THINK Lobby Journal
Online ISSN : 2758-6162
Print ISSN : 2758-593X
Research Note
Challenges raised from the Change of Bangladeshi NGOs' Main Strategy
~A Case Study of local NGOs in Narsindi District~
Masaaki OHASHI
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2023 Volume 1 Pages 15-29

Details
Abstract

The main strategy of Bangladeshi NGOs for development has gradually changed from the so called “Shamity Approach”, which was based on raising consciousness of the rural poor and their unity in 1980s, to the Micro Credit (MC) and/or the Micro Finance (MF), which provides small non-collateral credits to the rural poor, initiated by Grameen Bank in the 1990s. The author has critically looked at this change among NGOs as they have become mere loan sharks. This paper is examining how this change took place in Narsindi District, which is not so far from the capital, Dhaka. Among the 5 largest local NGOs in the District, 2 were established in the 80s, adopting the Shamity Approach, while the others were established in the 90s with MC/MF from the beginning. Recently they have gained some freedom to utilize the profit of MF for social development. More observation is needed in the future to witness the local NGOs in Bangladesh.

序章:バングラデシュにおけるNGOの歴史と概観

「泥と血」1)と表現された10か月間に亘る厳しい独立戦争を経て、バングラデシュは1971年末に独立を達成した。しかしその過程とその直後に貧困と飢えに苦しむ人々の姿は、68~70年にアフリカのナイジェリアでの内戦で200万人もの餓死者が出た、「ビアフラの悲劇」に続くショッキングな事態だった。このため世界各地からバングラデシュのための支援が開始され、米国ニューヨーク市のマディソン・スクエア・ガーデンでは、71年8月に元ビートルズのジョージ・ハリスンとインド出身のシタール奏者ラヴィ・シャンカールが主催し、エリック・クラプトンやボブ・ディランなど多数が参加する「バングラデシュ・コンサート」が開催された。

日本からも、日本赤十字社が人員と物資を送ってノアカリ県ハティア島を支援した他、プロテスタント系の日本キリスト教協議会とカトリックのカリタス・ジャパンが「バングラデシュ農業復興奉仕団」を組織した。この奉仕団は、72年4月から7月まで、50名の日本の若者をバングラデシュ各地の農村部に派遣し、戦争で失われた働き手や牛に代わって田畑の耕作を支援した。さらにこのうちの数人が同年9月に東京で、「ヘルプ・バングラデシュ・コミティ(HBC)」を結成し、日本のNGOによる継続的な支援が始まった。

バングラデシュ現地にも世界中からNGOが集まり、70年代前半の独立期の混乱、続いた飢饉や洪水などに対応した支援を行っていた。そのため別表1にもある通り1983年になるまで、バングラデシュにおけるNGOの数は、外国のものがバングラデシュのものより多かった。

但し70年代初期にも、バングラデシュの人々によるNGOが生まれていた。最初に生まれたものの代表格を、いくつか挙げておこう。

独立戦争時にインドのトリプラ州に450床の大規模野戦病院を組織して大活躍したザフルッラ・チョウドリー医師(Dr. Zafrullah Chowdhruy)が創設し、草の根の民衆に奉仕する理想的な医療組織を目指した民衆健康センター(Gono Shasta Kendra、以下GK2))は、病院や診療所に加えて保健医療系の大学や製薬会社などを抱え、大規模な活動を続けている。この創設者ザフルッラ・チョウドリー医師は、1982年に国内で生産される医薬品の輸入を禁止する「国家医薬品政策」の実現に尽力したことで知られ、80歳を超えた今でも政府に対して批判的な発言を続けている。

70年のサイクロン救援や71年の独立戦争支援に世界的に奔走したアベッド(Fazle Hasan Abed)が設立したBRAC(当初はバングラデシュ農村向上委員会、Bangladesh Rural Advancement Committee)は、世界一の規模を誇る開発NGOとして、国内64県だけでなく10の途上国でも活動し、オランダと英国と米国で資金集めを行い、他に銀行、大学、印刷、手工芸品など多くの分野で活躍し、資金の確保にも貢献している。このような拡大の裏には、独立戦争前はシェル石油の重役だった創設者アベッドの卓抜した経営能力があるのだが、アベッド自身は残念ながら19年に亡くなり、BRACは後継者に引き継がれている。

これらに加えて、プロテスタント系のバングラデシュ開発のためのキリスト教委員会(Christian Commission for Development in Bangladesh、以下CCDB)、カトリック系のカリタス・バングラデシュ(CARITAS Bangladesh)、クエーカー教徒の活動を引き継いだマダリプール県の民衆開発努力(Gono Unnyan Prochesta、以下GUP)、カナダ大学海外奉仕団(Canadian University Service Oversees、CUSO)から独立したリベラルで当初はマイクロクレジットに批判的だったPROSHIKA3)などが挙げられる。

74年の大飢饉に対する緊急救援期以降のバングラデシュのNGOの多くは、BRACが作成したテキストを用いた貧しい村人を対象とした成人識字教育を通して、ショミティと呼ばれる小グループの形成とそのエンパワーメントを行い、より公正な社会の実現をボトムアップで目指した。この成人識字教育は、元々はブラジル出身のパウロ・フレイレが「被抑圧者の教育学」で示した概念に基づいて、貧困層の社会に対する「意識化」を土台とするアプローチである。しかしこの「ショミティ方式」は、次第にグラミーン銀行4)が拡大していったマイクロクレジットの強い影響を受けて、衰退していく。

同国の国立チッタゴン大学のユヌス教授は、1976年に農村の貧困女性数名を対象にポケットマネーで融資して、彼女らの収入向上と完済が成功したことから、83年に政府系特殊銀行グラミーン銀行としてその活動を全国に広げていった。それまで識字能力や担保能力の不足のせいで、銀行の取引対象とは想定されなかった農村女性に対するマイクロクレジット(以下MC)やマイクロファイナンス5)(以下MF)での取引で成功し、グラミーン銀行の本店も支店も、対象者の利子払いの資金で、銀行業務に必要な全経費を賄え、さらには剰余をもたらすことを示した。

これにより、中長期的に安定した見通しを欠く外国の政府やNGOの特定のプロジェクト向け資金に依存し、貧しい村人が融資を得るまでには長い時間が必要な「ショミティ方式」などによる社会開発活動を行ってきたNGOも、農村部での市場経済を活用する、借り手を破産状態にすることもあるとして、グラミーン銀行のMCに批判的だった考えを、次第に変えるようになった。低利で原資を確保してMCそしてMFを行うことで、貧困層が高利貸しなどからの搾取を免れて収入をあげることで貧困削減に役立つ一方、NGOの自立した経済基盤を確立することができる、と考えられたからだ。

それでも、その後世界各地に広がったMCやMFがいくつかの課題を抱えていることは、今日では広く認識されている。例えば経済学者の内田は、以下を挙げている。

a.返済が借り入れの翌週から各週の1年以内なので、農業などの零細自営業者には使い勝手が悪いこと

b.ニードは高いが返済リスクの高い貧困層を排除する傾向

c.担保代わりに連帯責任制度を採用すると、地域の連帯メカニズムを破壊すること

d.夫や息子が資金を活用し、女性が借り入れと返済の責任を負わされ、女性のエンパワーメントになりにくいこと(内田、2018)

話を元に戻そう。バングラデシュ政府が世界銀行などの協力を得て農村仕事支援財団(Palli Karma-Sahayak Foundation、以下PKSF)というNGO向けの非営利金融組織を、1989年に創設したことによって、MCやMFのために低利の資金を提供し始めることで、NGOへのMCやMF普及は大きく進展する6)。続いてバングラデシュ政府は、06年にバングラデシュ中央銀行総裁をトップとするマイクロクレジット監督庁(Microcredit Regulatory Authority、以下MRA7))を創設し、MFを行うNGOに対して、その認可のための審査を実施したり、利子率や回収方法、報告様式や利益処分などのガイドラインを定め、監督するようになった。

