2023 Volume 109 Issue 7 Pages 638-648
The effect of combined addition of V and Mo on hydrogen trapping was investigated using tempered martensitic steels (0.3%C-1.2%Cr-0.5%Mo-0.4%V, 1.5%Mo-0.2%V or 2.0%Mo-0.1%V in mass%), for the purpose of improving hydrogen embrittlement strength. The trapped hydrogen content and the hydrogen trapping energy were evaluated under various tempering conditions and compared with the single addition 0.2%V and 1.0%Mo steels in the previous paper. The trapped hydrogen content and the hydrogen trapping energy of 0.5%Mo-0.4%V and 1.5%Mo-0.2%V steels were higher at 650°C tempering temperature for 1 hour than at 600°C. On the other hand, those values of 0.2%V and 1.0%Mo steels were lower at a tempering temperature of 650°C than at 600°C. This was presumed to be due to the some interaction between V and Mo at a tempering temperature of 650°C. In the 0.5%Mo-0.4%V and 1.5%Mo-0.2%V steels at tempering temperatures of 600°C and 650°C for 1 hour, the plate-shaped Cr enriched cubic (Mo, V)C fine carbides with a width of about 1nm and a length of about 20nm or less were precipitated, and there was no significant difference in the number density. The V/Mo peak ratio of the fine carbides by EDS analysis was higher at a tempering temperature of 650°C than at 600°C and the length of fine carbides was slightly longer. The 2.0%Mo-0.1%V steel was estimated to have less trapped hydrogen content at a tempering temperature of 650°C than at 600°C, similar to single addition steels, because of the smaller V/Mo mole ratio.
高強度ボルト等の高強度鋼で課題となる遅れ破壊は環境から侵入する水素に起因した水素脆化と考えられる。このため遅れ破壊の改善には侵入水素量を抑制することおよび鋼の水素脆化に対する抵抗力を高めることが有効である。後者について主な破壊起点となる粒界の強度を高める結晶粒微細化やPおよびS等の不純物元素量の低減1)が有効である。また,高温焼戻し処理2)あるいは加工熱処理3)により粒界上のフィルム状セメンタイトを低減することも効果がある。
