Studies of Buddhist Culture
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2013 Volume 15.16 Pages 58-91

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はじめに

スータ(Sūta)という語は,ある一定の職業にたずさわる,もしくはある一族に属する人々を指す普通名詞として,様々なサンスクリット文献に現れる.Gotōによれば,sūtá-は動詞語根savi/sū (antreiben駆り立てる)より作られたVerbaladjektivおよびそれからの派生名詞である1.この動詞より派生した他の名詞には,rāja-sū́ya- やsavitŕ̥-等がある.

スータが重要な役割を果たすのは,叙事詩Mahābhārataやプラーナ文献においてである.現行のMahābhārataやプラーナ文献2のいくつかには,放浪の詩人的な性格を持つLomaharṣaṇaやUgraśravasという名のスータが登場する.彼らはそれらの文献の枠物語の最も外側に登場し,無数の語り手による全ての語りを包含する,非常に重要な語り手である.ここから,スータがこれらの物語の伝承過程,そしてテキスト形成過程において,何かしらの重要な役割を果たした可能性が示唆される.また彼ら以外にも,Mahābhārataには王家や王族と親密な関係を持つ SaṃjayaやKīcakaという名のスータや,単に王族や戦士の「御者」としての職務を果たすスータなど,様々な性格を持つスータが現れる.

これに対して,叙事詩やプラーナ文献以外に見られるスータ像は,必ずしもそれらと同一ではない.ヴェーダ文献におけるスータは,下記に詳しく述べるとおり,主に王権に関連する祭式において一定の役割を果たす人物として登場する.しかし,このヴェーダ文献におけるスータがどのような人物であったかについては,これまでのヴェーダ王権儀礼研究において必ずしも見解の統一がとれていない.

ヴェーダ文献において最初にスータが現れるのは,Atharvaveda (=AV)においてであり,rājakŕ̥t(王を作るもの)のひとりとして登場する. その箇所について独訳を行なったWeberは,sūtá-という語をʻder Geweihte(聖別されたもの)ʼとして捉え3,その訳語としてʻStallmeister( 厩舎監督)ʼ を採用した4. しかし同箇所に対し英訳を行なったBloomfieldとWhitneyは,その訳語としてʻcharioteer(御者)ʼを採用している5

ヴェーダ文献において,スータに関する記述が最も集中するのは,王権儀礼であるRājasūyaの構成要素のひとつであるratna-havisにおいてである.そこでスータは,ratnin(宝を持つもの)のひとりとして数えられている.Eggelingは,このratna-havisに登場するスータについて,‘court-minstrel and chronicler(宮廷詩人,そして年代記編者)’と訳している6.その一方で,Rājasūya研究を行なったHeestermanは,それを‘charioteer, equerry(御者,御馬番)’と訳している7.RauはEggelingの見解を否定し,Śatapatha-Brāhmaṇa (=ŚB)におけるスータという語は,全ての箇所において‘Herold(公使)’と訳しうると考えており8,彼の見解は最も一般的に受け入れられているようである.またスータはRājasūyaにおけるratna-havis以外にも,sphyaの受け渡し儀礼,もしくはAśvamedhaやVAjapeyaという王権儀礼の中にも登場する.

以上のようなスータの人物像に関するこれまでの解釈の不一致は,ヴェーダ文献においてスータそのものに関する説明があまりなされていないということと,後代の文献におけるスータの描写に基づき,そこから遡って,ヴェーダ時代のスータ像を再構築する形で解釈が行なわれてきたことに由来すると考えられる.よって,ヴェーダ時代のスータという存在を正確に理解するためには,後代のスータのイメージを一旦切り離し,その性格や特徴をはじめから精査していくことが必要である.本稿では,ヴェーダ文献に現れるsūtá-の全ての用例9を調査し,叙事詩・プラーナ時代以前のスータ像を探ることを試みる.

スータに関する記述の分類と考察

まず,ヴェーダ文献におけるスータの記述を,場面ごと,もしくは類似する記述ごとに以下のように分類した10.これらはおおまかに,テキストの年代として古いもの,王権儀礼に関するもの,王に関するもの,それ以外のもの,という順序に並べてある.これらについて順に内容を精査し,考察を加えていく.

  1. 1.   rājakŕ̥tとスータ:AV 3.5.7; ŚB 3.4.1.7-8; 13.2.2.18
  2. 2.   Rājasūyaにおけるスータ

2.1. ratnin11としてのスータ:MS 2.6.5, 4.3.8; Ks 15.4; TS 1.8.9.1-2;

TB 1.7.3; ŚB 5.3.1; BaudhŚS 12.5; KātyŚS 15.3

2.2. sphya受け渡し儀礼におけるスータ:ŚB 5.4.4.15-19;

VārŚS 3.3.3.22; BaudhŚS 12.15; KātyŚS 15.7.11-12

2.3. 王の灌頂とスータ:JB 2.196; BaudhŚS 18.2: 345.14-15

  1. 3.   王国を支えるvīraとしてのスータ:PB 19.1.4
  2. 4.   Aśvamedhaにおけるスータ
    1.    100人のスータとグラーマニー:

(1) TB 3.8.5; BaudhŚS 15.5: 209.9-210.29; ĀpŚS 20.4

(2) ŚB 13.4.2.5; ŚāṅkhŚS 16.1.16

  1. 2.   100人のスータとグラーマニーの娘:

ŚB 13.5.2.5-8; ĀpŚS 20.15.7-8; KātyŚS 20.1.12-19; (BaudhŚS 15.25)

  1. 5.   Vājapeyaにおけるスータ:BaudhŚS 25.34: 270.2-4
  2. 6.   スータによる王の歓待:BĀU 4.3.37-38
  3. 7.   Sūtasava(スータの就任儀礼)

ŚāṅkhŚS 14.22.1; BaudhŚS 18.4: 346.1-14

  1. 8.   PuruSamedhaのリストにおけるスータ:VS 30.6; TB 3.4.2
  2. 9.   Śatarudriyaの中のスータ:VS 16.18; MS 2.9.3: 122.13;

Ks 17.12: 255.13; KpS 27.2; TS 4.5.2.1.h

1. rājakŕ̥tとスータ

ヴェーダ文献のなかでスータが最初に確認されるのは,AVの第三巻においてである12.そこでは,スータはグラーマニー13(村長,軍隊長:grāmaṇī)と王たちとともに登場する.

AV 3.5.7

yé rā́jāno rājakŕ̥taḥ sūtā́ grāmaṇyàś ca yè /

upastī́n parṇa máhyaṃ tváṃ sárvān kr̥nv abhíto janā́n //

ラージャクリットである王たち,スータとグラーマニーたち,

パルナ14よ,お前はあらゆる人々を私にとって近くで従属するものにせよ.

この一節と似た表現がブラーフマナ文献に現れる.ここではスータはグラーマニーと複合語になり,ラージャクリット(王を作るもの)と呼ばれている.また,rājakŕ̥t-はAVではrā́jāno(王たち)にかかっているが,ブラーフマナ文献では,árājāno(王ではない)スータとグラーマニーにかかっている15

ŚB 3.4.1.7-8

yáthā rājñó ’rājāno rājakŕ̥taḥ sūtagrāmaṇyà, evám asya chándāṁsy abhítaḥ sācayā́ni //(中略)yátra vā́ árhate pácanti, tád abhítaḥ sācáyo ’nvā́bhaktā bhavanty árājāno rājakŕ̥taḥ sūtagrāmaṇyàs.

