2024 Volume 110 Issue 14 Pages 1122-1131
The effect of nitrogen introduced by solution nitriding on microstructure and mechanical properties of modified 9Cr–1Mo (Gr. 91) steel at room temperature was investigated. The nitrogen concentration at the sample surface was 0.164 wt% and nitrogen diffused at least 5000 µm after solution nitriding heat treatment at 1200ºC for 48 hours. The martensite with a small amount of MX carbonitride with cF8 structure and retained austenite was formed on 100 µm from the sample surface. The Cr2N phase with hP9 structure containing V, Nb and Mo and Cr23C6 phase with cF116 structure precipitated by tempering. Solute nitrogen improved the hardness, yield strength, ultimate tensile strength and uniform elongation. However, the nitride formation did not contribute to the improvement of hardness and decreased yield strength and ultimate tensile strength. It suggests that the contribution of solid solution strengthening by Cr, V, Nb and Mo is larger than that of precipitation strengthening by nitride at room temperature.
改良型9Cr–1Mo鋼(Gr. 91鋼)は1980年代初めにオークリッジ国立研究所(米国)で開発された代表的なフェライト/マルテンサイト鋼であり,火力発電プラントのボイラ伝熱管等の高温部材に広く使用されている1,2,3,4)。火力発電においては,カーボンニュートラルの達成に向け,燃料アンモニアの実用化が進められている。アンモニア燃焼では従来の化石燃料による燃焼と異なる燃焼反応が生じ,燃焼中に窒素や水素などの活性化学種が生成する5,6)。これらが高温環境下で材料中に侵入し,材料特性を大きく変化させることが考えられる。特に窒素は,鋼に対する強力なオーステナイト安定化元素であり,耐食性および強度を向上させる元素である7,8,9,10)。Gr. 91鋼に対しても窒素の添加による機械的性質や耐環境性の改善が図られている11,12,13,14)。これらはいずれも,加圧式エレクトロスラグ再溶解法により窒素が添加されている。加圧式エレクトロスラグ再溶解法とは,窒素源の窒化物を含む電極を使って,加圧条件下で溶融した材料に窒素を添加する手法である15)。一方,本研究では固相窒素吸収法に着目した。本手法は1000ºC以上の高温窒素雰囲気下で固相状態の材料表面から窒素を固相中に侵入させ,表面近傍の高い窒素ポテンシャルを使って窒素を内部に拡散させる方法である16)。そのため本手法は,アンモニア燃焼燃焼時に生じると予想される固体の鋼に対する気体の窒素の侵入を模擬できるだけでなく,加圧式エレクトロスラグ再溶解法と比べて小規模ではありながら比較的簡便である。
Gr. 91鋼は高い耐照射性から次世代原子力リアクターの構造部材への適用も期待されている17,18,19,20)。その使用温度はボイラ伝熱管等の火力発電プラント部材と比べ低いため(約300–500°C)18),室温–中温での優れた機械的特性が求められる。Gr. 91鋼の従来の熱処理は,オーステナイト化温度が1040–1060°C,焼戻し温度が730–780°Cである21)。オーステナイト化処理後の焼入れ時に,微細な結晶粒と多量の転位を有する焼入れマルテンサイト組織が得られる。焼戻し処理は,使用温度(約600°C)以上で焼戻すことにより靭性の向上および強化相であるMX炭窒化物およびM23C6を析出させ,使用時におけるミクロ組織を安定化するために行われる22,23)。しかし同時に,この熱処理ではミクロ組織の回復が生じるため,室温–中温における降伏応力や最大引張強度は大きく低下する。例えば,本鋼の焼入れまま材は室温において降伏応力が約1200 MPa,塑性ひずみは約15%である24)。しかし,760°C/1–2 hの焼戻しにより降伏応力は550–600 MPaまで低下する25,26)。
