Tetsu-to-Hagane
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Process of White Etching Cracks Formation in Carburized Bearing Steel under Rolling Contact Fatigue
Daisuke Takazaki Masato YuyaYutaka NeishiMakoto KosakaYuji SakiyamaTomohiko OmuraKaori Kawano
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2024 Volume 110 Issue 14 Pages 1150-1164

Details
Abstract

The purpose of this study is to investigate the mechanism of the premature failure of bearing steels in rolling contact fatigue (RCF), with a particular focus on the process of the white etching cracks (WECs). A two-roller type rolling contact fatigue test was carried out using a carburized SAE5120 steel, which successfully provides systematic sequences leading to the WECs under a contact pressure of 2700 MPa with 3.0×107 RCF cycles. The process of WECs consisted of crack initiation at prior austenite grain boundaries, crack propagation accompanied by WECs formation, and crack propagation without WECs. The initial stage of the RCF test resulted in the formation of acicular structures, which were caused by {110}<111> slip driven by cyclic shear stress. However, these acicular structures were found to be unnecessary for crack initiation or the formation of white etching area (WEA). Instead, it was observed that crack initiation occurred at the boundaries of the prior austenite grains. After the crack initiation, the WEA was formed around the cracks, indicating that rubbing of the crack surfaces leads to WEA formation. Stress analysis revealed that a mode-I crack was formed due to cyclic compressive stress applied by RCF. Furthermore, it was found that the crack initiation was suppressed with low amount of hydrogen content. This suggests that hydrogen accelerate the crack initiation at prior austenite grain boundary.

1. 緒言

軸受では,転動疲労により鋼材の組織変化が生じ,はく離に至ることがしばしばある。はく離に影響する組織の形態には,白色組織(White Etching Area, WEA)1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27),ホワイトバンド(White Band, WB)5,28,29),バタフライ(Butterfly)2,3,4,5,20,30),板状炭化物(Lenticular Carbide)31)などがある。この中でも白色組織を伴うはく離(White Etching Cracks, WECs)は,潤滑油の分解による水素侵入環境下で軸受を長期間使用する際に生じやすく,風力発電のギヤボックス3,4,6,17,20)や自動車の駆動部品・電装部品1,23,24,25,26)などに使用される軸受で問題となっている。近年,カーボンニュートラルを背景に,様々な産業が高効率化や省エネルギー化を目指す中で,軸受に対するニーズも高度化している。例えば,自動車等の輸送機械においては,車両軽量化の要求から軸受のさらなる小型化による負荷荷重の高荷重化などが挙げられる。また,風力発電等の各種機械の長寿命化に対しては,設備寿命やメンテナンス間隔に影響する軸受において,長寿命域で発生する白色組織はく離の懸念がこれまで以上に高まっている。このような軸受に対するニーズの高度化に対応するためには,白色組織はく離のメカニズムを理解し,その対策指針を明確にすることが重要である。

白色組織はく離は,SAE 52100(JIS-SUJ二相当鋼)焼入れ材や,SAE5120(JIS-SCr420相当鋼)浸炭焼入れ材などの高強度マルテンサイト組織からなる軸受で生じる現象である。白色組織はく離に至った軸受の切断面をナイタールなどでエッチングして観察すると,転動面から数百 µmの深さにおいて,き裂と隣接して白色組織(White Etching Area, WEA)が観察される。Shibataらは透過電子顕微鏡(Transmission Electron Microscope, TEM)により白色組織を観察し,白色組織は結晶粒径が数10 nm程度の等軸の極微細結晶粒の集合体であり,結晶構造はフェライトに類似すると報告しており1),それを支持する他の研究も多い4,5,6,7,10,11,12)。これらの特徴から,白色組織は,転動疲労による転位の再配列,セル形成,さらに,ひずみの局所的な集中による動的再結晶1,5,6,11,12),等による超微細組織であると理解されている。一方,白色組織の一部はアモルファス化しているという報告もある4,10,11)。その他に,母相に分散した球状化炭化物は白色組織の形成過程で消失し,炭素が微細結晶粒の粒界に偏析すること6,14,15,16),白色組織の硬さは周囲のマトリックスより20~50%硬いこと17,30)なども報告されている。

白色組織内部の組織的特徴は理解されつつある。しかし,白色組織を伴うはく離のプロセスについては,未だ不明瞭な点が多い。はく離に至るプロセスにおいては,針状組織形成,白色組織形成,き裂発生,き裂進展など複数の素過程が関係するため,各々の相互関係の理解が複雑で,統一的な整理が困難なことがその理由に挙げられる。ここで,針状組織(Acicular structure)とは,ナイタールやピクラールによるエッチングで黒く観察される組織であり,マルテンサイト組織が局所的に微細結晶粒化した組織である9,10,13)。例えば,Maedaらは白色組織形成に先立って針状組織が形成されること,針状組織の中に微細なき裂が存在し,そのき裂を起点として白色組織が形成されると報告している18)。一方,HaradaらはTEMにより針状組織や白色組織を観察し,針状組織の内部にはき裂が発生しておらず,針状組織,旧オーステナイト粒界,球状化炭化物近傍から白色組織が形成され,その白色組織内部にき裂が発生すると報告している10)。Evansらは非金属介在物を起点としてき裂が発生し,そのき裂を起点として白色組織が形成されると報告している4)。このように,針状組織がき裂の発生起点とする説5,18)と,それを否定する説10,13)が混在する。白色組織とき裂の関係についても,白色組織の形成後にき裂が発生する説11,13,14,17),き裂の発生後にき裂の擦合わせ面に白色組織が形成される説4,5,6,7,8,18,20,27)があり,統一的な見解は得られていない。

また,白色組織はく離に対する影響因子はいくつか報告されており,その中で最も重要なものが水素3,4,7,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26)である。水素の発生と侵入機構については,転がり摩耗により接触面で材料新生面が露出し,鉄原子の触媒作用により潤滑油からの水素原子の分離反応(トライボケミカル反応32,33))が生じ,水素原子が軸受鋼内部に侵入すると理解されている。一方,水素の作用機構に関しては様々な説が唱えられている。例えば,UyamaらはJIS-SUJ2を用いて,水素チャージ材および未チャージ材の転動疲労試験を実施し,水素チャージ材のみで白色組織が形成されたことから,水素は局所的な塑性変形を助長し,白色組織の形成を促進すると報告している19)。また,Vegter and SlyckeはASTM 52100を用いて,水素チャージ材および未チャージ材の転動疲労試験を実施し,水素チャージ材では針状組織形成および白色組織はく離を確認している。一方,未チャージ材では針状組織は形成されるものの,水素チャージ材より長寿命化し,白色組織はく離が抑制されると報告している21)。これらの研究は,水素はき裂発生や白色組織形成を促進することを示唆しているが,き裂の発生起点には言及がなく,水素の作用機構が充分に解明されているとは言い難い。また,潤滑油種22,23,24,25),すべり23,25),コーティング23),転動体と軌道輪の電位差26)なども影響因子として報告されているが,これらは,侵入水素濃度に影響を及ぼす因子であり22,23,24,25,26),白色組織はく離への水素の直接の作用機構については不明点が多い。

