2024 Volume 110 Issue 3 Pages 241-251
A Fe-0.15C-5Mn-0.5Si-0.05Nb medium Mn steel annealed at 660°C and 685°C both exhibited inhomogeneous deformation with Lüders deformation and extremely high work hardening rates, but with different Lüders strain and work hardening behavior. In-situ neutron diffraction measurements during tensile test were performed to investigate changes in the phase stresses and in the contributed stresses to the strength of the constituent phases, and crystal orientation of austenite. The role of each constituent phase in the deformation and the effect of crystallographic orientation on austenite stability were discussed. Deformation induced martensite showed excellent phase stress and contributed to the strength approximately 1000 MPa, which is close to macroscopic tensile strength. Although austenite contributed less to the strength, but during Lüders deformation and work hardening stage, it continuously transformed to martensite as the deformation progressed, suggesting that it mainly contributed to the ductility of the steels through a transformation induced plasticity effect. Austenite transformed to martensite in all crystallographic orientations during Lüders deformation, but there was a tendency for more <311> austenite grains parallel to the tensile direction to remain.
Millerによって提唱された中Mn鋼1)は非常に高い引張強度と優れた全伸びを示すことから,次世代の先進高強度鋼板として期待されている。中Mn鋼は3~10 mass%程度のMnを含み,非常に微細なBCC構造の母相フェライト(α)と準安定なFCC構造のオーステナイト(γ)から構成される1,2,3,4)。この準安定なγは変形中に加工誘起マルテンサイト(α’)となることで,変態誘起塑性(Transformation induced plasticity: TRIP)効果5,6)を発現し,鋼の延性を改善する。TRIP効果の発現には変形に対するγの相安定性が重要であることが知られており,TRIP効果を活用した代表的な鋼である低合金TRIP鋼の場合では,γの相安定性に対する試験温度7,8,9),炭素濃度10,11)やγの存在位置・形態12,13)および結晶方位8,14,15,16)の影響について報告がなされている。中Mn鋼においてもγの相安定性は重要視されており,その相安定性に影響する因子について検討がなされてきた。中Mn鋼の場合では,冷間圧延後にα+γ二相域における焼鈍でγ中にMnを濃化させてその相安定性を高めている1,17)が,焼鈍温度によって中Mn鋼の機械的特性が大きく変化することが知られている1,2,17,18,19)。焼鈍温度がα+γ二相域の比較的低温側(例えば5 mass%のMnを含む鋼の場合,600°C~650°C程度の範囲)では,大きなリューダース伸び(10%ひずみ以上)と全伸びを示すが,加工硬化は小さい。一方で,α+γ二相域の比較的高温側(5 mass%のMnを含む鋼では660°C~690°C程度の範囲)で熱処理を施すと,リューダース伸びと全伸びは減少するが,非常に高い引張強度と加工硬化を示す。この変形挙動の差異にはγの相安定性が関連していることが指摘されている17,18)。