室温–中温における本鋼の機械的特性の向上に向けて,強ひずみ加工法を用いた結晶粒微細化24,25,27)や300–500°Cの低温での焼戻し時に生成する遷移炭化物による析出強化28,29,30)を用いる様々なプロセスが検討されている。しかし,前者は高ひずみが導入されるため,著しい延性の低下を招くことが課題である。著者らはこれまで遷移炭化物の析出強化は硬さの向上には有効であるものの,降伏応力や最大引張強度の向上には遷移炭化物の析出強化よりも炭素の固溶強化が有効であることを報告した29,30)。
窒素は,炭素よりも優れた固溶強化元素であり,オーステナイト系ステンレス鋼は固相窒素吸収法により窒素を導入することで,強度だけでなく均一のびも向上すると報告されている31,32)。一方で,Gr. 91鋼のようなフェライト/マルテンサイト鋼の場合,高温のオーステナイト状態では窒素が固溶するものの,マルテンサイトやフェライト中の固溶限が非常に小さいため,冷却時やその後の焼戻しにより窒化物が形成することが予想される。そこで本研究では,Gr. 91鋼のミクロ組織や機械的性質に及ぼす窒素の効果について,固相窒素吸収法により窒素を導入して明らかにすることを目的とする。
供試鋼はGr. 91鋼(ASME SA335M P91)である。熱処理方法をTable 1にまとめる。炉冷は熱処理後約1時間で室温まで冷却した。なお,本鋼は本実験の炉冷速度でもマルテンサイト組織が形成されることが報告されている33,34)。本鋼に対し,一般的な熱処理である1050°C/10 min.のオーステナイト化および770°C/0.5 hの焼戻しを0.1 MPaの大気雰囲気で施した(Tempered(Air)材)。Tempered(Air)材に対し,0.1 MPaの窒素雰囲気で1200ºC/48 hの固相窒素吸収熱処理(1200ºC/48 h(N2)材),0.1 MPaのAr雰囲気で1200ºC/48 h(1200ºC/48 h(Ar)材),0.1 MPaの大気雰囲気で1050ºC/0.5 h(1050ºC/0.5 h(Air)材)の熱処理を行った。なお,熱処理後は,1200ºC/48 h(N2)材と1200ºC/48 h(Ar)材は炉冷,1050ºC/0.5 h(Air)材は水冷した。さらに,Tempered(Air)材との比較のため,1200ºC/48 h(N2)材に対し,760ºC/1 h → 1050ºC/0.5 h → 780ºC/0.5 hの焼入れ焼戻しを0.1 MPaの窒素雰囲気で行った(Tempered(N2)材)。熱処理後は炉冷した。本熱処理により,固相窒素吸収熱処理により粗大になった旧オーステナイト粒径やラス幅がTempered(Air)材と同程度になると報告されている35)。ミクロ組織観察には,光学顕微鏡(Optical Microscope, OM),電界放出型走査電子顕微鏡(Field Emission Scanning Electron Microscope, FE-SEM,JEOL製JSM-IM800,加速電圧20 kV),透過型電子顕微鏡(Transmission Electron Microscope, TEM,JEOL製JEM-2100,加速電圧200 kV)を用いた。SEM観察用試料は,ワイヤ放電加工機にて切り出し,エメリー紙による乾式研磨,アルミナスラリーおよびコロイダルシリカ懸濁液を用いたバフ研磨の順に鏡面研磨した。TEM観察用試料は,直径3 mmの円盤試料を放電加工で切り出し,厚さ約50–70 µmに機械研磨後,10%過塩素酸エタノール電解液を用いてtwin-jet電解研磨により作製した。相同定にはX線回折法(X-ray Diffraction, XRD)を用いた。特に析出物の相同定および組成分析には抽出残渣法を用いた。抽出残渣は試料表面をエメリー紙で研磨したのち,全ての析出物を抽出する10%アセチルアセトン溶液および窒化物を抽出する臭素メタノール溶液で試料を溶解した。また,窒素濃度の分析にはマーカス型高周波グロー放電発光分析装置(HORIBA GD-Profiler 2)を用い,ガス圧力600 Pa,出力35 Wでグロー放電スパッタした。なお,測定前には30 sの予備スパッタを行った。