また,白色組織はく離や,その素過程の組織変化に及ぼす力学的因子の影響についても不明瞭な点が多い。針状組織や白色組織はく離はそれぞれ表面から特定の深さや角度に生じることが報告されている9,10,11,16,20,21,22,23,29)。例えば,HaradaらはJIS-SUJ2を用いて,急加減速を伴う転動疲労試験を行い,針状組織は表面から100~150 µmの深さに形成されやすく,転動方向に対して70~90°の角度に形成されやすいことを報告している10)。この研究では,摩擦力を加味した転動疲労のせん断応力によって針状組織が形成されると考察されているが,急加減速による摩擦力を考慮した応力状態の議論が難しく,力学的支配因子の特定までは至っていない。また,Frankeらは100Cr6を用いて,スラスト型ころ軸受の転動疲労試験を実施し,白色組織はく離の位置がせん断応力のピーク深さより浅いことを報告している22)。これらの研究で報告されている針状組織や白色組織はく離の形成深さや角度は,それぞれ特定の力学的支配因子がはたらいた証拠と考えられる。

以上のように,白色組織内部の組織的特徴や形態については理解が進んでいるものの,白色組織はく離プロセスや水素の具体的な作用機構,力学的支配因子の理解は不十分である。そこで本研究ではこれらの課題を解決するため,白色組織を伴うはく離の素過程の組織変化を詳細に観察した。その際,白色組織はく離の再現試験には,安定的な水素侵入や応力負荷を目的として,接触部で一定のすべりを伴う二円筒転がり疲労試験を採用した。さらに,水素侵入濃度を変えて二円筒転がり疲労試験を実施することで,水素の作用機構の解明を試みた。また,組織観察結果と応力解析を対応させ,素過程それぞれの力学的支配因子の解明も試みた。

2. 実験方法

2・1 供試材

供試材にはSAE5120を用いた。供試材の化学成分をTable 1に示す。真空溶解で作製した50 kgインゴットを,直径35 mmの丸棒に熱間鍛造し,焼ならし処理(925°C×60 min)後,丸棒中心から試験部直径26 mmの二円筒転がり疲労試験用の丸棒試験片を採取した。これを雰囲気の炭素ポテンシャルCp=1.00%で930°C×80 min,Cp=0.80%で930°C×60 min,Cp=0.80%で900°C×30 minの順でガス浸炭処理した後に60°Cの油で焼入れし,180°Cで焼戻しを行うことで,低温焼戻しマルテンサイト組織とした。試験片のビッカース硬さおよび電子プローブマイクロアナライザ(Electron Probe Micro Analyzer, EPMA)により測定した炭素濃度の深さ方向分布をFig.1に示す。試験片表面の炭素濃度は0.80 mass %程度であり,表面のビッカース硬さは780HV程度である。全硬化深さは1.5 mm程度であり,試験片芯部のビッカース硬さは250HV程度である。

Table 1. Chemical composition of the steel used in this study (mass%).

CSiMnPSCrFe
0.190.210.850.0070.0010.85Bal.
Fig. 1.

Profile of Vickers hardness and carbon content of the carburized specimen.

2・2 二円筒転がり疲労試験

二円筒転がり疲労試験の概略図をFig.2に示す。大小2つのローラのうち,直径26 mmの小ローラが試験片である。相手材の大ローラには,焼入焼戻しを施したJIS-SUJ2を用い,直径130 mm,R150のクラウニング付き形状とした。試験片に対して相手材を押し付けた状態で,試験片と相手材をそれぞれ異なる周速で回転させることで,すべりを伴う転動疲労試験を実施した。ヘルツの最大接触面圧(以降,接触面圧と呼称)は2600~3500 MPaとし,試験片の周速を2.0 m/s,相手材の周速を2.8 m/s,すべり率−40%とした。潤滑油には市販のオートマチックトランスミッション油を用い,試験片と相手材の接触部に90°Cの潤滑油を1.0 L/minの流量で吹付けながら転動疲労試験を実施した。この実験手法では,試験片には,相手材からの押し付け力によりヘルツ応力が負荷され,すべりにより摩擦力も負荷される。また,接触部で生じるすべりは,潤滑油から水素原子の分離反応を促進させる32,33)。これにより,水素侵入を伴う転動疲労試験を可能にした。

Fig. 2.

Schematic of the two-roller type rolling contact fatigue (RCF) test. (Online version in color.)

なお,本研究では,はく離が生じるまで停止させることなく転動疲労試験を続ける「連続試験」と,規定回数ごとに試験を停止し試験片中の水素脱離を繰り返す「断続脱水素試験」を行った。具体的には,接触面圧2700 MPaを負荷し,1.3×107回の転動負荷ごとに転動疲労試験を一時停止した。その後,接触面圧を除荷し,試験片に90°Cの潤滑油を吹付けながら24時間保持する水素脱離処理を行うことで,試験片に侵入した水素の一部を脱離させた。これを1サイクルとし,転動回数が累計5.2×107回に到達するまで,4サイクル繰返した。なお,水素脱離処理の温度(90°C)は二円筒転がり試験中に試験片が曝される油温と同じであり,焼戻し軟化による疲労試験への影響と試験の長時間化を回避する観点から90°Cを採用した。このため,本手法では,試験片に侵入した水素のすべてが脱離するわけではない点には注意が必要である。なお,水素侵入量を変化させる方法としては,潤滑油の種類を変える方法も挙げられるが,潤滑油を変えると鋼材表面の摩擦状態が変わるため,本研究では上述の断続脱水素試験を採用した。

2・3 組織解析

二円筒転がり疲労試験後,組織観察のための試料を転動方向に沿って切断し,研磨およびエッチングを行った。エッチング液にはピクラールとナイタールを用い,前者では旧オーステナイト粒界および針状組織を,後者では白色組織を観察した。試験片断面を光学顕微鏡,走査型電子顕微鏡により観察した。さらに電子線後方散乱回折パターン(EBSD)を取得し,株式会社TSLソリューションズ製のOIM Analysisを用いて結晶方位の解析を実施した。

