Tetsu-to-Hagane
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Influence of Internal Hydrogen on Mechanical Properties of Nitrogen-added Austenitic Stainless Steel with Reduced Amount of Nickel and Molybdenum
Kazuhisa MatsumotoMasaharu HatanoShinichi OhmiyaHideki Fujii
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2017 Volume 103 Issue 1 Pages 54-63

Details
Synopsis:

To investigate an effect of internal hydrogen on mechanical properties of a new austenitic stainless steel “STH2” having a nominal composition of Fe-15%Cr-9%Mn-6%Ni-2.5%Cu-0.15~0.2%N, tensile tests and fatigue crack growth tests were conducted for the specimens containing around 80 ppm hydrogen charged by the exposure in 45 MPa hydrogen gas at 300˚C for 200 h and the ones heat treated in air with the same heat pattern.

At room temperature and –40˚C, no significant ductility drop by hydrogen charging was observed and about 80% of relative reduction of area was obtained, which is the same as that of JIS SUS316L with the same amount of internal hydrogen. In the specimens tensile tested at –40˚C, a small quantity of quasicleavage fracture surfaces were observed. In the banded areas in which Mn, Ni and Cu were negatively segregated, some relatively coarse voids coalesced with cracks extended along the maximum shear stress plane, which is similar to what is called void-sheet type of fracture. It is quite different from the case for tensile tests in 90 MPa hydrogen gas, in which coarse longitudinal cracks form, suggesting that the concentration of hydrogen at crack tips in 90 MPa hydrogen gas is higher than 80 ppm. It was also confirmed that fatigue crack growth rates were not accelerated by 80 ppm internal hydrogen although some faceted fracture surfaces composed of (111) γ formed.

It is confirmed that STH2 has excellent properties not only in high pressure hydrogen gas but also in the circumstance of internal hydrogen of around 80 ppm.

1. 緒言

CO2排出量の削減,新たな燃料ソース確保のため,脱炭素エネルギーシステムの開発が世界規模で進められている。この取り組みの中で,燃料電池自動車(Fuel Cell Vehicle,以下,FCV)を中心とした水素エネルギー社会の構築が進行中であり,2014年の商用FCV販売開始とともに水素ステーションの建設が盛んに進められている1)。現在検討されているFCVのほとんどでは,水素は高圧ガスの形態で搭載され,水素ガスは水素ステーションから供給される。そのため,直接高圧水素ガスに触れる車載燃料タンクや付属品(配管,弁,流量計などの計器類)および水素ステーションのそれらで使用する材料は,高圧水素ガス中でも材料特性が低下しない(特に延性・靱性が低下しない,以下,水素ガス脆化感受性が低い)ことが求められる。

面心立方(fcc)構造を主相とする金属材料は,体心立方(bcc)構造を主相とする炭素鋼などと比べ,水素の固溶度が大きく,水素の拡散係数が小さい2)。また,液体水素用途などの水素環境下での使用実績があることから,fcc構造のオーステナイト(以下,γ)系ステンレス鋼を中心に機械的特性に及ぼす高圧水素ガスの影響が調査されてきた3,4,5)。最も汎用のステンレス鋼であるSUS304(18Cr-8Ni)のようにプラナー転位から構成される変形組織を呈し,加工量を増すと加工誘起マルテンサイト相(bcc構造)が生成する鋼種,あるいはType 205(17Cr-14.6Mn-1.3Ni-0.37N)のようにγ相安定度が高い場合でも変形組織がプラナー転位からなる鋼種では水素ガス脆化感受性は高い4,6)。また,SUS316L(16~18Cr-12~14Ni-2.0~3.0Mo-LowC)などの316系ステンレス鋼では,多くの場合,水素ガス脆化感受性は低いが,低温・高圧水素ガス中ではNiなどのγ安定化元素の負偏析部(γ相安定度の低い部分)が水素脆化の起点となって延性低下を示す場合もある4,5,7)。このような検討結果に基づき,FCVではSUS316Lが,国内70 MPa級水素ステーション機器では所定のNi当量(=12.6[%C]+0.35[%Si]+1.05[%Mn]+[%Ni]+0.65[%Cr]+0.98[%Mo],[%]はmass%を示す)8)を満たすSUS316(16~18Cr-10~14Ni-2.0~3.0Mo)およびSUS316Lが高圧ガス保安規則に基づく高圧水素ガス環境下で使用可能な鋼材として例示基準化されている9,10,11,12)

