Tetsu-to-Hagane
Online ISSN : 1883-2954
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ISSN-L : 0021-1575
Transformations and Microstructures
Hydrogen Effect on Microstructural Alteration before Fatigue Fracture on Austenitic Stainless Steels
Misaho Yamamura Jun NakamuraTomohiko OmuraMasaharu Hatano
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JOURNAL OPEN ACCESS FULL-TEXT HTML

2021 Volume 107 Issue 3 Pages 237-246

Details
Abstract

Type 304 stainless steel is typical austenitic one where fatigue life is deteriorated in hydrogen environments. There are few studies for fatigue crack initiation process compared to those of fatigue crack propagation. In this study, the authors experimentally investigated influence of hydrogen on dislocation structures and phase distribution before the fatigue crack initiation. A solution heat treated Type 304 plate was used as a sample, and round-bar fatigue specimens with a notch were machined. Fatigue tests were performed for the hydrogen-charged or -free specimens in fully reversed loading conditions at room temperature. The test was terminated before the crack initiation. Then, the dislocation structures and the phase distribution underneath the notch root were analyzed by transmission electron microscopy (TEM) and electron backscatter diffraction (EBSD). For the hydrogen-charged specimen, planar dislocations were observed in the TEM images. With increase in fatigue cycles, Area of stacking faults (SFs) increased and ε martensite (εM) appeared on the (111)γ planes. α’ martensite (α’M) were observed at crossover sites of the εM phases on different (111)γ planes. In EBSD analysis, the α’M was often observed in a plate form parallel to the (111)γ planes. For the hydrogen-free specimens, on the other hand, dislocations cell structures and massive α’ M were observed in the TEM images. Neither SFs nor εM were formed. Thus, hydrogen increases dislocation planarity and changes martensitic transformation from γ to α’M, or γ to α’M through ε, resulting in different α’ M morphologies.

1. 緒言

水素は再生可能エネルギーとの組み合わせにより,CO2フリーを実現するエネルギーシステムの一端を担う役割を期待されている。

一方,足元の水素利活用において普及拡大の中核を担うのは,燃料電池自動車の拡販と燃料電池自動車に水素を供給する水素ステーションの整備である。水素ステーションは2019年度時点で国内に122基が整備され(予定地含む)1),いよいよ人々の生活圏に入る段階まで来た。よって,今後のさらなる普及拡大に向けては安全信頼性の確保が重要である。

水素を安全に使用するためには水素環境に耐えうる材料が不可欠である。鉄鋼材料はコスト,加工性に優れるが水素が破壊を助長する水素脆化が起こるリスクがある。そこで,各種鉄鋼材料に及ぼす水素の影響が調査され2),水素ステーションではオーステナイト系ステンレス鋼の中でも,低ひずみ速度引張試験(Slow strain rate test, SSRT)で評価した水素脆化感受性が低い鋼材が使用されている3)

一方,水素ステーションの水素燃料タンク,配管およびバルブ類などの機器は,長時間水素に直接曝されながら繰返し荷重を受けるが,疲労損傷に及ぼす水素の影響は明確ではない。長期的に安全性を保証するためには繰返し荷重負荷下における水素脆化機構を明らかにし,材料面やその使用面での対策を確立する必要がある。これまでの研究で水素脆化感受性が高いSUS304は水素により疲労寿命が低下することが知られている4)。またき裂発生後の段階では,き裂進展速度が水素により加速することが明らかにされている5)。その原因としてき裂先端のα’-マルテンサイト変態6)またはε-マルテンサイト組織や積層欠陥の多量生成7),もしくは水素によるすべり局在化の寄与5)が考えられている。一方,き裂発生前の水素による組織変化や転位挙動の変化を観察した例は見当たらず,それらの変化と疲労特性劣化機構との関与について示されている知見はない。

そこで,本研究ではき裂発生以前の段階で水素が繰り返し荷重負荷で形成される組織に及ぼす影響を明らかにするため,水素脆化感受性が高いSUS304の水素チャージ材および未チャージ材で疲労試験の途中止めを行い,相変態挙動および転位挙動を観察した。また,比較材として水素脆化感受性の低いSUS316Lも評価に用いた。