王ではない16ラージャクリットであるスータとグラーマニーたちが,王の(近くに結びついている)ように,同じようにチャンダスたち17は彼の近くに結びついている18.(中略)敬うべき人のために料理をするとき,彼の近くに結びついている王ではないラージャクリットであるスータとグラーマニーたちは,次に分け前を得るものたちになる.

ŚB 13.2.2.18

yáthā vái rājñó ’rājāno rājakŕ̥taḥ sūtagrāmaṇyà, evám vā́ eté ’śvasya yát páryaṅgyāḥ.

王には,王ではないラージャクリットであるスータとグラーマニーたちがいるように,同じく,馬には,パルヤンギヤ19であるものたち,それらがいる.

以上のように,ブラーフマナ文献ではスータとグラーマニーは「ラージャクリット」であり,「王の周辺」に存在するものとして描かれている.

上記の例のように,ヴェーダ文献においてスータとグラーマニーは対になって現れることが多い.例えば,今回大分類からは外したが,以下のような箇所にもスータとグラーマニーが対になって登場する.

Baudhāyana-Śrautasūtra (=BaudhŚS) 12.18: 113.6 (Rājasūya)

pūrvasyāṃ dvāri sūtagrāmaṇyāv upariṣṭhato ’parasyāṃ kṣattasaṃgrahītārau /

東の入り口近くにスータとグラーマニーが立ち,西の入り口近くにクシャッタとサングラヒートリが[立つ].

BaudhŚS 15.3: 206.3 (Aśvamedha)

upasaṃgacchanta enam ete rājagr̥hāḥ sūtagrāmaṇyaḥ kṣattasaṃgrahītāraḥ kāruviśā iti /

王宮に住むものたち,スータとグラーマニーたち,クシャッタとサングラヒートリたち,カールとヴィシュたちは,そのものに近付く.

2. Rājasūyaにおけるスータ

Rājasūyaとはソーマ祭の一種で,王の即位儀礼である20.複数の儀礼からなる大規模祭式であり,その中の二つの儀礼にスータが登場する.

2.1. ratninとしてのスータ

スータは,Rājasūyaの構成要素のひとつであるratna-havisにおける12(あるいは11,13,14)人のratninのひとりとして数えられる.王はratninと呼ばれるものたちのやしきへ出向き,それぞれの神格に対する献供を行うとされる.ratninとは文字通りには「ratna(贈り物,富)を持つもの21」であるが,ratnaとは具体的に何かという説明は,どのテキストにおいてもされていない.これに関して,これまでの諸研究者がこのratninというものをどのように捉えてきたかを以下に述べる.

まずMacdonellとKeithはratninを‘receiving gifts’と訳し22,彼らを「王家の側近」,「王族と国家の行政における王の臣下」であるとみなしている23

Altekarは,ratninは‘king’s council’で構成されたものだと考える.また,王自身が彼らのやしきに出向くということから,ratninの地位はかなり高かったと推測する.しかし,ヴェーダ儀礼が衰退するに従い,ratninという概念も社会から消えていき,後代ではその意味が誤解されていると考える24

一方Rauは,ratninという語を簡潔に‘Ministeriale(大臣)’と訳す.そして彼らを,「宮廷に対し影響力のある人物たち」であると考える25.Heestermanは,このratnaという語の意味付けに関して,「宝石や

王位の象徴としてではなく,王家の高官や王族により保有される機能」であると捉えている26.また彼は,このratnin儀礼を,王と国民との間の婚姻のような結束を示唆するものだと解釈する27

一方Spellmanは,Altekarがratninを‘king’s council’と考えたことを批判し,ratninを「政治的意義というよりは宗教的,呪術的意義における王の宝」であると考えた.つまり,実際の彼らは王の政治的な助言者でも,大臣でもなかったと推論する28

その一方でGondaは,ratninが王権の構成要素を象徴するとし,Maitrāyaṇī-Saṃhitā (=MS) 4.3.8: 47.3(後掲)を例に挙げ,王は支配権の四肢 (áṅga) であるratninたちを統合するという点に注目する29

以上のように,ratninとは政治や行政に関わる高官であったという解釈がされる一方で,その儀礼的な重要性にも注目されてきた.

次に,ratna-havisの記述の中に見られるratninに関するいくつかの重要な記述を取り上げる.

MS 4.3.8: 47.3-4

áthaité ratnínaḥ. kṣatrásya vā́ etā́ny áṅgāni. yásya vā́ etā́ny ojasvī́ni bhávanti, tád rāṣṭrám ojasvī́30 bhavati. tā́ny evā̀syaujasvī́ni karoti.

さて,彼らがラトニンたちである.彼らは王族の四肢たちなのだ.その王国の四肢たちが力を持つものとなるとき,その王国は力を持つものとなる.それらを彼(祭主)にとって力を持つものにすることになる.

Taittirīya Brāhmaṇa (=TB) 1.7.3.1

ratnínā́m etā́ni havī́m̐ṣi bhavanti / eté vái rāṣṭrásya pradātā́raḥ / etè ’pādātā́raḥ / yá evá rāṣṭrásya pradātā́raḥ / yé ’pādātā́raḥ / tá evā̀smai rāṣṭrám práyacchanti / rāṣṭrám evá bhavati / yát samāhŕ̥tya nirvápet / áratninaḥ syuḥ / yathāyatháṃ nírvapati ratnitvā́ya /

ラトニンたちのためのこれらの供物が用いられる.彼らは王国を与え

るものなのだ彼らは[王国を]奪うものなのだ.彼らは王国を与えるものであり,奪うものであるが,彼らは彼(祭主)に王国を与える.彼は王国を獲得することになる.もし[供物を]一度に捧げるなら,彼らはアラトニンになるだろう(ラトニンとはならないだろう).ラトニンであることのために,彼は適切に捧げる.

これらの記述を見る限り,ratninと呼ばれるものたちが王権(王国,王族,王)と何かしらの重要な関係を持つことがうかがえる.この文脈からは,彼らが実際に行政に関わっていたかどうかは判断できないが,少なくともratninが象徴的に,もしくは儀礼的に,王が王国を支配し,繁栄させるために,非常に重要な存在であるとみなされていたことが分かる.

次にratna-havisの行程の一例として,比較的詳細な説明を持つŚB 5.3.1から,スータへの献供が行なわれる日に関する部分を引用する.

ŚB 5.3.1.5

átha śvó bhūté / sūtásya gṛhā́n prétya vāruṇáṃ yavamayáṃ carúṃ nírvapti. savó vái sūtáḥ. savó vái devā́nāṃ varuṇás. tásmād vāruṇó bhavaty. etád vā́ asyáikam̐ rátnaṃ yát sūtás. tásmā evàiténa sūyate. tám̐ svám ánapakramiṇaṃ kurute. tasyā́śvo dákṣiṇā. sá hí vāruṇó yád áśvaḥ //

そして次の日,スータのやしきに行き,ヴァルナのための大麦でできたcaru粥を捧げるスータは促進なのだ.ヴァルナは神々にとっての促進なのだ.それゆえヴァルナのためのものが用いられる.スータであるもの,それは祭主(王)のひとつの宝なのだ.他ならぬ彼(スータ)のため,これ(この献供)により,彼(王)は促進される.[王は]彼(スータ)を自分から離れないものにする.その(献供の)報酬は馬である.というのも,馬であるもの,それはヴァルナに属するから.

