2023 Volume 109 Issue 5 Pages 387-397
The fatigue crack propagation properties of newly-developed SM490 grade steels were investigated in comparison with a conventional steel of the same grade. The fatigue crack propagation rate of the developed steel in Region II of the da/dN-ΔK relationship was suppressed to about 1/2 that of the conventional steel, and its ΔKth value was more than twice as large as in the conventional steel. However, fatigue crack resistance for long crack propagation does not necessarily improve the fatigue life in a condition of increasing ΔK from a small defect, which is usually detected in practical fatigue damage in actual structures in service. The developed steels were subjected to surface crack propagation tests using specimens with artificial small defects to examine their potential under more practical conditions. The fatigue life of the developed steel was about three times longer than that of the conventional steel. A detailed analysis of the surface crack propagation revealed crack propagation below ΔKth only in the developed steels, which suggested the so-called “short crack regime” in a fatigue crack. The crack propagation from a surface defect that deviated from long crack behavior was convincingly explained by the corrected threshold using the R-curve model of a short crack proposed in the previous literature. Based on the experimental fatigue life improvement and its analytical estimation of the propagation resistance in the short crack regime, the effect of the ΔKth value for a long crack in the initial propagation stage just after fatigue crack initiation was discussed.
橋梁,船舶などの繰返し荷重を受ける溶接鋼構造においては,疲労損傷が従来から指摘されており,一部には深刻な実態が社会問題にもなっている。溶接構造では,応力集中箇所の存在が不可避であり,現在の設計,施工条件において疲労き裂の発生を完全に抑止するのが困難である場合が多い。そのため,従来から溶接鋼構造物の疲労寿命向上には,疲労き裂の進展寿命の向上が指向されている。疲労き裂進展寿命の改善には,き裂開口応力の低減,すなわち低変態温度溶接材料の使用1)あるいは各種ピーニング処理2–4)により,溶接部に圧縮残留応力を導入することが効果的であると言われており,成果が報告されている。これらの技術は疲労き裂の発生,初期進展過程における局所的損傷駆動力を抑制するものであり,その点では有効であるが,現在の大型構造物における疲労損傷は,溶接部を介して母材へ進展し,ある程度の大きさになって初めて検出される場合も多い。これを考慮すると,溶接止端形状の改善や圧縮残留応力の導入といった溶接部の処理に加え,組織制御といった鋼板素材面からの疲労き裂進展特性の改善を考えることは,鋼構造物の一層の長寿命化や安全性の向上を図る上で有効と思われる。
一般に,疲労損傷はき裂発生と,その後のき裂進展の二つの過程に分けられる。前者の過程では,粒内と粒界のき裂進展抵抗の不均一性の影響を強く受け,不連続なき裂進展となる過程と言われている5)。一方,後者のき裂進展過程はき裂開口応力の強さ,すなわち力学的因子が支配的となり,き裂進展速度da/dNと応力拡大係数範囲ΔKとの関係として評価される。この関係では,Paris則に従う第II領域を中心として,き裂進展下限界側の第I領域,静的破壊の混在する第III領域に分けられる。このき裂進展特性には,冶金的因子の本質的な影響は小さく,材料ごとの特性の差異はき裂閉口挙動の相違を反映した二次的な結果であると言われている6)。
