2024 Volume 2 Pages 61-77
This research note illuminates the panel organized by the Special Thematic Session for Community Relations at the 2023 Annual Conference of the Japan Association for Migration Policy Studies (JAMPS) held at Meiji University on Sunday, May 28, 2023. The panel dealt with the structural change in society under COVID-19, where social welfare councils and social workers have emerged as "new" actors in supporting foreign residents in Japan. Simultaneously, several international NGOs had begun to support foreigners in Japan due to the restrictions on cross-border movement and the SDGs' commitment to mitigate inequality within the country. The COVID-19 disaster has triggered the convergence of these two actors to collaborate in dealing with foreigners in great need but remained largely invisible within the society.
The collaboration between Toshima Ward Residents Council of Social Welfare and an international NGO Shanti Volunteer Association was highlighted as a case study. The community social workers of Toshima Ward Residents Council worked with Shanti Volunteer Association, which played a pivotal role in organizing the network of experts, including multi-lingual coordinators and lawyers, to provide comprehensive support to improve the situation of foreigners in Toshima Ward, Tokyo. The next step is to transform and institutionalize the current social work to incorporate foreign residents into Japan's social work theory and practice.
本研究ノートは、2023年5月28日(日)に明治大学で開催された2023年度移民政策学会年次大会における本稿と同名の社会連携セッション企画パネルでの議論をもとに再構成したものである。企画の背景としては、コロナ禍を契機として社会福祉協議会(以下、社協)およびソーシャルワーカーが在日外国人支援の「新しい」アクターとして捉えられるようになったという社会の構造的な変化がある。
1980年代以降、日本の「国際化」に関する施策の中では、外国人相談窓口として国際交流協会が中心となった活動が展開され、特に1990年の出入国管理及び難民認定法一部改正によって、多くの日系南米人を受け入れたことからその対応言語が増えていった。その後に発生した1995年の阪神・淡路大震災時は、被災地において住民自治の大切さにスポットがあたり、また全国からも多くの市民が救援・復興活動に関わり始めたことから、「ボランティア元年」と言われた。そして、地域の外国出身の被災者がクローズアップされることにより、「多文化共生」という言葉が定着する契機となった。この二つの動きが、2000年のNPO法制定につながった。以降、国内のNPOや国際交流協会が、多文化共生をめざす活動を継続している。2011年の東日本大震災においても、阪神・淡路大震災の被災地で活動をした市民団体を中心に緊急救援や復興支援が展開された。多くの国際協力NGOも社協等を通じて支援活動に関わったが、これは災害時限定であり、地域の外国人住民を対象とした恒常的な活動には至らなかった。
社協が外国人住民と日常的に関わるようになったのは、COVID-19の拡大後である。コロナ禍による解雇や収入減によって生活困窮に陥った人たちのために、政府からの指示により全国の社協は2020年3月25日から生活福祉資金緊急小口資金等特例貸付(以下、コロナ特例貸付)を開始した。コロナ特例貸付は、2022年9月末に終了したが、貸付実績は381万件、金額にして1兆4,447億円となった1)。コロナが拡大した2020年度の貸付は、2019(令和元)年度の通常貸付である生活福祉資金貸付件数と、2020(令和2)年度の通常貸付とコロナ特例貸付の合算で比較すると、前年度と比較して82倍に急増しており、東日本大震災があった2011年度と比較しても25倍となっている2)ことから、これまで経験したことがない規模の未曾有の危機であったと言える。特に外国人住民は在留資格や言語の壁があり、情報へのアクセスも限定的であることから、日本人以上に複合困難を抱えることとなった。実際、留学生は就職の内定が取り消され、技能実習生や日系人は契約終了や解雇されても帰国することができず、住居も食料もなく困窮していた3)。中には路上生活をしていた人もおり、シェルターは長期間にわたって満杯の状態であった。そのような状況において、コロナ特例貸付は生活保護申請のような在留資格による制限がなかったことから、生活に困窮した外国人住民にとって文字通り命をつなぐための最後のセーフティネットとなっていた。
