2014 Volume 100 Issue 3 Pages 406-413
The effect of molybdenum (Mo) on softening behavior of cold-rolled high manganese austenitic stainless steels was investigated. The high temperature hardness of cold-rolled Mo-free steel was drastically decreased by prolonged annealing at 873 K. On the other hand, there is not remarkable degradation of high temperature hardness in the steels containing more than 1 mass% Mo. Fully recrystallized structure is observed in Mo-free steel after annealing at 873 K for 1440 ks. Since deformation structures were not disappeared in the steels containing more than 1 mass% Mo even after annealing, the addition of Mo retarded the recrystallization in the work-hardening steels. After annealing, fine particles of M23C6 type carbide precipitated at the grain boundaries in the steel containing Mo. The amount of Mo in M23C6 carbides was increased with increasing Mo content. On the other hand, the size of these carbides slightly decreased with increasing Mo content. These fine carbides strongly prevented the grain boundary movement (migration), therefore recrystallizaiton in the work-hardening steels was retarded. Moreover, the growth of M23C6 carbides at the grain boundary was consistent with Ostwald ripening equation substituted Mo for Cr. This result suggested that the growth rate of M23C6 was controlled by the diffusion of Mo.
高温でオーステナイトステンレス鋼を用いる場合,固溶化熱処理状態で使用するのが一般的であるが,近年,冷間加工したままの状態で使用する例が幾つか報告されている。例えば,Uchiyamaら1)はSUS305を深絞り加工により中空エンジンバルブを製造し,そのまま使用することで軽量・高強度化を達成している。また,Hamanoら2)は冷間圧延した23Cr-10Ni-6Mn-2Mo-0.5N鋼を高温で使用する排気用メタルガスケットへ適用することを報告している。高温特性の向上は,一般に固溶強化や析出強化により達成されるが,そのためには高価な合金元素が多量に必要となり,これらの元素の影響で製造性が悪くなることが多い。これに対し,加工強化は,合金元素に頼ることなく強度を向上させることができるが,ある温度を越えると回復・再結晶が生じて材料が急激に軟化するため,高温では安定性に欠ける強化法と認識されており,広く利用されてはいない。しかし,加工強化を有効に利用することは省資源の観点から重要であり,その適用範囲を拡大するためには軟化挙動を詳細に把握する必要がある。著者らは,0.3 mass%を越える窒素を含有する高マンガンオーステナイトステンレス鋼について合金元素の影響を調査し,Mo添加により冷間圧延材の高温での軟化が抑制されることを見出している3)。しかし,どの様な機構により軟化が抑制されているかは明らかではなく,これを知ることは高温における加工強化のさらなる安定性の向上を図るうえでも重要である。そこで,本研究では,冷間圧延材の高温保持による軟化挙動とそれにともなう組織変化を詳細に観察することで冷間圧延した高マンガンオーステナイトステンレス鋼のMoによる軟化抑制機構を明らかにすることを目的とした。
本研究に用いた試料の化学組成をTable 1に示す。15Mn-17Cr-0.09C-0.39N(mass%)を基本組成とし,Mo添加量を0.01~2 mass%まで変化させたものである。以下,各試料をMo添加量により0.01Mo,0.5Mo,1.0Mo,1.5Mo,2.0Mo鋼と称する。Mn,Ni,C,Nは,焼鈍後の組織をオーステナイト単相とするためにそれぞれの添加量を調整したものであり,0.01Mo鋼においては,強加工後も加工誘起マルテンサイト相が生成しないことが確認されている4)。
