2025 Volume 2025 Issue 52 Pages 138-151
はじめに
ジャック・デリダは、『触覚、ジャン゠リュック・ナンシーに触れるLe toucher, Jean-luc Nancy1』(2000)を書き、そこでナンシーの用いる「触れる=触覚toucher」の特異性について考察している。この著作はナンシーを含めた触覚の哲学を読解していくという意図がありつつも、デリダ自身の思想が多分に読み取れるテクストとなっている。そして、いくつかの先行研究にもあるように、デリダは、ナンシーの触覚の特異性として、触覚に「他者」ないし「他性」が含まれていることを指摘した2。たしかにナンシーの1990年代の著作『コルプス』(1992)では「唯一身体だけが他者であるために、他者は身体である」(C, 29 / 25)、「自らにおいて君へ触れる」(C, 36 / 30)などといったところに、ナンシーが用いる触覚の他性が見いだせる。しかし、触覚に関するナンシーの議論とそれについてのデリダの解釈を「ナンシーの触覚の特異性=他性」という端的な答えに回収してしまうことは、「共同体」「意味」「限界」などといった重要語と深いかかわりを持つナンシーの触覚という語の射程を狭めてしまうことになりかねず、またデリダが『触覚』の中で施した独特な解釈を単純化してしまう危険がある。
上の問題を解決するための一助として、触覚について語り始めた70年代後半のナンシーと、それを解釈する『触覚』のデリダに着目することは有益であろう3。本論で示すように、初期のナンシーの著作『エゴ・スム』(1979)に所収されている論文「或ル一ツノ何カ」において、「自らに触れる」という言葉は、主体が生じるための行為として用いられており、こうした用法は「他者」や「他性」といった語と深い関係を持つ以前のものだと考えられる。そのため、この時期の触覚について考察することが、ナンシーの思想における「触覚」という重要語に新たな視座を与えると考えられる。そして、それを踏まえた上で、論文「或ル一ツノ何カ」を解釈するデリダについて検討することは、初期のナンシーの触覚のあり方をより鮮明にするだけでなく、デリダによるナンシーの解釈の独創性を明らかにすることができるであろう。従って、本稿では上の二つのテクストに焦点を当て、そこでのナンシーの触覚が如何なるものであるのか、そしてデリダはそれを如何に解釈したのかを考察する。そして、この考察により「或ル一ツノ何カ」の中でのナンシーは「自らに触れる」という行為を、主体を開始しつつも分解する行為として用いており、この触覚の二重の運動をデリダはかつて自らが展開した議論と結び付けて解釈したということを示す。
本稿の議論の道筋は以下の通りである。まず第1章と第2章では、ナンシーの論文「或ル一ツノ何カ」を取り上げ、そこでの「自らに触れる」という行為が主体を開始する行為である(第1章)のと同時に、主体を分解する行為である(第2章)ということを明らかにする。それを踏まえ、デリダの『触覚』に議論を移し、第3章では「自己‐異他‐触覚」、第4章では「間化」という語にそれぞれ着目することにより、デリダがナンシーのデカルト解釈の中にかつて自分が行った議論を読み取っていることを示す。
1.主体を開始する触覚
論文「或ル一ツノ何カ」では、デカルトの心身二元論の問題が取り上げられ、ナンシー独自の身体論が展開されている。しかし、紙幅の都合上、この論文でのナンシーのデカルト解釈の概観を示すことや、その解釈が正当であるのかを検討することはできない。そのため本章では、本稿の議論に関わる部分を読解し、どのような文脈で「触れる」という語が用いられているのかを示すにとどめておく4。
一般的にデカルトは『省察』や『方法序説』において、私という主体を、身体と区別された精神として、すなわち思考する実体として確立したとされているが、こうした解釈とナンシーのデカルト解釈は異なる。ナンシーのデカルト解釈の特徴は、言表の「内容」から区別された「言表énoncé」それ自体ないし「言表行為énonciation」に注目する(ES, 121 / 214)ことによって、私という主体と、精神などといった実体との「非連続性」(ES, 143 / 251)をある程度認めているという点にある。例えばナンシーは以下のように述べている。
「私…は実体である」と私が言表するとき、私は実体の位置を与える。しかし、この位置の前‐提pré-supposition〔…〕は、前提を可能にするような一人称での言表の中に留まる。すなわち、「私は、実体である自我である」という言表に留まるのである。この言表において、またこの言表によって、主体は(思考する)実体と自らを同一視するのと同時に、実体と自らを区別する(ES, 143 / 251)