社会福祉分野では、誰も排除されない社会をめざして、地域での共生や地域資源を活かすコミュニティソーシャルワーク、医療現場でのメディカルソーシャルワーク、教育現場ではスクールソーシャルワークなどという専門性を意識した言葉が生まれていく中、2010年ごろから使われ始めた多文化ソーシャルワークという言葉については、その実践も含めてあまり広がりが見られない。ソーシャルワークとは、生活上の問題を抱えている「人」の問題解決に向けて「人」に対して働きかけるだけでなく、「環境」にも働きかける支援の方法であり、適切な社会資源やサービスにつなげ、必要に応じて社会資源そのものを開発し、制度や政策も変えていく活動である。多文化ソーシャルワークは、この手法を外国にルーツを持つクライエント(支援を必要とする人)に対して用いる。つまり、多文化ソーシャルワークとは、クライエントが自分の言葉や文化と異なる環境で生活することによる心理的・社会的問題に対応するソーシャルワークである。
一方、国際協力NGOのいくつかは、国境を越えた移動制限が長く続いたことやSDGsが国内の不平等や格差の是正を掲げていることなどから、国内の外国人支援に取り組み始めていた。これまで海外で支援してきた人々が日本国内にも居住しており、海外で培ってきた地域づくりや多様な背景を持つ人々に対する支援の経験が国内の多文化共生のために活用できるのではないかと考えられた。すでに国境を越えた移民による海外送金はODAの援助額を上回っており、トランスナショナルに移動する人々を視野に入れた共生社会の実現は大きな課題である。つまり、コロナ禍という危機を契機として、これまで国民国家の枠組みにとらわれていた社協は地域住民である外国籍者に目を向け始め、これまで海外を向いていた国際NGOは地域における多文化共生にかかわるようになった、という2つの流れが収斂しつつある。このような2つの流れによって、在住外国人支援の現場にはどのような構造的な変化があり、どのような課題が生まれているのかを明らかにすることが本稿の目的である。
本稿では、特例貸付申請者の約4割が外国人であった豊島区民社会福祉協議会(以下、豊島社協)を例にとりあげ、2021年5月に始まった「としまる(Toshima Multicultural Support)」の実行主体である公益社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA)と共に、社協と国際NGOが、行政や地域のNPO、法律事務所など多様なアクターと協働する事例と課題を紹介する。
コロナ特例貸付において社協の担当職員の負担は増しており、外国籍住民への対応としては「コミュニケーションが難しく、書類の作成支援が必要」という項目に対して都道府県社協の85.1%、市区町村社協の66.5%が「非常にあった」「あった」と回答している4)。社協が外国人市民に対してアウトリーチするためには、他機関との連携が不可欠であり、「としまる」のケースは今後、社協と国際NGOが連携するための1つのモデルになるのではないかと考えられる。
本稿ではまず、冒頭で述べた2023年度移民政策学会年次大会における社会福祉法人豊島区民社会福祉協議会総務課長の田中慎吾5)による報告を取り上げる。
社会福祉協議会(社協)とは、「社会福祉をみんなで協議する会」の略であり、戦後、民間福祉の育成策として、地域福祉の推進を図ることを目的とする団体として生まれた。住民の参加を基本とする民間の非営利団体であり、幅広い関係者の参加に支えられ、行政の支援を受けている地域の公益的・自律的組織である。社会福祉法に設置が定められた法人であり、全国の市区町村や都道府県にあり、全国社会福祉協議会もある。
豊島社協は1953年に設立され、2023年で創立70周年を迎える。豊島社協は10年前の60周年の時に、豊島区民という「民」の文字を入れており、住民が作っている団体であることを明確にしている。このように「民」という文字を掲げているのは東京の武蔵野市と豊島社協だけである。なお、今回紹介する取り組みは、豊島社協のものであり、同じ社協と言っても地域によって取り組みは多様である。
豊島社協の活動は、属性に関係なく地域に住んでいる方々の地域福祉の推進が目的であったが、これまでは高齢者や児童や障害がある方などへの支援が中心であり、どちらかと言えば外国人支援にはあまりかかわってこなかった。一方、豊島区の人口は約29万人で、人口密度は日本一であり、人口の1割が外国籍者である。コロナの影響で一時期減少したが、豊島区の人口増加は外国籍の方々の増加によるところが大きい。豊島区の特徴としては留学生が多く、約30%パーセントは留学の在留資格の方たちである。国籍としては1990年代頃から中国の方々が増加してきたが、ここ数年はベトナム、ミャンマー、ネパール国籍の方が非常に増えている。
豊島社協は、豊島区の委託事業としてコミュニティ・ソーシャルワーカー(以下、CSW)を地域に配置をしている。豊島区には区民ひろばという老人福祉センターと児童館が一緒になった施設があり、住民であれば、赤ちゃんから高齢者まで誰でも使える施設が小学校区単位で存在している。区全体で20数ヵ所ある区民ひろばのうちの8ヵ所に、CSWが2人ずつ常駐しており、地域共生社会の実現を目指して活動している。
CSWは「何でもとにかく話を聞きます」というスタンスで活動しており、福祉とは関係ないことを相談されることも多いが、地域の人々の暮らし全般を対象とした何でも相談を行っている。住民や町会や民生委員など、いろいろな方々とネットワークを張りながら、日々、活動し、個々の課題解決と同時に個人が生活しやすくなるような地域づくりを目指している。CSWが地域を基盤としたソーシャルワークを展開しているというのが、豊島社協の特徴である(スライド1)。
