2020 Volume 106 Issue 12 Pages 953-960
The deformation-induced martensitic transformation is a very effective phenomenon that improves mechanical properties of steels, and well known to be beneficial also in rolling contact fatigue (RCF) of bearings. In the present study, the characteristics of the deformation-induced martensitic transformation in the case of RCF of carburized, quenched and tempered SAE4320 steel were investigated in detail using a scanning electron microscopy – electron backscattering diffraction and an automated crystal orientation mapping - transmission electron microscopy. These analyses clarified that the extremely fine deformation-induced martensites as small as several tens of nm were formed with different variants within an austenite grain in the case of RCF, and the martensites were speculated to have the Kurdumov-Sachs or the Nishiyama-Wasserman relationship with retained austenite. Furthermore, the deformation-induced martensites were formed preferentially within the retained austenite grains, not from the interface between tempered martensite and retained austenite. Therefore, it was suggested that the deformation-induced martensites in RCF were formed from some localized regions that were plastically introduced within the retained austenite grains.
準安定オーステナイト(γ)を含む鋼を加工すると,オーステナイトがマルテンサイト(α’)に加工誘起変態し,大きな塑性を示すことが知られている。加工誘起マルテンサイトはMS点以上の温度でオーステナイトを加工した場合に発生するが,その変態挙動はオーステナイトの固溶炭素量などの化学成分(すなわちMS点や積層欠陥エネルギー)1–7),結晶粒径7–11),存在形態12–14),結晶方位15,16)などの組織因子以外に,応力状態17)や加工温度18–20)にも大きく依存する。変態機構は主に加工温度によって変化し,MS点の直上では,オーステナイトの弾性変形中に,通常の冷却マルテンサイトと同様の核生成サイト(例えば結晶粒界)から,応力に支援されてマルテンサイト変態が生じる。一方,マルテンサイト変態に必要な力学的駆動力は温度の上昇に伴い大きくなるため,MSσ(マルテンサイト変態開始応力とオーステナイトの降伏応力が等しくなる温度)より高温では,まずオーステナイトが塑性変形し,これによって生じた局所的な不均一変形領域(すべり帯,せん断帯,変形双晶など)やこれらの交差部が核生成サイトとなり,マルテンサイトへの変態が生じる。前者を応力誘起マルテンサイト変態,後者をひずみ誘起マルテンサイト変態と呼ぶ21)。なお,塑性変形域でのメカニズムについては議論が続いており22),塑性変形によって導入される変形双晶23)やすべり帯24,25)の交差部に応力が集中することによってマルテンサイト変態が生じる,応力誘起説も提唱されている。いずれにしても,加工誘起マルテンサイトは鋼の機械的特性の向上に大きく寄与する。これを活用し,強度-延性バランスを向上させた鋼がTRIP(transformation
induced plasticity)鋼であり,1960年代にZackayら26)によって高合金のTRIP鋼が考案されて以来,近年では実用性を考慮した低合金TRIP鋼まで盛んに開発が行われている。加工誘起マルテンサイトの組織的な特徴は,特にオーステナイト単相の高合金TRIP鋼を中心に研究が行われてきた。例えばFe-Ni系合金を用いて調査した結果19,20)によると,MS点直上で引張変形させたときの加工誘起マルテンサイトはmid-ribが存在する典型的なレンズ状マルテンサイトであるが,より高温で引張変形させたときの加工誘起マルテンサイトは,athermalなマルテンサイトとは変態機構が明確に異なり,mid-ribや変態双晶が存在せず,極めて微細なbutterfly状のマルテンサイトとなっている。一方,積層欠陥エネルギーが低いFe-Cr-Ni合金やオーステナイト系ステンレスを変形させると,まず先行してhcpのεマルテンサイトが生成し,このε相を核としてbccのα’マルテンサイトが生成する場合19,27,28)や,すべり帯を核としてα’マルテンサイトが生成する場合24,25)がある。Fe-Ni-Co-Ti合金を用いた研究29)では,予めサブゼロ処理によって薄板状マルテンサイトを生成させておくと,これを核にして加工誘起マルテンサイトが成長するが,MS点直上では薄板状の形状を保ったまま成長する一方,加工温度が高温になるとレンズ状に成長し,形態を変えることが報告されている。さらに,一般的なマルテンサイト変態の特徴の1つに,オーステナイト母相と決まった結晶方位関係をもつことが知られており,鉄合金の場合のオーステナイト母相とマルテンサイトの結晶方位関係はK-S(Kurdumov-Sachs)関係(
