2022 Volume 108 Issue 10 Pages 751-761
Hall-Petch slopes for each grain boundary of Fe-based alloys were measured by nanoindentation tests. Pop-in phenomenon was observed in a load-displacement curve during nanoindentation near a grain boundary, associated with a slip transfer across the boundary. A critical stress at which pop-in phenomenon takes place and a distance between the grain boundary and the indentations satisfied the Hall-Petch relationship. The Hall-Petch slope depended on alloying element and its amount, which is closely related to a segregation of the element at grain boundaries. The slope also varied with the type of grain boundary. The combination of activated slip systems in neighboring grains strongly influenced the slope.
多結晶において,結晶粒界は転位の運動を抑制し,有効な変形抵抗となりうる。このため,巨大歪加工等を利用した結晶粒微細化による構造材料の高強度化が盛んに行われてきた1)。多結晶の変形と結晶粒界との関係を表す式としては,Hall-Petch則がよく知られている2–4)。
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ここで,dは平均結晶粒径,σ0は定数,kはHall-Petch係数である。これらパラメーターの中で,kは粒界の変形抵抗を表す指標であり,多結晶に対して引張/圧縮試験またはビッカース硬さ試験を行うことによって実験的に求めることができる4,5)。しかしながら,粒界個々の変形抵抗は,相対方位関係,粒界方位差,粒界面等に依存して変化するはずである。一方,多結晶の引張試験等で得られるkは,多数の結晶粒界の平均値であり,粒界個々の変形抵抗を評価することはできない。試料内に結晶粒界が1つしかない双結晶を用いれば,粒界における変形の伝播挙動を捉えることは可能である。Livingston and Chalmers6)は,双結晶を用いた研究を行い,粒界近傍では,隣接粒からの変形の伝播に伴い,荷重軸に対するシュミット因子が必ずしも高くないすべり系が活動することを見い出した。さらに,隣接粒により誘起されるすべり系について,応力伝達係数を用いて予測することが可能であることも示している。しかし,こうした双結晶の場合でも,粒界を介した変形の伝播挙動を捉えることはできても,粒界における変形抵抗を応力増加などの定量的な指標で評価することはできない。
ナノインデンテーション法は,局所領域の硬さならびにヤング率の測定が可能であることから,急速に普及が進んでいる7)。さらに,ナノインデンテーション法の圧痕は1 μm以下の場合もあり,ビッカース硬さ試験のそれと比べ極めて小さいため,既存転位の影響を受けにくい転位源としても利用可能である。近年,この性質に注目し,ナノインデンテーション法を用いて粒界近傍の変形挙動を捉える試みがなされている8–17)。例えば,Ohmuraら12)は粒界直上に押し込みを行うと,粒内の場合と比べ,より低荷重でpop-inと呼ばれるひずみバースト現象が生じることを発見している。また,その原因について,粒界の転位源が低応力でも活性化されるためとしている。一方,粒界近傍にナノインデンテーションを行うと,硬さが増加する場合もあれば,ほとんど変わらない場合もあることが知られている8,10)。Soerら11)は,Fe-14wt.%Si合金双結晶の粒界近傍にナノインデンテーションを行うと,粒界での変形の伝播に伴うpop-in現象が生じることを明らかにしている。こうした粒界近傍におけるpop-in現象は,Nb9),Fe-C14)等でも観察されている。さらに,pop-in時の荷重から算出した応力と,粒界と圧痕との距離との間に,Hall-Petch則が成立することを見出している11)。したがって,同手法を用いれば,粒界個々のkを求めることが可能である。このため,同手法は実験的11,16)あるいは理論的に13,15)検証が進められてきたが,いまだ普及していない17)。その原因は,同手法の適用例が未だ不足しているためである。そこで,本研究では,bcc-Feに対して少量のAl,Si,P,V,Mn,Ni,Mo,Snを添加した合金に対して粒界近傍のナノインデンテーション試験を実施し,粒界個々のkを評価することを目的とした。さらに,kに及ぼす添加元素の種類,濃度,粒界におけるすべりの連続性の影響を解明することを目的とした。
