Studies of Buddhist Culture
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1999 Volume 3 Pages 47-67

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I. arthāpattiにvirodhaはありえるのか?

「太郎はあんなに太っているのに,食べているのを見たことがない」1という発言において,言う方も,聞く方も「おかしいこともあるものだな」と感じるだろう.この「おかしさ」は,現に,接続詞である「のに」が表している.つまり「太郎が太っている」という前文と,「食べているのを見たことがない」という後文は,スムーズに接続できないで,両者の間に何らかの摩擦が生じているのである.しかし,この摩擦は「彼は昼間食べないが,夜食べているに違いない」と想定することで解消される.「太郎は,今日は,家にいないが,どうしたんだろう」2という場合も同様である.即ち,隠れた前文である「太郎が生きていること」3と,後文である「家にいないこと」は,何らかの緊張を生じている.「生きているのに,ここにいないのはおかしいな」というように.そして,この緊張は「外に出かけているんだな」と想定することで解消される.では,この摩擦・緊張の正体は何なのだろうか.

インド哲学の領域で,このような認識はarthāpatti(直訳すると「対象に基づく帰結」,漢訳は「義準(量)」,従来訳は「論理的要請」,presumption, selbstverständliche Folgerung)と呼ばれる.本来は「文から理解された直接の内容に基づいて(arthāt),間接的な内容が帰結する(āpadyate)」という意味であったと思われる4.極端な例を言えば,「雲がないなら雨は降らない」と聞いて,「雲があれば雨が降るのだな」と理解する場合が挙げられることもある.勿論これは論理的には正しくないので5,純然たるarthāpattiの例とは承認しがたいが,このような例が挙げられること自体,世間でよく用いられる思考法からarthāpattiが発展してきたという出自を窺わせる.

このような世間的な思考法はさておき,後五世紀以降,認識論が整備・体系化され,arthāpattiも,正しい認識(pramā[ṇa])の一つとして定型化されるに到ると,arthaは,文意(vākyārtha)に限らず,正しい認識一般の対象(prameya)とされた.即ち「正しく認識された対象に基づいて,間接的な対象が帰結し,想定される」となる.先ほどの例で言えば「太郎が生きていること」から出発して,「家にいないこと」を経て,間接的な対象である「外にいること」が想定される.

ヴェーダ解釈学/祭事教学であるミーマーンサーにおいて,arthāpattiは,知覚(pratyakṣa),推論(anumāna),証言(śabda)等と並んで,他に還元されることのない独立した認識型として設定されている.そして,彼等は,「~なのに~である」の「のに」が表す摩擦・緊張をvirodhaと明言する6.virodhaは,最も厳密な意味では,Aと~Aの関係である矛盾(contradiction),或いは,「同一の基体に同時にありえない両項の関係」である不両立(incompatibility)を指して用いられる.しかし,すぐに分かるように,「太っていること」と「昼間食べないこと」,「生きていること」と「家にいないこと」は,厳密には矛盾しない.矛盾するなら両項は,同一人物にはありえないからである.例えば「太郎は生きている」と「太郎は死んでいる」とが矛盾し,同一人物にありえないように.

現に,インド論理学であるニヤーヤの立場から,ウダヤナ・アーチャーリヤは,このようなミーマーンサーの立場を鋭く攻撃している.「前文と後文が矛盾するなら,いずれかは正しくないはずである.」「もしいずれも正しいと主張するなら,矛盾はないはずだ.」との彼の主張(後述)は,我々の実感を見事に表現してくれている.では,ミーマーンサーが認めるvirodhaとは如何なるものなのか.そもそも,ミーマーンサーの伝統において,arthāpattiにvirodhaがあると主張しているのか.これまでの研究で十分には追求されてこなかった「arthāpattiにおけるvirodha」に焦点を絞り,インド哲学文献を探ることにする.

II. 先行研究におけるvirodhaの解釈

現代ミーマーンサー研究の端緒であるJha [1978] 71(初版1911)は,プラバーカラ派と対立する形でバッタ派のarthāpattiに言及し,その本質を,「二つの事実間の不調和」(mutual irreconcilability or inconsistency between two well-ascertained things)にあるとする.彼自身が資料として挙げているように,これは,Śāstradīpikāに基づく7

Keith [1978] 34(初版1921)は,「見かけ上の」(apparent)という形容詞を付すことで,「両事実間の不調和」が,あくまでも解消可能であることに注意を払っている.Śāstradīpikāに見られるような「二つの事実間」ではなく,MānameyodayaやNyāyakusumāñjaliに見られるように「二つのpramāṇa間」としてはいるが,以上を受ける形で,Sastri [1961] 142(初版1932)は,これまでの「和解不能」(irreconcilability),「見かけの不調和」(apparent inconsistency),「食い違い」(discrepancy)という曖昧な日常表現を改め,「和解不能のcontradictionではなく和解可能なconflict」と捉え直すことで,論理的にcontradictionとconflictの違いを明確化している.即ち,「生きていること」は広く,「家にいないこと」は狭いので,両者の関係は,厳密には,Aと~Aの関係であるcontradictionには相当しないというのである.ここまでの研究で,「arthāpattiにおけるvirodha」は,「contradictionではなくconflictである」と,論理的に明確化されたことになる.以下,本稿では,厳密な意味でのAと~Aの関係であるcontradictionに「矛盾」,それに対するconflict,即ち,厳密な矛盾関係を意図せず,両者の緊張・摩擦をラフに指すものとしては「衝突」を用いることにする.

