2024 Volume 110 Issue 3 Pages 130-142
Microstructure of martensite has variety in size of martensite blocks and mechanical properties, depending on transformation temperature in sequential martensite transformation. Transformation temperature and type of martensite (lath or butterfly) are known to depend on chemical composition, mainly carbon content of steels. In this paper, we used 0.2~0.8 mass%C steel to prepare two grade tensile strength steel (1500 MPa and 2000 MPa) after quenching and tempering. After tensile test of these steels, we investigated the microstructure, nano hardness distribution and deformation property by Kernel Average Misorientation (KAM) map of Electron Back Scattered Diffraction pattern analysis (EBSD). In microstructure, lath martensite size was refined by the increase of carbon content. But course butterfly martensite was also formed around the former austenite grain boundary in high carbon steel. Nano hardness was lower at the course lath martensite in low carbon steel and course butterfly martensite in high carbon steel. Deformation properties were evaluated by comparing KAM map at not deformed region and uniform elongation deformed region. In 1500 MPa grade steel, 0.2%C and 0.4%C steel deformed uniformly, but strain was concentrated at low KAM grains in 0.6%C carbon steel. In 2000 MPa grade steel, deformation was concentrated at low KAM grains even in 0.4%C steel. These results shows that mechanical properties and deformation properties of martensite is not uniform at the level of martensite blocks, even if macro strength is similar among steels with different chemical composition.
炭素鋼の焼入れマルテンサイト組織は,フェライト–パーライト組織との比較において均一な組織であり,機械構造用鋼などの機械特性が要求される構造物では焼入れ–焼戻し処理により均質な力学特性を発揮してきた。
しかし,鋼材強度への要求特性が高まりインラインでの焼入れマルテンサイト組織が幅広く活用されるに至り,マルテンサイト組織内の力学的な不均一性がクローズアップされてきた。例えば,低炭素の焼入れマルテンサイトは弾性限が低く連続降伏挙動を示すが,このモデルとして,マルテンサイト変態時の補足変形に起因する可動転位の影響や1),マルテンサイト組織の異方性に起因する内部応力の影響2,3)などが提案されている。さらにScanning Electron Microscope(SEM)- Electron Back Scattered Diffraction pattern analysis(EBSD)を活用したラスマルテンサイト組織のブロック単位での変形挙動や4),中性子回折を活用したマルテンサイト組織内での応力分配など5,6)も研究されており,マルテンサイトは不均一組織であるとの認識が広がっている。
マルテンサイトの不均一性を理解するためには,その組織形成から理解する必要がある。Tsuzaki and Maki7)は,0.0015C-18.3Ni鋼を異なる冷却速度で焼入れることで,ラスマルテンサイトのブロックサイズが変化することを示している。Moritoら8)は0.2C鋼と0.2C-2Mn鋼を用いてラスマルテンサイトの組織サイズとHall-Petch則の関係を調査し,マルテンサイトブロック幅が最も良い相関を示すことを示している。さらにMorsdorfら9)は0.13C-5.1Ni鋼を用いてラスマルテンサイト組織内の組織サイズとナノ硬さの関係を調査し,ラスマルテンサイトのラスサイズが微細であるほどナノ硬さが高く,またラス界面に近いほどナノ硬さが高いことを示している。
