Tetsu-to-Hagane
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Mechanical Properties
Mechanical Properties of Cementite
Minoru UmemotoHideyuki Ohtsuka
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2021 Volume 107 Issue 4 Pages 269-289

Details
Abstract

This review focuses on the mechanical properties of cementite as a single phase. The mechanical properties of interest are 1) sound velocity, 2) elastic constants, 3) hardness, 4) plastic deformation mechanism, 5) wear, 6) fracture toughness, and 7) crystal orientation anisotropy. The effect of temperature, magnetic transition and alloying element on sound velocity, elastic constants and hardness were reviewed. Experimental values of the above mechanical properties were collected together with the specimen shape, the amount of alloying elements, the measurement method, etc. A large variation was found in the reported experimental values. The main reason for this is that cementite is metastable and it is difficult to prepare large single-phase samples. Other factors such as sample shape, measurement method, alloying element, magnetic transformation, and crystal orientation anisotropy also influenced the measured values. The studies using the first-principles calculation on cementite were also reviewed. The crystal orientation anisotropy of the elastic constant of single crystal cementite based on the first-principles calculation was summarized and its comparison with experiment was discussed. Comparing the elastic constants obtained by the first-principles calculation with the measured values, the former values are several % to several tens of % larger than the latter values. The cause of this is thought to be the difference in temperature between 0 K (first-principles calculation) and room temperature (measured value), and theoretical and experimental researches in which the temperature is changed are expected.

1. はじめに

セメンタイトは鉄鋼材料ではフェライト,オーステナイトなどと共に最もなじみのある相である。鉄鋼材料は世界で毎年16億トン製造されており,その構成相としてセメンタイトは5000万トン製造されている1)。セメンタイトを含む鉄鋼材料や鋳鉄の力学特性に関してはその実用的重要性から膨大な数の研究が行われてきた。しかし,セメンタイト自身の特性に関するデータは十分には整っていない。例えば多結晶のヤング率でさえ測定者によって10%以上の相違があり,単結晶の弾性定数に至っては未だに測定されていない。これ程大量に製造され使用されている材料で,その特性がこれ程不明な材料は他に無い2)。この主たる原因はセメンタイトが準安定で,セメンタイト単相の大きな試料の作製が困難である為である。測定に供される試料のセメンタイトの大きさや形状が限られていることで,測定手段が制限を受け,種々な測定結果が生まれる原因となっている。さらに,セメンタイトの特性は合金元素で大きく変化することも測定データに開きが生じる原因となっている。鉄鋼材料に添加されるMnやCrなどの合金元素はフェライト中と比べてセメンタイト中に数倍から数十倍の濃さで濃縮されるので,セメンタイトに対する合金元素の影響を明らかにすることは実用の観点からも重要である。測定結果に研究者間のバラツキが大きいその他の原因としてセメンタイトの磁気変態,結晶方位異方性がある。磁気変態温度の付近では特性が大きく変化し,また磁気変態温度は合金元素や圧力によって変化する。またセメンタイトは結晶方位異方性が大きく,試料の測定方向で弾性定数や硬さが変化する。本レビューではセメンタイトの力学特性に及ぼす合金元素などの影響をできる限り分離し,弾性定数や硬さの値だけでなく試料の作製方法や測定方法も同時に紹介した。

セメンタイトは鉄鋼材料研究者だけでなく,材料物理学者からはインバー効果やエリンバー効果の観点から,地球物理学者35)からは地球の内核(地球の一番中心にある固体部分)の有力な候補材料として関心を集めている。本レビューでは鉄鋼材料分野の研究に限らず,これらすべての分野の研究をできるだけ紹介した。

新しく開発された測定技術や理論がセメンタイトに適用されている。放射光,ナノインデンテーション,共鳴超音波スペクトロスコピー,核共鳴X線非弾性散乱法などの新しい測定技術を応用することで,セメンタイトの特性の理解が深まってきている。また理論面では第一原理計算による単結晶セメンタイトの特性の研究が行われている。本レビューではこれらの新しい測定技術や理論についても取り上げた。

セメンタイトの特性全般に関するレビューはいくつかあるが1,2,6),本稿ではセメンタイト単相の力学的特性に的を絞って,合金元素を含まない純セメンタイトおよび合金元素を添加した合金セメンタイトに分けてレビューした。セメンタイトの弾性定数を求めるこれまでの研究を,使われた試料,測定方法に注目しながら紹介した。このレビューで取り上げた力学特性は1)音速(温度と合金元素の影響),2)弾性定数(温度と合金元素の影響),3)硬さ(温度と合金元素の影響),4)すべり系,5)摩耗,6)破壊靱性,7)結晶方位異方性である。また,セメンタイトの体積弾性率を求めた高圧実験を紹介した。さらに第一原理計算による単結晶の弾性定数,結晶方位異方性を紹介した。最後に,文献調査の結果を踏まえ,これまでに報告されている実験データの中で,使われた試料や測定方法から判断して信頼性が最も高いと考えられる純セメンタイトと合金セメンタイトの力学特性に関するデータ,および第一原理計算から得られた結晶方位異方性についてまとめた(Table 1)。

Table 1. Mechanical properties of cementite at room temperature8,10,13,23,26,57,58). The numbers in the table are recommended values.
Reference Characteristics Values (range)
Fasiska and Jeffrey8) Crystal structure Orthorhombic, Space group: Pnma
Litasov et al.13) Lattice constants a=5.084 (5.023~5.094) Å, b=6.747(6.701~6.755) Å, c=4.525(4.468~4.528) Å
Density ρ 7.683(7.674~7.929)× 103 kg/m3
Kagawa and Okamoto10) Curie Temperature TC 493 K (453~513)
Umemoto et al.57) Young’s Modulus E 189 GPa (140~298)
Shear Modulus G 74 GPa (54~90)
Bulk modulus B 159 GPa (105~240)
Poisson’s ratio v 0.301 (0.22~0.46)
Sound velocity VL 5870 m/s (5140~6103)
Sound velocity VS 3104 m/s (3012~3240)
Umemoto et al.26) Increase in E V > Cr > Mn ≈ Mo
Ghosh59) Anisotropy in E E110>E101>E100>E010>E001>E111>E011
Umemoto et al.26) Hardness 1020 HV (1013~1340)
Inoue et al.58) Slip system (001)[100], (100)[010], (100)[001], (010)[001] and (010)[100]
Inoue et al.23) Cleavage plane {101}, {001}, and {102}
Prescher et al.46) Magnetic transition pressure Ferro to para 8–10 GPa
Para to non-magnetic 22GPa

( ) indicates the range of measured values reported by different researchers.

本レビューではE,G, B, νなどの弾性定数(P287の記号一覧参照)を紹介するが,セメンタイトのBについては実験方法や計算方法の異なる4種類のデータを取り扱ったので,それらのデータを区別する場合には以下の記号を使った。1)振動や弾性波実験から求めたデータ(BE),2)圧力の体積変化の実験と状態方程式から求めたデータ(BP),3)第一原理計算と状態方程式から計算したデータ(BF),4)第一原理計算で求めたCijから計算したデータ(BC)。なお,状態方程式に基づいて体積弾性率を決定した場合,B0P(常温,常圧でのBP)あるいはB0F(0 K, 0 GPaでのBF)と圧力の一次微分B’0PあるいはB’0Fが求まり,任意の圧力での体積弾性率が求まる。しかし,本レビューでは鉄鋼材料にとって重要な常温常圧あるいは0 K, 0 GPaでのセメンタイトの体積弾性率(BE, B0P, B0F, BC)に重点を置いて相互比較を行った。

2. セメンタイトの物性研究に用いられている試料

セメンタイトの物性は,その長い研究の歴史や実社会で使用されている膨大な量にもかかわらず,他の多くの材料と比較して驚くほど解明されていない。その主な原因は,セメンタイト相は準安定で,単相の大きな試料の作製が今なお非常に困難であるからである。材料物性の測定方法は試料の形状で制約を受ける。セメンタイト試料はその作製方法によって様々な形状をしているため,その形状に応じて,種々の測定方法が採用されている。試料の形状と測定方法の多様性が,報告されているセメンタイトの物性に大きなバラツキが存在する原因の1つとなっている。以下に,セメンタイトの物性測定に使われている試料の形状や状態について述べる。

2・1 セメンタイト試料の種類

セメンタイトの物性の研究には大きく分けて次の4種類の試料が使用されている。一つは炭素鋼や鋳鉄の様に,セメンタイトがフェライト相などの他の相と共存した状態の試料である。このような試料を使った測定の例としてはX線712),放射光X線13)や中性子回折14,15)による格子定数の測定,熱膨張係数10,11,1315)の測定やX線的弾性定数の測定1618)などがある。また,硬さ測定1927)やナノインデンテーションによる弾性定数の測定27,28)などもおこなわれている。二つ目はセメンタイト体積率の異なるいくつかの炭素鋼や鋳鉄を試料とする場合で,それぞれの試料で物性を測定し,100%セメンタイトに外挿する方法(外挿法)である。この方法で熱膨張率29,32)やヤング率2933)の測定が行われている。多くの場合,直線外挿が用いられているが,Fe-C系では共晶組成の4.28 mass% Cが最大セメンタイト体積率(約65%)であるので,大きな外挿がなされていることに注意が必要である。三つ目は鋼や鋳鉄試料中に含まれるセメンタイトを電解や化学的方法で抽出した微結晶や粉末状態のセメンタイト試料である(抽出法)。抽出法で作製した粉末やマイクロクリスタルを使って,力学特性34,35),熱膨張係数11),磁気特性36)などが測定されている。抽出法の場合,フェライトなど他の相の混入や試料の表面状態(酸化などのコンタミネーション)に注意が必要である。四つ目は多結晶セメンタイト単相の比較的大きな試料である。試料の作製方法としては,後述するように高温・高圧で合成する方法13,3746),メカニカルアロイングした粉末などを焼結する方法26,4749)がある。これら4種類の試料以外に,特殊なケースとして蒸着法で作製したセメンタイト単相薄膜25,50),鉄とグラファイトを溶解して,粉砕しセメンタイトだけを取り出して焼結した試料51),パーライト試料から電解抽出で取り出したセメンタイト単結晶箔35),鋼に浸炭処理を施しセメンタイト体積率を部分的に増加させた試料29,52)などがある。

2・2 セメンタイト単相試料の作製方法

セメンタイトの力学特性を調べるには大きな試料を使用することは非常に重要であるので,多結晶の比較的大きなセメンタイト単相の試料を作製する二つの方法(前節で4番目に紹介)の詳細を説明する。

2・2・1 高温高圧合成法

大きなセメンタイトの試料を作製する方法として,Fe0.75C0.25組成の鉄と炭素の混合粉末を高温高圧下で溶解し,セメンタイトとして凝固させる方法がある。この方法は地球物理学者の間でよく用いられている13,3746)。Fe-C2元系ではセメンタイト相は常圧ではあらゆる温度で準安定であり,液相での炭素の拡散が速いので,液相からセメンタイト単相として凝固させることは出来ない。しかし,高圧下ではセメンタイトは熱力学的に安定相として存在する。鉄と炭素を混ぜた原料にピストンアンビルで圧力をかけて,加熱するとセメンタイトが生成し,その状態で室温まで冷却が可能である。室温で圧力を一気圧にしてもセメンタイトのままであり,実験に供することが可能である。セメンタイト試料作製の温度と圧力は研究者により異なるが,1273-1573 K,1.5-10 GPaの範囲で行われている。試料の大きさはピストンアンビルのセルで決まり,大きいもので1辺の大きさが数mmである。