一方で「私は実体である」という言表の内容は、主語sujet、すなわち主体である私が精神などといった実体であるということを示している。他方で「私は」と言い表す行為それ自体は、その言表内容を成立させるための前提であるために、身体や精神といったあらゆる実体から区別されている。すなわち、ナンシーによれば、一方で言表の内容に注目すれば、主体は実体と同一でありつつも、他方でその言表内容を成立させる言表行為それ自体に注目すれば、「私は」と言い表す行為としての主体は言表の内容としての実体から区別されたものである。ここで留意しておきたいのは、この言表行為が言表内容の「前提」でありつつも、この「前提」の「前pré-」は言表内容に対する言表行為それ自体の時間的な先行性を表すものではないということである。たしかに「私は実体である」と言表することは言表内容を成立させるための前提でありつつも、それを言い表す時には同時に「私は実体である」という言表の内容が成立する。つまり、「私は実体である」と言表する時に、言表としての私ないし主体は精神や身体といった実体から自らを区別し存在し、同時にそれを前提として主体は実体として位置付けられている。
そして、あらゆる実体から区別された「私は」を言表する行為を、ナンシーは「自分自身の経験」(ES, 156 / 272)、「口が自らを開きs’ouvre、「我ハ」を形成する」(ES, 161 / 281)経験であるとする5。言い換えれば、口が自らを開き、「私は」(=「我ハ」)が形成される言表の経験は、自らを開始するs’ouvrir行為であり、それこそが初めの自分自身についての経験である。たしかに、ナンシーに従えば、ここまで見てきたように「私は」と言表しない限り主体は思考することも、ましてや身体的な活動をすることもできない。裏を返せば、口を開き「私は」と言表し、「私」すなわち主体を実体と区別しつつ開始する経験によって、初めて主体は何らかの実体としてあることができるのである。
では、主体を開始するような言表は誰が行うのか。言い換えれば、この言表を行う口は誰の口なのか。この言表によって主体は開始するのであるから、その言表を行うのは主体とは考え難い。伊藤によれば、「ナンシーは、このような言表行為というレベルでしか捉えられない「つぶやき」を「誰か」という不定の人称と結び付けている6」。実際、ナンシーは『エゴ・スム』に所収された別の論文において「つぶやき」という言表行為を主体であるかどうかもわからない「誰かのつぶやき」(ES, 22 / 31)であるとしており、この不定の誰かが言表することによって主体を開始すると考えられる。そして、論文「或ル一ツノ何カ」においても、その表題でもある「或ル一ツノ何カ」という不定の何らかの事物についてナンシーは語っている。「或ル一ツノ何カ」とは、デカルトの『省察』の第五省察からナンシーが引いてきたものであり7、ナンシーはこの或ル一ツノ何カを「事物性をもつこともなく、したがってまた単一性を持つこともなく、〈単一のもの〉を為す何らかの事物」(ES, 159 / 277)、要するに何とも規定できない(≒決定不可能なindécidable)「カオス」(ES, 164 / 285)として解している。そして、ナンシーはこの或ル一ツノ何カと言表との関係について以下のように述べている。
しかし、何らかの事物——或ル一ツノ何カ——は自らを開き〔…〕、そして、その開口ouvertureは自らをはっきりと発音し〔…〕、そして、このはっきりと発音された〔=関節を有するarticulée〕開口は、ある極端な収縮において「私は」を形成する。(ES, 157 / 273)
すなわち、ここでも口を開き「私は」と言表することによって、主体たる私を開始し形成するのは、いわく言い難く規定できない何らかの事物、或ル一ツノ何カによってであるとナンシーは考えている。
以上の議論を踏まえ、論文「或ル一ツノ何カ」での「触れる」という語がどのように用いられているのかを確認しよう。この論文の中で「触れる」という語が現れるのは二度だけであり、下がそのうちの一つである8。
そのため、痙攣し、それ〔口の開け〕は「私は」の形になりse forme en je、それは「私は」を自ら感受し、それは「私は」を自ら考える。「私は」は「私は」を作り——「私は」と言い——自らに触れse touche、自らを固定する。(ES, 157 / 273)
一文目では、何らかの事物の口が「私は」の形になることによって、「私は」を形成する経験、つまり先ほどまで見てきた主体を開始する経験について述べられている。そして、二文目では、「私は」と自らに触れる行為が、口を「私は」の形にして言表し、主体を形成する行為と同じ行為として説明されている。ここまでのことを踏まえれば、すなわち「自らに触れる」という行為は主体を開始する言表と同じ行為である。こうしたことからも、ここでの「自らに触れる」は自分自身の肌に触るというよりも、「自らについて語る」「自らに関係する」ということに近い意味であろう9。つまり、ナンシーによれば、或ル一ツノ何カが「私は」と言表し自らに触れる(≒自らについて語る)ことによって、主体である自らを開始し、自らをあらゆる実体から区別する。そして「自らに触れる」ことによって生じた主体を前提にして、同時に自らを実体として位置付ける。
2.主体を分解する触覚とデリダからの影響
ここまでで示してきたように、ナンシーの論文「或ル一ツノ何カ」において、「自らに触れる」という行為は、規定できない何らかの事物が「私は」と口を開き言表することによって、主体を開始する行為である。しかし、「私は」と言表する行為は、主体を開始する行為であるとともに、もう一つ別の運動を含んでいる。デカルトの『省察』の「「私は在る、私は存在する」という命題は、私がそれを発音する度に、あるいは精神で把握する度ごとに必然的に真である10」という有名な箇所を示唆しつつ、ナンシーは以下のように述べる。
