2015 Volume 101 Issue 5 Pages 300-307
Effect of the combined addition of molybdenum (Mo) and boron (B) on austenite (γ) to ferrite (α) transformation and precipitation behavior were investigated using low-alloy steels. B-added steel and Mo-B combined steel were held at 923 K (γ region) in order to precipitate boride. B content as precipitates increased and γ to α transformation was promoted with holding time at 923 K. In B-added steel, both M23(C,B)6 and M2B were observed. The transition from M23(C,B)6 to M2B caused by the increase in holding time at 923 K. By contrast, in Mo-B combined steel, no M2B was observed regardless of the holding time. Mo addition suppresses not only the M23(C,B)6 formation but also the M2B formation. M2B contains larger amounts of B than M23(C,B)6. B content as precipitates in Mo-B combined steel was much lower than that in B-added steel due to the suppression of M2B precipitates. The effect of Mo for B containing steel suppresses the precipitation of M23(C,B)6 and M2B and increases more segregated B in austenite grain boundary that contributes to γ to α transformation.
Boron(以下B)は,極微量(例えば10 ppm程度)でも焼入れ性を大幅に向上させることから,鋼材の高強度化にとって極めて有用な元素である。Bの焼入れ性向上効果は,原子状態で固溶したBがオーステナイト(以下γ)粒界に偏析し,粒界エネルギーを低下させた結果得られるとされている1)。一方,Bは安定な多くのほう化物(以下B化物)を形成する元素であり2,3),粒界偏析した固溶Bは容易に析出物として生成する。Bが析出物として生成すると,B添加鋼の焼入れ性は低下する4,5,6)。上述したように,焼入れ性に有効なBは粒界偏析した固溶Bであるため,Bが析出物として生成すると,焼入れ性に有効な粒界偏析した固溶Bが減少してBの焼入れ性向上効果は低下すると考えられる。したがって,B添加鋼の開発においては,B化物の析出を抑制させることが重要な課題である。これまで,B添加鋼の焼入れ性を低下させるBの窒化物(以下BN)生成を抑制するため,BNの析出に及ぼすB,Nの影響や析出形態,析出核,N原子を固定するTi-B処理,Al-B処理の影響が検討されてきた4,7,8,9)。しかしながら,たとえBNの生成が抑制されたとしても,B構成物(Boron constituent)が生成し,Bの焼入れ性向上効果を低下させる例が報告されている1,5,10,11)。なお,Fe-C-B三元合金において析出するB化物にはFe23(C, B)6,Fe3(C, B),Fe2Bの三種類が知られているが,Bを数ppmないし数十ppm添加した鋼をγ域から冷却した後に観察されるBの析出物は,そのほとんどがFe23(C, B)6である1,5,10,11)。
Bの焼入れ性向上効果に及ぼす合金元素の影響について,Mo-B複合添加は焼入れ性を大幅に向上させることが知られている12,13,14,15,16,17,18,19)。Mo-B複合添加による焼入れ性向上効果は,Mo-B間の相互作用によるものと考えられており12),その機構はMoによるFe23(C, B)6の析出抑制にあるといった報告が多い13,14,15,16,17,18)。しかしながら,たとえMoを複合添加してもFe23(C, B)6の析出を完全に抑制することは困難であり,B化物の析出温度域で長時間保持されるとMo-B複合添加鋼の焼入れ性も低下する。したがって,Mo-B複合添加効果を明確化するためには,B化物の析出量とγ/α変態挙動の関係を対応付けた系統的な実験が必要であると考えられる。本研究の目的は,B添加鋼のγ/α変態および析出挙動に及ぼすMoの影響をより詳細に調査し,Mo-B複合添加効果を明らかにすることにある。