2・2・2 メカニカルアロイング(MA)粉末のプラズマ焼結(SPS)法

大きなセメンタイト単相の試料を得るもう1つの方法はメカニカルアロイング(Mechanical alloying:MA)を利用する方法である。鉄とグラファイトの混合粉末をボールミルするとセメンタイトが生成することは1990年頃より多数の報告がある。鉄とグラファイトの混合粉末をボールミルすると,最初の段階ではBCC鉄に炭素が過飽和に固溶されるが,さらにボールミルを続けると,4種類の炭化物が生成する53,54)。Le Caërら53)はFe80C20組成の混合粉末をボールミルした場合はセメンタイト相が,Fe50C50混合粉末をボールミルした場合にはFe7C3相が生成することを報告している。Matteazziら54)はFe0.75C0.25組成の鉄とグラファイトの混合粉末をボールミルし,ミル時間の増加とともに,ε炭化物,χ炭化物とセメンタイトの3種類の鉄炭化物が生成し,それらの存在割合がミル時間とミル条件(ボールと粉末の割合,ミル時間と休止時間の長さの組み合わせ)で変化することを見いだした。

鉄とグラファイトをボールミルし,ナノサイズのグラファイト粒子とBCC鉄に炭素が過飽和に固溶した状態の粉末を加熱するか,さらにボールミルを続けるかすることで,準安定なセメンタイトが生成する理由についてUmemotoら55)は次のように説明している。ボールミルしたMA粉末では鉄の変化よりもむしろグラファイトの炭素結合が切れることによるエンタルピーの増加で,MA粉末のエンタルピーがセメンタイトのエンタルピーより高くなり,加熱やメカニカルアロイングのケミカル反応によりセメンタイトが生成する。熱力学的にはこのように説明できるが,セメンタイトが生成するか,α鉄とグラファイトになるかは核生成と成長の速度論の問題でもある。幸運にもセメンタイトの生成が速いお陰で,セメンタイトが作製できる。MA粉末を焼結して高い密度のセメンタイト試料にするには,高温でのセメンタイトの分解を抑えるため,できるだけ低温で焼結する必要がある。その点でプラズマ焼結(Spark Plasma Sintering: SPS)が適している。また,ボールミルでセメンタイトが生成する直前の粉末を焼結した方が,長時間のボールミルで100%セメンタイトとした粉末を焼結するよりも,粉末が柔らかく圧縮しやすいため,緻密な焼結体が得られる。試料の大きさはSPSの治具で決まり,直径数cmのものまで可能である。MAとSPSで大きなセメンタイト単相試料を作製する方法は,近年中国48,49),ドイツ47),アメリカ56)でも実施されている。

3. セメンタイトの力学的特性

セメンタイトの室温における力学特性の代表的な値をTable 18,10,13,23,26,57,58)にまとめて示す* 1

測定試料の組成が明確で,使用した試料はバルクであり,空隙率も小さく,他の多くのデータと比較・検討し現時点で最も信頼性の高いデータであると考えるものを採用した。表には結晶構造,格子定数,密度(ρ),ヤング率(E),剛性率(G),体積弾性率(B),ポアソン比(ν),縦波速度(VL),橫波速度(VS),ヤング率への合金元素の影響,ヤング率の大きさの方位比較,硬さ,すべり系,劈開面,キュリー点(TC),磁気変態圧力を載せている。

*  1 本レビューでは単位胞の直交軸を空間グループPnmaに一致するようにa=0.5084 nm, b=0.6747 nm, c=0.4525 nmとした。その他の軸方位で表現されている結晶学的データはPnmaに一致するよう変換した。

3・1 セメンタイト中の音速

多結晶体の弾性定数にはヤング率,剛性率,体積弾性係数,ポアソン比の4つがあり,等方性多結晶体では独立な弾性定数はその内の2つである。縦波と横波の速度からこれらの弾性定数が計算できる。縦波と横波の速度は超音波パルスエコー法等で測定でき,特にレーザ超音波法では非接触での測定が可能であるので,音速に対する温度や圧力の影響も測定しやすい。したがって,音速が測定可能な大きさの試料の場合は,弾性定数は音速から計算されることが多い51,57)。また音速は地球の内核について直接測定できる貴重な物理量で,地球物理学では音速そのものに関心がある。

セメンタイト中の音速についてはいくつかの実測値が報告されている。それらをまとめてTable 240,41,43,51,57)に示す。一般的な測定方法は振動子やレーザを使って,平行な面を持つ試料の片面に超音波振動を与え,超音波が表面と裏面で反射する時間を測定し,音波の速さを求めるものである。試料の厚さが数mmの場合,音波が試料を往復する時間は数μ秒である。

Table 2. Compilation of longitudinal (VL) and shear (VS) sound velocity obtained from experimental measurements by different authors using different techniques in chronological order40,41,43,51,57).
Reference VL (m/s) VS (m/s) Technique Specimen
Umemoto et al.57) 5870 3104 Ultrasonic MA+SPS 98%
Dodd et al.51) 5140 (method 1)* 3079 (method 1)* Ultrasonic Sintered 72%
5333 (method 2)* 3012 (method 2)* 1.5at% Cr
Fiquet et al.43) 6103 Inelastic X-ray scattering
Gao et al.40) 5890 3050 NRIXS Few-crystal
57Fe-enriched
Gao et al.41) 5610 2630 NRIXS Powder
57Fe-enriched
α-Fe 5960 3240

NRIXS: nuclear resonant inelastic X-ray scattering

*The raw experimental data for the sample (porosity 28%) were corrected by 2 methods.

Umemotoら57)はMA粉末をSPS焼結して作製したX線密度98%の試料を使って,超音波パルス法で音速を測定した。その結果,VL=5770±11 m/s,VS=3076±10 m/sを得た。この結果から音速に対する空隙率(2%)の影響を考慮して,密度100%の場合の音速としてVL0=5870 m/sとVS0=3104 m/sを推定している。これらの値はα鉄のVL(α-Fe)=5960 m/s と VS(α-Fe)=3240 m/s と比較してそれぞれ1.5%, 4.2%小さい。

Doddら51)は鉄と炭素を溶解後粉砕し,セメンタイトを化学的に取り出した試料を焼結して,X線密度72%の試料を得た。その試料にパルス・エコーオーバラップ法を使って音速を測定した。その結果,VL=4057±50 m/s,VS=2382±30 m/sを得た。空隙の影響をセルフコンシステント法(method 1)と波の伝播理論による方法(method 2)の2つの方法で補正し,密度100%の場合の音速として,VLとして5140(method 1)m/s,5333(method 2)m/s,VSとして3079(method 1)m/sと3012(method 2)m/sを得ている。Doddらが使った試料は空隙率が高いので,空隙の補正をした音速は測定された値よりも30%前後も大きくなっている。Fiquetら43)は鉄と炭素の混合物を高温高圧で溶解しセメンタイト試料を作製した。音速の測定は放射光X線を使ってX線非弾性散乱法で行い,VL=6103±413 m/sを得ている。Gaoら40,41)は鉄と炭素の混合物を高温高圧で溶解しセメンタイト試料を作製した。作製した試料のX線回折測定から試料には小さな単結晶で構成される部分(few-crystalと呼ぶ)と粉末状態の部分(powderと呼ぶ)があることが判明した。これら2つの部分について核共鳴X線非弾性散乱法(Nuclear resonant inelastic X-ray scattering: NRIXS)でデバイ音速VD(3/VD3=1/VL3+2/VS3)を求めた。求めたVDとScottら60)が報告している状態方程式(Equation of state: EOS: 状態量の間の関係式のこと)の係数を使って,VLVSを計算で求めた。その結果,300 K, 0 GPaでの音速は試料の微結晶(few crystal)部分ではVL=5890 m/s, VS=3050 m/s40),粉末(powder)状態の部分ではVL=5610 m/s,VS=2630 m/s41)であった。試料形状による音速の差の原因は微結晶の試料に結晶配向があるためとしている41)。セメンタイトの場合,結晶方位異方性は大きく,結晶方位によって音速が異なると考えられる。

音速の温度依存性についてはUmemotoら57)とDottら51)が測定している。Umemotoら57)のデータをFig.1に示す。これによると音速は温度の低下と共に速くなり,TC付近で急激な低下が現れる。VLの低下はTCの100 K上の温度辺りから始まり,VLTCで常磁性状態の外挿から5%程低下する。一方VSの低下はTC付近で起こり,低下率は1%以下とVLと比較して小さい。またVSTC以下の温度では温度の低下と共に減少するという異常な傾向を示す。磁気変態の影響がVSよりVLで大きいことは磁気変態が体積変化を伴う事を示している。また音速の磁性状態による違いをTC以下の一定温度で比較すると,強磁性状態の音速は常磁性状態の音速を外挿した値より,小さくなっている。これは強磁性の方が常磁性状態よりも柔らかい事を示している。Doddら51)は室温以下(100-300 K)での音速の温度変化を測定している。空隙率の高い試料(28%)を使っているため絶対値の比較はできないが,TC以下の温度では温度の低下と共にVLは増加し,VSは減少するという傾向はUmemotoら57)の結果と一致している。

Fig. 1.

Temperature dependence of longitudinal (VL) and shear (VS) wave velocities of Fe3C (dark blue) and (Fe0.95Mn0.05)3C (dark red). (a) longitudinal wave velocity VL and (b) shear wave velocity VS 57). (Online version in color.)

音速に対する圧力の影響についてはいくつか報告がある。一般に圧力が高くなると,物質の密度が高くなり,音速は速くなる。地球物理学の分野では地球の内核が炭素を含んでいると考えられ,内核が鉄炭化物(Fe3CやFe23C6)で構成されている可能性が指摘されている。内核の密度や音速の実測値と比較するため,地球の内核の条件(330 GPa, 5300 K3))でのセメンタイトの密度や音速に関心が持たれている。高圧を使った多くの研究から,セメンタイトは高圧になると強磁性から常磁性,さらに非磁性へと変化することが明らかになっている39,40,43,46,65)。音速と密度(ρ)には比例関係があり(Birch則61)),高圧下の非磁性状態のセメンタイトの場合,VL(km/s)=-3.99+1.29ρ(g/cm3),VS(km/s)=1.45+0.24 ρ(g/cm3)と報告されている40)。物質の密度と圧力は体積弾性率で結ばれるので,体積弾性率を求めれば音速に対する圧力の影響が計算できる。そこで結晶の単位胞体積の圧力変化を測定し,Birch-Murnaghan62,63)などの状態方程式を使って体積弾性率BPを求める研究が行われている40,44,46,64)。同じ密度で比較した場合,音速は強磁性状態の方が非磁性状態を外挿したものより遅い40)

Fig.157)には音速の温度変化に対する合金元素の影響も示している。Mnの添加によって音速は全温度域で速くなるが,音速の増加割合はVLでは常磁性状態の方が,VSでは強磁性状態の方が大きい。Fig.1から分かるように,合金元素の音速への影響は音速そのものへの影響とTCへの影響の2つがある。合金元素を添加することで,原子の結合に影響を与える(多くの元素は結合を強める)と同時にTCを変化させる(多くの元素はTCを下げる)。

3・2 セメンタイトの弾性定数

3・2・1 セメンタイトの室温での弾性定数

セメンタイトの単結晶の弾性定数の測定データの報告は残念ながらほとんど無い35)。ここでは多結晶体の弾性定数について述べる。なおセメンタイトの弾性定数の結晶方位異方性については後ほど3・4・4と4・4で述べる。

