2014 Volume 100 Issue 10 Pages 1329-1338
The effects of carbon content on tetragonality and magnetic moment of bcc iron have been evaluated by first-principles calculation. Three kinds of supercells, Fe54C1, Fe54C2 and Fe128C1 (which correspond to Fe-0.40C, Fe-0.79 and Fe-0.17C mass%, respectively) are used for the calculation of tetragonality and magnetic moment of Fe-C system. Main results obtained are as follows. (1) The total energy and mechanical energy of the Fe-C system with carbon atom at the octahedral sites are smaller than those with carbon atom at the tetragonal sites. The carbon atom at octahedral site produces fairly large expansion in one direction. (2) Tetragonality of Fe-C system obtained by first-principles calculation increases linearly with increasing carbon content and agrees well with experimental results. The average magnetic moment of an Fe atom increases with increasing carbon content. (3) The magnetic moment of an Fe atom at the nearest neighbor of carbon atom is lower than that of pure iron and increases with increasing distance between the iron and carbon atoms. The projected density of states shows a hybridization with main contributions from Fe d and C p states which leads to the above mentioned decrease of the magnetic moment of an Fe atom. (4) In Fe54C2, tetragonality and magnetic moment of iron atom change with the distance between two carbon atoms. The value of tetragonality is either 0.981, 1.036 or 1.090. When the dumbbell structure which consists of the first carbon atom and its two nearest neighbor iron atoms is perpendicular to the second dumbbell structure which consists of the second carbon atom and its two nearest neighbor iron atoms, the tetragonality is 0.981 and does not agree with experimental value. The mechanical energy is relatively large. On the other hand, when the first dumbbell structure is parallel to the second dumbbell structure, the tetragonality is 1.036 which agrees well with experimental data. The mechanical energy is relatively small. When straight C-Fe-C pair is formed, tetragonality is 1.090. (5) In Fe54C2, formation enthalpy is relatively low when the calculated tetragonality is 1.036, and the existence probability under the assumption of Boltzmann distribution is high. In other cases, the existence probability is nearly zero. (6) The average magnetic moment of an Fe atom is proportional to volume, but not in a clear relation with tetragonality. It is considered that the increase of magnetic moment of an Fe atom by the addition of carbon atom is mainly due to the magneto-volume effect but not due to the tetragonality effect.