論理的位相の明確化と並んで,早い段階では,Dasgupta [1988] 392-393(初版1922)に,arthāpattiを心理的に捉える傾向が見られる.晩年になりJha [1964] 140(初版1942)は,「不調和」に「心的な」(mental)という形容詞を加えている.バッタ派の認識論について詳細に論じるBhatt [1962] は,論理的な位相を確かめた上で(Bhatt [1962] 313-314),最終的に「不調和」(inconsistency)を「論理的なもの」ではなく「心理的なもの」とする.その理由として,彼は,「二つの認識間」ではなく,「事実」と「我々の一般的経験」との間に矛盾があることを挙げる.即ち彼は,「生きていること」と「家にいないこと」についてこれまで言われてきた「両者は矛盾せず,衝突するだけで,和解可能である」を前提としながらも,それを改め,「チャイトラの家に行くといつも彼は家にいる」という日常経験と「家にいないこと」という事実とが矛盾する,と提案している(Bhatt [1962] 327).これは「arthāpattiにおけるvirodha」を「矛盾ではなく衝突」とする立場を踏まえた上で,「論理的に矛盾ではなく衝突というのは確かにそうであるが,心理的,経験的には,矛盾が可能である」という立場を取るものである.経験との齟齬については,既にHiriyanna [1993] 320(初版1932)も指摘している.またBhatt [1962] 339は,一般的日常的経験に対立するものを「非日常的なもの」(something unusual),「見慣れないもの」(strange)と呼んでいる.後で見るように,これは,「既知と未知」という視点と関わるものであり,重要な指摘である8.以上,「arthāpattiにおけるvirodha」に関して,先行研究の立場をまとめれば,以下のようになる.

Jha: 二つの事実間の不調和(mutual irreconcilability, inconsistency)

Keith: 和解されるべき見かけの不調和(apparent inconsistency, discrepancy)

Sastri: 和解不能の矛盾(contradiction)ではなく和解可能な衝突(conflict)

Jha: 心的不調和(mental irreconcilability, inconsistency)

Bhatt: 心的緊張(a feeling of tension in the mind),心理的非一貫性(psychological inconsistency),事実(a fact)と経験(our general experience)の間の矛盾(contradiction)

III. Mānameyodayaの劣勢

ミーマーンサーの綱要書として有名なMānameyodaya (「認識手段・認識対象の解明」)前半において,ナーラーヤナ・バッタ(後十七世紀頃活躍)は,arthāpattiにvirodhaがあることを弁護している.彼は,冒頭から「広い認識(sādhāraṇapramāṇa)と,狭い認識(asādhāraṇamāna)とがvirodhaすることで,virodhaしていない部分に対する認識が生じる.それがarthāpattiである」(MMU 120.6-7)と定義する.そして,広い方に「生きていること」の認識,狭い方に「家にいないこと」の認識を配し,virodhaしていない部分に「外にいること」を当てている(MMU 120.8-9).しかし,この時点で既に明らかなように,彼が言うvirodhaは,厳密な意味での「矛盾」ではない.矛盾対は同一領域を占める必要があるからである.

勿論,彼は,厳密な意味での「矛盾」を知らなかった訳ではない.直後に彼は,ニヤーヤ学派からの反論者を登場させ「二つの認識手段間にvirodhaはない」と言わせ,その例として「これは銀である」「これは銀でない」というように,Aと~Aの関係としての「矛盾」を明確にしているからである(MMU 121.7-8).つまり,彼は,ニヤーヤ学派がミーマーンサーにおけるvirodhaを「矛盾」として捉えていたことを知っていたのである.

ニヤーヤの攻撃に対して彼は「二つの認識間にvirodhaがないことはない」(MMU 123.9)とミーマーンサーの立場を弁護する.「広い認識は狭い認識に否定されるのだが,余裕があるので,誤った認識とはならない」(MMU 124.4-5)というのが彼の結論である.要するに彼は,ニヤーヤが「矛盾はない」と攻撃したのに対し,「矛盾はなくとも衝突はあるのでvirodhaはある」と,virodhaの語義を緩やかにして答えているに過ぎない.このようなvirodhaは,厳密な意味での矛盾ではなく,単なる衝突に過ぎない.

このように,ナーラーヤナ・バッタにおいて,最終的には,arthāpattiに厳密な意味での「矛盾」はなかった.しかし,彼の偏執的とも言えるvirodhaという表現へのこだわりは,「arthāpattiにはvirodhaがある」ということが,ミーマーンサーの伝統において否定できない旗印として意識されていたことを窺わせる.では,ミーマーンサーの伝統において標榜されるarthāpattiのvirodhaとは,ナーラーヤナ・バッタが図らずも漏らしたように,厳密な意味での「矛盾」ではないのだろうか.

