2017 Volume 103 Issue 8 Pages 483-490
Voids formation by cementite was investigated quantitatively in high strength steel sheets consisting of bainitic ferrite and cementite. Tensile tests were performed with rectangular specimen in longitudinal direction to rolling direction. After the tensile tests, the fractured specimens were cut along the width center. The cross sections near the fractured surface were observed by SEM. Voids and microstructure were observed in five thickness reduction areas with different strain level. As a result, number density of voids increased as strain increased. Not only the number of short voids observed in low strain but also the number of long voids increased as strain increased. Mainly, two types of voids were seen here. One was decohesion of interface between bainitic ferrite and cementite, and the other was cracking of cementite itself. Misorientation in the crystal grains was determined by KAM (Kernel Average Misorientation) using EBSD analysis. The obtained KAM values increased as strain increased, especially in the boundaries between bainitic ferrite and cementite. Therefore, it was revealed quantitatively that voids formed mainly through local strain increase.
自動車用部材への要求として,燃費向上のための軽量化,安全性向上のための高強度化が挙げられ,高張力鋼鈑の適用が拡大している。高強度化の一方で,自動車用部材は複雑な形状にプレス加工されることから良好な成形性が求められている。プレス加工において,局部的な延性,破壊過程が加工性を支配する。そのため局部変形に大きく影響することから延性破壊の検討が重要である。
鋼の延性破壊はボイドの発生・成長・合体により生じると考えられており,鋼材組織の影響を大きく受ける。ボイドは材料内部の第2相組織と呼ばれる硬質なマルテンサイト,セメンタイトや介在物を起点にボイドが発生することがわかっている1,2,3,4,5,6)。フェライトを母相とし第2相組織を有する鋼で,延性破壊過程の観察により,第2相粒のボイド発生機構には界面剥離と第2相粒の破壊があることが確認されている1)。またマルテンサイト組織を有するDP鋼のボイド形成メカニズムはマルテンサイト粒のサイズ,形状,分布などのDP鋼の材料パラメータに基づいて検討すべきであると考えられている2)。ここでセメンタイトは熱処理により形状を球状化などで制御しやすいことから延性破壊の検討において有用であると考えられる。セメンタイトに着目した検討は多く行われており,セメンタイト起点のボイドが観察されている5,6)。セメンタイト体積率の増加に伴い,ヤング率,降伏応力,破断応力は増加し,破断延性は低下することがわかっている5)。延性に関して,フェライトが細粒で粒界上にセメンタイトが存在する場合に伸びが高く,フェライトが粗大粒で,セメンタイトが粒内に存在する場合に低くなることがわかっている6)。以上のように,セメンタイトによるボイドの発生が確認され,機械的性質へ及ぼす影響などのマクロな視点での検討が行われている。しかし局所領域における,セメンタイトによるボイド形成の現象を定量的に検討した研究はほとんどない。
そこで本研究では,ベイナイト組織の高張力鋼板を用いて,ボイド形成に及ぼすセメンタイトの影響を明らかにすることを目的として,引張試験後のボイド,組織観察,EBSDの局所方位差解析(KAM)を行い,セメンタイトによるボイド形成の定量的評価を行った。
供試材には炭素量0.09 mass%のセメンタイトとベイニティックフェライトからなるミクロ組織を有する高張力鋼鈑を用いた。
供試材より圧延方向が長手方向のJIS5号の引張試験片7)を作製した。用いた引張試験片(板厚2.6 mm)をFig.1に示す。オートグラフ(島津製作所製)を用いて,引張速度3 mm/minで引張試験を行った。引張特性を得るため,試験片中央にひずみゲージ(共和電業製)を添付して測定した。同条件での試験回数は4回である。

Dimension of rectangular tensile test specimen.
Fig.2のように破断後の試験片を板幅中央で圧延長手方向に断面をとり,観察面とした。引張方向の真ひずみεを試験前の板厚T0,観察箇所における試験後の板厚Tから,式(1)8)により求めた。
| (1) | 