MoとBの複合添加効果を明らかにするために,Table 1に示す化学成分の供試鋼を真空溶解により作製した。供試鋼は,BおよびMoを含まないBase鋼,Base鋼に対してBを10 ppm単独添加した10B鋼,Moを0.5 wt%単独添加した5M鋼,0.5 wt%-Moと10 ppm-Bを複合添加した5M10B鋼の4鋼種である。基本成分は,Fe-0.15C-1.5Mn-3Ni(wt%)であり,MnおよびNiは,ベイナイト変態温度域におけるTTT(Temperature-Time-Transformation)線図を作成するために,連続冷却時のフェライト変態を抑制させることを目的として添加した。本供試鋼における臨界冷却速度は,Ueno and Itoh12)の焼入れ性の予測式から17.4 K/s以下と見積もられる。さらに,BN析出による焼入れ性の低下を防ぐため,化学量論的にNを固定できる量のTiを添加した。これら供試鋼を熱間圧延後,加熱炉を用いて1453 K,Ar雰囲気下で24時間保持してMn,Niなど合金元素の均質化処理を行った。均質化処理後の鋼片から3 mmφ,10 mmLおよび8 mmφ,12 mmLの試料を切り出した。
Steels | C | Si | Mn | P | S* | Al | Ti | Mo | Ni | B* | N* | bal. |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Base | 0.15 | 0.05 | 1.5 | 0.003 | 7 | 0.03 | 0.007 | – | 3.0 | – | 16 | Fe |
10B | 0.15 | 0.05 | 1.5 | 0.003 | 6 | 0.03 | 0.006 | – | 3.0 | 11 | 15 | Fe |
5M | 0.15 | 0.05 | 1.5 | 0.003 | 8 | 0.03 | 0.006 | 0.5 | 3.0 | – | 12 | Fe |
5M10B | 0.15 | 0.05 | 1.5 | 0.003 | 8 | 0.03 | 0.006 | 0.5 | 3.0 | 11 | 15 | Fe |
B添加鋼のγ/α変態に及ぼすMoの影響を明らかにするために,均質化処理後の供試鋼(3 mmφ,10 mmLの熱膨張測定用試料)にFig.1に示す熱処理を施し,TTT線図を作成した。オーステナイト化温度は,鋼中のBを固溶させるために,実験的に得られたB化物の析出曲線1,10,11)よりも高温側の1223 Kとした。オーステナイト化後,30 K/sでベイナイト変態が期待される693~833 Kまで冷却し,各温度にて恒温保持した。恒温保持中にγ/α変態が10%完了した時間を熱膨張測定から読み取り,TTT線図を作成した。本研究において,オーステナイト化温度から恒温保持温度までの冷却速度は,粒界にて高い固溶B濃度が得られるようBの非平衡偏析を促進し,粒界から粒内への逆拡散および粒界上でのB化物の析出を極力避けるために,30 K/sとした20,21,22,23)。
Thermal cycle conditions for γ to α transformation behavior.
さらに,B化物の析出がγ/α変態に及ぼす影響を明らかにするために,γ域にてB化物の析出処理を施し,753 Kにおけるγ/α変態時間を測定した。熱サイクル条件をFig.2に示す。Bは923~1173 Kで析出する結果1,10,11)が実験的に得られているため,本研究ではB化物の析出処理温度をγ/α変態温度に最も近い923 Kとした。γ/α変態温度により近い温度で析出処理を施すことで,析出処理後のBの非平衡偏析,逆拡散,析出の影響は小さくなるものと考えられる。923 Kにて0~104 s保持後,753 Kでの恒温保持中にγ/α変態が10%完了した時間を熱膨張測定から求めた。
Thermal cycle conditions for γ to α transformation behavior including precipitation treatment.
B添加鋼の析出挙動に及ぼすMoの影響を明らかにするために,均質化処理後の供試鋼について923 K(γ域)での析出処理を施し,析出B量およびB化合物の同定,粒子サイズ,個数を調査した。
Fig.3に示す析出処理を8 mmφ,12 mmLの熱膨張測定用試料に施し,析出物として生成したB濃度(以下,析出B量)を抽出残渣法により測定した。析出B量は全析出物中に含まれるBの質量を電解した鋼の質量で除した値である。熱処理のオーステナイト化温度および冷却速度はTTT線図を作成した際の条件と同じであるが,析出処理直後のB化物の析出状態を固定するために,923 Kで恒温保持した後はHeガスで急冷した。析出物は試料を定電位電解した後,孔径0.2 μmのニュクリポアー・メンブレンにてろ過,分離した。分離した析出物を硫酸・燐酸溶液にて分解,蒸留した後,Inductively Coupled Plasma(以下ICP)法により析出B量を測定した。
Thermal cycle conditions for precipitation behavior.