Steel | C | Si | Mn | Ni | Cr | Mo | V | N |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
0.01Mo | 0.090 | 0.84 | 15.1 | 4.3 | 16.9 | 0.01 | 0.49 | 0.39 |
0.5Mo | 0.095 | 0.83 | 15.1 | 4.3 | 16.9 | 0.52 | 0.49 | 0.38 |
1.0Mo | 0.093 | 0.78 | 15.1 | 4.3 | 16.8 | 1.04 | 0.48 | 0.39 |
1.5Mo | 0.094 | 0.83 | 15.1 | 4.3 | 16.8 | 1.56 | 0.47 | 0.39 |
2.0Mo | 0.094 | 0.79 | 15.2 | 4.3 | 16.8 | 2.08 | 0.47 | 0.39 |
試料は大気高周波誘導溶解炉で溶解後,熱間鍛造により8 mm厚の板とした。それに1373 K-3.6 ksの溶体化熱処理を行った後,冷間圧延,焼鈍-酸洗を2回行い,1.5 mm厚の冷延焼鈍板とした。最終の焼鈍条件は1373 K-30 secであり,いずれの鋼も平均結晶粒径は約20 μmであった。これらに圧延率40%の冷間圧延を施した後,873 Kで最長1440 ksの焼鈍を行い,その高温力学特性と組織の変化を評価した。冷間圧延後の硬さはいずれの試料も430~450 Hvであった。
高温力学特性は,高温硬さ計(Nikon社製,QM-2)を用いて873 Kでの硬さによって評価した。組織変化による硬さ変化の影響を極力小さくするために,試料と圧子をAr雰囲気にて30 K/minで昇温し,測定温度に到達し300 sec保持した後,測定を始め600 sec以内に測定を終了した。試験荷重は200 g,圧子材質は高温での鋼との反応性を考慮しサファイヤとした。
組織変化は,X線回折(RIGAKU社製,RINT RAPID),走査電子顕微鏡(Carl Zeiss社製,ULTRA55)とこれに付属するEBSD装置(TSLソリューションズ社製,OIM)により評価を行った。X線回折は,Co-Kα線を用い40 kV-30 mAの条件で行った。SEM観察試料は,板面をエメリー紙で#400から4000まで湿式研磨し,続いてダイヤモンド砥粒を用いたバフ研磨を行った。最終的に,表面の加工ひずみ層を取り除くために,10%過塩素酸-エタノール溶液による電解研磨(電圧20 V,電流8 mA,温度−80 °C)を行い観察に供した。また,一部の試料をエネルギー分散型X線分光分析装置(EDX)と高角度環状暗視野(HAADF)ディテクターを装備した走査透過電子顕微鏡(FEI社製,TECNAI-F20,加速電圧200 kV)を用いて観察し,析出物の同定を行った。観察試料には,10%過塩素酸-エタノール溶液によるTwinjet式電解研磨を施したものと,SPEED法により作製した抽出レプリカ試料の2種類を用いた。EDXによる析出物組成の定量分析には後者の試料を用いた。
40%の冷間圧延を施したものと,これに873 K-1440 ksの焼鈍を施したものについて,873 Kで高温硬さを測定した結果をFig.1に示す。冷間圧延材の高温硬さは,Mo添加量が増加するに伴いわずかに高くなる傾向が見られる。これに対し,873 K-1440 ksの焼鈍を施したものは,冷間圧延材に比べていずれも硬さが低下しており,0.01Mo鋼では冷間圧延材のほぼ半分の値となっている。一方,Moを1.0 mass%以上添加したものでは,硬さの低下が明らかに抑制されており,冷間圧延材の90%前後の硬さを保持していた。また,1.0 mass%以上添加した鋼で比較すると,Mo添加量が増えるに従い,わずかではあるが硬さの低下が抑制されている。以上の傾向は室温での硬さも同じであり,Moを1.0 mass%以上添加したものでは硬さの低下が明らかに抑制されていた。次に,0.01Mo鋼,1.0Mo鋼および2.0Mo鋼の3種類における873 Kでの焼鈍時間と高温硬さの関係をFig.2に示す。いずれの鋼も焼鈍時間が長くなるに従い,高温硬さは低下する傾向を示すが,Moをほとんど含有していない0.01Mo鋼では360 ks焼鈍後にすでに顕著な低下が生じていることがわかる。また,1.0Mo鋼と2.0Mo鋼を比較すると,すべての焼鈍時間で2.0Mo鋼の方が硬さの低下が抑制されているが,その差はわずかである。ここで,0.01Mo鋼について,硬さの低下がどの程度の焼鈍時間で生じているかを確認するため,冷間圧延材を高温硬さ試験機内で873 Kに保持し,高温硬さの保持時間による変化を調べた。その結果をFig.3に示す。硬さの低下は360 ks程度までは直線的であり,その後は緩やかに起こっていることがわかる。これより,硬さ変化に影響をおよぼす組織変化は,360 ks保持まで時間とともに進行し,この段階でほぼ完了したことが示唆される。
Effect of Mo on high temperature hardness at 873 K for cold-rolled steels and annealed steels at 873 K for1440 ks after cold-rolling.
