2023 Volume 109 Issue 5 Pages 406-416
The dependence of crack initiation sites and main factors causing hydrogen embrittlement fracture on carbide precipitation states has been investigated for tempered martensitic steels with the same tensile strength of 1450 MPa. Notched specimens charged with hydrogen were stressed until just before fracture and subsequently unloaded. The crack initiation site exhibited intergranular (IG) fracture at 21 μm ahead of the notch tip as observed by scanning electron microscopy (SEM) for 0.28% Si specimens with plate-like carbide precipitates on prior austenite (γ) grain boundaries. This crack initiation site corresponded to the vicinity of the maximum principal stress position as analyzed by a finite element method (FEM). The initiation site corresponded to the triple junction of prior γ grain boundaries as analyzed by electron backscattered diffraction (EBSD). In contrast, the crack initiation site exhibited quasi-cleavage (QC) fracture at the notch tip for 1.88% Si specimens with fine and thin carbide particles in the grains. This crack initiation site corresponded to the maximum equivalent plastic strain site obtained by FEM. Additionally, the crack initiated on the inside of prior γ grain boundaries and propagated along the {011} slip plane with higher kernel average misorientation (KAM) values as analyzed by EBSD. These findings indicate that differences in carbide precipitation states changed the crack initiation sites and fracture morphologies involved in hydrogen embrittlement depending on mechanical factors such as stress and strain and microstructural factors.
近年,自動車などの輸送機器,建築・構造物などのさらなる軽量化,安全性の向上を目的に,高強度鋼の適用が進められている。しかし,鉄鋼材料を高強度化するほど水素脆化の問題が顕著になり,特に,ラスマルテンサイト鋼は水素脆化の影響を受けやすい1–5)。典型的な破面形態は,旧オーステナイト(γ)粒界に沿って破壊する粒界(Intergranular:IG)破壊6–9)およびブロック・ラス境界,あるいは体心立方格子のすべり面である{011}で破壊する擬へき開(Quasi-cleavage:QC)破壊10–16)があり,それぞれ破壊機構が異なる可能性がある。これら各破壊形態における機構を解明するにあたり,それぞれのき裂の発生点を特定し,その主要因子を明らかにすることは最重要課題である。ただし,き裂発生から破壊まで瞬時に起こる現象のため,き裂発生点を特定し直接観察することは容易でない。
き裂発生に及ぼす因子としては,力学因子(応力とひずみ),および組織因子がある。力学因子に関しては,マルテンサイト鋼の切欠き付き試験片において,水素脆化き裂が切欠き先端から僅かに離れた位置で発生し,塑性変形を伴わずに粒界に沿っている場合を応力支配型,一方,切欠き先端から発生し,局所の塑性変形を伴って粒内を進展している場合をひずみ支配型と分類されている17,18)。この応力支配とひずみ支配は,鋼の強度,鋼中の不純物,水素量に依存すると報告17)されている。