2・4 水素分析

水素分析は,株式会社ジェイ・サイエンス・ラボ製の水素分析装置を用いて,ガスクロマトグラフを検出系とした昇温脱離分析(Thermal desorption analysis, TDA)を実施した。二円筒転がり疲労試験後の試験片の転動接触部から,放電加工により試験片表層1.5 mm厚さの円弧状試料を切出し,試料を室温から600°Cまで100°C/hの一定速度で昇温し,試料から放出される水素を5 minに1回の間隔で分析した。なお,放電加工による水素分析結果への影響の確認のため,転動疲労試験後の試験片から放電加工と湿式切断とで作製した試料の水素分析を実施し,水素放出曲線に差が無いことを確認した。

2・5 応力解析

試験片に負荷される応力分布は,株式会社トラ研製の接触解析ソフトTED/CPA34,35)を用いて解析した。解析モデルは,二円筒転がり疲労試験の試験片形状に合わせて,試験片は直径26 mmの丸棒形状,相手材は直径130 mm,クラウニングR150 mmのクラウニング付き円盤形状とした。解析における座標系は,Fig.3に示すように,接触部の幅方向をx軸,小ローラ試験片の回転方向をy軸,試験片の深さ方向をz軸として,x=0 mmにおけるyz平面の応力解析を実施した。試験片と相手材はどちらも弾性体とし,ヤング率206 GPa,ポアソン比0.3とし,塑性変形や残留応力の影響は無視した。計算の簡略化のため,試験片および相手材のモデルは回転させず,試験片に対して相手材を押し付ける圧縮荷重と,試験片と相手材の間に作用する摩擦力の二つの力を作用させて,試験片内部の応力分布を解析した。ヘルツの最大接触面圧が2600 MPaになるように,圧縮荷重を6826 Nとした。試験片と相手材の摩擦係数は,過去の研究36)を参考にして0.07とした。

Fig. 3.

Schematic of model for stress calculation for the two-roller type rolling contact fatigue test (dimensions are in mm).

3. 実験結果

3・1節では,二円筒転がり試験の連続試験結果をもとに,白色組織はく離プロセスの素過程について述べる。3・2節では,連続試験と断続脱水素試験の結果の比較をもとに,水素の影響について述べる。3・3節では,二円筒転がり試験の応力解析結果をもとに,垂直応力やせん断応力の最大位置,およびそれらの転動方向との関係について述べる。

3・1 白色組織はく離プロセス

まず,種々の接触面圧の連続試験による,はく離形態に及ぼす接触面圧の影響を検討した結果を示す。Fig.4S-N線図である。S-N線図に明瞭な疲労限度は現れず,5.0×107回時間強度は接触面圧2600 MPaであった。二円筒転がり疲労試験前後の試験片断面のピクラールでエッチングによる観察結果をFig.5に示す。試験後は,いずれの接触面圧においても,試験片表面から100~600 µm程度の深さで濃くエッチングされた領域が認められた。これは,針状組織(Acicular structure)の集積に因るものである。つまり,針状組織は今回実施した全ての接触面圧で形成されることが確認された。

Fig. 4.

S-N diagram of the specimen obtained by the continuous RCF tests.

Fig. 5.

Optical micrographs of microstructural changes and cracks observed in cross-section of specimen before and after the continuous RCF tests under various contact pressures (pc) and RCF life (Nf). (Online version in color.)

破壊形態は,接触面圧が2800 MPa以上と,2700 MPaの条件では,異なる様相を呈した。接触面圧2800 MPa以上の条件では,Fig.5(b)に示すように,白色組織は観察されなかったが,はく離部以外の位置に試験片表面に繋がるき裂が観察された。したがって,接触面圧2800 MPa以上の条件では,試験片表面からき裂が発生し,白色組織が形成されずはく離に至ったと考えられる。この表面起点の破壊は,歯車の分野で「ピッチング」として知られる破壊現象37)と同じものであり,軸受の実用条件では問題となりにくいため,今回は接触面圧2800 MPa以上の条件は研究対象から除外する。

一方,接触面圧2700 MPaで3.0×107回ではく離が生じた条件では,Fig.5(c)に示すように,表面から80~200 µmの深さに白色組織が多数観察され,白色組織はく離が再現された。また,接触面圧2600 MPaで5.0×107回では,はく離には至らなかったが,Fig.5(d)に示すように,表面から40~170 µmの深さにき裂が観察され,さらに,後述するようにき裂の擦り合わせ面近傍には白色組織も観察された。すなわち,白色組織の形成は,接触面圧2700 MPaでは3.0×107回,および接触面圧2600 MPaでは5.0×107回の条件で再現された。過去の研究では,白色組織が3000 MPa以上の接触面圧で再現されにくく,2000~3000 MPaの接触面圧で数千万回の転動回数で再現される傾向が報告されており2),接触面圧が比較的低位の条件下でも転動疲労の繰返し数が増加すると,白色組織の形成が促進されることが示唆される。

次に,白色組織はく離の初期過程を観察するため,二円筒転がり疲労試験を異なる回数で途中止めし,針状組織やき裂を観察した。Fig.6は,接触面圧2600 MPaで3.0×107回および5.0×107回の試験後に,試験片断面をピクラールでエッチングし,表面から深さ100~300 µmの組織を光学顕微鏡により観察した結果である。長さ数十 µm程度の針状組織が多数観察された。針状組織の形成量は,3.0×107回の条件に比べ,5.0×107回の方が多く,転動回数の増加に伴い,針状組織が増加する傾向が認められた。ここで,Fig.6(b)に示した5.0×107回の試験片は,針状組織に加えき裂も観察された前節のFig.5(d)と同じものである。一方,Fig.6(a)に示した3.0×107回の条件には,針状組織は認められたが,き裂は観察されなかった。すなわち,転動負荷の繰返しにより,初めに針状組織が形成され,その後,き裂が発生したといえる。き裂の発生起点に関する観察結果は後述する。

Fig. 6.

Optical micrographs of acicular structures observed in cross-section of specimen after continuous RCF tests with different RCF cycles (N). (a) N = 3.0×107 and (b) N = 5.0×107. (Online version in color.)

