Tetsu-to-Hagane
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ISSN-L : 0021-1575
Mechanical Properties
Effects of Ni Concentration and Aging Heat Treatment on the Hydrogen Embrittlement Behavior of Precipitation-Hardened High-Mn Austenitic Steel
Takashi Hosoda Yuhei OgawaOsamu TakakuwaSusumu MotomuraHyuga HosoiHisao Matsunaga
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2022 Volume 108 Issue 2 Pages 156-172

Details
Abstract

The effects of Ni concentration and dispersed conditions of vanadium carbide (VC) nano-particles on the hydrogen embrittlement (HE) behavior of precipitation-hardened high-Mn austenitic steels were investigated under the presence of thermally pre-charged hydrogen. Slow strain-rate tensile tests revealed that HE susceptibility decreased with an addition of Ni. VC precipitates functioned as the trapping sites for dissolved hydrogen, though its effect on resisting the HE was trivial. Hydrogen enhanced intergranular (IG) fracture wherein its area fraction was increased with the hardening by VC as well as with the escalation of internal hydrogen concentration. The IG fracture was the primary rationale for the hydrogen-induced loss of ductility. Possible mechanisms of the IG-related HE as well as future strategy for mitigating the mechanical degradation is discussed based on the fractographic observation and post-mortem microstructural analyses.

1. 緒言

グローバルな資源確保と環境保全の観点から,水素エネルギー利用社会の実現に向けた取り組みが活発となっている。日本においては,燃料電池自動車の市場リリースが2014年に実現され,その普及に対応していく形で水素ステーションの増設も進められている1,2)

鉄鋼材料は,水素社会でもインフラ整備やアプリケーション普及への貢献が期待される材料である。しかし,水素環境下で使用する場合,材料本来の機械的性能が低下する水素脆化の発現3,4)が危惧されるため,十分な耐水素性を持つ鋼を選定していく必要がある。耐水素性の高い鋼としてよく知られているのは,オーステナイト(以下,γ)系ステンレス鋼である。これは,フェライトやマルテンサイトを基地組織とする鋼と比べ,γ組織の水素拡散係数が大幅に小さいため,材料中への水素の侵入が困難であることに由来するとされている5,6)γ鋼の代表的なものの1つに,JIS規格におけるγ系ステンレス鋼SUS316Lが挙げられる。同材料は水素環境中での使用を模擬した各種試験を経て,優れた耐水素性を有することが確認されており7,8),水素機器の各種部材に利用されている。今後,水素環境用部材には更なる薄肉・軽量化が期待されるが,SUS316Lは強度が低く,その要求に応えることが難しくなる。一方,耐水素性と高強度を両立したJIS規格鋼に,SUH660(A286合金と同等)がある。SUH660は析出硬化熱処理にて1000 MPaを超える引張強さを示すγ鋼であり,試験中に侵入する水素(外部水素)による引張特性の低下はほとんど皆無であることが実証されてきた9,10)。ただし,SUH660はNi含有量が約25 mass %と多く,高価な鋼材である。また,外部水素に対して優れた耐水素性を示す反面,陰極チャージや高圧水素ガス曝露にて予め試験片内に水素をチャージし,内部水素を存在させた状態で引張試験を実施した場合には,有意な延性低下を示すことが報告されている11,12)。したがって,高圧水素環境中で高強度γ鋼を安全に利用するためには,外部水素のみならず,内部水素が材料特性に及ぼす影響を把握する必要がある。

高圧水素機器の低コスト化と高性能化には,SUH660と同等以上の耐水素性と高強度を併せ持ち,かつ安価(省合金)な鋼材の供給が望まれる。このニーズに応え得る候補材料として,本研究では析出硬化型高Mn-γ鋼に着目した。本鋼は安価なMnの積極利用によりNi含有量を抑えつつγ組織を安定化させ,バナジウム炭化物(VC)の微細分散を強化因子に用いて約1200 MPaの引張強さに達するように設計されたものである。また,VCを含む析出物は侵入した水素のトラップサイトとして作用し,水素による材料特性への悪影響を抑制する効果が認められている1315)ため,鋼材の高強度化と耐水素性向上の双方に寄与する可能性がある。以上の通り,析出硬化型高Mn-γ鋼はSUH660よりも強度レベルが高く,今後の水素環境用部材のさらなる小型・軽量化へと貢献していくことが期待されるが,実際に利用していくためには,その水素脆化感受性や,脆化メカニズムを明らかにしておく必要がある。

本研究では,最も一般的なγ安定化元素であるNiの含有量,ならびに時効熱処理によってVCの析出状態を変化させた複数の析出硬化型高Mn-γ鋼に対して高温・高圧水素ガス中での水素チャージを施した後に,低ひずみ速度引張試験を行った。水素侵入に伴う引張特性と破壊挙動の変化の調査を通して,本鋼種におけるNi含有量と時効熱処理に伴う組織状態の変化が耐水素性に及ぼす影響と,内部水素による水素脆化メカニズムを検討した。

2. 供試材および実験方法

2・1 供試材および試験片

Ni含有量の異なる2種類の50 kg鋼塊を真空誘導炉にて溶製した。それらの化学成分と,各鋼塊の平均組成からHirayama and Ogirima16)の式を用いて算出したNi等量:NieqTable 1に示す。Nieqは,塑性変形中のγ安定度,すなわち加工誘起マルテンサイト変態の難度を表す指標として一般に用いられている。以後,Ni含有量に因んでそれぞれの鋼種を7Ni,11Niと呼称する。11Niは7NiよりもNieqが高く,γ安定度がより高い鋼種である。これらを直径15 mmに熱間鍛造して棒材としたものを出発材とした。熱間鍛造後,1180°C-30 min保持後水冷により溶体化処理したものをAs-STと呼称する。次いで,VC析出にて時効硬化させるとともに,その析出状態を変化させるため,650°C,750°C,800°Cで各2 hr等温保持後空冷の時効処理を施した。以後,650°C,750°C,800°C時効後の材料をそれぞれUA,PA,OAと呼称する。

