Tetsu-to-Hagane
Online ISSN : 1883-2954
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ISSN-L : 0021-1575
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Effect of Microalloying of V, Nb and Mo on Hydrogen Embrittlement Susceptibility of 2 GPa-grade Medium-carbon Si–Cr Spring Steel with Tempered Martensite Microstructure
Natsumi MorookaAya MatsushitaMasanori SanoTakuya YamaokaSoichiro YamaguchiKwangsik KwakYoji Mine Kazuki Takashima
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2024 Volume 110 Issue 3 Pages 184-196

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Abstract

Hydrogen embrittlement (HE) susceptibility was evaluated on JIS-SUP12-based steel (SB), and V-, Nb- and (Nb+Mo)-added steels (SV, SNb and SNbMo, respectively) under uniaxial tension and high stress triaxiality conditions, to elucidate the roles of the microalloying elements in the HE mechanisms of 2 GPa-grade medium-carbon Si–Cr spring steels, which were obtained via low-temperature tempering. The SV steel contained solute V and undissolved V carbides, the SNb steel undissolved Nb carbides and the SNbMo steel solute Mo and undissolved Nb carbides. The microalloying of V, Nb and Mo decreased the apparent hydrogen diffusivity owing to strong hydrogen attraction by solute V and Mo, and reversible hydrogen trapping with V and Nb carbides. Although all the steels attained the 2 GPa tensile strength in an uncharged state, hydrogen significantly reduced the tensile strength through premature failure before the onset of yielding under uniaxial tension condition. In the hydrogen-charged specimens, the strength was strongly correlated with the shear fracture surface area. The HE susceptibility was increased in the following order: SNbMo ≈ SNb < SB < SV. This suggests that hydrogen-induced plasticity mitigates the HE susceptibility in the SNb and SNbMo steels, whereas the solute V facilitates the hydrogen-induced plastic inhomogeneity, which leads to premature fracture. Under high stress triaxiality condition in micro-cantilever specimens, hydrogen decreased the intrinsic fracture resistance to one third compared to the uncharged specimens, regardless of the steels. In the microalloyed specimens, hydrogen suppressed intergranular fracture, whereas the dependence of fracture resistance on the microalloying element was minor.

1. 緒言

環境汚染および資源の枯渇に加えて,エネルギー不足の問題はますます深刻化しており,世界規模での規制が敷かれつつある。特に,自動車産業分野では,内燃機関から電気モーター駆動への変革が進められており,使用される構造の軽量化が喫緊の課題となっている。中でも自動車用懸架ばねについては,100 MPaの高強度化に対して10%の重量削減効果が見込まれており1),引張強度2 GPa超級の高強度鋼の開発が精力的に進められている2,3,4,5)。一方,引張強度が1200 MPaを超える高強度鋼においては,使用中に大気から侵入する水素の影響を受けて破壊を生じる,いわゆる遅れ破壊現象が顕在化することが指摘されている6,7)

高強度鋼の強度特性を支配しているマルテンサイト組織の水素脆化では,局所水素濃度レベルによって,現れる破壊様式が異なり,それに応じて強度低下の度合いも大きく変化することが示されている8,9)。特に,旧オーステナイト粒界で臨界値を超える水素集積がある場合,粒界割れを生じ,著しい強度低下がもたらされる。そこで,高強度鋼にV,Ti,Moなどの炭化物形成元素(M)を添加し,粒内に不可逆的な水素トラップサイトとしてMCを析出させることで,粒界への高濃度の水素集積を抑止する策が講じられてきた10,11,12,13)。Tsuchidaら14)は,V添加高強度鋼の水素吸蔵挙動とV炭化物の存在状態(非整合未固溶炭化物と整合析出微細炭化物)の関係を理解するため,573–973 Kの範囲で焼戻しを施した0.4C–1.0Cr–0.7Mo–0.35V鋼において,水素脱離挙動を調査している。いずれの温度で焼戻された試料においても,直径約20 nmの非整合未固溶炭化物が観察されたが,水素吸蔵量が最も高い873 Kで焼戻された試料にのみ,幅10 nm以下,厚さ1 nm以下の整合析出微細炭化物が基地中に分散していることが確認されており,これが高い水素トラップに寄与していると推論している。したがって,この戦略において,粒界への水素集積を抑止する水素トラップサイトを効果的に得るためには高温焼戻しが必要となる。

