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こんばんは。ただいまご紹介にあずかりました堀田和義と申します。十年ほど前のことになりますが、私自身も、ここ東大仏青で、このような公開講座の手配や雑誌の編集等のいろいろな仕事を担当しておりました。現在は、岡山理科大学というところで、哲学や倫理、宗教などの一般教養科目の授業を担当しております。今日は、私が専門としているジャイナ教という宗教についてお話しさせていただきます。
ジャイナ教という宗教について、皆さんはどれくらい知っておられますか? インドや仏教などに興味のある方のなかには、よく知っておられる方がいるかもしれません。また逆に、まったく知らない方もいるかと思います。今回の公開講座では、「はじめてのジャイナ教」と題して、まったく知らない方でもひと通りのことがわかるようにお話しをさせていただきたいと思います。
はじめに、ジャイナ教の信者がどれくらいいるのかということを見ておきたいと思います。二〇一一年の国勢調査によりますと、インドの総人口に占めるヒンドゥー教徒の割合は七九・八%、イスラム教徒は一四・二三%となっており、キリスト教徒の二・三%、シク教徒の一・七二%、仏教徒の〇・七%に続いて、第六位のジャイナ教徒は〇・三七%となっております。
インドの仏教は十三世紀頃までに衰退してしまい、わずかに周辺地域に残っているような状態だったのですが、イギリス植民地支配からの独立後に、アンベードカルの改宗をきっかけとして復活しました。最初の頃はジャイナ教徒の方が多かったのですが、日本出身の指導者の活躍などもありまして、その後、徐々に人数を増やしていき、現在ではジャイナ教徒の二倍近い数になっております。
そして、次に見ていただきたいのが、インドの所得税全体におけるジャイナ教徒が納めている割合です。先ほど見たように、インドの総人口に占める割合が〇・三七%だったジャイナ教徒が、なんとインドの所得税全体の二十四%を納めています。これはすごいことですよね。人数の割に影響力が大きそうです。今日の話が終わる頃には、どうしてそのようなことが起こるのかも理解していただけるのではないかと思います。
また、意外に思われるかもしれませんが、ジャイナ教は、誰もが知っているインドの有名人にも大きな影響を与えています。それは誰かと言いますと、インド独立運動の英雄であるマハトマ・ガンジー(一八六九―一九四八、正確には「マハートマー・ガーンディー」)です。ちなみに、マハトマというのは「偉大な魂を持つ」「偉大な」という意味のニックネームでして、本名はモーハンダース・カラムチャンド・ガンジーと言います。
ガンジーは、自伝の中で自らに大きな影響を与えた人物として、レフ・トルストイ(一八二八―一九一〇)、ジョン・ラスキン(一八一九―一九〇〇)、ラージャチャンドラ(一八六七―一九〇一)という三人の名前を挙げています。トルストイは『戦争と平和』などの著作でも知られるロシアの文豪で説明不要ですね。ラスキンというのは、イギリスの評論家です。オックスフォード大学の先生をしていたらしく、『不思議の国のアリス』の著者のルイス・キャロルとも仲良しだったそうです。
そして、最後のラージャチャンドラという人物がジャイナ教徒でして、宝石商を営む在家の身でありながら、非常に多くの人たちに影響を与えた有名な思想家です。いずれにしましても、ジャイナ教という宗教は、信者数は少ないけれども、税金をたっぷり納めていたり、ガンジーにも影響を与えていたりと、経済的にも、文化的・政治的にもなかなか侮れない力を持っていることがおわかりいただけたのではないかと思います。
それではまず、ジャイナ教という宗教が誕生した経緯を、ジャイナ教誕生以前のインドの思想状況などとともに見ていきたいと思います。このあたりのことは世界史の教科書などにも書いてありますが、現在のウクライナあたりにいたと思われる人たちが移動し、東へ向かったグループのうちの一派が、ヒンドゥークシュ山脈というところを通って、インドに進出してきます。紀元前千五百年頃のことと言われています。
彼らは自分たちのことを「アーリヤ」と呼び、遊牧をしていたようですが、インドの地に来てからは定住するようになります。そして、神々を讃えた歌を集めた『リグ・ヴェーダ』をはじめとする聖典にもとづいて、神々に対する供物を聖火に捧げる祭式を行い、死後、天界に再生することを願っていたと考えられています。この祭式を専門的に行う司祭がバラモンであり、バラモンを中心とした宗教体系を「バラモン教」などと呼んでいます。
このバラモンは、バラモン(司祭階級)、クシャトリヤ(王族・戦士階級)、ヴァイシヤ(平民階級)、シュードラ(隷属階級)という四つを枠組みとする身分制度の頂点に立つ者です。この制度は、各身分の中にも上下があったり、時代や地域によっても様々であったりと、全貌を把握することは非常に困難なのですが、ここでは、生まれつき決まっていて、変えることができない点だけを押さえておいて下さい。
さて、神々に供物を捧げ、その見返りとして天界に再生してめでたしめでたし、といった世界観にも徐々に変化が現れてきます。「祭式でためた貯金(功徳)が尽きてしまったら、天界でも死んで、また地上に戻ってきてしまうかも……」という不安が生じるようになったのです。「地獄の沙汰も金次第」などと言いますが、天界も同じなのです。こうして、輪廻転生の原型が出来上がったという人もいます。