Table 1. Chemical compositions and Nieq of the two high-Mn steels (mass %). Nieq, as an index of austenite phase stability, is shown together which was calculated via an equation derived in the literature: Nieq=12.6 [C] + 0.35 [Si] + 1.05 [Mn] + [Ni] + 0.65 [Cr] + 0.98 [Mo]16).
MaterialCSiMnNiCrVFe*Nieq
7Ni0.450.248.57.110.11.5Bal.28.4
11Ni0.460.268.511.110.11.5Bal.32.5

Table 2に,各供試材の熱処理履歴とロックウェル硬さの測定結果を示す。硬さの測定位置は,断面内中周部(棒材直径の1/4に相当する位置)とした。いずれの供試材も,750°C時効で最大(ピーク)硬さを示す。650°Cと800°C時効材の硬さはほぼ同等であるが,それぞれ亜時効,過時効状態となるため,VC粒子の析出状態は異なっていることに注意されたい。熱処理履歴が同じ場合,鋼種成分,つまりNi含有量の差は硬さに対して有意な影響を及ぼさなかった。

Table 2. Heat treatment conditions, Rockwell hardness and acronym of the samples subjected to different heat treatments.
Heat treatmentConditionRockwell hardnessAcronym
7Ni11Ni
Solution treatment1180°C for 30 min, water quenched91HRB91HRBAs-ST
Aging650°C for 2 hr, air cooled33HRC33HRCUA
750°C for 2 hr, air cooled40HRC40HRCPA
800°C for 2 hr, air cooled35HRC35HRCOA

Fig.1(a)に,引張試験片の形状と寸法を示す。試験片平行部表面は,エメリー紙#2000およびバフによる軸方向研磨にて鏡面に仕上げた。Fig.1(b)に,水素量測定用試験片を示す。直径5 mm,高さ3 mmの円柱状サンプルを作製した後,表面をエメリー紙#600で研磨した。なお,これらの引張試験片および水素量測定用試験片はいずれも,各熱処理後の棒材から,棒材の中心軸と試験片の中心軸が一致するように採取したものである。

Fig. 1.

Shapes and dimensions of the specimens for (a) tensile test and (b) measurement of hydrogen concentration.

2・2 実験方法

2・2・1 ミクロ組織観察

棒材長手方向に平行な断面を切断,研磨し,シュウ酸電解腐食を行った後,中心部のミクロ組織を光学顕微鏡にて観察した。また,電解研磨にて薄膜試料を作製し,透過型電子顕微鏡(Transmission electron microscope:TEM,Hitachi-HF-2000)にて,時効処理により析出した炭化物の観察および同定を行った。

2・2・2 水素チャージ

引張試験片および水素量測定用試験片を高温・高圧水素ガス中に曝露して,鋼材内部に水素を侵入させた。いずれの試験片に対しても,曝露条件は圧力100 MPa,温度270°C,保持時間200 hrとした。さらに,11Niについては,侵入水素量が水素脆化挙動に及ぼす影響を調査するため,圧力0.7 MPaおよび10 MPaにおいても同様の水素チャージを行った。なお,以上の水素チャージ条件において,本研究で用いる全ての試験片には中心部まで水素が飽和し,濃度分布が均一になることを確認済みである17)

2・2・3 水素放出プロファイルの測定

ガスクロマトグラフィ方式の昇温脱離分析(Thermal desorption analysis:TDA)を用いて,水素チャージした円柱状サンプル(Fig.1(b))からの水素放出プロファイルを取得した。昇温速度は100°C/hr,測定開始温度は室温(25°C付近),最高到達温度は800°C,分析周期は5 minとし,侵入水素量およびVCによる水素トラップ効果を調査した。

2・2・4 低ひずみ速度引張試験

γ鋼を含む鉄鋼材料では,ひずみ速度が小さいほど引張特性への水素の影響が顕著となることが知られている18)。そこで本研究では,水素チャージおよび未チャージ試験片のいずれに対しても,低ひずみ速度引張(Slow strain-rate tensile: SSRT)試験を行った。すべての試験において,試験環境は室温・大気中とし,クロスヘッドスピードは0.002 mm/s(初期ひずみ速度0.67×10-4 /s)とした。

2・2・5 破面観察

引張試験後の破面観察には,走査型電子顕微鏡(Scanning electron microscope:SEM,Hitachi-S4800およびSU1510)を用いた。また,破壊形態への水素の影響を定量化するため,破面上のディンプル破面の面積率を測定した。計測に際しては,まず破面中央部の300 µm×200 µmの範囲で撮像した。その後,SEM像内でディンプル破面を呈している箇所と,そうでない平滑な箇所を画像解析ソフトWinROOFにて二値化し,前者の面積率をディンプル破面率として算出した。

2・2・6 破断試験片の解析

SSRT試験後の7Ni-PA材と11Ni-PA材に対し,内部き裂(破面の形成には直接寄与せず,試験片中に残存した微視き裂)の分析を行って破壊メカニズムを検討した。観察にあたっては,破断した水素未チャージ材および水素チャージ材(チャージ条件:100 MPa,270°C,200 hr)の試験片を長手方向断面に沿って切断し,エメリー紙,ダイヤモンドペースト,コロイダルシリカを用いて研磨を施した後,電界放出型SEM(JEOL,JSM-7001FKM)を用いて内部き裂を観察し,EBSD(Electron Backscettered Diffraction)法にてその周囲の結晶方位解析を行った。EBSD解析における加速電圧は20 kV,電子ビームのステップサイズは50 nmとした。

また,破断時における変形組織(転位や変形双晶)をより詳細に分析するため,EBSDの解析に用いた水素チャージ材の試料から,破断部近傍(破面直下100 µm以内)にある粒界を含む領域を収束イオンビーム加工(FIB)法にて採取し,TEM観察に供した。

3. 実験結果

3・1 ミクロ組織

Fig.2に,光学顕微鏡による7Niおよび11Niのミクロ組織観察写真を示す。平均結晶粒径はいずれも50 µm程度であり,鋼種,熱処理条件による光学顕微鏡組織への影響は認められなかった。

Fig. 2.

