2022 Volume 108 Issue 10 Pages 784-794
The residual stresses at a circular punched end face in tempered martensitic high-strength steel sheets were investigated using triaxial stress analysis via X-ray diffraction. The maximum principal stress and its direction were calculated from the measured nine stress components. The relationship between the directions of the maximum principal stress and hydrogen cracks was verified by generating hydrogen cracks on the punched end face in the same specimen using cathodic hydrogen charging. The direction of the cracks was perpendicular to that of the maximum principal stress. This result indicates that hydrogen embrittlement at the sheared end face is caused by the maximum principal stress. Moreover, the distribution of the residual stresses toward the thickness direction and the relationship between residual stresses and tensile strength of the specimens were investigated. The maximum principal stress on the punch side was lower than that on the dice side. Unlike the maximum principal stresses, the normal stresses did not increase monotonically with the tensile strength of the specimens. Therefore, it was concluded that investigating the maximum principal stress at any area between the dice side and a line located midway from the end face and dice side is crucial for considering the hydrogen embrittlement criteria.
鉄鋼材料では,環境負荷軽減の観点から高強度化への取り組みが続いている。この取り組みにおいて,大きな障害の一つとなっているのが水素脆化である。水素脆化は,水素,材料と応力の三要因の組合せに因って生じるとされている脆化現象である1)。高強度鋼の水素脆化に関しては,建築用の高強度ボルトの分野で古くから知られており2),そのメカニズムについても長年検討され,解明されつつある3,4)。近年では,自動車分野においての鉄鋼材料の高強度化5)が目覚ましく,高強度ボルトだけなく,高強度鋼板を対象とした検討も飛躍的に増加している6)。
自動車用鋼板の水素脆化を考える上で,最重要課題の一つとなるのが切断面である7)。ここで挙げた切断面とはせん断加工によって発生したせん断端面を意味している。水素脆化現象の理解には,上述の三要因における正確な定量値の把握が重要となるが,せん断端面においては,いずれも不明瞭な部分が多い。特に応力要因に関しては,負荷応力だけでなく,残留応力も考慮する必要があり,現象の解釈をより複雑化している。せん断端面の破断面では非常に高い残留応力が生じる8)ことが知られており,せん断加工後に負荷応力を与えずとも,残留応力のみで水素脆化を生じる9,10)こともあり,応力要因として大きな割合を占めると考えられる。一方,負荷応力とは異なり,意図的に設定した値が付与される訳ではないため,応力要因を正確に把握するには,残留応力を測定,定量化することが求められる。
せん断端面の残留応力の定量化についてはいくつかの事例が報告されている。Matsunoらはホットスタンプ用鋼板を用いて,冷間と熱間でせん断加工がせん断端面の水素脆性に及ぼす影響を調査するため,X線測定によってせん断端面の残留応力を定量化している11)。報告内では,板厚方向と切断稜線方向(板厚方向と垂直方向)の2方向の応力成分が定量化されている。Moriらは引張強度1.5 GPa級の高張力鋼板を用いて,プレス,レーザー各々による板状引張試験片のブランキングを行い,切断面に発生した残留応力をcosα法によって定量化している12)。この報告内でも,板厚方向と長手方向(板厚方向と垂直方向)の2方向の応力成分が定量化されている。Yasutomiらは980 MPa級の冷延鋼板を用いて,工法を変化させて試験片を作製,その切断面の残留応力をsin2ψ法によって測定し,工法の有用性を検討している13)。この報告内でも前述同様2方向の応力成分が定量化されている。