途中をいろいろと端折りますが、祭式を行うことで積んでいた功徳も日常の行いへ移し替えられ、善因楽果、悪因苦果という自業自得の法則が完成します。行先も天界だけではなく、悪い行いをすれば地獄に生まれ変わったり、地上に生まれ変わったとしても、ゴキブリになってしまったりというように、様々なバリエーションが生まれます。さらには、天界ではなく、解脱(=二度と生まれないこと)を目指す人たちも出てきます。
そして、社会情勢の変化により、新しい価値観を持った人たちが現れ、バラモン至上主義に憤った沙門(しゃもん)と呼ばれる新しい宗教家たちが登場し、その中でも有力であったジャイナ教や仏教がバラモンに対抗した……というストーリーが、一つの考え方です。この考え方では、換骨奪胎してはいますが、ジャイナ教や仏教の思想は、広い意味でバラモン教やその聖典であるヴェーダの思想の影響下にあると考えられています。
しかし、最近では、異なった考え方も見られます。それによれば、そもそもマガダ地方にはバラモン中心のヴェーダの文化が届いておらず、独自の文化があったと言います。そして、輪廻転生などの考え方も、もともとこの地にあったものであり、むしろバラモン教の方がその影響を受けて取り入れたのだというように考えます。私はこの考え方にもなかなか説得力があると思うのですが、どちらが正しいのかといった判断は下せません。
バラモン以外に沙門と呼ばれる宗教家がいたことは、インドを訪れたギリシア人も伝えています。そして、彼らのグループも数多くあったようです。初期仏典では『沙門果経』に有名な六師外道が登場しますし、他にも六十二見などという呼び方も見られます。また、ジャイナ教聖典では三百六十三種類の思想を数えるものもありますし、当時の四十五人の思想家の言葉を伝える『聖仙のことば』という文献も伝わっています。
沙門の思想は非常に様々ですが、バラモンやヴェーダの権威を否定した点は、ほぼ共通していると言えます。けっこう危険な思想も含まれていたようですが、今日まで残ったのは、ジャイナ教や仏教のように倫理的な教えを説く宗教だけでした。他に、六師外道のひとりであるマッカリ・ゴーサーラ(紀元前六―五世紀?)で知られるアージーヴィカ教も、十四世紀頃までは南インドに残っていたようです。
ここからは、ジャイナ教の事実上の開祖であるヴァルダマーナの生涯を少し詳しく見ていきたいと思います。ヴァルダマーナは、紀元前六世紀頃、王族・戦士階級であるクシャトリヤの家系に生まれました。この点は、仏教の開祖ゴータマ・シッダールタの場合と同じですね。生誕地のクンダグラーマは、現在のインドのビハール州パトナ近郊と考えられ、ゴータマ・シッダールタが生まれたルンビニーからも非常に近いところです。
最初に、ヴァルダマーナはバラモン女性の母胎に入り、彼女が夢の中で十四の吉祥なものを目の当たりにしたという伝承があります。しかし、それに気付いた神々の王インドラが神々の歩兵隊の指揮官ハリネーガメーシに命じて、同じ時期に妊娠していたクシャトリヤ女性の母胎にいる胎児と交換させました。バラモン教に対抗する宗教の開祖が、バラモン出身では都合が悪いわけです。
ゴータマ・シッダールタの伝記にも、母親のマーヤー夫人が、白象が胎内に入る夢を見たなどという記述があります。また、母親がこのような夢を見て妊娠するというエピソードは、インドの聖者伝のみならず、世界中の偉人伝に広く見られますね。日本でも、豊臣秀吉の伝記には、母親が胎内に太陽が入る夢を見たなどというエピソードがありまして、私も小さい頃によく聞かされました。
ちなみに、私の地元は豊臣秀吉が生まれた場所のすぐ近くでして、桃山幼稚園、日吉小学校、豊国中学校、中村高校と、幼稚園から高校まで、すべて秀吉にゆかりのある名前です。しかも、桃山幼稚園の近くには、清正幼稚園という幼稚園もあったりします(笑)。あと、私の実家の裏の大通りは、その名も「太閤通」です。とにかく、秀吉尽くしです。すみません、脱線してしまいました。
さて、そのクシャトリヤ女性の夫(名前は「シッダールタ」!)が夢解きの専門家たちを呼んで尋ねると、生まれてくる息子が広大な世界を治める転輪聖王、あるいは三界を導く宗教的な王になることを示していると語ったそうです。どこかで聞いたことがありますね。アシタ仙人がゴータマ・シッダールタの父親のシュッドーダナ王に語ったのと同じです。どちらかが真似をしたとかではなく、占い師に特有のリップサービスなんだと思います。
幼少期に関する情報は非常に限られています。誰でも、偉くなる前の情報というのは、だいたいそんな感じなのかもしれません。しばしば言及されるのは、友達と遊んでいたところに興奮した象が現れて、みんな怖がって逃げてしまったが、ヴァルダマーナだけが冷静に対処したなどというエピソードです。他にも、象ではなくて蛇が現れ、これまた勇敢に掴んで放り投げたというエピソードがあります。
青年期には、ヤショーダーという名の女性と結婚し、プリヤダルシャナーという名の娘をもうけたとされますが、これを認めない人たちもいます。そして、三十歳になると、出家すべき時が来たことを認識して出家しました。出家に関しても、両親が亡くなるまでは出家しないという誓いを守り、兄や親族の許可を得て出家したとする立場もありますが、これを認めない人たちもいます。
出家のシーンは盛大なパレードのようであり、こっそり家を抜け出したゴータマ・シッダールタとはちょっと違います。輿に乗せられ、神々や多くの人々に囲まれて、称えられながら市中を通り抜け、郊外の遊園へ運ばれたと伝えられています。そして、遊園で輿から降りると、アショーカ樹の下に持ち物を捨てて、手で頭髪を五掴み引き抜いたといいます。剃ったのではなくて、抜いたのです。今日でも、出家修行者は、頭髪や髭を手で抜いています。
