Tetsu-to-Hagane
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Formation of Fine Protrusions by Sputter Etching of Martensitic Stainless Steels
Keijiro NakasaAkihiro YamamotoRongguang WangTsunetaka Sumomogi
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2014 Volume 100 Issue 5 Pages 647-655

Details
Synopsis:

Argon ion sputter etching was applied to three kinds of martensitic stainless steels (SUS410, SUS420J2 and SUS440C) and a ferritic stainless steel (SUS430) at a radio frequency power of 250 W for 0.6 ks to 21.6 ks. When the sputter etching time is 0.6 or 0.9 ks, the pillar-shaped protrusions with diameters smaller than 1 μm are formed on the surface of the SUS420J2 steel. With increasing sputter etching time, the cone-shaped protrusions are formed around the base of the pillars, and the size of the conical protrusions increases to more than 10 μm with further increase in the sputter etching time. When the sputter etching time is 21.6 ks, the size of the protrusion becomes more than 20 μm and the surface of the protrusions is heavily damaged. According to an EDX analysis, the Cr content of the surface of a cone is larger than that of the inside and the matrix surrounding the cone. Other steels show a similar protrusion formation process to the SUS420J2 steel, but the formation speed and the density of the cones are smaller for the SUS410 or SUS430 steels with smaller carbon content than the SUS420J2 steel, whereas they are a little larger for the SUS440C steel with larger carbon content. For the martensitic stainless steels, the quenching increases the hardness of protrusions, which is convenient for a traction roll and a transcription roll to imprint many holes to sheets.

1. 緒言

金属その他の材料をスパッタエッチングあるいはプラズマエッチングすると,表面に微細な突起物が形成されることは,古くから知られていた1,2,3,4,5,6,7,8,9,10)。しかしながら,それらの研究の多くは,突起物の形成機構を解明するために行われたものであり,純金属,シリコン,炭素材料などの単相材料を対象としたものが多い。その中で,Witcomb6)の研究はステンレス鋼を対象としたものであるが,多くの研究と同様,スパッタエッチング電力が小さいため,介在物がスパッタされて突起物となるのみであり,突起物の分布密度は小さい。著者らの調査によると,これまでの研究では,多様な組織をもつ鉄鋼材料をスパッタエッチングした例は少なく,また,形成された微細突起物を工業的に利用しようとした試みも少ない。

一方,著者ら11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21)は,スパッタエッチング電力を大きくして,各種の鋼をアルゴンイオンでスパッタエッチングすると,表面温度の上昇と各種炭化物の析出に伴って,表面に微細な突起物が高密度で形成されることを報告するとともに,スパッタエッチング時間の増加にともなう微細突起物の形成・成長・崩壊過程を明らかにしてきた。また,前報21)において,スパッタエッチングにより,薄板やワイヤにも微細な突起物が形成されるので,これらを利用すれば突起物の工業的な用途が広がることを述べた。なお,前報21)において,現在行われている微細突起物の一般的な形成方法と著者らの行ってきたスパッタエッチングによる突起物形成方法の比較,プラズマを用いた突起物形成法に関する従来の研究(たとえば,マスクを用いたスパッタエッチング),突起物のもつ機能性と用途,などについて,かなり詳しく説明したので,ここではそれらの紹介は省略し,以下に本研究の目的とそれに関連した事項のみを述べる。

著者らのこれまでの研究によると,SKD5,SKD61,SKH51などの工具鋼においては,スパッタエッチングにより,直径が1 μm以下の微細な柱状突起物が高密度で形成される12,13,17,19,20)。一方,オーステナイト系ステンレス鋼SUS304では直径が数μm以上の比較的大きな円錐状突起物ができ11,12,13,14,16,18,20,21),スパッタエッチング時間が増加すると突起物の形状がリング状あるいは柱状に変化(崩壊)するが14,18),同じオーステナイト系ステンレス鋼でもSUS316およびSUS316Lでは,スパッタエッチングの早期にリング状あるいは柱状の突起物が形成される20,21)