IV. ウダヤナからの批判

ナーラーヤナ・バッタが「二つの認識間に矛盾はない」と主張するニヤーヤ学徒を登場させた時,意識していたニヤーヤの学匠は,鋭い舌鋒で知られる巨匠ウダヤナ・アーチャーリヤ(後十一世紀後半頃)である.彼は,先行するシュリーダラ(後十世紀頃)において若干不明瞭に展開された「virodha批判」を,論理的に詰めていく.(興味深いことに,ニヤーヤの学統から「virodha批判」が行われたのは,筆者の知る限り,このシュリーダラをもって嚆矢とする.)

ウダヤナは,「二つの正しい認識の間に矛盾は無い」(NKus 3.19c, 454.12)と述べ,ミーマーンサーが主張するvirodhaを,厳密な意味での「矛盾」と解釈した上で,そのような矛盾が存在しないことを突いている.即ち,「生きていること」の認識と,「家にいないこと」の認識とは矛盾しないと主張する.もし矛盾するなら,いずれかが間違いということになるからである.ちょうど,薄暗がりで縄を蛇と間違えるようにである.或いは,いずれもが正しい認識なら,両者の間に矛盾はないはずである.同じ薄暗がりにあっても,杭棒等の対象物を「これは太い」「これは一つだ」と捉える認識は,いずれも正しい.同一主語に対し,矛盾しない二つの述語は接続可能である.また,二つの述語が矛盾しても,主語が別なら接続可能である.即ち,同一人物が同時に「チャイトラ」であり「マイトラ」であることは不可能だが,「こちらはチャイトラです」「一方こちらはマイトラです」というように,指示対象がことなれば可能である.このように,ウダヤナは,「二項の正しさ」と「二項の矛盾」とが両立不可能であることを鋭く示し,ミーマーンサーを攻撃している9

更に彼は,矛盾ということが可能になるためには,二つが「同一対象領域を有すること」(ekaviṣayatā)が必要だと説く.ナーラーヤナ・バッタの言うように「広い認識」「狭い認識」ではなく,矛盾する二項は,どちらも同じ広がりを持たねばならない.ウダヤナの透徹した目からすると,「生きていること」と「家にいないこと」という広がりの違うものを矛盾対と主張するミーマーンサーは,非論理的な輩に映ったに違いない.

しかし,ウダヤナの想定するミーマーンサー説は,ナーラーヤナ・バッタのように,単純ではない.そこでは,詰まるところ,「厳密な意味での矛盾は可能である」との主張がなされているようである.即ち,「生きていること」と「家にいないこと」という対ではなく,「家にいること」と「家にいないこと」という対の間に矛盾がある,ということを念頭においてミーマーンサー説が提示されていると思われる10.「同一の対象領域を持つ」(ekaviṣayatā)という条件下では,両者の矛盾(virodha)が依然として残り,説明不可能となる(anyathānupapadyamāna)ので,いずれをも救済し,説明可能とするために,「異なる対象領域を持つ」ものとして(vibhinnaviṣayatayā)両者を設定してやる11.ミーマーンサー側は,毒の比喩を用いて,「同一の対象領域を持つこと」という毒にやられたのを,「異なる対象領域を持つこと」によって救うと説明している.具体的に言うと,同一対象領域を持つという条件下では,「家にいること」「家にいないこと」という両者が矛盾するので,前者の領域を,家だけでなく,「[外も含めた]どこかにいる」と,外も含めた世界に広げてやって,「生きていること」「家にいないこと」とした上で,矛盾を解消し,鎮めてやる.このような設定(vyavasthāpana)を反論者は,「無矛盾をもたらすこと」(avirodhāpādana)と呼ぶ12

しかし,ミーマーンサーの反論は説得力に乏しく映る.というのも,始めは「家にいること」と「家にいないこと」とが矛盾するので「矛盾はあるのだ」と言っておいて,「それでは両者のいずれかは誤っているのではないか」と攻撃され都合が悪くなると,「生きていること」と「家にいないこと」とは矛盾しないので,両者は共に正しいと,勝手に前文の内容を変更し,攻撃から逃げているからである.徹頭徹尾,両者は矛盾し,同一の対象領域を持つと言い続けるか13,或いは,最初から両者は矛盾せず,異なる対象領域を持つと言うか14,一貫性が求められる所である.ウダヤナは,この点についてもミーマーンサーの弱点を突き,敵を追い込んでいく.

以上,ウダヤナの攻撃からミーマーンサーにおける「arthāpattiのvirodha」について,かなりの具体像が浮かび上がってきた.それによると,virodhaは,ナーラーヤナ・バッタが考えていたような単なる衝突ではなく,厳密な意味での矛盾である.具体的には「家にいること」と「家にいないこと」が,その内容に当たる.但し,二つの認識の間の矛盾は,両者が「同一の対象領域を持つ」という条件下で生じるものである.この矛盾は,「同一の対象領域を持つこと」という毒が原因で生じたものであり,その条件下では「説明不可能」(anyathānupapadyamāna)である.そこで,その説明不可能な矛盾を解消し,毒にやられた人を回復させるために,同じ毒ではなく「異なる対象領域を持つこと」が用いられる.即ち,前文の内容を「生きていること」に広げてやることで,二つの認識の正しさ(prāmāṇya)を保ち,無矛盾をもたらしてやる(avirodhāpādana)のである.

