Inquiries into Philosophy
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2025 Volume 2025 Issue 52 Pages 294-304

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序論

本稿は、労働そのものへの反乱、つまりアンチワークについての理論的研究のサーヴェイである。アンチワークは、現代においてますます注目される思想であるにもかかわらず、その社会学的・哲学的研究は十分進んでいるとは言い難い。そのひとつの主要な要因は、アンチワーク概念そのものに混乱があることである。本稿は、アンチワークを、反資本主義として理解することで、その混乱を解きほぐすことを目指す。

働かざるもの食うべからず——現代社会において、賃金労働(wage labour, paid work)が果たす役割は大きい。賃金労働は多くの人にとって、経済的に必要な活動であり、社会的義務であり、また、個人の道徳的実践でもあり、共同体的義務でもある(Weeks 2011: 11)。あるいは、賃金労働は所得(income)、権利(rights)、そして所属(belonging)の源である(Frayne 2015: 6, 41)。しかし、無業や非正規雇用の増加など、雇用の不安定性が拡大する中で、賃金労働はこれら三つを安定的に提供できなくなっている(Frayne 2015, 43)。労働時間が際限なく増加する中で、多くの人は、少ない余暇で仕事のみをこなし、やっと得た賃金も、次の日以降も働けるように使うだけである。このさまは、匿名の人物による「賃金奴隷」についてのインターネットミームにおいて、鋭く活写されている。

私は雇用主に労働力を提供するために存在している。その見返りとして、私は基本的な住居、食事、交通手段を賄うのに十分なだけのお金を受け取る。私は来る日も来る日もこの仕事をし、その特権に感謝する。毎週、毎週、毎月、毎年、私の健康と肉体が雇用主に価値を提供できなくなるまで続く。そして私は死ぬ。(Alliger 2022, 14, 筆者翻訳)

このミームが示すように、賃金労働とそれによって構成される生活は、以前ほどに当然視されなくなっている。それに伴い、賃金労働に抵抗する思想や運動、「アンチワーク(反労働)」が注目されるようになっている1。それは、今まで当然視されてきた賃金労働の価値を疑い、現代資本主義社会における賃金労働の意味や問題を鋭く抉り出し、さらには、それに対するオルタナティブな生のスタイルを実験的に示すものとして重要である。実際、(アンチワークは歴史上繰り返されてきた思想ではあるものの)近年になってそれは、社会学や哲学の研究対象として注目されつつある。例えば、ソーシャルメディア上のアンチワーク運動(Gutworth 2024)、無意味な仕事(ブルシット・ジョブ)の増加の問題(Graeber 2018)、環境保護の観点からの賃金労働への抵抗(Fonseca, Irving, Nasri & Ferreira 2022)、仕事の潜在的な心理的弊害(Frayne 2015、Alliger 2022)といった観点からアンチワークが研究されつつある。

とはいえ、アンチワークに関する理論や実践が社会学において十分に理解されているとは言い難い2。先行研究では、アンチワークの幅広いサーヴェイや分析が不足しているからである。アンチワークが労働の何を問題とするのか、アンチワークがいかなる表現を取るのか——こういったことは十分に明らかになっていない。その結果、アンチワークが掲げる価値が理解されず、しばしばアンチワークは単なる怠惰などと混同されてしまっている。本論文は、アンチワークについての先行研究を広く整理するとともに、アンチワークの中心的な眼目を特定しようとするものである。具体的には、アンチワークとは、資本主義への対抗として捉えられるべきであることを主張する。第一節では、アンチワークという言葉の意味、そこでの「ワーク」の内実について、先行研究での用法を整理しつつ分析する。第二節では、アンチワークの表現、つまり、ワークに対していかに対抗するかについての方法を分析する。第三節では、アンチワーク研究が今後取り組むべき課題を提示する。