ところで,直径が1 μm以下の微細突起物をもつ表面の利用法としては,光吸収体19)あるいは光反射防止膜製造用の型,超撥水表面20),コールドエミッターなどが考えられる。これに対し,直径が数μmで先端の鋭い円錐状突起物をもつ表面は,柔らかくて比較的厚い布や紙などの搬送ロールや,高分子膜に微細な孔を開ける(光の反射を軽減したり,塗膜がはく離しにくくしたりする)ための転造ロールや型としての利用が考えられる。著者らのこれまでの研究によると,円錐状突起物が形成されるSUS304は,これに適した素材であり耐食性もあるが,(1)円錐状突起物の形成密度は必ずしも高くないこと,(2)スパッタエッチング条件の僅かな違いにより,表面が滑らかな円錐状突起が形成されず,微細な柱状突起物に崩壊しやすい(円錐状突起物形成の安定性が小さい),(3)突起物が硬くないので,搬送ロール・転造ロールとして用いたときに耐摩耗性が不足する可能性がある,などの課題がある。突起物の寸法・形状・密度・安定性を決める材料因子は合金元素であるが,突起物の初期形成には析出炭化物が関与しているので,炭素量の影響も大きいと思われる。

そこで本研究では,炭素量が大きく異なる3種類のマルテンサイト系ステンレス鋼についてスパッタエッチングによる突起物形成挙動を調べた。マルテンサイト系ステンレス鋼は,オーステナイト系ステンレス鋼に比べて耐食性はやや劣るが,スパッタエッチング後の焼入れによって突起物を含む表面層を硬化できるので,耐摩耗性が必要な上記の搬送・転造ロールへの利用に適している。なお,Cr量が多く炭素含有量の低いフェライト系ステンレス鋼SUS430で形成される突起物については,すでに一部報告したが12),本研究では,マルテンサイト系ステンレス鋼の比較材として,SUS430についてもスパッタエッチング時間に伴う突起物形成挙動を調べ,すでに得られているオーステナイト系ステンレス鋼SUS304およびSUS316についての結果と合わせて,ステンレス鋼全般の突起物形成挙動と特徴を考察した。

2. 実験方法

実験材料は,市販の3種類のマルテンサイト系ステンレス鋼(SUS410,SUS420J2,SUS440C)およびフェライト系ステンレス鋼(SUS430)で,これらの鋼の化学組成(質量%)をTable 1に示す。SUS410は,厚さ5 mmの板から一辺が10 mmの板に加工,SUS420J2およびSUS440Cは,直径10 mmおよび12 mmの丸棒を厚さ1.5 mmの円板に放電ワイヤカッターで切断し,それぞれ試験片とした。なお,SUS440CとCr含有量は同程度であるが,炭素量が少ないフェライト系ステンレス鋼SUS430(厚さ1 mmの薄板から幅25 mm×25 mmの板に切断)も,比較材として用いた。SUS420J2,SUS440CおよびSUS410試料の表面はエメリーペーパ#1000まで研磨したが,SUS430試料(冷間圧延)の表面は平坦で光沢があるので,受け入れのままとした。これらの試料を,高周波マグネトロンスパッタ装置((株)サンパック製:SP300-M)内にある水冷カソード銅電極(直径100 mm)上のSUS304ステンレス鋼円板(厚さ2 mm)に載せ,真空槽内の真空度を約6×10−3 Paにしたのち,Arガス(純度99.999%)を導入して約0.67 Paに保持し,高周波電源出力を250 Wとして,スパッタエッチングを行った。突起物の形状および突起物横断面の観察とエネルギ分散型X線分析(EDX分析)には,走査型電子顕微鏡(SEM)(日本電子(株):JSM-6510A)を用いた。

Table 1. Chemical composition of specimens (mass %).
MarkCSiMnPSNiCrMoFe
SUS4100.050.330.320.0190.0030.0713.30Bal.
SUS420J20.350.550.450.0250.0160.2212.27Bal.
SUS440C1.020.280.300.0220.0010.1916.390.38Bal.
SUS4300.060.370.320.0250.00316.18Bal.

3. 実験結果および考察

3・1 マルテンサイト系ステンレス鋼SUS420J2における突起物形成挙動

マルテンサイト系ステンレス鋼SUS420J2(厚さ1.5 mm)について,スパッタ電力250 Wで所定の時間スパッタエッチングを行い,円錐状突起物の形成・成長・損傷過程をSEM観察により調べた。その結果をFigs.1,2,3,4,5,6に示す。スパッタエッチング時間が0.6 ksと短いときには(Fig.1(a),試料を45°傾けて観察),表面近傍に多くの析出物が現れているが,表面に垂直に成長した析出物(前報21)と同様,これらをピラーと呼ぶ)の数は少ない。スパッタエッチング時間0.9 ksでは(Fig.1(b)),特定の結晶粒内で,ピラーが高密度で成長している(実際には,ピラーが表面に垂直に成長するのではなく,ピラーよりも速く素地がスパッタされ,それと同時にピラーが深さ方向に成長するため,表面にピラーが残るのであるが,本研究では,これを「成長」と表現する。以下に述べる円錐状突起物についても同様である)。

Fig. 1.

