Studies of Buddhist Culture
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2008 Volume 12 Pages 81-98

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選仏図とは,成仏図や昇仏図ともいい,仏教の教義や宇宙観と修行の段階などを一枚の紙で図あるいは文字によって表現するものである1.フランスの郭麗英氏は,『景徳伝灯録』の中に「選仏場」という言葉が見られるが2,10世紀の中国道教にも類似な「選仙場」という言葉がある,と述べている3

本稿で採り上げる『円融四土選仏図』とは,南宋の茅子元4の作であり,現存していない.しかし,元代の普度の『蓮宗宝鑑』に引用されるので,その内容をうかがうことができる.それは仏国土,すなわち浄土を分類したものである.まず円融四土総相之図を描き,次は四土別相之図を作り,各図に偈頌を付し,その意味を説明している.

この円融四土図に顕れている思想は後代によく言及されるものであるが,それに関する研究はほとんどない.

 望月信亨は「南宋子元の白蓮宗と其余党の邪説」5において円融四土図を簡略に紹介しているが,四土の名称とそれぞれの意味を解説するに過ぎない.

 馬西沙・韓秉方(編)『中国民間宗教史』6では,円融四土図について言及している.馬氏はこの図が天台智顗に影響されたものであると指摘しているが,詳しく検討していない.

本論文はこの円融四土図を整理し,考察するものである.

『蓮宗宝鑑』における四土説

次頁に挙げた表は,『蓮宗宝鑑』における円融四土総相の図7を表に整理したものである8.この表によって,四土の内容がよく分かる.子元は仏国土を凡聖同居土・方便勝居土・実報荘厳土・常寂光浄土の四つに分けて,それぞれに三惑・三智・三徳・三身などを配当している.

さらに,凡聖同居土を具煩悩・凡聖居・情見・勝劣応身・宗用体・三徳迷・願不退に配し,方便勝居土を破見思惑・羅漢居・一切智・勝応身・体用宗・解脱徳・行不退に配し,実報荘厳土を破塵沙惑分破無明・菩薩居・道種智・円満報身・用宗体・般若徳・智不退に配し,常寂光浄土を破三惑尽・果人居・一切種智・清浄法身・宗体用・法身徳・位不退に配する.

同居 

具煩悩

凡聖

情見 勝劣応(身)

宗用

三徳

願不

退

方便

破見思惑

羅漢

一切智 勝応身

体用

解脱

行不

退

実報

破塵沙

惑分破

無明

菩薩

道種智 円満報身

用宗

般若

智不

退

寂光

破三惑

果人

一切種

清浄法身

宗体

法身

位不

退

また,子元は四土それぞれについて図を作り,各図に偈頌を付している.『蓮宗宝鑑』の著者である普度もそれぞれについて解説している.凡聖同居土については,子元は偈頌により「(同居土は)三界を超え出ることを知っている人は少ない.そこは修行しやすくて往生しやすいことを疑ってはいけない.煩悩の汚れをまだ除かなくても解脱を求め,ひたすら信じて発願し阿弥陀仏を念ずる.臨終のときに正念をはっきりと持ち,三日や七日前にも予めその時が分かる.浄土に生まれたならば常に法を聞けるのだから,心機を悟らないことを心配しなくてもよい」9と言い,普度は「この土にはただ信・願・念仏のことだけがあり,煩悩を断ぜず,俗世の縁を捨てず,禅定を修しない.臨終のときに阿弥陀仏に導かれて,皆すべて浄土に往生できる.それで,神通を獲得し,不退転を得,そのまま菩提までに至る.凡聖同居土とは,自分も他人も利益を受け,三つの光がそろっているところである.そこは四土や九品往生をすべて収め,もともとほかの三土もその中にあり,別に出るものがないが,ここではただ下下品だけを引いているのは,祖師が同居土の修行しやすく往生し易いことを明らかにしたいからである.そのほかの品位の高低はそれぞれ行と願と修行によって成就できる」10と解説した.

子元は同居土が修行しやすく住みやすい国土であり,ここに住する凡人が臨終の際に正念をはっきりと保って阿弥陀仏を念ずれば,阿弥陀仏の浄土に往生できること,また同居土は日月星の三光を具足し,廕序の出身に喩えられることを説いた.廕序は,蔭叙とも言われ,祖先の功績によってその子孫が官職を授かること,つまり,自力ではなく祖先の功徳による出世である.『蓮宗宝鑑』所収の図11を見ればこの比喩の意味が理解しやすい.図の中央には仏がおり,仏の周りには蓮華があり,蓮華の中に人の姿がある.これは浄土に往生して,蓮華の中から生まれることを象徴している.つまり,自分の功徳ではなく,阿弥陀仏の願力によって浄土に往生できるということを喩えているのである.この図は廕序という比喩を通じて,他力である阿弥陀仏の力を借りて悟りの境界に至ることを宣揚し,他力修行である念仏することを勧めているものである.