このようなマルテンサイト組織内の硬さ・機械特性に影響を与える因子として,特に低炭素マルテンサイト鋼においては,オートテンパーの影響が大きいことが報告されている。0.2%C程度の低炭素マルテンサイト鋼では,Ms点は673 K近傍となり,マルテンサイト変態後の冷却速度によってはセメンタイトが析出して機械特性を変化させうることが,熱処理鋼10)やインライン焼入れ鋼材11,12)で報告されている。
一方,中高炭素鋼や高合金鋼では,実用鋼の成分範囲であってもラスマルテンサイト以外にバタフライマルテンサイトも生成することがある。Hayashiら13)は0.61%Cの中炭素鋼で旧γ粒界に沿ってバタフライマルテンサイトが先行生成し,残部をラスマルテンサイトが占有することを示している。Sato and Zaefferer14)はFe-30%Niモデル鋼において,バタフライマルテンサイトはFCC側の界面に大きなひずみを発生させることを示している。このように,2種類のマルテンサイト組織が混在し,その界面にひずみが蓄積されることで,マルテンサイト組織の生成と変形挙動はさらに複雑化する。
マルテンサイト組織の不均一性の応用事例として,TRIP鋼板のオーステンパー処理15)や,Q&P処理16),DP鋼の二層域加熱処理17,18)など,積極的にマルテンサイト組織の不均一化・複相化を活用する事例も多く,炭素の拡散挙動の予測研究なども進んでいる19)。
並行して,マルテンサイト組織内の不均一性の解析技術も進んでいる。転位密度の測定ではTEM20)による測定に加えて,XRDでの転位密度測定の高度化21)や中性子回折を活用した手法22)も提案されている。また,不均一な組織の直接解析事例として,共焦点レーザー顕微鏡を用いたマルテンサイト変態の直接観察により,マルテンサイトブロック単位での変態タイミングと機械特性の関係を調査した事例も報告されている23,24)。また,マルテンサイトブロックの機械特性を評価する手法としてナノインデンテーションも活用されており,同一鋼材内でのブロックサイズとナノ硬さの関係9)や,炭素量の異なるマルテンサイト組織のナノ硬さの測定25,26)などが報告されている。
このように,マルテンサイト組織の不均一性は,マルテンサイト変態の開始から終了までの一連の組織形成における,変態組織サイズ・未変態領域サイズの影響や,変態温度の影響を受けていると考えられる。マルテンサイトの変態温度や,ラスマルテンサイト/バタフライマルテンサイトの選択には,鋼材成分,特にC量の影響が大きいことが知られている。しかし,従来のマルテンサイト組織内の不均一性の研究は,主に少数の鋼材について熱処理条件を変更した際の精緻な調査事例が多く,鋼材の化学組成,C量を大きく変化させて変形の不均一性を検討した事例は少ない。そこで本研究では,不均一変形研究会 マルテンサイトグループで作製した共通モデル鋼を使用し,焼入れ–焼戻し処理により同等強度に調整した異なるC量の鋼材について,マルテンサイト組織内の不均一性をナノ硬さ測定で,不均一組織を変形させた際のひずみ分布の不均一性をSEM-EBSD解析で,それぞれ調査した。
SEM-EBSDによる解析は,主にKernel Average Misorientation(KAM)mapを使用した。KAMはEBSD測定の隣接格子点間の結晶方位差の平均値であり,塑性ひずみ分布と対応関係があることが知られている27)。EBSD測定時の格子間隔を結晶粒径よりも十分小さくすることで,結晶粒内の塑性ひずみ分布の評価に使用されるパラメータである。局所の塑性ひずみ量の評価には,結晶粒平均の塑性ひずみ量の指標であるGrain Orientation Spread(GOS)の方が定量性に優れるとの報告もあるが28),本報では先行研究9,29,30)の多いKAMでの評価を採用した。
供試材には,「不均一変形組織と力学特性」研究会 マルテンサイトグループで作製した共通試験材を使用した。化学成分(mass%)をTable 1示す。これらの鋼材を各社で分担して真空溶解炉で溶製し,必要形状に応じて熱間圧延して試験に使用した。本研究では,板厚15 mmに熱間圧延した板材を使用した。試験片加工のため,0.4 mass%C以上の中高炭素鋼材は1033 K×1 hr→炉冷で軟化焼鈍した。
C | Si | Mn | |
---|---|---|---|
0.1C | 0.10 | 0.0 | 1.0 |
0.2C | 0.20 | 0.0 | 1.0 |
0.4C | 0.40 | 0.0 | 1.0 |
0.6C | 0.60 | 0.0 | 1.0 |
0.8C | 0.81 | 0.0 | 1.0 |
1.0C | 1.00 | 0.0 | 1.0 |
これらの板材の板厚1/4 t位置から,φ3×10 mmのフォーマスタ試験片と,平行部径φ5 mmの丸棒試験片を採取した。丸棒試験片は,焼入れ–焼戻し処理として,1223 K×30 minから氷塩水に焼入れ,さらにサブゼロ処理として液体窒素に30 min浸漬し,その後,473~973 K×20 min→空冷の焼戻し処理を行った。焼入れ–焼戻し処理後のφ5 mm丸棒から,平行部φ2 mmの引張試験片を採取した(Fig.1)。なお,0.8%Cおよび1.0%Cの一部で焼割れ,およびサブゼロ処理後の割れが発生したが,これらは試験から除外した。また置き割れ防止のため,焼入れ–サブゼロ–焼戻しは同日中に処理した。
Shape of tensile test specimen.
