Tetsu-to-Hagane
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Relation between Low Elastic Limit and Mobile Dislocation Density in Ultra-low Carbon Martensitic Steel
Yushi TakenouchiShuhei Wada Takuro MasumuraToshihiro TsuchiyamaHiroshi OkanoShusaku Takagi
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2024 Volume 110 Issue 3 Pages 101-109

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Abstract

Stress relaxation tests were conducted in the elastic region of an ultralow carbon martensitic steel (Fe-18%Ni alloy) to quantitatively analyze the effect of mobile dislocations on the low elastic limit of the steel. The elastic limit of the as-quenched material was measured at 255 MPa, although its tensile strength was as high as 720 MPa. The stress relaxation tests, which were performed at 255 MPa, revealed a remarkable stress reduction due to the movement of the mobile dislocations present in the as-quenched material. The total dislocation density barely changed during the test, while the distribution parameter (M-value) decreased significantly, indicating that the mobile dislocations exhibited stable arrangements. The 5% cold rolling before the relaxation tests suppressed the relaxation and simultaneously increased the elastic limit to a maximum, 435 MPa. By estimating the mobile dislocation density by relating the stress reduction in the stress relaxation tests to the distance of the dislocation movement evaluated via transmission electron microscopy (TEM) observations, it was estimated that the mobile dislocation density of the 5%-cold-rolled material was lowered to ~1/10 of that of the as-quenched material.

1. 緒言

鋼の焼入れによって得られるマルテンサイトは,微細な内部組織や高密度の転位に起因して高い引張強さを有するが,焼入れままでは弾性限が低いという特徴があり1,2),低い応力レベルで塑性変形が開始する。したがって,ボルトやナット,バネのように高応力負荷下で使用される場合には,応力緩和によって締め付け力やバネ力の低下を引き起こし,繰り返し応力負荷を受けると疲労の原因にもなり得る。そのためマルテンサイト鋼の低弾性限の機構解明と防止策が必要となるが,その材料組織学的な要因は明らかになっていない。

Hutchinsonら3)は,マルテンサイト中には一般的に内部応力が存在し,応力負荷方向への変形に有利に働く内部せん断応力を持つ箇所が,優先的に塑性変形することによって低弾性限がもたらされると説明している。またHarjoら4)は,引張変形中のマルテンサイト鋼に対してその場中性子回折を行うことでラインプロファイルを取得し,それを解析することによってマルテンサイト組織中には硬質領域と軟質領域が存在することを指摘した。この結果によっても,低応力での塑性変形の開始とその後の急激な流動応力の上昇を説明することが可能であろう。HutchinsonらとHarjoらの示した上記のメカニズムは,マルテンサイトの塑性変形の不均一性が低弾性限の要因になるという考えに基づくものである。実際に,最近のデジタル画像相関法(DIC法)5)を用いたマルテンサイトの変形挙動の調査によれば,ラスマルテンサイトはブロック単位で変形し,とくにラス面内すべりのシュミット因子が大きいブロックにおいて優先的に塑性変形を生じることが示されている6)。この事実からも,マルテンサイトの低弾性限と不均一変形が関連していることは間違いないと思われる。

しかし,実測される非常に低い弾性限の値(Fe-18%Ni合金の場合,約250 MPa)が不均一変形説のみで説明できるかは少々疑問に思われる。冷間加工したフェライト鋼から求められたBailey-Hirschの関係7)によると,焼入れままのFe-18%Ni合金と同程度の転位密度(2×1015 /m2)を有するフェライト鋼の降伏応力は約800 MPaと見積もられる。しかしながら,Hutchinsonら3)により実測された低炭素マルテンサイト鋼における内部応力の値は,引張強さの半分程度である。すなわち,Fe-18%Ni合金の場合には350 MPa程度となる。内部応力の存在によって低応力での降伏が生じたとしても,降伏応力が800 MPaの高転位密度組織では450 MPa以上の外部応力を負荷しない限り,塑性変形が開始しないことになる。そのような理由から,焼入れままのマルテンサイトが本質的に塑性変形を生じやすい性質を有していると考える立場が可動転位起因説である。すなわち,焼入れマルテンサイトには固着や絡み合いが生じていない転位が多く存在しており,それらが低応力下でも運動することで発生する塑性ひずみが低弾性限の要因になる。Nakashimaら1)は,極低炭素マルテンサイト鋼(Fe-18%Ni合金)に対して,引張試験中に弾性域でクロスヘッドを停止・固定し,その後の保持によって生じる応力低下を測定する実験(リラクセーション試験)を行った。その結果,マルテンサイト鋼では析出強化された鋼では生じない程の大きな応力低下が生じることを確認し,耐力以下の非常に低い応力であっても可動転位がマクロな塑性ひずみを生むことを明らかにした。

