2023 Volume 109 Issue 6 Pages 536-546
Martensite-matrix dual-phase (DP) steel is increasingly used for high-strength automobile parts owing to its excellent compatibility, ductility, and tensile strength. However, its higher fracture strain, reflected by the hole expansion ratio, remains an issue hindering further adoption of this material. Therefore, this study conducted a microscale investigation of the ductile fracture behavior of 1180-MPa class martensite-matrix DP steel to obtain a guideline for microstructural design realizing improved fracture strain. In this investigation, in-situ tensile testing was conducted simultaneously with scanning electron microscope observations and crystal plasticity finite-element analysis (CP-FEA). The in-situ tensile test results indicated that microcracks initiated at particular martensite packets and did not propagate into other packets; the CP-FEA results revealed that the martensite crystal orientation caused this behavior to induce remarkable stress and strain localization at interfaces in the vicinity of ferrite islands, relaxing the stress and strain localization at distant martensite packets. Although the cracks observed around the ferrite–martensite interfaces were similar to those observed in conventional ferrite-matrix DP steel, such matrix-phase cracks have rarely been reported except immediately prior to final fracture. Thus, the optimization of ferrite island distribution to suppress the formation of stress and strain localization sites was identified as the key aspect of martensite-matrix DP steel microstructure design. This design aspect can be achieved using a combination of data science and CP-FEA.
自動車の構造部材において軽量化は二酸化炭素排出量削減に欠かせない要求仕様である。軽量化には部材の薄肉化が必要となるが,その一方で高い衝突安全性能も確保しなければならない。高張力鋼板はこれらの性能を両立することを目的に開発され,今日では広く普及しつつある1)。ただし,高張力鋼板のプレス成形性は軟鋼板に比べて悪い。形状凍結性2,3)や金型と被加工材表面の損傷4,5),高いプレス荷重6,7)等の課題もあるが,プレス成形時の材料破断は特に問題である。高強度化に伴う延性の低下がその原因として挙げられる8–10)。
上記の背景のもとにフェライト・マルテンサイト二相組織鋼(以下,DP鋼)は開発をされた。DP鋼では軟質なフェライトが延性を確保し,硬質なマルテンサイトが強度を担うことで高強度・高延性が両立する10,11)。その優れた特性のために今日では自動車用高張力鋼として広く普及している。ただし,DP鋼はよく伸びる高延性材料ではあるものの単相鋼に比べて穴広げ限界12)が低い8,13)。そのため,伸びフランジ加工と呼ばれる鋼板端部のフランジアップにおいて割れが多発してしまう。これは破断に至る際の局所的な塑性ひずみ(以下,破断ひずみ)が低いためである14–16)。ここで,破断ひずみは引張試験における破断寸前の断面減少率から算出される相当塑性ひずみとして評価される15–18)。