二度自分を与えながら、主体は常に——毎日、毎度、私が「私は」と言う度、私が生きる度——自らを与え、そして決して自らを与えない。というのも自らを定めることができ、かつ理解されうるようなものは何もないからである〔…〕。(ES, 159 / 277-278)
一文目の「二度自分を与えながら」の箇所では、第1章でも示したように、何らかの事物、或一ツノ何カが「私は」と言表する行為が、思考する実体として、そして実体から区別された「私は」という主体として、二重に自らを位置付けることを述べている。しかし、一文目の後半では、後者の主体の方は自らを主体として位置付けつつも、一方で自らを位置付けないということが書かれている。そして二文目でその理由として、この主体が自らを定めて、理解できるようなもの——例えば思考するものとしての精神や延長するものとしての身体などといった規定——を持たないことが挙げられる。たしかに第1章でも見たように、一方で、或ル一ツノ何カが「私は」と言表することによって、実体から自らを区別する言表としての主体は、自らを実体として同定するための前提を与える。しかし、他方でこの主体は、実体から区別されているため、前提となって自らを定めるものがなにもない。よって、言表としての主体は、自らについて何も与えはしないのである。
自らを定め、自らについて与えるものが何もないために、この主体は自らを「何ものによっても支えられない」(ES, 159 / 278)。ナンシーによれば、この自らを支えるものがない主体は「強硬症であるのと同時に分解している」(ES, 160 / 278)。つまり、「私は」と言表することによって、一方で言表内容としての主体は自らを実体として位置付け、強硬症のように自らを固めるが、他方で実体から区別された言表としての主体は自らを支えるものが何もないために分解してしまう。換言すれば、或ル一ツノ何カが言表する度に、言表としての主体は生じるのであるが、その主体はその度ごとに崩壊してしまうのである。ともすれば「私は」と言表する行為は主体を開始する行為であるとともに、その主体の分解が避けられない行為として考えられよう。すなわち、ジェームズの言うように、ナンシーにおいて「コギトという「言表行為」の中で主体が自らを与えるところの接合点は、同時に「言表する」という動作の中で主体が引き退き、無規定なものとなる点でもある11」と考えられる。実際、「自己は消え去る、もしくは把握することをやめるという条件でのみ自らを把握しうる」(ES, 161 / 280)ともあるように、自らを開始するためには、同時に自らを分解し主体が消え去ってしまうということが必要である。また別の箇所でも、「私が口を開くとすぐに、私は自らを切除する」(ES, 126 / 221)とナンシーは述べており、ここでも「私は」と言表することによる主体の開始の運動と分解の運動は切り離せない関係にある。
以上のように言表行為は主体を開始する行為であるとともに、自らを分解してしまう行為として語られている。これは言表行為と同じ行為である「自らに触れる」についても言えるであろう。すなわち、ナンシーに従えば、「自らに触れる」は主体の開始と分解の二重の運動を指し示しており、「私は」と自らに触れることで自らを開始するが、その瞬間に自らは分解し消え去ってしまうと考えられる。
次の章に進むにあたって、このような触覚ないし言表行為の二重の運動の議論に影響を与えているのが、「コギトと狂気の歴史」(1967)におけるデリダのデカルト解釈であるということを示しておきたい。ナンシーは『エゴ・スム』のある脚注においてデリダの「コギトと狂気の歴史」について以下のように言及している。
このテクスト〔「コギトと狂気の歴史」〕は我々の話の可能性の条件を形作っている。というのも、そこでもまた、尖端pointeによってのみコギトが生じるということは「教育」ないし「解釈」の議論でなく、「規定すること」の議論の問題である。この尖端では思考が狂気の中で自らを非決定化する。(ES, 34 / 62)
ナンシーによれば、デリダの「コギトと狂気の歴史」において「コギトが生じる」という主体が開始する運動は「自らを非決定化する」ような「尖端」においてのみ可能であるため、主体が分解する行為と不可分であり、こうしたデリダの議論はナンシーの議論の「可能性の条件を形作っている」。つまり、ここまでの議論を踏まえれば、「自らに触れる」ことによる主体を開始し分解するという二重の運動の議論は、デリダの影響を受けて展開されたものということになる。実際、他のテクストにおいて、デリダがデカルト解釈で用いた「狂気」という語を借用して、「その狂気は、コギトの極限で出現する狂気、すなわちそれ自身の実体の否定において発言される「我アリ」である」(DLD, 586 / 111)とナンシーは述べており、この点でデカルト解釈においてデリダからの影響を大きく受けていると言えるであろう。