2021年にはマイクロ金融機関(Micro-Finance Institutes、以下MFIs)とも呼ばれる700程のNGOがMFを行い8)、農村の人々の資金需要に応えている。またこのうち221のNGOが、PKSFから資金を得ている。元々はボトムアップの社会開発を目指していたNGOが、こうしてMFIsになり変わり、社会開発活動がおざなりになっている状況、さらには後述するようにMFが貧困対策というより自己資金確保の手段になっていることを、筆者は予てより「NGOのサラ金化」と捉え、快く思っていなかった。

というのは、グラミーン銀行を含めてこれらのMFIsは、この活動の結果として貧困状態を脱した、という卒業生を基本的に生み出していないからだ。換言すると、返済に滞りのない借り手はMFIsにとってリスクの少ない上客であり、その人たちの経済状態が向上したからと言って融資の対象から外すのは、リスクを高め収入を減らすことに繋がるからだ。またMFIsを監督する政府のMRAは、06年の発足以来MFの利益を社会活動に使うのを原則禁止し、MFIsの自己資本を増やすようにしていた。

しかし4~5年前からは、それぞれの財務状況を考慮したうえで、社会活動への支出を認めるようになってきている。特に20~21年の新型コロナウィルス感染症の流行に対する対応のために、純剰余資金を活用した自主的な社会活動をMRAが勧めるようになってきた。

しかしバングラデシュのNGOがMFを導入してきた背景には、次章以下にも述べたように、私たち北のNGOやドナーが使途と期間限定のプロジェクト支援を中心にしていること、北のNGOも自国のドナーから予め決められたプロジェクト資金を受け取っている場合が多いことで、南のNGOにとっては現場の状況に応じたフレキシブルな活動の実施が困難なことと資金の中長期的見通しが立ちにくいこと、組織運営のために必須な管理経費を確保しにくいこと、そして大規模な災害や紛争・難民流出などが新たに起きると、世界的な資金の流れが変わっていくといった状況がある。つまり私たち自身の南のNGOへの関わり方が根底にあることを、認めざるを得ない。本論は、バングラデシュのNGOが生き残っているために戦略を大きく変更したことが、 政府から独立した市民社会組織としてのNGOに、どのような影響を与えているかを、 具体的に検討するものだ。

表1: 1981~2020年までのバングラデシュの登録NGOの数の変遷
NGO数合計 バングラデシュNGO 外国NGO
1981 113 45 62
1985 192 112 80 83年にバングラデシュNGOの数が外国NGOより多くなる
1990 494 395 99

87・88年に大洪水

1990年に民主化

1995 1,057 882 132
2000 1,544 1,382

162

(10.5%)

2010年6月 2,535 2,305 230 81年に比較してバングラデシュNGOsは51倍に、外国NGOsは3.7倍
2010年12月 2,511 2,259

252

(10.3%)

484NGOsが登録取り消し
2020年7月 2,510 2,254 256 680NGOsが登録取り消し

出典:Sauces NGO Affairs Bureau HP、下澤嶽、1999、「開発援助とバングラデシュ」、Ctr. for Not-for-Profit Law、 http://www.icnl.org/research/monitor/bangladesh.htmlなどから、筆者作成

I.ノルシンディ県とそのNGO

1.ノルシンディ県について

ところでダッカなど主要都市を基盤に全国規模、あるいは世界的規模で活動するNGOの発展経緯と現状については別稿に譲り、本稿では首都ダッカの東北にあるノルシンディ県の主要な開発NGOの状況を垣間見ることにする。別稿が完成したら、この地方のNGOの発展が、全国規模の巨大NGOとどのような共通性や差異があるのかを明らかにしていくことを、最終的には目指すつもりだ。

日本の国土面積の40%しかないバングラデシュには、全国で64県(District)があるので、バングラデシュの県の平均面積は日本の47都道府県のそれよりは相当小さく、このノルシンディ県も面積が1,150㎢なので、2,194㎢の東京の半分ほどである。首都ダッカから東北の方向にナラヤンガンジ県を超えて約50キロ、車で2時間余りのノルシンディ県は、2019年推定で県の人口は2,224,944人9)、つまり一平方キロ当たりの人口密度が1,934人、2021年のバングラデシュの1,152人10)と比べてかなり人口稠密である。ここでは古くから続いてきた手織物産業、現在は縫製業や各種の軽工業、そして都市近郊農業が盛んで、大河メグナ河に面している。大雑把に日本の都道府県と同定すると、首都からそう遠くなくかつ繊維産業が盛んな群馬県といったところだろうか。

本章の以下は、基本的に県のNGOとしては最大規模で、県長官と県NGOとの協議会の代表者を務めているPoverty Alleviation through Participatory Rural Initiatives(参加型農村イニシアチブを通じた貧困緩和、PAPRI11))の現在62歳のバセッド専務理事(Executive Director Mr. Abu Based、バセッド)とそのスタッフたちからの聞き取り(バセッド他、2212))を土台に描いたものである。

2.ノルシンディ県における開発NGOの始まり

このノルシンディ県に開発NGOが本格的に登場したのは、1980年以降と推定される。

同県東北部のべラボ郡出身で、1980年頃は10年生修了試験(SSC)を終えたばかりの17歳前後の青年だったバセッド(Abu Based)は、社会主義系の政党の地元の活動家だった。その彼は、82年頃に地元でシャプラニール(当時はHBC)と出会ったのが、NGOとの最初の出会いだった、それまで外国やバングラデシュのNGOと出会うことはなかった、と言っている。

ところが現在では世界最大規模を誇るBRACが同県に進出したのは、当時スタッフとしてその担当責任者だった、現在は評論家として活躍するモヒウディン(Mohiuddin)によると、80年のことだという。現地の機織り業者たちを組織化して融資で支援するために事務所を開設した(モヒウディンインタビュー、2022)。

また後述する同県では現在3番目の資金規模を誇りMFを実施するNGOの覚醒女性厚生協会(Jagarani Mohila Kallyan Sangstha、以下JMKS)の創設者で、22年で64歳のムスリマ・ジャハン(Ms. Muslima Jahan)によると、84年にBRACがノルシンディ県でMCの活動を始めた、と言っている(ムスリマインタビュー、2022)。

3人の証言に多少の食い違いはあるが、最初に述べたようにNGOというものがノルシンディ県で活動を始めたのが80年代であることは一致している。ダッカで70年代に生まれたNGOが活動を拡大して、ダッカ近郊の地方県にまで到達しだした、ということだろう。もちろんそれは場所次第で、シャプラニールが74年に農村での活動を始めたダッカ西隣のマニクゴンジ県は、筆者たちが「NGO銀座」とも呼ぶほど70年代中盤以降からNGOの数が多かった。

Ⅱ.PAPRIに見る主な活動の変遷

本章では特に表示がない限り、2022年9月28日から10月1日にPAPRIのバセッド専務理事や主要スタッフからの4回の聞き取りをもとにしている。バセッドに依存することによって生じる何らかのバイアスの危険性は排除できないが、バセッドのような中心的役割を演じている人物の支援がなければ、本稿は成立しなかったことも事実である。

1.PAPRI前史

日本のNGOシャプラニールは、80年代当初他の多くのバングラデシュNGOに倣って、土地なしの貧しい村人をショミティと呼ばれる男女別の小グループに組織化し、数か月間に亘る成人識字教育(Adult Functional Education)を通じて生活のためだけでなく、社会の仕組みやその矛盾に対する意識と団結の重要さを学び、共同でより公正な社会を求めていく「ショミティ方式」で、全国7か所で小規模な農村開発活動を80年から開始した。ノルシンディ県では、同県北東部のべラボ郡ナラヤンプール地区シャッラバード村で、「シャッラバード村貧農協会(SLRA)」を組織し活動を開始した。当時のバングラデシュ人ワーカーが、前職時代に関わりがあったことがここで活動を始めた理由である。