ばね鋼においては,耐久性や耐へたり特性の確保のため,673 K程度の温度で焼戻しが行われることが一般的である。上述したように高強度化の要求はますます高まっており,焼戻し温度は今後さらに低温化していく傾向にある4,15)。Liuら16)は,低温焼戻しを施したSi–Cr鋼において,組織および機械的性質に及ぼす(V+Nb)微量元素添加の影響について,焼戻し時間を変化させて調査している。焼入れ温度1173 K,焼戻し温度673 Kの条件で(V+Nb)を混合添加した場合,120 minの焼戻しではラス中にナノ炭化物が多量に析出するが,30 minの焼戻しではこの炭化物の析出が確認されていない。そのため,実用のばね鋼の焼戻し条件(低温,短時間)を考慮すると,2 GPa級ばね鋼の開発ではMC析出による水素脆化低減効果は期待できない。

低温焼戻し状態で使用されるばね鋼において,添加される微量元素の存在状態は,溶体化温度における炭化物の平衡濃度積17)によって決定づけられる。したがって,添加元素は主に未固溶炭化物と固溶体として存在する。Hokazonoらは,V添加鋼において,粗大な未固溶炭化物の方が高温焼戻しにより微細析出した炭化物よりも低い水素トラップ能を示すことを報告している18)。Leeらも同様に,未固溶V炭化物が析出炭化物より水素をトラップできないことを報告しており,水素脆化抵抗を最適化するために,未固溶炭化物の寸法と量を減少させることを提案している19)。Seoらは,焼戻しマルテンサイト鋼の水素脆化抵抗における未固溶Nb炭化物の役割に注目して調査を行っている20)。その結果から,未固溶Nb炭化物は,結晶粒微細化により粒界への水素集中を分散させることで,水素脆化抵抗の増大に寄与するが,炭化物/基地界面が非整合であることから水素トラップにはあまり影響しないことが示唆された。この未固溶Nb炭化物の役割は,先行研究21,22,23)で議論されているナノ析出Nb炭化物のものとは異なっている。一方,Mo添加の場合,溶体化温度において,基地格子内にその大部分が固溶しており,結晶粒微細化への寄与が期待できないことはよく知られている。固溶Moに関しては,ホットスタンピング鋼にMo添加および(Nb+Mo)複合添加したときの水素脆化に及ぼす影響が議論されている24,25)。固溶Moは,基地中の水素の拡散性を低下させるとともに,水素誘起すべり変形によりき裂進展経路を粒界から粒内へ変化させることで,耐水素脆化特性を改善することを示している。このように,未固溶炭化物はこれまで注目してきた微細析出炭化物とは異なる性質を示す他,固溶体では,溶質元素によって,水素が塑性変形に及ぼす影響に違いを生じることが考えられる。

本研究では,中炭素Si–Cr系ばね鋼JIS-SUP12を基準鋼として,V,Nbおよび(Nb+Mo)を微量添加した鋼を準備し,水素拡散性と,引張特性および破壊抵抗に及ぼす水素の影響を調査した。なお,き裂進展開始時の本質的な破壊抵抗を計測するため,マイクロ曲げ破壊試験を実施した。本研究の目的は,MC析出による水素脆化抵抗の改善戦略が取れない,低温焼戻しによって作製される引張強度2 GPa級のばね鋼を対象とし,微量添加元素の存在状態(固溶体および未固溶炭化物)に注目して,単軸引張および高応力三軸度負荷条件下での水素脆化機構における微量添加元素の役割を明らかにすることである。

2. 実験方法

本研究では,懸架コイルばね用途で使用される中炭素Si–Cr鋼JIS-SUP12を基準鋼(以下SB鋼と称する)として用いた。また,微量元素(mass%)添加鋼として,0.24V添加鋼(SV鋼),0.022Nb添加鋼(SNb鋼),0.024Nb–0.09Mo添加鋼(SNbMo鋼)を準備した。これらの微量元素添加量は,後述の焼入れ・焼戻しによって,2 GPaの引張強度が得られるように設定した。供試材の化学成分をTable 1に示す。20 kgの真空溶解材を1423 Kで熱間鍛造により直径22 mmの丸棒に成形した後,1198 Kで焼鈍を施した。続いて,切削加工により直径10.5 mmに成形した丸棒に対して,1223 Kで30 minの溶体化処理後,油焼入れを施した。さらに,焼戻しを663 Kで60 min施した後,室温まで空冷して,焼戻しマルテンサイト組織を得た。

Table 1. Chemical compositions of spring steels used in this study.

