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ご紹介いただきました、北海道武蔵女子短期大学の鈴木健太です。本日は宜しくお願いします。
私は以前、東大仏青で主事を務めておりましたが、その際お世話になった会員の方々も、本日いらっしゃるかもしれません。主事を務めていた際には、講座や仏青展のときに大変お世話になりました。
私は現在、北海道の札幌にある北海道武蔵女子短期大学というところで教鞭をふるっております。札幌は二〇二〇年三月、四月頃から全国でも最も深刻な新型コロナウイルス感染地域となっておりました。そのため、私は春先からずっと慎重な生活をしております。外出の際にマスクをするだけでなく、アルコール消毒液を常に携帯したり、買い物をした後に洗えるものを全部洗ったりしています。かなり神経質だとは思います。
出歩けないとかマスクをしなければならないことについては全く気にならないのですが、一番大変なのは、新型コロナのリスクの捉え方が皆違うということです。特に家族の間では、しばしば問題が起こります。例えば私は外食はゼロで構わないという立場ですが、妻はときどきは外食したいという立場です。当然、意見交換と言いますか、軽い言い争いになります。その結果、他の利用者との間隔が充分確保できるのならば外食も仕方なかろうというところに何回か落ち着きました。
[写真]鈴木健太先生
私たち家族は意見の違いをこのように話し合いで何とか今のところ解決していますが、様々なニュース等を見ると、意見あるいは見解の違いがのっぴきならないところにきて、深刻な対立があちらこちらで生まれつつあるように思われます。このコロナ禍において非常に気になるのは社会の分断です。たとえば、感染者と非感染者の間の分断です。感染した人が非感染者から差別的な発言をされることもあると聞いたことがあります。また、医療者と非医療者の分断も気がかりです。医療者の子どもを保育園に通わせないようにという働きかけが、非医療者たちから保育園にあったということも聞きました。
こんな時だからこそ、お互いに配慮し合い、意見の違いをお互いが譲り合うことができるところまで粘り強く調整していくことが大切なのではないかと思います。
本題に入ります。本日は「般若経における菩薩について」という論題でお話しいたします。そのうち、まずは般若経について説明していきたいと思います。
般若経というのは、「般若」をその経題に含む経典群の総称となっています。したがって、金剛般若経(金剛経)や仁王般若経、般若心経もそうした経典群に含まれることになります。諸々の般若経のうち、本日は主に小品系般若経(八千頌系統の般若経)を扱うことにします。
どうして小品系般若経を扱うのかと言いますと、これが諸々の般若経の出発点であると考えられているからです。般若心経などを期待していた人は申し訳ありません。
般若経は、とりわけインド仏教においては、大乗経典の中心であると言えます。というのも、紀元前後に大乗経典が現れ始めてから一三世紀初めにインドで仏教がほぼ消滅する時期近くまで、およそ千年以上にわたり作成されつづけた経典群だからです。
千年以上の長きにわたり作られてきた般若経の発展の歴史は、おおよそ次のように整理されることになります。
【般若経の発展の歴史】
[一] 原始般若経の形成(紀元前一〇〇年~紀元後一〇〇年)(小品系般若経)
[二] 経典の増広期(紀元後一〇〇年~三〇〇年)(大品系般若経など)
[三] 小部の経典の成立(三〇〇年~五〇〇年)(金剛般若経、善勇猛般若経など)
[四] 密教化の時期(五〇〇/六〇〇年~一二〇〇年)(理趣経など)
第一期に、小品系般若経の祖型が形成され、第二期で、その祖型に様々な文章が加えられて大品系般若経(二万五千頌系統の般若経)をはじめとする種々の類本が形成されました。
そして、第三期には、第一期二期のものと話の流れを異にする比較的小部の経典が作成されるようになりました。金剛般若経、善勇猛般若経などがこの期に成立したものと考えられています。
最後の第四期が「密教化の時期」であり、般若は仏母として神格化され、経典の中に様々なマントラや種子、密教的な儀礼が見られるようになりました。理趣経などがこの時期のものと見なされています。
第一期と第二期に着目すると、小品系と大品系の物語の筋はだいたい同じですが、三智の確立、菩薩の十地、陀羅尼説、十八空性説などの教義が後者で新たに説かれるようになりました。また、大品系には小品系を注釈する内容を含んでいるケースがあることも指摘されています。
「小品系」、「小品系」と言ってきましたが、小品系般若経というのは、具体的には二世紀の支婁迦讖訳『道行般若経』をはじめ、鳩摩羅什訳『小品般若経』、玄奘訳『大般若経』「第四会」などを指します。支婁迦讖に漢訳された後、同じ経題の経典が何度か訳されました。訳されるごとに、言葉が少し足されたり、少し言葉が変わったりします。けれどもおおむね同内容であるため、これらは小品系般若経と総称されています。梵本の『八千頌般若経』、チベット語訳『聖八千般若波羅蜜多』も、この系統の般若経に含まれます。
