THINK Lobby Journal
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TICAD and Multilateralism: The Role of the Multilateral Forum with 3 Decades History for the Future of Africa
Masaki INABA
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2025 Volume 3 Pages 21-26

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1.アフリカと世界の結びつきを変える「二者間サミット」

2024年6月4日、韓国・ソウル郊外のキンテックス国際展示場に、25人の首脳を含むアフリカ48カ国の代表団が集合した1)。2日間の日程で開催されたこの「韓国・アフリカサミット」では、ユン・ソンニョル大統領の出席のもと、2030年までの対アフリカODA100億ドル拠出が表明され、共同宣言が採択されて閉幕した。それから2カ月半が経過した8月24日、東京のホテル・ニューオータニには、30人以上の閣僚を含むアフリカ47カ国の代表団が集合し、「TICAD閣僚会合」が開催された2)。25日、上川陽子外相は1年後に横浜で開催される第9回アフリカ開発会議(TICAD9)に向けた「共同コミュニケ」の採択を宣言した。その約1週間後の9月4日には、50人以上のアフリカの首脳が中国・北京の人民大会堂に集合、習近平国家主席の出席のもと「中国・アフリカ協力フォーラム(FOCAC)サミット」が開催。中国は今後3年間でODAや民間投資など510億ドルのアフリカへの資金移転を誓約し、「中国とアフリカの全天候型コミュニティの共同建設のための北京宣言」を採択して閉幕した3)。わずか3カ月の間に、アフリカの首脳や重要閣僚が3回もアフリカと東アジアを往復したことになる。韓国・日本・中国という隣接した東アジア3カ国は、同じアフリカ大陸の国々を相手にしたこれらの会議を、それぞれ全く別個に開催し、それぞれの会議の間には協力や連携はおろか、調整すら目に見える形では行われなかった。

アフリカと他地域の主要国を結ぶ、このような「二者間(Bilateral)サミット」は、東アジアのみならず、世界各国とアフリカの間で頻繁に行われている。今年(2024年)1月には、G7議長国イタリアとアフリカの間のサミットが開催され、イタリアは50年代の石油王エンリコ・マッテイの名を冠したアフリカ支援枠組み「マッテイ・プラン」を発表4)。ロシア・アフリカサミットは2023年7月に、「米国・アフリカ指導者サミット」は2022年12月に開催されている。トルコやインドなども、同様のサミットを開催している。一方、欧州連合とアフリカ連合は、定期的に「EU-AUサミット」を開催し、2つの地域連合の協力を加速している。これらの二者間サミットの歴史は、第1回FOCACやEU-AUサミットが開催された2000年に遡り、新興国とアフリカ経済がともに上向いた2010年代以降、その数が急速に拡大した。一方、新興国とアフリカの結びつきに懸念を抱いた米国などの先進国勢も、この時期以降、同様のサミットを開催するようになっている。

2.「二者間」と「多国間」二つの性格を併せ持つTICAD

これら多くの「二者間サミット」は、アフリカ諸国の首脳が多く参加し、主催国首脳のリーダーシップの下、主要国からアフリカへの資金や技術提供のイニシアティブが表明され、何らかの宣言の採択と共に終了するという形式をとっている。「二者間サミット」より10年近く前の1993年に開始された日本とアフリカの「アフリカ開発会議」(TICAD)も、日本とアフリカの「二者間」のサミットであり、多数の首脳を招待し、誓約と宣言を成果物とするという意味では、「二者間サミット」の性格を有する。