これまでにも,疲労き裂進展特性の改善を意図し,き裂閉口効果を促進させる組織制御の試みは報告されている7–9)。いずれも,き裂進展経路を複雑化させることを考えた二相組織を指向したものである。狙い組織はフェライト/ベイナイト組織7),フェライト/層状マルテンサイト組織8),フェライト/パーライト/ベイナイト組織9)と様々であるが,ΔK=15~30 MPa m1/2の第II領域(Paris域)においてき裂進展特性の改善が報告されている。
著者らは,これまでの開発知見9,10)を基にオンライン熱加工制御やオフライン熱処理を用いた組織制御を駆使し,疲労き裂進展特性に優れた組織の模索を継続的に行っている。一般に,実構造での疲労損傷は低応力振幅/高寿命条件であり,低速進展する第I領域での寿命がき裂進展寿命において支配的となる。そのため,第II領域のき裂進展特性だけでなく,進展下限界特性である下限界応力拡大係数範囲ΔKthの値にも注目している。ただし,第I領域のき裂進展特性,特にΔKthの値は長いき裂に対してΔK漸減で得られる進展下限界特性であり,実構造のように発生した疲労き裂がΔK漸増の下で進展する場合にき裂進展寿命との関連は明確でない。発生した直後の短い疲労き裂は,長いき裂で得られたΔKth以下のΔKでも進展することはよく知られており,長いき裂の進展特性からの乖離は,微小き裂問題として研究されている11)。ただし,き裂の初期進展過程は冶金的因子の影響が強く,現象論的な知見に留まっており,ΔKthの値と微小き裂の進展速度との関連性は明確でない。
本研究では,疲労き裂進展特性の改善を狙って開発・実機製造した鋼板の疲労き裂進展特性を調査し,従来鋼との相違点に関して検討した。さらに人工欠陥を導入した試験片の疲労寿命を供試材間で比較し,疲労寿命,特にき裂の初期進展寿命の改善に関して,長いき裂の進展特性との関連性を微小き裂進展の観点5,11)から議論した。
供試材は実機製造された板厚16 mmの3鋼板で,それらの化学成分,機械的性質をTable 1に示す。いずれもJIS規格のSM490に適合した鋼材である。Fig.1に板厚1/4t位置でのL断面のミクロ組織を示す。Steel Aは比較のための従来材であり,粗大なフェライトにパーライトが帯状に分布している。Steel Bは上部ベイナイト主体の単相組織である。Steel Cは不均一組織によるき裂閉口の促進を狙い,フェライト主相にパーライトが微細分散した二相組織となっている。
Sample ID | Chemical composition (mass%) | Yield stress, σys (MPa) | Tensile strength, σB (MPa) | Elongation, El (%) | |||||
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C | Si | Mn | P | S | Others | ||||
Steel A | 0.12 | 0.34 | 1.31 | 0.008 | 0.001 | − | 378 | 501 | 41 |
Steel B | 0.05 | 0.17 | 1.60 | 0.013 | 0.003 | Cr,Nb,Ti | 510 | 585 | 30 |
Steel C | 0.16 | 0.27 | 1.16 | 0.014 | 0.002 | − | 385 | 546 | 58 |
Microstructures of steels tested.
疲労き裂進展試験は,コンパクト試験片(以降,CT試験片と呼ぶ)を用いたΔK漸増試験,進展下限界域の特性を求めるための中央き裂引張試験片(以降,CCT試験片と呼ぶ)を用いたΔK漸減試験に加え,短いき裂の進展を再現するために,微小な人工欠陥をダンベル型試験片表面に導入した表面き裂進展試験を行った。
ΔK漸増試験では,鋼板の板厚中央から採取したCT試験片(Fig.2(a))を用いた。負荷方向は鋼板のL方向である。試験片寸法や試験方法はASTM E64712)に準拠した。疲労き裂進展試験では,室温,大気中にて,周波数10 Hz,応力比0.1のsin波の繰返し荷重を負荷した。試験中,切欠きマウスに設置したクリップゲージにより計測した除荷弾性コンプライアンスの変化によりき裂長さを計測13)した。得られたき裂成長曲線を3点法により逐次多項式近似し,中央計測点の微係数からき裂進展速度da/dNを算定した。試験終了後,試験片板厚中央断面でき裂進展経路を観察した。
Specimens used in crack propagation tests (Unit: mm). (a) Compact tension (CT) type, (b) Center crack tension (CCT) type