Optical microscope images of the initial microstructures of (a) ~ (d) 7Ni and (e) ~ (h) 11Ni under (a)(e) As-ST, (b)(f) UA, (c)(g) PA and (d)(h) OA conditions.

Fig.3に,時効処理後における7Niおよび11NiのTEM観察写真を示す。7Niおよび11Niともに,UA材において析出粒子は認められなかった。ただし,As-STよりも硬さは上昇していることから(Table 2),UA材ではVC粒子となる前段階の微細なVCクラスターが形成されており,これが硬さ上昇に寄与したものと推察する。一方,PA材とOA材ではナノオーダーの析出粒子が多数認められた。電子線回折により,これらの粒子は格子定数0.42 nmの面心立方構造であることが確認された。C欠陥を含むVCは格子定数0.41~0.42 nmのB1構造であることが報告されており19),本研究で観察された析出物もVCであると同定される。Fig.4に,TEM観察により確認したVCの粒子径分布および平均粒子径:dを示す。7Niおよび11Niともに,PA材よりもOA材において粒子サイズの大きなVCが多く分散しており,平均粒子径は7NiのPA材とOA材でそれぞれ約9 nmと約10 nm,11NiのPA材とOA材でそれぞれ約9 nmと約13 nmであった。11Niにおいて7Niよりも僅かに粒子径が大きい傾向にあるのは,γマトリクス中のNi濃度の増大がC固溶量を低下させる20,21)ことにより,VCの成長が促進されたためと考える。

Fig. 3.

TEM images of the initial microstructures of (a) ~ (c) 7Ni and (d) ~ (f) 11Ni under (a)(d) UA, (b)(e) PA and (c)(f) OA conditions.

Fig. 4.

Distributions of VC particle size in (a) 7Ni and (b) 11Ni under PA and OA conditions.

3・2 侵入水素量および水素放出プロファイル

Table 3に,7Niおよび11Niにおける水素チャージ後の侵入水素量を示す。水素ガス圧力100 MPaにおいて,侵入水素量は7Niおよび11Niともに熱処理状態に関係なく90 mass ppm程度となっており,Ni含有量の違いによる差は認められなかった。また,11Niについては水素ガス圧力を10 MPaおよび0.7 MPaとしてチャージした場合の結果も併せて示しているが,ここでも熱処理状態の違いによる顕著な差は認められず,侵入水素量はそれぞれ,30 mass ppmと6 mass ppm程度であった。水素ガス環境における材料中への熱平衡(飽和)水素濃度Csは,Sieverts則に従って,固溶度Sとフガシティfを用いて次式(1)で表される。

  
Cs=Sf(1)
Table 3. Hydrogen content (mass ppm) in 7Ni and 11Ni after hydrogen-charging at 270°C for 200 hr.
MaterialAcronymPressure of hydrogen gas exposure
100 MPa10 MPa0.7 MPa
7NiAs-ST97.9
UA95.7
PA96.5
OA83.6
11NiAs-ST93.626.44.9
UA82.428.14.7
PA91.032.05.8
OA73.829.38.2

また,フガシティfは次のように表される。

  
f=pexp(pb/RT)(2)

ここで,pは水素ガス圧力(MPa),Tは絶対温度(K),b=1.584×10-5 m3/mol,Rは気体定数(8.314 J/(mol・K))である。bにはMarchiらの報告22)にある値を用いた。Fig.5に示す通り,いずれの材料においても測定した飽和水素量はフガシティfの平方根に概ね比例しており,飽和水素量はSieverts則に準じていることが分かる。

Fig. 5.

Relationship between square root of hydrogen gas fugacity and resultant hydrogen content in 11Ni under different conditions of VC precipitates. (Online version in color.)

Fig.6に,7Niおよび11NiにおけるTDA水素放出プロファイルを,熱処理条件ごとに色分けして示す。いずれのプロファイルにおいても,400°C近傍に水素放出速度の第一ピークが認められる。この第一ピークは,全ての供試材に共通して存在するγマトリクス中の格子間サイトや結晶粒界等に分布していた水素によるものであると考えられる。さらに,7Niおよび11NiともにPA材およびOA材では,いずれの水素チャージ条件下でも高温側(500~550°C付近)のプロファイルにショルダー,あるいは明確な第二ピークが認められた。TEM観察では,PA材およびOA材のみでVC粒子が観察された(Fig.3)ことから,この高温側のピークは主としてVC粒子にトラップされた水素の放出によるものであることを示唆している。

Fig. 6.

Hydrogen desorption spectra from the hydrogen-charged specimens of 7Ni and 11Ni under different heat treatment conditions. (a) 7Ni charged at 100 MPa, 270°C, (b) 11Ni charged at 100 MPa, 270°C, (c) 11Ni charged at 10 MPa, 270°C and (d) 11Ni charged at 0.7 MPa, 270°C. (Online version in color.)

3・3 応力-ひずみ特性および延性低下挙動

Fig.7およびFig.8にそれぞれ,7Niおよび11NiのSSRT試験結果を示す。図中には,破断後の試験片を用いてTDAにより測定した侵入水素量CH,Rも示している。さらに11Niについては,水素チャージ時の圧力を100 MPa,10 MPa,および0.7 MPaと変化させた場合の結果も併せて示す。またTable 4には,SSRT試験で測定された各材料の引張強さ(Tensile strength:TS)と絞り値(Reduction of area:RA)に加えて,水素脆化の指標である相対絞り(Relative reduction of area:RRA,水素チャージ材の絞りを水素未チャージ材の絞りで除した値)をまとめて示す。

Fig. 7.

Nominal stress-nominal strain curves of non-charged (black curves) and hydrogen-charged (red curves) 7Ni under (a) As-ST, (b) UA, (c) PA and (d) OA conditions. (Online version in color.)

Fig. 8.

Nominal stress-nominal strain curves of non-charged (black curves) and hydrogen-charged (colored curves) 11Ni under (a) As-ST, (b) UA, (c) PA and (d) OA conditions. (Online version in color.)