しかし、TICADは単なる「二者間サミット」とは性格が異なる。まず、TICADはホスト国である日本以外に、国連(事務総長アフリカ特別顧問事務所:UNOSAA)、国連開発計画(UNDP)、世界銀行、2013年以降はアフリカ連合委員会(AUC)を共催団体として開催されている。また、アフリカ諸国のみならず、ECOWAS(西アフリカ経済共同体)やSADC(南部アフリカ地域開発共同体)といった地域開発共同体(RECs)、多様な国連機関やその他の国際機関、また、市民社会や民間企業など、アフリカ開発に関わる様々なステークホルダーも招聘されている。討議内容も、日本・アフリカの外交・経済関係のみならず、より幅広い「アフリカ開発の在り方」である。この点で、TICADは「二者間サミット」の性格と「(日本が主導する)アフリカ開発のための多国間フォーラム」としての性格を併せ持つフォーラムであるということができる。1993年に始まる30余年のTICADの歴史は、この2つの性格がアフリカと日本を取り巻く時代の局面に応じて、せめぎあいながら形成されてきたのである。

3.90年代TICADにみる多国間主義の「誇るべき歴史」

TICADが、他の「二者間サミット」と異なり、多国間の開発政策プラットフォームとしての性格をより強く有することになったのはなぜか。その主な理由は、その発足時期にある。TICADが発足したのは1993年で、この時期、アフリカ諸国の多くは多額の債務を抱え、民営化と緊縮財政を強制するIMF・世銀の構造調整政策の圧政下におかれていた。さらに、冷戦が終結してソ連をはじめとする「東側陣営」が消滅したこともあり、これまで親西側の立場をとるアフリカ諸国を対象に多額の援助を投入していた欧米はそのインセンティブを失い、アフリカの90年代は、停滞と内戦に彩られる「停滞の10年」となっていた。当時、米国を抜いて世界最大のドナー国として君臨していた日本が、1993年、アフリカの開発の方向性を多国間で包括的に検討するための多国間フォーラムとして、最初のTICADを開催したのは、この時期であった。この時、TICADを共催したのは、国連およびGCA(アフリカのためのグローバル連合、Global Coalition for Africa)5)であった6)

日本がこの時点でTICADを開催した主な理由の1つとして挙げられるのが、国連常任理事国化という「隠れたアジェンダ」である。冷戦からグローバル化への歴史的転換期は、もともと第2次大戦の戦勝国を中心とする機構として作られた国連の再編の大きな機会でもあった。この「悲願」の成就にあたっては、多数の国連加盟国を有するアフリカ全体の支持が不可欠であった。TICADの主要な意図が「国連常任理事国入り」にあるならば、TICADが「二者間フォーラム」でなく、多国間の枠組みとして組織されるのは当然である。しかし、「アフリカ開発のための多国間フォーラム」としてのTICADは、1998年のTICAD IIに向けて、当初の意図を超えて大きな役割を果たすことになる。この時期までに、殆どのアフリカ諸国で、IMF・世銀が強制した構造調整政策が無残な失敗を遂げ、多くの国々が貧困化し、教育・保健など社会開発の成果も大きく後退してしまった。また、1997年にはアジア経済危機が生じ、日本の政権与党においても、緊縮財政と民営化を強制するIMF・世銀の「ワシントン・コンセンサス」路線の是非を問う声が顕在化し、これが21世紀に向けて「人間の安全保障」を日本のODAの基本路線とする方向性に発展していくことになる。もともと、構造調整政策の負の影響を懸念し、社会開発を重点化するオルタナティブな方向性を示していた国連やユニセフなどの専門機関は、人々を苦しめ、社会開発を阻害する債務の免除と、国の基盤を再構築する社会開発の主流化に向けて、保健・教育・環境・ジェンダーといった主要な社会開発課題について、これらを主流化し、目標、ターゲット、指標を設けて定量的な評価を可能とする「国際開発目標」(IDGs)の構想を紡いでいた7)。1998年のTICAD IIは、タイミングの良さもあって、その構想を本格的に討議する多国間フォーラムとして機能した。結果として、採択された「21世紀に向けたアフリカ開発 東京行動計画」は、2000年の国連ミレニアム宣言、2001年の「ミレニアム開発目標」(MDGs)の原型となるに至ったのである8)。いま、TICADを語るとき、TICAD IIがミレニアム開発目標と21世紀のグローバルな開発政策の揺籃をなしたという経緯に触れる人は少ないが、これは本来、TICADの誇るべき歴史というべきである。