弾性定数の測定には種々な方法が使用されている。セメンタイトのバルク試料を使った測定には共鳴振動法,超音波法,核磁気共鳴法などがある。炭素鋼や鋳鉄試料を使った測定としては,試料に引っ張り応力を加え,セメンタイト相の格子歪みから弾性定数を求めるX線的弾性定数測定法や,ナノインデンテーション法などがある。以上はセメンタイトの弾性定数を直接測定するものであるが,間接的な方法としてはセメンタイト体積率の異なるいくつかの試料から100%セメンタイトに外挿する外挿法,基板の上にセメンタイト薄膜を生成させた試料を振動させる方法25, 50)などがある。また特殊な例として,パーライト組織からラメラセメンタイトを抽出し,曲げ試験で弾性定数を求めた研究35)がある。これら以外に高圧実験から体積弾性率を求める研究が地球物理学者を中心に行われている。それについては3・2・2でまとめて述べる。

セメンタイトの弾性定数の測定に関しては1920年代からいくつかの研究が報告されている。1926年にHonda66)は種々の炭素濃度の鋼(最大炭素量1.4 mass%,セメンタイト率20%)を使ってセメンタイトの組成に外挿し,ヤング率をE=181 GPaと求めている。1937年に発表されたForster67)の論文ではE=156 GPa,1948年に発刊されたMetals Handbook68)ではE=170 GPaと記載されている。1959年にLaszlo and Nolle29)は浸炭した円筒形試料を使い振動法でヤング率(E)と剛性率(G)を測定し,E=200 GPaとG=74 GPaを得た。これらの値からこの多結晶のセメンタイト試料が等方的であると仮定すると,後に示す式(10)を使って体積弾性率B=240 GPa,ポアソン比ν=0.361と計算できる。1969年Hanabusaら16)は球状セメンタイト組織の1.4 mass% Cの工具鋼(SK1)に引張応力を加え,X線によりセメンタイトの(121)面の歪みを測定した。この実験からX線的弾性定数としてE=212 GPaとν=0.46を得ている。

セメンタイトの弾性定数に関するこれら初期の研究では,セメンタイト中の合金元素量にはほとんど注意が払われていなかった。鋼中のセメンタイトにはMn, Cr, V, Moなどの合金元素が濃縮しており(例えば文献69)),これらの元素はのちほどFig.3で示すように弾性定数を大きくするので,セメンタイトの弾性定数を議論する場合,セメンタイト中の合金元素量には注意が必要である。1950年以降に報告されている,合金元素を含まない,あるいは合金元素量が明確な場合の弾性定数をTable 31618,25,2933,40,41,50,51,57,70,71)にまとめて示す。Glikmanら30)は炭素濃度の異なる6つの試料(最大4 mass% C,セメンタイト体積率60%)を使って,振動法で試料のヤング率を測定し,外挿法によりE=176-186 GPaと見積もっている。Drapkin and Fokin31)は炭素濃度の異なる7つの試料(最大炭素濃度2.7 mass% C,セメンタイト体積率42%)を使って,共鳴法でヤング率を測定し,セメンタイトの組成まで直線的に外挿してE=181 GPaと見積もった。Kagawaら32)は鉄と炭素を混ぜて溶解し,一方向凝固させた炭素量の異なる5種類の試料(最大炭素濃度4.31 mass% C,セメンタイト体積率65%)を使って,各試料のヤング率を温度の関数で測定し,セメンタイトのヤング率の温度変化を外挿法で求めた。ヤング率の結晶方位異方性を考慮してセメンタイトの<100>方向とそれに垂直な2つの方向でヤング率を測定し,異方性を確認した。また,TC以下の温度ではヤング率が温度の低下と共に低下することを見いだした。Doddら51)は1.5 at% Crを含むセメンタイト焼結体(72%X線密度)のヤング率を音速を使って測定した。彼らは2つの方法で空隙を補正し,E=175 GPa(method 1)とE=176 GPa(method 2)を得た。Ledbetter33)は炭素量が0-17.3at%の異なる7種類の試料を使って超音波共鳴分光器(Resonance-ultrasound spectroscopy: RUS)でセメンタイトを含む鋼と鋳鉄試料の弾性定数を測定し,外挿法でE=230 GPaを得た。外挿法の場合,マトリックスによる拘束や,マトリックスとセメンタイトの界面の影響は避けがたい。Gaoら40,41)は高温高圧で溶解したセメンタイト試料を使って求めたVLVSから,E=192 GPa(few-crystal試料)40)E=147 GPa(powder試料)41)を得た。few-crystal試料のヤング率がpowder試料のそれより高い理由として結晶方位異方性を挙げている41)。Umemotoら57,70)は鉄とグラファイトをボールミルしたMA粉末をプラズマ焼結して作製した98%X線密度のセメンタイトバルク体を使って,振動共鳴法(Table 3ではresonance method)と超音波法(Table 3ではlaser-ultrasonic technique)で弾性定数を測定した。その結果,振動共鳴法ではE=191 GPa70),超音波法ではE=185 GPa57)と互いに近い値が得られた。これらの値が異なる原因として測定法の違いと試料の測定方向の違いが考えられる。振動共鳴法の振動周波数は約10~200 Hzであり,超音波法のそれは約1~20 MHzと振動共鳴法よりも高い。また振動共鳴法では試料の長手方向,すなわち焼結時の圧縮方向に垂直な方向に測定を行い,超音波法では圧縮方向に平行に測定を行っている。そのため試料の焼結時に集合組織が形成されるとその影響が現れる可能性が考えられる。また体積弾性率はBE=155 GPaと求められ,この値は次に述べる常温常圧で測定された平均値[BE]=145 GPaや3・2・2で述べる高温高圧合成で作製したセメンタイトで圧力を変化させて測定された強磁性状態のB値の平均値[B0P]=173 GPaに近い値である。

Fig. 3.

Young's modulus of cementite as a function of the alloying element concentrations (x) in (Fe1-xMx)3C, M=Cr, Mn, Mo, V70). (Online version in color.)

Table 3. Compilation of elastic moduli (Young’s modulus E, shear modulus G, bulk modulus BE (all in units of GPa)), and Poisson’s ratio ν obtained from experimental measurements by different authors using different techniques in chronological order1618,25,2933,40,41,50,51,57,70,71).
Reference E G BE ν Experimental procedure
Laszlo and Nolle29) 200 74 224 0.35 Case carburized tube, E and G were measured with resonance method
Hanabusa et al.16) 212 ± 44 0.46 ± 0.15 Tool steel, X-ray elastic constants
Glikman et al.30) 176 - 186 Fe–C alloys, measured with resonance method, extrapolated from Fe-C alloys
Drapkin and Fokin31) 181 Fe–C alloys, measured with resonance method, extrapolated from Fe-C alloys, temperature dependence of E
Kagawa et al.32) 140 Oriented ledeburitic Fe–C cast irons, measured with resonance method, temperature dependence of E, evidences of anisotropy
Winholtz and Cohen17) 276 - 298 0.36 - 0.39 Eutectoid steel, X-ray elastic constant
Li et al.25) 160 63.5 111 0.26 Thin film (2.5 µm), polycrystalline (50 nm grain size), inverse analysis of surface waves
Mizubayashi et al.50) 177 ± 1 Thin film (210-780 nm), polycrystalline (90 nm grain size), vibrating reed method
Umemoto et al.70) 191 Bulk-sintered polycrystalline sample, grain size 0.5 µm, resonance method, temperature dependence, alloying effect
Dodd et al.51) 175 - 176 69 - 72 105 - 125 0.22 - 0.27 Bulk-sintered polycrystalline sample including 1.5 at% Cr, grain size 5 µm, pulse-echo-overlap technique, values corrected for 28% porosity, temperature and pressure dependence
Che et al.18) 262 - 282 0.22 - 0.26 X-ray elastic constant, tool steels
Gao et al.40) (192) (73) (175) (0.32) Bulk sample, Nuclear resonant inelastic X-ray scattering, sound velocity
Gao et al.41) (147) (54) (175) (0.36) Powder sample, nuclear resonant inelastic X-ray scattering, sound velocity
Ledbetter33) 230 ± 12 90 ± 5 168 ± 8 0.275 ± 0.03 αFe–Fe3C alloys, extrapolated to Fe3C, resonance-ultrasound spectroscopy
Umemoto et al.57) 185 71 155 0.301 Bulk-sintered polycrystalline sample, grain size 0.5 µm, laser-ultrasonics technique, temperature dependence, Mn alloying effect
αFe
Kim and Johnson71)
211 82 167 0.288 Summary of previous data

All the data are at RT. () indicates indirect measurement. BE is in ferromagnetic state or near ambient pressure.

Table 3に示した弾性定数の実測値について,合金元素を含むデータ1618,29,51),結晶方位異方性を含むデータ32)を除いて平均値と標準偏差を求めた。Eについては文献25,30,31,33,50,57,70)の7個のデータ,G, B, νについては文献25,33,57)の3つのデータから求めた平均値と標準偏差は[E]=186±20 GPa,[G]=75±11 GPa,[BE]=145±24 GPa,[ν]=0.279±0.017であった。実験値のばらつきはすべての弾性定数で大きく,変動係数(標準偏差を平均値で割った値で,この値が大きいほど,平均値に対する相対的なばらつきが大きい)はE, G, BEでは10%以上である。多結晶体セメンタイトの弾性定数としてUmemotoら57)は超音波測定(この方法でのみ全ての弾性定数が同時に測定された)の結果から,100%密度に計算し直して求めたE(100%)=189 GPa, G(100%)=74 GPa, B(100%)=159 GPaそして ν(100%)=0.301を推奨している。これらの値は純鉄のそれら(E(α-Fe)=211 GPa, G(α-Fe)=82 GPa, B(α-Fe)=167 GPa, ν(α-Fe)=0.288))と比較して,EGは10%程度小さく,Bは5%程度小さく,νは5%程度大きい。セメンタイトの体積弾性率とポアソン比は磁気変態に伴う値の変化が大きく,室温でのそれらの値には磁気変態の影響が残っていると考えられる。また,金属元素とその炭化物のヤング率を比較すると,Cr, Mo, Nb, Ti, V, W, ZrなどFe以外のすべての炭化物で基の金属よりはるかに高い値となっている31)。セメンタイトのヤング率が鉄のヤング率より小さいことは非常に特異な現象である。

3・2・2 高圧実験のX線回折により求められたセメンタイトの体積弾性率

セメンタイトの体積弾性率は多くの地球物理学者によって研究されている。地球の内核(中心の固体部分)は高圧高温(330 GPa, 5300 K3))であり,鉄が主成分と考えられている。しかし,測定される密度や地震波の速度は内核がhcp鉄として想定されるものより小さい。そこで,内核にはC, S, Siなどの軽元素が含まれていると予想され72),特に炭素が有望な元素と考えられている3)。Fe-C2元系では地球の内核の条件でFe3C3)やFe7C34,5)が安定に存在する。地球の内核の密度は地球構造モデル(Preliminary reference earth model:PREM)で13,090 kg/m3 44)と推定されているので,これに見合う炭化物の種類や鉄と鉄炭化物の割合の予測がFe3Cを中心に行われている。

地球の内核の圧力と温度の条件下でのFe3Cの密度を予測する場合に問題となるのが,圧力誘起磁気変態である。Fe3Cは常温常圧では強磁性(Ferromagnetic:FM)であるが,圧力が大きくなると常磁性(Paramagnetic:PM),さらに非磁性(Non-magnetic:NM)へと変態し,それに伴ってFe3Cの体積弾性率は2倍近く大きくなる。