軸比は鉄鋼の材料特性に大きな影響を及ぼす重要な因子である。例えば鉄系形状記憶合金においてはマルテンサイトの軸比が大きいほど形状記憶特性は向上する。軸比が大きいほど形状記憶合金に適したthin plate型のマルテンサイトが生成するようになり,オーステナイト/マルテンサイト界面の易動度が増加するためである。Ohtsuka and Kajiwara1)は,FeNiCoAl合金の形状記憶特性を向上させることを目的として炭素を添加し,適当な時効熱処理を行うと生成するマルテンサイトの軸比は増大し,形状記憶特性も向上することを報告した。また,軸比は磁気特性とも密接に関係することがMitsuokaらにより指摘された2)。彼らはいくつかのFe-C,Fe-NおよびFe-Ni-C合金を作成して磁気モーメントを測定し,炭素添加により鉄の磁気モーメントは増加すること,その原因は体積膨張と軸比増大の両方の効果であることを報告した。炭素添加は鉄の磁気モーメント増加のためのよく知られた方法の一つであるが,Fe-C合金の磁気モーメントの測定データはまだ少なく,磁気モーメント増加のメカニズムについてもまだ不明な点がある。さらに,軸比が大きくなると転位すべり変形が困難になるなど,軸比は材料の機械的特性に大きな影響を与えると予想され,実用合金の機械的性質を理解するうえで軸比は重要な因子であると考えるが,このような観点から軸比に着目した研究は報告されていない。
このように材料特性に及ぼす軸比の影響に関する研究は少ないが,軸比の値そのものに着目した研究は古くは1920年代から行われ,多くの論文が書かれていることが西山の教科書3)に書かれている。現在でもマルテンサイトの格子定数および軸比と炭素量との関係や正方晶性については鉄鋼材料の教科書に載っている4,5)。軸比と炭素量は比例し,多くのデータが非常にきれいに直線上に並ぶ3)。さらに軸比の値に及ぼす合金元素の影響も研究され,マルテンサイト中における炭素原子の位置やマルテンサイト変態機構について考察された6,7,8,9,10)。
近年,第一原理計算のソフトが大きく進歩し,様々なものが市販されており,鉄鋼材料研究にも利用され始めた。第一原理計算による軸比の計算についてもいくつかの報告がある。Fors and Wahnström11)はbcc-Fe中における炭素とBの安定位置を第一原理計算により求め,それらの拡散メカニズムについて考察した。しかし軸比については,鉄原子128個のスーパーセルを用いて計算した場合1.01になることを述べるにとどまっている。Zoubiら12)はEMTO法によりFe16C1の組成で軸比は1.07になることを示している。さらに軸比に及ぼす合金元素の影響についても計算し,Al,Co,Niは軸比を増大させ,Crはほとんど影響がないことを示した。我々は以前,第一原理計算によりFe-C合金のbcc相の軸比を求めることができることを報告し,AlやNiの添加により軸比が増大することを明らかにした13)。SouissiらもF-CおよびFe-Nにおける軸比を計算し,実測値とよく一致することを示した14)。以上のように,第一原理計算により軸比の値を求めた報告はいくつかあるが,本研究では単に軸比の値を求めるだけにとどまらず,炭素原子の位置が変化すると軸比や磁気モーメントがどのように変化するかを詳細に検討し,軸比が決まるメカニズムや磁気モーメントに影響する因子について考察している。
第一原理計算を使うと軸比は容易に求めることができるが,これを元にした材料開発も期待できる。例えばこれまでにない新たな合金系で鉄基の形状記憶合金を開発しようとする場合でも,計算により軸比に及ぼす合金元素の効果を求め,軸比を大きくする元素は何かを知ることができれば,形状記憶特性向上のために添加するべき合金元素の探索が容易になる。さらに,第一原理計算では弾性係数も計算できるので,軸比と機械的特性に及ぼす合金元素の影響を求めることも可能になる。
本研究では,Fe-Cのbcc相について第一原理計算を行い,炭素の安定な位置や軸比および磁気モーメントと炭素量の関係を求め,それを元にして軸比が決まるメカニズムを明らかにするとともに磁気モーメントに及ぼす炭素添加の影響について詳細に検討した。
第一原理計算には平面波基底の擬ポテンシャル法(Vienna Ab-initio Simulation Package)を用いた15,16)。PAW法によって,スピン分極を考慮した一般化密度勾配近似(GGA-PBE)に基づいて密度汎関数計算を行った。鉄原子54個に炭素原子1個または2個を侵入型に含む,3×3×3のスーパーセル(bcc立方晶の単位胞が3×3×3=27個から成る)(以下それぞれFe54C1,Fe54C2)と鉄128個に炭素原子1個を侵入型に含む,4×4×4のスーパーセル(bcc立方晶の単位胞が4×4×4=64個から成る)(以下Fe128C1)を用いた。kポイントメッシュはそれぞれ6×6×6,4×4×4でカットオフエネルギーは400 eVとした。なお,計算に用いるスーパーセルが十分大きくないと導入する炭素原子同士の相互作用の影響が大きくなり,大きすぎると計算時間が長くなるため適当な大きさのものが必要である。本研究で用いたセルは澤田らによって原子同士の相互作用の影響が十分小さく,また計算コストも適当であることが確かめられている17)。また炭素を挿入した場合の構造は,セルの形状と大きさが変化することが可能で,原子間距離をわずかに変化させることにより応力を緩和してほぼゼロとなる構造緩和した状態を安定状態としている。