Variations of high temperature hardness at 873 K as a function of annealing time in 0.01Mo, 1Mo and 2.0Mo steels.
Effect of annealing time on high temperature hardness at 873 K in 0.01Mo steel.
各Mo添加鋼の冷間圧延材と873 K-1440 ksの熱処理材におけるX線回折結果をFig.4に示す。冷間圧延材では,いずれもオーステナイト相のピークのみが確認された。また,加工時に導入された格子欠陥や残留応力の影響によりピークがややブロードになっていることがわかる。高マンガンオーステナイトステンレス鋼は,その化学組成によっては加工誘起マルテンサイト相,εマルテンサイト相などが生成することが知られているが,本報で用いた鋼では,Mo添加量に関わらず冷間圧延後もこれらの生成は無く,オーステナイト単相である。また,(222)ピークがMo添加によりシフトしていることから,Moは固溶していると考えられる。873 K-1440 ksの熱処理材では,0.01Mo鋼と0.5Mo鋼でオーステナイト相以外のピークが確認され,さらにオーステナイト相のピークは再結晶が生じていることを示唆するシャープな形状へと変化している。低角度側に新たに出現したピークは,その回折角からσ相と同定された。一方,1.0Mo鋼,1.5Mo鋼および2.0Mo鋼では,冷間圧延材とほぼ同じピークの形をしており,顕著な変化は認められなかった。なお,当該鋼の平衡状態図をサーモカルクにより計算した結果,873 KではMo添加量に関わらずσ相は平衡相として現れることを確認した。その相比はMo添加により若干大きくなり,0.01Mo鋼で0.13,2.0Mo鋼で0.16となり,Mo添加によりσ相の安定度が高くなる傾向を示した。
XRD profiles for cold-rolled steels and annealed steels at 873 K for 1440 ks after cold-rolling.
これまでの結果より,高温硬さの変化には回復・再結晶挙動が関係していると考えられるため,SEM-EBSDによる結晶方位解析を行った。0.01Mo鋼の冷間圧延材と各鋼の熱処理材における結晶方位分布図をFig.5に示す。観察は圧延面について行い,図の上下方向が圧延方向である。また,圧延面法線方向に向いている結晶方位を図に付記する標準ステレオ三角形に示される色付けにしたがって表示している。測定面積は100 μm×100 μm,電子線の走査間隔は0.2 μmとした。なお,加工組織等の解析を行う場合,試料内部に残留する加工ひずみにより菊池線が不明瞭となり,同定される結晶方位にエラーが含まれやすくなる。そこで,解析用ソフトウェア(OIM Analysis)を用いて算出される解析結果の信頼値(CI値)が0.05以下となった測定点については切り捨てて評価を行った。Fig.5(a)に示す0.01Mo鋼冷間圧延材では,結晶粒が圧延方向に伸張しており,また,結晶粒内は連続的な色調変化が認められる。これは,結晶粒内で連続的に結晶方位が変化していることに対応しており,冷間加工によるひずみが可視化されたものである。これに対し,0.01Mo鋼を873 Kで1440 ks焼鈍した(b)では,観察視野全面が冷間加工材よりも明らかに小さな粒から構成されており,圧延により伸ばされた粒は観察されない。また,一つ一つの粒内は単一色から成っており,ひずみの消失が示唆される。(c)の0.5Mo鋼では,単一色から成る小さな結晶粒と圧延方向に伸ばされた大きな結晶粒からなる混粒組織となっている。(d)から(f)に示した1.0%以上Moを含有する鋼では,873 K保持後も冷間圧延材とほぼ同様の組織であるが,結晶粒界近傍の一部に小さな結晶粒が観察された。