ところで,オーステナイトはTRIP効果による強度特性の向上のみならず,様々なモードの疲労特性を向上させる組織としても有効であることが報告されている31–36)。特に転がり軸受は,その軌道輪や転動体に焼入れ焼戻しした鋼が用いられており,ミクロ組織には焼戻しマルテンサイトやセメンタイトとともに残留オーステナイトが含まれるため,この残留オーステナイトが転動疲労寿命に及ぼす影響について数々の研究が行われてきた37–50)。これらによると,転動疲労(RCF:rolling contact fatigue)に対して残留オーステナイトは有効な組織として作用し,その原理として残留オーステナイトの加工誘起マルテンサイト変態に言及している例が多い。TRIP鋼と同じく,内部き裂先端の応力集中部に加工誘起マルテンサイト変態が生じることによるき裂の進展を抑制する効果37)以外にも,新たなマルテンサイトの生成による焼戻しマルテンサイトの分解の遅延37,38)や,残留圧縮応力の付与39,40)などの可能性が報告されている。ところが,これらの先行研究では,転動疲労後の硬さや残留応力の変化から残留オーステナイトの加工誘起変態の発現を推測しており,直接的に加工誘起マルテンサイトの存在を観察した結果は限定される。これは,主に焼入れ焼戻しした高炭素クロム軸受鋼を用いた研究が行われてきたため,組織が非常に微細であり,なおかつ残留オーステナイト量が10%程度と少ないことや,転動中の応力状態が複雑であることが一因と思われる。また,比較的残留オーステナイトを多く含む,浸炭焼入れ焼戻しした低炭素鋼を用いて加工誘起マルテンサイトの観察が行われた例も存在するが39,48),組織の形状やマルテンサイト変態の特徴であるオーステナイト母相との結晶方位関係は明らかにされていない。このように,残留オーステナイトが転動疲労寿命を向上させるという結果に対して,その根拠となる加工誘起マルテンサイト変態の現象を直接捉えることができておらず,高合金TRIP鋼の研究と比較して依然不明な点が多い。
本研究では,転がり接触において発生する加工誘起マルテンサイトの組織的特徴を明らかにし,発生メカニズムを考察することを目的とした。組織解析には,電界放出型走査電子顕微鏡(FE-SEM:field emission - scanning electron microscopy)を用いた電子線後方散乱回折(EBSD:electron backscattering diffraction)による結晶方位解析,および透過型電子顕微鏡(TEM:transmission electron microscopy)を用いたナノビームプリセッション電子回折法による微細組織の結晶方位解析(ACOM–TEM:automated crystal orientation mapping – TEM)を行い,加工誘起マルテンサイトの組織形態およびオーステナイト母相との結晶方位関係を明らかにした。
試料には,転がり軸受に標準的に用いられる材料の中で,オーステナイト安定化元素であるNiの含有量が多く,浸炭焼入れによって残留オーステナイトが容易に得られるSAE4320鋼を使用した。化学成分をTable 1に示す。実機製造された直径26 mmの熱間圧延棒鋼を切削加工し,熱処理を施した後,研削により直径20 mm,幅36 mmの円柱形状に仕上げた。熱処理は浸炭焼入れ焼戻しを施した。浸炭は,960°Cの浸炭雰囲気中で26 h保持することで,表層の炭素濃度が約1.1%になるように調整した。続いて,820°Cで70 min均熱した後に80°Cの油で焼入れし,180°Cで2 h保持することで焼戻しを行った。これによって得られる表層のミクロ組織は,後述するSEM-EBSDの測定結果からα相,γ相,セメンタイトであり,α相は焼戻しマルテンサイト,γ相は残留オーステナイトに対応する。
C | Si | Mn | P | S | Cu | Ni | Cr | Mo | O |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
0.20 | 0.19 | 0.55 | 0.018 | 0.006 | 0.10 | 1.70 | 0.53 | 0.21 | 0.0009 |
転動疲労試験に用いた試験機の概略をFig.1に示す。3つの従動ロールに支持された2つの高炭素クロム軸受鋼製鋼球(直径31.75 mm)と試料をTable 2に示す条件で転がり接触させた。転がり接触による直交せん断応力が最大になる深さ(z0)は,転がり接触面から0.24 mm深さの位置である。転動疲労による組織変化は,直交せん断応力の影響を受けるため,深さz0で最も顕著に生じる48)。この組織変化が生じる応力繰り返し数3.7×106回で試験を停止し,試験機から試料を取り出して組織解析と結晶方位解析に供した。
Schematic of the radial type rolling contact fatigue (RCF) test machine.