また,一部試料の窒素濃度の定量分析のためHe搬送融解-熱伝導度法を用いた。室温機械的特性はマイクロビッカース硬さ試験および室温引張試験にて評価した。マイクロビッカース硬さ試験は荷重4.9 Nで行った。引張試験片については,ワイヤ放電加工機を用い,ゲージ長さ5 mm,幅2 mm,厚さ1 mmのドッグボーン型に切り出した。固相窒素吸収熱処理を行った試料は表面から内部にかけて窒素濃度が一定でないことが予想される。そこで,比較的小さな試験片サイズにした。また,25 mm×20 mm×15 mmの試料に対し固相窒素吸収熱処理を行い,その試料を半分に切り出し,これら試料の表面からの距離が同じである部分から試験片をそれぞれ1本切り出し,2本を比較することで再現性を確認した。ワイヤ放電加工機による引張試験片の切り出し後に,湿式研磨にて表面の放電加工層約100 µmを除去し,エメリー紙で#1200まで表面研磨した。引張試験は,ひずみ速度は1×10−4 s−1で,大気中にて行った。また,本試験ではクロスヘッドの位置でひずみを測定したため,全ひずみには試料のひずみだけでなく装置の弾性変形分も入っている。そこで,得られた引張応力-引張塑性ひずみ曲線の変形初期に生じる直線部分を試料と装置の弾性域とし,この傾きを用いて全ひずみから試料と装置の弾性ひずみを取り除くことにより試料の塑性ひずみを算出した。
Name | Pre-heat treatment | Heat treatment condition | Atmosphere | |||
---|---|---|---|---|---|---|
Normalizing | Tempering | Normalizing | Tempering | |||
Tempered (Air) | − | 1050ºC/10min., AC | 770ºC/0.5 h, AC | − | − | Air, 0.1 MPa |
1200ºC/48 h (N2) | Tempered (Air) | 1200ºC/48 h, FC | − | − | − | N2, 0.1 MPa |
1200ºC/48 h (Ar) | Tempered (Air) | 1200ºC/48 h, FC | − | − | − | Ar, 0.1 MPa |
1050ºC/0.5 h (Air) | Tempered (Air) | 1050ºC/0.5 h, WC | − | − | − | Air, 0.1 MPa |
Tempered (N2) | 1200ºC/48 h (N2) | − | 760ºC/1 h, FC | 1050ºC/0.5 h, FC | 780ºC/0.5 h, FC | N2, 0.1 MPa |
FC: Furnace cooling, AC: Air cooling, WC: Water cooling
Fig.1に,1200ºC/48 h(N2)材およびTempered(N2)材の,高周波グロー放電発光分析法で得られた窒素の規格化強度プロファイルを示す。なお,窒素の規格化強度は,窒素の発光強度を最も発光強度の高いFeと二番目に高いCrの強度の和で割ることにより算出した。1200ºC/48 h(N2)材の窒素の規格化強度は,表面近傍で最も高かった(Fig.1(a))。1200ºC/48 h(N2)材の表面近傍の窒素濃度は,He搬送融解-熱伝導度法で測定すると,0.164 wt%であった。これは,Gr. 91模擬鋼に対して,加圧式エレクトロスラグ再溶解法で添加された窒素濃度(0.168 wt%)と同程度である11)。窒素の規格化強度は,試料表面からの距離の増加に伴い連続的に低下し,5000 µm以上でも低下し続けていたことから窒素は5000 µm以上拡散したと考えられる。なお,報告されている1200ºC におけるFe中の拡散係数36)(9.18×10−11)を用い,拡散距離を算出すると5600 µm以上となる。なお,拡散距離の算出には以下の式を用いた37)。
(1) |
x:拡散距離,D:拡散係数,t:時間
Change in standardized intensity of N with distance from the sample surface: (a) 1200ºC / 48 h (N2), (b) Tempered (N2) sample. The standardized intensity of N is the intensity of N divided by the sum of the intensity of Fe and Cr. (Online version in color.)