4.もう1つの「誇るべき歴史」としての市民社会参画

21世紀に入ると、「構造調整政策」の歴史は、国連や世銀、当時主流であった英国・欧州のリベラル左派政権等が構築した、社会開発を主流化するMDGs、累積債務の免除を前提とするHIPC(重債務貧困国)イニシアティブ、途上国の開発をドナー国・機関が集合的に支援する「援助効果」などの潮流によって乗り越えられることになったが、この方向性の前提となった、政策・プログラムのレベルで資金を出して支援する欧州勢の「プログラム援助」に対して、これまでの援助の在り方や、会計制度などの問題からプログラム・ベースの援助にこだわった日本は、この潮流に乗り損ねた。結果として、2003年のTICAD IIIはTICAD IIと異なり、時代を画する成果を挙げることができなかった。そうこうするうち、アフリカ諸国の多くは90年代に失われた国家基盤を一定再建し、2008年のTICAD IVまでには、一部の国では一定の経済成長が実現するようになる。結果、TICAD IV以降は、「成長するアフリカと共に」という路線が追求されるようになり、国連常任理事国化の挫折も相まって、FOCACをはじめとする域外新興国とアフリカの「二者間サミット」と類似したものとなってくる。実際、藪中三十二・外務事務次官(当時)はTICAD IVについて「日アフリカサミット」9)と名称を変えるべきと主張。また、当時ジンバブウェのスチュアート・コンバーバッハ大使のもとで政策提言能力を飛躍的に強化していた在京アフリカ外交団(アフリカの在京大使の連合体)も、FOCAC等を例に、「いまやアジアとアフリカのサミットはTICADだけではない」との提言書を作成し10)、TICADの性格を、アフリカ経済への日本の貢献の強化を旨とする「二者間サミット」に変えていくべきとの主張を強化した。こうした流れも相まって、TICADはアフリカ開発のための多国間フォーラムとしての性格を弱め、日本とアフリカの経済関係の強化を旨とする「二者間サミット」としての位置づけを強めていくことになる。

一方、TICADはこの時期、世銀や国連機関との共催という枠組みや、国連機関・国際機関の大量招聘といった、以前からの「多国間フォーラム」としての特色に加えて、FOCACなど新興国とアフリカ諸国の「二者間サミット」にはない、もう1つの特色を備えていく。それが、「日本とアフリカのNGOをはじめとする市民社会の参画」である。

90年代のTICADは、国連や、アフリカの現職および元政治家等で構成される民間団体であったGCAと日本政府の共催で開かれ、「多国間フォーラム」としての体裁を備えていたが、会議のモダリティは「政府間会議」であり、特にTICAD Iでは、市民社会はアフリカ・日本とも参加が認められなかった。しかし、現実には、農村開発や教育、保健を始め、アフリカの現場ではNGOが開発の主体として機能しており、「アフリカ開発のための多国間フォーラム」にNGOが参加できないとなれば、何のための会議かという状態であった。また、国連は90年代に入って、環境や開発に関する国際会議を頻繁に開催することになったが、特に92年の「リオ環境開発サミット」で採択された「アジェンダ21」は、持続可能な開発に関する国連の会議への市民社会の参画を、9つの「メジャーグループ」の枠組みによって保障することとなり、国際会議における市民社会の参画が急速に主流化されることとなった。

これを踏まえ、1993年のTICAD Iでは、アフリカと日本のNGOが「アフリカ・シンポジウム」を開催、採択した提言書をTICADに提出した11)。この提言書は、TICAD Iで議長を務めた黒河内康大使(ナイジェリア大使・タンザニア大使を歴任)の判断により、会議で配布されることとなった。この実行委員会をもとに、1994年にNGO、アフリカ日本協議会(AJF)が発足する。このAJFをベースに、98年のTICAD IIに向けてはAction Civile pour TICAD」(ACT)、2003年のTICAD IIIに向けてはACT2003が市民社会としてキャンペーンを担うこととなった。TICAD IIIに向けては、8月3日に、様々な分野に取り組むアフリカのNGOが来日し、国連大学でシンポジウム「アフリカのNGOがやってくる!」12)が開催された。また、本会議でも、各分野にまたがるアフリカのNGOの代表が共催団体の招聘により来日し、NGOの参画に関する非公式のセッションが、GCAのフレーネ・ジンワラ氏(元南ア国民議会議長)を司会役に開催される13)など、市民社会の参画自体が急速に進んだ。