また,Fig.3に示す析出処理を3 mmφ,10 mmの熱膨張測定用試料に施し,200 kV透過型電子顕微鏡(以下TEM)を用いてBの析出物を観察した。Bの析出物はブランクレプリカ法によりカーボン膜に抽出し,直径約140 μmのCuメッシュ上に保持した。作製したカーボン抽出レプリカ試料を用いて電子線回折を行い,Bの析出物を同定した。次に,Cuメッシュの単孔(1.1×10−2~1.6×10−2 mm2)あたりのB析出物の粒子サイズ,個数を測定した。さらに,Electron Energy-Loss Spectroscopy(以下EELS)法により析出物中のB濃度を測定した。EELS法による同定には,析出物への炭素汚染を避けるため析出処理後の試料から作製したAl蒸着レプリカ試料を用いた。
Fig.4にBase鋼,B単独添加鋼(10B鋼),Mo単独添加鋼(5M鋼),Mo-B複合添加鋼(5M10B鋼)のTTT線図を示す。γ/α変態はB添加,Mo添加,Mo-B複合添加により遅延したが,特にMo-B複合添加鋼(5M10B鋼)では723 K以上におけるγ/α変態が著しく遅延した。Fig.5に753 Kで4000秒保持した後,急冷したBase鋼の走査型電子顕微鏡(以下SEM)像を示す。供試鋼は旧オーステナイト粒界の明瞭なベイナイト組織を呈しており,一部にフィルム状の未変態オーステナイト(以下γr)またはMartensite-Austenite constituent(以下M-A)がみとめられた。いずれの供試鋼についても熱処理後のミクロ組織はベイナイト組織を呈していたことから,TTT線図中のC曲線はベイナイトの10%変態時間を示している。
TTT diagram for tested steels. (Online version in color.)
SEM image of Base steel after held at 753 K for 4000 seconds. (Online version in color.)
供試鋼をB化物の析出域である923 Kで保持すると,B添加鋼(10B鋼)とMo-B複合添加鋼(5M10B鋼)のγ/α変態(ここでのαはベイナイトである)は促進した(Fig.6)。Fig.7に923 Kでの保持時間とγ/α変態時間の関係を示す。Base鋼およびMo単独添加鋼(5M鋼)は923 Kでの保持時間によらずほぼ一定のγ/α変態時間を示したが,B単独添加鋼(10B鋼)およびMo-B複合添加鋼(5M10B鋼)は923 Kでの保持にともないγ/α変態時間が短時間側へ移行した。この結果から,Bを含有する鋼はB化物の析出域で保持するとγ/α変態抑制効果が失われていくことがわかる。また,923 Kでの保持時間が同じ場合,Mo単独添加鋼(5M鋼)とMo-B複合添加鋼(5M10B鋼)の変態時間の差分は,Base鋼とB単独添加鋼(10B鋼)の変態時間の差分と比較して大きい。すなわち,B添加鋼とB-free鋼のγ/α変態時間の差分は,Moを複合添加すると拡大することがわかる。以上の結果は,Moを複合添加するとBのγ/α変態抑制効果が大きくなることを示唆するものである。
TTT diagram for tested steels after held at 753 K. (Online version in color.)
Relationship between the holding time at 923 K and 10% transformation time. (Online version in color.)
抽出残渣法によって得られた析出B量と析出処理時間との関係をFig.8に示す。B化物の析出域(923 K)における保持時間が長くなると,B単独添加鋼(10B鋼)およびMo-B複合添加鋼(5M10B鋼)の析出B量は増加した。しかしながら,Mo-B複合添加鋼(5M10B鋼)の析出B量はB単独添加鋼(10B鋼)の析出B量と比較して少なかった。 923 Kにて保持時間なしのMo-B複合添加鋼(5M10B鋼)の析出B量は検出下限である0.5 ppm以下であり,923 Kで104秒保持した5M10B鋼の析出B量は10B鋼の析出B量の半分以下であった。すなわち,B添加鋼にMoを複合添加すると,析出B量は減少した。
Relationship between the holding time at 923 K and B content as precipitates. (Online version in color.)