DP鋼の破断ひずみがなぜ単相鋼のものよりも低いのか,引張中に生成したマイクロボイドの挙動を観察してその分析がなされている19–23)。その結果をまとめれば,DP鋼ではまずフェライト・マルテンサイト境界近傍,あるいはマルテンサイトのくびれ形状部に変形が集中することにより微視的な亀裂が生成・開口し,マイクロボイドとなる。引張に伴って“島状の”マルテンサイトを縫うようにフェライト上に変形集中部が発達し,当初は引張方向に延伸するように成長していたマイクロボイドはやがてこの変形集中部に沿って成長・連結を始める。最終的には大きな亀裂となり,素材を分離する。このようにDP鋼ではマルテンサイトに起因するフェライト内の変形集中が破断を促進する。これらの知見より穴広げ限界(≒破断ひずみ)を向上させる材料設計指針として,フェライト内の変形集中を抑制するとの観点からマルテンサイト形状の制御24,25)やフェライトとマルテンサイト間の硬度差の調整がなされてきた23,26,27)。硬度差を下げた最たる結果が単相鋼による穴広げ限界の改善とも言える28)。
ただし,上記の分析結果はフェライト母相中に島状マルテンサイトを有するDP鋼(以下,F-DP鋼)に限定される。F-DP鋼は引張強度590~780 MPa程度のものとなり,引張強度980 MPa級以上のものはマルテンサイト母相に島状フェライトが点在する組織形態となる場合が多い。このようなフェライトとマルテンサイトの関係が裏返った超高張力DP鋼において,F-DP鋼にて観測されたものと同様の機構で微視的な延性破壊が生じるとは考えにくい。そのため,F-DP鋼のように硬質なマルテンサイトがフェライト母相のように変形集中を起こすのか,フェライトのくびれ形状部が延性破壊してマイクロボイドを形成するのか,現状では明らかではないといえる。破断ひずみ向上を狙った材料開発指針を得るには,改めてマルテンサイト母相DP鋼(以下,M-DP鋼)の微視的延性破壊機構を解明する必要がある。
そこで,本報ではM-DP鋼の微視的な延性破壊機構を明らかにすることを目的とする。そのための手段として熱処理により粗粒化した1180 MPa級M-DP鋼に対し,電子顕微鏡(SEM)中でのその場引張試験を行う。引張中における組織内の亀裂生成挙動を観察することで,M-DP鋼における微視的な延性破壊の起点と発展を分析する。この分析に際しては測定された結晶方位と延性破壊との関係を評価するため,引張試験片上の金属組織像より生成したモデルを用いて結晶塑性有限要素解析を実施する。この結晶塑性解析では仮想的に全ての結晶粒がマルテンサイトであるとした解析も行い,二相組織として解析した結果と比較することで島状フェライトがマルテンサイト母相の変形に及ぼす影響を明らかにした。
本研究ではFig.1の金属組織写真のように結晶粒を粗大化したM-DP鋼を用いる。観察しやすいという目的のほか,結晶粒粗大化によって試験片内に含まれる結晶の数を減らすとの狙いもある29)。これは,後述の結晶塑性解析を実施するにあたり,計算時間の観点からモデル化できる結晶の数が限られてしまうことによる。
Micrograph of the Nital-etched DP steel, in which the white ferrite islands are embedded in the martensite matrix. (Online version in color.)
供試鋼の成分はTable 1のごとくである。商用に流通している鉄鋼連盟規格JSC1180YL鋼材(初期降伏応力(0.2%耐力)852 MPa,引張強度1200 MPa)を熱処理することで作成をした。熱処理としては窒素雰囲気で1050°Cにて2時間保持した後に空冷(結晶粒粗大化焼鈍)し,さらに750°Cにて30分保持した後に水冷(二相域焼鈍)をした。
C | Si | Mn | P | S | Sol-Al | N |
---|---|---|---|---|---|---|
0.17 | 2.0 | 2.6 | 0.008 | 0.001 | 0.035 | 0.0028 |
Table 2に供試鋼の機械的特性を示す。ここで,Table 2の機械的特性は平行部の長さ30 mm,幅10 mm,板厚1.4 mmの引張試験片を用い,ゲージ長さ20 mmにて測定したものとなる。供試材となる粗大粒鋼の初期降伏応力(0.2%耐力)は682 MPaであり,引張強度は1267 MPaとなった。粗大化前の原板に対して初期降伏応力が下がり,引張強度が増したものとなる。
Yield stress [MPa] |
Tensile strength [MPa] |
Uniform elongation [%] | Total elongation [%] |
---|---|---|---|
682 | 1267 | 9.4 | 12.6 |
引張試験片にはFig.2の微小引張試験片30)を用いた。この試験片は中央部に切り欠きを設けて0.2 mm幅とし,SEM観察において試験片の変形域全体が視野に入るものとして設計されたものである。板厚中央部では引張中の応力3軸度が高く,亀裂生成の起点となる。角棒のような断面のアスペクト比が1に近い試験片では中央部の3軸度がさらに高まるため,表面に亀裂がないまま板厚中央部の亀裂をもって素材が分離する可能性がある。そこで,応力3軸度を抑えて試験片表面上に亀裂が発生することを狙い,厚みを0.11 mmまで薄くした。
Micro specimen used for in-situ tensile testing. Dimensions are in mm.