焼鈍温度がα+γ二相域の比較的低温側ほどγ分率は減少し,比較的高温側ではγ分率は増加する。このとき,γ中のMn濃度はγ量の増大に伴い減少する17,18,20)。すなわち,焼鈍温度が高い方がγの相安定性は低く,加工誘起α’の生成量は増加する。比較的低温側で焼鈍された中Mn鋼は大きなリューダース伸びを伴う不均一な変形挙動を示すため,デジタル画像相関(Digital image correlation:DIC)法による試験片表面の巨視的なひずみ分布測定2,19,21,22,23)や赤外線サーモグラフィを用いた試験片表面の温度計測18),放射光X線23,24,25,26)や中性子線27)を用いた引張変形中その場観察など様々な手法でその不均一変形挙動と加工誘起変態の関係を解明する試みがなされている。放射光X線を用いたその場観察により,リューダース変形が通過するとγの格子ひずみ分布と相分率は減少することが多数報告されている24,25)。しかし,リューダース変形中の相間における応力分配挙動に関する報告や加工誘起α’の相応力に関する報告は限られており26,27,28),中Mn鋼における加工誘起α’の変形挙動は明確でない。加えて,比較的高温側で焼鈍を行い,γの相安定性を低下させた場合に生じる高い引張強度と加工硬化に対する各構成相の役割やγの安定性に対する結晶方位の影響は不明である。
引張変形中その場中性子回折は,各構成相の応力や相分率,結晶方位の変化を同時に評価可能な手法である。低合金TRIP鋼では,αとγだけでなく,加工誘起α’の相応力も推定されている13,14,29,30)。そこで本研究では,中Mn鋼に対してα+γ二相域の比較的高温側で焼鈍を行い,相安定性の低いγを多く残存させた鋼を作製した。その鋼を引張変形中その場中性子回折試験に供することで,変形中の各構成相の役割の明確化とγの相安定性に対する結晶方位の影響の評価を試みた。その際,リューダース帯やPortevin-Le Chatelier(PLC)帯の形成を伴う不均一な変形を呈する可能性があるため,DIC法による試験片表面のひずみ分布測定を併せて実施した。
供試鋼は0.15C-0.44Si-4.95Mn-0.046Nb鋼(in mass%)である。冷間圧延後,700°Cで120 s間保持した後に空冷し,α+α’の二相鋼とした板材に対して,660°Cと685°Cで30 min間のα+γ二相域焼鈍を行った後に空冷した。以下では,各温度の二相域焼鈍から得た試料をそれぞれHT660およびHT685と呼称する。熱処理後の板材からワイヤカット放電加工機を用いて引張試験片および短冊形の組織観察用試験片を採取した。組織観察は試料圧延方向(Rolling direction: RD)に対して垂直な面(RD面)に対して実施した。組織観察用試験片のRD面を耐水研磨紙(#240~#4000)で研磨した後に,-15°Cに保持した過塩素酸エタノール(過塩素酸:エタノール=1:9)を用いて電圧33 Vで30 s間の電解研磨を実施した。研磨後の試料RD面を電子線後方散乱回折(Electron backscattered diffraction: EBSD)法によって観察した。EBSD測定の条件は,加速電圧を15 kV,観察視野サイズを10 µm×10 µm,ステップサイズを0.05 µmとした。信頼性指数(Confidence index: CI)の値が0.05以下の点はノイズとして除外した。
2・2 引張変形中その場中性子回折引張変形中その場中性子回折引張変形中その場中性子回折実験は大強度陽子加速器施設(J-PARC)内の物質・生命科学実験施設(MLF)のBL-19に設置された飛行時間型中性子回折を用いた工学材料回折装置である「匠」31)で実施した。引張試験片としてFig.1(a)に示す平行部長25 mm,平行部幅4 mm,板厚1.3 mmの平板試験片を使用した。Fig.1(b)に匠の装置レイアウトに関する模式図を示す。匠は入射中性子ビームに対して±90°の位置に検出器を配している。引張試験片を入射中性子ビームに対して45°方向に配置することで,引張軸方向に対して平行な方向(Axial)と垂直な方向(Transverse)の格子面間隔の変化を測定できる。本研究では,試料RDと試料板厚方向(Normal direction: ND)に平行な格子面間隔の変化を測定した。5 mm高×5 mm幅のスリットと5 mm幅のラジアルコリメータを用いて入射中性子サイズと検出器視野を規定し,観察領域のサイズを125 mm3の範囲に制限した。なお,試験片サイズと配置により,実際の中性子回折領域の体積はおおよそ4 mm×1.3 mm×
Geometry of tensile test specimen used in this study (a) and schematic illustration of experimental setups of the TAKUMI instrument (b). (Online version in color.)