しかし,「毒の比喩」まで持ち出して自説を納得させようという詭弁的態度からも伺えるように,ミーマーンサー説の詐欺は明らかである.このような非一貫性は,同一のレベルでの議論を前提とする論理学において許されるものではない.前後で言っていることが明らかに違うからである.いったい,前文で言う所の内容は「家にいること」なのか,或いは「生きていること」なのか,いずれなのであろうか.或いは,「毒の比喩」以外に,前者から後者への広がりを可能にする説得力を持った根拠が何か他にあるのだろうか.ミーマーンサーの側からの事情を探ってみる.

V. ミーマーンサー思想史上の「arthāpattiにおけるvirodha」

arthāpattiにおけるvirodhaは,このように,arthāpattiの本質に関わる重要なトピックであるにもかかわらず,これまでの研究において十分にその真価が意識され,取り上げられてきた訳ではない.むしろ,arthāpattiが推論に還元されるか否か,という伝統的な議論の陰に隠れてしまってきた感がある.インド哲学史上においても同様である.実際には,先ほどのウダヤナの議論も,「arthāpattiは推論に還元される」というニヤーヤ学の主張へと収斂していく前置きとして展開されていたのである.

ミーマーンサー思想史上に展開されるarthāpattiの議論を見ても,virodhaの問題は,決して大きく取り上げられている訳ではない.それどころか,「arthāpattiにvirodhaがある」,詳しく言えば「arthāpattiの発動原因であるanyathānupapattiの本質はvirodhaである」ということを主張する代表的なテクストは,これまでの研究で紹介されていないのである.では,先程のウダヤナの議論で前提とされていたミーマーンサー説は,どこに起源を求めればよいのだろうか.

1. マンダナの見解

筆者は,意外な所にそのソースを見つけることが出来た.マンダナ・ミシュラ(後八世紀頃)が,ミーマーンサーの根本経典Jaiminisūtraの論題に沿って,各内容をシュローカに纏めたMīmāṃsānukramaṇikā(祭事教学内容梗概)である.マンダナ・ミシュラは,認識,行為,命令,言語認識,ブラフマンという五つのトピックを取り上げ,Vibhramaviveka, Bhāvanāviveka, Vidhiviveka, Sphoṭasiddhi, Brahmasiddhiにおいて,それぞれを微に入り細に渡り論じているが,それらに比べると,ミーマーンサーの煩瑣な祭式議論のそれぞれを,多くの場合一パーダ即ち八音節に纏めてしまうMīmāṃsānukramaṇikāはかなり毛色を異にする書物である.このような性格もあり,本書がこれまでの研究史上で注目されることは,マンダナの著作順序を議論する場面以外では,ほとんどなかったと言える.

ともかくも,クマーリラ以後のミーマーンサーの大学匠であり,後代への影響の大きいマンダナの発言は,たとえそれが最もマイナーな著作にあるにせよ,無視することは出来ない.virodhaを攻撃するウダヤナの意識が,まず,マンダナにあったとしても,それは不適当ではないだろう.

正しい認識が正しい認識とvirodhaする場合,他の対象を想定する,[その]arthāpattiも,それ自身の[認識]対象に対して逸脱することがないと[先師は]おっしゃっている15

このマンダナの記述が,Śābarabhāṣyaに引用紹介されるVṛttikāraの定義16を踏まえていることは,表現上,内容上から,明らかである17.現在の我々の関心から重要なのは,Vṛttikāraにおいて「他様では説明が付かない」と表現されていたものが,「正しい認識が持つ正しい認識とのvirodha」と明確にされた点である.太郎が生きているのに家にいないのは,他様では,即ち,外にいると想定しなければ不可能であり,説明が付かない.「のに」が表現する我々の実感「これはおかしい」「説明不可能だ」を,マンダナは,virodhaと明確化している訳である.しかし,ここで,また我々は振り出しに戻ってしまう.では,ここでマンダナが意識するvirodhaとは何なのか.ナーラーヤナ・バッタのように,厳密な意味での矛盾ではなく,「広い認識」と「狭い認識」の単なる衝突なのか.残念ながら,マンダナの簡潔すぎる記述からは明らかでない.しかし,ウダヤナが攻撃していたのは,virodhaを厳密な意味での矛盾と考えるミーマーンサー説であった.とすると,マンダナも「家にいること」と「家にいないこと」という両認識の間の矛盾をイメージしていたのであろうか.しかし,彼が踏まえるべきVṛttikāraの定義に続く実例は,「生きていること」と「家にいないこと」を挙げるだけで,「家にいること」については何も言っていない.しかし,マンダナほどの巨匠が根拠もなく,誤ったことを言うとは考えにくい.では,彼の情報源を我々は何処に求めればよいのだろうか.