加えてFig.2の試験片ではSEM観察においてフェライトとラス状のマルテンサイトが判別できるようになることを意図して,試験片表面に対してダイヤモンド砥石とコロイダルシリカによる研磨を施した。
2・2 実験条件Fig.3のごとくDeben社製の小型引張試験機MT300を用いてSEM内での引張試験を行った。Fig.3に示すようにFig.2の試験片における幅2.2 mmの部位をホルダーに保持し,片方(写真では下側)のホルダーを移動させることで試験片に引張が加わる。引張前の微小試験片におけるSEM観察像(反射電子像)をFig.4に示す。狙い通り微小引張試験片の切り欠き部(変形領域)の全幅が視野に収まっており,かつ,マルテンサイト母相と島状フェライト粒の形状も判別できるものとなった。後述の考察に用いるため,Fig.4ではフェライト粒を2つ取り上げてF1とF2というIDをつけている。SEM像に加えて引張前のEBSD測定も実施をした。このEBSD像は後述の結晶塑性解析のモデル作成の参照としている。
Micro-specimen set in the mini-tensile testing machine embedded on the SEM platform. (Online version in color.)
Micro-specimen observation prior to tensile testing. (Online version in color.)
引張試験に際しては破断まで実験を行うことなく,表面上の亀裂が確認された時点で試験を終了した。これは後ほど亀裂生成部周辺のEBSD測定を行うためである。なお,試験終了に至るまでの間,撮像のためにホルダー移動を3回ほど一旦停止させている。Fig.4に示すように,試験片に付着した異物間の距離(ゲージ部にはフェライトをほぼ含まない)をゲージ長さに見立てて評価したところ試験停止の際の伸びは4.0%であった。この試験ではひずみ速度を制御することはできていないが観察を除く引張試験時間は延べ数分程度であり,4.0%の伸び量から逆算すると概ね10-3 /s以下のひずみ速度であったものとみなせる。
2・3 結果Fig.5に引張後の試験片切り欠き部全体の組織像を示す。Fig.4の初期組織像に比べて全体的に伸長しており,所々に黒色部として亀裂を確認することができる。亀裂はフェライト・マルテンサイト境界部近傍とマルテンサイト母相の双方に生じた。
Micro-specimen observation after 4.0% elongation measured using the gauge shown in Fig. 3. (Online version in color.)
以下では,亀裂の発生が確認できた2つの部位に焦点を当てて説明する。まず,Fig.5中のArea 1におけるフェライト・マルテンサイト境界近傍亀裂部を拡大したものがFig.6(a)となる。ここでFig.6(a-1)に示すフェライト粒の幅から算出した局所的な伸び量は9.7%となった。これはFig.4の任意に選んだ異物間距離より求めた伸びの倍以上の値となり,フェライトとマルテンサイトが混在することによる変形の不均一性が高いことを示す。Fig.6(a-1)の変形前の状態に対し,Fig.6(a-2)の変形後においては上下に張り出したフェライト粒の凸部においてマルテンサイトとの境界に亀裂が生じている。概ね境界に沿った界面上の亀裂ではあるが,界面より逸れたフェライト内部に亀裂端があることからフェライト上の亀裂とみなすことができる。いずれも引張軸にほぼ直交する境界部に生じたものであった。また,小さいながらもフェライト・マルテンサイト境界からマルテンサイトにかけて位置する亀裂も下部に確認できる。
Magnified views before and after tensile testing. Areas 1 and 2 are identified in Fig. 5. (Online version in color.)