得られた中性子回折の測定データはリートベルト解析ソフトウェア「Z-Rietveld」32)を用いて解析した。解析に際してα’はブロードなピークを有するαよりも格子定数の大きなBCC相として取り扱った。また,α’は加工誘起変態により生じるため,γ相分率の低下が確認された解析点以降はα’が存在しているとして解析した。各構成相の相分率は,リートベルト法によって引張軸方向と板厚方向に平行な方向のデータ(AxialおよびTransverse)をそれぞれ解析し,その平均値を各解析点の相分率とした。各構成相の任意のhkl結晶粒群の格子面間隔はシングルピークフィッティング法によって得た。得られた格子面間隔を基に任意のhkl結晶粒群における引張軸方向に平行な方向の格子ひずみ(
(1) |
ここで,dihklは変形中のhkl格子面間隔であり,di,0hklは変形前のhkl格子面間隔である。iはα,γまたはα’を表しており,11は引張軸方向に対して平行な方向を意味している。相応力はHookeの法則に基づいて,平均格子ひずみ(相ひずみ)を用いて評価することができる。相ひずみは多くの場合,リートベルト法やポーリー法によって求められるが,変形中の粒間応力の影響を無視することが困難な場合がある。そこで本研究では,
(2) |
(3) |
ここで,Ei211はαまたはα’の回折弾性定数であり,Eγ311はγの回折弾性定数である。実際に解析に用いた回折弾性定数の値は弾性域における印加応力と
Steel | Eα211 | Eγ311 |
---|---|---|
HT660 | 166774 | 155366 |
HT685 | 170562 | 152399 |
上述のように各構成相の格子面間隔から相応力を導出できるが,変形前の微視組織中に加工誘起α’は存在していないため,変形前のピークプロファイルから
(4) |
ここで,fi(i=α, γ, α’)は相分率であり,σappは印加真応力である。fiはリートベルト法を用いたピークプロファイル解析から,σα,11とσγ,11は式(2)および式(3)から,σappは巨視的な応力-ひずみ曲線からそれぞれ求めることが可能な値である。したがって,dα',0hklは式(1),式(2),式(4)を組み合わせることで以下のように表される。
(5) |
本研究では各解析点において
Fig.2にHT660およびHT685の相マップにImage quality(IQ)マップを重ね合わせた図を示す。相マップから得られたHT660およびHT685のγ相分率はそれぞれ24.2%と9.0%であった。両鋼ともに2 µm以下の非常に微細なαとγから構成されていた。一部のα粒ではIQ値の低い領域が存在していた。このような領域はα’であると示唆され,相安定性の低いγが変態した領域であると推察される。HT660の方がHT685と比較してγ相分率は高くIQ値の低い領域も少ないことから,HT660の方がHT685よりもγの相安定性は高いと予想される。
EBSD phase maps overlaid their image quality maps of (a) HT660 and (b) HT685. (Online version in color.)
Fig.3(a)および3(b)にHT660およびHT685の引張軸方向および板厚方向と平行な方向(AxialおよびTransverse)から得られた変形前の回折パターンをそれぞれ示す。変形前の回折パターンであるため,加工誘起α’は存在していない。各回折パターンから得られたHT660およびHT685のγ相分率はそれぞれ45.3%と47.7%であった。したがって,Fig.2(a)および2(b)で見られたIQ値の低い領域は,研磨による加工や試料表面へと露出したことで生じたα’であると考えられ,試料内部ではγとして存在していると示唆される。各鋼においてAxialとTransverseの回折パターンを比較するとAxialの110-αのピーク強度が高いことから,αは圧延集合組織を呈していたと示唆される。一方で,γはAxialとTransverse間で回折パターンの形にαのような顕著な差は見受けられなかったが,Axialでは111-γと200-γが,Transverseでは220-γが大きいことから,弱い圧延集合組織を有していたと示唆される。
Initial diffraction patterns for the direction parallel or perpendicular to loading direction (LD) of (a) HT660 and (b) HT685.
Fig.4(a)にHT660およびHT685の公称応力-公称ひずみ曲線を示す。降伏応力(0.2%耐力)はHT660では502 MPaであり,HT685では178 MPaであり,HT685は非常に低い降伏応力を有していた。いずれの鋼も巨視的な降伏後にリューダース変形を生じたが,HT685ではリューダース変形中においても公称応力の増大が見られた。リューダース変形後では,HT660では塑性変形中に複数回のセレーションが生じていたが,HT685ではそのようなセレーションは確認されなかった。HT660では引張強度へと到達後にネッキングを伴い破断したが,HT685では塑性不安定条件は満たしていたがほとんどネッキングせずに破断していた。Fig.4(b)および4(c)にHT660およびHT685の加工硬化率と真応力を真ひずみに対してプロットした結果を示す。両鋼ともにリューダース変形後では非常に高い加工硬化率を示した。このとき,リューダース変形直後から5%ひずみ程度までの領域ではHT685はHT660よりも高い加工硬化率を示した。HT660ではセレーションの発生に対応して加工硬化率の大きな変動が見られた。
Nominal stress vs. nominal strain curves of test steels (a) and work hardening rate and true stress vs. true strain curves of (b) HT660 and (c) HT685. (Online version in color.)
