2016 Volume 102 Issue 6 Pages 320-329
The present authors propose a cleavage fracture initiation model for bainite steels. The authors considered three stages of fracture initiation in the model: stage I; micro crack initiation in martensite-austenite constituent (MA) in low carbon bainite, stage II; propagation of the micro crack into low carbon bainite and stage III; propagation of the cleavage crack across grain boundary. Stage I is described as probabilistic event; cracking probability is formulated based on the experimental results. Stage II and Stage III are formulated by the fracture stress theory. In this model, multiple volume elements are defined around a notch tip and microstructure is arranged for each volume element. In each time step, Stage I, II and III are judged with stress and strain at each volume element obtained by finite element method. The authors assume that cleavage fracture is initiated when the conditions of these three stages are simultaneously satisfied in any one of the volume elements. The present model is validated by comparison between simulation results and experimental results of notched three point bend tests. The simulation results and the experimental results show good agreement with regard to fracture toughness and fracture initiation points.
脆性破壊は鋼構造物の微小な欠陥に起因して突如発生し,一旦発生すると不安定に伝播するため,大きな人的・物的損害に結びつく危険をはらんでいる。また,脆性亀裂の発生は材料中の脆化相の割れによる亀裂の核生成および微視亀裂の隣接母相への伝播という過程を経ることから,破壊靭性は材料の不均一なミクロ組織に大きく影響される。したがって,鉄鋼材料は同一の材料・試験片形状・温度においても,異なる破壊靭性値を示す。このことは,ある使用温度における破壊靭性を一つの値によって記述できないことを示している。脆性破壊現象のこのような統計学的側面を考慮し,現在では発生靭性の評価手法として,Bereminらの考案した最弱リンク説に基づく確率モデルを用いた研究が広く行われている1)。しかし,このモデルは実験結果から確率パラメーターを求めるものであり,脆性亀裂の発生における微視機構の詳細には立ち入っていない。脆性亀裂の発生挙動を精緻に記述するには素過程に立脚したマルチスケールモデルが必要である。
以上の背景を踏まえ,Sibanumaらは,フェライト−セメンタイト鋼における脆性破壊の発生過程を3段階の微視機構で記述し,靭性予測モデルを構築した2,3)。これらのモデルは実際の破壊靭性試験の結果をミクロ組織の情報から予測することに成功しており,微視機構に基づく脆性破壊の発生モデリングが脆性破壊現象の解明に有用であることを示した。しかしながら,Shibanumaらの研究の対象であるフェライト−セメンタイト鋼は強度・靭性共に低く,実用鋼としては用いられておらず,あくまでも靭性とミクロ組織の関係を研究するための実験用鋼であった。そこで,Hiraideらは,実用鋼として広く用いられているフェライト−パーライト鋼に対し,Shibanumaらと同様の手法でモデル化を試みた4)。