次に、これらの小品系の内容について確認していこうと思います。
【小品系般若経の概要】
霊鷲山を舞台に、仏陀と須菩提、舎利弗、帝釈天らとの問答を軸に話は進んでいきます。話題の中心は般若波羅蜜ですが、般若波羅蜜に関連させながら、大乗、無執着の実践、経巻崇拝、随喜廻向、不退転菩薩、善巧方便などについても説明を施していきます。そして阿難に般若経を委ねます。その後、サダープラルディタ菩薩がダルモードガタ菩薩のもとに般若波羅蜜を求めに行く物語が説かれ、再度阿難に般若経を委ねます。
このように、小品系般若経は教義問答が中心となっており、物語性はやや乏しいように思われます。
ちなみに「般若波羅蜜」という言葉は多義的に用いられ、「極限まで智慧を高める修行」、その修行の結果得られた「最高の智慧」を意味します。「書物の形となった般若経」という意味にもなります。なお、「極限まで智慧を高める修行」というのは、小品系般若経によれば、すべてのものを実体的なものとして見ず、執着を極限まで排除していくことです。そのために、あらゆるものを幻の如く、夢の如く見るように促しています。この点については後でまた触れることになります。
これまでお話ししたことに関連して、幾つかのことを考えたいと思います。まずは、般若経はなぜ経典じたいが拡大していったのかということです。
「経典じたいが拡大しつづける」というのが一般的な大乗経典の特徴ですが、なかでも般若経は、その度合いが強い経典群としてよく知られています。なぜ、(一般的には言葉が増える方向性で)書き換えることが容認されたのか。確実なことは分かりませんが、ヒントとなる記述が経典内部にないわけではありません。一つは次の記述です。
「……アーナンダよ、般若波羅蜜はさておき、もし、私(仏陀)があなたに直接説いた〔その他の〕教え、そのすべての教説を習ってから、再び失くしてしまい、再び捨ててしまい、忘れてしまったとしても、アーナンダよ、それだけのことでは、あなたは私に背いたことにはならないでしょう。しかし、アーナンダよ、あなたが般若波羅蜜に関係のある語や語と結びついたものを失くしてしまい、捨ててしまい、忘れてしまうのならば、アーナンダよ、それだけで、あなたは私に背いていることになり、あなたは私の心を喜ばせないでしょう」(荻原本八六九頁)
これは一見したところ、経文の変更を戒める記述のように思われるかもしれません。しかし、よくよく見ると、般若波羅蜜に関する語を亡失してはいけないとは述べられていますが、増やしてはいけないとは述べられていません。つまり、経文を減らすことは禁じているが、増やすことに関しては特に何も言っていないことになります。もう一つヒントとなるのは次の記述です。
さらにまた、アーナンダよ、名詞の集まり、語の集まり、文字の集まりは量と結びついているが、アーナンダよ、この般若波羅蜜は量と結びついていないのです。それはなぜでしょうか。アーナンダよ、般若波羅蜜は名詞の集まり、語の集まり、文字の集まりではないし、アーナンダよ、この般若波羅蜜は量をもつものでなく、アーナンダよ、般若波羅蜜は無量だからです。(荻原本八七七―八七八頁)
先ほど申し上げたように「般若波羅蜜」は多義語です。ここでの「般若波羅蜜」は、極限まで高められた最高の智慧、もしくは般若波羅蜜を説く経典を意味するものと考えられます。そのうえで、この経文の本来意味するところを考えると、次のようになるかと思います。
般若波羅蜜(般若経)は文字で表現されているから、その文字の文量によって限定されていると思われるかもしれないが、そのような特徴をもつものとして捉えてはいけない、というように。
しかし、「般若経は無量」ということが先ほどの経文を増やすことを禁じていないということと合わせて考えられると、「文字数がいくら増えても問題ない」ことになりかねません。
こうした経文があるから著しい増広が起こったかどうかは確定できませんが、少なくとも般若経の第一段階、第二段階でおこった増広は、小品系の経文で容認されていることと捉えることができそうです。
次に、般若経の祖型(原始般若経)とは何かということについて考えてみたいと思います。
先ほど、「般若経の発展の歴史」を述べる際に、第一期のところで「原始般若経」(般若経の祖型)が形成されたと考えられていることをお話ししました。ただし、この諸々の般若経の祖型をどう考えるかについては、実は研究者の間で意見の相違があります。小品系が最も早い部類ということはおおむね認められているのですが、その小品系の中で、どの章の成立が早く、どの章の成立が遅いのかという点について意見の相違が見られるのです。代表的な説を示します。