近年,焼戻しマルテンサイト鋼に微細析出した合金炭化物の水素トラップによる耐遅れ破壊の克服技術4)が注目されている。その機構は水素トラップにより破壊起点となる応力集中部に水素が集積するのを抑制するためと考えられている5)。たとえば,水素トラップがある場合の実効的な水素拡散係数はOrianiの局所平衡仮説では水素トラップサイトの数密度および水素トラップエネルギーが高い場合に低下することが示されている6)。この水素トラップサイトは焼戻し温度約600°Cにおいて微細整合析出するnmオーダーのMC型炭化物である。たとえば,微細板状(V,X)C整合炭化物7)あるいは微細析出したMo2C8)の水素トラップにより陰極チャージ法で吸蔵される水素量が焼戻し温度約600°Cの2次硬化領域で増加することが報告されている。また,VC9–11),TiC12–14)およびNbC15,16)の水素トラップ効果が報告されている。
しかし,水素トラップサイトを活用した耐遅れ破壊の向上技術は十分には明らかにされているとは言えない。第一に微細整合析出するMC型炭化物の種類による水素トラップ特性の差異が明らかではない。水素トラップサイトの特性値は水素トラップエネルギーおよびトラップ水素量で表すことができる。既に,水素トラップエネルギーは粒界,転位および界面格子欠陥について測定されている7,17–19)。また,最近では析出物とマトリックスの界面格子欠陥における水素トラップエネルギーを第一原理計算により求める試みも行われている20–22)。今後,析出物の種類による水素トラップエネルギーおよびトラップ水素量の差異を明らかにする必要がある。第二に遅れ破壊の評価には遅れ破壊試験(CLT,SSRTおよびCSRT法)で得られる限界水素量と湿潤サイクル試験で得られる侵入水素量を比較した水素量基準の遅れ破壊評価が必要である23)。水素トラップサイトによる限界水素量の増加量が侵入水素量の増加量を上回る場合に水素トラップサイトを活用した耐遅れ破壊の向上が可能となると考えられる。
既に,前報24)でVおよびMoを単独添加した0.3%C-1.2%Cr-0.2%Vおよび0.3%C-1.2%Cr-1.0%Mo焼戻しマルテンサイト鋼を用いてVおよびMo炭化物の水素トラップ特性を比較した。なお,%はいずれも質量%を示す。結果としてVおよびMo炭化物共にトラップ水素量は焼戻し温度600°Cが最も多く,トラップ水素量の焼戻し温度の依存性はMo炭化物のほうが大きいこと,焼戻し時間が1 hを超えるとMo炭化物のトラップ水素量は大きく低下することを明らかにした。VおよびMo炭化物は各々立方晶のVCおよびMoCであった。Mo炭化物は焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hあるいは同600°C,24 hでMoCが減少し,粗大な六方晶のMo2Cに炭化物形態が変化したことがトラップ水素量低下の一因と推定された。なお,水素トラップエネルギーはVCのほうがMoCよりやや高いが,比較的近い値であった。
実用上はVおよびMoを複合添加した場合が重要である。しかし,VおよびMo複合添加鋼の水素トラップ特性を単独添加鋼の加算則により推定できるのか,あるいはVおよびMoに相互作用があり推定できないのかは明らかでない。たとえば,0.1%C-2.0%Mn鋼をベースにV,Moを添加した鋼でMC炭化物中のMoの増加に伴い,炭化物当たりのトラップ容量が増加することが報告されている25)。また,0.39%C-0.15%Si-0.7%Mn鋼に1%Mo-0.1%Vおよび1%Mo添加した鋼の水素脱離の活性化エネルギーは水素量減少と共に各々56 kJ/molおよび42 kJ/molに収束することが報告されている26)。また,0.10%C-2.0%Mnをベースとした鋼で複合炭化物(V,Mo)Cの最大水素トラップ量は単独炭化物VCに比べて高いと報告されている27)。これらはVおよびMo複合添加鋼は単独添加鋼に比べて,水素トラップ特性が優れる可能性を示唆している。他にもVおよびMo複合添加鋼の耐水素脆性19)およびMo-Ti-V複合添加鋼はMo-Ti-V系複合炭化物が多く析出する28)ことが報告されている。
そこで,本報の目的は実用上重要なVおよびMoを複合添加した焼戻しマルテンサイト鋼の水素トラップ特性を単独添加鋼と比較し,VおよびMoの相互作用を検討することである。具体的には析出物のトラップ水素量および水素トラップエネルギーに及ぼす焼戻し条件(温度,時間)の影響を明らかにする。これは焼戻し条件により析出状態が変わり水素トラップ特性が変化するためである。また,微細整合析出する炭化物のTEM観察によりその機構を明らかにする。また,CSRT法による遅れ破壊強度および湿潤サイクル試験の侵入水素量に及ぼすVおよびMo複合添加鋼の水素トラップ効果を明らかにする。