 SEM images of pillars formed on SUS420J2 stainless steel by sputter-etching at 250 W for 0.6 ks (a) and 0.9 ks (b). Both images are the side views from a 45º inclined direction.

Fig.2(a)および(b)は,Fig.1(b)と同じ試料の表面を,ピンセットの先端で引っかいたのち,それぞれ試料の真上からおよび60°傾斜させて観察した結果の例である。通常は,引っかきにより素地から引き倒されて横になっているピラーが観察される例が多いが,この例では,真上から観察した像(a)には円形のかなり大きなピラーが数個存在する。これらのピラーは,60°傾斜させて観察した像(b)では,塑性変形した素地から上に突き出ている。すなわち,これらのピラーは,引っかきにより引き倒されることなく,また塑性変形することもなく(円形をほぼ維持している),そのまま素地にほぼ垂直に埋まり込み,素地が塑性変形したのちに,弾性変形を回復して,上に伸びたことを示している。このように,ピラーは素地の成分と異なっており,塑性変形しにくくて硬く,素地の内部から析出していることが分かる。

Fig. 2.

 SEM images after scratch over pillars formed on SUS420J2 stainless steel by sputter-etching at 250 W for 0.9 ks. The images are top view (a) and side view from a 60º inclined direction (b).

なお,前報21)で述べたように,スパッタエッチング初期には,SK2,SKD61,SUS304でもピラーが形成される。ただし,SK2の場合には,ピラー(セメンタイト)はスパッタ電力100 Wでは形成されるが,それ以上の電力では形成されない。これは,スパッタ電力が大きいと,表面温度がオーステナイト領域以上のかなり高い温度に上昇して,セメンタイトがオーステナイト中に溶解してしまうためである。一方,SUS420J2の場合には,Fig.1で観察されるように,スパッタエッチング電力が250Wと大きくても,ピラーが多数形成されている(SKD61およびSUS304でも同様である21))。したがって,SUS420J2で観察されたピラーはセメンタイトではなく,高温で安定なCr炭化物あるいはFe-Cr複炭化物であると考えられる(後述)。

スパッタエッチング時間が3.6 ksと増加すると,それぞれのピラーの下部に円錐状の突起物が形成されている(Fig.3(a))。これは,ピラーが入射アルゴンイオンを遮蔽する効果と,ピラーの周りにはピラー(炭化物)形成元素であるCrが濃化し,それ以外のFeおよびNi元素が優先的にスパッタされるという効果により,ピラーの周辺の素地が円錐状突起物として残る現象であり,前報21)では,これを,簡単のため「ピラー効果」と名づけた。なお,スパッタエッチング時間3.6 ksでは,スパッタエッチング初期にはピラーが形成されていなかった結晶粒においてもピラーと円錐状突起物が形成され,突起物の密度は増加する。Fig.3(b)は,同じ試料の角の部分を示したもので,角部全周にわたって先端が曲がった突起物が存在する。これは,角部が上面と側面の2方向からスパッタエッチングされて温度が上昇し,角部で成長した円錐状突起物の先端がクリープ変形を生じたためと思われる。曲がりの向きはランダムで曲がった先端が再度別の方向に曲がったものもある。このように,曲がりの向きが重力の方向(紙面に垂直方向)と一致していない理由は,直径が数ミクロンメータという微細寸法の突起物先端では,重力よりも表面張力が変形を支配するためである。Fig.3(a)によると,ピラーの先端が球形になっているものがあるが(Fig.1のピラーも同様),これも表面張力によるものである。突起物先端が曲がったり捩れたり,球形に変化したりする原因と機構については,表面張力と内部応力の不均一性の関係からすでに詳細な議論がされているが1),このような現象から分かることは,スパッタエッチング中には,突起物の先端は非常に高温(融点に近い温度)になっていることである。したがって,このような高温では,ピラー(素地とは成分が異なる)の先端が丸くなることはあっても,曲がった円錐状突起物(素地とほぼ同じ成分)の先端にピラーが存在することはない(ピラーは突起物に溶解する)。

Fig. 3.