出家後は、瞑想や苦行を中心とした厳しい修行を実践し、雨季の四か月間以外は一カ所に留まることなく、遍歴遊行を続けました。聖典の描写によれば、行った先々で、かなり激しい迫害を受けたこともあったようです。また、六年間、アージーヴィカ教の指導者のゴーサーラと修行をともにしたという伝承もありますが、ずっと沈黙行を実践していたとして、これを認めない人たちもいます。
そして、出家から十三年目に、仏教で言うところの成道の瞬間が訪れます。過去に蓄積した業を苦行などによって完全に滅ぼした結果、完全知を獲得して、ジナ(欲望を克服した者)となったのです。完全知というのは、仏教で言うところの一切知とほぼ同じものです。ただし、仏教の場合は、知りたい時に知ることができる能力で、ジャイナ教の場合には、文字通り、一切を知る認識のことだと言われています。
その後、初説法の機会が訪れますが、これは不成功に終わったようです。そして、二度目の説法では、長い議論の末に十一人のバラモンを改宗させることに成功します。この十一人はヴァルダマーナの高弟となりました。また、このうちの二人は千五百人の弟子を連れて弟子入りしたと言われており、ヴァルダマーナの弟子は一気に増えました。ゴータマ・シッダールタの場合も、サーリプッタがたくさんの弟弟子を連れてきましたよね。
成道の後、ヴァルダマーナは伝道の旅に出ます。これまでと同様、雨季の四か月間以外は遍歴遊行を続け、富裕な商人や王族などの保護を受けながら、着実に信者を増やしていきました。ちなみに、雨季に滞在した場所がすべて伝えられているのですが、それによれば、今日のインド北東部のビハール州~ジャールカンド州が主な活動領域であったと考えられます。これはゴータマ・シッダールタが活動した領域とも大きく重なっています。
そして、七十二歳の時、パーパー(現在のビハール州ナーランダー地区のパーヴァープリー)にあるハスティパーラ王の書記官の仕事場で涅槃に入ります。ヴァルダマーナの生涯のうち、受胎、誕生、出家、成道、涅槃は、五つの吉祥な出来事と呼ばれ、ジャイナ教の祭りなどで儀礼的に再現されます。このあたりも、仏教で「八相」などと呼ばれる八つの段階を考えることや、誕生、成道、転法輪、涅槃の地を「四大仏跡」とするのと似ています。
先ほど、ヴァルダマーナはジャイナ教の事実上の開祖であるという言い方をしました。それはなぜかと言いますと、仏教の過去仏と同じように、ジャイナ教でもヴァルダマーナ以前に二十三人の救済者がいたと考えられているからです。ただし、研究者の間で、実在した歴史上の人物であったと考えられているのは、第二十三代のパールシュヴァという人物だけです。
このような考え方は、バラモン教の影響で生まれたのだと思われます。バラモン教の聖典であるヴェーダは人間が作ったものではないと考えられており、それゆえに永遠であるとされます。この永遠であることは、正しいものであることと密接に結び付いています。新しい宗教の場合、開祖の成道がスタート地点となり、永遠ではない(=無常)ということになってしまいますから、教えそのものを永遠なものとしなくてはならなかったのです。
ちなみに、第二十三代のパールシュヴァは、ヒンドゥー教の聖地として非常に有名なベナレスの生まれで、ある伝承では、ヴァルダマーナよりも二百五十年ほど前の人物とされます。聖典の記述からは、ヴァルダマーナの両親がこのパールシュヴァの教団の信者だったことがわかります。パールシュヴァの教団はヴァルダマーナの時代にも存続しており、しばらく並存した後に、ヴァルダマーナの教団に吸収合併されたようです。
さて、ここで、ジャイナ教という名前についても説明しておきたいと思います。先ほど、成道の話の際に、サラッと「ヴァルダマーナがジナ(欲望を克服した者)となった」というように言いましたが、実は、このジナに従う者たちのことを、古代インドの言語で「ジャイナ」と呼ぶのです。ちなみに、ブッダに従う者たちは「バウッダ」でして、仏教徒はインドで「バウッダ」と呼ばれています。
しかし、「ジャイナ教」という日本語の名称は、ヨーロッパの言語を経由して入ってきたと考えられます。仏教の英語名が開祖の尊称ブッダに-ismを付けてbuddhismであるならば、同じく尊称のジナに-ismを付けてjinismとなりそうですが、そうはならずに、jainismとなりました。かつては、jinismやその訳語の耆那教、ジナ教といった言葉も見られたのですが、今日では「ジャイナ教」という呼び方が一般的です。
以前の職場の同僚に、「ジャイナ教は、英語でjainismと呼ぶ」という話をしたところ、「あ、それ、聞いたことある!」と言うので、「ほう、意外と知られているんだな」と思ったのですが、「それって、『お前のものは俺のもの。俺のものも俺のもの』ってやつだよね⁉」と言われました……。それはジャイニズムではありません。ジャイアニズムです。たしかにちょっと似てますけど。すみません、脱線しました。
ジナやブッダというのは、実は、当時の偉い宗教家の尊称としてはありふれたものでして、ヴァルダマーナもブッダと呼ばれることがあり、ゴータマ・シッダールタもジナと呼ばれることがありました。ジナもブッダで、ブッダもジナ……。なんだかややこしいですね。ある時期から、ジャイナ教の方はジナ、仏教の方はブッダというように、住み分けがなされて、今日に至っているようです。
さて、ひと口にジャイナ教と言いましても、一枚岩ではなく、現在は多くの宗派に分かれています。仏教も根本分裂を経て多くの部派に分かれましたし、伝播した各地域でも様々な宗派が誕生しました。ジャイナ教における最も大きな分け方は、白衣派と空衣派という分類です。白衣派は、文字通り「白い衣を着ている人たち」であり、空衣派は「空間を衣とする人たち」、すなわち、裸形を実践する人たちです。
