2020 Volume 20 Pages 40-61
仏身論はインド以来,仏陀をどのように捉えるかの議論の中から生まれたものであるが,東アジア世界においても,独自の仏身論が展開した.一般に肉身を持った仏陀は化身そして真理そのものとしての仏身は法身と命名される.これがいわゆる二身説である.早くは廬山の慧遠の『大乗大義章』の中に真法身と変化身の議論が存在することが知られているが,時には化身を生身,応身と表現する場合もある.ところが修行の結果,悟りを開いた仏陀が意識されるようになると(その典型が阿弥陀如来である),二身説では捉えきれなくなり,新たな概念が生じた.これが報身である.人口に膾炙するのはこの法身,報身,化身の三身説であり,それぞれ法身,般若,解脱の三徳とも対比される.
さて,密教が成立すると,独自の視点から更に新しい捉え方が登場した.それが四種法身説である.四種法身説とは自性身,受用身,変化身,等流身を言う.自性身は自らの性質として仏であるものを意味し真理そのものを差し,先の概念で言えば,法身に相当する.受用身は悟りを受用する仏の意であり,自ら悟りを楽しむ自受用身と他の人々に悟りを楽しませる他受用身とに分かれる.変化身は人々の前に姿を現す,いわゆる化身のことである.等流身は,衆生の能力に応じて,様々な形に変化する仏を想定して名付けられたもので,たとえば仏教守護の神とされた天や龍などの尊格が等流身になる.
そもそも自性身,受用身,変化身の三身は唯識系の経論に登場し,一般化したと考えられる.たとえば『摂大乗論』第十三の中には「論曰,一自性身.二受用身.三変化身.(大正31,249b29)」とあるが,受用身は応身とも呼ばれる.化身と応身の相違は,「応身以大智大定大悲為体,化身但以色形為体.(応身は大智大定大悲を本体とし,化身はただ色と形のみを本体とする)」(大正31,250a22)とあって,本体が異なると明確に区別される.ここに「応身は大智大定大悲」とその属性を特徴とし,化身はその物質的な色形のみが特徴であると位置づけられたのである.
この三身説と四身説の二種類の仏身説は後に一般的になり,顕教では三身説が,密教では四身説が採用されたといっても過言ではない.とは言っても,三身説と四種法身説で,すべての例が説明できるかと言うと,決してそうではない.
実際に,仏とはどのような存在であるのかが議論されるにつれ,単に三身が個別に存在するのではなく,三身すなわち化身,報身,法身が一体となって存在しているのだと理解されるようになったのである.その萌芽が,禅宗に大きな影響を与えた『楞伽阿跋多羅寶経』四巻や『入楞伽経』に見て取れる.とくに『入楞伽経』巻第八化品十五には「大慧.応化仏者無業無謗,而応化仏不異法仏報仏,如来而亦不一(大慧よ.応化仏は法仏,報仏と異ならない,しかも如来は一つではない)」(大正16,560c29–a1)という注目すべき記述が存在する.つまり,概念の上では三身,四身と分かれるが,実際には別々ではないとする理解が生まれていたのである.
この三身が一体であるとする考え方は,初期の密教経典の中にも踏襲され,たとえば『不空羂索神変真言経』巻第二十八,清浄蓮華明王品第六十七には次のように登場する.
常觀九十九億倶胝那庾多百千諸仏如来.是諸仏等,為現種種仏刹一切如来三身一体,皆等毘盧遮那仏身相好,得宿住智,能知過去百千大劫所受生死.一切如来神通威徳潅頂真言印三摩地門尽皆現.
いつも九十九億倶胝那庾多百千の諸仏如来を見る.この諸仏らは,種種の仏刹やあらゆる如来の三身一体を現すために,皆,毘盧遮那仏の身体の相好に等しく,得宿住智を得て,能く過去百千大劫に受けたところの生死を知り,あらゆる如来の神通威徳潅頂真言印三摩地門はことごとく皆,現われる.」(大正20,383c11–15)
ここでは一切の如来の三身が一体であり,すべてが毘盧遮那仏の身体の相好と等しいと説かれている.つまり,一般に三身説,四身説と仏の身体を個別に考察することが多いが,実際の理解では,三身または四身を一体のものとみる見方も有力であったことが知られるのである.
さて,では目を転じて,日本の仏教ではどのように仏は捉えられてきたのであろうか.仏身論の研究は加藤精一のものが比較的良く知られているが 1,概論的なものに留まっており,日本における独特の展開は,あまり議論の俎上に上っていない.また,各宗門の研究者によって,自宗の教義の中における仏身論は扱われているが,それが歴史的にどのような意味を持ったのか,あまり言及されていない.そこで本説論では,中世の時代を中心に仏身論の展開を考察したいと思う.まずは大きな影響を与えたと推定される日本天台における仏身論を見てみよう.