1.アンチワークの意味:何に対抗するのか

(1)賃金労働への対抗としてのアンチワーク

「アンチワーク」という用語は、反対という意味の「アンチ」と、仕事または労働という意味の「ワーク」から構成される。そのため、アンチワークの意味を考えるためには、「ワーク」の意味について触れておく必要がある。「ワーク」は様々に解釈することが可能であり、実際、「ワーク」の解釈について多くの文献が存在する。それは大きくふたつの方向性に分けられる——「ワーク」を幅広い人間的活動一般として捉える方向性と、「ワーク」を資本主義的な労働——典型的には賃金労働——に限定する方向性である。前者のうち、Tilly & Tilly(1998, 22–23)によれば、仕事は「商品やサービスに使用価値を付加するあらゆる人の努力」であり、Lucassen (2021, 3)によれば、「ワーク」は「余暇とレジャー以外の全ての人間的追求(human pursuits)」である。とはいえ、先行研究の多くは、後者のように「ワーク」を限定しようとする。すなわち、「ワーク」とは、資本主義社会の中での労働である——当人が受け取る以上の商品価値を生み出す労働である(労働主体が受け取る賃金以上の商品価値を生み出すような労働を、ここでは「資本主義的労働」と呼んでおく)。それは典型的には、何らかの「搾取」、「支配されること」や「疎外(alienation)」(e.g. 当人ではなく他者のためである活動)を含むような、賃金労働である。例えば、Gorz(1981, 91–93)によれば、「ワーク」とは誰かに支配される「賃金労働」であり、「自律的な活動(autonomous activities)」や「余暇(free time)」とは質的に異なる活動である。Gorzのような立場は、「ワーク」という言葉において人間的生産活動一般を扱うのではなく、労働力が商品価値を生み出す市場構造、資本家と労働者のヒエラルキー構造を前提とした労働へと、問題を限定するのである。

アンチワークの議論においては、「ワーク」は後者のように理解されるべきである。というのも、アンチワークとは、人間的生産活動一般ではなく、労働における搾取や支配を問題とする理論・実践だからである。アンチワークにおいては、自分で価値を設定するような自律的な創造活動に抵抗するのではなく3、他者のもとで強制される労働——典型的には資本家によって支配される賃金労働——に対して抵抗するのであり、アンチワークを理解するには「ワーク」を資本主義的労働に限定するほかない4。アンチワークとは、資本主義的労働への抵抗なのである。

(2)賃金労働の何が問題なのか

アンチワークにおいて、「ワーク」は資本主義的労働——典型的には賃金労働——に限定されるべきであり、そこでは、資本主義的労働の何らかの性質が問題になっている。とはいえ、そこで問題となる性質が具体的にいかなるものなのか。これについては、いまだ不明である。ここでは、先行研究を整理しつつ、アンチワークが問題とする資本主義的労働の性質を四つに分類しておこう。

① 他律:第一に、自分で自分のために活動する自律(autonomy)に対して、賃金労働は本質的に他人のための活動、つまり他律(heteronomy)であるという問題がある。人間は本来、自分で設定した価値(自分、家族、友人、共同体)のために労働をする。例えば、畑仕事をする時、それは自分や家族の食糧を作るためである。しかし、資本主義社会の賃金労働においては、そうではない。労働者は、資本家のために商品やサービスを生産するのであって、その生産物や活動は、労働者当人にとっては疎遠なもの(疎外されたもの)となっている。賃金労働者は、本質的に他人(資本家)のために生きていることになってしまう。他律の問題は、すでに引用した「賃金奴隷」の文章において典型的に現れている。あるいは、Gorz(1999, 72)によれば、資本主義的賃金労働は、他人によって命令されていないような、給料が出ない自律的活動の価値を否定することによって、人々の心をイデオロギー的に支配している。こうした指摘においては、他律としての賃金労働が問題とされている。