以上のように,せん断端面の残留応力の定量化事例は存在するものの,いずれも板厚方向と,板厚と垂直方向の2方向の定量化事例がほとんどである。ここで,せん断端面の水素脆化を考える上で2点の課題がある。1点目は,水素脆化は最大主応力によって生じる点である14)。すなわち,水素脆化における応力要因を正しく理解するためには,2方向の応力成分の定量化だけでは不足しており,応力9成分を定量化した上で,最大主応力を定量化する必要があると考えられる。応力2成分のみの定量化では,各方向での大小関係しか判断することができず,水素脆化のクライテリアを議論するのは難しい。2点目は,X線測定に及ぼすせん断ひずみの影響である。残留応力はX線測定によって定量化されることが多いが,X線測定は測定面に対して垂直な方向のせん断ひずみ,すなわちせん断応力の影響を受ける15)ことが知られており,定量時の解析に少なくない影響を及ぼすと考えられる。一方,いずれの先行知見においてもそこまでの言及はなく,特定の手法を用いて残留応力を定量化したという表記のみに留まっている。
そこで本研究では,これらの2点の課題を解決するため,旋盤加工表面などの残留応力を測定する手法として利用されているDölle-Hauk法16)を用いた3軸応力解析17–19)に着目した。この方法をせん断端面へ適用することで,せん断応力の影響を加味した解析で応力9成分を定量化し,最大主応力を導出した。また,同じ供試材を用いて水素脆化試験を行うことにより,残留応力と水素脆化の関係についても検討した。さらに,未だ解明されていないせん断端面における残留応力発生メカニズムについても考察した。
供試材の化学組成をTable 1に示す。供試材にはJIS-SCM435鋼を用いた。真空溶解後,熱間鍛造にて10 mm厚さのブロックに加工し,熱間圧延により3.5 mm厚さの板材とした。この板材に550°Cで60 min保持の軟化処理を施した後,2.0 mm厚さと1.6 mm厚さまで冷間圧延を行った。冷延材を900°Cの炉に在炉時間4 minで投入後,金型冷却で室温まで冷却し,焼入れを行った。下死点保持は30 sとした。2.0 mm厚の焼入れ板材は400°C,1.6 mm厚の焼入れ板は200°C,300°C,400°C,500°Cのマッフル炉にそれぞれ材炉時間20 minで投入し,焼戻しを行った。これらの板材は焼戻しマルテンサイト組織で構成される鋼であった。なお,2.0 mm厚の板材は板厚方向の残留応力の分布を,1.6 mm厚の板材は残留応力の素材強度依存性を調査するためのものである。
C | Si | Mn | P | S | Al | Cr | Mo | N |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
0.36 | 0.3 | 0.77 | 0.016 | 0.014 | 0.03 | 1.03 | 0.17 | 0.003 |
各熱処理済板材から圧延方向と垂直にJIS 13号引張試験片を採取し,引張試験を行った。2.0 mm厚の板材の引張強さ(Tensile Strength,TS)は1501 MPaであった。1.6 mm厚の板材のTSは焼戻し温度の低い順に1917 MPa,1663 MPa,1496 MPa,1231 MPaであった。
2・2 打抜き加工前述の供試材から50 mm角の板試験片を切り出し,その中心に円形パンチによる打抜きせん断加工を行った。直径10 mmのパンチを用い,パンチとダイの隙間と板厚の比率(クリアランス)を11.6%とした。加工はサーボプレス機で行い,パンチを100 mm/sで下降させた。
2・3 残留応力評価 2・3・1 X線回折測定と3軸応力解析切断面の残留応力を評価するため,X線回折(X-Ray Diffraction,XRD)測定を行った。測定にはX線残留応力測定装置(AutoMATEII,(株)リガク)を使用した。主な測定条件をTable 2に示す。試料測定面における座標系および角度の定義をFig.1に示す。線源にはCr管球を用い,X線照射領域は直径0.3 mmとした。
Characteristic X-ray | Cr Kα |
Tube voltage (kV) | 40 |
Tube current (mA) | 40 |
Filter | V |
Detector | D/teX Ultra 1000 |
Diffraction plane | α-Fe (211) |
Diffraction angle (deg) | 156.4 |
Irradiated area | 0.3 mm diameter |
X-ray measurement method.
XRDにより測定される格子ひずみεϕψは,式(1)に示す X線的弾性定数S1とS2を用いて,式(2)で表される。
(1) |
(2) |
ここで,Eはヤング率,νはポアソン比である。E=223.300 GPa,ν=0.28とした。いずれも装置付随の残留応力測定・解析ソフトで用いられている値とした。なお,応力テンソルの各成分の表記については,Fig.1に示した座標系と整合させた。この式に基づきDölle-Hauk法16)による3軸応力解析18)を行うため,εϕψの試料xy面内成分εϕとx軸のなす角度ϕにおいて,ϕ(ψ+)=0°,45°,90°,およびϕ(ψ+)に対して逆方向となるϕ(ψ-)=180°,225°,270°の合計6方向について,回折ピークを測定した。この時,各ϕにおけるψ角を0°~45°の間の10角度とし,合計で60方向のεϕψに対応する回折ピークの測定を行った。回折ピーク位置2θは半価幅中点法で求めた。解析には式(3)で示すパラメータb1とb2を使用した。
(3) |
b1-sin2ψ線図とb2-sin2ψ線図の傾きから,測定点に作用する応力テンソルの各成分を計算した。
2・3・2 測定位置XRD測定位置と軸方向の定義をFig.2に示す。打抜き加工を行った板試験片の打抜き穴中心を通るよう,圧延方向と垂直な方向に切断した。その試験片を切断面から観察した時に,切断面の最低面に当たる部位を対象とし,2.0 mm厚材では1/4t,1/2t,3/4tの三つの位置を,1.6 mm厚材は1/2t位置のみを測定位置とした。なお,切断端面において,せん断面が発生するパンチ側が1/4t位置,逆のダイス側が3/4t位置である。この時,板厚方向をx軸,円形パンチ穴の周方向をy軸,測定面に対して垂直方向をz軸と定義した。
Measurement points and axis definition.