[梶芳光運説] 第一段階(初品)→第二段階(第二~第二五品が加わる)→第三段階(第二六品以下が加わる)
[干潟龍祥説] 第一段階(初品~第二五品(但し第一六品、第二四品を除く))→第二段階(第一六品、第二四品、第二六品が加わる)→第三段階(第二七品以下が加わる)
[梶山雄一説] 第一段階(初品~第二五品の第一の委嘱)→第二段階(第二五品の第一の委嘱より後の部分が加わる)
*なお、「初品」等は『道行般若経』に基づく。
概説書などでは、このうち梶芳先生の説に基づいて説明されることが多いように思われます。
梶芳先生は次のように考えているようです。初品では無執着の実践を説いており、それ以降では経巻崇拝を説くなど内容に違いがあるから初品が先に成立したのではないかと。著名な般若経研究者であるエドワード・コンゼも同様の考え方をしています。
しかし、「思想の違い」が生まれた原因が、はたして「成立時期の違い」にあると断定してよいのでしょうか。というのも、初品とそれ以降では説法の聞き手が異なるからです。思想の違いは「説法の対象の違い」によっても説明することが可能となり、必ずしもそれは「成立時期の違い」を示すものではなくなってきます。そのように考えると、現状では梶山先生の説が最も穏当ではないかと私は考えております。
続いて、般若経で説かれる教説について少しお話しします。般若経というと「空」を説く経典であると、一般的に捉えられているようです。空とは、「実体性を欠いていること」、つまり私たちが有ると思っているものが確実なものとしては実は存在していないということです。
しかし、この「般若経は空を説く経典である」というのは、必ずしも適切な説明ではありません。というのも、空というのは般若経の主題ではないからです。例えば、般若経に次のような一節があります。
善男子や善女人が、この般若波羅蜜をこのように習い、覚え、唱え、理解し、宣布し、説き、述べ、教示し、読誦しながら、戦闘が起こっているときに前線に赴くとしましょう。……戦場の真ん中に至り、立ち、座っている善男子や善女人が、この般若波羅蜜に心を集中し、習い、覚え、唱え、理解し、宣布し、説き、述べ、教示し、読誦している限り、その者の命が害されることはありえないし、その機会も無いでしょう。他者からの攻撃によって、その者が命を害されることになる、ということにはならないのです。また、カウシカ(帝釈天)よ、そこでもし、誰かがその者に剣や棒や土塊やその他のものを投げつけるとしても、それはその者の身体に当たらないでしょう。
(荻原本二〇一―二〇二頁)
ここでは般若波羅蜜を読誦することで、戦闘で命が絶たれないという現世利益がもたらされることが説かれています。もし、「実体性がない」ということであれば、このような教えは成り立たないのではないでしょうか。ここでは、般若波羅蜜も、それを唱える善男子、善女人も実体性がないものとして説かれていません。むしろ、般若波羅蜜が強烈な実体性をほこり、その力が現実世界に実際に及ぶことが描かれています。
「般若経は空を説く経典」という表現がまずいのだとしたら、どのように表現したらよいのでしょうか。「般若経は般若波羅蜜を説く経典」と言えば良いのです。
そもそも空とは、般若波羅蜜を習得するための考え方の一つです。般若波羅蜜は智慧を極限まで高める修行という意味も持ちますが、その修行を説明する際に「空」という言葉が登場します。
ただし、小品系般若経には「空」という言葉はそれほど多く登場しません。すべてのものは実体性がない、すべてのものには固有の本性がないということを般若経では、「幻の如し」「夢の如し」など様々な表現を用いて言い表しています。
さて、様々な表現を用いて、あらゆるものに固有の本性がないことが分かった先に何があるのでしょうか。それは、あらゆるものに執着しないようになることです。ものごとを空と捉えることも、ものごとに執着しないようにするための方法の一つです。たとえば、次のような経文があります。
スブーティは言った。
「シャーリプトラよ、色が空であるとするのは執着です。同様に、受、想、行、識が空であるとするのも執着です」(荻原本四一五頁)
ここでは、「何かが空である」と捉えたとしても、その空であることに執着してしまっては元も子もないということです。般若経では様々な表現を用いて「ものごとに固有の本性がないこと」を言っています。そして、無執着を徹底させようとしています。ものごとに固有の本性がないと捉え、徹底的にものごとに執着しないようにしていくこと、これが智慧を極限まで高めていく般若波羅蜜の修行であると小品系般若経からは理解できます。
ここまでの話に関して、次の疑問について考えてみたいと思います。同じ経典内に、なぜ空などということと、般若波羅蜜の読誦による現世利益などが説かれているのか。
