2015 Volume 101 Issue 10 Pages 546-551
We investigated the suppression mechanism of strain-age hardening in a ferritic carbon steel associated with hydrogen uptake. We considered hydrogen-related three factors suppressing the strain aging: 1) solution softening, for instance, arising from a reduction in Peierls potential of screw dislocations and a change in Young’s modulus, 2) suppression of dislocation-carbon interaction through hydrogen/carbon site competition, and 3) change in plastic strain evolution behavior by hydrogen-enhanced localized plasticity (HELP). According to the present experiments under in-situ hydrogen charging, it was concluded that the solution softening (factor1) and the site competition (factor2) by hydrogen did not significantly suppress the strain aging but the change in the pre-straining behavior (factor3) did.
構造部材として広く使用されている鉄鋼材料において,遅れ破壊や疲労破壊は,長期使用環境下で突発的な事故を起こす原因になる。これら破壊現象は,温度1,2),周波数3,4),部材形状5,6)などの種々使用条件に依存して起こることが知られる。このため,疲労破壊や遅れ破壊がどのような条件下で発現するかを把握する必要がある。特に近年,水素エネルギー社会実現のため,水素環境における機械的特性が注目される中,上記破壊現象は水素によって強く促進されることが報告されている。例えば,炭素鋼のき裂伝ぱ速度は,水素によって有意に加速される7)ため,この事実が多くの鉄鋼材料の水素環境中での利用の妨げになっている。
より具体的には,水素が関係することで,炭素鋼の疲労限度が消失する8)といわれている。炭素鋼の疲労限度は塑性誘起き裂閉口9,10)およびひずみ時効硬化によるき裂先端の塑性域の安定化11)が主な機構である。一般的な水素脆性機構として,格子脆化説12,13),水素助長ひずみ誘起空孔説14,15)ならびに転位同士の運動に影響を及ぼす水素助長局所塑性 (Hydrogen-Enhanced Localized Plasticity:HELP)16,17,18)による説が提案されている。さらに炭素鋼の疲労においては,上述のとおり,炭素によるひずみ時効硬化も重要な因子であり,従来水素はひずみ時効挙動にも影響する19,20)ことが報告されている。このため,炭素鋼の疲労における水素の影響を考える際はひずみ時効硬化の観点からも議論を行うべきだが,水素がどのように疲労限度に影響を与えているのかひずみ時効現象への影響を含めた包括的な理解はされていない。
水素がひずみ時効硬化を有効に抑制する因子として,BCC構造を有する鉄鋼材料では大別して以下の3つが主な原因として考えられる。1)らせん転位のパイエルス・ポテンシャルの低下,ヤング率変化などに由来する固溶軟化21,22,23),2)水素/炭素サイトコンペティションによる転位−炭素相互作用の抑制24),3)HELPによる予ひずみ段階での転位分布の変化等16,17,18),の3つである。炭素鋼の転位の易動度および応力−ひずみ応答については多くの研究25,26,27)がなされているが,上記3つの因子を分けて詳細に実験,報告した例はない。
このため本研究では,水素が炭素よりも大きな拡散速度を有する28,29)ことに着目し,水素を材料内に侵入させるタイミングを変えることにより,以上の3点の影響を考察することにした。まず,らせん転位のパイエルス・ポテンシャルの低下やヤング率変化に起因する固溶軟化は,水素が転位芯またはその近傍にあるときに発現すると考えられるので,試料を変形させ,転位が十分に炭素から脱離したときに水素をチャージすることで影響を見る。すなわち,転位芯およびその周辺に炭素が存在せず,水素が容易に転位芯近傍に拡散できる状態でひずみ時効試験を行う。サイトコンペティションによる転位−炭素相互作用の抑制については,変形後長時間保持し,転位に十分な炭素がいる状態で水素を侵入させることで評価する。すなわち,上述第一の条件の試験結果と比較することで,水素がいることで炭素が転位に集積することを妨げる効果,および逆に水素が炭素を転位周辺から追い出す効果の二つの状態に対して考察を行う。最後に,HELPによる予ひずみ段階での転位分布の変化等への影響は,水素を変形直前に炭素鋼内に予チャージし,さらに水素チャージをしながら変形させることで影響を観察することが出来る。すなわち,本研究では,水素チャージのタイミングを制御し,炭素拡散の影響を考慮することで,炭素鋼におけるひずみ時効硬化への水素の影響を詳細に議論することを目的とする。
今回の試験に使用した低炭素鋼S10Cの化学成分をTable 1に示す。直径22 mmの丸棒材を900°Cで1時間焼鈍し,炉冷した後,15 mm(幅)×16 mm(厚さ)×130 mm(長さ)の板状に切りだし,放電加工により厚さ0.5 mmの引張試験片に加工した。放電加工層を取り除くため,試験片の表面をフッ化水素酸と過酸化水素水の混合液(1:20)により化学研磨した。試験片形状をFig.1に示す。Fig.2に示すように,本鋼の初期微細組織はフェライトが支配的なフェライト/パーライトである。
C | Si | Mn | P | S | Cu | Al | Ni+Cr | Fe |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
0.13 | 0.22 | 0.39 | 0.01 | 0.02 | 0.09 | 0.01 | 0.01 | Bal. |
Shape and dimensions of the tensile specimen (unit: mm).