この結果から,焼鈍による再結晶の進行は,結晶粒内でのひずみの残存,すなわち結晶粒内の結晶方位差により判断できると考えられる。そこで,方位解析結果から結晶粒ごとの平均内部方位差(GAM:Grain Average Misorientation)を算出した。Fig.6に,その頻度分布を面積率を用いて示す。冷間圧延材(a)では結晶粒内に1°から2°の平均内部方位差を持つ結晶粒が大部分であり,頻度分布はブロードな形をしている。一方,873 Kで熱処理した0.01Mo鋼(b)では方位差0.4°付近に鋭いピークを持つ分布に変化しており,熱処理によりひずみの無い結晶粒が生成したことと良く対応する。0.5Mo鋼(c)では,0.4°と1.0°の2箇所にピークを有する分布となり,2.0Mo鋼(d)では,冷間圧延材に近い分布を示す。以上の結果を踏まえて,0.8°以下の方位差を持つ結晶粒を,内部にほとんどひずみを含まない再結晶粒と定義し,各熱処理材について,その粒の割合を求めた。例えば,0.01Mo鋼のそれは96.5%となり,ほとんど再結晶が完了していることがわかる。その他,0.5Mo鋼で64.2%,Fig.5において再結晶粒がほとんど観察されなかった1.0Mo鋼,1.5Mo鋼および2.0Mo鋼では,それぞれ4.7%,3.7%,2.1%と算出された。
Crystal orientation maps in cold-rolled steel and annealed steels at 873 K for 1440 ks. (a) as-rolled 0.01Mo steel, (b)-(f) annealed 0.01, 0.5, 1.0, 1.5 and 2.0Mo steels, respectively.
Relationships between grain average misorientation and its fraction of area in cold-rolled steel and annealed steels at 873 K for 1440 ks. (a) as-rolled 0.01Mo steel, (b)-(d) annealed 0.01, 0.5 and 2.0Mo steels, respectively.
再結晶の進行を阻害する要因の一つとして,析出物による粒界移動のピン止め効果があり,本実験に用いた鋼の化学組成,試験温度から考え,炭化物や窒化物などが再結晶挙動に影響を及ぼしている可能性は高いと考えられる。そこで,再結晶率に違いが認められた0.01Mo鋼,0.5Mo鋼,2.0Mo鋼の熱処理材をSEM観察に供した。
Fig.7(a),(b)に示す0.01Mo鋼では,数μm程度の不定形状の析出物がランダムに分布し,部分的に数百nm程度の塊状析出物が密集して存在している。0.5Mo鋼(Fig.7(c),(d))では,0.01Mo鋼と同じ組織を呈している領域と,ほとんど析出物が観察されない領域が認められる。EBSDの結果とあわせ考えると,不定形状の析出物が観察される領域が再結晶した部分に対応する。2.0Mo鋼(Fig.7(e),(f))では,粒界に百nm以下の塊状析出物が連なるように生成し,0.01Mo鋼と0.5Mo鋼で観察された不定形の析出物は観察されない。このことから,粒界に連なって観察される塊状析出物の存在が再結晶の進行を抑制していると考えられる。
FE-SEM images in steels annealed at 873 K for 1440 ks. (a) (b) 0.01Mo steel, (c) (d) 0.5Mo steel, (e) (f) 2.0Mo steel, (b), (d) and (f) are high-magnification of (a), (c) and (e), respectively.