しかし、紙幅の都合上、本稿ではナンシーがデリダのデカルト読解をどこまで自らの議論に取り入れたのかは考察できない。ただ少なくともデリダからの影響をある程度受けてナンシーが議論を展開してきたと考えられるならば、『触覚』でのデリダは『エゴ・スム』でのナンシーのデカルト解釈に、かつて自分が展開してきた議論を見て取ったのではないか、と推測できる。次章ではこの点に注目し、ナンシーのデカルト論における触覚を如何にデリダが解釈したのかについて考察しよう。
3.自己‐異他‐触発——デリダ『触覚』①
前章で述べたように『触覚』でのデリダはかつての自身の議論をナンシーの触覚の中に見て取ったと考えられる。では、デリダはどの点でかつての自らの議論を読み取ったのであろうか。結論を先に述べてしまえば、一方で、デリダは第1章において示したような、規定し難い何らかの事物が自らに触れることにより主体を開始するという運動を、「自己‐異他‐触発auto-hétéro-affection」という語と結び付ける。他方で、デリダは第2章において示したような、自らに触れることにより主体が開始すると同時に分解するという運動を、「間化espacement」という語と結び付ける。すなわち、デリダはナンシーの触覚の二重の運動を、デリダ自身が以前から用いてきた「自己‐異他‐触発」や「間化」という語を介して解釈している。以下の二つの章では、このことを明らかにしよう。
まず、デリダの「自己‐異他‐触発」がいかなる運動なのかを明らかにし、『触覚』においてこの語が使われている箇所を確認することによって、デリダによるナンシー解釈を検討しよう12。「自己‐触発」という語はデリダのキャリアの初期の頃から議論のテーマとなっており、『声と現象』(1967)では「純粋な自己‐触発」は「純粋な産出」であり、「自己自身を生み出す」(VP, 93 / 157)行為であるとされている。すなわち、この根源的な自己‐触発は自己‐触発自身によって始まり、それによって自己自身を生み出す作用である。しかし、『声と現象』では、このすぐ後の議論で、自己‐触発の概念が異他‐触発と切り離せないものとして描かれる。
そこ〔純粋な自己‐触発〕において同じものは、他者〔≒他なるものautre〕によって自己を触発し、同じものの他者になることによってでしか、同じものではない。(VP, 95 / 158)13
デリダによれば、自己‐触発における自己は、他者によって自己が触発されることによってのみ、自己でありうる。つまり、自己‐触発において自己が自己であるためには、すなわち自己の同一性が成立するためには、他者による触発が免れない。よって、デリダの言う自己‐触発は自己だけでなく他者によっても触発されることで可能になるために、異他‐触発でもあると言えよう。
そして、『触覚』において、他者によってこそ自己が成り立つという自己‐触発を、本稿第1章での主体を開始する言表行為とほとんど同じものとしてデリダは考える。
このような自己の開け〔…〕それが自律ないし自己‐触発を指し示すと、私は考えない。この場の場ならざるものも他者によって開かれる。それは自己‐触発されると同時に異他‐触発される〔…〕。(TJLN, 42 / 62)
ここでのデリダによれば、ナンシーの言う自己を開く行為、すなわち自らに触れるという行為は自己‐触発でありつつも異他‐触発でもある。別の箇所でデリダはこの異他‐触発との関係の中で可能になる自己‐触発を「自己‐異他‐触発」とも呼んでいるが、この造語は「異他‐触発が自己‐触発の効果を可能にしている」ことを表している(TJLN, 206 / 340)。また、デリダは引用した箇所の二文目で「自己の開け」を「場の場ならざるもの14」と言い換えているが、それも「他者によって」開かれている。すなわちデリダに従えば、第1章で示した主体を開始する言表行為は他者によって引き起こされるのであり、他者によって自らは開始するということになる。この点においてデリダはかつて『声と現象』などで行った自己‐触発が異他‐触発であるという議論をナンシーの「自らに触れる」から読み取っていると考えられる。
ここまでのデリダの解釈によれば、自らに触れ、主体を開始するという行為は自己‐触発であり、かつ他者が主体を開始するような異他‐触発でもある。たしかに、本稿の第1章での「私は」と言表する行為(≒自らに触れる)も、それによって主体である自らを開始するという点で一種の自己‐触発と考えられる。しかし、論文「或ル一ツノ何カ」でナンシーは他者によっての異他‐触発についても語っているのだろうか。まずもって、論文「或ル一ツノ何カ」において、「触発」という語は一度も出てこない。そして、言表による主体の開始を自己‐触発と言い換えるというデリダの言い分が正しいとしても、同論文においてナンシーは自己‐異他‐触発を可能ならしめる「他者autre」という語をほとんど用いていない。あらゆる実体と言表するエゴとを区別するために、autreという語を使う場合はあるものの、この文脈でのautreは「別の」と訳されるのが妥当であろう(ES, 140 / 246-247)。よって、主体を開始するという行為に「異他‐触発」や「他者」といった語を結びつけることは、デリダ独自の解釈だと考えられる。