炭素原子はbcc-Fe中では侵入型の格子間位置に入り,その位置はFig.1に示すように八面体位置(a)と四面体位置(b)の二種類がある。そのどちらがより安定な位置であるかを第一原理計算により求める。まず,キッテルの教科書18)によれば,鉄原子と炭素原子の半径はそれぞれ,1.27 Å,0.77 Åである(ただし,鉄についてはイオン半径を,炭素についてはダイヤモンド内の炭素原子間距離の半分の値を用いている)。第一原理計算により純鉄(鉄原子54個を含む,3×3×3のスーパーセル,以下Fe54)の格子定数を求めると2.83 Åになり教科書に載っている値との差は1%以下である。この値をbcc-Feを剛体球モデルで考えた場合に当てはめると鉄の原子半径は1.23 Åとなる。半径が1の剛体球モデルでbcc格子を考えた場合,八面体位置と四面体位置に入る最大の内接球の半径はそれぞれ0.155,0.291となり,四面体位置の方が大きな空隙である。にもかかわらず,bcc-Fe中では炭素は八面体位置に入ることが実験で示されている。この理由については,Leslie19)は「炭素は最隣接鉄原子が4つの四面体位置よりも,最隣接鉄原子が2つしかない八面体位置の方に存在しやすい」と述べている。また,Hume-Rothery20)は「より大きな格子間位置(四面体位置)に溶質原子が入った場合には4個の最隣接原子が移動することになり,その移動の方向は斥力に寄与している電子雲が著しく重ね合わさるような方向である。このため,α鉄の侵入型固溶体(格子間固溶体)においては溶質原子は一般に八面体の孔に入る傾向がある。」と述べている。そこで第一原理計算により八面体位置と四面体位置のどちらの方が炭素は安定に存在できるか求めるため,Fe54C1を用いて計算した。スーパーセル当たりの絶対零度における全エネルギーは八面体位置の方が0.88 eV低く,八面体位置にある方が炭素は安定であることが分かり,これは実験事実とも一致する。炭素原子が八面体位置にある場合,Fig.2(a)に示すように炭素原子の第一近接位置にある鉄原子間の距離,および第二近接位置にある鉄原子間の距離は第一原理計算によりそれぞれ3.56 Å,3.94 Åと求まり,純鉄について計算したこれらの鉄原子に対応する原子間距離と比較すると,それぞれ26%の増加,1.5%の減少,となる。すなわち八面体位置に炭素を入れた場合には炭素原子から第一近接位置,第二近接位置の鉄原子までのどちらの距離も増加するのではなく,第一近接は増加,第二近接は減少,となり,一軸の大きな歪みが発生することが分かる。炭素原子が四面体位置にある場合は,Fig.2(b)に示すように炭素原子とその第一近接位置,第二近接位置にある鉄原子との間の距離はそれぞれ1.82 Å,2.48 Åとなる。
Schematic illustration of interstitial sites in bcc-Fe. White balls show Fe atoms, and black balls show carbon atoms in (a) octahedral sites and (b) tetrahedral sites.
(a). The first and second nearest neighbor Fe atoms of interstitial carbon atom in octahedral site.
(b). The first and second nearest neighbor Fe atoms of interstitial carbon atom in tetrahedral site.
次に八面体位置と四面体位置に炭素原子が存在するときのmechanical energyを求めた。このmechanical energyはWuらによって提案されたものである21)。まずFig.3(a)に示すように,Fe54C1を構造緩和させたときのエネルギーを求める。次にこの炭素原子を取り去り(b),歪んだままの格子のエネルギーを求める。その後構造緩和を行い,エネルギーを求める(c)。(b)と(c)の状態のエネルギーの差がmechanical energyであり,八面体位置と四面体位置について原子数で割った値はそれぞれ19.4 meV/atom,23.4 meV/atomとなり,四面体位置の方がmechanical energyが大きいことが分かる。mechanical energyは鉄原子のみに着目した場合の,歪んだ格子と歪みのない格子のエネルギーの差であり,数原子範囲の極めて微視的な領域における原子の変位に伴うエネルギー差である。mechanical energyは第一原理計算で求められる特有の物理量であり,おおまかには歪みエネルギーに相当すると考えられるがその厳密な物理的な意味は今後さらに検討する必要がある。
Schematic illustration for calculating a mechanical energy. The difference of energy between (b) and (c) is a mechanical energy.