ŚB 5.3.1に見られるratna-havisの基本行程をまとめると以下の通りである.(1) 祭主である王が,ratninのひとりである○○のやしきに行く.(2) それぞれの神格△△に適した供物を捧げる.(3) ○○と△△の同置.(4) 献供に対する祭官の報酬について.この行程は,多少の差異はあれども全てのテキストを通してほぼ共通であり,1日にratninとされるもののひとりずつ(ふたりの場合もある)の献供が行なわれ,それが計11日,もしくは12日続けられる.

以下は各テキストに見られるratna-havisの行程の比較表である.献供は黒ヤジュル・ヴェーダ(BlYV)系統のテキストの場合,ブラフマン祭官あるいはプローヒタ,王族あるいは王,第一王妃(mahiṣī)の順で開始されるが,白ヤジュル・ヴェーダ(WhYV)系統のテキストでは,将軍(senānī),プローヒタ,祭主(王)の順で開始される点が大きく異なる.

Rājasūyaにおけるratna-havisの行程の比較表

(表1: BlYV-1)

TS, TB, BaudhŚS
ratnin 神格 供物 報酬
1 brahman Br̥haspati caru 粥 背中の白い牛
2 rājanya Indra

11皿の

puroḍāśa (=P)

雄牛
3 mahiṣī31 Aditi caru 粥 乳牛
432 vāvātā33 Bhaga caru 粥

胎児がいることが分かる

(vicittagarbha) 4歳の雌牛34

5

parivr̥ktī35

(TS, TB)

parivr̥ttī

(BaudhŚS)

Nirr̥ti 爪で裂いた黒い米の caru 粥 kr̥ṣṇā-kūṭā
6 senānī Agni 8 皿のP
7 sūta Varu ṇa 10皿の P 去勢された雄牛 (mahāniraṣṭa)
8 grāmaṇī Marut 7 皿のP まだらの雌牛 (pr̥śni)
9 kṣattr̥36 Savitr̥ 12 皿のP 斑点の雄牛 (upadhvasta)
10 saṃgrahītr̥37 Aśvin 2 皿のP 同じ母を持つ双子の牛38

11

bhāgadugha39

Pūṣan

caru 粥

黒い雄牛

12

akṣāvāpa40

Rudra

gavīdhuka41の caru

まだらで尾の立ち上がった雄牛

(śabala-udvāra)

(表2: BlYV-2)

MS, KS
ratnin 神格 供物 報酬
1

brahman (MS)

purohita (KS)

Bṛhaspati caru 粥 背中の白い牛
2 rājan Indra 11 皿のP 雄牛
3 mahiṣī Aditi caru 粥 乳牛
4 parivr̥ktī Nirr̥ti 黒い米の caru 粥

śyenī vaṇḍāpasphurā [?] (MS)

śyenī kūṭā vaṇḍāpasphurā [?] (KS)

5 senānī Agni 8 皿のP
6 saṃgrahītr̥ Aśvin 2 皿のP 同じ母を持つ双子の牛
7 kṣattr̥ Savitr̥ 8 皿のP 白い牛
8 sūta Varuṇa

yava (大麦)で

できた10皿の P

赤茶色の去勢された雄牛

(babhrur mahāniraṣṭhaḥ)

9 vaiśya-grāmaṇī Marut 7 皿のP まだらの4歳の雌牛
10 bhāgadugha Pūṣan caru 粥 黒い牛
11 takṣanと Viṣṇu 3皿の P (MS) すべて鉄でできたもの (sarvāyasa)

rathakāra (MS)

akṣāvāpa と

(MS)

Rudra

gavīdhuka の caru

粥 (KS)

(MS)

asir vālāvr̥to vavrir vālapratigrathitā

govyaccha42 (KS) barāsī dāmabhūṣā vatsataro vā
(KS) śabalo [?] (KS)
12

akṣāvāpa と

govikarta43

(MS)

Rudra (MS)

gavīdhuka の caru

粥 (MS)

asir vālāpitastho śabalo vā trivatsr̥to ’bhidhānī vā kesarapāśā

[?] (MS)

(表3:WhYV)

ŚB KātyŚS
ratnin 神格 供物 報酬 ratnin 神格
1 senānī Agni 8 皿の P senānī Agni
2 purohita Br̥haspati caru 粥 背中の白い牛 prohita Br̥haspati
3

sūyamāna or

kṣatra

Indra 11 皿の P 雄牛 yajamāna Indra
4 mahiṣī Aditi caru 粥 乳牛 mahiṣī Aditi
5 sūta Varu ṇa

yava ( 大麦)ででき

た caru 粥

sūta Varu ṇa
6 grāmanī Marut 7 皿の P まだらの雄牛 grāmanī Marut
7 kṣattr̥ Savitr̥

12 もしくは

8 皿の P

白い雄牛 kṣattr̥ Savitr̥
8 saṃgrahītr̥ Aśvin 2 皿の P 双子の牛 saṃgrahītr̥ Aśvin
9 bhāgadugha Pūṣan caru 粥 黒い牛 bhāgadugha Pūṣan
10

akṣāvāpa と

govikarta

Rudra

akṣāvāpa

二色の牛(白い

前足か,白い尾

akṣāvāpa と

govikarta

Rudra
govikartta を持つ牛.もし
のやしきか くはかぎ爪のよ
ら持ってき うな形の剣か,
尻尾の 毛が結
gavedhuka びつけられた賭
caru 粥 博盤)
を,祭主の
やしきで献
供する.
11 pālāgala44

4 度取り分

けられた供物(バター)

pyukṣaṇa に覆

われた弓,革製のえびら,赤い

ターバン

dūta
12 parivr̥ttī nirr̥ti

上記の一覧表を概観すると,献供の第1日目から第12日目へと,おおよそ身分の高いものから低いものへと順に並べられているように見える.実際,BlYVの献供順は,ブラフマン祭官もしくはプローヒタより始まっており,次に王族あるいは王→王妃ら→将軍と続く.これを見る限り,この順序は王宮での序列を示しているようにも見える.ただしWhYVにおいては,将軍の献供より開始され,プローヒタ→祭主(王)→王妃という順序で献供が行なわれる.

何人の王妃に対し献供をするかに関してはテキストにより異なるが,その後に続く,将軍→スータ→グラーマニー→クシャットリ(食べ物を切り分けるもの:kṣattr̥)→サングラヒートリ(御者:saṃgrahītṛ)→バーガドゥガ(分け前を分けるもの:bhāgadugha)→アクシャーヴァーパ(さいころ賭博師:akṣāvāpa)という序列に関しては,BlYV-1とWhYVにおいて共通している.一方BlYV-2では,将軍→サングラヒートリ→クシャットリ→スータ→ヴァイシュヤ・グラーマニー→バーガドゥガとなり,多少順番が前後している.