Contact condition |
Hertzian maximum pressure | 5.8 GPa |
---|---|---|
Maximum orthogonal shear stress (depth z0) |
1.4 GPa (0.24 mm) | |
Loading speed | 285 Hz | |
Lubricant | Mineral oil (ISO-VG100) | |
Operating temperature | 60±5°C |
未試験試料(転動疲労前)と応力繰り返し数3.7×106回の転動疲労試験を行った試料(転動疲労後)について,SEM-EBSD測定を行った。SEM-EBSDに用いた断面観察試料は,転がり接触面から深さz0の位置で,転がり接触面と平行な断面(後述するNDに垂直な断面)を1 µmのダイヤモンドでバフ研磨した後,コロイダルシリカを用いて鏡面研磨することで作製した。測定はFE-SEM(日本電子製JSM-7100F)に付設したEBSDデータ収集システム(TSL製OIM)により,加速電圧15 kV,ワーキングディスタンス15 mm,ステップサイズ40 nmもしくは10 nmの条件で行った。ステップサイズ以下の大きさの微細粒が存在する場合には菊池図形が不明瞭になり,測定精度が悪化するため,精度が低い測定点はデータ処理において解析対象から除外した。
転動疲労後の微細組織についてさらに詳細な解析を行うため,ACOM-TEM測定を行った。測定に使用した薄膜試料は,集束イオンビーム(FIB:focused ion beam)法を用いて作製した場合,試料調製中に残留オーステナイトが変態することを事前に確認した。したがって,試料は,精密切断機を用いてSEM-EBSD用試料と同様の断面を含む薄板試料を切り出した後,試料調製中の残留オーステナイトの変態を抑制するため,液温10°Cの10%過塩素酸-90%エタノール混合液を使用したツインジェット電解研磨によって作製した。その後,ACOM-TEMに適した平滑な表面を得るために低加速にてArイオンミリングを行った。測定はTEM(日本電子製JEM-2800)に付設したASTAR(NanoMEGAS製)を用い,加速電圧200 kV,プリセッション角0.5°,ステップサイズ2 nmの条件にて実施した。
転動疲労前および転動疲労後のミクロ組織の状態を確認するため,SEM-EBSDによる相分布の解析を行った。測定範囲は16 µm×32 µm,ステップサイズは40 nmとした。Fig.2にIQ(image quality)マップとphaseマップを重ね合わせた結果を示す。試料の転がり方向をRD(rolling direction),転がり面横断方向をTD(transverse direction),転がり面法線方向をND(normal direction)とし,Fig.2中に明記している。転がり接触時の荷重(鋼球)の移動方向はRDと反対方向である。Fig.2(a)より,転動疲労前は焼戻しマルテンサイトに対応するα相と,残留オーステナイトに対応するγ相,およびセメンタイトが確認できる。次に,Fig.2(b)より,転動疲労後はセメンタイトの状態には変化がないものの,焼戻しマルテンサイトの微細化と残留オーステナイトの減少が認められる。これは既報49)と同様の結果であるものの,観察断面の違いから,既報で確認されたWB(white band)に対応する微小な伸長組織は認められていない。また,転動疲労によって残留オーステナイト量が減少することは,従来の研究40,48,50,51) で行われたX線回折による定量測定の結果と同様である。これらのX線回折やSEM-EBSDの結果から,転がり接触によって残留オーステナイトがマルテンサイトに加工誘起変態している可能性が示唆される。しかしながら,これに対応するα相の増加を確認することができず,残留オーステナイトの加工誘起変態によるマルテンサイトの生成を断定することはできなかった。
Phase maps overlaid on IQ maps obtained using EBSD at 0.24 mm depth. Number of cycles were (a) 0 (before RCF) and (b) 3.7×106 (after RCF). (Online version in color.)