 SEM images of conical protrusions formed on SUS420J2 stainless steel by sputter-etching at 250 W for 3.6 ks observed at the center of a specimen (a) and at the edge of the specimen (b). Both images are side views.

スパッタエッチング時間が5.4 ksあるいは7.2 ksと増加するにつれて円錐状突起物は成長するが,スパッタ時間がさらに増加して10.8 ksになると(Fig.4),円錐状突起物が直径10 μm程度かそれ以上に粗大化するとともに,互いにぶつかり合って試料のほぼ全面を覆うようになる。突起物の表面は滑らかであり,先端には細くなった針状のピラーが残っているものもある。スパッタエッチングの初期には,ピラーの直径は1 μm程度であるが(Fig.1参照),スパッタエッチング時間の増加とともに,円錐状突起物先端のピラーは次第に細くなり,やがて消失する。これは,プラズマの回り込みによりピラーの横方向からのスパッタが起こること,突起物先端の温度が上昇して,ピラー(炭化物)が安定でなくなること,突起物が大きく成長すると素地からピラー下部へのCrの供給が起こりにくくなること,によると思われる。Fig.5は,同じ試料の角に近い場所を拡大して真上から観察した結果で,粗大な円錐状突起の表面はなお滑らかであるが,先端が湾曲して付け根の部分にしわがよっている場合もあるし,先端に穴が開いている場合もあり,円錐状突起物の先端では損傷が始まっている。

Fig. 4.

 SEM images of conical protrusions formed on SUS420J2 stainless steel by sputter-etching at 250 W for 10.8 ks. The images are top view (a) and side view (b).

Fig. 5.

 SEM images of protrusions formed on SUS420J2 stainless steel by sputter-etching at 250 W for 10.8 ks. Both images are top views.

スパッタエッチング時間が14.4 ksと増加すると,突起物表面が粗くなり,スパッタ時間が21.6 ksとさらに増加すると(Fig.6),円錐状突起物が粗大化して底面直径が20 μm以上になるとともに,突起物の表面には多数の溝や微細な穴ができる。このように,表面損傷がかなり進行しているが,円錐の形状はなお保持されている。前報15)によると,SUS304では,3.6 ksのスパッタエッチングにより,円錐状突起物は微細な柱状突起物集合体に崩壊するが,本研究で用いたSUS420J2では,円錐状突起物の損傷の進行は非常に遅く,形状の安定性は大きい。

Fig. 6.

 SEM images of protrusions formed on SUS420J2 stainless steel by sputter-etching at 250 W for 21.6 ks. The images are the top view (a) and the side view (b).

3・2 マルテンサイト系ステンレス鋼SUS410,SUS440Cおよびフェライト系ステンレス鋼SUS430における突起物形成挙動

Fig.7(a),(b)およびFig.8(a),(b)に,それぞれSUS410およびSUS440Cを250Wで3.6および14.4 ksスパッタエッチングしたときの円錐状突起物を示す。SUS420J2と比べてCr含有量は同程度であるが炭素量の少ないSUS410では,同じスパッタエッチング時間で比べると,SUS420J2よりも結晶粒ごとの突起物の形成密度の差が大きい。また,円錐状突起物の寸法は大きくて表面は滑らかである。一方,SUS420J2に比べてCrおよび炭素含有量の多いSUS440Cでは,同じスパッタエッチング時間で比べると,突起物の形成密度がやや高く,スパッタエッチング時間14.4 ksでは,粗大化した突起物のみならずそれらの間に形成されている小さな突起物の表面の損傷も大きくなっている。

Fig. 7.

 SEM images of protrusions formed on SUS410 stainless steel by sputter-etching at 250 W for 3.6 ks (a) and 14.4 ks (b). Both images are side views.

Fig. 8.

 SEM images of protrusions formed on SUS440C stainless steel by sputter-etching at 250 W for 3.6 ks (a) and 14.4 ks (b). Both images are side views.

Fig.9に,SUS440Cに比べてCr量は同程度でC量の少ないフェライト系ステンレス鋼SUS430を250 Wでスパッタエッチングしたときの突起物を示す。スパッタエッチング時間1.8 ksでは(a),底面の直径が数μmの円錐状突起物がかなり高密度で形成されている。スパッタエッチング時間が3.6 ksに増加すると(b),突起物は成長するがそれらの密度はかえって少なくなり,突起物の形状も円錐形とは呼べないくらいに不完全になっている。スパッタエッチング時間が7.2 ksでは(c)突起物がさらに成長し,スパッタエッチング時間が21.6 ksと長くなると(d),粗大化した円錐状突起物が微細な柱状突起物の集合体に崩壊している。

Fig. 9.