またBlYV-2とWhYVではタクシャン(大工:takṣan)やラタカーラ(戦車職人:rathakāra),ゴーヴィカルタもしくはゴーヴィヤッチャ

(牛屠殺人:govikarta, govyaccha),パーラーガラもしくはドゥータ(使者:pālāgala, dūta)がratninに含まれており,彼らがAltekarの言うような高い身分を有していたかという点には疑問が残る45.つまりここに挙げたratninのメンバーが,総体として‘king’s council’であったと断定するには難しく,身分の高いものからそうでないものを含みつつ,おおよそ身分の高い順に並んでいるという程度に言えるのみである.以上のような点を考察した上で本稿が想定するのは,テキストごとに多少の差異はあるものの,ratninとして名が挙げられているものたちは,身分の高いものから低いものまでを含む総体としての「王国」というものを,ある程度象徴しているのではないかということである.つまり筆者は,Gondaの言う「ratninが王権の構成要素を象徴する」という意見に基本的に同意する.またMS 4.3.8: 47.3に,ratninは「王族のáṅga(四肢,身体の支部)である」と定義されていることを踏まえれば,ratnin全員を王の側近であるとみなすことよりも,彼らを王国の構成要素,もしくは構成員の象徴とみなすことの方が,自然である.

スータへの献供への報酬について言えば,BlYVでは一貫して「去勢された雄牛(mahāniraṣṭa)」を報酬としているのに対し,ŚBのみが「馬」を報酬としている.

ところでこのratna-havisにおけるスータの性格の解明の手掛かりとなる可能性があるのは,彼と「ヴァルナ」との関わりである.ratninとしてのスータに対しては,一貫してヴァルナのためのcaru粥が捧げられる.後藤によれば,ヴァルナ(ヴァルゥナ)は元来「王権の神格化」であり,「秩序を監理する性格」を有する46.また辻によれば,ヴァルナは「司法神,道徳律の守護者」として,「人間の行為に深い交渉を持」ち,「王者として最高の支配者として万有の上に主権を振う」.さらに,

「探偵を放って人間の行動を監視」する47.「王」に対する「神々の王であるインドラ」への献供,もしくは「第一王妃」に対する「神々の母であるアディティ」への献供のように,その献供の対象の人物が,その神格の性質をある程度反映するものであるとすれば,スータの職業は「王権に関わり,支配者として人々の秩序や道徳を監視する」というヴァルナの性格をある程度反映していた可能性がある.

2.2. sphya受け渡し儀礼におけるスータ

スータはRājasūyaの儀礼次第の中にもう一度現れる.そこではsphya48という祭具の受け渡しが行なわれ,そのメンバーのひとりとしてスータが登場する49.この儀礼の中では,sphyaを渡されたものが,渡したものよりも,「力のないもの」となる.WhYVでは受け渡しは,ブラフマン祭官(Kātyāyana-Śrautasūtraではアドヴァリユ祭官)>王

>王の弟(rājabhrātr̥)>スータもしくはスタパティ(領主:sthapati)

>グラーマニー>サジャータ50(生まれを同じくするもの:sajāta)の順で行なわれ,これらの人々の力関係はこの順となる.以下に,ŚBに見られるsphya儀礼から,スータの登場する箇所を引用する.

ŚB 5.4.4.17 (cf. KātyŚS 15.7.12)

tám̐ rājabhrātā́ sūtā́ya vā sthapátaye vā práyacchati / índrasya vájro ’si. téna me radhyéti. téna rājabhrātā́ sūtáṃ vā sthapátiṃ vātmanó ’balīyām̐saṃ kurute //

王の弟は,これ(sphya)をスータかスタパティに与える.「お前(sphya)

はインドラのヴァジュラだ.これによってお前は私に従え」51と[言って].これにより,王の弟はスータかスタパティを,自分よりも力のないものにする.

このテキストでは,スータとスタパティと呼ばれるものとは,力の順序として同等である.このスタパティという語に関して,Mayrhoferと,BöhtlingkとRothとは様々な訳語を挙げているが52,両者ともそれを「ある特定の地域における長」と考えているようである.そうであれば,スタパティはその地域に暮す人々を統率する立場にあるはずであり,社会的に高い地位を有していたと予想され,それと同等であるとされるスータの地位もそれと同程度に高いと考えられる.

しかし,BaudhŚS 12.15に見られるsphya受け渡し儀礼と, Vārāha-Śrautasūtra (=VārŚS) 3.3.3.22 に見られるそれのメンバーは,ŚBものとは異なっている.BaudhŚSでは,スータ>スータ・グラーマニー>サジャータ>サジャータ・グラーマニー>サングラヒートリ>アクシャーヴァーパとゴーヴィヤッチャの順にsphyaの受け渡しが行なわれる.ここでは,「スータ」と「スータ・グラーマニー」というものが別立てされており,このふたつが別物であると考えられていることが分かる.同様に,サジャータとサジャータ・グラーマニーも別立てされている.

一方VārŚSでは,ブラフマン祭官>王>プラティヒタ(後継者:pratihita)>将軍>サングラヒートリ>スータ>グラーマニー>アクシャーヴァーパの順にsphyaの受け渡しが行なわれる.ここでは,サングラヒートリより下にスータが位置付けられており,スータがサングラヒートリよりもかなり上位に位置付けられているBaudhŚSとは大きく異なる.

2.3. 王の灌頂とスータ

スータは一部の学派において,Rājasūyaの灌頂の場面でも言及されている.BaudhŚSには,一般的なvarṇaとは大きく異なる,プローヒタ,スタパティ,スータというものが灌頂の文脈で3つのvarṇaとして挙げられている.

BaudhŚS 18.2: 345.14-15

rājā rājasūyena yakṣyamāṇa ādhyāyati, triṣu varṇeṣv abhiṣikteṣv adhyabhiṣicyeya, prohite sthapatau sūta iti /

これからラージャスーヤにより自身のために祭ろうとしている王は,

[以下のように]望む.「3つのヴァルナが水をそそがれたとき,私自身が水をそそがれよう.プローヒタ,スタパティ,スータ[という3つのヴァルナが水がそそがれたとき]」と.

また,JBにおいても,王の灌頂の文脈でスータが登場するのが確認される.

JB 2.196

pañcānāṃ ha vai puruṣāṇāṃ rājyāyābhiṣicyamāno ’bhiṣicyate, rājñe rājanyāya sūtāya grāmaṇye śūdrāya dāsāya /

5人の人物たちの統治権のために,灌頂されつつあるものは灌頂される.王のため,王族のため,スータのため,グラーマニーのため,シュードラのため,ダーサのために53

3. 王国を支えるvīraとしてのスータ

Paṃcaviṃśa-Brāhmaṇa (=PB)では,Rāj-ekāhaの文脈において,王国を支えるvīraと呼ばれる8人の人物が列挙されている.それは,王の弟,王の息子,プローヒタ,第一王妃,スータ,グラーマニー,クシャットリ,サングラヒートリの8人である.これらの人物はratninのメンバーとも重なり,彼らが王国において何らかの影響力を有していたことがうかがえる.

PB 19.1.4

aṣṭāv ekavim̐śāḥ sam̐stuto bhavaty. aṣṭau vai vīrā rāṣṭram̐ samudyacchanti. rājabhrātā ca rājaputraś ca purohitaś ca mahiṣī ca sūtaś ca grāmaṇī ca kṣattā ca saṅgrahītā caite vai vīrā rāṣṭram̐ samudyacchanty. eteṣv evādhyabhiṣicyate //

8×21からなるストートラが唱えられる.8人のヴィーラたちが王国を支えるのだ.王の弟,王の息子,プローヒタ,第一王妃,スータ54,グラーマニー,クシャットリ,サングラヒートリ.これらのヴィーラが王国を支えるのだ.彼らの中で,彼(王)は灌頂されることになる.