2. クマーリラの見解

まず考えられるのが,ミーマーンサー思想史上,マンダナが最も強く意識し,その説を批判,或いは,発展・継承させようとした大学匠クマーリラ(後七世紀前半)である.しかし,奇妙なことに,arthāpattiが詳細に論じられるŚlokavārttika(頌評釈)のarthāpatti章においては,virodhaという語すら見られない.このことは,クマーリラが「arthāpattiの発動原因であるanyathānupapattiの本質はvirodhaである」という説を知らなかったことを物語っているのだろうか.或いは,彼は,それを知っていながら,その重要性を認めず無視したのだろうか.或いは,知っていたからこそ,故意に言及を避けたのであろうか.とすると,何かそこには,それへの言及を避けねばならない理由があったのだろうか.

まず,彼が知っていなかったという可能性は低い.というのも,後で見るように,彼が註釈を施している当のŚābarabhāṣyaには,arthāpattiにおけるvirodhaが明言されており,しかも,クマーリラは,Ślokavārttikaに続くTantravārttika(教理評釈)において,それに対するコメントを行っているからである(TV 2.2.1, A 462.19-22).だとすると,arthāpattiの本質はvirodhaであるという伝統説を無視して,Śābarabhāṣyaに説かれるanyathānupapattiの本質を突き詰めなかったのは,むしろ,彼がそれを認めたくなかったからとするのが自然ではないだろうか.「arthāpattiにおけるvirodha」は,他学派からの非難に耐えうるミーマーンサーの論理学・認識論体系を築くことを目的とするŚlokavārttikaにおいては,触れられたくない秘密ではなかったのか.

3. Śābarabhāṣyaの見解

Śābarabhāṣyaにおけるarthāpattiに関し,既に筆者は,前々稿・前稿(片岡[1996][1998])において違う角度から論じてきた.Śābarabhāṣya内のarthāpatti資料に関し,重要なものはほぼ指摘し終えたはずである.本稿では,若干の重複を恐れず,同資料を,virodhaとの関わりから探ることにする.

Śābarabhāṣya内のarthāpatti資料は,便宜的に,三つに分けることが出来る.第一に,最も重要なのが,Śābarabhāṣyaに引用・紹介されるVṛttikāraによる定義・実例である.これは極めて簡潔なものである.第二に,実際の議論の中で応用されるarthāpattiである.これは,例えば,音素認識,語意認識,アートマン認識等を論じる際に用いられており,Vṛttikāraの簡潔な実例を補足し,当時のarthāpatti理解に肉付けをするのに重要な資料である.第三が,現在の我々の関心から重要なŚābarabhāṣyaに引用される二つのシュローカである.(なお,当シュローカは,最後に述べられる「未知対象想定最小限原則」を言わんとする文脈で引用されている.)

見られたことがない,或いは,聴かれたことがない対象は,無いと理解される.但し,それ(見られたことがない,或いは,聴かれたことがない対象)が無い場合に,見られたもの,或いは,聴かれたものがvirodhaしなければだが(na virudhyate).virodhaする場合には(virudhyamāne),想定されるものがある.それ(想定されるもの)によって,それ(見られたもの,或いは,聴かれたもの)は,目的を持つものとなる.もし,違い(n個想定する場合と,n+1個想定する場合との違い)が理解されないなら,それ以上,一つも想定されない18

一見して分かるように,ここでは,「見られたもの」(dṛṣṭa)と「見られたことがないもの」(adṛṣṭa),「聴かれたもの」(śruta)と「聴かれたことがないもの」(aśruta)という対立が主軸となっている.見通しをよくするため,既知対象と未知対象という対立に置き換えて,上のシュローカを整理してみる.───まず第一に,未知対象はないと理解される.但しそのような理解が許されるのは,未知対象がないとしても,既知対象がvirodhaしない場合に限られる.もしvirodhaする場合には,未知対象が想定され,それにより既知対象のvirodhaが解消される.但し,未知対象想定は最小限にすべきである.───このようになるだろう.

では,Vṛttikāraが定義に続いて示した「外出想定」の実例にのっとって,具体的なイメージを広げてみる.想定されるべき未知対象は,言うまでもなく,デーヴァダッタが「外にいること」(bahirbhāva)であろう.とすると「第一に未知対象はないと理解される」というのは,予め,デーヴァダッタが外にいるという可能性が除外され,「外にはいない」とされることを意味することになる.Vṛttikāraが「デーヴァダッタが生きている場合に」(jīvati devadatte)と述べるように,実例を素直に取るなら,既知対象は「生きていること」となろう.第三に述べられる「未知対象がないとすると既知対象がvirodhaする」というのは,「デーヴァダッタが外にいないとすると生きていることが家にいないことと矛盾する」ということを意味する.「デーヴァダッタが外にいないとする場合の生きていること」というのは,要するに「家にいること」であるから,「家にいることは家にいないことと矛盾すること」になる.即ち,この場合のvirodhaは,厳密な意味での矛盾である.このように既知対象である「生きていること」───但しそれは「外にいないとする場合に生きていること」と限定される───が矛盾に陥ると,それを解消するために,「外にいること」という未知対象が想定される.