転がり接触中に加工誘起変態によって生成するマルテンサイトの形態はこれまで明らかにされていない。そのため極めて微細な形で存在しており,前述の測定ではEBSDパターンが得られなかった可能性が考えられる。そこで,微細な加工誘起マルテンサイトを観察する目的で,任意の残留オーステナイト粒を中心にしてステップサイズ10 nmでEBSDの測定を行った。転動疲労前の組織のIQ + phaseマップとIPF(inverse pole figure)マップをFig.3に示す。Fig.3(a)より,残留オーステナイトの周囲には焼戻しマルテンサイトが存在している。また,Fig.3(b)より,残留オーステナイトと焼戻しマルテンサイトはµmオーダの大きさの粒であることがわかる。高炭素マルテンサイトであるため,焼戻しマルテンサイトの内部には変態双晶などの微細構造をもつ可能性があるが,今回のEBSDによる測定では確認されなかった。次に,転動疲労後の組織について得られた結果をFig.4に示す。本結果をFig.3と比較することで転動疲労による組織変化の様子を確認することができる。残留オーステナイトの周囲に存在する焼戻しマルテンサイトに着目すると,転がり接触によって大きさはサブミクロン程度まで微細化されており,さらに個々が様々な結晶方位を有していることがわかる。同様の結果がTEMを用いた組織観察でも得られており,転がり接触に伴う塑性ひずみの導入によって,焼戻しマルテンサイトの内部に転位セルが形成され,ランダム方位をもつ微細粒が生成することが報告されている52)。一方で,残留オーステナイトはµmオーダの大きさを維持しており,焼戻しマルテンサイトと比較して微細化されていないといえる。しかしながら,残留オーステナイト粒の内部には,転動疲労前には存在しなかった,周囲の焼戻しマルテンサイトよりもさらに微細なα相が確認できる。このような微細α相は,転がり接触によって残留オーステナイトから生成した加工誘起マルテンサイトであると推測される。
(a) Phase map overlaid on IQ map and (b) IPF map centered on retained austenite obtained using EBSD at 0.24 mm depth before RCF. (Online version in color.)
(a) Phase map overlaid on IQ map and (b) IPF map centered on retained austenite obtained using EBSD at 0.24 mm depth after RCF (3.7 × 106 cycles). (Online version in color.)