従来,切欠きを導入した引張強さ1450 MPa級のAISI4135鋼に水素添加することで,低ひずみ速度引張試験(Slow strain rate test:SSRT)19,20)および定荷重試験21)において,静水圧応力と局所水素量の最大点である切欠き先端から僅かに離れた位置で,粒界に沿ったき裂が発生すると報告されている。同様に,通常ひずみ速度試験(Conventional strain rate test:CSRT)22)を用いても,SSRTと同様に最大応力と最大集積水素量との関係でき裂発生が決まると報告されている23,24)。しかし,同一強度,同一水素添加条件において,き裂発生に及ぼす鋼中炭化物の析出状態の影響については検討されていない。
一方,組織因子に関しては,電子線後方散乱回折(Electron back scattered diffraction:EBSD)法を用いて,焼入れままラスマルテンサイト鋼のき裂の発生・進展と組織の関係が詳細に検討されている13,25–27)。これまで,水素量,ひずみ速度を変化させたき裂進展経路の結晶学的解析に関しては詳細な検討がなされているが,き裂の発生に関しての組織因子の観点からの報告例は少なく,かつ炭化物の析出状態の影響については検討されていない。
本研究では,同一強度であるが炭化物析出状態の異なる焼戻しマルテンサイト鋼を準備し,同一水素添加条件下で水素脆化破壊する直前の応力で途中除荷することで,それぞれのき裂発生点を直接観察し,き裂発生点を比較した。また,有限要素法(Finite element method:FEM)解析を用いて求めた切欠き近傍の応力・ひずみの分布,EBSD解析を用いて得られた切欠き近傍の下部組織,および水素脆化き裂発生点を対応させることで,それぞれの水素脆化き裂発生を引き起こす主要な力学因子と組織因子の関係解明を試みた。
供試材として,高周波焼入れ・焼戻しを施したSi添加量の異なる2種類のマルテンサイト鋼を準備した。Table 1にSi添加量が少ないL-Si鋼とSi添加量の多いH-Si鋼の化学成分を示す。両鋼ともに引張強さを約1450 MPaに統一するため,熱処理条件を変化させた。それぞれの焼入れ・焼戻し温度と引張強さをTable 2に示す。なお,鋼中のSi添加量が増すと固溶強化と焼戻し軟化抵抗が作用するため,同一の引張強さを得るためにH-Si鋼の焼戻し温度をL-Si鋼のそれよりも高くした28–31)。
C | Si | Mn | P | S | |
---|---|---|---|---|---|
L-Si | 0.34 | 0.28 | 0.80 | 0.008 | 0.006 |
H-Si | 0.32 | 1.88 | 0.73 | 0.018 | 0.008 |
Specimen | Quenching temp. [°C] | Tempering temp. [°C] | Tensile strength [MPa] |
---|---|---|---|
L-Si | 960 | 350 | 1474 |
H-Si | 1020 | 495 | 1456 |
両鋼の炭化物析出状態を比較するため,鏡面研磨した試験片を5 mass% HNO3のナイタール溶液に浸漬後,走査型電子顕微鏡(Scanning electron microscope:SEM)を用いて金属組織を観察した。Fig.1に(a)L-Si鋼および(b)H-Si鋼の金属組織を示す。(a)のL-Si鋼において,白矢印で示したように白点線に沿った旧γ粒界上に長さ約100~500 nmの板状の炭化物(Fe3C),および黒点線で囲ったように粒内に長さ約50~400 nmの板状Fe3Cが観察される。一方,(b)のH-Si鋼において,白点線に沿った旧γ粒界上には(a)で観察された板状Fe3Cの存在は確認できず,白矢印で示すように粒内に長さ約50~100 nmの微細化したFe3Cのみが観察される。
Microstructures observed by scanning electron microscopy: (a) thick plate-like carbides were observed on grain boundaries and plate-like carbides in the grains of L-Si specimen and (b) no plate-like carbides were observed on grain boundaries and fine carbides were observed in the grains of H-Si specimen.
両鋼の水素脆化特性を引張試験により評価した。Fig.2に試験片形状と寸法を示す。長さ140 mmの丸棒中央部に標点距離30 mm,直径5 mmの平行部を導入し,その中央に切欠き角度60°,曲率半径0.22 mm,深さ0.4 mmの応力集中係数2.8となる環状切欠きを導入した。以後,試験荷重を切欠き断面の面積で除した値を公称応力と定義した。
Geometry and dimensions of notched specimen for tensile test.