Schematic illustration of (a) fractured specimen, (b) cross section along the center line and (c) magnified view near fracture surface. The vertical lines in (c) show the observation windows for voids. (Online version in color.)
ここで,体積一定と板幅中央部において幅方向に対して垂直な面で平面ひずみ状態を仮定している。
異なるひずみ5箇所において,板厚方向にすべてのボイドを走査型電子顕微鏡(SEM)により観察した。観察視野において,引張試験前の試料からは0.5 μm以上のボイドは観察されなかった。本研究では引張変形によるひずみの影響を検討するために,引張方向の長さ0.5 μm以上をボイドと定義し数えた。つまり0.5 μm以下のボイドに関しては,引張前と引張後のどちらで発生したか区別していない。板厚減少により各ひずみでの観察面積が異なるため,数えたボイド数を観察面積で割り,単位面積(1 mm2)当たりのボイド数密度nvを算出した。その数えたボイドの引張方向の長さを測定した。また同様の観察箇所を3%ナイタールでエッチングして組織観察を行った。
2・3 EBSD解析引張試験前後の試料を電子線後方回折法EBSD(Electron Back Scatter Diffraction)により測定した。引張試験後の試料に関しては2・2項と同様の試料を用いて,算出したひずみ5箇所で測定を行った。測定条件を加速電圧20 kV,照射間隔0.06 μmとした。得られたデータを結晶方位解析装置OIM(Orientation Imaging Microscopy)により解析した。局所方位差:KAM(Kernel Average Misorientation)をパラメータとし,マップを作成した。結晶粒内の方位差を局所方位差値(KAM値)により評価した。方位差は粒内に蓄積したGN転位(Geometrically Necessary Dislocation)を反映する9)ことがわかっている。Fig.3にKAMの定義の説明図を示す。測定点iのKAM値(θi)はFig.3中の六角形で表される測定点のピクセルごとに得られ,測定点iとその隣接する6つの測定点jとの方位差の平均値を示す。KAM値は式(2)のように示せる。ここでαi,jは測定点iとjの間の結晶方位差,nは測定点の数(6点)を示す。

Schematic illustration of images of grains with hexagonal pixels obtained by EBSD. The pixel for measurement i is surrounded by neighbor pixels j. (Online version in color.)
測定視野内の平均KAM値を求めた。平均KAM値(θave)とは,式(3)に示すように任意の測定点をi,視野内の測定点数をmとして,視野内のすべての測定点ごとのKAM値の平均を取ったものである。
本研究では隣接する測定点の方位差5°以上の境界を結晶粒界とし,5°以下の局所方位差分布を求めた。結晶粒界の定義について,詳細を3・3項で示す。
また結晶系の違いから,フェライトとセメンタイトを分離してPhase mapを作成した。EBSD解析ソフト(OIM Analysis)で作成したマテリアルデータを用いて解析を行った。解析に用いたデータを以下に示す。フェライト(α-Fe)は立方晶(体心立方格子),格子定数:a=2.87Å,セメンタイト(Fe3C)は斜方晶,格子定数:a=5.09Å,b=6.74Å,c=4.52Åである。
またEBSD測定データより,円相当径として各結晶粒の粒径を求めた。結晶粒径のばらつきを考慮して,各粒径に解析範囲における面分率で重み付けをし,平均値を算出した。
引張試験で得られた本供試材の応力−ひずみ線図をFig.4に示す。ここでの応力とひずみは公称応力と公称ひずみを示す。また得られた引張特性(引張強度σT,0.2%耐力σ0.2,全伸びT.EL,一様伸びU.EL,局部伸びL.EL)をTable 1に示す。