体積弾性率を実験的に求める方法はダイヤモンドアンビルで加圧し,放射光X線回折により格子定数を測定し,単位胞体積の圧力変化から状態方程式を使って体積弾性率を求めるというものである。使われている代表的な状態方程式は以下の3階のBirch–Murnaghan式1,62,63)である。

  
P = 3 2 B 0 P [ ( V 0 V ) 7 / 3 ( V 0 V ) 5 / 3 ] { 1 3 4 ( 4 B 0 ' P ) [ ( V 0 V ) 2 / 3 1 ] } (1)

ここでPは圧力,V0, B0P, B’0Pは平衡格子定数での系の体積,常温常圧での体積弾性率,B0Pの圧力の一次微分(=∂ B0P/P)である。Table 412,38,39,44,46,60,64,73,74)にFe3CのB0P, B’0P, V0,解析に使われた状態方程式(EOS),測定された圧力の範囲を磁性状態毎に分けて示す。Table 4からわかるように,セメンタイトのB0Pは磁性状態によって大きく変化する。それぞれの磁性状態でのB0Pの実測値の範囲はFM(162-179 GPa), PM(190-199 GPa), NM(288-290 GPa)である。測定された格子定数の圧力変化の例をFig.244)に示す。圧力の増加と共に3軸の格子定数とも低下するが,圧力が高くなるほど格子定数の低下の割合は小さくなり,下に凸の曲線となっている。圧力の増加による3軸の格子定数の減少率(線圧縮率)は軸に依って異なり,c>b>a軸の順で小さくなる38,44,64)。この事は体積弾性率に結晶方位異方性がある事を示している。またFig.2でb軸の格子定数が圧力55 GPaを超えると不連続に減少しているが,この原因についてOno and Mibe44)は第一原理計算を行い,Fe3Cがこの圧力で非磁性状態に変態したためとしている。

Table 4. Compilation of bulk modulus B0P (in GPa), pressure derivative of the bulk modulus B’0P (= B0P /∂P) and unit cell volume V0 each at ambient pressure obtained from high pressure experiments and equation of state by different authors in chronological order12,38,39,44,46,60,64,73,74).
Reference Magnetic state Bulk modulus
B0P (GPa)
B’0P(=∂B0P/∂P) Unit cell
volume V03)
EOS Pressure
P (GPa)
Jephcoat73) 162 6.4 V <50
Scott et al.60) FM 175.4 ± 3.5 5.1 ± 0.3 155.26 ± 0.14 BM <73
FM 175.1 ± 3.6 5.3 ± 0.3 155.26 ± 0.14 V <73
Li et al.38) FM 174 ± 6 4.8 ± 0.8 155.28 BM <30.5
Lin et al.39) FM 179.4 ± 7.8 4.8 ± 1.6 <45
NM 288 ± 42 4
Duman et al.12) FM 174 ± 8 RT BM <20
PM 199 ± 5 550 K BM <20
Ono and Mibe44) FM 167 6.7 BM ≤35
Sata et al.74) NM 290 ± 13 3.76 ± 0.18 149.46 BM 25<P<187
Prescher et al.46) 161 ± 2 5.9 ± 0.2 BM ≤88
Litasov et al.64) FM 175 5 155.2 VR <7.2
PM 190 ± 2 4.8 ± 0.1 154.56 VR <31
PM 194 ± 1 4.6 ± 0.1 154.42 VR <31
PM 191 ± 2 4.68 ± 0.08 154.56 VR <31

FM: Ferromagnetic, PM: Paramagnetic, NM: Non–magnetic, BM: Birch–Murnaghan equation of state (EOS), VR: Vinet–Rydberg EOS, V: Vinet EOS.

Fig. 2.

Change in the lattice constants of Fe3C as a function of pressure at 300 K. The solid triangles, squares, and circles represent the experimental cell parameter ratios of the a-, b-, and c-axes, respectively, compared to the zero pressure values. The dashed lines represent the fitted curves of each cell parameter ratio. A significant reduction in the b-axis was observed at –55 GPa44). (Online version in color.)

Table 3に記載した常温常圧で測定されたFe3C(強磁性状態)のBE値と高圧実験のX線回折により求められた強磁性状態のB0P(Table 4)を比較すると,データの値やバラツキに差がある。B0P値は162-179 GPaと比較的狭い範囲(平均値173 GPa,標準偏差5.2 GPa)であるが,Table 3に示すBE値は111 GPa25),168 GPa33),155 GPa57)と研究者によって大きく異なる。このバラツキの違いの原因は高圧実験で使用された試料は合金元素を含まず,試料の作製方法や測定方法が互いによく似ているのに対して,常温常圧での測定に使用された試料の不純物量,形状や測定方法が研究者で大きく異なっていることが考えられる。しかしながら常温常圧での最近の研究ではBE値は168 GPa33),155 GPa57)と高圧下のX線回折での実測値に近い値が報告されている。なお,高圧実験は等温体積弾性率,超音波法や振動法での測定は断熱体積弾性率であるが,両者の差は3%以下と小さい3,64)

3・2・3 室温でのヤング率に対する合金元素の影響

金属元素の多くはセメンタイトの鉄と置換して合金セメンタイトを形成する。合金元素にはセメンタイトに多く固溶する元素とほとんど固溶しない元素がある。NiやSiはセメンタイトを不安定にするため,またMoやVは独自の炭化物を形成するため固溶量が少ない6)。元素の添加は一般にセメンタイトのヤング率を増加させる。Fig.3はUmemotoら70)が測定したセメンタイトのヤング率(室温)に対する添加元素の影響を示す。試料はMA粉末焼結体である。ヤング率は添加元素濃度の増加とともに増加する。その増加割合はMo≈Mn<Cr<Vの順で大きい。

合金元素を含むセメンタイトのヤング率についてはCoronadoら27)は,VとCrを別々に添加したまだら鋳鉄中のセメンタイトについてヤング率を測定している。セメンタイト中の合金元素量をエネルギー分散型X線分光法(Energy Dispersive X-ray Spectroscopy: EDS)で測定し,ナノインデンテーションでヤング率を測定した結果,5.01 mass% Crを含むセメンタイトはE=237 GPa,4.5 mass% Vを含むセメンタイトはE=232 GPaであった。Coronadoら27)の研究はUmemotoら70)の場合と試料や測定方法が異なるが,得られた値は近い。

3・2・4 セメンタイトの弾性定数の温度変化

セメンタイトのヤング率の温度変化をFig.431,57,70)に示す。UmemotoらはMA粉末焼結体を使って,共鳴法70)と超音波法57)でヤング率の温度変化を測定した。2つの測定結果は極めて良く一致しているが,超音波法では共鳴法で見られない極小がTC直下の471 Kで認められる。これは測定した温度間隔が超音波法(数 K)の方が共鳴法(20-50 K)より小さいためと思われる。Fig.4にはDrapkin and Fokin31)が外挿法で求めたヤング率の温度変化も示しているが,Umemotoらが超音波法で求めたものよりも緩やかな温度変化を示している。Fig.4には比較のためα-Feのヤング率の温度依存性も示している。セメンタイトのヤング率の温度変化は,α-Feのそれと比較して非常に小さく,ヤング率の温度変化が小さいエリンバーの特性を示している。セメンタイトのような磁性材料では磁気変態点近傍で外部応力により磁気モーメントの回転や磁壁の移動が起こり,弾性定数の低下が現れる。この現象はヤング率の場合ΔE効果(剛性率の場合ΔG効果)と呼ばれている。セメンタイトのΔE効果については,外挿法で測定した報告31,32)がある。Drapkin and Forkin 31)はセメンタイトの室温のヤング率は常磁性と仮定すると200 GPaで,ΔE効果の大きさは17 GPaであるとしている。Kagawaら32)ΔE効果の結晶方位異方性を指摘している。Umemotoら57)の超音波法による測定では,ΔE効果はTC直下で最大で8.2 GPa(減少率4.3%)である。

Fig. 4.

Compilation of temperature dependence of Young’s modulus E of cementite obtained from experimental measurements by different authors31,57,70). Data of α-Fe (green)70) is shown for comparison. (Online version in color.)

セメンタイトの4つの弾性定数の温度変化についてはUmemotoら57)の研究がある。Fig.5に超音波法で測定したセメンタイトの弾性定数の温度変化を示す。この図からヤング率(Fig.5(a))と剛性率(Fig.5(b))はTC近傍で温度の低下と共に僅かに小さくなるとともに,TCの上下で温度依存性が変化する事が分かる。一方,体積弾性率とポアソン比はTC近傍で大きな極小を示す。Fig.5には(Fe0.95Mn0.05)3Cの弾性定数の結果も示している。この図から,Mn元素添加の影響はヤング率,剛性率,体積弾性率の値を大きくする効果とTCを低下させる2つの効果がある。また,Mn元素添加による弾性定数の増大効果は体積弾性率以外の弾性定数では常磁性状態よりも強磁性状態の方が大きい。ヤング率はFig.5(a)に示すように,0.05Mnの添加((Fe0.95Mn0.05)3C)で常磁性状態では11.5 GPa増加するのに対して,強磁性状態の室温付近では12.0 GPa増加している。剛性率はFig.5(b)に示すように,0.05Mnの添加で全ての温度域で大きくなるが,常磁性状態では4.2 GPa増加するのに対して,強磁性状態の室温付近では5.5 GPa増加している。一方,体積弾性率(Fig.5(c))とポアソン比(Fig.5(d))はTC近傍での低下が非常に大きい。体積弾性率は0.05Mnを添加した場合,常磁性状態では9.2 GPa増加するが,TCが下がる効果で室温での体積弾性率が小さくなる。その結果,室温付近ではこの両者が打ち消し合って,体積弾性率には0.05Mn添加の影響はほとんど認められなくなる。またポアソン比は高温の常磁性状態ではMn添加の影響は認められないが,Mn添加でTCが下がる効果で室温付近でのポアソン比が小さくなり,室温で比較すると0.05Mnを添加した方が小さくなっている。

Fig. 5.

Temperature dependence of elastic constants of Fe3C (dark blue) and (Fe0.95Mn0.05)3C (dark red). (a) Young’s modulus E, (b) shear modulus G, (c) bulk modulus BE, and (d) Poisson’s ratio ν57). (Online version in color.)