残留応力を測定した試験片に対し,陰極電解法による水素チャージを行った。電解液は常温の3%NaCl水溶液に3 g/Lのチオシアン酸アンモニウムを加えた水溶液,カソード電流密度は1.0 mA/cm2,チャージ時間は1 hとした。水素チャージ後は,評価面の腐食が進まないようにエタノールで洗浄後,即座に乾燥させた。水素脆化き裂の観察には光学顕微鏡を用い,観察倍率200倍で円形打抜き端面を観察した。
3・1~3・3節では,2.0 mm厚のTS1501 MPa材を用いたXRDの測定結果と,そこから求まる各種応力,水素脆化との関係について述べる。3・4節では,1.6 mm厚の強度変化材における残留応力の定量化結果を述べる。
3・1 2θ-sin2ψ線図とb2-sin2ψ線図2.0 mm厚材の1/4t位置における,板厚方向,円周方向と斜め方向の2θ-sin2ψ線図をFig.3に示す。板厚方向,斜め方向では顕著なψスプリットが確認されたが,周方向ではψスプリットは軽微であった。これは測定面と垂直なy軸方向のせん断応力σyzがx軸方向のせん断応力σxzよりも比較的小さいためと考えられる。併せて,X線入射方向が対となる組の平均であるb1についても2θ-sin2ψ線図に記載した。いずれの測定方向においても,b1を用いることで2θ-sin2ψ線図の直線性は改善した。同様に,1/2t位置の測定結果をFig.4,3/4t位置の測定結果をFig.5に示す。板厚方向の測定位置によらず,2θ-sin2ψ線図は同様の傾向を示した。これらの傾きから各方向における垂直応力σxxとσyyが,各垂直応力からxy平面におけるせん断応力σxyが求まることとなる。
The 2θ-sin2ψ diagrams at 1/4t position in circular punched end face (2.0 mm thickness).
The 2θ-sin2ψ diagrams at 1/2t position in circular punched end face (2.0 mm thickness).
The 2θ-sin2ψ diagrams at 3/4t position in circular punched end face (2.0 mm thickness).
各測定位置における,板厚方向と円周方向のb2-sin2ψ線図をFig.6に示す。いずれの測定位置においても,板厚方向の直線性は悪く,円周方向の直線性は良好であった。特に円周方向の傾きは,いずれも0に近く,残留応力がほとんど生じていないことがわかる。板厚方向の直線性の悪さは,X線侵入深さ内における深さ方向の応力勾配によるものだと推定される20)。正確な残留応力を測定する上で,これは問題となりえるが,Fig.4やFig.5に示した回帰直線と比較しても傾きは大きくはなく,見積もられる残留応力は小さい値であると推定されたため,X線侵入深さ方向の応力分布については存在しないものと仮定し,解析した。これらの傾きから,xz平面,yz平面におけるせん断応力σxzとσyzが求まることとなる。
The b2-sin2ψ diagrams at each positions in circular punched end face (2.0 mm thickness).
Fig.3~6の結果を基に,測定位置毎に見積もった応力テンソルを式(4)~(6)に整理する。
(4) |
(5) |
(6) |
各測定部位で比較しやすいよう,測定位置と垂直応力の関係をFig.7に,測定位置とせん断応力の関係をFig.8に示す。垂直応力に負の値は確認されず,いずれも引張の残留応力である。垂直応力で特筆すべきはσxxである。1/4t位置におけるσxxのみ明らかに小さく,1/2t位置と3/4t位置では大きな差はなかった。せん断応力においては,測定位置による大きな差は確認されず,いずれもσxyは正の値,σyzは0近傍,σxzは負の値であった。
Relationship between measurement positions and normal stresses (2.0 mm thickness).
