2020 Volume 20 Pages 62-99
本稿は,ジャイナ教白衣派聖典の第5アンガであるViyāhapaṇṇatti(Bhagavatīとも呼ばれる.以下,Viy.)第15章第1~58節の和訳である.Viy第15章は,もともとは独立したTeyanisagga(炎熱の放出)と呼ばれるテキストであったが,マハーヴィーラの重要な伝記に関わるため, Viyに組み込まれたと考えられている 1.このテキストはGosālasayaとも呼ばれ,その内容は,アージーヴィカ教の重要人物ゴーサーラの伝記を中心としている. ゴーサーラは,ジャイナ教のマハーヴィーラや仏教のゴータマ・ブッダとほぼ同時代人と考えられる.そして,アージーヴィカ教の存在はジャイナ教聖典やパーリ仏典はもとより,アショーカ王の法勅その他の様々な資料の記述からも確認できることから,ジャイナ教や仏教と並ぶ勢力を誇っていたと考えられている 2.しかしながら,後にアージーヴィカ教はインドの歴史から姿を消し 3,その聖典なども失われてしまったため,他の宗教の文献などの記述から間接的にしか知ることができない 4.そのため,ここに訳出するViy第15章も,アージーヴィカ教について知るための数少ない貴重な資料として注目されている 5. Viy第15章は,これまでも多くの先行研究で言及されてきた.日本においては,渡辺研二氏がその重要性に注目して,一連の論考を発表しており,本稿でもその成果を取り入れている.しかしながら,他のジャイナ教聖典と同様,Viyのテキストも多くの問題を抱えていると言われており,いまだ信頼に足る批判校訂版は出版されていない 6.また,翻訳に関しても,英語での抄訳・要約などがあるものの,ヒンディー語やグジャラーティー語といった現代インド語以外の翻訳は発表されていないのが現状である. 時期尚早との批判があるかもしれないが,以上のような状況に鑑みて,和訳の発表に踏み切った.誤りに関しては,諸賢のご教示を乞う次第であり,また,本稿を叩き台として,アージーヴィカ教やゴーサーラに関する研究が進むことを期待している. 本稿で底本として使用したテキスト,その他に参照したテキストや翻訳等は,以下の通りである.
・Viyāhapaṇṇattisuttaṃ Part II. Ed. Becharadas J. Doshi. Jaina-Āgama-Series No. 4(Part 2). Bombay: Shrī Mahāvīra Jaina Vidyālaya, 1978.
1997年以前のViyの刊本に関する情報は,Wiles[1997]のビブリオグラフィーが詳しい.本稿では,それらのうち,入手することのできた以下の刊本を適宜参照した.
・Śrībhagavatīsūtra (Vyākhyāprajñapti) tṛtīya khaṃḍa. Ed. Bhagavānadāsa Harakhacaṃda Dośī. Śrīrāyacandra Jināgamasaṃgraha. Amadāvāda: Gūjarāta Vidyāpīṭha, 1917.(グジャラーティー語訳を含む)
・Śrīmadbhagavatīsūtraṃ (tṛtīyabhāgaḥ). Ed. Ramacaṃdra Yesū Śeḍage. Mehesana: Agamodayasamiti, 1921.(Abhayadeva注を含む)
・Śrībhagavatīsūtram. Editor Unknown. Ratlam: Rishabhdev Keshrimalʼs Jain Swetambar Pedhi, 1935.(Dānaśekhara注のみ)
・Śrīmadbhagavatīsūtram (Vyākhyāprajñaptiḥ) (paṃcamo bhāgaḥ). Ed. Hīrālāla Haṃsarāja. Jāmanagara: Śrī Jainabhāskarodaya Presa, 1937.(グジャラーティー語訳を含む)
・Suttāgame (tattha ṇaṃ ekkārasaṃgasaṃjuo paḍhamo aṃso). Ed. Pupphabhikkhu. Chāvanī: Śrīsūtrāgamaprakāśakasamiti, 1953.
・Śrīmadbhagavatīsūtram(pañcadaśaṃ gośālakākhyaṃ śatakam). Ed. N. V. Vaidya. Shri Vijayadevasur Sangh Series No.9. Bombay: The Managing Trustees of the Godiji Jain Temple and Charities, 1954.(Abhayadeva注を含む)
・Bhagavatī Sūtra (Vyākhyāprajñapti Sūtra). Ed. Ghevaracandra Bāṃthiyā. Jodhapura: Akhila Bhāratīya Sudharma Jaina Saṃskṛti Rakṣaka Saṃgha, 1970(ヒンディー語訳を含む)
・Aṃgasuttāṇi 2 Bhagavaī Viāhapaṇṇattī. Ed. Mahāprajña. Lāḍnūn: Jain Viśva Bhāratī Institute, 1974 or 1975.
・Vyākhyāprajñapti Sūtra[Bhagwati Sutra―III Part, Shatak 11-19]. Tr. Amar Muni and Chand Surana. Jinagam Granthmala Publication No.22. Beawar: Sri Agam Prakashan Samiti, 1985.(ヒンディー語訳,ヒンディー語注を含む)
・Ᾱgamsuttāṇi (saṭīkaṃ) bhāga 5. Bhagavatī-aṅgasūtraṃ 1. Ed. Dīparatna- sāgara. Ahamadāvāda: Ᾱgama Śruta Prakāśana, 2000.(Abhayadeva注を含む)
・Āgamasūtra(Bhāga 3; Bhagavatī 1). Tr. Dīparatnasāgara. Ahamadābāda: Śrī Śrutaprakāśana Nidhi, 2001.(ヒンディー語訳)
・The Uvāsagadasāo or the Religious Profession of an Uvāsaga Expounded in Ten Lectures Being the Seventh Anga of the Jains Vol.II Translation. Tr. A. F. Rudolf Hoernle. Calcutta: The Baptist Mission Press, 1888. (=Hoernle [1888])(本編は第7アンガUvāsagadasāoの英訳であるが,AppendixにViy 第15章の英語による抄訳を含む)
・金倉圓照「第九章 邪命外道」,『印度古代精神史』,岩波書店,pp.191-208.(=金倉[1939])(アージーヴィカ教を概観したものであり,「マッカリの生涯」という節に,日本語による要約を含む)
・Jozef Deleu. Viyāhapannatti(Bhagavaī): The Fifth Anga of the Jaina Canon, Introduction, Critical Analysis, Commentary & Indexes. Brugge: Rijksuniversiteit te Gent.(=Deleu[1970]).(Viy全体の構成を分析したものであり,第15章に関する部分に英語による要約を含む)
・Watanabe Kenji. Viyāhapannati XV Studies(3).『壬生台舜博士頌寿記念 仏教の歴史と思想』,大蔵出版,pp.71-84(=Watanabe[1985])(渡辺氏自身の校訂テキストにもとづくViy第15章の英語による要約)
・Ohira Suzuko. A Study of the Bhagavatīsūtra: A Chronological Analysis. Prakrit Text Series No.28. Ahmedabad: Prakrit Text Society(=Ohira[1994])(Bhagavatīsūtra全体の年代に関する分析を行った研究であり,pp.202-203のマハーヴィーラとゴーサーラの関係を扱った部分に英語による要約を含む)
・固有名詞に関しては,基本的にアルダ・マーガディー語形をカタカナで表記したが,「アージーヴィカ」などのように術語として定着しているものに限って,サンスクリット語形で表記した.
・節の分け方は底本に従ったが,読みやすさを考慮して,訳者の判断により,節の内部でも適宜改行した.
・ジャイナ教聖典に特徴的な「描写(vaṇṇao)」「中略(jāva)」といった省略技法によって省略されている部分に関しては底本のままとし,「描写」の部分に関しては,Jain Viśva BhāratīのAṃgasuttāṇiに従って,補うべき箇所を注記した.
・注には,内容を理解するうえで最低限必要と思われる情報を,Abhayadeva注,先行研究などにもとづいて注記した.詳細に関しては,現在準備中のアージーヴィカ教研究史にまとめ,将来的に発表を予定している.
【第1節】
尊い学問の神に敬礼 7.
【第2節】
その時代のその時期に 8,サーヴァッティーという名の町があった.<描写> 9.
【第3節】
そのサーヴァッティーという町の郊外の北東部にコッタアという名の遊園があった.<描写> 10.
【第4節】
そのサーヴァッティーという町に,アージーヴィカ教 11の女性在家信者で,ハーラーハラーという名の陶工 12が住んでいた.