電解鉄(アトミロンMP,純度99.95%以上,C: 6 mass ppm,O: 90 mass ppm,N: 5 mass ppm)をベースとして,高純度のAl(2,6,8,10at.%),Si(2,6,8at.%),P(0.1,0.5,1at.%),V(2,6at.%),Mn(2at.%),Ni(2at.%),Mo(2at.%),Sn(0.8at.%)を添加した2元系希薄合金をアーク溶解により溶製した(以下,Fe-2Alのように表記する)。各添加元素のカッコ内は添加量を示している。なお,Pについては,Fe3Pを用いて所定量添加した。粒界近傍にナノインデンテーション試験を実施する場合,粒界が試料表面に対してedge-onになる方が望ましい。その理由は,粒界面が試料表面に直交していないと,押し込みの途中で,圧子が傾いた粒界に接触するためである。そこで,試料厚さを0.8 mmと薄くするとともに,結晶粒の粗大化処理を施すことで,結晶粒界が試料を貫通するよう調整した。ただし,高温側にオーステナイト領域が存在する合金系では,歪焼鈍法または徐冷により結晶粒の粗大化を促進させた。具体的には,純Feでは,1300°C 48 hで熱処理後100°C/h以下で徐冷し,圧延が困難なFe-P合金では,900°C 96 hで焼鈍を行った。それら以外の合金については,800°C80%熱間圧延,80%冷間圧延,750~800°C 2 h再結晶処理後,(i) 歪焼鈍:4%スキンパス圧延後750~900°C 24 h~120 h焼鈍(Fe-2Si,Fe-2~10Al,Fe-0.8Sn,Fe-2Mo,Fe-2Ni,Fe-2V),(ii) 徐冷:1200°C~800°Cまで20°C/h以下で徐冷(Fe-2Mn),(iii) 高温熱処理: 1200°C 12~24 h(Fe-6,8Si,Fe-6V)を行った。上記の熱処理によりmmオーダーの結晶粒径を有し,結晶粒界が板厚0.8 mmの平板試料を貫通する粗大粒組織を得た。得られた試料について,耐水研磨紙およびダイヤモンドペーストで機械研磨を行ったのち,10%過塩素酸/90%酢酸溶液を用いて電解研磨を施した。Fe-6Siについては,粒界における電解研磨後の起伏をナノサーチ顕微鏡(オリンパス,LEXT(OLS3500))を用いて測定した。結晶粒の方位解析には,走査型電子顕微鏡(Scanning Electron Microscope: SEM,日本電子,JSM-6500F)による電子線後方散乱回折(Electron Backscatter Diffraction: EBSD,EDAX/TSL OIM)を用いた。ナノインデンテーション後の圧痕の観察には,光学顕微鏡またはSEMを用いた。
2・2 ナノインデンテーション試験粒界近傍のナノインデンテーション試験については,エリオニクスENT-1100aを用いた。サーマルドリフトを避けるために,装置のシールドケース内を26°Cに維持しつつ,最大押し込み荷重30 mN,荷重速度3 mN/s一定の条件でナノインデンテーション試験を行った。なお,Fig.1(a)に示すように,頂点の角度が65.03°のバーコビッチ圧子を使用しているため,圧子の接触面積Aと押し込み深さhとの関係は,以下のように表される。
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(a) Shape of Berkovich indenter. (b) Indentations near grain boundary.
ここで,Δhは圧子先端補正値である。この圧子先端補正については,fused silicaを標準試料として,澤-田中の方法を用いた18)。さらに,Δhが20 nm以上となった場合,低荷重での試験結果に影響が出るため,圧子を交換した。粒界近傍でのナノインデンテーション試験では,圧子の一辺が粒界と平行になるように向きを合わせたのち,粒界と圧子中央との距離Lが徐々に変化するよう測定位置をずらしながら押し込みを行った。その際,圧痕間の距離は,両者の相互作用がないよう20 μm以上に設定した(Fig.1(b))。さらに,試験後の組織観察により,圧子と段差を有する粒界がpop-in以前に接触したと懸念される場合は,そのデータを不採用とした。
2・3 引張試験2・1で得られたFe-2Siの降伏応力を調査するため,室温,大気中,初期ひずみ速度1.7×10-4 s-1の条件で引張試験を行った。
Fig.2に,Fe-6Siの粒界近傍のAtomic Force Microscopy(AFM)像(Fig.2(a), (c))を,結晶粒界を構成する結晶粒A,BのInverse Pole Figure(IPF)マップ(Fig.2(b))とともに示す。Fig.2(c)に示す高さプロファイルから,結晶粒界を境に150 nm程度の段差を生じてることがわかる。その原因は,電解研磨時の溶解速度が結晶粒ごとに異なるためと考えられる。高い方の結晶粒に押し込みを行うと,段差の分だけ結晶粒界の変形抵抗が生じなくなるため,本研究では必ず低い方の結晶粒に押し込みを行った。なお,結晶粒の高低は,ナノインデンテーション装置に付属のCCDカメラのピント合わせで簡単に識別できる。
(a) A height image of Fe-6Si alloy, taken by AFM. (b) An IPF map of grains A and B. (c) A height profile near a grain boundary between grains A and B. (Online version in color.)