一方,近年では構造物の大型化,使用環境の過酷化によって,鋼材に要求される強度は増加の一途を辿っている。高強度を実現するために,ベイナイト組織がパイプラインや海上構造物等で広く使われるようになっているが,ベイナイト組織は複雑な階層構造を有しており,その詳細な破壊発生機構も不明なままである。先行研究において,松田らは,へき開破面単位によって定義される有効結晶粒径が焼戻し上部ベイナイトの靭性の支配要因として考えられるとした5)。Shirahataらは,溶接熱影響部を対象として,島状マルテンサイト(Martensite-austenite constituent:MA)の分率が低下するにつれて靭性が向上することを実験的に示した6)。以上の研究はベイナイト鋼の靭性を経験に基づいて説明するものであり,破壊発生に至る素過程に着目したものではない。一方,Martin-Meizosoらは,パケット内の炭化物割れがパケット内に伝播し,パケット境界を突破する過程を定式化し,ベイナイト鋼の靭性を予測するモデルを構築した7)。また,Lambert-Perladeらも同様の過程を前提とし,上部ベイナイト組織を有する再現HAZを対象として靭性のばらつきをモデル化している8)。しかし,これらのモデルにおける各段階の限界条件の定式化は単純なものであり,微視機構を十分に反映したものではない。
そこで本研究では,上部ベイナイト組織からなる2種の実験用鋼を対象として,実験を通じて脆性破壊発生の微視機構を解明し,数値モデル化することを試みた。また,構築したモデルを用いて,ベイナイト鋼を使用した破壊靭性試験に対する再現解析を行い。妥当性の検証を行った。
本研究では2種類の実験室溶解鋼を用いた。これらは共通の化学成分を有しているが,圧延・熱処理条件の相違によって母相の寸法およびMAの体積分率を変化させている。Table 1に供試鋼の化学組成を,Table 2に熱処理条件を,Table 3に機械的特性を示す。
C | Si | Mn | P | S | Al | N |
---|---|---|---|---|---|---|
0.18 | 0.14 | 0.99 | < 0.002 | 0.0005 | 0.019 | 0.0008 |
Steel | Rolling | Heating | Holding | Cooling |
---|---|---|---|---|
H-C | Hot Rolling | 900°C | 1 h | Accelerated Cooling |
H-D | Light Controlled Rolling |
Steel | Thickness (mm) | Tensile properties | FATT (°C) | ||
---|---|---|---|---|---|
YS (MPa) | TS (MPa) | Elongation (%) | |||
H-C | 15 | 439 | 644 | 10 | 49 |
H-D | 400 | 645 | 18 | –20 |
Fig.1に鏡面研磨および2%ナイタール腐食後に光学顕微鏡観察を行うことで得られた供試鋼のミクロ組織を示す。全体として鋼H-Dの方が細粒である。Fig.2に鏡面研磨および2%ナイタール腐食後にFE-SEMによって観察された鋼H-Cの代表的なミクロ組織を示す。本鋼はいずれも微細なセメンタイトを一様に含む高炭素ベイナイト,内部に少量のセメンタイトが点在する低炭素ベイナイトおよび粒界フェライトと,低炭素ベイナイト内に存在する粗大なMAからなる。ただし,本鋼のMAはマルテンサイトのみで構成されており,残留オーステナイトは含まない。鋼H-Dも同様の構成であった。以降,高炭素ベイナイト・低炭素ベイナイト・粒界フェライトを総じて母相と称する。
Microstructures of tested steels.
Schematic diagram of microstructure of test steels, Steel H-C. (Online version in color.)
後述する数値モデル上で入力パラメーターとするため,各組織の寸法分布を両供試鋼について計測した。まず,MAの厚さ分布の計測を行った。後述のように,本モデルではMAが脆化相であると仮定するが,この場合ミクロ亀裂の寸法はMA厚さに依存する。MA厚さは,画像解析によって楕円近似した際の短径で定義した。また,低炭素ベイナイト内・粒界の粗粒な非フェライト組織をMAとして扱った。Fig.3に各供試鋼のMA厚さの分布および楕円近似後のアスペクト比・面積分率を示す。鋼H-Dの方がMAは細粒で面積分率は大きい。
MA thickness distribution for test steels.
次に,各母相の円相当径の分布を計測した。ここで,隣接する低炭素ベイナイトと粒界フェライトは多くの場合結晶方位差が小さく,後述するMA割れへの転位の堆積への影響およびへき開面の形成において両者の差異はほとんどないと考えられるため,円相当径の計測において区別しないこととした。計測にはEBSD解析を用い,EBSDマップ上の各結晶粒の面積から円相当径を得た。同一結晶粒として扱うのは結晶方位差15°以内の領域とした。また,高炭素ベイナイトと低炭素ベイナイト−粒界フェライトの区別には,菊池パターンの鮮明度を示すImage Quality(IQ)値を用いた。内部に微細なセメンタイトを一様に含む高炭素ベイナイトはIQ値が低いのに対して,低炭素ベイナイト−粒界フェライトは大部分がフェライト組織であるためIQ値が高い。そこで,IQ値に閾値を与えることによって高炭素ベイナイトと低炭素ベイナイト−粒界フェライトを分離した。IQ値の閾値は,分離された各母相の面積分率が光学顕微鏡で観察された各母相の面積分率とほぼ等しくなるように定めた。さらに,計測した円相当径の分布を計量形態学の考え方9)を用いて3次元の粒径分布に換算した。Fig.4に各供試鋼の母相の円相当径の分布および面積分率を示す。
Distribution of equivalent circle diameter of matrixes for test steels.