試験片の標点距離部の表面状態を均一にするため,耐水研磨紙(#800→#1000→#2000)を用いて研磨した。定電流陰極電解法を用いて,30°Cの0.1 N NaOH+1 g/L NH4SCN水溶液に電流密度75 A/m2の条件で試験片表面と中心の水素濃度が一定となる96 h,水素予添加した6–8)。引張試験中も水素濃度を一定に保つため,水素予添加時と同一の条件で水素添加しながらクロスヘッド速度0.01 mm/minで引張試験した。水素添加中の溶液劣化を防ぎ一定の水素添加状態を保つため,溶液交換を48 h間隔で行った。SEMを用いて破断面を観察した。
水素分析には,半導体センサーを検出系としたガスクロマトグラフィー型の昇温脱離分析(Thermal desorption analysis:TDA)を用いた。水素添加後,試験片を切り出し,アセトン洗浄した試験片を液体窒素中で冷却し,TDAの石英管に挿入した。昇温速度を100°C/h,温度範囲を0~300°Cとした。
2・3 途中除荷試験によるき裂発生点の特定2・2節と同一条件で水素予添加した後,引張試験を実施し,破壊直前の応力で途中除荷した。除荷した試験片の切欠き部近傍を引張方向と平行に約1 mm厚の板状試験片に切り出した。き裂発生点を特定するため,耐水研磨紙(#800→#1000→#2000),ダイヤモンドサスペンション(9 μm→3 μm),コロイダルシリカ(0.03 μm)の順で機械研磨した。切欠き近傍に存在するき裂の有無をSEMを用いて観察した。なお,丸棒試験片に生じるき裂発生点を正確に特定するには3次元的解析が必要だが,本研究では切欠き近傍を引張方向と平行に切断した板状試験片の厚さ方向へ研磨し観察を繰り返すことにより,き裂の発生点を検証した。
2・4 FEM解析水素脆化き裂の発生点と力学因子との関係を明らかにするため,FEM解析を用いて切欠き近傍における主応力・相当塑性ひずみ分布を求めた。解析ソフトとしてABAQUS/CAE 6.14-5を使用した。直径5 mmの平滑丸棒試験片を用いて引張試験で得られた公称応力-公称ひずみ曲線から,真応力および真ひずみを算出した。Fig.2に示した試験片平行部の1/8モデルを作成し,途中除荷した破壊直前応力を静解析による荷重条件として,弾塑性解析を実施した。拘束条件として,底面と切断面を固定し,要素タイプ6面体,ポアソン比0.3,ヤング率200 GPa,総要素982800に設定した。また,切欠き近傍のメッシュサイズを約17 μmに分割した。
2・5 EBSDによる結晶学的解析水素脆化き裂の発生点と下部組織の関係を明らかにするため,EBSD法を用いて結晶方位を解析した。2・3節と同様の条件で研磨し,加速電圧を15 kV,作動距離を17 mm,ビームステップサイズを50 nmとして解析した。さらに,OIM Analysisを用いた逆極点図方位(Inverse pole Figure:IPF)マップ上にSEMで特定したき裂発生点をマッピングした。
Fig.3に水素添加有り無しの切欠き付き試験片を引張試験した際に得られた(a)L-Si鋼,および(b)H-Si鋼の公称応力-変位曲線,および引張試験開始時の初期水素量を示す。水素予添加後のL-Si鋼の初期水素量は5.3 mass ppm(以下,ppm),H-Si鋼のそれは4.5 ppmである。これらの初期水素量を含んだ状態で,引き続き同一条件で水素添加しながら引張試験すると,L-Si鋼の破壊強さは658 MPa,H-Si鋼のそれは1027 MPaとなり,両鋼とも破壊強さが著しく低下する。また,同一水素添加条件でも,L-Si鋼の破壊強さはH-Si鋼のそれと比較して,約370 MPa低い。
Stress-displacement curves and initial hydrogen contents of (a) L-Si and (b) H-Si notched specimens with/without hydrogen at a crosshead speed of 0.01 mm/min. (Online version in color.)
Fig.3で得られた水素脆化破面をSEMにより観察した結果をFig.4に示す。L-Si鋼に関しては,(a)に破面の全体図,(a)中に白線で囲った切欠き近傍の拡大図を(c)に示す。切欠き先端から約15 μmまでがQC破面,さらにそこから中心部に向かって遠方がIG破面である。一方,H-Si鋼に関しては,(b)に破面の全体図,(b)中に白線で囲った切欠き近傍の拡大図を(d)に示す。切欠き先端から遠方にわたってQC破面である。また,ここでは省略するが,両鋼ともに中心部は延性破壊の典型である微小空洞の合体(Microvoid coalescence:MVC)破面であった。
Microscopic fracture surfaces near the notch tip after tensile test at a strain rate of 0.01 mm/min. (a) and (b) show the overall views of L-Si and H-Si specimens, respectively. (c) and (d) show the enlarged views of L-Si and H-Si specimens, respectively. (c) shows quasi-cleavage (QC) fracture at the notch tip and intergranular (IG) fracture ahead of the notch tip of L-Si specimen corresponding to the region surrounded by white line rectangle in (a), and (d) shows QC fracture from the notch tip of H-Si specimen corresponding to the region surrounded by white line rectangle in (b).