各モデル鋼の焼入れ変態温度を調査するために,熱膨張測定を実施した。富士電波工機株式会社製のフォーマスタ試験機を使用し,石英製のホルダーに入れたφ3×10 mmの試験片に石英製の変位検出棒を接触させ,熱サイクル中の試験片の熱膨張を変位検出棒の先の作動トランス式変位計で測定した。熱サイクルは,真空中で高周波誘導加熱により5 K/sで1373 Kに加熱後300 s保持し,冷却速度100, 50, 20 K/sでHeガス冷却を実施した。上記熱処理後の試験片の断面ミクロ組織をナイタール腐食して調査し,焼入れマルテンサイト組織を観察した。
2・3 引張試験上記試験後に,焼入れ組織が安定して得られたモデル鋼について,引張試験を実施した。平行部にGL=4 mmのひずみゲージを貼付し,クロスヘッド速度1 mm/min(ひずみ速度≒0.0015 s-1)にて引張試験を実施した。なお,ひずみゲージの測定可能ひずみ範囲は最大5%であるが,本試験材ではこのひずみ範囲で最大引張強度に達しており,初期変形を評価するには問題ないと考える。
2・4 組織解析引張強度が約1500 MPaと2000 MPaの引張試験片について,引張中心軸を含む縦断面を切断研磨し,ナノ硬さの測定とSEM-EBSDによるミクロ組織解析を実施した。ナノ硬さやEBSD測定に試験片加工の影響が出ないよう,縦断面の観察面はコロイダルシリカで研磨後,電解研磨仕上げとした。
まず,非変形部において組織内のナノ硬さを測定した。測定にはHysitron製のTL900 TriboIndenter を使用した。Berkovich型圧子で6000 mNを2000 mN/sで負荷・除荷し,測定間隔5 µmの10×10点格子測定で組織内の硬さ分布を測定した。ナノ硬さ測定後はSEM-EBSDで測定個所を再観察し,圧痕とミクロ組織の関係を調査した。
さらに,EBSDで粒界三重点近傍の結晶方位解析を行い,組織内の粒径分布とKAM値を測定した。JEOL製のJSM7001にTSL製のDigiViewを搭載し,対物絞り2,加速電圧15 kV,照射電流番号15,傾斜角70 deg.,Binning 8×8,露出時間は10 ms,解析相はIron-alpha単相とした。EBSD測定は70×70 µm,Step0.1 µmの六方格子で実施した。測定位置は「未変形部」としてねじ加工部近傍のφ3.5 mm部と,「一様変形部」としてφ2 mm部のうち絞り変形していない部分を選択し,それぞれ1 mm以上離れた複数個所でN=2測定を実施した。いずれの視野でも,平均Confidential Index(CI値)は0.5以上であり,十分な精度が得られたと判断してClean Up処理は実施していない。KAM解析はNearest neighbor 1st,Maximum misorientation 5deg.で実施し,粒内ひずみに着目するためにMapはKAM値3deg.までをプロットした。
フォーマスタ試験で得た焼入れ時の熱膨張曲線をFig.2示す。
Dilatometry curve of gas quenched test steels in various cooling rate. (Online version in color.)
0.1Cは焼入れ性が低く,冷却速度により変態挙動が大きくばらつく。0.2C~0.6Cでは冷却速度50 K/sと100 K/sで変態曲線がほぼ一致するが,50 K/sではわずかにベイナイトも生成している。0.8C以上では20 K/s以上の冷却速度でフルマルテンサイトが得られている。
冷却速度100 K/s時のミクロ組織をFig.3に示す。
Microstructures of test steels quenched at 100 K/s from 1373 K.
0.1Cは炭化物析出が確認されており,ベイナイトとオートテンパードマルテンサイトの混在組織となっている。0.2C以降はラスマルテンサイト組織が得られており,炭素量の増加に伴いラスマルテンサイトのブロックサイズが微細化している。一方で,0.6C,0.8Cの旧γ粒界には比較的粗大なブロック組織が生成しており,いわゆるバタフライマルテンサイトであると推測される13)。また,1.0Cではレンズマルテンサイトが生成しているが,焼割れが発生している。
以上より,安定して焼入れマルテンサイト組織が得られる水準として,0.2C, 0.4C, 0.6C, 0.8Cの4鋼種を選定し,以降の引張試験評価に供した。
3・2 引張試験結果4鋼種の丸棒焼入れ–焼戻し後の引張試験結果をFig.4に示す。
Results of tensile test. (Online version in color.)