 SEM images of protrusions formed on SUS430 stainless steel by sputter-etching at 250 W for 1.8 ks (a), 3.6 ks (b), 7.2 ks (c) and 21.6 ks (d). The images are side views.

以上のことから,Cr以外には炭化物形成元素を含まないマルテンサイト系およびフェライト系ステンレス鋼では(ただし,SUS440CはMoを0.38%含む),炭素の含有量が多いほど,同じスパッタエッチング時間では突起物の形成密度が大きい(突起物の形成速度が速い)という傾向がある。しかし,いずれの鋼でも,円錐状突起物の底面の直径は5~10 μm以上である。SUS420J2では,スパッタ電力を低下させても,突起物の成長挙動は同じであり,Moを含まないオーステナイト系ステンレス鋼SUS304でも類似である15)。つまり,いくらCrが多くても,またスパッタエッチング条件を多少変えても,すでに報告したSKD5,SKD61,SKH51などの工具鋼(Cr以外に,W,V,Moなどを含む)で形成されたような,底面直径が1 μm以下の微細な突起物は形成されない。その主な理由としては,スパッタエッチングの初期に析出するピラー状Cr炭化物あるいはFe-Cr複炭化物の高温での安定性が,上記の工具鋼で析出するピラー状炭化物(たとえば,タングステンカーバイド)のそれよりも低く,スパッタエッチング中の温度上昇とともに,ピラーの密度が低下してしまい,その結果として突起物の大きさが大きくなることが考えられる。

上記のように,マルテンサイト系ステンレス鋼では,微細な柱状突起物ではなく,底面の直径が数μm以上の円錐状突起物が形成されるが,ある種の実用的な目的に対しては,この突起物が有効に利用できる可能性がある。中でもC量の多いSUS420J2およびSUS410Cは,C量の少ないSUS410およびフェライト系ステンレス鋼SUS430に比べて,円錐状突起物を高密度で形成させることができる。また,オーステナイト系ステンレス鋼SUS304に比べると,スパッタエッチング時間が多少変化しても,円錐状突起物の形状があまり変化せず安定である。スパッタエッチング時間がやや長いと,円錐状突起物の表面が荒れるが,このことによる表面積の増加は,突起物の化学反応を利用したり,突起物に硬い薄膜をコーティングしたりする場合には(アンカー効果の利用),かえって有利になる可能性もある。いずれにしても,SUS420J2およびSUS440C,あるいはそれらの類似鋼は,底面の直径が数μm以上の円錐状突起物を高密度でしかも安定して製造するのに適していると言える。

3・3 EDXによる突起物表面および断面のCr量の分析

Fig.5に示したように,SUS420J2試料では,250 Wで10.8 ksスパッタエッチングすると,一部の円錐状突起物の先端に穴が開く。また,スパッタエッチング時間が14.4 ks以上に増加すると,SUS420J2およびSUS440C試料では,突起物表面に溝や微細な穴ができる(Figs.6および8)。もし,この穴が突起物の内部深くまで達していたり,突起物内部が空洞になっていたりすると,円錐状突起物を摩擦搬送用ロールなどに利用する場合には,突起物が力を受けて変形する可能性がある。そこで,この穴が突起物の内部にまで達しているかどうか,および突起物内部のCr元素の分布がどのようになっているかを明らかにするため,250 Wで14.4 ksスパッタエッチングしたSUS420J2試料について,突起物の表面および縦断面のSEM観察およびEDX点分析を行った。その結果をFig.10に示す。これによると,突起物の表面には溝があるが,突起物内部には大きな空洞はなく,穴や溝は突起物先端あるいは表面近傍に限られていることが分かる。また,この分析例によると,突起物表面近傍のCr量は20.2%であり,突起物内部の14.0%および試料全体の平均値(12.3%:Table 1参照)よりかなり多い。この結果は,SUS304の場合14)に観察された結果(突起物表面のCr量の増加とNi量の減少)と同様である。突起物から離れた素地部分のCr量は高くないこと(EDX分析によると13.2%)および突起物先端にはまだピラーが残っていることから,突起物の表面層のみでCr量が多い理由は,前報21)で議論したように,ピラーが円錐状突起物形成の起点になっていて,スパッタエッチングによって生じた表面から内部に向かう大きな温度勾配あるいは空孔濃度勾配に沿ってCrが内部からピラーの下部および突起物表面に拡散してくるという現象が,引き続き起こっているためと思われる。

Fig. 10.