SEM-EBSDで得られた加工誘起マルテンサイトの形態をさらに詳細に明らかにするため,ACOM-TEM解析を行った。ACOM-TEMは,数nmに絞った電子プローブを試料に照射した際の電子回折図形から結晶情報を得るため,SEM-EBSDよりも空間分解能が1桁程度高い。結果をFig.5に示す。Fig.5(a)の明視野像において,残留オーステナイトと加工誘起マルテンサイトの混合組織と考えられる,周囲の組織と比較して平坦な組織48)が確認された。実際に,Fig.5(b)に示す相分布解析の結果より,平坦組織は残留オーステナイトを母相として,その内部に微細な加工誘起マルテンサイトが存在する組織であることがわかる。さらに,Fig.5(c)のIPFマップより,残留オーステナイトはほとんど方位変化のない一定の結晶方位をもつ単一の粒であり,その内部に存在する加工誘起マルテンサイトは個々が異なる結晶方位をもつ粒であることがわかる。ACOM-TEMで測定された加工誘起マルテンサイトのサイズを定量的に評価することは困難であるものの,5ピクセル以下のサイズのものも存在し,最も小さいものは数nm程度であると推測できる。以上の結果から,ACOM-TEMを用いることで微細な加工誘起マルテンサイトの存在が明らかになった。以上のSEM-EBSDとACOM-TEMの解析結果から得られる残留オーステナイトと加工誘起マルテンサイトの結晶方位関係を,次章で明らかにする。
ACOM-TEM analyses of retained austenite after RCF (3.7 × 106 cycles). (a) TEM bright field image, (b) phase map and (c) IPF map. (b)(c) were measured in the white dotted line area of (a). (Online version in color.)
緒言で述べたように,マルテンサイトはオーステナイト母相とK-S関係やN-W関係の結晶方位関係をもって発生する30)。加工誘起マルテンサイト変態ではK-S関係が確認されているが15,19),転がり接触中の加工誘起マルテンサイト変態については報告例がなく,未だ明確ではないと思われる。いずれにしても,マルテンサイト変態であれば,実際には数度のずれは生じるものの,これらのいずれかの関係を満足すると考えられる。そこで,転がり接触によって生成した加工誘起マルテンサイトと母相の残留オーステナイトとの結晶方位関係を調査した。調査は,Fig.4(SEM-EBSD)とFig.5(ACOM-TEM)の結果から単一の残留オーステナイトと考えられる範囲を抽出した後,γの<001>方位がステレオ投影図上の基底軸となるように結晶回転の操作を行い,{001}α正極点図を求めることで行った。その結果をFig.6に示す。Fig.6(a)-(c)はSEM-EBSD,Fig.6(d)-(f)はACOM-TEMの結果であり,それぞれFig.6(a)(d)はIPFマップ,Fig.6(b)(e)は{001}γ正極点図,Fig.6(c)(f)は{001}α正極点図である。Fig.6(c)より,SEM-EBSDの場合は測定点数が少ないものの,加工誘起マルテンサイトが複数のバリアントから構成されていることがわかる。K-S関係には24種類のバリアントが,N-W関係には12種類のバリアントが存在するため,これらのバリアントの一部が発生していると考えられる。測定点数が多いACOM-TEMの結果(Fig.6(f))においても,結晶方位のばらつきが大きいものの,同様にK-S関係もしくはN-W関係に近いバリアントが発生していると推測される。ACOM-TEMでは電子回折図形を用いて方位解析を行うため,菊池図形を用いるSEM-EBSDより方位解析精度が悪いことや,マルテンサイトが微細なため,残留オーステナイトの回折図形が重畳して解析精度が低下していることが,上記のような結晶方位精度の低下につながる可能性があることを考慮する必要がある。以上のように,SEM-EBSDでは微細な加工誘起マルテンサイトが検出されないため測定点数は少ないものの,残留オーステナイト母相に対してK-S関係もしくはN-W関係をもつマルテンサイトが確認され,転がり接触中に新たに生成した加工誘起マルテンサイトであることが示された。さらに,ACOM-TEMの結果から,結晶方位精度は高くないものの同様の結晶方位関係が確認され,nmオーダの微細α粒が加工誘起マルテンサイトであることが裏付けられた。なお,K-S関係とN-W関係はバリアント面の方位差が5.3°しかなく,実験的にこれらの違いを区別するのは困難であるといわれており,本研究でも明確にすることはできなかったため,理論的な根拠とあわせてさらに議論を重ねる必要がある。
Crystal orientation relationships between retained austenite and deformation-induced martensites after RCF (3.7 × 106 cycles). (a) – (c) SEM-EBSD analyses, (d) – (f) ACOM-TEM analyses. (a)(d) IPF maps, (b)(e) {001}γ pole figures, (c)(f) {001}α pole figures. Single retained austenite grains were selected from Fig. 4 and Fig. 5, and rotated to cube orientation. (Online version in color.)