最も大きな違いは、宗派名が示す通り、衣の着用に関する点です。誤解されることも多いのですが、空衣派でも、完全な裸形を実践しているのは限られた高僧だけであり、その他多くの者は白い衣を身に着けたりしています。他にも、白衣派聖典の権威を認めるか否か、完全知者(=ジナ)の生理的作用を認めるか否か、女性は解脱できるか否か、という三つの点に関しては、意見が大きく異なっております。
一点目の白衣派聖典の権威に関する問題ですが、空衣派は、白衣派が今日まで伝承している聖典の権威を認めていません。空衣派では、古い教えは失われてしまったと考えるためです。それでは、空衣派には聖典がないのかと言いますと、昔の偉い学僧が書いた文献を失われた聖典に代わるものとして位置付けています。そのため、これらは「代用聖典」などと呼ばれたりします。
二点目の完全知者の生理的作用に関する問題は、「完全知者は欲望を克服した超人的存在である」という前提に由来します。空衣派ではそれを文字通り受け止め、欲望などの生理的作用はないと考えます。一方、白衣派は空衣派に比べると現実的であり、生きている限りは、身体を維持するための生理的作用などが残っていると考えます。とりわけ、「ゴハン食べるの? 食べないの?」というように、食欲に焦点を当てて議論されました。
三点目の女性は解脱できるか否かというのは、重要な問題ですね。白衣派では女性も解脱可能であると考え、その証拠に、第十九代の救済者マッリが女性であったと考えます。一方、空衣派では、女性の身体は解脱に適さず、男性に生まれ変わってからでなければ解脱できないと考えます。仏教でも、例えば『法華経』には、女性は男性に変じてからしか成仏できないという、いわゆる変成男子という考え方が見られますね。
ちなみに、紀元五百年頃の南インドには、「ヤーパニーヤ派」と呼ばれる第三の宗派が現れたと言われています。この宗派の起源についてはっきりしたことはわかっていませんが、森では裸形を実践し、人前では腰布を着用するというように、折衷的な立場をとっていたようです。空衣派からは白衣派寄りと見られていました。しかしながら、十五世紀には、ほぼ衰退していたようでして、南インドの空衣派に吸収されたと考えられています。
ここまで、ジャイナ教の歴史的な部分についてザックリとお話ししてきましたが、ここからは、ジャイナ教の思想についてお話ししていきたいと思います。と言いましても、ジャイナ教の思想というのも非常に多様でして、私もその全貌は把握しておりません。ジャイナ教の思想と言った場合、最も有名なのは、何と言っても生き物を傷付けないという不殺生の思想ということになるかと思いますので、そのあたりを中心にお話しさせていただきます。
ジャイナ教では、仏教と同様、生まれ変わりを繰り返す輪廻転生を苦しみと捉え、そこから解脱することを目指します。それでは、どうすれば解脱できるのかというと、正しい信仰、正しい認識、正しい行いという三つのセットが重要であると言われます。不殺生は、そのうちの三番目の正しい行いに関わっています。正しい行いにもいろいろありますが、不殺生はその中でも最も重要なものと考えられています。
行いに関しては、ジャイナ教でも、善因楽果、悪因苦果という自業自得の法則を前提としていますが、これがなかなか難しいのです。悪い行いをすると苦しい境遇に生まれ変わるのはわかります。それでは、逆に、善い行いをすれば良いのかというと、その結果、良い境遇に生まれ変わってしまいますから、解脱できません。じゃあ、どうしたら良いのかといいますと、究極的には、悪い行いだけでなく、良い行いをも離れなければならないのです。
不殺生の原語は、ガンジーの非暴力運動と同じくアヒンサーです。ジャイナ教にも、仏教と同じような五つの戒がありまして、その一番最初に不殺生が来て、その後に、真実(嘘をつかない)、不与不取(与えられていないものを取らない)、梵行(性的禁欲)、無所有(物を所有しない)と続きます。これら五つを、出家修行者は完全に守り、在家信者は部分的に守ります。
中身は、仏教の五戒とよく似ていますね。仏教の五戒は、不殺生、不偸盗、不淫、不妄語、不飲酒という五つでして、順番が少し異なりますが、最後の不飲酒以外はジャイナ教のものとほぼ同じです。五つの戒にまとめる際に漏れてしまっただけでして、ジャイナ教においても飲酒は禁止されています。そして、仏教においても、物に対する執着は戒められていますよね。
これらの戒をどのような方法で守るのかと言いますと、仏教で言うところの三業、すなわち、身体、言葉、心によって行わないという三通りのやり方で守るわけです。身体でしない、言葉で言わないというのは何とかなりますが、心の中で思ってもいけないというのは、なかなか厳しいものです。しかし、ジャイナ教の考えでは、この三通りだけでは十分ではありません。
さらに、この三つを、自分がしない、他者にさせない、他者がしているのを認めないという三通りのあり方で守るのです。これも、最初の二つはわかりますが、他者がしているのを認めないというのは、なかなか大変です。仏教でも古い文献には、このような考え方を説くものがあります。こうして、三×三=九通りのあり方で、悪い行いを回避しなければならないのです。
不殺生の話に戻りましょう。不殺生の対象には、小さなものから大きなものまで、生きとし生けるものすべてが含まれます。その中には植物も含まれますし、目に見えないような小さな生き物も含まれます。ジャイナ教徒は、これらを傷付けないように、細心の注意を払いながら生活しなければなりません。これはとても大変なことです。そこで、先ほど述べたような、出家修行者の戒と在家信者の戒の区別があるわけです。