引張強度,0.2%耐力は高C材ほど高く,焼戻し温度の上昇に応じて低下している。0.8Cの473 K焼戻しのみ,低応力破壊したため0.2%耐力が得られていない。全伸び,絞りは低Cほど高く,焼戻し温度の上昇に伴い向上している。低応力破壊した0.8C–473 K焼戻し以外は,いずれも5%以上の伸びが得られており,正常に延性破断している。
引張試験材のうち,引張強度が約1500 MPaであった「0.2C–473 K」「0.4C–573 K」「0.6C–673 K」,および引張強度が約2000 MPaであった「0.4C–473 K」「0.8C–573 K」について,Fig.5に応力-ひずみ線図を示す。同等の引張強度材に対して,引張試験片のミクロ組織・ミクロ変形挙動を調査した。
Stress-Strain curve of 1500 MPa grade and 2000 MPa grade steels. (Online version in color.)
1500 MPa級(0.2C–473 K,0.4C–573 K,0.6C–673 K)について,ナノ硬さ測定個所のSEM反射電子像と,SEM-EBSDのIPF(Inversed Pole Figure)マップ,およびKAM(Kernel Average Misorientation)マップをFig.6に示す。KAMマップ上の圧痕位置には,ナノ硬さの値を色分けして記載している。
SEM-BSE image, SEM EBSD IPF map, and KAM map + nano hardness of 1500 MPa grade steels (0.2C–473 K, 0.4C–573 K, 0.6C–673 K).
各鋼種のSEM像,EBSDマップの全体傾向は以下のとおりである。Fig.3で示したように鋼種によりマルテンサイト組織形態は異なり,従来知見の通り,低Cでマルテンサイト変態温度が高いほどブロックサイズは大きく,高Cでマルテンサイト変態温度が低いほどブロックサイズは微細化する傾向を確認した。また,組織とKAM値の関係を見ると,低Cマルテンサイトの方が低KAM組織が多かった。
各鋼種のマルテンサイト組織の中でも,ブロックサイズのばらつきは存在する。0.2C–473 Kでは,旧γ粒内にも粗大かつ低KAM値のマルテンサイトブロックが分布しているのに対し,0.6C–673 Kでは旧γ粒界近傍に粗大かつ低KAM値のマルテンサイトブロックが集中している。ナノ硬さ分布をKAM値マップに重ねると,これらの低KAM値組織で,ナノ硬さも低いことがわかる。
2000 MPa級(0.4C–473 K, 0.8C–573 K)について,ナノ硬さ測定個所のSEM反射電子像と,SEM-EBSDのIPFマップ,およびKAMマップをFig.7に示す。KAMマップ上の圧痕位置には,ナノ硬さの値を色分けして記載している。
SEM-BSE image, SEM EBSD IPF map, and KAM map + nano hardness of 2000 MPa grade steels (0.4C–473 K, 0.8C–573 K).
2000 MPa級では,0.4C–473 Kは比較的均一微細なラスマルテンサイト組織であるのに対し,0.8C–573 Kは旧γ粒界に粗大なバタフライマルテンサイトが存在しており,高Cの方が組織サイズが粗大化している。やはりKAM値は組織サイズに影響されており,0.8C–573 Kの粗大なマルテンサイトブロックではKAM値が低い。ナノ硬さはTS上昇に伴い全体的に上昇しているが,旧γ粒界近傍の粗大なマルテンサイトブロックでは局所的に低いナノ硬さを示した。
また,0.4C–473 Kは,1500 MPa級の0.4C–573 Kと比較してKAM値が高く,1500 MPa級は焼鈍によりKAM値が一様に低下したと考えられる。
Fig.8に,各水準のナノ硬さについて,1鋼種当たり4視野分(400点)のヒストグラムとして示す。1500 MPa級ではナノ硬さの最頻値は0.2C–473 Kで6.5 GPa,0.4C–573 Kと0.6C–673 Kでは6.0 GPaであった。ナノ硬さのばらつきは高Cの方がわずかに大きかった。2000 MPa級ではナノ硬さの最頻値は0.4C–473 Kも0.8C–573 Kも8.0 GPaで同等だが,ナノ硬さのばらつきは0.8C–573 Kの方が大きかった。
Histogram of nano hardness in 1500 MPa grade and 2000 MPa grade steels.