以上から1200ºC,48 hの固相窒素吸収熱処理により0.164 wt%の窒素が試料表面に添加され,窒素は5000 µm以上拡散したと考えられる。Tempered(N2)材の窒素の規格化強度も,表面近傍で最も高かった(Fig.1(b))。また,Tempered(N2)材の表面近傍の窒素濃度をHe搬送融解-熱伝導度法で測定すると,0.169 wt%であった。これは,1200ºC/48 h(N2)材の試料表面近傍の窒素濃度と同程度である。一方で,Tempered(N2)材における試料表面からの距離の増加に伴う強度の低下は,1200ºC/48 h(N2)材に比べて緩やかになっていた。したがって,焼戻し中に窒素は試料表面から抜けることなく,窒素の拡散が進んだものと考えられる。
Fig.2に1200ºC/48 h(N2)材の試料表面から100 µmと1000 µmおよび1200ºC/48 h(Ar)材,Tempered(N2)材の試料表面から100 µmの試料のX線回折パターンを示す。合わせて,シミュレーションパターンも示す38,39)。いずれのパターンにも,マルテンサイトに起因するピークが認められた(Fig.2(a-d))。1200ºC/48 h(N2)材の試料表面から100 µmと1000 µmの試料のマルテンサイトのピークは,1200ºC/48 h(Ar)材およびTempered(N2)材の試料表面から100 µmの試料に比べて若干低角側にシフトしていた。これは,マルテンサイトに固溶した窒素の効果と考えられる。また,1200ºC/48 h(N2)材の試料表面から100 µmの試料には残留オーステナイトのピークも認められた(Fig.2(a))。しかし,残留オーステナイトのピークは試料表面からの距離の増加に伴い小さくなり,1000 µmではほとんど認められなかった(Fig.2(b))。
XRD patterns of 1200ºC / 48 h (N2) sample at (a) 100 µm, (b) 1000 µm from the sample surface, (c) 1200ºC / 48 h (Air) sample and (d) Tempered (N2) sample at 100 µm from the sample surface, together with calculated patterns of Fe with BCC structure and FCC structure.
Fig.3に1200ºC/48 h(N2)材およびTempered(N2)材の表面近傍に対する10%アセチルアセトン溶液および臭素メタノール溶液による抽出残渣粉末XRDパターンおよび計算パターンを示す40,41,42,43,44)。また,Table 2には1200ºC/48 h(N2)材における表面近傍,Table 3にはTempered(N2)材における表面近傍の残渣粉末の組成分析結果を示す。1200ºC/48 h(N2)材には溶液によらずcF8構造のピークが認められた(Fig.3(a, b))。これらピーク位置はcF8構造のCrNとNbNの間であったが,これは1200ºC/48 h(N2)材の窒化物は主にCrとNbおよびこれらの間の原子サイズのVから構成されていることに対応している(Table 1)41)。一方で,化合物中の窒素量(N as Nitride)は0.0225 wt%であった。これは,表面近傍の窒素濃度(0.164 wt%)に比べて非常に低い。したがって,1200ºC/48 h(N2)材にはcF8構造の炭窒化物が形成したがその量は微量であり,1200ºC/48 h(N2)材の窒素の大部分はマルテンサイトに固溶していると考えられる。Tempered(N2)材の10%アセチルアセトン溶液による抽出残渣粉末にはhP9構造およびcF116構造のピークが認められた(Fig.3(c))。cF116構造のピークは報告されているCr23C6のピーク位置とほとんど同じであり44),その格子定数は1.0624 nmであった。臭素メタノール溶液による抽出残渣粉末にはhP9構造のピークのみが認められた(Fig.3(d))。これらhP9構造のピーク位置は報告されているCr2Nよりも低角側であり43),その格子定数はa=0.4846 nm, c=0.4470 nmであった。これはTempered(N2)材の窒化物にCrよりも原子サイズの大きなV, NbやMoが含まれていることに対応すると考えられる(Table 2)45)。Tempered(N2)材の表面近傍における化合物中の窒素量は0.1240wt%であるのに対し,Tempered(N2)材の表面近傍の窒素濃度は0.169 wt%であったことから,Tempered(N2)材の窒素の大部分はV, NbやMoが含まれるhP9構造のCr2Nに分配され,一部はマルテンサイトに固溶したと考えられる。
XRD patterns obtained from extracted compounds near the sample surface with 10% acetylacetone solution and bromine-methanol solution: (a, b) 1200ºC / 48 h (N2) sample and (c, d) 1200ºC / 48 h (N2) sample, together with calculated patterns of (e) NbC (cF8), (f) NbN (cF8), (g) CrN (cF8), (h) Cr2N (hP9), (i) Cr23C6 (cF116).
