Studies of Buddhist Culture
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2004 Volume 8 Pages 51-83

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第一節 顕と密との優劣について

 「顕教」と「密教」という対立概念に関して,従来の研究では,空海の『弁顕密二教論』によって確立されたと考えられている1.“密”を“顕”よりも圧倒的に優位に位置付ける(以下,顕<密と記す)『弁顕密二教論』の趣旨はその冒頭部分に要約されているので以下に挙げる.

 『弁顕密二教論』巻上 弘全第一輯474 定弘全第三巻75

夫れ仏に三身あり.教は則ち二種なり.応化の開説を名づけて顕教と曰う.言顕略にして機に逗(かな)う.法佛の談話之を密藏と謂う.言,祕奥にして實説なり.<中略>若し『祕藏金剛頂經』の説に據らば,如來の變化身,地前菩薩及び二乘・凡夫等の為に三乘の經法を説く.他受用身,地上菩薩の為にの一乘等を説く.並びに是れ顕教なり.自性受用佛,自受法樂の故に自眷屬の与(ため)に各おの三密門を説く.之を密教と謂う.此の三密門は所謂如來の内證智の境界なり.等覺・十地も室に入ること能わず.何に況や二乘・凡夫,誰か堂に昇ることを得んや.

 ここから分かることは次の点である.

  1.    顕と密との相違は,顕教は応化仏/他受用・変化身の説法であるのに対し,密教は法身仏/自性・自受用仏の説法である点である2
  2.    密教は如来の自内証の境地であり,等覺・十地の位にあってもうかがい知ることができない.

この空海の明確な「顕<密」という価値観はその後の日本仏教に大きな影響を与えることになる3.この空海によって確立された顕密二教判の影響の下に,真言宗のみならず天台宗においても「顕<密」(天台では「円<密」)の価値観は決定的なものとなり,空海以降の日本仏教における顕密の概念を規定した.そしてこの空海の顕密の概念を整理した研究は,前近代・近代以降を含めて極めて多い.しかし,これだけ重要な概念でありながら,実際に空海の顕密概念がどのような時代背景の中で形成されたのかについて考察したものは管見による限り,皆無に近いと言える.はたして空海の顕密概念は時代背景から離れた全く独創的なものであったのだろうか.

 そのことを考察するために,本稿では空海(774-835)と同時代人である玄叡( -840)の著作『大乗三論大義鈔』(T70, No.2296)に注目する.というのも玄叡は,空海とは全く別の観点から“顕”と“密”とを対比して捉えているからである.

初めに顕密を扱った玄叡の『大乗三論大義鈔』の関係する三箇所を以下に現代語訳を付して示す.

①巻第四 定性不定性諍論第五T70, 163a21-22

又汝一乗において顕と密とあり.未だ分別することを識らず.

(現代語訳)またあなたは[同じ]一乗について“顕”と“密”とがあることを区別することをまだ知らない.

②巻第四 定性不定性諍論第五T70, 163b2-3

汝若し此に拠れば,即ち違教の失あり.何ぞ大乗の顕密を弁了せずして号を混じて愆(とが)を免れんや.

(現代語訳)あなたがもし此れ(『解深密経』:筆者注)に依拠するならば,教えに違うという過失があることになる.どうして大乗の“顕”と“密”とを弁別して理解しないで,[あなたは]概念(号)を混ぜあわせており,咎を免れることができようか.

③巻第四 三一権実諍論第七 T70, 166b9

問う.顕・密の趣き,情に未だ暁(あきら)めざる所なり.請う,為めに陳述して,凝滞なからしめよ.

(現代語訳)問う.“顕”と“密”との意味について[私の]心はまだ悟ることができません.[あなたに]陳述していただくことを請い願います.[陳述することを]ためらい滞らないで下さい.

 内容や文脈に関しては後で詳しくみるが,以上の箇所から,玄叡は明らかに“顕”と“密”とを対立概念として捉え,いかに定義するかということに配慮していることが分かる.そして玄叡はこの顕密の概念を規定する際に,吉蔵と法宝という二人の中国の僧侶による顕密概念を組み合わせるという複雑な作業を行っている4

当時の日本三論宗を代表する学僧であった玄叡が,三論宗の祖師である吉蔵のみならず,基を正統とする日本法相宗では異端とされた法宝の顕密概念をも利用したということは,空海の南都修学期に最大の問題であった当時の三論・法相の空有論諍と密接な関わりを持つものであり,当時,日本の仏教界で顕密を対比的に用いることが広く知られ5,さらにはその用法の規定が重要な問題になっていたのではないかと推測されるのである.

もしそうであれば,空海が『二教論』において始めて打ち立てたとされてきた,顕密を対比させる概念は,当時日本の仏教界に既に知られていたものであり,空海はそれを踏まえた上で新たな意味付けを行ったということになり,従来のように顕密対弁思想を空海が独創的に作り上げたという前提に立っていた,空海の顕密概念の思想史上における位置付けについて再検討が必要となることになろう.

 本稿で扱う玄叡と空海との両者に見られる顕密概念が相互にどのような影響関係にあったかまでは現在のところはっきりとした結論を出すには至っていない.しかしながら,空海とほぼ同時代の日本仏教の学僧(本稿では玄叡)によって,顕密という対立概念が扱われていたことを指摘することは,空海の思想が形成された時代的背景を明らかにするために不可欠な作業であると考える.

そこで本稿では以下に,まずは,空海とは切り離して,玄叡がどのような著作を用い,またどのような時代背景の中で顕密概念を構成したのかを検証することにする.次にその上で,第三節で空海の顕密概念を再検討し,第四節で可能な限り,玄叡と空海の顕密概念を比較したい.

第二節 玄叡の顕密概念の成立

『大乗三論大義鈔』は空海(774-835)とほぼ同時代人であった三論宗玄叡( -840)によって著わされ,天長六本宗書の一つとして挙げられる平安初期仏教の代表的著作である.本節ではこの書の中でも,特に顕密の概念を扱った箇所に限って取り上げる.ここで『大乗三論大義鈔』6について簡単に紹介しておくことにする7

 著者である玄叡( -840)については,今津洪嶽[1918]・羽溪了諦[1960]・平井俊榮[1977]によって解説・研究がなされている.その中でも平井氏の研究は前の二者の研究を批判的に検討し直したもので,最も整理されており,本稿の以下の玄叡に関する解説も平井氏の研究に従うことが多い.

 玄叡は『大義鈔』の撰号に於いては西大寺玄叡と記されている8.玄叡の師承には異説があり,三論宗の学僧である安澄(763-814)・実敏(788-856)いずれかの弟子とされる.玄叡の師承があまり明らかではないことは,確実な資料があまり現存しない当時の学僧としては通例のことである.少なくとも,平安時代初頭の三論教学振興に多大な貢献をした安澄・玄叡・実敏の三人が密接なつながりがあったことは確かである.