結論を先に申し上げますと、聞き手によって説法の内容を変えているからと考えられます。つまり、出家者には空などを中心に説き、在家者には読誦の効果などを説くというようにです。
この点に関して、小品系の梵本である『八千頌般若経』の第一章の冒頭の記述と、第三章の冒頭の記述を確認しましょう。
【第一章冒頭】
次のように私は聞いた。あるとき、世尊は王舎城の霊鷲山の上にいた。一二五〇人という多数の比丘(男性の出家者)の集団と一緒に。(荻原本二―八頁)
【第三章冒頭】
そのとき、その集会には神々が集まってきて座っており、また比丘(男性の出家者)、比丘尼(女性の出家者)、優婆塞(男性の在家信者)、優婆夷(女性の在家信者)たちも集まってきて座っていたが、世尊はそれらの集まってきて座っている神々を認識し、集まってきて座っている四衆すべてを認識した。
(荻原本一八七頁)
第一章では、無執着を徹底的に促すため、様々に固有の本性がないことが説かれます。たとえば「仏陀、菩薩、般若波羅蜜も名前だけのものにすぎません。そしてその名前さえも生起して存在しているものではありません」というようにです。ただし、第一章ではまだ説法の聞き手として出家者しか認められていません。
一方、第三章から、般若経の読誦によって論争がおさまったりするといった現世利益があることが語られたり、仏舎利の代わりに般若経を安置してそれを仏塔のように崇拝することの功徳が語られたりします。この第三章以降で在家信者も説法の対象として認められるようになっているのです。
どうやら相手に応じて説法の内容をかなり大きく変えているため、無執著の実践と般若経の読誦の現世利益などが同一経典に収まっていると理解することができそうです。
そろそろ今回の講座の主題に含まれる「菩薩」について説明をしていきましょう。菩薩の一般的な意味を言いますと、「覚りを求める衆生」ということになります。平たく言うと、成道前の釈尊に自らを重ね合わせて、覚って仏となることを目指す衆生ということになります。小品系般若経においても同様の意味で用いられ、菩薩たちが覚って仏となるための様々な修行、あるいは物事の捉え方が語られています。
ここで触れておきたいのが、「摩訶薩」という言葉を「菩薩」と併記することの意義についてです。西暦八〇〇年頃に活躍したインドの学僧ハリバドラが、小品系般若経(八千頌)の経文の「菩薩摩訶薩」という語句について、次のような注釈を加えています。
覚りに対して(bodhau)、つまり、一切法に執着しないという自己の目的の完成に対して心(sattvam)、つまり、志向をもっている者たちが「諸々の菩薩(bodhisattvāḥ)」である。〔それだけでは〕声聞たちもそうなるであろうから、「諸々の摩訶薩」と述べる。偉大なる(mahatyām)
他者の目的の完成に対して心(sattvam)をもっている者たちが「諸々の摩訶薩(mahāsattvāḥ)」である。しかし、偉大なる心は、外道の善き人のように、別様にもありうるであろうから、「菩薩」という語の適用がある。
(荻原本二二頁)
この説明によると、「菩薩」という語は自利の志向をもつ者を指し、それだけだと声聞も含まれることになります。一方、「摩訶薩」という言葉は利他の志向をもつ者を意味し、それだけだと外道の善き人も含まれることになります。
ここから、「菩薩」「摩訶薩」を併せて用いることによって、その言葉の対象者が自利、利他の両方の志向をもち、その者が異教徒や声聞ではなく、大乗仏教の菩薩を指し示すことになると理解することができます。
この注釈者の説明に従えば、「菩薩」が単独で用いられた時と、「菩薩摩訶薩」と併記された時では意味合いが異なることになりますが、実際の小品系般若経の経文ではどうなっているでしょうか。
彼ら(智慧の低き者たち)は、般若波羅蜜をしりぞけ、……「声聞地について語り、独覚地について語る、それ〔般若波羅蜜を説くもの〕とは別の諸経典、それらをもっとよく理解すべきだ」と考えるでしょう。このようなあり方で修行する諸菩薩は、枝や葉や茎の如きものであると、知られるべきです。
それはなぜでしょうか。スブーティよ、菩薩摩訶薩は、声聞乗や独覚乗の人たちが学ぶように、そのように学ぶべきではないからです。……菩薩摩訶薩は次のように学ぶべきです。「一切世間に恩寵を授けるために、私は自らを真如にとどまらせよう。一切衆生をも真如にとどまらせよう。無量の衆生の集まりを般涅槃させよう」といって。菩薩摩訶薩は、このように、一切の善根を積む努力を始めるべきです。しかし、それらのことによって慢心すべきではありません」
(荻原本五〇二―五〇三頁)
ここでは、声聞地(声聞の境地)や独覚地(独覚の境地)について語る諸経典を理解しようとする者が「菩薩」と呼ばれ、声聞乗や独覚乗とは別の仕方で学ぶ者が「菩薩摩訶薩」と呼ばれています。注釈者の説明と重なっています。