2. 実験

2・1 供試材

供試材は実機製造した20 mm厚のSUS304とSUS316L溶体化材である。供試材は1%未満のδフェライトを含有している。化学成分をTable 1に示す。表中のMd30は30%の塑性ひずみで50 vol.%のα’-マルテンサイト変態が起こる温度を示す8)。また,Table 2にJIS Z 2241に準拠して取得した機械的特性を示す。

Table 1. Chemical compositions of the tested steels (mass%).
CSiMnNiCrMoNMd30
SUS3040.050.440.928.118.252.1
SUS316L0.020.470.8312.2172.080.032−6.6

Md30 (Angel’s equation) (°C)= 413-462(C+N)-9.2Si-8.1Mn-13.7Cr-9.5Ni-18.5Mo

Table 2. Mechanical properties of the tested steels.
0.2% proof stress
(MPa)
Tensile strength
(MPa)
Elongation
(%)
Reduction of area
(%)
SUS304294.7714.377.082.6
SUS316L263.7591.772.084.0

2・2 疲労試験

試験片にはFig.1に示す砂時計型疲労試験片を用いた。試験片の最小直径は8.0 mmとし,表面は軸方向に研磨し鏡面仕上げとした。

Fig. 1.

fatigue test specimen.

疲労特性は荷重制御で荷重波形を正弦波とし,応力比R(最小応力/最大応力)が-1の引張圧縮両振りで評価した。周波数は疲労試験中の試験片の発熱を防ぐため最大6 Hzとした。

水素チャージは試験片を85 MPa,300°Cの高温高圧水素ガス環境下に141時間曝露して行った。さらに疲労試験中の水素脱離を考慮して陰極チャージ中で疲労試験を行った。陰極チャージは溶液に3%NaCl水溶液を用いて,白金対極板およびAg/AgCl参照電極を使用し,-1.2 V(v.s. Ag/AgCl)の定電位制御で行った。Table 3に昇温脱離法で高圧水素ガス中に曝露した試験片の吸蔵水素濃度を測定した結果および表面水素濃度の推定値を示す9)。吸蔵水素濃度は,昇温速度を100°C/hで行い,900°Cまでに放出された水素を積分して求めた。所定温度における水素拡散係数10)とチャージ時間から,板厚方向に対する水素濃度分布を算出して,表面水素濃度より試験片表面から深さ方向50 μm位置における推定値を示した。なお,50 μmはTEM試験片作製時に研磨で消失する量を考慮した値であり,観察位置に水素が十分に充填されていることを確認した。

Table 3. Hydrogen concentrations after hydrogen charge in 85 MPa hydrogen gas at 300°C for 141 h.
Measured hydrogen
Concentration (ppm)
Diffusion coefficient
(m2/s)
Filling ratio
(%)
hydrogen concentration
at a depth of 50 μm
from surface (ppm)
90.05.8×10-12
(573 K)
48.4126.0

また,比較用の未チャージ材は熱影響を水素チャージ材とそろえるため,高温Arガス曝露処理を300°C,141時間の条件で行った。加えて熱処理前後でミクロ観察およびビッカース硬さ試験を行ったが優位な差は見られなかった。未チャージ材の疲労試験は室温大気中で行った。

2・3 疲労破断材の組織観察

疲労破断材の破面を電界放出走査型電子顕微鏡(Filed Emission Scanning Electron Microscopy,FE-SEM)で観察した。また,後述するようにSUS304水素チャージ材の破面上には30 μm程度の平板状破面(以下,ファセットとする)が観察された。ファセットの結晶方位情報をFE-SEMを用いた電子線後方散乱回折(Electron Backscatter Diffraction,EBSD)解析より求めた。結晶方位情報はデータの確からしさを示す信頼性指数(Confidence Index,CI)値が0.1以下の測定点を解析結果から除外し,マッピングの際には黒点として表示した。