Fig.3に,純Fe,Fe-2Si,Fe-8Siの結晶粒界近傍でナノインデンテーション試験を実施した場合の荷重-変位曲線を示す。なお,結晶粒界と圧痕中心との距離Lは各グラフ中に示している。純Fe(Fig.3(a))ならびにFe-8Si(Fig.3(c))では,負荷過程で滑らかに荷重が増加し,ひずみバースト現象であるpop-inは認められない。両者については,Lを如何に変化させても,pop-in現象は観察されなかった。ただし,純Feでは,粒内と粒界近傍での荷重-変位曲線がほぼ同じ形状であるのに対し,Fe-8Siでは,粒界近傍の方が粒内に比べ,負荷過程での荷重の増加率が高く,硬さも高い値を示す。一方で,Fe-2Siの場合は,Fig.3(b)に示すとおり,荷重が22 mN付近で歪が急増するpop-inが認められた。このpop-inは,粒内の荷重-変位曲線と比べると明らかである。以後,pop-inが生じる荷重を「pop-in荷重」と呼ぶ。一般に,結晶粒内でも降伏現象に対応するpop-in現象が生じるが,そのpop-in荷重は0.1 mN程度であることが知られている11)。したがって,Fe-2Siの粒界近傍で生じるpop-in現象は,粒内での降伏現象に由来するそれとは明らかに異なる。なお,今回,使用した装置では,粒内のpop-in現象は,分解能が不足しているため,明瞭には認められていない。また,Fe-2Siの粒界近傍での荷重-変位曲線は,pop-in後は粒内のそれに収束し,ほぼ同じ変位で荷重0となる。このことは,pop-inが生じる場合の硬さは,粒内,粒界近傍で変わらないため,粒界における変形抵抗の指標にはならないことを意味している。
Load-displacement curves of pure Fe (a), Fe-2Si (b) and Fe-8Si (c) alloys. (Online version in color.)
Fig.4に,Fe-10AlのIPFマップ(Fig.4(a)),ならびに,マップ中の結晶粒2-1間に存在する結晶粒界近傍で,結晶粒2に対してナノインデンテーション試験を実施した場合の荷重-変位曲線(Fig.4(b))を示す。荷重-変位曲線中にはpop-inが認められ,粒界と圧痕中心との距離Lの減少に伴い,pop-in荷重は減少した。そこで次に,pop-in荷重を式(2)に示す接触面積Aで割ったpop-in応力σpを計算した。得られたσpはLに依存するため,結晶粒界での変形の伝播と関係していると考えられる。そこで,σpとLとの関係をHall-Petch則を使って整理する。ここで,LとHall-Petch則における結晶粒径dとの対応関係について考える。Hall-Petch則では,結晶粒の中心から増殖した転位の結晶粒界へのpile-upを考える。一方,ナノインデンテーションでは,圧痕中心が転位源であるため,d=2 LとしてHall-Petchプロットを実施した。その結果,Fig.4(c)に示すとおり,σpとdとの間にはHall-Petch則が成立することが確認された。以後,本手法で得られるHall-Petch係数をkpと呼び,引張試験で得られるそれと区別する。以上のように,結晶粒界近傍のナノインデンテーション試験で,結晶粒界個々のkp,すなわち変形抵抗を求めることができることがわかった。なお,同手法で得られるkpの妥当性については,4章で考察する。なお,Fig.5に示すとおり,純Fe,Fe-8Si以外の合金では,適切なLにおいて,pop-in現象が観察されるとともに,pop-in荷重は,Lの減少とともに減少した。
(a) An IPF map of Fe-10Al alloy. (b) Load-displacement curves of Fe-10Al alloy near a grain boundary between grains 1 and 2. Indentations were done on grain 2. L is a distance between the grain boundary and the indentation. (c) Hall-Petch plot for Fe-10Al alloy near the grain boundary.