Fig.5(a)および5(b)にHT660の変形中の試験片表面におけるひずみ分布およびひずみ速度の変化についてその代表的な結果をまとめて示す。なお,ひずみ分布およびひずみ速度は引張軸に対して平行な方向(紙面横方向)のひずみ(εXX)とひずみ速度(dεXX)である。各図中に示した番号はFig.5(c)に示す公称応力-公称ひずみ曲線において各画像の取得位置の番号と対応している。リューダース変形を開始すると,Fig.5(a)およびFig.5(b)内の(2)~(4)に示すようにリューダース帯の伝播が確認された。Fig.5(c)に(5)で示したセレーションが生じたタイミングでは,Fig.5(b)の(5)のようにひずみ速度の局所的に高い領域が存在し,リューダース変形の進行方向とは逆方向に伝播していた。なお,Fig.5(b)の(5)は伝播が見られなくなる直前の状態である。この領域は3 s程度で試験片の端からもう一方の端まで伝播していた。この局所的にひずみ速度の高い領域はPLC帯と推察される。Fig.5(b)の(6)や(7)では,ひずみ速度が若干高い領域が試験片全体に分散していたが,このような領域が伝播していく様相は見受けられず,加工硬化が進んだ引張強度近傍では比較的均一に変形していたと示唆される。以上より,HT660ではリューダース変形およびPLC帯の形成を伴う不均一な変形が生じていたと考えられる。
(a) strain and (b) strain rate contour maps during tensile test of HT660. (c) nominal stress vs. nominal strain curves of HT660. The numbers in (a) and (b) correspond to the hollowed circles in (c). (Online version in color.)
Fig.6(a)および6(b)にHT685の引張軸方向に沿った変形中の試験片表面のひずみ(εXX)とひずみ速度(dεXX)の分布の変化を示す。Fig.6(c)にはHT685の公称応力-公称ひずみ曲線とFig.6(a)および6(b)に示した番号に対応した点のプロットを示す。降伏後,Fig.6(a)および6(b)の(2)~(4)に示すようにリューダース帯の伝播が生じていた。このとき,Fig.6(a)において黒矢印で示すようにリューダースフロントよりも後ろ側においてひずみが高くなっている領域がおおよそ等間隔で存在していた。リューダースフロント近傍以外においても変形が生じることで,リューダース変形中においても応力の増大が生じたと予想される。リューダース変形の伝播後から破断するまでの範囲で,Fig.5(b)の(5)に示すようなひずみ速度が局所的に高くなっている領域が伝播していく様相は観察されなかった。一部の中Mn鋼では,PLC帯のような局所変形帯の形成に伴い,α’変態が局所的に生じることが報告されている35)。HT685におけるγの相安定性は後のセクションで議論するがHT660と比較して低いと予想されるため,加工誘起α’変態は試験片平行部の至るところで生じることができると考えられる。そのため,局所的なα’変態となり難いために,PLC帯の形成や伝播,公称応力-公称ひずみ曲線における瞬間的な応力低下は見受けられなかったと示唆される。したがって,HT685では,リューダース変形を伴う不均一な変形は生じるが,リューダース変形の伝播後ではHT660と比較して均一な変形を呈すると考えられる。
(a) strain and (b) strain rate contour maps during tensile test of HT685. (c) nominal stress vs. nominal strain curves of HT685. The numbers in (a) and (b) correspond to the hollowed circles in (c). (Online version in color.)