ここで言及した図とは,大正蔵版『蓮宗宝鑑』のものを指すが,注意すべきは,版本によって図が異なることである.永楽北蔵版『蓮宗宝鑑』の図12は大正蔵版と同じであるが,卍続蔵版の図13は大正蔵版の図と違っている.大正蔵の同居土の図は,仏の周りに5人が蓮華の上に座っているが,卍続蔵の『蓮宗宝鑑』の図は7人が蓮華の上に座って,人々の様子も違っている.しかし,図の表現は異なっているが,その意味は同じであると考えられる.卍続蔵の同居土の図も浄土に往生し,蓮華の中に生まれて,不退転を得ることを伝えていると思われる.

普度はこの同居土について,煩悩を断ぜず世俗因縁を捨てず禅定を修しない凡人が住んでいる国土であるが,実は後の三土も含まれており,四土と九品往生をすべて収めている,と主張した.普度は,祖師(子元を指す)は同居土が修行しやすく住みやすい国土であることを強調するために臨終往生という下下品だけを説明したが,世人はそれぞれの行願証によって得られる品位が異なる,と説明している.

 方便勝居土については,子元は「煩悩を断じその起こりをも絶ち,心智を滅してそれで(修行は)終わる.仏の浄土に行けないが,如来は方便のためにひき留める.三界声聞性を出て,煩悩や俗事を早く断ずる.四禅の境界に入って常に観じたら,永遠に凡世を超えて戻らない」14といい,普度は「この土に住んでいる者は皆すべて小乗の根機に定められて,三界を怖れることが虎鬼龍蛇のようである.見思の惑を破り,貪嗔癡を殺しているが,如来の種を断じている.ノロジカがひとり飛び上がり,後の仲間を顧みないように,小見に偏執して,空に耽溺し寂に留まる.方便土に生まれて,如来はただ大乗の調伏15だけを説く」16と解説した.子元によれば,方便勝居土はすでに三惑を断じた声聞が住んでいる国土であり,こちらの衆生は四禅の境界に入って,すでに不退位を得ているとされる.

また,方便土は星の光のようであるとされ,辺功の出身に喩えられる.辺功とは,辺境を守ることによって立てた戦功であり,自分の力で得た栄誉である.辺功出身の比喩は,小乗根機の自力修行を,辺境にあって他人をさしおいても自身の戦果を得ようとする姿に重ねて表現したものである.

その図17では,仏の周りに四人の羅漢たちが描かれるが,羅漢とは小乗の根機で自力修行によって得られる境界である.この図は各版本ともにほとんど同じである.これは小乗仏教がただ出家者だけに向けられた,小乗根機の自力修行を勧める教えであることを表現しているものと考えられる.

普度も,方便土の衆生はみな小乗の根機で,すでに見思などの三惑を破り,貪嗔癡の三毒を殺しながら,生死を超えたものであると認めている.

 実報荘厳土については,子元は「心法はまだ少しあるのであり,まだ除き去っていない.情が尽きて始めて根を取り除けることを理解すべきである.身につけるシャツを脱いでないから,すこしだけの塵でも世界を妨げる.横でもなく竪でもなく,ちょうどよいように整え,三観で心を澄まし疑わずに進め.もう少しのところで彼岸へと到りえず,依然として聖賢の機に戻る」18と述べている.これについて普度は「この土に住んでいる者はみなすべて大乗の根機であり,三観を円修し,十住・十行・十向・十地・等覚の法身大士である.塵沙のようにそれぞれ無明を破り,十方に分身して八相成道したものである.ただ衆生をまだ徹底的に救わない.これは智顗や法蔵の教えに明らかだ」19と解説している.子元は,実報荘厳土に住する者はもうすこしで解脱を得ようとするものであり,仏に達する一歩手前の菩薩であることを指摘したのである.

また実報土は月の光のようであるとされ,科挙の出身に喩えられる.科挙とは,隋唐から行われた,科目を設け試験によって官僚を選ぶ制度である.科挙を通じて地方の官僚になれば,その地方の人々に幸せをもたらし,恵みを与えることができる.