供試材はTable 1に示したVおよびMoを複合添加したD,EおよびF鋼を用いた。前報24)の0.3%C-1.2%CrのA鋼にD鋼は0.5%Mo-0.4%V,E鋼は1.5%Mo-0.2%VおよびF鋼は2.0%Mo-0.1%Vを各々添加している。なお,B鋼およびC鋼は前報のVおよびMo単独添加鋼である。また,水素トラップ特性はVおよびMo系微細炭化物の数密度が関係すると考えられるため,各鋼のVおよびMoのモル%の和(V+Moモル%)およびMoのモル%に対するVのモル%の比(V/Moモル比)をTable 2に示す。なお,ボロンは無添加である。50 kg真空溶解材を温度1200°Cの熱間鍛造で直径32 mmの丸棒に加工し,920°C焼ならしおよび760°C軟化熱処理を行い,幅12 mm,長さ12 mmおよび厚さ30 mmの焼入れ試験片を作製した。焼入れ温度は925°Cであり,焼戻し温度は550,600および650°Cおよび焼戻し時間は1 hで空冷である。焼戻し温度600°Cは焼戻し時間5 hおよび24 hも行った。
Steel | C | Si | Mn | P | S | Cr | Mo | V |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
A | 0.33 | 0.05 | 0.30 | 0.006 | 0.003 | 1.22 | — | — |
B | 0.33 | 0.05 | 0.31 | 0.005 | 0.002 | 1.22 | — | 0.20 |
C | 0.33 | 0.06 | 0.30 | 0.003 | 0.001 | 1.21 | 1.00 | — |
D | 0.33 | 0.06 | 0.31 | 0.007 | 0.001 | 1.19 | 0.49 | 0.41 |
E | 0.33 | 0.05 | 0.30 | 0.005 | 0.002 | 1.19 | 1.49 | 0.21 |
F | 0.34 | 0.06 | 0.30 | 0.005 | 0.002 | 1.19 | 2.01 | 0.11 |
Steel | V+Mo | V/Mo |
---|---|---|
A | 0.00 | — |
B | 0.22 | ∞ |
C | 0.58 | 0.00 |
D | 0.73 | 1.58 |
E | 1.09 | 0.27 |
F | 1.28 | 0.10 |
水素分析試験は幅10 mm,長さ10 mmおよび厚さ2 mmの薄板試験片を用いた。3 mass%NaCl溶液に3 g/Lチオシアン酸アンモニウムを添加した溶液を用いて,電流密度は0.05 mA/cm2で24 hの陰極チャージを行った。水素を添加した後直ちに四重極質量分析計を用いた昇温脱離水素分析を行った。昇温速度は一定条件で室温から約400°Cまで測定し,300°Cまでに放出される拡散性水素量を求めた。昇温速度は100,300,600,1300および1800°C/hで行った。
2・3 炭化物観察D鋼およびE鋼の焼戻し温度600°Cおよび焼戻し時間1 hおよび同650°C,1 hの試料を用いて微細炭化物のTEM観察を行った。観察試料は両面ジェット電解研磨により作製した。TEM観察は200kV電界放出型透過電子顕微鏡を用いた。また,分析に用いたEDSプローブ径は1 nmおよび電子回折プローブ径は約3 nmである。電子線入射方向は[001]αで行った。
2・4 遅れ破壊試験D鋼およびE鋼のCSRT法による遅れ破壊試験を行った。試験片はFig.1に示した切り欠き底直径6 mmおよび切り欠き半径0.25 mmの環状切り欠き試験片を用いた。焼入れ温度は925°Cであり,焼戻し温度は600°Cおよび焼戻し時間は1 h,同650°C,1 hおよび600°C,5 hの3条件である。また,試験片の直径10 mmの平滑部の横断面でビッカース硬さを測定した。荷重は2.94 Nで5点測定し平均値を求めた。前述と同じ陰極チャージ法を用い,電流密度は0.025 mA/cm2から0.2 mA/cm2の定電流,チャージ時間は120 hで水素を添加した後直ちに引張速度1 mm/minで引張試験を行い,破断強度と水素量の関係を求めた。水素量は破断後に直ちに破面から長さ10 mmの試料を切り出し,ガスクロマトグラフ法により昇温速度100°C/hで昇温脱離水素分析を行い,室温から300°Cまでに放出される拡散性水素量を用いた。なお,ここでチャージ時間を120 hとしたのは化学成分の近い鋼で水素量が飽和することが確認されているためである29)。
Specimen (dimensions are in mm).