Composition of compounds extracted with 10% acetylacetone solution / wt% | Composition of compounds extracted with bromomethanol solution / wt% | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Si | Mn | Cr | Mo | Nb | V | Al | Cr | Mo | Nb | V | Al | N as Nitride |
< 0.001 | < 0.001 | 0.020 | 0.007 | 0.055 | 0.034 | < 0.001 | 0.012 | < 0.001 | 0.056 | 0.033 | 0.001 | 0.0225 |
Composition of compounds extracted with 10% acetylacetone solution / wt% | Composition of compounds extracted with bromomethanol solution / wt% | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Si | Mn | Cr | Mo | Nb | V | Al | Cr | Mo | Nb | V | Al | N as Nitride |
< 0.001 | 0.009 | 1.391 | 0.104 | 0.076 | 0.179 | < 0.001 | 0.815 | 0.038 | 0.070 | 0.163 | < 0.001 | 0.1240 |
Fig.4に1200ºC/48 h(N2)材のミクロ組織を示す。1200ºC/ 48 h(N2)材には典型的なラスマルテンサイト組織が,試料表面からの距離によらず認められ,その旧オーステナイト粒径は数百µmであった(Fig.4(a))。これは1050ºC/0.5 h(Air)材の旧オーステナイト粒径(15 µm)に比べ大きい31,32)。試料表面から100 µmにおけるラス幅は約300 nmであり,1050ºC/0.5 h(Air)材と同程度であった31,32)。また,ラス内には析出物が認められた(Fig.4(b))。1200ºC/48 h(N2)材の試料表面から5800 µmや1200ºC/48 h(Ar)材においてもラス幅は約300 nmであり,ラス内における析出物も認められた(Fig.4(c, d))。
Microstructures of 1200ºC / 48 h (N2) sample at (a, b) 100 µm, (c) 5800 µm from the sample surface and (d) 1200ºC / 48 h (Ar) sample: (a) SEM-backscattered electron image and (b-d) TEM-bright field images.
Fig.5にTempered(N2)材の試料表面から100 µm, 1000 µmおよび2000 µmにおけるミクロ組織を示す。Tempered(N2)材の試料表面から100 µmにおけるTEM-明視野像には数百nmの析出物がラス境界やラス内に,より微細な析出物がラス境界に認められた(Fig.5(a))。その数百nmの析出物はOM像にも認められ,その量は試料表面からの距離の増加に伴い減少した(Fig.5(c-d))。また,窒素の規格化強度も試料表面からの距離の増加に伴い減少していた(Fig.1(b))。したがって,比較的大きな数百nmの析出物はV, NbやMoが含まれるhP9構造のCr2N,より微細な析出物はCr23C6と考えられる。
Microstructures of Tempered (N2) sample at (a, b) 100 µm, (c) 1000 µm and (d) 2000 µm from the sample surface: (a) TEM-bright field image and (b-d) OM-bright field images.
Fig.6に1200ºC/48 h(N2)材およびTempered(N2)材の硬さのプロファイルを示す。また,1200ºC/48 h(N2)材のプロファイルには1050ºC/0.5 h(Air)材と1200ºC/48 h(Ar)材のデータを,Tempered(N2)材のプロファイルにはTempered(Air)材のデータを合わせて示す31,32)。1200ºC/48 h(N2)材の硬さは表面近傍で最も高く,表面からの距離の増加に伴い連続的に低下したが,いずれの位置における硬さも1050ºC/0.5 h(Air)材や1200ºC/48 h(Ar)材より高かった(Fig.6(a))。なお,1050ºC/0.5 h(Air)材と1200ºC/48 h(Ar)材は熱処理後それぞれ,炉冷および水冷されているが,硬さは同等であった。これは1050ºC/0.5 h(Air)材と1200ºC/48 h(Ar)材のラス幅や析出物の量に大きな差がなかったことに対応する29,30)。したがって,両者の旧オーステナイト粒内の強度に大きな差はないと考えられる。なお,これらの硬さは,報告されている水冷および炉冷したGr. 91鋼の硬さと同程度であった33)。1200ºC/48 h(N2)材の硬さプロファイルの形状と窒素の規格化強度プロファイルの形状が類似していること,1200ºC/48 h(N2)材に添加された窒素の大部分はマルテンサイトに固溶していることから,窒素の固溶はGr. 91の硬さの向上に有効であることが示唆される。一方で,1200ºC/48 h(N2)材の硬さの上昇は固溶窒素以外の要因もある可能性があるが,本研究では特定できなかった。Tempered(N2)材の硬さは試料表面からの距離によらず一定であり,Tempered(Air)材の硬さよりも低かった(Fig.6(b))。Tempered(N2)材において,硬さが距離によらず一定であったのに対し,hP9構造のCr2Nは表面近傍により多く形成していたため,hP9構造のCr2Nの析出強化は硬さの向上に有効に作用しておらず,Cr2Nに含まれるCr, V, NbやMoといった溶質元素は固溶強化に用いた方が強度向上の観点からは有効である可能性がある。
Change in Vickers hardness with distance from the sample surface: (a) 1200ºC / 48 h (N2) sample, together with 1200ºC / 48 h (Ar) and 1050ºC / 0.5 h (Air) samples, (b) Tempered (N2) sample, together with Tempered (Air) sample. (Online version in color.)