セメンタイトの剛性率と体積弾性率の温度変化に関していくつかの報告がある。Doddら51)は剛性率を75-295 Kの温度範囲で測定し,剛性率が193 Kから100 Kへの温度低下で1.3%減少する事を報告している。体積弾性率の温度変化についてDumanら12)は550 Kと室温の2つの温度で圧力を0-20 GPaの範囲で変化させ体積弾性率を求めた。その結果,550 K(>TC)でBP(550 K)=199 GPa,室温(<TC)でB0P(RT)=174 GPaを得た。550 Kから室温への温度の低下に伴うBP値の減少は13%であり,Fe65Ni35インバー合金の磁気変態に伴う体積弾性率値の変化と同程度の減少割合であったと報告している。一方Fig.5(c)に示す超音波測定の結果ではBE(550 K)=157 GPa,BE(RT)=160 GPaであり磁気変態を挟んでも大きな変化はない。この違いの原因としてDumanらの測定には圧力誘起磁気変態が含まれている可能性が考えられる。セメンタイトは室温では8-10 GPa付近で圧力誘起の強磁性-常磁性変態が起こるとされている46)。Dumanら12)は0-20 GPaの範囲で圧力を変化させて測定しており,求めた体積弾性率には低圧の強磁性状態から高圧の常磁性状態への変化過程が含まれている可能性があり,B0P(RT)値が低く見積もられたと思われる。ポアソン比の温度変化についてはDoddら51)は温度が295 Kから100 Kに低下すると,ポアソン比は0.246から0.254(試料の空隙補正無し)へとわずかに増加する事を報告している。

3・3 セメンタイトの硬さ

セメンタイトの室温での硬さについてはいくつかの研究がある。1950年以降に報告されている,合金元素を含まない試料の室温での硬さをTable 519-26)にまとめて示す。白鋳鉄の初晶セメンタイトは比較的大きな結晶となるので,ビッカース硬さ測定が可能である。初晶セメンタイト以外の試料としては物理蒸着で作成した薄膜やMA粉末焼結体でも硬さが測定されている。Table 5から分かるように合金元素を含まないセメンタイトの室温での硬さは1013-1340 HVの範囲である。硬さの測定結果に研究者間で幅がある原因については,測定加重(50 g-1 kg)の違い以外にいくつかの要因が考えられる。1つは硬さの結晶方位異方性である。Inoueら23)はFe-4.81C-5.80Cr(mass%)試料で初晶セメンタイトの硬さを3つの異なる方位で測定した。その結果セメンタイト表面が(010)の場合,硬さが他の面の場合より10%程度高いことを報告している。さらに同じセメンタイト面方位でも硬さの結晶方位異方性に起因して圧子の向きで圧痕の形が変化する23)。硬さに幅がある別の原因として試料の熱履歴がある。初晶セメンタイトの炭素濃度は化学量論組成のFe3Cよりも低い10,75,76)。そのため低温でアニールするとフェライトが析出し76),セメンタイトの炭素濃度が増加し,硬さが増加する77)。初晶セメンタイトの場合セメンタイト板の厚さ,周囲のレーデブライトの組織なども測定されたセメンタイトの硬さに影響を与える。物理蒸着で作製した薄膜やMA粉末焼結体では結晶粒径が1 µm以下であるため硬さに影響を与える。

Table 5. Compilation of hardness of pure cementite (without alloying elements) at room temperature obtained from experimental measurements by different authors19,21,22,2426).
Reference Hardness HV Specimen Load and others
Sato et al.19) 1340 Primary cementite in Fe-4.8%C white cast iron Load: 50 g
Gove and Charles21) 1220 Primary cementite in a white cast iron Load: not noted
Temperature effect
Yakushiji
et al.22)
1130 Primary cementite in the directionally solidified Fe-4.5%C alloy Load: 50g
Temperature effect
Hardness on (100)θ
Kagawa and Okamoto24) 1013 Primary cementite in the directionally solidified Fe-4.54% C alloy Load: 100g
Temperature effect
Hardness on (100)θ
Li et al.25) 1230 Plasma deposited Fe3C film (thickness 2.5μm, grain size 50nm) Load: 2.5 g
Umemoto et al.26) 1020 MA+SPS*
Grain size 0.5μm
Load: 100 g

*MA: Mechanical alloying, SPS: Spark plasma sintering

セメンタイトの硬さに対する合金元素の影響についてはいくつかの研究がある。それらをまとめてFig.619,20,24,26,27,78,79)に示す*2。セメンタイト中ではCr, Mn, Mo, Vなどの金属元素は鉄と置換し,Bは炭素と置換する。Fig.6にはセメンタイト中のこれら元素の量をmass%で示している。Fig.6に示すように鉄鋼材料でよく使われるMnとCrに関する研究が多い。MnやCrなどの合金元素は鉄鋼材料中ではフェライト相よりもセメンタイト相に濃縮する。セメンタイトとフェライトに固溶する合金元素濃度(mass%)の比率は分配係数と呼ばれ,合金元素の添加量や鋼の炭素含有量に依存せず,合金元素固有の値である。合金元素の中でもCrやMnは分配係数が大きく,973 KではCrで28.0,Mnで10.5である69)。分配係数は温度の低下と共に増加し,823 KではCrで80,Mnで30にまでなる。従って鉄鋼材料では試料全体の合金元素量が少なくても,セメンタイト中の合金元素濃度は高いことに注意が必要である。Fig.6から分かるようにCr, Mn, V, Mo, Bなどの元素の添加はセメンタイトの硬さを増加させる。Mn, Cr, V, Moの中では硬さの増加割合はMo<Mn<Cr<Vの順で大きく,ヤング率への合金元素の影響(Fig.3)とよく似ている。

*2 文献79)のFig.10(a)では試料A4を9.76 mass% Crと記載しているが,著者に確認したところ11.51 mass% Crの誤りとのことであった。本レビューのFig.6では11.51 mass% Crとしてプロットしている。

Fig. 6.

Vickers hardness of cementite as a function of the alloying element concentrations (mass%)19,20,24,26,27,78,79). Metallic solutes (Cr, Mn, Mo, V) substitute on to the iron sites and boron replace carbon at interstitial sites. (Online version in color.)

セメンタイトの高温硬さは鋳鉄部品などの摩耗において,表面温度が上がった状態で起こるアブレシブ摩耗の理解に重要であることから,いくつかの研究がある2124,26,78)。Kagawa and Okamoto24,78)によるとセメンタイトのビッカース硬さHVと絶対温度Tとの間にはHV=Aexp(-βT)の関係がある。ここでAβは定数であり,βは熱軟化係数(thermal softening coefficient)と呼ばれ,温度依存性の大きさを表している。セメンタイトの硬さの温度変化はTC(473 K)以下,473K~710 K,710 K以上の3つの温度域でこの式で表現でき,β値は温度域が高くなるほど大きくなる。473 K以下の強磁性状態と473 K~710 Kの常磁性状態で硬さクリープ(硬さ試験で観察されるクリープ)変形しない温度域ではβ値は熱膨張係数に比例する24)。熱膨張係数が小さい強磁性状態ではβ値は小さく,熱膨張係数の大きな常磁性状態ではβ値は大きい。β値が熱膨張係数に比例する理由は,両者とも原子の結合エネルギーの温度依存性に関係しているためと説明されている24)。710 K以上では硬さクリープ変形が起こり,Kagawa and Okamoto78)は高温硬さの加重時間変化の温度依存性から硬さクリープ変形の活性化エネルギーとして254 kJmol-1を得た。この値はγ鉄の自己拡散の活性化エネルギーに対応していると述べている。

合金元素の添加は多くの元素でセメンタイトの高温での軟化を遅らせる24,78)。Kagawa and Okamoto78)はセメンタイトの硬さの温度変化に対するCr元素(最大14.2 mass%)の影響を測定し,Cr元素が高温での軟化を遅らせる要因を調査した。その結果,Cr濃度の増加とともに,軟化係数が小さくなり,硬さクリープ変形が始まる温度が上昇し,硬さクリープ変形の活性化エネルギーが大きくなることを明らかにした。高温硬さに対する添加元素の種類の影響も調べられている。Fig.770)にはFe原子の5 at%を置換型元素M(M=Cr,Mn,Mo,V)で置き換えた(Fe0.95M0.05)3C組成の合金セメンタイトの硬さの温度変化も示している。すべての合金セメンタイトで硬さは温度の上昇とともに低下するが,低下の挙動は合金元素によって異なり,773 Kでの硬さはMn<Cr<V<Moの順に高くなっている。この順序は鉄原子と合金原子のサイズの差であるミスフィットパラメーターεの大きさの順序, Mo(ε=0.084),V(0.034),Mn(0.016),Cr(0.014)とよく対応している。このことから,セメンタイトの高温硬さに対しては鉄との原子半径差の大きい元素ほど影響が大きいということになる。尚,773 Kでの硬さ測定においては明らかな荷重時間依存性が認められ,硬さクリープ変形が起こっている70)。鉄のクリープ(通常の引張りクリープ)強度においてミスフィットパラメーターが大きい固溶元素ほど強化への寄与が大きいことが知られているが,同じ強化メカニズムがセメンタイトにおいても成り立っていると考えられる。

Fig. 7.

Effect of alloying element on high temperature Vickers hardness of cementite in (Fe0.95M0.05)3C, M=Cr, Mn, Mo, V70). (Online version in color.)

3・4 セメンタイトのその他の力学特性

3・4・1 セメンタイトの変形機構

鋼中のセメンタイトがすべり変形することが電子顕微鏡で確認されている58,8082)。Keh80)は集積転位のトレース解析からセメンタイトのすべり面が(001)であることを報告している。Inoueら82)は共析鋼と過共析鋼を室温で圧延し,セメンタイトのすべり系を観察した。その結果,観察されたすべり面は{100}と{101}で,すべり系のすべりやすさは{101}<(100)[010]<(001)[100]<(010)[100]の順で増加する事を報告している。転位のバーガースベクトルの大きさはその単純な結晶構造から単位胞の稜の長さと推測されている58)。セメンタイトの強度が高いのは,この大きなバーガースベクトルが理由であると考えられている。

3・4・2 セメンタイトの摩耗特性

炭素鋼や白鋳鉄では含まれるセメンタイトの体積率が耐摩擦摩耗性に大きく影響する。しかし,通常の鉄鋼材料や鋳鉄ではセメンタイトの体積率は65%以下であるため,それ以上のセメンタイトの体積率における摩耗特性が不明であった。Zhengら48)はセメンタイト体積率の異なる鉄鋼材料(セメンタイトの体積率 0%, 7.83%),白鋳鉄(18.56%, 49.21%)とMA粉末焼結体(81.75%, 100%)を使ってアブレシブ摩耗を調べた。その結果,圧力が0.065 MPa以下では摩耗量はセメンタイトの体積率の増加と共に減少した。圧力が0.098 MPaになるとセメンタイトの体積率が50%までは摩耗量はセメンタイトの体積率の増加と共に減少したが,セメンタイトの体積率が80%以上になるとセメンタイトの破断と剥離が起こり,摩耗量が増加した。Sasakiら83)はセメンタイト体積率の異なる純鉄,S45C(セメンタイト体積率7%), MA粉末焼結体(セメンタイト体積率50%, 75%, 100%)を使って,種々の接触圧力での摩耗特性を調べた。Fig.8は縦軸に比摩耗量の逆数である耐摩耗性を,横軸に試料のビッカース硬さを取って耐摩耗性と硬さの関係を示したものである。図中の%はセメンタイトの体積率を,図中の圧力は実験時に負荷した圧力を示す。比摩耗量(specific wear rate)は,体積で表した摩耗量を滑った距離と圧力で割ったもので単位は[m3/(MPa·m)]であり,数字が小さいほど摩耗しにくいことを表す。耐摩耗性(wear resistance)は比摩耗量の逆数で,数字が大きいほど摩耗しにくいことを表す。Fig.8に示すように圧力が0.15 MPaまでは耐摩耗性は試料の硬さに比例して増加,すなわち摩耗しにくくなる(点線)。しかし圧力が0.31 MPa以上では,耐摩耗性は硬さと直線関係を示さず,セメンタイトの体積率が75% 以上で試料の硬さとの直線関係から予想されるものより小さく,すなわち摩耗しやすくなる。以上のように圧力が0.31 MPa以上では耐摩耗性は硬いセメンタイト相の体積率が大きくなるほど増加し,セメンタイト体積率75%付近で最大となるが,それ以上にセメンタイトの体積率が増えると耐摩耗性は低下する。100%セメンタイトの試料はその硬さから期待される耐摩耗性が得られていない48,83)。その理由はセメンタイト試料が焼結体で脆く,表面で剥離しやすいためと考えられる。耐摩耗性がセメンタイト体積率75%付近で最大となるのは,脆いセメンタイト相が延性なフェライト相で包まれ,セメンタイト相の剥離が抑制された為と考えられる。

Fig. 8.