 Cr contents obtained by EDX analysis of the surface area (20.2%) and center area (14.0%) of the cross section of a protrusion formed by the sputter-etching of SUS420J2 steel at 250 W for 14.4 ks.

つぎに,Fig.11は,スパッタエッチング時間の異なるSUS420J2試料に形成された円錐状突起物の表面(断面ではない)に電子線をあてて,Cr量のEDX点分析を行った結果である。なお,図中の数字は,分析を行ったピラーまたは円錐状突起物底面の直径である(ただし,ピラーを除き,円錐状突起物の中央に電子線をあてていない場合も多い)。また,この図には,突起物から離れた素地領域のCr量も示してある(スパッタエッチング時間0には,この材料の化学分析値12.3%が○印で示してある)。この図によると,突起物表面のCr量は,突起物ごとに大きく異なっているが,突起物から離れた素地領域のCr量よりはかなり大きい。なお,スパッタエッチング時間0.9 ksの場合には,ピラーの周りに円錐状の突起物がまだ形成されていないので(Fig.1(b)参照),ピラー(直径1 μm程度)に電子線を当てて分析した。EDX分析においては,分析領域が広さ・深さともに1 μm以上に広がるので,ピラー自体のCr含有量は22%(6個の測定値の平均値)よりもっと多いものと思われる。EDX分析からはピラー状炭化物の種類を特定することはできないが,ピラーがクロム炭化物(CrmCn)でないとすれば,(Fe,Cr)3Cのような鉄とクロムの複炭化物であると推定される。スパッタエッチング時間が5.4 ks以上では,円錐状突起物の底面直径は9 μm以上であるので,それぞれの突起物表面のCr量はほぼ正しく測定できていると思われる。また,SUS440Cについても同様であり,スパッタエッチング時間7.2 ks以上で形成される突起物表面のCr量は,15~45%,突起物から離れた素地のCr量は10~15%であった。さらに,SUS410(スパッタエッチング時間14.4 ks)では(Fig.7(b)),突起物表面でCr量は23.1%,素地領域のCr量は16.1%であった。このように,円錐状突起物表面のCr量は,周辺の素地領域のCr量よりも多い。

Fig. 11.

 Relationship between sputter-etching time and Cr content on the surface of protrusions or the matrix around protrusions formed on the SUS420J2 steel sputter-etched at 250 W. The Cr content indicated by the hollow circle at zero sputter-etching time corresponds to that obtained by chemical analysis (12.27%) shown in Table 1. The numbers in this figure are the diameters of protrusions.

ところで,スパッタエッチング時間が14.4 ks以上に増加すると,円錐状突起物の表面の粗さが大きくなり溝や微細な穴が生じるが(Fig.6および8参照),Fig.11に示したように,平均値で見ると,スパッタエッチング時間14.4 ks以上で,突起物表面のCr量が大きく減少していることはないし,Cr量の少ない突起物の表面損傷がとくに大きいということもない。したがって,14.4 ks以上のスパッタエッチングにより突起物の表面損傷が大きくなる理由としては,(1)突起物の高さおよび密度が増加してプラズマに乱れが生じ,スパッタが不均一になった,(2)突起物の高さと表面積が大きくなって,内部からのCrの供給が不均一となりFeの多い部分が優先的にスパッタされた,などが考えられるが,詳細は不明である。