Fig.5に,水素未添加,および水素添加した試験片を引張試験し,破壊直前で途中除荷した際の(a)L-Si鋼,および(b)H-Si鋼の公称応力-変位曲線の全体図を示す。また,黒点線で囲った途中除荷した応力近傍の拡大図もそれぞれ図中に示す。水素添加しながら引張試験すると,Fig.3から弾性域で瞬時に破壊しているように見えるが,Fig.5の拡大図中に示すように,破壊直前において公称応力-変位曲線にわずかに塑性変形の兆候が見られる。本研究において,L-Si鋼では655 MPa,H-Si鋼では931 MPaの最大応力に達した後に,それぞれ0.01 MPa,0.28 MPa応力低下した点で応力除荷した。
Stress-displacement curves for identifying the crack initiation sites: application of preloading until just before fracture strength with hydrogen and subsequent unloading for (a) L-Si specimen and (b) H-Si specimen. Enlarged views around the preloading stress just before fracture are shown in (a) and (b). (Online version in color.)
Fig.5で途中除荷した試験片の切欠き近傍を切り出し,研磨後にSEMを用いて観察した結果をFig.6に示す。L-Si鋼に関しては,(a)に白矢印で示すように先端から離れた領域にき裂発生点が観察され,(c)の拡大図において切欠き先端から21 μm遠方に長さ3 μmのき裂が観察される。なお,丸棒試験片側面からも切欠き底を観察したがき裂は認められなかった。また,EBSD解析後に板状試験片を板厚方向へさらに研磨したが,このき裂が移動,あるいは他のき裂が出現することはなく,最終的に消滅した。
Microscopic crack initiations near the notch tip after unloading test: (a) and (b) show overall views of the crack initiations of L-Si and H-Si specimens, respectively. (c) and (d) show the enlarged views of L-Si and H-Si specimens, respectively. (c) shows that the crack initiation occurs ahead of the notch tip for L-Si specimen and (d) shows that it occurs at the notch tip for H-Si specimen.
一方,H-Si鋼に関しては,(b)に白矢印で示すようにき裂は切欠き先端またはその極近傍から発生しており,(d)の拡大図において切欠き先端から6 μmまで進展したき裂が観察される。なお,丸棒試験片側面から観察しても切欠き底にき裂が認められた。また,切り出した板状試験片を板厚方向へ研磨・観察を繰り返しても,常に切欠き先端からき裂が発生しており,切欠き先端から遠方で発生したき裂は観察されなかった。
つぎに,水素脆化き裂の発生から進展した点でのSEMによる観察結果をFig.7に示す。(a)のL-Si鋼におけるき裂の全長は1130 μm,(b)のH-Si鋼のそれは940 μmである。赤枠で囲った領域の拡大図をそれぞれ(c)および(d)に示す。拡大図より,き裂の進展は直線的でなく,屈曲しながら進展していることがわかる。
Microscopic crack propagations near the notch tip after unloading test: (a) and (b) show the overall views of the crack propagation in L-Si and H-Si specimens, respectively. (c) and (d) show the enlarged views of L-Si and H-Si specimens, respectively. (Online version in color.)
Fig.8にFEMを用いて得られた切欠き近傍における(a)L-Si鋼,および(b)H-Si鋼の主応力・相当塑性ひずみ分布を示す。L-Si鋼に関しては,水素添加した際の破壊強さに達する直前で除荷した応力である655 MPa,H-Si鋼に関しては931 MPaを入力した。最大主応力の位置に関しては,(a)よりL-Si鋼において切欠き先端から約60 μm,(b)よりH-Si鋼において切欠き先端から約120 μm遠方であることがわかる。一方,最大相当塑性ひずみの位置に関しては,L-Si鋼,H-Si鋼ともに切欠き先端である。また,Fig.6の途中除荷試験で観察されたき裂発生点を図中に赤点線で示す。(a)のL-Si鋼のき裂発生点は主応力最大位置近傍である。一方,(b)のH-Si鋼のき裂発生位置は最大相当塑性ひずみ点に一致する。
Distribution of principal stress and equivalent plastic strain near the notch tip analyzed by FEM: (a) at unloaded stress of 655 MPa for L-Si specimen and (b) at unloaded stress of 931 MPa for H-Si specimen. (Online version in color.)
また,静水圧応力に起因する局所水素濃度分布に関して,式(1)を用いて計算した結果をFig.9に示す20,22)。
(1) |
Distribution of local hydrogen content corresponding to hydrostatic stress near the notch tip at unloaded stresses of (a) 655 MPa for L-Si specimen and (b) 931 MPa for H-Si specimen. (Online version in color.)