疲労き裂の進展下限界域の特性を求めるためのCCT試験片をFig.2(b)に示す。CT試験片と同様に鋼板の板厚中央から負荷方向が鋼板のL方向になるように採取した。Fig.2(b)中の一番外側のひずみゲージは,コンプライアンスの取得を目的としたものであり,試験に先だち取得した校正曲線を基に,この値の変化からき裂進展量を評価した。その他のひずみゲージはき裂先端近傍のヒステリシスループを取得するためのものであり,進展するき裂先端に最も近いゲージの値をヒステリシスループ取得に順次使用した。計測したヒステリシスループから既報13)と同様の手法により,き裂閉口荷重を同定した。この試験片を用いたこれら計測方法は,著者の一人がき裂閉口挙動の検討を多数実施してきた方法15,16)である。ΔK漸減試験では,室温,大気中にて,周波数10 Hz,応力比0.1のsin波の繰返し荷重を負荷した。試験開始時のΔKの値は,概ね11 MPa m1/2となるように荷重振幅を調整した。ΔKの漸減はASTM E64712)に準拠した。すなわち,応力比0.1を保持したまま,疲労き裂が0.5 mmずつ進展する毎に最大荷重を10%低減させた。荷重低減後,規定量のき裂進展させた後,計測したき裂進展量を応力繰返し数で除すtan法によりき裂進展速度da/dNを算定した。ΔKの漸減は,10-11 m/cycle代に低下するまで繰返し実施し,最終の値をΔKthとした。
表面き裂進展試験に用いたダンベル試験片をFig.3(a)に示す。他の試験片と同様に,鋼板の板厚中央から負荷方向が鋼板のL方向になるように採取した。この試験片の片表面の平行部中央にピコ秒レーザを用いて,深さ0.25 mm,表面長さ0.5 mmの狙い寸法で微小な人工欠陥を導入した。Fig.3(b-1),(b-2),(b-3)に,人工欠陥の表面からの様相,断面での様相,試験後の破面上での観察写真をそれぞれ示す。Fig.3(b-1)に示した表面での欠陥先端は鈍い切欠き状ではあるが,Fig.3(b-2)の最深部の欠陥先端はかなり鋭い。Fig.3(b-3)の観察における人工欠陥の平面形状は概ね0.25 mm×0.5 mmの長方形ではあるが,最深部の切欠き前縁は必ずしも直線ではないようである。疲労試験は,室温,大気中にて,周波数6Hz,応力比0.1のsin波の繰返し荷重を負荷した。試験応力はいずれの供試材とも等しい条件,すなわち応力変動Δσ=280 MPaとした。試験中,試験片表面の人工欠陥の先端前方に貼付したクラックゲージ(共和電業製, KV-5C)により,試験片表面でのき裂進展量を計測した。疲労き裂は人工欠陥の両先端から進展することを考え,人工欠陥を挟む両側のリガメントに貼付した。1枚のクラックゲージで計測できるき裂長さ増分は4 mmと短いため,それぞれのリガメントに2枚ずつ並べて貼付し,計測できるき裂長さ範囲の拡大を図った。
Surface crack propagation specimen with pico-second laser notch and notch details. (a) Specimen with pico-second laser notch, (b) Pico-second laser notch details, (b-1) Surface appearance, (b-2) Center cross section, (b-3) Notch appearance on fracture surface
き裂進展量を計測した試験片とは別の試験片によりビーチマーク導入試験を行い,進展途中の疲労き裂の前縁形状の確認を試みた。き裂進展試験と同じで負荷条件を基本としたが,き裂進展中に適時,同一最大荷重のまま応力比を0.1から0.5に変化させたブロック荷重を適当回数与えた。この応力比変化を試験片破断まで複数回実施し,破断後の破面より半楕円表面き裂のアスペクト比を計測した。
Fig.4にΔK漸増型のき裂進展試験により得られた第II領域における3供試材のda/dN-ΔK関係を示す。Steel BおよびSteel Cの同関係は,Steel Aに比較して低da/dN側にあり,疲労き裂進展特性の改善がみられる。一方,第II領域の進展特性にはSteel BとSteel Cの間に明確な差異は見られない。Steel BおよびSteel CのΔK=15 MPa m1/2における疲労き裂進展速度da/dNは1.1×10-8 m/cycleであり,従来報告されている耐疲労鋼の結果7,9)と同程度である。
da/dN-ΔK relations in region II of three steel plates obtained by ΔK increase test.
Fig.5(a),(b)および(c)に,ΔK漸減型のき裂進展試験により得られた第I領域におけるda/dN-ΔK関係を3供試材それぞれについて示す。いずれの図においても,Fig.4に示した第II領域の結果を併せて示している。ΔK漸増試験,ΔK漸減試験とで異なる試験片形状を用いたが,Fig.5の表記スケールでは両試験で得られたda/dN-ΔK関係には概ね連続性があるように見える。図中には,ΔKthの値も併せて示している。Fig.4に示した第II領域での特性では,Steel B,Steel Cはともに良好であったが,Steel BのΔKth値はむしろ従来鋼のSteel Aに近く,第I領域の特性は第II領域のき裂進展特性とは必ずしも傾向が一致していない。一方,Steel CのΔKth値はSteel A,Steel Bのそれと比較して約2倍大きな値であり,Steel Cは第II領域だけでなく第I領域の特性も他に比べて良好である。
da/dN-ΔK relations in region I of three steel plates obtained by ΔK decrease test overlapped on the relations in region II shown in Fig.4 and regression curves by Paris’s law.