しかし、小品系般若経全体にわたって、この使い分けができているかというと、そこまで厳密に守られているわけではなさそうです。今回は、「菩薩」「摩訶薩」と併記することで自利・利他両方の志向をそなえた者であることを表現しようとしていると理解していただければ幸いです。
次に、菩薩の修行実践の内容についてお話します。今までのところでも少し触れてきましたが、小品系般若経では様々な修行実践が説かれています。まずは、智慧を極限にまで高める修行方法の一つを紹介したいと思います。
(一)ものごとを捉えないという瞑想
般若波羅蜜を成就していない人は、捉えられないものを捉えて、一切知者性に向かって出ていくことはないでしょう。それはなぜでしょうか。なぜなら、般若波羅蜜においては、色は捉えられないからです。受も、想も、行も、識も、般若波羅蜜においては捉えられないからです。……また、かの般若波羅蜜も捉えられません。このように、菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を追求すべきです。これが、広大で、名高く、無量であることが確実な、すべての声聞・独覚と共通しない、菩薩魔訶薩の「すべてのものを捉えないという三昧」なのです。(荻原本四八―五〇頁)
出家者向けの教えとして、般若波羅蜜に関する瞑想が説かれています。ものごとは実体性、固有の本性をもたないので、捉えられないことを瞑想の中で思い描いていく。これは般若経流の瞑想技法であると考えられます。
(二)布施波羅蜜
次に布施波羅蜜に関する話を紹介します。小品系般若経の最後でサダープラルディタ菩薩摩訶薩が、ダルモードガタ菩薩摩訶薩に般若波羅蜜の教えを聞きに行く場面がありますが、その中でサダープラルディタは五百台の車など様々なものを布施します。その後で、自らの身体を傷つけながら布施をする場面があります。
サダープラルディタ菩薩摩訶薩は、その〔ダルモードガタ菩薩摩訶薩が説法を行う〕場所の地面に水を撒こうと思った。しかし、その場所の地面に撒くべき水は、あまねく捜し求めても得られなかった。……そのとき、サダープラルディタ菩薩摩訶薩は……、鋭利な刃物を手に取り、自分の身体をあまねく突きさし、自分の血をその場所の地面にあまねく撒き散らした。
(荻原本九八二―九八三頁)
ブッダの前世譚の中で、自らの身体を布施するという話は皆さんも聞いたことがあるかと思いますが、それと同じようなことが小品系般若経でも述べられています。
なお、波羅蜜という修行について、誤解されているのではないかと思うことがあります。それは、布施、持戒、忍辱などの六波羅蜜が、日常生活の少しの心がけでできる修行のように捉えられていることです。一般の仏教書の中には、そのように説明しているものもあります。それは間違いとまでは言えませんが、「波羅蜜」というのは、言葉の意味や経典での説明を見る限り、極限まで行う修行のことです。したがって、日常生活の中で出来ることを出発点にしながらも、究極までそれを高めていくことが求められる修行であり、決して簡単な修行ではないのです。
(三)読誦・書写
次に、読誦・書写について説明します。
世尊は神々の主シャクラ(帝釈天)に次のように言った。
「……カウシカ(帝釈天)よ、ジャンブドゥヴィーパ(閻浮提、我々の住む世界)の中にいる限りの衆生、そのすべてが十善業道(不殺生、不妄語など十の善き行為)を伴っているとしましょう。カウシカよ、あなたはこれをどう思いますか。いったい、その衆生たちは、それによって多くの功徳を得るでしょうか」
シャクラは言った。
「世尊よ、多くをです。善逝よ、多くをです」
世尊は言った。
「しかし、カウシカよ、そのような人よりも、この般若波羅蜜を聞き、聞いて、習い、覚え、唱え、理解し、宣布し、説き、述べ、教示し、読誦し、書写するであろう善男子や善女人の方が、もっと多くの功徳を得るのです」(荻原本八〇三―八〇四頁)
ここでは読誦と書写の功徳が語られています。ジャンブドゥヴィーパ中のすべての衆生が十善業道を行うよりも、ある人が読誦と書写をする方が多くの功徳が得られるとされます。般若経の読誦・書写は、一般的な仏教実践よりも功徳があると考えてよいかと思います。
経典の内容を理解して読誦・書写することが好ましいのですが、経典に書かれている教義的な意味を把握しないような読誦・書写であっても如来によって認められています。
しかし、書写をすればなんでも良いというわけではありません。好ましくない書写というのもあります。
世尊は言った。
「……彼ら(菩薩摩訶薩)はあくびをしたり、笑ったり、あざけりながら書写することでしょう。スブーティよ、これもまた魔の所行である、と知るべきです。……彼らはあれこれ他のことを考えながら、書写することでしょう。スブーティよ、これもまた魔の所行である、と知るべきです。……互いに笑い合いながら、書写することでしょう。スブーティよ、これもまた魔の所行である、と知るべきです。互いにあざけり合いながら、書写することでしょう。スブーティよ、これもまた魔の所行である、と知るべきです。きょろきょろしながら、書写することでしょう。スブーティよ、これもまた魔の所行である、と知るべきです。……」