降伏応力,加工硬化率の大きさや変形挙動は残留γの変形に対する相安定性の影響を大きく受けると予想されることから,次のセクションにてγ相分率の結果と合わせて議論する。
3・3 変形中のγ相分率の変化Fig.7(a)および7(b)にHT660およびHT685のγ相分率の変化を付与真ひずみに対してプロットした結果をそれぞれ示す。各図中には付与真ひずみに対する真応力の変化も併せて示す。また,Fig.7(a)に示した一点鎖線はDIC解析においてPLC帯が形成したタイミングを表している。弾性域では両鋼ともにγ相分率の変化は生じていなかった。リューダース変形中にγ量の急激な減少が生じた。この急激な減少が生じ始めたひずみ量はFig.5(a)の(3)およびFig.6(a)の(3)とほぼ一致しており,リューダースフロントが試験片平行部の中心付近に存在していた。中性子の照射領域は平行部の中心であるため,リューダースフロントが中性子の照射領域に差し掛かった時,γ量の急激な変化が生じ始めたと示唆される。リューダース変形に伴い,多くのγが変態することはいくつもの報告がなされている4,21,23,24,25,27)。リューダース変形中に,HT660の場合では44.0%から9.3%まで,HT685の場合では46.7%から12.0%までそれぞれγ相分率は低下した。リューダース変形の伝播後,HT660では3%ひずみ程度までγ相分率の顕著な変化は確認されなかったが,3%ひずみ以降では付与真ひずみに対して直線的にγ相分率は減少し,10%ひずみ付近でほぼゼロとなった。一部の中Mn鋼では,PLC帯の伝播によってγ量が減少する事例も報告されている35)。しかし,本研究ではPLC帯の伝播では明瞭なγ量の変化は確認されなかった。HT685では,リューダース変形の伝播直後から6%ひずみ程度まで付与真ひずみに対して直線的にγ相分率が低下し,6%ひずみでほぼゼロとなった。リューダース変形後におけるγ量はHT660の方がHT685よりも小さな値を示したが,HT660では変形の後期までγが残存していることから,γの変形に対する安定性はHT660の方がHT685よりも高いと示唆される。安定性の低いγを有するHT685では比較的低い応力でγの加工誘起変態を生じたと考えられる。γの加工誘起変態が巨視的な降伏のきっかけをもたらしたとすれば,HT685の非常に低い降伏応力はγの加工誘起変態が容易に生じたためであると予想される。しかし,中性子の照射領域はリューダース変形の開始点からずれた位置であるため,γの相安定性と降伏応力の関係についてはより詳細な検討が必要である。HT685ではHT660よりも高い加工硬化率を示したが,これはγの変形に対する安定性が低いことが関連していると示唆される。γの相安定性が比較的低いHT685では多くのγが変形の初期段階(リューダース変形中から数%ひずみ程度の範囲)で変態したことで,硬質な加工誘起α’と母相α間で応力分配を生じることで,高い加工硬化能がもたらされた可能性が考えられる。この高い加工硬化能の発現機構については3・5節の各構成相の役割を評価することでより詳細な検討を行う。
Changes in phase fraction of γ of (a) HT660 and (b) HT685 plotted against applied true strain. (Online version in color.)
Fig.8(a)および8(b)にHT660の相応力と付与真ひずみの関係を示す。なお,Fig.8(b)はFig.8(a)の弾性域とリューダース変形の領域を拡大して示した図である。また,各図中において,白丸で表されたプロットは加工誘起α’量を表しており,黒実線は真応力-真ひずみ曲線である。弾性域では付与ひずみの増大に伴い,αおよびγの相応力は直線的に増加していた。降伏後,中性子の照射領域へとリューダース変形が伝播すると付与ひずみに対して加工誘起α’量の増大が生じた。このとき,αの相応力は増加し,γの相応力は減少していた。巨視的なリューダース変形の伝播後では,付与ひずみの増大に伴ってα,γ,α’のいずれの相応力も単調に増加していた。このとき,α’の相応力は他の相と比較して著しく増大していた。γ量がほぼゼロとなる10%ひずみ以降ではγの相応力の解析は困難となり,値にばらつきが生じていた。PLC帯に起因したセレーション前後で顕著な相応力の変化は確認されなかった。
Phase stresses of α, γ, and α’ of (a) HT660 and (c) HT685 with respect to applied true strain. Close-up view of (a) and (c) are shown in (b) and (d), respectively. (Online version in color.)