さらに,本モデルでは後述のようにMA割れの低炭素ベイナイト粒内への伝播を考慮する際に,低炭素ベイナイト粒内のすべり線長さを用いる。低炭素ベイナイト粒内では,MAは転位の運動に対する大きな障害となると考えられる。したがって,本研究ではFig.5に示すように,低炭素ベイナイト−粒界フェライトに対して粒内にランダムに直線を引いて取得したMA間の長さまたはMA−粒界間の長さ(Fig.5におけるsi)を「相当すべり線長さ」と称し,本モデルにおけるすべり線長さとして扱う。1つの低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒に対して100本の直線を引いて相当すべり線長さを計測し,これを各供試鋼について20個程度の低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒について行った。このようにして計測された各供試鋼の相当すべり線長さの分布をFig.6に示す。鋼H-Dの方が相当すべり線長さは短いが,Fig.4(b)に示される低炭素ベイナイト−粒界フェライト寸法よりも鋼H-Cとの差は小さい。これは,鋼H-Dの方が1つの低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒内に含まれるMAの個数密度が小さいことに起因すると考えられる。
Measurement of equivalent slip length (Steel H-C). (Online version in color.)
Distribution of equivalent slip length.
本鋼について亀裂の核生成を生じる脆化相が不明であるため,途中除荷試験によって成長段階でアレストした微視亀裂およびその周囲の組織を観察することによって,本供試鋼の脆化相を同定することを試みた。Fig.7に,途中除荷試験で用いた試験片形状を示す。円周切欠きによって塑性ひずみ勾配が導入されるため,断面によって様々な応力・ひずみ状態において微視亀裂の観察が可能となる。変位速度は2 mm/minで準静的に与えた。試験前に静的弾塑性有限要素解析によって最小断面中央部の相当塑性ひずみが70%となる標点間変位を求め,その標点間変位が生ずるまで載荷した後,除荷を行った。試験温度は−170°Cから−120°Cで行った。有限要素モデルにおいて,縦弾性率は210 GPa,ポアソン比は0.3とした。応力−ひずみ関係は各温度について丸棒引張試験の結果を以下のSwiftの式10)によりフィッティングし求めた。
(1) |
Specimen configuration of notched round bar specimen.
ここに,σYは降伏応力,σは相当応力,εpは相当塑性ひずみ,nはひずみ硬化指数,αはフィッティングパラメーターである。
本研究では有限要素解析は全て汎用ソフトウェアABAQUS11)を用いて実施した。Fig.8に有限要素解析の結果の一例を示す。
Example of finite element analysis on unloading test, steel H-C, –120°C, equivalent plastic strain. (Online version in color.)
試験後に,軸を含む面に沿って試験片を切断し,鏡面研磨を施した後2%ナイタールによって腐食した。その後,FE-SEMによって微視亀裂と周囲の組織を観察した。Fig.9に観察された微視亀裂の一例を示す。低炭素ベイナイト内のMAにおいて割れが生じていることが確認できる。したがって,本供試鋼においては,へき開破壊起点となりうる脆化相はMAであると考えられる。
Observed micro crack in MA.
3・1節において,脆化相が低炭素ベイナイト中のMAであると確認した。また,Martin-Meizosoらは,ベイナイト鋼におけるへき開破壊をモデル化する過程で,炭化物から発生しベイナイトパケット内に広がった微視亀裂が,パケット境界を突破する際に受ける抵抗を考慮している7)。また,ShibanumaらおよびHiraideは,フェライト粒に伝播した微視亀裂が隣接するフェライト粒に伝播する段階を,脆性破壊発生のモデル化において組み込んでいる2,3,4)。以上を踏まえ,本研究では供試鋼における脆性破壊発生過程をFig.10に示すように3段階で表し,これらが連続的に満たされた場合に脆性破壊が発生すると仮定する。
Schematic diagram of brittle fracture initiation process on the test steels. (Online version in color.)