Fig.7に1200ºC/48 h(N2)材の試料表面から種々の距離から取得した試料の引張応力-引張塑性ひずみ曲線を示す。また,合わせて1050ºC/0.5 h(Air)材と1200ºC/48 h(Ar)材のデータも示す。1200ºC/48 h(N2)材の曲線は試料表面から距離によらず類似した形状を示し,降伏後,公称塑性ひずみ7%程度まで加工硬化した後に変形応力は緩やかに低下し,破断に至ったが,降伏応力,降伏直後の加工硬化率,最大引張強度は試料表面からの距離の増加に伴い低下した(Fig.7(a))。一方で,1050ºC/0.5 h(Air)材と1200ºC/48 h(Ar)材は1200ºC/48 h(N2)材と異なり,公称塑性ひずみ3%程度まで加工硬化の後に変形応力が緩やかに低下し,破断に至った。1050ºC/0.5 h(Air)材の降伏応力,降伏直後の加工硬化率,最大引張強度は1200ºC/48 h(Ar)材に比べ,高かった。1050ºC/0.5 h(Air)材と1200ºC/48 h(Ar)材の硬さは同等であったにも関わらず,強度に大きな差が生じた要因は,最も大きなミクロ組織の差である旧オーステナイト粒径の違いと思われるが,その機構については今後検討する必要がある。一方で,粒径が同程度の1200ºC/48 h(N2)材と1200ºC/48 h(Ar)材を比べると,1200ºC/48 h(N2)材は試料表面から距離によらず,より高い降伏応力,降伏直後の加工硬化率,最大引張強度を示した。1200ºC/48 h(N2)材の真引張応力-真引張塑性ひずみ曲線は試料表面から距離によらず類似した形状を示し,いずれも5%程度かそれ以上の均一伸びを示した(Fig.7(b))。一方で,1050ºC/0.5 h(Air)材と1200ºC/48 h(Ar)材も類似した曲線を示したが,均一伸びは3%程度であった。Fig.8に0.2%耐力(σ0.2),最大引張強度(σts)および均一伸びの変化を試料表面からの距離の関数で示す。1200ºC/48 h(N2)材の0.2%耐力,最大引張強度は試料表面近傍で最も高く,試料表面からの距離の増加に伴い低下した(Fig.8(a))。窒素が拡散したと考えられる試料表面から5000 µmの強度も1200ºC/48 h(Ar)材より高い。さらに,試料表面から2000 µm程度までの最大引張強度は旧オーステナイト粒径の細かい1050ºC/0.5 h(Air)材よりも高い。したがって,窒素の固溶はGr. 91の降伏応力,最大引張強度の向上に有効であると考えられる。1200ºC/48 h(N2)材の均一伸びは試料表面からの距離の増加に増加し,約4000 µmから減少に転じるが,窒素が拡散したと考えられる試料表面から5000 µmまでののいずれにおいても1200ºC/48 h(Ar)材より高い(Fig.8(b))。なお,1200ºC/48 h(N2)材の表面近傍には残留オーステナイトが形成していたが,内部にはほとんど形成していなかった。したがって,均一伸びの上昇はマルテンサイトに固溶した窒素の効果と考えられる。したがって,固溶窒素はGr. 91鋼の降伏応力,最大引張強度を上昇させるだけでなく,加工硬化能と均一変形能を高め,特に最大引張強度を上昇させる。他のマルテンサイト鋼においても窒素の添加に伴い延性が向上する報告がある46)。また,オーステナイト鋼においても同様の報告がなされている31,32,47)。一方で,炭素にはこのような効果は報告されていない。例えば,著者らはGr. 91に炭素を固溶させた試料と炭化物として析出させた鋼の室温引張挙動を調べ,強度に変化はあるものの,両者の延性に大きな差はないことを報告している29,30)。他のマルテンサイト鋼においては,マルテンサイトの複雑な階層構造もあり明確になっていないものの,炭素の添加により延性が低下するのが一般的である48)。さらなる検証が必要であるものの,マルテンサイトの延性に及ぼす炭素と窒素の効果は異なるものと考えられる。
(a) Nominal tensile stress-nominal plastic strain curves and (b) true tensile stress-true plastic strain curves for 1200ºC / 48 h (N2) sample taken from several distances from surface, 1200ºC / 48 h (Ar) and 1050ºC / 0.5 h (Air) samples. (Online version in color.)