2008年のTICAD IVに向けては、アフリカ側市民社会の組織化という点で、大きな進展があった。TICAD IIIの総括過程で、アフリカ市民社会から日本の市民社会に対して、TICADに向けた枠組みを恒常的なものとして作るべきとする強い要望が出され、これに応える形でTICAD市民社会フォーラム(TCSF)が設立。同フォーラムは2007年、ケニアで開かれた「世界社会フォーラム」の会場で、TICADに向けたアフリカ側の市民社会のネットワークの組織化を呼びかけ、これに応えたアフリカの市民社会が、アフリカ市民協議会(Civic Commission for Africa: CCfA)を設立、TICAD IVにおけるアフリカ市民社会の参画の核となった14)

2008年のTICAD IVでは、TICADで約束されたアフリカ開発のための資金誓約や事業実施に関してモニタリングを行う「TICADフォローアップ・メカニズム」が設置され15)、2009年から、TICAD Vが開催された2013年までの間は、毎年アフリカでTICAD閣僚会議が開催されることとなった。市民社会は、日本側はアフリカ日本協議会、アフリカ側はCCfAが取りまとめる形で、開催国となったボツワナ(2009年)、タンザニア(2010年)、セネガル(2011年)、モロッコ(2012年)の市民社会と連携して、共催者の招聘ですべての閣僚会議に参加し、市民社会として声明をまとめ、会議での発表も行った。また、閣僚会議の成果文書である「議長サマリー」に市民社会が直接意見を表明する機会も確保されることになった。ここにおいて、TICADへの市民社会の参画の形態が確立することになる。

2013年のTICAD V以降、アフリカ連合委員会がアフリカ側を代表して共催団体の一翼を担うこととなり16)、その後、TICADは5年に1回日本で開催するスタイルから、3年に1回、アフリカと日本が交代で開催するスタイルへと変化する。他方、TICADフォローアップ・メカニズムは、閣僚会議の頻度が下がるなど若干、後退する形となった。2022年のTICAD8は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミックのさなかに行われ、アフリカ諸国政府と共催者のみの参加となり、市民社会の参画はかなり後退している。

アフリカ諸国と域外主要国の「二者間サミット」の多くは、TICADと異なり、政府間会議ということで市民社会の参画を認めていないものが多かった。しかし、冒頭で紹介した「韓国・アフリカサミット」は、本会議への市民社会の参加は認められなかったものの、韓国・アフリカの市民社会の求めに応じて、開催1カ月前に、外務副大臣出席のもと、「市民社会提言受領式」が開催されるなど、部分的に市民社会の参画を認める形をとった17)。欧州連合とアフリカ連合の連携・協力のプラットフォームである「EU-AUサミット」は、以前からアフリカと欧州の市民社会の参画を保障しており、欧州側は欧州のNGOのネットワークであるCONCORD(欧州NGO総評議会)、アフリカ側はAUの非国家主体・市民社会の公式諮問機関である「経済・社会・文化評議会」(AU-ECOSOCC)が共同して、公式の市民社会参画枠組みの設置に取り組んでいる18)。一方、FOCACは、独立した市民社会の参画は認めないものの、AU-ECOSOCCをカウンターパートに、いわゆる「諸人民間の交流」(People-to-People Exchange)をプログラムの中に設けている19)。これらに鑑みると、EU-AUサミットを筆頭にしつつ、新興国とアフリカ諸国の「二者間サミット」でも市民社会の一定の参画は図られつつある状況となっている。TICADにおける市民社会の参画は、TICADを他の二者間サミットと画する「アフリカ開発のための多国間フォーラム」として意義付ける重要なものでありつづけているが、他のフォーラムでの市民社会の参画の拡大に鑑みれば、市民社会の参画をユニークなものとして位置づけ、より積極化していく必要があると考えられる。