(mass%)
CSiMnPSNiCrMoCuVNb
SB0.531.510.720.0140.0040.020.720.010.01
SV0.541.530.730.0160.0040.020.720.010.010.24
SNb0.541.490.720.0080.0040.020.750.010.010.022
SNbMo0.551.530.460.0120.0050.010.760.090.010.024

微視組織は,電子線後方散乱回折(EBSD)検出器を搭載した走査電子顕微鏡(SEM)を用いて,加速電圧20 kV,ステップサイズ0.03 µmの電子線走査により観察した。また,TSL OIMソフトウェア(v.8.1.0)を用いて,旧オーステナイト粒の結晶方位を同定した。微細炭化物を調査するために,透過電子顕微鏡(TEM)TECNAI F20を用いて,加速電圧200 kVで観察を行った。析出物観察に供するため,抽出レプリカ法を用いて薄膜試料を作製した。機械研磨および電解研磨により所望の厚さに調整した後,1% HNO3–99% CH3OHで腐食を施した。続いて,カーボン蒸着を行い,再び1% HNO3–99% CH3OHを用いて剥離後,洗浄して薄膜試料とした。水素拡散性の計測には,直径9 mm,厚さ1 mmの円板形状の試料を用いた。水素チャージ後,温度298 K,大気中にて所望の時間保持した試料について,四重極形質量分析計を備えた昇温脱離水素分析装置を用いて,昇温速度0.5 K s-1で水素含有量を計測した。水素チャージは,323 Kに保持した20 mass% NH4SCN溶液中に100 min間浸漬して行った。

引張試験片は放電加工により作製し,#4000までエメリー研磨した後,コロイダルシリカスラリーを用いたバフ研磨により表面を鏡面に仕上げた。引張試験片の平行部寸法は0.5 mm×0.5 mm×1.25 mmとした。引張試験は室温,大気中にて変位速度0.1 mm min-1で実施した。各鋼につき,未チャージ材は2回,水素チャージ材は4回,引張試験を実施した。変位は光学顕微鏡を用いて引張試験中の試験片平行部を記録した動画より計測した。試験後はSEMを用いて破面観察を行った。引張試験片の水素チャージは,323 Kに保持した20 mass% NH4SCN溶液中に40 min間浸漬して行った。また,一部の水素チャージ材については,変形組織を観察するため,放電加工機を用いて破断試験片の縦断面を割り出した後,EBSD測定を行った。

マイクロ破壊試験のため,放電加工機を用いて,長さ(L)800 µm,幅(W)200 µm,厚さ(B)200 µmの寸法の片持ち梁試験片を作製した。マイクロ破壊試験片には,集束イオンビーム加工装置を用いて,固定端から長手方向へ200 µm離れた位置に深さ~60 µmの切欠きを導入し,荷重点を切欠きから600 µm離れた位置に設定した。また,試験前にき裂長さ(a)がa/W=0.45–0.55の範囲に入るように疲労予き裂を導入した。疲労予き裂は,室温,大気中にて,応力比0.1,繰返し速度1 Hzで導入した。マイクロ破壊試験は,大気中にて圧子押込み速度1 µm s-1で行った。水素チャージは,引張試験のときと同じ条件で予き裂導入後に行った。暫定破壊靭性値KQは次式より求めた26)

  
KQ=6PSW2Bπaf(aW)(1)
  
f(aW)=1.1221.40(aW)+7.33(aW)213.08(aW)3+14.0(aW)4(2)

ここで,Pは荷重,Sは荷重点から切欠きまでの距離を示す。

3. 実験結果

3・1 組織の特徴付け

Fig.1は,基準鋼および微量元素添加鋼についてEBSD解析によって取得した逆極点図(IPF)マップを示す。左列はマルテンサイト,右列は逆解析により再構築された旧オーステナイトの結晶方位を示している。方位差角15°以上の粒界で定義した旧オーステナイト粒径は,SB鋼:23.4 µm,SV鋼:10.9 µm,SNb鋼:13.2 µm,SNbMo鋼:13.4 µmと計測された。

Fig. 1.