このシュローカが前提とする「既知と未知」の世界は,前々稿で示したように,既知と未知とが等価対立する世界ではなく,既知が身近に,未知が遠くにあるものである.図で表すなら,二つの同心円の中心を既知世界が占め,外側を未知世界が占める.シュローカが第一に宣言する「未知対象はないと理解される」世界とは,外縁にある未知世界を切り取った世界,即ち,既知対象だけで占められる身近な世界である.その既知世界において,「デーヴァダッタが生きていること」とは,普段見慣れている身近な領域,即ち「家にいること」しか意味しない.(実際には,我々は,「デーヴァダッタが家にいること」を見て,「彼が生きていること」を理解しているのである.)しかし,馴染みのあるこの既知世界は,「デーヴァダッタが家にいない」という異常事態を迎え,virodhaに陥ってしまう.この場合のvirodhaとは,厳密な意味での矛盾,即ち,「家にいること」と「家にいないこと」との矛盾である.既知世界に安住していた我々は,これまで安住し信頼しきっていた世界観が崩れるのを見ることになる.そこで,「家にいないこと」という異常事態をも受け入れ,説明可能とする新たな世界観を構築すべく,既知世界から未知世界へと世界観を拡大する.即ち,「デーヴァダッタが家にいること」を「[家か外かどこかに]生きている」と可能性を広げてみる.これにより「きっと彼は外[のどこか]にいるに違いない」と想定し,未知対象を世界に取り込むことで,認識世界は再び安定を取り戻すことになる.このように,二つのシュローカは,我々の世界観が,既知から未知へと拡大していくダイナミズムを表現しているのである.

VI. 結論:「arthāpattiにおけるvirodha」と「既知と未知」

さて,我々の関心事である「arthāpattiにおけるvirodha」は,この二つのシュローカにおいて,いかに説明されているのか.更に言うと,矛盾としてのvirodhaが可能となるからくりは何だったのだろうか.ポイントは,第一に述べられた「未知対象はないと理解される」にある.「未知対象はないと理解される」という前提がなければ,「生きていること」という既知対象が「家にいないこと」と矛盾することはなくなり,ナーラーヤナ・バッタのように,virodhaという語をいたずらに振り回すだけに終わることになる.一方,その前提を受け入れるなら,未知対象の可能性が除外され,既知対象である「生きていること」は「家にいること」しか意味せず,「家にいないこと」との厳密な矛盾が可能となる.

このように,既知領域では矛盾があり,未知領域を含めた拡大世界では矛盾が解消されるというダブル・スタンダードこそが,矛盾を可能にし,かつ,解消させるからくりだったのである.ウダヤナは,このようなレベル移行を批判し,「同一の対象領域を持つこと」と「異なる対象領域を持つこと」のいずれかに身を定めるべきであると非難していた.このようなウダヤナの批判は正しい.但し,それは,「既知と未知」という枠組みを持ち込まず,同じ地平で純論理的に論じる場合の話である.しかし,日常世界においては,そうではない.我々は「既知と未知」とを分け,既知世界の中でやりくりし,困った時に未知世界の一部を取り込んでいくという認識方法を取っているからである.このような日常性は,意外に思われるかもしれないが,日常(loka)と対立するヴェーダ聖典の解釈学であるミーマーンサーにおいても当てはまる.「既知と未知」という枠組みを認識論の中心に据えた彼等にとり,既知世界から未知世界への移行というのは,認識論に通底するものだったのである.

以上のように,arthāpattiの本質であるvirodhaは,「既知と未知」という枠組みに支えられて初めて成立する.即ち,arthāpattiにおいて,まず,未知領域を排除した既知世界では,矛盾が成立する.ウダヤナが言う「同一の対象領域を持つこと」が,この段階にあたる.一方,認識世界を拡大し,未知領域をも取り込んだ段階では,矛盾は解消される.「異なる対象領域を持つ」段階である.この段階,即ち,未知領域をも含めた視座に立てば,先程「矛盾」と捉えられたものは,厳密な矛盾ではない.広い認識と狭い認識の衝突に過ぎないからである.

VII. 補足:クマーリラの意図とその後の展開

最後に,残った問題であるŚlokavārttikaにおけるクマーリラの意図を想像し,ミーマーンサー思想史上に漂うことになるvirodhaの生長を描き出してみる.既に述べたように,Śābarabhāṣyaの二つのシュローカにクマーリラは簡単にコメントしている.たとえŚlokavārttikaではなくTantravārttikaの註釈箇所に含まれているとはいえ,彼がこの二つのシュローカを知らなかった,或いは,arthāpattiの本質がvirodhaであるという伝統説を知らなかったという可能性は低い.また,Ślokavārttikaのarthāpatti章が註釈を施すŚābarabhāṣyaの当該箇所,即ち,Vṛttikāraによる定義・実例は,「他様では説明が付かないので」(anyathā nopapadyata iti)と,arthāpattiの発動原因を指摘している.これに対して,anyathānupapattiの本質をvirodhaであると,クマーリラは指摘できたはずである.しかし,彼はそれをしていない.「arthāpattiの本質はvirodhaである」という伝統説を知っていながら,それに触れたくなかったというのが実状ではなかったのだろうか.