D鋼およびE鋼の侵入水素量を湿潤サイクル試験により求めた。焼入れ温度は925°Cであり,焼戻し温度600°Cおよび焼戻し時間1 hおよび同650°C,1 hの2条件である。試験片は直径8 mmおよび長さ50 mmの丸棒試験片を用いた。試験条件は温度35°Cで乾燥(30%RH,5.75 h),湿潤(98%RH,1.75 h)および塩水噴霧(0.5%NaCl,0.5 h)の1サイクル8 hで行った。所定のサイクル数で試験片を取り出し,ショットブラストにて錆を除去した後直ちに,ガスクロマトグラフ法により昇温速度100°C/hで昇温脱離水素分析を行い,室温から300°Cまでに放出される水素量を侵入水素量とした。
Fig.2(a), (b)および(c), (d)は焼戻し温度600°Cおよび焼戻し時間1 hおよび同650°C,1 hの水素分析試験で得られた昇温速度100°C/h,1800°C/hの水素放出曲線を示す。なお,Table 3にFig.2(a)および(c)における拡散性水素量および後述するトラップ水素量を示す。焼戻し温度600°Cおよび焼戻し時間1 hでD鋼の水素放出速度が最も低いのはV+Moモル%が最も小さく,水素トラップサイトとなるVおよびMo系微細炭化物が少ないためと考えられる。Fig.2(e)に示した前報24)のVおよびMo単独添加のB鋼およびC鋼がピーク温度約100°Cの単一ピークを示すのに対して,Fig.2(a)に示した複合添加のD鋼,E鋼およびF鋼は温度約100°Cから200°Cの水素放出速度も高く,水素放出ピークはなだらかである。また,D鋼には2次ピークも観察される。Fig.2(b), (c)および(d)に示した焼戻し温度650°Cおよび昇温速度1800°C/hにおいても同様に水素放出ピークはなだらかである。なお,本報および前報の水素量のppmはいずれも質量ppmを示す。水素放出曲線のピーク温度はトラップとの結合エネルギーの影響が大きく,結合エネルギーが大きくなれば高温になることが報告されている30)。VおよびMo複合添加鋼の水素放出曲線のピークがなだらかになる要因は単独添加鋼と異なりVおよびMo系微細炭化物の水素トラップエネルギーの分布が大きいことが考えられる。たとえば,後述するように微細炭化物(Mo,V)CのVおよびMoの量比が分布することにより水素トラップエネルギーも分布を有する可能性が考えられる。
Hydrogen evolution rate profiles of steel D, E and F tempered at 600°C (a), (b) and 650°C (c), (d) for 1 h at each heating rate 100°C/h, 1800°C/h and (e) steel A, B and C24) tempered at 600°C for 1 h as comparison.
Tempering temp. | 600°C | 650°C | ||
Tempering time | 1 h | 1 h | ||
Hydrogen content | Diffusible | Trapped | Diffusible | Trapped |
Steel D | 2.08 | 1.76 | 2.85 | 2.72 |
Steel E | 5.54 | 5.22 | 5.85 | 5.72 |
Steel F | 3.25 | 2.93 | 4.54 | 4.42 |
各鋼のVおよびMo系微細炭化物の水素トラップ特性は前報で詳述したように得られた水素放出曲線から以下のように評価した。析出物がある場合の水素放出曲線は析出物がない場合の水素放出曲線に析出物水素トラップの水素放出曲線が加算しただけと仮定して,同一昇温速度での析出物がある各鋼の水素放出曲線から析出物がないA鋼の水素放出曲線を差し引くことで各鋼の析出物水素トラップの水素放出曲線を求めた。昇温速度(φ)を変えて各鋼の析出物水素トラップによる水素放出曲線の水素放出速度が最大となるピーク温度(Tp)を求め,昇温速度(φ)とピーク温度(Tp)の関係より水素脱離が水素拡散を無視した熱乖離過程のみと仮定してChoo-Leeの式31)を用いて各鋼の水素トラップエネルギー(Ea)を算出した。ここで,Rはガス定数である。
(1) |
また,各鋼のトラップ水素量(Ht)は各昇温速度で求めた析出物水素トラップの水素放出曲線の300°Cまでに放出される拡散性水素量の平均値を用いた。なお,本報および前報では300°Cまでに放出される水素を室温で拡散しやすい拡散性水素とし,この拡散性水素のうちVおよびMo系微細炭化物にトラップされたものをトラップ水素と定義した。300°C以下に水素放出ピークを有するVC等のMC型炭化物にトラップされた水素は拡散性水素であることが報告されており5,29,32),トラップ水素も拡散性水素として取り扱った。
Fig.3は各鋼のChoo-Leeの式の(1/Tp)およびln(φ/Tp2)の関係を示す。なお,Table 4はD鋼の焼戻し温度600°Cおよび焼戻し時間1 hおよび同650°C,1 hの析出物水素トラップによる水素放出曲線のピーク温度(Tp)および昇温速度(φ)である。D鋼のVおよびMo系微細炭化物による水素トラップエネルギー(Ea)は焼戻し温度600°Cおよび焼戻し時間1 hが41.9 kJ/mol,同650°C,1 hがやや高く54.3 kJ/molである。なお,水素トラップエネルギーの標準偏差(σ)は各々8.9 kJ/molおよび4.6 kJ/molである。同様に,E鋼の焼戻し温度650°Cの水素トラップエネルギーは73.0 kJ/molであり,600°Cの56.0 kJ/molに比べて高い。なお,σ値が各々15.8 kJ/molおよび14.1 kJ/molと高いのは水素放出曲線のピークがなだらかことと関係があると考えられる。一方,F鋼の焼戻し温度650°Cの水素トラップエネルギーは48.5 kJ/molであり,600°Cの50.0 kJ/molとほぼ同等である。
ln(φ/Tp2) vs. (1/Tp) plot in (a) steel D, (b) steel E and (c) steel F tempered at 600°C and 650°C for 1 h. Ea is hydrogen trapping energy and σ is standard deviation.