Table 4. Summary of the tensile properties of 7Ni and 11Ni under different heat treatment conditions.
MaterialAcronymPressure of hydrogen
gas-exposure
Tensile strength
(MPa)
Reduction of area
(%)
RRA
7NiAs-STNon-charged86164.8
100 MPa89850.40.78
UANon-charged104946.1
100 MPa97714.00.30
PANon-charged125335.3
100 MPa11848.70.25
OANon-charged115328.9
100 MPa10397.90.27
11NiAs-STNon-charged79569.5
100 MPa83753.70.77
10 MPa81262.10.89
0.7 MPa80068.00.98
UANon-charged103853.0
100 MPa96320.60.39
10 MPa107628.20.53
0.7 MPa108245.60.86
PANon-charged122531.2
100 MPa119612.70.41
10 MPa120921.60.69
0.7 MPa123925.00.80
OANon-charged110335.6
100 MPa110715.30.43
10 MPa105328.10.79
0.7 MPa108634.40.97

水素未チャージ材の場合,各々の熱処理状態において,鋼種間での強度,破断伸び,絞りにほとんど差は認められなかった。PA材およびOA材におけるTEM観察では,7Niよりも11Niの方が僅かにVC粒子が大きい傾向にあったが,この違いは引張特性に有意な影響を与えるものではなかった。7Niおよび11NiのPA材は,双方とも1200 MPaを超える引張強さを示した。

Fig.9に,7Niおよび11NiにおけるRRAと,Imadeら11)およびTajimaら12)が報告した,高温・高圧水素ガス曝露による水素チャージ後のSUH660(析出硬化状態で引張強さは約1100 MPa)のRRAを合せて示す。曝露圧力100 MPaの場合,7Niおよび11Niにおいては,いずれの時効状態においても水素未チャージ状態より絞り値が低下し,RRAは7Niにおいて約0.3,11Niにおいて約0.4となった。RRAは11Niの方が7Niよりも高く,水素による延性の低下は軽度であった。なお,引張強さに関しては,水素侵入による低下量はいずれも10%未満であり,顕著な水素の影響は認められなかった。同様の試験において,SUH660のRRAはCH,R=37 mass ppmの下で0.55程度11)CH,R=67 mass ppmの下で0.52程度12)である。Fig.10に,11NiとSUH66011,12)におけるCH,RとRRAの関係を比較する。11Niではいずれも内部水素量の増大に伴ってRRAが低下したが,As-ST材のRRAは,時効材よりも高位に推移した。また,As-ST材および時効材のいずれもCH,Rが小さければ延性低下を比較的軽度に留めることができるが,UA材やPA材では0.7 MPaチャージで侵入させた僅か3 mass ppmの水素でも延性が低下した。ただし,図中に示す通り,11Ni時効材におけるCH,RとRRAの関係は析出硬化したSUH660と同程度であり,同量の水素が侵入した場合の水素脆化感受性は両者でほぼ同等であると言える。

Fig. 9.

Relative reduction of area (RRA) of (a) 7Ni and 11Ni (hydrogen-charged at 100 MPa, 270°C) as well as (b) age-hardened SUH66011,12).

Fig. 10.

Relative reduction of area (RRA) of 11Ni and age-hardened SUH66011,12) as a function of internal hydrogen content, CH,R. (Online version in color.)

3・4 破面形態

Fig.11およびFig.12にそれぞれ,水素チャージ有無における7Niと11Niの破面中央部のSEM像と,これらの破面像から求めたディンプル破面率を示す。水素未チャージの場合,7Niおよび11NiのAs-ST材ではともにほぼ全面がディンプル破面となっていた。一方,時効材ではAs-ST材よりもディンプル破面率が減少して平滑な破面が多く認められ,Ni含有量の少ない7Niにおいて,平滑な破面の出現はより顕著な傾向にあった。100 MPa,270°Cにおいて水素チャージを施した場合,As-ST材でも平滑破面が認められるようになり,時効材においてはディンプル破面率が水素未チャージの場合よりも低くなった。すなわち,時効処理で生成したVCクラスターやVC粒子による材料の高強度化と内部水素の存在はいずれも,引張破断における平滑破面の形成を促す傾向にあった。平滑な破面は,粒界破壊,あるいは粒内破壊(へき開破壊や擬へき開破壊)によって表れる。平滑破面上を拡大観察すると,Fig.13に示すとおり,へき開,擬へき開破壊の特徴であるリバーパターン等は認められず,これらは粒界破壊によって生じた破面と考えられる。また,破面上にはサブミクロンオーダーの微小ボイドが無数に認められた。

Fig. 11.

SEM micrographs of the fracture surfaces of 7Ni and 11Ni under non-charged and hydrogen-charged (100 MPa, 270°C) conditions.

Fig. 12.

Area fractions of dimple fracture surface in (a) 7Ni and (b) 11Ni under non-charged and hydrogen-charged (100 MPa, 270°C) conditions.

Fig. 13.

SEM images of the fracture surfaces of (a) ~ (d) 7Ni-PA and (e) ~ (h) 11Ni-PA: (a)(b) non-charged 7Ni-PA ; (c)(d) hydrogen-charged (100 MPa, 270°C) 7Ni-PA ; (e)(f) non-charged 11Ni-PA ; (g)(h) hydrogen-charged (100 MPa, 270°C) 11Ni-PA. (Online version in color.)

上記の平滑破面の形成要因を明らかにするため,7Ni-PA材および11Ni-PA材の破断試験片の縦断面を観察したところ,水素チャージ有無いずれの場合においても,破面直下には複数の内部き裂が認められた。これら内部き裂近傍をSEMにより観察した結果を,Fig.14に示す。いずれも,き裂先端近くに,粒界に沿ったマイクロボイドの存在が確認された。次に,内部き裂近傍をEBSDにて解析(ステップサイズは50 nm)した結果をFig.15に示す。各材料について,結晶方位(Inverse pole figure: IPF)マップ,変形双晶を可視化するためにΣ3双晶界面を赤色でトレースしたイメージクオリティ(IQ)マップ,および相分布マップを示している。水素チャージの有無に関わらず,内部き裂は粒界に沿って発生・進展していることが判明した。以上のSEM観察とEBSDによる解析結果から,内部き裂は粒界上に生成したマイクロボイドに沿って発生・進展し,その結果,粒界破壊に至ると推定され,破面観察にて認められた微小ボイドを伴う平滑破面は,この過程にて生じた粒界破壊の痕跡であったと考えられる。また,各々のき裂を挟む結晶粒内にはすべり帯が認められ,11Niにおいては粒界へと衝突した明瞭な複数の変形双晶も認められた。なお,相分布マップに示す通り,加工誘起マルテンサイトの存在はいずれの場合にも認められなかった。

Fig. 14.