既述のように,arthāpattiに「矛盾」が機能するということを言うためには,既知世界から未知世界への移行というダブル・スタンダードを前提としなければならなかった.一方でクマーリラは,arthāpattiが推論に還元されないということをニヤーヤ学派に対して示す必要に迫られていた.ニヤーヤの推論に対抗する以上,それは純論理的に提示しなければならなかったはずである.実際,彼は,arthāpattiが,推論として必要な条件を満たさないことを地道に示そうとしている.このような場に,日常世界を引きずった「既知と未知」という枠組みを持ち込み,「既知世界では矛盾があり,未知世界では矛盾がないのだ」と言ったところで,「真偽」の対立を中心とし,「既知と未知」という枠組みを認識論体系において重視しないニヤーヤ学派に受け入れられるはずがない.現実に,論争史上において,このことは,ウダヤナに見られた.このような事情からすると,クマーリラは,厳密な論理学・認識論体系の上では,「arthāpattiにおけるvirodha」を持ち出すのは得策ではないと考え,故意に触れなかったのではないだろうか.

しかし,このクマーリラの意図をよそに,「arthāpattiにおけるvirodha」という学説は,ミーマーンサーの伝統に依然として受け継がれていったと思われる.クマーリラに引き続くミーマーンサーの学匠であるマンダナは,一シュローカという限られた文字数の中にも,arthāpattiの本質をvirodhaと指摘していた.バッタ派と並ぶミーマーンサーの伝統,プラバーカラ派においても,シャーリカナータ(後九世紀頃)が「arthāpattiのvirodha」に言及している(PP 106.6-7).クマーリラによる「守秘義務」の功績もあったのか,シュリーダラ(後千年頃)に到るまで,他学派からこの点に付いて質されることはなかった.ジャヤンタ・バッタ(後九世紀後半),バーサルヴァジュニャ(後十世紀),ヴァーチャスパティ・ミシュラ(後十世紀頃)のような情報量の多い学匠に言及されないこと自体,驚きである.バッタ派の学匠,パールタサーラティ(後十一世紀前半頃)は,都合の悪さに気づいていたかのように,pratighāta(衝突)と表現し,厳密な「矛盾」を避けている様子である.ウダヤナ(後十一世紀後半頃)に到って,ミーマーンサーにおけるarthāpattiの本質は「矛盾」である,という学説が,クマーリラの努力も空しく暴露されることになる.これ以降,パールタサーラティと同様,ミーマーンサーの伝統内でも,virodhaを厳密な「矛盾」とする事情が忘れられ,ウダヤナの批判を受け入れた形で「衝突」とする見解が広がったと思われる.ナーラーヤナ・バッタのように,「virodhaはある」と伝統説に固執しながらも,実質的にはそのvirodhaの内容を「矛盾」から「衝突」に変更してしまったのである.

Footnotes

1 Cf. Pramāṇasamuccayavṛtti ad Pramāṇasamuccaya V, k.11c, Hattori [1982] 114 ; NV 263.9-10.

2 Cf. Pramāṇasamuccayavṛtti ad Pramāṇasamuccaya II, kk.51c-52b, F 90-92.(ディグナーガの言及に関しては,上田昇氏より教示を賜った.)

3 「生きていること」は,Bhatt [1962] 327が指摘するように,これまでの日常経験により認識されるものであり,arthāpatti発展の当初から,それを確定する厳密な意味での《正しい認識の手段》が明確に意図されていたとは思われない.しかし,厳密な認識手段を求めるなかで,後代には,占星術等や,それに基づく推論が,根拠として挙げられるようになる.Cf. 片岡 [1996] 40, n.28.

4 Nyāyabhāṣyaにおけるarthāpattiの記述は,arthaがvākyārtha(文意)であることを示している.NBh 576.2-3, 579.4-5.

5 「~A⊃~B」から「A⊃B」を導いているので論理的には偽であるが,世間的には立派に通用する.例えば,「雨が降れば遠足は中止だ」から「雨が降らなければ遠足に行くのだな」と我々は理解する.これは正しい.というのも,日常の発話行為においては,「不必要な情報を与えない」という原則が働いているからである.「雨が降らなくても中止だ」と意図しているなら,「雨が降れば遠足は中止だ」とわざわざ発言する必要はない.

6 サンスクリットにおいて,多くの場合,前文は絶対於格で表されるので「のに」という意味が直接に表面化することは少ない.直訳するなら「~場合に」となる.