マルテンサイト鋼の引張変形における低弾性限の機構を明確化するには,ラスマルテンサイトの不均一変形挙動を明らかにすると同時に,低応力下での可動転位の運動を定量的に理解することが必要である。しかしNakashimaらが行ったリラクセーション試験は1条件のみでの調査であり,負荷応力の影響や実際の可動転位密度など,定量的な議論はなされていない。そこで本研究ではマルテンサイト鋼中の可動転位の挙動についてさらなる知見を得ることを目的とし,まず極低炭素マルテンサイト鋼のリラクセーション試験について追加実験を行った。ついで,透過型電子顕微鏡(TEM)による転位の直接観察,ならびに近年鉄鋼材料の転位密度や転位分布の定量評価に用いられるようになったX線ラインプロファイル解析8)を併用することで,可動転位の密度や運動距離の定量的な評価を試みた。とくに転位分布と可動転位の挙動との関係性に着目し,圧延加工による転位組織変化の影響も調査した。

2. 実験方法

2・1 試料作製および各種実験方法

供試材のマルテンサイト鋼として,侵入型固溶元素による影響を除去するため極低炭素のFe-18%Ni合金を用いた。その化学組成をTable 1に示す。30t×100w×200l mmの熱延板を1523 Kで7.2 ksの均質化焼鈍後に空冷し,再度1523 Kで7.2 ks保持したのち,最終パス入側1173 K以上で板厚5 mmまで熱間圧延を施した。その熱延板から後述する引張試験片を切り出し,オーステナイト単相域である1173 Kで1.8 ksのオーステナイト化処理を施したのち空冷し,マルテンサイト組織とした(焼入材)。さらに,一部の試料に対して転位分布を変化させることを目的として5%の冷間圧延を施した。5%冷延材については,引張変形挙動に及ぼす圧延方向の影響について検討するため,試験片の長手方向(引張方向:TD)とその垂直方向(VD)に圧延を行い,比較を行った。マルテンサイトの形態や微視組織については,光学顕微鏡およびTEMを用いて観察を行った。光顕観察にはエメリー紙およびダイヤモンド懸濁水溶液による研磨後,ピロ亜硫酸ナトリウム水溶液(ピロ亜硫酸ナトリウム:水=1:4(体積比))で60 s間腐食した試料を用いた。TEM観察についてはJEOL社製のJEM-3200FSK(加速電圧:300 kV)を用い,明視野TEM法(BF-TEM:Bright-field-TEM)により転位組織の観察を行った。

Table 1. Chemical composition of 18%Ni steel employed in this study. (mass%)

C N Si Mn P S Ni Fe
<0.0005 0.0013 <0.01 <0.01 <0.005 <0.0007 17.85 Bal.

上記の焼入材および5%冷延材について,インストロン型試験機(島津製作所AG-100 kNXplus)を用いて引張試験およびリラクセーション試験を行った。クロスヘッドスピードを3 mm/min(初期ひずみ速度:8.3×10-4 /s)とし,試験温度を室温(293±2 K),試験片には平行部長さ60 mm,幅12.5 mm,厚さ1 mmの板状試験片(JIS13B)を用いた。リラクセーション試験においては,クロスヘッドスピード3 mm/minで所定の初期応力(85,170,255,340 MPa)まで引張応力を負荷し,クロスヘッドを停止させた状態での応力の変化を測定した。最大の保持時間を300 sとし,その後,初期応力まで再度負荷し,クロスヘッドを停止させて保持した。その際の保持時間は200 sとした。3回目も2回目と同様の条件で実施した。なお,リラクセーション試験では試験機の剛性の影響を受けることが報告されている9)ため,本研究では平行部の十分長い試験片を用いることで試験機の剛性の影響をできる限り小さくするように考慮した。