彼女は,裕福で……(中略)……〔他の人に〕陵駕されることがなく,アージーヴィカ教の教えに関して真意を獲得し,真意を把握し,真意を質問し,真意を確定しており,骨と髄まで慈愛で染められており,「長命なる者よ,このアージーヴィカ教の教えは意味のあるものであり,これが究極的なものであり,残りのものは意味のないものである」と言って,アージーヴィカ教の教えに従って自己を修めながら過ごしていた 13.
【第5節】
その時代のその時期に,ゴーサーラ・マンカリプッタは24年目の修行生活に入り,ハーラーハラーという陶工の水瓶を商う店において,アージーヴィカ教の僧団に囲まれ,アージーヴィカ教の教えに従って自己を修めながら過ごしていた.
【第6節】
そして,他のある時,そのゴーサーラ・マンカリプッタのもとに,次の6人の遍歴行者 14がやって来た.すなわち,ソーナ,カナンダ,カニヤーラ,アッチッダ,アッギヴェーサーヤナ,アッジュナ・ゴーヤマプッタ 15である.
【第7節】
その時,それら6人の遍歴行者たちが,プッヴァ 16に含まれる8種類の〔予兆 17,および9番目 18,〕10番目の道を各自の見解 19に従って引き出した.各自の見解に従って引き出した後,ゴーサーラ・マンカリプッタに近付いた 20.
【第8節】
そして,そのゴーサーラ・マンカリプッタは,8つの要素から成る大きな予兆を一瞥することにより,すべての生類,すべての生き物,すべての生命体,すべての有情 21にとって避けることのできない,次の6つのものについて答えた.すなわち,獲得,不獲得,楽,苦,生,死 22である.
【第9節】
そして,ゴーサーラ・マンカリプッタは,8つの要素から成る大きな予兆を一瞥することにより,サーヴァッティーという町において,ジナではないのにジナであると称し,アルハット 23ではないのにアルハットであると称し,独存知者ではないのに独存知者であると称し,一切知者ではないのに一切知者であると称し,ジナではないのにジナの言葉を説いて過ごしていた.
【第10節】
そして,サーヴァッティーという町の三叉路で……(中略)……〔大〕通りで,多くの人々がお互いに次のように話し……(中略)……言っていた.
「神に愛される者よ,このように,ゴーサーラ・マンカリプッタは,ジナとなり 24,ジナであると称し……(中略)……説いて過ごしています.彼のこの〔発言の内容〕を,どうしてその通りに考えることができるでしょうか.」
【第11節】
その時代のその時期に,主(=マハーヴィーラ)は,説法の機会を設けた……(中略)……聴衆が帰った.
【第12節】
その時代のその時期に,沙門である尊者マハーヴィーラの最年長の弟子のインダブーティという名の出家者で,種姓に関してはゴーヤマであり……(中略)……は,各第六食を摂り 25――第2シャタカ〔第5の〕ニガンタ・ウッデシャーシャカにおけるのと同様である 26――……(中略)……〔托鉢のために〕歩き回っていて,彼は多くの人々の声を聞いた.多くの人々は,お互いに次のように言っていた.
「神に愛される者よ,このように,ゴーサーラ・マンカリプッタはジナとなり,ジナであると称し……(中略)……説いて過ごしています.彼のこの〔発言の内容〕を,どうしてその通りに考えることができるでしょうか.」
【第13節】
そして,尊者ゴーヤマは,多くの人々の近くで以上のような〔発言の〕内容を聞いて,理解して,信仰が生じて……(中略)……食べ物と飲み物を見せた……(中略)……近付いて,次のように言った.
「尊者よ,私はこのように……(中略)…….彼は自分を……(中略)……ジナの言葉を説いて過ごしています.尊者よ,彼のこの〔発言の内容〕はどうなのでしょうか.その通りなのでしょうか.尊者よ,私はゴーサーラ・マンカリプッタの誕生から死までの物語を聞きたいと思います.」
【第14節】
「ゴーヤマよ」と〔呼びかけて〕,沙門である尊者マハーヴィーラは,尊者ゴーヤマに次のように言った.
「ゴーヤマよ,それらの多くの人々がお互いに言っていたこと,すなわち「このように,ゴーサーラ・マンカリプッタはジナとなり,ジナであると称し……(中略)……説いて過ごしている」ということは誤りです.
しかし,ゴーヤマよ,私は次のように話し……(中略)……言います.かのゴーサーラ・マンカリプッタには,マンカリ 27という名の絵解き行者 28の父親がいました.そのマンカリという絵解き行者には,バッダーという名の妻がいました.非常に華奢な〔手足を持ち〕……(中略)……美しい女性でした.そして,その妻バッダーは,他のある時,妊娠しました 29.
【第15節】
その時代のその時期に,サラヴァナ 30という名の集落がありました.そこは,繁栄していて,恐れがなく……(中略)……〔神々の世界〕のように光り輝いており,心を満足させるようなところでした.
【第16節】
そのサラヴァナという集落に,ゴーバフラという名のバラモンが住んでいました.彼は,裕福で……(中略)……〔他の人に〕陵駕されることがなく,リグ・ヴェーダ……(中略)……を完全に習得していました.そのゴーバフラというバラモンは,牛小屋も所有していました.
【第17節】
そして,他のある時,マンカリという絵解き行者は,妊娠している妻のバッダーとともに,画板を手にして,絵解き行者として自己を修めながら,順に歩みを進めて,村から村を遍歴して,サラヴァナという集落にいるゴーバフラというバラモンが所有する牛小屋の方へとやって来ました.そこへやって来た後,ゴーバフラというバラモンが所有する牛小屋の一隅に道具を置きました.
道具を置いた後,サラヴァナという集落の高貴な家柄,卑しい家柄,中程度の家柄の家すべてを托鉢のために歩き回り,住居のあらゆる方角で,隈なく托鉢を行いました.住居のあらゆる方角で,隈なく托鉢を行っている時に,彼は,他の場所に滞在場所を得られず,他ならぬそのゴーバフラというバラモンが所有する牛小屋の一隅に雨季の滞在場所を得ました.
【第18節】
それから,そのバッダーという妻は,9か月が完全に満ち,7日と半日が過ぎる時に,非常に華奢な〔手足を備え〕……(中略)……美しい男の子を産みました.
【第19節】
そして,その男の子の両親は,11日目が過ぎて……(中略)……12日目に,次のような,属性にちなみ,属性に由来する名前を付けました.
「私はこの男の子をゴーバフラというバラモンが所有するで産んだので,私のこの男の子の名前は「ゴーサーラ 31」「ゴーサーラ」というものであるべきだ.」
そこで,その男の子の両親は,「ゴーサーラ」という名前を付けました.
【第20節】
そして,そのゴーサーラという男の子が幼年期を脱し,知識により成熟して青年期に達すると,自ら,ひとりで画板を作りました.
自ら,ひとりで画板を作った後,画板を手に持って,絵解き行者として自己を修めながら過ごしていました.
【第21節 32】
その時代のその時期に,ゴーヤマよ,私は30年の間,在家生活を送った後,両親が亡くなり――バーヴァナー章におけるのと同様である 33――……(中略)……1枚の神々しい衣を手に取って,剃髪した後,在家の身から出家の身になりました.
【第22節】
そして,ゴーヤマよ,私は1年目に半月ごとの断食を行い,アッティヤガーマに滞在した後,最初の雨季に雨安居のための滞在場所にやって来ました.
2年目に1月ごとの断食を行い,順に歩みを進め,村から村を遍歴して,ラーヤギハという町の郊外にあるナーランダーの織工の小屋にやって来ました.
そこにやって来た後,適切に許可を求めました.適切に許可を求めた後,織工の小屋の一隅にある雨安居のための滞在場所にやって来ました.それから,ゴーヤマよ,私は最初の1か月の苦行を受け入れて過ごしていました.
【第23節】
その時,かのゴーサーラ・マンカリプッタが画板を手に持って,絵解き行者として自己を修めながら,順に歩みを進め……(中略)……遍歴して,ラーヤギハという町の郊外にあるナーランダーの織工の小屋にやって来ました.
そこへやって来た後,織工の小屋の一隅に道具を置きました.道具を置いた後,ラーヤギハという町の高貴な家柄,卑しい家柄……(中略)……他のどこにも滞在場所を得ることができず,その織工の小屋の一隅にある雨安居のための滞在場所にやって来ました.ゴーヤマよ,まさにその場所に,私がいたのです.
【第24節】
それから,ゴーヤマよ,私は最初の1か月の断食が明ける時に,織工の小屋から出ました.織工の小屋から出た後,郊外にあるナーランダーの中心部を通って,ラーヤギハという町にやって来ました.
そこへやって来た後,ラーヤギハという町で高貴な家柄,卑しい家柄……(中略)……〔托鉢のために〕歩き回っていて,私は資産家ヴィジャヤの家に入りました.