2・4 疲労途中止め材の組織観察

疲労途中止め試験を行い,疲労途中止め材を作製し組織観察を行った。このときき裂発生有無はレプリカ採取法で確認した。組織解析は透過電子顕微鏡(Transmission Electron Microscopy,TEM)観察,EBSD解析,X線回折解析(X-ray Diffraction analysis,XRD)で行った。組織観察に用いた試験片は疲労途中止め材の最小直径部φ8 mm位置を縦分割して切り出し,次の通り研磨を行った。TEM観察試験片は円弧状のまま背面研磨を行い,電解研磨で薄膜化した。EBSD解析およびXRDの試験片は板状に加工後,湿式研磨およびバフ研磨を行い,加工ひずみを除去するため電解研磨を実施した。TEM観察は<110>電子線入射で行った。EBSD解析条件はファセットのEBSD解析と同様とした。XRDの線源にはCoKαを使用した。

3. 実験結果

3・1 疲労試験

Fig.2(a),(b)にSUS304とSUS316Lの疲労試験結果を示す。Fig.2(a)より水素チャージでSUS304の疲労寿命は軽微であるが低下した。一方,Fig.2(b)よりSUS316Lの疲労寿命は水素により大きな変化は見られなかった。Fig.3に縦軸の応力振幅σaを0.2%耐力σ0.2で割った値(σa/σ0.2)で整理し,SUS304とSUS316LのS-N曲線を重ねた結果を示す。SUS304とSUS316Lの未チャージ材のS-N曲線はほぼ一致した。疲労破断材および疲労途中止め材の組織観察は,代表条件としてσa /σ0.2が1.15の条件の試験片を用いた。

Fig. 2.

Relationship between stress amplitude and fatigue life of (a)SUS304, (b) SUS316L.

Fig. 3.

Relationship between (σa0.2) and fatigue life of SUS304 and SUS316L.

3・2 疲労破断材の組織観察

3・2・1 SEMによる破面観察

Fig.4にSUS304の破面観察を行った結果を示す。破断寿命はそれぞれ水素チャージ材が2.1×104サイクル,未チャージ材が4.2×104サイクルであった。破面は位置と破面形態より領域IからIIIに分類した。領域Iは破壊起点周辺,領域IIaは破壊起点周辺から延性ストライエーションが見られなかったき裂進展領域,領域IIbはリバーパターンが見られたき裂進展領域,領域IIIは静的引張に類似した領域を示す。

Fig. 4.

SEM image of fracture surface of SUS304 (a) hydrogen−charged, (e)non−charged.

破壊起点はFig.4(a)の水素チャージ材およびFig.4(e)の未チャージ材とも1箇所であった。未チャージ材に対し,水素チャージ材は領域IIaの割合が大きく,領域IIbの割合が小さかった。領域Iの破壊起点周辺では,水素チャージ材ではファセットが多く観察され,破壊起点から中心に向かって約3.2 mmの領域まで存在していた。領域IIbの延性ストライエーションは,未チャージ材では明瞭であったが水素チャージ材では不明慮であった。一方,SUS316Lについても疲労破断材のSEM観察を行ったが,水素チャージ有無による破面形態の差は見られずSUS304未チャージ材に類似した破面形態であった。

3・1・2 EBSDによるファセットの結晶方位解析

Fig.5に水素チャージ材の破壊起点付近で観察されたファセット面の結晶方位解析結果を示す。Fig.5(a),(b)はそれぞれ破断材上下突合せの位置に該当し,それぞれ左からSEM像,Phaseマップ,Image Quality(IQ)マップおよびInverse Pole Figure(IPF)マップを重ねた像,また参考として極点図(PF)と逆極点図(IPF)を示した。Phaseマップより,ファセット面内には上下ともに赤色で示したbcc相と緑色で示したfcc相が混在して観察された。また,IPFマップと逆極点図より,上下ともにbcc相は{110},fcc相は{111}を示しており,{111}fcc//{110}bcc界面がファセット面に対応していることが分かった。ここで,SUS304で発現するfcc相は母相γ,bcc相はα’-マルテンサイト組織(以下,α’M)と考えられる。よって,これ以降fcc相を持つ組織は母相γ,bcc相を持つ組織はα’Mとして扱う。

Fig. 5.

SEM image, phase map and inverse pole figures of faceted areas on the fracture surface of hydrogen−charged specimen. (Online version in color.)

3・2 途中止め材の組織観察

3・2・1 TEM観察

Fig.6にSUS304水素チャージ材の1.9×103サイクル,1.1×104サイクル,1.7×104サイクル途中止め材のTEM観察結果を示す。

Fig. 6.