このように,国内の高圧水素ガス環境下で使用できる材料として例示基準化された鉄鋼材料はSUS316およびSUS316Lに限定されている。一方,これらγ系ステンレス鋼はCr,NiやMoといったレアメタルを多く含むため原料の価格変動が大きく,さらに,高圧ガス環境下で使用する構造物への適用を想定した場合,必ずしも十分な強度を有していない。そのため,将来の水素エネルギー社会の自律的発展に向け,経済性と高強度などの高機能特性を両立させた材料の開発が強く求められている。このニーズに応えるべく,筆者らは,SUS316やSUS316Lに替わる新たな高圧水素ガス環境用鋼材として,省資源型のFe-15Cr-9Mn-6Ni-2.5Cu鋼(STH1,STHはStainless Steel with Twinning Induced Plasticity for Hydrogen Useの略称)およびこれを高強度化したFe-15Cr-9Mn-6Ni-2.5Cu-0.15~0.2N鋼(以下,STH2)の開発を進めてきた4,5,13,14,15,16)。STH2の特徴は,①MnとCuの活用によるCr,Ni,Mo量の削減とγ相安定度の確保17),②Cu添加による耐水素ガス脆化特性を向上させる変形組織の確保13,14,18),③N添加による高強度化の三点である。そして,FCVや水素ステーションの各部品が実際に曝されると想定される−40~85°Cの温度域,90 MPaまでの高圧水素ガス中で,STH2はSUS316Lより高強度,かつ同等以上の耐水素ガス脆化特性を有することを明らかにしている4,5,13,14,15,16)

一方,高圧水素ガス環境下に材料を長時間曝すると,水素が材料内部に侵入する可能性がある。水素を予め含んだ状態での特性評価はいくつかのγ系ステンレス鋼において実施されている。例えば,SUS304はおよそ10 ppmの水素を含むと著しく延性が低下,すなわち内部水素脆化するが,SUS316Lは80 ppm程度の水素をチャージしても延性の低下は僅かであり,高圧水素ガス中と同様の傾向を示す4)。これに対し,SUH660(13.7Cr-24.6Ni-1.1Mo-0.13V-2.2Ti-0.14Al-0.003B-0.04C)の延性は,45 MPa水素ガス中ではほとんど低下しないが,30 ppm程度の水素チャージにより内部水素脆化が生じる4)

このように,優れた耐水素ガス脆化特性を有する材料でも内部水素脆化する場合があり,水素ガス中に加えて内部水素含有状態での各種特性を確認しておくことは実用上重要である。そこで本研究では,STH2の機械的性質に及ぼす内部水素の影響を把握するため,高圧水素ガスチャージしたSTH2の引張特性および疲労き裂伝ぱ特性を評価した。

2. 実験方法

2・1 供試材

Table 1に示す化学組成のSTH2を300 kg真空溶解し,熱間圧延により厚さ15 mmの熱延板とした。熱延板は1100°C,4 minの溶体化処理を行った後,水冷した。

Table 1.  Chemical composition of steel used. (mass%)
C Si Mn P S Cr Ni Cu Mo N Fe
0.06 0.45 9.0 0.03 0.001 15.2 6.0 2.5 0.19 0.18 bal.

2・2 水素ガスチャージ

γ系ステンレス鋼中の水素の固溶度は,炭素鋼などのbcc金属よりも大きい2)。しかし,γ系ステンレス鋼中の水素の拡散は著しく遅く,拡散係数はbcc金属より5~6桁程度小さい2)γ系ステンレス鋼であるSTH2の機械的特性に及ぼす内部水素の影響を把握するためには,試験片の内部まで均一に水素をチャージする必要があるが,そのためには,十分な水素が侵入するチャージ条件を選択しなければならない。そこで,水素チャージ条件は,丸棒引張試験片(平行部径7 mm),コンパクトテンション試験片(以下,CT試験片,厚さ4 mm)および水素量分析用試料(厚さ4 mmおよび7 mmの板)中心部まで80 ppm程度の水素を均一にチャージできる300°C,45 MPa水素中,200 hとした。さらに,この300°C,200 hの熱処理の影響を排除し,水素チャージの影響を正確に把握するために,比較材として300°C,200hの大気熱処理材を準備した。

2・3 水素含有量測定

2・2節で述べた方法で水素チャージした水素量分析用試料より,研磨無し,片面あたり0.25 mm,0.5 mm,0.75 mm,1 mmずつ両面研磨した試料を準備し,それぞれの水素含有量(g)を溶融法により測定した。表面から0.25 mm間隔ごとの水素含有量の差分を質量%に変換し,その値を表層から0.25 mm,0.25 mmから0.5 mm,0.5 mmから0.75 mm,0.75 mmから1 mmにおける水素含有量とした。

2・4 引張試験

Fig.1に引張試験片の寸法および形状を示す。平行部の直径7 mm,長さ30 mm,標点距離25 mmの丸棒試験片であり,試験片はその長手方向と供試材の圧延方向が平行となるように板厚中心から採取した。

Fig. 1.