【第25節】
そして,その資産家ヴィジャヤは,私がやって来るのを目にしました.目にした後,彼は,喜び,満足し……(中略)……急いで座から立ち上がりました.
急いで座から立ち上がった後,足置きから降りました.足置きから降りた後,履物を脱ぎました.履物を脱いだ後,1枚の布で身体を覆いました.1枚の衣で身体を覆った後,手を蓮の蕾のように合わせて,私の方へ7,8歩ほど近付きました.近付いた後,私に対して3回,南の方角から右遶をしました.〔右遶を〕した後,私にお辞儀し,敬礼しました.
私にお辞儀し,敬礼した後,私に「たくさんの食べる物,飲む物,噛む物,味わう物によってご接待しましょう」と言って喜び,接待している間も喜び,接待した後も喜んでいました.
【第26節】
それから,その資産家ヴィジャヤがその物の清浄 34,布施者の清浄,受施者の清浄という三通りのあり方で 35,三種の行いが清浄な 36布施によって私を接待している間に,神になる寿量業 37を結び,輪廻〔の期間〕が限られると,彼の家に次の5つの神聖なものが現れました.
すなわち,(1)財宝の雨が降ること,(2)5色の花が降って来ること,(3)布が降って来ること,(4)神々しい太鼓が打たれること,(5)虚空にも「なんという布施だ.なんという布施だ」という大きな掛け声が響くこと,です.
【第27節】
そして,ラーヤギハという町の三叉路……(中略)……〔大〕通りで,多くの人々がお互いに次のように話し……(中略)……言っていました.
「神々に愛される者よ,資産家ヴィジャヤは幸福である.神々に愛される者よ,資産家ヴィジャヤは目的を成し遂げた者である.神々に愛される者よ,資産家ヴィジャヤは善業を積んだ者である.神々に愛される者よ,資産家ヴィジャヤは〔実りをもたらす〕吉相を備えている.神々に愛される者よ,資産家ヴィジャヤは〔実りある,この世とあの世という2つの 38〕世界を手に入れている.神々に愛される者よ,資産家ヴィジャヤは人間の生まれと生涯という果報を正しく獲得している.
彼の家において,そのような優れた容姿の善き人が接待を受けている時に,次の5つの神聖なものが現れた.
すなわち,(1)財宝の雨が降ること……(中略)……なんという布施だ」という大きな掛け声が響くこと,である.
したがって,彼は幸福であり,目的を成し遂げており,善業を積んでおり,〔実りをもたらす〕吉相を備えている.資産家ヴィジャヤは〔実りある,この世とあの世という2つの〕世界を手に入れており,資産家ヴィジャヤは人間の生まれと生涯という果報を正しく獲得している.」
【第28節】
その時,かのゴーサーラ・マンカリプッタは,多くの人々の近くで以上のような〔発言の〕内容を聞いて,知ると,疑いが生じ,興味が湧いて,資産家ヴィジャヤの家の方にやって来ました.そこにやって来た後,資産家ヴィジャヤの家において,財宝の雨が降り,5色の花が降るのを目にしました.
そして,資産家ヴィジャヤの家から私が出て来るのを目にしました.目にした後,喜び,満足し……(中略)……私の近くへやって来ました.やって来た後,私に対して3回,南の方角から右遶をしました.〔右遶を〕した後,私にお辞儀し,敬礼しました.お辞儀し,敬礼した後,私に次のように言いました.
「尊い方よ,あなたは私の宗教上の師です.私はあなたの宗教上の弟子です.」
【第29節】
しかし,ゴーヤマよ,私はゴーサーラ・マンカリプッタのこのような〔発言の〕内容を尊重することなく,理解することなく,黙ったままでいました.
【第30節】
そして,ゴーヤマよ,私はラーヤギハという町から出て行きました.出て行った後,郊外にあるナーランダーの中心部を通って織工の小屋の方にやって来ました.やって来た後,2度目の1か月の断食を受け入れて過ごしていました.
【第31節】
そして,ゴーヤマよ,私は2度目の1か月の断食が明ける時に,織工の小屋から出て行きました.
織工の小屋から出て行った後,郊外にあるナーランダーの中心部を通ってラーヤギハという町の方へ……(中略)……〔托鉢のために〕歩き回っていて,私は資産家アーナンダの家に入りました.
【第32節】
すると,資産家アーナンダは,私がやって来るのを目にしました.――ヴィジャヤの場合とまったく同様であるが,「私に「たくさんの噛む物の類いにより,ご接待しましょう」と言って満足した」というのが異なる.残りの出来事は同様である――……(中略)……私は3度目の1か月の断食を受け入れて過ごしていました.
【第33節】
そして,ゴーヤマよ,私は3度目の1か月の断食が明ける時に,織工の小屋から出て行きました.
織工の小屋から出て行った後,まったく同様に……(中略)……〔托鉢のために〕歩き回っていて,私は資産家スナンダの家に入りました.
【第34節】
そして,その資産家スナンダは,私がやって来るのを目にしました.――資産家ヴィジャヤの場合とまったく同様であるが,「私に「あらゆる美味に満ちた食べ物によってご接待しましょう」と言った」というのが異なる.残りの出来事は同様である――……(中略)……私は4度目の1か月の断食を受け入れて過ごしていました.
【第35節】
郊外にあるそのナーランダーから遠くも近くもない場所に,コッラーガという名の集落がありました.<描写> 39.
【第36節】
そのコッラーガという集落に,バフラという名のバラモンが住んでいました.彼は裕福で……(中略)……〔他の人に〕陵駕されることがなく,リグ・ヴェーダ……(中略)……を完全に習得していました.
【第37節】
そして,そのバフラというバラモンは,カールッティカ月の雨季の〔明けた〕第1日目に,多くの,蜂蜜やギーを伴った,最高の食べ物をバラモンに提供しました.
【第38節】
そして,ゴーヤマよ,私は4度目の1か月の断食が明ける時に,織工の小屋から出て行きました.
織工の小屋から出て行った後,郊外にあるナーランダーの中心部を通って出発しました.出発した後,コッラーガという集落の方へやって来ました.そこへやって来た後,コッラーガという集落の高貴な家柄,卑しい家柄……(中略)……〔托鉢のために〕歩き回っていて,私はバフラというバラモンの家に入りました.
【第39節】
そして――バフラというバラモンは,私がやって来るのを云々というのは,前とまったく同様である――……(中略)……私に「多くの,蜂蜜とギーを伴った,最高の食べ物によってご接待しましょう」と言って喜びました.――残りはヴィジャヤの場合と同様である――……(中略)……バフラというバラモンは〔実りある,この世とあの世という2つの〕世界を手に入れており,バフラというバラモンは〔人間の生まれと生涯という果報を正しく獲得している.」〕
【第40節】
その時,かのゴーサーラ・マンカリプッタは,私が織工の小屋に見当たらなかったので,ラーヤギハという町の外と内,あらゆる方角で隈なく私を探し求めました.〔しかし,〕どこにも私の声も,くしゃみも,消息も認められないので,〔再び〕織工の小屋の方にやって来ました.
そこへやって来た後,下衣,上衣,器,靴,画板をバラモンに差し出しました.差し出した後,〔床屋に 40〕口髭と頭髪を剃らせました.口髭と頭髪を剃らせた後,織工の小屋から出て行きました.
織工の小屋から出て行った後,郊外にあるナーランダーの中心部を通って出発しました.出発した後,コッラーガという集落の方へやって来ました.
【第41節】
すると,そのコッラーガという集落の外では,多くの人々がお互いに次のように話し……(中略)……言っていました.
「神々に愛される者よ,バフラというバラモンは幸福である……(中略)……バフラというバラモンは〔実りある,この世とあの世という2つの〕世界を手に入れており,バフラというバラモンは〔人間の生まれと〕生涯という果報を〔正しく獲得している.〕」
【第42節】
そして,かのゴーサーラ・マンカリプッタが,多くの人々の近くで以上のような〔発言の〕内容を聞いて,知ると,次のような考えが……(中略)……生じました.
「私の宗教上の師であり,法を説く沙門たる尊者マハーヴィーラは,繁栄,輝き,名誉,力,精力,努力と武勇を手に入れており,取得しており,獲得している.そのような沙門であれ,バラモンであれ,他のいかなる者もそのような繁栄,輝き……(中略)……武勇を手に入れ,取得し,獲得していない.したがって,私の宗教上の師であり,法を説く沙門たる尊者マハーヴィーラは,疑いなく,ここにいるだろう.」
以上のように考えて,彼は,コッラーガという集落の内と外,あらゆる方角で隈なく私を探し求めました.あらゆる方角で……(中略)……私を〔探し求め〕ていると,コッラーガという集落の外にあるパニヤブーミ 41で私に会いました.