一方その地域では、後にPAPRIの中心人物となるバセッドを含む地元の若者たち何人かが、社会主義系政党の政治活動を行っていた。81~82年頃、その仲間がシャプラニールと接触した。当初は外国人つまり敵ではないかと警戒して見ていたが、シャプラのスタッフが貧しい人々のところに直接赴く姿勢と人権を語るのを見て、徐々に打ち解けていった。その結果シャプラニールは、84年頃にバセッドらの活動家数人を現地のスタッフに採用し、彼らは土地なしの村人のショミティの一層の組織化とその活動の充実に取り組み始めた。その活動には、ショミティメンバーからの定期的貯金の徴収と、そうして集まった資金にシャプラニールからの資金も加えた、収入向上のための融資(クレジット)の提供が含まれていた。

当初一つの村のショミティから始まったここでの活動は、バセッドたちが参加した84年以降周辺に拡大し、アムラボ地区でもショミティ数が増えていく。そうして増えた地元近隣のショミティを糾合した「民衆開発センター(Gono Unnoyan Kendro)」がナラヤンプールで設立され、バセッドたちはシャプラニールではなくその民衆組織に雇用されたワーカーとして一層の活動に取り組んでいった。

ちなみにバセッドによると、採用された当時、シャプラニールを除くと現地に他のNGOはなかったが、当事者によるショミティはあったという。しかしその後80年代中盤頃に、政府の社会福祉省社会サービス局に登録した地元NGOの数が20~30に増え始め、その多くがショミティ方式を採用していたという。

さらに86年にMC/MFを大規模に実施するグラミーン銀行がノルシンディ県に到来し、その2年後の88年にその創設者ユヌス教授(Dr.Yunus)がノルシンディ県に来訪した。この当時、グラミーン銀行によるMC活動の開始は、金銭的インセンティブの小さなショミティにネガティブな影響を与えることは少なかった。というより、MCの活動によって女性が家の外に出る機会を提供したので、ショミティ活動にはポジティブな影響を与えた。

シャプラニールでは87年に活動方針に変更が生じて、それまで地元の民衆組織だった民衆開発センターを、シャプラニール直轄の地域開発センター(Community Development Center、CDC)に衣替えして、全てのスタッフは再度シャプラニールのスタッフとして活動を続けることになった。ノルシンディ県では、ナラヤンプールCDCと程近くのアムラボCDCの2つになった。

この当時にこの活動を調査したシャプラニールのデータによると、96/97年当時、ナラヤンプールには169の、アムラボには151のショミティがあり、それらは下の表2から他CDCに較べて高い成熟度を見せていたことが読み取れる。

ここでは詳細は省くが、シャプラニールでは97年末から全CDCの大半のスタッフが、有期雇用から終身雇用への転換を求めてストライキに入り、全てのCDCを占拠した。この解決に向けた話合いを通じて、雇用の一定期間の保障と全てのCDC独立を支援することで98年1月に合意が成立した。その結果、ナラヤンプールとアムラボは、ストライキのリーダーだったバセッドが率いる一つの地元NGOとして独立する準備が、98年から始まった。そして翌99年に、参加型農村イニシアチブを通じた貧困緩和(Poverty Alleviation through Participatory Rural Initiatives、以下PAPRI)という組織として独立を果たした。

表2: CDC別ショミティの成熟度合(97年3月段階、単位:ショミティ数とその%、Eが最成熟)
グレード ナラヤンプール アムラボ ポイラ イショルゴンジ1 イショルゴンジ2 合計
A 45(26.6) 41(27.2) 46(38.3) 57(37.3) 70(43.2) 259(34.3)
B 49(29.0) 47(31.1) 28(23.3) 41(26.8) 58(35.8) 223(29.5)
C 50(29.6) 50(33.1) 36(30.0) 45(29.4) 28(17.3) 209(27.7)
D 15(8.9) 8(5.3) 4(3.3) 7(4.6) 6(3.7) 40(5.3)
E 10(5.9) 5(3.3) 6(5.0) 3(2.0) 0(0.0) 24(3.2)
合計 169(100.0) 151(100.0) 120(100.0) 153(100.0) 162(100.0) 755(100.0)

出所:Shapla Neer, Bangladeh Annual Report 1996-97を外務省から孫引き13

2.独立当初のPAPRIとMC・MFの始まり

PAPRI独立当時、それまでの活動の一環として現地のショミティに融資されていたシャプラニールの資金の総額は、約450万タカ(98年当時1タカ2.4円とすると約1,080万円)であった。シャプラからの独立を果たし、その後10年間ほどのプロジェクトへの資金支援の約束はあったものの、経済基盤を強化しなければならないPAPRIは、この資金を原資として04年からMC活動を徐々に進めていった。

バセッドによると、MCは資本主義的なアプローチなので社会主義的な考えを持つ自分としては嬉しくはなかったが、組織の生存と持続性を確保する方法として始めたという。当時のシャプラニールも、「(MCは貧困に)即効性があり有効かもしれないが、失敗の可能性のある個人ローン」(シャプラニール、2006、p.100~101)と捉えて個人への融資には慎重な姿勢を取り、ショミティと村人の自立心の育成を重要視していた。

しかし独立したPAPRIはその後もMCを非公式に継続し、その開始から4年後の08年に、政府のMRAから許可を受けて、公式にMC・MF活動を始めている。PAPRIにとって幸いだったのは、この年当時のシャプラニールの藤岡駐在員の支援を受けて、在バングラデシュ日本大使館から620万タカ(08年当時1タカ1.6円とすると約1千万円)の草の根・人間の安全保障無償の資金を、MC原資として受け取れたことだ。MC・MFの経営には、資金の借り入れ利子のコストが重たいのだが、日本大使館からの資金は無償資金、つまり貰えたものなので、PAPRIのMC・MFには大きな支援となった。

この当時、ノルシンディ県では全国規模のGBやASA14)、TMSS15)やBRACなどが大規模なMC活動を展開していたが、そこにPAPRIが県内NGOとして加わった。

3.PAPRIのMFの現状

現在のPAPRIのMC・MFの資本金は4.5億タカ(22年1タカ1.35円16)として約6億円)で、このうち会員の貯蓄は1.38億タカ(28.9%)で、そのコストである貯蓄利子は6%、残りの3.12億タカ(71.1%)は自己資金で、返済や利子払いが必要な銀行やPKSFの資金はない。ちなみにPKSFからの借入れ年利は4%かそれ以上、市中銀行は9%だが間もなく10%に値上げ予定とのこと。

PAPRIのMCの貸し出し年利は、MRAの規制に従って低減方式で24%、2週間ほどの利子猶予期間を含めて10か月(40週間)で返済なので計算上の年利は12.777%だが、村人には解り易いように千タカの借り入れで、週に25タカずつの返済、利子は合計で114タカと説明している。PAPRIがその資金をMCで常に貸し出せれば、理論上は年に資本金の24%近くの粗収入が見込まれる。

PAPRIの借り手は、10~30人程度(平均15人)のショミティと呼ぶグループを形成するが、複数グループが集まるセンターは作らずに、それぞれのグループの集会で取引を行っている。メンバー数が10人以下だと、取扱額にもよるがコストが上回る場合が多い。グラミーン銀行は、借り手5人で1グループ、その8グループの40人が集まるセンターで取引を行っていたので、今でも多くのMFIsは外部者にはそう見せているが、その形は実質崩れており、PAPRIはそう偽ることはしない。