Relationship between the abrasive wear resistance (reciprocal of specific wear rate) at applied pressures of 0.15 and 1.23 MPa and Vickers hardness for a variety of samples of ferrite containing different volume % of cementite. After Sasaki et al.83). (Online version in color.)

3・4・3 セメンタイトの破壊靱性値

ナノインデンターを使ってセメンタイトの破壊靱性値が測定されている84,85)。Coronado and Rodriguez84)はCrとVを別々に添加したまだら鋳鉄(5 mass% C)の初晶セメンタイトに対してナノインデンテーション法で破壊靱性値を測定した。合金元素の異なる3つの鋳鉄においてセメンタイト中の合金元素濃度をEDSにより測定した。得られた破壊靱性値はセメンタイト中の合金元素が9.2 mass% Crの場合2.24 MPa·m1/2,5.1 mass% Crの場合2.52 MPa·m1/2,4.5 mass% Vの場合2.74 MPa·m1/2であった。これらの値は他のタイプの炭化物(M7C3, M6C, MC)の破壊靱性値(2.2-3.7 MPa·m1/2)の範囲にあるとしている。Fernández-Vicenteら85)は球状黒鉛鋳鉄を使ってナノインデンテーション法で破壊靱性値を求めた。使用した試料はSGP(spheroidized graphite pearlitic matrix, 球状黒鉛+共晶セメンタイト+パーライト)とSGA(spheroidized graphite acicular matrix, 球状黒鉛+共晶セメンタイト+ベイナイト+マルテンサイト)の2種類である。その結果,セメンタイトの破壊靱性値としてSGPで4.09 MPa·m1/2, SGAで2.41 MPa·m1/2を得た。この値はZrC, VC, Cr7C3, NbCなどの炭化物と同程度の値であるが,セメンタイトの硬さはこれらの炭化物の中で最も低いと報告している。

3・4・4 セメンタイトの力学特性の結晶方位異方性

セメンタイトの物性に結晶方位依存性があることはその結晶構造からも予想されるが,力学特性の結晶方位異方性についていくつかの研究がある。硬さの結晶方位異方性についてInoueら23)は一方向凝固したFe-4.81C-5.80Cr試料で初晶セメンタイトの硬さを3つの異なる方位で測定した。その結果,セメンタイトの硬さはセメンタイト表面が(010)の場合,他の面より10%程度高いことを報告している。弾性定数の結晶方位異方性についてはいくつかの実験結果が報告されている。Kagawaら32)は鉄-セメンタイト鋳造材の異なる場所から切り出した試料を使ってセメンタイトのヤング率の異方性を調べた。その結果,[100]方向のヤング率は,それに垂直な方向のヤング率よりも大きいことを見いだした。Kooら35)はパーライト組織の試料からラメラセメンタイトを抽出して得た100-200nm厚さのセメンタイトシートをSEM中で曲げて,ヤング率を測定した。セメンタイト膜は(010)面に平行で,[100]と[001]方向のヤング率はそれぞれ262 GPaと213 GPaであった。これらの値はJiangら86)が第一原理計算で求めた弾性スティフネス定数Cijから計算したヤング率の値と比較して数%小さいが,ヤング率が[100]方向の方が[001]方向よりも大きいという測定結果は,Jiangら86)の結果と一致していると報告している。Alkorta and Sevillano28)はまだら鋳鉄を使って,セメンタイトの弾性定数の結晶方位異方性を調べた。セメンタイトの方位を電子線後方散乱回折法(electron back scattering diffraction: EBSD)で測定し,ナノインデンテーション法を使って,indentation modulus(圧子と試料の複合ヤング率)を測定した。その結果,測定されたindentation modulusの最大値は[100]方位で322 GPa,最小値は[011]方位で184 GPaであり,セメンタイトの結晶方位によって2倍近く変化することを見いだした。次に,Jiangら86)が第一原理計算で求めたCijを使ってヤング率を計算し,ヤング率の最大値は[101]の付近で317 GPa,最小値は[011]で55.4 GPaである事を示した。Alkorta and Sevillano28)はさらにJiangらが計算で求めたCijの値を使って各方位のindentation modulusを有限要素法で計算し実測値と比較した。その結果,実測のindentation modulusの結晶方位による相違は計算で求めたindentation modulusの相違よりも小さく,セメンタイトの結晶方位異方性は第一原理計算で示されたほどには大きくないと結論している。

4. セメンタイトの弾性定数と第一原理計算

4・1 セメンタイトと第一原理計算

第一原理計算の普及に伴って,セメンタイトにおいても2002年頃から第一原理計算を使った研究が行われるようになった。セメンタイトは大きな単結晶の育成が困難なため,これまで単結晶の弾性定数などは測定されていない。また地球物理学の分野では地球の内核に相当する高圧での研究が困難であることから,第一原理計算による研究が行われている。第一原理計算を使ったセメンタイトの初期の研究では,結合状態,生成エネルギー,焼戻し中のη炭化物やχ炭化物との比較,表面エネルギーの計算などが行われた1)。単結晶セメンタイトの弾性スティフネス定数Cijの最初の計算は2008年にJiangら86)によって行われ,その後多くの研究がなされている。ここでは力学特性に関する研究に絞ってこれまでの研究をまとめた。

第一原理計算で弾性定数を求める方法は大きく分けて2つある。状態方程式を使って体積弾性率BFを求める方法と単結晶のCijを求める方法である。状態方程式を使う方法は系の全エネルギーEtotの単位胞体積Vによる変化,またはEtotの体積微分で得られる圧力PVの関係から,状態方程式を使ってBFを求める方法である。この方法を使った地球物理学者による多くの研究がある。もう1つの単結晶のCijを計算する方法は4・3で述べるが,Cijを使って弾性定数の結晶方位異方性の議論が可能である。またCijを使って平均化の手法により等方性多結晶体の弾性定数を計算する事ができ,実測値との比較が可能となる。以下ではまずセメンタイトの弾性定数を求めるこれら2つの方法について紹介する。

4・2 状態方程式を使って求めたセメンタイトの体積弾性率BF

第一原理計算で単位胞体積Vを変化させた時のEtotを計算し,状態方程式を使って体積弾性率BFを求めることができる。状態方程式としては以下の3階のバーチ・マーナハン(Birch-Murnaghan)の式44,62,63)が最もよく使われる。

  
E t o t = E 0 + 3 2 V 0 B 0 F [ 3 4 ( 1 + 2 η ) χ 4 η 2 χ 6 3 2 ( 1 + η ) χ 2 + 1 2 ( η + 3 2 ) ] (2)

ここでE0は平衡格子定数での系の全エネルギー,χηはそれぞれχ=(V/V0)1/3,η=(3-(3B0F/4)),B0Fは0 K, 0 GPaでのBF,B’0FB0Fの圧力の一次微分(=∂B0F/P)である。圧力がかかった状態を想定してVを種々に変化させた時のEtotを求め,式(2)EtotVを代入し,式の左辺と右辺の差が最小となるB0Fとその圧力依存項B’0Fを求める。また∂Etot/∂Vから求めたPVの関係を表す式(1)と同様の式を使ってもB0FB’0Fが計算できる。この方法はセメンタイトの体積弾性率を第一原理計算で求める方法として,多くの研究者により試みられている44,8794)。これまでに報告されているB0F, B’0F, V0の値,使用された状態方程式(EOS),圧力や体積の範囲をまとめてTable 644,8694)に示す。セメンタイトは室温では強磁性であるが,高圧下では非磁性となるためTable 6では強磁性(FM)状態と非磁性(NM)状態に分けて載せている。(磁性の表現は論文で異なるが,強磁性の表現としてはferromagneticとspin polarizedが,非磁性ではnon-magneticとspin non-polarizedの表現が使われている。)Table 6からわかるようにB0F値は強磁性では200 GPa前後であるが,非磁性では300 GPa前後と約100 GPa大きい。Table 4に示した室温でのB0P値はFM(162-179 GPa),PM(190-199 GPa),NM(288-290 GPa)である。第一原理計算は温度0 Kでの値であり,実測値は室温での値であるので,両者をそのままでは比較できないが,強磁性と非磁性の差が約100 MPaである点など,両者は比較的良い一致を示している。

Table 6. Compilation of bulk modulus B0F (GPa) and pressure derivative of the bulk modulus B’0F under zero pressure and at 0 K obtained from first-principles calculations by different authors in chronological order44,86-94).
Reference Magnetic state Bulk modulus
B0F (GPa)
B’0F
(=∂B0F/∂P)
Unit cell volume
V03)
EOS Data Range of P or V
Vocadlo et al.87) FM 173.02 5.79 153.25 BM E-V 100<V<176.5 Å3
FM 228.55 5.36 153.04 BM E-V 144<V<176.5 Å3
Chiou and Carter88) FM 142 4.60 154.54 BM E-V
Huang et al.89) FM 212 4.5 152 BM E-V
Faraoun et al.90) FM 235.13 BM E-V 132<V<163 Å3
Jiang et al.86) FM 204 BM E-V 0<P<30 GPa,
FM 223 BM E-V -3<P<6 GPa
Henriksson91) FM 234 4.0 151.95 B E-V
Jang et al.92) FM 226.84 152.20 BM E-V 140<V<168 Å3
Nisar and Shuja93) FM 183.9 4.8 150.7 BM E-V P<73 GPa
Pc=32-38 GPa
Ono and Mibe44) FM 216.5 4.15 BM P-V P≤35 GPa
FM 227.7 3.36 BM E-V P≤35 GPa
Mookherjee94) FM 182.6 6.0 151.62 VR P-V 100<V<160 Å3
FM 184.0 5.6 151.75 BM E-V
Vocadlo et al.87) NM 316.62 4.30 143.49 BM E-V 80<V<155.0 Å3
Huang et al.89) NM 322.0 3.7 144.00 BM E-V
Jang et al.92) NM 319.7 143.27 BM E-V 140<V<168 Å3
Nisar and Shuja93) NM 297.3 4.9 142.9 BM E-V
Ono and Mibe44) NM 315.5 4.37 BM P-V P≤400 GPa
Mookherjee94) NM 297.0 4.9 143.26 VR P-V 90<V<160 Å3, 0<P<400 GPa
NM 303.6 4.5 143.35 BM E-V 90<V<160 Å3

FM: Ferromagnetic, NM: Non-magnetic, BM: Birch-Murnaghan equation of state, B: Birch equation of state, VR: Vinet-Rydberg equation of state, E-V: from energy-volume data (energy-strain), P-V: from pressure-volume data (stress-strain), Pc: critical pressure to induce magnetic transition (high spin to low spin).