ここで,CHは切欠き近傍における集積水素濃度,CAは平均水素量(本研究において,L-Si鋼は5.3 ppm,H-Si鋼は4.5 ppm),VHは部分モル体積(2×10-6 m3/mol),Rは気体定数(8.31 J/mol・K),Tは絶対温度(本研究では303 K)とした。また,σhは応力集中部の静水圧応力であり水素脆化破壊する直前の静水圧応力,σh, minは十分遠方の試験片中心部の応力を使用した。Fig.8の最大主応力分布に対応して,L-Si鋼,H-Si鋼ともに切欠き先端から遠方の領域で水素濃度のピークが存在する。静水圧応力に起因する局所水素濃度は,L-Si鋼では切欠き先端から約70 μm離れた位置で最大であり,局所水素濃度の最大位置近傍でき裂が発生している。一方,H-Si鋼では切欠き先端から約130 μm離れた位置で最大であり,局所水素量の最大位置から離れた位置からき裂が発生している。
3・4 き裂発生・進展領域における結晶方位解析Fig.10に,途中除荷試験後における(a)L-Si鋼と(b)H-Si鋼の切欠き近傍のIPFマップ上に,Fig.6(c)と(d)で観察されたき裂発生点をそれぞれ重ねた結果を示す。白矢印がき裂発生点,赤点線が旧γ粒界を示す。(a)より,L-Si鋼のき裂は切欠き先端から数十マイクロメートル離れた粒界三重点から発生していることがわかる。一方,(b)より,H-Si鋼のき裂は切欠き先端の旧γ粒内から発生していることがわかる。
Crack initiation sites observed by SEM overlaid with IPF maps analyzed by EBSD: (a) L-Si and (b) H-Si specimens obtained by the unloading test. (Online version in color.)
Fig.11にH-Si鋼のき裂発生点近傍の(a)SEM像,(b)トレース解析,(c)Kernel average misorientation(KAM)マップ,(c)中の白点線の領域を拡大したKAMマップを(d)に示す。(a)のSEM像より切欠き先端またはその極近傍から発生したき裂は直線的でなく不連続なステップ状に進展した痕跡が認められる。(b)のトレース解析より,{011}面に沿ってき裂が進展しており,それらはブロック境界を横切っていることが確認できる。(c)を拡大した(d)のKAMマップより,白矢印で示したき裂が屈曲し連結した箇所のKAM値が特に高い傾向にある。なお,L-Si鋼のき裂発生点付近に関しては,KAM値の顕著な変化は認められなかった。
(a) SEM image, (b) trace analysis of {011}, (c) KAM map, and (d) KAM map in an enlarged view near crack initiation site corresponding to white dotted line area in (c) of H-Si specimen. (Online version in color.)
Fig.7に示したき裂を進展させて除荷した試験片のIPFマップ,およびFig.4で示した対応する各破壊形態(IG,QC)の領域をFig.12に示す。(a)のL-Si鋼においては,切欠き先端でQC破面,切欠き先端から僅かに離れた位置でIG破面を呈していたが,縦断面を切り出して得たIPFマップ上でも,切欠き先端では旧γ粒内,切欠き先端から僅かに離れた位置では赤点線で示す旧γ粒界をき裂が進展している。同様に,(b)のH-Si鋼においては,切欠き先端から遠方までQC破面を呈していたが,縦断面を切り出して得たIPFマップ上でも,切欠き先端から遠方まで旧γ粒内をき裂が進展している。これらの結果は,L-Si鋼ではIG破壊,H-Si鋼ではQC破壊がき裂発生点に対応していることを示している。
IPF maps corresponding to crack propagation areas of (a) L-Si and (b) H-Si specimens obtained by the unloading test. Each fracture morphology area shown in Fig. 4 (c) and (d) is added. (Online version in color.)