Fig.9にB単独添加鋼(10B鋼),Mo-B複合添加鋼(5M10B鋼)のTEM像を示す。電子線回折により,Mo-B複合添加鋼(5M10B鋼)中の析出物は全てM23C6型に分類された。一方,B単独添加鋼(10B)中の析出物は923 Kでの保持時間が102秒以下ではM23C6型およびM2B型の析出物が観察され,103秒以上ではM2B型の析出物のみ観察された。
Extraction replica photographs taken in a transmission electron microscope. a)-c) 10B steel, d)-f) 5M10B steel, a) 102 s, b) 103 s, c) 104 s, d) 102 s, e) 103 s, f) 104 s. (Arrows indicate precipitates.) (Online version in color.)
EELS法によりM23C6型のB化合物の組成を解析すると,923 Kにて104秒保持したMo-B複合添加鋼(5M10B鋼)中のM23C型析出物に含まれるB量は5at%程度であった。
TEMおよびEELSで得られた結果をTable 2にまとめた。以下,詳細に記載する。
B単独添加鋼(10B鋼)を923 Kから直ちに急冷すると,0.05~0.4 μm程度のM23(C, B)6が多数析出していた。一部に0.3 μm程度のM2Bが観察され,B析出物の数密度は2.7×104 mm−2であった。B単独添加鋼(10B鋼)を923 Kで102秒保持すると,0.15~0.5 μm程度のM23(C, B)6が多数析出していた。一部に1 μm程度のM2Bが観察され,B析出物の数密度は2.5×104 mm−2であった。B単独添加鋼(10B鋼)を923 Kで103秒保持すると,0.2~1.0 μm程度のM2Bが観察され,B析出物の数密度は1.2×103 mm−2であった。B単独添加鋼(10B鋼)を923 Kで104秒保持すると,0.2~2.0 μm程度のM2Bが観察され,B析出物の数密度は5.4×103 mm−2であった。すなわち,B単独添加鋼をB化物の析出するγ域で保持すると,M23(C, B)6が早期に多数析出し,析出処理時間が長くなるとB含有量の少ないM23(C, B)6からB含有量の多いM2Bへと遷移した。B析出物の総数は,析出物がM23(C, B)6からM2Bへ遷移する際に減少し,全ての析出物がM2Bになると析出処理時間とともに増加した。
Mo-B複合添加鋼(5M10B鋼)を923 Kから直ちに急冷すると,B析出物は観察されなかった。Mo-B複合添加鋼(5M10B鋼)を923 Kで102秒保持すると,0.2~0.5 μm程度のM23(C, B)6が観察され,M2B型の析出物はみとめられなかった。B析出物の数密度は9.1×102 mm−2であった。 Mo-B複合添加鋼(5M10B鋼)を923 Kで103秒保持すると,0.3~1.0 μm程度のM23(C, B)6が観察され,M2B型の析出物はみとめられなかった。B析出物の数密度は3.9×103 mm−2であった。Mo-B複合添加鋼(5M10B鋼)を923 Kで104秒保持すると,0.3~0.3 μm程度のM23(C, B)6が観察され,M2B型の析出物はみとめられなかった。B析出物の数密度は6.7×103 mm−2であった。すなわち,Mo-B複合添加鋼では,923 Kの保持初期段階にBの析出物はみとめられず,析出処理時間が長くなると少量のM23(C, B)6が析出し,徐々に個数が増加した。さらに,Mo-B複合添加鋼では,M2Bは析出しなかった。
Fig.4より,鋼のベイナイト変態がMo-B複合添加により著しく遅延することは明らかである。Mo-B複合添加による焼入れ性向上効果について,Ueno and Itoh12)は連続冷却時のVC-90(90%マルテンサイト硬さになる冷却速度)を用いて,MoとBには相互作用があり,Bが存在するとMoの焼入れ性向上効果を増加させることを示した。本研究では恒温変態を対象としているため,Mo-B間の相互作用についてγ/α変態時間を用いて検討する。Fig.7で示すように,5M鋼と5M10B鋼の変態時間の対数の差分は,Base鋼と10B鋼の変態時間の対数の差分よりも大きかった。すなわち,Moを複合添加するとBのγ/α変態抑制効果は大きくなった。このことは,Ueno and Itohと同様,MoとBに相互作用があることを示唆する結果である。ここで,得られた膨張曲線とJohnson-Mehl-Avrami-Kolmogrov(以下JMAK)式を用いてB-free鋼とB添加鋼の変態時間の対数の差分の意味について考察する。