Olson and Cohen21)によると,残留オーステナイトが弾性変形した状態で加工誘起マルテンサイトが生成する場合は,すでに存在する焼戻しマルテンサイト/残留オーステナイト界面(以降,焼戻しα’/残留γ界面)などの結晶粒界が核となり応力誘起マルテンサイト変態が生じるものの,残留オーステナイトが塑性変形を受けた場合には,残留オーステナイト内部に形成される不均一な変形領域からマルテンサイト変態が生じると考えられている。後者の加工誘起マルテンサイトの新生核は,せん断帯の交差部から生じたと推察されており,ひずみ誘起マルテンサイト変態であることが示唆される。一方,Onoderaら23),Suzukiら24),Ueda and Fujita25)によると,このような領域は変形双晶やすべり帯が交差する局所的な応力集中部であり,この場合は応力誘起マルテンサイト変態の一種であることが予想される。
以上の先行研究で提案されたメカニズムより,加工誘起マルテンサイト変態には,残留オーステナイトの弾塑性変形挙動が大きく影響すると考えられる。そこで,転がり接触における加工誘起マルテンサイトの発生メカニズムを考察するため,応力状態の観点から検討を行った。転がり接触においては,転がり接触面から一定の深さ位置で主せん断応力が最大になる49)。本研究で組織調査を行った深さz0での主せん断応力の大きさは,ヘルツの接触理論を用いて計算すると約1807 MPaとなる。一方,本研究で使用したSAE4320鋼もしくはその相当鋼のオーステナイトの平均的な臨界分解せん断応力τCRSSについては既知の値がないため,Jacquesら53)によって報告されたFe-Si-Mn-C合金のオーステナイトの降伏応力σYを使用する。彼らによると,オーステナイトのσYは炭素固溶量の増加に伴って上昇し,本研究で用いた残留オーステナイトに相当する約1.1%の炭素を固溶したオーステナイトのσYは約650 MPaと推測される。これより,多結晶fcc金属のTaylor因子M=3.07を用いてτCRSS=σY / Mより算出したτCRSS(212 MPa)を参考にすると,残留オーステナイトの周囲に存在する焼戻しマルテンサイトやセメンタイト,およびこれらとの界面や軟質相/硬質相間の応力分配の影響を考慮しても,十分にオーステナイトの降伏条件を満たすと考えられる。
本研究では,転がり接触中の組織変化の観察を容易にするため,通常の転がり軸受で想定される使用条件よりも高い接触応力で転動疲労試験を実施している。そこで,標準的な接触条件で使用される転がり軸受の場合についても検討を行った。検討には代表的な転がり軸受の形式である深溝玉軸受の6206(内径30 mm,外径62 mm,幅16 mm)を用い,基本動ラジアル定格荷重(19.5 kN54))の1/2のラジアル荷重(9.75 kN)を負荷した場合について計算を行った。その結果,深さz0での主せん断応力の大きさは,内輪で840 MPa(z0=0.10 mm),外輪で1041 MPa(z0=0.17 mm)となり,いずれもオーステナイトのτCRSSよりもはるかに大きい。すなわち,標準的な条件で使用される転がり軸受においても,残留オーステナイトが塑性変形する可能性は高いと考えられる。
以上を踏まえ,転がり接触においては,まず残留オーステナイトが塑性変形し,局所的に形成された不均一変形領域(すべり帯,せん断帯,変形双晶など)やこれらの交差点が核となることで,主として残留オーステナイトの粒内で加工誘起マルテンサイトが生成すると推測した。実際に,Fig.6(a)(d)において加工誘起マルテンサイトの発生位置に着目すると,多くの加工誘起マルテンサイトは残留オーステナイトの粒内で発生しているように見える。ここで,加工誘起マルテンサイトの発生状況を3次元的に推定することを目的に,Fig.4と異なる残留オーステナイト粒ではあるが,TDに垂直な断面でEBSD測定を行い,Fig.6と同様の解析を行った。その結果をFig.7に示す。Fig.6(a)およびFig.7(b)より,測定断面によらず,残留オーステナイト粒内で加工誘起マルテンサイトが発生していることが確認された。以上の観察結果から,塑性変形によって残留オーステナイト粒内に生成するnmオーダの微細な加工誘起マルテンサイトが,転動疲労寿命の向上に寄与すると推測した。
(a) Phase map overlaid on IQ map obtained using EBSD on a section perpendicular to TD at 0.24 mm depth after RCF (3.7 × 106 cycles). (b) IPF map, (c) {001}γ pole figure and (d) {001}α pole figure of selected single retained austenite grain after rotation to cube orientation. (Online version in color.)
