2023 Volume 109 Issue 10 Pages 837-845
The effect of dislocation density on hydrogen embrittlement resistance of tempered martensite in low alloy steels was investigated quantitatively. The various samples of which dislocation density was from 0.7×1014 m−2 to 4.5×1014 m−2 were prepared by changing tempering temperature and C content. Then, the yield stress of the samples was between 780 MPa and 1020 MPa. Especially, the change of the C content made various dislocation density samples even though the yield stress is almost same. The hydrogen embrittlement resistance was estimated with four-point bend test. The hydrogen embrittlement resistance decreases with increasing the dislocation density and the yield stress. Although the critical yield stress was changed dramatically by changing C content, the critical dislocation density was almost same (about 2.0×1014 m−2) even though the C content was different. In addition, the absorbed hydrogen content correlated with the dislocation density, and did not depend on the C content in this research. This means that the dislocation density is higher, the hydrogen trapping ability is higher. As the result, when the absorbed hydrogen content reach the critical diffusible hydrogen content, hydrogen embrittlement cracking occurs probably.
鉄鋼材料は自動車用の部品,ボルト,油井管など多種の製品に使用されるが,種々の理由から高強度化が求められることが多い。例えば,自動車用の部品では燃費向上や衝突安全性の観点1)から,ボルトでは軽量化や施工時間の短縮等の理由2,3)から,油井管では油井の高深度化に伴った自重や地層圧の増加に耐えるため4),高強度化が要求される。高強度化に際し,水素脆化感受性が高まることがよく知られている5)。これは高強度化に伴って転位が増加し,転位が水素のトラップサイトとなることで,悪影響を及ぼすことが一因と考えられている4)。低合金鋼において,強度と耐水素脆性を両立するためには,強度が確保しやすく組織が均一な焼戻しマルテンサイトが有効であり6,7),ボルトや油井管などに広く用いられている。低合金鋼の焼戻しマルテンサイトにおける水素トラップについては,多くの研究がなされており8,9,10,11,12,13,14,15,16),水素トラップサイトとして,セメンタイトとマトリクスとの界面,転位,粒界,マトリクスと非整合なV炭化物やマトリクスと整合なV炭化物などが挙げられている。しかし,転位密度を系統的に変えて水素トラップ量や耐水素脆性について調査した例はあまり見られない。
そこで,本研究では,低合金鋼の焼戻しマルテンサイトにおける耐水素脆性に及ぼす転位密度の影響を定量的に調査した。なお,本研究では転位密度を変化させた材料を得るため,焼戻し条件を変化させる。また,C含有量を変化させることで,同じ強度であっても転位密度が異なる材料を用意した。
供試材の成分をTable 1にまとめる。転位密度の変化を観察しやすくするため,供試材は焼戻し軟化抵抗の高いCr-Mo鋼とした。また,同じ強度であっても異なる転位密度の材料を得るため,C含有量を0.15~0.5%の範囲で変化させた。これらの成分の鋼を真空溶解にて50 kgのインゴットとして溶製した。このインゴットを熱間鍛造にて50 mm厚の鋼塊とした。この鋼塊を1523 Kに加熱した後,15 mm厚まで板圧延ミルにて熱間圧延し,放冷した。冷却後,2回の焼入れ(1回目:1223 K×0.5 h後に水冷,2回目:1193 K×0.5 h後に水冷)を実施した。これは繰り返しの熱処理によって,旧オーステナイト(γ)粒径を10 µm程度に揃えるためである。その後,焼戻しを918~997 Kで1 h行い,供試材とした。なお,焼戻し温度は降伏強度で800 MPa~1000 MPaの材料が得られるように設定した。