しかしながら、たしかに主体を開始する言表行為とほぼ同じ行為である「自らに触れる」について語ったすぐ後の箇所で、ナンシーは「君」という親称の二人称を用いており、デリダも『触覚』第2章の最後でこの箇所を引用している。
「君」は、毎日、「我ハego」と発音する、ないし君の精神で把握する度に、君が第一(それ以前には何もないという意味で第一)人称のo、すなわち我ハ、思考シ、存在スルego cogito existoを形成する度に、この経験を成す——この経験は君に毎日起こる。(ES, 157 / 274)
たしかにここでは「君tu」という他者が「私は」と言表する経験について述べられている。ここでの君は、「私は」と言表しているために、前章でも確認したような規定し難い何らかの事物と同じものとして考えられる。従って、この「私は」と発音ないし言表することによって、「私は」という主体を形成し、それを開始するのは、規定し難い或ル一ツノ何カとしての他者たる君である。この点において、自己を触発するのは他者であるというデリダの解釈はある程度妥当なものだと言えよう。
4.間化——デリダ『触覚』②
次に注目するのは『触覚』第2章の表題でもある「間化」という語である。ナンシーは論文「或ル一ツノ何カ」で、ハイデガーの『芸術と空間』の仏訳の中から間化という語を引用している(ES, 162-163 / 283)。そこでのハイデガーによれば、「間化することEspacer、それは、人間が家屋を立て住まうための自由なるもの、開かれ、広がりをもたらす15」。すなわち、ハイデガーは人間が生じるための空間espaceを開くことを間化という語で表現しており、この間化の運動は本稿の議論を踏まえると自らを開始するという運動に近い。実際ナンシーは「私は」と言表する行為、自らに触れる行為とほぼ同じ行為として、間化を扱っている(ES, 162 / 283)。つまり、ナンシーはハイデガーから由来する「間化」という語でもって、「自らに触れる」行為と同様の主体の開始と分解の二重の運動を表現していると考えられる。
その一方で、よく知られているように、ナンシーが用いる以前からデリダもこの間化という語を様々なテクストで用いている。例えば、『哲学の余白』(1972)に所収された論文「差延」(1968)において、間化は「力動的に自らを構築し自らを分割するこの隔たり、これが間化と呼びうるものであり、すなわち時間が空間となること、もしくは空間が時間となること(時間かせぎ)である」とされている(MP, 13-14 / 上51)。また『ポジシオン』(1971)において、デリダは間化を「ある同一性が自己自身の中に閉じることの不可能性」でありつつ、「「生産的な」運動」であると解している(P, 130 / 141)。間化については他の著作でも言及されているが16、さしあたりまとめておくと、デリダにおいて間化とは時間と空間との間で起こる相互的な運動であり、空間が自らを時間から生み出しつつ、自らを時間へと解体する運動であると言えよう。もっとも、ナンシーにおいては「空間」と「時間」はほとんど問題になっていないことには留意せねばならないが、以上のことから分かるように、デリダが間化という語を生産と解体の運動として用いていることは、論文「或ル一ツノ何カ」においてナンシーが間化を主体の開始と分解の二重の運動として読み取ったということに類似している17。
こうしたことを踏まえ、デリダの『触覚』に話を戻そう。『触覚』でのデリダは、主体を開始するという運動を自己‐異他‐触発として解釈しつつ、さらにナンシーのデカルト解釈における主体を分解する運動についても気づいている。例えば、ナンシーにおける或ル一ツノ何カが言表するための「口」を、デリダは「場であると同時に〔…〕位置‐解体の場である」(TJLN, 42 / 61)としている。すなわち、デリダによれば、或ル一ツノ何カの口は、主体を開始する場でありつつも、同時にその主体を解体するような場である。さらに、デリダはナンシーの論文「或ル一ツノ何カ」の中の間化という語に注目し、以下のように述べている。
しかし、「私は」は自らに触れ、自らを間化しつつ、自己との接触を失いつつ、自らに触れる。それは、自らに触れるために接触を断ち、触れるのを控えるのである。(TJLN, 47 / 70)
ここでのデリダに従えば、一方で、ナンシーの言う主体は「自らに触れる=間化する」ことによって自らに触れ、自らについて語ることができるのであるが、他方で、自らに触れることで主体である自らを分解してしまい、接触を失ってしまう。さらに言えば、自らに触れる=間化することと、自らとの接触を失うことは不可分なものである。よって、ここではデリダも自らに触れるという行為による主体の開始と分解の二重の運動を、同じ行為である間化を介して指し示していると考えられる。しかし、この箇所でのデリダは、ナンシーが間化という語を主体の開始と分解の運動として考えていたということを、デリダ自身の議論とは結び付けず、そのまま受け取ったとは考え難い。というのも、先に述べたように、デリダは間化という語を、生産と解体の運動——ナンシーの言う開始と分解の運動に類似した運動——として何度も言及しており、さらにそれは「或ル一ツノ何カ」でのナンシーの議論に先立つからである。よって、デリダはナンシーの間化の運動にかつて自らがこの語に込めた運動を読み取ったと考える方が妥当であろう。