『大義鈔』について特筆すべきことは,近年,法宝の『一乗仏性究竟論』の写本が石山寺(滋賀県大津市)で発見され,従来散逸したと思われていた箇所の多くが解明されるに至った9.そして寺井良宣[1990]によって『大義鈔』は何箇所かで題名を示すことなく,『一乗仏性究竟論』を引用していることが指摘された.寺井氏の指摘は当時の空有論諍における三論側の代表的人物であった玄叡の『大義鈔』の位置付けを解明する点で極めて重要なものである.寺井氏の指摘により,『大義鈔』および当時の日本三論宗の思想史的位置付けが再検討される段階に入っている10

 『大義鈔』の構成・内容は,基本的には三論宗の祖師である吉蔵の著作に基づいている.しかし,玄叡の時代には吉蔵(549-623)の没後に出た法相宗の基(632-682)・円測(613-696)らの所説が三論批判のために日本法相宗によって用いられており,それに答えるために,『大義鈔』には吉蔵には見られなかった新たな展開が見られる.具体的には吉蔵以降に翻訳・著わされた著作(清弁『般若灯論』・基『大乗法苑義林章』・法宝『一乗仏性究竟論』など)が問題とされた.

 『大義鈔』は大きく分けて前半・後半の二つの部分からなり,前半で三論教学の要義を述べ(述自宗・顕正の部門),後半で当時南都において行われたと思われる論争を整理している(諍他宗・破邪の部門).

前半はさらに二分され,主として『三論玄義』に基づく「問答大意」と『大乗玄論』・『大乗三論略章』に基づく「往復別義」とからなる.後半はまず「諍論可不」の下に五問答をもって「諍論之得失」を述べ,「正しい諍論は人々を益する」とし,次に「正述諍論」の下に十門を設け,法相・天台・華厳・真言の諸教義を批判するが,特に法相の論破に力を注いでいる.その構成は次の通りである.

『大義鈔』の構成

述自宗<往復別義>①八不 ②二諦 ③二智 ④方言 ⑤仏性

 ⑥不二 ⑦容入 ⑧一乗 ⑨教迹 ⑩三身

諍他宗<正述諍論>ⅰ空有論 ⅱ常無常論 ⅲ種子爾不爾論 ⅳ有性

無性論 ⅴ定性不定性論 ⅵ変易生死論 ⅶ三一

権実論 ⅷ三車四車論 ⅸ教時論 ⅹ説不説論

『大義鈔』の「述自宗<往復別義>」の項目は吉蔵が『大乗玄論』で立てた章立てを参考にしているが,そのうち科目の異同についてみると,『大義鈔』の方では,『大乗玄論』より方言義・不二義・容入義・三身義の四科が増えて,『大乗玄論』から涅槃義・論迹義の二科がなくなっている.この新しく加えられた四科は,当時の日本三論宗が独自に注目した分野と考えることができるので,その点を以下にしばらく考察したい.

方言11義は,『大乗玄論』では二諦義の一部として言及されていたものであるが,『大義鈔』では別立された.三論宗の学僧で玄叡の師ともされる安澄(763-814)12の『中論疏記』は方言義を扱った箇所がちょうど散逸しているので,玄叡以前にこの問題がどのように扱われていたのかは明らかでない.しかし玄叡以後には三論宗の観理(895-974)が『方言義私記』13という一書を著わしているので,日本三論宗で,ある時期に「方言義」というトピックが重要視されていたことは確かである14.空海は『十住心論』第七住心三論宗の項で三論宗の主要な教義(綱要)を挙げるところで次のように述べている.

 『秘密曼荼羅十住心論』巻第七 弘全第一輯340 定弘全第二巻243

三論の家には,此の八不を挙げて以て究竟の中道とす.故に,吉蔵法師の二諦方言と仏性と等の章に盛(さかり)に此の義を談す.

この空海の叙述から,「当時の日本三論宗が吉蔵の『大乗玄論』のうち,二諦・方言・仏性という三つの章を重視している」と空海が捉えていたことが分かる15.ところが『大乗玄論』自体には方言義は二諦義に含まれており,特に別立されていない.

つまり,注目すべきことに空海は『大乗玄論』では別立されていなかった方言義(章)を『十住心論』の中で,三論宗の主要課題の一つとして挙げている.これは『大義鈔』に於ける方言義の扱いと重ね合わせるなら,当時の三論宗が方言義を別立して重視していたことを示すとともに,空海が日本三論宗において注目されていた議題について詳しく知っていたことの根拠となると考えられる16

 三身義が別立された理由を,大西氏は法相宗との論争の主題の一つであった報仏の常無常の問題に関連させて推測している.筆者が新たに付け加えるならば,三論宗智光が『浄名玄論略述』巻一末17の中で三身の問題を詳しく考察していることから,三身論に関して三論宗内で活発な議論がなされていたことと合わせて考える必要があろう.

三身義について空海と関連させて述べると,空海の顕密二教判は顕密対弁と三身論を組み合わせたところに特徴がある18.当時,顕密対弁が当時の仏教界で問題になっていたことは本稿で示すが,三身論も玄叡『大義鈔』や智光『浄名玄論略述』に見られるように,やはり当時の仏教界で問題とされていた事柄である.特に三論宗では吉蔵の著作に見られる多彩な仏身論を独自に整理する必要に迫られていたと思われる.

このように空海と当時の仏教界とが問題とした事柄には多くの共通性が見られるのであり,従来のように空海に関して密教経典からの影響のみを見るのではなく,空海が南都で修学したことを踏まえ,同時代の日本仏教思想の中で位置付けることが必要とされるのである.

 本稿の第一節で触れたとおり,玄叡の顕密概念の形成には吉蔵と法宝という二人の中国僧の著作における顕密概念が大きな影響を与えたと考えられる.そこでまず吉蔵・法宝の著作における顕密概念を見た後,吉蔵・法宝の顕密概念が玄叡の顕密概念にどのような影響を与えたかを見ることにしたい.

第二節ノ一 吉蔵の顕密判

 吉蔵の教判といえば,菩薩蔵・声聞蔵の二蔵判が有名であり,その他に三種法輪の教判が知られている.しかし,今取り上げる顕密判もあまり知られていないが吉蔵の教判の一つである.吉蔵自身はそれらの間に優劣をつけたわけではないので,それらの価値判断は後代の解釈にゆだねられたのである.吉蔵の顕密判については村中祐生[1969]・平井俊榮[1976]・菅野博史[1994]によって言及がなされているが,ここでの解説は主に平井氏の研究による.

 顕密判は吉蔵の教判の中でも最も複雑な構成となっており,研究者の間でも評価が分かれる.村中氏が「法華玄論において説かるべき教判は,二蔵よりもむしろこの顕密二教判が正意であったといわざるをえないのではないか」19と肯定的に評価するのに対し,平井俊榮[1976]504は「顕密という範疇は,教判という経典の価値づけにとって普遍的な基準とはなり得ていない」と否定的に評価している.

このように研究者によって顕密判の評価が分かれるのも,吉蔵が著作中20において,“顕”と“密”とに対して,「顕<密」と「顕>密」というお互いに矛盾するかのような価値観を与えているからである.吉蔵がいずれに重点を置いていたのかは吉蔵自身が明らかにしていない以上,後代の解釈の問題となった.玄叡が顕密概念を規定する際に問題となったのもこの点である.以下に先ず吉蔵の著作中における顕密概念を見ていくことにする.なお,この吉蔵の顕密概念に関する箇所については,村中祐生[1969]が扱っているが,本稿では玄叡の先行思想として扱う.