続いて,針状組織の形成角度を調査するため,針状組織を拡大し光学顕微鏡により観察した結果をFig.6(b)に示す。転動方向に対する角度をθとすると,針状組織はθ=3°程度またはθ=93°程度の方向に傾いて形成されたものが多く見受けられた。かつ,針状組織は旧オーステナイト粒の内部に,粒ごとあるいはパケットごとに特定の方向に形成される様子が認められた。針状組織のSEM観察およびEBSD解析結果をFig.7に示す。なお,Fig.7(a)には黒く観察される針状の窪みがあるが,これは腐食前には観察されなかったため,き裂ではなく,針状組織が腐食された窪み10)と推定される。Fig.7(a)のSEM観察においても,針状組織が旧オーステナイト粒界を越えて形成されないことが確認された。Fig.7(b)は,Fig.7(a)に観察された針状組織周辺の結晶方位マップである。針状組織そのものに相当する位置の菊池パターンは不明瞭で,解析に必要な結晶方位情報は得られなかったため,針状組織と同一のブロックで,針状組織の周辺で得られる結晶方位情報を解析した。Fig.7(c)および(d)には,針状組織周辺に対して,{110}面と観察面の交差線(以下,{110}面トレースと呼称),<111>方向の投影をそれぞれ示す。針状組織は{110}面トレース,および<111>方向の投影と一致する。このことから針状組織の形成に,{110}<111>すべり系の活動が関与したことが示唆される。また,針状組織の形成方向は,マルテンサイトのブロックの長手方向と概ね一致する。さらに,Fig.7(b)に見られた針状組織近傍について,パケット(Close-packed Plane, CPグループとして定義される組織因子38,39))による解析の結果をFig.7(e)に示す。Packet 1に形成された針状組織は,ブロックの長手方向に沿って図の上下方向に伸長して形成されたが,Packet1とPacket 2の境界は越えないことから,すべり系が異なると針状組織は伝播しないことが確認された。

Fig. 7.

SEM micrograph and EBSD analysis of acicular structures observed in cross-section of tested specimen (Continuous RCF test, N = 5.0×107, run-out). (a) SEM image. (b) IPF map at B. (c) and (d) Crystal orientation analysis at point C and D, respectively. (e) Packet map at E.

次にき裂の発生起点に関する観察結果を示す。Fig.8は,接触面圧2600 MPaで5.0×107回で停止した試験片,すなわち,Fig.4(d)と同じ試験片のピクラールエッチング後のSEM観察結果およびEBSDにより取得したIQ(Image Quality)マップである。Fig.8(a)に示すように旧オーステナイト粒界に沿ったき裂が認められた。また,このき裂の周囲には針状組織は認められなかった。Fig.8(b)のき裂は,長く成長し,旧オーステナイト粒界に沿う経路と旧オーステナイト粒内を進展する経路を有していた。よって,き裂の発生起点は旧オーステナイト粒界であり,き裂は成長に伴い旧オーステナイト粒内に進展したと考えられる。また,Fig.8(b)には,き裂の擦合わせ面と隣接して白色組織が観察された。この白色組織は,Fig.8(c)に示すように,旧オーステナイト粒界を越えて成長する様子が確認された。これはFig.6およびFig.7の針状組織には無い特徴であり,針状組織と白色組織の形成メカニズムが異なることに他ならない。Fig.9は,同試験片を1/4円周分観察し,き裂の数と長さそれぞれを深さ方向に対して整理した結果である。き裂は深さ70~90 µmに発生しやすいことがわかる。この深さは,針状組織が形成されやすい深さ100~600 µmと比較して浅い。加えて,Fig.9において調査対象としたき裂の中には,Fig.8(a)のように針状組織と直結しないき裂が多数認められた。これらの観察結果から,旧オーステナイト粒界き裂の発生には針状組織の形成は不要であるといえる。Fig.9(b)のき裂長さにおいて,き裂長さが20 µmを超えると,き裂の擦合わせ面近傍に白色組織が観察された。よって,白色組織より先にき裂が発生し,き裂進展の過程でその擦合わせ面に白色組織が形成されたといえる。なお,き裂の発生しやすい深さは70~90 µmであるが,長く成長したき裂は100 µm以上の深さに多かった。この原因は,き裂の発生と進展では,力学的な支配因子が異なるためと考えられ,次章の応力解析で考察する。

Fig. 8.

SEM micrographs of cracks observed in cross-section of the tested specimen (Continuous RCF test, pc = 2600 MPa, N = 5.0×107, run out). (a) and (b) SEM images of cracks with different length. (c) Image Quality (IQ) map at C.

Fig. 9.

Profile of (a) crack initiation depth and (b) crack length observed in cross-section of tested specimen (Continuous RCF test, pc = 2600 MPa, N = 5.0×107, run out). (Online version in color.)

続いて,き裂進展に関する検討結果を示す。接触面圧2700 MPaの条件において3.0×107回で白色組織はく離が生じた試験片のはく離部以外のき裂の観察例をFig.10に示す。これは,深さ100 µm程度で旧オーステナイト粒界き裂が発生し,その後,き裂が旧オーステナイト粒内を進展したと推定される。深さ100 µm程度を拡大したFig.10(b)では,白色組織を伴うき裂が認められる。しかし,Fig.10(c)に示すように約400 µmより深く成長したき裂の周りには,白色組織は観察されなかった。すなわち,き裂進展の初期過程のみ,き裂の擦合わせ面に白色組織が形成され,き裂進展の後期過程では,白色組織は形成されないといえる。

Fig. 10.

Optical micrographs of long cracks observed in cross-section of tested specimen (Continuous RCF test, pc = 2700 MPa, Nf = 3.0×107).

3・2 水素の影響の評価試験

前述した結果はすべて,転動疲労試験をはく離が生じるまであるいは規定回数に到達するまで停止させることなく連続で実験し,試験片への水素侵入を継続した「連続試験」の結果である。これに対して,試験片中の水素濃度を低減させる転動疲労試験として,「断続脱水素試験」を実施した。水素放出曲線をFig.11に示す。転動疲労試験の前後の吸蔵水素濃度を比較すると,実験前の吸蔵水素濃度は低く,転動疲労試験により300°C付近の放出ピークの水素が増加する傾向が得られた。また,連続試験後の試験片と比べて,断続脱水素試験後の吸蔵水素濃度は低かった。すなわち,本手法の意図どおり,潤滑油種や応力状態を変えることなく,水素濃度を変えられることが確認された。なお,本研究で得られた転動疲労試験後の水素濃度は最大で13.3 mass ppmであった。過去の転動疲労の研究で報告されている水素濃度は0.1~4.2 mass ppm3,23,24)であり,本研究の水素濃度の方が高く現れたが,この理由は水素分析用試料のサイズに基づいて次のように説明される。過去の研究では,転動疲労が負荷される領域以外を含む範囲で水素分析用の試料を切断しており,試料の全重量を基に水素濃度を算出しているため,水素濃度が低く現れたと考えられる。一方,本研究では,転動疲労試験後に,水素分析用の試料を転動の接触幅かつ表面から1.5 mmまでの深さで切出し,水素が集積しやすい領域を測定したため,水素濃度が高く現れたと考えられる。

Fig. 11.