Fig.8(c)および8(d)にHT685の相応力の付与ひずみに対する変化を示す。なお,Fig.8(d)はFig.8(c)の弾性域とリューダース変形が生じた領域の拡大図である。HT685ではリューダース変形が中性子の照射領域に到達するまでの間でもαおよびγの相応力はHT660とは異なりわずかに付与ひずみに対して増加していた。リューダース変形が中性子の照射領域に到達すると,HT660と同様に付与ひずみの増加とともにαの相応力は増加し,γの相応力は減少していた。このとき,α’の相応力はαよりも低いが,この原因については3・5節で述べる。巨視的なリューダース変形後では,付与ひずみに対してαおよびα’の相応力は単調に増加しており,特にα’の相応力は非常に高い値を示した。その一方で,γの相応力は他の相と比較してわずかな増加を示した。また,付与ひずみ6%以上ではγ量がほぼゼロとなったことで,解析が困難となり相応力の値には大きなばらつきが生じていた。
HT660およびHT685のいずれの鋼もリューダース変形中にαとγ間で応力分配が生じていたが,このとき,αは硬質相,γは軟質相としてふるまうと示唆された。Zhangら24)は0.1C-10Mn鋼に対して放射光X線マッピング測定によってリューダースフロントの前後におけるγの格子ひずみを測定した結果,リューダース変形の伝播によりγの格子ひずみは減少することを報告している。Hojoらは0.1C-5Mn鋼の変形中のαとγの格子ひずみの変化を放射光X線による引張変形中その場観察によって調査し,リューダース変形中ではαの格子ひずみは増大し,γの格子ひずみは減少することを報告している25)。本研究のようなγの相安定性が比較的低い中Mn鋼においても,リューダース変形中の相応力の変化は過去の知見と同様であると考えられる。そして,γは低合金TRIP鋼30)とは異なり変形中に強度にほとんど寄与していないと推察される。また,両鋼ともにα’はαと比較して非常に高い相応力を有していたことから,高い引張強度と加工硬化率は加工誘起α’の寄与が大きいと示唆される。
3・5 各構成相の変形中の役割各構成相の担う応力(σicont=fi∙σi,11,i=α,γ,α')は相応力σiを各相の相分率fiで重み付けすることで評価できる。Fig.9にHT660およびHT685の各構成相の担う強度を付与ひずみに対してプロットした結果を示す。なお,各付与ひずみの解析点において,各構成相のバーの占めている領域が各構成相の担う応力の大きさを表している。Fig.9(a)に示すHT660では,リューダース変形の開始後にσαcontとσγcontは同程度の値を示した。中性子の照射領域をリューダース変形が伝播するとσαcontとσα'contは増加し,σγcontは減少した。リューダース変形が通過するとγの担っていた強度をα’が担うようになったと示唆される。リューダース変形後では,σγcontはわずかに増大したが,変形中に徐々に減少し,10%ひずみ以降はほぼゼロとなった。σαcontはリューダース変形直後では334 MPa程度であったが,付与ひずみの増大とともに徐々にその値は増加し,引張強度付近ではαは533 MPa程度の強度を担っていた。σα'contはリューダース変形直後では211 MPa程度であったが,付与ひずみが増加すると著しくその値は増加し,引張強度付近では1030 MPaと非常に高い値を示した。Fig.9(b)に示すHT685では,リューダース変形が開始直後のσαcontとσγcontは同程度の値を示したが,中性子の照射領域をリューダース変形が通過するとσγcontはほぼゼロとなった。このとき,σαcontとσα'contの値は増加していたが,その和が印加応力を超えていた。Fig.8(d)に示すようにα’の相応力が低かったことを考慮するとαの相応力を高く見積もっていた可能性が考えられる。リューダース変形の終了直後におけるσαcontとσα'contの値はそれぞれ257 MPaと84 MPaであり,引張強度付近ではそれぞれ485 MPaと1031 MPaであった。HT660とHT685のいずれの鋼においても,リューダース変形後ではγの強度への寄与はほとんどなかったが,これは加工誘起変態によるγ相分率の減少とFig.8で見られた相応力の低下を生じたことに起因すると考えられる。HT660とHT685のσαcontとσα'contの値を比較すると引張強度付近ではほとんど差異はなかった。HT660とHT685の巨視的な引張強度はそれぞれ1402 MPaと1436 MPaでほとんど差がないことから,降伏強度や加工硬化挙動は異なるが,αとα’の担うことが可能な強度は同程度であったと考えられる。
Changes in fraction-weighted phase stresses of each constituent phases during tensile of (a) HT660 and (b) HT685. Those for α, γ, and α’ are colored with red, green, and blue, respectively. (Online version in color.)