Stage I:MA割れの発生
Stage II:低炭素ベイナイト内へのへき開亀裂の伝播
Stage III:へき開亀裂の隣接母相への伝播
MA割れはMAの内部に生じる応力−ひずみに支配されると考えられる。また,MA内の応力−ひずみは,MAの形状および周囲の組織に依存する。これら全てを考慮して個々のMAの応力−ひずみを計算するのは計算コストの面で困難であるが,MAの応力−ひずみは周囲の組織と連続性を保っている限り,連続体力学によって導かれる巨視的なひずみの値とおおよそ対応すると考えられる。また,弾性域では周囲の組織も応力を受け持つため,MAに大きな応力集中は生じないと考えられる。以上に加え,個々のMAの寸法のばらつきを考慮した上で,本モデルではMA割れを確率論的に扱い,割れ確率Pを巨視的な相当塑性ひずみεpの関数として表すこととした。ここで,割れ確率Pは割れたMAの数を領域内の全MAの数で除した値で定義する。相当塑性ひずみが0(弾性域)である場合にPは0かつ,相当塑性ひずみの増加にしたがってP=1となると仮定し,Hiraideらの研究と同様にPを以下の式で表す4)。
(2) |
C,αはフィッティングパラメーターである。本研究では平出らと同様,α=2.5とし,3・1節の途中除荷試験の結果からCの値を得た。Fig.8に示した有限要素解析において相当塑性ひずみの勾配が緩やかで近似的に同一の値とみなせる領域を観察してその領域の割れ確率Pを取得し,(1)式を最小二乗フィットすることでCを求めた。割れ確率Pは視野内の亀裂数をMA総数で除すことで求め,MA総数は観察視野の面積と2・3節の計測で得た単位面積あたりのMA個数から算出した。以上の手法により,C=0.24とした。観察の結果とフィットされた割れ確率PをFig.11に示す。
MA cracking probability and fitted curve. (Online version in color.)
Stage IIについては局所破壊応力説に基づき,以下の式のように局所破壊応力σFIIと低炭素ベイナイト−粒界フェライトのへき開面({100}面)に作用する最大垂直応力σnの比較によって判定する。
(3) |
垂直応力σnは以下の式により算出する。
(4) |
ここで,nmはm(m=1~3)番目の{100}面の単位法線ベクトルであり,σは低炭素ベイナイト−粒界フェライトに作用する応力テンソルである。
また,本モデルではStage IIの限界応力σFIIについて,以下に示すPetchの定式化12)を用いた。この定式化は,フェライト−セメンタイト鋼においてセメンタイト割れに隣接フェライト粒の転位が堆積し,割れの駆動力を増加する効果を考慮したものである。
(5) |
ccはσFIIに影響を与えうるMA寸法の下限であり,以下の式で表される。
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ここに,tはMA厚さ,Eは縦弾性率,νはポアソン比である。Eとνは3・1節の有限要素解析と同一の値を用いる。kyは本来のPetchの定式化ではフェライトのHall-Petch係数であるが,本供試鋼では低炭素ベイナイト−粒界フェライトのHall-Petch係数に相当すると考えられる。本研究ではkyについて,Shibanumaらが用いた21 MPa・mm1/2を用いた2)。sはすべり線の長さであり,sが大きいほど堆積する転位の量が多くなり,割れの駆動力が増加することによってσFIIが低下する。sについては,2・3節で計測した相当すべり線長さの分布を用いる。相当すべり線長さは低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒径にも影響されると考えられるため,計測された相当すべり線長さをそれが含まれる低炭素ベイナイト−粒界フェライトの円相当径で除した値の分布(Fig.12)と,MA割れが含まれる低炭素ベイナイト−粒界フェライトの粒径から算出する。γIIはStage IIの有効表面エネルギーである。Martín-Meizosoらは本研究のStage IIに相当する段階の定式化において限界応力拡大係数として2.5 MPa・m1/2を用いている7)。本研究では,この限界応力拡大係数を応力拡大係数とエネルギー解放率の関係から表面エネルギーに変換した値13.5 Jm−2をγIIとして用いた。
Distribution of equivalent slip length per grain diameter.