その図20の中には,官員あるいは居士の像がある.それは大乗仏教の慈悲を持って,普く一切衆生を救うことを喩えている.この図は大乗仏教の根本的な教義を表現しているものである.

 実報土の図は版本により異なっている.大正蔵版の荘厳土の図は,仏の周りに四人の官員あるいは居士が見えるが,卍続蔵版では二人官員,二人比丘,合わせて四人が見える.卍続蔵版の図21は比丘と居士がともにあり,大乗仏教が出家者だけではなく,在家者にも向ける教えであることを象徴すると考えられる.

普度はこの実報土について,三観22を修し,一分無明を破った十住以上の菩薩が住んでいる所であると解釈した.

 常寂光浄土については,子元は「境も智も如如として修証を絶っており,更に心に滞る余計なこともない.情を尽くし見は除かれ一切の音信を断じている,一輪の月が中秋の空にかかり.関を衝いて頭頂を貫く,それは不可思議なはたらきであり,ただいまの一念で思惟を絶った.唯心浄土とはただ心が清浄であり,直ちに第一機をわがものとする.智が開いて惑が破られ煩悩がなくなり,元に返って原状に復したことをただ独り自ら知る.心を無にすれば身が塵沙ほど多くの世界に満ち,思うままに衆生を教化してつれて帰る」23といい,普度は「この土は寂であり,上乗の境界である.惑を尽くし情が忘れられ,諸法は生じない.般若も生じず,不生も生じないことは大涅槃究竟と名づけられる.涅槃山の山頂におり,常寂光土に端座して居る者は清浄法身毘盧遮那仏と名づけられ,彼岸に到着することと名づけられ,空劫以前の自己とも名づけられる」24と解説した.子元は寂光土が情も見も取り尽くし,一念の思惟もなく,全く煩悩がない解脱の境界であると説いた.

またこの土は日の光のようであるとされ,灌頂王子25の出身に喩えられる.灌頂王子は法位の継承人として,必ず成仏できる者である.その図26は空白であり,諸法の不生不滅であることや,涅槃の境界を表現しているものである.普度は寂光土が諸法不生で,涅槃を得た仏が住んでいる所であると説いた.

 次にまた釈迦仏の東方四土と阿弥陀仏の西方四土も共にこの四土にあるとしている.東方四土の中で,釈迦仏の所居を寂光土,諸大菩薩の所居を実報土,声聞の所居を方便土,初果および人天の所居を同居土としている.西方四土では,寂光土は阿弥陀仏が居し,実報土は上三品の人が三心を克備して生じ,方便土は中三品の人が八関などを修して生じ,同居土は下三品の人が十念成就によって生ずる所であるとする.

 さらに子元は,観心四土,恒沙四土,一心四土,円融四土,目前四土,三諦四土,相即四土,迷悟四土,人人四土,絶待四土の十種という別様の分別もしている.

 以上の中で一番注目すべきことは,その四つの比喩である.蔭序・辺功・科挙・灌頂王子という言葉は,宋代の人にとって,日常生活の中で親しみ深いものである.子元はそのような日常用語を使った四つの比喩を通じて,仏教の理解しにくい複雑な教義を,世俗的な表現を用いて,知識人だけではなく,誰にでもわかるように解説した.さらに子元はその四つの図と比喩によって,浄土の他力修行によっても伝統的な自力修行と同じように悟りに到り着きうることや,仏になりうることを宣揚した.中国において,仏教が庶民に浸透してゆく過程において子元の果たした貢献は大きい.これは子元の最も大きな特徴となるところであると考えられる.

このように,子元は四土についてさまざまな角度から解説を試みたが,その要旨は,これらがすべて唯心浄土であることを強調した点である.

以上は,『蓮宗宝鑑』における浄土に関する教説を挙げたが,それは明らかに天台思想から影響されたものである.志磐は『仏祖統紀』の中に「子元は天台宗にまねて円融四土図を出した」27,「いわゆる四土図とは,天台宗の格言を盗んで,粗雑な偈を付けたものである」28などと述べている.続いて,天台の仏国土に関する思想を検討し,『蓮宗宝鑑』の思想がどのように形成されたのかを考察する.