多文化共生分野では、豊島区に数年前に多文化共生推進課が設置され、多文化共生推進基本方針が策定されている。外国籍の住民の方に対して多言語対応や、やさしい日本語による動画を使って、情報発信などを行っている。ただ国際交流協会がないため、外国籍住民の困りごとなどについては、各相談窓口で通訳タブレットを利用したり、その場で相談しながら対応している。
福祉分野では、行政計画である地域保健福祉計画と、豊島社協が住民と一緒に作っている豊島区民地域福祉活動計画の両方の計画の中で、「多文化共生の促進」や「多文化共生に向けた地域づくり」を取り上げている。コロナ前までは多文化共生交流会としてゴミの分別のワークショップや各国のお茶の飲み比べ等のイベントの他、災害時のコミュニケーションとして、やさしい日本語を地域住民と一緒に学びながら相互理解を深めるような取り組みをしてきた。また、在住外国人の支援を考えるインフォーマルなネットワークとして「多文化としまネットワーク」が数年前から動いており、子どもの教育を中心にした取り組みを行ってきた。
しかし、コロナの影響で大きな変化があった。これは生活福祉資金の特例貸付という制度が始まったことによる。もともと離職などをきっかけに生活に困った方々に貸し付けをする生活福祉資金という事業があったが、生活保護と同様に対象になる外国籍の方の在留資格が限られていた。しかし、コロナ禍による離職や減収が理由で生活困窮になった方々に対するコロナ特例においては、在留資格を問わない形で対象が拡大された。そのため、多くの在住外国人の方が相談にこられた。
コロナ特例については豊島区だけでも延べ3万件弱の申請があり、その中で外国人の世帯の割合は約4割を占めた。外国籍者は人口比では1割であるが、申請は4割だったことから、いかに多くの方が困窮したかということが窺える。豊島区においては中国の方の人口が多いにも関わらず、ネパール、ミャンマー、ベトナム国籍の方からの申請が多く、留学生が多いこともあり、学費が払えないという相談も多かった。(スライド2)
相談に際しては言葉の問題が大きく、会話はできるが、読み書きはかなり難しかったので、窓口では連日、職員が通訳機を使いながら申請書の書き方を説明しながら対応していた。途中から、ネパール、ミャンマー、ベトナムの言語を話せる留学生等を臨時職員として雇用し、一緒に支援を行った。豊島社協のマンパワーでは3万件弱の申請手続きをするだけで手いっぱいだったが、その中でいろいろな課題を抱えた方がいることが明らかになった。国籍にかかわらず、複合的な困難を抱えている方はCSWにつなぎ、そこから詳しく生活の状況などを聞き取り、場合によっては自宅訪問をして話を聞き、必要な手続きの窓口に同行した。もともと豊島区の中では、CSWによる体制があったので、その経験が活かされたと言える。(スライド3)
ただし、外国人支援に関する課題や反省といえば、社協の中では言語や文化や宗教の違いを始めとして、在留資格や就労制限に関する知識や支援経験も乏しかったことがあげられる。最初は在留カードの見方すら分からない職員も多く、在留資格を更新中の人にどう対応すべきかも良く分からなかったため、他機関に頻繁に問い合わせる等、職員も学びながらの対応であった。(スライド4)
また、外国人特有の課題を踏まえたアセスメントをする力量がなかったので、果たしてこれであっているのだろうかと、日々職員で話し合いながら取り組んでいた。それまで多文化共生という言葉を使ってはいたが、外国人が抱える生活課題に、日々向き合えていなかったのではないか。地域に住む生活者として、本当に捉えられていたのかという反省があった。
また、外国籍者はエスニック・ネットワークで支え合っているという印象があったが、必ずしもそうではないということも分かった。家族が日本にいない場合も多いので、日本人よりも孤立する可能性が高いということも感じた。
貸し付けの窓口で相談を受けた中に初めての出産を控えて不安を抱える夫婦がいた。出産費用をどうするのか、産んだ後、どうやって育てていくのか、日本には誰も知り合いがいないので、地域の子育て支援のNPOにつないで、一緒に関わっていただいた。この経験は、言葉の問題があるため、外国人は孤立に陥りやすいということを強く認識するきっかけとなった。
また、コロナ禍によって生活困窮に陥った外国人世帯向けにシャンティ国際ボランティア会と共にフードパントリーをやる中で見えてきたこともある。ある相談者の方がフードパントリーに来て、最初は介護保険料の支払いができなくて困っているという話だったが、よく話を聞いていくと、家族がたくさんいて、永住の在留資格以外の方々が病気を抱えていたり、在留資格(特定活動)で制限される28時間以上働きたい等、複合的な課題を抱えていたりすることが分かった。(スライド5~8)
そこで、高齢者の生活を支援するセンターにつないだり、在留資格の問題で就労に制限があったことから弁護士に一緒に携わっていただいた。他にも体調が悪い方にリハビリを紹介したり、地域にあまり知り合いがいないということだったので、地域で通える場所を紹介したりした。また、住民の人が地域課題について話し合う場をつくっているので、この方にもその場所に来ていただいて、自分たちの置かれている状態を話していただいたところ、そこから、その人たちが主役になってできることはないかということを住民と一緒に考える機会ができた。出前型の多文化共生交流会として外出するきっかけをつくるのも、1つの大きな目的だった。その方々が持っている力をどう使えるかということで、地域で高齢者が集まるサロンで文化を紹介していただいたりする場を体験型で作ったりという取り組みをしてきた。つまり、ソーシャルサポートネットワークを地域でつくるきっかけとなったと言える。
地域にはいろいろな資源があり、国籍に関係なく利用できる場所はたくさんあるが、その情報を知らないため豊島社協がつなぎ、今はご家族が自分たちで行ける場が増えてきたというところが、一番大きな成果である。CSWが関わることによって、まず個人が抱えている課題を解決し、ミャンマー文化を紹介する機会が出来たことで、活躍する場ができるとともに、地域の方たちにとっては多文化共生について考える機会がつくれた。