TDA profile of hydrogen before a RCF test and after a continuous RCF test and an intermittent hydrogen desorption RCF test.

断続脱水素試験後の試験片断面観察結果をFig.12に示す。比較のため,連続試験後の結果も併記した。連続試験では,転動回数3.0×107回で白色組織はく離に至った。一方,断続脱水素試験では,5.2×107回まで耐久した。断続脱水素試験後には,針状組織の形成が認められたが,き裂や白色組織の形成は観察されなかった。すなわち,水素は旧オーステナイト粒界における割れに影響していることが確認された。

Fig. 12.

Optical micrographs of cross-section of tested specimen (a) after a continuous RCF test and (b) after an intermittent hydrogen desorption RCF test.

3・3 応力解析

組織変化,き裂発生,き裂進展それぞれに影響する力学的因子を考察するため,転動部直下の応力解析を実施した。Fig.13に,種々の深さdにおける,z方向(深さ方向)の垂直応力σz,yz方向のせん断応力τyzの,y方向(回転方向)分布をそれぞれ示す。転動疲労では,垂直応力σzは接触表面で極大値を取ること,せん断応力τyzは接触点の前方および後方の内部で極大値を取ること29,36)が知られており,本研究の解析結果でも同様の傾向が得られた。以降は,Fig.13の横軸を荷重負荷と除荷のサイクルと考えることで,1回の転動で試験片の種々の深さに負荷されるせん断応力τyzの波形と捉えた。例えば,試験片の深さ240 µm位置において,1回の転動疲労負荷ごとに,垂直応力σzは−2310 MPaから0 MPaの間で推移し,せん断応力τyzは−690 MPaから584 MPaの間で推移すると考える。Fig.13にはz軸と一致する方向の垂直応力σz,yz軸と一致する方向のせん断応力τyzのみについて示したが,転動疲労においては,転動体の転動に伴い主応力や主せん断応力の作用方向が変化する。そこで,応力計算の座標系をyz座標系に対して回転させて,応力振幅値を以下のように計算した。

Fig. 13.

Distribution of compressive stress σz and shear stress τyz in y direction at several depth, d, beneath contact surface. (Online version in color.)

垂直応力およびせん断応力の計算座標系のy方向に対する角度をθとし,y方向に対して角度θの方向に作用する垂直応力をσθ,せん断応力をτθと定義する。Fig.13のz方向の垂直応力σzは,θ=90°の垂直応力σ90°と同義と考え,yz方向のせん断応力τyzは,θ=0°のせん断応力τと同義と考える。深さdにおいて,角度θの座標系で計算される垂直応力の振幅値σa(d,θ)およびせん断応力の振幅値τa(d,θ)をそれぞれ式(1)および式(2)と定義する。

  
σa(d,θ)=σmax(d,θ)σmin(d,θ)2(1)
  
τa(d,θ)=τmax(d,θ)τmin(d,θ)2(2)

σmax(d,θ)およびσmin(d,θ)はそれぞれ,深さdにおいて,y方向に対して角度θ傾いた座標系で計算される,転動負荷に伴う垂直応力の最大値および最小値である。同様に,τmax(d,θ)およびτmin(d,θ)はそれぞれ,深さdにおいて,y方向に対して角度θ傾いた座標系で計算される,転動負荷に伴うせん断応力の最大値および最小値である。例えば,深さ240 µmにおいて,θ=90°の方向の垂直応力は,σmin(d=240 µm, θ=90°) =−2310 MPaおよびσmax(d=240 µm, θ=90°)=0 MPaで推移し,垂直応力振幅はσa(d=240 µm, θ=90°)=1155 MPaと計算される。また,深さ240 µmにおいて,θ=0°の方向のせん断応力は,τmin(d=240 µm, θ=0°)=−690 MPaおよびτmax(d=240 µm, θ=0°)=584 MPaで推移し,せん断応力振幅τa(d=240 µm, θ=0°)=637 MPaと計算される。このような垂直応力およびせん断応力の振幅値を,種々の深さおよび角度で計算した結果をFig.14に示す。Fig.14の振幅値や最大値を取る角度を決定する因子は,相手材を試験片に押付けることで作用するθ=90°の圧縮応力,θ=0°の圧縮応力,相手材と試験片間の摩擦力によって表面に作用するθ=0°のせん断応力の3つである。Fig.14(a)の垂直応力振幅は,表面に近づくにつれて大きくなる。また,垂直応力振幅が最大値を取る角度,つまり,Fig.14(a)の波形がピークを取る角度をみると,深い位置(d=420 µm)では,θ≅90°の角度に垂直応力振幅値の最大値が現れる。これは,深い位置では,θ=0°の圧縮応力やθ=0°のせん断応力は作用しにくく,θ=90°の圧縮応力が支配的であるためである。一方,表面に近づくにつれて,垂直応力振幅値が最大値を取る角度は小さくなり,例えば,d=30 µmでは,θ≅65°の角度に垂直応力振幅値のピークが現れる。これは,浅い位置では,θ=0°のせん断応力の影響を受けやすく,θ=90°の圧縮応力とθ=0°のせん断応力の組み合わせにより垂直応力のピーク角度が決定されるためである。また,Fig.14(a)の波形の最大値と最小値の差は,表面に近づくにつれて小さくなる。言い換えると,深い位置では特定の角度(θ≅90°付近)の垂直応力振幅が大きくなるが,浅い位置では広い角度範囲に渡って垂直応力振幅が大きくなる。これは,θ=0°の垂直応力は表面近傍のみに作用しやすいためである。以上の解析から,垂直応力は,深い位置ではθ≅90°に作用しやすく,表面に近づくにつれて,作用方向が摩擦力の方向に近づきながら,広い角度範囲に作用することが明らかになった。次に,Fig.14(b)(c)に示すように,せん断応力の振幅値は,深さ240 µm程度で最大を示した。また,その深さにおいて,せん断応力振幅が最大となる座標系の角度は転動方向(θ=0°)に対して2~3°程度傾くことがわかった。せん断応力振幅は表面より内部で最大値を取るため,表面に比べて摩擦力の影響が小さく,せん断応力振幅が最大値を取る角度は2~3°のみであった。以上の解析により得られた垂直応力およびせん断応力の最大深さや角度は,針状組織形成やき裂発生との関係性が考えられ,次章にて議論する。

Fig. 14.