1500 MPa級の「未変形部」と「一様伸び部」のEBSD解析結果をFig.9に示す。前述の通り,未変形部と一様伸び部で比較すると,一様伸び部でKAM値が上昇しているが,特に高C鋼では低KAM値であった粗大なブロックでのKAM値上昇が目立つ。
EBSD IPF map and KAM map of 1500 MPa grade steels.
同様に,2000 MPa級の「未変形部」と「一様伸び部」のEBSD解析結果をFig.10に示す。未変形部と一様伸び部で比較すると,一様伸び部でKAM値が上昇しているが,特に低KAM値であった比較的粗大なブロックでのKAM値上昇が目立つ。
EBSD IPF map and KAM map of 2000 MPa grade steels.
Fig.11に,1500 MPa級鋼と2000 MPa級鋼の未変形部と一様伸び部のEBSD視野内のKAM値出現頻度のヒストグラムを示す。
Histogram of KAM value in 1500 MPa grade and 2000 MPa grade steels. (2 observed fields for each “not deformed” and “deformed” area.) (Online version in color.)
1500 MPa級鋼では,未変形部のKAM値のうち,KAM値が最低水準(≒0.3 deg.)の領域は高C材ほど少なく,KAM値が0.7 deg. 付近の出現頻度が高C材ほど高い傾向がみられる。これは,低C材では粒内にも粗大で低KAM値のブロックが存在しているのに対し,高C材では粒内のブロックが微細化し,低KAM組織が粒界近傍に局在化したためと考えられる。一方,KAM値が1.0 deg. 以上の領域の出現頻度は鋼種に依らずほぼ同等である。
次に,加工によるKAM値の変化に着目する。0.2C–473 Kでは一様伸び部でもKAM値分布に大きな変化は見られず,ひずみは鋼材全体で均一に分配されたと考えられる。これに対し,0.4C–573 Kでは,観察視野にも依るが,一様伸び部で低KAM値の出現頻度が低下し,1 deg.付近のKAM値の出現頻度が増加している。0.6C–673 Kではこの傾向はさらに顕著になり,KAM値が0.8 deg. 以下の頻度が低下し,0.8~2.0 deg. 範囲の出現頻度が上昇している。
2000 MPa級鋼でも同様に,未変形部の低KAM領域は高C材ほど少ない傾向が認められる。また,0.4C鋼で焼戻し温度の影響を比較すると,焼戻し温度が高いほど低KAM値領域が増加することも確認された。
加工によるKAM値変化では,0.4C–473 Kも,0.8C–573 Kも,KAM値が0.8 deg. 以下の頻度が低下し,0.8~2.0の範囲の出現頻度が上昇している。特に0.4C鋼では,1500 MPa級の0.4C–573 Kと比較して,2000 MPa級の0.4C–473 Kでは,加工によるKAM値分布の変化が顕著になっている。これより,高強材(低温焼戻し材,高C材)ほど,鋼材内の不均一性が高いと考えられる。
Fig.5の引張試験の応力-ひずみ線図と,Fig.8のナノ硬さの出現傾向を比較する。
引張試験では,1500 MPa級,2000 MPa級のいずれも,473 K焼戻し材は弾性限・降伏点が低く,573 K焼戻し材は弾性限・降伏点が上昇していた。これは,焼戻しによるコットレル固着や炭化物析出による可動転位の不動化で説明できる。
ナノ硬さは,1500 MPa級ではナノ硬さのピークが0.2C>0.4C≒0.6Cで,分布形態はほぼ同等のため,低ナノ硬さの測定点は0.2C<0.4C≒0.6Cであった。これは,1500 MPa級で0.2C–473 Kの降伏点・弾性限が低いことと対応していない。
一方で,2000 MPa級ではナノ硬さのピークは0.4C≒0.8Cだが,0.4Cの方が低ナノ硬さ領域が多く,平均ナノ硬さは低い。これは,2000 MPa級で0.4C–473 Kの降伏点・弾性限が低いことと対応しているように見える。しかし,1500 MPaでの傾向の不一致から,擬相関と考えるべきである。