SEM images around the internal cracks in (a) non-charged 7Ni-PA, (b) hydrogen-charged (100 MPa, 270°C) 7Ni-PA, (c) non-charged 11Ni-PA and (d) hydrogen-charged (100 MPa, 270°C) 11Ni-PA. The tensile axis corresponds to the vertical direction in each picture. (Online version in color.)

Fig. 15.

EBSD images around the internal cracks in non-charged and hydrogen-charged (100 MPa, 270°C) specimens of 7Ni-PA and 11Ni-PA. The tensile axis corresponds to the vertical direction in each picture. (Online version in color.)

3・5 粒界近傍における変形下部組織

Fig.11およびFig.14,15の結果から,7Niと11Niの時効材では水素未チャージの場合でも粒界破壊が生じており,水素チャージした場合には,その頻度がさらに上昇することが判った。したがって,本研究に用いた析出強化型高Mn-γ鋼は時効状態において,内部水素の有無に関係なく粒界破壊を生じる材料であり,水素はその粒界破壊のプロセスを促進させる役割を担っているものと考えられる。この粒界破壊の支配要因を明らかにするため,まずは7Ni-PA材と11Ni-PA材の引張試験前の粒界近傍をTEMにより観察した。その結果をFig.16に示す。7Ni-PA材および11Ni-PA材ともに,結晶粒内の微細なVCに加え,粒界には100~200 nm程度の塊状炭化物が析出していた。TEM内でのエネルギー散乱X線分析(EDX)および電子線回折から,これらはCr,Fe,およびVを主な構成元素とするM23C6系炭化物であることが判明した。また,Fig.16(b)および(d)に示す通り,結晶粒界近傍を拡大観察すると,いずれも粒界を跨ぐ片幅50 nm程度の無析出帯(Precipitation-Free-Zone:PFZ)が認められた。

Fig. 16.

TEM images of the grain boundaries in non-deformed (a)(b) 7Ni-PA and (c)(d) 11Ni-PA: (a)(c) low- and (b)(d) high-magnification images.

次に,水素チャージした7Ni-PAと11Ni-PAの破断試験片に対して,破面直下100 µm以内に含まれる粒界をTEMにより観察した結果をFig.17に示す。いずれも粒界近傍には高密度の転位が分布していたが,加工誘起マルテンサイトは認められなかった。ただし,7Ni-PA材では11Ni-PA材と比べて,図中矢印で指し示す通り,厚さ数10 nmの薄い変形双晶がより多く認められ,そのうち幾つかは粒界へと衝突していた。この結果はFig.15で示したEBSD観察とは一見矛盾するが,7Ni-PA材のTEM観察で認められた変形双晶は厚さが50 nmに満たないものがほとんどであり,ステップサイズ50 nmのEBSD解析では捕捉できなかったものと考えられる。両鋼種で認められた粒界炭化物,PFZ,そして7Ni-PA材の粒界近傍で認められた変形双晶は,析出硬化型高Mn-γ鋼の粒界破壊発生プロセスと,水素による粒界破壊促進メカニズムに関与しているものと考えられ,それぞれの影響については後述の粒界破壊メカニズムの考察にて言及する。

Fig. 17.

TEM images around the grain boundaries in fractured hydrogen-charged (100 MPa, 270°C) specimens of (a) 7Ni-PA and (b) 11Ni-PA. Red arrows indicate deformation twins. (Online version in color.)

4. 考察

4・1 水素未チャージ材の粒界破壊メカニズム

析出硬化型高Mn-γ鋼では,時効硬化と内部水素量の増大に伴って,絞り値が低下した(Table 4)。水素未チャージ状態における破壊形態は,引張強度が800~900 MPaであるAs-ST材の場合,7Ni,11Niともにディンプルを伴った延性破壊が主であった。一方,引張強さが1000 MPaを超える時効材では,粒界破壊が生じるようになった(Fig.11)。このように,水素チャージを施していない状態であっても,析出物の粒内微細分散によって高強度化させた際に,粒界破壊が誘起される現象は従来から多くの析出強化型合金で確認されている。たとえば,Ohmori and Maehara23)γ系ステンレス鋼中のNbCの析出,そしてOguraら24)はAl-Zn-Mg合金中の金属間化合物の析出による粒界破壊の発生を報告している。これらはいずれも,析出物の微細分散によって粒内が強化される一方,析出物が粒界上に偏析し,さらに粒界に沿って軟質なPFZが形成されたケースである。塑性変形に伴って粒界析出物に転位が堆積することで,マトリクス/析出物界面に剥離が生じてマイクロボイドが生成され,その後の塑性変形の進行に伴ってマイクロボイドが拡大・成長することで粒界破壊に至る。また,PFZ内は析出強化された粒内よりも相対的に強度が低いため,塑性変形の集中サイトとなり,マイクロボイドの生成・成長プロセスを助長すると考えられている。Fig.16に示した通り,7Ni-PA材および11Ni-PA材ではいずれも,結晶粒内に微細な球状VCが,そして粒界にはM23C6系炭化物の析出と,片幅50 nm程度のPFZが認められた。したがって,本研究対象の析出硬化型γ鋼においても,Ohmori and Maehara23),Oguraら24)が報告したものと類似のメカニズムにて粒界破壊が生じたものと考える。ただし,Fig.16で観察された本研究対象材のPFZは,Ohmori and Maehara23),Oguraら24)が報告している片幅200 nmを超えるPFZよりも狭く,全く同様に変形初期から塑性変形が優先的に進行するサイトになったとは考え難い。それは,粒子径が100 nmに満たないナノ結晶材料では,粒子内での転位運動が難しくなること25)と同様に,片幅50 nmのPFZ内において,塑性変形が優先的に生じたとは考えられないためである。したがって,本研究で用いた鋼種の粒界破壊に対しては,転位堆積によるマトリクス/粒界析出物の剥離が主要な因子であり,PFZは生成した粒界マイクロボイドの成長・拡大を促進する軟質層として,粒界破壊プロセスの進行を補助する役割を担ったものと考える。また,Fig.15Fig.17にそれぞれ示したEBSD解析とTEM観察の結果によると,7Ni-PA材および11Ni-PA材ともに,塑性変形の痕跡であるすべり線や変形双晶が粒界へと衝突している様子が認められており,これらも粒界炭化物の存在と協働して,粒界破壊の核となるマイクロボイド形成に関与したものと考えられる。