Fig.5には,ΔK漸増試験,ΔK漸減試験の両結果をParis則で近似した近似曲線および近似式も示している。本研究では,第II領域に加え第I領域も表現することを意図し,次式で近似した。
(1) |
ここで,C, mは材料定数である。
3・2 表面き裂進展試験結果ピコ秒レーザによる人工欠陥を有する試験片を用いた表面き裂進展試験により計測された3供試材のき裂進展曲線をFig.6にプロットで示す。図の縦軸は,人工欠陥を挟む2つのクラックゲージで計測された表面のき裂長さ2cの半長で示している。3供試材とも0.5×106~1.5×106の範囲の破断寿命となっており,低応力振幅/高寿命域での疲労寿命を材料間で比較する上では,選択した応力振幅は妥当であったと言える。材料間の疲労寿命の大小関係は,Steel Aが最も短寿命であり,Steel BではSteel Aの約2倍,Steel CではSteel Aの約3倍にまで長寿命となっている。疲労き裂進展特性に関する材料間の優劣関係の観点から見ると,Fig.6に示した疲労寿命の大小関係はFig.4に示した第II領域の特性とも,Fig.5に示した第I領域の特性,換言すればΔKthの値の大小関係とも単純に対応したものになっていない。
Experimental c-N relationships in surface crack propagation test with pico-second laser notched specimen.
Fig.7に人工欠陥試験片のき裂進展試験後の破面様相写真を示す。これら破面はFig 6のき裂進展試験と同じ荷重条件ではあるが,適宜高い応力比のブロック荷重を与え,破面に意図的にビーチマークを形成させたものである。いずれの試験片においても試験片幅中央に導入した人工欠陥を起点とした同心円状のビーチマークが観察される。図中には明瞭に観察されたビーチマークに対して計測したアスペクト比a/cの値も示している。Fig.3(b-3)に示したように,長方形の平面形状を有する人工欠陥ではあったが,疲労き裂はほぼ半円形状の表面き裂として進展したことが窺われる。
Fracture appearances with beach marks in pico-second laser notch specimens after crack propagation test.
熱加工制御(TMCP)により製造された鋼板では,表層に圧縮残留応力を生じ得ること,特性に異方性を生じ得ることが知られている17)。本研究で用いた試験片は,鋼板の板厚中央から採取しているため,仮に鋼板表面に圧縮残留応力があったとしても,疲労試験結果には影響は与え得ない。そのため,Fig.4からFig.6で示したSteel Cの優れた疲労き裂進展特性は,組織に起因したものであると判断できる。一方,Fig.4およびFig.5に示した疲労き裂の進展特性は,板厚貫通き裂をT方向に進展させた結果であり,特に板厚方向への疲労き裂進展に対する特性異方性は不明である。しかしながら,人工欠陥により表面き裂の進展試験を再現したFig.7の結果によると,表面き裂はほぼ半円形状を保った進展であったことが示唆された。半楕円き裂の場合,最深部と表面部とで応力拡大係数Kが異なることはよく知られており,a/c>1の場合は表面部でK値は高く,逆にa/c<1の場合には最深部でK値が高い18)。すなわち,疲労き裂進展特性に異方性がない場合には表面き裂の形状は進展とともに半円形状に収束することになる。これらのことを考え併せると,ここで評価した3供試材の疲労き裂進展特性には表面き裂の形状を変化させるほどの強い異方性はなく,Fig.4およびFig.5に示した疲労き裂進展特性は,板厚方向のき裂進展に対しても概ね同等であったと類推できる。
緒言でも述べたように,疲労き裂進展特性には冶金的因子の本質的な影響は小さく,材料ごとの特性差はき裂閉口挙動の相違を反映した結果であると言われている。本研究においても,疲労き裂進展中のき裂閉口荷重レベルを除荷弾性コンプライアンス法により計測した。Fig.8はその結果を示したものである。図では,外力による応力拡大係数範囲ΔKに対する有効応力拡大係数範囲ΔKeffの比率,き裂開口比Uで示している。CT試験片を用いたΔK漸増試験,CCT試験片を用いたΔK漸減試験での計測結果を併せて示しており,き裂閉口荷重レベルを計測した時点のΔKの値で整理している。なお,Steel Bに関しては,ΔK漸減試験におけるき裂閉口荷重レベルを計測していないため,以降の議論では割愛する。Fig.8の結果では, Steel A,Steel Cともに,ΔKの値が小さい場合に小さいき裂開口比となっている。ただし,Steel A,Steel Cともに,ΔK漸減試験の結果を外挿した場合にΔK漸増試験の結果と連続するようには見えない。これは,ΔK漸増試験ではCT試験片,ΔK漸減試験ではCCT試験片と異なる負荷形式であったことにより,き裂先端後方のき裂開口形状に生じた差異に起因していると思われる。また,Fig.8ではΔK漸増試験とΔK漸減試験とで結果の連続性がFig.5と異なって見えるのは,両対数軸を使ったFig.5の表記上の要因である。Steel Cの開口比は Steel Aに比較して全般的に小さいが,材料間の差異はΔK漸減試験で得られた低ΔK域で顕著であり,例えばΔK=9 MPa m1/2ではSteel Cの開口比は Steel Aの半分以下となっている。このSteel Cにおけるき裂開口駆動力の強い抑制が,Fig.5に示したSteel Cの結果に現れた第I領域の低いda/dN,高いΔKthの値をもたらしたと考えられる。
Variation of crack opening ratio U (= ΔKeff /ΔK) against apparent ΔK.