Fig.5では,最大引張強度は1500 MPa級では0.2C>0.4C≒0.6Cであり,2000 MPa級では0.4C<0.8Cである。これは,Fig.8の平均ナノ硬さとの間に相関が認められる。本報では,ナノ硬さ測定荷重を6000 mNと大きな値に設定したため,ナノ硬さは加工硬化を含んだ値に近いと考えられる。同じく加工硬化を含むビッカース硬さとの類推から,このような大きな塑性変形を伴う条件でナノ硬さを測定したため,変形初期の弾性限や降伏点よりも,引張強度との相関が強いナノ硬さが得られたと考えられる。即ち,組織内の初期変形,降伏挙動を評価するためには,より小さいナノ硬さ測定荷重での測定が必要だったと考える。
4・2 組織サイズとナノ硬さの関係について0.4%C以上の中高炭素鋼において,旧γ粒界近傍に粗大なマルテンサイトブロックの生成が確認された。これらの組織はナノ硬さが低く,KAM値も低いため,鋼材の中で比較的低強度であると考えられる。この理由として,①無ひずみのオーステナイト粒から最初に生成するマルテンサイトブロックであるため低ひずみに生成・成長できるため,生まれながらに低強度である可能性と,②比較的高いMs点から変態するために,オートテンパーされて低強度なっている可能性が考えられる。②は低炭素鋼では成り立つが,Ms点が低くオートテンパーされない0.8C鋼でも同様に旧γ粒界の粗大マルテンサイトが低強度であることから,①で示したように,粒界の粗大マルテンサイトは本質的に低強度であると考えられる。
このような粗大なマルテンサイトブロックは,形態から,ラスマルテンサイトよりレンズマルテンサイトに近いと考えられる。即ち,補足変形として転位の導入が少ないと考えられる。これはKAM値の低さと対応している。
マルテンサイトは変態温度が低下するに伴い,ラス,バタフライ,レンズへと形態が遷移することが知られているが,このような粒界粗大マルテンサイトは,バタフライやレンズとして粒界に生成したのち,残部はラスマルテンサイトになっており,変態温度と組織形態の関係から逸脱しているように見える。これは,以下のように考えられる。
無ひずみのオーステナイトから最初にマルテンサイトが生成する時は,転位を導入してラスマルテンサイトが生成するか,双晶変形によりバタフライ・レンズマルテンサイトが生成するか,の競合が起こると考えられる。特に今回のように熱間圧延後ではなく,ラボ的に焼入れ焼戻しする場合は,オーステナイト中のひずみが小さいため,転位と伴うラスマルテンサイトよりも,転位不要のバタフライ・レンズマルテンサイトが選択されやすいと考える。しかし,一度バタフライ・レンズマルテンサイトが生成すると,周囲の母相オーステナイトにひずみ=転位を導入するため,以降はラスマルテンサイトの生成が優位になり,粒界からの最初の変態以外はラスマルテンサイトになる,と考えられる。
このように,粒界の粗大マルテンサイトブロックは,C量に依らずに低強度であると考えられる。C量の影響は,低CであればMs点が高くオートテンパーで軟化しやすいこと,一方で高CであればMs点を低下させることでバタフライ・レンズマルテンサイト等の本質的に低強度(低転位密度)のマルテンサイトブロックを増加させることにあると考えられる。
4・3 引張強度1500 MPa級と2000 MPa級の未変形部と一様伸び部のKAM値分布Fig.11で示したように,引張変形後の未変形部と一様伸び部では,SEM-EBSD解析によるKAM分布に差がみられた。1500 MPa級では高Cほど一様伸び部での低KAM値領域の減少が顕著であった。一方,2000 MPa級では0.4Cと0.8Cのいずれも一様伸び部で低KAM値領域の減少が顕著であった。
1500 MPa級の0.2C–473 Kでは,初期に変態した粗大かつ低KAM値のラスマルテンサイトブロックも,後期に変態した微細なラスマルテンサイトブロックも,一様伸び部でのKAM値変化は同等であった。このことは,いずれの組織も一様伸び時に同程度変形した,即ち均一な変形挙動を示したと考えられる。0.4C–573 Kも一様伸び部でのKAM値分布の変化は小さく,組織内の不均一性は小さいと考えられる。