22年6月段階で、県内5郡48行政村にある1,111のグループに属する2万人余りのメンバーのうち1.46万人を対象に、4.16億タカを貸し出している。つまり1人あたりの平均貸出額は2.85万タカ(約38,500円)で、貸出額の最低は1万タカ(13,500円)、最高は20万タカ(27万円)である。主要な使途は農業に続いてビジネス。前者は1件当たりの額は小さいが人数が多く、後者は額は大きいが人数は少ない。

今でも借り手のグループを作るのは、リーダーなどを選出し、その意思決定を尊重し、かつ回収に協力してもらうことが目的だ。稀だが、グループが融資に反対する場合もある。

貸し出す順番は、全員一斉ではなく、相手の希望とPAPRIの都合で調整している。PAPRIの都合とは、毎月ほぼ定額の融資を実施できれば、資本回転率が高く保たれ、利益率が高くなることだ。

借り手の99%が女性で、1%のみが男性。グループメンバーが集まる集会で貸し借りの業務を行うが、メンバーは皆仕事に忙しく、普段の集会は30分間も持てない。融資額が多いバザールの商人などには、戸別対応をする場合もある。但し20年から始まった新型コロナウィルス感染症予防に関するPAPRIからの情報提供のためには、時間を多少長く割いてくれた。

ローンを受け取った翌週から返済するが、今では事務所のPCに計算式ソフトがダウンロードされているので、繰上げ返済の場合などの返済額や利子額も簡単に計算できる。ただ38回目以降の返済では、利子の減免は行わない。

PAPRIのMF担当のスタッフは、一人で300人程度を担当する。それ以下だと赤字になるリスクが高いが、これも取扱額が多ければ、300人以下でも可能になる。22年のMCのための有給スタッフ数は135人で、これはPAPRI全体の81.8%に当たる。

以前から県内で活動している大手のNGO(MFIs) は、資金を安価に調達しているだけでなく、これまでに大口の良い客をつかんでおり、県内のMF活動の規模を今も拡大している。これに対して比較的最近にMFを始めたこの県の小規模NGOは、資本力が弱くスタッフの給与額も低いことなどから質の高いスタッフを確保できず、客の信用も高くなく、さらにPKSFや市中銀行が求める融資条件に対応できないためにそれらからの融資を受けられず、なかなか拡大できずにいる。ただPAPRIはシャプラ時代からの長い信頼関係がある借り手が多いので、こうした問題は少ない。客からするとPAPRIは信頼できるし、銀行より少し利子が高いが話を良く聞いてくれ、融通が利く金融機関となっている。

バセッドは、PAPRIのMFをPKFSや市中銀行からの融資でさらに規模を拡大することは可能だが、自分たちの能力に応じて徐々にそうしていくつもりと考えている。外部からの借り入れがない現在は、持続可能な状況にあるからだ。

ちなみにMRAが定めるMFの会計報告上でその財政の健全性を見るには、不良債権を含む融資額ではなく、純剰余額のその年度の回収額に対する割合で見たほうがよい。PAPRIのそれは5%程度だが、これには貸出し金利だけでなく、MFにおける他の手数料からの収入も反映している。

4.PAPRIの現在のMF以外の活動

前にも述べたように、PAPRIの現在の有給スタッフ総数は165人で、このうちMF以外の活動のために30人、全体の18.2%が割かれている。22/23年度の支出予算で見た場合、その15.3%がMF以外の活動のためで、ほぼ見合った割合となっている。

(1) 私立学校の運営

PAPRIは、2002年に日本のあるボランティアグループから資金を得て、ナラヤンプールの農村部に02年に私立中学校を開校し運営してきた。元々の計画では、この学校を政府に登録し、教師の給与分の補助金を貰うつもりだったが、それが上手く行かなかったので、運営資金の確保が長年の頭痛の種であった。このためPAPRIは、今から10年ほど前から、MFの剰余の一部をこの日本ボランティアスクール(以下NVS)の運用に使用している。

具体的なやり方は、MRAが定めるMFの会計報告の支出項目の一つ「出資金及び寄付(Subscription & Donation)」からの出金だ。ただこの方法だと、その支出先の詳細をMRAやPAPRI自身が正確に把握することが容易でないので、早晩改めることが必要になると筆者は感じている。

もう一つは、MFの資金をNGO本体の勘定に移して社会開発に使う方法だ。例えばPAPRI所有の建物や資金などを、その事務所やMF原資として貸し出すことで、それらの賃料や利子などとして、MF勘定からPAPRI本体の一般勘定に支払うことができる。

(2) 障がい者支援

PAPRIは、障がい者への支援を長年続けてきている。当初はPAPRIのスタッフが、バングラデシュのNGO「開発における障がいセンター(Centre for Disability in Development、以下CDD17))の研修を受けて、子どもへのリハビリ提供から始まり、当事者組織を作りその活動を支援したり、低利のMCを長年続けてきた。この間県内6行政村(Unions)でのこの活動は、02年に外国政府などのドナーからの支援を受けてバングラデシュで創設されたバングラデシュのNGOへの資金提供のための大手NGO「人々のための財団(Manusher Jonno Foundation、以下MJF18))」から資金を獲得してきたが、それが21年に止まったので、今はPAPRIの一般勘定から支出して活動を継続している。今後は、MRAの条件は満たしているので、MFの剰余金で継続的にこの活動を続けることになる。

新型コロナ感染症のパンデミックへの障がい者向けの対応のために、MFの剰余金に加えてドイツのSCIという民間会社とバングラデシュのCDDからの支援を受けて活動した。

(3) シャプラニール支援の小学校教育サポート

シャプラニールからの支援で、06年以来継続する5つの公立小学校をサポートするプロジェクトが続いている。

現在はチョールと呼ばれる大河に点在する中洲の島々に住む子どもたちが、小学校に全入すること、またドロップアウトしないことを目的にした活動を行っている。これらの島々は町から遠く離れており、全てに学校はないし、教師も毎日通勤するのが困難だ。これらの島で、親と村人と地方行政を巻き込んだ活動を続けている。

PAPRIの22/23年度の予算を見ると、この年度に本プロジェクトに652.1万タカ(1タカ1.35円として880.3万円)の支出予定になっている。

Ⅲ.ノルシンディ県の他の有力NGO

本章では、2022年の調査段階で資金規模ではPAPRIに続いて最大規模を誇る4NGOを、それぞれの団体の専務理事へのインタビューを基に順次紹介する。

  

1.ショミティ方式も続ける覚醒女性厚生協会(JMKS)

ノルシンディ県の女性NGOとしてPAPRIより前の85年に誕生し、リーダー世代交代の過程でMC・MFの規模が減少したが、それでも県NGOの中でMFの規模が3位で、世代交代が進み今後は新たな拡大発展を見せようとする覚醒女性福祉協会(Jagarani Mohila Kallyan Sangstha、以下JMKS)の女性創設者ムスリマ・ジャハン(Ms. Muslima Jahan)と、その後継者である長女夫妻19)から、JMKSの事務所で話を聞いたことが、以下である。

(1) 発足とショミティ方式

同県ではPAPRIよりも先の85年に創設し、88年に政府の社会サービス局20)に登録した現在3番目の資金規模を誇るNGOのJMKSも、当初はショミティ方式を採用し、女性によるショミティを40ほど組織化していた。

この際採用したテキストは、BRACが「被抑圧者の教育学」に従って作成した成人識字教育の教材が政治的に過激だと政府に睨まれたため、1979年に国際NGOで働く数人で結成したバングラデシュ農村開発の友(Friends In Village Development Bangladesh、以下FIVDB)が、PAPRIのバセッドを始めとしたシャプラなどの当時のスタッフの協力を得て83年頃に作成した新しい成人識字教育の教材であった。