4・3 単結晶セメンタイトの弾性定数

固体に小さな力を加えたとき,生じる応力σとひずみεの間には,フックの法則

  
σ = M ε (3)

が成立する。ここで,Mは弾性定数である。より一般的には6個の応力成分σiと6個のひずみ成分εiを用いて,

  
σ i = i c i j ε j (4)

と書かれる。ここでCijは弾性スティフネス定数であり,独立な定数の数はセメンタイトの結晶構造である直方晶(旧斜方晶)では9つである。直方晶の一般的なフックの法則はVoigtの規約に従い下記の様に表記される。

ここでσiτiはそれぞれ垂直応力と剪断応力であり,εiγiはそれぞれ垂直歪と剪断歪である。

第一原理計算により単結晶の弾性定数を求める方法には,(1)energy-strain法,(2)stress-strain法,(3)phonon法,の3つがある。energy-strain法は,単位体積当たりの全エネルギーで定義されるenergy densityの1階微分を適当な歪みの関数として求める方法である。第一原理計算により全エネルギーを求めれば弾性定数も求まる。すなわち,全エネルギーはCijと歪みを用いて表されるが,適当なセメンタイト格子に単純引張やせん断変形を与えてエネルギー変化を計算するとCijが計算できる。stress-strain法は,歪みに関して応力の1階微分を求める方法である。phonon法は,適当なwave vectorに関してフォノンブランチの1階微分を求める方法である。Jiangら86)はenergy-strain法よりstress-strain法の方が効率的であり,両者の結果はよく一致すると述べている。Ghosh59)は3つの方法の中でstress-strain法が最も計算時間が短く,計算コストがかからないと述べている。

第一原理計算で求めたセメンタイトの9つの独立なCijの値とその計算方法,Cijから計算された多結晶体の弾性定数をTable 759,86,91,9498)に示す(Table 7中のGhosh59)C66は元論文では30(GPa)と表記されているが,著者に確認したところ130(GPa)の誤りとのことであった。C66が130 GPaであれば文献59)のGなどの値が再現できることから,本レビューでは130(GPa)と記載した。)。Table 7に示すCijの値は文献94)のみ非磁性状態での値であり,他の文献値よりも大きい。文献94)を除いた強磁性状態のセメンタイトのCijの値を研究者間で比較すると,C44以外は比較的近い値であり,±17%の範囲にある。C44は他のCijと比較して極めて小さな値であり,数値は論文によって大きく異なっている。

Table 7. Compilation of elastic moduli (GPa) under zero pressure and at 0 K obtained from first-principles calculations by different authors in chronological order59,86,91,94-98).
Reference C11 C22 C33 C12 C23 C13 C44 C55 C66 E G BC ν Method
Jiang et al.86) 388 345 322 156 162 164 15 134 134 194 72 224 0.355 E-S, relaxed
395 347 325 158 163 169 18 134 135 203 75 227 0.351 S-S, relaxed
413 412 378 154 170 167 82 136 140 302* 117* 243* 0.293* E-S, unrelaxed
417 416 381 157 174 171 82 136 140 303* 117* 246* 0.295* S-S, unrelaxed
384 325 283 26 134 125 Phonon
Nikolussi et al.95) 385 341 316 157 167 162 13 131 131 184* 67.5 223.5 0.363* S-S, relaxed
Henriksson et al.91) 394 412 360 157 166 146 83 133 136 296* 115* 233* 0.288* E-S, unrelaxed
Lv et al.96) 393 340 319 144 149 141 -60 145 118 213 S-S, relaxed
Mookherjee94) 480 443 480 237 188 236 -6 149 153 177** 63.0 301.0 0.402** S-S
non-magnetic
Ghosh59) 375 339 298 161 172 144 13 132 130*** 183 67 218 0.360 S-S
Huang97) 410 410 376 152 170 164 20 136 140 226* 84* 241* 0.344* E-S
Mauger98) 315 321 299 136 175 131 24 142 138 221* 84* 202* 0.317* self-consistent
319 321 298 26 140 139 Phonon
383 344 300 162 162 156 28 134 135 219* 82* 220* 0.334* S-S
Fe2CrC59) 421 341 387 125 163 164 14 128 153 219 82 227 0.339
Fe2MnC97) 402 418 398 165 168 155 68 154 99 284* 109* 244* 0.306*

The listed values are in the ferromagnetic state unless otherwise noted.

‘E-S’ and ‘S-S’ denote that elastic constants were calculated from energy-strain and stress-strain relationships. ‘relaxed’: the unit cell volume and shape as well as all internal atomic positions are relaxed to their energetically more favorable lattice positions after the unit cell shape is deformed. ‘unrelaxed’: internal atomic positions were “frozen” at their zero-strain equilibrium values after the unit cell shape is deformed. Self-consistent method is a method which solves for the elastic constants of a system by direct comparison to calculated phonon frequencies at low wave vector generated from density functional theory force constant calculations.

* Calculated by the present authors using the elastic stiffnesses Cij listed in this table. Bulk modulus B and shear modulus G for polycrystalline values are calculated by Hill average: BH=(BR+BV)/2 and GH=(GR+GV)/2, where the subscripts H, V and R represent the Hill, Voigt and Reuss approximations, respectively, as explained later in 4.5. Young’s modulus E and Poisson’s ratio v for polycrystalline values are calculated using the formula E=9GB/(G+3B) and v=(3B−2G) / (3B+G)/2.

** Calculated by the present authors using the reported B and G.

*** We confirmed by contacting the author that the value 30 (GPa) of C66 written in Table II of Ref.59 is an error of 130.

結晶が弾性的に安定であるかどうかは,下記を満足するかどうかで判断できる99)

  
C 11 > 0 , C 22 > 0 , C 33 > 0 , C 44 > 0 , C 55 > 0 , C 66 > 0 ( C 11 + C 22 2 C 12 ) > 0 ( C 11 + C 33 2 C 13 ) > 0 ( C 22 + C 33 2 C 23 ) > 0 ( C 11 + C 22 + C 33 + 2 C 12 + 2 C 13 + 2 C 23 ) > 0 (6)
.

この判断に従えば,文献94,96)のC44は負であり,弾性的な安定条件を満足していない。

4・4 単結晶セメンタイトの弾性定数の結晶方位異方性

単結晶のCijが求まると,結晶方位異方性の議論が可能となる。以下では各弾性定数それぞれについて,結晶方位異方性をみていく。

単結晶セメンタイトの任意の方向のヤング率は次式で計算できる100)

  
1 E = s 11 l 1 4 + s 22 l 2 4 + s 33 l 3 4 + ( 2 s 12 + s 66 ) l 1 2 l 2 2 + ( 2 s 23 + s 44 ) l 2 2 l 3 2 + ( 2 s 13 + s 55 ) l 1 2 l 3 2 (7)

ここでsijは弾性コンプライアンス定数であり,liは方向余弦である。Ghosh59)は第一原理計算で求めたCijから計算した各結晶方位のヤング率をTable 8 の様に報告している。これによると軸方向でのヤング率の大きさはE100>E010>E001の順である*3。この結果をKooら35)がラメラセメンタイトで測定した[100]と[001]方向のヤング率262 GPa,213 GPaと比較すると,絶対値は異なるがE100E001より大きい点は一致している。Ghosh59)が第一原理計算により求めたCijを使って作図したヤング率のステレオ投影図1)によると,ヤング率の最大値は[100]と[101]の間にあり,最小値は[011]付近にある。同様にJiangら86)が第一原理計算により求めたCijを使ってAlkortaらが計算したヤング率のステレオ投影図28)によると,ヤング率の最大値は317 GPa で,[100]と[101]の間にあり, 最小値は55.4 GPa で[011]付近にある。これら2つのステレオ投影図を比較すると,ヤング率の絶対値は多少異なるが傾向は一致している。

*3 文献59)のFig.3に各結晶方位のヤング率が図示されているが,縦軸と横軸を誤って逆に表示しているので注意が必要である。

Table 8. Calculated Young’s modulus (GPa) of cementite along different crystallographic directions (Ehkl) by first-principles calculations59).
E100 E010 E001 E110 E011 E101 E111
280.3 220.1 197.7 304.9 49.4 298.8 85.2

体積弾性率の異方性に関しては,Litasovら64)は第一原理計算で求めたCijを使って,各結晶軸方向のBの値を報告している。それによるとBC(a軸)(=195 GPa)> BC(b軸)(=186 GPa)> BC(c軸)(=163 GPa)の順に小さくなる。Ghosh59)も同様にCijから各結晶軸方向の体積弾性率の値を計算しているが,その大きさの順はBC(b軸)> BC(a軸)> BC(c軸)であった。BC(c軸)が最も小さい点で両者は一致しているがBC(a軸)とBC(b軸)の順番は異なる。X線回折で格子定数の圧力変化を測定した実験結果38,44,64)と比較すると,報告されている3つの結果はどれも格子定数の減少率はBP(c軸)> BP(b軸)> BP(a軸)の順で小さくなる(代表的な例をFig.2に示す)。圧力の増加に伴う格子定数の減少率が大きい軸方向では,体積弾性率の値が小さい事を意味し,Litasovら64)が示したBC(a軸)> BC(b軸)> BC(c軸)と一致する。高圧実験ではc軸の減少率が顕著であり,この点は参考文献64)と59)共にBC(c軸)がBC(a軸)やBC(b軸)と比べて明らかに小さい事と一致している。

剛性率の異方性に関して,C44C55C66と比較して小さいという結果が多い。Nikolussiら95)は第一原理計算を使って計算したセメンタイトのC44C55C66と比較して1/10と非常に小さいことを見いだした。彼らはその事をα-Fe基板上に成長させたセメンタイト層を使った実験で確かめる事を試みた。セメンタイト層にはα-Fe基板との熱膨張差に起因した圧縮残留応力があり,それによるセメンタイトの原子面間隔の収縮率をX線回折により測定した。その結果,原子面間隔の収縮率は面指数によって異なり,k, lが大きな(hkl)面,例えば(123),(122),(031)で収縮率が大きい事を見いだした。第一原理計算で求めたCijを使って計算した各原子面の収縮率と実測値が概ね一致したことから,この実験結果は実際のセメンタイトにおいてもC44が小さい事を支持していると主張している。

一方,C55C66と比較してC44が小さいと,すべりが臨界分解剪断応力と剛性率の比が最も大きくなる(010)[001]系で起こると予想される28)。しかし,実際に観察されているすべり系の頻度は(010)[100]>(001)[100]>(100)[010]>{101}の順82)であり,(010)[001]すべりの観察は見当たらない。以上のようにC44が極端に小さいことについては疑問が残る。第一原理計算で異常に小さなC44が得られている解釈としてBhadeshia1)は,C44が原子の位置に敏感で,温度に依ってC44が大きく変化し,室温のC44は0 Kで計算されたもの程小さくない可能性があることを指摘している。

単結晶セメンタイトの各軸方向のポアソン比νij(iは引張方向を,jは引張方向に垂直な方向を指す)がGhosh59)により計算されている。それによるとセメンタイトのνijν23が最も大きく0.4536,ν31が最も小さく0.2087である。注意すべきはνijνjiである点である。

純鉄単結晶にも結晶方位異方性は存在する。純鉄は立方晶系であり,3つの独立したCijが存在する。測定されている純鉄単結晶のCijの値はC11=230, C12=134, C44=116 GPa(300 K)101)である。これらの値から各結晶方位のE, G, B,νが計算できる。Eは[100]方向で小さく,[111]方向で大きい(E100=141.3 GPa, E111=293.0 GPa)。Gは逆に[100]方向で大きく,[111]方向で小さい(G100=120.75 GPa, G111=64.08 GPa)。νにも異方性があり,[100]方向で大きく,[111]方向で小さい(ν100=0.3667, ν111=0.2129)。第一原理計算で求めたセメンタイトのヤング率は方位に依って5倍以上異なる28)が,純鉄でのそれは2倍程度であり,セメンタイトの弾性定数の異方性は純鉄のそれより大きい可能性がある。

4・5 単結晶セメンタイトの弾性定数から計算された多結晶の弾性定数と合金元素の影響

単結晶のCijから等方性多結晶体の弾性率を見積もることができる。その方法にはVoigt(フォークト)の方法102),Reuss(ロイス)の方法103),それらを平均化したHillの方法104)などがある。Voigtモデルでは各結晶が同一の歪み状態にあると仮定し,Reussモデルでは各結晶が同一の応力状態にあると仮定するものである。VoigtとReussのモデルではBGはそれぞれ次式で与えられる105)