続いて,Area 2のマルテンサイト母相上の亀裂について述べる。Fig.6(b)はArea 2のマルテンサイト母相亀裂部の変形前後の拡大象となる。マルテンサイト粒内の2点間距離(Fig.6(b-1))より伸びを見積もったところ,約9.5%であった。この伸び量もFig.4の異物間距離から見積もったものに対して大きく,Fig.5のフェライト粒と同等の変形となる。これは特定のマルテンサイト粒において変形が平均よりも大きくなっており,その程度は軟質なフェライト粒における変形と同等のものであることを示している。ここで,粗大化焼鈍されているために供試鋼のマルテンサイトのパケット境界,あるいはブロック境界の判別が難しい。そのため,便宜上“マルテンサイト粒”との表記を用いている。Fig.6(b-2)より亀裂は引張軸に直交するように複数生成している。亀裂は1つの粒内に集中しており,隣接する他のマルテンサイト粒に伝播したものはほとんど見られない。
2章の結果を応力・ひずみの視点から解釈するために結晶塑性有限要素解析を行う。解析に際しては計算負荷を考慮して切り欠き領域の一部を抜き出した。Fig.7に解析領域の位置,およびEBSDにより測定されたIPF(Inverse Pole Figure)・IQ(Image Quality)像を示す。解析領域は端部から概ね切り欠き幅の半分弱の領域とした。Fig.7のEBSD像におけるマルテンサイト粒とフェライト粒の総数は45であり,そのうちの2つがフェライト粒である。このEBSD像をもとにFig.8のごとく有限要素モデル(全要素数24888)を作成した。
IPF/IQ region map for crystal plasticity analysis. (Online version in color.)
Finite element model with three-layer hexagonal meshes in the direction of material thickness. (Online version in color.)
この解析ではマルテンサイト粒間の異なる結晶方位に起因した変形集中に対し,フェライト粒が存在することでその変形集中度合いがどの程度促進,あるいは緩和されるか測ることを目的とした。そのため,この解析目的と解析時間との兼ね合いからモデルを以下のように簡略化している。まず,マルテンサイト粒は一つの方位を有する結晶として扱う。Fig.7中のマルテンサイト粒はラスまたはブロックからなる縞状組織を呈しており一部にセメンタイトも存在していると思われるが,結晶塑性解析ではFig.8のごとくこれらを無視することにより簡略化をした。ただし,微細組織の存在はマルテンサイトの高い変形抵抗としてモデル上は表現される。Fig.4にも示したが,Fig.8におけるF1とF2はSEM像より判別されたフェライト粒である。MはArea 2の亀裂が生じたマルテンサイトを示している。離散化には選択低減積分に基づく8節点双一次ソリッド要素を用いた。過去の研究31)に基づき,板厚方向には3層を与えている。なお,板厚方向での結晶方位の違いを実測することは困難である。そこで,本研究では各結晶粒は板厚方向に貫通した柱状粒であると仮定し,板厚方向の3層全てに表層と同一の結晶方位を割り当てた。なお先行研究において,仮に板厚方向に結晶粒が貫通した柱状粒材を供試材として用いた場合でも,現状では結晶塑性解析によるそのひずみ分布の定量的な予測が困難なことが報告されている例えば32)。そこで本研究では,結晶塑性解析結果については定量的な評価は行わず,定性的な考察に焦点を当てることとする。
各結晶粒内では初期結晶方位が一定であると仮定し,各要素にはEBSD像より取得したマルテンサイト粒の結晶方位平均を与えている。マルテンサイト粒のそれぞれの方位と硬・軟質部による変形分配挙動を分離することを意図して,F1とF2に仮想的にマルテンサイトの変形抵抗を与えた単相仮定モデル,および実際のものと同じくF1とF2にフェライトの変形抵抗を与えたDP仮定モデルの2ケースの解析を実施した。
境界条件としてはFig.8の左端面と上端面に対称面条件を設定し,右端面に対してモデル全体の2.1%の引張変位を10-5 /sのひずみ速度(準静的)にて負荷した。ここで,2・2節に示した4.0%の伸び測定値に対して2.1%という変形量は小さい。これは2.1%の変形までに解析時間が現在の計算環境で許容される2週間を超えてしまったためである(京都大学のスーパーコンピュータシステム/Xeon Broadwell 2.1 GHz・24コアを使用)。これを改善するには後述するようにデータ科学を活用するといった計算手法の見直しが必要となる。今後の課題としたい。
解析には,Hamaら33–35)が開発した結晶塑性有限要素法解析プログラムを用いた。定式化の詳細については既報論文で詳述しているため,本稿では概要のみ示す。
{110}<111>すべり系および{112}<111>すべり系を考慮し,各すべり系の活動はSchmid則に従うと仮定した。体心立方金属では結晶レベルでの弾性異方性が大きいことが知られる。しかしながら,本材料における異方性パラメータの同定が困難であることから,本研究では簡単のため等方性を仮定し,ヤング率210 GPa,ポアソン比0.3とした。構成則としてすべり系αのすべり速度