 Size and configuration of tensile test specimen.

水素チャージ材と大気熱処理材に対し,−40°Cおよび室温の大気中で,8×10−4 s−1の歪速度で引張試験を行った。

破断試験片に対し,走査型電子顕微鏡(SEM)による破面観察,光学顕微鏡による断面組織観察を行った。さらに,破断部近傍のボイド生成状態とγ安定化元素であるMn,Ni,Cuの偏析との対応を調べるため,断面組織観察を行うとともに電子線マイクロアナライザー(以下EPMA)を用いた元素濃度分布測定を実施した。

2・5 疲労き裂伝ぱ試験

疲労き裂伝ぱ試験にはFig.2に示す厚さ4 mm,幅20 mmのCT試験片を使用した。CT試験片は,き裂伝ぱ方向と供試材の圧延方向が垂直となるように板厚中心から採取した。

Fig. 2.

 Size and configuration of compact tension (CT) type specimen used in fatigue crack growth tests.

水素チャージしたCT試験片に対し,ASTM-E647に準拠して疲労き裂伝ぱ試験を室温,大気中で実施した。応力比は0.1,周波数は1 Hzと定め,ΔK増加制御とした。なお,試験前に予き裂は導入していない。水素チャージの影響は既に報告されている溶体化処理材5,15,16)との比較により評価した。

試験終了後,SEMによる破面観察を行った。また,実験結果にて後述するが,散見された平板状破面の結晶学的方位を求めるため,電子線後方散乱回折法(以下EBSD)による方位解析を行った。

3. 実験結果

3・1 水素チャージ材の水素含有量

Table 2に水素含有量分析用試料の水素濃度分布を示す。水素は試料最表面で外圧との平衡水素濃度を保ちながら中心部へ拡散侵入し,十分な時間が経過した後,内部まで一定の水素濃度となる。一方,オートクレーブからの試料取り出し時には,降温および減圧する必要があり,試料表層部は脱水素する。本研究で用いた各試験片にはTable 2で示すように70~80 ppm程度の水素を内部まで添加することができた。一方,厚さ7 mm材の表層約0.2 mmでは水素濃度がおよそ50 ppmまで低下した。また,厚さ4 mm材では,分析を実施した範囲において表層の脱水素は確認されなかった。これは,厚さ4 mm材は厚さ7 mm材よりオートクレーブからの試料取出し時に冷却速度が速く,7 mm材よりも脱水素が抑制されたと推察され,厚さ4 mm材も最表層は脱水素しているはずである。ただし,脱水素域は0.2 mm以下である。この程度の脱水素域は,表面のき裂伝ぱ観察を必要とする試験方法ではその影響を考慮しなければならないが,本実験の試験片(引張試験片の平行部径7 mm,CT試験片の厚さ4 mm)では,その直径および厚さに対して脱水素域は十分に浅いため,機械的特性に及ぼす影響は小さいと判断し,特性評価を行った。

Table 2.  Hydrogen content distribution in the specimens of 4 and 7 mm in thickness hydrogen charged at 300ºC for 200 h in 45 MPa hydrogen gas.
Distance from surface / mm 0~0.25 0.25~0.5 0.5~0.75 0.75~1
Hydrogen content (ppm) in 7 mmt specimen 49 87 94 69
Hydrogen content (ppm) in 4 mmt specimen 92 82 70 76

3・2 水素チャージ材の引張特性および破面

Fig.3に室温および−40°Cにおける公称応力−公称歪曲線を,Table 3に室温および−40°Cにおける引張特性を示す。一般に,SUS304のように内部水素脆化する材料は局部変形が生じる前に脆性的に破断するが4,19),80 ppm程度水素チャージしたSTH2ではこのような延性の低下は認められなかった。一方,水素チャージ材の0.2%耐力は20 MPa増加し,加工硬化挙動は大気熱処理材より若干大きく,引張強さは60 MPa程度増加した。室温では,水素チャージによる全伸びの低下はほとんど見られなかった。しかし,絞りは僅かながら水素チャージ材の方が低い値となった。−40°Cにおいても,水素チャージ材は大気熱処理材と比較して全伸びの低下は小さいが,絞りの低下は室温よりも僅かに大きくなった。

Fig. 3.