EBSD IPF maps showing crystallographic orientations of martensite and reconstructed prior austenite in the spring steels. Black lines indicate grain boundaries with misorientation angles greater than 15°. (Online version in color.)

走査透過電子顕微鏡/エネルギー分散型X線分光法(STEM/EDS)分析により,SB鋼には,粗大なMnSなどの介在物が少量観察されたが,微細な炭化物はほとんど認められなかった。微量元素添加鋼には,少量の粗大な介在物および炭化物の他に,マルテンサイト基地中に微細な炭化物が分散していた。微量添加元素由来の炭化物の分布状態を調査するため,抽出レプリカ法により薄膜試料を作製した。この手法では,CrやMnなどのFe系炭化物にとけやすい元素は検出されにくいことに注意が必要である。Fig.2は,微量元素添加鋼についてSTEM/EDSを用いて分析した微細炭化物の高角散乱暗視野(HAADF)像と対応する元素マップを示す。炭化物の粒子径は,SV鋼:36.2±27.7 nm,SNb鋼:26.7±19.9 nm,SNbMo鋼:10.3±4.8 nmと計測された。また,SV鋼では,微細炭化物の分布はV元素マップと一致しており(Fig.2(a)),これらはV炭化物であると推定される。SNb鋼およびSNbMo鋼においては,微細炭化物がNbの濃度分布と対応しており(Fig.2(b)およびFig.2(c)),両鋼では,Nb炭化物が存在すると推定される。なお,SNbMo鋼において,微細炭化物部にMoは検出されなかった。

Fig. 2.

STEM HAADF and EDS elemental mapping images captured in extraction replica samples of (a) SV, (b) SNb and (c) SNbMo steels. (Online version in color.)

3・2 水素拡散挙動

Fig.3は,水素チャージ後の大気保持時間に対する各鋼の水素脱離プロファイルと残留水素濃度の変化を示す。Table 2に各鋼の添加水素濃度と水素拡散係数を示す。水素チャージ後0.75 hで測定した水素濃度を本研究での水素チャージ条件(温度323 K)下の添加水素濃度として定義する。添加水素濃度は1.30–1.89 mass ppmであり,測定値のバラつきを考慮すると,鋼種による差異は小さい。水素脱離プロファイルの時間変化(Figs.3(a)–3(d))を見ると,いずれの鋼においても,水素チャージ直後は405–417 Kにピークを示す。時間経過とともに,SNb鋼およびSNbMo鋼では,水素脱離プロファイルは同様の形状を保ちながら低下していく(Fig.3(c)およびFig.3(d))が,SB鋼およびSV鋼では,低温側へピークがシフトしている(Fig.3(a)およびFig.3(b))。このことは,水素拡散を阻害する機構が両者で異なることを示唆している。水素拡散係数は室温(298 K)での水素放出挙動(Fig.3(e))におけるln CH,RtHの傾きから次式27,28)を用いて求めた。

  
CH,RCH0=αexp[(π2h2+4β2d2)D298tH](3)
Fig. 3.

Hydrogen desorption profiles for (a) SB, (b) SV, (c) SNb and (d) SNbMo and (e) hydrogen release curves as a function of holding time after hydrogen charging.

Table 2. Charged hydrogen contents at 323 K (C323) and hydrogen diffusion coefficients at 298 K (D298) in the steels determined from hydrogen release behaviour.

C323 (mass ppm)D298 / m2 s–1
SB1.894.63 × 10–12
SV1.302.63 × 10–12
SNb1.582.54 × 10–12
SNbMo1.531.46 × 10–12

ここで,CH, Rは鋼中の残存水素濃度,CH0は飽和水素濃度,D298は298 Kにおける水素拡散係数,tHは保持時間,αは変換係数,βはベッセル係数(2.4048)を示す。dおよびhはそれぞれ円板状試験片の直径と厚さである。水素拡散係数はSB鋼で4.63×10-12 m2 s-1と最も高く,SB>SV>SNb>SNbMoの順に低くなった(Table 2)。