ベイナイトが一定の核生成頻度IVで核生成する場合(定率核生成)のJMAK式は
(1) |
A:A=f(
IV:経過時間
n:定数
ベイナイト変態が10%進行した際のB-free鋼,B-added鋼の組織変化率は
(2a) |
(2b) |
(2a)式,(2b)式において,
A,n:B-free鋼の定数
IV:B-free鋼の核生成頻度
tn10%:B-free鋼の変態が10%進行した際の経過時間
AB,nB:B添加鋼の定数
IV,B:B添加鋼の核生成頻度
tnB10%,B:B添加鋼の変態が10%進行した際の経過時間
(2a)式,(2b)式より,
(3) |
ここで,Fig.10から,753 Kにおけるベイナイト変態時のB-free鋼(Base鋼)およびB単独添加鋼(10B鋼)の成長速度(Fig.10の傾き)はほぼ同じである。したがって,成長速度の定数であるn,Aはほぼ同じとみなせる(nB≈n,AB≈A)ため,(3)式は
(4) |
Isothermal reaction curves for Base, 10B, 5M, and 5M10B steels transformed at 753 K. (Online version in color.)
(4)式の左辺は,Fig.7で示されるB-free鋼とB添加鋼の変態時間の対数の差分に相当する。(4)式の右辺はB添加による核生成頻度の差分であるため,Fig.7で示されるB-free鋼とB添加鋼の変態時間の対数の差分は,B添加による核生成頻度の低下代を示している。Moを複合添加すると,B-free鋼とB添加鋼の変態時間の対数の差分は大きくなるため(Fig.7),Moは核生成頻度を低下させるBの効果を大きくするものと考えられる。以上から,恒温変態における10%変態時間の差分を用いても,Mo-B間に相互作用があることを示唆する結果が得られた。
4・2 B化物の析出挙動に及ぼすMoの影響Bの焼入れ性向上効果は,結晶粒界に固溶状態のBが偏析し,粒界のエネルギーを低下させた結果得られると考えられている。一方,粒界偏析した固溶Bが析出物として生成すると,固溶B量の減少による焼入れ性の低下が懸念される。Moは,M23(C, B)6の析出を抑制した結果,Bの焼入れ性向上効果を向上させるとの報告が多い13,14,15,16,17,18)。
本研究においても,M23(C, B)6の析出はMoの複合添加により抑制された。さらに,MoはM23(C, B)6だけでなく,M2Bの析出も抑制することを示す結果が得られた。本研究では,10 ppm程度の極低B添加鋼においても,M2Bが析出することが明らかとなった。B単独添加鋼をBの析出するγ域で保持すると,M23(C, B)6が早期に多数析出し,析出処理時間が長くなるとB含有量の少ないM23(C, B)6からB含有量の多いM2Bへと遷移した。M23(C, B)6からM2Bへ遷移する際,M23(C, B)6中のCはγ鉄中に再固溶するか他の析出物として生成しなければならないが,B析出物の総数が減少していること,M2B以外に観察された析出物がセメンタイト,TiN,MnSであること,本研究における析出処理がγ域であることを踏まえると,Cはγ鉄中に再固溶した可能性が高い。しかしながら,セメンタイトやM2B中のCの固溶量を確認する必要があり,今後の課題としたい。一方,Mo-B複合添加鋼中にM2Bは析出しなかった。すなわち,MoはM23(C, B)6だけでなくM2Bの析出も抑制することが明らかとなった。以上から,B化物の析出曲線に及ぼすMoの影響についての模式図をFig.11に示す。
Schematic illustration of the effect of Mo on Time-Temperature-Precipitation curve.(Online version in color.)