Heating rate(°C/h) | 100 | 300 | 600 | 1300 | 1800 | |
Peak temp. (°C) | tempered at 600°C for 1 h | 137 | 157 | 163 | 185 | 179 |
96 | 195 | |||||
114 | ||||||
tempered at 650°C for 1 h | 107 | 131 | 138 | 168 | 175 | |
114 | ||||||
105 |
Fig.4(a)は焼戻し時間1 hにおけるトラップ水素量に及ぼす焼戻し温度の関係を示す。また,Table 5にFig.4(a)のトラップ水素量および拡散性水素量を示す。VおよびMo複合添加D鋼およびE鋼は焼戻し温度650°Cのトラップ水素量が最も多く,焼戻し温度650°Cのトラップ水素量は600°Cに比べて多い。一方,単独添加鋼は焼戻し温度600°Cのトラップ水素量が最も多く,焼戻し温度650°Cのトラップ水素量は600°Cに比べて少ない。なお,F鋼は単独添加鋼と同様に焼戻し温度600°Cのトラップ水素量が最も多い。
Effect of tempering temperature on (a) trapped hydrogen content and (b) hydrogen trapping energy. σ is standard deviation.
Tempering temp. | 550°C | 600°C | 650°C | |||
Hydrogen content | Diffusible | Trapped | Diffusible | Trapped | Diffusible | Trapped |
Steel D | 2.37 | 2.22 | 2.41 | 2.09 | 3.79 | 3.62 |
Steel E | 3.10 | 2.94 | 4.22 | 3.90 | 5.42 | 5.25 |
Steel F | 2.52 | 2.36 | 4.00 | 3.68 | 3.06 | 2.88 |
Fig.4(b)は焼戻し時間1 hにおける水素トラップエネルギーに及ぼす焼戻し温度の関係を示す。VおよびMo複合添加D鋼およびE鋼は焼戻し温度600°Cの水素トラップエネルギーが最も低く,焼戻し温度650°Cの水素トラップエネルギーは600°Cに比べて高い。一方,単独添加鋼は焼戻し温度が低いほど水素トラップエネルギーが高く,焼戻し温度650°Cの水素トラップエネルギーが600°Cに比べて低い。また,F鋼の焼戻し温度650°Cの水素トラップエネルギーは600°Cとほぼ同等である。なお,複合添加鋼の焼戻し温度550°Cおよび600°Cの水素トラップエネルギーは単独添加鋼に比較的近い値である。
VおよびMo複合添加鋼のD鋼およびE鋼の焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hは同600°C,1 hに比べてトラップ水素量が多く,水素トラップエネルギーが高い。一方,単独添加鋼の焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hは同600°C,1 hに比べてトラップ水素量が少なく,水素トラップエネルギーが低い。このことから焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hにおいてVおよびMoに何等かの相互作用があると推定される。
Fig.5(a)は焼戻し時間1 hにおけるVおよびMo複合添加鋼および単独添加鋼のトラップ水素量とV+Moモル%の関係を示す。焼戻し温度550°Cおよび600°Cのトラップ水素量はおおよその傾向としてV+Moモル%が大きくなるに伴って多くなる。また,焼戻し温度600°Cは550°Cに比べてトラップ水素量が同等か多い。これは,トラップサイトとなるVおよびMo系微細炭化物の数密度がV+Moモル%が大きいあるいは焼戻し温度600°Cの場合に多くなるためと考えられる。なお,V+Moモル%が1.09(E鋼)のトラップ水素量は同1.28(F鋼)に比べてやや多いが,トラップ水素量があるV+Moモル%でピークを有するかは明らかでない。一方,焼戻し温度650°Cは600°Cに比べてトラップ水素量が少ないものと多いものがある。Fig.5(b)は焼戻し温度600°Cから650°Cのトラップ水素量の変化量とV/Moモル比の関係を示す。今回の試験条件の範囲で,焼戻し温度650°Cのトラップ水素量が600°Cに対して多いのはV/Moモル比が約0.3から1.6の複合添加鋼である。F鋼はV/Moモル比が0.1と小さいためMo単独添加鋼に近い水素トラップ特性を示し,焼戻し温度650°Cのトラップ水素量が600°Cに比べて少ないと考えられる。即ち,焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hにおいてVおよびMoの相互作用により水素トラップ特性が向上するのはV/Moモル比が約0.3および1.6の複合添加鋼のE鋼およびD鋼である。
(a) Relationship between trapped hydrogen content and V+Mo mol%. (b) Relationship between change in trapped hydrogen content from 600°C to 650°C tempering and V/Mo mole ratio.
