Tetsu-to-Hagane
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Mechanical Properties
Formation of Vacancy-type Defects in Cold-drawn Pearlitic Steel during Tensile Deformation with Hydrogen Charging
Tomohiko Omura Tetsushi ChidaKota TomatsuToshiyuki ManabeToshihiko TeshimaKazuki SugitaMasataka MizunoHideki ArakiYasuharu Shirai
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2022 Volume 108 Issue 3 Pages 224-232

Details
Abstract

The effects of hydrogen charge on the formation of vacancy-type defects in cold-drawn pearlitic steel were investigated by using positron lifetime spectroscopy, and the correlation between vacancy-type defects and susceptibility to hydrogen embrittlement was discussed. Pearlitic steels aged at 300°C and 450°C after cold-drawing were used. Both tensile deformed and subsequently fractured samples were prepared by slow strain rate tests (SSRT) with and without cathodic hydrogen charge. Average positron lifetime increased with increasing tensile strain both in the case of the 300°C-aged and 450°C-aged steels. There is no remarkable effect of hydrogen charge on the average positron lifetime of both steels. The results mean applying tensile strain increases the amount of lattice defects such as dislocation or vacancy, although hydrogen has little effect. On the contrary, positron lifetime of vacancy cluster component was increased by hydrogen-charged SSRT, and an increase in hydrogen concentration in both steels promoted vacancy clustering furthermore. The 450°C-aged steel showed more remarkable vacancy clustering than the 300°C-aged steel, implying that the lamellar structure in the 300°C-aged steel prevented vacancy clustering. Fracture strains after SSRT were decreased by hydrogen charge due to hydrogen embrittlement, and an increase in hydrogen concentration decreased the fracture strain in both steels. Fracture strains of all tested samples with and without hydrogen charge showed a strong dependence on the degree of vacancy clustering. That means vacancy clustering has a big effect on fracturing of steels, and a detrimental effect of hydrogen is attributable to the promotion of the vacancy clustering.

1. 緒言

伸線パーライト鋼は,高強度でありながらマルテンサイト鋼に比べて耐水素脆化特性に優れることが知られている1)。伸線パーライト鋼の水素吸蔵特性や耐水素脆化特性に影響する組織因子に関しては,過去に広範な研究例がある。Takaiらは二次イオン質量分析2)や昇温脱離分析35)を活用し,フェライト相中の転位や,加工を受けたフェライトとセメンタイトの界面が水素トラップサイトとなると推定している。Chidaら6)やHirakamiら7,8)は伸線加工ひずみ量や時効温度の影響を調査し,伸線加工ひずみ量の増加に伴って拡散性吸蔵水素濃度が増加すること6)や,時効温度の高温化に伴って水素濃度が低下すること6,7)を報告している。時効の作用として,炭素が転位に固着し転位への水素トラップを阻害するサイトコンペティション効果や,水素トラップサイトとして働く転位密度の低下効果が推定されている68)。また,Tomatsuらは陰極水素チャージ下の微小曲げ試験を行い,母相のフェライトとセメンタイトの界面で水素脆化き裂が伝播することを直接観察している9,10)。ここから,伸線パーライト鋼の優れた耐水素脆化特性の主要因は,水素脆化のき裂の進展方向に対して異方的な組織を有していることだと推定している。

また近年,鉄鋼材料の水素脆化特性に及ぼす空孔性欠陥の寄与が注目されており,水素が空孔性欠陥の生成を促進するとした水素助長歪誘起空孔理論(Hydrogen Enhanced Strain Induced Vacancy model, HESIV)が提唱されている11,12)。Takaiらはこの観点から伸線パーライト鋼の水素脆化機構を調査している13,14)。水素を吸収させて引張変形させた試験片に,脱水素後に再び水素を吸収させると,水素無しで変形させた試験片よりも水素吸収能が大きくなり13,14),水素下の引張ひずみ付与は水素トラップ能を持つ格子欠陥の生成を促進すると推定している。ただし,引張変形時に弾性域で破断した場合には水素による格子欠陥の生成は認められず14),この場合にはフェライトとセメンタイトの界面にトラップされた水素による凝集力低下機構が脆化の主要因だと推定している。