同一強度で炭化物析出状態の異なる2種類の焼戻しマルテンサイト鋼に関しては,同一条件で水素添加したにもかかわらず,水素脆化き裂発生点が異なっていた。以下では,旧γ粒界上に板状Fe3Cが析出しているL-Si鋼と旧γ粒内に微細化したFe3Cが析出しているH-Si鋼の水素脆化き裂発生点とその主要因子について議論する。
まず,L-Si鋼の水素脆化き裂発生点とその主要因子について考察する。Fig.10(a)に示したように,L-Si鋼では,切欠き先端から約20 μm離れた旧γ粒界上の粒界三重点でき裂が発生していた。また,Fig.8(a)およびFig.9(a)で示したFEM解析結果から,L-Si鋼のき裂発生点は主応力および水素濃度が高い位置に対応していた。これらの結果は,環状切欠きを導入したAISI4135鋼に水素添加を施して引張試験したWangら19)の研究と類似しており,L-Si鋼のき裂発生には,局所応力と局所水素濃度が強く影響していると考えられる。また,Toroiano32)は静水圧応力最大点付近に応力誘起拡散によって水素が集積し,き裂が発生すると報告している。ただし,L-Si鋼の水素脆化き裂発生点は厳密には主応力および局所水素濃度の最大位置に対応していなかった。これは,今回用いたFEM解析は連続体を仮定した解析であり,材料組織の不均一性を考慮しておらず,力学的応答を正確に把握できていなかったことに起因する。特に,ラスマルテンサイト鋼は旧γ粒,パケット,ブロック,ラスの配列方位に依存して変形挙動が大きく変化し,旧γ粒界で応力集中が生じる。そのため,FEM解析で得られた主応力最大位置近傍に存在する旧γ粒界に局所的に水素が蓄積すると推察される。
McMahon17)やNovakら33)によって,粒界炭化物への転位堆積による応力集中と水素による格子脆化の観点から高強度鋼における粒界破壊が説明されている。Fig.1(a)で示したように,L-Si鋼では,旧γ粒界に粗大な板状Fe3Cが析出していた。これにより,水素をトラップした転位がすべり運動27,34)して旧γ粒界を通り抜けることができず,旧γ粒界上で応力集中および水素集積し,IG破面に対応する旧γ粒界上でき裂が発生したと考えられる。粒界三重点における水素脆化き裂の発生については,Koyamaらによる研究例が挙げられる。彼らは,水素添加した析出強化型高Mn35)および高Mn-TWIP36)鋼の引張試験において,粒界三重点における隣接する結晶粒間の弾性ミスフィットによる応力集中およびそれに伴う水素集積により,塑性ひずみをほとんど伴わなくても,粒界三重点で水素脆化き裂が発生することを提唱している。これらの従来知見を考慮すると,本研究の場合においても,L-Si鋼では粒界三重点における応力集中と局所的な水素集積が,水素脆化き裂の発生に少なからず影響を与えていると想定される。つまり,L-Si鋼の水素脆化き裂発生点は,粒界への転位堆積による応力集中と水素集積の重畳に加えて,粒界三重点における応力集中と局所的な水素集積の複合作用によって決定され,切欠き先端から僅かに離れた主応力および水素濃度が高い位置に存在する粒界三重点でき裂が発生したと考えられる。
H-Si鋼の水素脆化き裂発点とその主要因子について考察する。Fig.8(b)およびFig.9(b)で示したFEM解析結果から,H-Si鋼のき裂発生点である切欠き先端またはその極近傍では,主応力および局所水素濃度の最大位置ではなく,相当塑性ひずみが比較的高い位置に対応していた。また,Fig.10(b)およびFig.11(b)で示したように,H-Si鋼では,切欠き先端またはその極近傍の旧γ粒内でき裂が発生し,それらは{011}面に沿って進展していた。L-Si鋼ではIG破面に対応する旧γ粒界上でき裂が発生したのに対し,H-Si鋼ではQC破面に対応する旧γ粒内でき裂が発生した理由について述べる。L-Si鋼では旧γ粒界に粗大な板状Fe3Cが析出していたが,Fig.1(b)で示したようにH-Si鋼では旧γ粒界上のFe3Cは少なく,粒内での微細なFe3C析出が観察された。先述したように,第二相粒子は転位がすべり運動することを妨げる。また,前報7)で調査したリラクゼーション試験結果において,H-Si鋼はL-Si鋼と比較してリラクセーション値が約1/5まで低下することが明らかになっている。リラクゼーション値は,転位の移動距離と動いた転位の数に相関するため,H-Si鋼では粒内炭化物の微細化によって転位運動が阻害されたことを裏付ける結果と言える。つまり,H-Si鋼においてQC破面に対応する旧γ粒内でき裂が発生したのは,旧γ粒内のFe3C微細化が粒界への転位堆積による応力集中および水素集積を抑制し,それに伴って,旧γ粒界でき裂発生も抑制されたことが原因と考えられる。