② 自己実現の阻害:第二に、資本主義的労働は、人間としての基本的な必要である自己実現を阻害する傾向性がある。人間は本来、自らの能力や生き方を促進すること——自己実現——を目指す。誰しも、より善い人間、より能力の高い人間になりたいのだし、自分なりの生き方を追求したい。しかし、資本主義的労働を中心とする生活は、そうした創造性を阻害する。資本主義的な分業において、個人の能力は発揮されない。あるいは、全く無意味な仕事(いわゆる「ブルシットジョブ」)に従事する生活は、自己実現のための能力や動機を枯渇させるだけだろう(Graeber 2018)。そして、長時間労働によって疲弊し、明日の労働を準備するだけの生活は、自己実現の余地を残さない(Tanskanen & Kuoppa 2023, ch. 8)。

③ 共同性の排除:資本主義的労働は、自己実現を阻害するだけでなく、他者との繋がりといった共同性からも人間を排除してしまう。いわゆるケア——洗濯や洗い物といった家事、話を聞くことや相談を受けることといった気遣いなど——は、資本主義において、賃金労働的な価値を有さないものになっている。こうしたケア労働は、人間の共同性の根本にあるのにもかかわらず、そもそも賃金が払われないか、あるいは、非常に低い賃金しか与えられていない。かくして、賃金労働を活動の中心とし、そこでの経済的価値のみを重視する生活は、こうした共同性やケアの価値を貶めてしまっているのである。例えば、Trenkle(2021, 107–136)によれば、労働の何よりの問題とは、賃金労働の崇拝、つまり、無償の社会的再生産(social reproduction)を排除する「賃金労働宗教(palkkatyöuskonto)」である。賃金労働中心の社会では、その必要性にかかわらず高賃金の労働に価値が置かれる一方、社会的必要性の高い介護労働やケア労働に対する給与が低い傾向にあり、労働力も不足している(Graeber 2018)。また、Fraser(2016, 102)によれば、社会的再生産(家事労働だけでなく、社会的関係を作る学校や公共制度も含まれる)は、資本主義において、何らかの経済的利益を生み出さない限り価値が認められない事になる。このように、賃金労働を中心とする社会は、共同性やケアの価値を貶めてしまうのである。

④ 搾取:資本主義的労働は、資本家による労働者の搾取であるためにも批判される(Tanskanen & Kuoppa 2023, ch. 5)。マルクスの古典的分析においてすでに明らかなように、賃金労働において資本家は、労働の対価として労働者に支払われる賃金以上の価値を、生産物という形で労働者の労働から引き出している。このような搾取は、格差(不公正な分配)を拡大させ続けている(Weeks 2011, 20–29)5。かくして、賃金労働は搾取であり、そのために道徳的な問題を抱えることから、それに対抗しようとするアンチワークが存在する。

このように、アンチワークは、大きく分けて四つの理由から資本主義的労働に対抗しようとしてきた6。注意すべきは、これらは独立に主張されるわけではなく、多くの場合交差し、重なり合う問題として理解されてきたことである。例えば、他律は、同時に自己実現の阻害の問題も引き起こすことは明らかであるし、また、賃金労働に没頭しすぎて家庭を顧みない人間の例が蔓延するように、他律であることによって共同性から疎外されてしまうことがある。いずれにせよ、これらの複合的な問題こそが資本主義的労働、賃金労働、ひいては資本主義の問題として捉えられ、アンチワークの主張を構成してきた。アンチワークとは、とどのつまり、資本主義の諸性質を問題とする思想なのである。

2.アンチワークの表現:いかに対抗するのか

ここまでの分析において、アンチワークが、資本主義的労働に対抗するものであることがわかった。未だ明らかになっていないのは、アンチワークはいかなる表現を取るのか、つまり、いかにして資本主義に対して対抗するのか、という点である。アンチワークがいかなる表現をとるかについては、論者によって大きく異なる見解が示されてきた。それは大きく三つの方向性に分類することができる7