空孔性欠陥の定量的な検出には陽電子消滅測定が有用である15,16)。純鉄17),マルテンサイト系の低合金鋼1820),マルテンサイト系ステンレス鋼21,22),オーステナイト系材料2325)において,水素チャージ下で引張変形をさせた試験片を用いた測定により,水素が空孔性欠陥の生成を促進することが報告されている。

一方,伸線パーライト鋼については,陽電子消滅測定により空孔性欠陥の生成挙動を調査した例は無い。本研究では,時効温度を変化させた伸線パーライト鋼を用いて,空孔性欠陥生成に及ぼす水素濃度と引張ひずみの影響を調査し,その耐水素脆化機構を空孔性欠陥生成の観点から考察した。

2. 実験方法

2・1 供試材

供試材にはTable 1に示す化学組成のJIS SWRS82B鋼を用いた。直径が13 mmの線材を880°Cで10 min加熱後,530°Cの鉛浴にてパテンチング処理を実施した。これに潤滑皮膜を付与した後,直径5 mmまで冷間伸線加工した。伸線加工ひずみ(真ひずみε=ln(A0/A),A0:伸線加工前断面積,A:伸線加工後断面積)は1.9である。その後,300°Cまたは450°Cで10 min保持の時効処理を実施した。300°Cの時効は伸線加工後に耐力の増加や伸びの回復のために行われるブルーイング処理を想定し,450°Cの時効はさらにこれらの特性が回復できる条件として設定した。

Table 1. Chemical compositions of steels used. (mass%)
CSiMnPS
0.840.250.730.0170.005

2・2 水素分析

供試材の中心部から,直径が3 mmの円柱試験片を採取し,無ひずみ無応力下で水素チャージ試験を行った。試験前には試験片の表面を600番エメリー紙まで研磨した。試験片端部に導線を接続し,接続部はシリコン樹脂で被覆した。脱気は行わず,大気開放系で試験を行った。ポテンショスタットを用いて,常温の3%NaCl水溶液に0.1~20 g/Lのチオシアン酸アンモニウム(NH4SCN)を加えた水溶液中で,カソード電流密度0.1 mA/cm2の条件で水素チャージを行った。試験時間は24 hである。水素チャージ直後の試験片は水素の逃散を防止するため,液体窒素中で保管した。

試験片中に吸蔵された水素濃度は,ガスクロマトグラフを用いた昇温脱離分析法(TDA, Thermal Desorption Analysis)により測定した。分析前に表面の付着物を除去する目的で600番エメリー紙を用いて研磨し,その後アセトン洗浄,乾燥を行った。試験片を装置に挿入後,10 minのアルゴンガスのパージを実施後に測定を開始した。昇温速度は100°C/hとし,500°Cまで昇温分析を行った。

2・3 水素チャージ下の低ひずみ速度引張試験

引張ひずみによる格子欠陥の生成挙動を観測するため,供試材の中心部から試験部の直径が3 mm,試験部の長さが25 mmの平滑丸棒引張試験片を採取し,陰極水素チャージ下の低ひずみ速度引張試験(Slow Strain Rate Test, SSRT)を行った。試験前には,試験部を600番エメリー紙まで研磨した。陰極水素チャージは,常温の3%NaCl水溶液に0.1~20 g/Lのチオシアン酸アンモニウム(NH4SCN)を加えた水溶液中で,カソード電流密度0.1 mA/cm2の条件で行った。試験片の試験部を覆う形に試験セルを取り付け,セル中に試験液を充填した。試験片端部には陰極チャージのための導線を接続した。この接続部は試験液に触れていない。セル中には白金対極をいれ,ポテンショスタットを用いて陰極チャージを行った。脱気は行わず,溶液は大気開放系とした。SSRTの前に24 hの予備チャージを行った後,その条件で水素チャージを行いながら,ひずみ速度4×10-6/sでSSRTを行った。別途,常温大気中のSSRTも行い,水素チャージ下のSSRTと破断伸びや引張強さを比較した。また,試験を破断まで行う場合と,所定のひずみ量で破断前に試験を途中で止め,除荷して取り出した試験片の評価も行った。破断した試験片および破断前に途中取り出しした試験片の全長を測定し,試験前の試験片の全長と比較することで,全伸びを測定した。