3・3 単軸引張負荷下における水素脆化挙動

Fig.4は,各鋼の未チャージ(U)および水素プリチャージ(H)状態において得られた代表的な応力–ひずみ曲線ならびに絞りと引張強度の関係を示す。未チャージ状態では,いずれの鋼も,降伏後,一様ひずみをほとんど示さず,約2 GPaで最大引張応力に達した(Fig.4(a))。局所ひずみは,SB>SV>SNb ≈ SNbMoの順に減少しており,絞りにもこの関係が反映されている(Fig.4(b))。一方,水素プリチャージ状態では,いずれの鋼においても降伏点に達する前に破断しており,引張強度が著しく低下した(Fig.4(a))。また,水素プリチャージ材の引張強度と絞りの間には,特別な相関関係は認められない(Fig.4(b))。ここで,試験片の肩部に掛かって破断したものについては,試験前に取得したSEM像より破断位置での断面積を計測し,初期断面積として評価した。

Fig. 4.

(a) Stress–strain curves and (b) relationship bewteen tensile strength and reduction of area in uncharged and hydrogen-charged specimens. (Online version in color.)

すべての鋼で,未チャージ状態ではカップアンドコーン型で破断した。Fig.5に,水素プリチャージ材の単軸引張負荷により形成された破面の形態を示す。Figs.5(a)–5(d)に示すように,破面は引張分離領域とせん断分離領域で構成されていた。Figs.5(e)–5(h)は,それぞれFigs.5(a)–5(d)の破線で囲った領域の拡大像を示す。引張分離領域において,自由表面近傍(写真の左側)では,粒界破面および擬へき開特徴が広がっており,せん断分離領域(写真の右側)に近づくにつれて,ディンプル特徴の割合が増加している。そのため,水素プリチャージ状態では,自由表面よりき裂が発生し,シャーリップを伴いながら伝播した後,最終的にせん断破壊へ移行したと考えられる。

Fig. 5.

(a–d) Overall views of fracture surfaces of hydrogen-charged specimens in uniaxial tensile loading and (e–h) enlarged micrographs in boxed regions. (Online version in colour.)

3・4 高応力三軸度負荷下における水素脆化挙動

Fig.6は,マイクロ破壊試験で得られた各鋼の荷重-き裂開口変位曲線とこれらにより得られた破壊靭性と単軸引張負荷下における引張強度の関係を示す。赤色の破線および実線は,それぞれ未チャージ材および水素プリチャージ材に対して,原点から引いた初期弾性荷重勾配の95%の傾きをもつ直線であり,限界荷重P95%を決定するために用いる(Figs.6(a)–6(d))。なお,SV鋼未チャージ材のみ,次式の小規模降伏条件を満たしていない。

  
B,a,(Wa)2.5(KQσ0.2)2(4)
Fig. 6.

(a–d) Load–crack opening displacement curves and (e) relationship between fracture toughness and tensile strength in SB, SV, SNb and SNbMo specimens with and without hydrogen precharging. Red broken and solid lines indicate 95% secant lines in uncharged and hydrogen-charged specimens, respectively. (Online version in colour.)

ここで,Bは試験片厚さ,aはき裂長さ,Waはリガメント長さ,KQは暫定破壊靭性値,σ0.2は0.2%耐力を示す。未チャージ状態では,SV鋼がわずかに高い破壊靭性(K95%=12.0 MPa m1/2)を示し,その他の鋼はほぼ同等の値(K95%=10.6–11.3 MPa m1/2)を示した(Fig.6(e))。いずれの鋼においても,水素プリチャージによって破壊靭性が約3分の1の値まで低下した。水素プリチャージ状態においても,他の鋼(K95%=3.4-3.8 MPa m1/2)に比べて,SV鋼でわずかに高い破壊靭性(K95%=4.4 MPa m1/2)を示した。Fig.7は各鋼における疲労予き裂前縁での破面の様相を示す。いずれの鋼も,疲労負荷下において形成された破面は擬へき開特徴で覆われている(Figs.7(a)–7(d)中の上半分)のに対して,単調負荷下では粒界割れと擬へき開特徴で構成されていた(Figs.7(a)–7(d)中の下半分)。

Fig. 7.

Fracture surfaces at the front of fatigue crack in hydrogen-charged specimens of (a) SB, (b) SV, (c) SNb and (d) SNbMo.