4. Aśvamedhaにおけるスータ

Aśvamedhaとは王により催される馬を犠牲獣にした大規模祭式であり,王権と深く関連する55

4.1. 100人のスータとグラーマニー

Aśvamedhaの文脈において,100人のスータとグラーマニーが登場する.ここではその儀礼における登場箇所に従い,以下の2つに分類した.

(1) TB 3.8.5; BaudhŚS 15.5: 209.9-210.29; ĀpŚS 20.4

ここではAśvamedhaの文脈において,4人の祭官が四方角から馬に水をまくという儀礼が行なわれ,その際,100人のスータとグラーマニーはホートリ祭官とともに西側で東向きに立って水をまく.4人の祭官と,それぞれの100人の従者,それの持つ象徴性56,水をまく方角は,各テキストにおいて一致しており,まとめると以下の表の通りである.また,一例としてTBの訳を下に挙げる.

祭官 100人の従者 象徴性 水をまく方角
1 adhvaryu rājaputra kṣatra(支配権) 東側で西向きに
2 brahman ugra arājan57 bala(力) 南側で北向きに
3 hotr̥ sūta-grāmaṇī bhūman(豊富さ) 西側で東向きに
4 udgātr̥ kṣatta58-saṃgrahītr̥ āyus(寿命) 北側で南向きに

TB 3.8.5.2-3

śaténa sūtagrāmaṇíbhiḥ sahá hótā / paścā́t prā́ṅ tíṣṭhan prókṣati / anénā́śvena médhyeneṣṭvā́ / ayám̐ rā́jā ’syai viśáḥ (2) / bahug vái bahvaśvā́yai bahvajāvikā́yai / bahuvrīhiyavā́yai bahumāṣatilā́yai/ bahuhiraṇyā́yai bahuhastíkāyai / bahudāsapūruṣā́yai rayimátyai puṣṭimátyai / bahurāyaspoṣā́yai rā́jā ’stv íti / bhūmā́ vái hótā / bhūmā́ sūtagrāmaṇyàḥ / bhūmnàivā̀smin bhūmā́naṃ dadhāti /

100人のスータとグラーマニー59とともに,ホートリ祭官は西側に東向きに立って,(馬に)水をまく.「祭式にふさわしいこの馬によって祭ってから,この王が多くの家畜を持つもの,多くの馬を持つもの,多くの山羊と羊を持つもの,多くの米と麦を持つもの,多くの豆と胡麻を持つもの,多くの金を持つもの,多くの象を持つもの,多くの奴隷と使用人を持つもの,富めるもの,栄えているもの,多くの富を持つもの,そのような人民のために人民の王であれ」と[言いながら].ホートリは豊富さなのだ.スータとグラーマニーは豊富さなのだ.豊富さによって,彼に豊富さを置くことになる.

これを見ると,スータとグラーマニーは,「豊富さ(bhūmán)」と結びつけられている.「王の息子(rā́́japutra)」が「支配権」,「王(王族)ではないウグラ(ugrá árājan)」が「力」と結びつけられていることを踏まえれば,実際にスータとグラーマニーが豊富さ,つまり何かしらの「財力」を持ち合わせていた可能性も考えられる.

(2) ŚB 13.4.2.5; Śāṅkhāyana-Śrautasūtra (=ŚāṅkhŚS) 16.1.16

ここではAśvamedhaにおいて,それぞれ100人の王の息子たち,王族たち,スータとグラーマニーの息子たち,kṣāttra60-saṃgrahītr̥の息子たちが,それぞれに武装をして馬を守るという文脈で登場する.

ŚB 13.4.2.5 (cf. ŚāṅkhŚS 16.1.16)

tásyaité purástād rakṣitā́ra úpakl̥ptā bhavanti / rājaputrā́ḥ kavacínaḥ śatám̐. rājanyā̀ niṣaṅgíṇaḥ śatam̐. sūtagrāmaṇyā̀ṃ putrā́ iṣuparṣíṇaḥ 61 śataṃ. kṣāttrasaṃgrahītṝṇā́ṃ putrā daṇḍínaḥ śatam. aśvaśatáṃ níraṣṭaṃ

nirámaṇaṃ yásminn enam apisŕ̥jya rákṣanti //

彼の前に,これらの身を整えた番人たちが生じる.鎧をつけた100

人の王の息子たち.箙をつけた100人の王族たち.弓をかついだ

100人のスータとグラーマニーの息子たち.棍棒を持った100人のクシャットリとサングラヒートリの息子たち.彼らは,力を失い疲

弊した100頭のその馬を,そこに放してから守る.

4.2. Aśvamedhaにおける100人のスータとグラーマニーの娘

Aśvamedhaにおいて,100人のスータとグラーマニーの娘たち(śataṃ

sūtagrāmaṇyāṃ duhitaraḥ)が第三王妃(parivr̥ktā [ŚB 13.5.2.7; KātyŚS 20.1.12],parivr̥ktī [ĀpŚS 20.15.7])と呼ばれる王妃とともに,その侍女(anucārī)として登場するのが3ヶ所に確認される.しかしそれら

  •    儀礼の場面は,それぞれに異なっている.

ŚB 13.5.2.5-8では祭官が,第一王妃(mahiṣī),第二王妃(vāvātā),第三王妃(parivr̥ktā),そして第四王妃(pālāgalī)62という4人の王妃に対して侮辱の言葉を言い,その後,彼女たちそれぞれの侍女である100人の王の娘たち,王族の娘たち,スータとグラーマニーの娘たち,クシャットリとサングラヒートリの娘たちが,祭官に侮辱の言葉を言い返すという儀礼が説明される.

KātyŚS 20.1.12-19においてもŚBと同様の対応関係である4人の王妃とそれぞれの侍女である100人の娘たちが儀礼に参加するが,ここでは王妃らが祭官とともにガールハパティヤ祭火の近くで寝るという儀礼が説明されている.

一方,Āpastamba-Śrautasūtra (=ĀpŚS) 20.15.7-8ではmahiṣī,vāvātā, parivr̥ktīという3人の王妃しか登場しない.彼女らの侍女(sacivā)は,それぞれ100人の王の娘たち,王ではないウグラの娘たち,スータとグラーマニーの娘たちである.彼女らは王妃が馬を飾るという場面で登場する.

これと似た描写がBaudhŚS 15.25にも収められているが,ここでparivr̥ktīに仕えるのはスータとグラーマニーの娘たちではなく,その妻(jāyā)たちであり,その数も100人とは明示されていない.さらにBaudhŚSでは,クシャットリとサングラヒートリの妻たちもスータとグラーマニーの妻たちともにparivr̥ktīに仕えている.

5. Vājapeyaにおけるスータ

Vājapeyaもソーマ祭の一種であり,王権と深く関わる儀礼であると

知られている.スータはBaudhŚS 25.33-34の収めるVājapeya儀礼の記述の中に登場する.祭主(王)は戦車の車輪(rathacakra)に触れてから,スータと王族,さらにクシャッタとサングラヒートリにあるマントラを言う.ここではスータは,対にされることの多いグラーマニーとではなく,王族とともに並列されている.