TEM micrographs of SUS304 hydrogen charged repeatedly loaded under σa0.2=1.15 (a) N=1.9×103 cycle of bright field, (b)region І at (a), (c) region ІІ at (a), (d) diffraction pattern in (a). (e) N=1.1×104 cycle of bright field, (f) diffraction pattern in (e), (g) Dark field image of hcp(1 0 · 0) spot excited in (f). (h) N=1.7×104 cycle of bright field, (i) diffraction pattern in (h), (j) (i) indexed, (k) Dark field image of bcc(020) spot excited in (j). (Online version in color.)

1.9×103サイクルで途中止めしたFig.6(a)の明視野像では,帯状の積層欠陥が多量生成している様子が観察された。Fig.6(b),(c)はそれぞれFig.6(a)の領域I,IIの拡大図である。Fig.6(b)において破線で示すように,転位は(111)γ上にプラナーに配列していた。また,Fig.6(c)に示す回折パターンにはγ相の回折スポットのみ認められた。

1.1×104サイクルで途中止めしたFig.6(e)の明視野像では,(111)γに平行な板状組織が観察された。Fig.6(f)に示す回折パターンよりγ相に加えhcp相が形成されていた。Fig.6(g)に示すhcp(-10・0)反射の暗視野像から,板状組織がhcp相であることが分かった。ここで,SUS304で発現するhcp相はε-マルテンサイト組織(以下,εM)と考えられる。よって,これ以降hcp相を持つ組織はεMとして扱う。

1.7×104サイクルで途中止めしたFig.6(h)の明視野像では,異なる2つの{111}γに板状にεMが形成され,交差する様子が観察された。そして,交差部において,高転位密度領域を形成していた。Fig.6(i),(j)に示す回折パターンよりγ相,εMに加えて,α’Mが形成されていた。Fig.6(f)に示すbcc(020)反射の暗視野像から,交差部がα’Mであることが分かった。

Fig.7にSUS304未チャージ材の1.1×104サイクル,1.7×104サイクル,2.4×104サイクル途中止め材のTEM観察結果を示す。

Fig. 7.

TEM micrographs of SUS304 non−charged repeatedly loaded under σa0.2=1.15 (a) N=1.1×104 cycle of dislocation cell structure on bright field image. (b) N=1.7×104 cycle of high dislocation density on bright field image, (c) diffraction pattern of region І at (b), (d) diffraction pattern of region ІІ at (b). (e) N=2.4×104 cycle of bright field image, (b) diffraction pattern of region І at (e), (c) diffraction pattern of region ІІ at (e). (Online version in color.)

1.1×104サイクルで途中止めしたFig.7(a)の明視野像において,水素チャージ材で観察された板状組織はみられず,転位セル構造が観察された。γ相以外はこのサイクル数では確認できなかった。

1.7×104サイクルで途中止めしたFig.7(b)~(d)において,Fig.7(b)の明視野像では高転位密度の塊状の組織領域が局所的に観察された。

2.4×104サイクルで途中止めしたFig.6(e)の明視野像では,1.7×104サイクルで観察された高転位密度の塊状組織が発達する様子が確認できた。Fig.7(f),(g)は,Fig.7(e)の領域I,IIにおいて取得した制限視野回折像である。領域Iではγ相が観察され,一方で塊状組織が観察された領域IIではγ相とα’Mが混在していた。なお,水素チャージ材とは異なりεMは見られなかった。

Fig.8にSUS316Lの1.7×104サイクル途中止め材のTEM観察結果を示す。Fig.8(a)の水素チャージ材およびFig.8(b)の未チャージ材ともに,Fig.7(a)のSUS304未チャージ材に類似した転位セル構造の形成が確認できた。一方,SUS304で観察されたFig.6(h)Fig.7(e)に類似した変態組織は観察されなかった。

Fig. 8.

TEM micrographs of SUS316L repeatedly loaded under σa0.2=1.15 at N=1.7×104 cycle of dislocation cell structure on bright field image (a) hydrogen−charge, (b) non−charge.