緒言で述べたように,Fe-C合金において生成するマルテンサイトの軸比に関してはこれまで多くの実験結果があるが,軸比は炭素濃度に比例し,多くのデータは1本の直線上にきれいに載る。まずこのデータが第一原理計算によりどの程度再現できるか確認するため,三種類の炭素濃度に対してbcc-Feの軸比を計算した。Fe54C1の場合,炭素濃度は実用機械構造用鋼として重要な組成である,Fe-0.40 mass%C(Fe-1.82 at%)となる。これより低濃度のものは,Fe128C1を用い,Fe-0.17 mass%C(Fe-0.78 at%)の組成になる。高濃度のものはFe54C2を用い,Fe-0.79 mass%C(Fe-3.57 at%C)の組成になる。前二者のスーパーセルの場合はセル内に炭素は1個だけで八面体位置はすべて等価であるので軸比は一義的に求められるが,後者のFe54C2のセルの場合は2個の炭素原子の位置関係によってエネルギーが異なるので,その位置を色々変化させてエネルギーと軸比を計算した。炭素原子は八面体位置に存在することはすでに前節で確認したので1個目の炭素原子をある八面体位置に置いて固定し,2個目の炭素原子は1個目の炭素原子の第一,第二,…近接位置にある八面体位置に置いて計算した。1個目の炭素原子から同じ距離にある八面体位置は複数存在し,それらのエネルギーは異なる。本研究ではスーパーセルの対称性を考慮し,必要最小限の範囲のすべての位置について計算した。求めたエネルギーが最小になる場合のセル内での炭素位置を示すのがFig.4である。x軸方向から見た図を示し,炭素原子とその最近接位置の2つの鉄原子のペアのみ示してある。スーパーセル中に1個目の炭素を入れると,周期境界条件を満たすために図に黒丸で示す4個の炭素原子(三次元では8個)が並ぶ格子について計算したことと等価になる。これら8個の炭素原子で作る立方体の丁度真ん中に2個目の炭素原子(黒三角)が入ったときにエネルギーが最小になり,このときの軸比をFe-0.79 mass%Cの軸比としてFe-0.17C,Fe-0.40C(mass%)の場合の軸比と一緒にプロットしたのがFig.5である。軸比の計算値と実測値は極めてよく一致することが分かる。ただし実験値の直線は,多くの実験データをCohenら6)が直線近似した場合のものである。
Schematic illustration of the configuration of a carbon atom and the two nearest neighbor Fe atoms in the supercell when total energy is minimum. The solid triangle shows the second carbon atom. Supercell is viewed from x axis.
Tetragonality of bcc-Fe as a function of carbon content. Solid marks show the calculated results, and the line show the experimental data approximated by a linear relationship6).
3・2で述べたスーパーセルを用いて,Fe,Fe-0.17C,Fe-0.40C,Fe-0.79C(mass%)合金の鉄原子の平均磁気モーメントを計算した結果をFig.6に示す。得られたセル全体の磁気モーメントから炭素原子の磁気モーメントを差し引き,鉄原子の個数で割ることにより求めた。炭素量が増加すると鉄原子の平均磁気モーメントは増加することが分かる。これらのデータをMitsuokaらの実験結果2)と比較するとFig.7のようになり,彼らのデータより小さな値になるが,彼らが論文中に引用しているSchlosserらの経験式とよく一致する。いずれの場合も炭素量が増加するとともに鉄の平均磁気モーメントが増加するという傾向は一致している。
Effects of carbon content on average magnetic moment of an Fe atom.
Average magnetic moment of an Fe atom as a function of carbon content.
次にFe54C1(Fe-0.40 mass%C)を用いてFe-C合金における,炭素原子の周りの鉄原子の磁気モーメントを原子ごとに計算した。Fig.8は炭素原子の周りの鉄原子の分布を示した図で,図中の数字1,2,3…はそれぞれ炭素原子から見た第一,第二,第三近接位置…であることを表している。各鉄原子の磁気モーメントを炭素原子からの距離の関数としてプロットした結果をFig.9に示す。なお,Fe54により求めた純鉄の鉄原子の平均磁気モーメントは2.217 μBで実測値とよく一致する。炭素原子の第一近接位置の鉄原子の磁気モーメントはこれより大きく低下しているが,第二,第三近接位置になると増加していき,その後は小さく減少したり増加したりする。第五近接位置のデータにエラーバーが付いているが,炭素原子からの距離が同じでも結晶学的に等価でない位置が含まれ,データにばらつきがあるためである。第五近接以外についてはすべて等価であるためデータにばらつきはない。
The first to 5th nearest neighbor Fe atoms of interstitial carbon atom.