4. 考察

SV鋼およびSNb鋼について,炭化物の平衡濃度積と温度の関係式(5)および(6)17)を用いて,溶体化温度1223 K,炭素量0.54 mass%のときのVおよびNbの固溶量を単純に見積もると,それぞれ0.17 mass%,0.0017 mass%となる。

  
log[%V]γ[%C]γ=9500T+6.72(5)
  
log[%Nb]γ[%C]γ=7900T+3.42(6)

ここで,[%V]γ,[%Nb]γ,[%C]γはそれぞれオーステナイト中のV,Nb,Cの平衡濃度(質量%)であり,Tは絶対温度を示す。SV鋼では,0.24 mass%のVが添加してあるため,続く663 Kでの焼戻し処理において,ほとんど炭化物の析出がないと仮定すると,未固溶炭化物(Fig.2(a))として0.07 mass%のVが分配されることになる。一方,SNb鋼では,0.022 mass%のNbが添加されており,そのほとんどが未固溶炭化物(Fig.2(b))として分配されていると考えられる。SNbMo鋼では,炭化物の分布はNb元素マップと対応していた(Fig.2(c))が,Moは検出されなかったことから,マルテンサイト基地中に固溶しているものと推定される。Yooらのグループでは,Nb添加および(Nb+Mo)複合添加したホットスタンピング鋼において,3次元アトムプローブ法によりMoの大部分が基地中に固溶していることを確認している24,25)。したがって,SV鋼では固溶V(0.18 at.% V)および未固溶V炭化物(0.07 at.% V)が,SNb鋼では未固溶Nb炭化物(0.013 at.% Nb)が,そして,SNbMo鋼では固溶Mo(0.051 at.% Mo)および未固溶Nb炭化物(0.014 at.% Nb)が存在している状態であると推定される。このことを考慮すると,SV鋼では,未固溶炭化物によるZener効果に加えて,固溶Vによるドラッグ効果により結晶粒の微細化が達成されたと考えられる。SNb鋼およびSNbMo鋼では同等の結晶粒径であったことから,主にNb未固溶炭化物によるZener効果が結晶粒微細化に寄与していると考えられる。

水素拡散係数は,微量元素添加によって,SB>SV ≈ SNb>SNbMoの順に低下した。微量添加元素の存在状態を考慮すると,水素と高い親和性29)をもつVが固溶することで基地中の水素拡散性が低下すること,そして,VおよびNb未固溶炭化物による可逆的な水素トラップにより,見かけの水素拡散係数が低下することが考えられる。また,Moについては,Feに比べて原子半径が約1.2倍大きく,固溶体中に生じるひずみ場により水素拡散性を低下させることが考えられる。また,水素チャージ直後の測定では,すべての鋼で405–417 Kにピークをもつ水素脱離プロファイルを示す(Figs.3(a)–3(d))が,室温大気保持後の測定では,SB鋼およびSV鋼では,プロファイルがブロード化し,低温側へピークシフトしている(Fig.3(a)およびFig.3(b))。Tsuchidaの報告によると,この400 K付近にピークをもつ水素脱離プロファイルは2つのピークで構成されており,低温側が転位に,高温側が粒界に可逆的にトラップされた水素に由来するとされている30)。一方,SNb鋼およびSNbMo鋼では,時間経過後も高温側にピークをもったまま,プロファイルは低下している(Fig.3(c)およびFig.3(d))。そのため,Nb未固溶炭化物/基地の非整合界面でのトラップ効果がより大きく寄与していることが示唆される。

Fig.8は引張強度(σB)を初期断面積に対するせん断分離破面の面積の比(As / A0)に対して整理したものである。赤枠のシンボルはFigs.5(a)–5(d)に破面を掲示した試験片から取得したデータを示している。未チャージ材では,せん断分離破面の割合に関係なく,引張強度は~2 GPaを示した。一方,水素チャージ材では,引張強度の上昇に伴い,せん断分離破面の割合も増加しており,両者には正の相関関係が見られた。また,引張強度はSV鋼<SB鋼<SNb鋼<SNbMo鋼の順に高くなった。

Fig. 8.

Relationship between tensile strength and ratio of shear fracture surface area to initial cross-section area. (Online version in colour.)