3・2・2 EBSD解析

Fig.9にSUS304水素チャージ材の1.7×104サイクル途中止め材のEBSD解析結果を示す。Fig.9(a)はIQ mapにphase mapを重ねた像である。phase mapの灰色の領域はγ相,赤色の領域はα’M,黄色の領域はεMである。また,図中の黒線は{111}γ面の表面トレースを示す。Fig.9(a)からわかるように{111}γ面に沿ったα’Mの発達が見られた。Fig.7(b)は(a)の領域Iの拡大図であり,εMも同じく{111}γ面に沿って生成していることが明らかになった。また,Fig.9(c)は(a)の領域IIの拡大図である。双晶界面のトレースを青線で示した。Fig.9(c)のように双晶界面が異相界面になっている結晶粒が散見された。

Fig. 9.

IQ map and phase map of SUS304 hydrogen−charged.(σa0.2=1.15, N=1.7×104 cycle) (Online version in color.)

3・2・3 X線回折実験

Fig.10(a)にSUS304とSUS316LのN=1.7×104サイクル途中止め材のXRD結果を示す。SUS304水素チャージ材では,γ相,α’MおよびFig.10(b)に拡大図を示した回折ピークが確認された。Table 4に,回折ピークより計算した格子定数およびXingが示したhcp相の格子定数を合わせて示す11)。格子定数が近い値であり得られた回折ピークはεM由来であると考えられる。一方,SUS316Lの水素チャージ材および未チャージ材では,γ相のピークのみが認められた。

Fig. 10.

XRD pattern of hydrogen charge and non−charge SUS304 and SUS316L. (σa0.2=1.15, N=1.7×104 cycle)

Table 4. Lattice parameter in austenite stainless steel of hcp structure.
Lattice parameter (Å)
abc/a
L. Xing.et al.2.5394.0931.612
The present study2.5374.1241.626

4. 考察

前述のように,SUS304およびSUS316Lの水素チャージ材と未チャージ材の疲労試験を行った結果,SUS304のみ水素チャージにより疲労寿命が軽微であるが低下した。

疲労途中止め材の組織観察より,SUS304のみ水素チャージにより相変態挙動および転位挙動が変化した。SUS304の水素チャージ材では,TEM観察より転位移動のプラナー化,繰返し数の増加に伴うεM生成が確認され,その後εM交点にα’Mの形成が確認された。一方,未チャージ材では繰返し数の増加に伴い転位セル構造を形成し,その後塊状のα’Mの形成が確認された。さらに,TEM観察よりも視野が広いEBSD解析より,水素チャージ材では{111}γ面に沿ってεMおよび板状α’Mが生成している様子が確認された。XRDでも水素チャージ材のみγ相,α’Mに加えてεMの生成が確認され,回折ピーク強度よりα’Mの体積率を推定したところ12),水素チャージ材では1.3%,未チャージ材では0.6%と両者の間に優位な差はないと考えられたことから,水素がεMを安定化させることが示唆された。以上のように,SUS304は破壊の前駆段階であるき裂発生以前の組織に水素が強く影響することが分かった。

疲労破断材の破面観察より,SUS304のみ水素チャージにより破面形態が変化し,破壊起点付近にファセットが散見されるようになることが特徴的であった。ファセットのEBSD解析を行ったところ,上下突合せのファセットの結晶方位は{111}γ//{110}α’Mであり,{111}γ//{110}α’M界面で破壊が助長されていることが示唆された。破壊の前駆段階の組織変化に及ぼす水素の作用機構ならびにそれらの変化が疲労寿命に及ぼす影響について,次のように考察した。

4・1 破壊の前駆段階の組織変化に及ぼす水素の作用機構

スケールが異なる観察および解析を行った結果から,水素の作用をFig.11のように整理した。破壊の前駆段階における水素の作用として,転位移動のプラナー化,εMの安定化およびα’Mの塊状から板状への形状変化が考えられた。

Fig. 11.

Schematic diagram of changed microstructural.