次に,Fig.8に示すように部分的に再結晶が生じている0.5Mo鋼のTEM観察を行った。観察領域は図の左上の再結晶部と右下の未再結晶部の接する部分であり,それらは内部に観察される転位の量によって区別できる。再結晶領域にはSEM観察と同じく不定形をした析出物が確認される。この析出物から得られた電子回折図形(b)を解析した結果,σ相と同定された。これはX線回折の結果とも対応している。冷間圧延したオーステナイトステンレス鋼を焼鈍することにより析出するσ相は,10Cr-30Mn鋼において再結晶組織と加工組織の境界に発生し,境界の移動とともに成長することが報告されている5)。本研究でSEMとTEMを用いて観察した結果もこれらと一致しており,したがって,σ相は再結晶とともに生成・成長したものと考えられ,再結晶抑制に寄与する析出物ではないと推察される。また,Fig.7(a),(b)の再結晶部には棒状の析出物も認められ,これについてTEM観察を行った結果,Cr窒化物であることを確認した。その形態よりσ相と同じく再結晶の進行にともない析出するものと考えられ,これも再結晶抑制に寄与するものではない。Fig.9に2.0Mo鋼における粒界上析出物のTEM観察結果を示す。TEM-BF像(a)に見られる析出物の形態と大きさはSEM観察の結果とほぼ一致する。矢印で示す析出物から得られた制限視野回折図形(b)を解析した結果,M23C6と同定された。これより,再結晶の抑制に関与している析出物がM23C6であることが明らかとなった。また,いずれの鋼においてもVを0.5%程度含有しており,粒界,粒内において微細なV窒化物が観察された。冷間加工したMn-Cr系ステンレス鋼の再結晶挙動におよぼすVの影響は,Chi and Shibata6)により18Mn-5Cr-2Ni-0.4C-低N系について調べられている。これによると,Vを0.1%程度まで変化させると微細V4C3炭化物の析出により再結晶が抑制されることが報告されている。しかし,本鋼においては,Mo添加量によるV窒化物の分散状態への影響については顕著な違いは認められなかった。したがって,本鋼の再結晶挙動に対しては,M23C6の寄与が支配的であると考えられる。
TEM observation in 0.5Mo steel annealed at 873 K for 1440 ks. (a) BF image, (b) diffraction pattern obtained from σ phase.
TEM observation in 2.0Mo steel annealed at 873 K for 1440 ks. (a) BF image, (b) diffraction pattern of obtained from M23C6.
ここで,再結晶が生じた0.01Mo鋼,0.5Mo鋼におけるM23C6の形態をFig.7(a)(c)でみると,再結晶粒内部に連なって観察された。焼鈍初期にオーステナイト粒界に析出したものの,その後再結晶が進行したため,結果として粒内に残存したものと考える。再結晶が生じた鋼のM23C6は2.0Mo鋼と比較して大きく,これよりM23C6の大きさが再結晶の抑制に影響していると考えられる。
粒界上析出物が再結晶の抑制に関与していることは,冷間圧延した15Ni-15Cr鋼の再結晶挙動を調査したChiら7)も確認しており,高炭素-低窒素鋼においてはM23C6,低炭素−高窒素鋼においてはCr2Nの析出による再結晶抑制を報告している。本研究での鋼は,これらと比較すると中炭素−高窒素鋼となる。N量はC量の4倍程度であるにも関わらず,TEM観察からはV窒化物以外の窒化物の生成はほとんど確認されなかった。このことは非常に興味深い現象であり,大部分のNは固溶し,オーステナイト相の安定化と強度保持に寄与していると考えられる。
3・5 Moによる再結晶抑制機構粒界に観察される析出物の大きさは,Fig.7で示したようにMo含有量が増えるに従い小さくなる傾向が認められている。そこで,873 K-1440 ksの焼鈍を施した各試料において,粒界析出したと判断される析出物の平均粒径をSEM写真から測定した結果を,Fig.10に示す。粒径は各析出物を円近似したときの直径として求めた。その結果,Mo添加量が増加するにしたがい,M23C6の粒径が小さくなり,Moを2%添加した鋼では無添加の鋼に比べ半分程度の大きさになっていることが判った。粒界のピンニング力は,Zenerの式より次のように表される8)。これによりピンニング力におよぼすMo量の影響を検討すると,再結晶が生じた0.01Mo鋼,0.5Mo鋼では,1.28~1.42×107,1.42~1.68×107 J/m2となり,再結晶が生じていない1.0Mo鋼,1.5Mo鋼,2.0Mo鋼では,それぞれ2.10~2.79×107,2.45~3.02×107,3.87~3.64×107 J/m2となった。いずれも粒子径としてはFig.10に示した粒径の最大値,最小値を,粒子の体積率の代わりとして,それぞれの粒界の被覆率を用いた結果である。M23C6粒子径が小さくなることでピンニング力が大きくなることが判る。
(1) |
Effect of Mo on average diameter of M23C6 at grain boundary in steels annealed at 873 K for 1440 ks.