Stress-strain curve.
| σ0.2  MPa  | 
                σT  MPa  | 
                U. EL  %  | 
                L. EL  %  | 
                T. EL  %  | 
              
|---|---|---|---|---|
| 679 | 770 | 7.65 | 12.3 | 20.0 | 
引張試験後の試料におけるボイド数密度とひずみの関係をFig.5に示す。4回の測定により,標準偏差を求め図中に誤差棒として示した。ひずみの増加に伴いボイド数密度は増加した。ε=1.20のとき,他のひずみと比べて誤差範囲が大きくなった。これは数えたボイドの中に合体したボイドも多く含まれるからだと考えられる。ボイドの合体にはセメンタイト粒の分布等に依存すると考えられる。Fig.6に(a)ε=0(引張試験前)と(b)ε=1.20のエッチング後の組織のSEM画像と模式図を示す。セメンタイトは粒界に分布しており,ε=0では矢印IIで示す粒界上で隣同士のセメンタイト粒間距離に対して,矢印Iで示す粒界の対角線上の粒間距離はIIより長いのが明らかである。一方,ε=1.20のときは,フェライト粒径が小さくなり,Iの距離も短くなる。そのため発生したボイドの合体が起こる可能性が高くなる。したがって,用いた試料におけるセメンタイト粒の不均一な分布がボイド合体のばらつきを生じさせ,その結果ボイド数密度にばらつきが生じたと考えられる。

Relationship between number density of voids and strain.

SEM images and schematic diagrams of microstructures: (a) at ε=0 and (b) at ε=1.204. (Online version in color.)
またFig.5に示した各ひずみにおけるすべてのボイドの引張方向長さを測定した。代表的にひずみε=0.357,0,693,1.20におけるボイド数密度とボイド長さの関係をFig.7に示し,観察されたボイドのSEM画像をFig.8に示す。すべてのひずみにおいて0.5 μm以上1.0 μm未満のボイドが最も多く,長いボイドほど少なかった。ただしε=0.357における2.0 μm以上2.5 μm未満のボイドは,大きな介在物により生成されたため存在している。起点の詳細については3・2項で示す。ひずみの増加に伴い,低ひずみでも見られた短いボイドだけでなく,長いボイドの数も増加した。2.5 μm以上の長さのボイドが見られたのは,ε=0.916以上のときのみであった。1.5 μm以上の長いボイドは2種類観察された。Fig.8(a)のボイド(1.5 μm)は,途中にくびれた箇所があり,長さ0.5~1.0 μm程度の二つのボイド(矢印A,B)が合体したものと考えられる。またFig.8(b)のボイド(2.5 μm)は,細長く,引張方向に伸びて成長したと考えられる。ε=1.20のとき,1.5 μm以上2.5 μm未満のボイド数が他のひずみに比べて顕著に多く,2.5 μm以上のボイドも存在した。一方でその約半分のひずみε =0.693のときには,1.5 μm以上2.5 μm未満のボイドの数はε=1.20のときの半分以下であり,2.5 μm以上のボイドが存在しなかったことから,ひずみが高いほどひずみ増分に対しボイド長さの増分が多くなることがわかった。また0.5 μm以上1.0 μm未満の短いボイドはε=0.357においても多く存在することから,0.5 μm以上1.0 μm未満のボイドは発生初期のボイドと考えられ,ボイドは成長,合体と同時に新たに形成され続けることが確認された。

Relationship between number density of voids and void length in ε=0.357, 0.693, 1.204. (Online version in color.)