5.多国間主義のパイオニアとしてのTICADに向けて

2008年に始まるリーマンショックと世界金融危機は、アフリカ諸国にとっては、先進国、新興国、民間セクターなどから多額・多様な資金を得て経済開発を進める重要な機会となった。ところが、2020年の新型コロナ感染症(COVID-19)パンデミックで様相は一変した。コロナ対策や、パンデミック下での経済維持のための巨額出費、「コロナ明け」のインフレ、これを管理するための利上げ等により、アフリカ諸国の財政はいずれも危機に瀕し、ガーナ、ザンビア、エチオピア、チャドなどは債務不履行となっている。一方、サヘル地域では、イスラーム聖戦主義勢力が猛威を振るい、各国の脆弱な軍事力では対処できない状況となっている。アフリカ諸国は圧倒的に若者が多い人口構成となっているが、これらの若者に職を保障できるだけの産業育成ができておらず、デジタル化とSNSの発達も相まって、各国で「若者たちの叛乱」が秒読みとなりつつある。来年8月に開催されるTICAD9は、主要テーマに「アフリカと共に革新的な解決策を共創する」を掲げているが、この会議で問われているのは、アフリカを取り巻くこのような厳しい現実に、30年の歴史を誇る、「日本主導のアフリカ開発のための多国間プラットフォーム」たるTICADがどう答えを導き出せるか、ということなのである。

前章までに見た通り、TICADには、2000年以降に始まったアフリカと域外主要国の「二者間サミット」とは異なる「日本が主導するアフリカ開発のための多国間プラットフォーム」という性格がある。この性格によって、TICADは90年代末に、構造調整に対するオルタナティブな開発政策としてのMDGsを形成する「ゆりかご」となり、2000年以降は、市民社会をはじめとするマルチ・ステークホルダーの参画において、他の二者間サミットにモデルを提供するなど、他の「二者間サミット」とは異なる成果を生み出してきた。ここ数回のTICADでは、日本企業のアフリカ進出促進や、日本とアフリカの経済関係の強化が重点化されているが、アフリカが直面する複合的危機に出口が見いだせなければ、日本企業のアフリカ進出も限定的なものとならざるを得ない。この点で、来年のTICAD9という局面では、TICADはその役割を、ある程度「アフリカ開発のための多国間フォーラム」の方にリバランスする必要がある。アフリカをはじめ、世界が複合的危機にあえぎ、危機からの出口と新たなパラダイムを見出そうと懸命に努力を続けている現在、TICADはその「多国間フォーラム」としての性格を発揮することで、アフリカと世界に道を示すことができるはずである。

このヒントになるのが、複合的危機にあたって2022年に日本の包括的支援のもと、UNDPが打ち出した「人新世の時代の『人間の安全保障』」20)と、2020年の米国の「ブラック・ライブズ・マター」運動以降、世界の1つの潮流となりつつある「脱植民地化」(デコロナイゼーション)である。前者は、国家による保護(プロテクション)と個人・コミュニティのエンパワーメントによる人間の能力の全面開花を核とする旧来の「人間の安全保障」が複合的危機によってその基盤を脅かされている現状において、この「保護とエンパワーメント」の面的基盤を再建するための概念である「連帯」(ソリダリティ)と、人間の安全保障を推進する力を生み出す「行為主体性」(エージェンシー)という概念の2つを導入することで、「人間の安全保障」を現代に再定義したものである。複合的危機とSNSのエコーチェンバーによって、ともすれば、分断と対立の「遠心力」が働きがちなところ、これを反転し、多国間の連携と協調に向けた「求心力」を作り出していく上で、「人新世の人間の安全保障」の理念と、それに基づいた政策の主流化は必須である。