91年から98年にかけて、以下の外国ドナーから資金を得てきたが、そのために政府首相府NGO局に登録している。

 ① 91~12年まで、タイのバンコックに本部がある人間開発のためのカトリック系のアジアパートナーシップ(Asian Partnership for Human Development、APHD21))の資金を、カリタス・バングラデシュを通じて。

 ② 94~96年は、バングラデシュのNGOで海外から資金を受けていた南アジアパートナーシップ(South Asian Partnership、以下SAP22)

 ③ 96~98年は、オランダの開発プログラム合同投資のためのカトリック組織(Catholic Organization for Joint Financing of Development Programmes、CEBEMO23)

(2) JMKSのMC/MFの開始

JMKSがMCを始めたのは92年頃、ショミティのメンバーの女性が1モンド(37.32kg)の籾米を100~150タカ(92年1タカ1.32円として132~198円)で購入して、自宅にある足踏み精米器を使って精米して売りに出して収入向上するために始めた。この当時、ショミティのメンバーの共同貯蓄額は、一人2~5タカだった。

このMCの訓練をSAPの支援でASAから受けたことがある。さらに96~12年にPKSFの資金を受けていたが、途中で辞めた。その理由は、創設者の夫が病気になりその看病でMCの管理運営に自信がなくなったため。その後娘婿が他のNGOで経験を積んで戻ってきて、現在では世代交代が終わった。

(3) MFの現状(ショミティ方式との混合)

今もショミティのメンバーと意識化のための会合を定期的に持ち、法的扶助や夫婦争いの対応、母子保健などを定期的に話し合っている。そのメンバーがショミティではなくJMKSに貯蓄し、また融資を受けている。現在の融資残高は、2,200万タカ(約3千万円)。つまり、ショミティ方式を維持し、そこにMFを導入した形となっている。

ショミティの結成方法は、新しい村に行き30~40人の女性に集まってもらい、対象として適正な20~25人に絞り、責任者などを選出している。その後なぜ貯蓄が必要か、なぜローンなのか、といった意識化のトレーニングを経て、半月から1か月内にローンの提供に至る。

このショミティのメンバーは、さらに5人ごとの小グループに分けて、それで連帯責任制を取っている。ローンの提供は、この5人グループの全員に一斉に行っている。

22年8月現在83のショミティ、メンバー1,472人(平均17.7人)、1,257人が融資を受けている。貯蓄額は、660万タカ(約891万円)である。この業務のための支店(Branch)は7つだが、2つは準備中で、MFのスタッフは18人。

原資はPKSFには頼らず、市中銀行からの利子率9%で融資を受けている。一般の民間人がJMKSのMS/MFに投資してくれる場合は、年利10%、つまり月約0.8%を支払っている。なおバングラデシュ中央銀行(Bangladesh Bank)から住宅ローンのための融資を11月から利子率1.5%で受ける予定で、それをMFの原資とする。それゆえ現在県内3位のMFの規模は今後拡大の予定。

ちなみにPKSFの利子は3~4%、銀行は9%。しかしPKSFの資金には自分たちの意向が反映されないし、またPKSFへの返済も容易ではなく、資金回収されたらその後の貸し出しが不可能になるので、使わないようにしている。

(4) その他の情報や活動

スタッフ総数はプロジェクトが30人、MF 18人、本部4人で合計52人。古参スタッフが多い。この土地と建物は、創設者個人のものだが、組織として本部用地は購入済みで、いずれ移転する予定でいる。

現在は、MF以外に以下の活動を行っている。MFを含めて年間4千万タカ(約5,400万円)とのこと。

1)イドコル改良かまど普及プログラム(IDCOL Improved Cook Stove Program24)

環境と健康改善のためにIDCOLという名前の改良かまどを、県内2郡の20万世帯に30年までに製作し無償配布する。バングラデシュ政府財務省の資金で一つ当たり900タカを得られるが、一定数超えると一つ1,150タカの収入となる。現在の年間製作数は2,400個なので、1,150タカを乗した276万タカ(約373万円)の収入見込みだが、この半額が製作及び普及のコストである。

2)バングラデシュNGO財団(BNF)の資金での各種活動

数年前から毎年30万タカ程度を、バングラデシュNGO財団(Bangladesh NGO Foundation、BNF)25)から受け取って、指定された以下の各種活動を行っている。

 -初回は小学校やイスラム教学校(Madrasa)に通う児童や自動車の運転手向けの交通安全キャンペーン

 -2回目は縫製用ミシンの困窮女性への無料配布

 -3回目は、肥育目的で羊36頭を18人の困窮女性に配布。

 -4回目と5回目は、肥育目的でヤギ36頭を18人の困窮女性に配布。

3)出産前後の母親の健康意識向上活動

政府の女性省からの年間60万タカの仕事で、出産前後の母親の健康意識向上活動

4)VGDで貧困女性の支援と訓練

食料省の脆弱層発展活動 (Vulnerable Group Development、以下VGD26)) は、近くの女性数千人を対象に、毎月30キロの米穀を提供すると同時に、200タカを貯蓄として徴収しそれを銀行に預金する(支援期間終了する2年後に本人に返却)、畜産や養鶏等の7~8種類の収入向上活動(Income Generation Activities、以下IGA)の訓練を各行政村の役場を会場にして、政府職員やこのNGOの職員を講師として、月1回実施。

(5) PKFSの社会開発プロジェクトについて

ノルシンディ県内のNGOで、PKSFから指定され資金を受けた社会開発プロジェクトをやっている例は知らない。おそらく全国規模の大きなNGOならやれるだろう。

PKSFは決まりどおりにものを動かし、その職員はわいろを取らない。政府職員はわいろを取るものが多いが、誰もそのことは言わない。

2.県内第二の規模のMC・MFを行う進歩サービス協会(ASS)

バセッドによると、県内主要な4NGOの一つで、MC・MFでは県内でPAPRIに次ぐ規模なのが、この進歩サービス協会(Agargati Seba Sangstha、ASS)で、その専務のジャマル(Mr. Jamal Hossain)にASS事務所でインタビューした。

(1) ジャマル本人のこと

この本部があるノルシンディ県べラボ郡ジャングア・ノヤカンディ集落の出身で、42歳。

01年から2年間、コミラ県チャンドプールのグラミーン銀行に勤務し、MFのやり方を学んだ。そして03年にこの故郷に戻って、MFを行うためにASSを創設した。自分の夢は、こうして社会に尽くすこと。

(2) 活動の主要な柱と内容

政府への登録は、社会サービス局、NGO局、MRAの三つ。これらは後述するMF、近くで110人の児童が学ぶ私立小学校の経営、そして政府のVGDの実施のために必要。

小学校は政府の補助対象になっておらず、ASSが教師の給与を支払う。生徒数は以前は多くて経営は難しくなかったが、コロナの流行で学費が無料か低額のイスラム学校(Madrasha)に転校した児童が多かったので、経営が困難になっている。

VGDは、近くのライプーラ(Raipura)行政村とシブプール(Shivpur)行政村の女性2,813人を対象に、JMKSと同じく米穀支援と貯金、そしてIGAのための訓練を実施している。

総収入の内訳は、MC・MFが90%程度、VGDが10%程度。スタッフは98人。この事務所と土地は、彼自身のもので、ASSの土地も近くに購入済みである。

元々は貧困層のための病院を作りたかったが、医師が必要な時間を提供してくれないと判ったが、それでも募金を集めて診療所と救急車サービスを始めたい、と考えている。

(3) MC・MF

現在のMC・MFの資金は3億タカ(1タカ1.35円として約4.1億円)。この規模は、県内でPAPRIに次ぐNo.2と考えている。毎月2千万タカを貸し付けている。純剰余は年600万タカなので、資金の2%程度。