出家修行者は、すべての生き物を傷付けないようにして、在家信者は、感覚器官を二つ以上持つものを傷付けないようにして生活することになります。ちなみに、この感覚器官の数にもとづいて生き物を分類する方法は、インドの中でもジャイナ教にしか見られない独自のものでして、感覚器官を一つ持つものから五つ持つものまでの五種類に分け、さらに感覚器官を五つ持つものを心を持つものと持たないものに分けます。
一つの感覚器官を持つものは、五感の中でも最も基本的なものである触覚だけを備えており、地、水、火、風、植物、微生物がそれに相当します。二つの感覚器官を持つものは、触覚と味覚を備えており、蠕(ぜん)虫(ちゅう)などがそれに相当します。三つの感覚器官を持つものは、嗅覚が加わり、蟻などが例として挙げられます。四つの感覚器官を持つものは、視覚が加わり、その例としては、蜂などが挙げられます。
そして、五つの感覚器官を持つものは、聴覚も加えた五感すべてを備えており、人間などが例として挙げられます。もちろん、在家信者でも、出家修行者のようになるべくすべての生き物を傷付けないようにすることが理想です。しかし、毎日ご飯を食べて、普通の生活を営んでいくうえで、不殺生を完全に守ることは困難ですから、先に述べたような区別ができてくるわけです。
では、出家修行者は、どんなご飯を、どうやって手に入れるのかと言いますと、いわゆる托鉢によって集めます。鉢を手に持って在家信者の家をまわり、余り物をいただくというスタイルです。ただし、実際には、在家信者は托鉢を見越して多めに準備していたりしますし、功徳を積むことになるので、鉢の中にじゃんじゃんご飯を入れたりします。お坊さんの中にはけっこう恰幅の良い人もいますが、その理由はこのあたりにありそうです。
いずれにしても、生き物を食べないという点は、出家修行者にも在家信者にも共通しています。ですから、間違っても、お肉を食べることはありません。「本当は良くないのですが、いただいたものなので仕方なく……」というのもダメです。この点に関して、ジャイナ教は仏教と違って徹底しており、肉食に対する仏教の考え方を非常に厳しく批判しています。もちろん、例外中の例外という特殊なケースはあるかもしれませんが。
仏教の三種浄肉という考え方では、布施された肉が、自分のために殺されたことを見ることもなく、聞くこともなく、予想せしめるものもないならば、食べても良いとされます。しかし、これだと、出家修行者が食べたそうな素振りを見せたら、空気を読むのに長けた在家信者が、規則に引っかからないお肉を用意してあげることもできてしまいますよね。そういった意味では、どんな状況でもダメという規則の方が一貫性を保てます。
ですから、ジャイナ教徒は徹底した菜食主義者です。ちなみに、よく「ベジタリアン」と表現されますが、この言葉は野菜(ベジタブル)とまったく関係ないってご存知でした? ベジタブルに由来するならば、「ベジタブリアン」とかですよね。語源はラテン語の「ウェゲトゥス(vegetus)」という形容詞でして、「活発な」「生き生きとした」といった意味です。これ、本当です。どこかで豆知識として披露してみて下さい(笑)。
そのため、肉を食べるベジタリアンというのがいてもおかしくないのです。実際、ポウヨウ・ベジタリアンといって、鶏肉を食べる人たちもいますし、ペスコ・ベジタリアンといって魚を食べる人たちもいます。あとは、オボ・ベジタリアンといって卵を食べる人たちもいます。ちなみに、ジャイナ教徒はラクト・ベジタリアンといって、牛乳、バター、チーズのような乳製品はオーケーという立場に組み込まれます。
ただし、ジャイナ教には「野菜であっても、根菜はダメ」という、ちょっと変わったルールがあります。そこを意識して、「ジャイン・ベジタリアン」などと呼ばれたりもします。理由としては、根菜の中には微生物がいるとか、土を掘り返す時に虫などを殺してしまうとか、根菜をとると植物全体が死んでしまうとか、いろいろな説明が見られます。ちなみに、最近では、国際線の機内食でもジャイナ教徒用の食事が選べたりします。
肉食を含む殺生がなぜいけないのかという点に関しては、様々な説明がなされます。仏教だけでなく、世界中に見られる「自分がされたら嫌なことは人にもしちゃいけません」という、いわゆる黄金律にもとづく説明もそのひとつです。そして、インドの場合は、輪廻転生にもとづく説明というのもしばしば見られます。ちょっとグロテスクですが、「今、あなたが食べようとしてるお肉、前世であなたのお母さんだったかも?」というような発想です。
サンスクリット語で肉のことを「マーンサ(māṃsa)」と言うのですが、ジャイナ教ではこの単語を「マーン(mām)」と「サ(sa)」の組み合わせであると語源解釈します。「マーン」は「私を」という意味、「サ」は「彼は」という意味の指示代名詞でして、「来世では、彼が私を食べることになりますよ」という意味だと言うのです。語源解釈とは言っても、今日の学問的な視点から見れば、単なる語呂合わせですが、なかなか面白い解釈です。
似たような考え方は、他の文化圏にもあります。次の引用をちょっと見て下さい。
そしてあるとき彼は、仔犬が杖で打たれている傍を通りかかったとき、哀れみの心にかられて、次のように言ったということだ。
「よせ。打つな。それはまさしく私の友人の魂なんだから。啼き声を聞いて、それと分ったのだ」
(『ギリシア哲学者列伝(下)』加来彰俊訳、岩波文庫、三十九―四〇頁)