2・4 陽電子寿命測定

Fig.1に示すように,SSRT後の試験片の試験部を放電加工により応力負荷軸に平行に切断し,断面の表面を2000番までのエメリー紙による湿式研磨後,電解研磨を施し表面加工層の除去を行った。破断材については,均一変形部を対象とした測定を行うため,破断部近傍をあらかじめ切断し除去した上で測定に供した。ポリイミドフィルムで密封した22Na陽電子線源を用い,この線源を2枚の研磨面で挟み込むことによって,25°Cの大気雰囲気中で陽電子寿命測定を行った。デジタルオシロスコープとBaF2シンチレータをマウントした2対の光電子増倍管で構成されたシステムを用いて,陽電子寿命の測定を行い,各試料300万カウントの陽電子寿命スペクトルを収集した。得られた陽電子寿命スペクトルの解析にはRESOLUTION26)およびPOSITRONFIT Extended27)を用いた。測定システムの時間分解能と陽電子線源成分の陽電子寿命と相対強度は純鉄の完全焼鈍材の陽電子寿命スペクトルをRESOLUTIONで解析することにより決定し,陽電子寿命スペクトル解析に用いた。測定システムの時間分解能は185 – 187 psであった。平均陽電子寿命は陽電子寿命スペクトルから線源成分を差し引き,1成分解析することによって得た。以降の陽電子寿命スペクトルの解析にはPOSITRONFIT Extendedを用いた。次にトラッピングモデル28)を仮定して転位成分,空孔クラスター成分の2成分に陽電子寿命スペクトルを分解した。

Fig. 1.

Observed surface for positron lifetime spectroscopy. (Online version in color.)

3. 結果

3・1 水素吸蔵挙動

Fig.2に300°C時効材の陰極水素チャージ試験後の水素昇温脱離曲線の代表例を示す。図中には溶液中のNH4SCN量が0.1,1,3,20 g/Lの結果を示している。なお,本報におけるppmはいずれも重量ppmを示す。いずれの条件も,100°C近傍に第一ピーク,250~350°Cに第二ピークを示した。NH4SCN量が増すほど第一ピークは高くなったが,第二ピークに及ぼすNH4SCN量の影響は小さかった。Fig.3に450°C時効材の水素昇温脱離曲線の代表例を示す。第一ピークの温度はFig.2の300°C時効材よりも低く,60~80°C近傍であった。また,同じNH4SCN量で比較すると,300°C時効材よりもピークは低かった。450°C時効材では第二ピークは現れなかった。

Fig. 2.

TDA profiles of the 300°C-aged steel. (Online version in color.)

Fig. 3.

TDA profiles of the 450°C-aged steel. (Online version in color.)

Fig.2~3の昇温脱離曲線の第一ピークを積分し,これを水素脆化に影響する室温拡散性水素濃度と解釈し,Fig.4にNH4SCN量に対して整理した。300°C時効材および450°C時効材ともに,NH4SCN量が増すほど拡散性水素濃度は増加するが,3 g/L以上では増加は緩やかであった。また,同じNH4SCN量では,300°C時効材の方が450°C時効材よりも多くの水素を吸蔵した。

Fig. 4.

Effect of the amount of NH4SCN in the test solution on hydrogen absorption under cathodic hydrogen charging.

3・2 水素下の機械的特性

Fig.5に,SSRT後の破断伸び(Fracture elongation)を拡散性吸蔵水素濃度に対して整理した。縦軸は破断伸びであり,試験前後の試験片全長の変化を,試験片の試験部の長さ(25 mm)で除した値である。横軸は3・1節で述べた無ひずみ無応力の試験片に,SSRTと同じ条件で水素チャージをした時の拡散性水素濃度である。水素チャージ下のSSRTでは,負荷荷重や塑性変形の影響により,試験初期に比べ試験中に吸蔵水素濃度が漸増する可能性がある。SSRT後の試験片を直接用いて,試験片中の水素濃度を測定することは可能だが,試験条件が異なると負荷荷重や塑性変形量が異なるため,この漸増の効果が一律でない。本研究では試験条件間の厳しさと吸蔵水素濃度の序列を対応付け,さらにこれらと各種欠陥の生成挙動の関連を検討する主旨から,Fig.5の横軸は3・1節で述べた無ひずみ無応力の試験片の測定値とした。

Fig. 5.

Effect of diffusible hydrogen concentration on fracture elongation.