各鋼における塑性変形に及ぼす水素の影響を調べるため,せん断分離破面直下の変形組織を観察した。Fig.9に,Figs.5(e)–5(h)中の線分A–A′の縦断面において得られたEBSD IPFマップおよび界面方位差に基づいて作成したgrain reference orientation deviation(GROD)マップを示す。ここで,GRODは測定点が含まれる結晶粒の平均方位との方位差を示しており,粒内における変形勾配を表す指標である31)。ブロック境界の角度を10°以上と定義するときのブロック寸法の加重平均値は,SB鋼で2.08 µm,SV鋼で1.45 µm,SNb鋼で1.37 µm,SNbMo鋼で1.35 µmと算出された。SB鋼では,ブロック寸法が微量元素添加鋼よりも粗大であるため,特に粗大なブロックではGRODが高くなっているが,変形領域が広い範囲にわたっている(Fig.9(a))。一方,SV鋼では,高GROD部は疎らに存在し,それらはマルテンサイト組織中の粗大なブロックに対応しており,水素により塑性変形の不均一化を生じている(Fig.9(b))。添加したVの約70%がマルテンサイト基地中に固溶していると見積もられることより,固溶Vが水素による塑性変形の不均一化を助長し,早期の破壊をもたらすと考えられる。これとは逆に,Hayakawaらは,水素プリチャージした0.60C–1.47Si–0.55Cr–0.165V(mass%)鋼を用いた引張試験により,本研究のSB鋼と同等の組成の鋼SAE9254より水素脆化感受性が低いことを報告している2)。このV添加鋼では,同時にPおよびSの低減化が図られており,著者らは,この耐粒界脆化の効果とV添加による結晶粒微細化ならびにV系炭化物の水素トラップの効果により耐水素脆化特性が向上したと考察している2)。このV添加鋼の溶体化温度(1173 K)でのV固溶量を算出すると,0.07 mass%と見積もられ,本研究のSV鋼の場合(0.17 mass%)よりもかなり低く,固溶Vによる負の影響は低減されていると考えられる。一方,SNb鋼(Fig.9(c))およびSNbMo鋼(Fig.9(d))では,塑性変形領域が破面近傍に集中しており,水素によってせん断変形が助長されたことがうかがえる。このことは,比較的微細である未固溶Nb炭化物(Fig.2(b))により微小空洞の生成を促進し,水素誘起塑性変形を助長することを示唆している。また,固溶Moは,未固溶Nb炭化物をより微細に基地中に残存させる(Fig.2(c))役割を果たすことが考えられるが,直接的な塑性変形への影響は不明である。SNbMo鋼のMo固溶量は0.05 at.%で,SV鋼で見積もられるV固溶量(0.18 at.%)よりも低く,その影響も小さいことが予想される。今後,固溶量を増して,調査する必要がある。

Fig. 9.

EBSD IPF and GROD maps at the longitudinal cross-sections (marked by section A–A′ in Fig. 5) beneath the slant fracture surfaces in hydrogen-charged specimens. (Online version in colour.)

Fig.10はマイクロ破壊試験で得られた破壊靭性を粒界破面率に対して整理したものである。ここで,破壊靭性K95%にはき裂進展開始直後の破壊抵抗が反映されていると考え,後期のき裂伝播の影響を極力排除するため,粒界破面率は疲労予き裂前縁から25 µmの領域を対象に計測した。比較のため,未チャージ状態で全面粒界割れを示した粗大粒低炭素マルテンサイト鋼の単一旧オーステナイト粒界試験片のデータ(IG)32)も併せて示す。粒界以外の破面は,未チャージ材ではディンプル特徴,水素プリチャージ材では擬へき開特徴が占めていた。各鋼における破壊形態に及ぼす水素の影響に着目すると,SB鋼では,水素プリチャージにより粒界破面率はわずかに増加したが,微量元素添加鋼では,いずれの鋼においても減少し,擬へき開の割合が増加した。このことは,微量元素添加による粒内での可逆水素トラップサイトの増加と結晶粒微細化による粒界面積の増加のいずれか,あるいは両方によって,粒界への水素の集積が低減したことに起因すると考えられる。ここで,可逆水素トラップサイトとしては,VおよびNb未固溶炭化物/基地界面に加えて,固溶VおよびMoによって水素固溶度が高まったマルテンサイト基地中の転位やパケット,ブロックおよびラスの境界などが考えられるが,詳細についてはさらに検討が必要である。また,未チャージ材の破壊靭性値については,粒界破面率との相関は認められなかった。単一の旧オーステナイト粒界で破壊したIG試験片を基準にとると,ばね鋼の水素チャージ材の破壊靭性は,粒界破壊の減少に伴い,すなわち,擬へき開破壊の増加とともにわずかに低下している。このことは,水素により粒界破壊強度を低下させるよりもむしろ,粒内破壊を促進することを意味している。しかし,粒界破面率による破壊靭性の変化は小さく,微量元素による破壊靭性への影響も極めて小さい。塑性拘束の強い高応力三軸度負荷条件下では,単軸引張負荷条件下で見られる水素誘起塑性変形助長の効果は現れないが,最弱部で破壊が進行するため,本質的な破壊抵抗の差は小さい。

Fig. 10.