智顗からの影響

 天台宗にも四土説,すなわち四種果報土という説がある.それは智顗によってはじめて提出されたものである.智顗は人の根機によって,修行するレベルが異なるから,往生できる浄土も違っていると説いた.『維摩経略疏』には

諸仏や一切衆生はその差別の相が無量無辺であるが,今それを略して四つに分ける.一に染浄国であり,凡聖が共に居しているところである.二に有余であり,方便人が住んでいるところである.三に果報であり,純粋な法身が居るところであり,即ち因陀羅網無障礙土である.四に常寂光であり,即ち妙覚が居るところである29

とある.

智顗の解説によれば,染浄国とは凡聖同居国とも言い,その意味は二つある.一つは,同居穢土を指している.ここに住んでいる凡人は善人と悪人との二種があり,聖人も権聖と実聖との二種に分けられる.この四種の衆生が同居しているゆえに,凡聖同居と言われる.二つめの意味は,阿弥陀仏の国土も染浄同居国であるというものである.ここには四悪趣がないが,人天があるゆえに,染浄凡聖同居と言われる30. 

子元の凡聖同居土という名称は明らかに智顗の説を受けたものである.智顗はこの国土には四悪趣があり,一切煩悩がそろっていると認めたから,子元も凡聖同居土を具煩悩や凡聖居に配当した.

 有余国について,智顗は次のように解説している.有余国は有余土ともいい,二観を修し,通惑を断じたが,恒沙惑と無明惑をいまだ絶っていない二乗と三種菩薩が,方便の道を証するために住む所である.二乗三種菩薩とは,智顗の教判によるものであると考えられる.智顗は釈迦の説法の順序と教導の形式と教理の内容によって諸経論を五時八教に整理した.その中には,人々の能力によって三蔵教・通教・別教・円教の化法四教がある.つまり,根機が低い者は小乗教である三蔵教に通じ,根機のよい者は大乗教である通教・別教・円教に通じるとされる.ここに言われた二乗と三種菩薩とは三蔵教と通教に当たるものであろう.この二乗三種菩薩は方便のためにここに住んでいるから,「有変易所居之土」といい,方便とも言う31.よって,子元の方便勝居土を破見思惑や羅漢居に配することは,智顗の思想を継承したものであることが分かる.

 また智顗によれば,果報土は華蔵世界の法身菩薩が住んでいる所とされる.これらの菩薩は教判の別教に当たる者であり,すでに塵沙惑と無明惑を破り,真実の果報を得,法性報身を受けているから,果報国や実報無障礙土とも言われる32.したがって,子元の,実報荘厳土を破塵沙惑分破無明や菩薩居に配し,ここに住んでいる者がもうすこしで解脱を得ようとするもの,仏に達するまであと一歩の菩薩である,という思想は,智顗の説から影響を受けたものであろう.

 最後に常寂光土について,まず智顗の説明をみよう.智顗は『観経疏明四土宗致』の中に「常寂光とは,常はすなわち法身であり,寂はすなわち解脱であり,光はすなわち般若である」33といい,また『維摩経玄疏』にも「法身は,自性清浄し,明るくて清やかであり,すこしのきずもない」34と説いているように,法身は仏の真身であるから,常寂光土に住んでいる者は仏である.これは教判の円教にあたるものである.この国土は妙覚の智慧が照らす所であり,如如とする法界の真理であるから,国と名づけられ,また法性土とも名づけられるとする35.よって,子元の常寂光浄土を破三惑尽・果人居に配し,寂光土が情も見も取り尽くし,一念の思惟もなく,全く煩悩がない解脱の境界であるという思想は,智顗の説と一致するものである.

 以上の分析を通じて,子元の四土図は智顗の仏国土思想に基づいて作られたものであることが明らかにした.二人の共通する所は,人の根機や善悪によって仏の国土を分類したことにある.智顗は人々の根機が違っているから,習うべき教理も異なり,往生できる浄土も異なると考えて,四種の浄土を分けた.子元はこのような思想を継承し,四種の浄土を認めた上に,さらに「後の三土はみなその中にあり,別にはない」36といい,同居土には四種浄土をすべて含んで,四土が融合して一つになると強調した.また「一身には三身があり,四土はともに一土にある.後でもなく前でもない.来ることもなく去っていくこともない」37,「一土は四土に分けて,それぞれには三身がある.身も土も尽すことがなく,情も見も星のようである」38と述べており,三身も四土も一つのものであり,お互いに無数無尽であると説いている.この点においては,子元は智顗と異なっている.