BaudhŚS 25.34: 270.2-4

athāhājisr̥to dakṣiṇāpathenopātītyeti. sūtarājanyā evaita uktā bhavanti. mārutā agreṇāhavanīyaṃ parītyeti. kṣattasaṃgrahītāra evaita uktā bhavanti.

次に言う。「競争者たちよ、南の道を通って越えていってから」と。他ならぬスータと王族たちが言われたものとなる。

「マルトに属するものたちよ、アーハヴァニーヤの前を回ってから」と。他ならぬクシャッタとサングラヒートリが言われたものとなる。

6. スータによる王の歓待

Bṛhad-Āraṇyaka-Upaniṣad (=BĀU)には,王がやって来たときと去るときに,ウグラとプラティエーナス63(判事:pratyenas),そしてスータとグラーマニーが王を歓待する様子が,人が死期を迎えるときの譬えとして用いられている.

BĀU 4.3.37-38

tad yathā rājānam āyāntam ugrāḥ pratyenasaḥ sūtagrāmaṇyo ’nnaiḥ pānair āvasathaiḥ pratikalpante, ’yam āyāty ayam āgacchantīti / evam̐ haivaṃvidam̐ sarvāṇi bhūtāni pratikalpanta, idaṃ brahmāyātīdam āgacchatīti // 37 // tad yathā rājānam prayiyāsantam ugrāḥ pratyenasaḥ sūtagrāmaṇyo ’bhisamāyanti/ evam evemam ātmānam antakāle sarve prāṇā abhisamāyanti / yatraitad ūrdhvocchvāsī bhavati // 38 //

王がやって来るとき,ウグラたち64,プラティエーナスたち,スータとグラーマニーたちは,食べ物,飲み物,住居により歓待する

「ここに彼がやって来た,ここに彼がやって来た」と[言って].これと同じように,このように知っているものをすべての元素(ブータ)は歓待する.「ここにブラフマンがやって来た,ここにそれがやって来た」と[言って].(37)王が去ろうとするとき,ウグラたち,プラティエーナスたち,スータとグラーマニーたちが,王に近付くように,同様に,死期にすべての生体機能(プラーナ)はこのアートマンに近付く.そのように最期に息を吐くものになる(息を引き取る)ところで.

7. Sūtasava(スータの就任儀礼)

ŚāṅkhŚS 14.22.1とBaudhŚS 18.4: 346.1-14にSūtasavaという語が登場する.savaとは,灌頂をともなう就任儀礼であり65,王の即位儀礼の際に行なわれるような灌頂行為が,スータの就任に際しても行なわれていたことが分かる.これにより,この文脈で想定されているスータが,王国(あるいは王宮)においてある一定の社会的地位を有していた可能性が示唆される.また,BaudhŚS 18.4: 346.13ではSūtasavaはGrāmaṇīsavaでもありR̥tusavaでもあると言われているが,ŚāṅkhŚS 14.22.1ではSūtasava,ŚāṅkhŚS 14.22.2ではSthapatisava, ŚāṅkhŚS 14.22.3ではGrāmaṇīsavaがそれぞれ説明されていることから,三者は明確に区別されていることがわかる.

8. Puruṣamedhaのリストにおけるスータ

スータはVājasaneyi-Saṃhitā (=VS)とTBとが収めるPuruṣamedhaの生け贄のリストの中に確認できる66.このリストは非常に長くVS 30.5-21とTB 3.4.1-19にかけて収められている.両者のリストの内容はほぼ一致しているが,時に生け贄の挙げられる順序や,その生け贄の目的が異なることがある.

スータに関して言えば,VS 30.6の場合,nr̥ttā́ya sūtáṃ「踊りのためにスータを」であり,TB 3.4.2の場合,gītā́ya sūtám「歌のためにスータを」である.VS 30.6では,スータの次に挙げられるśailūṣá(踊り子,軽業師)方に「歌」が結びつけられており,一方TB 3.4.2では, śailūṣáの方に「踊り」が結びつけられている.

9. Śatarudriyaの中のスータ

ヤジュル・ヴェーダ文献には,Śatarudriya (Śatarudrīya)とよばれるルドラを賛美するマントラ群が収められている67.そこではルドラに対するエピセットが列挙されており,その中にスータという語が現れる.ただしスータを形容する語が,学派により少しずつ異なる形を示す.

MS 2.9.3: 122.13; KS 17.12: 255.13; KpS 27.2

námaḥ sūtā́yā́hantvāya, vánānāṃ pátaye námaḥ.

「殺されざるべき(áhantvāya)スータに拝礼.森たちの主に拝礼」

TS 4.5.2.1.h

námaḥ sūtā́yā́hantyāya, vánānāṃ pátaye námaḥ.

「殺されざるべき (áhantyāya)スータに拝礼.森たちの主に拝礼」

VS 16.18

námaḥ sūtā́yā́hantyai, vánānāṃ pátaye námaḥ.

「殺されざるべき(áhantyai)スータに拝礼.森たちの主に拝礼」

Wackernagelはá-hantva-という語に関して,hántva-はRVのみに見られるGerundivであり,á-hantva- (non necandus)はYVに新しく現れた形であるとする68.また,áhantvāyaという形が本来的であり,áhantyāyaはvとyの交替が起こった形69,áhantyaiはáhantyāyaがくずれた形であるとしている70

結び

本稿で検討したヴェーダ文献におけるスータに関する記述と,そこから読み取れるスータの性格をまとめたものが下の表である.またそれぞれの記述において,スータと「王,王権」との関わり,「馬」との関わりが見られるかどうかを,○×△で示した.

読み取れるスータの性格
1. rājakr̥tとして × 王でないものであり,王の周辺に存在する.
2. Rājasūya 王権儀礼に関わる.
2.1. ratninとして

王国の構成要素を象徴する.ヴァルナの性格を反映するならば,「王権に関わり,秩序や道徳を監視する」立場にある.ŚBではスータへの献供に対する報酬が馬である

が,雄牛である場合の方が多い.

2.2. sphya受け渡し儀礼 ×

sthapatiと同程度の地位.受け渡し順では

王族の次に位置付けられることが多く,これが実際の力関係を反映する可能性がある.

2.3. 王の灌頂との関わり ×

スータがvarṇaの一種として捉えられる場合がある.王の灌頂の前に灌頂を受けるも

のである.

3. Rāj-ekāha × 王国を支えるvīraのひとりである.
4. Aśvamedha 王権儀礼に関わる.
4.1. 100人のスータ

Aśvamedhaに参加.豊富さと関連する.グ

ラーマニーとの関連性が強い.

4.2. 100人のスータの 娘と妻

スータの娘たち,もしくは妻たちが第3王

妃parivr̥ktā,もしくはparivr̥ktīの侍女としてAśvamedhaに参加する.

5. Vājapeya

王族と並列されている.戦車との関連性か

ら馬との関連性が示唆される.

6. 王の歓待 × 王を歓待するもののひとり.
7. Sūtasava × スータはその就任儀礼として灌頂を受ける.
8. Puruṣamedha × × 歌か踊りに関連する.
9. Śatarudriya × × 殺されざるものである.

以上に挙げたヴェーダ文献におけるスータの用例からは,以下のことが読み取れる.

(1)AVの段階からrājakr̥tとして王に関連する.

(2)Rājasūya,Aśvamedha,Vājapeyaという大規模王権儀礼において,スータ自身,また彼らの娘あるいは妻たちも,一定の役割を果たす.

