2025 Volume 111 Issue 9 Pages 526-535
New fracture process model of cleavage fracture initiated from cementite crack was proposed. In addition, the equation of propagation of cementite crack into the ferrite grain was developed based on the Brechet-Louchet model. This equation can reproduce not only ferrite size dependence of cleavage fracture stress that the Petch model can reproduce but both of test temperature dependence and strain rate dependence of fracture stress. Furthermore, in exchanging surface energy for grain boundary cohesive energy in the equation, grain boundary fracture stress can be also estimated.
鉄鋼材料は構造用部材に多く用いられており,高強度かつ高靭性の材料が求められている。一般的に強度と靭性はトレードオフな関係であるものの,結晶粒微細化のように破壊応力を増加させることで,靭性を向上させながら,強度を上昇させることも可能である1)。また,軟鋼のようにµmオーダーの粒界セメンタイトが存在する場合は,粒界セメンタイトサイズが重要になるなど2),様々な現象が靭性に関与しているため,フェライトやマルテンサイトといった個別の組織を超えてミクロな理解を深めることが重要である。
近年,粒界セメンタイトを有するフェライト鋼の脆化現象の素過程を仮定・定式化した靭性予測モデルがShibanumaらによって開発され3),粒界セメンタイト–フェライト鋼のCTOD値の実験値を精度よく推定できることが報告されている4)。その後,フェライト–パーライト鋼やラス間マルテンサイト–ベイナイト鋼などの鋼材にも適用されており5,6),今後より広い範囲で適用されることが期待される。上記モデルで採用されている破壊の素過程は以下の通りである。Stage 1:粒界セメンタイトのような脆化相の割れが発生,Stage 2:脆化相の割れが隣接する母相に伝播,Stage 3:母相に伝播した亀裂が結晶粒界を突破,以上の3段階である3)。模式図をFig.1(a)に記載した。Stage 3の母相粒界突破まで発生すると,十分な亀裂長さとみなし,マクロな脆性破壊が発生すると仮定する。各段階で脆化相の割れ率,亀裂の母相伝播に必要な応力,亀裂が粒界を突破するために必要な応力が発生の閾値として必要である。Shibanumaらの靭性予測モデルでは,Stage 2の粒界セメンタイトから母相への亀裂伝播に必要な応力はPetchの式から算出される7)。この式は,Stage 1とStage 2のセメンタイト割れから母相への亀裂伝播を想定した破壊応力式であり,亀裂伝播のし難さを表すパラメーターとして有効表面エネルギーγeffを含む。有効表面エネルギーγeffは亀裂伸展時に生成される表面エネルギーγsとその時に生じる塑性変形に消費されるエネルギーγpの2つの項で構成されており8),表面エネルギーは実験や第一原理計算から2.2–2.5 J/m2と報告されている9,10,11)。一方,塑性変形に消費されるエネルギーγpは,有効表面エネルギーが9 J/m2から14 J/m2と報告されているように7,12,13),表面エネルギーγsよりも3–5倍程度大きく,重要な因子であることは明らかである。しかしながら,γpは塑性変形を考慮したパラメーターであるにも関わらず,Petchモデルにおいて10 J/m2という一定の値が採用されており,材料強度や温度,歪速度の依存性が考慮されていない。
本研究では,塑性変形に消費されるエネルギーγpを理論的に解釈したモデルの1つであるBrechet-Louchetモデルに着目した14)。この式のγpは降伏応力に依存しているため,材料強度や温度,歪速度を考慮することができる。しかしながら,Brechet-Louchetモデルは亀裂伸展中を想定した式であり,Fig.1(b)のPetchモデルのように亀裂伸展の駆動力としての堆積転位の影響(粒径依存性)は考慮していない。そこで,Stage 2での現象についてBrechet-Louchetモデルに基づき,転位堆積を亀裂伸展の駆動力の1つとするモデルを提案し,このモデルを矛盾なく説明できるStage 1の仮説を提案した。これによって,有効表面エネルギーを用いずに脆化相から母相への亀裂伝播に必要な応力(本研究での劈開破壊応力)を算出可能な式を開発した。さらに,表面エネルギーの代わりにRice and Wangが提案した粒界分離理想仕事,所謂,粒界凝集エネルギーを用いることで11,15),本モデルが粒界破壊現象も扱えるか評価した。