バセッドによると、貸し出し対象のグループは、おそらくPAPRIと同じく、センター方式ではなくグループで対応しているはずとのことだ。

当初の資金は本人たちの投資と会員の貯蓄だったが、今は銀行から融資を受けている。銀行融資はコロナの最中は金利がMCの融資量を増やすために4.5%だったが、今は9%で、間もなくインフレ対策で10%に値上がり予定。バングラデシュ中央銀行から、住宅ローン融資の資金も受けている。この借り入れ利子は一時期8.5%だったが、コロナが終わって9%となった。個人投資で資金を集める場合は、投資者に年利10%を払うが、これは資金不足の際の対応策としている。

グループ会員の貯蓄利子はMRAが定める6%で、銀行の貯蓄利子と同じだが、銀行はそこから様々な名目で手数料を差し引くので、この利子で競争力がある。

3.これからMFを正規に始めるVDS

バセッドがノルシンディ県の主要なNGOの一つとして挙げたのが、村落開発協会(Village Development Society、以下VDS)で、その専務理事のシャージャハーン(Mr. Shahjahan Mia)が最近MRAから許可を得て、今後は正式にMFを行うのでと、バセッドに相談に来ていたことから、インタビューに至った。

(1) 専務理事シャージャハーン本人と、VDS設立の経緯

ノルシンディ県ライプーラ郡出身で49歳。子どもは3人で、長女は10年生、次女が8年生、長男が幼稚園。大学の学部卒後、95~06年までダッカ・アサニア・ミッション(Dhaka Ahsania Mission、以下DAM27))の職員として、バングラデシュ各地で勤務し、特に教育とMC・MFを担当した。

98年にこの地域で洪水被害が発生したので、そのための救援活動を行うことをきっかけにこのNGOを設立し、政府の社会福祉省社会サービス局に00年に登録をしたが、直ぐには活動を始めなかった。07年に勤務するDAMでバングラデシュ最南西部のサトキラ県に転勤になる際に退職し、地元に戻って、VDSの専従職員として活動を本格的に始めた。

現在の登録は、社会福祉省に加えて地方政府・農村開発・協同組合省、MRA、教育省技術教育委員会(Bangladesh Technical Education Board)、首相府国家技能開発局(National Skill Development Authority、NSDA)、青少年開発省(Ministry of Youth Development)の6ケ所。

(2) MC・MF

07年に地方政府・農村開発・協同組合省の協同組合(Samanway Shamity)の活動として、支店を設けないで組合の会員だけを対象にした小規模なMCをノルシンディ県ライプーラ郡で開始した。

現在のMCの資金は1千万タカ(1,350万円)で、年の純剰余額は20万タカ、つまり資金の2%相当で、これを有給職員8名で担っている。この資金の半分は会員の貯蓄で、その年利は6%、残り半分が自己資金である。

このインタビューの1週間前にMRAのMCの許可が取れたので、今後はMCを拡大させていく考えでいる。この許可を得るため、この組織の会員21名(うち理事7名)から300万タカ(400万円)の拠出金を受けた。この拠出金は、1年間の利子猶予期間を経た後から年利6%の利子が生じる。この拠出金はこれまでMRAの求めに従って銀行に預金していたが、MRAの許可が得られたので、今後はMC・MFに使える。今後は銀行やPKSFからの融資で、活動の安定化を目指すつもりでいる。

ノルシンディ県内には、こうした協同組合を対象とした小規模MC・MFをやる小規模NGOが20~30ほどあるが、これほど規模が大きいのはこのNGOだけである。県のNGOでは、PAPRI、ASSに次ぐ3番目。4番目が、世代交代で最近まで調子が悪かったJMKSである。

この県内でMC・MFの規模の圧倒的に大きな全国NGOは、順にBRAC、ASA、グラミーン銀行、TMSS、ビューロー・バングラデシュ(Bureau Bangladesh28))、シャクティ財団(Shakti Foundation29))、サジダ財団(Sajida Foundation30))がある。

(3) その他の活動

1) バングラデシュNGO財団(BNF)の資金での各種活動

13年から毎年資金申請を続け、16年に初めて助成を受けた。最初は村々での医療キャンプを1回、PC研修を2回、ヤギの肥育を今年度含め2回実施した。ヤギの肥育は、ライプーラ郡で32頭のヤギをVDSが選んだ16人の女性に提供し、飼育して生まれた子ヤギを売るプロジェクトで、そのフォローアップをする。ヤギ購入費を含めて30万タカ(41万円)。

2) 女性へのPC研修

女性・児童問題省から、女性の収入向上活動のための訓練を下請けしている。女性・児童問題省が選んだ市内の30名の貧困女性(学歴はSSC以上)が、3か月間週6日間、9~15時に1人1台のPCで、ワードやエクセル、PPTなどを学ぶ。その間1日2百タカの手当ても出る。これは年1回120万タカ(162万円)で受託。この後の時間やそれ以外の期間、場所とPCを活用して、私立のPCスクールとして運営して収入確保している。

3) その他と予算額

他には、ダッカのライオン眼科病院(Lions Eye Hospital31))のパートナー団体として、県内で行われる白内障などを患う村人対象の無料眼科キャンプの手伝いをしている。MC・MFを除くこうした活動のための予算は、年額60万タカ(81万円)程度である。

4.MC・MFを行わないNGOとしては最大規模のASKA

PAPRIのバセッドへのインタビューの中で、MC・MFはやっていない県内NGOとしては最大手、ということで紹介された。この親密社会福祉協会(Auntharangha Samaj Kalyan Sangstha、以下ASKS32))のモティウル(Mr. Motiur Rahman Bhuiyan)専務理事はバセッドと親しいようで、バセッド立ち合いでインタビューするなかで、MC・MFをやらないというよりできなかったらしいことや、社会的企業で資金確保を試みたが失敗した事実などが、会話から浮かび上がってきた。

なおこのNGOは、04年のノルシンディ県の洪水の際、日本の国際協力NGOであるシャプラニールがJICAの資金を確保して、PAPRIがリードして地元の5NGOと一緒に救援活動を行ったが、そのうちの一つ。巡回医療、薬品配布、WASH(水と公衆衛生)、農業リハビリテーションなどの活動を行った。

(1) 専務理事モティウル本人のことと設立経緯

73年生まれの49歳。このノルシンディ市での学生時代に、BRACの教育プロジェクトのモニターをした。その当時から自分は社会問題、特に最貧層の発展に関心を持ち、在学中にこの組織を立上げた。ASKSのHPによると創設は94年で、社会福祉省社会サービス局への登録は95年となっている。このNGOの最初の活動は、地元の数村でのトイレの普及活動。組織の会員は21名のうち女性7名、理事7名。身近な友人だけでなく多彩な年齢構成となっている。

(2) 現在の活動

1) 政府による成人教育

最近まで、未就学あるいは初等教育を受けたが読み書きを忘れた、といった15~45歳を対象に、以前は基礎教育(Basic Education)と呼ばれていた識字教育活動と職業訓練を実施した。具体的には、ライプーラ郡の320のセンター(教室)で、6か月間、週6日間、1回2時間の授業を実施した大規模なもの。各センターは男女別の2部制で、教師も男女二人。男性は夕方から夜の時間、女性は朝が原則だが、それぞれのセンターの都合による。

このプロジェクトは、19年11月に教師のトレーニングを開始したが、新型コロナ伝染病の蔓延で延期になり、21年12月に再開し、22年6月に終了した。

年間1,500万タカ(約2千万円)の予算だった。政府はこれでSDGsの目標4(質の高い教育をみんなに)の実現を目指している。今後は、職業訓練を始める予定。

2)不登校児童教育プロジェクト(Drop-out Children Education Project)

21年12月15日から、県内のモノーハルディー(Monohardi)郡と他二つの郡で実施中で、対象は小学校未就学かドロップアウトした8~14歳の子がターゲットで、学校に戻すことを目的としている。