 吉蔵が「顕<密」とする場合の顕密の区分はまず次の箇所に見られる.顕密に関わる所は大文字,それぞれの価値を規定する語は波線で示す.(A, Bなどの記号は筆者による)

『法華玄論』巻第一 T34, 368c7-23

復た次に佛法に二種有り.一には顯示法,二には祕密法なり.顯示法とは,謂わく三乘の教なり.三種の因をもって三種の果を得ることを明かす.故に顯示と名づく.祕密法とは,謂わく三乘の人,皆な作佛を得るなり.『釋論』の第百卷に云うが如し,「法華は阿羅漢の受記作佛を明かす」と.故に祕密法と名づく.昔より来(このか)た已に顯示法を説き竟わんぬ.今,祕密法を説かんと欲するが故に,此經を説くなり.

問A.何が故に三乘の行因,得果を顯示と名づけ,三乘同じく作佛することを祕密と名づくるや.

答A.顯示法とは方便の教なり.三乘の人,各の自ら因を行じて皆な果を成ずるを得ることを明かす.此の事は解し易し.外の三つの種子の各の三芽21を生ずるが如し.其の相,明らめ易し.故に顯示と名づく.祕密法とは,謂わく,甚深の法なり.三乘無し,唯だ一乘のみ有りと明かすが故に祕密と名づく.

問B.若し爾らば三因三果は此れは是れ祕密ならん.何を以っての故に.實には三乘無し.覆相して説いて三種乘有りと言う.應に是れ祕密なるべし.而るに道理として唯だ一乘のみ有りて,三乘有ること無きは應に是れ顯示なるべし.覆相の説に非ざるを以ての故なり.

答B.若し了義を以て顯示と為し,不了義を祕密と為さば,後に判ずる所の如し.今は淺近を以て顯示と為し,甚深を祕密と為す.前に明かす所の如し.此の義は後に當に廣く説くべし.

 まず本節で扱う箇所に限れば,吉蔵の顕密区分に於いて,「般若経<法華経」という価値観は,どの場合においても共通していることを念頭に置く必要がある22.その上で般若経・法華経を“示”“秘”いずれで定義するのかを巡って論じられ,どちらの定義も可能であるため,吉蔵が顕密に与える定義は複雑な様相を呈する.

『大智度論』(=『釈論』)第百巻による吉蔵の定義に随うと,以下のようになる.

示法=三乗行因得果=方便教=易解=浅近
法=三乗同作仏 =    甚深=甚深

 「般若経=浅近=示」「法華経=甚深=秘」(つまり顕<密)という規定は後にも詳しく解説されている(答Bの「此の義は後に當に廣く説くべし」)が,ここで最初の説明が与えられる.吉蔵がこの「顕<密」という規定を自著の中で一貫して用いていれば吉蔵における顕と密の定義づけは一貫性をもち,問題はなかったであろう.

しかし,吉蔵は後の箇所でもう一つの規定を考察しようとする(答Bの「後に判ずる所の如し」).それは「般若経=不了義=秘」「法華経=了義=示」(つまり顕>密)というものである.

問者(問B)が問うように,真実のあり方を覆い隠して,三乗があると説く(「覆相説言有三種乘」≒「不了義」)般若経は“秘密”ともいえ,ただ一乗のみがあると真実のあり方を覆い隠さずに説く(「非覆相説」≒「了義」)法華経こそは“顕示”ではないのか,という解釈も可能だからである.それは同じ『法華玄論』の次の箇所(特に③)で問題にされる.なおここは長文に渉るため,書き下しは行わない.

『法華玄論』巻第三 T34, 385a23-c14

第二文,明法華,是秘密法,明二乗作仏.波若,非秘密法,不明二乗作仏故.波若浅而法華深者.諸講論師,雖誦此言,多不躰其意旨.故異釈紛然.或讃楊波若,抑破法華.或懸信師説,不詳文意.今断如是種種異説,以竜樹論文為正.論云波若非秘密法.不明二乗受記作仏故也.而法華是秘密法.明阿羅漢受記作仏故也.正拠二乗作仏不作仏故,弁秘密非秘密也.

①問.波若不明二乗作仏.何故是顕示教.法華明二乗作仏.何故是秘密教耶.

答.前已釈竟.今当広述.波若但明菩薩是仏因故作仏.二乗非仏因故不作仏.此義於昔易解故名顕示.法華経明二乗作仏与昔教相違.於昔難解故名秘密.論主云如用薬為薬其事即易.用毒為薬其事即難.波若明菩薩作仏如用薬為薬.不明二乗作仏如不用毒為薬.法華経明二乗作仏如用毒為薬.其義即難解所以為也.

②問.秘密顕示為深為浅.為大為小.

答.総論此二義即有両途.一者小乗為顕示大乗為秘密.如『論』第四巻云.仏法有二種.

顕示秘密顕示教中明阿羅漢断煩悩清浄.諸菩薩未断煩悩未清浄.即菩薩不及阿羅漢.故烈羅漢在前而菩薩居後.秘密法中明諸菩薩得六神通断一切煩悩.智慧清浄超出二乗之上.此文正約小乗浅易為顕示.大乗甚深為秘密.若爾者則波若之与法華皆明菩薩得無生忍具六神通.並属秘密甚深教摂.即指三蔵教為顕示也.

二者以明義猶浅為顕示.明義甚深為秘密.如第百巻説.波若但明菩薩作仏者.波若已明仏乗是実未明二乗作仏者.未開二乗是方便.約此一義有劣法華.故名波若為浅.法華即明仏乗是実.復開二乗為権.故法華為深也.此同就大乗中自有浅深.故分顕秘二教.

③問.若未開権顕実.応是秘密.法華已開権顕実.応属顕示.何故不爾耶.

答.若以未了為以了為者則如所問.但今以浅易為顕示甚深為秘密.故以波若為顕示.法華為秘密.説経因縁中已明此義竟.

 この箇所では最初に二乗が仏となるかならないかを根拠として“秘密”“非秘密”を弁別している.(「正しく二乗作仏・不作仏に拠るが故に秘密非秘密を弁ずるなり」)

 次に①以下では,『般若経』が二乗作仏を明らかにしないのに何故“示教”と呼ばれ,『法華経』が二乗作仏を明らかにするのに何故“秘教”と呼ばれるのかという疑問を挙げる.これが前の箇所(『法華玄論』巻第一)で挙げられ,まだ答えられていなかった疑問に相当する.

①の問答は先に挙げた「般若=易解=示」「法華=難解=秘」(顕<密)という『法華玄論』巻第一の価値観を受け継いでいる.

波若=非秘密法=示教=不明二乗作仏=易解=浅
法華=秘密法 =秘教=明二乗作仏 =難解=深

②では秘密と顕示の区分に第一義≪大(乗)と小(乗)≫第二義≪深と浅≫があるとする.

第一義『大智度論』第四巻

小乗=示=浅易

大乗=秘=甚深23

第二義『大智度論』第百巻

波若= 浅=

法華=甚深=秘

③は少し複雑な構成になっているが,問者が「顕>密」を主張するのを答者もいったん仮に認める(則如所問)が,その後に(「但今」以下)「顕<密」の定義を最終的に採用している.

問者及び答者の仮の答(顕>密) 答者の真義(顕<密)

法華=了 =顕(示)

波若=未了=秘(秘

法華=甚深=秘

波若=浅易=

 以上,『法華玄論』巻第三を見てきたが,そこでは③「問者及び答者の仮りの答」で見られるように,『般若経』は「未了」であるから「秘」と定義づけられるのではないか,という疑問を提示しつつも,『般若経』は「浅易」であるから「示」であるという定義を最終的には採用している.つまり,吉蔵は『法華玄論』『法華遊意』24において「顕<密」という価値観を採用しているのである.