  
B V = 1 / 9 ( C 11 + C 22 + C 33 ) + 2 / 9 ( C 12 + C 13 + C 23 ) G V = 1 / 15 ( C 11 + C 22 + C 23 ) 1 / 15 ( C 12 + C 13 + C 23 ) + 1 / 5 ( C 44 + C 55 + C 66 ) 1 / B R = ( s 11 + s 22 + s 33 ) + 2 ( s 12 + s 13 + s 23 ) 1 / G R = 4 / 15 ( s 11 + s 22 + s 23 ) 4 / 15 ( s 12 + s 13 + s 23 ) + 3 / 15 ( s 44 + s 55 + s 66 )   (8)

ここで,添字の‘V’と‘R’はVoigtとReussモデルを表している。Hill104)は,Reuss法は下限値を,Voigt法は上限値を与えることを示した。そして,両者の平均値が真の値に最も近いとした。

  
B H = 1 / 2 ( B V + B R ) G H = 1 / 2 ( G V + G R ) (9)

その他の弾性定数であるEνBGを用いて次式で計算できる。

  
E = 9 G B / ( G + 3 B ) ν = ( 3 B 2 G ) / ( 3 B + G ) / 2 (10)

Table 7の右の欄にはHillの方法で計算した多結晶の弾性定数を示している。(*を付けた値は著者らが計算)ReussとVoigtモデルで計算した値を比較すると,BVBRの値の差は研究者に依らず0.5%以下であるが,GVGRの値の差は大きく,50%近い場合もある。これはBには垂直応力がGには剪断応力が関与しているからと考えられる。特にC44が小さな値の場合ほど,GVGRの値の差が大きい。Hillの方法で計算した多結晶の4つの弾性定数について研究者間でのバラツキの大きさを比較してみた。各弾性定数についてTable 7のun-relaxed, C44がマイナス,non-magneticを除く7個のデータを使って強磁性状態の0 Kでの平均値と標準偏差を計算すると[E]=204±17 GPa,[G]=76±7 GPa,[BC]=222±11 GPa,[ν]=0.346±0.015となり,変動係数はBCνの方がEGと比べて小さい。これは剪断応力,特にC44の大きさが研究者によって異なることに起因していると考えられる。第一原理計算で求めた強磁性状態の体積弾性率について比較すると,[B0F]=205±27 GPaであり,[BC]=222±11 GPaであった。[BC]の方が[B0F]より約8%大きく,変動係数は半分以下であった。これらの理由はCijを計算する時に使った歪みの大きさが,式(2)を使ってB0Fを求めた場合より小さく,歪みと応力が線形に近かったためと考えられる。

第一原理計算を使って単結晶セメンタイトの弾性定数に対する合金元素の影響が検討されている59,97)。Ghosh59)はFeの一部をCrで置き換えたFe2CrCについて,Huangら97)はFeの一部をMnで置き換えたFe2MnCについてCijを計算している。それらの値をTable 7の下段に示す。Cijと多結晶の弾性定数に対する合金元素の影響については計算例が少なく,現状では明らかな傾向は認められない。また,Ghosh59)はFe3Cとセメンタイト構造のM3C(M=Cr, Mn, Mo, V, etc.)のヤング率を第一原理計算で求めた。合金セメンタイトのヤング率をFe3CとM3Cのヤング率の直線的内挿で与えられると仮定すると,セメンタイトのヤング率の増加に対する合金元素の順はCr > Mn > V > Moとなるとしている。これはUmemotoら70)が合金元素量20%以下の実験で観察したヤング率を増加させる合金元素の順V > Cr > Mn ≈ Moとは少し異なる。

4・6 第一原理計算の結果の研究者間のバラツキおよび第一原理計算と実測値との比較

以上述べたように,第一原理計算の結果には研究者間のバラツキがあり,実測値との差が存在する。以下ではセメンタイトにおける第一原理計算のバラツキの原因を考察し,実測値との差を検討する。

第一原理計算は「何ら実験結果に依らない」事を原則としているが,現状では「誰が計算しても同じ結果」にはならない。その主たる理由は使用する計算手法とソフトウェアや計算条件の違いである。一般的には第一原理計算とは密度汎関数理論に基づくものを指す場合が多く,この理論では基底状態の電子系の全エネルギーは電子密度の汎関数で記述される106)。電子間の複雑な相互作用を表す交換相関項として局所密度近似(Local-Density Approximation: LDA)や一般化密度勾配近似(Generalized Gradient Approximation: GGA)などが用いられる106)。鉄の場合,LDAでは最安定相がbccにならないという致命的な問題があったが,GGAでは鉄の最安定相がbccになったので最近ではGGAによる計算が主流となっている86)。また,金属や化合物などの全エネルギーを算出するためには,価電子のみを取り扱い内殻電子の部分は適当な擬ポテンシャルで置き換える擬ポテンシャル法や,全電子を扱うFLAPW法などがある106)。計算条件としては,計算に用いる原子の数,k点の数(kは波数で2π/λ(λは波長)),打ち切りエネルギーなどがある。例えばTable 7に示したデータではFe 12個とC 4個の単位胞を用いる場合が多い。またJiangら86)はphonon法を用いる場合には128個の原子を含むスーパーセル(バルク固体のエネルギーを求めるには単位胞を整数倍に拡張した拡張単位胞(スーパーセル,supercell)を用いる。)を採用した。Table 7に示した単結晶のCijの計算において用いられたk点の数は27~1331個,打ち切りエネルギーは330~1000 eVの範囲であった。このように研究者によって広い範囲の計算条件が採用されているのはセメンタイト研究の特徴である。また,計算精度をどの程度にするか,また計算の収束条件をどの程度にするかは計算時間・計算コストとの兼ね合いもあるが,計算結果に違いをもたらす。以上のように電子密度勾配の近似や各種のパラメータ選択の結果,第一原理計算結果には必然的にある程度の相違が生まれる。

セメンタイトにおける第一原理計算の結果のばらつきを格子定数44,86,88,9093,95,96)と弾性定数(Table 6Table 7)で調査した。その結果,研究者間で格子定数のばらつきは1%以下であるが,弾性定数のばらつきは数%であった。一方,第一原理計算結果の実測値との相違は格子定数で1%以下であり,弾性定数では最大53%であった。(なお,以下に詳細を示すが計算値同士,或いは計算値と実測値の比較は各々の値の平均値を用いて行った。)一般的に第一原理計算では多くの金属に対して格子定数は実測値と数%程度の誤差で評価可能であるが,弾性定数はエネルギーのひずみでの数値微分値であるので,誤差が10%程度になることもある107109)とされている。これと比較してセメンタイトでは格子定数の実測値との差は他の金属より小さく,弾性定数の実測値との差は他の金属より大きい。

次に第一原理計算から求めた多結晶の4つの弾性定数の平均値と実測値との比較を行った。Table 7に示した第一原理計算から求めた多結晶の弾性定数の平均値([E]=204 GPa,[G]=76 GPa,[BC]=222 GPa,[ν]=0.346)とTable 3から求めた純セメンタイトの実測値の平均値([E]=186 GPa,[G]=75 GPa,[BE]=145 GPa,[ν]=0.279)を比較すると,第一原理計算の結果は4つの弾性定数とも実測値の平均値より大きく,特に第一原理計算から求めた[BC]値は実測値の平均値[BE]よりも53%も大きい。さらにUmemotoら57)が超音波測定から試料密度100%の場合に補正した弾性定数(E(100%)=189 GPa, G(100%)=74 GPa, B(100%)=159 GPa, ν(100%)=0.301)と比較しても,第一原理計算の値の方が4つの弾性定数とも大きい。次に体積弾性率について第一原理計算で求めたCijから計算した場合の[BC]値と高圧実験で得られた[B0P]値を比較すると,[BC]=222±12 GPa, [B0P]=173±5.2 GPaであるので,[BC]の方が[B0P]より28%大きい。第一原理計算の結果が実測値より大きかった理由については温度の違い,つまり実測値が室温であるのに対して,第一原理計算では0 Kの値であることが考えられるが,セメンタイトの体積弾性率は0 Kから温度が上がると増加するというNRIXSによる実験98)もあり,今後検討を要する。

5. おわりに

セメンタイトは炭素鋼や鋳鉄の基本的な構成相として大量に使用されてきた。また地球の内核の有力な候補物質でもあり,地球物理学者の関心を集めている。しかし,セメンタイトは熱力学的に準安定であるため,セメンタイト単相で欠陥の無い大きな試料の作製が困難である。そのため多くの研究者が試料の作製と特性の測定方法に工夫を重ねてきた。セメンタイトの研究ではさまざまな製法で作製されたさまざまな形状のセメンタイト試料が使用され,試料に合わせて種々の測定方法が使われてきた。また磁気変態,結晶方位異方性,合金元素の影響などでセメンタイト自身の特性が大きく変化することも測定データに大きな幅が生まれる原因となっている。本稿では試料の作製方法,特性の測定方法,合金元素の有無などを確認し,報告されている実測のデータを整理し,現時点で最も信頼できると考えられるデータをTable 1にまとめた。今後はこれらの要因に注意を払い,これまで以上に系統的な研究が行われることが期待される。また,セメンタイト単結晶の試料作製が達成されていない現状では,第一原理計算による理論データに期待が集まる。近年セメンタイト単結晶の弾性定数が第一原理計算で求められており,得られたデータの傾向が実測値に近い事が認められている。しかし,第一原理計算で得られたデータは単結晶で温度が絶対零度でゼロ気圧であるのに対して,実測値のデータは多結晶で常温常圧であるため,両者を直接比較することは出来ない。また両者の厳密な比較を詳細に行うには,セメンタイトの弾性定数の測定に供する試料として,セメンタイト単相で出来るだけ大きなもの,不純物の極力少ないもの,焼結体であればできる限り真密度に近いものを準備し,測定方法として測定値のばらつきの小さいものを選ぶことで,実測値のばらつきを可能な限り小さくする工夫が必要である。今後,セメンタイト試料の作製に適した非平衡プロセスが開発されて,より大きな単結晶が作製され,弾性定数,結晶方位異方性,温度や合金元素の影響などが実験により系統的に解明されることが望まれる。

セメンタイトは鉄と炭素という資源的に豊富で,安価で毒性の無い物質でできているので,その重要性は今後も変わらないであろう。我々の身近で今後も間違いなく利用され続けるとともに,鉄鋼材料学のみならず地球物理学や宇宙物理学の分野でも興味の対象であり続けるであろう。本稿がセメンタイトを勉強する人の助けになれば幸いである。

記 号

B:体積弾性率(材料や求めた方法を限定せず一般的な意味で使う場合)

BC:第一原理計算で求めたCijから計算した体積弾性率(0 K, 0 GPa)

BE:振動や弾性波実験から測定した体積弾性率(常温,常圧)

BF:第一原理計算と状態方程式から計算した体積弾性率

B0F:0 K, 0 GPaでのBF

BP:圧力による体積変化の実験と状態方程式から求めた体積弾性率

B0P:常温,常圧でのBP

B0F:B0Fの圧力の一次微分(=∂B0F/P)

B0P:B0Pの圧力の一次微分(=∂B0P/P)

Cij:弾性スティフネス定数

E:ヤング率

Etot:系の全エネルギー

E0:平衡格子定数での系の全エネルギー

G:剛性率

P:圧力

sij:弾性コンプライアンス定数

TC:キュリー点

V0:平衡格子定数での系の体積

VL:縦波の速度

VS:橫波の速度

VD:デバイ音速

β:熱軟化係数

ν:ポアソン比

ρ:密度

[E]:Eの平均値(±標準偏差)(G, B, νについても同様)

文献
 
© 2021 The Iron and Steel Institute of Japan

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https://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/4.0/
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