豊島社協は個々の課題を解決するというのも大きな役割ではあるが、地域づくりをしていくということもまた重要な役割の1つと考えている。「としまる」の取り組みの中で、地域課題が見えてきたので、今後はそれを住民と共に考える機会をつくっていきたいと考えている。また、いろいろな悩みごとを抱えて、地域で困っている方の中には、まだつながってない方々もたくさんいるので、社協だけでなく、いろいろな方々と連携しながら、外国籍者を支援する体制づくりを進めていきたい。「としまる」の取り組みも、もともと時限的なものなので、豊島区全体の中で、相談を受ける体制が必要だということを行政とも共有しながら進めていく必要があると思う。実際にいろいろな計画づくりをする中で、社協のほうからも行政計画に反映できそうなことを共有している。
社協が出来ることは限られているので、地域の中で一緒に考えてくれる人をどんどん増やしていくというのが大事であり、いろいろ発信をしながらやっていきたい。また、お互いさまの関係性が大事であり、国籍関係なく、それぞれが支援する、されるだけではなくて、困っていることがあれば声を掛け合うような地域をつくっていきたいと思っている。
ソーシャルワークとは生活上の困難を抱えている「人」と、制度や政策を含めた「環境」の両方に働きかける実践的な活動であり知の体系である。しかし、多様な文化的背景を持つ人々に対して働きかけを行う多文化ソーシャルワークは日本ではまだ普及しておらず、外国籍者や外国ルーツの市民は、社会資源へのアクセスから排除や制限を受けている。それはソーシャルワークの側の問題だけでなく、政府の外国人受け入れ政策が「労働者」としての受け入れを中心としており、定住のための政策が不十分であったことにも起因している。田中が「それまで多文化共生という言葉を使ってはいたが、外国人が抱える生活課題に、日々向き合えていなかったのではないか」と述べるように、コロナ禍は多文化共生施策の限界を露呈し、日本のソーシャルワークには構造的にナショナリズムが組み込まれていることを顕在化させた。
次に「国際協力NGOが関わる在住外国人支援」と題してシャンティ国際ボランティア会6)地球市民事業課課長の市川斉(ひとし)7)より報告があった。
シャンティが目指しているのは、共に生き、共に学ぶ社会の実現であり、主に初等教育改善支援と国内外の緊急人道支援をしている。現場の教育支援活動では「本」、人材育成を含めた「人」、それと図書館とか学校建設などの「場所」の三つがあって、初めて教育支援が成り立つと考えている。これまで42年間、「教育には人を変える力がある」と活動してきた。活動地は、最初はタイの難民キャンプで始まったが、今では日本も含めて、全部で7カ国8地域での活動をしている。
特に今回の国内事業について改めて考えてみると、最初入職した1990年頃は南北問題といわれるように、経済的に豊かな日本、ヨーロッパ、アメリカがあり、それ以外のアジアやアフリカなどの貧しい国々があり、先進諸国の豊かさは途上国を搾取することによって成り立っているのではないかという問題意識があった。そのため、当時のNGOの国内活動は開発教育などが中心であり、基本的には日本で資金調達をして、海外の現場で活動することがメインだった。
その後、国内災害に初めて関わった1995年の阪神・淡路大震災では、それまでは、災害ボランティアといえば登録された専門家が現場に行くのが一般的であったが、いわゆる「素人」で登録しなくてもコーディネーションがきちんとあれば、災害現場で活動できるようになり、国内災害支援が変わっていった。シャンティは当時、関東から被災地に出向いた団体としては一番長く、2年3カ月ほど現場に事務所を常設し活動していたが、当時は、そのような活動をしている団体は少数派であった。
それ以降、様々な国内災害において各地の社協と連携して活動してきた。社協は、国内災害で一緒に活動する相手だと思ってきた。まさかこの2年間くらいで、国内の外国人支援を一緒にやることになるとは思わなかったが、大きな変化である。
これまで日本のNGOは、日本で資金調達をして海外で使用するパターンが主流であったが、この数年で変わってきたのが、国内課題に関わるNGOがかなり増えてきたということである。例えば2016年には国内課題に関わるNGOは10パーセント以下だが、2021年の調査では40数パーセントと、私たち団体も含め日本のNGOが国内課題にシフトしている8)。
シャンティが最初に行ったのは、2020年の5月から開始した、外国ルーツの子ども支援である。いろいろな地域で1年間ぐらい調査をして始めたのが、WAKUWAKUネットワークとの連携である。豊島区で活動するNPOとの連携事業という形で、外国にルーツを持つ子どもたちの居場所づくりに取り組んだ。当初は居場所づくり、ということで対面での活動を考えていたが、この時期はちょうどコロナ禍が急拡大していたので、やむを得ずオンラインという形で始めた。
豊島区には本当にいろいろな子どもたちがいて、参加した子どもは、中国、ネパール、フィリピン、トルコなど、多様なルーツを持つ子どもたちを中心に、大体1回10名程度であった。WAKUWAKUネットワークの大学生メンバー内にはクロスルーツというグループが作られている。大学生や大学院生を中心に、週に1回だが子どもたちが自分たちのことを話したり、いろいろな場を持って自己肯定感を感じられる場所を持ったりすることを重視してきた。今年の3月までで137回開催し、延べ約1,013名が参加している。一般的に親が仕事で先に来日し、子どもを後から呼び寄せて学校に入れるケースが多いが、子どもたちは言葉の問題や文化の問題があり、学校ではおとなしかったりする。しかし、WAKUWAKUでは、ネパール語やミャンマー語などの通訳も入るので、みんな活き活きしている。このような場ができて本当によかったなと感じており、ずっと続けてきている。