き裂閉口挙動の誘起原因は従来から複数が指摘されているが19),Table 1に示したSteel AとSteel Cのσysが概ね等しく,等しいK値の下でのき裂先端の塑性域寸法は同程度であると想定されることから,Fig.8に示したSteel AとSteel Cの開口比の差異が塑性誘起き裂閉口の差異に起因したとは考えにくい。Fig.9にSteel AとSteel Cの試験後のCT試験片の板厚中央断面観察した結果を示す。き裂進展経路を白色線でトレースして示している。Steel AとSteel Cともに,疲労き裂は主としてフェライト相を進展していたが,Steel Aではき裂が直線的に進展していたのに対して,Steel Cはき裂の分岐や屈曲が多く観察され,かつ分岐き裂の長さが長い特徴があった。き裂の屈曲や分岐は,先端部を開口させるKI成分を減少させること20,21)に加え,破面粗さ誘起き裂閉口を誘発する。定性的な類推の域はでないが,Fig.8に示したSteel Cの低い開口比は,組織制御による破面粗さ誘起き裂閉口がその原因の主体であったと考える。
Fatigue crack propagation path of steel A and C near ΔK = 25 MPa m1/2.
Fig.10は既往の文献7,10,22–30)から収集したΔKthならびにその実効値ΔKeff,thを材料のσysに対して整理したものである。整理の対象は,溶接に適する化学成分の鉄鋼材料でありかつ,CT試験片もしくはCCT試験片により応力比R=0~0.1の範囲で評価された試験結果の内,da/dN=10-10~10-11 m/cycleで停留判断されたものに絞って示している。Fig.10には本供試材のΔKthおよびき裂停留時のUより算定したΔKeff,thを併せて示している。Fig.10によると,ばらつきは大きいものの,ΔKthはσysの増加に対し緩やかに減少する傾向にあり,過去報告31,32)と一致する。それに対して,ΔKeff,thではσys依存性はΔKthよりも不明瞭となっている。ばらつきが大きいため,こちらも一概に判断できないが,ΔKeff,thの値はき裂閉口を含まない材料固有の値と解釈するならば,σys依存性が弱くなることは理解できる32)。Fig.8ではΔKthはかなりの幅を有するσys依存性となっているが,その中でSteel AやSteel BのΔKthの値はばらつきの下限に位置するのに対して,Steel CのΔKth値はばらつきの中でも高位に位置している。一方,Steel A,Steel CのΔKeff,thの値は既往の報告値のばらつきの中でも低位に位置している。ただし,ΔKeff,thの値はき裂閉口荷重レベルの計測手法に強く依存するので,この結果のみから本供試材の位置づけを判断することはできない。
Distribution of ΔKth and ΔKeff, th in literatures.