Magnetic moment of Fe atoms as a function of the distance from carbon atom in Fe54C1.
Fig.10は(a)がFe54C1における炭素の第一近接位置の鉄原子のd軌道の状態密度分布,(b)がFe54C1における炭素のp軌道の状態密度分布,(c)がFe54における(a)に示す鉄原子に対応する位置にある鉄原子のd軌道の状態密度分布をそれぞれ示す。(a),(b)では横軸の−6.0 eV近傍に電子の存在が確認でき,鉄原子のd軌道と炭素のp軌道の間に混成軌道が形成され,共有結合性が増していることが分かる11,14)。一方炭素原子が存在せず,鉄原子のみである場合は(c)のように同じエネルギーレベルに電子は存在しない。このような共有結合性の増大が,Fig.9で見られた炭素の第一近接位置にある鉄原子の磁気モーメントの減少の原因であると考える。
Projected density of (a) d state of Fe at the first nearest neighbor sites of carbon atom in Fe54C1, (b) p state of carbon in Fe54C1 and (c) d state of Fe in Fe54.
これまでは,Fe128C1,Fe54C1,Fe54C2の三種類のスーパーセルについて考え,Fe54C2についてはエネルギーが最低になるときの軸比の値を用いると実測値とよく一致することを示した。本節では,それ以外のすべての場合についてのデータを見てみる。エネルギー最小の位置以外は準安定状態であるが,これらすべての位置についても軸比とエネルギーの関係を検討することにより,軸比が決まるメカニズムが解明できると考える。このように,実際には実現しにくい状態についての物性も検討できることが第一原理計算の利点である。
Fig.11はFe54C2(Fe-0.79 mass%C)において,2個の炭素原子間の距離により軸比がどのように変化するか計算した結果である。炭素原子間距離が変化するとともに軸比も変化するが,軸比が約0.981になるもの(白丸)と,実測値と同じ約1.036の値になるもの(黒丸),1.090と大きな値になるもの(白三角)の三種類の傾向に分かれる。図中の数字,1,2,3はそれぞれ,1個目の炭素原子から見て第一,第二,第三近接位置にある2個目の炭素原子のデータであることを表す。図中のカッコ内の数字は,このスケールでは1点に見えるが数字の数だけ異なるデータが存在することを示す。本節ではなぜ軸比の値が三種類に分かれるのか,さらに軸比はどのようにして決まるのかというメカニズムを第一原理計算により求めたエネルギーを元にして検討する。なおこれ以降,図中の白丸,黒丸,白三角の示す意味はFig.11と同じく,それぞれ軸比の計算値が約0.981,約1.036,1.090になるものを示す。
Calculated value of tetragonality of bcc-Fe as a function of distance between two carbon atoms. Open marks: c/a≃0.981, solid marks: c/a=1.036, open triangle: c/a=1.090. The number above the marks indicates the first, second and third nearest neighbor carbon atoms of the first carbon atom. The number in the parenthesis shows that a single mark includes the same number of data.
Fe54C2(Fe-0.79 mass%C)について,2個目の炭素位置を変えても取り得る軸比の値は三種類しかないことをFig.11で示した。Fig.11中の数字,1,2,3に対応する炭素原子の位置をFig.12に模式的に示す。炭素原子とその最近接位置にある2個の鉄原子で構成されるダンベル構造を表示してある。第一,第二近接位置ではこれらのダンベルは1個目の炭素が形成するダンベルと直交し,軸比はいずれも約0.981になる。第三近接位置では1個目のダンベルと平行になり,軸比は約1.036となる。Fig.11中におけるこれ以外のすべての軸比データを検討すると,いずれの場合も1個目のダンベルと直交する場合は約0.981になり,平行な場合は約1.036で実測値と一致することが分かった。ただし,Fig.12中の白矢印で示す位置に炭素原子がある場合,軸比の値はFig.11に白三角で示す1.090となる。すなわち,鉄原子をはさんでその両側の最近接位置に2個の炭素原子が一直線に並んでC-Fe-C構造を形成する場合,極めて大きな軸比になる。
Schematic illustration of the first, second and third nearest neighbor carbon atoms of the first carbon atom. Tetragonality is 1.090 when carbon atom is in the position shown by the white arrow.