(3)Sūtasavaという就任儀礼を持ち,スータになるために灌頂を受ける.

(4)その他の用例においても,王国を支えるvīraのひとりとして数えられる,または王を歓待するものして現れるなど,王と深く関連する.

以上のように,スータは多くの場合,王権儀礼に登場するか,あるいは王(王族)と密接な関わりを持っていたことが分かる.さらに,実際の身分や力関係を暗示するような人物たちの列挙において,比較的上位に位置付けられていることが確認され,スータが王族の次に位置付けられるケースもしばしば見られる.またグラーマニーと対にされて言及されることが多いが,地位的な点から言えば,同程度,もしくはグラーマニーよりも上に位置付けられることはあれども,グラーマニーより下ではない.

一方,馬との関連性はもちろんAśvamedhaへの参加において認められるが,これは特にスータに限られたことではない.確かにŚBにおけるratnin儀礼ではスータへの献供に対する報酬が「馬」であるとされているが,他のテキストでは一様に,「去勢された雄牛(mahāniraṣṭa)」が報酬とされており,‘equerry’や‘Stallmeister’という訳語を採用する程の,スータと馬との関わりは確認されない.またEggelingの言う「ブラーフマナ時代のスータの地位は,叙事詩時代のスータのそれと同じである」という推論の証拠となるようなものはヴェーダ文献における用例には見つからず,したがってスータを‘court-minstrel and chronicler’と訳す根拠は見出せない.また同様に,Rauの採用した‘Herold(公使)’という訳語が妥当であると言える程の典拠も見当たらない.

これらの事実をふまえ,ヴェーダ時代のスータの性格を再考すると,彼らは王,王族や王権儀礼と密接に関係し,名称が確認できる他の役職,職業のものたちよりも,比較的高い地位を有していたらしいと推定できる.以上のことから,ヴェーダ時代におけるスータについては,

「御者」や「宮廷詩人」,「公使」と限定してしまうよりも,「王の側近,王家における比較的高位の役人」と考えるのが適当であると結論する.

Footnotes

Gotō 1991, 696f. Cf. EWA, II, 715f.

スータであるLomaharṣaṇa (Romaharṣaṇa) かUgraśravas が語り手として登場するものとして,筆者が確認したものには,Agni-, Bhāgavata-, Brahma-, Brahmāṇḍa-, Brahmavaivarta-, Garuda-, Kūrma-, Liṅga-, Matsya-, Nāradīya-, Padma-, Śiva-, Vāmaha-, Vāyu-, Devībhāgavata-, Kalki-, Saurapurāṇa がある.

Weber 1885, Bd. 17, 200.

Weber 1885, Bd. 17, 199.

Bloomfield 1897, 114; Whitney 1905, 92.

Eggeling 1894, pt. 3, 60, 62. その理由として,ブラーフマナ時代のスータの地位が,叙事詩時代のスータのそれとほぼ同じであったという可能性を提示 している (Ibid., 62, n. 1).

Heesterman 1957, 折り込みの表.

Rau 1957, 109.

過去受動分詞 (sūtá- 「駆り立てられたもの」) としての用例は除く.

大分類に分類できず,今回の調査への手掛かりが少ないため分類から外したものには,以下の箇所がある.Ks 28.3: 156.4-6 tasmād yad rājā saṃgrāmaṃ jagaty api tatra sūtagrāmaṇīnāṃ gāyatryā vai trivṛd āyatanavām̐s triṣṭubhā

pañcadaśo jagatyaikavim̐śaḥ. 次の箇所ではPravati Kauśanteya というヴェーダ学生(ブラフマチャーリン)が「スータの息子 (sūtaputra) 」と呼びかけられている.JB 2.431 pravatir ha kauśānteyaḥ kusurbindasyauddālaker brahmacāry āsa. taṃ hovacāṃ somya sūtaputra, kati te pitā saṃvatsarasyāhāny amanyeteti.

ratnin を構成するメンバーは学派によって少しずつ異なる.スータを ratnin

として含めないテキストには以下のものがある.Mānava-ŚS 9.1.1.34-42; VārŚS 3.3.34-40; ĀpŚS 18.10.12-11.1; Hiraṇyakeśi-ŚS 13.14.1-14.

ただし Śaunaka 派のみ.

MW によれば,‘the leader or chief of a village or community (村,共同体の長)’,squire(地主),‘leader of a troop or army(軍隊の長)’ 等.Macdonell と Keith は,これを ‘leader of the village (村長)’ と訳し,民間人たちの長であると同時に,軍事的な面においても長であったと考える (VINS, I, 247). Mayrhofer によれば,grā́ma- は ‘Treck (隊列)’, ‘Heerhaufen, Kriegerschar

(戦士の集まり)’ であり, grāmaṇī́- は ‘Heerbannführer (徴兵の長)’ (EWA, I, 507).

MW によれば,m. Butea Frondosa (a large-leaved sacred tree whose wood is used for making sacred vessels, later generally called arāśa).

Weber (1885, Bd. 17, 199) は ŚB 3.4.1.7-8 および 13.2.2.18 (下記に引用)に基づき,AV のyé rā́jāno をyé ’rājāno と訂正する読み方を示唆しているが, AV の現行の刊本であるWhitney 版,Vishva Bandhu 版,Shankar Pandurang Pandit 版およびpada-pāṭha はいずれもyé rā́jāno と読んでおり,Weber も訳文ではこの読みに従っている.

ŚB では AV と異なり全刊本で (á)’rājāno rājakŕ̥taḥ となっている.

tB 2.7.18.4 においても,スータとグラーマニーと,chandas との類似が述べられている (tád yáthā ha vái sūtagrāmaṇyàḥ / eváṃ chándām̐si /).

MW によれば,sācayá- mfn. joined, united . Wackernagel によれば,この語はsācí- (begleitend) より派生したものである (Wackernagel 1954, Bd. II, 2, 297).

Eggeling によれば,Aśvamedha において,馬を取り囲んでいる犠牲獣たちのこと (Eggeling 1900, pt. 5, 300).

Rājasūya の詳細についてはHeesterman (1957) を参照のこと.

Mayrhofer によれば, ‘Geschenke empfangend (贈り物を受け取るもの)’ (EWA, II, 428).

Heesterman はこの訳語に関して,可能ではあるが証拠を欠くと述べている

(Heesterman 1957, 49, n. 2).

VINS,Ⅱ, 199-201.

Altekar はratnin の意味が誤解されている例として,Vāyupurāṇa 57. 68-71 において王のratna を 2 つのカテゴリー,生きているものとそうでないものに分けて述べていることを挙げる.前者には王妃や祭官,さらに馬や象などが 含まれ,後者には剣や弓,財宝などが含まれる.しかし,彼の挙げた ratna の例はratnin 儀礼の文脈で述べられたものではなく,より一般的な意味(王の宝)として用いられたものなので,この記述をもとに後代において王の即位 儀礼におけるratnin の意味が誤解されるようになったとは言い難い (Altekar 1949, 114-116).

Rau 1957, 106f.

Heesterman, 1957, 49.

さらに,王が国民の胎児であると言われることに注目し,王が ratnin のやしきに入るという行為が性交や受胎という側面を象徴すると推測している(Heesterman 1957, 52f.).

Spellman 1964, 71f.

Gonda 1989, 33.

Schroeder の註によれば,おそらくojasví の誤り.