SEM images of voids at each strain: (a), (b) at ε=1.204, (c) at ε=0.693 and (d) at ε=0.357.
エッチング後の組織観察により,すべてのひずみでセメンタイトを起点とする以下2種類のボイドが観察された。セメンタイト/ベイニティックフェライト界面剥離,セメンタイト割れによるボイド形成のSEM画像をFig.9に示す。白矢印で示すボイドは,セメンタイト/ベイニティックフェライト界面の剥離(Fig.9(a))およびセメンタイトの割れ(Fig.9(b))により発生したと考えられる。

Two types of void formation by cementite: (a) decohesion at the boundaries between cementite and bainitic ferrite and (b) cracking of cementite itself.
またFig.10にボイド形成起点の割合とひずみの関係を示す。ボイド形成起点の割合は,どのひずみにおいてもセメンタイト/ベイニティックフェライト界面剥離によるボイド形成が最も多く,次にセメンタイト割れ起点が多かった。残りはその他(介在物等)起点のボイドであり,介在物によるボイド形成のSEM画像をFig.11に示す。白矢印で示す,介在物/ベイニティックフェライト界面の剥離により発生したと考えられるボイド(Fig.11(a),(b))と介在物自身の割れにより発生したと考えられるボイド(Fig.11(c))とが見られた。Fig.10中に示す介在物は5 μm~10 μm程の大きさで,四角い形状であることから,既報告4)でも見られたTiNと考えられる。セメンタイト起点のボイドが顕著に多かったことから,セメンタイトがボイド形成の主因子であることを明らかにした。

Relationship between fraction of each voids initiation site to the total voids and strain. (Online version in color.)

Void formation by inclusion: (a), (b) decohesion at the boundaries between bainitic ferrite and inclusion and (c) cracking of inclusion itself.
引張試験前後の試料でEBSD測定を行い,引張試験後の試料に関してはボイド周辺の組織を測定した。まず結晶粒界の定義を検討した。一般的に大傾角粒界に対し,結晶方位差がわずかである小傾角粒界は方位差のしきい値を15°としている10)。また本研究で用いた供試材のような加工組織においては粒界の方位差が15°以下となることが考えられる。以上を踏まえて粒界を定義するため,引張試験前の圧延まま状態の試料のIQ mapに15°以下の3点(2°,5°,15°)の方位差でそれぞれ線を引いて塗り分けた。2°−5°を赤で5°−15°を緑で15°−180°を青で塗り分けた。その作成したGrain boundary mapをFig.12に示す。IQ mapをもとに予測した粒界は,15°では粒界部分とすべての箇所で重なっているわけではなく,逆に2°では研磨傷も含んでいることがわかった。圧延まま状態で引張りによるひずみが0の状態であってもすでに15°以下であることから,引張変形によるひずみが加わった状態では15°以下である。したがって,本研究では方位差5°以上の境界を結晶粒界とし,5°以下の局所方位差分布(KAM map)を求めた。

Grain boundary map before tensile test. (Online version in color.)
測定視野内の平均KAM値を求め,Fig.13に平均KAM値とひずみの関係を示す。ひずみの増加に伴いKAM値は増加した。この測定視野における,ひずみε=0(引張試験前,圧延まま状態)~1.20でのEBSD測定結果をFig.14~19に示す。それぞれフェライトとセメンタイトの組織における,(a)はIQ(Image Quality)map,(b)はPhase map,(c)はIPF(Inverse Pole Figure)map,(d)はKAM mapである。ひずみの増加に伴いKAM値が増加するのがKAM mapからも明らかにわかった。KAM mapより,ε=0のときはセメンタイト周りのみ局所方位差が高かった。ひずみが増加するにつれ,4°以上の局所方位差の大きい領域が増加した。IPF mapにより結晶粒を識別すると,粒界近傍で局所方位差が大きいことがわかった。一方で,粒内はε=0で1°以下,ε=1.20でも2°以下と局所方位差は比較的小さくなった。

Relationship between KAM average value and strain.

EBSD maps of two phases around voids before tensile test at ε=0: (a) IQ map, (b) Phase map (c) IPF map, and (d) KAM map. (Online version in color.)

EBSD maps of two phases around voids at ε=0.357: (a) IQ map, (b) Phase map, (c) IPF map and (d) KAM map. (Online version in color.)