Fig.11(a)はSUS304水素チャージ材で転位移動のプラナー化が起こった過程を示す。水素が転位移動をプラナー化する機構は,本研究でも明らかにできていないが,水素による積層欠陥エネルギーの低下(Stacking fault energy, SFE)で説明されることが多く13,14),Inoueらにより,SUS304の積層欠陥エネルギーは水素チャージで30%程度低減することが示されている13)。具体的には,らせん転位が交差すべりですべり面を移動するためには,2本の部分転位からなる拡張転位が一度,完全転位に収縮する必要がある。この収縮は熱活性化過程であると考えられているため,SFEが低いほど拡張転位幅が広く,交差すべりの難易度は高くなる。よって,水素によりSFEが低下すると,交差すべりが抑制され,転位移動がプラナー化すると考えられている。しかし,SFEでプラナー化傾向を一概に整理することはできないことも明らかにされており,SFE以外にもプラナー化傾向に寄与する要因があると考えられているが,具体的には分かっていない15)

Fig.11(b)は繰り返し数の増加で積層欠陥が重畳し,板状に発達したεM生成に至った過程を示す。γ相からεMの形成機構については,様々な説が存在するが,以下に述べるように拡張転位および積層欠陥との関与が推察されており,今回の結果もこれらの既往研究に整合すると考えられる。Fujita and Uedaはオーステナイト系ステンレス鋼に低温大気環境下で引張荷重を付与しTEM観察を行った結果から,板状のεMの形成過程として,隣接するすべり面上の2つの拡張転位間の相互作用により,帯状の積層欠陥が形成され,積層欠陥に近接するすべり面で転位の拡張が活性化し,積層欠陥が重畳,最終的にεMが発達する機構を提案している16)。本研究でも積層欠陥の重畳,繰り返し数の増加でのεM生成が観察されたことから,同様の過程でεM生成に至ったと考えられる。つまり,水素による転位移動のプラナー化ですべり面が限定され,拡張転位間の相互作用頻度が高くなり,積層欠陥生成が促進されることに起因して,帯状の積層欠陥が核となり,最終的に発達したεM生成に至ると考えられる。

εM生成に及ぼす水素チャージの影響については,HatanoらがSUS304の引張途中止め材で,水素により積層欠陥およびεMが誘起されることを示している17)。一方,室温大気環境下では引張荷重負荷ではγ相からεMに相変態はしないことが示されており17),室温水素チャージ下におけるγ相からεMの相変態は,本研究の340 MPaと引張荷重負荷と比較して小さい荷重負荷下の場合でも,水素による作用で引き起こされたと考えられる。引張荷重負荷と比較して小さい荷重負荷下でもγ相からεMの相変態が起こった理由は,繰り返し荷重負荷の圧縮による作用であると考えられるが詳細は定かではない。

また,Fig.11(c)はSUS304水素チャージ材でεM交差部にα’Mが形成された様子を示す。一方,Fig.11(f)はSUS304未チャージ材で塊状のα’Mが形成された様子を示す。両者の形態が大きく異なる機構について,以下のように推察した。α’Mが2組のε相交差部で核形成されることは,結晶格子の幾何学的な関係からOlson and Cohenによって,示されており19),本研究でもε相が同様の幾何学的条件を満たし,α’Mが形成されたと考えられる。さらに,同じサイクルの途中止め材でEBSD解析を行ったところ,板状のα’Mの形成が確認され,εM交差部で形成されたα’Mが板状に発達する機構が推定された。しかしながら,εM交差部で形成されたα’Mが板状に発達するとは限らない。例えば,Katayama and Fujitaによりγ相の双晶面から積層欠陥が発生し,双晶内でα’Mが誘起されることが示唆されている20)。本研究で板状のα’Mが形成された機構に対し,双晶が直接に関与したかは厳密には不明である。しかし,双晶も局所的にはhcp構造を持ち,XRDからも広義的には水素により双晶や積層欠陥を含むεMが誘起されたと考えられ,それらのεMを介した相変態で板状のα’Mが形成されたと考えられる。すなわちSUS304では,水素チャージ材は転位移動のプラナー化より,γ相からεMが誘起され,εMを介してα’Mが形成されたのに対し,未チャージ材ではγ相からα’Mが形成されることで,両者はそれぞれ板状および塊状と異なる形状で形成されたと考えられる。