上記の各種試料について,X線ラインプロファイル解析であるmodified Williamson-Hall/modified Warrant-Averbach(mWH/mWA)法により転位密度および転位分布状態の解析を行った。その際,測定試料の表面における湿式研磨による加工層の影響を除去するため,リン酸クロム酸水溶液を用いて最低でも50 µmの電解研磨を行った10)。X線回折測定では線源としてCu-Kα1(波長:0.15405 nm)を使用し,0.8°/minの速度で検出器を回転させて40 kV-40 mAの条件で測定を行った。得られたX線ラインプロファイルは装置由来の影響を含んでいるため,Voigt関数を利用した補正法11)によりその影響を除去した。なお,その補正には90%の冷間圧延を施したのち1173 Kで3.6 ksの再結晶後に炉冷した純鉄を転位密度が十分低い標準材として用いた。詳細な解析手法の説明は文献8,12,13,14)に記されている。

2・2 可動転位密度の導出

リラクセーション試験の初期応力をσ1とし,一定時間保持後に応力がσ2に低下したと仮定する(Fig.1)。σ1とσ2における弾性ひずみをそれぞれε1e,ε2eとすると,Eをヤング率としてフックの法則により各応力は以下のように表される。

  
σ 1 = E ε 1 e (1)
  
σ 2 = E ε 2 e (2)
Fig. 1.

Schematic drawing showing stress relaxation behavior at elastic region.

したがって,リラクセーション試験による応力低下量を∆σ(=σ1-σ2),塑性ひずみ量を∆ε(=ε1e-ε2e)とおくと,

  
Δ σ = E ( ε 1 e ε 2 e ) = E Δ ε (3)

と表せる。ここで塑性ひずみ∆εは,Orowanの式15)を用いて,可動転位密度ρm,転位の平均移動距離x,バーガースベクトルの大きさb,およびテイラー因子Mの関数として次式で与えられる。

  
Δε= ρ m b x /M (4)

さらに式(3)(4)より,以下の関係式が得られる。

  
Δσ=E ρ m b x /M (5)

つまり,リラクセーション試験によって測定される応力低下量∆σが,リラクセーション開始時の可動転位密度ρmとそれらがリラクセーション中に運動した距離xの関数で与えられることになる。ここで,共振法により測定したFe-18%Ni合金のヤング率E=175 GPa,バーガースベクトルの大きさb=0.25 nmおよびテイラー因子M=2の値を代入することにより,

  
Δσ=2.2× 10 -5 ρ m x (6)

が得られる。本研究では,式(6)における∆σの値として種々の初期応力で300 s間保持したときの応力低下量の値を採用し,マルテンサイト中の転位組織をTEM観察することでxを見積もることで可動転位密度ρmの算出を試みた。

3. 結果および考察

3・1 Fe-18%Ni合金におけるマルテンサイト組織

Fig.2に18%Niマルテンサイト鋼の焼入材(a)および5%冷延材(b)の光顕組織とX線回折結果(c)を示す。この極低炭素マルテンサイト鋼の組織は,ブロックやパケットが低炭素マルテンサイト鋼16)よりも相対的に大きく,特徴的なラスマルテンサイト組織を呈している。5%冷延材における圧延方向への組織の伸長は,ほとんど確認できない程度である。ビッカース硬さについても両試料間で大差はなく,焼入材で232 HV,5%冷延材で237 HVであった。また,X線回折の結果から両試料ともBCC由来のピークのみが確認され,残留オーステナイトは確認できない。Fig.2(c)に示したX線ラインプロファイルを用いて,mWH/mWA法により得られた転位密度およびM値(転位配列パラメータ)をFig.3(a)に示す。測定された転位密度は,焼入材,5%冷延材でそれぞれ2.3×1015 /m2,1.9×1015 /m2であり,測定誤差を考慮すると冷間圧延に伴う転位密度の変化はほとんどない。それに対して,M値は両者で大きくことなり,焼入材で約2.5と大きな値を示しているが,冷延材では著しく低下し,1以下の値が得られている。M値とは転位のひずみ場の大きさを転位間の平均距離で規格化した,転位間の相互作用を表す無次元パラメータであり17,18),その値が1より小さい場合は転位間の相互作用が強く,転位同士のひずみを打ち消すように配列している状態を表し,1より大きい場合,転位同士の相互作用が弱く,転位が比較的均一に分布していることを表すと考えられている18)。つまりFig.3(a)の結果は,マルテンサイト中の転位の総数は冷間圧延によっても大きな変化を生じないが,その分布が均一の状態から,互いにタングルした不均一な状態に再配列することで,転位のひずみ場を打ち消すように変化したと解釈できる。このように予想された転位組織の変化を実際に確認するため,薄膜試料を作製しTEM観察を行った。Fig.4に焼入材(a)および5%冷延材(b)のBF-TEM写真を示す。焼入材では一本一本の転位が明瞭に識別可能であり,かつそれらがほぼ等間隔に分布していることがわかる。これはM値が1以上である場合のランダム分布に近いと言える19)。一方,5%冷延材のTEM組織では,転位同士が局所的に偏在した転位セル壁が観察され,セル内部では転位がほとんど存在しない状態になっていることが確認される。この観察結果はM値が1以下であった事実とも合致する19)

Fig. 2.