EBSD maps of two phases around voids at ε=0.511: (a) IQ map, (b) Phase map, (c) IPF map and (d) KAM map. (Online version in color.)

EBSD maps of two phases around voids at ε=0.693: (a) IQ map, (b) Phase map, (c) IPF map and (d) KAM map.(Online version in color.)

EBSD maps of two phases around voids at ε=0.916: (a) IQ map, (b) Phase map, (c) IPF map and (d) KAM map. (Online version in color.)

EBSD maps of two phases around voids at ε=1.204: (a) IQ map, (b) Phase map, (c) IPF map and (d) KAM map. (Online version in color.)
Fig.5からもわかるように本研究で用いた試料においてセメンタイトは粒界に多く存在しているためと変形の際に結晶粒界で転位が妨げられためと考えられる。またKAM mapの局所方位差の大きい部分に関して,各ひずみにおけるPhase mapのセメンタイトの部分はほぼ一致している。各ひずみの測定視野でセメンタイト量はほぼ一様であるが,Phase mapにおいて,ひずみが高くなるにつれてセメンタイト量が増加しているように見える。これは実際のセメンタイトの部分に対応はしているが,ひずみの増加に伴い指数付けの精度が低下するために領域が実際よりも少し大きく表示されていると考えられる。このことを考慮しても,KAM値の傾向やセメンタイトとの対応は変わらない。
局所方位差とセメンタイトの関係を詳細に検討するため,ε=0.916のときのEBSD測定結果(Fig.18)のボイド周りの高倍率の測定結果をFig.20示す。それぞれ(a)はIQ map,(b)はPhase map,(c)はKAM map,(d)はEBSD測定後の(a)~(c)と同一視野にエッチングを施したSEM写真である。KAM mapにおける局所方位差の高い部分とPhase mapのセメンタイトの部分が,さらにはSEM組織写真の白色のセメンタイト部分が一致していることから,セメンタイト近傍で局所方位差が増加したことがわかった。

Enlarged EBSD maps of two phases around voids at ε=0.916: (a) IQ map, (b) Phase map, (c) KAM map and (d) SEM image after etching. (Online version in color.)
EBSD測定より得られたデータからベイニティックフェライトの結晶粒径を算出した。結晶粒径とひずみの関係をFig.21に示す。ひずみの増加に伴いベイニティックフェライト粒径は減少した。Fig.13の結果と合わせて考えると,ベイニティックフェライト粒径が小さくなるほどKAM値は大きくなっていることがわかった。これは1つの結晶粒に対して転位の数が同じであり,同一視野において粒径が小さいほど粒の数は多くなるためであると考えられる。既報告11)でも結晶粒径が小さいほどKAM値の増加率が大きくなることがわかっている。