Relationship between angle and amplitude of stresses at several depths beneath contact surface, d, under rolling contact fatigue with friction force. (a) Normal stress amplitude. (b) and (c) Shear stress amplitude.

4. 考察

前章の結果から,白色組織はく離は,旧オーステナイト粒界き裂発生,白色組織形成を伴うき裂進展初期過程,白色組織形成を伴わないき裂進展後期過程の順番にはく離プロセスが進むことが明らかになった。なお,旧オーステナイト粒界き裂発生より前に,針状組織が形成されるが,針状組織は旧オーステナイト粒内にとどまり,旧オーステナイト粒界き裂発生や白色組織に直接的には影響をしないことが明らかになった。また,水素の影響に関しては,その作用機構が旧オーステナイト粒界き裂の促進であることが明らかになった。次に,力学的支配因子に関しては,針状組織形成や旧オーステナイトき裂発生が,それぞれ特定の深さで発生しやすいという特徴を基に,各素過程が異なる応力因子によって生じている可能性が示唆された。そこで本章では,白色組織はく離の各素過程を初期から順に考察し,はく離全体のプロセスを明確にした。さらに,き裂発生に及ぼす水素の作用機構に関して推察した。併せて,各素過程の力学的な作用因子や材料組織との関係性を考察した。

4・1 白色組織はく離に至るプロセス

4・1・1 針状組織形成機構

Fig.15は,組織変化やき裂発生および進展の深さ,ビッカース硬さ,垂直応力および振幅値,残留応力分布も併せて示す。なお,残留応力は,試験片の転動負荷部において,Cr-Kα線を用いたX線回折(X-Ray Diffraction, XRD)測定を実施し,sin2ψ法により,試験片の円周方向に作用する残留応力値を求めた。表面から深さ方向への残留応力分布は,試験片の電解研磨と残留応力の測定とを繰返すことにより測定した。

Fig. 15.

Profiles of Vickers hardness, amplitude of compressive stress and shear stress and residual stress along to rolling direction.

針状組織は表面から100~600 µmの深さで形成されたが,これはせん断応力の振幅値が大きな深さの範囲と一致する。加えて,Fig.6に示したように,転動方向に3°程度および93°程度の角度で形成されたものが多く見受けられ,この角度はFig.14に示したせん断応力振幅が大きな角度と概ね一致する。したがって,針状組織形成の力学的支配因子は,転動疲労により繰返し負荷されるせん断応力であると考えられる。

針状組織が特定の深さや角度で形成されることについては,過去の研究9,10,11,29)でも報告されているが,針状組織形成の力学的支配因子の特定には至っていない。これは,それらの多くは,急加減速を伴う実験方式10)や,スラスト軸受のスピン運動を伴う転動試験23)など摩擦力が複雑に作用する手法が用いられており,力学解析において摩擦力を正確に考慮できていなかったためと考えられる。一方,本研究の手法では,一定のすべりを伴いながら転動試験を実施したため,摩擦力が安定的に負荷され,解析により力学的支配因子が定量的に評価でき,針状組織の形成の向きについて摩擦力を加味したせん断応力により説明された。本研究で再現された針状組織は転動表面から約100~600 µmの深さに形成され,3°程度および93°程度傾いた方向に多く形成される傾向が得られたが,転動面直下のせん断応力分布は接触面圧や摩擦力の大きさなどに影響を受ける29)ため,針状組織形成の深さや角度は,試験条件や軸受の使用条件によって変化すると考えられる。

一方で,本研究の試験条件では,針状組織は転動方向に対して3°や93°以外の方向に形成されるものも確認された。これは,Fig.14に示したように,せん断応力振幅は3°や93°をピークとして近しい角度にも作用しており,マルテンサイトブロックやすべり面・すべり方向次第で,3°や93°以外の角度でもすべり変形が生じたためと考えられる。

針状組織がマルテンサイトブロックの長手方向に沿って,かつ,{110}<111>すべり系と一致する方向に形成されたことに関しては,過去のマルテンサイトの局所変形に関する「ラス面内すべり系」40,41,42)の報告に基づいて解釈できる。例えば,石元らは,マルテンサイト組織の引張変形による局所ひずみ分布を調査し,Schmid因子が大きいすべり系のすべり方向がラスの晶癖面と平行に近い「ラス面内すべり系」である場合に,塑性変形が優先的に生じ,そのブロック内でひずみが集中すると報告している40)。その内容を本研究の実験結果に置き換えると,繰返しせん断応力の負荷方向が,{110}<111>すべり系およびブロックの長手方向と平行に近い,つまり,Schmid因子が大きいすべり系のすべり方向がラスの晶癖面と平行に近いとき,ラス面内すべりが生じ,ブロック内で局所的にひずみが集中した結果,針状組織が形成されたと考えられる。

以上をまとめると,針状組織は,せん断応力の繰返し負荷で生じた塑性変形の蓄積に付随する痕跡であると考えられる。針状組織が旧オーステナイト粒界やパケット境界を超えないのはすべり系が異なるためである。一方,その後の旧オーステナイト粒界き裂発生や白色組織形成は針状組織と一致しない位置でも観察されたことから,今回の試験条件においては,針状組織はき裂や白色組織を直接的に誘因する現象でないと結論付けられる。

4・1・2 旧オーステナイト粒界き裂発生機構

表面から70~90 µmの深さで旧オーステナイト粒界き裂が発生しやすい傾向が得られたが,この深さは,せん断応力振幅の最大深さと一致しない。よって,き裂発生に対しては,せん断応力以外の因子が作用したと考えられる。き裂発生の力学的支配因子をさらに考察するために,Fig.9で調査したき裂を対象に,き裂面と転動方向がなす角度をき裂の発生位置に応じて整理した結果をFig.16に示す。同図には,Fig.14で調査した垂直応力振幅σa(d,θ)を基に,σa(d,θ)が1150 MPaを超えるときに垂直応力の作用方向に対して90°の方向にモードIき裂が発生すると仮定したときの,き裂面と転動方向がなす角度の予想範囲を灰色で併記した。き裂面と転動方向がなす角度は,深さ90~170 µmでは転動方向(θ=0°)に対して−30°~+30°の範囲に収まるが,90 µmより浅くなると−75°~+45°の範囲にき裂が発生した。すなわち,表面に近づくにつれて,き裂面と転動方向がなす角度はθ<0°に偏りながら,ばらつきが大きくなる傾向が得られた。この傾向は,同図に灰色で示したき裂発生の予想範囲内に概ね収まった。これは,以下のように解釈される。前述したように,深い位置では,θ≅90°に作用する垂直応力が大きいため,モードIき裂はθ≅0°を中心に分布する。表面に近づくにつれて,垂直応力の角度が摩擦力の作用方向に近づきながら,広い角度範囲に大きな垂直応力が作用するため,き裂面と転動方向がなす角度もθ<0°に偏りながら広い角度範囲を有する。すなわち,旧オーステナイト粒界き裂発生の力学的支配因子は,転動疲労により繰返し負荷される垂直応力であると考えられる。

Fig. 16.