このための特別カリキュラムがあり、小学校1~3年生の課程は各6か月間、4~5年生の課程はそれぞれ1年間で学習する。このために70センター(教室)があり各30人で2,100人が学んでいる。70人の教師と5人のスーパーバイザーと一人の管理者(Manager)を配置している。1~3年生対象の3年間で、予算が5,500万タカ(7,425万円)と規模が大きい。この資金は政府から得ている。

3)荷持運搬用リキシャ(バンガーリ)提供

今年度、バングラデシュNGO財団(BNF)の資金で荷持運搬用リキシャ(バンガーリ)12台を、シブプール郡の貧しい村人に渡してフォローアップ中。

4)NATABの禁煙活動

バングラデシュ結核予防会(National Anti-Tuberculosis Association of Bangladesh、NATAB33))の禁煙活動(Anti-Tobacco Activities)を実施している。

5)バングラデシュNGO財団(BNF)資金で衛生トイレ

25セットの衛生トイレを、ノルシンディ市内コリンプール行政区(Collinpur Union)のチョールの地区の漁師集落に配布した。この予算は、1年間に50万タカ(68万円)。

6)政府の資金が出始めた時期

バングラデシュNGO財団(BNF)や社会福祉省社会サービス局などからの政府資金がNGOにも提供されるようになったのは10~15年ほど前から。社会サービス局からは活動を指定しない1回3万2千タカ(43,200円)の無指定の支援金(General Support)が出ており34)、これによる活動を報告する必要がある。

(3) 現在の全体規模と今後

スタッフ数は、成人教育で657人、未就学児童教育で76人、本部5人で合計738人。今年度の予算は、2,780万タカ(3,753万円)なので、MC・MFを行っていない県NGOの中では最大規模。この規模は、プロジェクト指定の外部資金次第で、3年前はとても小さかった。

かつてMC・MFを小規模に実施しており、07年にはMRAにその認可申請したが、10年に撤回した。21年に再度申請しているが、MRAが求める基準を今も満たしていない。もし認可を得られたらMC・MFをやるつもりだが、問題を起こすリスクが怖い35)

バングラデシュは、自分たちのような高学歴者が恵まれない経済になっている。例えば大学の新卒の月給額は1.6万タカ(21,600円)位だが、リキシャ引きは1日で800~千タカ稼げるので、リキシャ引きが月に20日間も働けば同額かそれ以上の実入りになる。

本人としては、NGO活動を支える社会的ビジネスをやりたい36)。つまりMC・MFもビジネスも、なかなか活動が難しい。

Ⅳ.まとめ

PAPRIを含めたこれら5つのノルシンディ県のNGOのうち、80年代から活動を始めた、県ではPAPRIとJMKSは、現在60歳代のバセッドとムスリマ(Ms. Muslima Jahan)の二人がリードしてきた。この2団体は、どちらも当時一般的だったショミティ方式を採用し、かつ外国から寄せられるこうした特定のプロジェクトに対する資金提供が不安定でいずれ枯渇することを予測あるいは実感して、その対応策として自己資金をもたらすMC・MFを開始している。20年代になってこの第一世代は60歳代を迎え、それぞれがリードするNGOの世代交代時期に入り、二人ともそれぞれ次世代にリーダーシップを移したか、その準備に入っている。

残りの三つのNGOのリーダーは、2022年に40~50歳代の第二世代と言えよう。この世代は、福祉社会分野での活動と、MC・MFを当然と知るビジネス的な発想が軸になっている点が共通している。彼らは外国資金に頼る意識が少なく、政府系資金でプロジェクトを実施する一方で、2団体がMC・MFを実施中で、残りの1団体もその思考を有している。

政府資金でそれなりの数と規模のプロジェクトが可能なのは、00年代以降、バングラデシュ政府はPKFSを通じたMC・MF支援だけでなく、社会福祉省や初等・大衆教育省(Ministry of Primary and Mass Education、MoPME)、バングラデシュ中央銀行、バングラデシュNGO財団などを通じて、様々なプロジェクト資金をNGOに提供しているからだ。

ちなみにPKFSもMC向けの資金融資に加えて、最近ではJICAなどの他の大ドナーの資金を受けて、PKSFがデザインした社会開発プロジェクトをそのパートナー団体に実施し始めている。今回このPKSFの社会開発プロジェクトをノルシンディでは発見できなかった。しかしシャプラニールの現地パートナー団体の一つ、バングラデシュ北西部ディナジプール(Dinajpur)県の農村発展センター(Gram Bikash Kendra、以下GBK)は、それをかなりの規模で実施していた。例えばGBKの20/21年度決算における収入は、約4.2億タカ37)(5.7億円)という大規模NGOで、その収入の77.3%がMC・MFから、20.5%が諸ドナーからだ。GBKの副最高経営責任者(Deputy Chief Executive)は、その諸ドナーからの資金のうち、PKSFの資金が2、その他の諸ドナーからが1と教えてくれた。

PKSFに加えてMRAが、条件付きではあるがNGOがMC・MFの剰余資金を使って独自の社会開発活動を行うことを、認めるようになってきている。21年6月にMRAが発行した年次統計報告書38)は、その47ページで20~21年度にMFIsはその剰余の20%ほどをこのために使っており、総額は47.8億タカ(64.5億円)と報告しているので、小さな金額ではない。

筆者は序章で、「バングラデシュのNGOの大半がボトムアップの社会開発を目指す代わりにMC・MFでサラ金化している」と嘆いた。現状は、外国に代わってバングラデシュ政府からの特定のプロジェクト資金が大きく増加する一方、MC・MFからも少しずつNGO独自の社会開発のための資金が得られるようになってきている。この結果、バングラデシュのNGOがショミティ方式時代のように、貧困層の人権をボトムアップで保証するようになるのか、それとも政府系ドナーの下請けになるのか、もうしばらく観察を続ける必要があるようだ。

こうした状況下で、バングラデシュで直接もしくは現地のパートナー団体を通じてプロジェクトを実施しているシャプラニールを始めとした外国のNGOが、どういう対応を取るべきかも、同時によく考える必要もあると言えよう。

【注記】

本研究は東京外大アジア・アフリカ研究所の研究課題「南アジアの社会変容と多極的なムスリム社会の動向」の成果の一部です。

脚注

  1. 1)泥と血:日本赤十字社から現地に派遣された吹浦忠正が、バングラデシュ独立戦争とその直後の混乱期の体験を描いた1973年出版の本のタイトルが「血と泥と―バングラ・デシュ独立の悲劇」(読売出版社)である。

  1. 3)PROSHIKA: https://proshikabd.com/

  1. 4)グラミーン銀行:Grameen(農村) Bank, https://grameenbank.org/

  1. 5)マイクロクレジット(MC)はメンバーへの貸し出しのみを指す。これに対してマイクロファイナンス(MF)は、貸し出しに加えて貯蓄や生命・財産に対する少額保険などを組み合わせたものを示す。グラミーン銀行も当初はMCだったが、現在ではMFに移行し、融資の原資を貯蓄からも調達している。多くのNGOもMCから始まってMFに移っているので、本文中では初期をMC、不明期をMC・MF、その後をMFとしているが、正確な記載にはなっていない。

  1. 6)PKSFのHP上の20/21年度の報告書PKSFによると、パートナーと呼ぶ221のNGO/MFIsに対する21年6月末日の融資残高は、721.1億タカ(21年のレート1タカ=1.3円で約937.4億円)である。 https://pksf.org.bd/wp-content/uploads/2022/06/PKSF_Annual-Report-2021_English_Printed.pdf

  1. 8)ハッサン・カレッド他のインタビュー、22

  1. 10)バングラデシュの人口(2021年):Data Commonsプレイス エクスプローラ、 https://datacommons.org/place/country/BGD?utm_medium=explore&mprop=count&popt=Person&hl=ja