 Nominal stress-strain curves at (a) room temperature and (b) –40ºC for hydrogen charged specimens and the ones heat treated in air. Temperature and time for heat treatment in air were the same as those for hydrogen charging (300ºC, 200 h).

Table 3.  Tensile properties at room temperature and –40ºC.
Temperature / ºC Material 0.2% proof stress / MPa Tensile strength / MPa Total elongation (%) Average total elongation (%) Relative elongation (%) Reduction of area (%) Average reduction of area (%) Relative reduction of area (%)
Room temperature Heat treated in air 350 660 66.7 67.8 80.7 81.0
345 653 68.9 81.3
Hydrogen charged (70~80 ppm) 379 723 65.7 65.0 95.8 65.7 65.0 80.2
370 714 64.2 64.2
–40 Heat treated in air 440 776 68.5 69.3 80.8 81.0
435 763 70.0 81.1
Hydrogen charged (70~80 ppm) 458 834 67.0 62.6 90.4 59.7 59.7 73.7
452 831 58.2 59.7

※Relative elongation and relative reduction of area correspond to the ratio of each property of hydrogen chargedspecimen to the one heat treated specimens in air.

Fig.4に引張破断後の破面を示す。大気熱処理材は室温,−40°Cのいずれにおいてもマクロ的にはカップ&コーン型で,ミクロ的にはディンプルからなる延性破面であった。これに対し,水素チャージ材は,室温,−40°Cでは大気熱処理材と比較してマクロ的には平滑であり,ミクロ的には粗大なディンプルが減少し,微細なディンプルの割合が大きくなった。さらに,Fig.4(n)中の丸印で示す通り,−40°Cでは擬へき開破面も一部において確認された。

Fig. 4.

 Fracture surfaces of tensile test specimens heat treated in air and hydrogen charged ones. Tensile tests were conducted at (a) ~ (f) room temperature and (g) ~ (n) –40ºC.

Fig.5に−40°Cで引張破断させた試料の破断部近傍における断面組織を示す。大気熱処理材(Fig.5(a)(b))では,引張方向に伸張したボイドが観察された。一方,水素チャージ材(Fig.5(c)(d))では,比較的大きなボイドが多数生成し,図中矢印で示す通り,そのボイドから引張方向に対しておよそ45°の最大せん断応力面に沿ってき裂が進展し,一部は連結していた。

Fig. 5.

 Optical microstructures of longitudinal cross section near fracture surfaces of specimens tensile tested at –40ºC. (a)(b) the specimens heat treated in air and (c)(d) the ones hydrogen charged. Right side photos correspond to magnified images of dotted squares in left side ones. Arrows of Fig.5(d) indicate cracks extending along the maximum shear stress plane.

Fig.6に水素チャージ材の−40°Cにおけるボイド生成位置とEPMA分析により得られたMn,Ni,Cu濃度分布を示す。図中矢印で示したボイドの生成位置は,Mn,Ni,Cuの負偏析領域の中でも特にこれら元素濃度の低い部分と対応していた。

Fig. 6.

 Distributions of (a) Mn, (b) Ni and (c) Cu near fracture surfaces of hydrogen charged specimen, tensile tested at –40ºC. The area where EPMA analysis was carried out corresponds to the one surrounded by a square in Fig.5(d). Arrows show voids. (Online version in color.)

3・3 水素チャージ材の疲労き裂伝ぱ特性および破面

Fig.7に水素チャージ材の大気中における疲労き裂伝ぱ特性を示す。比較のため溶体化処理材の疲労き裂進展速度5,15,16)を併記した。試験した応力拡大係数範囲において,水素チャージ材の疲労き裂進展速度はΔKが25~50 MPa・m1/2まで溶体化処理材と同等であり,ΔKの増加に伴い単調増加した。一方,溶体化処理材の疲労き裂進展速度はΔKが25 MPa・m1/2以下になると急激に減速したが,このような急激な疲労き裂進展速度の減速は水素チャージ材では生じなかった。一見,疲労き裂進展速度は水素チャージにより加速したようにみえるが,溶体化処理材における疲労き裂進展速度の減速は,水素起因ではなく,き裂先端に堆積した酸化物摩耗粉がき裂閉口を助長するためである15,16)。また,CT試験片の厚さは,溶体化処理材の12.5 mmに対し水素チャージ材では4 mmと薄く,試験中の抜熱はより大きかったと推察される。水素チャージ材で疲労き裂進展速度の減速が生じなかったのは,溶体化処理材と比較して破面接触時の発熱量が小さく,酸化物摩耗粉の堆積が少なかったためと推定される。

Fig. 7.