日本天台の中で注目されるのはやはり三身一体説であり,この考えが標準であったと推定される.たとえば円珍(814–891)は『授決集』三身仏決の中で次のように述べる.
不空羂索神変真言経第二十八云,一切如来三身一体,皆等毘盧遮那法身相好已上.経文既云三身一体皆等遮那相好.何可用三身各別之言.」(大正74,308b19–22)
不空羂索神変真言経の第二十八に云う,あらゆる如来の三身は一体で有り,皆,毘盧遮那の法身の相好に等しい,已上と.経文に既に「三身は一体にして皆,遮那の相好に等しい」と云う.どうして三身各別の言を用いようか.
先に引用した『不空羂索神変真言経』の記述を証拠に「どうして三身各別の言を用いようか」と述べ,三身一体を主張している.この三身一体説は,密教の大成者と目される安然(841–915)によっても採用されており,彼の『真言宗教時義』の中には次のように述べられている.
大日如来以此諸身随諸凡夫所感普現.諸経論中名応化身.如此三身大日一体.故羂索経説,三身一体皆平等.毘盧遮那自性身.金剛仙論云,即三而一,即一而三.言三不傷其一言,一不壞其三.天台宗云,性得三因一体三名.故成修得三因一体,三名能顕仏果,三身一体三名乃至三身,非生現生,非滅現滅.此義亦與此宗意同.
(大正75,382b10–17)
大日如来はこの様々な身体をもって様々な凡夫の感じるところに従って普く現れる.様々な経に「三身一体にして皆,平等,毘盧遮那は自性身である」と説いている.金剛仙論に云う,「即三にして一,即一にして三,三と言うもその一の言を傷つけず,一は其の三を壊さない」と.天台宗に云う,「性得の三因は一体にして三つの名あり,だから修得の三因は一体なることを成り立たせ,三名は能く仏果を顕らかにする.三身は一体,三の名乃至三身は,生に非ずして生を現し,滅に非ずして滅を現す.この義はまた此の宗の意と同じである.
安然も「故に羂索経に説く」と述べ,『不空羂索神変真言経』を依拠としているが,三身の一体を主張し,かつその三身が大日如来と一体であると位置づけていた.これは密教の立場から見れば,仏の三身はすべて大日如来であり,大日如来の一仏に帰入することを示している.
しかし,これらの記述から法・報・化の三身が一体であって,最終的には大日に帰入するといっても,三身の性質は,それぞれ異なって説かれてきたことは否定できない.とすれば,三身一体と主張した時に,厳密に言えば,それぞれの三身の性質はどのようなものになるのか,新たな解釈が必要になるはずである.この点は,後の課題となったと推定され,明らかに,この疑問に対する一つとの回答と思われるものが,日蓮によって提示されている.
日蓮(1222–1283)の仏身論を考察するに際してはまず,日蓮が使用する用語を吟味しておく必要がある.すなわち独特の用語が登場し古来,議論の的となっているからである.まず興味深いのは「古仏」や「無始古仏」という用語である.古仏は『聖愚問答鈔』上に登場することが知られ,そこには次のようにある.
深谷に開敷せる花も中道実相の色を顕し,広野に綻ぶる梅も界如三千の薫を添ふ.言語道断心行所滅せり.可謂商山の四皓の所居とも,又不知,古仏経行の迹歟.(昭和底本,358:1–3)
「古仏の経行の迹歟」という記述であるが古仏という表現が見られる.この古仏は長い時間が過ぎたことを表しており,ほぼ永遠の仏に等しいと考えられる.そして永遠の時間を過ぎたという点が意識された表現が『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』の中に見られる.
寿量品云,然我実成仏已来無量無辺百千萬億那由佗劫等<云云>.我等己心釈尊,五百塵點乃至所顕三身,無始古仏也.経云,我本行菩薩道.所成寿命今猶未尽.況復倍倍上数等<云云>.(大正84,275a23–26)
寿量品に云う,然るに私が仏となってからこのかた無量無辺,百千万億,那由多の時間,などと云々.我らの己心の釈尊,五百の塵点,乃至顕したところの三身,始まりのない古仏である.経に云う,私はもとより菩薩道を行じる,成したところの寿命は今なお,尽きない.ましてや上の数を倍倍するをや,などと云々.
ここでは『法華経』如来寿量品に説かれた五百塵點劫の過去から存在した釈迦仏を根拠に,「所見の三身は無始の古仏なり」と述べているので,法・報・化の三身が,同じように永遠の昔からの仏であって,これを「無始古仏」と命名していることがわかる.