  1. 11)PAPRI: http://www.papri.org/

  1. 12)バセッド他インタビュー、22

  1. 14)ASA:78年にショフィクル・ホック・チョウードリー(Mr. Shafiqual Haque Choudhury)が創設し、社会開発活動を行っていたが、91年からMFを開始してから急成長し、今では最大手の一つとしてインドなどでも活動している。 https://asa.org.bd/

  1. 15)TMSS:元はボグラ県(Bogura Dist.)で、テンガマラ村女性緑色組織(Thengamara Mohila Sabuj Sangha、TMSS)という名前でパキスタン時代の64年に創設された女性による女性のためのNGO。80年にホスネ-アラ・ベグム博士(Prof. Dr. Hosne Ara Begum)が指導者になってから急成長し、女性対象の社会開発諸分野の諸活動に加えて、MFは全国規模になっている。 https://tmss-bd.org/

  1. 16)22年9~10月のバングラデシュでの本調査実施時点の実勢レートが1タカ1.35円。以下の本文では、特に断りがない限り、この為替レートで換算している。

  1. 17)CDD: https://cdd.org.bd/

  1. 19)創設者ムスリマ・ジャハン(Ms. Muslima Jahan)に加えて、娘の総務部長(General Manager)のモカリマ・ベグム・モニ(Ms. Mokarima Begum Moni)とその夫の専務理事(Executive Director)のデルワール・ホサイン(Mr. Delwar Hossain)

  1. 20)社会サービス局:社会福祉省(Ministry of Social Welfare)の社会サービス局(Department of Social Services, http://www.dss.gov.bd/)のこと。登録のための法律は、1961年ボランティア社会福祉組織(登録と規制)法(Voluntary Social Welfare Agencies (Registration and Control) Ordinance, 1961)。

  1. 21)APHD:www.aphd.or.th, しかし22年12月5日にこれは開けられなかった。

  1. 22)SAP:このバングラデシュのNGOは1984に誕生したが、当初は カナダに本部があるSouth Asia Partnership International (SAP-I) のバングラデシュ事務所だったが、その後南アジア各国でNGOとして独立して、MFを含めたプロジェクトの実施や支援を行っている。HP: https://sapbd.org/

  1. 23) https://uia.org/s/or/en/1100039689によると、この団体は65~95年まで存在したが、95年に他のキリスト教団体と合併したとなっている。

  1. 24)IDCOL Improved Cook Stove (ICS) Program: https://idcol.org/home/ics

  1. 25)バングラデシュNGO財団(BNF)は、バングラデシュ民族主義者党(Bangladesh Nationalist Party、以下BNP)政権時代の2004年に、ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals、MDGs)(現在はSDGs)を達成するために、NGO向けに少額の政府資金を配分するための政府系財団。発足時に政府から得た基本財産の運用によって得られた果実を、多くのNGOに少額ながら分配している。 http://bnf.gov.bd/?fbclid=IwAR3aMIWtWWh9KPrkbcOCcuMw4upKbMiK11h3NDzkhbWKVuC91NblXYHGYM0

  1. 26)VGDは、国連世界食糧計画(World Food Programme, WFP)の支援を受けてバングラデシュ政府食料省が実施している最貧層の食糧保証活動だが、対象者の支援期間は二年間。以下のHP が参考になる。 https://fpmu.gov.bd/agridrupal/content/vulnerable-group-development-vgdhttps://pubdocs.worldbank.org/en/804111520537796819/SSLF18-Building-Resilience-Bangladesh.pdf

  1. 27)DAM:貧困削減と貧しい人々の生活改善を目的に、1958年にイスラム改革派の教育者・作家のカーン・バハドゥル・アフサンウラー(Mr. Khan Bahadur Ahsanullah)によって設立された団体で、保健、教育、人権、貧困と幅広い分野での活動を行っている。 https://www.ahsaniamission.org.bd/

  1. 28)ビューロー・バングラデシュ:90年に創設されたMF中心の全国規模NGO。 https://www.burobd.org/

  1. 29)シャクティ財団:92年に当初はダッカのスラムの女性向けのMFのためにフマリラ・イスラム博士(Dr. Humaira Islam)で創設されたNGO。 https://www.shakti.org.bd/

  1. 30)サジダ財団:93年創設のMFや保健関係の活動を大規模に行うNGO。この組織の出資金の51%はバングラデシュの製薬会社レンタ社から。レンタ社は72年にバングラデシュのファイザー社として生まれ、93年にバングラデシュの民間会社になっている。 https://sajidafoundation.org/#

  1. 31)ライオンズ眼科病院:75年バングラデシュのライオンズクラブが設立したバングラデシュライオンズ財団(Bangladesh Lions Foundation, https://www.blfbd.org/page/35)がダッカに76年に開設した病院で、バングラデシュ各地で白内障などの眼病の無料治療キャンプを行っている。

  1. 32)ASKS:HPは見当たらず、フェイスブックのページ https://www.facebook.com/asksorg.1994/about

  1. 34)同席したバセッドによると、PAPRIがこれに応募しないのはASKSやVDS、JMKSなどとの競合を避けるため。

  1. 35)同席したバセッドによると、PKSFが定める条件を満たせずその資金引き上げが起こることを恐れて、利子は高いが原資は条件が厳しくない市中銀行に頼るつもり、とのこと。

  1. 36)同席したVDSシャージャハーンによると、ASKAは以前に買い物袋を作る機械を購入したが、そのビジネスは上手くいかなかった。この事務所も兄所有のビルの一角を無料で借りているが、それでも経営的にはなかなか容易でない、との指摘があったが、ASKSのモティウルの反論はなかった。

  1. 37)公認会計事務所Islam Quazi Shafique & Co.の報告書による。

  1. 38)MRAの年次統計報告書:「バングラデシュにおけるマイクロファイナンス報告書:年次統計(Microfinance in Bangladesh(Annual Statistics))」、21年6月

  1. 【筆者が行ったインタビューの記録】

    ジャマル(Mr. Jamal Hossain)、22年09月29日、ASS本部にて

    モヒウディン(Mohiuddin)、22年09月09日、ダッカのSel Nibash Innにて

    モティウル(Mr. Motiur Rahman Bhuiyan)、22年10月01日、 ASKSの本部にて

    ハッサン・カレッド(PKSFのSenior GMのHassan Khaled)他、22年10月04日、PKSF本部にて 

    バセッド(Abu Based、PAPRI専務理事)他、22年09月28日~22年10月03日の4回、ノルシンディのPAPRI本部にて

    ムスリマとデルワール(Muslima Jahanと義息Delwar Hossain)、22年10月02日、JMKS本部にて

    シャージャハン(Mr. Shahjahan Mia)、22年09月28日と10月01日、PAPRI本部とVDS本部にて

引用文献
  •    内田 智大、18、貧困問題に関するマイクロファイナンスの役割と課題、関西外国語大学「人権を考える」21巻(p. 39-56)
  •    大橋 正明他編著、17、バングラデシュを知るための66章【第3版】、明石書店
  •   シャプラニール、会報 Vol.1~Vol.297、シャプラニール、1977~2022年
  •   シャプラニール活動記録編集部、89、シャプラニールの熱い風、明石書店
  •   シャプラニール活動記録編集部、92,シャプラニールの熱い風 第2部、明石書店
  •   シャプラニール、06、進化する国際協力NPO、明石書店
  •    下澤 嶽、99、バングラデシュのNGOの現状、佐藤寛編、開発援助とバングラデシュ、3章、アジア経済研究所
  •    吹浦 忠正、73、血と泥と―バングラ・デシュ独立の悲劇、読売出版社
  •   Center for Not-for-Profit Law. http://www.icnl.org/research/monitor/bangladesh.html
  •   Micro Credit Authority、22年6月、Microfinance in Bangladesh (Annual Statistics)
 
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