ナンシーの間化はハイデガーを参照しているために、デリダからの影響がどれだけあったのかは示し難い。しかし、以上のことから、少なくともデリダは自らがかつて間化という語に込めた運動、すなわち開始と分解の二重の運動をナンシーの「自らに触れる=間化する」の中に読み取っていると考えられる。
結論と展望——他者のように自らに触れる
ここまでの議論を踏まえ、本稿の結論を示しておく。ナンシーは「或ル一ツノ何カ」でのデカルト読解において、規定し難い何らかの事物が主体を開始しつつ同時に主体を分解するという二重の運動について語っており、この二重の運動は「自らに触れる」という言表行為によって生じる。こうしたナンシーの触覚の用法は、たしかに「君」という規定し難い他者に関係しているものの、主体の開始と分解という二重の運動を指し示しているという点で、これまで他性を重要視していたナンシーの触覚論の研究に新たな視座を与えるものである。そして、この論文を解釈した『触覚』のデリダは、この触覚の二重の運動を、自己‐異他‐触発と間化という、以前からデリダ自身が用いていた語と結び付けて解釈したと考えられる。第一に、デリダは、ナンシーにおける「自らに触れる」という行為に含まれる、何らかの事物が主体を開始するという運動を「自己‐異他‐触発」として理解した。第二に、デリダは、ナンシーにおける「自らに触れる」ことによる主体の開始と分解の運動を、生産と解体の運動を指し示す間化の運動と結び付けている。
ここまでデリダのナンシー読解は妥当なものであったが、最後に問題点を一つ指摘し、それについての検討を一つの展望とすることで本稿を終えよう。以下のデリダの読解は、『エゴ・スム』そのものの解釈としては問題があると考えられるものの、79年の著作『エゴ・スム』とその後92年に刊行された『コルプス』での議論を結び付けているという点で、特異な読解であるとも考えられる。
第3章で示したように、デリダは「自らに触れる」という言表行為を「君tu」という他者によって触発される自己‐異他‐触発として捉えており、このデリダの読解にはある程度の妥当性がある。デリダはそこから更に議論を進め、この「自らに触れる」という行為が呼格の「君toi」に関わるのだとする。本稿第1章で引用した「「私は」は〔…〕自らに触れるJe se touche」の箇所を引用しつつ、デリダは以下のように述べる。
最後に、「「私は」は自らに触れる」という一節〔…〕は、自らを君へと差し向けs’adressant à toiつつ、「私は」の生成を、自らの触覚的な形象(「「私は」は自らに触れる」)での自己‐触発を説明している。(TJLN, 47 / 70)
ここでのデリダによれば、「私は」と言表することは、他者である呼格の「君toi」へと向かいつつ、自らに触れている。言い換えれば、デリダは「私は」と言表する行為を、君という宛先adresseに向かって呼びかけるような言表行為として解しており、君に向かって呼びかけるように自らに触れている(自らについて語っている)のだとする。以上のようにして、デリダによれば、「私は」と言表し自らに触れる行為は、宛先としての君という他者へと向かった行為となる。この後の箇所でのデリダに従えば、自らに触れる行為は「他者のように〔…〕自らに触れる」(TJLN, 47 / 70)行為ともいえよう。
しかし、論文「或ル一ツノ何カ」でナンシーが言及した「君」は、「私は」と言表する際にその言表が差し向いた宛先としての「君toi」ではない。第3章でも示したように、むしろ規定し難い何らかの事物としての「君tu」が「私は」と口を開き言表する度に、主体が開始しつつ分解することが述べられているだけである。「触れる」という語を用いて解釈したとしても、何らかの事物である君tuが「私は」と言表することで、この君が私について触れる(語る)ことが述べられているにすぎない。君が言表する「私は」は他者に向かって——君toiへと向かって——触れているわけではないのである。以上のように、触れることに関して、宛先としてのまた呼格としての「君」について、この時点でのナンシーは言及していない。この点で、デリダによるナンシーの「或ル一ツノ何カ」の解釈には問題があると考えられる。
では、デリダは何故、自らを開く言表行為に他者を結び付け、呼格の「君」を「自らに触れる」という行為の宛先として定めたのだろうか。後の1992年の『コルプス』においてナンシーが呼格としての「君toi」や「他者」といった語を多分に用いることなどが影響しているのかもしれない。そうであるとするならば、デリダの解釈は『エゴ・スム』と『コルプス』の触覚に関する議論を結び付ける特異な解釈となっているといえる。しかし、以上のようなデリダの解釈が成功しているのか、また『コルプス』を『触覚』でのデリダが如何に解釈したのかについては今後の研究の課題としたい。
参考文献
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Jacques Derridaの著作
DG: De la grammatologie, Minuit, 1967〔『根源の彼方へ グラマトロジーについて(上・下)』足立和浩訳、現代思想社、1972年〕.