一方,0.6C–673 Kでは,未変形部と一様伸び部のKAM値分布の比較から,旧γ粒界近傍の粗大バタフライマルテンサイト等の低KAM値の領域が優先的に変形したことが示されている。即ち,低KAM値の組織の中でも,ひずみが集中しやすい組織とそうでない組織が存在することを意味している。上述のように,バタフライマルテンサイトは無ひずみの旧γ粒内に生成した組織であり,本質的に低ひずみ・低転位密度の組織であると考えられる。このため,粗大なバタフライマルテンサイトは,焼戻し後に転位回復・炭化物析出があったとしても,ラスマルテンサイトより低転位密度・低炭化物析出と予想され,低強度でひずみが集中しやすい組織と推察する。
200 MPa級では,0.4C–473 Kは一様伸び部でKAM値分布が変化しており,不均一な変形を示している。1500 MPa級の0.4C–573 Kは比較的均一な変形挙動を示していたこと,両者の差異は焼戻し温度だけであることから,焼戻されていない粗大ラスマルテンサイトは,微細ラスマルテンサイトと比較してひずみが集中しやすい,と言える。これも,初期変態組織は無ひずみのオーステナイト中に生成するために本質的にひずみが少ない,とのモデルで説明可能である。一方で,573 K焼戻しによりひずみ分布が均一化することから,ラスマルテンサイト組織では組織間の強度・変形挙動の差が比較的小さいと考えられる。恐らくは,粗大であってもラスマルテンサイトであれば,変態時の補足変形により大量の転位が導入されているため,焼戻し時の炭化物析出により転位が不動化して変形抵抗となるため,と推察する。
0.8C–573 Kも不均一な変形を示しているが,これは1500 MPa級の0.6C–673 Kと同様,粒界近傍の粗大バタフライマルテンサイトと粒内の微細ラスマルテンサイトの変形特性のギャップが573 K焼戻しでは埋まらないほど大きかったため,と推察する。
このように,未変形部と一様伸び部のKAM値分布の比較から,C量と組織形態による変形挙動の差異が評価できたと考える。今回の塑性ひずみ量が大きすぎたナノ硬さ測定と比較して,KAM値の解析は鋼材組織の現状を評価できるため,特に低ひずみ域の変形挙動の解析に適していたと考える。
マルテンサイト組織内の硬さ・変形挙動のばらつきに及ぼす鋼材組成の影響を調査するために,Fe-0.2~0.8%C-1%MnのC添加量が異なりMs点の異なるモデル鋼について各種調査を行った。
(1)焼入れ組織は,0.2Cは粗大なラスマルテンサイトだが,C添加量が増加するほどラスサイズは微細化した。一方,C添加量が増加すると旧γ粒界に沿ってバタフライマルテンサイトとみられる粗大なマルテンサイトブロックも生成した。
(2)焼戻し温度を変えた引張強度「1500 MPa級」3水準と「2000 MPa級」の2水準について,ミクロ組織とナノ硬さの関係を調査した。その結果,いずれの強度レンジでも,粒界近傍の粗大なマルテンサイトブロック組織でナノ硬さが低いことを確認した。
(3)上記5水準について,ナノ硬さ出現頻度を測定した。その結果,ナノ硬さと引張強度との相関が認められたが,局所変形挙動とナノ硬さの相関は不明瞭であった。
(4)上記5水準について,SEM-EBSDによるKAM値分布を,「未変形部」と「一様伸び部」で測定した。その結果,1500 MPa級の高C水準,および2000 MPa級にて,ひずみが低KAM値の粗大なマルテンサイトブロックに集中することを確認した。一方,1500 MPa級の低C水準ではひずみは均一に分布していた。
(5)上記ひずみ分布の関係を,粗大マルテンサイトブロックの生成機構,および高C水準におけるバタフライマルテンサイトの生成機構から考察した。即ち,変態時の転位導入が少ない組織に変形時のひずみが集中すること,ラスマルテンサイトでは焼戻しにより組織内の変形特性のばらつきが軽減されやすいが,バタフライマルテンサイトの変形特性差は軽減されにくいことを考察した。
以上より,マクロな引張強度が同等であっても,C添加量やマルテンサイト組織形態の差異によって,マルテンサイト変形の不均一性は大きく異なることが確認された。