Change in (a) tensile strength and (b) uniform elongation of 1200ºC / 48 h (N2) sample with distance from the sample surface, together with 1200ºC / 48 h (Ar) and 1050ºC / 0.5 h (Air) samples. (Online version in color.)
Fig.9にTempered(N2)材の表面近傍から取得した試料の引張応力-引張塑性ひずみ曲線を示す。また,合わせてTempered(Air)材のデータも示す。Tempered(N2)材は公称応力約450 MPaで降伏後,約650 MPaの最大引張強度を示した後に破断した(Fig.9(a))。この降伏応力や最大引張強度はTempered(Air)材よりも低かった。Tempered(N2)材にはV, NbやMoが含まれるhP9構造のCr2Nが形成されたが,hP9構造のCr2Nの析出強化は硬さの結果から十分に作用していなかった(Fig.6(b))。Tempered(N2)材のより低い降伏応力や最大引張強度の主な要因もV, NbやMoが含まれるhP9構造のCr2Nの形成に伴うマルテンサイトの固溶強化能の低下の可能性がある。この詳細を解明するためには,ミクロ組織の定量的な解析(析出物の組成や体積率)も必要である。一方で,Tempered(N2)材の均一伸びは約15%であり,Tempered(Air)材の約5%よりも高かった(Fig.9(b))。Tempered(N2)材には多量の窒化物が形成していることからマルテンサイトには固溶限まで窒素が固溶している。この固溶窒素が,1200ºC/48 h(N2)材にも認められたように,マルテンサイトの延性を向上させた可能性がある。
(a) Nominal tensile stress-nominal plastic strain curves and (b) true tensile stress-true plastic strain curves for Tempered (N2) sample taken from 250~1250 mm from surface and Tempered (Air) sample. (Online version in color.)
本研究では,固相窒素吸収法により固体のGr. 91鋼に窒素を添加した試料を用い,Gr. 91鋼のミクロ組織や室温機械的性質に及ぼす窒素の効果を調査した。以下に得られた知見をまとめる。
(1)Gr. 91鋼に対して,1200ºC,48 hの固相窒素吸収熱処理により0.164 wt%の窒素が試料表面に添加され,窒素は5000 µm以上拡散した。固溶窒素の一部は微細な炭窒化物として析出したが,大部分はマルテンサイトに固溶した。この固溶窒素は,室温における硬さ,降伏応力,最大引張強度および均一伸びの向上に有効であった。
(2)窒素を固溶したGr. 91鋼を760~780ºCで焼戻すとcF116構造のCr23C6だけでなく,V, NbやMoが含まれるhP9構造のCr2Nが形成された。
(3)窒化物の形成は硬さの向上に寄与せず,降伏応力や最大引張強度を低下させた。これは窒化物による析出強化よりも,窒化物の形成によりCrやV,Nb,Moの溶質元素濃度が低下し,これによる固溶強化の低減が大きいためと考えられる。
本研究は東北大学大学院工学研究科・工学部マテリアル・開発系先進鉄鋼研究・教育センター(Advanced Research and Education Center for Steel)および日本鉄鋼協会第2回鉄鋼カーボンニュートラル研究助成の支援を受けたことを付記し,謝意を表す。
窒素濃度の定量分析について,東北大学金属材料研究所材料分析研究コアの坂本冬樹氏による技術支援に謝意を表す。また,マーカス型高周波グロー放電発光分析装置による分析にご協力いただいた宮崎孝道博士に謝意を表す。