Mo-B複合添加鋼での析出B量は,B単独添加鋼と比べて少なかった。特に,析出B量の差はB単独添加鋼中の析出物がM2Bに遷移した後,顕著に拡大した。このことは,M23(C, B)6と比較してB含有量の多いM2Bが析出したためと考えられる。M2B中に占めるBの割合は1/3である。一方,本研究において,M23(C, B)6に含まれるB量は5at%程度であったため,M23(C, B)6中に占めるBの割合は1.5/29程度である。したがって,M2BはM23(C, B)6と比較して約6倍(
ここで,抽出残差法で得られた析出B量の差が析出物種の違い(M2BとM23(C, B)6のB含有量の違い)で説明できるか考察する。抽出残渣で得られた結果(Fig.8)から,M2Bのみが観察されたB単独添加鋼(10B鋼)の析出B量(CB,B-steel)は103秒保持後,104秒保持後にそれぞれ1.4 ppm,3.0 ppm,M23(C, B)6のみが観察されたMo-B複合添加鋼(5M10B鋼)の析出B量(CB,Mo-B steel)は103秒保持後,104秒保持後にそれぞれ0.7 ppm,1.4 ppmであった。したがって,抽出残渣法によって得られた103秒以降のB単独添加鋼(10B鋼)とMo-B複合添加鋼(5M10B鋼)の析出B量の比は約2倍である。
103秒以降のB単独添加鋼(10B鋼)の析出B量(CB,B-steel)とMo-B複合添加鋼(5M10B)鋼の析出B量(CB,Mo-B steel)の比は,下式(5)のようにB化合物中に含まれる全B量(Xprecipitates)の比で表すことができる。
(5) |
(5)式において,
XM23(C,B)6:M23(C, B)6中に含まれるB原子の個数
XM2B:M2B中に含まれるB原子の個数
B原子の個数は析出物中に含まれる単位格子の数Nprecipitatesと単位格子中に含まれるBの原子数nprecipitatesで表すことができるので,
(6) |
(6)式において,
NM23(C,B)6:M23(C, B)6の単位格子の数
NM2B:M2Bの単位格子の数
nM23(C,B)6:M23(C, B)6の単位格子中に含まれるB原子数
nM2B:M2Bの単位格子中に含まれるB原子数
ここで,欠陥のないM23(C, B)6とM2Bが析出したと仮定すれば,析出物中に含まれる単位格子の数Nは析出物の体積Vと単位格子の体積ΔVを用いて,N=V/ΔVで表わせる。
(7) |
(7)式において,
VM23(C, B)6:M23(C, B)6の体積
ΔVM23(C, B)6:M23(C, B)6の単位格子の体積
VM2B:M2Bの体積
ΔVM2B:M2Bの単位格子の体積
M2BとM23(C, B)6の全体積比VM2B/VM23(C,B)6をTEMで観察された全析出物の粒子サイズおよび個数から析出物を球として仮定して求めると,103秒保持した際に1/3.9,104秒保持した際に1/4.2となる。すなわち,析出物の全体積は析出B量の多いB単独添加鋼(10B鋼)と比較して析出B量の少ないMo-B複合添加鋼(5M10B鋼)の方が大きい。M2BとM23(C, B)6の単位格子の体積比ΔVM2B/ΔVM23(C, B)6は格子定数から求められる。M2Bは単位格子中にB原子を4個含むa=5.11Å,c=4.249Åの正方晶であり,M23(C, B)6はM原子,C原子,B原子をあわせて116個含む単位格子中にC原子とB原子をあわせて24個含むa=10.585Åの立方晶である。本研究においてM23(C, B)6に含まれるB量は5at%程度であったため,M23(C, B)6の単位格子中に含まれるB原子数nM23(C, B)6は5.8(=116×0.05)である。これらを式(7)に代入すると,TEMおよびEELSの結果から見積もられるB単独添加鋼(10B鋼)とMo-B複合添加鋼(5M10B鋼)の析出B量の比は,
