胸をうたれる。人材あればこそ,の感があるが,人は始めから多くが有能な訳ではなく,挑戦を繰り返し努力を継続して磨かれる。研究者,技術者の動機付けは大事なところである。

最近とみに韓国や中国の技術者,研究者が第一著者になっている論文が急増していると感じ数えてみた。2012–2013年にかけてISIJ Int.で約30%,Met.Trans.Bでもほぼ同じ程度の目立つ比率になっている。内容も以前とは様変わりで,読ませる論文が少なくない。両国では海外留学帰国者達の活躍も著しい。彼らは競争的な産学協同プロジェクトと,新鋭設備による大量生産現場での経験を通じ,着実に育っている。

2012年にそれぞれ粗鋼7.1億t,0.7億tを生産した中国,韓国では,これまでの拡張期に,欧米から最新鋭の設備を多数輸入している。欧米の設備メーカーは永年にわたり,世界中の供給先から豊富な情報を収集し,ハードウエアのみならず,操業用ソフトウエアの改良をしている。

我が国のように各社がそれぞれを独自に開発実用化するのに比べると,設備を買う場合にも相当な水準のものが設備メーカーから割安に入手できる。使いこなすには別途問題もあり時間も必要だが,設備メーカーは契約次第では設備とソフトウエア納入時にかなりの操業ノウハウと現地訓練も提供している。例えば,転炉の吹錬終点ダイナミック制御プログラムは古くから汎用ソフトウエアとしてサブランスシステムとパッケージで売られている。CCMの中心偏析軽減用鋳片軽圧下は既に一般的なモジュラーパッケージ設備として組込まれ,鋳造速度による圧下率,圧下位置のダイナミックコントロールはプログラム化され汎用ソフトに近い(例えば前述のSiemens-VAIのSmart Segments with Dyna Gap Soft Reduction with Dynacs 3Dなど各種,Dyna Phaseは鋼成分と機械的性質を入力すると,L2レベルで圧下,冷却を自動制御)。

我が国の鉄鋼業は,上記のような他国の急追による生産性と品質向上をどのように将来とも凌駕し続けるか。利益率,特にROEが低く,企業減税にもその効果には限度がある。人件費差で既に利益率に差があるが,主原料やエネルギー価格でも劣位は否めない。改善に留まらず,LDやCCMが過去にそうであったような革新技術の創出が望まれる。

もとより我が国の現行の鉄鋼製造システムと製品の技術水準は,依然として世界の最先端を行く。継続的な設備投資の際に,設備やシステムには絶えざる改善と新開発技術が取込まれ,内実は新鋭のものになっている。鉄鋼界では将来展望に基き,重要な研究開発が多面的に産学協同で進められている。それらを,設備,計測,自動化の先端技術と密接に連動させ,報告書の成功のみに留めず“ダーウインの海”を渡らせ,速やかに革新的“工業プロセス”として生産に投入する必要がある。

100年記念の節目が,今後も鉄鋼界が技術的優位を更に高めつつ革新的な発展を遂げる転機になることを切に祈る次第である。

謝辞

戦前戦後の日本鉄鋼業についての詳しい情報は,小指軍夫,原淵孝司,桝井明の諸氏の懇切なご教示に与った。下川義雄,土居襄,野崎努,梶岡博幸諸氏には参考文献3),10),18),31)を多々参考にさせて頂き,裨益するところが多かった。心から感謝申し上げる。

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