 さらに,子元は智顗の理論を発展させた.智顗はただ仏の国土を人の根機によって分類したのみであり,その四土を具体的な修行,つまり他力修行や自力修行などに結び付けなかった.子元は四土を五重玄義39の体宗用に対応して,それぞれの浄土に住んでいる者が,体宗用に対する理解も浅いものから深いものまでの区別があると説いた.その上に,体宗用の三つを三徳・三身・三智に配当している.三徳とは,『涅槃経』に説かれている解脱徳,般若徳,法身徳の三つである.三徳について,灌頂の解説は分かりやすいものである40.三身とは,応身・報身,法身の三つで,三智とは,一切智・道種智・一切種智のことである.同居土に住んでいる者は三徳迷であり,一切煩悩を具えるから,智慧を得ない.方便土に住んでいる者は解脱を得たから,応身と一切智を具える.実報土に住んでいる者は般若徳によって,報身と道種智を得る.寂光土に住んでいる者は法身徳によって,永遠不滅の法性身を得て,最高の智慧である一切種智を成就している,とする.

このように,子元は智顗の思想を受けた上に,智顗の理論を実践化して,念仏などの具体的な修行方法に繋がらせ,修行者を指導する教義に展開した.子元の四土図は,それまでの仏国土思想を余すところなく表現しているものであるといえる.

子元制図の目的

 子元はどのような目的でこの四土図を作ったのであろうか.『蓮宗宝鑑』にある引用文において,子元は次のように言う.

  山僧(子元自称)は以下のような状況を見た.四土の理論が混乱して筋もなく,智も行もそれによって曲解されたため,利と鈍とを区別しないし,因も果も共に失った.ただ浄土だけをいい,浄土の高低が分からない.ただ唯心だけをいい,唯心の深浅が分からない.それ故,諸家はお互いに貶しめあって,各一端を執るが,それは自ら宗風を破り,魔でなければ壊れないものであることが分からない.だから今略してその一線を開け,四図を出して,迷情を削除し,直ちに心地を明らかにするようにしたい.そのあと,恒河沙ほど多くの法界を一枚紙の中に収めて,無量の法門が小さな所の内に顕われる41

ここに言われた互いに貶しめあう諸家とは,四明知礼と山外派であることがすでに指摘されている42.宋代の天台宗では,知礼を始とする山家派と,山外派との間に一心の真妄をめぐって激しい論争があった.子元の立場から見れば,その論争は「ただ浄土だけをいい,浄土の高低が分からない.ただ唯心だけをいい,唯心の深浅が分からない」ため,「利と鈍とを区別しないし,因も果も共に失った」というひどい結果をもたらしたに過ぎない.その故に,子元は改めて浄土の理論を整理し,その論争を収める必要があると考えた.

 天台宗だけではなく,子元は教禅の一致をも提唱した.『蓮宗宝鑑』には

  教は仏の眼であり,禅は仏の心である.心は眼がなければより所がなく,眼は心がなければ見えることがない.心と眼が和合してはじめて方向を見分けられる.禅と教は融合したらその優劣がよく分かる.… 今の人々はその道理を分からず,各一端を執って,ただ教が禅に通じず,禅が教に通じていないことだけを説いている.もともと執着を取るためにこれらの法門が設けられたが,かえって偏執になった.心が平等になるように修すべきが,かえって分別を生じた.… いまおよそ心と身と土と融合し,念仏と禅と一致するようにすべきである.門の入り方は別々だが,その結果は同じである.愛も憎も起こらず,あれもこれも分別しない.それぞれその根本を追及し,細かい所を言い争わないようにすべきである.実に執して権を謗ることや,権に執して実を謗ることをしてはならない43

と述べている.禅と教は仏の心と眼として,いずれも欠かせないものである.両者が根本では同じものであるから,細かい所で争うことは全く必要がない.そのため子元は心と身と土とが融合することと,教と禅とが一致することを強調した.

具体的には,子元は唯心浄土の理論を借りて自らの主張を解説した.子元は四種浄土が衆生の根機に応じてそれぞれ区別していることと同時に,みな一つであり,すべて同居土に収められていて,すべて唯心浄土であることを主張した.例えば,子元は「西方は遠いというなかれ,西方は目の前にある.十万億の仏国土を越えると言った44けれども,三千大千世界を離れることがない」45,「西方とは相を取るものであり,欣と厭との二門に分けて修行することがある.もし人はここから入れば,一切のところはみなすべて浄土である」46と述べる.西方はただ相であり,実はこの三千大千世界を離れず,いずれの所でも浄土である.さらに「凡聖は同じ道であり,四土は一つであり,三身は一体である.いたる所は浄土であり,あらゆる所は阿弥陀仏である」47といい,凡人も聖人も四土も三身もすべて唯心により現れるものであり,区別がないという結論を明確に宣言した.この結論には子元の,山家と山外との論争を収めるため,教と禅との矛盾を調和しようとした意図が窺われる.