 Fatigue crack growth rate of hydrogen charged and solution treated specimens5,15,16) at room temperature in air.

Fig.8に水素チャージ材の破面を示す。観察位置はΔK=25 MPa・m1/2付近の試験片厚さ中心部近傍である。大部分はストライエーションからなる典型的な疲労破面であるが,図中矢印で示すように,平滑な平板状破面も散見された。なお,破面端部も同じ破面形態であり,水素チャージ時に試験片表層で脱水素した影響は確認されなかった。

Fig. 8.

 Fracture surfaces of hydrogen-charged fatigue-crack-growth-test specimen. Arrows indicate faceted fracture surfaces. Observed position corresponds to that around 25 MPa1/2 of ΔK.

Fig.9にEBSDで測定した平板状破面近傍の逆極点図を示す。平板状破面はγ相であり,その方位は(111)であった。

Fig. 9.

 (a)(c) SEM images and (b)(d) inverse pole figures of two faceted areas on the fracture surface of hydrogen-charged fatigue-crack-growth test specimen shown in Fig.8. (Online version in color.)

4. 考察

4・1 水素チャージしたSTH2とSUS316Lの引張特性の比較

本実験においてSTH2の室温における相対絞り(水素チャージ材と溶体化処理材の絞りの比)は80.2%であった。SUS316Lにおいても,70~80 ppm程度の水素チャージを行うと室温の相対絞りはおよそ80%を示すため4),STH2の水素チャージによる相対絞りの低下代はSUS316Lと同等である。ここで,γ系ステンレス鋼の耐水素脆化特性の指標となるNi当量(=12.6[%C]+0.35[%Si]+1.05[%Mn]+[%Ni]+0.65[%Cr]+0.98[%Mo],[%]はmass%を示す)8))を両鋼で比較すると,STH2は26.4,SUS316Lは27.2となる。STH2のNi当量がSUS316Lより少ないにも関わらず同等の耐内部水素脆化特性を示すのはCuおよびN添加により,前述のNi当量で評価されるγ相安定度よりも実際のγ相安定度が高いためと考えられる。例えば,CuおよびNの影響を反映させたNi当量式(=[%Ni]+12.93[%C]+1.11[%Mn]+0.72[%Cr]+0.88[%Mo]−0.27[%Si]−0.24[%Ti]−0.07[%Co]+0.19[%Nb]+0.53[%Cu]+0.90[%V]+0.70[%W]−0.69[%Al]+7.55[%N],[%]はmass%を示す)20)では,STH2のNi当量は30.4となり,SUS316LのNi当量28.4よりも高くなる。

Fig.3で示した通り,STH2では約80 ppmの水素チャージにより,0.2%耐力は20 MPa,引張強さは60 MPa程度増加した。このような強度上昇は30 ppm程度の水素をチャージしたSUS304では認められないが19),SUS316Lでは120 ppm程度の水素チャージにより引張強さが40 MPa程度増加することが確認されている21)。また,純鉄の加工硬化率は水素チャージにより増加することが確認されており,水素は転位の移動抵抗を増加させると考えられている22)。純鉄やγ系ステンレス鋼に水素をチャージした場合,塑性変形により導入された空孔が安定化および凝集し,空孔クラスターを形成するが19,23,24),このような空孔クラスターは転位の移動をピン止めにより阻害する25)。また,γ系ステンレス鋼の加工硬化率は塑性変形中に生成した変形双晶界面が転位の移動を阻害することで増加することが知られている26)。STH2およびSUS316Lの場合,室温では変形初期からセル状の転位組織を形成し,変形中期からは変形双晶を伴う19,27,28)。SUS316系のステンレス鋼では積層欠陥エネルギーが小さくなるにつれてより低応力で変形双晶が生成しやすくなる28)。また,水素はSUS310Sの積層欠陥エネルギーを低下させる29)。同じγ系ステンレス鋼のSTH2においても,水素チャージ後の引張強さの増加は,水素チャージによる積層欠陥エネルギーの低下により変形双晶の生成が助長されたことに起因する可能性がある。一方,0.2%耐力の増加については水素による固溶強化の他,水素と原子空孔の相互作用による影響も否定できない。Fukaiらは,ニッケルおよびモリブデンに水素を固溶させた場合,水素による空孔の安定化により熱的に平衡な原子空孔濃度が増加すること示唆している30)。本実験では300°Cで水素チャージを行っているが,同様に水素による原子空孔の安定化および凝集が生じたとすれば,粗大化した空孔クラスターが潰れ,不動転位ループが形成される。この不動転位は他の可動転位の移動の障害となるため,0.2%耐力が高くなった可能性がある。