なお,転動疲労後の焼戻しα’/残留γ界面の形状に着目すると,転動疲労前(Fig.3)と比較して凹凸が大きくなっていることが,空間分解能が高いACOM-TEMの結果(Fig.5(b))から詳細に確認できる。この結果は,焼戻しα’/残留γ界面を核として加工誘起マルテンサイトが生成している可能性を示唆する。Olson and Cohen21)は,オーステナイトが弾性変形した場合に,このような結晶粒界が変態の核になる可能性があることを報告しているものの,本研究で示唆された焼戻しα’/残留γ界面近傍に存在する加工誘起マルテンサイトの発生メカニズムについては未解明であり,今後の課題としたい。
以上のように考察したものの,本研究では加工誘起マルテンサイトの組織形態を把握することに主眼を置いたため,加工誘起マルテンサイトの形成とオーステナイトの弾塑性変形挙動,およびその変形組織との関係について系統的な調査は行っていない。したがって,そのメカニズムの本質を理解するには継続して議論を行う必要があると考える。また,本研究では同一の残留オーステナイト粒内の加工誘起マルテンサイトの形状を3次元的に調査することができておらず,加工誘起マルテンサイトの発生状態や形態の把握も十分とはいえない。加工誘起マルテンサイトの発生メカニズムを明らかにするためには,FIB-SEMでのシリアルセクショニングを用いた3次元EBSD測定などによる加工誘起マルテンサイトの形態把握が有効である。ただし,前述したように,FIBによる熱的・機械的に不安定な残留オーステナイトを含む組織の表面研削は,組織観察を目的とした場合に難点が多く,今後の課題といえる。
転がり接触によって生成する加工誘起マルテンサイトの形態をSEM-EBSDとACOM-TEMを用いて測定した結果,以下の結論が得られた。
(1)SEM-EBSDおよびACOM-TEMによる詳細な測定の結果,加工誘起マルテンサイトは最小で数nmオーダの微細粒であり,残留オーステナイト粒内を主とした様々な位置で,異なる結晶方位を持って生成することが明らかになった。この残留オーステナイトと加工誘起マルテンサイトの結晶方位関係は,典型的なマルテンサイト変態の特徴であるK-S関係もしくはN-W関係に近い。
(2)本研究で実施した転動疲労試験の条件,および転がり軸受が使用される標準的な条件から見積もった主せん断応力は,いずれも残留オーステナイトの臨界分解せん断応力よりも十分大きいため,残留オーステナイトは転がり接触中に塑性変形する可能性が高い。したがって,加工誘起マルテンサイトは,残留オーステナイトの塑性変形によって粒内に導入される局所的な不均一変形領域(すべり帯,せん断帯,変形双晶など)やこれらの交差部を核として形成すると推測した。
(3)本研究では,塑性変形に伴うマルテンサイト変態の機構に関しては結論を得ていない。変態機構を明らかにするには,変態の核となる残留オーステナイト内部の変形組織や,加工誘起マルテンサイトの3次元構造の詳細な把握が必要であり,今後の課題とする。