結論

 本稿は南宋の茅子元によって作られた『円融四土選仏図』について検討した.子元は智顗の影響を受けて,人々の根機が違っているため,習うべき教理も異なり,往生できる浄土も異なると考えて,四種の浄土に分けた.この点では子元は智顗と同じような意見を表した.

しかし,子元は蔭序・辺功・科挙・灌頂王子という四つの比喩を通じて,浄土の他力修行も伝統的な自力修行と同じように悟りに到り着きうることや,仏になりうることを宣揚して,仏教の難解な教義を世俗的な表現を通じて,誰にでもわかるように解説した.中国において仏教が庶民に浸透してゆく過程で,子元は大いに貢献したことがわかる.

さらに,子元は智顗の四土の理論を実践化した.智顗の理論を五重玄義の体宗用と三身・三智と『涅槃経』の三徳に配当し,念仏などの具体的な修行方法に繋がらせて,修行者を指導する教義を確立した. 

最後に,子元は唯心浄土の立場に立って,同居土には四種の浄土をすべて含み,四土を融合して一つになり,それが心以外に求められないと主張したことも明らかにした.

 本研究を通じて,子元の『円融四土選仏図』は智顗の思想を基盤とし,唯心浄土思想を援用しつつ,一般民衆にとっても理解しやすい形で,それまでの仏国土思想を余すところなく表現しているものであることを明らかにした.

Footnotes

1 郭麗英[1994]注47,『法国漢学』第二輯,p. 206.

2 道宣『景徳伝灯録』第十四「偶一禪客問曰.仁者何往.曰選官去.禪客曰.選官何如選佛.曰選佛當往何所.禪客曰.今江西馬大師出世.是選佛之場.仁者可往」(T51, 310b).

3 郭麗英[1994]注47,『法国漢学』第二輯,p. 222.

4 茅子元(1096-1181)は慈照宗主とも尊称され,宋以後の白蓮宗の祖師とされた.その伝記について,『釈門正統』巻四には「紹興初吳郡延祥院沙門茅子元,曾学於北禅梵法主會下,依仿天台出『圓融四土』,『晨朝禮懺文』」(『卍続蔵』130冊,824頁)とあり,『蓮宗宝鑑』には「師諱子元,… 父母早亡,投本州延祥寺志通出家.習誦『法華経』,習止観禅法.… 撮集大藏要言,編成『蓮宗晨朝懺儀』,述『圓融四土三観選仏図』」(T47, 326a)とある.子元は天台・禅・浄土を学んだことが分かる.その著作について,伝記には『圓融四土』,『晨朝禮懺文』,『蓮宗晨朝懺儀』,『圓融四土三観選仏図』と書いているが,『蓮宗宝鑑』の引用文によって,『浄土十門』もあることがわかる.しかし,子元の著作はすべて現存していないから,詳しくは考察できない.

5 望月信享[1939].

6 馬西沙・韓秉方[1998].

7 T47, 313b.

8 馬西沙・韓秉方[1998] p. 134.

9 『廬山蓮宗宝鑑』巻二「橫出三界少人知.易修易往勿狐疑.塵垢未除求解脱.一心信願念阿弥.臨終正念分明去.三朝七日預知時.既生浄土常聞法.何愁不得悟心機」(T47, 313c15-18).

10 『廬山蓮宗宝鑑』巻二「此土但有信願念仏,不断煩惱,不捨家縁,不修禅定.臨命終時,弥陀接引,皆得往生浄土.便獲神通,得不退轉,直至菩提.凡聖同居土者,乃自他受用,三光具足.總攝四土九品化生,據理後三土皆在其中,不別出.而祇引下下品者,蓋祖師明其易修易往也.其餘品位高低,各隨行願修證而成也」(T47, 313c42-48).

11 T47, 313c.

12 『永楽北蔵』195冊,pp. 375-376.

13 『卍続蔵経』108冊,pp. 26-29.

14 『廬山蓮宗宝鑑』巻二「断除煩惱絶蹤由,滅智灰心便罷休.宝所不能前進步,如來方便故相留.竪出三界聲聞性,煩惱塵労急断除.入定四禅頻観鍊,永超凡世不還歸」(T47, 314a13-17).