Fig.11のすべての場合についてスーパーセル当たりのmechanical energyを求め,原子数55で割った値をFig.13に示す。この場合,Fe54C2から炭素1個を取り除き,Fe54C1にしたときのmechanical energyを示す。白丸,黒丸,白三角の表す意味はFig.11と同じである。C-Fe-C構造を形成する場合(白三角)と,1個目の炭素原子の第一近接位置に2個目の炭素原子がくる場合のmechanical energyは大きく,他のデータは約5 meV/atomの範囲内でばらついている。白丸と黒丸の分布には明瞭な境界があり,mechanical energyが約17.5 meV/atom以上では軸比が約0.981(白丸)に,以下では約1.036(黒丸)になることが分かる。ただし,白三角と矢印で示す点はこのような分類に当てはまらない例外である。
Mechanical energy as a function of the distance between two carbon atoms. Open marks: c/a≃0.981, solid marks: c/a=1.036, open triangle: c/a=1.090. Solid marks are in the relatively lower energy region, open marks in higher energy region and an arrow shows the exceptional case. The number in the parenthesis shows that a single mark includes the same number of data.
以上のように,炭素原子と鉄原子が作るダンベルの位置関係により軸比は決まる。2個目のダンベルが1個目のダンベルと直交する場合には軸比は約0.981になり,mechanical energyは比較的高い。一方,平行な場合には軸比は実測値に近い約1.036になり,mechanical energyは比較的低い。C-Fe-C構造を形成する場合は1.090になり,mechanical energyは非常に高い。以上のように軸比は三種類の値しかとらない理由を明らかにしたが,次になぜ実測値は一方の値,約1.036になるかを形成エンタルピーについて検討することにより明らかにする。
4・3 形成エンタルピーの評価と軸比の期待値Fig.14はFe54C2の形成エンタルピーを炭素原子間の距離の関数でプロットしたものである。ただし,形成エンタルピーは次の式で求めた22)。
(1) |
Formation enthalpy for Fe54C2 as a function of distance between two carbon atoms. Open circles: c/a≃0.981, solid marks: c/a≃1.036, open triangle: c/a=1.090. Solid marks are in the relatively lower energy region, open marks in higher energy region and arrows show the exceptional cases. The number in the parenthesis shows that a single mark includes the same number of data.
ただしEは第一原理計算により求めた全エネルギーである。ダイヤモンドの全エネルギーを求め,17 meV/atomを加えた値をグラファイトの形成エンタルピーE(C)とした22)。1個目の炭素原子から見た第一,第二近接位置に2個目の炭素が置かれた場合,およびC-Fe-C構造を形成する場合(白三角)のエネルギーはきわめて大きいが,炭素原子間の距離が離れていくにつれてエネルギーは低下していき,第三近接位置以降は比較的小さなエネルギー幅の中で変化する。いずれの値も正の値であるが,これはbcc-Fe中の平衡固溶炭素量よりはるかに多い0.79(mass%)Cもの炭素を含むからである。図中一番右側の黒丸がエネルギー最低の位置を示し,Fig.4で示した黒三角の位置に炭素原子がある。白丸と黒丸の分布には明瞭な境界があり,約18.3 meV/atomよりエネルギーが高い方に軸比が約0.981のデータ(白丸)が,低い方に軸比が約1.036のデータ(黒丸)がくる。ただし白三角と矢印で示す点はこの分類に当てはまらない例外である。これらのデータをエネルギーが低い順に並べたものがFig.15である。横軸は各データの順番を表し,物理的な意味はない。第一,第二近接位置のデータおよびC-Fe-C構造を形成する場合のデータは他のデータに比べ極めて大きな値になるので省略してある。エネルギーが最大になるときと最低になるときのエネルギー差の1/5程度の範囲を図に描いてある。エネルギーは連続的に増加するのではなく,階段状に増加していく。特に最初のエネルギーが最低になる点から次の点への増加量が大きい(15.33 meVから16.48 meVへ増加)。また矢印で示す点は例外として,低エネルギー側に軸比約1.036の黒丸が,高エネルギー側に軸比約0.981の白丸がくることが分かる。これらの軸比のデータをエネルギーの関数としてプロットしたものがFig.16である。矢印で示す点は例外として,低エネルギー側に軸比約1.036の黒丸が,高エネルギー側に軸比約0.981の白丸がくることが分かる。以上のようにエネルギーが比較的高い場合の軸比の値は実測値と異なり,エネルギーが比較的低い場合には軸比の値は実測値と一致することが分かる。
Formation enthalpy in ascending sequence. Open circles: c/a≃0.981, solid marks: c/a≃1.036. Solid marks are in the relatively lower energy region, open marks in higher energy region and arrows show the exceptional cases.