第一王妃 (VINS, I, 478; II, 144f; EWA II, 340).

ts では 4 日目のvāvātā への献供は行なわれず,1日ずつ繰り上がり 11

日で終了する.

MW によれば,van- (好む,望む)からの派生名詞.Minard は本来の形としてのvāvā́tr̥- という語の可能性を示唆している (Minard 1956, 111, 271a). mahiSī に次ぐ,「王のお気に入りの妃」(VINS, II, 290).

f. paṣṭhauhī́-. MW によれば,男性形はpaṣṭhaváh- (paṣṭha = pr̥ṣṭha [?] + vah-から).

「嫌われた,見下されたもの」,「mahiSī やvāvātā に比べて軽んじられた妃」.pari-vr̥j- からの派生名詞である (MW; VINS, I, 478).(párivr̥ttī として) Minard は他の妃の名前と比べ,この語の名付けの特異性に注目する (Minard 1956, 115f. 283a).parivr̥ktī= parivr̥ktā= parivr̥ttī (VINS, I, 497).

Macdonell とKeith によれば,この語は RVAV において ‘distributor of good things to his worshippers (よいものを崇拝者へと分配するもの)’ として神に対して使用されている.VS では註釈者のMahīdhara により,‘doorkeeper

(門番)’ と訳されており,一方 Sāyaṇa は ŚB の文脈におけるこの語を, ‘antaḥpurādhyakSa (後宮の監督者,侍従)’ と定義している (VINS, I, 201) . Mayrhofer によれば,kSad- (料理を出す,食べ物を取り分ける)からの派生名詞であり,‘Vorleger der Speisen (食べ物を取り分ける人)’ (EWA, I, 422).

PW によれば ‘Rossebändiger (馬の調教師)’,‘Wagenlnenker (御者)’. Macdonell とKeith は,「この語を ‘charioteer (御者)’ と訳すことは適切であるように思われるが,Sāyaṇa だけは ‘treasurer of the king (王の出納官)’ として考える傾向がある」ことを特記している (VINS, I, 201).その一方で Rauは,saṃgrahītr̥ は ‘Wagenlenker (御者)’ であると断定している (Rau 1957, 110).

MW によれば,mfn. savātyà- or savātyá-.

MW によれば,m. bhāgá- は,‘a part, portion, share (分け前)’.bhāgadughá- は,‘one who deals out portions (分け前を分けるもの)’,‘distributer (分配者)’.Rau はこの語を ‘Speiseverteiller (食べ物の分配者)’ であると断定する (Rau 1957, 111).しかし Sāyaṇa はこの語に関して,ある箇所では「徴税官」,またある箇所では「肉を切り分けるもの」として捉えている (VINS, II, 100).

PW によれば,akSāvāpá- は ‘ein besonderer Beamter, der das Würfelspiel leitet oder überwacht (さいころ賭博を率いる,もしくは監督する特別の官職)’. Mayrhofer によれば,m. akSá- はvibhī́daka の木のクルミ.古代インドにおいて,さいころ賭博に用いられた (EWA, I , 42).

MW によれば,Coix Barbata.

MW によれば,‘one who torments a cow(牛を痛めつけるもの)’.Rau はこの語を ‘Fleischer(肉屋)’ か ‘der Koch des königlichen Haushalts (王宮の料理人)’ であると推測する.そして古い時代にこの職業は悪評高い (anrüchig)ものではなかったと考える (Rau 1957, 111).

PW によれば,‘Schlächter (肉屋)’.MW によれば,‘a cow-slaughterer(牛屠殺人)’.

PW によれば,‘Läufer(使者)’,‘Bote(伝令)’.Rau は,pālāgala がHerold (sūta) より低級の使い走りであると考える (Rau 1957, 112).

Rau は ŚB 1.1.3.12 の記述を基に,大工が「不浄 (aśuddha) 」であり,「祭式に適さない (amedhya) 」ものであると述べる (Rau 1957, 112).またHeerstermanは,おそらく takṣa-rathakāra, akṣāvāpa, govikartr̥ は śūdra であったと考えている (Heesterman 1957, 55, n. 34) .しかしその一方で,Macdonell とKeith はヴェーダ時代において,大工の身分が低かった,もしくは彼らが独立した階 層を形成していたという事実はない,としている (VINS, I, 297).

後藤 1994, 18.

辻 1967, 53.

sphya はkhadira の木で作られた剣のような形の祭具である.地面を掘ったり,採寸するために用いられる (Dharmadhikari 1989, 18).

sphya 受け渡し儀礼にスータが登場しない学派もある.本節ではスータが受け渡しメンバーに含まれるテキストに基づいて論じる.

PW によれば,‘ein Angehöriger (親族)’, ‘Stammgenosse (部族の仲間)’, ‘Landsmann (同郷人,同胞)’. Eggeling は,「小作農の所有者,もしくは村の酋長により支配された村の ‘brotherhood’ の一部を占める共有者のひとりであり,多くの場合,酋長と同じ一族に属する」と推測する (Eggeling 1894, pt. 3, 111, n. 2).

VS 10.28.

PW によれば,ʻStatthalter, Oberbeamter(上級官僚)’, ‘Oberhaut eines Bezirk

(地区の長)’. Mayrhofer によれば,‘Stammesoberhaut(i 酋長,村長)’, ‘Lehnfürst(封土の領主)’, ‘Statthalter(知事,総督)’(EWA, II, 764).

直前に「5 人の人物」と述べられているにも関わらず,6 人の人物の名が挙げられていることから,どれかの語が同格である可能性もあるがよくわか らない.

Caland はこれに対し ‘equerry(御馬番)’ と訳している (Caland 1931, 502).

Aśvamedha については,Dumont (1927) の研究を参照.

象徴性を述べるのは TB のみ.

Rau は,ŚB 14.6.8.2 の記述を基に,Ugra が軍事の任務に付き,彼らの地位が世襲であったと考察する.そしてUgra は ‘halbsouveräne (半君主)’, または ‘kleine Adlige (小貴族)’ であったと考える (Rau 1957, 115).

ĀpŚS 20.4 ではkSattr̥.

Dumont はこの箇所を,‘equerries and chiefs of villages’ と訳している

(Dumont 1948, 456).

ŚāṅkhŚS 16.1.16 ではkṣatra.

ŚāṅkhŚS 16.1.16 ではupavītinaḥ(聖紐を身につけた)となっている.訳者である Caland はこの読みを疑問視しており,註釈に従えば,この語はある種の武装具を指していると注記している (Caland 1953, 440).

身分の低い第 4 王妃 (VINS, I, 523; EWA, II, 124).

MW によれば,‘an officer of justice, punisher of criminals’. Macdonell とKeithによれば,‘an officer of police’ (VINS, II, 34).

ugra- を名詞でなく,形容詞としてとるとすれば,「恐ろしい,凶暴な」としてpratyenas にかかると思われる.

土山 1999.

テキスト内にはそれがPuruṣamedha の生け贄のリストであると明示されてはいないが,Dumont はそのリストであると考えている (Dumont 1963).

Śatarudriya に関しては,VINS, II, 352; Keith 1914, II, 353, n. 3; 辻 1943, 69

を参照のこと.

Wackernagel 1954, Bd. II, 2, 712.

Wackernagel 1896, Bd. I, 209. Cf. II, 2, 789.

Wackernagel 1954, Bd. II, 2, 631; 712.

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