C | Si | Mn | P | S | Cr | Mo | V | Ti | Nb |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
0.14 | 0.29 | 0.40 | 0.012 | 0.0007 | 0.99 | 0.67 | 0.100 | 0.007 | 0.015 |
0.25 | 0.29 | 0.39 | 0.012 | 0.0009 | 0.99 | 0.69 | 0.097 | 0.007 | 0.016 |
0.50 | 0.29 | 0.40 | 0.010 | 0.0008 | 0.99 | 0.68 | 0.097 | 0.007 | 0.015 |
旧γ粒径を調査するため,光学顕微鏡観察を行った。前処理として,鏡面研磨後,旧γ粒界を現出する腐食を行った。腐食液は純水(1850 g),界面活性剤(100 g),ピクリン酸(45 g),塩化ナトリウム(3 g),硫酸ナトリウム(1.85 g)の混合溶液であり,この溶液に10分間浸漬させた。旧γ粒径は光学顕微鏡写真から切断法17)で求めた。なお,観察面は圧延方向×板厚方向の面である。
2・3 Electron backscatter diffraction測定ラスマルテンサイトの組織の観察とブロック径の評価をするため,Electron backscatter diffraction(EBSD)測定を実施した。ここでいうラスマルテンサイトのブロック径として,方位差15°以上の境界(大角粒界)で囲まれた領域の平均径を採用した。試験片は,圧延方向6 mm×幅方向2 mm×板厚方向5 mmの大きさで,焼入れまま材の肉厚中心部から切り出した後に,機械研磨を施した。観察面は6 mm×5 mmの面である。なお,測定の前処理として,試料表面の加工層を除去するため,鏡面研磨後にコロイダルシリカ研磨を行った。走査型電子顕微鏡(Scanning Electron Microscope: SEM)はELIONIX社製のERA-8900FEを使用した。加速電圧は25 kV,ワーキングディスタンスは15 mmとし,測定は50 µm×50 µmの領域を0.05 µmピッチで行った。測定データをTSL社製のソフトウェアOIM Data CollectionおよびOIM Analysisを用いて解析した。
2・4 走査型電子顕微鏡観察炭化物の析出状態を確認するため,SEM観察を実施した。前処理として,鏡面研磨後,ナイタール(体積分率でエタノール98%と硝酸2%の混合液)で腐食し,組織を現出させた。SEMはELIONIX社製のERA-8900FEを使用した。加速電圧は25 kV,ワーキングディスタンスは15 mmとした。なお,観察面は圧延方向×板厚方向の面であり,肉厚中央部を観察した。
2・5 X線回折転位密度を評価するため,X線回折によりFe bccの(110),(200),(211),(220),(310),(222)の6面における回折ピークの半価幅を測定した。なお,試験片は肉厚中央部から採取し,線源はCu Kα線を用いた。測定前に,試料表面の加工層が試験結果に影響しないよう,過塩素酸酢酸を用いた電解研磨によって除去した。また,装置の光学系の誤差に起因した回折ピークの広がりを補正するため,標準試料としてLaB6を用いた。具体的には,LaB6の(111)~(500)の24面の回折ピークの半価幅と回折角から,装置由来のラインブロードニングと回折角の関係を調査した。その後,Fe bccの各面の回折ピークの回折角に合わせて,半価幅を補正した。なお,Kα2の回折強度はKα1の半分と仮定して,Kα2による回折ピークを除去した。得られたX線プロファイルからmodified Williamson-Hall法とmodified Warren-Averbach法を用いて,転位密度を解析した18)。
2・6 引張試験鋼材の強度を評価するため,直径6 mm,標点間距離30 mmの丸棒試験片を用いて,常温で引張試験を行った。試験片は肉厚中央部から,引張方向と圧延方向が平行になるように採取した。試験はクロスヘッドスピードで制御し,ひずみ量1%までは1 mm/min,ひずみ量1%以上の領域では10 mm/minの速度とした。試験のN数は2とし,平均値を採用した。なお,降伏強度は0.2%耐力とした。
2・7 四点曲げ試験耐水素脆性を評価するため,四点曲げ試験19)を行った。試験の模式図をFig.1に示す。試験片は,圧延方向75 mm×幅方向10 mm×板厚方向2 mmの大きさとし,肉厚方向の1/4の位置で採取した。試験溶液はNACE solution A20)(1bar H2S)とし,浸漬期間は2週間とした。負荷応力は,全ての試験材でYSの90%を超えないように,683 MPaに設定し,この応力に相当するひずみを試験片に与えた状態で試験溶液に浸漬した。このように,負荷応力をYSに対して低い値に設定するのは,応力負荷時に転位密度が増加することを避けるためである。なお,ひずみ量は応力負荷前に試験片に貼りつけたひずみゲージで確認し,ひずみゲージは試験片を試験溶液に浸漬する前に除去した。ひずみゲージの貼り付けや押し込みの位置はFig.1に示すとおりである。N数は3で試験し,1本以上破断したものを不合格とした。
Schematic illustration of four-point bend test. (Online version in color.)