MP: Marges – de la philosophie, Minuit, 1972〔『哲学の余白(上・下)』高橋允昭、藤本一勇訳、法政大学出版局、2007-2008年〕.
P: Position, Minuit, 1972〔『ポジシオン』高橋允昭訳、青土社、2000年〕.
T: « Le toucher, Touch/to touch him », tr. Peggy Kamuf, in Paragraph, Oxford University Press for the Modern Critical Theory Group, vol. 16, no. 2, 1993.
TJLN: Le toucher, Jean-Luc Nancy, Galilée, 2000〔『触覚、ジャン゠リュック・ナンシーに触れる 新装版』松葉洋一、榊原達哉、加國尚志訳、青土社、2022年〕.
VP: La voix et le phénomène, PUF, 1967〔『声と現象』林好雄訳、ちくま学芸文庫、2005年〕.
それ以外の著作
Ian James, The fragmentary demand: an introduction to the philosophy of Jean-Luc Nancy, Stanford University Press, 2006.
Martin Heidegger, « L’art et l’espace » in Questions Ⅲ et Ⅳ, traduit par Françoit Fédier et Jean Beaufret, Gallimard, col. « tel », 1990〔マルティン・ハイデッガー「藝術と空間」竹市明弘訳、新田博衛編『藝術哲学の根本問題』晃洋書房、1978年、281-294頁〕.
René Descartes, Meditationes de prima philosophiae in Œuvres de Descartes, publiées par Charles Adam et Paul Tannery, tome Ⅶ, Vrin, 1996〔フランス語版は、René Descartes, Meditations et principes: traduction Française in Œuvres de Descartes, publiées par Charles Adam et Paul Tannery, tome Ⅸ, Vrin, 1996、邦訳は、デカルト『省察』山田弘明訳、ちくま学芸文庫、2006年〕.
市川崇「時間、自己触発、固有性——超越論的感性論をめぐるジャン゠リュック・ナンシーとジャック・デリダの討論」『人文学報 フランス文学』首都大学東京人文科学研究科人文学報編集委員会、513巻15号、153-180頁、2017年。
伊藤潤一郎「身体の奥底で」『思想』岩波書店、no. 1172、110-119 頁、2021年。
伊藤潤一郎『ジャン゠リュック・ナンシーと不定の二人称』人文書院、2022年。
加國尚志「彼に触れないこと、メルロ゠ポンティ―デリダのメルロ゠ポンティ読解をめぐって」『沈黙の詩法―メルロ゠ポンティと表現の哲学―』晃洋書房、117-134頁、2017年。
亀井大輔『デリダ 歴史の思考』法政大学出版局、2019年。
ジャン゠クレ・マルタン「コルピュス」吉松覚訳、西山雄二・柿並良助編『ジャン゠リュック・ナンシーの哲学 共同性、意味、世界』読書人、287-304頁、2023年。
松葉祥一「「共通性なき共同体」は可能か」『現代思想』青土社、162-169頁、2004年。
論文「触覚」の訳注(T, p. 152)でペギー・カムフが、日本語版の『触覚』の後書き(593-594頁)にて松葉が、それぞれ述べているように、このタイトルの翻訳は困難であり、英語や日本語では二重のタイトルが採用されている。このタイトルの翻訳上の問題を端的に示せば、toucherを名詞と取ればleが定冠詞になり、動詞と取れば代名詞になるというように、品詞の取り方によって文法上大きく意味が異なってくるというものである。本稿では、この問題にはこれ以上立ち入らず、論文と単行本版の両方とも「触覚」『触覚』と略す。
伊藤(2022)24-25頁、加國(2017)117頁。