さて,では「古仏」や「無始古仏」という表現の起源はどこにあったのだろうか.このような表現の起源は,意外にも『華厳経』や『大日経』に見いだせる.たとえば六十巻華厳には「先古に順う仏」という例が知られ,これは続けて読めば「順先古仏」であり「古仏」に近い用例である.
無上王仏.希有身仏.梵供養仏.不瞬仏.順先 古仏.最上業仏.順法智仏.無勝天仏.不思議功徳光仏.随法行仏.無量賢仏.普随順自在仏.最尊天仏.如是乃至樓至如来,在賢劫中,於此三千大千世界,当成仏者,悉為其母.(大正10,417a4–8)
また『大日経』巻三,世間成就品第五には「古仏の宣説する所」として次のような用例が知られ,此方は明らかに「古仏」である.
無垢妙浄清 円鏡常現前 如是真実心 古仏所宣説
照了心明達 諸色皆發光 真言者当見 正覚両足尊
若見成悉地 第一常恒体 従此次思惟」 (大正18,22a16–21)
無垢にして妙浄清 円鏡は常に現前す 是の如き真実心は 古仏の宣説するところ
照らし了りて心は明達 諸色は皆,発光す 真言者は当に見るべし 正覚両足尊を
若し悉地を成すを見れば,第一にして常恒たる体は 此れ従り次に思惟せよ
「無始古仏」という用例は見いだしがたく,日蓮の独特の用法のようであるが,「始まりのない遙か昔からの仏」という考え方が,日蓮の「久遠実成」の仏を考える上で重要であることは言うまでもない.また,この語は,本来からの仏という意味合いで使用される「本仏」を考察する上でも重要である.
ところで,久遠実成と三身一体は重ね合わせて理解されたと見え,日蓮の遺文である『法華宗内証仏法血脈』の中には次のように示されている.
夫妙法蓮華経宗者,久遠実成 三身即一 釈迦大牟尼尊 常寂光土 霊山浄土 唯一教主之所立也.(昭和定本,691)
そもそも妙法蓮華経の宗旨は,久遠実成,三身即一,釈迦大牟尼尊,常寂光土,霊山浄土,唯一の教主の立てたところ,である.
ここでは久遠実成も三身即一も釈迦如来を表すものであるとの見解が示され,それが『法華経』の宗旨であると位置づけられている.また,この延長線上で興味深い記述が晩年の制作になる『一代五時図』に見える.
(昭和定本,二三四二頁)
ここに示された図からも,日蓮が応身(ここでは色形を持った化身)までもが無始無終であり,それを重要なものとして主張していることがわかる.「久成三身」という言葉が使われているが,応身も報身も無始無終になるところが特徴である.これは,日蓮の独特の主張と捉えられ,応身も無始無終になるのは『法華経』如来寿量品の「久遠実成」の記述を待って初めて可能になると捉えている.
では,このような理解によって何が成り立つであろうか.この立場に立てば,色形を持った化身の釈尊も無始無終の法身と同じである.つまり,寺院の本堂に本尊として安置される,礼拝対象の釈迦如来も三身一体の如来であり,かつその三身がすべて無始無終であり,もっとも優れたものであり,それは『法華経』のみの理解に基づくということになろう 2.
次に興味深い仏身論を展開しているのは円爾弁円(1202–1280)である.円爾は禅宗僧侶と言われるが,天台を学び宋に留学,無準師範(1178–1249)の禅法を継承した.帰国後,東寺の最高実力者であった九条道家(1193–1252)の庇護を受け,道家が創建した京都の東福寺の初代住持となった.そして,注目すべきは円爾と粟田口御房とも称された静明(?–1286)との間に親しい関係があったと見えることである 3.円爾の著作はあまり残されていないが,その語録が『聖一国師語録』として弟子の虎関師錬によって編纂され,また,原本は失われてしまい写本もただ一本のみであるが,円爾の著作ではないかと推定されている『十宗要道記』が存在する 4.次に,この『十宗要道記』を検討する.というのは仏身論で,当時の天台教学を反映すると思われる記述が散見されるからである.
『十宗要道記』は南都の諸宗から華厳,天台,仏心宗すなわち禅宗が紹介される資料であるが,華厳,天台の説明において,次のような注目すべき記述が見られる.
「華厳同天台宗
次尋華厳天台実大乗宗,経幾時節,出離生死,何修行業,證得菩提者,今此宗不経三祗満薩埵行,不踰一念證舍那果,簡色相荘厳仏,修習一心三觀,解多即身成仏理,證得一体三身仏也.如是不経劫数,萬德円満,不修萬行,唯證得一心.何感果報者,可知,全初不感得有相無相等一切果報,唯衆生心,従本以来,不生不滅,不移四相,不垢不浄,不穢四生,本覚円満,一体三体,本寂本明,三身一体,法身如来.今顕此理,歸本覚仏,身土不二,居寂光土也.但何名三身一体如来者,以衆生心性,名法報応也.