Fig.6に示した人工欠陥を有する試験片のき裂進展試験結果では,破断寿命の大半はΔK<15 MPa m1/2の範囲のき裂の初期進展寿命に占められている一方で,これまで疲労き裂進展特性の改善の試みにおいて注目されてきたΔK=15~30 MPa m1/2の範囲,すなわち第II領域のき裂進展寿命が占める割合は大きくはない。これらの寿命バランスは,対象構造の応力集中の程度にも依存するので一概には判断できないが,実構造では潜在欠陥から疲労き裂を発生することが多いことを考えると,低ΔK域,すなわち第I領域のき裂進展特性が実問題の疲労寿命において支配的となり得る。
Fig.6にプロットで示した人工欠陥を有する試験片を用いた表面き裂進展試験の結果に対して,Fig.5に示した長いき裂で得られたき裂進展特性を用いてき裂進展解析を実施した。人工欠陥の初期形状寸法は,Fig.3(b-3)に示した長方形であったが,ここでは長方形欠陥を内包する半径350 μmの半円表面き裂(a0=c0=350 μm)と仮定した。き裂進展解析では,Raju-Newmanの式33)を基に,負荷応力変動とき裂寸法から算定したΔKの値をFig.5の実験結果で定めた供試材ごとのParis則に代入し,得られたき裂進展速度da/dNを用い2000回の応力繰返し数増分に対するき裂進展を積算した。長いき裂の進展特性を基に算定した表面き裂の進展解析結果をFig.6に破線で示す。半径350 μmの半円形状の初期き裂を想定した場合のΔKの初期値ΔK0は6.6 MPa m1/2であり,Steel AおよびSteel Bでは解析可能であったが,Steel Cの場合は初期値ΔK0がΔKthの値以下となり,解析不能であった。き裂進展解析が可能であったSteel AおよびSteel Bでは,Paris則に基づくき裂進展予測は,進展が急加速する応力繰返し数レベルなど,実験結果と概ね一致している。人工欠陥においてき裂発生寿命がないとした仮定,最深部形状の不明瞭な長方形欠陥を内包する半円き裂とした仮定など,いくつかの仮定をおいた解析ではあったが,解析結果が概ね実験計測結果と一致していることから,ここでの仮定は妥当であったと考える。
一方,Steel Cの人工欠陥を有する試験片では,負荷したΔKの初期値ΔK0がΔKthの値以下であったにも関わらず,実際にはき裂進展し破断に至っている。短いき裂の進展挙動は長いき裂のそれから乖離しており,長いき裂の進展下限界以下のΔKであっても進展する現象は微小き裂問題として古くから知られている5)。Chapettiは,Kitagawa and Takahashiが提案した微小き裂の進展下限界に関する考え方11)をFig.11に模式的に示すようなRカーブモデル(以降,MDCモデルと呼ぶ)に発展させ,微小き裂の進展抵抗を定式化した34,35)。MDCモデルでは,発生直後の結晶粒径相当のき裂に対しては材料固有のき裂進展抵抗ΔKdRのみしか作用しないが,進展とともにき裂進展抵抗が増加,長いき裂のΔKthの値に漸近すると考え,微小き裂の進展抵抗ΔKdRをき裂長さaの関数として次式を提案した。
(2) |
Defined fatigue crack propagation threshold as a function of crack length in small crack regime34).
ただし,
ここで,dは結晶粒径,ΔKExRはき裂進展に伴う進展抵抗の増分項である。
以下では,MDCモデルに基づく微小き裂の進展下限界ΔKthRをFig.5で決定したParis則のΔKthに用いることで,Fig.6に示したSteel Cの人工欠陥からのき裂進展が予測可能か否かに関して議論する。MDCモデルではStage Iき裂が出会う最初の障壁が内部結晶粒界であり,そこでのき裂停留で律速される疲労限Δσwと結晶粒径dで算定される応力拡大係数範囲ΔKをΔKdRと考えた。本研究では供試材の平滑試験片の疲労限や疲労限に対応した停留き裂寸法を計測していない。そのため,ΔKdRの値としてFig.8から類推されるΔKeff,thの値を用いることにする。ΔKdRとは対象とするき裂長さは大きく異なるが,ΔKdRがCrack wakeの影響,換言すればき裂閉口効果のないき裂進展抵抗であるという物理的意味を考えると,同様な物理的意味を有するΔKeff,thの値を用いることは論理的仮定であると思われる。式(2)によるΔKdRの算定には結晶粒径dが必要になるが,MCDモデルでは優先的に疲労き裂の発生点になり得る結晶粒径と考えていることを考慮し,Fig.1の組織観察写真を基に,累積頻度98%の結晶粒径としてSteel Aでは24 μm,Steel Cでは22 μmとしてΔKthRの算定に用いた。Steel AおよびSteel Cの以上の定数を式(2)に適用し,得られたΔKthRをFig.12に示す。図には初期き裂を半径350 μmの半円き裂,試験応力変動幅を実験と同じΔσ=280 MPaとした場合のΔK値の変化も破線で示している。Fig.12の試算結果によると,初期欠陥に対するΔK値6.6 MPa m1/2はSteel CのΔKthRの変化曲線の直上にあり,Steel Cであってもき裂は進展し得ることがわかる。
Comparison of fatigue crack propagation threshold and ΔK of pico-second laser specimen.