Undeformed microstructure of the steel used.
本実験では,ひずみ時効硬化において炭素の効果が飽和する時効時間を求めるために,初めに水素を侵入させないひずみ時効試験を,時効時間を変えながら行った。得られた時効硬化度の時効時間依存性および飽和時間を参考に時効時間を決定し,その時効条件において水素チャージのタイミングを変えて陰極水素チャージを行った。水素チャージのタイミングの詳細および決定理由は3節で詳述する。
ひずみは引張試験によって導入した。予備試験として行った伸び計を用いた引張試験結果(Fig.3)から,変位と伸びの関係を参照し,時効試験に必要な予ひずみ10%を得た。変形温度は引張試験に付属する恒温槽を用いて28°Cに制御した。ひずみ速度は,10−3 s−1で行った。今回の実験ではひずみ時効による応力の変化分Δσを比較した。尚,本研究における応力変化分Δσの定義はFig.4に示すものとして取り扱う。すなわち,時効開始前までの最大応力をσ0,開始後の上降伏点をσ1として,その差をΔσとした。
Nominal stress-strain curve obtained with an extensometer.
(a) Nominal stress-strain curve of the strain aging test. (b) and definition of stress increment Δσ.
水素チャージは,電流密度一定で,電解液には3%NaCl+3g/l NH4SCNを用いて行った。時効温度は引張試験機に付属の恒温槽を用いて28°Cに制御した。対極には白金ワイヤーを用いた。陰極水素チャージの際はプラスチック製非導電材料で作成したセルに上記電解液を導入し,引張試験機恒温槽内においてその場で行った30)。セルの模式図をFig.5に示す。陰極水素チャージは電流密度50 A/m2または100 A/m2とした。今回選択された水素チャージ条件は従来,水素の影響が顕著に表れるとされる条件と同等またはそれ以上の強い条件31)であり,十分な水素量が試料に侵入していると考える。
A schematic illustration of the cell for in-situ hydrogen charging.
水素を侵入させない通常のひずみ時効試験の結果をまとめたものをFig.6に示す。ここで,Cottrell and Bilbyの報告した強化量と時効時間の関係32)に基づいて,時効処理による応力増分を時効時間の3分の2乗としてプロットした。Fig.6示すように,S10C炭素鋼でのひずみ時効硬化挙動は27時間まで2/3乗則を満足している。27時間を超えると2/3乗則から外れ,ひずみ時効硬化による応力増分は48時間において飽和する。この結果を踏まえて,本実験では,炭素が十分に転位にトラップされた際の水素の影響を考えるひずみ時効試験では,時効時間を48時間とした。
Stress increment Δσ plotted against aging time [s2/3].