これは『ギリシア哲学者列伝』という非常に面白い本から引っぱってきたものなのですが、数学でも有名なピタゴラス(正確にはピュタゴラス)の伝記の一部です。ピタゴラスが率いていた教団では、輪廻転生を認めていました。輪廻転生を認めると、同じような考え方にたどり着くものなのでしょうか。彼の言葉の背景には、生まれ変わりを根拠にした、動物に対する憐れみがあると思われます。
それでは、死肉のように、すでに死んだ動物の肉ならば良いのか、という疑問を持つ人も出てきたりします。死肉ならば、殺生を伴いませんからね。しかし、十二世紀頃の学僧アムリタチャンドラは、「死肉には微生物が寄生しており、それを食べることにより殺生を犯すことになる」と説明しています。つまり、自分が殺した動物でなくても、肉食には殺生がつきまとうと考えられているのです。
ジャイナ教の出家修行者が、小さな虫などを吸い込まないようにマスクをして、小さな虫などを踏まないように箒を持っているなどという話を聞いたことがあるかもしれません。すべての宗派ではありませんが、実際にそのような格好をしております(写真①を参照)。慣れてくると、マスクの形や色、箒の形などによって、その出家修行者がどの宗派に属しているのかを見分けられるようになります。
[写真①]
本によっては、「小さな虫を踏まないように、道を掃き清めながら歩いている」といったことが書いてありますが、これはちょっと大げさです。遊行中の出家修行者は、一日にかなりの距離を歩いて移動しますので、そんなことをしていたらなかなか先へ進めません。実際には、床に座る際などに、座る場所を掃き清めるといった感じで、歩く時は脇にかかえています。「小さな虫も殺しません」といった不殺生のシンボルと言えます。
小さな生き物は、肉眼では見えない微生物のレベルにまで及んでいます。これは現代になって言われるようになったのではありません。顕微鏡も存在しない遥か昔から、ジャイナ教では、目に見えない微生物の存在を想定していました。なぜ、わかったのでしょうか。聖典の記述によれば、「ヴァルダマーナは完全知者だから」わかったのです。たしかにそうですよね。一切を認識できるならば、微生物の存在もわかることになります。
その結果、ジャイナ教では、水を飲んだり、使ったりする前に、布で濾過するということが行われてきました。ちなみに、先ほど紹介した五つの戒の中の三番目にありました不与不取(与えられていないものを取らない)を徹底しているため、出家修行者は川や公共の井戸の水も汲めません。飲み水や生活用水も、托鉢の際に在家信者から布施されたものを使っているのです。
これは私のお師匠さんのひとりである矢島道彦先生がよく紹介するものなのですが、宮沢賢治の小説に『ビジテリアン大祭』というものがあります。世界中のベジタリアンが集まるお祭りに畜産組合のメンバーが乗り込んできて……という面白いお話なのですが、その中で、水を濾過して飲むインドの聖者の話が出てきます。どの宗教かは明記されていませんが、これは間違いなくジャイナ教の出家修行者のことだと思われます。
微生物に関しては、「女性器の中には微生物がいるから、性交によってそれらの殺生が起こる」などと書いている文献もあります。五つの戒の中の四番目の不淫を説く際に、不殺生を持ち出してくるのです。ちなみに、この微生物は、ジャイナ教の文献だけでなく、仏教の文献やインド医学の文献、性愛学の文献(いわゆる、『カーマ・スートラ』の類ですね)にも出てきます。
また、感覚器官の数のところでもお話ししましたが、ジャイナ教では、地・水・火・風という、一般的には元素と考えられているものにも生命を認めています。ですから、無駄に地面を掘ったり、水を撒いたり、火を起こしたり、団扇で風を起こしたりすることも禁じられています。そういえば、ジャイナ教の人たちは、拍手もしません。これは小さな虫などを叩かないためかと思いますが、風元素とも関係があるかもしれませんね。
元素に関しては、ちょっと面白い話があります。今から十五年ほど前のことになりますが、三カ月ほどインドのラージャスターン州にあるジャイナ教の大学に滞在していたことがあります。キャンパス内には僧院もありまして、毎日のようにそこへお邪魔していたのですが、ある時、テープレコーダー(懐かしいですね)に触れた出家修行者が、あわててそれを放り出したことがありました。
「これは何か特別な理由があるに違いない」と思って尋ねたところ、かつて、教団内に「電気は火元素である」という考え方があったことを教えてくれました。実は、その後、教団のリーダーの命令で調査がなされ、「電気は火元素ではない」という結論が出たのですが、一度禁止されたことは容易に元に戻せないのか、相変わらず、電化製品に触れることはタブーとなっているようでした。
在家信者が守るべき規則は、出家修行者ほど厳しくはありませんが、ここまででお話ししたように、他の宗教と比べるとかなり厳しいものと言えます。ですから、日常の生活にもそれなりの制限がかかっておりまして、殺生に繋がる可能性のある職業に就くことは望ましくないとされています。もちろん、現実には、すべての信者がそれを守ることができるわけではありませんが。
その結果、金融業や商業、最近ですとIT関係の仕事に就く人が多いと言われています。そして、五つの戒の中の二番目の真実をしっかりと守ることで信頼を得て、その道で成功して、経済的に豊かになる人が出てきます。冒頭でお話しした所得税の話の答えも、このあたりにありそうですね。しかも、成功した人たちは、財産をためこむことなく、一定以上の収入は、教団に布施することになっています。