そこで,Fig.12に示したSteel AおよびSteel Cのき裂長さaの関数であるΔKthRをFig.5に示した両材料のΔKthに代入し,本節冒頭と同様のき裂進展解析をおこなった。その結果をFig.13に破線で示す。Fig.13に示したSteel Aのき裂進展解析結果とFig.6のそれと比較すると,微小き裂進展域のRカーブ挙動を考慮したFig.13の解析的予測の方がやや短寿命側の予測にはなっているが,両者に大きな差異はなく,いずれの場合も実験結果を概ね記述できている。一方,既述のように,Steel Cでは長いき裂の進展特性からは想定初期き裂からの進展解析は不能であったが,微小き裂域の進展抵抗変化を考慮すると,Fig.13に示したように,Steel Cの人工欠陥からのき裂進展を概ね記述できる結果となっていることがわかる。このことは,同一の想定初期き裂であっても,Steel Aでは長いき裂の,Steel Cでは短いき裂としての進展特性が支配的となったことを示唆している。
Crack propagation based on Paris’ law with fatigue crack propagation threshold as a function of crack length.
Fig.11に示したMDCモデルでは材料表面に発生した疲労き裂の進展に対して結晶粒界が障壁になると考え,き裂進展に伴う進展抵抗の増加をモデル化したものである。一方,Fig.13でMDCモデルの適応対象とした供試材,Steel AおよびSteel Cは複相組織であり,モデルで想定している粒界の障壁効果が実際は不均一となっていることが予想される。すなわち,MDCモデルではその点までは考慮できていない。これに加え,MDCモデルではいくつかの仮定を想定していることを考慮すると,Fig.12およびFig.13の結果は一つの試算と位置付けるべきと考える。ただし,長いき裂の進展下限界特性では説明し得なかったSteel Cの人工欠陥からのき裂進展挙動がMDCモデルで概ね説明できたことは,複相組織であることの影響が大きくはないことを示唆しており,長いき裂のき裂進展特性と短いき裂の進展挙動を結びつける上では重要な知見となる。すなわち,長いき裂の進展下限界特性,特にΔKthの改善を狙い組織制御を試みたSteel Cは長いき裂の特性だけでなく,表面で発生した疲労き裂の初期進展過程においてもき裂進展抵抗を増加させる効果をもたらし,短いき裂の進展寿命に対しても大きく改善する効果を有することが,実験的にも理論的にも検証できた。
本研究では,疲労き裂進展特性の改善を狙い,開発・実機製造した鋼板(SM490適合材)の疲労き裂進展特性を調査した。さらに,人工欠陥から発生した疲労き裂の初期進展寿命に関して,長いき裂の進展特性との関連性を微小き裂の観点から検討し,以下の知見を得た。
(1)開発鋼の第II領域の疲労き裂進展速度は,従来鋼の1/2程度にまで抑制され,既往文献で報告されている耐疲労鋼と同等程度のき裂進展抑制効果を示した。開発の狙いであったき裂進展下限界の特性,特にΔKthの値は,開発鋼では従来鋼の2倍以上大きい値であった。
(2)微小人工欠陥を導入した試験片による表面き裂進展試験では,開発鋼の疲労寿命は従来鋼の約3倍にまで延伸した。
(3)微小欠陥から発生した表面き裂は,開発鋼において長いき裂の進展下限界以下のΔKで進展する微小き裂の領域であった。既往文献で提案された微小き裂のRカーブモデルを用い微小き裂の進展抵抗を補正したところ,開発鋼の表面き裂進展の実験結果をよく説明できた。
(4)結言(3)の結果より,長いき裂の進展下限界特性,特にΔKthは,表面で発生した疲労き裂の初期進展過程においてもき裂進展抵抗を増加させる効果をもたらし,短いき裂の進展寿命に対しても大きく改善する効果をもたらすことが検証できた。