Fig.6(a)は焼戻し温度600°Cにおけるトラップ水素量に及ぼす焼戻し時間の関係を示す。D鋼およびE鋼は焼戻し時間5 hのトラップ水素量が最も多く,焼戻し時間24 hのトラップ水素量はやや少ない。焼戻し時間24 hで炭化物形態が変化し,トラップ水素量が大きく低下したMo単独添加鋼と異なる。Fig.6(b)に焼戻し温度600°Cにおける水素トラップエネルギーに及ぼす焼戻し時間の関係を示す。D鋼およびE鋼は焼戻し時間5 hの水素トラップエネルギーが最も高く,焼戻し時間1 hに比べて高い。焼戻し時間5 hの水素トラップエネルギーが同1 hに比べて低下したV単独添加鋼と異なる。VおよびMo複合添加のD鋼およびE鋼の焼戻し温度600°Cおよび焼戻し時間5 hは同600°C,1 hに比べてトラップ水素量が多く,水素トラップエネルギーが高い。一方,焼戻し時間5 hは1 hに比べてMo単独添加鋼のトラップ水素量は少なく,V単独添加鋼の水素トラップエネルギーは低い。このことから,焼戻し温度600°Cおよび焼戻し時間5 hにおいてもVおよびMoの相互作用がある可能性が考えられる。
Effect of tempering time on (a) trapped hydrogen content and (b) hydrogen trapping energy. σ is standard deviation.
水素トラップ能を担うのは微細整合析出する板状のMC型炭化物7,12–15)あるいはMo2C等のM2C型炭化物8,27)である。今回の試験では板状の微細炭化物の数密度が多く,MC型炭化物が主たる水素トラップサイトと考えられる。それ以外にも焼戻し時間1 hにおけるD鋼の焼戻し温度600°Cは数10 nmから数100 nmの板状のFe3Cが,焼戻し温度650°Cは数10 nmの粒状Fe3Cが多く析出する。E鋼の焼戻し温度600°Cおよび650°Cは共に数10 nmから約300 nmの粒状あるいは板状Fe3Cが多く観察され,数密度は低いが長さ数10 nmから300 nmの粒状あるいは棒状のCrおよびVが濃化した六方晶Mo2Cも観察される。
Fig.7にD鋼およびE鋼の焼戻し温度600°Cおよび焼戻し時間1 hおよび同650°C,1 hの微細炭化物の透過電子顕微鏡写真を示す。いずれも幅約1 nm,長さ約20 nm以下の板状の析出物が観察される。電子線回折よりいずれも立方晶であり,(001)α面に[100]α方向に伸長しており,Baker-Nuttingの方位関係を持つNaCl型炭化物7,15)と考えられる。
TEM micrographs of (Mo, V)C precipitate in steel D tempered at (a) 600°C and (b) 650°C for 1 h and in steel E tempered at (c) 600°C and (d) 650°C for 1 h indicated by arrows.