Relationship between measurement positions and shear stresses (2.0 mm thickness).
前述で見積もられた応力の各成分から,応力テンソルの固有式に基づいて主応力を算出した。各測定位置における主応力を式(7)~(9)に整理する。
(7) |
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最大値を示すσ1が最大主応力である。測定位置と最大主応力の関係をFig.9に示す。1/2t位置の最大主応力が最も大きく,母材のTSに近い引張の残留応力であった。一方,1/4t位置の最大主応力が最も小さく,1/2t位置より300 MPa程度小さかった。これは,1/4t位置のσxxが大幅に小さかったことに起因すると考えられた。
Relationship between measurement positions and maximum principal stresses (2.0 mm thickness).
以上から,水素脆性を議論する目的でせん断端面の残留応力を測定する場合,測定位置を1箇所に絞るのであれば,パンチ側での測定は避け,1/2t位置からダイス側で測定を行うべきであることが示された。
3・3 最大主応力と水素脆化き裂の比較見積もられた最大主応力と水素脆化の関係を以下の方法により調査した。最大主応力をxy平面上に投影し,その方向をFig.1に示すϕで表現し,水素脆化によって発生したき裂の向きとの対応を検証した。X線照射領域における,最大主応力の方向とそこから推定される水素脆化き裂の関係をFig.10に示す。最大主応力に基づいて生じる水素脆化き裂の向きは最大主応力の方向と直角であると考えられる。1/4t位置,1/2t位置ではϕの値が大きく,板厚方向のき裂が発生すると推定された。一方,3/4t位置はϕの値が小さく,円周方向のき裂が発生すると推定された。
Angle of hydrogen crack estimated from the calculated angle of the maximum principal stress (2.0 mm thickness).
陰極電解法による水素チャージにより,2.0 mm厚のTS1501 MPa材に水素脆化き裂を発生させ,光学顕微鏡により観察を行った。観察結果をFig.11に示す。き裂の位置を明瞭に示すため,同じ写真に水素脆化き裂を破線でなぞったものを右側に示した。Fig.10で推定された水素脆化き裂の方向も併記した。1/4t位置,1/2t位置においては,測定位置で水素脆化き裂は発生しなかったものの,同写真内の右側に発生した板厚方向に伸びた水素脆化き裂は推定き裂方向とよく対応している。このき裂は写真上部では垂直に近く,写真下部に向かうにつれて水平に変化しており,Fig.10で推定された,1/4t位置におけるき裂方向が,1/2t位置におけるき裂方向よりもより垂直に近いことまで再現されている。3/4t位置では,X線照射領域内で複数の水素脆化き裂が発生しているが,照射領域の中心近傍にFig.10で推定された水素脆化き裂方向とほぼ平行なき裂が発生しており,推定されるき裂方向と実際のき裂方向が非常に高い精度で対応することがわかった。
Hydrogen cracks on punched end face (2.0 mm thickness).
以上から,せん断端面に発生する水素脆化き裂は残留応力とその方向に強く支配されることが明らかとなった。また,本報で用いた3軸応力解析による残留応力の定量化が,水素脆化感受性の評価に有用であることが示された。
3・4 残留応力の素材強度依存性前節で述べたように,本研究で実施した3軸応力解析による残留応力の定量値は,水素脆化き裂と対応がとれるものであることがわかった。本節では,同手法を用い,供試材の強度と残留応力の関係について調査した。Fig.12に供試材のTSと残留応力の各成分の関係を示す。TS1231 MPa材,TS1496 MPa材,TS1663 MPa材の3つの供試材においては,TSの上昇に伴い垂直応力σxxとσyyは増加,せん断応力σxy,σyz,σxzはほとんど変化しなかった。一方,TS1917 MPa材ではTS1663 MPa材と比較してσxxとσyyは低下,σxyが大きく増加し,σyzとσxzはほとんど変化しなかった。加工によって発生する残留応力は,一般的に,素材強度の上昇に伴い単調増加するものと考えられるが,各応力成分のみで比較すると必ずしも単調増加とはならないことが確認された。各応力成分から導出した最大主応力もFig.12に併記する。最大主応力は素材の強度上昇に伴い単調増加し,一般的な理解と相違ない結果となった。
Relationship between tensile strength and residual stress at 1/2t position (1.6 mm thickness).angle of the maximum principal stress (2.0 mm thickness).