以上のような粒界破壊プロセスは,水素の存在に関係なく,時効硬化した本研究の対象材にて生じる破壊様式である。このプロセスに及ぼす水素の影響について議論するに先立ち,水素未チャージ材が粒界破壊に至るまでの詳細な過程を,Fig.18(a)~(f)に示す模式図に基づいて説明する。まず,引張変形の初期段階で,はFCC格子の最稠密面である{111}面上にすべり変形が生じ,粒内の転位源から発生した転位が粒界析出物,あるいは粒界に衝突するまで移動する(Fig.18(a))。そして,塑性変形の進行に伴って堆積転位の数が増加すれば,粒界析出物とマトリクスとの界面あるいは粒界上に応力集中が生じる(Fig.18(b))。転位が粒界析出物に衝突して堆積した場合には,析出物/マトリクス界面の剥離が生じ,マイクロボイドが発生する23,24)。一方,直接粒界へと衝突した転位も,隣接結晶粒へ通り抜けることができずに堆積し,この場合は隣接粒への転位の射出を促す。こうした粒界における転位の衝突と射出が,粒界内の原子配列の不規則性を高め,粒界には原子レベルの空孔性欠陥(フリーボリューム)が生じる。このような転位の衝突と射出が近接する複数のすべり面上において繰り返されることで空孔性欠陥の密度が増大し,次第に成長・合体してマイクロボイドが形成されると推察する(Fig.18(c))。この一連の粒界マクロボイド形成プロセスについては,Wanら26)が分子動力学シミュレーションを用い,鉄中の転位と粒界の相互作用を解析してその妥当性を実証している。さらなる塑性変形の進行により,上記で形成されたボイドの成長・拡大が促進される(Fig.18(d))。これに加え,多くのγ鋼では変形の中期から後期になると,転位に加えて変形双晶が塑性変形を担うようになる27,28)。変形双晶と粒界との衝突部には大きな応力集中が生じ29),これが前駆段階で形成されたマイクロボイドを連結させることで粒界破壊に至る(Fig.18(e)~(f))。以上のマイクロボイドの形成と連結という過程を経た粒界破壊のため,破面上にはサブミクロンオーダーの微小ボイドが無数に認められたものと考えられる(Fig.13)。

Fig. 18.

Schematics of the inter-granular fracture mechanism during tensile tests of non-charged and hydrogen-charged specimens of 7Ni and 11Ni under aged condition. (Online version in color.)

4・2 水素による粒界破壊促進メカニズム

前節にて推定した水素未チャージ材の粒界破壊メカニズムに基づくならば,水素による粒界破壊促進に対しても,同様にして塑性変形が重要な因子になると考えられる。金属材料の塑性変形に及ぼす水素の影響については多数のモデルが提案されており,その中でも代表的なものの1つが,水素が転位の生成と運動を助長し,局所的な塑性変形を促進するという水素助長局所変形(Hydrogen-enhanced localized plasticity: HELP)機構である30,31)。この機構は,本研究でのSSRT試験のように遅いひずみ速度の下で,水素が運動する転位に追従して材料中を移動する(転位による水素の輸送3234))ことで発現するとされている。さらに,水素が塑性変形の過程で生成した空孔を安定化させて,その凝集とクラスター化を助長し,延性破壊の進行を容易にするという水素助長ひずみ誘起空孔(Hydrogen-enhanced strain-induced vacancies:HESIV)機構も唱えられている34,35)。本研究の対象材と同じ析出硬化型γ鋼であるSUH660あるいはA286においても,内部水素が存在する場合に平滑破面が多く認められることが複数報告されており,これらの機構に立脚して,そのメカニズムが考察されている11,12,3639)

Imadeら11)とHicks and Altstetter36)は,A286の引張試験で認められた平滑破面は,粒内のすべり面または焼なまし双晶界面の分離によって形成されたと推定している。本研究で用いた7Niおよび11Niは水素によって平滑破面の発生が促進された点はこれらの報告と一致するものの,主な破壊発生サイトは粒界であることから,微視的メカニズムの観点で同一であったとは言えない。一方,Tajimaら12)は平滑破面の発生箇所についての詳細な特定はしていないが,Hicksらと同じく内部水素によって平滑破面の面積率が増大することを確認し,その理由として,水素による局所的なすべりの助長,すなわちHELP機構の発現を挙げている。また,Chenら37)は通常成分のA286と,Al・Tiを増量してγ’(Ni3(Al,Ti))相の析出量を増した供試材の水素脆化挙動を比較し,き裂の発生箇所として結晶粒界と双晶界面の両方を挙げている。しかし,通常成分のA286の場合は粒界破壊しか認められておらず,γ’の析出量を増加させた場合のみに,双晶界面での破壊が生じるとしている。Takakuwaら38,39)も,内部水素によって平滑破面の形成が促進されることを確認しており,き裂発生サイトは主に粒界であると報告している。彼らは,粒界破壊に至るまでの塑性変形過程に対し,HELPおよびHESIV機構に立脚した水素の振舞いを当てはめ,独自の破壊モデルを提案している。Takakuwaらの粒界破壊モデルには,粒界への転位堆積,粒界マイクロボイド形成,変形双晶という,前節で挙げた3つの重要因子が全て含まれている。7Niおよび11NiはA286とは材料組成が大きく異なるものの,いずれもγマトリクスの材料であるため,塑性変形開始から粒界破壊に至るまでの挙動は互いに類似していると考えられる。そこで本研究では,Takakuwaらが提唱したモデルをベースに,析出強化型高Mn-γ鋼の粒界破壊プロセスに及ぼす水素の影響について以下のように考察した。Fig.18(g)~(k)に,その模式図を示す。