(華厳は天台宗と同じ
次に華厳と天台の実大乗の宗は,幾つの時節を経て生死を出離し,何れの行業を修し,菩提を証得するのかと尋ねれば,今,此の宗は三祇を経ないで薩埵の行を満たし,一年を越えないで舎那の果を証し,色相荘厳の仏を選び,一心三観を修習し,即身成仏の理を解多し,一体三身の仏を証得する.このように劫数を経ないで万徳は円満し,万行を修しないで,ただ一心を証得する.)
この記述には「色相荘厳の仏」という表現が用いられ,色や形で荘厳された仏すなわち化身のことであるが,その仏を選んで一心三観を修行すれば,即身成仏の理を理解し,一体三身の仏を証得すると説かれる.「一体三身」はすぐに「三身一体」と表現し直され,三身と一体の語順が逆転し,そしてそれが法身如来であることが示される.
さて,この三身一体説は,先に見てきたように日本の天台で頻繁に用いられた表現であり,それを踏襲していることがわかる.その源は,中国天台の湛然の著作である『法華文句記』巻第九に見いだせる 5.また「色相荘厳の仏」は興味深い用語であり,この用例は『漢光類聚』の記述の中に見いだせる.
『漢光類聚』四(忠尋記 後代の偽作)
一妙因假立仏.謂前三教教主皆於因位假立仏名.二色相荘厳仏.謂凡夫小乗等金色光明等為仏相.真実非色相仏.迷人所見仏為色相荘厳仏.三断諸迷妄仏.謂断貪嗔癡等煩悩別得覚悟知見.四法性真如理仏.謂事事諸法非実仏,真如妙理是一体也.五貪即菩提仏.謂衆生当体仏果也.六非迷非覚仏.謂覚悟不相分.生仏未分不思議不可得強名仏.(大正74,411b18–25)
一つには妙因によって仮に立てた仏.前の三教の教主は皆,因位によって仮に仏の名を立てるのを言う.二には色相によって荘厳した仏.凡夫や小乗などあ金色の光明などを仏の相とするのを謂う.真実には色相の仏ではないが,迷った人の見るところの仏を色相によって荘厳された仏とする.三つには様々な迷妄を断じた仏である.(中略)四には法性真如の理の仏.事事の様々な法は真実の仏ではないが,真如の妙理は一体であることを謂うのである.(以下,略)
周知の如く,この『漢光類聚』は忠尋(1065–1138)の作と伝わるが,ほぼ偽作であることが間違いない資料であり,その成立は十三世紀の中葉頃の天台宗の僧侶によるものと推定されている 6.ここに「色相仏」「色相荘厳仏」という用例が見いだせ,『十宗要道記』との関連が彷彿される.
より具体的に言えば,この色相荘厳の仏というのは『漢光類聚』の中に「一妙因仮立仏,二色相荘厳仏,三断諸迷妄仏,四法性真理仏,五貪即菩提仏,六非迷非覚仏」と六種類の仏が出てくるが,そのうちの第二番目であり,金色の光明を仏相とすることが示されているので,実際に我々が目にする仏像が意識されていると捉えられる.ここに用語の類似性から『十宗要道記』と『漢光類聚』が近い関係にあることが推測される.また,『十宗要道記』の真言宗の記述にも興味深い記述が見いだされる.なお,この真言宗は天台宗のなかの密教を指しており,いわゆる台密のことである.
