2023 Volume 1 Pages 11-14
2022年7月21日にTHINK Lobbyの設立を記念して「社会変革は『わたし』の手から~市民社会シンクタンクの挑戦」を開催した。閣僚である台湾デジタル担当政務委員(当時)のオードリー・タン(唐鳳)氏による基調講演では、「社会変革と市民」について台湾での具体的な体験をもとにお話を伺い、コメンテーターの阿古智子氏(東京大学大学院総合文化研究科教授)との対話セッションでは、暴力や戦争などわたしたちが現在直面する課題をめぐり、市民が協働することの意義を深く掘り下げた。
タン氏の基調講演は、「デジタルデモクラシー」の精神を台湾のタピオカミルクティにたとえるユニークな語りで始まった。タピオカやミルク、お茶の組み合わせで幾通りもの作り方があり、だれもが自由に自分なりの改作をしてレシピを分かち合うことと、「開放的な革新」やデジタルデモクラシーのあり方は似ている、と指摘した。
台湾では、1996年の総統の直接選挙と同時期にインターネットの普及が始まり、デジタルとデモクラシーの2つの概念は互いに不可分なものとして進化した。タン氏は、「デジタル技術が空間と時間の制限を突破し、公共のスペースに市民がいつでも自由に参加できるスペースを作ることができた」と、語る。具体的な例として、国税の電子申告システム改善や、新型コロナ対策のマスク販売情報などを挙げた。
タン氏がデジタルデモクラシーで重要だと強調したのは、オープンな公共スペースで官民が協働することだ。「飴が欲しいと騒ぐのではなく、一緒に台所に入って作る。人々のために、ではなく、人々と共に、という発想」が必要であり、そのためには「立場が違っても同じ価値観を持ち、問題の解決策を共に考えるという協働が不可欠だ」と、述べた。「政府が市民を信頼することで市民が政策決定に参加しようと思う。そして共通の目標を持ち、解決策が提案され、直ちに変化が現れる。選挙を待つまでもなく、市民がどこでもいつでも自分の意見を述べ、生活により良い影響を与えることができる」と、語った。
タン氏と阿古氏との対話は、まずタン氏が示した、「競争ではなく協働が重要」という視点から始まった。
阿古氏
(シンクロビーが掲げる「私たちの考える市民とは」を引用しながら)経済成長が鈍化し、社会が高齢化し、所得が伸びず、財政悪化が深刻化している社会状況下で、人権を否定する動きや格差の拡大、暴力や紛争の多発も問題になっています。そのような中で、一人ひとりが市民として力を発揮できるスペースをどう確保するか、を考えながらオードリーさんの話を聞きました。
市民として力を発揮できるスペースはどのようにしたら創ることができるのかを考えた時、オードリーさんが言う『競争ではなく協働』という発想、さらに『なるべく自分が無欲な状態でスペースを構築する』という考え方にヒントがあると思いました。競争をすると他者の価値観を尊重できません。ひと握りの勝者を称えるだけでさまざまな評価の側面があることが隠れてしまい、多様性が失われるということでしょう。
オードリーさんの発言の背景には、老子の思想『道徳経』がありますね。「 高い山の功績を讃えるのではなく、低い谷について多くのことが語られている」ことや、「一に慈悲、二に倹約、三にあえて世間で一番にならないこと」という「三宝」という教えなど。なぜ一番にならない方がいいのでしょうか。
タン氏
競争をすると、構造的な問題の解決には至りません。力を合わせて解決するということができなくなります。社会問題の解決は決して個人だけでは成し遂げられないのです。
タン氏の講演の中では、新型コロナ対策など台湾政府と国民とがコミュニケーションを深めて成功した政策が紹介された。
阿古氏
台湾での取り組みで失敗した事例はあったのでしょうか。そこから学んだことは何でしたか。
タン氏
失敗の経験はあります。そして、過ちこそが、『招待状』なのです。「招待状」とは、失敗を踏まえ、国民の声を反映させたより良い政策へと至る導きのことです。
失敗から生まれた成功事例として、台湾の「マスクマップアプリ」があります。新型コロナの感染拡大が始まったころ、マスクが不足することが明らかだったため、政府はスムーズに、そして公平、適切にマスクが国民にいきわたる方法を打ち出す必要がありました。そこで台湾政府はマスクを買い上げて、国民が健康保険証を提示して実名で購入するシステムを作り、不当な買い占めを防ぐことにしました。それだけでなく、どこのコンビニエンスストアや薬局にマスクがあるのかが一目で分かる「マスクマップアプリ」を開発しました。
しかしこのアプリも、立ち上げ当初は失敗があったのです。マスクを販売する薬局の人たちがシステムに理解を示さず、「アプリを信じるな」と貼り紙をしていた店もありました。そこで混乱が生じた時には、薬局の人たちから意見を集め、問題となった部分の改善に取り組んだのです。
苦しんでいる人、困っている人、諦めている人たちは、政府を信じられなくなります。そういう人たちと政府をつなぐためのコミュニティを作ったことで、解決につながることがありました。私自身が全ての答えやアイデアを持っているわけではなく、人々の声を聞くコミュニティ、スペース、つながりを作り上げたところに、成功のカギがあるのです。