となり,抽出残渣法によって得られた析出B量の比(≃2)とほぼ一致した。すなわち,Moを複合添加した際の析出B量の減少は,析出物種の違いにより説明することができた。Mo-B複合添加鋼(5M10B鋼)の析出物の全体積がB単独添加鋼(10B鋼)と比較して大きいにも関わらず,Mo-B複合添加鋼(5M10B鋼)の析出B量が少ないのは,M23(C, B)6のB含有量がM2BのB含有量よりも少ないためである。
以上の結果から,MoはM23(C, B)6およびM2Bの析出を抑制し,焼入れ性に有効な固溶B量を増加させるものと考えられる。しかしながら,本研究ではM2Bのほとんど存在しない析出初期においても,Mo-B複合添加鋼はB単独添加鋼と比較して高いγ/α変態抑制効果を示した。Mo-B複合添加効果を明確化するためには,B化物の析出が微量またはB化物が析出しない場合におけるMoの役割を明らかにする必要があり,今後の課題としたい。また,M23(C, B)6やM2Bを含むFe-B二元系平衡状態図やFe-B-C三元系平衡状態図は報告されている2,3)ものの,B化物の生成に及ぼすMoの影響については,未だ不明な点が多い。B化物の生成に及ぼすMoの影響を明確化するためには,熱力学データベースの更なる拡充が求められる。さらに,粒界での固溶B濃度を直接測定した報告例はあるものの22,23,24,25),固溶B濃度に及ぼすMoの影響についても不明な点が多い。粒界での固溶B濃度に及ぼすMoの影響(例えば,粒内のB拡散に及ぼすMoの影響や粒界のMoおよびBの共偏析など)を明確化するためには,粒界でB化物が析出する前の固溶B濃度を解析する必要があり,今後の課題としたい。
本研究では,Fe-0.15C-1.5Mn-3Ni(wt%)を基本成分としたBase鋼,B単独添加鋼(10 ppmB),Mo単独添加鋼(0.5 wt%Mo),Mo-B複合添加鋼(0.5 wt%Mo-10 ppmB)を用いて恒温変態挙動,抽出残渣法による析出B量,TEM,EELSによるB化合物の解析を行い,B添加鋼のγ/α変態および析出挙動に及ぼすMoの影響について調査した。主な結果は次の通りである。
(1)B添加鋼をB化物の析出するγ域(923 K)で保持すると,析出B量が増加し,γ/α変態(ベイナイト変態)が促進した。
(2)B単独添加鋼をB化物の析出するγ域(923 K)で保持すると,M23(C, B)6が析出した後,M2Bに遷移した。すなわち,M2BはBを微量添加(10 ppm-B)した低合金鋼中でも析出することが明らかとなった。
(3)Mo-B複合添加鋼をB化物の析出するγ域(923 K)で長時間(104 s)保持しても,M2Bは析出しなかった。すなわち,MoはM23(C, B)6だけでなくM2Bの析出も抑制することが明らかとなった。
(4)析出物がM23(C, B)6からM2Bに遷移すると,析出B量は大幅に増加した。B化物の析出処理を長時間(103 s~104 s)施した際,Mo-B複合添加鋼と比較してB単独添加鋼の析出B量が顕著に多いことは,M23(C, B)6と比較してB含有量の多いM2Bが析出するためである。
X:変態率
IV:核生成頻度
IV,B:核生成頻度(B添加鋼)
A:A=f(
AB:AB=f(
n:定数
nB:定数(B添加鋼)
t:時間
t10%:10%変態時間
tn10%:変態が10%進行した際の経過時間
tnB10%,B:変態が10%進行した際の経過時間(B添加鋼)
CB,B-steel:B単独添加鋼(10B鋼)の析出B量
CB,Mo-B-steel:Mo-B複合添加鋼(5M10B鋼)の析出B量
XM23(C,B)6:M23(C, B)6中に含まれるB原子の個数
XM2B:M2B中に含まれるB原子の個数
NM23(C,B)6:M23(C, B)6の単位格子の数
NM2B:M2Bの単位格子の数
nM23(C,B)6:M23(C, B)6の単位格子中に含まれるB原子数
nM2B:M2Bの単位格子中に含まれるB原子数
V:体積
ΔV:単位格子の体積
VM23(C,B)6:M23(C, B)6の体積
VM2B:M2Bの体積
ΔVN23(C,B)6:M23(C, B)6の単位格子の体積
ΔVM2B:M2Bの単位格子の体積
a,c:格子定数