【第43節】
そして,かのゴーサーラ・マンカリプッタは,喜び,満足して……(中略)……私に対して3回,南の方角から右遶を……(中略)……敬礼した後,次のように言いました.
「尊い方よ,あなたは私の宗教上の師です.私はあなたの弟子です.」
【第44節】
そこで,ゴーヤマよ,私はゴーサーラ・マンカリプッタのこのような〔発言の〕内容を認めました 42.
【第45節】
そして,ゴーヤマよ,私はゴーサーラ・マンカリプッタとともに,パニヤブーミを皮切りに 43,6年間にわたって,獲得と不獲得,楽と苦,尊敬と侮蔑を経験し 44,無常を思念しながら 45過ごしていました.
【第46節】
そして,ゴーヤマよ,私は,他のある時,秋季の最初の 46,雨がほとんど降らなかった時に 47,ゴーサーラ・マンカリプッタとともに,シッダッタガーマという町からクンマッガーマという町へと遊行のために出発しました.
そのシッダッタガーマという町とクンマッガーマという町の間の場所に,一本の大きな胡麻の草があり,葉が茂り,花を咲かせ,青々と輝き,美しさによって非常に強く光り輝いていました.そこで,かのゴーサーラ・マンカリプッタが,その胡麻の草を目にしました.目にした後,私にお辞儀し,敬礼しました.お辞儀し,敬礼した後,次のように言いました.
「尊い方よ,この胡麻の草は実を結ぶでしょうか,実を結ばないでしょうか.これら7つの胡麻の花の霊魂はそれぞれ死んだ後,どこへ行くのでしょうか.どこに生まれるのでしょうか.」
そこで,ゴーヤマよ,私はゴーサーラ・マンカリプッタに次のように答えました.
「ゴーサーラよ,この胡麻の草は実を結ぶのであって,実を結ばないことはないでしょう.これら7つの胡麻の花の霊魂はそれぞれ死んだ後,この同じ胡麻の草のうちの1つの胡麻の鞘の中に7つの胡麻〔の実〕として再生するでしょう.」
【第47節】
しかし,かのゴーサーラ・マンカリプッタは,私がこのように言っていても,この〔発言の〕内容を信じず,理解せず,良く思いませんでした.この〔発言の〕内容を信じず,理解せず,良く思わずに,私に関して「この者は嘘つきに違いない」と考えて,私の近くから,ゆっくりゆっくりと後ずさりしました.
ゆっくりゆっくりと後ずさりした後,その胡麻の草の方へ近付きました.近付いた後,その胡麻の草を土ごと引き抜きました.引き抜いた後,ひと気のない場所に捨てました.
まさにその瞬間,ゴーヤマよ,水を含んだ神聖な雲が現れました.そして,水を含んだその神聖な雲が直ちに雷を鳴らしました.直ちに雷を鳴らした後,直ちに稲妻を光らせました.直ちに稲妻を光らせた後,直ちに水が多すぎることもなく,ぬかるみすぎることもなく,少量で感触が優れた〔滴〕を含み,埃や塵を鎮める,神聖な川の水のような雨が降りました.そして,息を吹き返し,起き上がり,根を張っている胡麻の草の方へと流れて行きました.また,それら7つの胡麻の花の霊魂はそれぞれ死んだ後,その同じ胡麻の草の1つの胡麻の鞘の中に7つの胡麻〔の実〕として再生しました.
【第48節】
そして,ゴーヤマよ,私はゴーサーラ・マンカリプッタとともに,クンマッガーマという町へやって来ました.
【第49節】
そして,そのクンマッガーマという町の郊外では,ヴェーシヤーヤナという名の外教の苦行者 48が,途切れることなく第六食を摂るという苦行を行じながら,両腕を繰り返し上に挙げては,太陽に向かい,灼熱の地で苦行を行じていました.
太陽の熱によって熱せられた虫たちが,あらゆる方角から一斉に彼に取り付きました.生類,生き物,生命体,有情 49に対する憐れみのために,彼は落ちたそれぞれの虫たちを,繰り返しもとのそれぞれの場所に載せていました.
【第50節】
そこで,かのゴーサーラ・マンカリプッタは,ヴェーシヤーヤナという外教の苦行者を目にしました.目にした後,私の近くからゆっくりゆっくりと後ずさりしました.私の近くからゆっくりゆっくりと後ずさりした後,ヴェーシヤーヤナという外教の苦行者に近付きました.彼に近付いた後,ヴェーシヤーヤナという外教の苦行者に次のように言いました.
「あなたは真実を知る 50聖者ですか.それとも,蚤に寝床を提供する者ですか.」
すると,そのヴェーシヤーヤナという外教の苦行者は,ゴーサーラ・マンカリプッタのこの〔発言の〕内容を尊重することなく,理解することなく,黙ったままでいました.
すると,かのゴーサーラ・マンカリプッタは,ヴェーシヤーヤナという外教の苦行者に,2度も3度も,次のように言いました.
「あなたは真実を知る聖者ですか……(中略)……蚤に寝床を提供する者ですか.」
すると,そのヴェーシヤーヤナという外教の苦行者は,ゴーサーラ・マンカリプッタに2度も3度もこのように言われたので,突然,怒り出して……(中略)……歯ぎしりしながら,灼熱の地から退きました.
灼熱の地から退いた後,炎熱を流出させました.炎熱を流出させ後,7,8歩退きました.7,8歩退いた後,ゴーサーラ・マンカリプッタを殺すために,〔ゴーサーラの〕身体に対して炎熱 51を放出しました.
【第51節】
そして,ゴーヤマよ,私はゴーサーラ・マンカリプッタに対する憐れみゆえに,ヴェーシヤーヤナという外教の苦行者の炎熱を集束させるために,ここで〔身体の〕内側から,冷たい,輝くオーラ 52を放ちました.私のその冷たい,輝くオーラによって,ヴェーシヤーヤナという外教の苦行者の熱い,輝くオーラ 53は打ち負かされました.
【第52節】
すると,そのヴェーシヤーヤナという外教の苦行者は,私の冷たい,輝くオーラによって,自分の熱い,輝くオーラが打ち負かされたのを知り,ゴーサーラ・マンカリプッタの身体に,いかなる苦痛も,大きな苦痛も,皮膚の裂傷も引き起こしていないのを目にすると,自分の熱い,輝くオーラを収めました.自分の熱い,輝くオーラを収めた後,彼は私に次のように言いました.
「尊い方よ,わかりました.尊い方よ,わ,わかりました 54.」
【第53節】
そして,かのゴーサーラ・マンカリプッタは,私に次のように尋ねました.
「尊い方よ,この蚤に寝床を提供する者は,どうしてあなたに次のように言ったのですか.すなわち,「尊い方よ,わかりました.尊い方よ,わ,わかりました」と.
そこで,ゴーヤマよ,私はゴーサーラ・マンカリプッタに次のように言いました.
「ゴーサーラよ,あなたはヴェーシヤーヤナという外教の苦行者を目にしました.目にした後,私の近くからゆっくりゆっくりと後ずさりしました.後ずさりした後,ヴェーシヤーヤナという外教の苦行者の方へ近付きました.近付いた後,ヴェーシヤーヤナという外教の苦行者に次のように尋ねました.
「あなたは,真実を知る聖者ですか.それとも,蚤に寝床を提供する者ですか.」
すると,そのヴェーシヤーヤナという外教の苦行者は,あなたのこの〔発言の〕内容を尊重することなく,理解することなく,黙ったままでいました.そして,ゴーサーラよ,あなたはヴェーシヤーヤナという外教の苦行者に,2度も3度も次のように尋ねました.
「あなたは聖者……(中略)……蚤に寝床を提供する者ですか.」
すると,そのヴェーシヤーヤナという外教の苦行者は,あなたに2度も3度もこのように言われたので,突然,怒り出して……(中略)……〔灼熱の場所から〕退きました.退いた後,あなたを殺すために〔あなたの〕身体に対して輝く〔オーラ〕を放出しました.
そして,ゴーサーラよ,私はあなたに対する憐れみゆえに,ヴェーシヤーヤナという外教の苦行者の熱い,輝く〔オーラ〕を集束するために,ここで〔身体の〕内側から,冷たい,輝くオーラを放ちました……(中略)……打ち負かされたのを知り,あなたの身体にいかなる苦痛も,大きな苦痛も,皮膚の裂傷も引き起こしていないのを目にすると,自分の熱い,輝くオーラを収めました.自分の熱い,輝くオーラを収めた後,私に次のように言いました.