爰以,九会大日,失因果差,重重帝綱,聖衆主伴,自忘質.故約機見,前三門大日,似有生滅,是接生滅門故.後一門大日常住,依止真如門故.如是可知可知.次華厳天台実教中如法相等権宗,以色身仏為真実哉.心報 云,華厳天台両宗,権実二教,各相分,権教二共用色荘厳仏為真実仏.実教二教共全不見色身仏,唯以一心為本覚之仏.依之,天台宗中破権教仏云,権教三身未免無常,実教三身俱体俱用,有為報仏夢裏権果,無作三身覚前実仏.尋云,顕密所談心理体,為同為異乎.心報 云,有同有異不.同者,若約不変理,仏果尚無.况衆生界哉.(中略)
次異者,天台宗明心,生第九識名,一心真如故劣,従法開門.真言宗明心,真如第十識,一一真如故勝,是従門開法.爰以起信論 云,従生滅門,直入真如門.加之,顕教中,以水波喻明鏡,顕分一心.密教中,以空華円影,喩示一一心法.喩既異,顕密豈同乎.然真言教即身成仏,宣一大円教,天台教即身成仏,明一乗円教也.」
ここをもって九会の大日は因果の差を失い,重重の帝網(の如く重なり合い),聖なる衆は主となり伴となり,自らその質を忘れる.だから機に焦点をあてて見れば,先の三門の大日は,生滅があるように見える,これは生滅の門に接しているからである.後の一門の大日は常住である,真如門に依止しているからである.このように知るべきである,知るべきである.次に華厳や天台の実教の中においては,法相などの仮りの宗は色身の仏をもって真実としていることよ.『心報』には次のように言う,「華厳,天台の二つの宗は仮りと真実の二つの教え(をもち),それぞれ互いに分かれ,仮りの教えの二つはともに色によって荘厳された仏をもって真実の仏とし,真実の教の二つはともにまったく色身の仏を見ず,ただ一心をもって本覚の仏とする.これによって天台宗の中に仮りの教えの仏を破って言う,「仮りの教えの三身はまだ無常を免れず,真実の教えの三身は体を伴い用を伴う.有為の報仏は夢のなかの仮の果実,無作の三身は覚りの前の実仏である」と.尋ねて言う,顕密の談じところの心理の体は,同じとするのか異なるとするのか.『心報』に云う,同じところもありまた異なるところもあろうか.同じというのは,もし不変の理に焦点を当てれば,仏果はやはり無い.ましてや衆生界においてはなおさらである.(中略)
次に異なるとは,天台宗の明かす心は,第九識の名称を生じる,一心真如であるからで劣っており,法より門を開いたものである.真言宗の明かす心は,真如第十識であり,一々が真如であるから勝れており,これは門から法を開いたものである.ここをもって『起信論』は次のように云う,「生滅門から直ちに真如門に入る」と.しかのみならず,顕教の中に,水と波をもって明鏡に喩えるのは,顕分の一心である.密教の中に,空華の円かな影をもって,喩をもって一一の心法を示している.喩がすでに異なっているので,顕と密とがどうして同じであろうか.そうであるから,真言教の即身成仏は一大円教を宣べ,天台教の即身成仏は一乗円教を明かしているのである.
九会の大日と述べるのは金剛界の九会の大日如来のことであるが,この箇所は大日に四種の差別があるとして浅略,深秘,秘中深秘,秘中最秘の解釈を掲げる中で,[前の三門は生滅門に接」し,「後の一門は真如門に依止する」と位置づける.ここに生滅門と真如門と対比するのは『大乗起信論』の生滅門と真如門を念頭に置いたものである.
ここで重要な典拠となっている『心報』が何であるかは不明とせざるを得ないが,その文章として,天台と華厳を権実の二教に分けたときに,「権教二,共用色荘厳仏為真実仏,実教二教,共全不見色身仏,唯以一心為本覚之仏」とするという.つまり権教では色相荘厳の仏を真実の仏とするが,実教では全く色心の仏とみることはなく,ただ一心を本覚の仏とするのだ,と述べている点が注目される.
「一心」を強調するのは,中世初頭の禅宗の影響であろう.具体的には『宗鏡録』の影響である 7.また「本覚の仏」という表現は,初期天台の安然の著作である『教時諍』の中にすでに用例が見られ,「本来的に悟っている仏」の意である.この言葉は日本天台に伝統的に屡々見いだされる用語であるが,ここでは安然の『教時諍』を引用しておきたい.
天台大師云,十界十如諸法実相.是為如来所證之境<云云>.湛然大師云,仏果已満従事而説.初地初住分具十界.乃至凡夫但是理具<云云>.乃知,仏界菩提是報仏之因,修成之仏因果,常具本覚之仏.准之可知<云云>.(大正75,356a2–6)
天台大師は言われた,十界十如,諸法実相は如来の証明された境界であると.湛然大師は言われた,仏果は円満にして事に従って説かれた.初地初住は,部分的に十界を具え,乃至凡夫は但だ理具であると.そこで知られよう,仏界や菩提は報仏の因であり,修行によって成仏する仏の因果は,常に本覚の仏を具えている.これになぞらえて知るのが良いと.
仏界や菩提は報仏の因,修成の仏の因果は常に本覚の仏を具えているというのであるが,すでにここに「本覚の仏」との用語が見いだされることに注意したい.
また,最後の文章になる「真言教の即身成仏は一大円教 を宣し,天台教の即身成仏は一乗円教 を明かす」という表現も重要である.真言教が天台教よりも優れていることを「一大円教」という言葉で現しているからである.『十宗要道記』の作者は「一大円教」との言葉を用いることによって,教理の上でも真言教が重要であることを示そうとしている.