一方、先に述べたように、アフリカの人口の最大部分は、21世紀になってから生まれた若者たちである。特に、高いレベルの教育を受け、SNSを駆使する都市部の若者たちにとって、旧世代が形成し、ポスト・コロナの危機で行き詰ったアフリカの現状は耐え難い。一方で、若者たちが自ら、現状を脱却して新たなアフリカを作っていくための道筋は見えない。もちろん、現状の危機を管理し、社会・経済を運営していくための諸手段は、現在のアフリカ諸国政府や主要国、世銀・IMFや国際機関等が提供している。しかし、そこにアフリカの若者たちの主体的な参加の余地はなく、彼らはオーナーシップを発揮しえない。その中で、多くの若者たちが、急進的な政治変革を志向する状況が生じてきている。彼らの場所はそこにあるからである。しかし、21世紀以降のアフリカの急進的な政治変革は、「変革の後」になにも用意されていないがゆえに、失敗と反動に帰結してきたのが現実である。本当に必要なのは、彼らがオーナーシップとともに、アフリカの国家、社会、経済の変革に建設的に関与できる言説と行動の空間である。

戦後の日本外交は伝統的に「脱植民地化」といった言説を嫌い、TICADにおいても、脱植民地化の旗振り役を果たしてきた南アフリカ共和国やアフリカ連合といった存在を煙たがる傾向もあった。しかし、TICADが本当にアフリカの若者たちに光を当て、課題解決のためのイノベーションの共創を目指すのであれば、アフリカの若者たちに何をもって「出口」を提供するのか、真摯に検討しなければならない。現代のアフリカの若者たちが信奉する「脱植民地化」というスローガンに、若者たちを社会的・経済的・文化的に包摂する漸進的な改革という形を与えることが必要なのである。「アフリカ開発のための多国間フォーラム」として30年の歴史を積み重ねてきたTICADは、こうしたトレンドを準備するためのプラットフォームとして、独自かつ不可欠な役割を果たすことができるはずである。

脚注

  1. 1) Ovigue Eguegu, “South Korea-Africa Summit: A Disappointing Outcome?”, The Diplomat, 2024年6月12日, https://thediplomat.com/2024/06/south-korea-africa-summit-a-disappointing-outcome/, 2024年12月2日

  1. 2) 外務省、“2024年TICAD閣僚会合”、外務省ホームページ、2024年10月6日、 https://www.mofa.go.jp/mofaj/af/af1/pagew_000001_00583.html、2024年12月2日

  1. 3) Linda Calabrese, et al., “FOCAC 2024: a revival of China-Africa relationship”, 2024年9月25日, ODI Global, https://odi.org/en/insights/focac-2024-a-revival-of-china-africa-relations/, 2024年12月2日

  1. 4) Danielle Fattibene, “The Mattei Plan for Africa: A Turning Point for Italy’s Development Cooperation Policy?”, Institut Affari Internazionali, 2024年3月11日, https://www.iai.it/en/pubblicazioni/mattei-plan-africa-turning-point-italys-development-cooperation-policy, 2024年12月2日

  1. 5) GCAは、アフリカの経験ある政治指導者、政策決定者やその関連団体等で組織する民間団体で、アフリカの開発などについての議論を深めることを目的としていた。2007年に解散。ウェブサイト: https://gcacma.org/WhatistheGCA.htm

  1. 6) UNDP駐日代表事務所、“TICADヒストリー”、UNDP、更新日付不明、 https://www.undp.org/ja/japan/ticadhisutori、2024年12月2日

  1. 7) UNECA, “Measuring progress towards the international development goals”, 1998年4月, https://repository.uneca.org/handle/10855/39421?show=full, 2024年12月2日

  1. 8) 外務省、“TICAD II 21世紀に向けたアフリカ開発東京行動計画”、外務省ホームページ、1998年、 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ticad/index_k.html、2024年12月2日