3・4 円錐状突起物の形成・成長・崩壊過程

前報21)で示した,円錐状突起物の形成・成長・崩壊過程の模式図をFig.12に再録し,本研究で得られた観察・分析結果を含めて,それらの概略を述べる。まず,スパッタエッチングの初期には(Fig.12(a)),ピラー状の炭化物が特定の粒界(SUS304など)あるいは粒内表面(本研究で用いた4種類のステンレス鋼すべてが該当)に析出する。スパッタエッチング中には,表面から内部に向かう大きな温度勾配・空孔勾配・熱応力勾配が存在するので,ピラーは内部に向かってほぼ垂直に成長し,スパッタによって素地が除かれても,ピラーとして成長を続ける。スパッタエッチング初期に,特定の結晶粒の表面にのみ多くのピラー状炭化物が形成される理由は,結晶方位によって,Crの拡散速度や,析出した炭化物がピラー状に成長する容易方向に違いがあるためと考えられる。たとえば,Fig.1(a)に示すように,ある結晶表面で横に伸びて析出している炭化物はスパッタによって消失すると思われる。スパッタエッチング時間の増加とともに(Fig.12(b)),結晶内部でピラーに向かってCrが引続き拡散してくると同時に,上述の「ピラー効果」によりピラーの根元の素地だけが残り,突起物が次第に円錐形に成長する。突起物の形状が円錐形である理由は,前報11)で述べたように,アルゴンイオンの入射角が0度から90度の間のある角度でスパッタ効率が最大になるためである。さらにスパッタエッチング時間が増加すると(Fig.12(c)),突起物の高さと体積が増加するが,それとともに,大きく成長した突起物の内部ではCrの供給量が不足し始め,Cr量の多い部分は突起物表面近傍に限定される(Fig.10のEDX分析結果に対応)。また,突起物先端のピラーも細く短くなり,やがて消失する。スパッタエッチング時間がさらに増加すると,粗大化した突起物がぶつかり合って成長が止まる(Figs.4および5に対応)。粗大な突起物の間にも小さい突起物が形成されて大小の突起物が全表面を覆うと,内部のCrの拡散が不均一となってCrが不足した弱い部分がスパッタされて,表面が粗くなったり穴が開いたりする(Fig.12(d))(Figs.56および8に対応)。さらにスパッタエッチング時間が経過すると,前報15,21)で述べたSUS304やSUS316などでは,突起物が崩壊し,全面に均一で高さが比較的そろった柱状の微細突起物が形成されるが(Fig.12(e)),本研究で用いたSUS420J2では,スパッタエッチング時間21.6 ksでも,なお円錐状突起物の形状は保たれており(Fig.6),Fig.12(d)の段階にとどまっている。一方,SUS430では,初期には多数の突起物が形成されるが(Fig.9(a)),スパッタエッチング時間の増加(温度上昇)とともにピラー状炭化物が不安定になって突起物密度が減少し,スパッタエッチング時間21.6 ksでは,粗大化した円錐状突起物が微細柱状突起物集合体へ崩壊している(Fig.9(d):Fig.12(e)に相当)。

Fig. 12.

 Schematic process of protrusion formation, growth and decay.

3・5 焼入れによる突起物の硬化

マルテンサイト系ステンレス鋼の特徴は,耐食性はオーステナイト系またはフェライト系ステンレス鋼より劣るが,焼入れにより硬化できることである。そこで,SUS420J2およびSUS440C鋼の突起物試料(250 Wで7.2 ksスパッタエッチング)を,アルゴンガス置換雰囲気中において1273 Kで600 s保持したのち,水焼入れした。マイクロビッカース硬度計でSUS420J2の焼入れ前の試料の硬さを測定したところ(押込み力:0.5 N),HV243であったのに対し,焼入れ試料の素地(突起物を除去した部分)の硬さはHV516であったので,素地の焼入れ硬化は起こっている。つぎに,同じ押込み力0.5Nで,突起物が存在する領域に圧子を押し込み,突起物の変形をSEMで観察した。その例を,SUS420J2についてFig.13に示すが,焼入れしない試料(a)では,焼入れした試料(b)に比べ,圧子の押し込みにより先端が変形した突起物(黒丸で囲んである)が存在する領域が広い(中央の突起物は完全に押しつぶされている)。Fig.14に示すSUS440Cでも同様であり,いずれも,焼入れしない試料(a)に比べ,焼入れした試料(b)のほうが,変形した突起物の数または面積が少ない。また,Figs.13(b)および14(b)のように,押しつぶされた突起物に割れが生じている場合もある。このように,個々の突起物も,焼入れによって硬化している。

Fig. 13.

 Deformation of the protrusions of SUS420J2 steel sputter-etched at 250 W for 7.2 ks after the indentation onto the as-sputtered-etched specimen (a) and the quenched specimen (b). Indentation force was 0.5N and the shape of indenter was pyramidal. Arrows indicate the Cr content (%) analyzed by EDX.

Fig. 14.

 Deformation of the protrusions of SUS440C steel sputter-etched at 250 W for 7.2 ks after the indentation onto the as-sputtered-etched specimen (a) and the quenched specimen (b). Indentation force was 0.5N and the shape of indenter was pyramidal. Arrows indicate the Cr content (%) analyzed by EDX.