Optical micrographs of (a) as-quenched and (b) 5% cold-rolled 18%Ni martensitic steels, and (c) results of X-ray diffraction analyses for these materials.

Fig. 3.

Dislocation densities and M-values (a) before and (b) after stress relaxation tests in as-quenched and 5%-cold-rolled 18%Ni martensitic steels.

Fig. 4.

BF-TEM images of the (a) as-quenched and (b) 5%-cold-rolled 18%Ni martensitic steels.

3・2 Fe-18%Ni合金の応力-ひずみ曲線

弾性限付近での変形挙動を明確にし,リラクセーション試験の条件を決定することを目的として,まず各試料の引張試験を行った。Fig.5(a)に各試料の公称応力-公称ひずみ曲線を,Fig.5(b)に弾性限近傍の拡大図を示す。図中の点線は共振法20)により測定したFe-18%Ni合金のヤング率(175 GPa)に対応する直線である。焼入材では焼入れマルテンサイト特有の連続降伏挙動を示していることがわかる。ヤング率に対応する直線から応力-ひずみ曲線が外れる点を弾性限とすると,焼入材の弾性限は255 MPaであった。塑性変形開始後に非常に大きな流動応力の上昇が生じており,約0.025のひずみで最大応力の720 MPaに達している。同様の傾向は本研究で使用したFe-18%Ni合金に限らず,その他のマルテンサイト鋼においても報告されている21,22)。一方,5%冷延材では焼入材と比べて弾性限が上昇しており,TD圧延材では435 MPa,VD圧延材では355 MPaの弾性限が得られている。圧延方向の影響に着目すると,圧延方向を引張方向と平行にした方(TD圧延材)が,引張方向と垂直に圧延するよりも弾性限の上昇が顕著に生じた。TD圧延材において,塑性変形開始後の流動応力の上昇は焼入材よりも急激に生じており,焼入材よりも大幅に低い約0.012のひずみで最大応力の730~750 MPaに達している。以上の結果から,リラクセーション試験を実施する負荷応力は,最も低い弾性限を示した焼入材における255 MPa以下の値で実施することとした。

Fig. 5.

Nominal stress–strain curves of the (a) as-quenched and 5%-cold-rolled 18%Ni martensitic steels and (b) enlarged view near the elastic limit. Different rolling directions were adopted: TD: tensile direction, VD: vertical direction.

3・3 焼入れしたFe-18%Ni合金のリラクセーション挙動

Fig.6 に初期応力を85,170,255 MPaと変化させた焼入材におけるリラクセーション試験結果を示している。グラフの横軸はクロスヘッドを停止してからの経過時間,縦軸は試験開始からの応力低下量を表している。300 s後の応力低下量を∆σとすると,初期応力の85,170,255 MPaに対して∆σはそれぞれ7.1,12.6,17.4 MPaであり,初期応力の増加に伴い塑性変形に起因したリラクセーションが促進されていることがわかる。この傾向は,応力が増大するほど運動できる転位の数が増加することを示しており,焼入れマルテンサイト中の可動転位密度には応力依存性があると言える。また,リラクセーションによる応力低下は時間に対して直線的ではなく,試験開始時に急激に低下したのち,徐々に応力低下が緩やかとなっていくことがわかる。この理由としては,リラクセーション開始時に運動した可動転位が次第に他の転位と相互作用を生じて不動化したり,ラス境界・ブロック境界などの障壁に衝突して運動が阻止されることなどが考えられる。一方,リラクセーションの繰り返しに伴う応力低下量が顕著に減少していくこともわかる。例えば初期応力255 MPaの場合,1回目の試験における応力低下量が17.4 MPaであるのに対し,2回目は約70%減の5.0 MPa,3回目は約90%減の2.3 MPaにまで減少する。これはリラクセーションの繰り返しに伴い,転位の状態や性質が大きく変化していくことを示唆している。Fig.3(b)に初期応力85,170,255 MPaのリラクセーション試験後に測定した転位密度およびM値をそれぞれ示す。まず転位密度については,測定値のばらつきを考慮すると有意な差は生じていない。それに対してM値については,リラクセーション試験後に減少傾向を示した。これは,リラクセーション中に可動転位が安定配置へ移動したり,一部が相互作用を生じた結果,不動化が進行したりしたと理解される。

Fig. 6.