Stage IIIについては局所破壊応力説に基づき,以下の式のように局所破壊応力σFIIIとσnの比較によって判定する。
(7) |
σFIIIは直径Dの円形亀裂に対するGriffithの条件に基づき,以下の式で定式化する。亀裂径Dは割れを生じた低炭素ベイナイト粒径を直径とする円にランダムに引いた切片長さで表す。
(8) |
ここに,γIIIはStage IIIの有効表面エネルギーである。本研究ではγIIIとして,フェライト鋼を対象としたSan Martin and Rodriguez-Ibabeの温度依存性を示す実験結果を用いた(Fig.13)13)。
Effective surface energy for matrix boundary crossing by San Martin et al.
本数値モデルでは,ミクロ組織観察結果から得られた組織寸法の分布を切欠き先端に想定した複数の体積要素に割り当て,各体積要素に対し有限要素解析で得た応力ひずみ場を用いて4節の定式化に基づいて各Stageを満足するかを判定し,脆性破壊発生の有無を判定する。以下に,本数値モデルの計算手順を示す。
(1)ノッチ先端近傍に,破壊発生起点を十分に含むようにアクティブゾーンを定義する。
(2)アクティブゾーンを複数の体積要素に分割する。体積要素寸法は最大粒径以上とする。
(3)計測したミクロ組織の分布に基づき,各体積要素に個々のMA厚さ,低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒径・結晶方位を割り当てる(Fig.14)。MAは扁球,低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒は球を仮定し,結晶方位は集合組織を考慮せず,ランダムに割り当てる。計量形態学の知見によれば面積分率と体積分率は等しいため14),各組織の情報の割り当ては,各体積要素でそれぞれの面積分率に達するまで行う。
Schematic diagram of preparation for calculation in the present model. (Online version in color.)
(4)計算領域における,応力ひずみ場の履歴を3次元弾塑性有限要素解析によって取得する。
(5)4・1節に示した各Stageの破壊条件と応力ひずみ場の履歴を用い,各要素の破壊発生の有無を判断する。詳細を以下に示す。
(5a)各体積要素の中心座標における相当塑性ひずみεpを用いて,(2)式から求められる破壊確率に基づき,要素に割り当てられたMAについて割れの有無を判断する。
(5b)割れを生じたと判断されたMAに対して,同一の体積要素からそのMAを含む低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒を選択する。この際,体積の大きな低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒ほど多くのMAを含むと考えられるため,体積で重みをつけた上で選択する。また,割れたMAの厚さt,選択された低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒径およびFig.12に示した粒径で除した相当すべり線長さの分布からランダムに算出されるすべり線長さsによってσFIIを算出する。このσFIIが,選択された低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒の結晶方位と体積要素の中心座標における応力テンソルσから算出されるσnより低い場合,この低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒において微視亀裂が伝播した(Stage IIが満たされた)と判断する。
(5c)ミクロ亀裂が伝播した低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒について,粒径からランダムに算出された亀裂径Dから限界応力σFIIIを計算する。このσFIIIがσnより低い場合,この低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒の微視亀裂が粒界を突破した(Stage IIIが満たされた)と判断される。
(5f)いずれかの体積要素でStage I,II,IIIが連続的に満たされた場合,破壊が発生したと判断して計算を終了し,それまでの微視亀裂の情報および破壊靭性値を出力する。そうでない場合は次の時間ステップに進み,計算を続行する。
6章に示す再現解析においては,計算領域は試験片の切欠き底・板厚中心部から幅方向に1 mm,長手方向に0.5 mm,板厚方向に3.5 mmとした。体積要素の寸法は0.1 mmの立方体とした。したがって,全体積要素数は7000個である。入力するミクロ組織の情報としては,2・3節で計測した結果を用いた。応力ひずみ場を取得するための3次元弾塑性有限要素解析には,3・1節の途中除荷試験の有限要素解析と同じ材料定数を用いた。低温引張試験を行なっていない温度については,以下に示される降伏応力とパラメーターR15)の関係から降伏応力を求め,降伏後の流動応力は(1)式のパラメーターn,αについて隣接温度の平均をとることにより求めた。
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ここに,Tは絶対温度である。
Stress-strain curves for FEA.