7 Śāstradīpikā ad Jaiminisūtra 1.1.5, arthāpatti: tena pramāṇasiddhayor dvayor arthayoḥ parasparaṃ pratighāto ’rthāntarakalpanayā samādheyatvenālocyamāno ’rthāpatteḥ kāraṇam.SD 79.2-3.「それゆえ,正しい認識手段により成立した二つの対象間にある相互の衝突(pratighāta)で,別の対象を想定することで解決されるべきと見なされるもの,それが《対象に基づく帰結》の原因である.」

8 Hiriyanna [1993] 320は「既知と未知」(或いは「既知から未知」)という捉え方にも言及する.

9 virodhe hi rajjusarpādivad ekasya bādha eva syān, na tūbhayoḥ prāmāṇyam. prāmāṇye vā na virodhaḥ. sthūlam idam ekam itivat sahasaṃbhavāt. caitro ’yam ayaṃ tu caitra itivad vā viṣayabhedāt. NKus 455.2-455.4.「何故なら,矛盾する場合,縄と蛇等のように,一方は,必ず否定されてしまうのであって,二つともが正しいということはないからである.或いは,[両者共に]正しいなら,矛盾は無いからである.というのも,「これは太い」「[これは]一つである」というように,両立可能なので.或いは,「こちらはチャイトラです」「一方こちらはマイトラです」というように,対象領域が異なるので.」

10 prakṛte kvāpy astīti sāmānyato gehasyāpi praveśād ekaviṣayatāpy astīti cet. yady evaṃ kvacid asti kvacin nāstītivan na virodhaḥ. atrāpi virodha eveti cfet, ekaṃ tarhi bhajyeta. NKus 455.4-6. 「【問】当該例において「どこかにいる」と,一般的に,家も入るので,「同一の対象領域を持つこと」も存在する.(=「家にいる」「家にいない」の両認識は,同一の対象領域として「家」を有する.)【答】もしそうなら,「[外の]或る所にいる」「[別の]或る所(=家)にはいない」と同じで,矛盾はない.(=「生きている」と「家にいない」は最初から矛盾しない.)【問】この場合でも,矛盾に他ならない.(=「家にいる」「家にいない」が矛盾する.)【答】それなら,一方は,否定される.」

11 na bhajyeta. arthāpattyobhayor apy upapādanād iti cet. kim anupapadyamānam. virodha evānyathānupapadyamāno vibhinnaviṣayatayā vyavasthāpayatīti cet. NKus 455.6-8. 「【問】[一方が]否定されることはない.《対象に基づく帰結》によって,両者を共に,説明付けるからである.【答】説明付けられなくなっているものは何なのか.【問】他ならぬ矛盾が「他様では(=「外にいる」と考えないと)説明付けられなくなっているもの」であり,それが,[両認識を]《異なる対象領域を持つもの》として設定する.」

12 vyavasthāpanam avirodhāpādanam. ekaviṣayatayaiva cānayor virodhaḥ. sa kathaṃ tayaiva śamayitavyaḥ. na hi yo yadviṣamūrcchitaḥ sa tenaivotthāpyata iti cet. NKus 455.8-10.「【問】《設定する》というのは《無矛盾をもたらすこと》である.そして,他ならぬ《同一の対象領域を持つこと》によって,両者は矛盾している.それ(矛盾)が,どうして,同じそれ(同一の対象領域を持つこと)によって鎮められようか.というのも,或る人が或る毒により気絶しているとき,彼が,同じそれ(毒)により回復させられることはないからである.」

13 athābhinnaviṣayatayaiva kiṃ na vyavasthāpayet. NKus 455.8.「では,異ならない(同一の)対象領域を持つものとしてのみ,どうして[徹頭徹尾,両者を]設定しないのか.」

14 ekaviṣayatayānayor virodha ity etad eva kutaḥ. NKus 455.10-11.「『同一の対象領域を持つものとして両者は矛盾する』という,他ならぬこれ(最初の発言)は,何に基づいているのか.」

15 Mīmāṃsānukramaṇikā ad Jaiminisūtra 1.1.5, k.11: pramāṇena pramāṇasya virodhe 'nyārthakalpanām / arthāpattim api svārthe vadanty avyabhicāriṇīm // MAnu 10.15-16

16 Śābarabhāṣya ad Jaiminisūtra 1.1.3-5, Vṛttikāra: arthāpattir api. dṛṣṭaḥ śruto vārtho ’nyathā nopapadyata ity arthakalpanā. F 32.6-7.「arthāpattiも[考察すべきでない].見られた,或いは,聞かれた対象が,他様では説明が付かないので,対象を想定する.」

17 (1) arthāpattir api: arthāpattim api svārthe vadanty avyabhicāriṇīm. (2) dṛṣṭaḥ śruto vārtho ’nyathā nopapadyata ity: pramāṇena pramāṇasya virodhe. (3) arthakalpanā: ’nyārthakalpanām

18 Śābarabhāṣya ad Jaiminisūtra 2.2.1: adṛṣṭo yo ’śruto vārthaḥ sa nāstīty avagamyate / tasminn asati dṛṣṭaś cec chruto vā na virudhyate // virudhyamāne kalpyaḥ syāj jāyate tena so ’rthavān / viśeṣaś cen na gamyeta tato naiko ’pi kalpyate // A 462.3-6

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© Young Buddhist Association of the University of Tokyo
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