f:粒子の体積率,r:粒子径,σr:粒界エネルギー
これに対し,粒界移動の駆動力は,導入された転位密度により,式(2)で求められる。このときの転位密度は,冷間圧延材のEBSD測定結果より,式(3)により求めたものを用いた9)。αは,傾角粒界の場合は4,ねじれ粒界の場合は2であることが知られているが,本研究では詳細な判別を行っていないので3とした。組織観察の結果,再結晶は粒界から進行していることを確認したので,平均方位差としては再結晶が生じる部位,つまり粒界部の方位差をEBSD測定により求めた値5~7°を用いた。その結果,粒界移動の駆動力は1.27×107~1.78×107 J/m2となった。再結晶が抑制された鋼においては,(ピンニング力)>(粒界移動の駆動力)であり,M23C6粒子により再結晶を抑制することは可能で,Mo添加の効果は,焼鈍中の炭化物の成長速度を減少させることで粒界ピンニング力の低下を防止することであり,それによって再結晶が抑制されたと考えられる。
(2) |
μ:剛性率,b:バーガースベクトル,ρ1:転位密度
(3) |
α:粒界の成分に依存する定数,d:EBSDの測定間隔,θ:平均方位差
炭化物が小さくなった理由として,Mo添加により析出そのものが遅延したことが挙げられる。しかし,Fig.3に示す様に,0.01Mo鋼の硬さの低下はわずか50 ksで生じている。したがって,例えば2.0Mo鋼で硬さ低下が抑制されるためには,このような短時間でも炭化物が析出している必要がある。本報での検討は冷間圧延材についてであり,通常の溶体化材に比べて析出は早期に生じている可能は高く,また硬さ変化から考えてもMo添加による析出の遅延はほとんど無いと考えられる。そこで次に,Mo添加によるM23C6の構成元素濃度の変化を調査した。873 K-1440 ksの焼鈍を施した2.0Mo鋼のM23C6についてEDXによる線分析を行った結果をFig.11に示す。M23C6のM元素は主にFe,Cr,Mnから成り,5%程度のMoが含まれていることが判る。また,それらの元素は炭化物中にほぼ均一に存在し,コア-シェル構造などの不均一分布は確認されない。次に,873 K-1440 ksの焼鈍を施した0.5Mo鋼と2.0Mo鋼から作製した抽出レプリカ試料を用いて,析出物組成を定量分析した。Fig.12は,試料中の粒界上炭化物を無作為に30個に選び,M構成元素の定量分析を行った結果をCr-Mo-その他元素として擬三元系プロットしたものである。その他元素の量は,全体からCr,Moの分析値を減じたものとした。これより2.0Mo鋼のM23C6に含まれるMo量は0.5Mo鋼に比べ明らかに上昇していることが判る。この結果から,M23C6の成長速度にMoが直接的な影響を及ぼしている可能性が示唆される。そこで,0.5Mo鋼,2.0Mo鋼について873 Kでの保持時間による粒界上炭化物の粒径変化を調べた。その結果をFig.13に示す。36 ks保持した場合,両鋼の析出物粒径はほぼ同じであったが,保持時間が長くなるに従い差異が生じ,720 ks保持後には0.5Mo鋼が80 nm程度となるのに対し,2.0Mo鋼では60 nm程度であり,成長速度は2.0Mo鋼の方が遅くなっている。
EDX line profiles of M23C6 at grain boundary in 2.0Mo steel annealed at 873 K for 1440 ks.
