岸見一郎・古賀史健による『嫌われる勇気』の広範な受容により、アドラー心理学が「課題の分離」と同一視される誤解が広がった。しかし、「課題の分離」は本来アドラー心理学の概念ではなく、その基本的立場と矛盾する側面を有している。本稿では、「課題の分離」をめぐって実践現場で生じてきた諸問題を整理しつつ、アドラー心理学における「課題」概念の本質を再検討する。さらに、個人の三層モデル(あたま・こころ・からだ)を手がかりとして、「課題の混乱―整理―特定」という代替的枠組みを提示し、アドラー心理学を共同体的実践として学び直す視座を示す。