まず,水素による固溶軟化の可能性について議論する。水素による固溶軟化の可能性として,らせん転位のパイエルス・ポテンシャルの低下や,ヤング率変化が考えられる。特にらせん転位のパイエルス・ポテンシャルの低下は,水素が転位芯またはその近傍に偏析したときに影響を与えると考える。すなわち,十分に転位が炭素から脱離,または新しい転位の発生により,炭素の影響から自由な転位の密度が高い状態に水素を導入し,優先的に水素が転位に集まる条件で実験をする必要がある。換言すると,予ひずみ変形直後の状態において水素をチャージすることがこの条件に対応する。Fig.7に水素チャージなし,予ひずみ直後50 A/m2で水素チャージ中で9時間時効,予ひずみ直後100 A/m2で水素チャージ中で9時間時効した結果を示す。9時間時効では,Fig.6に示すように時効硬化挙動が飽和していないので,転位芯またはその周辺に炭素またはそれよりも小さい水素が侵入できる領域が十分存在していると考える。フェライト/パーライト鋼中における水素の拡散速度は炭素の拡散速度よりも2.9×104倍早い28,29)ので,この時効条件では,水素が炭素の影響を強く受けることなく,水素が転位にトラップされ,ひずみ時効挙動に影響を与えると考える。また,約12%予ひずみを与えた炭素鋼の水素の拡散係数は約2.0×10−10 m2/s33)であり,拡散距離を,
Results of strain aging tests. The aging time is 9 hours. The hydrogen charging for 9 hours was started immediately after unloading.
次に水素と炭素のサイトコンペティションによる転位−炭素相互作用の抑制を考える。サイトコンペティションに由来して,次の二通りが軟化に寄与する機構として考えられる。①転位における先在水素が転位への炭素偏析を妨げる可能性。②転位に集まってきた水素が転位に存在する炭素を追いだす可能性。これら二つの内,3・2節の実験は,前者①の可能性を否定している。後者②の可能性を調べるため,予ひずみを入れた後,転位に炭素が十分に拡散・偏析した後に水素チャージを行い,ひずみ時効による応力増分を測定した。具体的には予ひずみを与えた後に,Fig.6に示すように時効硬化挙動が飽和してしまっている48時間を時効時間として与え,その後水素チャージを行った。ここでは,水素チャージ条件を3・2説の実験と揃えるために,水素チャージ時間は9時間とした。Fig.8に水素チャージなしで48時間時効,水素チャージなしで48時間時効させた後除荷したまま9時間の水素チャージを行った結果を示す。Fig.8より,水素チャージなしで48時間時効させた後,除荷したまま9時間の水素チャージを行った場合は水素チャージなしで48時間時効させた場合よりも大きな応力変化分Δσを得た。ここで,水素チャージした条件では,9時間分全体の時効時間が長いが,Fig.6に示したように48時間は炭素のひずみ時効硬化の飽和時間に対応するので,この応力変化分の増大は時効時間の差によるものではない。すなわち,水素によるひずみ時効硬化抑制がこの条件においても観察されなかった。3・2節における変形直後水素チャージ試験においても述べたように,S10C炭素鋼において水素による固溶硬化が起こったため全体として,水素チャージなしで48時間時効させた場合に比べ応力変化分が大きくなったのだと考えられる。以上のことから,ひずみ時効を水素が抑制しうる3つの因子のうち,2)水素/炭素のサイトコンペティションによる転位−炭素相互作用の抑制,も原因の1つから除外される。
Results of strain aging tests. The aging time is 48 hours. The hydrogen charging for 9 hours was started after aging for 48 hours.
最後に,緒言で挙げた三つのひずみ時効抑制因子の内,残る3)HELPによる予ひずみ段階での転位分布の変化等,について議論する。予ひずみ変形中のHELPの影響を調べるためには,予ひずみ前に材料中に水素を十分に侵入・拡散させたのち,水素脱離を避けるために水素チャージ下で予ひずみ変形を与える必要がある。つまり,水素チャージ下変形によって,材料内にHELPによる転位分布・密度・転位応力場14,15,16)の変化の影響を有する予ひずみ材を作製することが出来る。十分に材料内にHELPの影響を受けた塑性域をつくるため,上述の計算から,予ひずみを導入する前の必要水素チャージ時間は1時間とした。詳細な条件としては,1時間の水素予チャージを行った後,水素チャージ下引張により予ひずみを与え,除荷後に9時間の水素チャージ下時効を行った。Fig.9に水素チャージなしの9時間時効の結果および上述の水素予チャージの条件における時効試験の結果を示す。本結果より,予ひずみ変形に水素の影響を与えると,その後のひずみ時効による応力変化分が水素チャージなしのひずみ時効試験の応力変化分よりも約5.4 MPa小さくなることが示された。同条件において3回試験を行い,応力変化分の値は上記値から誤差±0.3 MPaの範囲で再現的に測定された。すなわち,この水素予チャージによる応力変化分の低下は,十分に有意な差であると考える。このことから,ひずみ時効を水素が抑制しうる3つの因子のうちの最後の1つ3)HELPによる予ひずみ段階での転位分布の変化等が原因であることが示唆される。
Results of strain aging tests. The 10% pre-strain during hydrogen charging was provided after pre-hydrogen charging for 1 hour. The top and bottom results are shown as reference data which are same as Fig.7.