侵入水素量を調査するため,水素昇温脱離分析を行った。試験片は,圧延方向20 mm×幅方向10 mm×板厚方向1 mmの大きさとし,肉厚中央部から採取した。試験溶液(NACE solution A20)(1bar H2S))に試験片を2日間浸漬させた。ここで,浸漬期間について,あまり長すぎると鋼材表面に生成する腐食被膜によって水素侵入が抑制されることが知られているため21),四点曲げ試験より短くし,鋼材中の水素量が多いタイミングを狙った。実際に,この試験環境での室温における低合金焼戻しマルテンサイト鋼中の水素拡散係数は約5.0×10-5 mm2/sであり21),2日経過時の水素の拡散距離を概算すると約2.9 mmである。ここから,厚さ1 mmの試験片に水素を均一に分布させるには十分な浸漬期間と考えられる。分析試験では223~673 Kの温度範囲を100 K/hで昇温し,試験片から脱離する水素量を測定した。なお,試験片を試験溶液から取り出ししてから分析までの間は,水素の脱離を防ぐため液体窒素中で保存した。
焼入れまま材の光学顕微鏡写真をFig.2に示す。なお,図中に切断法で求めた旧オーステナイト(γ)粒径も併せて記した。旧γ粒径はいずれも11 µm程度であり,C含有量による変化は見られなかった。このように,今回の試験では,旧γ粒径の影響を受けない条件であることを確認できた。
Optical micrographs of quenched martensite steels (numbers in parentheses refer to prior austenite grain sizes).
EBSDで得られた結晶方位マップをFig.3に示す。図中にブロック径を併記した。ブロック径は,0.15%Cでは5.5 µmであるが,0.5%Cでは1.8 µmと約1/3にまで小さくなっている。このC増加によるブロックの微細化は過去知見でも確認されており,以下のメカニズムが考えられている22)。まずC増加によって,Cの固溶強化やマルテンサイト変態開始温度の低温化が生じ,マルテンサイト変態時のγ相が高強度化する。γ相が高強度化すると,マルテンサイト変態時にγ相への塑性緩和が生じにくくなり,マルテンサイト側の自己緩和がより広範囲で生じるようになる。その結果,様々なバリアントが生成しやすく,細粒化するものと考えられている。今回も同様の結果が得られていることが確認できた。
Crystal grain maps of quenched martensite steels (numbers in parentheses refer to block sizes). (Online version in color.)
SEM写真をFig.4に示す。写真中の白点部分がセメンタイトである。数多くのセメンタイトが析出しており,C含有量が多いほどセメンタイトの析出量は多い。また,焼戻し温度が918~963 Kと高いため,セメンタイトは十分に球状化している。特に,有害な影響がある旧オーステナイト粒界上のフィルム状のセメンタイトは観察されなかった。Fig.4に示した鋼は各C含有量において最も低温で焼戻しを施した材料であるため,今回用いた材料はいずれもセメンタイトが多数析出しており,かつ十分に球状化していると考えられる。
SEM micrographs of tempered martensite steels (numbers in parentheses refer to tempering temperatures).
次に転位に関して,焼入れままでの転位密度は,0.15%Cで6.6×1014,0.25%Cで1.0×1015,0.5%Cで2.0×1015 m-2であり,高Cほど高い傾向であった。このように,C増加によって焼入れままでの転位密度が大きくなることは過去にTEM観察でも確認されており23),今回も同様の結果が得られている。転位密度と焼戻し温度の関係をFig.5に示す。転位密度は焼戻し温度の上昇に伴って低下する。同じ焼戻し温度であれば,転位密度はC含有量によらず同程度であった。したがって,焼戻し中の転位の減少は高C材ほど速く生じていると考えられる。これは,前報24)での知見であるブロック径が小さいほど焼戻し中の転位密度の減少が速いことと矛盾しない。
Relationship between dislocation density and tempering temperature in tempered martensite steels. (Online version in color.)