さらに『十宗要道記』の「天台宗中破権教仏云,権教三身未免無常,実教三身俱体俱用,有為報仏夢裏権果,無作三身覚前実仏(天台宗の中に仮の教えの仏を破して云う,仮の教えの三身は未だ無常を免れないが,真実の教えの三身は体を伴い用を伴う.有為の報仏は夢のなかの仮の果実,無作の三身は覚りの前の実仏である)」という記述にも注意したい.前半部分の「権教三身,未免無常,実教三身,倶体倶有」の記述は,鎌倉末期頃の著作と推定されている『菩提心論見聞』の中に「山家釈云」として,同文が引用されているからである.
今経ノ意ハ三身共ニ常住也.山家釈云,権教三身,未覚無常.実教三身,倶体倶用<文>.但迹門ノ意ハ且對機示説ノ故猶有無常ト云意也.本門ノ意ハ三身共ニ無他ノ覚体ニシテ談ル応用不断三世常住ト也.(大正70,80b5–8)
(今経の意は三身ともに常住である.山家は解釈して云う,仮の教えの三身は未だ無常を悟っていない,真実の教えの三身は,体を伴い用を伴う,と.ただ迹門の意は機に対して説を示すものであるので,なお無常があると言う意である.本門の意は三身ともに他のない覚体であり,対応する働きが途切れることのない三世常住と談じるのである.)
「山家の釈」は実は最澄の著作を指し,「権教の三身は未だ無常を免れず」「実教の三身は倶体倶有」,「有為の報仏」「無作の三身」の記述も,実は最澄の『守護国界章』巻下之中「彈麁食者謬破報仏智常章第三」にその典拠を見いだすことができる.
有為報仏,夢裏権果.無作三身,覚前実仏.夫真如妙理有両種義.不変真如凝然常住,随縁真如縁起常住.報仏如来有両種身.夢裏権身有為無常,覚前実身縁起常住.相続常義亦有両種.随縁真如,相続常義.依他縁生,相続常義.今真実報仏,摂随縁真如相続常義.麁食所執凝然真如.定為偏真.以三獸同渉故.不具随縁故.縁起不即故.教有権実故.権教三身,未免無常.実教三身,倶体倶用.四記之答幻智所用.(大正74,222c14–23)
典拠となった『守護国界章』では順番が逆になっているが,同文を見いだすことができる.また,最澄が随縁真如を重視し,その背後には法蔵の『大乗起信論義記』に出る真如不変と真如随縁の考え方を採用し,真如随縁を重視したことが彷彿される.また,鎌倉末期には,現象の一々をそのまま常住と位置づけたところに特徴が見いだすことができ,この考え方は本覚思想の代表的な文献とされる『三十四箇事書』の記述とほぼ等しい 8.
さて,ここで『十宗要道記』の記述に戻ろう.本書では「天台教では一心が真如であると位置づけるので劣り,真言教では一々が真如であるから勝れている」として,天台の真言すなわち台密の主張が「一大円教」であって「一乗の円教」よりも優れていると位置づけているのである.
さて,以上から三身の考え方を整理すれば,天台においては,基本は三身一体であるが,この世界のすべてが仏であるとする立場が重視され,しかもその理論として『大乗起信論義記』の真如普遍,真如随縁が用いられている.
平安時代に創始された空海(774–835)の真言宗は東寺を中心に展開したが,平安時代末期からは高野山,および高野の麓の根来寺も重要な拠点となった.根来寺は高野山の大伝法院が移転したものであるが,鎌倉時代には頼瑜(1226–1304)が登場し,新しい真言教学が展開した.そのもっとも特徴的なものが法身説法説である.
法身説法とは空海が『弁顕密二教論』において「他受用・応化身の随機の説,これを顕といい,自受用・法性仏,内証智の境を説きたまう,これを秘と名づく」と述べたところから始まる.またこの言及を受けて「法身の説法を談ずる」と言い換えているが,まさにここから「法身説法」の主張が始まった.法身は,法相宗の教理を中心に考えれば,真如,理法と等しく凝然としたもので,ただ存在するだけのものと理解されるが,空海は『弁顕密二教論』で顕教と密教の相違を際立たせ,顕教は化身と報身による説法であり,密教は法身が自内証の境地を説いた最も優れたものであると主張し,かつそれを証明しようと試みた 9.
伝統的な教学によれば,悟りという結果は不可説なものであると位置づけられており(果分不可説),また果分である法身は,理法と同一であり説法はしない.ところが,空海はそれを乗り越え,法身の説法を主張したのである.その背後には,『声字実相義』に示された言語観が大きな影響を与えていると考えられる 10.しかし実際には,『弁顕密二教論』で証拠として引用された経論は法性身が偏在することを証明する経論であり,しかもこの法性身は報身であり,「法身説法」を証明したとはいえなかったのである 11.このような訳で,この「法身説法説」は,東密の中に大きな課題として継承されることになった.そして,この問題に新たな解釈を持ち込んだ人物が,中世鎌倉時代の頼瑜であった.