基調講演でも詳しく説明されたが、台湾で幅広い年代の国民が自由に提案や意見を提示することができるプラットフォーム「ジョイン」がある。国民からの提案が、一定期間に一定数の賛同を得た場合、行政は対応をしなければならない。このシステムには、政治や行政の場での「傾聴」を重視する姿勢がうかがわれると同時に、「飴が欲しいというだけでなく、台所で一緒に飴を作ろう」という考え方も大事にするタン氏の姿勢がうかがわれる。
一方で、こうしたプラットフォームがたとえ日本で生まれたとしても、日本人は議論や提案に慣れておらず、うまく活用できないのではないか、という質問が出た。場を創るだけでなく、政治的なリーダーシップなど、そのほかに必要なことがあるのか、日本への助言として聞きたい、という趣旨の質問だった。
タン氏
カナダのシンガーソングライターであるレナード・コーエンは、Anthemという歌で、「まだ鳴る鐘を鳴らせ。完璧を求めるな。すべてのものにヒビがあり、そこから光が差し込む」という趣旨のことを言っています。
たとえ完璧ではなくても、場を創り、挑戦をし続けることで光が差し込みます。また、政治や行政のリーダーは、彼らが重んじる制度や権威と同じように、市民のコミュニティを正統な社会課題解決のアクターとして認識することが必要です。一人や一部の人に力が集中してしまうと危険であり、これを避けるために台湾では「縦割り行政を打ち破る試み」をしています。公務員が、他部署で扱うテーマについて、一人の市民としてディスカッションをするというものです。公務員が「一人の市民」として社会課題に向き合うことにより、権力の乱用や独占を防ぎ、市民の声に耳を傾ける意識を持つという効果があります。
設立イベントの開催2週間前には、安倍元首相の殺害という衝撃的な事件が起きた。
阿古氏
事件の背景には、非常に苦しい生活の実態や宗教の影響もありました。声を出したくても出せない人たちがいます。閉ざされた空間に置かれた人たちが、どこかで気持ちを発散するということができていれば、ほかに方法があったのかもしれません。深刻な社会構造の問題があるのではないかと思います。
また、オードリーさんの話から、市民が社会構造の変化をもたらす方法として、政府や自治体に頼らなくてもいい「ソーシャルセクター」や「市民科学」の果たす役割が想起されました。
日本で過去に市民科学が変化をもたらした例としては、水俣病の経験があります。水俣病では、専門家ではない患者や漁業者こそが現場の知識を持つ経験者として被害や加害の証明に当たり、大きな役割を果たしました。ソーシャルセクターが社会を動かした好例と言えます。新たにデジタルを用いて、こうしたソーシャルセクターのスペースを作っていくには、どのような考え方が大切でしょうか。
タン氏
台湾でも2014年の「ひまわり学生運動」以前では、政府への信頼度は非常に低かったのです。特に若者たちの間には、政府に言っても仕方がないという無力感が漂っていました。しかし、ひまわり学生運動を経て、人々は市民と政府が協力して変化を起こせることを体感し、公的な要素を大事にするという気持ちが生まれました。大切なことは官民の信頼関係。信頼関係の基盤がなければ、暴力が発生する余地ができてしまいます。政府も市民も互いの能力を活用して協働していくことが大切です。
阿古氏
ロシアによるウクライナ侵攻や台湾有事を踏まえ、戦争の時代に何ができるのかをお聞きしたいと思います。2014年の「ひまわり学生運動」においてオードリーさんは、シビックハッカーグループの友人と学生が占拠していた立法院の会場にケーブルを持ち込んで、建物内のインターネットの帯域幅を広げる手伝いをしました。対立する双方に技術提供をすることで情報をオープンにし、双方の判断ミスを避け、対話を広げることに貢献するものでした。本当にこれは素晴らしいことです。そして、私も、中国の文化がとても好きで、いつも中国の友人たちのことを思っています。対立を避けるためにこの時代にわたしたちは何ができるのでしょうか。
タン氏
「鐘を鳴らすこと」が重要です。どんな状況下においても「鳴る鐘」を探すこと、そして「自分のミュート」を解いて、情報を共有し、ファクトチェックし、官民が信頼し、対話し、協業して市民社会を築いていくべきなのです。
タン氏
昨日(講演の前日)、東京の中学生たちとのビデオ会議に出席していました。私は政府の人たちと、若い子どもたちとをつなげたいと思っています。まだ選挙権もない若い人たちは、社会を変えるということに具体的な手段を持ちません。意見を提示する機会がありません。ただ、これからの未来というのは、彼らが過ごす時間です。これからの未来を過ごす彼らが連帯するプラットフォームを創ることが重要です。投票に行けということだけでなく、それ以外の場でも日々働きかけてアクティブな市民を育んでいくことが大切なのです。
世界から注目されるオードリー・タン氏と、「行動する論客」として活躍中の阿古智子氏の対話は、THINK Lobbyの設立記念イベントにふさわしく、最新の国際情勢から思考を掘り下げる意義深い展開となった。お二人と、ご参加いただいた皆様に感謝をし、さまざまな課題に力強く取り組む「市民社会シンクタンク」として成長していきたいと考えている。