James, 2006 ではメルロ゠ポンティやアンリらの身体論との関係から、市川(2017)では「固有性」や「自己触発」などの観点から、伊藤(2021)では「声」「宛先」などの観点から、マルタン(2023)ではドゥルーズとの関係から、『触覚』とナンシーの著作について卓越した研究がなされている。しかし、これらの先行研究によって『触覚』の全体像が明らかになったとは言い難い。例えば、これら4つの先行研究のいずれにおいても本稿で論じる初期の『エゴ・スム』との関係については語られていない。
『エゴ・スム』とデリダについて取り上げた研究としては、先にも紹介した伊藤(2022)やJames, 2006が詳しく、本稿の議論は両者の言表行為と言表内容を区別する解釈を大いに参考にしている。ただし、本稿ではデリダの初期の著作でなく、『触覚』でのデリダのナンシー解釈を取り上げるという点で両者の研究と異なる仕方での解釈を提示する。
この「口」という語は、ヴァレリーの『雑種』における口から影響を受けており、後に述べる主体の分解の運動と密接に関わる(ES, 161-164 / 281-285)。本稿では紙幅の都合上これ以上取り上げないが、詳しくは伊藤(2022)の160-164頁を参照。
伊藤、前掲書、158頁。
Descartes, 1996, p. 81(フランス語版 p. 64、邦訳121頁)。また本稿では取り上げないが、ナンシーは『省察』のラテン語訳において「或ル一ツノ何カ」が出てくる箇所を引用し(ES, 132 / 235)、ラテン語版とリュイーヌ公の訳したフランス語版との違いについて詳細に分析している。
論文「或ル一ツノ何カ」でナンシーが「触れるtoucher」という語を使う箇所は二箇所あるが、もう一つの箇所ではリュイーヌ公による『省察』のフランス語訳が重要な部分に「触れて」いないことを批判しているだけであるため、本稿では取り上げない(ES, 133 / 236)。またデリダはこの箇所を引用しているが、「触れる」の「比喩形象」について注目しているだけであり、特筆すべき言及はなされていない(TJLN, 38-39 / 55-56)。
ナンシーがこうした「触れる」の多義性を活かしていることをデリダも指摘している(TJLN, 303 / 507)。
Descartes, 1996, p. 25(フランス語版p. 21、邦訳45頁).
James, 2006, p. 59.
『触覚』におけるデリダの自己‐触発については市川(2017)を参照。
デリダの『声と現象』における自己‐触発については亀井(2019)を参照。本書で亀井はデリダの自己‐触発の概念がハイデガーから受け継がれたものであることを示しつつ、デリダの自己触発は〔…〕〈今〉の自己同一性を構成するとともに、その非自己同一性をも構成し、他なるものを〈今〉の内に含みこませる」(147頁)としている。
本稿では「場の場ならざるもの」については詳しく述べないが、ナンシーも口が自らを開く行為によって、この「場ならざるものの開け」が形成されるとしている(ES, 161 / 281)。またデリダも『哲学の余白』に収められている「ウーシアとグランメー」においてナンシーよりも先に「場をもたない場」という語を用いており、またそれを『触覚』第2章の表題でもある「間化」という語と結び付けて語っている(MP, 46 / 上95)。
Heidegger, 1990, p. 272(285頁). またデリダは『触覚』の第 2 章で「ハイデガーへの留保をつけた不安げな参照、ないしほとんど反論」(TJLN, 34 / 50)などと述べ、ナンシーの言う「間化」がハイデガーに由来することに気づいている。しかし、加えて、本稿でも指摘しているようにデリダは「間化」という語をナンシーより以前から用いており、ナンシーは 1960 年代にはデリダのテクストに出会っているため、ナンシーの間化がハイデガーだけでなくデリダの影響も受けている可能性は大いにあることにも注意が必要である。
他には『声と現象』(VP. 96 / 187)や『グラマトロジーについて』(DG, 99 / 139)、「ウーシアとグランメー」(MP, 46 / 上95)などを参照。
松葉(2004)は「この空間化=間隔化の働きは、脱自という自我の本性に由来する。フロイト‐ナンシー‐デリダにとって、自我とは、自己を外部へと分割、分散させる脱自の運動にほかならない。」(164頁)と述べており、デリダとナンシーの間化に類似性を読み取っている。しかし、松葉は『エゴ・スム』でのナンシーの間化については言及しておらず、またナンシーによるハイデガーの参照についても語っていない。