15 調伏:降伏ともいい,身心を制すること.身のあり方を正しい状態に整え,悪をおさえ,除くこと.(中村元『広説仏教語大辞典』中,p. 894)

16 『廬山蓮宗宝鑑』巻二「此土皆是定性小乘根性,怕怖三界,如虎鬼龍蛇.破見思惑,殺貪嗔癡,断如來種,如獐獨跳,不顧後群,偏執小見,沈空滯寂.生方便土,如來純説大乘調伏」(T47, 314a40-43).

17 T47, 313c.

18 『廬山蓮宗宝鑑』巻二「心法微微猶未遣,應知情盡始除根.貼肉汗衫既未脱,纖塵猶礙大乾坤.非橫非竪理偏宜,三観澄心進莫疑.一力未能超彼岸,依然還落聖賢機」(T47, 314b13-16).

19 『廬山蓮宗宝鑑』巻二「此土皆是大乘圓修三観,十住十行十向十地等覚法身大士.如塵若沙各各分破無明,分身十方八相成道.度脱衆生皆未究竟,天台賢首教委明」(T47, 314b40-43).

20 T47, 313c.

21 『卍続蔵経』108冊,pp. 26-29.

22 三観:ここでは,従仮入空観・従空入仮観・中道正観のこと,または空・仮・中の三観を指している.

23 『廬山蓮宗宝鑑』巻二「境智如如絶證修,更無閑事滯心頭.情盡見除消息断,一輪明月掛中秋.衝関透頂不思議,但於當念絶思惟.唯心浄土唯心浄,直下承當第一機.智開惑破無煩惱,返本還源獨自知.無心身滿塵沙界,任運攝將諸子歸」(T47, 314c13-18).

24 『廬山蓮宗宝鑑』巻二「此土是寂,上乘境界.惑盡情忘,諸法不生.般若不生,不生不生,名大涅槃究竟.居涅槃山頂,端居常寂光土,名清浄法身毘盧遮那仏,名到彼岸,亦名空劫以前自己也」(T47, 314c-315a).

25 灌頂王子:転輪王の王子をいう.『往生論註』下巻「又如灌頂王子初生之時.具三十二相即為七宝所属.雖未能為轉輪王事亦名轉輪王.以其必為轉輪王故」(T40, 841a).

26 T47, 313c.

27 志磐『仏祖統紀』「茅子元 ・・・ 依放台宗出圓融四土図」(T49, 425a).

28 志磐『仏祖統紀』「所謂四土図者.則竊取台宗格言附以雜偈.率皆鄙薄言辭」(T49, 425a).

29 智顗説・湛然略『維摩経略疏』巻一「諸佛利物差別之相,無量無邊,今略為四.一染浄國,凡聖共居.二有餘,方便人住.三果報,純法身居.即因陀羅網無障礙土也.四常寂光,即妙覺所居也」(T38, 564a).

30 智顗説・湛然略『維摩経略疏』巻一「就染浄土,凡聖各二.凡居二者,一惡眾生,即四惡趣也.二善眾生,即人天也.聖居二者,一實,二權.實聖者,四果及支佛通教六地別十住圓十信後心.通惑雖斷報身猶在.二權聖者,方便有餘三乘人.受偏真法性身,為利有緣願生同居.若實報及寂光,法身大士及妙覺佛,為利有緣應生同居,皆是權也.是等聖人與凡共住,故云凡聖同居.四惡趣共住,故云穢土.二明同居浄土者,無量壽國雖果報殊勝難可比喻,然亦染浄凡聖同居.何者,雖無四趣,而有人天.何以知之.生彼土者未必悉是得道之人」(T38, 564b).

31 智顗説・湛然略『維摩経略疏』巻一「二明有餘土者.二乘三種菩薩証方便道之所居也.何者若修二観断通惑盡.恒沙別惑無明未断捨分段身.而生界外受法性身.即有變易所居之土名為有餘.亦名方便方便行人之所居也.故攝大乘七種生死.此即第四方便生死」(T38, 564c).

32 智顗説・湛然略『維摩経略疏』巻一「三明果報土者.即因陀羅網是華藏世界純諸法身菩薩所居.以其観一實諦破無明顯法性.得真實果報.而無明未盡潤無漏業受法性報身.報身所居依報浄国名果報国也.以観實相發真無漏所得果報.故名為實.修因無定色心無礙亦名實報無障礙土」(T38, 564c).

33 智顗『仏説観無量寿仏経経疏』「常寂光者.常即法身.寂即解脱.光即般若」(T37, 188c).