「尊い方よ,わかりました.尊い方よ,わ,わかりました.」」
【第54節】
すると,かのゴーサーラ・マンカリプッタは,私の近くで以上のような〔発言の〕内容を聞いて,耳にして,恐れて……(中略)……恐怖を生じて,私にお辞儀し,敬礼しました.私にお辞儀し,敬礼した後,次のように尋ねました.
「尊い方よ,どのようにして,伸縮自在の 55輝くオーラを身に着けたのですか.」
そこで,ゴーヤマよ,私はゴーサーラ・マンカリプッタに次のように答えました.
「ゴーサーラよ,一方の〔手は〕爪ごと握った一掴みクンマーサ豆を持ち,他方の〔手は〕一掬いの水をためて,途切れることなく第六食を摂るという苦行を行じながら,両腕を上に繰り返し挙げては……(中略)……〔苦行を〕行じる者は,6か月以内に伸縮自在の輝くオーラが身に着きます.」
すると,かのゴーサーラ・マンカリプッタは,私のこの〔発言の〕内容に正しく,恭しく耳を傾けました.
【第55節】
そして,ゴーヤマよ,他のある時に,私はゴーサーラ・マンカリプッタとともに,クンマッガーマという町からシッダッタガーマという町へ遊行のために出発しました.胡麻の草がある場所に,まもなく私たちはやって来ました.すると,その時,かのゴーサーラ・マンカリプッタは,私に次のように言いました.
「尊い方よ,あなたはあの時,私に次のように話し……(中略)……言いました.
「ゴーサーラよ,この胡麻の草は実を結ぶのであって,実を結ばないことはないでしょう……(中略)……再生するでしょう」と.
〔しかし,〕それは誤りです.次のことは眼前に見えています.
「この胡麻の草は実を結んでいるのではなく,まったく実を結んでいない.それら7つの胡麻の花の霊魂は,それぞれ死んだ後,この同じ胡麻の草のうちの1つの胡麻の鞘の中に7つの胡麻〔の実〕として生まれ変わっていない.」」
そこで,ゴーヤマよ,私はゴーサーラ・マンカリプッタに次のように言いました.
「ゴーサーラよ,あなたはあの時,私がそのように話していても……(中略)……言っていても,その〔発言の〕内容を信じず,理解せず,良く思いませんでした.その〔発言の〕内容を信じず,理解せず,良く思わずに,私に関して「この者は嘘つきに違いない」と考えて,私の近くから,ゆっくりゆっくりと後ずさりしました.後ずさりした後,胡麻の草がある方へ近付きました.近付いた後……(中略)……ひと気のない場所に捨てました.
まさにその瞬間,ゴーサーラよ,神聖な雲が現れました.そして,その神聖な雲が直ちに……(中略)……その同じ胡麻の草の1つの胡麻の鞘の中に7つの胡麻〔の実〕として再生しました.
それゆえに,ゴーサーラよ,この胡麻の草は実を結んでいるのであって,実を結んでいないのではありません.それら7つの胡麻の花の霊魂はそれぞれ死んだ後,同じ1つの胡麻の草の胡麻の鞘の中に7つの胡麻〔の実〕として再生しました.このように,ゴーサーラよ,樹木を身体とする〔霊魂〕 56は,死んだ後に〔同じ樹木という身体を〕享受するのです 57.」
【第56節】
しかし,かのゴーサーラ・マンカリプッタは,私がこのように話していても……(中略)……言っていても,その〔発言の〕内容を信じず,理解せず,良く思いませんでした.この〔発言の〕内容を信じず……(中略)……良く思わずに,胡麻の草がある方へ近付きました.
そこへ近付いた後,その胡麻の草から胡麻の鞘をちぎり取りました.ちぎり取った後,掌の上に7つの胡麻を取り出しました.そして,かのゴーサーラ・マンカリプッタが,それら7つの胡麻を数えている間に,次のような考えが……(中略)……生じました.
「このように,すべての霊魂も,死んだ後に〔同じ身体〕を享受する.」
ゴーヤマよ,これがゴーサーラ・マンカリプッタの再生説 58である.以上のように,ゴーヤマよ,ゴーサーラ・マンカリプッタが私の近くから自ら 59離れていった経緯が説かれました.
【第57節】
そして,かのゴーサーラ・マンカリプッタは,一方の〔手は〕爪ごと握った一掴みのクンマーサ豆を持ち,他方の〔手は〕一掬いの水をためて,途切れることなく第六食を摂るという苦行を行じながら,両腕を〔繰り返し〕上に挙げては……(中略)……〔苦行を〕行じていました.
すると,かのゴーサーラ・マンカリプッタは, 6か月以内に伸縮自在のオーラを身に着けました.
【第58節】
そして,他のある時,かのゴーサーラ・マンカリプッタのもとに次の6人の遍歴行者がやって来ました.すなわち,ソーナ――すべて同様である――……(中略)……ジナではないのにジナの言葉を説いて過ごしていました.
しかし,ゴーヤマよ,ゴーサーラ・マンカリプッタはジナではありません.〔それにもかかわらず,〕ジナであると称し……(中略)……ジナの言葉を説いて過ごしていました.ゴーサーラ・マンカリプッタはジナではないのにジナであると称し……(中略)……〔ジナの言葉を〕説いて過ごしていたのです.」
(未完)
【付録1】Sāmaññaphalasuttavaṇṇanā和訳 60
一方,ここに見られる「マッカリ」というのが彼の名前であり,牛小屋(gosālā)で生まれたがゆえに,「ゴーサーラ」という別名がある.彼が,ぬかるんだ地面を油の入った壺を持って歩いていると,「愛児よ,躓かないようにしなさい(mā kali)」と主人が言ったという.〔しかし〕彼は不注意によって躓いて転び,主人を恐れて逃げ出した.主人は追いかけて,衣の端を掴んだ.彼は衣を捨てて,裸になって逃げた.残りはプーラナとまったく同様である.
【付録2】Bhāvasaṃgraha 161-164和訳 61
161. 主パーサの教団に,マサヤラプーラナ 62という聖仙がいた.彼は,尊者〔マハー〕ヴィーラの説法の機会に,音声を聞くことができなかったのでその場を離れた 63.
162. 外に出た彼は,次のように言った.「アルハットは,11のアンガを保持している私に音声を放たなかった.」〔しかし,〕その音声は,〔マハーヴィーラの〕自分の弟子には放たれていた.
163. 「ゴーヤマはジナの語った聖典を知らず,ヴェーダを学習するバラモンであるが,今,灌頂を受けている.それゆえに,解脱は知識によって得られるのではない.」
164. 実に,彼はこのように無知による解脱を世の人々に説いていた.「いかなる神も存在しない.人は欲求に従って,虚無を思念すべきである」〔と言って〕.
(本研究はJSPS科研費19K12953の助成を受けたものです)
1 Deleu[1970:§3; 148], 渡辺[1981: 85]等を参照.また,渡辺[1983]によれば,他の伝承では,Bhagavatīは20年で終わる聖典学習のカリキュラムの10年目に,Teyanisaggaは18年目に配されており,このことも2つのテキストが元来別のものであったことの裏付けとなるという.
2 一方で,Hoernle[1908]のように,アージーヴィカ教を独立した宗教ではなく,ジャイナ教の一派と捉える研究者もおり,他にも,Zimmer[1951]などがこのような考え方を採っている.
渡辺[1996: 42]によれば,ジャイナ教内部にもそのような伝承があり, JinabhadraのViśeṣāvaśyakabhāṣyaには「アルハット(=マハーヴィーラ)にとってのゴーサーラは,ブッダにとってのデーヴァダッタのようなものである(tad yathārhato gosālakaḥ, buddhasya devadattakaḥ)」という記述が見られるという.
3 Basham[1951: 187ff.]によれば,南インドでは14世紀頃まではその存在が確認できる.
4 ジャイナ教が伝承してきた文献Isibhāsiyāiṃ第11章にゴーサーラの教説が見られるが,この文献の記述は宗派的な偏向がないと言われている.この章を分析したものとしては,渡辺[1984]を,また和訳としては,松濤[1966], 高木[1982],中村[1991: 91ff.]等を参照.
5 渡辺[1981]が指摘するように,ジャイナ教側の資料ではあるものの,Viy 第15章の語彙は,Viyの他の箇所や他のジャイナ教聖典には見られない独特なものであり,そのような意味でも,アージーヴィカ教の失われてしまった古い伝承を何らかの形で含んでいる可能性がある.