Angle of crack initiation observed in cross-section of tested specimen (pc = 2600 MPa, N = 5.0×107, run out).

ここで二つの疑問が残る。一点目は,圧縮と除荷が繰返される転動疲労の応力状態,すなわち引張応力が存在しない状態で旧オーステナイト粒界き裂が発生し得るかという点である。二点目は,垂直応力振幅が最大となる試験片表面でき裂が発生しない点である。これらの疑問は,残留応力による引張応力の作用に基づいて解釈できる。前者については,オーステナイトからマルテンサイトへの変態に伴い,Bainひずみに起因する局所内部応力の発現が報告されている43,44)。例えば,Fukuiらは極低炭素のFe-Ni合金を用いて,マルテンサイト鋼の局所応力を実験的に測定し,マルテンサイト変態により640 MPa程度の相当応力が作用することを報告している44)。また,遠藤らはマルテンサイト変態時に生じる局所弾性ひずみにより旧オーステナイト粒界に引張応力が作用し,これにより旧オーステナイト粒界割れが生じると考察している27)。本研究においても,これらのようなマルテンサイト変態に伴い発現する引張内部応力が旧オーステナイト粒界に作用し,さらに転動疲労の圧縮応力が繰返し負荷されることで,旧オーステナイト粒界き裂が発生すると考えられる。後者については,Fig.15に示したように,転動疲労試験前には浸炭処理により試験片表層に圧縮残留応力が作用しており,転動試験後の圧縮残留応力は,試験片表面ではさらに大きく,20~100 µm程度の深さでは小さくなった。したがって,試験片表面では,圧縮残留応力が大きいため,モードIき裂が発生しないと考えられる。

4・1・3 き裂進展および白色組織形成機構

Fig.8Fig.9では,旧オーステナイト粒界き裂が成長する過程で,き裂の擦合わせ面に白色組織が形成されることがわかった。つまり,白色組織はき裂の進展過程において二次的に形成される組織であり,白色組織はく離の初期プロセスであるき裂発生には影響しないことが明らかになった。

前述したように,き裂発生の力学的支配因子は垂直応力であると推定される。以降では,き裂進展の力学的駆動力について,旧オーステナイト粒界から粒内へのき裂伝ぱ,巨視的な粒内き裂進展に分けて考察する。まず,Fig.9に整理した複数のき裂には,旧オーステナイト粒界き裂と同じ角度を保ったまま粒内に伝ぱしたき裂,異なる角度に伝ぱしたき裂の両方が観察された。これは,旧オーステナイト粒界き裂の角度や伝ぱ経路のマルテンサイト組織などの影響を受け,垂直応力とせん断応力の競合により優位な力学的支配因子が遷移した痕跡と考えられる。次に,巨視的なき裂進展については,Fig.10に示したように,き裂は深さ100 µm前後で発生した後,深さ200~400 µm程度に向かって進展し,その後,転動方向に対して概ね平行に進展している。このき裂進展深さは,Fig.15の高いせん断応力振幅値が作用する深さと一致する。つまり,巨視的なき裂進展の駆動力は,せん断応力であると考えられる。以上の考察に基づいてき裂発生から進展までの力学的支配因子をまとめると,旧オーステナイト粒界き裂発生は垂直応力,旧オーステナイト粒内へのき裂伝ぱは垂直応力とせん断応力の遷移,き裂の巨視的な進展はせん断応力によって生じると推定される。前述したように,Fig.9において,き裂が発生しやすい位置に比べ,進展しやすい位置の方が深いことが示されたが,これは,深い位置の方が高いせん断応力が作用するためと説明される。すなわち,今回の白色組織はく離には,旧オーステナイト粒界き裂が発生するための垂直応力と,き裂が進展するためのせん断応力の両方が必要であると結論付けられる。

Fig.10において,き裂がさらに成長すると白色組織の形成は確認されなかった。これは,き裂の進展速度とき裂面における擦合わせ転動回数によって説明できる。き裂が短いときには,き裂の進展速度が遅いため,転動疲労によりき裂の擦合わせが高頻度で起こり,その結果として,き裂擦合わせ面に白色組織が形成されると考えられる。一方,き裂の成長に伴って転動疲労によるき裂進展速度が増加する45)ため,白色組織形成に必要な回数に到達する前にき裂が進展し,結果として白色組織形成に至る前にき裂が進展すると考えられる。

4・2 水素の作用機構

Fig.14に示したように,連続試験では3.0×107回で白色組織はく離が生じた条件であっても,断続脱水素試験では5.2×107回耐久し,旧オーステナイト粒界き裂が認められなかった。このことから,水素は旧オーステナイト粒界き裂の発生に対して直接的に作用し,水素により早期にき裂が発生することで,き裂を基に形成される白色組織の成長が助長されると考えられる。逆説的には,断続脱水素試験では,旧オーステナイト粒界き裂を発生させるほどの水素濃度に至らず,その結果,白色組織はく離が生じなかったものと考えられる。

なお,Fig.11の転動疲労試験後の水素放出曲線では200°C以上の高温域で放出ピークが現れたが,これは転動疲労により導入された欠陥にトラップされた水素である可能性が高い。また,水素放出ピーク形状から2つ以上の水素トラップサイトを有していると推察される。具体的な水素トラップサイトは未だ特定されていないが,水素とトラップサイトの結合エネルギーに関する過去の研究によると,空孔性欠陥46,47)や転位セル48),マイクロボイド空隙49,50)などが高温放出ピークの水素トラップサイトとして報告されている。加えて,Fig.8の内部き裂も高温放出ピークの水素トラップサイトになる可能性もある。これらの水素トラップサイトのいずれかが転動疲労により導入された結果,Fig.11のように200°C以上の高温域に放出ピークが現れたと考えられる。