Fig.5において,横軸がゼロの点は大気中のSSRTの結果であり,300°C時効材および450°C時効材ともに,8~10%の破断伸びを示した。一方,水素チャージ下のSSRTでは破断伸びは大気中に比べ低下し,水素による脆化が起こっていた。破断伸びの低下は拡散性水素濃度が多くなるほど顕著であった。ただし,同じ水素濃度で比較すると,300°C時効材の方が450°C時効材よりも破断伸びは大きかった。300°C時効材では水素濃度が7.1 ppmで破断伸びは大気中の約半分,450°C時効材では水素濃度が4.2 ppmで破断伸びが大気中の約半分となった。

Fig.6に引張強さ(Tensile strength, TS)に及ぼす拡散性吸蔵水素濃度の影響を示す。横軸がゼロの点は大気中のSSRTの結果であり,300°C時効材では引張強さは2000 MPa,450°C時効材では1700 MPaであった。300°C時効材では,水素濃度の増加に伴って引張強さは低下し,水素濃度が7.1 ppmで引張強さは1900 MPaとなった。450°C時効材では引張強さは水素濃度の増加に伴ってわずかに低下し,水素濃度が4.2 ppmで引張強さは1680 MPaとなった。

Fig. 6.

Effect of diffusible hydrogen concentration on tensile strength.

3・3 空孔性欠陥の生成挙動

Fig.7にSSRT前後の試験材を用いて,陽電子消滅試験により測定した平均陽電子寿命を示す。横軸は試験前後の試験片の全長変化から求めたひずみ量である。横軸がゼロの点は,引張試験前の試験片を用いた測定結果であり,300°C時効材では153 ps,450°C時効材では146 psであった。さらに図中には,300°C時効材および450°C時効材の大気中SSRTおよび水素チャージ下のSSRTの途中止め材および破断材の結果をプロットした。水素チャージ材の水素濃度は,300°C時効材では4.1 ppmおよび7.1 ppm,450°C時効材では2.4 ppmおよび4.2 ppmである。ひずみ量の増加に伴い平均陽電子寿命は増加したが,300°C時効材と450°C時効材の間で差は小さく,かつ水素チャージの影響は認められなかった。

Fig. 7.

Average positron lifetime of SSRT specimens.

陽電子寿命スペクトルの2成分解析を行った結果,引張試験前の300°C,450°C時効材ではそれぞれ136,132 psの短寿命成分と227,212 psの長寿命成分が得られた。パテンチング材の陽電子寿命は131 psであることから,時効材の短寿命成分はパーライト組織由来に由来すると推定される。引張試験途中止め材および破断材では150-158 ps (155.0±2.0 ps)の短寿命成分と292-351 psの長寿命成分が得られた。150-158 psの短寿命成分は冷間伸線加工を施したパーライトで得られた転位成分についての過去の報告29)と一致していることから,転位での陽電子消滅成分に対応していると考えられる。

Fig.8に転位成分の陽電子寿命を155.0 psで固定して再解析して得られた長寿命成分の寿命値(下図)および相対強度(上図)を示す。下図の長寿命成分は転位成分(155 ps)よりも長寿命であり,空孔クラスター成分の寿命値と解釈される。大気中のSSRT後の試験材では,300°C時効材および450°C時効材ともに,空孔クラスター成分の寿命値は293~309 psであった。一方,水素チャージ下のSSRT材は大気中SSRTとは異なる挙動を示した。300°C時効材では,水素濃度が4.1 ppmの条件では寿命値は305~315 psで大気中と差は無いが,水素濃度が7.1 ppmでは寿命値は340~350 psに増加した。450°C時効材では,水素濃度が2.4 ppmでは寿命値が341~348 psとなり大気中より高く,水素濃度が4.2 ppmではさらに349~363 psに増加した。すなわち,同水素濃度および同ひずみ量で比較すると,300°C時効材よりも450°C時効材の方が空孔クラスター成分の寿命が長い傾向にあった。また,Fig.8の上図の空孔クラスター成分の相対強度は引張ひずみ量が増すほど増加したが,水素チャージの影響は認められなかった。

Fig. 8.

Positron lifetime and intensity of vacancy cluster.