降伏強度と引張強度の焼戻し曲線をFig.6に示す。いずれの鋼も降伏強度と引張強度は,焼戻しの温度が上昇すると低下する。また,降伏強度と引張強度は,同じ焼戻し温度で比較すると,高C材の方が大きい。これはC含有量の増加によるブロックの微細化や炭化物の増加によるものと考えられる。このように,焼戻し温度を変えることで,降伏強度で780~1020 MPa,引張強度で860~1070 MPaの材料を得ることができた。また,同じ焼戻し温度では,強度は高Cほど高いが,転位密度はFig.5のようにC含有量によらず同程度の値である。つまり,高C化によって同じ転位密度で高強度な材料を得ることができる。言い換えると,焼戻し温度とC含有量を変化させることで,同じ強度であっても転位密度が異なる材料を用意できた。
Tempering curves, (a) yield stress, (b) tensile stress. (Online version in color.)
耐水素脆性に及ぼす降伏強度と転位密度の影響をFig.7に示す。なお,四点曲げ試験で破断しなかった試験片は,洗浄後に表面を観察したが,き裂や割れは確認されなかった。Fig.7のように,強度は転位密度が大きいほど高く,高強度側,高転位密度側で水素脆化割れが生じた。割れが生じない限界強度は,0.15%Cで787 MPa,0.25%Cで848 MPa,0.5%Cで935 MPaであり,C含有量によって大きく異なる。一方,転位密度の閾値はいずれの材料も2×1014 m-2付近であった。ここから,耐水素脆性には強度そのものより転位密度の影響が強い可能性が示唆された。
Effects of yield stress and dislocation density on hydrogen embrittlement (HE) resistance. (Online version in color.)
次に,水素の昇温脱離分析結果の一例をFig.8に示す。ここで,223~623 Kの間に放出された水素を,腐食環境中から侵入した水素とみなし,侵入水素量として転位密度で整理し,Fig.9にまとめた。今回の実験の範囲内では,侵入水素量はC含有量によらず転位密度で一義的に整理できた。転位密度が大きい材料ほど侵入水素量が多く,侵入水素量が2 mass ppm以上の材料で4点曲げ試験での水素脆化割れが生じる場合があった。このように,侵入水素量に転位密度が強く影響することや,水素脆化と転位密度の相関が定量的に確認できたのは,新たな知見である。また,耐水素脆性に及ぼす各強化機構の影響に関する定量的な実験データは,水素脆化のメカニズム解明や耐水素脆性が高い材料を開発する上で非常に有益と考える。
Thermal desorption analysis curve of 0.15%C martensite steel tempered at 918 K. (Online version in color.)
Relationship between absorbed hydrogen and dislocation density in tempered martensite steels. (Online version in color.)
また,焼戻しマルテンサイト鋼では,前述のとおり複数のトラップサイトがあるが8,9,10,11,12,13,14,15,16) ,水素の放出曲線はFig.8のように1つのピークとして観測された。これは複数のピークが重なり合っていると考えられるが,ピーク分離については後ほど考察する。
前述のとおり,昇温脱離法で得られた水素放出曲線では複数のトラップサイトを一つのピークとして観測していると考えられるため,ガウス関数でのピーク分離を試みた。その結果,2つのピークに分離することはできたが,3つ以上のピークに分離することは困難であった。各トラップサイトの水素トラップエネルギーを実験的に求めれば,より詳細にピークを分離することができるが今後の課題である。分離したピークを低温側から順にPeak1,Peak2とし,各ピークに対応する水素量を計算した。計算結果をFig.10にまとめる。ただし,0.25%C鋼の転位密度の小さい側の2つの条件は,うまくピーク分離ができなかったのでプロットから除外した。Peak1の水素量は,転位密度との相関は見られず,C含有量が異なる材料でもあまり差が無かった。一方,Peak2の水素量は,0.15%Cや0.25%C鋼では転位密度との相関が見られるものの,0.5%C鋼では相関が見られなかった。転位密度の絶対値で見ると,2×1014 m-2以上であればPeak2の水素量と転位密度に正の相関があり,2×1014 m-2未満では相関がみられない。
Relationship between trapped hydrogen and dislocation density in tempered martensite steels. (Online version in color.)