Relationship between tetragonality and formation enthalpy in Fe54C2. Open circles: c/a≃0.981, solid marks: c/a≃1.036. Solid marks are in the relatively lower energy region, open marks in higher energy region and arrows show the exceptional cases. The number in the parenthesis shows that a single mark includes the same number of data.
次にこれらの形成エンタルピーの値からその存在確率を求めてみた。エネルギーが最小になる点(エネルギー=Eoとする)を基準にして各点のエネルギー(E)を考え,ボルツマン分布を用いて各点の存在確率をあらわすと,
(2) |
となる。ただし,kはボルツマン定数,Tは絶対温度である。鉄中における炭素の規則化温度以下の有限温度における計算の一例としてT=10Kのときの結果を,縦軸に存在確率,横軸に炭素原子間の距離をとってプロットしたものがFig.17である。エネルギーが最小になる場合の存在確率は1で図中には示していない。軸比が約1.036の点(黒丸)の存在確率は比較的大きな値になる一方で,軸比が約0.981の点(白丸)および1.090の点(白三角)の存在確率はほぼゼロとなって存在しえないことになり,実験事実とよく一致する。矢印で示す黒丸は軸比の計算値が実測値と一致する約1.036であるが,他の黒丸とは異なる例外的な存在であることをこれまで示してきたが,いずれもその存在確率は小さく,存在しえない点であることが分かる。存在確率をエネルギーの関数として示したものがFig.18である。約18 meVを境として,それよりエネルギーが低いほど存在確率は大きくなり,それより高い場合存在確率はほぼゼロになる。さらに,軸比の期待値はボルツマン分布を用いて次の式で表すことができる。
(3) |
Probability as a function of the distance between two carbon atoms. Open circles: c/a≃0.981, solid marks: c/a≃1.036, open triangle: c/a=1.090. Open marks have a very low probability, solid marks have higher probability and arrows show the exceptional cases. The number in the parenthesis shows that a single mark includes the same number of data.
Probability as a function of formation enthalpy. Open circles: c/a≃0.981, solid marks: c/a≃1.036. Solid marks are in the relatively lower energy region, open marks in higher energy region and arrows show the exceptional cases. The number in the parenthesis shows that a single mark includes the same number of data.
軸比の期待値は1.03067となり,実測値を直線近似した式6)から求めた値1.03553との誤差は約0.5%と小さい。
以上のように,軸比の値が実測値と一致する場合に存在確率が高く,実測値と一致しない場合には存在確立がほぼゼロになることが明らかになった。
4・4 磁気モーメントに及ぼす磁気体積効果と軸比効果3・3で炭素添加により鉄の平均磁気モーメントが増加することを示したが,この原因について考察する。Mitsuokaらは,炭素添加による鉄の平均磁気モーメントの増加の原因は,磁気体積効果と軸比効果の二つがあると指摘した2)。彼らの実験測定結果を見ると炭素量が増加するとともに鉄の平均磁気モーメントが増加することは明らかであるが,磁気モーメントと軸比の関係はそれほど明瞭ではない。また,磁気モーメントを測定するだけでは常に磁気体積効果と軸比の効果の両方が同時に観察されるだけで両者の効果を分離することは困難である。しかしながら第一原理計算では,炭素が添加されても軸比が増加しないという,現実には存在しない状態についても計算できることが特長である。これまでに得られた計算データを用いて磁気モーメントに及ぼす磁気体積効果と軸比効果のそれぞれについて評価してみる。
Fig.6では各スーパーセルでエネルギーが最低になる点のみプロットしたがすべての計算データをプロットするとFig.19のようになる。縦軸は鉄原子の平均磁気モーメント,横軸は計算により求められたa,b,c軸の長さをかけて得られる体積である。黒四角はFig.6で示したエネルギーが最低になる点のデータを表す。多少データのばらつきはあるものの,磁気モーメントと体積はほぼ比例し,体積が増加するとともに鉄の平均磁気モーメントも増加することが分かり,磁気体積効果が確認できる。一方,鉄の平均磁気モーメントを軸比の関数としてプロットしたものがFig.20である。軸比が一番小さい領域でも大きな磁気モーメントになり,磁気モーメントと軸比の間には明瞭な関係が見られない。軸比と体積の関係を示すとFig.21のようになる。黒四角と黒丸のデータはほぼ直線に載る。しかし,白丸と白三角のデータはその直線から大きくはずれており,軸比と体積には明瞭な相関関係がない。以上のように,磁気モーメントは,体積に比例するが軸比とは単純な相関関係がなく,このことから炭素添加による磁気モーメント増加の原因は磁気体積効果による体積膨張が主たるものであり,軸比増加の効果は小さいと言える。
Effects of volume on average magnetic moment of an Fe atom. Open circles: c/a≃0.981, solid marks: c/a≃1.036, open triangle: c/a=1.090, solid square: data for pure Fe, Fe128C1, Fe54C1 and Fe54C2 shown in Fig.6.