さらに,吉蔵は他の箇所(本節でとりあげるのは『浄名玄論』(T38, No.1780))において顕と密を別の用法で用い,吉蔵の顕密概念は複雑な様相を呈するようになる.それを以下に見ることにする.なお玄叡がその箇所に基づいて,吉蔵自身では明確でないが,玄叡は明確に「顕>密」として捉える形で,ほぼ同文を『大義鈔』に引用していることは後で見る.

『浄名玄論』巻第七 T38, 900b1-1125

次に菩薩・声聞について二種・四句を開く.

一には顕わに菩薩に教えて密に二乗を化するに非ず.即ち『華厳』の教是れなり.初め成道の時,大機已に熟す.故に顕わに之に教ゆ.会に二乗の衆無く,又大機未だ成ぜず.故に密にも二乗の人を化せず.

二には顕わに二乗に教えて密にも菩薩を化せず.即ち三蔵教なり.小機已に成ず.故に顕わに之れに教ゆ.菩薩の大器は小を須っては化せず.

三には顕わに菩薩に教えて密に二乗を化す.『般若』『浄名』等の経は菩薩の大機已に成熟す.故に顕わに之に教ゆ.二乗は小執当さに移るべく,大機遠く動く.是の故に密に化す.命じて財を付すと説くとは即ち其の事なり.

四には顕わに菩薩に教え,顕わに二乗に教ゆ.即ち法華教なり.「菩薩は是の法を聞きて,疑網皆な已に除く.」とは,謂わく顕わに菩薩に教ゆ.「千二百の羅漢.悉く已に当に作仏すべし.」とは即ち顕わに二乗に教ゆるなり.

以上の箇所を図式化すれば以下のようになる.

経典
教菩薩.非化二乗. 『華厳経』
教二乗.不化菩薩. 三蔵教(阿含経典)
教菩薩.化二乗. 『般若経』『浄名(=維摩)経』
教菩薩.教二乗. 『法華経』

吉蔵が①『華厳経』を③『般若経』よりも下に位置付けていたとは考えにくいから,必ずしも単純に①から④へと価値が上がっていくと結論づけられないが,③と④とを比較した際に,吉蔵は『般若経』よりも『法華経』を高く位置付けていたと考えられるので,「化二乗」より「教二乗」を高く位置付けていたと思われる.つまり『浄名玄論』のこの箇所においては「顕>密」とも受けとれる価値観が採用されているといえる.

吉蔵の顕密判は,「般若経<法華経」という価値観を前提としながら,主として『大智度論』に見られる顕密の定義を当てはめるというものである.そして「顕」という語を取ってみれば,「顕」には「顕=浅」という否定的評価と「顕=了」という肯定的評価という相反する価値観が存在する.「密」についてはその逆に「密=深」という肯定的評価と「密=未了」という否定的評価が存在する.

吉蔵の顕密判(小結)

吉蔵の著作中,『法華玄論』『法華遊意』においては「顕=浅」(つまり「顕<密」)という定義に重点が置かれていたようであったが,『浄名玄論』においては逆に「顕=了」(つまり「顕>密」)という定義に重点が置かれているように思われる26.このように吉蔵において既に相反するかのような顕密の定義が見られるのであり,吉蔵自身が優劣をつけていない以上,この矛盾する定義をいかに解釈するかは日本三論宗に課せられた課題となったのである.

結論を先に述べておけば,玄叡はこの二つの定義のうち「顕=了」(顕>密)の定義のみを選択することになる.そこには当時三論宗と法相宗の間での空有論諍で大きな役割を果たしていた法相宗の三時教判における「了相>隠相」の価値観と以下に見る法宝の顕密概念からの影響が見出されると考えられる.

第二節ノ二 法宝の顕密二教

 次に玄叡の顕密概念に大きな影響を与えた法宝の顕密の定義について見ていくことにする.法宝ははじめ玄奘門下であったが,五姓各別・一分不成(永遠に成仏しない衆生が存在する)という教理を認める法相宗の正系である基の説に対して,一切皆成(全ての衆生が成仏する可能性を持つ)という教理を主張し,異義を唱えた27

また後の日本仏教への影響を考えると法宝の『一乗仏性究竟論』は,三論宗の玄叡( -840)・円宗( -883),天台宗の最澄(767-822)・源信(942-1017)によって重視されている.その理由はいずれも,一分不成を主張する法相宗に対抗して,法宝の理論を援用して悉皆成仏を主張することにあった.玄叡が法宝の『一乗仏性究竟論』を重視して『大義鈔』に引用した理由は当時の三論法相論争における,三論宗側からの法相宗批判のためにあることは明らかである.

 法宝の顕密概念を考える上において問題になるのは『法華経』と『解深密経』との優劣である.それは基が『解深密経』に基づいて三時教判を打ちたて,『解深密経』を最高位に位置付けたことに対する批判であった.以下に法宝が顕密を区分して述べた箇所を引用する28

『一乗仏性究竟論』第三 一乗顕密章第六 卍続蔵経一ノ九五ノ四0742a11-b329

又二種有り.一には了義一乗なり.二には密意一乗なり.

又二種有り.一には定性菩薩の為に一乗を説く.二には不定性声聞菩薩の為に一乗を説く.

此の論文に准ずるに,乗の体は真如を以て性と為す.三煩悩もて覆われる為の故に,凡夫・二乗見るを得ること能わず.福慧の因を以て,其の三惑を除きて真如を引き出す.究竟に大菩提果を証得す.此れは是れ正乗等.其の求める所の如し.余乗を説く為に,方便乗と名づく.此れ即ち仏乗にして是れ究竟なり.二乗を方便と為す.

又『法華』『涅槃』等の経に云わく.方便は三乗を説く.究竟は一乗を説く.『仏性論』に云わく.聖道に入り已り,究竟の涅槃心を生じ,是の増上慢心を破せんが為の故に,大乗『法華経』等の真実法教を説く.此れ等の経論に準じて,一乗を究竟と為し,三乗を方便と為す.

以上の箇所で対比されているのは以下の四点である.

① 了義一乗←→密意一乗

② 為定性菩薩,説一乗←→為不定性声聞菩薩,説一乗

③ 仏乗=究竟←→二乗=方便

④ 一乗=究竟←→三乗=方便

さらに上に引用した箇所に続いて法宝は次のような問答を述べる.

問う.若し爾らば何故に『解深密経』第二・第四に皆密意に一乗を説くと云う.又『摂論』等は諸経を釈するに一乗に八有り.不定性の為に諸仏一乗を説くと云うや.

答う.一乗に二有り.一には密意一乗なり.二には究竟一乗なり.差別有るが故に.『深密』『摂論』等は是れ密意一乗なり.『法華』等は是れ究竟一乗なり.

 答では一乗に密意一乗と究竟一乗の二種類あるとする.図示すれば以下のようになる.