昇温脱離法で侵入水素を測定した場合,低温側からセメンタイトとマトリクスとの界面 25),転位,粒界,マトリクスと非整合なV炭化物やマトリクスと整合なV炭化物の順にトラップされていた水素が放出されると言われている13,14)。今回は,Fig.8 のように昇温脱離法での測定結果を2つのピークに分離できており,かつFig.10のようにPeak2の水素量と転位密度との間に相関が確認できている。したがって,Peak1はセメンタイトとマトリクスとの界面にトラップされた水素量を,Peak2はそれ以外の4つのトラップサイトに捕捉された水素量の合計をそれぞれ観測していると考えられる。また,この試験ではトラップサイト以外に存在する水素(格子間水素)も検出している可能性があり,格子間水素はPeak1に含まれると考える。
この場合,格子間水素の量が今回の試験条件の範囲内であまり変化しないと仮定すると,セメンタイトとマトリクスとの界面にトラップされた水素量(≒Peak1の水素量)は,転位密度すなわち焼戻し温度を変えてもあまり変化しなかったと言える。これは本実験の焼戻し温度が918~997 Kと高いため,いずれの条件でもセメンタイトが十分に析出しており,かつその形態も十分に球状化しており,あまり差がつかなかったことが原因と考える。また,Peak1の水素量はC含有量が異なる材料でも同程度であった。C含有量が高まれば,セメンタイトの析出量は増加するが,Peak1の水素量に変化は表れていない。これの詳細な理由は不明であるが,C増加によるセメンタイトの析出量の増加に伴いセメンタイトとマトリクスの界面の性質が変化した可能性が挙げられる。例えば,セメンタイトのサイズによって界面での水素トラップ能が変わる場合,水素トラップ量はセメンタイトの析出量と単純には相関しない可能性がある。セメンタイトのサイズ分布に及ぼすC含有量の影響や水素トラップ能に及ぼすセメンタイトのサイズの影響については,検討の余地がある。
次に,Peak2の水素量と転位密度の相関について考察する。Fig.10のように転位密度が2×1014 m-2以上であればPeak2の水素量と転位密度に正の相関があり,2×1014 m-2未満では相関がみられなかった。上述のとおり,Peak2は転位,粒界,マトリクスと非整合なV炭化物やマトリクスと整合なV炭化物の4つのサイトにトラップされた水素の合計と考えられる。そのため,転位密度が大きい場合は水素量への影響も大きく見えやすいが,転位密度が小さい場合は他のトラップサイトの影響が大きくなり転位密度の影響が見えにくくなった可能性がある。各トラップサイトの水素トラップエネルギーの調査とそれを用いた詳細なピーク分離が今後の課題である。
Peak2の水素量については,粒界の影響として旧γ粒界やブロック境界が効いている可能性もある。Fig.2のとおり,今回の材料では旧γ粒径は揃っているため,旧γ粒界の影響は排除できていると考える。一方,ブロック径はFig.3のようにC含有量によって異なるため,今回のデータはブロック境界の影響を含んでいる可能性がある。侵入水素量に及ぼすブロック境界の影響については検討の余地がある。しかし,Fig.9のように,侵入水素量はC含有量によらず転位密度で整理できたため,ブロック境界の影響は小さいと予想される。
また,C含有量の変化でV炭化物の量が変化し,Peak2へ影響する可能性もあるが,今回の実験では下記の2点の理由でその影響は小さいと考える。1点目は,V含有量が0.1%と過去知見 15)の0.3%程度に比べて少ないことである。2点目は,V炭化物を析出させる場合,873 K付近で焼戻しを施されることが多いが今回は焼戻し温度を973 K付近に設定していることである。焼戻し温度の高温化によってV炭化物が粗大化し,水素吸蔵能が大きく低下していると考える26)。
4・2 耐水素脆性に及ぼす転位密度と侵入水素量の影響耐水素脆性は,Fig.9のように転位密度や侵入水素量が大きい側で劣化した。特に,侵入水素量が多い場合に水素脆化割れが生じるのは一般的であり,割れが生じない限界の水素量は限界拡散性水素量(HC)と呼ばれている8,27)。このHCの考え方をもとに,実験結果をFig.11のように模式的に整理した。ここで,HCは横軸の転位密度(≒強度)に対して,横ばいか右肩下がりであることが予想される。HCが強度に対して負の相関になる例28)は確認されているが,これは高強度な材料ほど負荷応力も増加しているため,負荷応力の影響がある。今回のように負荷応力は一定で試験した場合,HCは強度が変わっても変化しない27)。そこで今回は,Fig.11中のHCを横ばいで示すこととした。
Schematic diagram showing relationship between absorbed hydrogen and dislocation density. (Online version in color.)