なお,図中の矢印で示す数字は,圧子押し込みにより変形した突起物,圧子を押し込んでいない突起物および粗大な突起物から離れた素地領域をEDXにより点分析した結果である。まず,焼入れをしていない(スパッタエッチングのままの)試料(a)では,素地に比べて圧子を押し込んでいない突起物のCr量は多いが,圧子によって変形した突起物のCr量も素地のCr量よりも多い(SUS420J2については,Figs.10および11の結果に対応する)。一方,焼入れした試料(b)の分析結果はこれと異なっている。まず,突起物のまわりの素地表面のCr量はかなり多いが,これは熱処理炉雰囲気のアルゴン置換が完全ではなく,1273 Kに加熱している間にCrの優先酸化が起こり最表面層にCrが濃化したためと考えられる。これに対し,変形した突起物の表面近傍のCr量は,焼入れ前の試料の突起物表面(酸化は起こっていない)あるいは変形した突起物表面近傍のCr量よりも少ない。このことは,スパッタエッチング直後には,突起物表面近傍にCrが偏析していても,焼入れ前のオーステナイト化処理(1273 Kでの保持)により,突起物表面と内部でCr量が均質化されることを意味している。スパッタエッチングにより,突起物を含む試料表面全体のCr量が増加すれば,耐食性が増加する可能性があるが,Figs.10および11に示したように,Crの増加は突起物表面に限定されていて,突起物の周辺の素地のCr量は増加していない。したがって,スパッタエッチングのままでは,腐食性雰囲気中において,Cr量の差が局部腐食の原因となる可能性がある。実際,著者ら14)の研究によると,オーステナイト系ステンレス鋼SUS304では,スパッタエッチングにより,円錐状突起物表面のCr量は増加するがNi量が低下し,孔食電位が低下している。したがって,マルテンサイト系ステンレス鋼はもちろん,他のステンレス鋼でも,スパッタエッチング後の溶体化処理・焼入れ(可能であれば真空焼入れ)は,突起物をもつ製品を腐食雰囲気中で用いる場合の孔食あるいは局部腐食の防止に効果があると思われる。

以上のことから,マルテンサイト系ステンレス鋼では,スパッタエッチングにより表面に突起物を形成したのち,焼入れあるいは表面焼入れを行えば,突起物の強度または耐摩耗性が増加するとともに耐食性が回復し,摩擦搬送用のロールや転造ロール(高分子膜に多数の穴を開けて光反射防止,塗膜のはく離防止を行う)などの耐久性が増すものと思われる。

4. 結言

マルテンサイト系ステンレス鋼(SUS410,SUS420J2,SUS440C)およびフェライト系ステンレス鋼(SUS430)に,アルゴンイオンでスパッタエッチングを行った。また,SUS420J2およびSUS440Cについて,スパッタエッチング後焼入れを行い,圧子押し込みにより,突起物の変形抵抗を調べた。

(1)SUS420J2では,スパッタエッチングにより,まず粒内にピラー状炭化物が形成され,スパッタエッチング時間の増加とともに,その下部から底面の直径が数ミクロンメータ以上の円錐状突起物が高密度で形成される。スパッタエッチング時間がさらに増加すると,粗大化した円錐状突起物の表面に多数の溝や穴が形成される。

(2)SUS420J2よりも炭素量が少ないSUS410およびSUS430では,同じスパッタエッチング時間でも突起物の形成密度が低く,逆に炭素量が多いSUS440Cでは,突起物形成速密度が大きい。

(3)EDX分析によると,突起物表面部のCr含有量は突起物内部および突起物周辺の素地よりも多い。

(4)マルテンサイト系ステンレス鋼は,スパッタエッチング後の焼入れにより突起物を硬化することができるので,突起物を利用した搬送ロールや転造ロールなど,耐摩耗性・耐食性が必要な部品の製造に適していると思われる。

謝辞

本研究は,「平成21,22年度の鉄鋼研究振興助成」および平成24,25年度科学研究費補助金(基盤研究(C),課題番号:24560117)の一部を用いて行った。また,試験片の作製および熱処理には,広島国際学院大学機械実習工場の吉川康則氏および同学ハイテクリサーチセンターの三上恭孝氏の助力を得た。さらに,EDX分析には,広島県西部工業技術センターの舟木敬二氏および寺山 朗氏の協力をいただいた。これらのことを記して,謝意を表します。

文献
 
© 2014 The Iron and Steel Institute of Japan

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