4. 考察

水素吸蔵挙動,水素下の機械的特性,空孔性欠陥の生成挙動への影響因子と,これらの相関を以下のように考察した。

4・1 水素吸蔵機構

Fig.4のように,300°C時効材および450°C時効材ともに,溶液中のNH4SCN量が増すほど拡散性吸蔵水素濃度は増加した。NH4SCNが水素侵入を促進する触媒として働くことがこの理由と考えられる。また,300°C時効材に比べ,450°C時効材では同水素チャージ条件における吸蔵水素濃度は約半分であった。乾湿繰り返し腐食試験(CCT,Cyclic Corrosion Test)および50°Cの20 mass%NH4SCN浴(FIP,Fédération Internationale de la Précontrainte浴)中の自然浸漬試験においても,伸線パーライト鋼の拡散性吸蔵水素濃度が時効温度の高温化に伴い減少する傾向が報告されている6)。250°C時効材に比べ,450°C時効材の吸蔵水素濃度はCCT条件では約半分,FIP浴では約半分から4分の1程度と報告されており6),本検討の結果も同様の傾向を示した。

Fig.2Fig.3を比較すると,第一ピークのピーク温度が,300°C時効材では100°C付近であるのに対して,450°C時効材では60~80°C近傍であった。この一因として,300°C時効材では第一ピークの水素が複数のサイトにトラップされており,第一ピークの中の高温側のトラップサイトが450°C時効で消失したことが推察される。第一ピークの水素トラップサイトは,転位およびセメンタイト界面近傍のフェライト中に弱くトラップされた水素の重畳と推定されている25)。450°Cの時効により,転位密度の低下やラメラ組織の崩壊(セメンタイトの球状化)が起こり3,6),第一ピークの水素濃度が低下したと考えられる。一方で,450°Cの時効により上記の水素トラップサイト数が低下することで,昇温脱離時の試験片からの水素の拡散速度が増加し,試験片から速やかに水素が脱離することで放出ピークが低温側に移行した可能性も考えられる。

また,一般的に伸線パーライト鋼は低温側の室温拡散性水素のピークに加え,高温側の室温非拡散性水素のピークも示すとの報告が多い1,38)。本検討の300°C時効材では,Fig.2のように第二ピークが観察されるが,450°C時効材では第二ピークは消失した。第二ピークはフェライトとセメンタイトの非整合界面に集積した転位に強くトラップされた水素と言われており35),450°Cの時効でラメラ組織が崩れることで,第二ピークが消失したと考えられる。一方で,第二ピークは転位芯による水素トラップを反映しているとの報告もある8)。この場合は,時効に伴い炭素が転位芯に固着し水素のトラップを阻害する作用や,第一ピークと同様に転位密度が低下する作用が考えられる。

4・2 水素下の機械的特性に及ぼす水素の影響

Fig.5のように,水素チャージ下のSSRTでは,同水素濃度で比較すると,300°C時効材の方が450°C時効材よりも破断伸びが大きい傾向にあった。水素の影響は破断伸びや絞り等の延性に強く現れることが多いため,この結果は300°C時効材の方が450°C時効材よりも同水素濃度下では耐水素脆化特性に優れることを示唆している。この一因として,Fig.2Fig.3の比較からわかるように,同じ第一ピーク(室温拡散性水素)でも300°C時効材の方がピーク温度が高温にあり,300°C時効材の方が水素が比較的強くトラップされており,水素脆化への影響が小さかった可能性が考えられる。300°C時効材の第一ピーク中には,前述にようにセメンタイト界面近傍にトラップされた水素も含まれており,これは転位にトラップされた水素に比べ水素脆化への影響が小さいと推定されている4)。また,300°C時効材では伸線方向にラメラ組織が発達(すなわちフェライトとセメンタイトの界面が伸線軸と平行方向に配向)し,伸線軸に垂直方向のき裂が発生および伝ぱしにくいことも一因と考えられる。図示は略すが,Fig.5の横軸を溶液へのNH4SCN量で整理すると,300°C時効材と450°C時効材は同一線上に乗る。すなわち,水素濃度ではなく環境条件を同一にして耐水素脆化特性を比較すると,300°C時効材と450°C時効材は同程度,と解釈される。