Stress relaxation behaviors of the as-quenched 18%Ni martensitic steel with initial stresses of 85, 170, and 255 MPa.

3・4 リラクセーション挙動に及ぼす冷間圧延の影響

Fig.7は,前掲Fig.6の初期応力255 MPaで実施した焼入材の実験結果に,5%冷延材のリラクセーション試験結果を重ねて示したものである。焼入材に比べると5%冷延材では応力低下が明らかに抑制されている。この結果は,冷間圧延(Fig.4)によって転位の絡み合いが生じてセル化し,255 MPaの応力下で運動できる可動転位の数が減少したことを意味している。また,圧延方向の影響に着目すると,TD圧延材では∆σが11.6 MPa,VD圧延材では13.8 MPaと測定され,引張方向へ圧延した方(TD圧延材)がよりリラクセーションが抑制されることがわかった。このように圧延方向に依存してリラクセーション挙動が変化する理由については,リラクセーション試験時に活動するすべり面と圧延加工時に活動するすべり面の共通性に関係があるように思われる。すなわち,圧延方向と同一方向に応力を負荷すると,両変形において共通するすべり面が多く活動すると考えられ,リラクセーションに寄与する可動転位が圧延段階でほとんど不動化する考えられる。それに対して,圧延方向と垂直方向へ応力を負荷すると(VD圧延材),異なるすべり系も活動を開始すると考えられるため,リラクセーションに寄与する可動転位が相対的により多く残っていたと考えられる。また,上記のすべり面の共通性は,リラクセーション試験についても同様のことが言える。1回目のリラクセーション試験と2回目のリラクセーション試験では基本的にすべり系が一致していると考えられるため,1回目による2回目のリラクセーションの抑制効果(Fig.7中の矢印B)は,圧延加工による効果(Fig.7中の矢印Aは)に比べて著しく大きいことも理解できる。また,5%冷間圧延材のM値については,リラクセーション試験後にわずかではあるが減少傾向が示された(Fig.3(b))。

Fig. 7.

Stress relaxation behaviors of the as-quenched and 5%-cold-rolled 18%Ni martensitic steels. Different rolling directions were adopted: TD: tensile direction, VD: vertical direction.

前述したようにリラクセーションを起こしやすい材料ほど弾性限が低いことや,1回目のリラクセーションによりその後のリラクセーションが著しく抑制されたことを考慮すると,リラクセーション試験自体が弾性限の上昇に有効ではないかと推察される。そこで初期応力255 MPaで300 sのリラクセーション試験を行った焼入材に対して引張試験を行った。引張試験により得られた応力-ひずみ曲線(Fig.8)より,リラクセーション試験後には弾性限が295 MPaまで上昇していることが確認された。しかし,その上昇量は高々40 MPa程度であり,5%冷延(TD)による弾性限の上昇量である180 MPaに比べるとかなり小さい。そこでさらに初期応力を340 MPaまで高めてリラクセーション試験を行い,その後同様に引張試験を行ったところ,やはり弾性限は初期応力のわずか上の345 MPaまでしか上昇しなかった。これらの結果から推察されることは,リラクセーション試験により可動転位の制御を行おうとする場合,負荷した応力下で運動できる可動転位のみに対して不動化させる効果が発現するが,それ以上の応力で運動可能となる転位に対しては不動化させる効果は現れないということになる。

Fig. 8.

Enlarged view near the elastic limit in the nominal stress–strain curves before and after the stress relaxation tests with different initial stresses in the as-quenched 18%Ni martensitic steel.