4・2 疲労寿命に及ぼす組織変化の影響

SUS304において,水素によるき裂進展速度の加速への組織因子の寄与にはα’M6),εMや積層欠陥の多量生成6),もしくは水素によるすべり局在化の寄与8)が過去には考えられていた。一方,今回の結果では水素チャージにより,破面の破壊起点付近にファセットが散見されるようになったことから,ファセット界面を形成する組織要因に水素が影響していると考えた。そこでFig.5に示したEBSD解析によるファセット界面のEBSD解析を行ったところ,上下突合せのファセット界面の結晶方位は{111}γ//{110}α’Mであった。また,Fig.8の途中止め材のEBSD解析より,双晶界面が平坦な異相界面になっている結晶粒が観察された。このことからファセットも双晶界面かつ異相界面での破壊が助長され形成されたと推定される。水素により異相界面の破壊が助長されることは,水素環境下で疲労試験を行ったSUS304のき裂進展部周辺のEBSD解析より示されている7)。また,双晶界面での破壊については,Uekiらにより水素チャージした単結晶のSUS304で引張試験を行った破断材側面のEBSD解析から,{111}γに沿ったα’Mの形成により,双晶界面で応力集中することで破壊に至るとされている21)。本研究は引張試験と比較して荷重負荷が小さいにも関わらず,繰り返し荷重負荷によって,水素チャージ材では板状のα’Mが形成されたことから,異相界面(双晶界面)で応力集中が起き,破壊が助長され,その結果,破面の破壊起点付近に{111}γ//{110}α’Mからなるファセットが形成された可能性がある。また,Hatanoらは放射光X線回折法および高分解能電子顕微鏡法の結果より,水素チャージ材では塑性変形と水素の相互作用より空孔性欠陥を含むεMを形成して破壊を誘発する機構を提案している17)。本研究でも積層欠陥やεMの形成過程で空孔性欠陥が形成して,破壊に関与した可能性も考えられる。

以上より,SUS304の疲労特性の劣化機構には,Fig.11で示した水素による組織変化が破壊に影響を及ぼしていると考えられる。

5. 結言

オーステナイト系ステンレス鋼SUS304とSUS316Lにおいて,繰り返し荷重負荷下におけるき裂発生以前で水素が相変態挙動および転位挙動に及ぼす影響を調査し,以下の知見を得た。

(1)SUS304は水素チャージにより疲労寿命が低下した。また,水素チャージ材および未チャージ材の間には,繰返し荷重負荷で形成されるき裂発生以前の組織に違いが現れた。一方,SUS316Lの疲労寿命は水素により低下せず,き裂発生前の組織変化に水素は影響していなかった。

(2)疲労途中止め材のTEM観察より,SUS304水素チャージ材の転位移動はプラナーであった一方,SUS304未チャージ材およびSUS316L水素チャージ材と未チャージ材では転位セル構造が形成されていた。

(3)相変態挙動については,SUS304水素チャージ材と未チャージ材ではα’Mの形状がそれぞれ板状と塊状と異なっていた。その原因として,水素チャージ材では,γからεMを介してα’Mが形成される一方,未チャージ材は,γからα’Mとなることが考えられた。また,SUS316Lの転位挙動および相変態挙動に水素の影響は見られなかった。

(4)SUS304の水素チャージ材でεMを介した相変態挙動が起こる原因は転位移動のプラナー化に起因すると考えられる。これより,水素の作用は転位移動のプラナー化を促進することと考えられた。

(5)疲労破断材の破面観察からファセット形成に至る組織要因に破壊助長原因があると考えられ,SUS304水素チャージ材でファセットの結晶方位解析を行った結果,{111}γ//{110}α’Mであった。EBSD解析より,平坦な異相界面は双晶界面で形成されていることから,異相界面(双晶界面)で破壊が助長されたと考えられた。

(6)以上をまとめると,疲労途中止め材と破断材の組織観察より,SUS304の水素による疲労特性の劣化機構は,水素チャージによる転位移動のプラナー化で,相変態挙動が未チャージ材ではγからα’Mであったものが,γからεMを介してα’Mとなることで,α’Mの形状が塊状から板状に変化し,板状のα’Mの形成によって,異相界面(双晶界面)で応力集中が起こり,破壊が助長されると考えられた。

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