まず,本研究で提案する劈開破壊条件式の導出過程を2・1節に記載した。次に,上記提案式を粒界破壊に適用する際に必要な粒界凝集エネルギーの算出方法を2・2節に記載した。最後に,粒界凝集エネルギーに対するMn影響(Mnの粒界脆化能)の評価方法を2・3節に記載した。
2・1 破壊条件式BrechetとLouchetが提案した亀裂先端に塑性域を伴う脆性亀裂形成時のエネルギーw式を以下に示す14)。
(1) |
第1項が塑性変形に消費されるエネルギー,第2項が亀裂伸展時に開放される亀裂周りの弾性エネルギー,第3項が表面エネルギー2γs(5.0 J/m2)である11)。bはバーガースベクトル(0.25 nm),〈σ〉は塑性域の平均応力(Brechet-Louchetモデルと同様に降伏応力σyに近似),Mは亀裂伸展時に運動する転位数,Eはヤング率(213 GPa),Kは応力拡大係数である。ρは亀裂先端の曲率で,本研究ではセメンタイト/フェライト界面で界面厚さ程度の曲率で亀裂が形成されると仮定し,2b(0.5 nm)とした。cは亀裂長さである。次にエネルギー解放率の式を以下に示す。
(2) |
式(2)の模式図をFig.2(a)に示す。式はK2の二次関数で記述することができ,
Energy release rate equation of propagation of crack propagation proposed by Brechet and Louchet. (a) Ductile-Brittle transition and (b) effect of yield stress for Ductile-Brittle transition were schematically shown. (Online version in color.)
緒言でも述べたように,式(1),(2)は母相内での亀裂伸展を想定しており,Stage 2のような転位堆積を亀裂伸展の駆動力とする現象は考慮されていない。そこで,転位堆積(粒径依存性)を考慮できるようにBrechet-Louchetモデルを改良することで,Stage 2の破壊条件式を立てた。また,本モデルはPetchモデルに基づいた破壊プロセスとも少し異なるため,以下にPetchモデルの模式図とエネルギー解放率の式を示し,Brechet-Louchetモデルとの比較を行いながら,本モデルの導出過程を記した。
Petchモデルでは,Fig.3に示すように,粒界セメンタイトに対する転位堆積とセメンタイト割れ,母相フェライトへの亀裂伸展までを扱っている。亀裂のエネルギー式は以下の通りである。
(3) |
νはポアソン比(0.3),cは亀裂長さ,nは粒界セメンタイトへの堆積転位数である。第1項が堆積転位による弾性エネルギーで,第2項は有効表面エネルギー,第3項は亀裂伸展時に開放される亀裂周りの弾性エネルギー,第4項がセメンタイト中に亀裂を形成するときになされる仕事である。このうち,第2項は式(1)の第1項と第3項に対応しており,第3項は式(1)の第2項に対応している。第1項と第4項は粒径依存項であり,転位堆積による亀裂の開口に対応する。本モデルでは,亀裂開口はStage 1で既に生じていると仮定した上で,Fig.4のようにStage 1とStage 2での現象を定義した。まず,Stage 1では粒界面上に存在する粒界セメンタイト(図中の粒界セメンタイト)を挟む2つの結晶粒で転位のパイルアップ現象が生じ,粒界セメンタイトに応力集中が生じる。この現象はFig.4に示したような2つのすべり系のシュミット因子が各結晶粒内で最大であれば,十分に起こり得ると考えられる。粒界セメンタイト–フェライト組織ではないが,高Nオーステナイト鋼においてFig.4のような粒界への転位堆積が観察されている16)。そして,片方の結晶粒径(図中のフェライト粒①のサイズ)がもう片方の結晶粒径(図中のフェライト粒②のサイズ)よりも大きいため,粒界セメンタイトの左側に応力集中が偏り,粒界セメンタイト左側から割れ始め,亀裂が形成される。そして,フェライト粒②内の堆積転位はStage 1後も粒界セメンタイトに堆積したままとなり,Stage 2のセメンタイト亀裂がフェライト母相に伝播する際に,フェライト粒②で亀裂伸展時に形成される表面に堆積転位のいくつかが放出されると考える。以上が,本研究で提案するStage 1とStage 2のモデル概要である。
Schematic diagram of Petch model. Numbers in brackets correspond to items on the right side of equation (3). (Online version in color.)