α+α’二相鋼(dual phase鋼)では,軟質な母相αと硬質な加工誘起α’の間で応力分配によって内部応力場が生じることで高い加工硬化を発現する可能性が指摘されている36)。変形に対する安定性の低いγを多量に含有する本研究の鋼では,リューダース変形中に多くのγが加工誘起α’となり,リューダース変形の伝播後において比較的軟質な母相αと硬質な加工誘起α’の間で応力分配を生じたことで,非常に高い加工硬化率がもたらされたと推察される。そのため,γは直接強度に寄与しないが,早期に加工誘起α’となることで加工硬化の発現に寄与すると示唆される。HT660とHT685を比較すると,HT685に存在するγはより相安定性が低いため,HT660と比較して早期に加工誘起α’となり,リューダース変形直後の高い加工硬化率をもたらしたと考えられる。加えて,リューダース変形後でも残存したγは塑性変形中にひずみの増大とともに徐々に変態していたことから,γはTRIP効果の発現に寄与し,延性の改善をもたらしていると考えられる。
3・6 γ相安定性に対する結晶方位の影響引張軸方向に沿ったγの各hkl結晶粒群における回折ピークの相対積分強度比(
Fig.10(a)にHT660における引張軸方向に沿った
Changes in relative integrated intensities of γ in (a) HT660 and (b) HT685 plotted against applied true strain. (Online version in color.)
低合金TRIP鋼では引張軸方向に対して<111>が平行なγ(111-γ)が残存しやすい傾向にあることが報告されている8)。Harjoら15)やUejiら16)はこの111-γが他の方位と比較して残存する理由として,結晶方位に依存した弾性ひずみ分布の大小関係が影響していることを指摘しており,弾性的に規格化したシュミット因子で整理できることを報告している。中Mn鋼では,リューダース変形の伝播中に多くのγが変態し,引張軸に対して<311>が平行なγ(311-γ)が多く残存していたが,原因は不明である。リューダース変形中では帯状の変形組織が試験片の側縁に現れ,反対側へ伝播することが報告されている37)。そのため,リューダースフロントでは局所的には主応力の方向が単軸引張の場合とは異なる可能性が考えられるが,その詳細については引張軸方向だけでなく,試料TD方向やND方向のγの各回折ピークにおける相対積分強度比の変化を検討する必要がある。リューダース変形直後では,311-γが多く残存する原因の究明については今後の課題である。
本研究では,0.15C-5Mn鋼に対してα+γ二相域である660°Cおよび685°Cで焼鈍を施し,比較的相安定性の低いγを多く含有する鋼を作製した。その鋼を引張変形中その場中性子回折実験に供することで,変形中のγの相安定性と結晶方位の変化,応力分配挙動および各構成相の役割について検討した。得られた結論を以下にまとめる。
(1)HT660およびHT685のいずれの鋼もリューダース変形を伴う不均一な変形を示すとともに,非常に高い加工硬化率を有していた。
(2)両鋼ともにγの相安定性は低く,リューダース変形中にその多くが変態していた。リューダース変形の伝播後ではひずみの付与とともに徐々にγは変態し,引張強度に到達する前にほぼ全て加工誘起α’となっていた。
(3)いずれの鋼もリューダース変形を生じると相間で応力分配を生じ,αが硬質相,γは軟質相としてふるまっていた。リューダース変形後ではαとα’の相応力は変形の進行とともに単調に増加したが,γの相応力はほとんど変化しなかった。
(4)γは直接強度に寄与しないが,リューダース変形中にその多くが加工誘起α’となることで高い加工硬化率の発現をもたらしたと示唆される。また,リューダース変形後でも残存したγは変形中に徐々に変態することでTRIP効果の発現に寄与していたと推察される。
(5)リューダース変形の伝播直後では,γは方位によらず変態したが,引張軸に対して<311>が平行なγが比較的多く残存した。リューダース変形後では,方位によらず全てのγが変形の進行とともに加工誘起変態していた。
本研究成果は,日本学術振興会,科研費(21K14418),文部科学省データ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクト事業(JPMXP1122684766)の支援により得られたものである。ここに謝意を表する。その場中性子回折実験は日本原子力研究開発機構のJ-PARC内のMLFに設置されたBl-19「匠」(課題番号: 2019I0019)として実施された。