なお,本モデルによる計算は各試験温度について10回ずつ行った。
本数値モデルを用いて実際の破壊靭性試験の再現解析を行い,結果を比較することで,妥当性の検証を行った。
6・1 試験条件用いた試験片の形状をFig.16に示す。本研究では破壊靱性指標として,準CTODδを用いる。δは試験片形状に対して次のCTOD算定式16)を形式的に適用することで得られる。
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Specimen configuration for fracture toughness test.
ここに,Wは試験片幅,a0は切欠き深さ,rpは回転係数で,0.4を用いた。Vpは切欠き端開口変位の塑性成分である。Pは破壊荷重である。疲労切り欠きではない本試験片において,準CTODは切欠き先端の開口変位を直接表す値ではなく,切欠き先端のひずみ集中の程度を表す指標であると考えるべきである。
試験温度は−180°C,−160°C,−140°C,−120°Cとした。試験後に破面をSEMで観察し,破壊起点位置を同定した。
6・2 結果 6・2・1 破壊靭性値の比較Fig.17に,各供試鋼の実験,数値モデル解析によって得られた破壊靭性値を示す。実験から得られた破壊靭性値は,どの試験温度においても供試鋼による差は大きくなかった。
Quasi-CTOD comparison of experimental results and model analysis. (Online version in color.)
モデルによる計算結果については,両供試鋼において,特に−120°C・−140°Cにおいて高精度の一致を見せている。−180°C・−160°Cでは鋼H-Cで靭性を過小評価しているが,鋼H-Dについてはよい一致を見せている。ただし,低温域については実験本数が少ないので,今後低温域においてさらに実験を追加する必要がある。
Fig.3,Fig.4に示されるように,破壊靭性に影響すると考えられるMA厚さ・低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒径はいずれも鋼H-Dの方が細粒であり,組織寸法のみから考えれば鋼H-Dの方が靭性に優れていると予想される。しかし一方で,Fig.3に示されるようにMAの面積分率は鋼H-Dの方が多く,これは脆化相の分率が高いことを意味するため,靭性を低下させると考えられる。また,Fig.6に示されるように,Stage IIの限界応力σFIIに影響する相当すべり線長さの分布については,低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒径の分布ほど大きな差はない。
これらの要因から,両供試鋼で破壊靭性値に大きな差が表れなかったと考えられる。本数値モデルでは,以上の要因を考慮した上で破壊靭性を予測しているため,精度のよい予測が可能となったと考えられる。従来研究では破壊靭性に影響するのは脆化相寸法・脆化相の体積分率・母相の粒径等であったが,本数値モデルによって,MAを含む低炭素ベイナイトが存在するベイナイト鋼では,すべり線長さに対応すると考えられるMA間の距離・MAと粒界の距離を考慮する必要があることが示唆された。
6・2・2 破壊起点位置の比較Fig.18に,破面観察によって得られた各供試鋼の実験における破壊起点位置(Fig.19)および,数値モデル解析によって得られた破壊起点位置の,切欠き底からの幅方向の距離を示す。両供試鋼について,試験温度が上昇するにつれて起点位置が切欠き底から離れていく傾向を再現できている。これは,温度が上昇するにつれて降伏応力が低下することで,切り欠き底でStage II・IIIの局所応力条件を満たすのに十分な応力が生じるまでに大きな変形を要し,十分に応力が高くなる時には塑性拘束の緩和によって高応力域が切欠き底から離れているためである(Fig.20)。鋼H-Cについては実験結果の勾配が大きいが,これについては低温域のサンプルが少ないことから,破壊靭性値と同様に追加実験による考察が求められる。
Fracture initiation points of experimental results and model analysis. (Online version in color.)
Observed fracture initiation point (Steel H-C, –120°C).
Maximum principal stress distribution on center of thickness of specimen by FEA (Steel H-C). (Online version in color.)