(荻原本四九九―五〇〇頁)
好ましくない書写のやりかたについて、ここでは「魔の所行」であると表現されています。あくびをしたり笑ったりしながら書写してはいけないことなど様々に述べられていますが、集中して書写しなければならないということが分かるかと思います。
(四)舎利のかわりに経巻を塔に入れて供養すること
さて、次の実践内容の説明に移ります。小品系般若経では、仏塔崇拝にかわるものとして、次のような実践が提案されています。
世尊は神々の主シャクラに次のように言った。
「……カウシカよ、善男子や善女人が、般涅槃した如来・応供・正等覚の供養のために、七宝からなる、如来の遺骨を納めたストゥーパ(塔)を千万もつくるとしよう。つくってから、一生のあいだ、神々しい花、神々しい薫香、……神々しい旗を供え、あたり一面に神々しい燈明や花環を供え、種々の神々しい供養の仕方でそれを恭敬し、……祈願するとしましょう。カウシカよ、あなたはどう思いますか。いったい、その善男子や善女人は、それによって多くの功徳を得るでしょうか」
シャクラは言った。
「世尊よ、多くをです。善逝よ、多くをです」
世尊は言った。
「カウシカよ、その者よりも、次のような善男子や善女人の方が、より多くの功徳を得るのです。すなわち、この般若波羅蜜を信じつつ、信頼しつつ、傾倒し、心が清らかになり、覚りに向かって心を発し、強い意欲によって〔この般若波羅蜜を〕聞き、習い、覚え、唱え、理解し、宣布し、説き、述べ、教示し、読誦し、また他の者たちのために詳しく解説するとしましょう。さらに、……〔般若波羅蜜を〕書物にまでもして保ち、安置するとしましょう。さらに、花、薫香、……旗を供え、あたり一面に燈明や花環を供えてこの般若波羅蜜を恭敬し、……祈願するとしましょう。さらに、種々の仕方で供養するとしましょう。カウシカよ、まさにこの善男子や善女人は、その〔前に述べた〕人よりももっと多くの功徳を得るのです」
(荻原本二一三―二一九頁)
ここは、舎利崇拝と経巻崇拝を比較して、経巻崇拝の方が優れていることを説く場面です。ただし、舎利崇拝が否定されているわけではないことに注意が必要です。まず、舎利崇拝によって多くの功徳が得られることが謳われています。また、舎利崇拝の中でなされていた、花、薫香などを供えるという方法は、排除されることなく経巻崇拝においても継承されています。
そのように舎利崇拝の意義を認めながらも、般若経の経巻崇拝の方が優れているので、そちらをやった方が良いという表現になっています。
また、この経巻崇拝の勧めは、ものごとを空などと捉えることによる無執着の実践の教えとは相容れないかもしれませんが、そのような様々な実践が共存していることが小品系般若経の特徴だと言えます。
つづいて、大乗仏教の菩薩の階位についての話に移ります。ここは私の趣味的な話になります。少し細かいお話になりますが、概説書などにあまり書かれていないことを少しはお話しした方が良いと思い、小品系般若経の四種菩薩の話をすることにします。どうかお付き合いください。
大乗仏教では次第に菩薩の修行階梯が細かく区分され、考えられていきました。一般的には、小品系般若経の「四種菩薩」を皮切りに、大品系般若経で共の十地(声聞・菩薩等の共通した階梯)、また華厳経で説かれ後に大品系般若経に取り入れられた不共の十地(菩薩だけの十地)というように、菩薩の階梯が細かく整えられていったと言われています。
これからの話は、大乗の菩薩の修行階梯区分発展の出発点とされる小品系般若経の「四種菩薩」という考え方が、正確な整理の仕方ではないのではないかというものです。結論から申しますと、小品系般若経において四種菩薩という菩薩の区分は明確に確立されたものではない、ということです。
小品系般若経の菩薩は次の四種に区分されると言われています。
【四種菩薩】
[①]初発心菩薩(覚りに向かおうと決心したばかりの菩薩)
[②]久修習菩薩(菩薩行を実践している菩薩)
[③]不退転菩薩(覚りに向かって退くことがない菩薩)
[④]一生補処菩薩(次の生で仏になることが決まっている菩薩)です。
この四種の菩薩がまとまって登場するのは、小品系般若経の中では次の一箇所だけです。まずはそれを紹介します。
すると、神々の主シャクラは、……次のような言葉を述べた。
「世尊よ、私には『大悲を具えたそれらの菩薩摩訶薩が、無上正等覚から退転するだろう』というような心は一度も起こったことがありません。……諸々の衆生の輪廻に関する苦しみを見ている者たちは、無上正等覚に向けて、極めて充分に誓願をなすでしょう。