(1) |
ここで,
(2) |
σはCauchy応力テンソル,sαおよびmαはそれぞれすべり系αのすべり方向およびすべり面法線方向を表す単位ベクトルである。τYαはすべり系αのすべり抵抗であり,その初期値は臨界分解せん断応力τ0である。τYαの発展は,次式の拡張Voce型硬化発展式37)により与える。
(3) |
(4) |
qαβは潜在硬化マトリクス,τ1,θ1,θ0は硬化に関する材料パラメータである。γは累積すべり量であり時間をtとして以下のように表される。
(5) |
DP鋼において,結晶塑性解析に資する各相の特性を個別に分離して評価することは簡単ではなく,その評価手法は十分に確立されていない例えば38,39)。そこで本研究では,フェライトおよびマルテンサイト単相材における特性を基準とした上で,フェライト体積率を実際のDP鋼に一致させた仮想二相組織ボクセルモデル(代表体積要素RVE)が巨視的な応力・ひずみ関係を再現できるように調整したパラメータを用いることとした40)。フェライト,マルテンサイトそれぞれに対して与えた材料パラメータをTable 3に示す。各相における特性評価精度の向上については,今後の課題としたい。潜在硬化マトリクスの成分は簡単のため全て1と設定した。ここで{110}<111>すべり系と{112}<111>すべり系に対して同じパラメータを与えている。
τ0 | τ1 | θ0 | θ1 | |
---|---|---|---|---|
Martensite | 310.0 | 400.0 | 30000.0 | 600.0 |
Ferrite | 160.0 | 200.0 | 190.0 | 0.1 |
Fig.9に解析結果を示す。Fig.9(a)はステップ毎の塑性ひずみ増分テンソルより算出した相当塑性ひずみ量のコンター図であるが,Fig.9(a-1)の単相仮定モデルの結果において結晶方位の影響により塑性ひずみの集中が起こっていることが確認できる。亀裂生成をしたマルテンサイト粒Mをはじめ,いくつかのマルテンサイト粒において塑性変形量が他よりも高くなっている。下端部の試験片切り欠きにおいて塑性変形が最も高い。Fig.9(a-2)のDP仮定モデルにおいては,単相仮定モデルに比べて塑性変形の集中度合いが増している。F1とF2のフェライト粒を中心に塑性ひずみが大きく,その周囲のマルテンサイト粒にも変形が伝播している。塑性ひずみの大きなマルテンサイト粒は単相仮定モデルに比べて少ない。その中において,マルテンサイト粒MはDP仮定モデルではさらに塑性変形が集中する結果となった。
Results of crystal plasticity FE analysis. (Online version in color.)
Fig.9(b)は静水応力のコンター図を示したものである。静水応力は圧縮側(負の値)に高い値であるほど破断ひずみが高い。そのため,塑性ひずみの値と合わせて評価することでその部位の延性破壊の起こりやすさ・起こりにくさを測ることができる41)。単相仮定におけるFig.9(b-1)の静水応力は明らかに不均一な分布となっており,マルテンサイト粒の結晶方位差,あるいは結晶粒の形状の不均一分布の影響を受けている。特定の結晶粒に高静水応力部が生じているが,亀裂生成を起こしたマルテンサイト粒Mは周囲の粒に比較して特に高い静水応力ではない。一部の高静水応力部はFig.9(b-2)のDP仮定においても維持されている。しかしながら,DP仮定においてはフェライト粒F1とF2に他の粒よりも圧縮側の静水応力となっており,その周囲のマルテンサイト粒にも圧縮の静水応力が生じている。F1の左隣の粒はフェライト粒よりも大きな圧縮の静水応力が誘起されている。さらにその周囲のマルテンサイト粒ではバランスをとるために引張の静水応力が生じている。これは例えばFig.9(b-2)の右上部のような部位である。
上記の解析結果をFig.10の4.0%変形後のEBSD像と比較する。Fig.10(a)のIPF・IQ像からはマルテンサイト粒Mの上部に方位回転がみられ,当該部はFig.10(b)のGROD(Grain Reference Orientation Deviation)の値も高い。ここで,GRODは粒内の平均結晶方位からのずれを表した値であり,塑性ひずみの指標として用いられる42)。Mの右に隣接するマルテンサイト粒の方がGRODは高くなっているが,この傾向はFig.9(b-2)のDP仮定における塑性ひずみ分布に近い。さらにFig.10(a)よりフェライト粒F2は変形による引張方向への伸長が大きく,Fig.7の初期組織に比べれば扁平状へ変化していることが分かる。組織形状の伸長度合いをみるに,F2を含めて切り欠き端部は全体的に変形が大きい。Fig.10(b)のGRODからも確認できる。このような切り欠き端部近傍における塑性変形の領域はMの直下まで及ぶほど大きく,この傾向はFig.9(a-1)の単相仮定のものよりもFig.9(a-2)のDP仮定における塑性ひずみ分布に近い。
EBSD maps after tensile deformation. (Online version in color.)