また,時代的にはかなり新しいが,白衣派には,他にもHemacandraの手になるジャイナ教の63人の偉人の伝記Triṣaṣṭiśalākāpuruṣacaritaのマハーヴィーラ伝にゴーサーラに関する記述が見られ,Johnson[1926]で紹介されている.
6 Watanabe[1985: 71], 渡辺[1996: 41]によれば,渡辺研二氏はViy 第15章のテキスト校訂を終えているようであるが,現段階では公開されていないようである.ただし,氏の校訂テキストは,渡辺[1981][1983]等の研究の中で部分的に発表されている.
7 この帰敬文は,他にもViyの第17, 21, 22, 23, 24, 26章にも見られる.ただし,写本でも明らかに本文とは異質であることや, Abhayadevaが注釈していないことから,写本の筆写者などによる挿入の可能性が高いと考えられる.以上の点については,渡辺[1983]を参照.また,ジャイナ教のŚrutadevatāについては,Ludvik[2007: 234, n.38]等を参照.
8 ジャイナ教における時間周期は,世の中が良くなっていく上昇期(utsarpiṇī)と悪くなっていく下降期(avasarpiṇī)に分かれていて,その両者が途切れることなく繰り返される.上昇期と下降期の両者もそれぞれ6つの段階に分けられており,いずれの場合も,解脱が可能となるのは,良すぎも悪すぎもしない3番目と4番目の時代であるとされる.経典の冒頭に置かれる「その時代の」(teṇaṃ kāleṇaṃ)という表現は,そのジャイナ教の時間周期のうちの下降期の第4期を指し,「その時期に」(teṇaṃ samaeṇaṃ)という表現は,これから説かれる物語が起こった特定の時期を指す.
9 Ovāiya 1より,町の描写を補う.
10 Ovāiya 2-13より,遊園の描写を補う.
11 ājīviya(Skt. ājīvika):語源や語義に関する詳細は,Basham[1951: 101ff.]を参照.また,雲井[1967]は,アージーヴィカ教が漢訳で「邪命外道」などと呼ばれた理由を,初期仏典に見られるアージーヴィカ教の教義にもとづいて詳しく考察している.
12 Uvāsagadasāo第7章にもアージーヴィカ教からジャイナ教へ改宗した陶工のエピソードがあり,Basham[1951]等により,陶工とアージーヴィカ教徒の間には何らかの密接な関係があったことが指摘されている.Uvāsagadasāo第7章の英訳は,Hoernle[1888: 118ff.], 和訳は河崎[2003: 240ff.]を参照.高橋[1992b]は,陶工などは土着的要素が強く,非アーリヤ的要素が強いと考え,アージーヴィカ教の成立基盤に非アーリヤ的要素が関わっていると考える.一方,河崎[2003: 240, n.1]では,仏典に見られる就労を禁じられる職業に陶工が含まれる点を挙げて,ジャイナ教徒があえてアージーヴィカ教の支持母体を世間的に蔑まれる者たちにしている可能性も示唆する.
13 この第4節は,Uvāsagadasāo冒頭部分と固有名詞以外はほぼ同文である.
14 Abhayadeva: “disācaraˮ tti diśaṃ merāṃ caranti yānti manyante bhagavato vayaṃ śiṣyā iti dikcarāḥ deśāṭā vā. Basham[1951: 56ff.]でも論じられているように,このdesācaraという語の意味は曖昧であり,多くの問題がある.
15 Abhayadevaによると,これらの6人をṬīkā作者はマハーヴィーラの弟子,Cūrṇi作者はパーサの徒であると解する.Abhayadeva: dikcarā bhagavacchiṣyāḥ pārśvasthībhūtā iti ṭīkākāraḥ, “pāsāvaccijjaˮ tti cūrṇikāraḥ. 後代の文献ではあるが,HemacandraのTriṣaṣṭiśalākāpuruṣacaritaには,Cūrṇiと同様,パーサの弟子であったが,誓戒(vrata)を捨てた者たちであったと記されている.saṃjātapratyayaś caivaṃ kautukālokanapriyaḥ/ gośālako vṛto lokair vihartum upacakrame// śrīpārśvaśiṣyā aṣṭāṅganimittajñānapaṇḍitāḥ/ gośālakasya militāḥ ṣaḍ amī projjhitavratāḥ// Triṣaṣṭiśalākāpuruṣacarita 10.4.133-134.(Ed. Vijayaśīlacandrasūri. Amadāvāda: Kalikālasarvajña Śrīhemacandrācārya Navama Janmaśatābdī Smṛti Śikṣaṇa Saṃskāranidhi.)当該箇所の英訳は,Johnson[1962: 89]を参照.
16 プッヴァ(Puvva)は第23代救済者のパーサの時代にまで遡り,14のテキストを含むとされる.これらは現存しないが,後代の文献の中にその内容が部分的に見られる.失われた第12アンガのDṛṣṭivādaには,プッヴァの主要な教えが含まれていたと考えられている(以上の説明は,Jaini[1979]による).Dṛṣṭivāda に含まれていたと考えられる内容に関しては,Alsdorf[1973]を参照.
17 Abhayadevaに従って補った.Abhayadevaによれば,8種類の予兆とは,神に関するもの(divya),前兆に関するもの(autpāta),虚空に関するもの(āntarikṣa),大地に関するもの(bhauma),身体に関するもの(āṅga),音声に関するもの(svara),特徴に関するもの(lakṣaṇa),指示に関するもの(vyañjana)という8種類の予兆を指す.Abhayadeva: “aṭṭhavihaṃ puvvagayaṃ maggadasamaṃˮ ti aṣṭavidham aṣṭaprakāraṃ nimittam iti śeṣaḥ, tac cedaṃ ― divyaṃ autpātaṃ āntarikṣaṃ bhaumaṃ āṅgaṃ svaraṃ lakṣaṇaṃ vyañjanaṃ ceti. Basham[1951: 213ff.]やBalcerowicz[2016: 55ff.]では,これらをアージーヴィカ教の聖典の名前と見なしている.Ṭhānaṅga 8.608でもこれら8つが列挙されるが,順序が異なり,また中身も一部異なる.Balcerowicz[2016: 55]の表を参照.雲井[1967: 141f.]などでも指摘されているように,アージーヴィカ教徒が吉凶占いを行っていたことは初期仏典の記述からも確認できる.
18 Abhayadevaは「9番目」という語が落ちており,「8種類の予兆と9番目,10番目の道」と読むべきであると解する.9番目の道は歌の道,10番目の道は踊りの道とされるが,詳細は不明.Abhayadeva: tathā mārgau gītamārganṛtya- mārgalakṣaṇau sambhāvyate, “dasamaˮ tti atra navamaśabdasya luptasya darśanān navamadaśamāv iti dṛśyam, tataś ca mārgau navamadaśamau yatra tat tathā. 渡辺[1981: 86]では,Sūyagaḍa I.12.9に対するŚīlaṅkaの注釈で8種類の予兆が9番目のプッヴァから取り出されたとされている点を挙げ,Abhayadevaのこのような解釈が生じた理由を,Viy第15章で10番目とされている点に求めている.
19 Abhayadeva: “maidaṃsaṇehiṃˮ ti mateḥ buddher matyā vā darśanāni prameyasya paricchedanāni matidarśanāni taiḥ. 後代のジャイナ教学説によれば,霊魂が持つ精神作用(upayoga)は,普遍を把捉する観照(darśana)と特殊を把捉する認識(jñāna)の2種類に大きく分けられ,前者のうちの感官によるものがmatidarśanaと呼ばれる.ただし,この文脈での意味にはそぐわないと判断した.
20 弟子入りしたことを意味する.Abhayadeva: “uvaṭṭhāiṃsuˮ tti upasthitavantaḥ āśritavanta ity arthaḥ.
21 savvesiṃ pāṇāṇaṃ savvesiṃ bhūyāṇaṃ savvesiṃ jīvāṇaṃ savvesiṃ sattāṇaṃという4つの列挙は,ジャイナ教聖典にもしばしば見られるものであるが,Sāmaññaphalasuttaのゴーサーラの学説の部分にも,次のような順序で列挙される.sabbe sattā sabbe pāṇā sabbe bhūtā sabbe jīvā avasā abalā aviriyā niyatisaṅgatibhāvapariṇatā chassevābhijātisu sukhadukkhaṃ paṭisaṃvedenti. Sāmaññaphalasutta 20(The Dīgha Nikāya Vol.I. Ed. T. W. Rhys Davids & J. Estlin Carpenter. London: The Pali Text Society, 1975).