さらに,種々報告されているHELPが与えうる転位への影響のうち,どれがひずみ時効硬化の抑制の主因であるかを議論する。ここでは,材料内に水素が入ることによって変化する転位周りの応力場,およびHELPによって変化する転位密度,転位分布の3つについてそれぞれ考える。まず,材料内に水素が入ることで転位周りの応力場は小さくなる18)ことが報告されている。この応力場の縮小は,ひずみ時効の抑制に寄与するはずである。しかし,3・2節および3・3節において述べた条件において,水素チャージを行ってもひずみ時効による応力の変化分は減少しなかった。これら条件においても転位の応力場は水素によって縮小されているはずなので,転位周りの応力場に対する水素の効果の観点からは,今回観察されたHELP由来のひずみ時効の抑制を説明できない。次に,HELPによって増大する転位密度の影響について考える。水素の影響下で塑性変形が与えられた場合,水素の影響がない場合に比べて,転位密度が顕著に増大することが報告17,34)されている。加えて,10%程度の十分な予ひずみ量ではひずみ時効において,応力変化分は予ひずみの影響を受けないことが報告35)されている。つまり,この事実は,水素の塑性変形助長による転位密度増加が,ひずみ時効の応力変化分に直接的には有意には影響しないことを示している。そのため,本研究で水素を予チャージした試験片において観察された予ひずみによる応力変化分は,転位密度の増加よりもむしろ転位分布の変化によるものが大きいと考えられる。換言すれば転位分布の不均一さがひずみ時効の抑制機構を考える上で重要であると考える。ここで,HELPによる転位分布の変化に基づき,ひずみ時効を抑制しうる可能性を以下に例示する。水素チャージを行いながら予ひずみを与えた際にHELPによって材料内の転位の分布が局所化,すなわちHydrogen-enhanced shear localization16)が起こることが知られる。結果としてFig.10に示すような転位の密度が高いすべり面と,そうでないすべり面が生まれることが想定される。ひずみ時効硬化の典型的な現象として,予変形後の9時間の時効中において各すべり面上の可動転位は炭素によりトラップされると考える。本鋼における炭素のひずみ時効による転位トラップは水素チャージなしで予変形を与えたFig.7,Fig.8の結果から明らかである。すなわち,水素チャージ下で予変形を与えた場合においてもひずみ時効が起こり,可動転位分布の不均一さに対応して,炭素をトラップした転位を多く含むすべり面と,そうでないすべり面が現れることが想定される。この条件においては炭素にトラップされた可動転位が多数存在するすべり面では転位の運動が困難であるが,対照的にトラップされた転位が少ないすべり面では,水素の影響がないときよりもむしろ転位が新たに生成または増殖することで,容易に転位が運動することができると考える。以上のモデルを一例として,ひずみ時効試験において,HELPの影響を受けた応力変化分は,影響を受けていない応力変化分に比べて小さい値を示すことが十分に考えられる。すなわち,炭素鋼における水素侵入によるひずみ時効硬化の抑制の原因は,予ひずみ段階におけるHELP由来の転位分布変化が主因であると考える。
A schematic image of localized dislocation distribution associated with HELP.
本研究において,水素侵入に起因する炭素鋼のひずみ時効硬化抑制機構を以下のように結論づけた。
1.炭素鋼におけるひずみ時効試験において,固溶軟化は観察されず,むしろ固溶強化の傾向が観察される。
2.ひずみ時効硬化抑制の原因として想定される二種のサイトコンペティション①先在水素による転位への炭素偏析の抑制,②転位への水素拡散が偏析炭素を追い出す現象,は本実験においてともに観察されなかった。すなわち,サイトコンペティションはひずみ時効硬化抑制機構として働かない。
3.応力変化分Δσを減少させる場合において,主な原因はHELPによる予ひずみ段階での転位分布の局所化によると考えられる。すなわち,疲労限の消失は水素環境下における塑性変形挙動およびそれに関連する転位組織形成に主因があると考える。