Schematic diagram of proposed model in this study. Numbers in brackets correspond to items on the right side of equation (4). (Online version in color.)
次に,上記モデルに基づいて,Stage 2における亀裂のエネルギー式を提案し,粒径依存性の考慮方法について記す。提案する亀裂のエネルギー式は以下の通りである。
(4) |
右辺第1項から第3項まではBrechet-Louchetモデルと同じで,第4項としてフェライト粒②内の堆積転位の項を追加した。βは転位の掃き出し率で,nは堆積転位数,Eeは刃状転位の自己エネルギー,λsは堆積転位のすべり面間隔である。Fig.5に第4項の模式図を示す。第4項はλsの間隔で存在する堆積転位が亀裂伸展時に亀裂表面に解放されることで,解放される転位の自己エネルギー分の弾性エネルギーが低下,すなわち,堆積転位の自己エネルギーが亀裂形成のためのエネルギー的利得になることを示している。なお,その解放される転位数は堆積転位全数n本ではなく,固溶強化や亀裂先端周辺の弾性エネルギーの解放の影響で,全数n本の内,亀裂表面に近いβn本が亀裂表面に解放されると仮定した。このために,Petchモデルと同様に粒径依存性を考慮しつつも,異なる構成になっている。第4項の各パラメーターは以下のとおりである。転位の自己エネルギーはEe=0.5Gb2を採用した17)。堆積転位数nはPetchと同様に
Schematic diagram of proposed item dealing ferrite grain size dependence of equation (4). (Online version in color.)
The influence of grain size for the curve of energy release rate by Brechet-Louchet model. (As the ferrite grain size are larger, Kc is lower.)
次に,脆性破壊時の応力拡大係数Kcの算出方法を示す。Brechet-Louchetモデルと同様にKcは以下の式で表される。
(5) |
K*もBrechet-Louchet式と同様に
(6) |
である。ここで,Mについて述べる。Brechet-Louchetモデルでは
(7) |
以上の式が,脆性破壊時の応力拡大係数Kcの算出方法である。
最後に,脆性破壊時の応力拡大係数Kcから破壊応力σfへの変換方法を記す。3章で本提案式の妥当性を評価する際,破壊応力の計算値と実験値の比較を行ったためである。Stage 1で粒界セメンタイトに発生する亀裂を円板状と仮定し,以下の変換式を採用した20)。
(8) |
tθはセメンタイトサイズである。以上が劈開破壊応力σfの算出方法である。従って,本研究では,結晶粒径やHall-Petch係数,降伏応力,セメンタイトサイズtθは各供試鋼の値を用い,その他のパラメーターは定数として劈開破壊応力を算出した。
また,粒界破壊応力を算出する際は,表面エネルギーγsを粒界凝集エネルギーγintに置き換え,供試鋼毎の結晶粒径やHall-Petch係数,降伏応力,セメンタイトサイズ,粒界凝集エネルギーを用いて算出した。なお,本研究で粒界破壊応力の実験値として採用した鋼は0.05 mass%から0.3 mass%のCを含有する焼戻しマルテンサイトであり21),そのHall-Petch係数は3.7 MPa/mm2と報告されている。この値はIF鋼のHall-Petch係数4.1 MPa/mm2よりも低い値であることから22),Yoshimuraらの焼戻しマルテンサイトの降伏現象は粒界転位降伏ではなく粒内転位降伏であり23),測定されたHall-Petch係数は鋼材の粒界強度を反映したHall-Petch係数ではないと考えた。そこで,過去に報告されているCの粒界偏析量とHall-Petch係数の関係と24),焼戻しマルテンサイト鋼のCの粒界偏析濃度の平均値19 at%から21),焼戻しマルテンサイト鋼のHall-Petch係数は11 MPa/mm2であると仮定し,破壊応力を算出した。劈開破壊や粒界破壊に依らず,降伏応力の温度依存性や歪速度依存性が分からない場合は,WES2808に記載の温度とひずみ速度による強度推定式を用いて,温度や歪速度の影響を考慮した25)。