材料中に内部水素が存在する場合,まずは特定の{111}面上で転位運動が活性化されて,変形を担うすべり面の総数が水素未チャージ材の場合よりも減少する。これによってすべりの局在化(HELP機構)が起こり,すべり面当たりの粒界堆積転位の数が増加する(Fig.18(g))。加えて,転位の粒界堆積に伴い,粒内に分布していた水素は粒界の近傍へと運搬され,偏析する。転位が粒界析出物と衝突する場合,堆積転位による応力集中にてマトリクスと粒界析出物界面の剥離が生じる。この際に水素は,マトリクスと析出物界面の結合エネルギーを低下させ,マイクロボイドの発生を早める働きをする。このように,水素が直接的に材料の原子間結合力や界面の結合エネルギーを低下させて破壊を助長するという機構は,格子脆化(Hydrogen-enhanced decohesion:HEDE)機構40,41)と呼ばれ,水素の存在下での破壊促進メカニズムの一つとして知られている。一方,直接粒界へと転位が堆積する場合には,粒界偏析した水素が先述の転位衝突・射出プロセスによって形成された空孔性欠陥を安定化させてそのクラスター化を助長し(HESIV機構),内部水素が存在しない状態よりもマイクロボイドの発生が早まる(Fig.18(h))26,42)。その後は水素未チャージの場合と同様に,変形双晶が形成されて粒界に応力集中が生じる29)(Fig.18(i)~(j))が,水素は双晶変形を促進し,その開始点を低ひずみ側へ移行させることが知られている4345)ことから,これがマイクロボイドの連結と粒界破壊をより一層早める要因となる。以上のように,析出強化型高Mn-γ鋼において,水素はHELP,HEDEおよびHESIV機構全ての発現を通し,同鋼特有の粒界破壊プロセスを促進する因子として働き,延性低下を引き起こしたと考える。

4・3 耐水素性に及ぼすNi含有量の影響

本研究で実施した一連のSSRT試験では,Ni増量した11Niの方が7Niよりも耐水素性に優れていた。γ鋼においては,SUS304のように塑性変形中に加工誘起マルテンサイト変態を起こす場合,水素脆化感受性が高くなることが報告されている46)。これは,水素を多量に含んだFCC相が水素固溶度の小さいBCC相へと瞬時に変態することによって一時的に水素が過飽和になる47)ことや,BCC相における水素の拡散係数がFCC相よりも大きいため,水素の移動・集積が容易であることが理由とされている5,6)γ相の安定性はNi含有量と強い相関を持つため,7Niの方が11Niよりも加工誘起マルテンサイト変態が起こり易い。そのため,鋼種間で生じた耐水素性の差も,引張変形中の加工誘起マルテンサイト変態の有無に起因している可能性がある。しかしながら,Fig.15で示した通り,破断した水素チャージ材では両鋼種とも加工誘起マルテンサイト変態は認められなかった。一方,他に確認された7Niと11Niの相違点は,引張変形後における変形双晶の発生挙動である。Fig.15 で示したEBSD解析結果では,7Ni-PA材よりも11Ni-PA材において,より多くの変形双晶が発生しているように見受けられた。しかし一方で,Fig.17で示したTEM観察結果では,7Ni-PA材の方が粒界近傍に多数の薄い変形双晶が形成されていた。この矛盾点については前述の通り,7Ni-PA材で発生していた変形双晶が,EBSDで判別するためには薄すぎたためであると考える。一般に,積層欠陥エネルギー(Stacking fault energy,SFE)が低い材料ほど,完全転位が2本のショックレー部分転位へと拡張する傾向が強くなり,らせん転位の交差すべりが困難となって転位運動がプラナー化し易い。また,FCC結晶中の変形双晶は拡張転位の重なり合いを核として発生する48,49)ことから,双晶発生の傾向もまた,SFEの低さに律速される42,50,51)。SFEは合金組成に強く依存し,SUS304やSUS316をベースとしたγ系ステンレス鋼の調査では,主にNiがSFEを上昇させることが報告されている5254)。すなわち,11Niよりも7NiにおいてSFEは低くなると考えられ,プラナーな転位運動と変形双晶が生じ易かったものと考える。また,SFEが低く(交差すべりを起こしにくく)なるにつれ,転位堆積によるバックストレス成分の増加,動的回復の抑制,変形双晶によるDynamic Hall-Petch効果等を通じて,引張試験中の加工硬化率が高くなる50,55-57)Fig.19に,水素未チャージ状態の7Ni-PA材と11Ni-PA材のSSRT試験結果から導出した,真応力-真ひずみ線図と加工硬化率曲線を示す。7Ni-PA材の加工硬化率は僅かではあるが11Ni-PA材よりも高く推移しており,7Ni-PA材は11Ni-PA材よりもSFEが低い材料であることを示唆している。さらに,変形双晶の厚さはSFEが低いほど薄くなる58)。7Ni-PA材中の変形双晶がEBSDでは判別できず,TEMによる高倍率観察にて初めて確認できるほど薄かった事実も,7Ni-PA材の方が低SFEであることを支持している。

Fig. 19.

True stress-true strain and work-hardening rate curves of non-charged specimens of 7Ni-PA and 11Ni-PA. (Online version in color.)