ⅰ 密意一乗―『深密』・『摂論』等

ⅱ 究竟一乗―『法華』

以上に引用した二文から法宝は「法華経=究竟=了義」と位置付けていることが分かる.直接に法宝が「究竟=顕了」と位置付けていることは見られないが,先に法宝は「密意一乗」と「了義一乗」を対比させ(①参照),節の名称が「一乗顕密章第六」となっており,「顕>密」の価値観を示していることから,法宝自身に「究竟=顕了」という価値観が存在したことは明らかであろう30

またこれは法相宗の三時教判に基づいていると思われる.そこでは「第二時=隠<第三時=了」という価値観が示されており,法宝の「顕>密」の価値観もこれを踏襲するものと言えよう.そして,この法宝の「顕>密」とする顕密概念が,法相宗の三時教判における顕密概念とともに,吉蔵の顕密判のいずれを選択するのかに関して,玄叡の顕密概念の形成に大きな影響を与えたと推測される31

第二節ノ三 『大義鈔』の顕密概念の成立 -吉蔵と法宝からの影響

『大義鈔』巻第二の「教迹義第九」は主に吉蔵の『大乗玄論』巻第五の「教迹義」を参考にしている.本節との関係で重要なことは,玄叡は以下の箇所(第四問答)で吉蔵の『浄名玄論』に基づきつつ,「顕>密」の価値観を打ち出していることである.

 『大乗三論大義鈔』 巻第二 教迹義第九142a19-b6

問う.菩薩蔵32において存三と破二と.其の義同じからず.云何んぞ渾乱して菩薩蔵と名づくるや.

答う.凡そ四句有り.

一には但だ菩薩に教えて声聞を化せず.謂はく『華厳』是れなり.初め成道の時,大機已に熟す.是の故に顕わに大菩薩等に教ゆ.会に二乗無く,又機未だ熟せず.是の故に密にも二乗の人は化せず.

二には顕わに二乗に教えて密にも大を化せず.三蔵教是れなり.小機已に成ず.故に顕わに之れを教ゆ.菩薩の大器は小を須っては化せず.

三には顕わに菩薩に教えて密に二乗を化す.『般若』『深密』『浄名』等の経は菩薩の大機已に成熟する故に顕了に之に教ゆ.二乗の人は小執将さに移らんとし,大機遠く動く.是の故に密に化す.財を付すと説くとは,即ち其の事なり.

四には顕わに菩薩に教え,顕わに二乗に教ゆ.『法華』『法鼓』『楞伽』『涅槃』等の経是れなり.法華経に云わく.「菩薩は是の法を聞きて,疑網皆な已に除く.」とは,謂わく顕わに菩薩に教ゆ.「千二百の羅漢.悉く亦当に作仏すべし.」とは謂わく顕わに二乗に教ゆるなり.

若し爾らば存三の大乗教は,是れ菩薩蔵の中の密意の教なり.破二の一乗は是れ菩薩蔵の中の顕了33の教なり.諸大乗に於いて常住・無常と空・不空と異なり.上に准じて釈すべし.

 まずこの問答で「存三破二」(太下線部)という語が問題になっていることが知られる.これは法宝が「究竟一乗」と「密意一乗」との区別を九種類たてた内の一番目にあたる.「存三」というのは三乗を残しておくというあり方で,「破二」というのは二乗を破して一乗を立てるという『法華経』の教えである.

 そしてこの答の箇所が先にみた吉蔵の『浄名玄論』巻第七をもとにしているのは容易に知られよう.それは吉蔵が「顕>密」と受け取れる顕密の定義を下した箇所である.

 なお玄叡は「三教菩薩.化二乗.」の所に,吉蔵の著作には無かった『解深密経』(『深密』)当てはめている.これは玄叡が『解深密経』を所依経典とする法相宗を意図的に低く位置付けようとしたためと思われる.

 ただし,玄叡は,吉蔵の「顕<密」の定義を無視できなかったのか,巻第二の教迹義における第九門(常無常)の問答(T70,143c14-15)で次のように述べている.

智度論云う.小乗は顕示教なり.大乗は秘密教なり.

 これは先に挙げた『法華玄論』巻第三の②に基づいたもので,これは教迹義の十門の中に「顕示と秘密」が挙げられない理由を考察したものである.その答えとして,生滅法を説く小乗(顕示教)と無生滅法を説く大乗(秘密教)は第九門の常無常と義が異ならないとし,あるいは教を説くのは十門に限らない(或いは教を摂するに但だ十門に有らざるべし.唯だ十門有りて教を摂すると云わず.)とも述べている.しかしながら,同じく第七門(頓漸)の問答(T70,143b23-24)では

 一に曰く.密教は法華已前の諸大乗経(大品も亦た是れ密教大乗).二に曰く.顕教は法華已後の諸方等なり.

と述べており,この「顕>密」という定義は『大義鈔』のそれ以外の箇所を通じて一貫したものとなっている.

『大義鈔』の後半にある「諍論」の部分は他宗との論争を想定して書かれたものであるが,有性無性諍論第四,定性不定性諍論第五,変易生死諍論第六,三一権実諍論第七,教時諍論第九を通じて,「了>隠」といった価値観は一貫している.以下にそれらの内,特徴的な二箇所を見ていく.

定性不定性諍論第五 巻第四 163a21-b3

又汝一乗に於いてとあり.未だ分別することを識らず.

若し『深密経』と諸部の『般若』と『善戒経』等は是れ菩薩蔵の密意大乗なり.是の諸大乗は随転理門の密意の説なれば,「三乗の差別・五性の不同あり.無性・定性は成仏することを得ず」と言う.『瑜伽』・『顕揚』・『摂論』等に「五性差別あり.無性定性は成仏することを得ず」と説くは即ち此の経を釈するなり.我が宗も亦是れ密意の教なりと許す.汝若し此れに憑れば,即ち相符の過あり.

若し『楞伽経』と『無上依経』と『勝鬘』と『法華』と『涅槃』との等(ごと)き経は是れ菩薩蔵の顕了一乗なり.此の諸の一乗は真実理門の顕了の説なれば,「三乗同じく一乗に帰し,五性皆仏性有り.凡そ理心有るものは皆当に仏道を成ずべし」と言う.『仏性論』と『宝性論』と『法華論』と『涅槃論』と『瑜伽』の菩薩地等に「真如を種と為し理[謂?]は是れ仏性にして凡そ理性有れば,後当に決して清浄法身を得べし」と説くは即ち此の経を釈するなり.汝若し此に據れば,即ち違教の失あり.何ぞ大乗の顕密を弁了せずして号を混じて愆を免れんや.

以上の箇所を図式化すると以下のようになる.

経典 教理
密意大乗 『解深密経』諸部の般若経『善戒経』等 三乗差別・五性不同
顕了一乗 『楞伽経』『勝鬘経』『法華経』『涅槃経』等 三乗同帰一乗・五性皆有仏性

波線部は本稿の第一節で取り上げた箇所であり,ここで玄叡が“顕”と“密”とを区分して述べていることが分かる.玄叡の価値観では当然「顕>密」となる.

変易生死諍論第六 164a11-18

答う.瑜伽を会釈するに,凡そ二釈有り.一には云わく.密意大乗の随転理門なり.密意の説は二乗実に滅して変易身無しと言う.『瑜伽論』には此の密意の教を釈す.若し顕了究竟一乗の真実理門に據らば,第八有り,麁の身智を滅して,相続して微細の身智を起こすと説く.

 この箇所は法宝の『一乗仏性究竟論』巻五「増寿変易章第九」34の主張に基づいている.法宝自身の議論はいささか繁雑である35が,結論だけを言えば,『瑜伽論』などの前教(密意・権教)では二乗(声聞乗・縁覚乗)の変易生死は説かれないので二乗は実際に滅する(成仏しない)が,『法華』『涅槃』などの後教(究竟・真実)に至ると二乗の変易生死が説かれて定性二乗も成仏できるという義が明確になるというものである.