Load-displacement curves of Fe-6V (a), Fe-2Mo (b), Fe-2Mn (c), Fe-2Ni (d), Fe-1P (e) and Fe-0.8Sn (f) alloys.
Fig.6に,Fe-Al合金におけるkpのAl濃度依存性を示す。まず,同じAl濃度でもkpの値が大きく変動するが,これは,結晶粒界ごとにkが異なることを意味している。この点については,4章で詳しく考察する。しかしながら,各Al濃度におけるkpの平均値
Variation in kp and
Variation in
結晶粒界近傍のナノインデンテーションは,結晶粒界による変形抵抗の定量化に有効な手段であることは認識されていたものの,実施例が少なく,かつ,すべての合金で実施可能な実験ではなかったため,2005年から報告例はあったが,積極的に活用されることはなかった8–17)。さらに,Fe-Si11,16),Nb9)といった単一の金属・合金に対して実験が行われることが多く,複数の合金を対象とする系統的な研究がなかった。ただし,計算機シミュレーションならびに理論的考察によっても,ナノインデンテーションにより,結晶粒界での変形抵抗を評価可能であることが示唆されている13,15)。本研究では,8種類もの合金元素を添加したFe基二元系希薄合金について調査したことで,pop-in現象から得られるpop-in応力と,結晶粒界と圧痕中心との距離Lから得られるdとの間にHall-Petch則が再現性良く成立することを明らかにした。さらに,本手法は,引張試験等では実現しえない結晶粒界個々の変形抵抗を評価可能であることが示唆されている。
まず,pop-in現象が粒界における変形の伝播と関係しているかについて考察を行う。Wang and Ngan9)によれば,ナノインデンテーション圧子の押し込みより形成される塑性変形範囲は,圧子と試料表面の初期接触点を中心とした半径cの半球として表される(Fig.8(a))。さらに,cは以下の式で表されるとしている。
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A plastic zone caused by an indentation near a grain boundary; (a) before pop-in, (b) after pop-in. (c) Deviation angle from the initial orientations of the grains in Fe-2Si alloy. (Online version in color.)
ここで,Pは押し込み荷重,σyは降伏応力である。例えば,Fe-2Siでは,引張試験の結果から,σy=114 MPaとすると,押し込み荷重30 mNの場合で,c=11.21 μmとなる。pop-inが生じる場合,圧子と粒界との距離Lは数μmであるので,ナノインデンテーションによって形成される塑性域は粒界まで十分到達する(Fig.8(b))。さらに,塑性域の広がりを直視するため,Fe-2Siの粒界,圧痕を含む領域についてSEM-EBSD観察を行い,得られたデータについて,初期方位からのずれで整理した。その結果をFig.8(c)に示す。pop-inが生じていない場合,粒界を境に方位の変化がほとんど生じていないのに対し,pop-inが生じている場合は,隣接粒にも方位回転が認められる。なお,圧痕が隣接粒にも到達している場合があるが,pop-in時は粒界を越えていないことは確認している。このことは,pop-inが生じる場合,隣接粒まで塑性変形が伝播していることを直接的に示している。以上のように,ナノインデンテーションにおける高荷重域でのpop-in現象は,粒界での変形の伝播に由来することが強く示唆された。言い換えると,pop-in現象を利用したHall-Petchプロットによるkp値の評価が妥当であることが示されたといえる。一方,純FeならびにFe-8Siではpop-inが観察されなかった。純Feのkは0.15 MPa・m0.5(IF鋼のデータ19))と極めて低く,粒界での変形抵抗が小さいため,粒界を介して変形が伝播しても,pop-inのようなひずみバースト現象に繋がらなかったものと考えられる。実際,粒内と粒界近傍とで,荷重-変位曲線の形状はほとんど変わらない(Fig.3(a))。一方,Fe-8Siでは,粒界近傍の方が粒内と比べ,荷重の増加率が高く,硬さも高い値を示す(Fig.3(c))。以上のことから,Fe-8Siでは,粒界での変形抵抗が高いので,粒界近傍でのナノインデンテーションでは粒界を介して変形が伝播しなかったと考えられる。
4・2 Hall-Petch係数に及ぼす添加元素の影響次に,添加元素による