そもそも真言宗では四種法身という考え方を取る.空海の『弁顕密二教論』にすでに説かれたもので,法身を自性身,受用身,変化身,等流身の四種類に分けるものであるが 12,ここに本地身と加持身という二つの類型が持ち込まれる.本地はまさしく最も根源の仏であり,自性身がこの本地に相当する.それに対して加持身は受用身,変化身,等流身が相当すると考えられた.しかしながら,後者三つは,三身説で言えば報仏,化仏に相当するものであり,純粋に法身ということはできない.たとえば,『摂大乗論』巻下「智差別勝相」では,明らかに自性身は法身,受用身は報身,変化身は化身であり,具体的に説法することを示してはいない.すなわち次のようにある.
此中自性身者,是諸如来法身.於一切法自在依止故.受用身者,諸仏種種土及大人集輪依止所顕現.此以法身為依止.諸仏土清浄,大乗法受樂受用因故.変化身者,以法身為依止.従住兜率陀天及退,受生受学受欲塵,出家往外道所修苦行,得無上菩提転法輪.大般涅槃等事所顕現故.」(大正31,129c5–10)
この中の自性身とは,さまざまな如来の法身である.あらゆる法において自在に依止するからである.受用身とは諸仏の種々の国土と大人の集輪の依止であって顕現するところである.ここに法身を依止とする.諸仏の土は清浄であり,大乗の法において楽を受け働きを受ける原因であるから.化身とは法身をもって依止とする.都卒陀天より退くに及び,生を受け学を受け欲塵を受け,出家して外道の所に行き,苦行を修めて無上の菩提を得て,法輪を転じる.大般涅槃などの具体的な事柄が顕現するところであるから.
此処では法身はあくまでも依り所(依地)となるものであり,働きを持つものは受用身以下である.この主張は『成唯識論』巻十でも同様に述べられ,自性身は「一切法平等の実性,すなわちこの自性を亦た法身と名づく」 13と示され,自性身が法身であることを明言する.
ということは,「法身説法」という時の法身は,一切平等の実性である可能性があって,説法ができることにはならない.つまり,空海の独自の主張とされる法身説法説であるが,純粋な意味での法身ではなく,法身と同体の受用,変化,等流の三身が法を説くということになっては,伝統的な主張とほとんど変わらない.
そこで新たな解釈が登場するのであるが,これが頼瑜の独自の主張である加持身説法説となった.頼瑜の著作である『大日経疏指心鈔』には次のようにある.
本地自證位無言語故,現加持身説今経.故云字門道具足也.故経具縁品云,此第一実際,以加持力故,為度諸世間而以文字説<文>.疏釈云,釈通世諦明起教所由<文>.加持身既起教所由故,本地位無説法也.又為顕此加持身即自性身永異受用身,以下加持身故,云具身加持也.(大正59,594b)
本地の自証の位には言語がないので,加持身を現して今の経を説く.だから字門道具足と云うのである.だから(大日)『経』の具縁品に「この第一の実際は,加持力をもっているので,諸世間(の人々)を渡すために文字をもって説いた」と云っている.疏に解釈して云うことには「世間の真実に通じて教えを起こした理由を明らかにする」と.加持身が教えの由るところを起こしているので,本地の位には説法は無いのである.又,この加持身がそのまま自性身であり,永久に受用身とは異なることを明らかにするために,下の加持身によっているので,具身加持と云うのである.
ここで頼瑜は法身に本地身と加持身があり,本地身には説法は無い,加持身は自性身であるが説法をすることができると述べたことがわかる.頼瑜の説は『大日経』具縁品に出る偈文に「此第一実際 以加持力故 為度於世間 而以文字説.(此の第一実際は加持力によって世間(の人々)を渡すために文字によって説く)(大正18,9b21–22)」とあるのを重視し,論を組み立てていたこともわかる.
ここに初めて空海の法身説法が,法身である自性身の説法の意味を帯びることになった.すなわち空海の主張した法身説法では,加持身は受用身,等流身,変化身に相当していたが,頼瑜では新たな解釈が持ち込まれ,自性身にも加持身があると主張されることになったのである.
結果として,この自性身のうちの加持身が説法すると解釈することによって,空海の法身説法説が,伝統的な教理とも,より整合性を持って位置づけられることになった.つまり法身といっても本地の法身(すなわち自性身のうちの本地身)は説法をしない.これが伝統的な教理で言われる法身に相当し,この法身は説法をしない.空海の主張する法身説法は,自性身のうちの加持身であり,この加持身が説法するのだと頼瑜は整理したのであり,ここに法身説法が,伝統的な教理とも矛盾することなく,理解されることになったのである 14.