さて、ここまで、不殺生を中心にジャイナ教の思想を見てきました。不殺生は、微生物から人間にいたるまでの生き物を対象としますが、基本的には他者の生命に対する配慮と言うことができます。それでは、自分の生命に対する考え方はどうなっているのでしょうか。これは、今日、世界中で議論されている尊厳死などの問題にも関わってくる、非常に重要な論点だと思われます。
ジャイナ教では、「サッレーカナー(サンレーカナー、サンターラなどとも)」と呼ばれるものが古くから理想的な死に方とされてきました。これは、意訳しますと、「断食死」といった感じのものでして、文字通り、食事を断つことによって死に至るものです。ジャイナ教では、厳しい修行生活を送っている出家修行者だけでなく、普通の生活をしている在家信者にも断食死が奨励されてきました。
フランスの社会学者で、世界的に有名なエミール・デュルケームという人がいますが、そのデュルケームの『自殺論』という著作にも、この断食死に関する記述があります。デュルケームはそれを「宗教的自殺」と呼んでいます。インド、そしてジャイナ教にまで目を配った点は驚くべきことですが、この書き方ですと、ジャイナ教徒の意図が少し誤解されてしまうおそれがあります。
インドにおいても、この断食死に対しては、古くから「自分に対する殺生ではないのか」という批判がありました。これはおそらく、他の宗教からの批判というよりは、世俗的な立場からの批判であったと考えられます。いずれにしても、不殺生を最も重要と考えるジャイナ教徒にとって、理想の死に方が何らかの形で殺生に関わると見なされる点は、解決する必要がありました。
ジャイナ教には、古くから死の分類(死に方の分類)が見られます。ジャイナ教における死の分類は複数ありますが、いずれも自発的な「賢者の死」と望まない「愚者の死」の二つを大きな軸としており、断食死は前者に含められてきました。このことには、ジャイナ教徒が、断食死を称賛すべき優れたものと考えていることが現れていると言えます。
また、文献を見る限り、断食死と「自分に対する殺生」との相違点は、大きく分けて三つあると考えられます。第一に、断食死には、それを実践するにあたって満たさなければならない条件があります。例えば、対抗策のない災難、飢饉、老齢、病気などのように、何らかの形ですでに死が迫っており、それに付随して、これまで守ってきた教えを守り続けることができなくなってしまうような状況が想定されています。
また、将来的に実践することの決意表明として、早い段階で略式の誓戒を受けるのが通例となっているようです。つまり、正常な判断ができる健康なうちに、自分の意思表明をしておくわけです。いわゆるリビング・ウィルですね。さらに、実践を開始するにあたっても師の許可が必要であり、この時点でも改めて本人の意思が確認されます。つまり、誰もが好きな時に、自由に実践できるわけではないのです。
第二に、断食死と「自分に対する殺生」とでは、それを実践する者の心理的な面に違いがあるとされます。ジャイナ教では殺生を犯すのは不注意な者であるとされます。そのため、実際に物理的な殺生を行ったかどうか以上に、不注意であったかどうかの方が問題にされます。殺生を行う者に見られるこのような不注意は、断食死を実践する者にはないと考えられています。
第三に、在家信者の戒には、いずれの項目にも「違反行為」と呼ばれるものが規定されているのですが、断食死に関しても五つの違反行為が規定されています。つまり、正しい断食死と間違った断食死があり、両者が峻別されているわけです。そういった意味でも、殺生とは大きく異なっています。殺生には、正しい殺生はないからです。やむを得ない殺生とでも言うべきものはあるかもしれませんが。
以上の三点の中でも、とりわけ、第一の点は、今日の尊厳死の考え方とも共通するところが多いと考えられます。病気その他の事情によりすでに死が迫っている点、健康な時の本人の意思表示(リビング・ウィル)がある点、さらには、このまま生き続けた場合に、これまで守ってきた尊厳(ジャイナ教徒としての正しい生き方)が守れなくなってしまう恐れがある点などが共通しています。
そのあたりの事情を、十世紀頃の学僧ソーマデーヴァは、「十二年にわたって武術を学んだ王がもし戦場で混乱に陥ったならば、彼にとって武術が何になろうか。死を前にした修行者にとっての過去の行いも同様である」と表現しています。つまり、長年、ジャイナ教の教えを守って生きてきたのに、晩年にそれを守れなくなってしまっては意味がない、と考えているわけです。
ちなみに、十二年というのは、何かを習得するのに必要な期間としてよく見られるものです。インドには、非常に難しい古典文法学があるのですが、これなども学習するのに十二年かかると言われます。ヴァルダマーナが出家してから完全知を獲得するまでの期間も十二年でしたね。インドの文献における「十二」という数に関しては、仏教の十二支縁起などもありますし、いろいろと興味深いところがあるのですが、断食死の話に戻りましょう。
断食死は、現代も行われております。そして、相変わらず、それに対する批判もあります。二〇一五年には、断食死を「社会悪」「自殺」と考える人権活動家の要請により、ラージャスターン州の高裁が刑法上の罪に相当すると発表しました。これに対して、多くのジャイナ教徒たちが沈黙のデモ行進を行って抗議した結果、インドの最高裁は、熟考すべき問題であるとして、ラージャスターン高裁の要請を保留しました。