H-Si鋼の水素脆化き裂発生機構について考察する。H-Si鋼のき裂発生点は切欠き先端またはその極近傍であり,相当塑性ひずみが比較的高い位置に対応していた。また,Fig.10(b)およびFig.11(b)で示したように,H-Si鋼では,切欠き先端またはその極近傍の旧γ粒内でき裂が発生し,それらは{011}面に沿って進展していた。この事実は,H-Si鋼のき裂発生が単純な界面分離の機構で説明できないことを示唆している。ラスマルテンサイト鋼における{011}面に沿うQC破壊は,ラスまたはブロック境界分離10,11,37),{011}面上のすべり面分離2,38),{011}面上のマイクロボイドの合体39)などが挙げられる。Fig.11(b)および(d)に示したように,切欠き先端またはその極近傍から発生したき裂は,直線的でなく不連続なステップ状に進展した痕跡があり,ブロック境界を横切っている領域およびき裂先端のKAM値が有意に高くなっていた。また,Birnbaum and Sofronis40)は,水素が特定のすべり面,あるいはき裂先端への塑性変形の局所化を誘発することを提案している。さらに,Matsumotoら41)は,第一原理計算によって水素が空孔形成エネルギーを減少させ,空孔拡散の活性化エネルギーを増加させることを報告している。これらの事実に基づくと,H-Si鋼におけるQC破壊は局所的な塑性変形と密接に関連した{011}面上のすべり面分離,あるいは{011}面上のマイクロボイドの合体によって発生したと考えられる。つまり,H-Si鋼の水素脆化き裂の発生点は,水素により促進された局所的な塑性変形および空孔安定化によって決定され,それらが比較的生じやすいと想定される相当塑性ひずみが高くなる切欠き先端の旧γ粒内からき裂が発生したと考えられる。
以上より,炭化物の析出状態によって,水素脆化破壊のき裂発生位置が変化することがわかる。また,必ずしも最大主応力の位置,最大水素量の位置からき裂が発生していないことから,応力だけでなく塑性ひずみ,さらには,粒界三重点のような組織因子の影響も重なり合ってき裂発生点が決まると推察される。
同一強度で炭化物の析出状態の異なる焼戻しマルテンサイト鋼を水素脆化破壊する直前の応力で途中除荷することで,それぞれのき裂発生点を特定し,き裂発生を引きおこす主要な力学因子と組織因子の解明を試み以下の知見が得られた。
(1)炭化物を旧γ粒界面上に板状に析出させた鋼(以下,L-Si鋼)の場合,き裂発生点は切欠き先端から約20 μm離れた領域であり,粒界破面である。一方,炭化物を旧γ粒内に微細に析出させた鋼(以下,H-Si鋼)の場合,き裂発生点は切欠き先端またはその極近傍であり,擬へき開破面である。
(2)き裂発生と力学因子との関係を明らかにするため,両鋼が水素脆化破壊する応力でFEM解析した結果,L-Si鋼の最大主応力は切欠き先端から約60 μm遠方,最大相当塑性ひずみは切欠き先端である。一方,H-Si鋼の最大主応力は切欠き先端から約120 μm遠方,最大相当塑性ひずみは切欠き先端である。
(3)き裂発生と組織因子との関係を明らかにするため,切欠き先端近傍のIPFマップ上にき裂発生点を重ねた結果,L-Si鋼のき裂は切欠き先端から約20 μm離れた遠方の粒界三重点から発生する。一方,H-Si鋼のき裂は切欠き先端の旧γ粒内から発生する。
(4)L-Si鋼のき裂が厳密には最大主応力位置で発生しておらず,最大主応力位置近傍で発生する。また,高強度で高水素量の条件の場合,一般にき裂は切欠き先端から少し離れた最大主応力位置で粒界破壊として発生する報告が多いが,H-Si鋼ではき裂は切欠き先端の最大相当性ひずみ位置で擬へき開破壊として発生する。