Fig.11に示すように,実測データは転位密度が小さい場合には侵入水素量にあまり変化がなく,転位密度が大きい場合には侵入水素量と正の相関があった。転位密度が小さい場合は,鋼材の水素トラップ能が低く,そこからさらに水素トラップ能を下げても侵入水素量は下がらない。ここから,鋼材の水素トラップ能によらず最低限侵入する水素が存在すると考えられる。この最低限の侵入水素量(Hmin)は環境や負荷応力に依存すると考えられ,今回の試験条件におけるHminは約1.9 mass ppmであった。これに対して,転位密度が大きい場合は,鋼材の水素トラップ能が高まり,Hminより多くの水素が鋼材へ侵入する。その際,侵入水素量がHCを超えた場合に水素脆化割れが生じると考えられる。今回の試験条件における鋼材のHCは約2 mass ppmであり,その水素量を吸蔵できるトラップ能に達するためには,転位密度が約2.0×1014 m-2以上必要であったと考える。Hminは環境や負荷応力に,HCは環境,負荷応力や材料によってそれぞれ変化し,それに伴い転位密度の閾値も変化することが予想される。今回のように,HminがHCより小さい場合,転位密度を一定値以下に抑えれば水素脆化割れを抑制できる可能性がある。逆に,HminがHCより大きい場合,転位密度によらず水素脆化割れが生じるため,清浄度を高めるなど材料の割れにくさを上げる必要があると考えられる。
4・3 水素脆化の破面形態4点曲げ試験では,2週間浸漬後に試験片を取り出すため,水素脆化割れが生じた試験片の破面は腐食してしまい,観察ができなかった。低合金鋼において,水素脆化の破面形態は,水素脆化が生じない最大応力(σth)と降伏強度の比(Rs)と相関があり,Rsが1に近い材料では擬へき開割れのみで,Rsが小さいほど粒界割れの割合が増えると言われている29,30)。今回,水素脆化割れが生じた試験条件において,Rsは0.67~0.78程度と概算されたため,破面形態としては擬へき開と粒界割れの両方が含まれると予測される。なお,Rsの計算に際して,各材料の正確なσthは不明なため,負荷応力を代入して概算した。水素脆化割れが生じた条件では,負荷応力はσthより大きいため,Rsも本来より大きい値となる。したがって,正確なRsも上記の概算値を超えることはなく,今回の試験材が粒界割れを含むことは妥当と考える。このように,擬へき開割れと粒界割れの混在が想定されるが,転位にトラップされた水素が水素脆化割れの破面形態に及ぼす影響やそのメカニズムについてはさらなる研究が必要である。
低合金鋼の焼戻しマルテンサイトにおいて,耐水素脆性に及ぼす転位密度の影響を定量的に調査した。転位密度は,焼戻し温度とC含有量を変化させることで,0.7~4.5×1014 m-2の範囲で変化させた。このとき,降伏強度は780~1020 MPaであった。特に,C含有量を変えることで,同じ強度であっても転位密度の異なる材料を用意した。その結果,以下の知見を得た。
(1) 水素脆化割れが生じない限界の強度はC含有量によって大きく異なったが,限界の転位密度はC含有量によらず2.0×1014 m-2付近であった。
(2) 転位密度が高いほど侵入水素量は多く,今回の実験の範囲では,侵入水素量はC含有量によらず転位密度で一義的に整理できた。
(3) 転位密度が大きいほど水素トラップ能が高く,その結果として限界拡散性水素量を超える量の水素が鋼材に侵入した場合に水素脆化割れが生じると考えられる。