Effects of tetragonality on average magnetic moment of an Fe atom. Open circles: c/a≃0.981, solid marks: c/a≃1.036, open triangle: c/a=1.090, solid square: data for pure Fe, Fe128C1, Fe54C1 and Fe54C2 shown in Fig.6.
Effects of volume on tetragonality. Open circles: c/a≃0.981, solid marks: c/a≃1.036, open triangle: c/a=1.090, solid square: data for pure Fe, Fe128C1, Fe54C1 and Fe54C2 shown in Fig.6.
Fe54C1,Fe54C2,Fe128C1の三種類のスーパーセル(それぞれ,Fe-0.40C,Fe-0.79C,Fe-0.17C(mass%)の組成に相当する)を用いてFe-C合金における軸比と磁気モーメントを第一原理計算により求めた。得られた主な結果は次の通りである。
(1)八面体位置に炭素原子が入る場合,全エネルギーとmechanical energyはいずれも四面体位置の場合より小さくなる。八面体位置に入る場合,炭素原子とその第一近接位置の鉄原子との間の距離は約26%も増加し,第二近接位置の鉄原子との距離は約1.6%減少する。
(2)Fe-Cの軸比の計算値は,炭素量に比例して増加し,実測値とよく一致する。また,鉄の平均磁気モーメントは炭素量に比例して増加する。
(3)炭素原子の周りの鉄原子の磁気モーメントは炭素の第一近接位置では大きく減少し,炭素から離れるに従って増加し,やがて小さな増加と減少を繰り返す。状態密度分布には鉄のd軌道と炭素のp軌道の混成軌道形成が見られ,そのため共有結合性が増して鉄の磁気モーメントが減少したと考える。
(4)Fe54C2では炭素原子間の距離が変化すると軸比,磁気モーメントともに変化する。軸比は約0.981,約1.036と1.090の三種類の値しかとらない。どの値になるかは1個目の炭素原子とその最近接位置にある2個の鉄原子が作るダンベル構造と2個目のダンベルの位置関係によって決まり,直交する場合には約0.981に,平行になる場合には約1.036に,またC-Fe-C構造を形成する場合には1.090になる。平行になる場合のmechanical energyは小さく,軸比は実測値と一致するが,それ以外の場合のmechanical energyは大きく軸比は実測値と一致しない。
(5)Fe54C2で軸比の計算値が約1.036の場合は形成エンタルピーが低く,エンタルピーが最低になる場合を基準にしてボルツマン分布を考えると存在確率は高くなり,軸比の値は実測値と一致する。これ以外の場合,形成エンタルピーは高く,存在確率はゼロに近くなる。
(6)鉄の平均磁気モーメントは,体積に比例するが軸比とは明瞭な相関関係が見られない。これより,炭素添加による磁気モーメントの増加の原因は磁気体積効果が主たるもので軸比の効果は小さいと考える。
本研究は科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業(CREST)「元素戦略を基軸とする物質・材料の革新的機能の創出」の支援によるものである。