なお,このような発想のもとには「一切衆生悉有仏性」に関わる天台と法相の論義の中で,一切と言ってもそれは「少分の一切」であるとし,全集合を複数の部分集合にわけ,その部分集合の中で「一切」と言っているにすぎないのだという解釈が成立していたが,それとの類似性を感じさせる.頼瑜は奈良の論義を周到に学んだといわれるので,本地身と加持身とに分ける発想は,伝統的な論義の中からヒントを得たものであったのかも知れない.
さて,日本における平安期から中世にかけての仏身の展開について,最後にまとめておきたい.天台には三身一体説が通用し,日蓮もその影響下で三身一体説に与し,しかも「久成三身」から報化の「無始無終」を主張した.これは『法華経』如来寿量品に影響された解釈であるが,化身さえも無始無終であることになった.それは三身一体説が主張された時,個別の三身がどのような内実をもつものになるのかという視点から見れば容易に理解される.三身が一体であるとすれば,その性質も同一にならなければならない.化身の性質も無始無終になるとする経典の根拠は,まさに『法華経』如来寿量品の久遠実成である.三身一体説にも,日蓮の『法華経』重視の背景が見られるのである.
一方,中世の天台では,伝円爾の『十宗要道記』に見る限り,台密は真言宗と表現され,「大日の常住不滅」を主張したと考えられる.しかし,三身説にはあまり言及していない.これは,三身説は天台教学すなわち円教の問題であると捉えられたからであろう.しかしながら,台密では「大日の常住不滅」という点に焦点が当てられ,現象世界の一々が法身に他ならないという解釈を重視した.一方,空海の伝統を継承する東密では(こちらも真言宗と呼ばれる),空海の独自の主張であった法身説法に焦点が当てられた.より整合性をもった理解を提示するために,頼瑜は,法身すなわち自性身に本地身と加持身があると主張し,空海の法身説法説は,自性身の加持身が説法することを意味したのだと位置づけ直した.加持身説法説は,真言宗内の新たな解釈であり,空海の法身説法説の不都合を乗り越える理論であった.このように,中世の時代には,各宗によって様々な仏身論が展開していたことに注意しなければならない.
(2019年12月25日稿)
《付記》本論は学術振興会科学研究費・二〇一五年度~二〇一八年度・基盤研究(B)研究課題番号15H03165・研究代表者・上島享「真言密教寺院の史料調査に基づく分野横断的綜合研究――新たな仏教思想史の枠組を求めて――」の研究成果の一部である.
1 加藤精一『密教の仏身観』春秋社,1989年.
2 執行海秀「日蓮の『觀心本尊鈔』に現れたる佛身觀について」『印度學佛教學研究』 1(1), 181–187, 1952.
3 高橋秀栄「鎌倉時代の天台僧静明について」『印仏研』47-1,1998年,:190–195.
4 『禅宗』210,培養書院,1912.
5 『法華文句記』巻第九下
「若無法身常住之壽,因果無歸.故知諸經諸行不同.皆入今經常住之命,此常住命,一體三身遍收一切.此約自行.」(大正34,332b3–5)
6 日本思想大系九「天台本学思想」,岩波書店,『漢光類聚』解説,および佐々木俊道「静明と円爾をめぐる二,三の問題」『印仏研』42-1, 1993, :50–53,末木文美士「本覚思想をめぐって」立川武蔵・頼富本宏編『シリーズ・密教4・日本密教』春秋社,2000(後に末木文美士『鎌倉仏教展開論』トランスビュー,2008に再録)などを参照.
7 柳幹康『永明延寿と『宗鏡録』の研究』法蔵館,2015.
8 花野充道『天台本覚思想と日蓮教学』山喜房仏書林,2011.
9 村上保寿「『二教論』の含意と視座」『密教文化』175,:1–32, 1991.
10 棚次正和「『声字実相義』への言語論的接近」『高野山大学密教文化研究所紀要』通号22号,2009, :1–25を参照.空海の言語観は,言語は真実が分節したものであり,また言語が真実を引き起こすと捉える.
11 苫米地誠一「<法身説法説>の成立について」『智山学報』36,:41–59,1987.
12 干潟龍祥「四種法身と三輪身の創設者について」『密教大系』1,:261–269,1994.
13 「一自性身.謂諸如來眞淨法界,受用變化平等所依.離相寂然絶諸戲論,具無邊際眞常功徳.是一切法平等實性.即此自性亦名法身.」(大正31,57c21–25).
14 法身は寂静としていると捉えられる.例えば『宝性論』では諸仏如来に二種類の法身があるとされ,「一者寂静法界身,以無分別境界故」(大正31,838b16)とあり,静かな法界そのものとの意識がある.