転位プラナリティの上昇は粒界へ堆積した転位の交差すべりを抑制し,変形双晶は前述のように粒界との衝突部に応力集中を招く29)。これらの現象が生じ易い材料,すなわちSFEが低い材料ほど,粒界破壊も生じ易くなる。このことは,水素未チャージ材の場合に,7Ni時効材の方が11Ni時効材よりもディンプル破面率が低かったこと(Fig.12)とも整合する。水素チャージ材の場合,7Niと11Niの差は,ディンプル破面率に加えてRRAに対しても顕著に現れた(Fig.9)。7Niは11NiよりもSFEが低いため,水素によるすべりの局在化とプラナーな転位運動が相まって転位堆積が進行し(Fig.18(g)),そこへ変形双晶による応力集中(Fig.18(j))が協働して粒界破壊が促進され,平滑破面率の増大と,それに伴う絞りの低下を招いたと考える。

4・4 耐水素性に及ぼすVC析出の影響

TEMでVC粒子の析出が確認されたPA材およびOA材では,TDA測定において,ST材やUA材では認められなかった高温側(500~550°C付近)の水素放出ピークが観測された。この高温側で放出された水素はVC粒子にトラップされていたものであると考える。また,ピーク温度が高いほど,水素脱離のための活性化エネルギーが高いと言えるため,VCと水素との結合エネルギーは,格子間サイトや結晶粒界等のものよりも大きいと考えられる。VCによる水素トラップが侵入水素の粒界への集積を抑制することから,高張力ボルト用鋼などにおいては,VCを耐水素性の改善(遅れ破壊の抑制)に活用している例がある13,14)。しかし,本研究対象材の11Niにおいては,強度レベルはほぼ同等でVC析出状態のみが異なるUA材とOA材とで水素脆化の程度(RRA)に大きな差は無く,またPA材は圧力0.7 MPaの水素チャージにて侵入させた3 mass ppm程度の水素量でも延性が低下した。これらの結果から,VC析出による水素トラップは,7Niおよび11Niにおいて耐水素性の改善にはほとんど寄与しなかったと結論できる。この理由としては,侵入した水素の総量が,VC粒子にてトラップできる水素量を超えていたことが挙げられる。Fig.6に示す通り, 格子間サイトまたは結晶粒界からの水素放出を示す400°C近傍の水素放出ピークは全ての供試材に共通して認められた。これらの未トラップ状態の水素が,Fig.18(g)~(k)で示したようなHELP,HESIVおよびHEDE機構を介した粒界破壊を促進した結果,VCによる水素脆化抑制効果が表れなかったと考える。このため,時効条件に依存して,VCの析出形態や分散状態は変化するが,いずれの時効状態であっても,粒界破壊を促進させる水素の挙動は変わらず,Fig.18(g)~(k)で示した水素の破壊促進モデルは,どの時効条件にも共通するものと考える。

4・5 耐水素性改善方法の検討

本研究で推定された粒界破壊メカニズムとNi増量による耐水素性の改善効果に基づくと,水素によって助長されるすべりの局在化,および変形双晶の発生を抑制することが,今回調査した11Niよりも更に耐水素性を高めた合金を見出す鍵であると考える。その方法の一つに,SFEを上昇させるための成分調整が挙げられる。その狙いは,交差すべりを促進することによって,転位堆積による粒界への応力集中を緩和することである。ただし,SFE増減の合金成分依存性に関して知見がほとんどない本研究の対象材でその効果を検証するには,特に含有量の多いCr,NiおよびMnの量を調整し,各々がSFEの増減に及ぼす影響を見極めるところから始める必要がある。一方,最近Koyamaら59,60)は20 mass %以上のMnを含むFe-Mn合金,およびCr-Co-Fe-Mn-Niの5元系ハイエントロピー合金の耐水素性に関する研究を通して,粒界破壊発生の抑制には,Mnの減量が有効となる場合があることを確認し,その理由としてMn自体に粒界強度の低下を招く効果があるためと考察している。本研究対象材のMn添加量は8.5 mass %に統一しているが,高圧水素環境中における耐水素性の更なる向上には,加工誘起マルテンサイト変態を回避することを前提にγ安定度を確保しつつ,SFEの上昇,そして粒界強度への影響を考慮したMn添加量の最適化を図ることが重要であると考える。

5. 結言

Fe-10Cr-7Ni-8.5MnおよびFe-10Cr-11Ni-8.5Mn基VC析出硬化型高Mn-γ鋼に着目し,その耐水素性に及ぼすNi含有量ならびに時効熱処理の影響について調査するとともに,引張試験における破壊メカニズムについて検討した。以下に結論を示す。

(1)Ni含有量を7 mass %から11 mass %へと増量することにより,より良好な耐水素性が得られた。これは,Ni増量によって積層欠陥エネルギー(SFE)が上昇し,プラナーな転位運動および変形双晶の形成が抑制されたためと考えられる。

(2)VC粒子はγマトリクス中においても水素トラップ効果を示した。ただし,約3 mass ppmの水素が侵入した場合でも延性は有意な低下を示し,γ鋼においてVC粒子の水素トラップが延性低下を抑制する効果は軽微であった。

(3)時効熱処理は,水素未チャージ材における引張破断時の粒界破面率を増大させ,さらに鋼中に水素が侵入することで水素未チャージ材よりも一層粒界破壊率が増大し,延性は低下した。

(4)時効熱処理により,粒内の微細なVC析出とともに,粒界上へのM23C6系炭化物の析出と,粒界に沿う無析出帯(PFZ)が形成する。水素未チャージの時効処理材の場合,引張変形が付与されることで,マトリクスと粒界析出物界面の剥離,隣接粒への転位射出に伴う空孔性欠陥の生成,そしてこれらを起源とするマイクロボイドの成長と拡大が進行した結果,粒界破壊に至ったと考えられる。一方,水素チャージを施した時効処理材の場合では,内部水素がすべりの局在化を助長する(HELP機構)とともに,水素が転位によって粒界へと運搬されて集積し,マトリクスと粒界炭化物の界面剥離と,粒界上におけるマイクロボイドの形成も助長(HEDE機構,HESIV機構)した結果,粒界破壊の進行が促進されたものと考える。

謝辞

本研究の遂行に当たり,水素侵入挙動および機械的性質評価の実験作業に協力して頂いた九州大学大学院水素エネルギーシステム専攻(現:日鉄ケミカル&マテリアル株式会社)の浅沼勇気氏に感謝いたします。

文献
 
© 2022 The Iron and Steel Institute of Japan

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