BBCニュースのウェブ版では、「このケースに結論を出すには、数年かかることが予想される」という法律の専門家の意見を紹介しています。二千年以上も議論されているのですが、残念ながら知られていないようですね。今後も結論が出ないまま、何らかのきっかけで反対派の意見が再燃しては、ジャイナ教徒がそれに抗議するということが繰り返されるのではないかと思います。
ちなみに、現在、断食死の過程は、Youtubeなどでも公開されており、我々でも見ることができます。ちょっと、閲覧注意といったシーンもありますが、このように公開されているという事実は、ジャイナ教徒にとっての断食死がなんら隠すべきものではなく、むしろ全世界に向かって知らしめるべきものであることを示していると言えます。興味のある方は、sallekhana、samtharaといった語で検索してみて下さい。
さて、だんだん時間もなくなってまいりましたので、哲学的な思想のなかでも、とりわけジャイナ教に特徴的と言われる思想について、サラッと見ておきましょう。それは、相対主義、不定主義、多面主義、非極端説等々、いろいろな名前で呼ばれますが、特定の視点にとらわれることなく、複数の様々な視点から物事を観察するという複眼的思考とでも言うべきものです。
というのも、私たち一般人は、ヴァルダマーナと違って完全知者ではありませんから、物の見方が限られています。そこで、何かを主張する際には、必ず「ある点から見れば」を意味する「スヤート(syāt)」という言葉を付けて表現しなければならないのです。スヤート論(スヤード・ヴァーダ、syādvāda)という言葉はジャイナ教の別名として、スヤート論者(スヤード・ヴァーディン、syādvādin)という言葉はジャイナ教徒の別名として、インドの現代語の辞書にも載っています。
例えば、インドには「部分と全体は同じか、違うか」という論争がありました。具体的には、「糸とそれを織ることでできる布というのは同じなのか、違うのか」といったような議論です。仏教は糸と布は同じであるという立場で、バラモン・ヒンドゥー教のヴァイシェーシカ学派は違うという立場でした。これと似たような論争は、中世ヨーロッパにもありますし、中国にもありますよね。
それで、ジャイナ教はどう答えたのかと言うと、「糸と布は、ある点から見れば、同じ」と言います。糸を縦横に組み合わせれば布になりますし、布もほぐせば再び糸になるからです。一方で、「糸と布は、ある点から見れば、違う」とも言います。布ならばこぼれた水を拭けますが、糸では拭けませんからね。なんだか、ズルいような気もしますが、どちらか一方に決めつけるような極端に走らない点が大きな特徴です。
もうそろそろ時間ですので、最後に、ジャイナ教と日本の関わりについてお話しして、終わらせていただきたいと思います。先ほどお話ししましたように、ジャイナ教徒には商人が多いため、現代のようにグローバルな時代には世界各地に散らばっており、日本でもインドのジャイナ教徒が生活しております。最近は、新聞やテレビ、インターネットなどでも取り上げられることがあるため、ご覧になった方が多いかもしれません。
ジャイナ教徒のコミュニティとして有名なのは、日本では、神戸とここ(本郷三丁目)からも近い御徒町です。そして、私も新聞社の方に聞くまで知らなかったのですが、最近は、山梨県の甲府にもあるようです。それでは、これら三つの場所に共通するものは何でしょうか? わかる方、おられますか?(「宝石」という声があがり、)はい、有難うございます。そうですね。この三つの地域に共通するキーワードは「宝石」です。
神戸というのは、真珠の取り引きで非常に有名です。観光地としても有名な北野異人館街には、日本で最初に建てられたジャイナ教寺院があります。「バグワン・マハビール・スワミ・ジェイン寺院」と言います。ジャイナ教徒でない人も入ることができますので、興味のある方は、神戸に行ったら覗いてみて下さい。神戸は有名な港町ですから、他にもユダヤ教のシナゴーグやイスラム教のモスクなどもあります。
御徒町もジュエリータウンとして有名ですね。ジャイナ教徒には宝石商が多いため、御徒町に集まって来たのです。彼らが礼拝を行うための寺院もあります。こちらは、実は、先ほど撮ってきたばかりなのですが、その寺院の入り口です(写真②を参照)。「シュリー・ヴァースプージヤ・スワーミー・ジャイン・テンプル」と言いまして、宝石会社の社長さんが所有するビルの中にあります。
[写真②]
そして、山梨県も宝石で有名なところです。ご存知でした? 私は知りませんでしたが(笑)。先ほども申し上げましたように、新聞記者の方から教えていただいた情報でして、私自身は行ったことがありません。甲府は、神戸や御徒町のコミュニティに比べると日が浅く、まだ寺院などはないようです。ひょっとしたら、今後、甲府にもジャイナ教寺院のできる日が来るかもしれませんね。
神戸の寺院はずっと前から観光客も訪れていますし、御徒町の寺院も見学させてもらえます。興味のある方はぜひ足を運んでみて下さい。ちなみに、御徒町には、ジャイナ教徒が経営するレストランもあります。お店の名前は「ヴェジハーブサーガ」と言いまして、もちろん、菜食です。ジャイナ教徒の食事に興味のある方は、ぜひこちらのお店にも足を運んでみて下さい。
といったところで、そろそろお時間となりましたので、このあたりで終わらせていただきたいと思います。まとまりに欠けた話ですみません。また、「はじめてのジャイナ教」ということで、お話しできなかった点もたくさんありますが、今後、ジャイナ教は、新聞やテレビ、インターネットなどでもしばしば取り上げられる機会があると思いますので、ぜひ注目していて下さい。ご清聴ありがとうございました。
(本稿は令和元年第三〇六回公開講座での講演内容にもとづき執筆されたものです。)