第一に、「労働運動的アプローチ」である。労働運動的なアプローチは、資本主義的な賃金労働において、労働条件、賃金や労働時間の不当な分配を問題にする。そのため、そこでのアンチワークは、労働時間の削減、労働時間や労働賃金の再分配、あるいは普遍的なベーシックインカムの要求として表現される(Srnicek & Williams 2015, 112–14, 120; Aronowitz, Esposito, Difazio & Yard 1998, 33, 64; Benanav 2020, ch. 6)。例えば、Aronowitzらは「オルタナティブを想像し、労働条件を超えた人間の尊厳を説明する言説が必要な時代だ」と述べ、労働時間を30時間に減らすよう要求すべきだと言っている(1998, 64)。また、Gorz(1989)は、給与の減額をせずに全員の労働時間を減らす要求としてアンチワークを捉えている。「労働者運動が支持する連帯、平等、友愛の価値は、もはや仕事を愛するために働く必要性を意味するものではなく、むしろ公平な方法で生産された仕事と富を分かち合う必要性を意味するものである。すなわち、広範で方法論的かつ計画的な労働時間削減の方針を打ち出すことである」(Gorz 1989, 71)。

第二に、「革命的アプローチ」である。すなわち、資本主義的な賃金労働の抜本的な転換、廃絶を要求するアンチワークである。革命的アンチワークは、賃金労働を発生させる構造そのものの破壊を要求する。例えば、Bonanno(2009, 6)は、労働条件の改善を求める既存の労働運動を批判しつつ、「労働の廃止またはその最低限への削減は幸福な人生を送るための最低限の条件である」と主張する。また、Zerzan(1999, 118)は労働を含み、疎外する社会自体の破壊を求めている。さらに、イタリアの労働者運動であるオペライズモ(労働者主義)における「労働の拒否」の戦略——組合代表による労使交渉といった伝統的な労働運動に代わって、現場の労働者たちが直接ストライキやサボタージュを実践することでコミュニズムをもたらそうとする運動(酒井 2001, 23–6)——も、革命的アプローチに含めることが可能であろう。

第三に、「離脱的アプローチ」である。すなわち、アンチワークとは労働から離脱すること、労働から自由な生活を要求することである。例えば、幅広く知られているLafargue(1883)のエッセイでは、「怠ける権利」が主張される。Lafargue(1883)によれば、プロレタリアートは「自然な本能に立ち返るべきであり、怠惰の権利を宣言しなければならない」(これは具体的には、1日3時間までの労働時間を要求し、残りの時間を休息にあてることを意味する)。怠惰、労働からの離脱を求めるアンチワークは、文化的に広く支持されてきた8。こうした、労働からの離脱は、例えば、Black(1991)のアンチワークに関するエッセイにおいて、仕事のない「遊びをベース」とした生き方の主張として現れている。

ほとんどの悪は、働くこと、あるいは働くためにデザインされた世界に生きることから生まれる。苦しみをなくすためには、働くことをやめなければならない。それは物事をやめるという意味ではない。遊びをベースとした新しい生き方を創造することなのだ(Black 1991, 筆者翻訳)。

労働からの離脱を求める潮流は、例えば中国の「寝そべり主義」のように、運動の実践としても近年広く見られる9。また、この潮流には、健康やメンタルヘルスを理由に労働への忌避感を持つ人々も含まれるだろう。

このように、アンチワークの実践や表現としては、労働運動、革命、離脱という三つが分類できる。明らかなように、これらはしばしば重なり合うものである。例えば、すでに指摘したように、オペライズモは労働からの離脱を通して革命を実現しようとするものだった。とはいえ、革命と離脱は概念的に同一のアプローチとして理解してはならないということも注意されるべきである。実際、労働からの完全な離脱や怠惰を求める傾向に対しては、アナキズムからの鋭い批判が存在する。例えば、フィンランドの仕事拒否者連合という団体は、以下のように怠惰と廃絶を区別する。

仕事拒否者は、すべてのやることをやめたいというわけではない。暴力や抑圧や不幸なしに物事を進められるように、社会を組織化したいのだ。時間をもっと有効に使いたいのだ(Kankila et al 2019, 9, 筆者翻訳)。