こうした取り組みの中で、子どもたちの背景や親たちの現状がかなり厳しいということを感じてきた。都市部では日本人ですら孤立しているのに外国人はさらに孤立しがちであるということに加え、在留資格の問題もあった。豊島区には国際交流協会や外国人相談窓口がなく、多文化共生のセクションはあるが、その専用窓口がなかなか十分に機能しがたい状況だった。そんな時、豊島社協から外国籍者は豊島区に1割しか在住していないのに、コロナ貸付への申請が4割になっているという話を聞いて驚いた。しかも外国人の半分を締める中国人の方より、ミャンマー、ネパールの方が多く、これらはシャンティが海外で事業を行っている国でもあり、何とか協力できないかと考えた。そこで、シャンティがコーディネーションを行う主管団体になり、行政、豊島区の多文化共生の窓口、豊島社協、WAKUWAKUネットワーク、東京パブリック法律事務所、またバイリンガルでソーシャルワーク的な業務を担うシャンティの外国人のコーディネーターで「としまる」というグループを作った(スライド9)。
活動はアウトリーチ、支援の実施、支援力の強化の3本柱とした。アウトリーチについては、相談者の名簿を豊島社協が持っていたことから、対象となる在留外国人の方に案内を発送していった。最初はその名簿一本だったが、途中からはSNSを活用しながら新しい方にもどんどん情報を拡散していった。また、フードパントリーに加え、CSWと弁護士がペアになった相談会を月1回継続したが、その中で最初のちょっとしたきっかけから、話を続けていくとどんどんいろいろな悩みが出てくるという経験をした。ソーシャルワーカーやシャンティの外国人コーディネーターが一緒に同行したり、法的なケースについては弁護士に個別支援をお願いしたりもした。支援力の強化については月に1回、支援連絡会という、としまる連絡会を開催し、ケース相談と協議を行った。協議を通して外国人が支援される側から支援する側に回るという良い循環が出てきた。
支援の流れとしては広報→フードパントリーと相談会→ケース会議を繰り返しながらやってきた。その中で特に広報に関してはSNSの活用と外国人コーディネーターが前日までに「明日、来る?」という電話を入れてフォローをし、関係性を作るということをしてきた。また、食料支援と相談を行う中で、就労の課題が見えてきたことから、特定技能に関するセミナーを開催したり、子育てサポートや公営住宅の申し込み方法が分からない方々に向け、説明会を開催したりした。
フードパントリーについては、2021から2023年3月までに全部で29回、約800組以上の方が来場し、皆さんコンスタントに参加している。場所は豊島区の企業の方、例えば良品計画や寺院関係の施設をお借りしたり、ミャンマーやネパールレストランとか、色々な場所で関係性築いたりしながらやってきた。(スライド10)
数で見てみると、相談に来る方はミャンマー、ネパール、フィリピンの方が多い。これはある企業が一斉にフィリピンの方の雇用を解除したために、就労や在留資格をめぐって問題が生じたことが大きな理由である。在留資格について特定活動が多いのは、ミャンマーの方が多いことが理由である9)。また相談内容については、在留資格、仕事、生活費、住居等が中心である。(スライド11)豊島社協の強みは、CSWが各地域の地区に2人ずつ配置されていて、その方たちが本当に地道に相談に乗っているということだと思う。
本報告に見られるように、国際協力NGOとしての強みは外国人の出身国の状況に対する理解があること、多様なステークホルダーとの連携の経験があること、地域づくりに関する知見を有することであると言える。外国籍者の独自のニーズとして在留資格と言語の問題があるが、司法関係者や外国人コーディネーターと連携することで、豊島社協を支える体制を構築している。
ソーシャルワークも国際協力NGOもある現実と出会ったときに「自分はどう考えるのか?」「自分には何ができるのか?」と絶えず問い、そのような状況を生じさせている原因を分析し、利用可能な資源を探し、現場に対して応答するという点で親和性が高い。そして、当事者を従属的に構築するのではなく、問題解決のための声を発する場を提供し、エンパワーしていくことを重視している。社会福祉と国際協力という異なる体系が、コロナ禍の外国人支援の現場で出会ったのは偶然ではないと言える。(スライド12~13)
以上の報告をもとに、以下のメンバーで、パネルディカッションを実施した。ここではその概要をまとめる。
・登壇者
田中 慎吾(社会福祉法人豊島区民社会福祉協議会 総務課 課長)
市川 斉(公益社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA) 地球市民事業課 課長)
・討論者
吉富志津代(武庫川女子大学心理・社会福祉学部 教授/国際センター長)
田中 雅子(上智大学総合グローバル学部 教授、社会福祉士)
・司会進行
小川 玲子(千葉大学大学院社会科学研究院 教授)
1 問題提起として(吉富)
在日外国人支援や、多文化共生関連の活動をしている者の間には、在日外国人が社会保障制度へのアクセスが難しいという問題意識がある。しかし、社会福祉分野で社会福祉士という国家資格のための講習に外国人の事例がほとんど出てこない現状がある。外国人も住民として生活しているという意識が低いなかで、豊島区民社会福祉協議会は、多文化共生推進課を設置するなど、早くから問題意識を持ってきた。豊島区の近隣に拠点を置いて活動する国際NGOであるシャンティも阪神・淡路大震災などの国内の多くの災害支援にも関わった経験があり、この2つの連携は、先駆けた事例である。
コロナ禍において、貸付金の窓口が社会福祉協議会になったこともあって、ようやく全国的に外国ルーツの住民の存在が見えてきている。日本国憲法第25条に定められている生存権、国の社会的使命については「すべて国民」が主語となっているが、日本は国際人権規約や人種差別撤条約に批准しており、基本的には外国人にも自国民と同じ待遇を与えることを国際的に約束している。(スライド14)
コロナワクチン接種は、在留資格がない外国人も対象となった。ただし、ここで課題となったのは、自治体がワクチンの接種券を配布する際に、入管への通報義務をどう取り扱うかが市町村によって異なったことである。ソーシャルワークの理念自体は総合的かつ包括的な援助と多職種連携の意義があるということを基に、社会の一員として、どんな人も排除しないという姿勢が基本である。(スライド15)