なお,Hall-Petchプロットを行うと,kpのみならず,式(1)のσ0も同時に得られる。例えば,Fe-2Alでは,σ0の平均値が0.994 GPa,Fe-1Pのそれは1.311 GPaとなった。PはAlよりもFeの固溶強化能が高いことが知られており32),この点は実験結果と矛盾しない。
一般に,金属材料のビッカース硬さは,引張強さの3倍程度であることが知られている。例えばFig.6に示すように,ナノインデンテーション法で得られるkpの値は,引張試験で得られるkよりも5~7倍程度の高い値を示した。一方で,kpはFeナノ多結晶のビッカース硬さ試験で得られるk値とは近い値を示している33)。その原因のひとつは,硬さの方が,引張試験で得られる引張強さより値が大きいためであると考えられる。ただし,kpがkの3倍というわけではなく,今後も検討が必要である。
本研究では,純FeならびにFe-8Si以外でpop-in現象が生じることで,結晶粒界における変形抵抗を評価できることが示唆された。ここで,炭素濃度の低いIF鋼のkは0.15 MPa・m0.5と極めて低いことが知られている27,34)。さらに,炭素の粒界偏析に由来して,kが炭素濃度の増加とともに増加することも報告されている27,34)。本研究で用いた純Feの炭素濃度は6 mass ppm であり,IF鋼のそれと同程度であることから,高純度Feの変形挙動に対する炭素の影響は小さいと考えられる。さらに,本研究で用いたFe系二元合金は,高純度Feに対して,同じく高純度の合金元素を微量添加しているので,その変形挙動に対する炭素の影響は小さいと考えている。ただし,IF鋼の炭素はTiやNbに固定されているため,その点は,今後,検討する必要がある。
4・3 Hall-Petch係数と結晶粒界でのすべりの連続性本研究で得られるkpは,合金組成のみならず,粒界方位差,粒界,相対方位関係等に当然依存すると考えられる。その原因は,粒界におけるすべり変形の伝播は,すべり系の連続性に依存するためである。粒界における変形の伝播の難易度を表す指標として,さまざまな因子が提案されているが17),本研究では,Livingston and Chalmers6)が提唱した応力伝達係数に着目した。Fig.9(a)において,隣接する結晶粒のすべり系の相対関係を考える。結晶粒i,jのあるすべり系のすべり面法線ベクトルをそれぞれei,ej,すべり方向ベクトルをそれぞれgi,gjとすると,すべり系間の応力伝達係数Nijは,以下の式(4)で表すことができる。
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(a) A schematic illustration of slip systems in grains i and j. (b) Variation in kp with N5×5 in Fe-2Si and Fe-6Si alloys. (Online version in color.)
なお,Nijの最大値は1であり,隣接する結晶粒のすべり面,すべり方向が完全一致した場合に得られる。bcc金属のすべり系を{101}<111>とすると,結晶粒ごとにすべり系は12種類存在する。多結晶では,一つの結晶粒内で単一のすべり系が活動するのではなく,複数のすべり系が活動する。例えば,von Mises35)は,多結晶体が均一に変形するためには,5種類のすべり系が活動する必要があるとしている。本研究では,簡略化のため,ナノインデンテーションを行った方の結晶粒(Fig.9(a)では結晶粒i)について,シュミット因子上位の5つのすべり系が活動すると仮定した。さらに,選択した5つのすべり系に対して,隣接する結晶粒(Fig.9(a)では結晶粒j)に存在する12個のすべり系に対して応力伝達係数を計算した。次に,結晶粒jで活動するすべり系については,応力伝達係数が上位の5つとした。最終的に,5×5(25)種類のすべり系の組み合わせについて,得られた応力伝達係数の平均N5×5を,粒界における変形の伝播抵抗の指標として計算した。Fig.9(b)に,Fe-Si合金について,kpとN5×5との関係を示す。Fe-Si合金では,kpとN5×5との間に強い相関が認められ,kpはN5×5の増加とともに減少した。したがって,N5×5が粒界における変形抵抗の指標として活用できる可能性が示された。Fig.10に,他の合金におけるkpとN5×5との関係を示す。ほとんどの合金では,kpとN5×5との間に相関がある。ただし,N5×5は万能の指標ではなく,例えば,Fe-2Al,Fe-2V,Fe-2Ni,Fe-0.1Pでは,kpとN5×5との間に相関は認められなかった。その原因として,bcc金属のすべり面は必ずしも{101}面とは限らず,{211}面や{123}面を初めとして,面法線が<111>に直交するさまざまなすべり面を選択しうる,いわゆるペンシルグライドになる場合がある。したがって,特に,低濃度の合金で,ペンシルグライドになる場合については,N5×5が粒界における変形抵抗の指標となりえないと考えられる。