鋼H-Cの数値解析における,破壊起点位置の最大主応力とStage IIおよびIIIの限界応力の差をFig.21に示す。図に示されるように,局所応力はStage IIの限界応力σFIIに対応しており,Stage IIIの限界応力σFIIIはσFIIを大きく下回っている。鋼H-Dも同様な結果を示した。この結果から,本解析においては,Stage IIがボトルネックプロセスであることが確認できる。しかし,温度の上昇にしたがって,σFIIとσFIIIの差は縮まっていく傾向にある。これは,Stage IIIの有効表面エネルギーγIIIがFig.13に示したように温度上昇にしたがって増加する一方,応力は降伏応力の低下にともなって減少するからである。したがって,さらに高温ではStage IIIがボトルネックプロセスとなる可能性も考えられる。
Comparison of local stress and critical stress, simulation (Steel H-C).
本研究ではまた,ミクロ組織のパラメーターを系統的に与えた材料データに対して本モデルによる解析を行うことで,本数値モデルにおいて各組織が靭性にどのように影響するのかを考察した。この解析において変化させたパラメーターは低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒径の分布およびMAの体積分率である。低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒径の分布は,全粒径において累積分布が鋼H-Cと鋼H-Dの平均となるような分布を基準とし,その分布の平均値・最大値を変化させることで作成した。対象とした低炭素ベイナイト−粒界フェライト粒径の分布・MAの体積分率の組み合わせは9パターンである。各パターンについて−180~−120°Cの解析を行い,限界準CTODの近似曲線が0.1 mmの値をとる温度をそのパターンの靭性指標Tδ0.1と定義した。低炭素ベイナイト−粒界フェライト体積分率や,MAのアスペクト比・体積分率は鋼H-Cと鋼H-Dの平均値を用いた。粒径で除した相当すべり線長さの分布は鋼H-Cのものを用いた。応力−ひずみ場も鋼H-Cを対象として解析したものを用いた。Fig.22に,このようにして得られたTδ0.1を示す。図において,dは低炭素ベイナイト−粒界フェライトの平均粒径を示す。低炭素ベイナイト−粒界フェライトが細粒であるほど,またMAの体積分率が小さいほど靭性が向上することが確認できる。この傾向はShirahataらによって実験的に確認された事実6)と一致する。
Relationship of toughness and microstructure, simulation. (Online version in color.)
本研究では,ベイナイト鋼を対象として,微視機構に基づいて脆性破壊の発生を再現する数値モデルの構築を行った。本研究により得られた結論を以下に示す。
(1)高炭素ベイナイト・低炭素ベイナイト・粒界フェライトを母相とし,低炭素ベイナイト中にMAを含む2種のベイナイト鋼を対象として,脆性破壊発生の微視機構の解明を試みた。
(2)途中除荷試験によって成長段階で停止した微視亀裂を観察し,脆化相の同定を行った。観察の結果,低炭素ベイナイト中のMAが本鋼における脆化相であり,MAにおいて短軸方向の割れが生じることで亀裂の核が生成されると判明した。
(3)途中除荷試験の観察結果および先行研究の結果を考慮し,本鋼における脆性破壊の発生過程に3つの段階を仮定した。この仮定に基づき,脆性破壊発生を再現する数値モデルを構築した。
(4)本モデルを切欠き付き3点曲げ試験に適用し,妥当性の検証を行った。解析により予測された破壊靭性値の試験温度に伴う遷移は試験と良好な一致を示した。また,温度に伴う破壊起点位置の変化についても解析結果は試験結果を精度よく再現することができた。
(5)本モデルによって,MA間またはMA−粒界間の距離によって定義される相当すべり線長さの分布が,靭性の支配因子として考慮するべきであることが示唆された。
以上に示されたように,本研究で構築した数値モデルは観察されたミクロ組織および応力ひずみ曲線から本鋼と同様の組織を有するベイナイト鋼における脆性破壊発生を再現することが可能であると考えられる。しかし,本研究で扱った供試鋼は2種のみであるため,今後同様の組織を有し各組織の寸法が異なるベイナイト鋼に対しても妥当性の検証を続ける必要がある。また,現状では途中除荷試験に基づいて実験的にMAの割れ率を定式化しているが,今後は素過程に基づいた定式化を行うことが求められる。また,本モデルの解析対象をシャルピー衝撃試験に拡張し,延性−脆性遷移温度と組織の関係を明確にすることも目標とする。