4・2 水素チャージ材の破壊挙動

Fig.4に示したように,水素チャージ材の破面は,室温では空時効材と比較してマクロ的には平滑であり,ミクロ的には粗大なディンプルが減少し,微細なディンプルの破面に占める割合が大きくなっていた。また,Fig.5およびFig.6に示したように,Mn,Ni,Cuの負偏析領域では比較的大きなボイドから最大せん段応力面に沿ってき裂が進展し,一部粗大ボイドが連結していることが観察された。このような断面組織は,SUS316L,CuおよびAISI 4340鋼でも確認されているボイドシートに基づいた破断機構と類似している31,32,33)

水素により助長される空孔クラスター(水素誘起格子欠陥)の形成は変形組織形態と関連があり,γ相安定度と積層欠陥エネルギーの低いSUS304はSUS316Lよりも水素誘起格子欠陥の形成が助長される19)。これは,SUS304の変形組織では水素添加により積層欠陥やεマルテンサイト相を生成しやすくなり,γ相自体の変形の局所化をもたらした結果,より水素誘起格子欠陥の形成が促進するためと考えられている19)。STH2においても同様に,Mn,Ni,Cuの負偏析領域では積層欠陥エネルギーが低いため,これら元素の正偏析部や平均濃度部と比較して水素誘起の格子欠陥濃度が高いと考えられる。このような水素誘起格子欠陥が引張試験中に生成・成長し,介在物などを起点に生成した粗大ボイド間の最大せん断応力面に沿って水素誘起格子欠陥が連結することで破壊に至ったと考えられる。

4・3 内部水素と外部水素環境下での引張破断挙動の比較

4・2節では内部水素環境下での破壊挙動について考察したが,引張試験後の破面形態は内部水素と外部水素環境下で大きく異なる。Fig.10に−40°C・90 MPa水素ガス中で試験した溶体化処理材の破面および一例としてFig.10(a)の破線部で切断した試験片の断面におけるNi濃度分布を示す5,15,16)。90 MPa水素中(外部水素)の場合,相対絞りは80%以上を示し,大部分は非水素環境と同様にボイドの生成・連結による延性破壊である(Fig.10(b)(d))。しかしながら,一部に縦割れを伴う脆性的な破面も確認され(Fig.10(c)(e)),縦割れの位置はNiの負偏析部と対応している。なお,Ni負偏析部ではMnとCuも同様に偏析していることを確認しており5,15,16)γ相生成元素の負偏析に起因したγ相安定度の低い領域,すなわち,水素ガス脆化感受性の高い領域で縦割れが発生している(Fig.10(f))。また,γ相生成元素の正偏析に起因したγ相安定度の高い領域では水素ガス脆化感受性は低いと考えられるが,縦割れ部に隣接するこのような領域においては擬へき開破面が確認される。同様の特徴的な破面形態はSUS316Lにおいても確認されている4,5)

Fig. 10.

 (a) ~ (e) Fracture surfaces and (f) distributions of Ni in longitudinal cross section near the fracture surface of tensile test specimen, tested at –40ºC in 90 MPa hydrogen gas5,15,16). The area for which EPMA analysis was conducted for the cross section of the dotted line of (a). (Online version in color.)