それはなぜでしょうか。なぜなら、このような発心を具えて、『どうすれば、私たちは〔彼岸に〕渡り、諸々の衆生を渡らせることができるであろうか。……』と考えて、これらの発心を伴って暮らす者たち、その者たちは、その大悲によって、神々、人間、阿修羅を含む世間に対して哀れみ、利益を望み、幸せを望むからです。
世尊よ、それら諸々の初めて乗に進み入った(初発心)菩薩摩訶薩の発心を随喜して、〔諸々の菩薩行を行じている(久修習)菩薩摩訶薩の発心をも随喜して、〕諸々の不退転菩薩摩訶薩の不退転の本質をも随喜して、諸々の一生補処菩薩摩訶薩の一生補処の本質をも随喜する善男子や善女人は、世尊よ、どれほど多くの功徳を得るでしょうか」
このように言われて、世尊は神々の主シャクラに次のように言った。
「……菩薩摩訶薩であるその善男子あるいは善女人の随喜を伴う発心の功徳の量を把握することは決してできません。……」(荻原本八二九―八三二頁)
ここで注意が必要なのは、四種の菩薩の名前は登場しますが、それが何者であるかが説明されていないということです。ここでは菩薩は四種に分けられるとも述べられていません。またこの経文の主旨は、善男子・善女人は菩薩の発心等に随喜すべきであるというものです。いわゆる四種菩薩そのものが主要関心事になっていません。これらの理由により、四種菩薩を確立された考えと見なすことに不安が生じます。
四つがまとまって登場する箇所はここだけですが、そのほか別々に登場するところを確認していきます。
まず、④一生補処菩薩は小品系般若経の他の箇所には登場しません。
また、③不退転の菩薩摩訶薩については、梵本で言えば、第一七章が一章まるごとをその説明に当てている他、第二〇章でも詳細に説かれています。その他、不退転についての説明は『八千頌』の多くの章で見られます。ここでは、一例だけ紹介することにします。
さらにまた、スブーティよ、不退転菩薩摩訶薩には、「私は不退転なのか。あるいは、私は不退転ではないのか」というこのような〔思い〕は生じない。彼にはこのような疑いは起こらない。また、彼には自分の階位に対する(bhūmau)疑念は生じない。彼には〔心の〕沈み込みも生じない。(荻原本六八八頁)
ここでは、不退転菩薩の境地が「階位」という言葉を使って表されていることに注意したいと思います。
次に、②久修習菩薩に相当すると考えられる菩薩に関する記述は、幾つか見られます。
スブーティよ、不退転菩薩摩訶薩はさておき、〔それに〕匹敵する力のある菩薩乗の人々がいます。……いったい、彼らはどのような者たちでしょうか。現在、アクショービヤ如来、応供、正等覚の菩薩行を模倣しながら、菩薩の修行道を行じ、模倣しながら暮らしている菩薩乗の人々、……ラトナケートゥ菩薩摩訶薩の菩薩行を模倣しながら、菩薩行を行じ、模倣しながら暮らしている菩薩摩訶薩たち、スブーティよ、不退転菩薩摩訶薩はさておき、彼らの名前、氏姓、力、色、形を称讃しながら、それらの諸仏世尊は教えを説き、感嘆の声をあげているのです。……このように般若波羅蜜を行じている菩薩摩訶薩たち、彼らもまた、不退転の位に立つことになるであろうからです。(荻原本八五五―八五七頁)
ここで傍線を引いた部分が久修習菩薩に該当すると考えられますが、それらは不退転の位に近い菩薩として描かれていることが分かります。
さらに、①初発心(初めて乗に進み入った)菩薩に関しては、該当する菩薩は比較的多く登場します。
このように言われて尊者スブーティ長老はマイトレーヤ菩薩摩訶薩に次のように言った。
「……しかし、もし、徳目のように、対象のように、形相のように、覚りがそのよう〔に実在しないもの〕であるならば、心がそのよう〔に実在しないもの〕であるならば、どのような徳目、どのような対象、どのような形相によって、どのような心が無上正等覚に廻向するのですか。あるいは、どのような随喜を伴った善行徳目を、いかなる無上正等覚に廻向するのですか」
すると、マイトレーヤ菩薩摩訶薩は尊者スブーティ長老に次のように言った。
「聖者スブーティよ、このことは、初発心菩薩摩訶薩(新しく乗に進み入った菩薩摩訶薩)の前で語るべきではありません。説くべきではありません。それはなぜでしょうか。彼に少しの信仰心、少しの愛情、少しの心の静穏、少しの尊敬の気持ちがあるとしても、そのすべてが彼にとっては消滅してしまうであろうからです。聖者スブーティよ、不退転菩薩摩訶薩の前で、このことは語られるべきです。説かれるべきです。……」(荻原本三三三―三三六頁)
ここではいわゆる初発心菩薩が、不退転菩薩と対比的に描かれています。覚りも心も実在しないということは不退転菩薩の前で語るものであり、初発心菩薩の前で語ると信仰が消滅してしまう恐れがあるということが語られています。