34 『維摩経玄疏』巻二「一就事解三身者.一法身二報身三應身.一浄義者即是法身.自性清浄皎然無點.即是性浄法身也」(T38, 524c).

35 智顗説・湛然略『維摩経略疏』巻第一「四明寂光土者.妙覺極智所照如如法界之理名之為国.但大乘法性即是真寂智性.不同二乘偏真之理.故涅槃云.第一義空名為智慧.此経云若知無明性即是明.如此皆是常寂光義.不思議極智所居故云寂光.亦名法性土.但真如佛性非身非土.而説身土.離身無土離土無身.其名土者一法二義」(T38, 565a).

36 『廬山蓮宗宝鑑』巻二「後三土皆在其中,不別出」(T47, 313c47).

37 『廬山蓮宗宝鑑』巻二「夫法報応之三身,寂光同居四土,各要帰源,咸迴一路.一身三身,四土一土.非後非前,無来無去」(T47, 315c).

38 『廬山蓮宗宝鑑』巻二「一土分四土,土土各三身.身土無有尽,情見恰如星」(T47, 315c).

39 天台智者大師説・門人灌頂記『仁王護国般若経疏』巻一「師於諸経.前例作五重玄義.一釈名.二辨體.三明宗.四論用.五判教」(T33, 253b).

40 灌頂『大般涅槃経玄義』巻下「德有三種.一法身德.二般若德.三解脱德.法身者.即是金剛豎固之體.非色即色.非色非非色.而名為真善妙色.真故非色.善故即色.妙故非色非非色.又真即是空.善即是假.妙即是中.例一切法.亦復如是.以是義故.名為仏法名仏法界.攝一切法.名法身藏.名法身德也.

般若德者.即是無上調御.一切種智.名大涅槃.明浄之鏡.此鏡一照一切照.照中故是鏡.照真故是浄.照俗故是明.明故則像亮假顕.浄故瑕盡真顕.鏡故體圓中顕.三智一心中得故.言明浄鏡.攝一切法.故稱調御.是仏智藏.名般若德也.解脱德者.即是如來自在解脱.其性廣博無縛無脱.是廣博義.體縛即脱.是遠離義.調伏衆生.是無創疣義.如是解脱.攝一切法.亦名解脱藏.亦名解脱德」(T38, 8c).

41 『蓮宗宝鑑』巻二「山僧因見四土混乱無綸,智轉行融,致使利鈍不分,因果倶失.只言浄土,不知浄土高低.只説唯心,不知心之深淺.故見諸家相毀,各執一邊.誰知自破宗風,非魔能壞.今則略開一線,出四図,削去迷情,頓明心地.然後河沙法界,該收一紙之中.無量法門,出乎方寸之內耳」(T47, 313b).

42 馬西沙・韓秉方[1998].

43 『蓮宗宝鑑』巻二「教是仏眼,禅是仏心.心若無眼,心無所依.眼若無心,眼無所見.心眼和合,方辨東西.禅教和融,善知通塞.・・・ 今人不了,各執一邊.只説教不通禅,禅不通教.本為去執,反屬偏情.平等修心,卻生分別.・・・ 今要凡心與身土和融,念仏與禅教一道.入門雖別,到底是同.休起愛憎,莫分彼此.各須究本,勿競枝條.不可執実而謗権,執権而謗実」(T47, 315c).

44 鳩摩羅什譯『仏説阿弥陀経』「爾時仏告長老舍利弗.從是西方過十萬億仏土.有世界名曰極樂.其土有仏号阿弥陀.今現在説法」(T12, 346c).

45 『蓮宗宝鑑』巻二「莫謂西方遠,西方在目前.雖云越十萬,曾不離三千」(T473, 15b).

46 『蓮宗宝鑑』巻二「西方是取相,欣厭二門修.若人從此入得,一切處皆浄土」(T473, 15b).

47 『蓮宗宝鑑』巻二「凡聖同途,四土合徹,三身一如.頭頭浄土,處處阿弥」(T47, 313b).

References
  • 馬西沙・韓秉方 [1998] 『中国民間宗教史』p. 134,上海人民出版社
  • 郭麗英 [1994] 「中国佛教中的占卜,遊戏和清浄」,『法国漢学』第二輯,p. 206,清華大学出版社
  • 望月信亨 [1939] 「南宋子元の白蓮宗と其余党の邪説」,『浄土学』4(14),pp. 415-416.
 
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