2章より,M-DPの供試鋼は従来のF-DP鋼に対して明確に異なる亀裂生成挙動を示すことが明らかとなった。まず,F-DP鋼においては母相中の亀裂は変形初期・中期において観察されない19,21,23)。Area 2(Fig.5)のようなマルテンサイト母相中の亀裂生成はM-DP鋼に特有となる。Area 1のようなフェライト・マルテンサイト界面近傍の亀裂はF-DP鋼においても同様に観察されるが,F-DP鋼の界面近傍の亀裂は島状マルテンサイトに伝播することはない19,20)。M-DP鋼では島状フェライト中にもマルテンサイト母相中にも亀裂が伝播する挙動を示しており,これもF-DP鋼に異なる結果となっている。さらに,F-DP鋼では破断寸前において亀裂が島状マルテンサイトの間を縫うように伝播する22)。それまでは亀裂が引張軸に沿って開口するのみであり,境界部外に亀裂が伝播するような挙動はみられない20,23)。紙面の都合で省略したが,同様の結果は同じ鋼材を用いた他の試験片でも観察された。
上記の結果から,M-DP鋼ではF-DP鋼よりも母相の延性破壊が最終破断に果たす役割が大きいと考えられる。当然,双方のDP鋼において母相が破壊することで最終的な破断が起こるが,M-DP鋼においては比較的早い段階で母相に亀裂が生じる。F-DP鋼の場合はマルテンサイト近傍の硬・軟質の違いによる変形集中が亀裂生成の要因であった。しかしながら,M-DP鋼の場合はArea 2のように島状フェライトに隣接していないマルテンサイト母相が破壊する。F-DP鋼に比べて,マルテンサイトの結晶方位が微視的な亀裂生成に強く影響するものと考えられる。事実,Fig.6(b)に示したようにArea 2の亀裂は特定のマルテンサイト粒Mに集中しており,他のマルテンサイトへの亀裂伝播はほぼみられない。加えて,Fig.6(a)のArea 1で観察された亀裂はマルテンサイト母相に伝播する挙動を示すが,その多くはフェライト粒に留まっている。この観察結果とマルテンサイト粒Mのようなフェライト粒に隣接しない領域に大きな亀裂が生じることを考慮すれば,フェライト粒を起点とする微視的な亀裂が巨視的な破断ひずみに及ぼす影響は小さい。したがって,F-DP鋼のように二相間の硬さ比や島状フェライトのトポロジーを制御することで得られる巨視的破断ひずみ向上の効果はM-DP鋼においては小さいものと考えられる。代わりに,M-DP鋼ではマルテンサイト母相の結晶方位の制御や微視的な破断ひずみの向上が重要となる。
4・2 結晶塑性解析まず,Fig.11に結晶塑性解析領域の変形後の断面像を示しておく。Fig.11から,表層に観察される金属組織は表層の限られた範囲を占めるのみであり,板厚方向を貫通するほどの大きさではないことが分かる。例えばフェライト粒F1に着目すれば,板厚方向に20 μm以下の厚さである。これより3章の表面の結晶のみを模擬した解析に対して実験値との整合性を逐次議論することは適当ではない。一方で3・2節に述べたように単相仮定よりもDP仮定の解析結果がEBSDより得られた塑性ひずみ分布に近い点を考慮すれば,フェライトが存在することによる塑性ひずみ分布に対する定性的な影響は捉えられているものと考えられる。加えて,実際の試験片の切り欠き部が部分的にしか解析領域に含まれないため,切り欠き部近傍の塑性変形は実際のものよりも小さい。そこで,以降の考察では結晶塑性解析からフェライトの果たす役割を定性的に読み取り,観察された亀裂生成挙動を考察していく。
Cross section of micro-specimen (after deformation). (Online version in color.)