この引用が示すように、労働を廃絶することは、問題となる労働を発生させる諸条件の積極的な変容を含んでいる。それに対して、労働からの離脱は、単にそのひとが労働から離脱するだけであり、労働を発生させる社会構造に対しては完全に受動的でありうる。これは、メンタルヘルスやウェルビーイングを求めて労働からの離脱を要求する通俗的なアンチワーク言説と革命的なアンチワーク運動を区別するポイントであり、注意されるべきである。

3.アンチワーク研究において今後検討すべき論点

上記の通り、アンチワークは、その問題関心においても表現においても、資本主義への抵抗をその本質とする思想・実践であり、その研究においては資本主義がもたらす疎外の分析や反資本主義運動の展開を見ていく必要がある。本稿では最後に、ここまでの議論で検討できなかった論点を、アンチワーク研究の今後の課題として提示しておきたい。

(1)目的と手段の問題:アンチワーク研究においては、アンチワークそのものを目的とする運動・理論と、アンチワークを何らかの目的(例:革命、環境保護)の手段とする運動・理論の区別が必要である。例えば、Bonanno(2009, 6)は自らのアンチワークについて、「意味のある幸福な人生のため」ではないとし、「仕事の破壊のため」であるとするなど、革命的な手段としてのアンチワークの位置を明確にしており、これは単に個人的なウェルビーイングのためにアンチワーク(仕事をしないこと)をそれ自体目的とするような思想とは異なる。

(2)理論と実践の問題:アンチワーク研究においては、(社会運動的な)アンチワークの実践を扱うのか、それとも(哲学的な)アンチワークの理論を扱うのかという区別がある。運動としてのアンチワーク実践と、思想としてのアンチワーク理論は、相互的影響をもちつつも、それぞれ異なる文脈のもとで発展してきた。こうした理論と実践の文脈の違いについても注意を配りつつ分析を進める必要があるだろう。

(3)資本主義的アンチワークの問題:中心的な事例とは言えないものの、企業内賃金労働よりも効率的に金を稼ぐ方法を目指す生活としての「アンチワーク」的言説が散見される。例えば、企業での賃金労働をやめて、起業・事業や投資を推奨する言説が見られる。これらは、反資本主義的アンチワークと同様に他律や搾取を問題としながらも、資本主義そのものに対してはむしろ肯定的である。こうした資本主義的アンチワークの分析が必要となるだろう。

とはいえ、これについてはいくつかの注意がある。まず、このような資本主義的アンチワークについては、そもそも特定の形態(企業サラリーマン)の賃金労働のみに反対するものであり、「アンチワーク」と呼べるのか疑わしい。それは単に、企業内賃金労働よりも高い賃金を得る方法についての指南に過ぎない(よって反労働ではない)と見ることも可能である。また、こうした言説が支持する非典型的な労働形態が、しばしば搾取や他律といった問題をより深刻に抱えることも注意が必要である。例えば芸術家は、しばしば「一般の賃金労働」で働いている人以上に、自分のすべてを「履歴書化」することが求められ、助成金などで厳しい競争に参加することが求められる(Tanskanen & Kuoppa 2023, ch. 8)。フリーランサーも「自由に」仕事をしていると見られることが多いが、多くの論者が指摘するように、定まった月給や時給が出る賃金労働よりも搾取される立場になっていることも多い(例: Tanskanen & Kuoppa 2023, ch. 5, ch. 8)。これらは、企業に属していないだけで、より悪条件の労働だと捉えることもできる。