3・5 リラクセーション試験を用いた可動転位密度の定量評価

式(6)より,∆σ,ρm,可動転位が運動した平均距離xの関係がわかっている。したがって,試験で得られる∆σに加えて,xを見積もることができればρmを算出することが可能となる。式(6)に基づき,∆σ,x,ρmの関係を図式化した結果をFig.9に示す。各試料におけるxを見積もるため,TEMによる転位組織の観察結果(Fig.4)からおおよその値を読み取ることを試みた。まず焼入材については,既述のラインプロファイル解析(Fig.3)の結果から比較的ランダムな転位分布を有していると判断されることから,転位の均一(等間隔)分散を仮定する。その場合,転位間の平均間隔λは総転位密度ρの関数として式(7)で与えられる23)

  
λ = 1.128 / ρ (7)
Fig. 9.

Relationship between the stress relaxation and average dislocation movement distance of the as-quenched and 5%-cold-rolled materials. The initial stresses for the stress relaxation tests were 85, 170, 255 MPa, and the holding time was 300 s.

焼入材ではFig.3においてρが2.3×1015 /m2と与えられているので,転位間距離は式(7)よりλ=23 nmと算出される。可動転位が運動する際,隣接する他の転位と接すると転位同士の相互作用が生じて運動が止められると考えれば,上記の転位間距離が焼入材における可動転位の1回の運動距離(x)に対応すると推定できる。そこで,x=23 nmとして式(6)よりρmを推定すると,初期応力が85,170,255 MPaのときにρmはそれぞれ1.4×1013,2.5×1013,3.5×1013 /m2と算出され,応力の増加に伴い可動転位密度が増加することが定量的に示された。一方,5%冷延材は転位セルを形成しており,転位密度の低いセル内部では転位が他の転位の影響を受けずに運動できると考えられる。そこで5%冷延材では可動転位の移動距離をセルサイズと仮定し,TEM写真よりおよそ100 nmと見積もった。Fig.9より,xが大きくなるとρmは減少する傾向にあり,TD圧延材ではρm=5.3×1012 /m2,VD圧延材ではρm=6.3×1012 /m2と算出された。わずか5%の冷間圧延によって可動転位密度が1/10程度にまで減少すること,また引張方向へ圧延する方がよりρmが小さくなることがわかる。このように,5%の冷間圧延によりρmが減少したことが弾性限上昇の一因になり得ると考えられる。弾性限に及ぼす可動転位の影響を明確に示すために,初期応力255 MPaでのリラクセーション試験から推定された可動転位密度に対してFig.5(b)で得られた弾性限をプロットした結果をFig.10に示す。定性的には,可動転位密度が大きくなるほど,弾性限が低くなることが読み取れる。ただしここで注意すべき点は,上記の方法で求めたρmは試験片の平行部の内部で均等に可動転位が運動した場合が前提となっている。しかしマクロには試験片の肩部などの応力集中サイトで優先的に可動転位の運動が起こるであろうし,ミクロには緒言でも述べたようなブロックごとの転位運動の差異もあると推察される。可動転位運動の不均一性については今後の課題である。

Fig. 10.

Relation between elastic limit and mobile dislocation density estimated from relaxation tests at an initial applied stress of 255 MPa in as-quenched and 5% cold-rolled 18%Ni martensitic steels. Different rolling directions were adopted; TD: tensile direction, VD: vertical direction.

4. 結論

極低炭素マルテンサイト鋼の低弾性限に及ぼす可動転位の役割を明らかにするため,18%Niマルテンサイト鋼に対して弾性域でのリラクセーション試験を実施し,可動転位密度ρmの評価,ならびにそれに及ぼす冷間圧延や初期負荷応力の影響について検討を行った結果,以下の知見を得た。

(1)焼入れマルテンサイトに弾性域で引張応力を負荷して保持すると,可動転位の運動によって塑性ひずみが生まれ,時間の経過とともに著しい応力低下を生じる。それによって転位密度には変化は生じないが,転位の分布は均一分散から安定な配置への変化が進行すると考えられる。

(2)リラクセーション試験における応力低下量は,負荷応力の条件下で運動可能な可動転位密度ρmに依存する。初期応力が高いほどρmは大きくなり,応力低下量も大きくなる。

(3)冷間圧延により転位の絡み合い,または不動化が生じると,リラクセーションが抑制されるため弾性限が顕著に上昇する。

(4)リラクセーション試験における応力低下量とTEMで見積もられる転位の移動距離xの関係から,ρmを定量的に評価することができる。5%冷延材は焼入材と比べてρmが1/10程度であり,圧延に伴う可動転位の減少が弾性限上昇の要因であると考えられる。

謝辞

本研究の一部は九州大学超顕微解析研究センターの支援のもと実施されました。心より感謝申し上げます。

文献
 
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