3・1節に示したように,解析モデルにおいてフェライトの割合は小さい(45粒中の2)。しかしながら,Fig.7の結果では単相仮定とDP仮定において明確に塑性ひずみと静水応力の傾向が著しく異なる。特に着目するべきはフェライトに隣接するマルテンサイトに圧縮の静水応力が誘起される点である。よく知られるように圧縮の静水応力中では破壊は抑制される。引張軸に対する位置関係も考える必要があるが,フェライトが塑性変形を担うことによって,マルテンサイト粒中の変形集中を緩和する役割を果たすことがうかがえる。
また,単相仮定の解析結果で見られるように,マルテンサイト母相の結晶方位は少なからず解析領域内の変形集中に影響を与える(Fig.9(a-1))。これは切り欠き端部における変形集中とこれに伴う全体的な不均一変形に加えて,さらに各マルテンサイト粒の結晶方位に基づくSchmid因子に応じた変形分配がなされたためである。その傍証を得るべくマルテンサイトM 周囲のマルテンサイト結晶粒との方位差を示す。Fig.12にFig.9(a-1)よりマルテンサイトM周囲を抜き出した相当塑性ひずみ分布とともに,周囲の結晶粒IDを示す。これらIDをつけた結晶粒とマルテンサイトMとの方位差ΔはTable 4に示す通りとなった。マルテンサイトMに接する粒は左隣のGrain ID 1, 2, 3と右隣のGrain ID 4, 5, 6であるが,Grain ID 2を除いてこれら左隣と右隣の粒におけるΔは概ね15度を超えた大傾角である。異なる方位の結晶粒に挟まれて変形したことでマルテンサイトMに変形が集中したものとみなせる。なお,左隣のGrain ID 2との方位差は5.2度と小さいが,接する部分が小さいためにマルテンサイトMにおける変形の集中に大きな影響を及ぼしていないと考えられる。
Grain IDs around the martensite grain M. (Online version in color.)
Grain ID | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
44 | 5.2 | 35 | 23 | 25 | 42 |
なお,Δは対称性を考慮したオイラー角ϕ, θ, ψより定まる回転テンソルRのtraceから求められる。マルテンサイトMとその周囲の粒のオイラー角に対応する回転テンソルをそれぞれRM, Rsとすれば,2つの粒間の方位差に対応する回転テンソルはRs RTMである。この回転テンソルとRodriguesの回転公式から
(6) |
(7) |
として方位差Δは求まる。ここで,回転テンソルRはϕ, θ, ψを用いて以下のように表される。
(8) |
粒の形状の違いも変形集中を促進していると思われるが,その影響を分離することまでは本解析では実施できていない。ただし,Fig.7と8より様々な形態の粒が混在している点から少なからず粒形状が影響しているものと推測される。例えば, マルテンサイトMとGrain ID 4,5の境界部のような入り組んだ形状(Fig.12において丸で囲んだ部位)は,Grain ID 3との境界部のような平坦形状に比べてより強く変形集中を誘起するものと考えることができる。現に,Grain ID 3とマルテンサイトMとの境界部における相当塑性ひずみはGrain ID 4, 5との境界におけるものよりも小さい。