22 原文は,lābhaṃ alābhaṃ suhaṃ dukkhaṃ jīvitaṃ maraṇaṃ tahā.底本では散文とされているが,Schubring[1954]によりhalf-ślokaであることが指摘されている.渡辺[1981]では,このhalf-ślokaのパラレルをいくつか挙げ,これらの要素とジャイナ教の平静行(sāmāyika)との関連を指摘している.
なお,概説書などに見られる「ゴーサーラは,霊魂・地・水・火・風・空・得・失・苦・楽・生・死という12の要素の存在を認めた」などという記述は,宇井[1965: 379]の記述に由来し,谷川[1997]が指摘するように学問的根拠に欠けるものである.また,谷川[1997]は,6要素に関しても,資料として不完全な点,二元対立的な要素の代表的なものを挙げているに過ぎない点を挙げて,ゴーサーラの教説として固定的なものと言えるかどうか,再検討の余地があることを指摘している.
23 「崇拝に値する者」の意.Abhayadeva: arhan pūjārhaḥ.
24 第9節では,マハーヴィーラの視点にもとづいて「ジナではないのにジナであると称し(ajiṇe jiṇappalāvī)」となっているのが,ここでは,世間の人々の噂話であるため,「ジナとなり,ジナであると称し(jiṇe jiṇappalāvī)」となっている.
25 第六食というのはジャイナ教の苦行の一種で,食事を5回にわたって断ち(1日の食事は2回),6番目の食事を摂るというもので,2日間の断食となる.
26 Abhayadeva: “evaṃ jahā biiyasae niyaṃṭṭhuddesaeˮ tti dvitīyaśatasya pañcamoddeśake.
27 Maṃkhali(Skt. maskarin):maskarinという語については,Hoernle[1908]以来,多くの先行研究が指摘しているように,Pāṇiniが以下のように定義している.maskaramaskariṇau veṇuparivrājakayoḥ/ Pāṇinisūtra 6.1.154.「maskaraは竹を,maskarinは遍歴行者を意味する.」この見解に従うならば,maskarinは「竹製の杖を持った者」という称号であり,人名というよりは遍歴行者を指す可能性が高い.したがって,Maṃkhaliを父親の名前であるとするジャイナ教の伝承を鵜呑みにすることはできない.
一方,パーリ仏典には,Makkhaliという語形が見られ,そこでは,父親ではなく,ゴーサーラ本人の名前とされる.BuddhaghosaはSāmaññaphalasuttaの注釈において,ゴーサーラに関するエピソードとともに,主人が油の入った壺を持って歩くゴーサーラに「躓かないように(mā kali)」と言ったことに由来するという,いわゆる通俗語源解釈を提示している.Buddhaghosaが伝えるエピソードの和訳は,付録1を参照.また,上記のPāṇinisūtraに対するMahābhāṣyaにおけるPatañjaliの説明は,Buddhaghosaの解釈を思わせる.na vai maskaro ʼsyāstīti maskarī parivrājakaḥ/ kiṃ tarhi/ mā kṛta karmāṇi, mā kṛta karmāṇi śāntir vaḥ śreyasīty āhāto maskarī parivrājakaḥ// Mahābhāṣya ad Pāṇinisūtra 6.1.154(Ed. F. Kielhorn. Bombay Sanskrit Series No.XXVIII. Bombay: The Department of Public Instruction Bombay, 1884)「遍歴行者は,竹の杖を持っているがゆえにmaskarinなのではなく,「決して,行為を行うな.寂静があなたにとって最高のものである」と主張するがゆえに,遍歴行者はmaskarinなのである.」
28 Abhayadeva: “maṃkheˮ tti maṅkhaḥ citraphalakavyagrakaraḥ bhikṣākaviśeṣaḥ.他にも,Basham[1951: 35]等を参照.このような絵解きを生業とする者は,例えば,BāṇaのHarṣacaritaにも,恐ろしい水牛に乗った死神(yama)の絵を見せるyamapaṭṭakaと呼ばれる者が見られ,実際にこのような職業があったと考えられる.yamapaṭṭakaに関しては,Cowell et al.[1897: 136, n.2]を参照. ただし,maṃkhaであったことがmaṃkhaliという語からの連想であると考えるならば,ゴーサーラの父親が絵解き行者であったという説は,ジャイナ教徒の創作である可能性が高いと言える.
29 Buddhaghosaの伝承には,両親に関する情報は見られない.付録1を参照.
30 この地名については,Basham[1951: 37]を参照.
31 「牛小屋生まれ」の意.この点については,Buddhaghosaの伝承と一致する.付録1を参照.
32 渡辺[1981][1983]によれば,時系列的にはマハーヴィーラがゴーヤマに自らの伝記を語るこの部分から物語が始まり,その流れの中でゴーサーラとの関わりを述べるべきである.したがって,ここまでの内容は,時系列的には第58節の後などに入れるべきものと考えられ,Hoernle[1888]の要約でもそのような順序が採用されている.渡辺[1981][1983]は,このような不自然な倒置は,原Teyanisaggaが,マハーヴィーラとゴーヤマの問答体で構成されるViyに組み込まれる際に起こった作為の跡と考える.
33 Abhayadevaは,この箇所をᾹyāraṅgaの第2編第15章から補うよう指示している.Abhayadeva: “evaṃ jahā bhāvaṇāeˮ tti ācāradvitīyaśrutaskandhasya pañcadaśe ʼdhyayane, anena cedaṃ sūcitaṃ. しかしながら,現存するᾹyāraṅgaには見出されず,Kalpasūtraに含まれる Jiṇacariyaの中に存在することが,渡辺[1983]等によって指摘されている.
34 食べ物などの清浄を指す.Abhayadeva: “davvasuddheṇaṃˮ iti dravyaṃ odanādikaṃ śuddhaṃ udgamādidoṣarahitaṃ yatra dāne tat tathā tena.
35 Abhayadevaの解釈に従った.Abhayadevaは「した,させた,〔するのを〕認めた」という3種の区別を指すという第2解釈も挙げる.Abhayadeva: “tiviheṇaṃˮ ti uktalakṣaṇena trividhena, atha vā trividhena kṛtakāritānumatibhedena.
36 心,言葉,身体による行為を指す.Abhayadeva: trikaraṇaśuddhena manovākkāyaśuddhena.
37 ジャイナ教では,霊魂には地獄の住者,動物,人間,神という4種の帰着点があり,霊魂を神の身体に結び付ける業が神になる寿量業である.nārakāyuṣyaṃ tiryagāyuṣyaṃ manuṣyāyuṣyaṃ devāyuṣyaṃ cety āyuś caturvidham// yad devaśarīre dehinaṃ dhārayati tad devāyuṣyam// Karmaprakṛti 58, 62.(Ed. Gokulacandra Jaina. Vārāṇasī: Bhāratīya Jñānapīṭha Prakāśana)
38 Abhayadevaの解釈に従って補った.Abhayadeva: “kayā ṇaṃ logaˮ tti kṛtau śubhaphalau avayave samudāyopacārāt lokau ihalokaparalokau.
39 第15節のサラヴァナという集落と同様の描写を補う.
40 Abhayadevaに従って補った.Abhayadeva: “sauttaroṭṭhaṃˮ ti saha uttarauṣṭhena sottaroṣṭaṃ saśmaśrukaṃ yathā bhavatīty evam, “muṃḍaṃˮ ti muṇḍanaṃ kārayati nāpitena.
41 Abhayadevaは,地名ではないと解釈する.“paṇiyabhūmīeˮ tti paṇitabhūmau bhāṇḍaviśrāmasthāne, praṇītabhūmau vā manojñabhūmau. Schubring[1954: 256], Deleu[1970: 215], Watanabe[1985: 74]なども同様の見解を示唆する.しかし,Kalpasūtraなどには,マハーヴィーラが雨季を過ごした場所が記録されており,paṇiyabhūmi以外の場所がすべて地名であることから,ここでは地名として解釈した.
42 渡辺[1996]では,マハーヴィーラとゴーサーラの関係に関する異なった伝承として,空衣派文献Bhāvasaṃgrahaの伝承を紹介している.該当部分の和訳は,付録2を参照.
43 Abhayadevaの解釈に従った.Abhayadeva: “paṇiyabhūmīeˮ tti paṇitabhūmer ārabhya praṇītabhūmau vā manojñabhūmau. Kalpasūtraでは,マハーヴィーラがパニヤブーミで雨季を過ごしたのは1度だけであるとしており,paṇiyabhūmīeを処格と解釈した場合には,パニヤブーミで6年間修行したことになり,矛盾する.この点に関しては,Hoernle[1888: 2]を参照.