 玄叡は法宝のその主張に基づいて以上の箇所を述べているが,この内,第一釈は「教時前後」説に基づく法宝の主張と趣旨を同じくしている.玄叡は法宝に随って,大乗経論を「密意方便」と「究竟真実」とに分類している.そして上記の箇所で玄叡は「了=真実理門>意=随転理門」という価値観を示している.

玄叡は吉蔵の著作において存在した二つの顕密の用法のうち,『浄名玄論』巻第七に基づいて,「顕>密」を一方的に採用することになったことは先に見た.そしてその原因は法相宗の三時教判および中国法相宗の法宝の『一乗仏性究竟論』における顕密の用法を採用したことにあると思われる.

このように玄叡の顕密概念は三論宗の祖師である吉蔵の顕密の区別を配慮しつつ,基を正統とする日本法相宗では異端とされた法宝の顕密概念を大幅に採用して形成されたことが分かる.

玄叡の「顕>密」に偏る解釈に対して,三論宗内部で異論が起きた可能性も推測されるが,現在それを確かめることのできる文献は見つからない.ともかく玄叡は“顕密”を「顕>密」の価値観で統一しようとした方向があったことは確かである.

その理由として,法相宗と論争を行うために学説を整理した形で提示するには,吉蔵にみられた顕密のあいまいな定義を確定する必要があったからと推測される.しかし吉蔵の解釈としては,『法華玄論』『法華遊意』に見られるようにやはり「顕<密」という用法もあったのである.「顕>密」のみを採用する玄叡の解釈は厳密に言えば,吉蔵の顕密概念とは若干のずれを生じているといってよい.また本節で見たとおり,玄叡が“顕密”の定義を問題にすること自体,当時,日本三論宗内で「顕密」の定義づけが重要な問題になっていたと考えられる.

玄叡の顕密概念(小結)

 以上,結論として言えることは玄叡の「顕>密」とする顕密概念は①三論宗の祖師である吉蔵『浄名玄論』の教判に典拠を持つが,②法相宗との論争の必要上,法宝の顕密概念,さかのぼっては『解深密経』における顕密概念を大幅に採用して形成されたということができよう.

次に空海の顕密概念の形成について述べ,最後に玄叡と空海との顕密概念の比較を行うことにしたい.

第三節 空海―の顕密概念の成立について

 従来の空海研究は,空海と密教経典との影響関係を探ることに重点がおかれ,空海の顕密概念についても密教経典との関連を中心に研究されていた36.確かに,漢訳仏典においては密教経典に至って“秘”や“密”の字が頻出するようになり,またそれらの字が肯定的に扱われるのは事実であり,空海の“密”を肯定的に扱う概念は明らかに密教経典の影響を受けていることは否定できない37

しかしまた空海が自著の中で引用する密教経典自体には,明確に“顕”と“密”とを対比して扱っている文献は見当たらないのである.それでは空海はどこからこの顕密を対比する概念を取り入れたのであろうか,という疑問が起きる.以下に挙げるのは空海が密教経典中から「顕教」という語を引用した唯一の例である.

『弁顕密二教論』巻下 弘全第一輯496-497 定弘全第三巻99-100

『金剛頂五祕密經』(T20, 535b20-c11)に説かく.若し顕教に於いて修行する者は,久しく三大無数劫を経て然して後に無上菩提を証成し,其の中間に於いて十進九退す.或は七地を證して所集の福徳智慧を以て,聲聞・縁覺の道果に迴向して,仍(なお)無上菩提を證すること能わず.若し毘盧遮那佛自受用身所説の内證自覺聖智の法及び大普賢金剛薩埵他受用身の智に依らば,則ち現生に於いて曼荼羅阿闍梨に遇逢(あ)い,曼荼羅に入ることを得.羯磨を具足することをを爲し,普賢三摩地を以て金剛薩埵を引入して,其の身中に入る.加持の威徳力に由るが故に,須臾の頃(あいだ)に於いて當に無量の三昧耶,無量の陀羅尼門を證すべし.不思議の法を以て能く弟子の倶生我執の種子を變易して,時に應じて身中に,一大阿僧祇劫の所集の福徳智慧を集得すれば,則ち佛處に生在すと爲す.纔に曼荼羅を見るときは,則ち金剛界の種子を種(う)えて,具に潅頂受職の金剛名號を受く.此れ從り已後廣大甚深不思議の法を受得して,二乘十地を超越すと.

<空海の喩釈>

喩して曰く.顯教所談の言斷心滅の境とは,所謂(いわゆる)法身毘盧遮那内證智の境界なり.若し『瓔珞經』に依らば,毘盧遮那は是れ理法身,盧遮那は則ち智法身,釋迦をば化身と名づく.然れば則ち是の金剛頂經所談の,毘盧遮那佛自受用身所説の内證自覺聖智の法とは,此れ則ち理智法身の境界なり.

空海は,ここの喩釈部分(注釈)で『五秘密経』からは「顕教」及び「毘盧遮那仏自受用身所説内証自覚聖智法」の語しか引用していない.つまり空海はここで『五秘密経』の「顕教」という語を引用し,「顕教」が長い期間(三大無数劫)修行しなければならない,劣った段階にあることを示そうとしていたと考えられる.空海が引用する密教経典中に見られる唯一の「顕教」の出典であるが,ここで“顕”と“密”が対比的に扱われていることはない.

また引用本文中には「顕教」とは見られないものの,「諸教」という語を空海があえて「顕教」と当てはめている箇所を次に示す.

『弁顕密二教論』巻上 弘全第一輯491 定弘全第三巻93-94

『金剛頂發菩提心論』(T32, 572c11-14)に云わく,諸佛菩薩昔因地に在して是の心を發し已って,勝義・行願・三摩地を戒と爲し,乃(いま)し成佛に至るまで時として暫(しばら)くも忘るること無し.惟(ただ)し眞言法の中にのみ即身成佛するが故に,是れ三摩地の法を説く.諸教の中に於いて闕して書せず.

<空海の喩釈>

喩して曰く.此の論は,龍樹大聖所造の千部の論の中の密藏の肝心の論なり.是の故に,顯密二教の差別淺深,及び成佛の遲速勝劣,皆此の中に説けり.

謂く,「諸教」とは,他受用身及び變化身等所説の法の諸の顯教なり.「是説三摩地法」とは,自性法身所説の祕密眞言三摩地門是れなり.所謂(いわゆる)金剛頂十萬頌の經等是れなり.

『発菩提心論』の作者38自身は,この「諸教」という語に空海のいうような「顕教」という意味をもたせていなかったと思われる.そのように解釈するのは,あくまで空海による解釈である.

空海の著作中,密教経典およびそれに対する註釈の中で,「顕教」という語が用いられるのは,わずかにこの二箇所のみである.この『五秘密経』および『発菩提心論』のわずかな記述から空海が“顕密”の対立概念を引き出したとは考えられない.密教経典中には顕密を対比させて扱う箇所はわずかに存在するが,空海はそれを引用することはなく,空海にとってあたかも顕密が対比されることは自明のように思われる.