Amount of Mo in M23C6 on grain boundary in annealed 0.5Mo and 2.0Mo steels measured by EDX.
Effect of annealing time on average diameter of M23C6 in 0.5Mo and 2.0Mo steels.
熱平衡状態において一定の体積率に達した炭化物の成長挙動はオストワルド成長として解釈でき,拡散の遅い元素が律速となり成長速度が大きく変わることが報告されている。Sakumaら10)はセメンタイトの粗大化挙動に及ぼすCr,Moの影響をそれぞれ0.3mass%単独に添加し検討した。また,Yoshizawaら11)はマルテンサイト系耐熱鋼中のM23C6の粗大化におよぼすWの影響を1mass%添加の場合について解析した。本鋼におけるM23C6の構成元素はFe,Cr,Mn,Mo,Cであり,その中で特に拡散が遅いMoがM23C6の成長を律速している可能性は十分にある。そこで,Yoshizawaら11)が提案した次式を用いてM23C6の成長速度に対するMoの影響を検討した。
(4) |
σM23C6/r:炭化物(M23C6)とオーステナイト相の界面エネルギー
VM23C6:炭化物(M23C6)を構成する原子1モルあたりの体積
Dry:オーステナイト相中のMoの拡散係数
a+b/a:炭化物を構成する原子の総数/炭化物を構成する金属原子の総数
ury,uyM23C6:オーステナイト相,炭化物を構成する金属原子の総量に対するMo原子の分率
この式は,[Fem/(m+n)(X, Y)n/(m+n)]aCbの成長がY元素の体拡散に律速される場合のオストワルド成長挙動を表しており,三乗則に従うことは従来のFe-X-C系炭化物のそれと同じであるが,熱力学的検討を加え第四の元素が固溶した場合に適合する様に拡張したもので,成長係数kyに修正が加えられている。本報では冷間圧延を行った鋼を対象としており,その拡散は転位や粒界による短回路拡散も考慮する必要があるが,定量的な考察が容易となるように316ステンレス鋼における格子拡散の値12)を用いた。36 ks保持後を初期粒径r0とし,一定時間保持した後の粒径rを(4)式により計算した結果をFig.14に示す。これより,0.5Mo鋼と2.0Mo鋼における1500 ks保持後の粒径の差は15 nm程度になることが判る。これら計算値は,Fig.13で示した実測値とほぼ一致しており,M23C6の成長はMoの拡散が律速となっていると結論できる。
Relationships between annealing time and particle radius 0.5Mo and 2.0Mo steels calculated from equation 1.
冷間圧延を施した17Cr-15Mn-0.09C-0.39N鋼について,873 Kで焼鈍したときの軟化挙動と組織変化におよぼすMo添加の影響について調査し,以下の結果を得た。
1)873 K-1440 ks焼鈍後に,873 Kに再加熱して高温硬さを測定した結果,Moを添加していない鋼では冷間圧延材の半分程度まで硬さが減少するのに対し,Moを1%以上添加した鋼では硬さの減少が抑制され,冷間圧延材の90%程度の硬さを保持していた。
2)EBSDによる組織解析の結果,Moを添加していない鋼では,873 Kでの焼鈍処理により試料全体で再結晶が生じていたのに対し,0.5%のMoを添加すると加工組織と再結晶組織が混在した組織となり,1.0%以上の添加で冷間圧延材とほぼ同じ組織を保っていた。したがって,Moの添加は再結晶抑制に寄与し,軟化を防止していると推察される。
3)SEMとTEMの観察の結果から,873 Kの熱処理で再結晶組織となった領域には不定形状のσ相が,加工組織が残存している部分では結晶粒界上に微細なM23C6がそれぞれ確認された。
4)Mo添加量が増えるに従いM23C6中のMo量が増加し,焼鈍中の成長速度が減少していた。これにより,粒界のピンニング力の減少が抑えられ,再結晶を抑制していると考えられる。また,Moの拡散が律速過程となりM23C6の成長が抑制されていることが示唆された。