本結果は,緒言で述べたような応力2成分のみでの評価では,現象を正確に解釈できない可能性を示唆している。具体的には,TS1663 MPa材とTS1917 MPa材を比較した場合に,垂直応力の2成分のみで評価すれば,応力の観点では,TS1917 MPaの方が水素脆化を生じにくいという誤った解釈をすることになる。一方,最大主応力で評価すれば,高強度化に伴い,素材の耐水素脆性だけでなく,応力の観点からも水素脆化が顕著になったと,現象を正確に理解することが可能となる。
3軸応力解析によって見積もられる残留応力の最大主応力は水素脆化き裂とも対応することが明らかとなった。すなわち,せん断端面の水素脆性を議論するには,せん断応力成分を無視してはならず,最大主応力で評価することの重要性が示された。しかし,今回の3軸応力解析では測定方向の多さから長時間の測定となり,多くのサンプルを測定する上ではデメリットとなる。そこで,4・1節では,残留応力測定によく用いられるsin2ψ法を用いて,測定手法の簡略化について考察した。また,4・2節では,本検討で得られた測定結果を基に,切断端面の残留応力発生メカニズムについても考察した。
4・1 平面応力を仮定したsin2ψ法との比較sin2ψ法を用いて,より簡便に最大主応力を評価する手法について考察した。しかし,sin2ψ法では単軸の垂直応力しか見積もることはできず,z方向の応力も見積もることができない。そこで,平面応力状態(σxz=σyz=σzz=0)を仮定した。平面応力状態における応力の釣り合いを式(10)に示す。
(10) |
σxyはϕ=45°,225°の実測値から導出した。3軸応力解析が6方向のXRD測定を必要とするのに対し,この方法では3方向のみで済む。3つの試料面内における入射方向ϕの組合せは,それぞれϕ(ψ+)=0°,45°,90°,ϕ(ψ-)=180°,225°,270°とした。本報告では,前者をF,後者をRの組合せとする。この時,応力係数K=-318 MPa/degとした21)。
2.0 mm厚のTS1501 MPa材におけるF,Rの組合せから求まる各応力成分を式(11),(12)に示す。
(11) |
(12) |
測定位置は,代表値として測定されやすいであろう1/2t位置である。これらの値とDölle-Hauk法を用いた3軸応力の結果を比較するため,見積もられた各応力成分の値に対し,式(5)の値を基準とした時の差分を算出した。その差分を百分率とし,Δσとして式(13),(14)に表現した。
(13) |
(14) |
ΔσFとΔσRは正負が反転しているが,絶対値は概ね一致しており,ψスプリットの影響を反映している。垂直応力は絶対値の大きさから,X線入射方向の影響を受け難く,sin2ψ法を用いても±10%未満の値に収まった。一方,せん断応力は絶対値の小ささからX線入射方向の影響を大きく受け,±100%を超える値となった。各応力成分から応力テンソルの固有式に基づいて主応力を算出した。式(15),(16)に示す。
(15) |
(16) |
最大主応力は3軸応力解析の値,すなわち式(8)を基準として,入射方向Fの組合せでは-0.4%,Rの組合せでは+7.0%であり,±10%未満の値で収まる結果となった。前述同様,xy平面に投影した最大主応力の方向ϕも導出した。推定される水素脆化き裂の方向をFig.13に示す。sin2ψ法で求めた最大主応力の方向から推定される水素脆化き裂の向きは,Fig.11の実際の水素脆化き裂の向きとは大きく異なる結果となった。
Angle of hydrogen crack estimated from the calculated angle of the maximum principal stress at 1/2t position using sin2ψ method (2.0 mm thickness).