Relationship between fracture toughness and intergranular fracture surface fraction in the uncharged and hydrogen-charged specimens. IG represents the data for intergranular cracking specimen in low-carbon steel32).

5. 結言

低温(663 K)焼戻しにより作製される引張強度2 GPa級の中炭素Si–Cr系ばね鋼について,水素脆化機構における微量添加元素の役割を明らかにするため,JIS–SUP12を基準鋼(SB鋼)とし,0.24V添加鋼(SV鋼),0.022Nb添加鋼(SNb鋼),および0.024Nb–0.09Mo複合添加鋼(SNbMo鋼)を用いて,水素拡散性,引張特性および破壊抵抗を調査した。これにより得られた結論を以下に示す。

(1)抽出レプリカ法により作製した試料を用いたSTEM/EDS解析より,SV鋼では未固溶V炭化物(平均粒径36.2 nm)が,SNb鋼では未固溶Nb炭化物(平均粒径26.7 nm)が,SNbMo鋼では未固溶Nb炭化物(平均粒径10.3 nm)が観察された。SNbMo鋼において,Moは炭化物中に観察されなかったことから,基地中に固溶しているものと推定される。溶体化温度(1223 K)における平衡濃度積に基づく固溶量を考慮すると,SV鋼では添加したVの約70%が基地格子内に固溶しており,残りがV炭化物として分散して存在しているのに対して,SNb鋼ではNbの大部分が炭化物として析出していることが考えられる。

(2)浸漬水素チャージおよび昇温脱離水素分析により,SB鋼の室温における見かけの水素拡散係数は4.6×10-12 m2 s-1と計測された。微量元素添加によって,水素拡散係数は低下し,最大でSNbMo鋼で約3分の1まで低下した。見かけの拡散係数の低下は,SV鋼ではV固溶による基地中での水素拡散速度の低下が,SNb鋼ではNb炭化物による水素トラップが主な原因であると考えられる。また,SNbMo鋼では,Nb炭化物への水素トラップ効果に加えて,Mo固溶による基地中での水素拡散速度の低下が重畳して,最小の水素拡散係数を示したと考えられる。

(3)引張強度はいずれの鋼でも未チャージ状態で約2 GPaが達成されたが,水素チャージにより著しく低下した。また,いずれの水素チャージ材でも降伏点に到達する前に破断に至った。水素チャージ材の引張強度とせん断破面率には良い相関が見られた。このことは,水素助長塑性の結果,水素脆化感受性が低下することを示している。水素脆化感受性は,SNbMo ≈ SNb<SB<SVの順に高まった。SV鋼では,固溶Vにより水素による塑性変形の不均一化が促進され,塑性変形が限定されることが早期破壊に繋がると考えられる。

(4)マイクロ破壊試験において計測した破壊靭性は未チャージ状態で10.6–12.0 MPa m1/2であるのに対して,水素チャージによって3.4–4.4 MPa m1/2まで低下した。また,水素チャージ材の破壊靭性は粒界破壊率の低下に伴い,すなわち,擬へき開の増大によりわずかに低下した。SB鋼では水素によって粒界破壊がわずかに増大するのに対して,他の微量元素添加鋼では,水素により粒界破面率が減少した。このことは,微量元素添加鋼では,水素脆化機構において粒内破壊が支配的になることを示唆している。

以上のことより,多量のMC炭化物の析出を見込めない低温焼戻しマルテンサイト鋼では,未固溶Nb炭化物および固溶Moによる水素助長塑性が水素脆化感受性の低減に効果的であると結論した。

謝辞

熊本大学 津志田雅之博士にはSTEM/EDS分析にご尽力いただいた。ここに記して謝意を表す。

文献
 
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