2・2 粒界凝集エネルギーに対する合金元素の影響緒言でも述べたように,粒界破壊における粒界凝集エネルギーは,劈開破壊における表面エネルギーに対応する。しかしながら,フェライト鋼における劈開面は{100}面で表面エネルギーは特定の値であるのに対し,粒界面は様々な結晶方位差を有し,必ずしも特定の結晶方位差を有する粒界が分離する訳ではないと考えられる。その上,多くの鋼板は様々な合金元素を含有するため,合金元素の粒界偏析の影響も考慮する必要がある。そのような前提の上で,Yamaguchiは対称傾角粒界の中でも粒界エネルギーがランダム粒界に近いΣ3(111)粒界での粒界脆化・強化に対する合金元素の影響の計算結果が実験結果と対応することを報告している11)。そこで,本研究でもΣ3(111)粒界の粒界凝集エネルギーに対し,オージェ電子分光法で測定される合金元素の粒界偏析量と第一原理計算で計算される粒界脆化・強化能を考慮することで,粒界破壊時の粒界凝集エネルギーを推定した。Yamaguchiが報告しているCとPの偏析量と粒界凝集エネルギーの関係(偏析量:0–7.2 atom/nm2)をFig.7に示す。7.2 atom/nm2までの粒界凝集エネルギーの変化量は線形近似し,粒界厚さを0.5 nmと仮定することで,粒界偏析濃度と粒界凝集エネルギーの関係を定式化した。なお,Cの粒界強化能については,Arakiらと同様に最大偏析濃度25 at%に相当する偏析量を9.5 atom/nm2として換算した24)。
(9) |
[C]や[P]は各合金元素の粒界偏析濃度(単位はat%)である。上式で粒界凝集エネルギーに対するC,Pの影響を考慮することができる。適用対象である焼戻しマルテンサイトに含まれる脆化元素のうち,Mnの脆化能と粒界偏析量の関係は未だ報告されておらず,Itoらによって3.6 atom/nm2での脆化能が報告されているに留まる26)。そこで,Mnの粒界偏析による偏析量と脆化能の関係を調査した。
Grain boundary cohesive energy changing the grain boundary concentration of C and P reported by Yamaguchi11).
最後に,粒界凝集エネルギーに対するMnの粒界偏析影響の評価方法を記載する。評価方法は第一原理計算の1つである密度汎関数法(Density Functional Theory;DFT)を用いた。全エネルギー計算や構造緩和計算は擬ポテンシャルとしてProjector-Augmented-Wave法を用いた。Vienna Ab initio Simulation Package(VASP)コードにより実施した27,28)。交換汎関数はPerdew-Burke-Ernzerhofタイプの一般化勾配近似汎関数を用いた29)。カットオフエネルギーは520 eVとした。k点メッシュはMonkhorst Pack法で分割した30)。分割数はセル①の場合3×4×2,セル②の場合3×4×1とした。収束性向上のため0.2 eV幅のMethfessel-Paxtonのsmearing 法を用いた31)。構造緩和の収束条件は,エネルギーで10−4 eV,原子にかかる力で0.02 eV/Åとした。また,Mnの磁性については,本研究で粒界凝集エネルギーを適用する鋼種が0.05 mass%以上のCを含む焼戻しマルテンサイトであるため,Itoらの考察に基づき,粒界偏析したCの影響によりMnが強磁性的結合を有すると仮定して粒界脆化能を評価した26)。
粒界凝集エネルギーはFig.8のように粒界面2つを有するセル(セル①,サイズは0.692×0.799×1.53 nm3)と粒界1つと表面2つを有するセル(セル②,セル①の中心に存在する粒界を1 nm分離して構造緩和。)のエネルギー差を粒界面積で割ることで算出した。Mnによる粒界脆化能∆2γintの算出式は以下の通りである。
(10) |
Cells to calculate the grain boundary cohesive energy by DFT calculation. (Online version in color.)