以上から,水素脆化き裂と最大主応力の対応まで議論する場合においては,sin2ψ法では不足であることが明らかになった。一方,水素脆化に影響する最大主応力のみを簡便に評価する場合においては,Dölle-Hauk法を用いた3軸応力の値に対し,±10%程度の差分が生じることを前提とするのであれば,平面応力状態を仮定し,sin2ψ法で3方向のみの測定としても問題ないと考えられた。
4・2 せん断端面における残留応力発生のメカニズムここでは,実験結果を総合して考えられる,せん断端面における残留応力の発生メカニズムに関して述べる。本報で得られた板厚内で測定位置を変化させた残留応力において,特筆すべき変化があったのは,Fig.7に示したように1/4t位置における板厚方向の垂直応力σxxであり,1/2t,3/4t位置に対して大幅に小さい値が得られた。この結果は,Yasutomiらによって提案されているせん断端面の残留応力発生メカニズム22)によって解釈することができる。Yasutomiらは,数値解析と実験の両方から,せん断端面に生じるモードIIの負荷によるき裂進展方向が残留応力の発生に深く関与すると報告している。その内容を本検討の測定サンプルに置き換えると,パンチ側からダイス側に向かってき裂が進展した場合,切断端面に発生する垂直応力σxxが小さくなり,逆にダイス側からパンチ側に向かってき裂が進展した場合,σxxが大きくなると解釈できる。今回実施したせん断端面のき裂進展挙動は円形打抜きであり,Yasutomiらの検討とは異なるため,より複雑なき裂進展挙動であると推定されるが,せん断端面において,パンチ側に近い1/4t位置ではパンチ側からのき裂進展の影響を,ダイス側に近い3/4t位置ではダイス側からのき裂進展の影響を強く受けていることは間違いない。この考えに則れば,1/4t位置におけるσxxが1/2t位置や3/4t位置と比較し大幅に小さかったことを説明できる。
また,本検討では1/4t位置から1/2t,3/4t位置とダイス側に移動するにつれて,水素脆化き裂の向きがFig.11の写真上で垂直方向から水平方向に変化した。この理由については,主に垂直応力σxxとσyyの大小関係で理解できる。本現象を平易に考えるため,xy平面応力状態であると仮定する。この時,σxx=σyyであれば水素脆化き裂はϕ=45°方向に発生すると考えられる。1/4t位置では,上述したようにパンチ側からのき裂進展の影響が強いためσxxが小さくなりやすく,相対的にσyyの影響が大きくなり,水素脆化き裂の向きが垂直方向に近くなる。1/2t位置では,パンチ側とダイス側の両方からのき裂進展の影響があり,σxxとσyyが同等レベルとなり,水素脆化き裂の向きは45°方向に近くなる。3/4t位置では,ダイス側からき裂進展の影響が強いためσxxが大きくなりやすく,相対的にσyyの影響が小さくなり,水素脆化き裂が水平方向に近くなる。以上のように考えることで板厚方向によって水素脆化き裂の向きが変化したことを説明できる。実際に本検討では,1/2t位置と3/4t位置のσxxに大きな差はなかったが,1/2t位置ではσxxが1198 MPa,σyyが1360 MPaでσyyの方が大きく,最大主応力の方向から推定される水素脆化き裂の向きも65°で45°より大きく縦方向のき裂に,3/4t位置ではσxxが1243 MPa,σyyが1122 MPaでありσxxの方が大きく,推定される水素脆化き裂の向きも23°で45°より小さく横方向のき裂になっている。以上のように,水素脆化き裂の向きという点においても,σxxの大きさに基づいて整理でき,せん断面の残留応力発生メカニズムとして,き裂進展方向の影響が大きいという説を間接的に支持するものと考えられた。
一方,3・4節で述べた残留応力の強度依存性において,TS1917 MPa材のみ応力9成分のバランスが大きく変化した理由については現状不明である。しかし,今後さらなる検討を進めることで,測定位置における各き裂進展方向の寄与度などが明らかになるものと期待され,いずれは解明されると思われる。
焼入焼戻しマルテンサイト鋼の板材を用いて,円形打抜きを行い,3軸応力解析により端面の残留応力測定を実施した。得られた知見は以下である。
(1)切断端面のXRD測定においてもψスプリットが確認され,その傾向は打抜き方向とX線の入射方向が近いほど大きく,二つの方向が垂直となるとほとんど確認されなかった。
(2)切断端面に発生した残留応力において,板厚方向および板厚に垂直な方向に対して大きな引張の垂直応力が作用していることが確認された。また,せん断応力成分の存在も確認されたが,垂直応力と比較するとその値は小さかった。
(3)3軸応力解析によって見積もられた各応力成分から最大主応力を算出,最大主応力の方向を測定面に投影したところ,実際の水素脆化き裂はその方向と垂直に生じることが確認された。
(4)素材の引張強度の上昇に伴い,せん断端面の残留応力は上昇するが,各応力成分での評価では,必ずしも単調増加とはならないことが確認された。一方,最大主応力での評価では,単調増加となることがわかった。
(5)平面応力状態を仮定し,sin2ψ法の3方向測定のみで最大主応力を評価しても,Dölle-Hauk法を用いた3軸応力の値に対し,±10%の差分に収まることがわかった。