ようやく社会福祉協議会にアプローチできた外国ルーツの住民の、より複合的で困難な解決のために関係機関が連携をすることが求められている。そして、社会保障制度をどのように活用するのかについては、在留資格による制限や在留資格がない非正規の人たちも含めて、自治体と関係機関が正しい知識を持ち正しい運用をしているのかどうか、問題提起として次の討論をしたい。
2 日本の現状と草の根の取り組みからの展開(田中雅子)
日本の現状は、ソーシャルワークのグローバル定義からほど遠い。豊島区の連携事例は、東京都内だけでなく、他の地域でも水平方向に展開していくモデルになり得る。入管法改正の問題など、国会レベルでの議論には課題が多い。今回の事例のような自治体レベルの草の根の取り組みが、中央政府の政策にどう活かされるだろうか。垂直方向の展開、ソーシャルワークで言うなら、いわゆる「マクロソーシャルワーク」も必要である。
シャンティは、移民の出身国であるミャンマーやネパールでも活動している。トランスナショナルな移民、例えば、父親が日本でコックとして働き、子どもはネパールで学校に行っているような、お金と人が行ったり来たりする環境下にある家族について、国際協力NGOとして移民の出身国と日本の両方で知見があることが強みとなる。
社会福祉協議会も、全国で一律ではなく多様であることがわかった。豊島社協の取り組みを通じて、豊島区役所本体、行政の各部署はどう変わったのだろうか。学校や病院など外国籍住民と日常的に関わる部署の担当者も変わっていく必要がある。同行支援をする「としまるネットワーク」に依存するのではなく、行政の各部署が変わっていくためには、議員など決定権のある立場の人との連携も必要である。
神奈川県や川崎市のように、地方参政権がなくても外国人住民会議を通じて政策提言をする枠組みのある自治体もある。しかし、町内会やPTAの役員になる人は少ない。外国籍住民がまちづくりの担い手として活躍できれば、支援団体に依存しなくてすむはずである。言葉の壁があるという思い込みが、彼らの参加を阻んでいるかもしれない。
Q.社会福祉協議会の対応は、外国人と日本人とでどのように違うのか。(小川)
A.外国人への積極的なアプローチはなく、区民ひろばで外国ルーツの子どもの保護者が学校からの通知などが読めない場合にサポートする程度のことはあっても、生活困窮などの実態にまでは踏み込んでいなかった。
支援するときの違いは、貸付制度にしても、在留資格によってはそれが使える制度かどうかなどを確認する必要がある。今は、としまるというネットワークの取り組みで食料提供をすることでつながりができていき、支援が始まっている。
たとえば仮放免の人が貸し付けの申請に来ても、対応できないということがある。その際に社協では、食料支援などまずはできることをした上で、支援団体を紹介することもある。医療対応が必要な場合は、無料低額診療の仕組みを紹介するなど、困りごとはしっかり受け止めつつも、できることは限られているので、ワーカーとしてはジレンマを感じながら支援にあたっているというのが実態である。(田中慎吾)
Q.シャンティは、ネパールやミャンマーでの国際協力の経験を、多文化共生という国内の活動において、具体的にどのように活かすことができるのか。(小川)
A1.例えば難民キャンプや災害時には、いわゆるコミュニティとか、子どもたちの緊急時の居場所づくりに取り組んできたので、その大事さを知っている。国内でも、同様の活動を3年ぐらい展開している。また、災害時に、本心がうまく表現できない状況になったとき、専門家の判断が必要になるということもわかっているので、そのような経験が活かせるのではないか。特に、言葉や文化の壁がある場合、その背後にある本心を想像する際に、その国の文化を理解していないと難しい。例えば、ネパールやミャンマーでの活動において、出身民族やカースト制度による身分などにも配慮が必要である。(市川)
A2.社協では、このような背景への配慮に慣れておらず、相談者は遠慮して本当に困っていることを伝えられていないのではないかと感じる。それでも遠慮せずに相談していいということを伝えることが大切だと思う。多文化ソーシャルワークにおいて、女性の相談者に対して男性が対応していいのかどうかなど、国によっても異なる宗教的・文化的背景については、勉強する必要を感じている。(田中慎吾)
Q.海外での支援と国内での支援において気をつけなければいけないことなどはあるか?(小川)
A1.コミュニティソーシャルワークの分野では個人の課題への対応ということになるが、多文化ソーシャルワークの場合、その範囲が広いため、日本とは異なる視野や想像力を持って関わる必要がある。今は多文化ソーシャルワークという言葉を使っているが、外国ルーツの住民たちも、実は一人の住民という意味ではコミュニティソーシャルワークの範囲に入っているはずなので、いずれはなくなっていく方がいいと思う。あえて多文化ソーシャルワークと言わなくても、コミュニティソーシャルワークの中で当たり前に考えられている社会になればいいと思う。ただ今の段階ではまだそこを意識する必要がある。(吉富)
A2.外国籍住民は、出身国や民族ごとの団体、同郷人組織などに支えられていると考えられがちである。それらのネットワークには言語の壁がないものの、同胞ゆえに相談できないこともある。例えば、同郷のオーナーの下で働くネパール人コックは、雇用関係にあるオーナーに悩み事を相談できないことも多い。DVなど同じ国の出身者には知られたくない悩みもある。
多民族多言語国家の出身者は、民族などのアイデンティティに加えて、日本での在留資格による階層化も見られる。同じ留学生でも、文科省から奨学金を給付されている大学院生と、日本語学校や専門学校生の間には溝がある。移民の中には、支えられる側から、支える側へと役割を変えた人もいる。そういう人材が増えていくことで、相談支援の担い手を増やせるのではないか。(田中雅子)
Q.自国の文化や階級がそのまま日本にも移植され、その上に在留資格という縛りがある。その国出身のコーディネーターの役割が重要である。では、2つの団体による先進的な取り組みをいかに垂直展開するのか、つまりソーシャルワークの中で制度化する道筋についての考えを聞きたい。(小川)