Fig.8はFig.7の微細炭化物のEDS分析を示す。いずれもCr,MoおよびVのピークが観察され,Crが濃化した(Mo,V)Cと考えられる。EDS分析のMoピーク値に対するVピーク値の比(V/Moピーク比)を各3個の微細炭化物について測定した結果をTable 6に示す。焼戻し温度650°Cの微細炭化物のV/Moピーク比は同600°Cに比べてD鋼は約1.6倍高く,E鋼は約1.3倍高い。また,D鋼の微細炭化物のV/Moピーク比はE鋼に比べて約2倍高いが,これはD鋼の母相のV/Moモル比がE鋼に比べて約5倍高いことと関係あると考えられる。微細炭化物のV/Moピーク比は(Mo,V)CのVおよびMoの量比に関係していると考えられる。複合添加鋼は焼戻し温度および母相のV/Moモル比によって微細炭化物(Mo,V)CのVおよびMoの量比が変化していると考えられる。なお,V/Moピーク比が0に近く低いあるいは逆に無限大に近く高い場合は各々MoCあるいはVCに近い形態を示すと考えられる。
EDS analysis for (Mo, V)C precipitate in steel D tempered at (a) 600°C and (b) 650°C for 1 h and in steel E tempered at (c) 600°C and (d) 650°C for 1 h shown in Fig.7.
Tempering temp. | 600°C | 650°C | ||||||
V/Mo | 1 | 2 | 3 | Avg. | 1 | 2 | 3 | Avg. |
Steel D | 0.82 | 0.62 | 0.62 | 0.69 | 1.29 | 1.07 | 0.98 | 1.12 |
Steel E | 0.35 | 0.34 | 0.35 | 0.35 | 0.41 | 0.52 | 0.47 | 0.47 |
Fig.9にD鋼およびE鋼の焼戻し温度600°Cおよび焼戻し時間1 hおよび同650°C,1 hの暗視野像を示す。白点は主に微細炭化物(Mo,V)Cであり,いずれも多数の微細炭化物が析出しており,数密度に大きな差異は認められない。両鋼共に焼戻し温度650°Cは600°Cに比べて微細炭化物の長さがやや長く成長している。なお,前報のVおよびMo単独添加のB鋼およびC鋼に比べて微細炭化物の数密度はやや多い。
TEM dark field images for [011] (Mo, V)C (200) diffraction spot in steel D tempered at (a) 600°C and (b) 650°C for 1 h and in steel E tempered at (c) 600°C and (d) 650°C for 1 h.
前述の水素トラップ特性でVおよびMo複合添加のD鋼およびE鋼は単独添加鋼と異なり,焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hは同600°C,1 hに比べてトラップ水素量が多くかつ水素トラップエネルギーが高いことから焼戻し温度650°CにおいてVおよびMoに何等かの相互作用があると推定された。透過電子顕微鏡観察では焼戻し温度650°Cおよび600°C共に立方晶の微細炭化物(Mo,V)Cが析出しており,数密度に明瞭な差異は認められない。VおよびMoの相互作用の機構は明らかではないが,焼戻し温度650°Cの微細炭化物(Mo,V)CのEDS分析のV/Moピーク比は600°Cに比べて高くなっており,微細炭化物中のV量が高くなっていると考えられる。ただし,V/Moピーク比がE鋼に比べて高いD鋼の水素トラップエネルギーはE鋼より低く,V/Moピーク比が高ければ水素トラップエネルギーが高いとは言えない。また,焼戻し温度650°Cは600°Cに比べて微細炭化物の長さがやや長く,トラップサイトの総界面面積が大きくなることおよび水素トラップエネルギーが高くなることが考えられる。なお,微細炭化物(Mo, V)Cは面心立方格子の八面体位置にCが入った結晶構造と考えられる。格子定数もMoC(a=4.28Å)およびVC(a=4.17Å)と大きく変わらないと考えられ,母相との界面の整合歪場でVおよびMoの相互作用を説明することは難しい。たとえば,水素トラップサイトと考えられる界面の空孔4)のトラップエネルギーがあるVおよびMo量比で高くなることが考えられる。
3・3 遅れ破壊強度Fig.10(a)はE鋼のCSRT法による遅れ破壊強度を示す。E鋼の焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hあるいは同600°C,5 hは600°C,1 hに比べて高水素量側で破断強度の向上が認められる。前述したようにE鋼の焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hあるいは同600°C,5 hは600°C,1 hに比べてトラップ水素量が多く,水素トラップエネルギーが高い。このことから水素トラップ特性が優れることで遅れ破壊強度が向上していることが考えられる。なお,試験片のビッカース硬さは焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hが445 Hv,同600°C,5 hが482 Hvおよび同600°C,1 hが479 Hvである。焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hは硬さがやや低いことも影響していることが考えられる。同様にFig.10(b)に示したD鋼の焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hは同600°C,1 hに比べて高水素量側で破断強度の向上が認められるが,同600°C,5 hはほぼ同等強度で強度向上は認められない。
Relationship between diffusible hydrogen content and fracture stress obtained by conventional strain rate test in (a) steel E and (b) steel D.