以降では,本研究で旧オーステナイト粒界に作用した水素について考察する。一般的には,水素脆化破壊の誘因となるのは拡散性水素である。常温の試験では,昇温脱離分析において100°C近辺で放出されるのが拡散性水素であり,200°C以上で放出される水素は脆化破壊に作用しないと考えられている51)。一方,本研究の転動疲労試験中には,90°Cの油の吹付けや摩擦発熱により試験片の温度は100°Cを超えるため,その温度での拡散性水素が破壊に作用すると考えられる。例えば,Okunoらは水素チャージした冷間伸線パーライト鋼を用いて,30°Cおよび240°Cで引張試験を行い,30°Cでは水素脆化に関与しない高温放出ピークの水素であっても,熱負荷により拡散性水素に状態変化することで水素脆化に関与することを報告している52)。したがって本研究においても,Fig.11の水素昇温脱離分析で放出された水素も転動疲労試験中では拡散する可能性はあり,これが旧オーステナイト粒界割れを誘因したと考えられる。

また,Fig.11の水素放出曲線において連続試験に比べて断続脱水素試験で吸蔵水素濃度が低いのは,断続脱水素試験でき裂や白色組織などの水素トラップサイトの発生が抑制されたことを反映していると考えられる。つまり,90°Cの脱水素処理により,高温放出ピークの水素の一部が脱離した結果,転動疲労試験における旧オーステナイト粒界き裂発生やその後に続く白色組織形成が抑制され,Fig.11において断続脱水素試験の吸蔵水素濃度が低くなったと考えられる。

4・3 白色組織はく離プロセス

本研究の観察結果から予想される白色組織はく離プロセスをFig.17に示す。転動疲労負荷により,まず,せん断応力の繰返し負荷により針状組織が形成される。ただし,針状組織の形成深さはき裂の発生深さよりも深く,針状組織はき裂発生やき裂をもとに成長する白色組織形成には直接的には作用しない。はく離プロセスの起点は,旧オーステナイト粒界におけるき裂発生であり,水素は旧オーステナイト粒界におけるき裂発生を促進する。その後のき裂進展前期過程で,き裂の擦合わせ面に白色組織が形成される。き裂の成長に伴い,き裂進展速度が増大し,き裂の擦合わせ面で白色組織の形成が難しくなるため,き裂進展後期過程では白色組織形成を伴わないき裂進展へと変化し,最終的にはく離に至ると考えられる。

Fig. 17.

Schematic of a mechanism of flaking with WEA formation inferred from the findings of this study. (Online version in color.)

本研究で明らかにした上記プロセスを基に考えると,白色組織剥離の最重要素過程は水素によって促進される旧オーステナイト粒界破壊であるといえる。すなわち,白色組織はく離という現象は,応力状態やプロセスは複雑であるものの,その根底は,高強度ボルトなどに代表される粒界割れを起点とする水素脆化と類似するものであると解釈できる。水素による粒界破壊に関しては,水素による凝集力低下機構53)や水素助長ひずみ誘起空孔機構54)が提案されている。その観点に基づくと,既存の粒界割れ対策を活用することで,白色組織はく離寿命の向上も期待でき,これにより,軸受の長期信頼性が必要とされるカーボンニュートラルへ貢献できる。さらに,本研究は,転動疲労によるはく離の素過程について力学因子とミクロ組織を関連付け,はく離プロセスを一貫して説明した。これにより,はく離の素過程の力学因子と結晶学の基礎を理解することで,より長寿命のための組織制御や材料設計が可能になることが期待される。本研究では機構解明を目的として安定的な応力負荷条件での転動疲労試験を採用したが,複雑な形状の実部品の応力状態をFEM等で予想できるようになれば,本検討で明らかにしたき裂発生の応力条件に基づき,実部品の損傷を予測できる。今後は,本研究の結果をもとに,軸受の耐久性と信頼性の向上に向けた具体的な手法や指針が確立されると期待される。

5. 結言

白色組織はく離のプロセスを解明するために,SAE5120(Fe-0.19%C-0.21%Si-0.85%Mn-0.85%Cr)を表層炭素濃度0.80%に浸炭し,すべりを伴う転動疲労試験を実施した。得られた結果を以下にまとめる。

(1)白色組織を伴うき裂は,接触面圧2700 MPaでは3.0×107回,および接触面圧2600 MPaでは5.0×107回の条件で再現された。

(2)針状組織の形成深さは転動面から約100~600 µmであり,形成方向は転動方向に対して約3°および約93°傾いた角度が多かった。また,針状組織は,マルテンサイトブロックの長手方向に沿って形成され,{110}面トレースおよび<111>方向の投影と一致する方向に形成された。ただし,針状組織は,き裂発生やき裂をもとに成長する白色組織形成には直接的には作用しなかった。

(3)き裂の発生起点は旧オーステナイト粒界であった。き裂が発生しやすい深さは70~90 µm程度であり,針状組織よりも浅い位置であった。

(4)長さ20 µm以下のき裂の周りには白色組織が観察されず,長さが100~200 µm程度まで成長したき裂の擦合わせ面近傍に白色組織が観察された。き裂が発生した後,き裂進展の初期過程において,き裂の擦合わせ面に白色組織が形成されると考えられる。

(5)き裂がさらに進展すると,白色組織を伴わないき裂進展に移行した。これは,き裂の進展に伴って転動疲労によるき裂進展速度が増加し,白色組織形成に必要な回数に到達する前にき裂が進展するためと考えられる。

(6)転動回数1.3×107回ごとに転動疲労試験を中断し,90°C×24 hの水素脱離処理を施した後,転動疲労試験の再開を繰返す断続脱水素試験では,旧オーステナイト粒界き裂発生が抑制され,白色組織はく離が抑制された。水素は,旧オーステナイト粒界き裂の発生に作用することで,その後に続く白色組織はく離の寿命を低下させると考えられる。

(7)応力解析の結果,針状組織の深さや角度はせん断応力振幅と対応し,旧オーステナイト粒界き裂の深さや角度は垂直応力振幅と対応することが明らかになった。したがって,針状組織形成の力学的支配因子はせん断応力であり,旧オーステナイト粒界き裂発生の力学的支配因子は垂直応力であると考えられる。なお,き裂が進展しやすい深さは,せん断応力振幅が高い深さに近いことから,き裂進展の力学的駆動力はせん断応力であると考えられる。

(8)以上の結果から,白色組織はく離のプロセスをまとめると,旧オーステナイト粒界き裂発生,白色組織形成を伴うき裂進展,白色組織を伴わないき裂進展の順ではく離に至ると考えられる。今回の白色組織はく離プロセスでは,針状組織や白色組織のような組織変化ははく離過程で副次的に形成される組織であり,これらの組織変化よりむしろ水素により誘起される旧オーステナイト粒界き裂発生が重要であることがわかった。

利益相反に関する宣言

本研究の遂行に関する利益相反は無い。

文献
 
© 2024 The Iron and Steel Institute of Japan

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