一方,Fe-6Siでは,すべり面が{101}に固執することが報告されているため,N5×5が変形抵抗の指標になりえると考えられる36,37)。さらに,このすべり面の{101}への固執により,隣接する結晶粒のすべり面がより連続性を失うことで,Fe-Si合金では,kpとN5×5との間に強い相関が生じると考えられる。なお,各結晶粒にて活動すべり系は,シュミット因子上位の5つとは限らず,外形変化を達成するためのすべり量を最小になるようなすべり系が選択されたり,活動するすべり系の数自体が5に満たない場合もありうる。したがって,粒界における変形抵抗の指標について,引き続き改善が必要である。その改善策の一例として,インデンテーションを行った結晶粒のすべり系を4つ,隣接粒で誘起されるすべり系を4つとした,4×4(16)種類のすべり系の組み合わせについて応力伝達係数を計算し,その平均N4×4を求めた。その理由について,ペンシルグライドであれば,すべり面が自由に選択できることで,活動すべり系の数が少なくて済むと考えたためである。なお,活動すべり系を3つに絞ると,relaxed Taylorモデルと同等となり38),拘束下での変形である硬さ試験とは矛盾すると考えて,N4×4を採用した。その結果,Fig.11に示すとおり,Fe-2V,Fe-0.1Pでは,kpはN4×4との間で強い相関が認められた。ただし,Fe-2Al,Fe-2Niでは,kpとN4×4との相関が認められなかったため,今後,さらなる調査が必要である。
Variation in kp with N5×5 in Fe-based alloys. (a) Fe-Al alloys. (b) Fe-V and Fe-Mo alloys. (c) Fe-Mn and Fe-Ni alloys. (d) Fe-P and Fe-Sn alloys. (Online version in color.)
Variation in kp with N4×4 in Fe-2V, Fe-0.1P, Fe-2Ni and Fe-2Al alloys. (Online version in color.)
なお,kpは粒界方位差や粒界面だけでは決まらないことも示唆されている。例えば,Fig.12に,Fe-8Al直方体試料の同じ粒界に対して,直交する2面からナノインデンテーションを実施した場合のkpをN5×5で整理した結果を示す。kpが粒界方位差や粒界面だけで決まるのであれば,押し込み面が変わってもkpは同じ値になるはずであるが,実際には押し込み面に依存する。なお,この場合でも,kpはN5×5の増加により減少した(Fig.12(b))。したがって,粒界での変形抵抗は,粒界方位差や粒界面で決まるのではなく,N5×5を初めとして,すべり系の連続性を考慮する必要があることが明らかとなった。
(a) An IPF map and a schematic illustration of a rectangular specimen. (b) Variation in kp with N5×5 in Fe-8Al alloy. Indentations were done on A and B planes. (Online version in color.)
粒界近傍へのナノインデンテーション試験により,Fe系合金粒界のHall-Petch係数を評価し,以下の知見を得た。
(1)純FeおよびFe-8Siを除く8種類(添加元素量を区別すると15種類)のFe系合金に対して,結晶粒界近傍にナノインデンテーション試験を行うと,荷重-変位曲線に,粒界での変形の伝播に伴うpop-inと呼ばれるひずみバースト現象が生じた。このひずみバースト現象を利用して,pop-in時の応力と粒界と圧痕中心との距離との間でHall-Petchプロットが可能となり,その傾きからHall-Petch係数kpを計算することが可能であった。
(2)ナノインデンテーション法により得られるHall-Petch係数kpは,添加元素の種類と量に強く依存した。例えば,各添加量におけるHall-Petch係数の平均値
(3)Hall-Petch係数kpは,添加元素の種類,量が同じでも,粒界個々に異なる値を示した。その原因について,多くのFe系合金のkpは,隣接する結晶粒間のすべり変形の伝播の難易度を表す応力伝達係数と相関を示すことがわかった。ただし,Fe-2V,Fe-0.1P,Fe-2Ni,Fe-2Alといった低濃度合金では,bcc金属特有のペンシルグライドを考慮する必要があることが示唆された。
(4)同じ粒界でもインデンテーションを行う面が異なると,Hall-Petch係数kpが異なる値を示した。このことは,kpが粒界方位差や粒界面方位だけでは決まらないことを意味する。
本研究の一部は,一般社団法人日本鉄鋼協会第28回鉄鋼研究振興助成の支援により遂行された。