Relationship between bainitic ferrite grain size and strain.
試料に引張変形を加えたとき,フェライトの硬さはHv:12012)に対してセメンタイトの硬さはHv:134013)と硬いため,塑性変形量が少ない。その硬度差から生じる塑性変形量の違いにより,硬いセメンタイトが転位の障害となり,セメンタイトまわりの転位密度が増加し,Orowan機構により転位ループが形成される。転位密度の増加により,セメンタイトにかかる応力σθが大きくなる。そして粒子にかかる応力の増加が粒子の破壊応力に達したときにボイドが発生すると考えられている14)。セメンタイトへの応力σθは,r:転位が粒子に影響を及ぼす粒子表面からの範囲,ρ:セメンタイトまわりの平均転位密度,μ:剛性率,b:バーガースべクトルとして式(4)14)で表される。
| (4) | 
また転位密度ρは,KAM値θ(rad),転位配列の幾何学に依存する定数A15)(刃状転位:1,らせん転位:2),バーガースベクトルの大きさb,EBSD解析におけるステップサイズdより,式(5)16)のように示せる。式(5)より,転位密度とKAM値は比例関係と近似できる。
| (5) | 
セメンタイトまわりのKAM値は3・4項で示したようにθ=5°(=0.087 rad)であるから,A=1(刃状転位と仮定),b=2.5×10−10 m17),d=0.06 μmとして,式(5)より転位密度ρ=5.8×1015 m−2を求めた。また式(4)にr=10−1 μm(セル壁の幅程度)14),μ=98 GPa14),b=2.5×10−10 m,ρ=5.8×1015 m−2として代入して,セメンタイトにかかる応力σθを求め,σθ=14210 MPaと見積もることができた。
以上より,3・2項の引張試験後のボイドのSEM観察で見られた2種類のセメンタイトによるボイド形成は以下のように考えられる。セメンタイトにかかる応力σθが限界界面強度σCを越えると界面剥離によるボイド形成が起こる。さらに,セメンタイトの破壊強度を越えるとセメンタイト割れによるボイド形成が起こる。本研究ではセメンタイト割れ起点よりも界面剥離起点の方が多かったことから,セメンタイトの破壊強度よりもセメンタイト/ベイニティックフェライトの界面強度の方が小さく,容易にボイドを発生させたと考えられる。限界界面強度σCは,1000-2000 MPa3)程度,セメンタイトの破壊強度は3920-7840 MPa程度との報告18)がある。多くのセメンタイト割れを起こしたセメンタイト粒は細長い形状が観察され,どちらの形態のボイド形成が起こるかは界面強度,破壊強度以外にも形状に依存すると推察される。また介在物TiNの硬さはHv:205019)であり,セメンタイトよりも硬いことからセメンタイト/ベイニティックフェライト界面剥離によるボイド形成よりも介在物/ベイニティックフェライト界面剥離によるボイド形成の方が起こりやすいと考えられる。Fig.9で介在物起点のボイドが少ないのは,セメンタイトに比べて試料中の介在物の数が圧倒的に少ないためである。またFig.9の低ひずみにおいて,その他(介在物等)の領域が高ひずみのときと比べて大きくなったのは,介在物の存在確率はほぼ一様であるが,低ひずみではセメンタイトにかかる応力がセメンタイト/ベイニティックフェライト界面の界面強度を越えづらく,割合で示すとその他の割合が多く見えるためである。
EBSDの方位差解析により,ひずみの増加に伴う局所方位差の増加,特にセメンタイト近傍の局所方位差の増加によりボイドが形成されることを明らかにし,セメンタイトにかかる応力σθを示すことができた。セメンタイトの存在するKAM値の高い部分であっても,ボイドの発生していない部分が存在するのは,ミクロに考えると実際は,セメンタイトの個々のアスペクト比や分散状態は異なり,セメンタイトにかかる応力がそれぞれのセメンタイトで異なるためである。
したがって本研究では局所方位差の増加から,セメンタイトによるボイド形成を定量的に評価できた。
セメンタイトとベイニティックフェライトからなるミクロ組織を有する高張力鋼板を用いて,引張変形におけるセメンタイトによるボイド形成をSEM観察,EBSD解析により検討した結果,以下を明らかにした。
・引張試験後のボイド観察により,ひずみの増加に伴いボイド数密度が増加することがわかった。また低ひずみで見られていた引張方向に短いボイドの数だけでなく,長いボイドの数も増加した。
・セメンタイトを起点とするボイドは,セメンタイト/ベイニティックフェライト界面剥離,セメンタイト割れの2種類が観察された。ボイド形成起点の割合は,セメンタイト起点が顕著に多かったことから,セメンタイトがボイド形成の主因子であることがわかった。
・EBSDの方位差解析により,ひずみの増加に伴いKAM値が増加することがわかった。またKAM map,Phase mapより,セメンタイト近傍において局所方位差が高いことがわかった。 局所方位差の増加から,転位密度の増加により,セメンタイトによるボイド形成を示した。
以上より,セメンタイトによるボイド形成を定量的に示すことができた。