一方で顕密を対比させる用法は,第二節で述べたように,吉蔵や空海と同時代人である玄叡の著作にも見られた.おそらく,空海は入唐前から吉蔵の“顕密”判,及び日本の仏教界における顕密を対比させる用法を知っていたと考えられる.

空海の顕密概念の成立について(小結)

顕・密という対概念そのものを空海が独創的に作り上げたという宗学的立場からの見解もありえようが,本稿ではまずは顕密の用例を,空海の思想背景となった同時代の日本仏教の文献から探るべく,空海の顕密概念を検討するに先立って玄叡の顕密概念の形成を見た.

その結果,空海以前に顕密の概念を対比的に扱うものとしては,まず吉蔵の著作があり,空海修学当時の空有論諍に大きな影響を与えた法宝の著作の中でも顕密を対比させる用法が重要な役割を果たしていたことが分かった.さらには本稿では扱わなかったが,吉蔵の同時代人である天台智顗の著作の中にも顕密が対比的に扱われている箇所がある.ただし,それは吉蔵のものと極めて類似した表現である39

このように空海以前にすでに顕密を対比させて論じる文献が存在し,さらに玄叡の『大義鈔』に見られるように空海当時の日本仏教において顕密を対比させる用法が重要視されていた以上,空海がこれらの文献の影響を全く受けずに,顕密という概念そのものを打ち立てたとは考えにくくなる.

このことから空海が唐において密教に注目した理由は,当時の日本仏教界で“顕密”概念が問題になっていたことにあると推測される.また密教経典ではいうまでもなく「密」が肯定的な意味として用いられるが,必ずしも「顕」と対比されて用いられているのではない.つまり空海に“顕密”の区別が前もって存在していたからこそ,空海にとって密教が体系的なものとして注目されるものとなったはずである.

また空海は『二教論』の中で「顕略」「顕網」と顕の字に「略」「網」と否定的な語を加えて熟語としているが,これも単なる空海の修辞ではなく,三時教判に見られる「顕了」という肯定的な熟語が主流であった空海の時代には,「顕」の字にそのような語義を持たせて新たな価値観を与えることが必要であったといえよう.

以下に空海の顕密概念の成立を入唐前,留学中,帰朝後の三つの段階に分けて推測したい.

<入唐前>

空海は入唐前に既に吉蔵に見られる“顕密”の異なる二つの価値付けを南都において修学したことであろう.そしておそらくはその当時の日本三論宗の大勢としては,法相宗との論争の必要上,学説を整理して,玄叡に見られるように「顕>密」の価値付けに収斂されていったものと考えられる.

<留学中>

空海の留学中には中国における三論宗(学派)は学団としては全く衰微していたものと推測される40.一方で空海は中国留学中の長安で,密教という最新の仏教が隆盛しているのを目の当たりにする.その上,密教経典ではいうまでもなく「密」が肯定的な意味として用いられる.吉蔵や法宝に基づいて玄叡の主張する「顕>密」という顕密概念はもはや時代遅れとなりつつあると空海の目に映じたと思われる.

<帰朝後>

帰朝後,空海は『弁顕密二教論』の中で「顕<密」の価値付けを打ち出す.これは玄叡のそれに相対立するものである.この点で空海は玄叡を代表とする三論宗を批判する立場にあると見ることもできるが,吉蔵の一方の解釈を受け継いでいると考えれば,空海の思想が『二教論』の段階では三論宗の枠内にあったと考えることもできる.つまり,空海の「顕<密」という価値付けも吉蔵の「顕密」の解釈の一つとして,成り立ちうるものといえよう.このような背景の中で,空海が「顕<密」の価値付けを打ち出したことは同時代の中で空海の思想を考える際に極めて重要であろう.

このように空海はまず中国で密教を受容して,その後,顕密概念を打ち立てたという従来の見解よりは,むしろ空海は中国において密教を受容する以前に,南都における修学で既にこの顕密の概念を知っていたからこそ,教に対比しうる体系的なものとして教を比較的速やかに受容することができたとは考えられないだろうか.

第四節 『二教論』と『大義鈔』の顕密概念に関する影響関係

 以上,互いに同時代人であった玄叡と空海との顕密概念について見てきた.両者を比較してみると,玄叡は吉蔵と法宝に基づいて,「顕>密」の価値判断を下したのに対し,空海は主に密教経典に基づいて,「顕<密」の価値判断を示したことが分かる.両者の判断は全く正反対となるばかりでなく,その典拠としたものも異なるため,相互の影響関係を推定することは困難である.以下,その困難を踏まえつつも,可能な限り両者の顕密概念を当時の時代状況の中で考察してみる.

 まずは両書の書かれた年代を比較してみる.年代からすれば,空海の後期の著作とされる『十住心論』が同じ天長六本宗書として『大義鈔』とほぼ同年代に書かれたと仮定すれば,空海が帰朝後,比較的初期に著わしたと思われる『弁顕密二教論』の方が『大義鈔』よりも先行していると考えられる.

単純に年代的な前後を考慮すれば,玄叡は“顕密”の概念について空海から影響を受けたか,空海を意識していた可能性が考えられよう.しかし空海の著作がどの程度,同時代の南都仏教に影響を与えたのか,つまり空海がどの程度まで当時の仏教者に広く知られていたかは現段階ではほとんど分かっていない.

これは現在の平安初期仏教に関する研究があまり進展していないためでもあるが,徳一の『真言宗未決文』を例外として,天長六本宗書などの空海の生存中に書かれた仏教文献には空海を思想的に意識している箇所はほとんど見出せないのである41.例えば天長六本宗書の一つである護命『大乗法相研神章』には南都六宗と天台宗,あわせて七宗の教義の要点が述べられているが,そこには真言宗の教義は挙げられていない.

また玄叡の顕密概念は,密教経典から影響を受けたとは思われず,当時の三論・法相間の対立において問題となっていた文献(吉蔵や法宝の著作)から直接の影響を受けたと考えられる.

最後にこの顕密の定義における玄叡と空海の関係であるが,玄叡は空海の顕密の定義を知らなかったとは断定できないが,玄叡の顕密の定義は主として法相宗との論争を巡って形成されたものと考えられ,空海の影響はほとんどなかったと考えられる.

一方で空海の顕密を対比させる用法であるが,現存する文献では空海の方が玄叡の『大義鈔』よりも年代的に先と推定されるものの,さらに時代が先行する吉蔵が顕密判を用いていることから,空海が独創的に考え出したものとは言えないだろう.空海は入唐前に吉蔵の顕密の用法を認識していたとしても無理ではない.そのことはまた当然,日本三論宗内部における顕密の用法に関する議論が背景にあったであろう.

第五節 結論

本稿では,玄叡の顕密概念の成立を中心に考察した.空海と同時代人である玄叡が“顕”と“密”との区分を自覚して論じている以上,空海の顕密概念の時代的背景に関しても再検討が必要となり,本稿でも空海の顕密概念の独自性やその意義に関して若干の推測を行った.

空海の顕密概念の成立には密教経典が重要な役割を果たしているものの,顕と密とを対比させる用法は,密教経典からではなく,南都修学中に議題の一つとなっていたものとして習得したものと考えられる.それゆえに,空海は中国留学において「密」の語が肯定的に扱われる密教経典を顕教に対比しうるものとして速やかに体系的に受容することが可能であったと思われる.