Egbtotはセル①の全エネルギー,Efstotはセル②の全エネルギー,Sは粒界面積(0.692×0.799 nm2),2γint(Fe)はMn非添加時の粒界凝集エネルギー(3.88 J/m2)である。この純鉄における粒界凝集エネルギーは,Yamaguchiの計算値(3.8 J/m2,式(9)の右辺第一項)と一致している11)。
また,計算結果の妥当性を調査するために,Mnの粒界偏析エネルギーと表面偏析エネルギーを評価し,過去知見と比較した。粒界偏析エネルギー∆Egbの算出方法は以下のとおりである。
(11) |
Egbtot(Mn)は粒界直上のFe原子をMn原子に置換した場合のセル①の全エネルギー,Egbtot(Fe)はMn非添加の場合のセル①の全エネルギー,NはMnの置換数,∆Esubatom(Mn)はFe完全結晶中にMnを置換させた場合のエネルギー変化量(bcc単位胞4×4×4,総原子数128 atomsにMn 1 atomを置換)である。なお,Fe 2 atomsをMn 2 atomsに置換する場合は,同一y座標の置換サイトに置換した。本研究のセルはItoらのセルをy方向に2倍にしたものであるため,Mn 2 atomsの置換によって得られる粒界脆化能をItoらの計算値と比較することで妥当性を評価することが可能となる。また,∆Esubatom(Mn)の算出式は以下の通りである。
(12) |
EFetotはFe完全結晶の全エネルギー,EMntotはMn 1 atomを置換したセルの全エネルギーである。表面偏析エネルギー∆Efsも同様の方法で求めた。
(13) |
Egbtot(Mn)は粒界直上のFe原子をMnに置換した場合のセル①の全エネルギー,Egbtot(Fe)はMn非添加の場合のセル①の全エネルギーである。
提案した破壊条件式の妥当性を調査するために,破壊条件式による計算値とPetchモデルによる計算値,過去に報告されている実験値との比較を行う。そのためには,2章で数値を明かにしていないβを決定する必要がある。そこで,Almondらが報告している軟鋼の破壊応力のうち,結晶粒径と降伏応力以外のパラメーターが同程度(Hall-Petch係数:24 MPa/m2,セメンタイトサイズ:2.5 µm)の破壊応力と,βを変化させた場合の計算値を比較した19)。Fig.9にβ=0.20,0.25,0.30の時の破壊応力の計算値と実験値を示す。β=0.25での粒径依存性が文献値に最も近いため,本研究ではβ=0.25を用いて劈開破壊応力や粒界破壊応力を算出した。
Ferrite grain size dependence of fracture stress as a function of β. Experimental values by Almond et al.19).
Fig.10に本モデルによる計算値やPetchモデル7)による計算値,AlmondらやGroom and Knottの軟鋼の実験値19,32)を示す。Petchモデルによる計算値と本モデルの計算値を比較すると,粒径依存性は同じであり,本計算値の方がPetchモデルの値よりも実験値に近いという結果であった。Almondらの実験値はPetchモデルの有効表面エネルギー算出時に引用された文献値の1つであるため,Petchモデルと同様の粒径依存性を示したと考えられる。一方,破壊応力の計算値は,Petchモデルよりも本モデルの方が近い値を示したことから,より再現性が高いと考えられる。
Petchの式では考慮できなかった歪速度依存性と温度依存性の再現性を調査するため,Oatesが報告している軟鋼の破壊応力の歪速度・温度依存性との比較を行った33)。なお,降伏応力の温度依存性と歪速度依存性も文献に記載されていたため,温度依存性と歪速度依存性はWES2808の強度推定式ではなく,Oatesらの実験値を用いた。Fig.11にOatesらが報告している(a)降伏応力の歪依存性および温度依存性と,(b)破壊応力の歪速度依存性と温度依存性を示す。OatesはMn添加鋼の破壊応力は歪速度依存性や温度依存性を示すのに対し,Fig.11(b)のように軟鋼の破壊応力は682 MPaで一定で,歪速度依存性や温度依存性は確認できないとしている。しかしながら,歪速度0.2 cm/minや20 cm/minでの破壊応力の実験値は高温になるほど破壊応力が上昇する傾向が見られ,その傾きは計算値の温度依存性に対応している。また,歪速度0.002 cm/minでの実験結果は温度依存性が小さい温度域であることに対応すると考えられる。以上のように,本モデルはPetchモデルで考慮できなかった破壊応力の温度依存性や歪速度依存性を考慮できることが確認でき,実験結果とも定性的に一致している。
粒界破壊応力の計算値と実験値を比較するために,Mnの粒界偏析濃度と粒界脆化能の関係が必要なため,4・1節で第一原理計算による粒界偏析濃度と粒界脆化能の関係を記載し,4・2節の粒界破壊応力の計算値と実験値の比較を行った。