四種菩薩について、④の一生補処については、他に一か所も登場しません。一方、③の不退転はものすごく多く登場します。続いて、②の久修習、①の初発心菩薩は、様々な表現でそれに類する菩薩が確認できる一方で、多くの場合、不退転菩薩と対比させながら語られています。また、階位(bhūmi)という言葉が伴うことがある菩薩は不退転だけであるということにも注意が必要です。不退転だけ突出していると言えます。小品系般若経においては、不退転だけが明確な階位(階梯)として位置づけられています。小品系般若経全体を通して見られるのは、菩薩が不退転か否かという区別であると考えられます。もう少し別の視点から考えてみましょう。
ここまで四種菩薩に関する文を紹介してきましたが、小品系般若経にはそれとは異なる菩薩の分け方も存在します。ここではそのうちの一つを紹介します。
スブーティよ、衆生の集団の中で、(一)無上正等覚に進み入った衆生は少ないのです。スブーティよ、(二)真実に向かって実践する衆生は、その少ない者たちよりもさらに少ないのです。スブーティよ、(三)般若波羅蜜についてのヨーガに入った者は、その真実に向かって実践しているその少ない者たちよりも、さらに少ないのです。スブーティよ、(四)無上正等覚から退転しない菩薩摩訶薩は、般若波羅蜜についてのヨーガに入っているその少ない者たちよりも、さらに少ないのです。それゆえ、スブーティよ、少ない者たちよりもさらに少ない不退転菩薩摩訶薩、その数に入りたいと思う菩薩摩訶薩は、この般若波羅蜜を学ばなければなりません。ヨーガに入らなければなりません。
(荻原本八二三―八二四頁)
(なお括弧内の数字は筆者が付したものである)
これは「初めて乗に進み入った菩薩(初発心菩薩)」に相当すると思われる(一)と不退転の位である(四)との間に二つの段階があることを示しており、間に「菩薩行を行じている菩薩(久修習菩薩)」しか置かない四種菩薩の区分とは異なっています。このことからも、四種菩薩の区分は確立されたものではないと言えそうです。
小品系において不退転菩薩の記述が他種の菩薩と比べて圧倒的に多い。まず、このことから、小品系において不退転菩薩が重要な関心事であったことが分かります。
また、「bhūmi」という階位を明確に示す表現が、菩薩の中では不退転菩薩のみと結びついていました。このことは不退転菩薩のみが階位として確立していたことを窺わせます。
さらに、初発心菩薩は不退転菩薩とは隔たりがあるものとして示され、一方、久修習菩薩は不退転菩薩に近似したものとして示されていました。つまり、この両者は、不退転菩薩との関係の上で成り立っているものなのです。
四種菩薩以外の菩薩区分の例を見ても、そこには不退転菩薩が存在していました。この点から、菩薩区分において不退転菩薩が重要な役割を果たしていることが分かります。
以上のことから、小品系般若経における種々の菩薩は、確固たる存在である不退転菩薩からの遠近、隔たり具合によって区分されていると考えられるのです。
小品系般若経において、四種菩薩という菩薩の区分は明確に確立されたものではなく、不退転からの距離をどう細分化していくかによって、種々に分類することが可能だったと考えられます。
「小品系般若経には四種菩薩が見られ、それが大乗の菩薩の階梯発展の端緒となった」というような従来型の説明を書き換えるとするならば、「小品系般若経では、不退転の菩薩のみが菩薩の階梯として確立しており、それが大乗の菩薩の階梯発展の端緒となった」とすべきだと思われます。
般若経の菩薩の階梯について話をしてきました。不退転菩薩、初発心の菩薩などありましたが、これらは修行が進んでいるか、まだ始まったばかりかを示す言葉であって断絶したものではありません。初発心菩薩の進む先には不退転菩薩がいます。
また、その前のところでは、小品系般若経における様々な実践についてお話ししました。無執着の実践や、般若経の書写など多種多様な実践が説かれていました。ややもするとバラバラに見える諸々の実践ですが、すべて般若波羅蜜と関わりをもっており、そこですべての実践が繋がっていきます。これが、般若経の意図するところの一つだと考えています。つまり、分断されバラバラになりかねない多種多様な仏教実践を、般若波羅蜜のもとに結集させようとしていると捉えることができるのです。
東京大学仏教青年会も、写経をする方、仏像彫刻をやる方、また経典の教理を学ぶ方など様々な会員の方がおられます。一見したところバラバラのことをやっているようでありますが、仏教文化を実践し、次世代に繋いでいく営みをしていることは、すべての会員の方に当てはまるように思われます。
冒頭で社会の分断を危惧しているということを述べましたが、私たちは仏教に関わるという点での繋がりを大切にし、そこでの繋がりを今後の希望としていきたいと考えております。
(本稿は令和二年一二月一五日に開催された第三〇九回公開講座での講演内容にもとづき再構成されたものです。)