Fig.6のように,300°C時効材および450°C時効材ともに,水素チャージ下では引張強さがわずかに低下した。水素チャージ下では応力ひずみ曲線の取得ができないため厳密な議論は困難だが,試験装置のクロスヘッド変位に対する荷重の変化を見ると,破断までは大気中と水素チャージ材の曲線には差が無く,水素チャージ材では大気中試験の最大荷重点に到達する前に破断していた。よって,水素吸蔵により材料の軟化が起こっているわけではなく,Fig.5の延性低下がFig.6の引張強さ低下の要因である。

4・3 空孔性欠陥の生成機構

300°C時効材および450°C時効材ともに,Fig.7のように平均陽電子寿命はひずみ量に依存して単調に増加した。ひずみ量の増加に伴い転位が導入され転位密度が増加することや,転位の切り合いにより生成した空孔の密度が増加することなどが,この理由として考えられる。また,平均陽電子寿命に及ぼす水素の影響は認められなかった。同様の挙動はマルテンサイト鋼を用いた水素チャージ下のSSRTでも確認されている20)

一方,Fig.8下図のように水素の添加は長寿命成分の寿命を上昇させ,空孔のクラスター化を促進することが確認された。また,同水素濃度で比較すると,300°C時効材の方が450°C時効材よりも水素による長寿命成分の上昇,すなわち空孔のクラスター化の度合いは小さかった。300°C時効材では,引張ひずみにより導入された転位や空孔が母相とセメンタイト界面に吸収されて消滅し易いが,450°C時効ではラメラ組織の崩壊が進んでおり6),転位や空孔の界面吸収が起こりにくいことがこの差に影響している可能性がある。ただし,Fig.8上図の空孔クラスター成分の相対強度(空孔密度)は300°C時効材と450°C時効材で差が無いことから,ラメラ組織による空孔密度の低減効果は小さいと思われる。よって,ラメラ組織は局所的な空孔のクラスター化を抑制する働きをすると考えられるが,現時点ではその作用機構の詳細は明らかでない。また,フェライト相中に飽和したCが空孔と結合し,空孔のクラスター化を抑制する機構も想定されるが,300~450°Cの時効によりフェライト相中の固溶Cはほとんど炭化物(セメンタイト)として析出するであろうことを考えると,この機構の可能性は低いと考えられる。

今回測定された長寿命成分の寿命の最大値は380 ps程度であり,Fg.9の寿命と空孔クラスターサイズ(クラスター中の空孔の個数)の対応30,31)から,最大で15個程度の単空孔が凝集したクラスターの存在が示唆される。一方で,Fig.8の上図のように空孔クラスター成分の相対強度は引張ひずみ量に一義依存し,水素の影響は受けなかった。今回の測定では転位密度や空孔密度の絶対値は求められておらず,Fig.8の相対強度は空孔成分と転位成分の相対的な密度比を反映している。水素により転位密度が顕著に変化していなければ,同様に水素の空孔密度への影響は小さいことが示唆される。マルテンサイト鋼においても水素は転位密度や空孔密度に影響しないことが確認されている20)

Fig. 9.

Dependence of the positron lifetime on the size of vacancy cluster.

Fig.10に,過去に報告された種々の材料のSSRTによる破断伸びと長寿命成分の寿命値(空孔クラスター成分の寿命値)25)を,今回の伸線パーライト鋼の結果と比較して示す。図中のすべての材料系について,横軸の破断伸びと縦軸の空孔のクラスター化の度合いには良い対応が認められ,破壊と空孔のクラスター化が密接に関わっていることが示唆される。すなわち,水素による破断伸びの減少,言い換えると材料の延性の低下が,空孔クラスターサイズの増加に連動していると言える。塑性変形時に転位の切り合いにより生成した単空孔は,水素下では消滅せずにクラスター化する。空孔やそのクラスターは凝集し,最終的にはボイドに成長し破断に至ると考えられるが,水素の存在はその過程を促進していると推定される。

Fig. 10.

Relationship between the positron lifetimes of vacancy cluster components and fracture strains of hydrogen-free and hydrogen pre-charged various materials. (Online version in color.)