(4)非物質的労働の問題:ネグリ&ハート(2005)は、「知識や情報、コミュニケーション、関係性、情緒的反応といった非物質的な生産物を創り出す労働」を「非物質的労働」と呼び、これが従来の工業労働に代わって中心的となる事態を、20世紀末以降の労働パラダイムの変化として指摘する(ネグリ&ハート 2005, 181)。アンチワークの分析においても、非物質的労働の重要性を検討する必要がある。というのも、非物質的労働については、従来の労働とは異なる類の搾取や疎外が問題になることがあるからである。例えば、情報的財を生産する非物質的労働を考えてみよう。労働時間外に、自らが好むアニメについての二次創作小説をSNS上で発表する時、これは当人にとっては自己実現であり、資本主義的労働ではないように思われるだろう。しかし、この小説が、当該アニメについての「参加型メディアミックス」(消費者が自ら参加する創作活動)としてその商品価値を生み出すという事態、あるいはプラットフォームへのアクセスを高めることでその収益をもたらすという事態を考慮すれば、それは「自己実現」への欲求を利用された、プラットフォームによる「フリーレイバー(無償労働)」、つまり搾取である(大塚 2016, ch.2)。アンチワーク研究は、このような新たな資本主義——非物質的労働——の構造を踏まえた分析を進めていく必要がある。

(5)国際比較の問題:従来のアンチワーク研究は、ほとんどが欧米圏の研究者によるものであり、国際的な比較に欠けているように思われる。グローバルな現象である資本主義について、その地域的特殊性に注意を払いつつ検討するためにも、欧米圏の分析に留まらない研究が必要であると思われる。

(6)心理学主義の問題:従来のアンチワーク研究において使用される分析概念が心理学的なものに偏りすぎているという問題がある。つまり、疎外や搾取といった資本主義的構造の分析を回避して、アンチワークを個人の心理的経験に還元してしまう傾向性がある。例えばAlliger(2022)は、アンチワークを研究主題としながら、あくまでも各個人の特殊な心理的経験に着目すべきだと指摘しているが(Alliger 2022, 15–40, 231–237)、これは心理学主義の典型的なものである。アンチワークは快楽や苦痛といった単純な心理的経験というよりも、搾取や疎外といった資本主義についての分析概念を用いるような、複雑な社会的経験である。アンチワーク研究は、こうした分析概念や思想の影響を慎重に踏まえる必要がある10

4.結論

本稿では、アンチワーク研究の動向を広く整理するとともに、アンチワークとは、資本主義的労働を問題とする思想・運動であることを示してきた。アンチワークは、賃金労働が含んでいる疎外や搾取といった性質を問題とするものであり、アンチワークの表現は労働運動や革命といった反資本主義的な行動として現れる。このようにアンチワークとは本質的に反資本主義的な概念であるために、その研究においては、資本主義がもたらす搾取や疎外といった事態についての分析が欠かせない。かくして、アンチワークを単に個人的な心理的経験の問題として扱うのでは不十分であり、今後は資本主義の分析を軸としつつ、現在進行形で展開されているアンチワーク運動や言説の分析、国際的な観点からの分析、そして非物質的労働といった新たなタイプの労働の分析を進めていく必要がある。さらに言えば、資本主義の問題を積極的に指摘していくアンチワークの研究においてこそ、資本主義の問題がより明確にされていくという事態もありうるだろう。過去も現在も変わらず、資本主義こそが主要な戦場であったのであり、われわれは資本主義について考えるところから始めなければならない。そのことは改めて強調されるべきである。

参考文献

1-1.日本語・単著

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2-1. 欧文・単著

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Weeks, K. (2011). The Problem with Work. Durham, NC: Duke University Press.

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2-3. 欧文・論文

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Gorz, A. (1989). Critique of Economic Reason. London, New York: Verso Books.

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Lafargue, P. (1883). The Right to Be Lazy. Marxists Internet Archive. https://www.marxists.org/archive/lafargue/1883/lazy/ (Accessed November 15, 2024)

Mumby, D. (2019). Work: What is it good for? (Absolutely nothing) – a critical theorist’s perspective. Industrial and Organizational Psychology, 12(4), 429–443.

Scruggs, J. P. (2024). The Rejection of "Work as Worth": The Conceptualization, Antecedents, and Outcomes of Employee Anti-Work Orientation. Doctoral dissertation, University of Pennsylvania.