Fig.11にD鋼およびE鋼の湿潤サイクル試験の侵入水素量を示す。焼戻し温度600°Cおよび焼戻し時間1 hの侵入水素量はD鋼が約1.3 ppmに対してE鋼が約3.0 ppmであり,E鋼のほうがD鋼に比べて約2倍以上多い。これはE鋼のV+Moモル%がD鋼に比べて約1.5倍大きく,水素トラップサイトとなるVおよびMo系微細炭化物が多いためと考えられる。一方,焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hの侵入水素量はD鋼が約1.1 ppmに対してE鋼が約2.0 ppmであり,両鋼ともに焼戻し温度600°Cに比べて侵入水素量がやや少ない。前述のトラップ水素量は両鋼ともに焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hが同600°C,1 hに比べ多く,トラップ水素量では説明できない。たとえば,E鋼の焼戻し温度650°Cの侵入水素量は約60サイクル付近で逆転し,600°Cに比べてやや少なくなっている。湿潤サイクル試験の侵入水素量は腐食に伴う水素侵入であり,焼戻し温度650°Cは600°Cに比べて表面状態等により腐食の進行あるいは水素侵入が抑制されていると推定される。
Change of diffusible hydrogen content as a function of cyclic corrosion test cycles.
0.3%C-1.2%Cr鋼に0.5%Mo-0.4%V,1.5%Mo-0.2%Vあるいは2.0%Mo-0.1%VのVおよびMoを複合添加した焼戻しマルテンサイト鋼の水素トラップ特性に及ぼす焼戻し条件(温度,時間)の影響ついて前報の単独添加鋼と比較し以下の結論を得た。
(1)0.5%Mo-0.4%Vおよび1.5%Mo-0.2%Vの複合添加鋼では焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hは同600°C,1 hに比べてトラップ水素量が多く,水素トラップエネルギーが高い。一方,単独添加鋼の焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hは同600°C,1 hに比べてトラップ水素量が少なく,水素トラップエネルギーが低い。このことから焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hにおいてVおよびMoに何等かの相互作用があると推定される。
(2)0.5%Mo-0.4%Vおよび1.5%Mo-0.2%Vの複合添加鋼では焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hおよび同600°C,1 h共に幅約1 nm長さ約20 nm以下の板状のCrが濃化した立方晶の微細炭化物(Mo,V)Cが析出し,数密度に大きな差異は認められない。焼戻し温度650°Cは600°Cに比べて微細炭化物のEDS分析のV/Moピーク比が高く,微細炭化物の長さがやや長い。
(3)2.0%Mo-0.1%Vの複合添加鋼では単独添加鋼と同様に焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hは同600°C,1 hに比べてトラップ水素量が少ない。V/Moモル比が0.1と小さいため,Mo単独添加鋼に近い水素トラップ特性を示したと推定される。
(4)焼戻し温度600°Cおよび焼戻し時間1 hおよび同550°C,1 hのトラップ水素量はおおよその傾向としてV+Moモル%が大きくなるに伴って多くなる。また,焼戻し温度600°Cは550°Cに比べてトラップ水素量が同等か多い。また,水素トラップエネルギーは単独添加鋼に比較的近い。
(5)0.5%Mo-0.4%Vおよび1.5%Mo-0.2%Vの複合添加鋼の焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hは同600°C,1 hに比べて高水素量側で破断強度の向上が認められる。一方,焼戻し温度650°Cおよび焼戻し時間1 hの侵入水素量は同600°C,1 hに比べてやや少ない。