A.ポストコロナになって、貸し付けをした生活困窮者に、どのように今後もアウトリーチをしていくのか、どのように情報を届け、困りごとを把握していくのかという課題があり、またそれを社協がどこまで続けるのかということも課題である。実際には、多文化共生推進課が兼務している場合も多く、例えば今後新たな窓口を作って地域に住んでいる外国人の課題を把握するような特別な動きはまだない。
福祉計画で施策に反映するための状況把握、課題把握のためのヒアリングなどには行政としても関心を持っているが、具体的ではない。議会や議員の中にも関心を持っている人はいる。(民間組織の)社協なら動きは早いが、行政は時間がかかる。それでも伝えていきたい。(田中慎吾)
Q.コミュニティソーシャルワーカーは社協の中でどれぐらい普及しているのか?(小川)
A1.コミュニティソーシャルワーカーの役割は、社協や自治体でも広がっているが、地域によっても内容は様々である。豊島区では平成21年からモデル事業ではじめ、現在は委託事業として、16名のソーシャルワーカーを配置。豊島区ではコミュニティソーシャルワーカーというが、法的根拠はなく、東京都では地域福祉コーディネーターという名前で人材養成が行われている。(田中慎吾)
A2.社協との取り組みは2年ぐらいである。社協は全国に2,000、東京都に62あるので、横に展開できないかと考えている。政策についてのアドバイスなど、踏み込んでいきたい。また、この活動とは別にウクライナ支援やアフガニスタンの難民支援もしており、自分たちのミッションとして、より厳しい状況の人にどうアプローチするかについて展開していきたい。(市川)
Q.垂直展開というところで、政府の政策に対してどう反映していくことができるのか、アドボカシー活動として、何か考えられることはないか。(小川)
A.全国社会福祉協議会や他の省庁関係へのアプローチを考えている。在留外国人・多文化共生については、国の予算もついているものの、まだつながりが浅いのでアドボカシーの垂直展開については模索中である。(市川)
<会場からの質問・コメント>
Q.大学で多文化ソーシャルワーカー育成に長く関わっている。本来は社協が担当すべき内容を国際交流協会が肩代わりをしていると感じていた。豊島区は国際交流協会がないため、社協が取り組むべき事業をしている。豊島区のように非常に熱心に取り組んでいるところもあれば、そうではない社協もあるなど大きな格差がある中で、社協全般として、もっと外国人のケースに取り組む意識を高めて活動していくためには、どんな体制づくりが必要か。
A1.非常に難しい。他の地域の国際交流協会や、国際交流協会がある地域の社協とも話をしたことがあるが、あまりつながっていなかった。地域性が違い過ぎるので何とも言えない。豊島社協は、職員自体が基本的にはソーシャルワーカーとしての資格を持っており、9割が社会福祉士か精神保健福祉士の資格を持っている。しかし、外国人は地域にいても支援が必要とは認識していなかったということがある。
社協も多様だが、地域福祉を推進することは、地域づくりをどう進めるかという大きな命題であるため、外国人住民が多い地域であればアプローチするはずであるが、国際交流協会がある地域で、社協がどう関わっているかはよくわからない。外国人支援がしたいという意識を持つ職員が増えてくると変わっていくと思う。日本福祉大学のように、大学での福祉教育も大切。また外国人の子どもが多い小学校に通っている子どもたちも意識が違うと思う。(田中慎吾)
A2.国際交流協会は規模も形態も地域によってさまざまに違いがありすぎるので、連携の仕方も多様な形が必要だと思う。いずれにしても、コロナで社協が全国的に外国人住民の存在に気付いているということこそが、大きなチャンスだと思う。若い人たちの中には、外国人住民のことも社会福祉で考えなければならないと思っている人が少しずつ増えているので、小さな取り組みを積み重ねていくしかない。
田中氏の発言の「ジレンマを感じながら制度の運用をしている」というそのジレンマをしっかりと社協から発信する、ということが重要。そして異文化理解、言葉、在留資格などの専門性がある国際NGOや国際交流協会の専門性を活かす協力体制をとり、社協そのものが動くことが大きな動きにつながり、それが縦の仕組みにも影響を与えていくのではないかと期待している。(吉富)
Q.社会福祉を学ぶ大学に、必ず多文化ソーシャルワークの科目を作ることも必要だ。社会福祉を学ぶ現場で多文化ソーシャルワークの位置付けがどうなっているか、状況を教えてほしい。
A.日本福祉大学の石河先生が、15年ぐらい前から多文化ソーシャルワーク研修を、いくつかの県で実施したときには、社協の方の参加は少なかったそうである。しかし今はコロナ禍で、多くの外国人が社協の窓口に直接来たということが大きな気付きになっている。社協の職員研修の内容にも取り入れるなど、手ごたえは感じている。(吉富)
Q.(コメント)台湾出身の留学生として来日し、数年前から多文化ソーシャルワークを研究している。台湾も十分ではないものの、結婚移民に対して各地域に支援センターができている。中心部の支援センターには、必ず専門の多文化ソーシャルワーカーが配置されていて、システムもありお金もある。しかし、その地域住民の多文化理解というところは、かなり働きかけてはいるが、地域住民による多文化共生の視点は感じられない。
新宿区では、外国人住民の地域行事への不参加や民生委員の高齢化という課題がある。豊島区もまちづくり推進委員などに外国人の当事者がいないようである。さまざまな立場の住民の声を聞いて、このような仕組みづくりを進めていかなければならないと思う。
パネルディスカッションを終えて、各登壇者のまとめのコメントを紹介する。そして、最後に筆者の本セッションの分析と課題を述べ、本研究ノートのまとめとする。
1.国際協力では「コミュニティ・ディベロップメント」、つまり「地域づくり」が基本だが、日本のソーシャルワークは、個人単位の対人援助が基本である。近年、日本でも地域づくりが意識されるようになってきたが、地域の課題や予算配分を話し合って決める機会も少ない。国外でのコミュニティ・ディベロップメントの経験を活かせる場が、今後国内で増えていくだろう。(田中雅子)