Trenkle, N. (2021). Vapautettu yhteiskunta ei tee enää työtä.(解放された社会は働かない) In L. Poser, I. Raivio & H. Salonen (Eds.), Eurooppa kieltäytyy työstä(ヨーロッパは仕事拒否する). Helsinki: Khaos Publishing, 2023, 107–136.

2-4. 欧文・邦訳のある場合

Benanav, A. (2020). Automation and the Future of Work. London: Verso Books. (『オートメーションと労働の未来』 佐々木隆治、岩橋誠、萩田翔太郎、中島崇法(訳)(2022)Zブックス)

Graeber, D. (2018). Bullshit jobs. New York: Simon & Schuster. (『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』 酒井隆史、芳賀達彦、森田和樹(訳)(2020)岩波書店)

Lucassen, J. (2021). The Story of Work: A New History of Humankind. New Haven, CT: Yale University Press. (『仕事と人間(上): 70万年のグローバル労働史 (1) 』 塩原通緒、桃井緑美子(訳)(2024)NHK出版)

Marx, K. (1992) [1844]. Economic and Philosophical Manuscripts. Early Writings. London: Penguin Classics. (『経済学・哲学草稿』 城塚登、田中吉六(訳)(1964)岩波文庫)

Footnotes

実際、先に引用された文章も、「Reddit」というインターネット掲示板のアンチワークコミュニティ(r/antiwork)においてミーム化しているものである。

アンチワークについての研究がほとんど存在しない日本においてとりわけそうである。

とはいえ、自律的な創造活動でも、搾取や支配が問題となるケースがあり、それはアンチワークの対象となる。本稿第三節(4)「非物質的労働の問題」を参照のこと。

実際、アンチワークの先行研究は、「ワーク」を何らかの仕方で限定しようとしてきた。例えば、アンチワーク概念を実証的に研究したScruggs(2024, 9)は、Weeks(2011)も同様の立場として引用しつつ、アンチワークを「自己の価値や社会に対する価値を定義するものとしての仕事に対する一般化された頑固な拒絶」として定義し、「あらゆる仕事に反対するものではないこと」を指摘する。また、心理学的な観点からアンチワークを論じたAlliger(2022)は、アンチワークの主要な見解としては、Marx(1992)に由来するような、「労働は他者の意志への服従と人間からの疎外を必要とし、それゆえに反対される」という見解である、としている。

さらに、こうした搾取の結果が問題を引き起こすこともアンチワークにとって問題となる。例えば、世界的な規模で搾取を行うグローバル企業や巨大企業は、環境破壊を拡大するという問題がある(Tanskanen & Kuoppa 2023, ch. 8)

すでに明らかなように、こうした議論はその多くをマルクス(疎外論、家父長制分析等)に負っている。詳しくは、Marx 1844(『経済学・哲学草稿』)を参照。

これは、Seyferth(2019)における分類——アンチワークを「マルキスト的アンチワーク」と「アナキスト的アンチワーク」に分けること——を参考にしている。

例えば、仕事の歴史を検討しつつ、Lucassen(2021)は、人類の98%は狩猟採集社会だったという事実から、そもそも仕事をすることが「良い」とされている時代が短く、仕事が高く評価されるようになったのは比較的最近であると主張する(Mumby 2019)。

寝そべり主義は、中国社会における過酷な労働状況や過剰な競争に抗うために、「寝そべって何もしない」ことを主張する運動である(匿名2022)。この運動は、マルクスが分析するような労働疎外の多様な側面(労働疎外、類からの疎外)、つまり本稿の用語を使えば、他律や共同性からの排除を問題としている。

関連して、Frayne(2015)は当事者のインタビューを扱う研究において、インタビュイーが「普通(ordinary)」な人であること、つまり左派活動家などではないことを強調しているが、これも心理学的な経験に問題を限定しようとする傾向性を示している。

 
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