DP仮定のもとにフェライトの存在が加わることで変形集中の度合いは著しく変化をした。Fig.9(a-2)からはフェライト近傍のマルテンサイト母相の塑性変形は単相仮定の場合よりも増すが,その遠方のマルテンサイト母相の変形集中は緩和される結果となっている。実際に亀裂が生じたマルテンサイト粒Mに着目すれば,単相仮定よりもDP仮定の解析結果において粒の下半分の塑性ひずみは小さい。F-DPにおいてはフェライトとマルテンサイトの変形抵抗の違いによる不均一変形は母相中に変形集中帯を誘起し22,25),その変形集中帯に沿った微視亀裂が生じる22)。M-DPにおいても同様の現象が生じると考えられたが,微視亀裂の生じたマルテンサイトMにおいて本解析は塑性ひずみ量が低下する,すなわち,変形集中帯がフェライトの存在により逆に抑制される可能性が示唆される興味深い結果となった。亀裂発生箇所において異相の存在が母相の結晶方位(あるいは結晶粒形状)のような他の因子にて生じた変形集中を打ち消し,破断を遅らすことができる可能性が示されたものとなる。
上記の解析結果は,F-DP鋼に比べてM-DP鋼では変形中のマルテンサイト母相の延性破壊が及ぼす巨視的な破断ひずみに対する影響が大きいとの観察結果を改めて確認するものとなった。どのマルテンサイト粒が破壊を起こすかは結晶方位や粒形状に起因する塑性ひずみと応力の分布によって定まると考えられるが,解析結果はフェライトによって変形集中の度合いを緩和することができることを示唆している。この知見は,M-DP鋼における材料設計指針として活用できるものと考える。
上記のようなマルテンサイトの変形集中を緩和するフェライト相分布の設計(最適化)は結晶塑性解析無しにはなしえない。しかしながら,本報の解析において1ケース2週間という時間を考えるに,実際に流通するような微細金属組織M-DP鋼の設計に活用するには非現実的である。データ科学の活用が有効であると考えられ,例えばサロゲート解析のような有限要素法の解析結果を機械学習する枠組みを用い,少ない結晶粒,小さな変形量の解析結果から微細金属組織M-DP鋼の大変形を解析するような展開が有望であると考える。
特に,本報で用いたようなイメージベース解析においては表層のみのごく僅かな領域しか解析ができない。イメージベース解析と実験との同期は力学パラメータの同定に対して非常に有効となるものの,解析領域の問題により同定精度に対する疑念が常に付きまとう。このような目的でイメージベース解析を成す上でも,限られた領域から全体の挙動を類推するとの解析ロジックは力学モデルそのものや計算速度向上技術以上に重要になってくるのではなかろうか。今後の課題として取り組みたい。
本報ではマルテンサイトを母相とするM-DP鋼を対象に,その微視的な延性破壊機構をその場観察引張試験を用いて明らかにした。観察された亀裂生成挙動を変形集中の観点から考察をするため,観察像に基づく簡易的な結晶塑性有限要素法解析を実施した。結果は以下の通りである。
(1)M-DP鋼における引張変形中の微視亀裂はマルテンサイト母相とフェライト・マルテンサイト境界のフェライト部に生じた。これはフェライト母相のF-DP鋼とは異なる挙動である。F-DP鋼の場合は母相中の亀裂がほとんど観察されない。
(2)M-DP鋼においてマルテンサイト母相の微視亀裂は一つのマルテンサイト粒内に留まるものであった。この観察結果より,マルテンサイト粒の結晶方位に起因する変形集中が亀裂生成に大きく影響することが示唆される。
(3)結晶塑性解析の結果から,粒形状および試験片の幾何形状,マルテンサイト粒ごとの結晶方位差に応じて変形集中が起こることが確認された。単相仮定とDP仮定の解析結果の比較から,フェライトによってその遠方のマルテンサイトの変形集中が緩和される効果が示唆された。M-DP鋼特有の材料設計指針として活用できるものと考える。
(4)上記の指針のもとに結晶塑性解析を用いた材料組織最適化が有効であるが,そのためには少ない結晶粒から全体の変形挙動を見積もる方法が必要である。限られた計算時間,観察領域を考慮すると,サロゲート解析のようなデータ科学と結晶塑性解析との組み合わせ手法を開発していかなければならない。
本研究の一部は科学研究費助成事業(20H02484)の支援を受けて成されたものである。ここに謝意を表する。