2.まだ2〜3年の活動ではあるが、色々な可能性が見えてきた。海外の現場での42年の活動が、国内でも活きるのではないかと思う。今後は、海外だけではなく国内でも活動しながら、両方をつないでいくというところに新しいミッションがあるのではないかと思う。そして、さらにその経験から得た学びを国の政策につなげていくことを意識しながら、今後は活動していきたい。(市川)
3.社協もそれぞれ全く違い、できることも限られている。地域性が違えば、外国人住民の課題も違う。みなさんも関わりのある社協とできるだけコミュニケーションをとってほしい。できることは、それぞれ違うが、社会福祉協議会と連携して何ができるかということも一緒に話し合って考えていただきたい。連携しているシャンティや弁護士たちが危機感を共有してくださったことが非常に大きかった。何とかしないといけないという共感があってこその連携だった。組織の立場では、何ができるか勝手に言えないところもあるし、職員の中にも関心ある職員と関心ない職員もいる。しかし、これから学びを深めていかななければならないと思っている。実際に、一昨年ぐらいから、国際交流協会の支援に関する研修に社協の職員も参加するようになってきている。最後に、先ほども話に出たが多文化ソーシャルワークという言葉がなくなるのが一番、良いと思う。地域の中で当たり前のように課題を共有しながら生活できるようになるのが理想だと思う。豊島区で町会長と話す中で、フードパントリーに来ている人たちに町会を知っているかというアンケートを取ると、関心のある人は多かった。地域のコミュニティに参加したい人もいる。今後の展開として、そこを考えていきたい。(田中慎吾)
4.先ほど会場から、多文化ソーシャルワークの研修をという発言があったが、それは15年前から石河先生が取り組まれている。愛知県では国際分野に多文化ソーシャルワーカーを置いている。それでもまだ社会福祉分野とつながってなかったということが問題だと思っている。でも今、ようやくその必要性に社協が気付いた。社協そのものは、住民と多様な地域資源や多職種機関をつなぐ役割も担っているが、社協にいる人たちの人権意識は高く、ソーシャルワークの理念のもと社会を変えていこうという意識も高い。そういう人たちに、地域の外国につながる人のことに気付いてもらったとことを大きなきっかけにして、社協が様々な社会資源につなげていくことを期待している。それは翻って考えると、私たちの地域社会が、これからどうやって変わっていけるかということが試されていると思っている。
コロナの貸付金の返済が始まると、返済できずいろいろな困難を抱えている住民の中にも、きっとたくさん外国につながる人がいる。在留資格にかかわらず、どのように排除せずに解決するのか、少なくともここに参加している人たちが、意識を共有することが、このセッションの目的だと思う。(吉富)
5.危機という言葉、クライシスという言葉は、危険という言葉と機会、opportunityという言葉とが2つ重なっている。コロナという重大な危機の中で、新しい方向性が生まれている。そしてソーシャルワークや社会福祉は、色々な学術分野の中でも、「人権」と「社会変革」の2つが学問体系の中にきちんと入っている。手の届かないところにアウトリーチして、個人の生活の困難と地域を変えていくポテンシャルは非常に高いと思う。同時に政策、制度、教育、多様な機関の連携等、課題が多いことも明らかになった。ぜひこの出会いをきっかけに、それぞれの現場でエンパワーされ、活動を継続していただけたらと思う。(小川)
今回のセッションのまとめのコメントで整理されたように、①日本におけるソーシャルワークが個人単位の対人援助が基本になっている現状を地域づくりへと視点を広げること、②そこには多様な住民が住んでいることを当然の認識として定着させるための住民の意識と仕組みを変えていくこと、③そのためには国際・多文化共生分野と社会福祉との連携が必要であることが示唆された。
このセッションの副題に出てくる多文化ソーシャルワークについて考えるためには、原点にあるソーシャルワークについて言及する必要がある。日本ソーシャルワーカー連盟の「ソーシャルワーカーの倫理綱領」の原理として、最初に以下のような記述がある。
Ⅰ(人間の尊厳) ソーシャルワーカーは、すべての人々を、出自、人種、民族、国籍、性別、性自認、性的指向、年齢、身体的精神的状況、宗教的文化的背景、社会的地位、経済状況などの違いにかかわらず、かけがえのない存在として尊重する。
このように明記されているにもかかわらず、そもそも、この国に居住する人々は、国籍や出自に関わらず、あらゆる社会保障制度の対象者であるべきだということを、多くの人が理解していないのではないか。内外人平等原則により、日本が外国人にも自国民と同じ待遇を与えることを国際的に約束したことも周知が十分ではない。日本は国際人権規約(社会権規約またはA規約)を1979年に批准しているが、国内法の改正や運用はまだ十分ではない。この規約の締約国は、第9条で社会保険その他の社会保障について、第15条で文化的な生活に参加する権利について、すべての者の権利を認めるはずである。また1995年に批准した人種差別撤廃条約には、第5条で「経済的、社会的及び文化的権利、特に公衆の健康、医療、社会保障及び社会的サービスについての権利」について、「あらゆる形態の人種差別を禁止し及び撤廃すること並びに人種、皮膚の色又は民族的若しくは種族的出身による差別なしに、すべての者が法律の前に平等であるという権利を保障する」ことを約束しているのである。それにもかかわらず、日本では在留資格によってさまざまな制限がある。
今後はソーシャルワークの原理に立ち、課題解決に向けて社会福祉分野と国際や多文化共生分野が連携して、誰も排除されない豊かな日本社会に変えていくことが求められているのではないか。この研究ノートでは、危険を機会と捉え、ソーシャルワークの命題である人権と社会変革をめざすための一つの道筋を示しておきたい。