Fig.10を詳細に見ると,SUS304や316L23,24),Ni-Cr合金24)などのオーステナイト系の材料は,水素下の破断伸びも大きく,空孔のクラスター化の傾向も軽微である。一方,AISI410(TS0.5 GPa)21,22),JIS-SCM435(TS1.1~1.5 GPa)20),High Si Steel(TS1.5 GPa)19)はマルテンサイト鋼である。全般的な傾向として,マルテンサイト鋼では強度が高いほど大気中の破断伸びが小さい。かつ,強度が高いほど水素による破断伸びの低下と,空孔のクラスター化が顕著となる。例えば図中の左上のSCM435では,拡散性吸蔵水素濃度が0.75~1.75 ppmで空孔クラスター成分の寿命値は470~500 psとなる20)。強度が高いほど転位密度が高く,水素下で引張ひずみが付与された際に,転位の切り合いによる空孔の生成とそのクラスター化が起こり易くなると推定される20)

今回検討した伸線パーライト鋼も他の鋼種と同じ線上に乗り,空孔のクラスター化が破壊に影響していることが示唆される。ここで,伸線パーライト鋼(TS1.7~2 GPa)の水素チャージ材(☗印)は,SCM435(TS1.1~1.5 GPa)の水素チャージ材(■印)よりも右下に位置する。すなわち,本検討の伸線パーライト鋼はマルテンサイト鋼よりも高強度で,かつ拡散性吸蔵水素濃度も多い(2.4~7.1 ppm)にも関わらず,水素による空孔のクラスター化が起こりにくい。かつ,Fig.8のように300°C時効材の方が450°C時効材よりも水素による空孔のクラスター化は軽微で,マルテンサイト鋼とは逆の強度依存性を示す。この機構には前述のように,伸線パーライト鋼では引張ひずみ時に導入された転位や空孔が母相のフェライトとセメンタイト界面に吸収されて消滅することが作用していると考えられる。

前述のように,伸線パーライト鋼を用いた水素チャージ下の微小曲げ試験により,フェライトとセメンタイト界面に沿って水素脆化のき裂が進展することが確認されている9,10)。引張ひずみ時に転位や空孔がフェライトとセメンタイト界面に吸収された場合,この界面の結合力(凝集力)が低下し,水素脆化が起こり易くなる可能性がある。また,伸線まま材の水素チャージ下のSSRT後の破面様式が,伸線まま材では応力負荷方向に平行な方向にもき裂が進展しており6),上記の微小曲げ試験の観察結果と傾向が一致することが確認されている。さらに250°C時効材の水素脆化破面では応力負荷方向に平行なき裂が若干抑制され,450°C時効材では応力負荷方向に平行なき裂がさらに抑制されることが報告されている6)。この理由は時効温度が高まるにつれ,伸線パーライト鋼に特有のラメラ組織の崩壊が進むためと推定されている。

すなわちこれらの整理から,伸線パーライト鋼の水素脆化においては,Fig.10のように他鋼種と同じく空孔のクラスター化が主機構のひとつであるものの,時効温度が低いほどフェライトとセメンタイト界面の剥離(凝集力低下機構)の影響も強くなると推定される。

5. 結言

時効温度を変化させた伸線パーライト鋼を用いて陰極水素チャージ下の低ひずみ速度引張試験(SSRT)を行い,陽電子消滅測定により空孔性欠陥の生成に及ぼすひずみ量,水素濃度の影響を調査し,耐水素脆化機構をこれらの相関から考察した。得られた知見は以下である。

(1)引張ひずみ量の増加に伴い,平均陽電子寿命は増加した。ただし,300°C時効材および450°C時効材の間に差は無く,かつ水素チャージの影響も無かった。

(2)大気中のSSRTに比べ,水素チャージ下でのSSRTでは長寿命成分の寿命が増加し,空孔のクラスター化が進行していた。鋼中の水素濃度が増すほど空孔のクラスター化は顕著であった。ただし,450°C時効材の方が300°C時効材よりも吸蔵水素濃度が少ないにも関わらず,空孔のクラスター化は進行した。

(3)大気中および水素チャージ下のSSRTによる破断伸びは,空孔のクラスター化の度合いに強く依存した。この依存性は既報のマルテンサイト鋼やオーステナイト系材料と同一線上にあり,水素脆化には空孔のクラスター化が影響することが示唆された。ただし伸線パーライト鋼はマルテンサイト鋼に比べると水素による空孔のクラスター化は軽微であり,フェライトとセメンタイトからなるラメラ組織が空孔のクラスター化を抑制している機構が推定された。

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© 2022 The Iron and Steel Institute of Japan

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