4・1 Mnの粒界偏析濃度と粒界脆化能の関係粒界偏析エネルギーと表面偏析エネルギー,粒界凝集エネルギーの変化量(粒界脆化能)に対するMnの粒界偏析濃度の影響をFig.12に示す。表面エネルギーは偏析量に比例して低下,すなわち,1 atom当たりのMnの表面偏析エネルギーは一定であるのに対し,粒界偏析エネルギーは指数関数的に低下した。これらの結果は,反強磁性的結合を有するFe–Mn結合での評価ではあるものの,粒界のような原子密度の低いサイトに固溶しているMn原子とFe原子との結合はバルク中でのFe–Mn結合よりも安定的な結合を有するというXuらの報告と一致している。さらに,粒界偏析エネルギーは指数関数的に低下したことから,表面でのMn–Mn間の相互作用は小さいものの,粒界ではFe–Mn結合がMn–Mn結合に置き換わることで,Mnがより安定的に粒界に存在できることを示唆している。以上のような表面偏析エネルギーと粒界偏析エネルギーの関係により,粒界凝集エネルギーに対するMnの粒界偏析濃度の影響は0–7.2 J/m2の間で極大値をとるような結果となった。この結果を二次関数で近似し,式(9)に取り込んだ。Mnの影響を含む粒界凝集エネルギーと合金元素の関係は以下の通りである。
(14) |
上式にYoshimuraらが報告している粒界偏析濃度を代入することで,粒界凝集エネルギーを推定した。また,本計算結果の妥当性を評価するために,ItoらのDFT計算結果との比較を行った26)。Mnの粒界偏析量3.6 atom/nm2での粒界凝集エネルギーと粒界偏析エネルギー,表面偏析エネルギーをTable 1にまとめた。表面偏析エネルギーが0.01 eV/atom程度の差があるものの,よく一致している。さらに,粒界直上でのMnの磁気モーメントの本計算結果は2.8 µbであった。この結果もItoらの結果と一致している。以上の結果から,本計算結果はItoらの計算と近い計算を実施できていると考えられる。
Changes of grain boundary cohesive energy, grain boundary segregation energy and free surface segregation energy as a function of grain boundary concentration of Mn.
Energy | This work | Literature26) |
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−∆Egb (eV/atom) | −0.06 | −0.06 |
−∆Efs (eV/atom) | −0.10 | −0.11 |
−∆2γint (eV/atom) | 0.04 | 0.05 |
まず,Yoshimuraらが報告しているC,P,Mnの粒界偏析濃度と式(14) から計算される粒界凝集エネルギーをTable 2にまとめた。各C量での粒界凝集エネルギーは,いずれも表面エネルギー(5.0 J/m2)より低値であることから,粒界破壊が発生しうる粒界凝集エネルギーであることを示している。次に,これらの粒界凝集エネルギーから計算される粒界破壊応力をFig.13に示す。破壊応力の計算値は実験値よりも300 MPa程度高いものの,粒径依存性はよく再現できている。以上の結果から,本モデルは劈開破壊だけでなく,粒界破壊にも適用できることが明らかとなった。
Carbon content (mass%) | 0.05 | 0.1 | 0.3 |
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2γint (J/m2) | 4.36 | 4.37 | 4.41 |
Relationship between fracture stress and ferrite grain size. Experimental values are reported by Yoshimura et al.23).
靭性予測モデルにおけるStage 1とStage 2の現象モデルをBrechet-Louchetモデルに基づいて提案した。さらに,粒界セメンタイトに生じた亀裂が母相フェライト組織(あるいは旧γ粒界)に伝播するために必要な応力(本研究における劈開破壊応力や粒界破壊応力)を算出できる式を立てた。本モデルから得られる劈開破壊応力は過去に報告されている実験値を再現するだけでなく,温度依存性や歪速度依存性も考慮できることが明らかとなった。さらに,粒界凝集エネルギーを提案式に組み込むことで,粒界破壊応力も再現できることが分かった。本手法により靭性予測モデルの高精度化および様々な鋼種への適用が可能となり,靭性への組織や強度,合金元素の粒界偏析影響など破壊現象の理解深化が期待される。
本研究は,著者が所属する「日本製鉄株式会社」の研究費で実施された。