Fig.11に−40°Cにおける(a)大気熱処理材,(b)水素チャージ材および(c)90 MPa水素ガス中で試験した溶体化処理材で考えられる引張破断メカニズムを模式的に示す。Fig.11中の青い帯は試験片に予め存在するMn,Ni,Cuの負偏析領域に対応している。(a)の大気中でかつ試験片が水素を含まない大気熱処理材(非水素環境)の場合,引張強さに到達後,塑性不安定となり,試験片中央部近傍でボイドが生成・連結しせん断的に破断する。(b)の水素チャージ材(内部水素)の場合,4・2節で述べた通り,Mn,Ni,Cuの負偏析領域で水素誘起格子欠陥形成により微細ボイドが形成され,介在物などを起点に生成した粗大ボイド間の最大せん断応力面に沿って微細ボイドが連結することで破断に至るが,一部の負偏析領域では擬へき開破面も形成される。これに対し(c)の90 MPa水素中(外部水素)の場合,大部分は非水素環境と同様にボイドの生成・連結による延性破壊である。しかしながら,試験片にはγ相生成元素の負偏析に起因したγ相安定度の低い領域,すなわち,水素ガス脆化感受性の高い領域が存在する。局部変形中に試験片表面で生成したき裂は,この水素ガス脆化感受性の高いγ相安定度の低い負偏析帯において割れを伴いながら伝ぱする。また,正偏析帯に対応する領域でも擬へき開破面が生じる。ただし,Fig.4に示す通り,同じ溶体化処理材から準備した水素チャージ材ではこのような割れは確認されず,両者の破面形態は大きく異なる。

Fig. 11.

 Schematic representation of fracture mechanism in tensile tests at –40ºC. (a) Specimen heat treated in air and tested in air (without hydrogen), (b) specimen hydrogen charged and tested in air (inner hydrogen), and (c) specimen solution treated and tested in 90 MPa hydrogen gas (outer hydrogen). Blue bands correspond to the negative segregation bands of Mn, Ni, Cu. (Online version in color.)

Omuraらは,丸棒引張試験片の陰極チャージSSRT試験によりSUS304LとSUS316Lの表面水素濃度と相対絞りの関係を報告している34)。室温の場合,SUS316Lの相対絞りは水素量が100 ppm程度を超えると低下し,試験片側面に引張方向と垂直な方向に割れを伴う。また,破面のディンプルの大きさは非水素チャージ材と比較して微細化する。1000 ppmまで水素チャージを行うとSUS316Lの相対絞りは30%まで低下し,破面は全面が擬へき開となる。水素ステーション環境を想定した−40~85°C・~90 MPa水素中において,γ 系ステンレス鋼に侵入する水素量は最大で80 ppm程度であると予想される35)。一方,SUS316Lにおいて,100 ppmまで内部水素量を高めても高圧水素ガス中で観察された割れを伴う擬へき開破面は生じない。これは,100 ppmの内部水素よりも90 MPa水素中の水素脆化環境がより過酷であることを示唆している。

内部水素と外部水素環境における破壊挙動の違いならびに破壊挙動に及ぼす負偏析の影響を,Fig.12の水素濃度量と破面形態の対応を示す概念図を用いて考察する。水素濃度が多くなるにつれ,γ系ステンレス鋼の破面形態はディンプルから微細ディンプル,擬へき開へと変化するが,γ系ステンレス鋼には,Mn,Ni,Cuの負偏析に起因した耐水素脆化特性の変動要因が内在する。破面形態は,80 ppm程度の水素を含有する場合,概ね微細なディンプルとなるが(Fig.12(a)),負偏析領域に対応する耐水素脆化特性の低い領域では,水素の影響をより強く受け,擬へき開破面となる(Fig.12(b))。一方,高圧水素中では,引張変形により,まずは試験片表面の不働態被膜が破壊されて水素と金属部分が接触し,き裂が生成する。高圧水素ガス中では酸素などの不純物がほとんど存在しないため不働態被膜は再生できず,き裂先端では金属の新生面が露出した状態が維持される。このき裂先端では不働態被膜が存在する場合と比較して水素侵入量が著しく多くなるため4),静的な状態で水素ガスチャージした場合と比べ,き裂先端の水素濃度はより多くなると考えられる。したがって,き裂先端は内部水素環境と比較してより厳しい水素脆化環境となり,き裂進展時に負偏析部では割れを伴う脆性的な破面が生じ,正偏析部に対応する比較的耐水素脆化特性の高い領域においても水素と塑性変形の強い影響を受けて擬へき開破面が生じると考えられる。

Fig. 12.

 Schematic representation of the relationship between fracture modes at –40ºC and harshness of the environment as a function of hydrogen content. (a) area in which Mn, Ni and Cu are homogeneously distributed, (b) negatively segregated area of those elements. (Online version in color.)