  1. 9) 毎日新聞、“外務省:TICAD4を名称変更、日アフリカサミットに”、ARSVI.com、2008年4月28日、 http://www.arsvi.com/i/2-ticad2008.htm、2024年12月2日

  1. 10) 国際連合大学、“スチュワート・コンバーバッハ大使によるプレゼンテーション”、国際連合大学ウェブサイト、2007年5月25日、 https://archive.unu.edu/africa/africaday/files/2007/AfricaDay_2007_Comberbach_jp.pdf、2024年12月2日 ※スチュアート・コンバーバッハ氏は2002年から11年まで駐日ジンバブウェ共和国大使、2003年から11年まで在京アフリカ外交団団長を務めた。なお、同氏は1997年から2001年までジンバブウェ産業貿易省の常任長官(Permanent Secretary)を務めたほか、2014年には同国大統領・内閣府の事務総長、2018年には同国のムナンガグワ政権の外務・国際貿易大臣の特別顧問となっている。上記講演はTICAD IVに向けた外交団の提言書そのものではないが、その内容を紹介するものとなっている。

  1. 11) アフリカ日本協議会、“ネットワーク調査の背景、目的と概要”、アフリカ日本協議会ウェブサイト、1998年6月15日、 https://ajf.gr.jp/wp-content/uploads/2023/06/africanow38s.pdf、2024年12月2日

  1. 12) 外務省、“「NGO国際シンポジウム」(2003年8月)の概要”、外務省ウェブサイト、2003年、 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ticad/tc3_ngo_s.html、2024年12月2日

  1. 13) 外務省、“TICAD III議長サマリー”、外務省ウェブサイト、2003年、 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ticad/pdfs/3_g_summery.pdf、2024年12月2日

  1. 14) 山田真理子、“TICAD IVに向けた国内外の市民社会連携に関する調査”、外務省ウェブサイト、2008年、 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/shien/senmon20/pdfs/20_09.pdf、2024年12月2日

  1. 15) 外務省、“TICADフォローアップ・メカニズム”、外務省ウェブサイト、2008年、 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ticad/tc4_sb/ticad_fum.html、2024年12月2日

  1. 16) アフリカ連合日本政府代表部、“アフリカ連合”、アフリカ連合日本政府代表部ウェブサイト、2024年、 https://www.au-mission.emb-japan.go.jp/files/100674424.pdf、2024年12月2日。アフリカ連合委員会がTICADの共催団体となったのは2011年のタンザニアでの閣僚会合からであるが、TICADサミットに関しては2013年のTICAD Vからとなる。

  1. 17) Africa Insight, “On-site Sketch of the Korea-Africa Summit Civil Society Policy Recommendation Delivery Ceremony”, Africa Insight, 2024年5月13日, https://m.blog.naver.com/hubafrica/223455825143, 2024年12月2日

  1. 18) CONCORD, “Statement: African and European CSOs on key issues in the AU-EU Partnership”, CONCORD Website, 2004年5月28日, https://concordeurope.org/2024/03/28/statement-african-and-european-csos-on-key-issues-in-in-the-au-eu-partnership/, 2024年12月2日

  1. 19) Ministry of Foreign Affairs, Peopleʼs Republic of China, “The Ministry of Foreign Affairs Holds A Briefing for Chinese and Foreign Media on President Xi Jinpingʼs Attendance at the Opening Ceremony of the 2024 Summit of the Forum on China-Africa Cooperation”, 2024年8月23日, The Ministry of Foreign Affairs Holds A Briefing for Chinese and Foreign Media on President Xi Jinpingʼs Attendance at the Opening Ceremony of the 2024 Summit of the Forum on China-Africa Cooperation, 2024年12月2日

  1. 20) UNDP、“2022年特別報告書 人新世の脅威と人間の安全保障~さらなる連帯で立ち向かうとき~」日本語全訳 出版”、UNDP、2022年12月6日、 https://www.undp.org/ja/japan/press-releases/human-security-report-japanese-edition、2024年12月2日

 
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