44 ここでの6つは,第8節の6つの生・死が尊敬・侮蔑に入れ替わっている.平静行を説いたUttarajjhāyāには,生・死と尊敬・侮蔑を含む詩節も見られ, 6要素を固定的に見ることに注意を促す谷川[1997]の指摘を裏付けるものと言える.lābhālābhe suhe dukkhe jīvie maraṇe tahā/ samo nindā pasaṃsāsu tahā māṇāvamānao// Uttarajjhāyā 19.20.(Ed. Ᾱcārya Mahāprajña. Lāḍanūṃ: Jaina Viśvabhāratī, 1967) 注22を参照.
45 Abhayadevaに従った.Abhayadeva: “aṇiccajāgariyaṃˮ ti anityacintāṃ kurvann iti vākyaśeṣaḥ.
46 Abhayadevaによると,マールガシールシャ月,パウシャ月から成る秋季のうちの最初,すなわちマールガシールシャ月を指す.Abhayadeva: “paḍhamasarayakālasamayaṃsiˮ tti samayabhāṣayā mārgaśīrṣapauṣo śarad abhidhīyate, tatra prathamaśaratkālasamaye mārgaśīrṣe.
47 第47節の突如として神聖な雨が降るとい奇跡の伏線となる記述.
48 bālatavassī: Deleu[1970: 216]の解釈に従った.
49 注21を参照.
50 Abhayadevaの第1解釈に従った.Abhayadeva: “kiṃ bhavaṃ muṇī muṇieˮ tti, kiṃ bhavān “muniḥˮ tapasvī jātaḥ, “muṇieˮ tti jñāte tattve sati jñātvā vā tattvam, atha vā kiṃ bhavān “munīˮ tapasvinī, “muṇieˮ tti munikaḥ tapasvīti, atha vā kiṃ bhavān “muniḥˮ yatiḥ uta “muṇikaḥˮ grahagṛhītaḥ.「知る」ことと聖者(muni)との関連は,Isibhāsiyāiṃ第11章のゴーサーラの教説の中にも認められる.この点については,渡辺[1984]を参照.
51 Schubring[1954: 257, n.1]で指摘されているように,この文脈におけるteya(Skt. tejas)は,実際の火ではなく,集めて,丸めたうえで放たれたエネルギー,もしくは魔術的な力のようなものと考えられる.
52 lessā(Skt. leśyā): ジャイナ教の一般的な学説では,霊的な段階を示す霊魂の6種類の色彩(黒,青,灰色,赤,黄,白)を指す.kiṇhā nīlā ya kāū ya teū pamhā taheva ya/ sukkalesā ya chaṭṭhā u nāmāiṃ tu jahakkamaṃ// Uttarajjhāyā 34.3. ただし,この場面のように,身体の外にそのleśyāを放出するような例は稀である.ジャイナ教のleśyāについては,土橋[1973], Wiley[2000]等を参照.ジャイナ教以外の文献にも見られる類似した学説を紹介しながらこのleśyā説の起源を探り,これら6つの色が古代インドの主要六金属の色に対応していることを明らかにしたものとして,Tokunaga [2005]がある.
53 第50節では,ヴェーシヤーヤナの放ったものはteyaとのみ記されていたが,ここではteyalessāというように,lessāの語が付加される.
54 マハーヴィーラの温情により,自らが焼かれなかったことを理解したということ.“gatagatameyaṃˮと言葉が繰り返されているのは,自らのlessāが打ち負かされたことによる動揺を表現している.Abhayadeva: “se gayam eyaṃ bhagavaṃ gayagayam evaṃ bhagavaṃˮ ti atha gataṃ avagatam etan mayā he bhagavan yathā bhagavataḥ prasādād ayaṃ na dagdhaḥ, sambhramārthatvāc ca gataśabdasya punaḥ punar uccāraṇaṃ.
55 saṃkhittaviulateyalessa: 直訳は「小さく,かつ大きな」であり,使用しない時はコンパクトにまとまっているが,使用する時には大きくなるという意味.Abhayadeva: “saṃkhittaviulateyaleseˮ tti saṅkṣiptāprayogakāle, vipulā prayogakāle tejoleśyā labdhiviśeṣo yasya sa tathā.
56 白衣派・空衣派の両方から権威を認められているジャイナ教の数少ない標準学説綱要書Tattvārthādhigamasūtra(以下,TAAS)の第2章では,霊魂(jīva)は,輪廻する者と解脱した者とに分類され,さらに,輪廻する者は動く者と動かない者に分類されている.そして,動く者には,火,風,2つ以上の感覚器官を備えた者が,動かない者には,地,水,植物(vanaspati)が含められている(空衣派刊本では,火と風も動かない者に含める).また,地,水,植物,火,風は,TAAS 2.23で,1つの感覚器官を備えた者であるとされ,2~5つの感覚器官を備えた者としては,TAAS 2.24で,それぞれ虫,蟻,蜂,人間が挙げられている.このように,ジャイナ教における植物は,レヴェルの差はあるものの,輪廻する存在として,虫から人間にいたる生き物と同列に論じられている.
57 Abhayadevaの解釈に従った.Abhayadeva: “vaṇassaikāiyāo pauṭṭaparihāraṃ pariharaṃtiˮ tti parivṛtya parivṛtya mṛtvā mṛtvā yas tasyaiva vanaspatiśarīrasya parihāraḥ paribhogas tatraivotpādo ʼsau parivṛtyaparihāras taṃ pariharanti kurvantīty arthaḥ. “pauṭṭaparihāraˮという語に関しては,様々な解釈がある.“reanimation without transmigrationˮ(Basham[1951]), “limitation [of rebirth] through remaining in forceˮ(Schubring[1954].英訳はDeleu[1970]による), “abondonment of transmigrationˮ(Deleu[1970]).
58 Abhayadeva: “pauṭṭeˮ tti parivarttaḥ parivarttavādaḥ ity arthaḥ.
59 Abhayadevaは,「自ら教えを説いてから」と解するが,ここでは,マハーヴィーラの意志とは関係なく,自発的に,という意味に解したAbhayadeva: “āyāe avakkamaṇeˮ tti ātmanādāya copadeśam.
60 Ettha pana Makkhalīti tassa nāmaṃ, gosālāya jātattā Gosālo ti dutiyaṃ nāmaṃ. Taṃ kira sakaddamāya bhūmiyā telaghaṭaṃ gahetvā gacchantaṃ ʻTāta mā kalītiʼ sāmiko āha. So pamādena khalitvā patitvā sāmikassa bhayena palāyituṃ āraddho. Sāmiko upadhāvitvā dasākaṇṇe aggahesi. So sāṭakaṃ chaḍḍetvā acelako hutvā palāyi. Sesaṃ Pūraṇasadisam eva. Sāmaññaphalasuttavaṇṇanā, pp.143-144.(The Sumaṅgalavilāsinī, Buddhaghosaʼs Commentary on the Dīgha Nikāya Part I. Ed. T. W. Rhys Davids & J. Estlin Carpenter. London: The Pali Text Society, 1968) この部分の英訳は,Hoernle[1888: 29]を参照.
61 masayarapūraṇarisiṇo uppaṇṇo pāsaṇāhatitthammi/ sirivīrasamavasaraṇe agahiya- jhuṇiṇā ṇiyatteṇa// bahiṇiggaeṇa uttaṃ majjhaṃ eyārasaṃgadhārissa/ ṇiggai jhuṇī ṇa aruho viṇiggayā sā sasīsassa// ṇa muṇai jiṇakahiyasuyaṃ saṃpai dikkhā ya gahiya goyamao/ vippo veyabbhāsī tamhā mokkhaṃ ṇa ṇāṇāo// aṇṇāṇāo mokkhaṃ evaṃ loyāṅa payaḍamāṇo hu/ devo ṇa atthi koī suṇṇaṃ jhāeha icchāe// Bhāvasaṃgraha 161-164(Ed. Pannālālasonīti. Māṇikacandradigambarajainagranthamālā No.20. Bambaī: Māṇikacandradigambarajainagranthamālāsamiti, Vi* Saṃ* 1978)
62 このMasayarapūraṇaという人名を,chāyāではMaskaripūraṇaとしており,しばしば指摘されるゴーサーラとプーラナの密接な関係(とりわけ南インドにおいて顕著な)なども加味するならば,ゴーサーラに関するエピソードとも考えられる.しかしながら,masayaraのサンスクリット語対応形についても疑問が残るため,この人物がゴーサーラを指すのかどうかという点に関しては,判断が難しい.
63 教団長になれなかったからではなく,教団長だけが聞くことのできるマハーヴィーラの神聖な字音を聞き取れなかったことが理由で説法の場から離れたと考えられる.その点で,渡辺[1996]の要旨とは,一部,解釈が異なる.