高圧水素ガス中で生成したき裂先端での水素濃度を求めることは容易ではない。しかしながら,破面形態の比較より,高圧水素ガス中で動的に生成したき裂先端の水素濃度は,高圧水素ガス環境を想定して静的に水素チャージした場合より多くなることは明らかである。

4・4 水素チャージ材の疲労破面における平板状破面形成

Fig.8に示したように,水素チャージしたSTH2の疲労破面では平板状破面が散見され,Fig.9に示すようにその結晶学的方位は(111)γであった。このような(111)γの平板状破面はSUS304やSUS316Lでも同様に観察されている4,36,37,38,39,40)。平板状破面の形成には,母相γ相の焼鈍双晶と加工誘起マルテンサイト相の界面剥離や変形により生成したεマルテンサイト相の(0001)面におけるすべり面分離あるいはへき開破壊の可能性が示唆されている4,36,37,38,39,40)

fcc金属の(111)面は完全整合双晶面であるため,この面で水素よる界面剥離が生じるとは考え難い。秦野らは,45 MPaのHeガス中で引張破断させたSTH1のTEM観察を行い,破断部直下の変形組織には加工誘起マルテンサイト相は生成しておらず,大部分は変形双晶を伴う高転位密度のγ相であり,ε相が極僅かに生成していることを確認している27)。すなわち,STH2の平板上破面は,疲労き裂先端で生成したε相が水素の影響により(0001)面ですべり面分離あるいはへき開破壊後,応力除荷によりオーステナイト相の(111)面に逆変態した結果生成した可能性が高い。

このように水素の影響を受けたと思われる平板状破面が僅かに観察されたが,大部分は典型的な疲労破面であり,水素チャージによる疲労き裂進展速度の加速は生じていない。したがって,STH2の疲労き裂伝ぱ特性に及ぼす平板状破面形成の影響はほとんど無いと考えられる。

5. 結言

SUS316Lに替わる高圧水素用オーステナイト系ステンレス鋼として開発されたSTH2(Fe-15Cr-9Mn-6Ni-2.5Cu-0.15~0.2N)に約80 ppmの水素を高圧水素ガスチャージし,−40°Cおよび室温における引張特性,および室温における疲労き裂伝ぱ特性を評価した。以下に主要な結果を示す。

・室温および−40°Cとも,水素チャージにより僅かな強度上昇および相対絞りの低下が生じた。しかし,相対絞りは80%程度の高値であった。また,引張試験片の破面は,室温,−40°Cとも微細なディンプルが大部分を占め,−40°Cでは擬へき開破面が僅かに生成した。これらの結果は,γ系ステンレス鋼の耐水素脆化特性の指標とされるNi当量の算出には,CuやNの影響も反映させるべきであることを示唆している。

・水素チャージにより引張試験片の破壊形態はカップ&コーン型からボイドシート型のせん断的な破壊へ変化した。また,水素チャージ材では,Mn,Ni,Cuの負偏析領域において,比較的大きいボイドから最大せん断応力面に沿ってき裂が進展し,一部粗大ボイドが連結していた。これら負偏析領域で観察された粗大ボイドの連結は,水素誘起格子欠陥の連結によるものと考えられる。

・80 ppm程度の水素チャージでは,溶体化処理材を90 MPa水素ガス中で引張試験した際に生ずる負偏析帯に沿った大きな縦割れ状の擬へき開破面は生じなかった。このことは,90 MPa高圧水素ガス中における引張試験中に生成したき裂先端の水素濃度は,80 ppmより高いことを示唆している。

・室温における疲労き裂伝ぱ特性は,80 ppm程度の水素をチャージしても,溶体化処理材と同等であった。

・水素チャージ材では,大部分は典型的な疲労破面であったが,水素の影響を受けたと思われる平板状の(111)γ破面が僅かに観察された。しかしながら,水素チャージによる疲労き裂進展速度の加速は生じておらず,疲労き裂伝ぱ特性に及ぼす平板状破面形成の影響はほとんど無いと考えられる。

・STH2は,80 ppm程度の内部水素存在下でも,優れた引張特性および疲労き裂伝ぱ特性を有しており,SUS316Lより高強度で価格安定性の高い本鋼は,水素エネルギーシステム用に適用可能な有望な材料の一つである。

本研究は,国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(New Energy and Industrial Technology Development Organization,NEDO)による,水素製造・輸送・貯蔵システム等技術開発プロジェクトにおいて実施した。

文献
 
© 2017 The Iron and Steel Institute of Japan

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