Acknowledgments

本稿は平成15年度文部科学省科学研究費補助金(特別研究員奨励費)による研究成果の一部である

Footnotes

1 『望月仏教大辞典』の「顕密」の項には顕密を対比させる空海以前の文献(『大智度論』巻第四・巻第六十五・天台智顗)を挙げており,全ての研究が空海を顕密対弁思想の創始者と考えているわけではないが,空海及び日本仏教の研究者の間では一般に空海が顕密対弁思想の創始者と考えられているといえる.

2 この経証として『二教論』では『楞伽経』や密教経典が用いられる.『楞伽経』を根拠として法身説法を主張することは空海の独創ではなく,空海以前にも中国仏教の文献に見られ,それに基づいて日本仏教の文献にも見いだされることは別稿で論じる.

3 勝又俊教[1970]25-30参照.

4 空海より明らかに時代が先行する文献で顕密を対立的に扱っている日本仏教の文献としては善珠『唯識義灯増明記』巻第一(T66, No.2261, 336c-337a)がある.これについては本稿以降の課題としたい.

5 年代的な前後を考えれば,『大乗三論大義鈔』は空海の南都修学よりも後に著わされたものと考えられるが,『大乗三論大義鈔』で扱われた諸議題は空海の修学時代以前にまで遡ることができると筆者は考える.

6 以下,『大義鈔』と略す.

7 大正蔵第70巻の『大義鈔』の原本は寛保元年刊本,対校に用いられた甲本は仁治二年写観智院蔵本,乙本は東大寺蔵写本である.なお『大義鈔』では四字句が一連のものとして用いられることが多く,乙本が四字句にそろう善本であると思われるので本稿での訂正も多くそれによった.

8 T70, 119b8.

9 全六巻中一・二・四・五巻が発見された.浅田正博[1986A][1986B]

10 寺井氏は「一乗・三乗論争における三論宗(玄叡)の位置は,独自のものを確保することなく,法宝の主張のなかに吸収されるといっても過言ではない」と結論づけるが,玄叡が基本的には三論宗僧として吉蔵の説を踏まえて立論していることは改めて指摘しておく必要がある.

11 標準の説ではないという意味.平井俊榮[1976]427, 450参照.

12 日本三論宗の学僧.安澄が吉蔵の『中論疏』に対して註釈した『中論疏記』は,出典を明示するなど,現在でも吉蔵の『中論疏』研究のための信頼しうる基本的文献となっている.

13 結城令聞[1975]・伊藤隆寿[1980]

14 この問題についての詳細は大西龍峯[1990]603参照.干潟龍祥[1933]も触れている.

15 空海は『十住心論』(弘全第一輯347, 定弘全第二巻251)の中で「方言」を扱った『大乗玄論』巻第一(T45, 19b13-21)の箇所を引用する.

16 このことは『十住心論』で空海が三論宗の師資相承を詳しく述べることと合わせて,空海が当時の三論宗の内情に通じていたという根拠の一つとなろう.藤井淳[2003]

17 日蔵 旧版394b-397b, 新版232b-235b.

18 『二教論』の冒頭に現れる.「夫れ仏に三身あり.教は則ち二種(顕・密:筆者注)なり.」弘全第一輯474, 定弘全第三巻75.

19 村中祐生[1969]は吉蔵における顕密の発展を考察している.本稿との関連で言えば,吉蔵における顕密概念の不一致が日本における三論宗において整理される必要が生じたということである.

20 吉蔵の著作に関しては一部偽作の疑いがあるが,本稿で扱う範囲では,吉蔵の著作の真偽問題と関わらない.

21 大正蔵の「牙」を「芽」に改めて読む.

22 ただし,吉蔵の全著作中を見れば『法華経』と『般若経』の優劣関係は微妙である.菅野博史[1994]431-460参照.

23 空海が『二教論』巻下(弘全第一輯505, 定弘全第三巻109)で「大を以て小に比すれば,亦た顕密有り」とするのはこの箇所を踏まえていると考えられる.

24 『法華遊意』(T34, 645c2-23)は『法華玄論』巻第三の②と内容的にほとんど異ならないために説明は省略する.

25 『維摩経義疏』(T38, 909b)『法華遊意』(T34, 645a)にはこの四門とほぼ同じ箇所が挙げられているが,これを参照する玄叡の文は『浄名玄論』に最も近い.村中祐生[1969]・菅野博史[1994]452.

26 本節で問題になる吉蔵の著作年代の推定は平井俊榮[1976]358を参照すれば『法華玄論』→『法華遊意』→『浄名玄論』である.しかし,当時の日本三論宗への影響という点を考えると,日本三論宗の僧侶に吉蔵の著作年代に対する批判的考察があったとは思われない.

27 この法宝に対して基の系統を受け継ぐ慧沼(憩州大師650-714)が『能顕一乗慧日論』を著わし,法宝を破柝した.法宝と慧沼の間の顕密を巡る論争も当時の日本仏教で話題になっていたと推測されるが,これについては本稿以降の課題とする.

28 この前に法宝は梁訳『摂大乗論』・『中辺分別論』の中から「乗」の語義を列挙する箇所を引用している.

29 この箇所に関しては浅田正博[1997]が触れている.

30 玄叡は「究竟顕了一乗」(巻第四 定性不定性諍論T70, 162c15-16)という熟語を作り上げているが,これは以上の箇所を参照したものと考えられる.

31 なおこの法宝の一乗顕密章第六に対し,慧沼が『能顕中辺慧日論』(T45, No.1863)巻第一(T45, 418c23-420b5)で「破定顕密五」という章を立てて法宝の説を論駁した.

32 乙本により「蔵」を挿入.

33 ここで玄叡は吉蔵がただ「顕」の字を用いていた箇所に「顕了」という熟語を当てている.「顕了」という熟語を用いることで「顕」の字により肯定的な意味を持たせたと考えることができる.一方,空海は『二教論』の中で「顕略」(弘全第一輯474, 定弘全第三巻75)や「顕網」(弘全第一輯475, 定弘全第三巻76)という熟語にすることで「顕」に否定的な意味を持たせる.

34 浅田正博[1986B]

35 寺井良宣[1990]参照.

36 こうした視角からの研究としては勝又俊教[1970]が優れている.

37 従来,空海思想の重要な用語とされてきた「三密(身密・語密・意密)」という語は吉蔵・智顗などといった,空海に先行する中国仏教者の文献にも見出され,空海自身が『二教論』巻下(弘全第一輯504, 定弘全第三巻108)で引用するように『大智度論』巻第九(T25, 127c)にも見られるが,「三密」の用例については現在検討中である.

38 『発菩提心論』の作者については,望月信亨[1946]・東武[1974]参照.

39 三崎良周[1985]参照.

40 空海留学当時,法相宗も衰微していたことは深浦正文[1954]157に空海と同時代の「清涼(=澄観:筆者注)にあっては,その当時の教界は,さしも一時旺盛を極めた玄奘・慈恩一派の勢力が漸く衰え,相宗(=法相宗:筆者注)の面目また昔日の観なき有様であった」とある.

41 天長六本宗書の一つである普機の『華厳宗一乗開心論』が空海と解しうる人物からの“伝聞”を記述しているが,そこでは思想的な問題は扱われていない.『大義鈔』巻第四 説不説諍論には空海の法身説法を意識したと思われる箇所があるが,どの程度,空海の議論を踏まえたものか分かりづらい.

References
 
© Young Buddhist Association of the University of Tokyo
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